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日曜日夜、がんばってる方のお母さんにスポットを当てた番組があります。昨夜は前回の予告編とは違い、荒川さんのお母さんにスポットが当たっていました。小さな時から抜群の運動神経を持っていたようで、何でもすぐ出来ちゃったようですが、興味を示したスケートを、やらせてみたらドンドンうまくなってしまった。それをサポートするために、パートをし、衣装を手作りし・・・という自然な子供との付き合い。こうでなくっちゃと思ってしまいました。モーグルの上村さんにも荒川さんにも、こういう家族の自然なサポートの背景があり、こういうところを以前から知っていたので応援していました。今回のオリンピックで、荒川さんの両親の露出が多くなりましたが、演技当日のお母さんが、「ここにいる皆さんの中で、私が一番大きな拍手をしなくっちゃ、それくらいしかして上げられないし・・・」と言った言葉にじ~んときてしまいました。親なんてそうなんだよね。あそこがどうとか、ここをもう少しこうしなくっちゃとか言うんじゃなくって、大きな拍手して、「すごいね~」って言ってればいいと思う。満足できない成績の時も、親だけは、「よかったよ~」って言ってればいいと思う。でも親子で同じ競技をしていると、ここの線が引き難い。どうしても、子供の欠点が見えちゃうから、言ってしまう。すると、純粋に応援してる親子関係から離れてしまう。ここが難しく、多くの親子が仲違いして競技から離れていくのを見てきた。うちの場合も、赤ちゃんの時からヨットに乗せていた長男が、ジュニアヨットへの誘いを断ったのは、私とそういう関係になることを避けたのだろう。小3だったけど、何となくそんな感じが伝わってきたので、1度だけしか誘わなかった。親父にいつまでも頭が上がらないのは、男としてやなんだよね。気持ちわかる。すぐに、ヨットやるって言ってきた次男にしても、最初のヨット教室には、私は行かなかったし、練習にもあまり参加せず、大学のコーチをしていた。親にやらされてるでは、彼も精がないだろうし、自分で始めたという最初が男のプライドとしてとても大事だと思った。やがて人材難もあり、親として他の親御さんに負担をかけるのも気が引けて、ジュニアコーチに復帰したが、ジュニアの最後にポツリともらされたことがある。「お父さんがミーティングしている時、みんな僕が言われているように思うねん」悪いなあ、と思った。だから、大学生になって、親を呼んでくれた時は、嬉しかった。荒川さんのお母さんは、私の理想としている、映画「ジョーイ」の親父さんと一緒。多分お父さんも同じような方だろう。子供を不甲斐ない成績の時怒ったって、子供には何の益もない。番組中で、昨年の世界選手権で惨敗した静香さんについてお母さんが語っていた、「1番だって、7番だって、9番だって、みんながんばったの。その子の上に何人かいただけ。だからそのがんばりに拍手です」。いやあ、私と全く同じ感じ方です。人には持って生まれたタレントというものがあり、どうにもならない部分もあります。結果を重視したら、高校野球で数千の負けの中にたった1つ勝ちがあるように、みんな敗者になっちゃう。結果じゃなくって、それに向かっての努力に目を向けると、みんな勝者です。結果は本人やコーチが自分の今の位置をみる指標で目標であればいいもの。チャレンジこそ、素敵なものです。これは、スポーツに対してだけじゃなくって、みんな一緒じゃないかなあ。親はコーチじゃなくって、特別な存在だと思う。どんな状況になっても、子供側でないと。この日曜日は朝から大雨で、午前中船に行って整備するのを諦めました。午後からは、中学の恩師を囲んでやってる勉強会です。中学のときは社会の先生だったけど、その後校長になり、今は系列の中高校長です。スポーツマンでもあり、昔から大人気で、特にお母さんに。私の家内も、長男受験の時母校の学校説明会に参加して、いちころにやられて帰ってきた。今回のテーマは、「校歌を考える」です。この校歌は、山田耕作/北原白秋の赤とんぼコンビの作です。山田さんが母校の出身だから、北原白秋を引っ張り込んだのでしょう。とてもテンポがよく、変に校歌校歌していない素敵な作品です。今で言えば、ユーミンが作った校歌みたいなものでしょう。校歌の出来たいきさつの説明、これは学校の大学承認にさかのぼる時代背景もからみ、興味深いものでした。続いて参加者全員の想いの発表がありました。各人それぞれの話を聞きながら、いろいろ考えてしまいました。当然中学の時は、このような話合いがあるわけもなく、第一表現し伝える言葉を持っていないので、実にしらけたものにしかならないでしょう。私も当然発表したわけで、親にやらされていた小学校時代の屈折から、「ポプラは羽ばたく」の軽妙なテンポと明るい歌詞に出会って、頭に浮かんだ情景の事などを話しました。あのポプラは、サッカーグラウンド脇の通学路から見上げたポプラ並木で、その上に広がる青い空です。中学で学んだ、「みんな神様の子供である。神様は世の中に必要な人しか生を与えない。自分の心に浮かんだ「・・・したい」「・・・になりたい」こそ神様のあなたへのメッセージで、たとえそれがいかに厳しそうなものでも、それに素直に従って行動すれば、あなたの一番輝ける場所に導かれる」を話しました。私の上にいた親がはずれ、私の上にはポプラ並木の向こうに青い空が広がっている。子供の単純な「・・・したい」という思いや言葉に、親の不用意なマイナス言葉でその希望をしぼませてはいけない、という子供との接し方の延長に、昔で言う元服15才の時の手紙があり、それを書いて渡した。と話しました。会が終わって、その手紙に先生が興味を示してくださり、なんかこそばいような気持ちになりました。「その手紙、何処かに残ってる?残ってたら俺のところに送ってくれないかなあ」「ええ、PCに保存しています。いいですよ、送りますわ」その日の晩、先ほどの荒川さんのお母さんの番組・・・なんかそういう日だったんだなあ・・・
2006/02/27
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先日の勉強会で、いきなり、「日本の一番小さなお金の単位はいくらですか?」と指名されました。「1円です」と答えると、では皆さん、「今から10秒目をつぶってください。目を開けて1円硬貨の大きさををフリーハンドで書いてみてください」ちょうど広げていたノートに、1円の円を書いてみました。うまく円をかけなかったので、ぐるぐる修正しながら、これくらいかなあというものを書きました。「では1円をお配りします。書かれた円に重ねて、この1円に当てて円を書いてみてください」1円を重ねると、ほぼピッタリでした。我ながら、すばらしいのではと、思ってしまいました。「では、本当の1円の大きさより、大きく書かれた方、いますか?」・・・なんと誰もいませんでした。「ほとんどの方が、本当の1円より小さく感じているんですね。1円はもっと大きいのです。1円の力はもっと大きいのです。それと、小さく書かれた方は、自分の力も本当の力より小さく思っていますよ。謙虚なことはいいことですが、もっと、あなたに大きな能力があると思ってください。では、勉強を始めましょう」と勉強会が始まりました。帰りの電車で本を読んでいたのですが、ふとそのことを思い出しました。本を閉じて、向かいの窓を流れる景色を見ながら、考えていました。その時頭に浮かんできたのは、ライブドアのことでした。ライブドアの無料サーバーに、ヨットの写真のHPを置いています。メインのサーバー容量がいっぱいになりそうだったので、写真のページをこちらに置いてリンクしていました。ところが、昨年の夏ごろ、サーバー不良になり、リンクが切れてしまいました。半月ほどしても戻らなかったので、おかしいなと思い、連絡をとったのですが、音沙汰なしです。PC関係の会社は、どこもそういうところがあり、まして無料サーバーだから、文句の言える立場でもなし、ほおっておきました。ところがです。1週間ほど前に、半年ぶりにそのページが復活しました。一連のライブドア事件と関連があるなと、直感しました。報道によると、世界一を性急に目指していたそうですが、1円を思いっきり大きく書いていたのでしょう。ところがこういうことになって、本当の1円の大きさを思い出し、飯の種の地道な仕事を見直し始めたと感じました。その数日前、「弥生会計」という、最近ライブドアグループに入った、うちが長年使っている会計ソフト会社から、電話がかかってきたこともあったからです。ちょうど忙しい時で、話は聞けませんでしたが、トラブルも起こっていないソフト会社から電話が入ることなんて、そうはないことです。多分一連の事件のことのお詫びか何かだったと思います。元の弥生会計の社長が、今ライブドアの社長になっています。長年実業できちんと利益を出してきた会社で、会計ソフト分野でトップ企業。中々いい人事だなあと思いました。ライブドアは、若い会社で、社員も若く、いろんなしがらみもないのでしょう。決定・行動が早いはず。すぐに地に足つけた実業に、人的資本を投入してコツコツし始めた印象です。「1円を大切にし始めた」印象です。会社の財務体制が整い、新商品を出し始めてきたら、一定の部分は占められるのではないかなあと思いました。勉強会の途中で、「この1円はどうするのですか?」に答えて、講師の先生は、「プレゼントします。時々その1円を手に持って見られるといいですよ」「1円の大きさ」を、再認識した勉強会でした。
2006/02/25
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今朝は、起きるとすぐにTVをつけました。フィギア女子のフリーです。これでメダルが決まります。オリンピック前半で、応援していたモーグル上村愛子さんが、ノーミスで5位に入りました。まだ上に4人いてメダルには届きませんでしたが、さらに上がいたというだけで、上村さんのスキーはうまかったです。とてもよかったんじゃないでしょうか。もう1人応援している荒川静香さんが、ショートプログラムで3位に入る大健闘で、今日のフリーでも優雅な姿を見せてくれるものと、期待してスイッチを入れました。その時点で、既に荒川さんは終わっていたようで、暫定トップだそうです。最後に、スルツカヤさんが出てきて、解説の方が、「いつもより難易度を落としている」とか、「切れがいつもと違います」とか、言ってました。どうしちゃったんだろうと思いながら観ていると、「あっ」ジャンプで尻もちをついてしまいました。その時点で、荒川さんの優勝が決まったのかもしれませんが、スルツカヤさんにもベストの演技をして欲しかったなあとちょっと残念でした。ショートプログラム2位のコーエンさんは、2回も尻もちついたみたいで、結局4位以下を離していたトップ3で、荒川さんだけが尻もちをつかなかった。よく分かりませんが、ギリギリを狙った故の尻もちなのでしょうが、みんな自己ベストの演技で、優越を競って欲しかったなあ。難易度が低いからか、何故点数にならないかよく分かりませんが、荒川さんしかしなかったイナバウアーはきれいでした。ちょっと昔、ビールマンさんがビールマンスピンを演技したときは、白鳥みたいだなあと、女子フィギアの魅力を増しましたが、イナバウアーもとても優雅で、魅力的だと思うのですが・・・私なら、点数は出なくても、ここで拍手するよ。最近は、採点方法の変更からか、私の好みのジャネット・リン、ビールマン、ミシェル・クワンの優雅・笑顔・美しい系が衰退中で、身体の小さめなチョコチョコ系が優勢です。女子体操みたいにならないで欲しいなあと思っていたところ、久々に荒川静香さんが、巻き返してくれました。日本・アメリカ・ロシアの3選手が並んで、日本人が一番体格がいいなんて・・・ということで、私のオリンピックも終わりました。ところで、全く関係ないことですが、表彰式を見ながら、あの国旗は持参したのかなあ?なんて思ってしまいました。まさか、オリンピックでは、IOCが各国の国旗と国歌を持っているのでしょうが、私が引率していた頃は、いつもレース委員会から、ナショナルフラッグと国歌のカセットテープを持参するように、アナウンスされていました。国旗はまだしも、国歌を持っている家庭なんてないから、1セット購入し、自分が行く時もそうですが、他の方の時にも積極的に貸していました。プライズギビングで、ポールに揚がる国旗に、日本というより、私の旗が揚がってるという別の感覚がありました。手元にある私の日の丸の最高順位は、ヨーロッパ選手権優勝です。その時、国内で応援していましたが、国際ジュニアヨット協会のHPに載ってる写真の日の丸は、「僕のです」って声を大にして言いたくなりました。返してもらった時、「これ、ポールの中央に揚がりましたよ。家宝ですね」って、監督さんから返されました。「荒川さんの衣装のヒラヒラは、私がつけたの」とか、「あの髪飾りはうちで買ってくれたの」とか、いろんな人が、様々な視点から見ていたのでしょうね。
2006/02/24
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「本多静六自伝 体験八十五年」 本多静六 実業之日本社 星3つ本多静六さんの本を読むのは、これで3~4冊目だと思いますが、10年以上空いて久しぶりです。1冊目を読んだのは、多分中学生の頃で、母親の持っていた色あせた本でした。小学校の頃だったかもしれません。株式の事が書いてあったような記憶があります。結婚前にやっていた株への興味で、母親がその当時買ったのでしょう。何気なく読んでいた新聞の下の欄の広告に、神田昌典さんの紹介文とともに本多静六という名前を見つけ、久しぶりに読んでみることにしました。最初本の題名通り、85年の人生を振り返って、明治・大正・昭和の時代背景と、ご自身の歩みを淡々と書かれているものだと思っていましたが、ほとんどが大学に奉職するまでの30年間の記述でした。苦しい生活の中に、工夫を見つけ、家計からはとても出来そうもない勉学の道に、お金を工面しながら歩んだ努力が書かれていました。本多さんは、この本が絶筆だったようで、この序文が最後の仕事だったそうです。人生の最期の時期に書かれたエッセンスが、仕事につくまでの勉学時代の事で、「人生日々努力」を最も濃く体験した時代だったのでしょう。この本を読み終えて、私の恵まれた環境を再認識し、どんな環境でも、コツコツ頭を使って工夫すれば、なんでも成し遂げることができる人間の能力の大きさを感じました。暴れん坊のガキ大将が勉強に目覚め、農繁期は実家で仕事をしながら、農閑期は東京に出て勉強をする。士官学校出などの優等生に混じって大学にビリで入り、とうとう半年留年してしまうが、その後のがんばりで半年早く卒業を迎えるまでになり、さらに席次1番になる。裕福な跡取り娘に婿をもらおうという家があり、そこから縁談話が来る。この跡取り娘さんは、日本で4人目の女医さんで、成績優秀、語学堪能の才媛。これに合う婿は、東大1番しかいないということで、白羽の矢が・・・まだ結婚したくない本多さんは、お見合いにぼろ服で向かうが、これが反対に気に入られる。それではと、無理して4人前の大食いを披露すると、これまた、これぐらいでないとと、気に入られる。ではと、ドイツへの留学を条件に出すと、なんとOK。何か明治の人のスケールの大きさを感じます。婿入り先のお金でドイツに私費留学するが、途中で家が傾き、仕送りが途絶える。今度は、自分がこの家を支える立場になってしまう。こうなれば、4年と悠長な留学が出来なくなり、猛烈に勉強して2年で4ヵ年の単位をすべて取り、博士号までとって日本に帰って来る。学生時代から交流のある、後藤新平から渋沢栄一まで、各界の大立者との交流とともに、日比谷公園・大学演習林・国立公園・・・多くの仕事をこなした。その一方で、給料1/4天引貯金・毎日1枚原稿を書くなどの決め事をコツコツ続ける。やがて俸給よりそちらの利子収入などの方が多くなり、大学教授では考えられない資産を築く。それを大学退官と共のあっさり全部寄付してしまう。なんという人生・・・痛快です。本多さんが外国を見て帰って来ると必ず一席設けて、その話を聞きに来る人が3人いる。後藤新平は、自分が招待しておきながら、ふんぞり返って目をつぶって寝ているようにも見えるが、その後、さぞ自分が見聞してきたように、さらに大風呂敷を広げて新聞などに発表したりする。渋沢栄一は、秘書を1人連れてきて、細かくメモを取らせ、納得いかない部分は仔細に質問を浴びせてきてかなわないが、後日それが形になって実現していくのが痛快である。彼らは、本多さん以外にも、洋行帰りを招いて話を聞いて、安価なネタ元を抱えて自分の仕事に役立てている。後藤新平はドイツ留学時代にひょっこり尋ねてきて、本多さんがちょうど授業を取っていた、当時世界一と言われていた経済学者の講義に、自分も出られるように斡旋しろと半ば強引。しかしドイツ語がサッパリ分からないので、今度はドイツ語を教えろというので、後家さんを紹介する。ところが後藤さん、しばらくすると、紹介した後家さんの家に転がり込んで、半ば後釜のように1日中ドイツ語と接して飛躍的に習得していく。しかし博士号を取るのに最も大変な経済学で取るのは諦め、元々医者なので、論文さえ出せば取れる医学系の博士号をとる。それも日本でやってきたものを友人に頼んでドイツ語に翻訳して取ったといういい加減さ。そう言えば、当の本多さん自身、本職の林学ではなく経済学で博士号を取りながら、奉職は農学部という適当さ。85年生きてきた方の書く文章だからかもしれませんが、激動の時代ではありますが楽しく読めました。感じ入った部分もたくさんあり、本多式「幸福について」と「成功の近道」は、なかなかいいもので、この本は、子供達に1冊ずつプレゼントすることにしました。何か過去にも、本多さんの本をプレゼントしたことがあるようにも思うのですが、まあいいか。今まで数冊、これはという本をプレゼントしてきた。これは、親子の力関係から、子供に私の思いを面と向かって伝えてこなかったことへの繕いです。親は意識しなくても、子供にとっては親の言葉は重いものです。友人に忠告されたのとは全く違う重さがあります。子供達には、親のことなど関係なく、自由に世の中を羽ばたいて欲しいと思っています。親の考えが子ども達の自由を妨げたりしないように、昔の元服である15歳を記念して書いたたった1通の手紙と、他は本のプレゼントでのみ、私のいいなと思うことを伝えています。この本は、充分にそれに値する本です。
2006/02/23
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「こども110番」ってご存知でしょうか?おうちの玄関に、そういう札が下がっているところもありますし、お店もあります。うちの店にも、それを貼っていましたが、それをはがしてしまいました。子供の安全のためにいいかなあと思って貼ったのだが、それで増えたのは、おトイレを借りに来る小学生低学年の女の子だけでした。元々、この辺は駅前でお店もいっぱいあり、人通りも多いところです。夜中は別にして、誰も歩いていない時なんてないところです。もし何か大変なことが起きても、声の届く範囲に大人はいます。雨宿りに店のテントの下に入ってる子に傘を貸してあげたり、青い顔で飛び込んでくる子にトイレを借りてあげたりしていました。こういう時は、みんな、「ありがとう」とか、きちんと挨拶をして会話がありました。でも、「こども110番」のステッカーを貼ってから、無言でトイレを使って出て行く子が来るようになりました。こっちが声をかけても、無視する子までいます。変な事件が起こるので、不審者を見る目のような、店の者に見つからないように、こそ泥のごとき子までいます。自分が惨めで、情けなくなります。あほらしくなります。小学校なんて、歩いて1分ほどのところにあります。家にだって学校から10分もあればたどり着くはずです。緊急ではなく、ここにトイレがあるから使おうという感覚です。これって趣旨が違うだろうと思い、はがしてしまいました。困っている時は、子供だろうが大人だろうが、手を差し伸べるのは当たり前。そして、困っている人は、近くの人に声に出して頼むのが当たり前。それが、「こども110番」と貼ってあると、「すいません」も言わずに、トイレを貸すのが当たり前と平気になる子がいる。甘えん坊を製造するだけです。何でも自分で考えて解決しなくちゃ。誰かが用意してくれるのをあてにしてる状態で育ったら、ろくな人間になりません。何度も失敗して、自然に自ら身につけるのがいいと思うので、あえてはがしました。それ以来、何も言わずに単にトイレを使うだけの女の子は入ってこなくなりました。この事で気づいたのですが、不思議と男の子は1人もいませんでした。女の子をちやほやしすぎる社会の風潮でしょうか、甘えん坊は女の子に増えているようです。万引きだって、圧倒的に女の子に多いし。と言いながら、オリンピックで応援しているのは、上村愛子さんと荒川静香さんだったりする私が変わらなきゃいけないのかなあ・・・だってね、スケートの清水の太ももを応援する気にならないし・・・
2006/02/22
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夕刊を読むと、昨夜オリンピックのジャンプ団体が終わったのですね。原田さんが、まだ現役を続行すると書いてありました。お~がんばって欲しいなあ。この方のキャラクター好きです。長野オリンピックの団体ジャンプで大失敗をして泣き崩れていた時は、それほどまで責任を背負わなくても、と思いましたが、その後、楽しそうに飛ぶ姿が復活し、段々原田さんに好感を持つようになりました。男子マラソンの谷口選手が、オリンピックの給水所で靴が脱げてしまって、大きなロスをした時、フィニッシュ後「脱げちゃいました」と笑っている姿にだぶっています。今回のノーマルヒルでは、規定よりスキーが長かったということで失格したり、競技をよく知る人にとっては、「あほか、おまえは」の世界なのでしょうが、「次ガンバリマス」と発言したり、ラージヒルで選手に選ばれなかったとき、明るく「僕よりみんな飛ぶから」と、応援に回ったり、いい感じの愛すべき性格をしています。原田といえば、三振かホームランというイメージがあり、守りよりチャレンジ重視でいいです。うちの長男君も、なんかそういうところがあり、見ていて楽しいです。1つに集中し出すと、他が少しおろそかになる傾向があります。幼稚園や小学校低学年の時、食事をしにいくと、よく袖に引っ掛けてコップを倒してしました。「ありゃりゃ」と思いながら、何も言わず、テーブル拭きを借りに行きました。「またしちゃった」と本人は、少しの間しょげてるんですよね。そしてすぐにケロッと復帰します。大抵、おしゃべりに夢中な時です。頭でいろいろ考えていると、手元がおろそかになっちゃうようです。少年野球のときは、監督さんによると「当たればでかい」というバッターで、ホームランは多いけどアベレージは今一だそうです。でも4番を打っていたから、それほどひどくもなかったのでしょう。思いっきり振りぬいているようで、好きなタイプです。こういう選手は、三振した時怒ってしまうと、ホームランが打てなくなるタイプだと思います。大学で始めたライフル射撃は、すぐ上手になったようで、1年秋の新人大会で、私立のセレクション入学選手達の間に割って入り、100人近くの中からいきなり近畿ベスト8入りして、ファイナルに進んだが、ファイナルでは、構える前に暴発してしまってあっけなく最下位の8位に沈んだそうです。その話題を彼のクラブのウェブサイトで見て、彼らしいなあと笑ってしまいました。その後、たくさん賞を得てきましたが、何か、試合をしながら勝負と違う所を楽しんでいる所があるように感じます。次男もそういうところがあり、自分が勝てそうな大会で賞を得るより、強豪ひしめく所にチャレンジして、今一歩という方を選ぶ傾向があります。高3で、同じ学校に入ったジュニアからのライバルが、大学受験に専念するために春にクラブをやめると言い出したとき、同学年他の2人が彼を説得しましたが不調でした。次男が最後に話をして、翻意させてしまいました。スポーツセレクションの2人とは違い、彼と同じ環境だったから説得に応じたのでしょう。その結果、彼の方がヨットはうまいので、次男は艇長になれませんでした。その彼が、近畿北陸ブロックの別の大学に入学し、再びライバルになりました。2年になり、彼はクラブの理不尽な所に腹を立て、クラブをやめてしまいました。その大学や高校の仲間の説得は通じず、いよいよ決定的になった時、次男が再び説得して、復帰させたようです。「おまえがおらんと、レースおもろないやんか。クラブ関係なしでレースで勝負しようぜ」みたいな事を言ったらしいです。結局彼の大学は、エースがいなくならずに、全日本制覇までしてしまった。次男の大学は、彼の大学に2年連続せり負けて、団体での全国大会参加の道を絶たれた。個人戦でも、近畿ブロック優勝が彼で、次男は2番。でも、次男はそういう時残念な感じが顔から見受けられません。結果より、抜きつ抜かれつの面白いゲームが楽しいようです。デッドヒートのレース後は、いつも楽しそうだから。結果的にみんな負けてしまったけど、強い相手を求める次男の生き方は、とても好きです。原田選手にとっては、不本意なオリンピックだったかもしれないが、潔い敗者の美学が感じられ、いいものを見せてもらいました。年齢がどうとか、オリンピックに選ばれるかどうかとか、ワールドカップを転戦できるかどうかとか、そういうのを越えた、何か仙人の境地を感じます。「原田、がんばれ」です。ところで、荒川静香さんはもうすぐかなあ・・・楽しみです。
2006/02/21
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昨日はまた海に行ってきました。HPをしているジュニアクラブに、先週もらった賞状を渡しに行きました。寒い冬ですが、子供達はドライスーツを着て、船の用意を親御さんと一緒にしていました。小学生、特に低学年の子は、親とワイワイ言いながら楽しそうです。親御さんも、もう~とか言いながら楽しそうです。 でも中学生になると、全て自分でできるし、親に面倒を見てもらうのが、かっこ悪く思えるのでしょう、自分で黙々と用意し、親御さんもレスキューなどの準備の方に行って、子供とは離れています。子ども達の成長がよく分かります。ちょうど親の会の日で、午前中担当の親が子供達を練習させている間、部室でこれからの事を話し合います。先週の受賞報告ということで、久しぶりに私も出席しました。その後、先週の和歌山のレースの話が出て、レスキューに乗ったお母さんが海に落っこちてしまったことで、いろいろ話し合われていました。ライフジャケットを着ているので、命の心配はありませんが、さむかっただろうなあ。子供のレースを見たいのは分かるが、多く乗り過ぎていたるとレスキュ-活動が出来ない。天候を見て、人数を考えましょう。まあ、いろいろあります。こんな会で、情報を共有して、次につなげていってほしいですね。昼から船の整備で、隣のハーバーに移動しました。レース艇のクラックと言うFRPのヒビを直し、桟橋に係留してあるクルージング艇に移動しました。鏡と脚立が大体出来て、中々いい感じです。鏡などなくても別にどうってことないですし、船に乗るとき脚立がなくても、えいやっでいいのですが、この日は来られなかった2人の先輩方のお嬢さんが、今年大学に進学したのです。それも女子大です。よって、脚立と鏡はとても重要なアイテムです。「もう少し、暖かくなったら、友達も連れてくるように言ってくださいよ~」ってお願いしています。そりゃ、その年頃の女性がいると、全然違う1日になるでしょう。華やいだ船はいいです。全て終わって、コーヒーを飲んでいると、「国の品格って本、もう読んだ?」と聞かれました。あれっ、何故知ってるのだろう?と思いましたが、いつも本を持ち歩いていて、前回この先輩と会った時船に置いていたのを見られたようです。なんとその先輩も読まれたそうで、いろいろと話が弾みました。今読んでいる、本多静六さんの話題もでました。知識の広い人と話していると、楽しいです。この先輩は、数十人の会社を経営しておられるのですが、「本を読め」と、しょっちゅう言っているようです。「勉強も結局国語力だからなあ。国家の品格に書いてある通りやと思たわ」日本語で何を言いたいか組み立てできなければ、英語の知識が何ぼあっても、日常会話にしかならんからなあ。うちは、この先輩の会社のレンタルマットを使っています。回ってこられる方は、どの人も挨拶をきちんとする感じのいい人で、日々そういう教育をしているのでしょう。消防署で講習がある緊急救命応急処置とかの修了書とか、全員にいろんな細かい資格や取らせているようです。そういうところで、きちんとした講習を受けることで、自信を持たせようとしているのかもしれません。元自衛官を定期的に雇っているようで、自衛官は時間にきちんとして、挨拶もいいけど、自分で工夫したり、新たなものを考えるのが今一。人当たりのやわらかさも今一で、工場の仕事向きで、営業には不向きな人が多いそうです。そういう人に、本を読むことで、人としての幅を持たせようとしているのかもしれません。本を持ち歩いている私は、先輩に好意的に見られているのかもしれません。本を読むという行為は、知識の源泉でもあるし、TVのように与えられるものではなく、読むという能動的な行為で、落ち着きや忍耐も身につくかもしれませんね。「最近の若者は、本を読まんなあ」という先輩の言葉が、妙に頭に残りました。
2006/02/20
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一昨日晩、家に帰ると既に家人は寝ていました。夕食が食卓に出ていましたが、何気なく冷蔵庫を開けると、そこにはバレンタインチョコが3箱ありました。これは私宛の分ではなく長男君が獲得してきたもののようです。レギュラーサイズのが2つと、その倍ほどのが1つです。この大きいのは、何となく義理さんではないような気がするんですよね。というのも、バレンタインデー当日、郵送で送られてきた荷物が置いてあったからです。彼は、最近修論の関係で忙しいらしく、家に昼帰って来てちょっと寝た後、再び学校に行ったりしています。せっかくのチョコが郵送というのも何か悲しいが、同じ近畿でも少し離れた住所からのものだったから・・・翌日彼は帰ってこなかったようで、そのまま置いたままになっていて、「荷物来てるよ」なんて連絡した方がいいのかなあと思いながら、父親のする仕事ではないなと、ほっておきました。家内も、言われていなければ、何も口出ししないタイプなので、そのままです。やっぱり、連絡した方がいいかなあ・・・まあ、余計なお世話はしないことにしました。そして次の日、冷蔵庫に入っていました。学校で獲得してきた2つに、例のもの1つと見ました。どれどれ・・・と、箱を取り出してみると、モロゾフが2個とゴンチャロフだったっけ?とりあえず知っているメーカーさんでした。一番大きいのが開けられており、2個だけ減っていました。長男は、生クリームが全くダメで、小さい頃から誕生日のケーキもチーズケーキだったぐらいですが、さらにチョコレートも苦手です。だから、彼のバレンタインさんも、毎年私に少し、大半は家内のおなかに消えることになっています。「冷蔵庫のチョコ、食べてもいいの?」「どうぞ」という風になり、おすそ分けを密かに期待しています。思い出します。大学3年で始めたスキーツアー関係で、4年の時のバレンタインは、時間に追われるほど電話をもらいました。事務所の机にはチョコの山が出来ていて、50個以上獲得したと思います。今のように、義理チョコなんぞなかった時代に、これはアイドル並でした。古きよき時代は、遠くなりにけりです。
2006/02/18
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スーツを着た自衛官さんが、予備自衛官補募集の資料を持ってこられました。自衛隊基地のそばに住んでいますが、自衛官に予備役があるとは知りませんでしたし、さらに予備自衛官補なるものをあるのですねえ。日頃は、それぞれの仕事をしながら、イザという時活躍するそうです。テストで採用され、年間数日の訓練があるそうな・・・採用年齢上限が56才・・・イザと言う時、こんな年配で役に立つのかなあ?この年の方ががんばらねばならない時は、もう降参した方が得策だと思うけど。今イラクで、米軍の州兵の予備役が招集されて派遣されているらしいが、このタイミングは、なんか薄気味悪い感じがします。うちの周りは、基地があるので自衛官が多く、「自衛官募集」の看板があったり、募集事務所が市内中心部のビルにあったりする。わが子が中学を卒業する頃、多分基地のある町だけだと思いますが、家に詳しいパンフレットが郵送されてきたことを思い出しました。陸自と海自の高校があり、無料で高校に通いながら、給料までもらえる。先の大戦では、同様な学校に入学した子達が、繰り上げ卒業で、ドンドン実戦に投入されたなあ。脈々と続いているのですね。このような学校に入ると、寮生活で厳しい躾で、しゃきっとした人間に育つのだろうが、なんかその目的が目的だけに、なんかなあ・・・
2006/02/17
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また昨日の日記をサボってしまいました。朝5時に起きて東京に行き、夕方には帰ってきましたが、日記を書くまで時間がありませんでした。B&G財団から、私が担当しているクラブのHPが選ばれて、クラブの代表が行く予定でしたが行けなくなって、私にお鉢が回ってきました。B&G財団からは、艇庫や船など、多額の寄付を頂いているので、どうしても行かなくてはなりません。これからのこともありますしねえ。新幹線で、半分読書半分睡眠で東京駅に着きました。地下鉄に乗り換えて銀座、そして虎ノ門で下車。京浜東北線で事故があったようで、消防やパトカーが随分出ていました。虎ノ門から出ても、機動隊バスが3台も停まっており、うちの地元では首相でも来ない限りそういう光景はありませんが、こちらではこれが日常なのでしょうか?BG財団は、日本財団の青少年向け支援事業の窓口のような団体で、会場は日本財団ビルです。全国教育長会議最終日の最後に表彰があります。この会議に出ましたが、全ての席が決まっており、胸にはネームプレートをつけます。ここの職員は、ネームプレートを見て、すぐに席まで案内します。会議の進行に合わせて、テキパキと動きます。相手の目を見て話すのが気持ちよく、かなり教育されています。ここレベル高いなあと思いました。会議は、全国の教育長さんが集まっているので、BG財団の寄付で作られた施設や事業にからめて、子供達の話が出ます。知育・徳育・体育のバランスが大事ですが、親子の関係が、甘やかしの子育てに行き過ぎている風潮が指摘されていました。徳育の低下は、教育現場以外の場で、親子参加の形で、一緒に学ぶことが良いように話されていました。最後に表彰があり、岸ユキさんから賞状をもらいました。教育長さんから拍手をもらうなんて、私には似合わないですね。でも嬉しいですね。「受賞者の方は最後に岸さんとの2ショット写真があります」の声に、ホイホイついていって写真撮って貰うし・・・ミーハーです。それらが終わり、同じく受賞者の江ノ島ジュニアの代表の方に、挨拶をしに行きました。東京オリンピックの日本代表で、その後2度もオリンピック監督をなさいました。日本のヨット協会の重鎮ですが、昔から毎年年賀状の交換をしています。挨拶に行くと、「いつも年賀状ありがとうね」と逆に言われてしまいました。「江ノ島は、レーシング志向が強すぎるからなあ・・・」いつもの持論です。今日の話を聞いていても、レース志向の子だけじゃなくって、もっと広くヨットを通して海に親しんでもらわないとなあ、と言われていました。この方は、早稲田のOBですが、以前のオリンピック選手は、みんな勉強・スポーツをバランスよくして、卒業後は、仕事でも成功される方が多かったように思います。今は、スポーツのトップ選手がちやほやされすぎているのか、それで進学し、それで入社し、会社員なのにスポーツだけしていればいい人がいます。スポーツをしながらも、もっといろいろな才能を開花させられるのに・・・なんかもったいないです。この方は、大学入学後、お父さんが亡くなって、長男なのでヨットは当たり前だけど、大学までやめようとした方です。でも奨学金で学費を援助され、クラブの時間を削って港で働き家族を支えた、すごい人です。卒業後に、週末ヨットでオリンピックにまで力をつけた、骨のある人です。今とはレベルが違うのかもしれませんが、スポーツだけではよくないというバランスを言葉の裏に感じます。
2006/02/16
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日曜日はまた船に行ってきました。船の鏡が、ガラスではないので、気泡のように何箇所も膨れて、全然見えません。そこで、新しい割れない鏡を購入し、以前の鏡にサンダーを当てて、表面をある程度平にした後、くっつけることにしました。船から鏡の付いていた洗面所前の戸棚の蓋をはずして、桟橋に置いて、一身にサンドペーパーでこすっていました。同じ桟橋に係留している方が寄ってきて、「こんにちは、・・・」多分、何してるんだろうと見にこられたのでしょう。ハーバー内の桟橋にたくさんの船が係留されていますが、陸上からの入口にゲートがあり、セキュリティーカードがないと入れません。ですから、知らない人でも、ヨット仲間と言う感じで、気軽に声がかかります。すれ違う時には、大抵ちょっとした会話が交わされます。多分、人の多く住んでいない村と同じような状態だと思うのですが・・・ロスアンジェルス郊外に住んでいた知り合いの話を思い出しました。ダウンタウンの治安の悪そうな地区を通る時は、赤信号無視で止まらないそうです。信号待ちなどすると、車が囲まれ、俗に言う追いはぎのような目にあうそうです。郊外の塀に囲まれセキュリティーのしっかりした地区に住んでいたそうです。この桟橋は、そんな怖さはありませんが、夜はほとんど無人の船がロープ数本で桟橋に繋がれているだけで、それをほどかれたら、どっかに行ってしまいそうです。専用カードがないと開かないゲートがあることで、桟橋にいる人は、船のオーナーか乗組員、それにゲストと決まっています。これが何か安心感、というより親近感を与えます。 「この人も船好き」と思うだけで、初めての人にも気軽に声をかけてしまいます。「今日、出てたんですか?・・・」って。「なんやおまえ、遠くから見てると、桟橋を磨いてるのかと思ったぞ」と先輩が通りすぎます。昼食を買いにハーバー前の生協スーパーに出て、戻ってくると、「お~、船に行くんか」と声がかかりました。クラブの先輩で、今年の国体ヨットレースのトップをされる方です。「国体、大変ですねえ」「疲労困憊や、国や県・市との調整があり、向こうの人はヨットの事はわからへんしなあ。おまえ、早めに退いて正解やわ。一度、あほらしなって、席を蹴って退席したこともあるんや」「息子さんも、走り回ってはるんですか?」「いや、専務も一銭にもならん国体に駆り出されたら、そんな大きな会社ちゃうのに、傾いてまうわ。正直な話、国体いらんわ」という話をしながら、桟橋を先輩の船まで歩いて行きました。最初、国体の話が出て、知らぬまに広報委員長に名前が載っていたけど、市や県の職員さんの仕事時間に呼び出され、閉口してしまった。職員さんは、それが仕事だけど、こっちは全くの手弁当、せめて休みの日に、と思うのだが、そうもいかず・・・レースの視察とかで、前年開催県の職員と話し合いを持ったり、夜には飲み会があったり・・・なんか違うなあと思いました。その競技関係者は、いつも手作りレースをしているので、地元に今ある機材をうまく調達して運営してきている。知らないので視察が必要なのは、職員さんだけで、競技関係者はもう経験済みです。すごい時間とお金の無駄を感じ、「そんなに仕事を休めませんわ」と断った。この方は、県連の会長さんなので、辞めることも出来ず、大変やなあと思いました。船に向かって歩いているのを見かけたから・・・とお2人連れが船にやってこられました。こちらは、3人乗りレーシングヨットのライバルチームの方で、2Fのハーバーレストランで食事をしていたそうです。お一人の方は、次男大学ヨット部の隣の艇庫の学校の監督をしていた方のお父さんです。琵琶湖に行くと、よく息子さんとも会います。ここの息子さんは、とても感じがよく、今年から就職だそうですが、きっと多くの方に好かれて、引き上げてもらえるだろうなあと思う子です。琵琶湖で感じる息子さんの事を話すと、「本当にそうですか?」と・・・親は自分の子のすばらしさを本当には分かっていないものです。「ほんの1000円ほどを節約しようとして、高速に乗らず、時間かけて帰って来るとき車をぶつけるし・・・しかも2度もですよ・・・2000円あるから大丈夫と言って、1週間も帰ってきいひんこともあるけど・・・何処をほっつき歩いとるんか・・・女房は心配しとりますわ・・・」うちも、今晩はいないようやなあと、さしも気にならずで、何処の家も、男の子は似たり寄ったりのようです。もう1人の方は、関東の大学ヨット部出身で、今年のドラゴン級全日本優勝艇の方です。当時は波が打ち寄せられる砂浜から出艇していたようで、関西の大学ヨット部の環境を最初見た時、恵まれてるなあと思ったそうです。皆さんの顔とか船とかも、雑誌のドラゴン級特集に並んで載ったので、その話で盛り上がりました。3人の話でビックリしたことがありました。なんと、お1人の方の年賀状が、1等に当たったそうです。そのハガキと当選番号表のコピーをちゃんと持ち歩いておられ、見せてもらいました。「ス、ス、スゴイ」初めて1等当選の方とお会いしました。11月まで使えるハワイ旅行ペアチケットだそうです。ご夫婦にお嬢さんが便乗し、さらにお姉さんも乗っかる予定だそうで、「こんなん当たってもうたから、えらい出費がかさむわ」と笑っていました。でも、「好事魔多し」とはよく言ったもので、当選の翌週には、尿管結石で七転八倒の苦しみを味わい、薬飲まなあかんようになるし、次の週には、娘を迎えに駅で待っていると、バイクが後に突っ込んできたそうです。なんかこけながら突っ込んだそうで、バンパーがへこんで、車の下に一部入っていたので、引っ張り出す時にナンバープレートが曲がってしまうし・・・さらに警察を待っている間に、逃げられてしまったそうです。「いやあ、参りましたわ。でも夏休みにハワイには行きまっせ」と楽しみなようです。7時前に自宅に帰ると、もう家内が帰っていました。12時ごろ東京での会合が終わるので、7時は過ぎるだろう、8時も回るかなあ、と思っていたのですが、意外に早かったです。予想通り、一旦うちの最寄駅を通り過ぎて、実家まで義理母を送ってから戻ってきたのに、こんなに早いか・・・東京と言っても新横浜のホテルでの会合だったので、早かったようです。「駅まで迎えに来て・・・」なんて電話があるかもと、自宅横に車を置いたが、もう用なしで駐車場の方に戻しました。どうやら、私の不幸物語の始まりには、ならなかったようです。ホッ
2006/02/14
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上村愛子さんのモーグル競技が終わりました。良かったです。5番なんてすごいです。あんなコブコブ斜面をあんなスピードで・・・私には無理です。一応SIAのセミゴールドを持っているので、ゆっくりなら滑れそうな気がするけど、あのスピードで、胸でしっかり雪面を押さえながらの滑降はすごいです。エアもきれいに決まっていました。すごかったです。おまけでスノーボード種目も少し見ましたが、モーグル同様、フィニッシュした選手に、既に滑り終えたライバル達が声をかけている姿が、とても素敵でした。これらの新しい競技は、指導者もいない中、遊びから競技みたいになり、選手同士の切磋琢磨と、教えあいにより競技が発展してきたのだろう。自分だけが圧倒的に強くても、お客さんがいなくなるし、面白くないし・・・協会としての組織が小さかったり、未整備だったりすると、応援してくれるのは親や家族が中心になり、お互いに助け合って荷物を運んだり・・・などがまだあったりするのだろう。スポーツは、たとえオリンピックと言えども、こうでなくっちゃと思いました。女子モーグルを見ていて、ジャンプがきれいに着地できると、誰に対しても、「よっしゃ」と言っていました。見てて、素人でもわかる失敗だし、せっかくのオリンピックなので、みんなに失敗して欲しくないです。男子滑降の、ジャンプにも、手をぐっと握ってしまいました。この競技でバランス崩しての失敗は、即怪我に結びつき、コースから外れて滑落していく姿など見たくないです。さて次は、フィギュアの荒川静香さんです。この2人が終わると、私のオリンピックもおしまいです。ミッシェルクワンさんが、棄権することになったそうです。う~ん、残念。彼女にもがんばって欲しかったのになあ。って、結局、美しい系・かわいい系がお目当てでは・・・当たりです。上村愛子さんが滑ったら、チャンネル変えてるし・・・こんなファンは、あきませんねえ。日本の獲得メダル数なんて、別に気にならないし。やっぱり、モンゴロイドが一番かわいいです。
2006/02/13
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今朝、家内が家を出て行きました。しくしく・・・という過激な始まりですが、今朝なんと、5時台の電車に乗って、東京に向かいました。目的は、このあほな旦那に飽き飽きして・・・というのではなく、仕事上の全国大会ってのに出席するためです。昼までに向こうに着けばいいのですが、実家の母親と一緒に行くために、一旦実家のある西に向かうので、出発がとんでもなく早い時間になりました。ここの会社とは、実家もうちも取引があるので、よく親子で行っています。どうせ向こうで一緒になるのだから別々に行ってもいいし、実家と東京の間にうちがあるのだから、こっちの駅で一緒になったらいいのでしょうが、家内にしてみれば、最近トイレが近くなってきた母親のそばに、少しでも一緒にいてあげたいのでしょうね。「一旦実家に戻って行けないかなあ」と家内から相談されたので、時刻表を調べて、数コース書いて渡しました。最近はPCですぐ調べられるので便利です。「これなら、駅でトイレに行く時間を入れても大丈夫だよ」って渡したら、やっぱりこんなに早く出発しないとダメなんだあ・・・「あなた行ってくれる?」まあ私も義理母とは、何度も会合に出席してるから、どうって事ないけど、女性2人でホテル取ってるし・・・「積もる話もあるやろ、行っといでよ」ってことで、予定通り家内が行くことになりました。私は、5時に起きて車の準備をしましたが、家内は4時に起きました。ついでに私も目を覚まして、時計を確認しました。洗濯など、いつもの日課をしてから、お風呂に入って、着替えて、化粧して・・・う~ん、ご苦労様です。「洗濯は僕がやっとくからさあ」なんて、理想の旦那さんなら言うのでしょうが、眠たいのに負けてしまった、というか、せっかく張り切って早起きしてるのに、仕事を取っちゃかわいそうだし・・・うそですね、本音は、やりたくなかったのです。でもちゃんと駅まで送って行って、改札まで一緒に行きました。私もジェントルマンだなあ・・・いいえ、これもうそです。PCで調べた時刻表通りの電車があるか、駅の時刻表を確認しに行っただけです。もちろん、そんなこと家内には言いません。だって、あの電車がなくって、駅に長い時間待たせたら、機嫌が悪くなりそうだし・・・家内の性格からして、表面的にはニコニコしているけど、しばらく粗食を我慢しないといけない羽目になりそうだからです。この微妙な駆け引きが大切です。ここで、うなずくご同輩もおられると思うのですが・・・いかが?多分、実家に帰ったまま、東京行きをキャンセルすることはないと思うのですが・・・私の不幸物語の始まりにならなければよいが・・・
2006/02/11
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「のりまきさん、久しぶり。元気?ドラゴンなんかに乗ってご機嫌だね、舵で見たよ」ってメールが届きました。ヨット競技の最激戦クラス、470級で今一番北京に近い選手のお父さんからでした。元ジュニアヨットの全国組織の理事長さんで、その理事を辞めるとき、関西から誰もいなくなるので、私に理事に立候補して欲しいと言ってこられた方です。「そんな~、小さいとはいえ全国組織の運営をする理事なんぞ、私の器ではないです」と断ったのですが、いやどうしても・・・あんたんとこも大きく強くなってきたんだから、全国の世話もしないとバチが当たるよ、などと軽い脅しも入って・・・受けざるおえなくなりました。元大学ヨット部OBがコーチに入って創生したチームも、私もそうですが、子供が生まれたりなどして1人2人と抜けていくと、きちんとした練習が出来なくなり、長期低迷してしまいました。うちの次男が3年生でそのクラブに入ったときは、全国的にも、「おたく何処?」と言われるくらいでした。5年で次男が初めて全日本に出た時など、各クラブに用意されているものがうちにはなく、艇長会議で、それを持っていない次男ともう1人の選手は、「なってない」とレース委員長から、立たされて叱られました。泣きべそをかくもう1人の子を見て、「うちのクラブにはなかったんです」と後から大声で抗議しました。腹が立って、もう1人のお父さんと観覧船で、「絶対見返してやる」と話していましたが、いかんせんまだ実力が実力で、レースではビリとビリ2でぶつかって、さらに遅れるという情けない展開でした。その時、この方が中心になって全国に名をはせている琵琶湖ジュニアの方から、「いつでも練習しに来てください、きっとうまくなるよ」と言われて、うちのクラブの同学年親が交代で引率して、琵琶湖に武者修行に行きました。ヨット乗りである下手な持論を封印して、教えられるままに、いろんな練習方法を習得して地元でもし始めました。「いっぱいレースに出なきゃあかんで」と、いろんなレースに呼んでもらって、強くなっていきました。それが、3年後には、同学年4人がナショナルチーム入りするという快挙に結びつきました。そういう経過から断りきれず全国理事になりましたが、海外遠征の引率から全日本の事務局長まで、いろんな経験に結びつきました。お互いに理事の職は後進に譲って、この方は息子さんのオリンピックの夢のサポーターで、私は再びレーサーなどしています。ドラゴン級という3人乗りレーシングヨットの全日本で撮られた写真が、今月発売のヨットの雑誌に載ってしまいました。結構はっきり写ってるし、名前も年齢も載ってるので、丸分かりです。毎年数回は会うのですが、お互いに、「馬鹿やってるね」という連絡のようでした。まあ、また馬鹿な返信もしておきました。
2006/02/10
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私には大切なキーホルダーがあります。高校1年の時、ヨット部に入りました。先輩からヨットの部品を買うように言われ、同学年4人で買いに行きました。買出しは1年生の仕事です。その後は交代で買いに行き、またみんなで買いに行ったとき、1人が店内で、私の腕を叩きます。何かと思って振り向くと、その友人が手に小さな部品を数個持っています。もう一人も持っています。催促されるように、生まれて初めて物を盗んでしまいました。帰りの電車で、後から1つだけ盗んでしまった小心者2人は、うつむき加減で言葉もでません。私の心臓はまだバクバクしています。小心者から傷心者になってしまいました。「数万円の買い物をしたのだから、1個週十円のものくらいええねん」と私の腕を叩いた子は言っていましたが、そんな言葉は上の空でした。大阪まで帰って来ると、小心者の片割れが、用事を思い出したと言って、別方向に去っていきました。数日後、その子と学校で会い、「俺、また店に戻って、だまって返してきてん。すっきりしたわ」と言われました。その時、自分は何て情けない人間なんだと思いました。その日、学校が終わってからその店に返しに行きました。でもどうしても返せません。大きな船のスクリューなんかが置いてあり、別に細かいものが売れなくても平気な店のようで、いつも店には誰もおらず、窓越しの事務所のおじさんを呼んで清算するような店です。でも、箱に返す時、見つかったら、きっと怒られると思って、ただ店内をうろうろしているだけでした。その時、外から帰ってきたこの会社の人が、「何か言ってみ、探したるぞ」と気楽に声を掛けてくれました。何かそのおじさんの顔がやさしく感じ、「これを盗ってしまいました、ごめんなさい」と小さな部品を差し出しました。警察に行き、親に知れ、こっぴどく叱られ叩かれると思いました。そのおじさんは、じっと私を見つめ、すぐニコってわらい、事務所の自分の机に私を連れて行きました。ちょうど近くには誰もおらず、事務所の向こうでは事務をしている女性が2人ほどいるだけでした。「まあここに座れや」と横に人の椅子に私は座りました。「おまえ、えらいやっちゃなあ。なかなか返しには来れんぞ。これな俺が買ったる」と言って、おじさんがお金をレジに入れ、その小さな部品を私に渡しました。「あんなあ、これ記念や。財布にでも入れといて、たまに思い出したらええわ」と言って、席を立ち、「出てくるわ」と事務所の女性に声をかけて出て行きます。私も慌てて、おじさんについて店をでましたが、おじさんは、「今からまた仕事や、またな」と言って行ってしまいました。それ以来、これをキーホルダーにして、いつも持ち歩いています。母親からは、失敗したりすると、キーキー言われながら叩かれ、父親からは、中学に入るとき、学校の物等を壊して警察にお世話になったりしたら、保証人に申し訳ないので、おまえを殺して俺も死ぬと言われていました。戦争で死線をさまよったので、厳しいのかもしれませんが、親が恐ろしい。こういう家庭だったから、親とは出来るだけ距離をおくようにして、親に相談などしません。それで失敗すると、何故相談しなかったと、また怒られたたかれます。自室に戻り腹が立って、ふすまを蹴って破ったり、壊したりしてまた叩かれる。「常識のないヤツ。乱暴者。・・・」ひどい言葉は山ほど浴びせられました。親だから我慢していましたが、小学校で親のような弱いものイジメをするヤツがいると、猛然と突っ込んでいました。いつも負けるのですが、ヤケクソのように突っ込んでいくので、相手は怖くなるのか叩くのをやめてくれます。最近、殺人などの重大事件を起こした子の家庭環境やその子の行動が、私に似ていると思えてなりません。中学でキリスト教の本質を学び、とても気が楽になり、多分人が変わったと思います。それで、高校でこの事件を体験し、「悪いことをしたと自覚している人を、いかに赦すか」の大切さを学びました。中学で繰り返し教えられたキリスト教の教え、そのものです。以来、悪いことをしてしまったと思ったり、失敗したと思ったら、まずこちらから謝るように心がけています。今、世の中を見ていると、悪いことがバレた時、ウソの上塗りをして、もっと信用を失う人が多いです。「ごめんなさい」と言って、世間の批判を一身に浴び、また再出発すれば、さらに批判を浴びせる人はまれです。子供を持って、親が赦すことの大切さを、さらに知りました。親の叱りすぎは、ものの良し悪しとは関係なく、心の反発を招きます。活発な息子達ですので、友達に怪我をさせたときもあったし、無免許バイクで警察にお世話になったこともありました。ゲームセンターで成績が急降下もありました。でもあえて糾弾せず、黙って身元引き受け人をし、裁判所にも一緒についていきます。必ず、「ごめん」と言ってきます。こういう関わりをしてきたからと思うのですが、自分のクラブのコーチに親を推薦してくれたり、影で親を思う行動を取ってくれているのが分かります。悪いことを全くしない人はいないと思います。当然世間からは糾弾され、それなりの罰は受けます。でも親は、それと同じ反応をするのがいいとは思えません。親は特別な存在です。いつでも帰ってこれる港であるという家庭環境を、子供との間に保つことが大事だと思います。全てを知った上で取る親のそのやさしさが、子供に他人に対して優しく接する人柄を育て、人に好かれることで、どん底になっても、どこからか救いの手が伸びてくる人になると思っています。
2006/02/09
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昨日仕事が忙しくて日記が書けませんでした。一段落ついたら10時になってて、もうギブアップです。また、昨日はBG財団からジュニアクラブに連絡があったそうで、内容が転送されてきました。「広報大賞・WEB部門優秀賞」だって・・・ブルーシー・アンド・グリーンランド財団と言って、今は日本財団になってますが、モーターボート競走の収益金を、全国の子供達の役に立つものに使おうという財団です。うちのジュニアクラブは、20年ほど前に、この財団から寄付を受け、艇庫を建てました。敷地は市から借りて、箱物は無償で揃えました。でも、運営費や船など備品は、クラブ員の親が協力して運営しています。それにさかのぼること数年、何もないところからクラブを立ち上げました。コーチとして、母校大学ヨット部の同市在住OB達が入り、そこに「おまえも来い」と言われて、私も名を連ねることになりました。最初はコーチとして関わっていましたが、やがて次男が部員になり卒業していきました。でも私は、まだホームページ担当として、立ち上げからもう何年になるのだろう・・・毎年もうそろそろ交代してって言ってるのに、ズルズルここまで引っぱられてきました。「情報量・更新が多い。写真が多く、利用者の顔が見える」ということで、数度の審査を経て受賞してしまいました。女優の岸ユキさんや生島ヒロシさん・神津カンナさんなどが選考委員だそうです。今月表彰式が東京であるようで、舞台に上がって岸ユキさんから、賞状をもらうそうです。クラブの代表をしてもらっている方に行ってもらいましょう。この方は、クラブ初年度、私がコーチをしていた時の部員のお父さんです。もういいお年ですので、今は実質何もしていません。でも特定郵便局長という職業柄、ずっとクラブの会計を担当し、県・市・財団などに対しての顔の座りがいいので、代表を死ぬまでしてもらおうみたいな雰囲気になっています。今までも、いろいろ表彰を受けましたが、ずっと長年がんばってこられた代表をよいしょして行って貰っています。ここだけの話、「冥土の土産に、いいんじゃないの」私が、誕生からずっとお守りしてきたホームページが受賞して、何か気分いいです。
2006/02/08
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昨日は、穏やかな天気でした。いつもの日曜日と同じように、ハーバーに行ってきました。この日は、3人乗りレーシングヨットの整備です。オーナーである先輩から、「整備するぞ~集合」の声がかかりました。この日は、レースではないので、特に何時集合というのもありません。適当に空いた人が空いた時間寄ってきて、整備します。みなさん、同時期に同じヨット部で過ごした仲なので、それぞれが何となく絡み合い、うまく回っています。私は、先週やり掛けになっていた、桟橋係留のクルージング艇の方に乗るための脚立を桟橋に半固定するために、早めに船に向かいました。船で、脚立の寸法を測り、木材を調達しにホームセンターに向かい、適当なのを購入して船に戻ると、3人乗り艇オーナーさんが来ていました。先週ヤマハさんに見てもらったエンジンの調子が気になったのと、レーシング艇の整備に使う道具を取りに来られたようです。2人で、レーシング艇の方に行き、整備開始です。いろんな所にねじがついているので、緩んでいるのを増し締めし、痛んでいる箇所を直します。FRPという強化プラスチック製ですが、風の巨大な力を受けて、荒波を走っているので傷みます。この日も数箇所、デッキの細かい亀裂を見つけ、次回の整備で、直すことになりました。ハーバーのカフェで昼食を食べながら話していると、京大アメリカンの話になりました。母校は、京都と長年のライバル関係なので、アメリカンの部員の事件は、同じように残念な気持ちで受け止められたそうです。「親御さん、これから大変ですねえ、支えてあげなあきませんねえ」と話したら、「子育てなんか、どれだけ赦せるかやからなあ」という答えが返って来ました。この先輩なら、こういう言葉が出るだろうなあと思っていましたが、やはりでした。この事件のことが載った週刊誌を読むと、親の仕事先社名まで載っていたそうです。そこまでせんでもなあと思ったそうですが、これに耐えて、自信を無くしている子を、せめて親くらいは温かく受け止めて、自暴自棄にならないようにせななあと言ってはりました。この先輩のお子さんは、やりたいことを生き生きとやってるのは、こういう育てられ方をされてきたからだと思えます。人に迷惑をかけたりすれば、世間から叩かれるのは当たり前です。でも親の役割は、世間と同調するのではなく、それでもなお、子供に安心をあたえ、勇気を出す自信が出る言葉で励まし、帰って来れる港になることだと思います。
2006/02/06
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私の好きな漫画に、「ドクタースランプ・アラレちゃん」があります。あの漫画すきなんですよねえ。悪者が出てこないし、キャラクターが1癖も2癖もありながら、憎めないです。再放送で、小学生が学校に出かける前の時間帯にやってた時は、それを見てから仕事に出かけていました。大体、私のハンドルネームが、「のりまきターボ」という、アラレちゃんの弟の名前だし・・・大人なのに、かなり変です。主人公のアラレちゃんは、まんまる眼鏡をかけています。あれがまたかわいいです。私は、中学生までは、視力2.0とか1.5とかばかりで、視力検査では、一番下まで見えていました。でも、眼鏡をかけることに、ちょっとあこがれていました。今のようにコンタクトレンズはなく、目の悪い人はみんな眼鏡をかけており、眼鏡をかけている人は、なんか賢く見えていました。ちょっと、眼鏡を動かす動作なんか、かっこいいなんて思ってみていました。やがてヨット部に入り、サングラスを日差しの強い時に掛けるようになりましたが、色つき眼鏡では満足できません。そしてとうとう、大学生のとき、眼鏡を買ってしまいました。でも視力は悪くないので、レンズに度は入っていません。時々、ブラッと歩く時、眼鏡を掛けていました。「あれ、めがね掛けてたっけ?」なんて、友人に言われましたが、気の向いた時掛けていました。あれを掛けると、賢くなったような錯覚に陥ります。心なしか、動作が上品になったりします。それを、ズ~っと持っていたのですが、段々時代遅れのデザインになり、やがてバイクに乗る時の埃よけに成り下がりました。家内の唯一の欠点は、目が余りよくないことで、コンタクトをしています。子供への遺伝を心配しましたが、長男が高校生でめがね君からコンタクト君になり、次男も大学3年でめがね君になってしまいました。悲しいと思いながらも、次男のめがね君は、何かかっこいいのです。次男はいつも掛けているわけではなく、掛けてるときもあり、そうでない時もありで、ほんまもんか?なんて10%ほど疑っていますが、私のように必要ないのに眼鏡を掛けるほどあほではないと思うので、掛けなくてもそれほど不自由しないくらいの視力なんでしょう。でも何かかっこよく、次男に刺激されて、とうとう2代目『伊達めがね』を買ってしまいました。次男のに似てて、前のに比べて格段にかっこいいです。カバンに入れており、家族に隠れてコソッと掛けて、鏡を覗き込んで悦に入っています。今度都会にお出かけの時、電車の中とかで、めがねデビューしてみようと思っています。それにしても、馬鹿ですねえ。
2006/02/04
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英語リスニングで一悶着あったけど、センター試験が終わり、各大学の一般入試2次試験が始まっています。最近は、受験生の早期囲い込みも多く、秋などにいろんな入試方法で、合格を多く出しているが、主はこの時期の入試を受けて入ってくる。母校も、入試が始まったと新聞に載っていました。私が学生の頃は、ほとんどが一般入試で、全学部でも1週間くらいしかなかったような気がする。これが終わると、学部生の年度末テスト期間に入るので、必死で勉強していた記憶があります。学部生4年間のテストで、一番の思い出は、1回生の初めてのテスト。その年は、なんと、学費値上げ反対運動が起きて、テストがなくなりレポートに切り替わりました。中学の時、東大安田講堂などの学生立てこもりが起き、テストができなかったというのは知っていましたが、まさか自分の時にそういうのになるとは思っていませんでした。レポートに切り替わって、「やったあ」と喜びましたが、各教科相当量のレポート提出をしなければならず、テストの方が良かったとがっかりしたのを記憶しています。提出期日は、余裕がありましたが、クラブの練習開始日が動かなかったので、それまでに仕上げる必要があり、朝から終わりまで図書館に入り浸って、ペンを走らせていました。そんな時、ガールフレンドの家にお邪魔して、一緒に勉強したことがあります。「一緒に勉強しよう」と誘われて、気軽に家に行ったのだが、はっきり行って、向こうは期限に余裕があり、波長があいません。「ちょっと、散歩しない」とか、付き合ってる暇ないんですけど・・・しかもお母さんが、お菓子とかケーキとか持ってきてくれるし・・・それになにより、彼女の部屋に2人きりです。しかもコタツに向かい合わせに座ってるし・・・レポート用紙にペンを走らせて、本を読んではいるが、頭の半分はどうしても、違うこと考えて、あきませんです。こりゃあかん、と思って、翌日からは、図書館に2人で行くことにしました。午後から待ち合わせることにして、午前中と夜は1人で勉強しました。今と違い形態電話がありませんから、呼び出されることもありません。電車の中や、歩いている時、買い物中まで受話器を放さない人を見ると、広告を見たり、本読んだり、景色を見たり、店の人と話したり、そういうの大切だと思うし、私なら捕捉されているようで居心地が悪いです。さて、奮闘の甲斐あって、レポート提出初日には、ほとんどの教科を提出し、クラブの練習に間に合いました。1回生で気合が入っていたこともありましたが、全教科単位をもらい、ほとんど優という成績でした。あれだけの人数のレポートを読む先生も大変だろうから、早期提出のご褒美点がかなりのウェートを占めたのではないかと思いました。2年3年では、この1年の時の優の数を上回ることは出来ませんでした。この1年の時のレポート試験での好成績で大学生活を乗り切ったようなもので、4年になる時には、卒業必要単位を超えていたと思います。だから、ゼミと興味のある数講座と、女の子の多い他学部の講座を友人と取って、あとは3年で始めたビジネスに精を出していました。そんなこんなを、新聞記事から思い出しました。
2006/02/03
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昨日、追いコンの往復ハガキが届きました。追いコンとは、追い出しコンパのことで、大学の体育会のクラブでは、4回生が卒業する時に、これをやります。いつものラフな格好ではなく、市内のきちんとしたお店で、卒業生も在校生も、そしてOB・OGさんも、みんな集まって、4年間がんばってくれたご苦労さんと、OB会へのウェルカムの会です。OBになって思うのですが、卒業後も同じ艇庫で同じ海面で母校のマークを付けた船が競技をしている姿を見るのはいいものです。後輩が、つないでくれているから、OBも後輩の成績に一喜一憂しながら楽しめます。どうしても、レースがあると、現場に行って応援したくなってしまいます。こういう世界を社会人になって持てているのは、幸せなことです。手伝っていた次男のクラブからのハガキだったのですが、手伝っていたとは言え、他大学出身者の私にまで連絡を頂いて、ありがたいものです。もちろん出席と書いて送り返しました。早いもので、次男も4年が終わりました。これから、長男も次男もクラブのOBとして、同じ釜の飯を食った人脈の中で生きていくのでしょう。卒業して分かったのですが、この人脈というのは相当なものです。同じクラブ出身者のつながり、次に同じ競技をしていた者同士のつながり、次に体育会所属だったというつながり。私は、自分で商売をしているので、あまり関係ありませんが、サラリーマンをしている友人に聞くと、初対面の時に、このようなつながりがあると、かなり違うようです。確かに、30も40才も離れていても、同じクラブ出身の先輩から親しく声をかけてもらえますからねえ。また昨年のように、何かしゃべらされそうですので、ざっと考えておくことにしよう。昨年、次男は送る側代表として、涙ながらに挨拶をしていたが、今年は送られる側でまた涙なのかもしれない。それにしても、子供が大学生になってまで、子供の成長している姿を、外の活動現場で見られるとは思っていませんでした。子供が呼んでくれたことではありますが、ありがたいことです。
2006/02/02
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