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87 きょうこそ神が造られた日【解説】 この詩編118は元来、神殿で行われた、何らかの祭儀で用いられたと考えられています。中間の21-27節の主語が「わたしたち」(一人称複数)なのに対して、これ以外の部分は「わたし」と単数になっていることから、もともとは、個人的な感謝の祈りだったものが、後に、共同体の祈りとして用いられるようになったとも考えられています。 また、1節と29節が同じことば(恵み深い神に感謝せよ)であることや、2-4節には応答(そのあわれみは永遠)があることから、神殿祭儀のとき、祭司と会衆の間で対話的に用いられた可能性も考えられています。 この詩編118は、教会の祈りでも、第2・第4主日の朝の祈りの第一唱和で用いられており、主日が「キリストの復活当日までさかのぼる使徒伝承により、根源の祝日」(『典礼憲章』106)とされていたことを裏付けています。 答唱句は、冒頭、和音が密集した位置から始まりますが、「こそかみ」で旋律が6度跳躍し、最高音のCis(ド♯)に高まり、この日=キリストの復活を自ら造られた神がたたえられます。後半では、「ともに」で同じ最高音のCis(ド♯)が用いられ、この、キリストの復活を記念するミサと、キリスト教信仰の確信である復活が、個人的なものではなく、共同体的なものであることを強調しています。「喜び歌え」では、バスが順次進行の下降音階とオクターヴの跳躍で、喜びの大きさと深さを表しています。 詩編唱は旋律の冒頭(全声部)と同じ、ドミナント(支配音)のE(ミ)から始まり、だんだんと上昇し、詩編の各節で、最も意味が込められ、強められている、3小節目~4小節目の前半で高い音が用いられ、再び、E(ミ)に戻って終わり、答唱句へと続きます。【祈りの注意】 答唱句も詩編唱も、深い、大きな喜びをもって歌いましょう。 答唱句で、音階が上行し跳躍する部分、「きょうこそかみが」や「この日をともに」は、特にレガートで歌うように心がけてください。全体のテンポは、それほど早くはありませんが、間延びしたり、メトロノームで刻んだように歌うことは決してしないようにしてください。また、バスを歌う方は、「喜び歌え」の順次進行の下降音階とオクターヴの跳躍で、特に深い声を心がけてください。 詩編は、復活の喜びにあふれながらも、その喜びをこころの底に深く刻み付けるように、深い声で歌い始めます。後半の3小節目と4小節目では、核心のことばが歌われ、旋律もそれによって高まっていますので、力強い声で歌いましょう。ただし、絶叫になったり、乱暴にならないように注意してください。 この詩編は、何回も述べているように、復活詩編であり、キリストの復活の預言です。『聖書』の記述を見ると、復活後のキリストは、必ず、「この日」=週の初めの日である日曜日に、弟子たちに現れています。「この日」を「主日」と呼ぶのは、主が復活した日であるばかりではなく、この主日ごと(八日目ごと)に、主が弟子たちに現れたことにもよります。 今日の福音でも、復活の日の出来事とその八日目のことが、トマスの疑いと驚愕、そして信仰を中心に語られます。わたしたちも、この詩編をとおして、毎主日ごとにキリストに出会うミサを与えてくださったことを、神に感謝したいものです。《この答唱詩編のCD》「典礼聖歌アンサンブル」『復活節の聖歌』【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)
2006.03.31
『年代記』にも書きましたが、先日、ある教会のミサに参加して、いつも、このブログやホームページで、祈りにはならないので絶対にやってはならないことですということが、ことごとく、特に、聖歌隊で行われていました。 このようなことが行われると、まさに、祈りが祈りでなくなってしまいます。 聖歌は、ミサの飾りではありません。ミサの中で唱えられることばを、音楽にのせることで、そこに集まった人々のこころをそのことばに合わせ、皆のこころを一つに結ぶものです。 また、別の角度から見ると、聖歌は料理=食事のようなものです。毎日の食事もきちんと調理したものを食べないと、おいしくない、飽きてくるばかりではなく、栄養も偏ってきてしまい、生活習慣病になるのと同じように、聖歌も、正しい音楽語法で歌わなければ、そこで歌われる神のことばから、十分な栄養を取ることができず、個人はもちろん、共同体にも活気がなくなってきます。 みなさんの共同体でも、このようなことはないでしょうか次のようなことがあれば、聖歌のメンテナンスが必要です。一度、検証してみてはいかがでしょうか?検証の基準オルガンの前奏と会衆の歌のテンポが極端に異なる詩編唱の最初が、オルガンと先唱者とでずれている(オルガンが早く出る)原則として一続きで歌わなければならない詩編唱を、字間があいているところで、ぶつぶつ切って歌っているアレルヤ唱のアレルヤが一回ずつ切れたり間延びしている「さぃ」や「ます」を「さいー」「ますー」と、最後を長く歌っている曲や文の終わりがていねいに終わっていない=リタルダントしていない答唱詩編以外で詩編の歌をうたうとき、詩編はいつも1と2だけ歌っている奉献文の栄唱で、司祭の先唱と会衆の応唱のテンポが極端に異なる「主の祈り」の息継ぎ「’」と八分休符を同じように歌っている最近3年以上、聖歌の研修会・黙想会を行っていないいかがですか?これらのうち、1つでも該当するものがあれば、要注意3つ以上あれば、危険信号5つ以上はすぐにメンテナンスが必要です。 また、2~6および8は、一つでも、それだけで、危険信号です。
2006.03.29
前回まで、四旬節の各主日の答唱詩編を記述してまいりまして、いよいよ、聖週間の典礼受難の主日=4月9日主の晩さんの夕べのミサ=4月13日晩主の受難の祭儀=4月15日復活の主日=復活徹夜祭=4月14日日没以降復活の主日=日中のミサ=4月16日となりますが、この、聖週間期間中の答唱詩編については『典礼聖歌研究工房アトリエおおましこ』ホームページの各ページをご覧くださるようお願いいたします。 なお、復活の主日については、3月13日現在、復活の主日=復活徹夜祭の第三朗読後の答唱詩編のみ記述してあります。復活の主日=日中のミサの答唱詩編については、3月下旬に記述する予定でおります。 また、これらのページへの直接のリンクをトップページに設定いたします。 3月17日~28日まで、『今日の聖歌』の更新ができなくなります。そこで、はなはだ勝手ではございますが、この記事アップ後から、次の更新まで、コメントと掲示板の書き込みを一時停止させていただきますこの間、コメントなどを書かれる場合には、ホームページ公式掲示板または「omasico のさえずり」のほうへ書き込みをお願いいたします。 ご覧の皆様には、ご不便をおかけいたしますが、なにとぞご理解いただきますようお願いいたします。
2006.03.13
6~7 あなたのいぶきを受けて【解説】 この主日には、珍しく2つの番号が答唱詩編として登場します。とは言っても、どちらも詩編51が歌われますので、詩編としては、一つの詩編がとおして語られるのですが、たまたま、前半と後半で、答唱句の番号が分けられているということです。 詩編の表題の1・2節には、「ダビデの詩。ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき」(サムエル記下11:1~12:15参照)と記されていて、旧約時代以来、ダビデの歌とされていますが、実際にダビデが歌ったかどうかは定かではありません。回心の七つの詩編の一つで(他に詩編6、32、38、102、130、143)、神に赦しを願い、罪からの清めと神のいぶき(聖霊)による聖化を求め、典礼(神殿祭儀)での感謝と賛美を神に約束します。 答唱句の旋律は、冒頭、最高音部から始まり、「あなたのいぶき」すなわち神のいぶき=聖霊を願い、それが、天から降り、与えられる様子が表現されます。また、アルトとバスは主音のEs(ミ♭)を持続し、神へのゆるぎない信頼と、回心の強い決意が表されています。後半は、同じ音の動きが3度下のG(ソ)から始まり、わたしたちが新たにされることが、とりわけ「あたらしく」のバスで最低音を用いることで、謙虚に示されています。 詩編唱和は、旋律の終止音であり、また、最低音でもあるEs(ミ♭)から始まり、2小節目の後半はAs(ラ♭)、4小節目の最後はB(シ♭)というように、嘆願のことば、あるいは、信仰告白のことばが歌われる部分で、前半、後半、それぞれの最高音を用いることで、ことばを強調し、叫びを高めています。【祈りの注意】 答唱句の指定速度は、四分音符=63くらい、ですから、それほど早くも遅くもない速度です。ことばの持つニュアンスから言うと、「荘重に」歌うようにしたいものです。特に、後半は、静かで謙虚なこころの中にも、荘厳さがあるとよいでしょうか。答唱句は、それぞれの詩編唱に対して、こころから「あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる」ことを、言い表しましょう。バスの下降もこれらを助けています。 詩編唱は、上にも書いたように、答唱句の終止音で、かつ、最低音であるEs(ミ♭)から始まります。最初は、こころの深みから、詩編で歌われる回心のことばを、神に告白しましょう。音の強さとしては、mp から始めるのがよいと思いますが、それは、あくまでも音量であって、告白するこころは真剣な力強いものとなるのは、言うまでもありません。このことばは、詩編を歌う人、個人のことばであるばかりではなく、その共同体、そのミサに参加するすべてに人のこころを言い表しているものでもあることを、忘れないようにしたいものです。2小節目の後半と4小節目の最後には、上にも書いたように、神への嘆願のことば、信仰告白のことばが歌われますが、ここは、「あなたのいぶきを受けて、新しく」されたわたしたち一人ひとりの持つ、神へのゆるぎない信頼を込めて神に呼びかけてください。 モーセが神から授けられた律法は、石の板に書かれました。しかし、第一朗読で読まれる、エレミアの預言では「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心の中にそれを記す」(33節)と言われます。まもなく洗礼を受ける洗礼志願者も、いよいよ、心の中に神のことばを刻み付けて、神の民に加えられます。洗礼によって、今までの生活が180度変わる、洗礼志願者のためにも、詩編を先唱されるかたは、自らの洗礼のことを思い起こして、共同体の代表として、また、洗礼志願者とこころを合わせて、詩編を神への祈りとしてください。 【参考文献】『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)
2006.03.05
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