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2026年04月27日
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八戸の湊高台から八戸駅方面に伸びる県道29号。新井田を通り新井田川を越えると道の右端、特に高台の所に中居林天満宮という神社が見えてきます。この神社が見えた辺りで左折すると、梨子木平というエリアに入ります。道幅はかなり狭く、自動車は当然すれ違えません。八戸にはこうした狭路が至る所に張り巡らしてあり、慣れるまでは少々手間取るでしょうが、しょうがありません。
梨子木平の民家と民家の間に、怪しげな林があります。こうしたポツンと残っている林を見ると、まず神社ではないかと勘繰ってしまうんですが、今回はその勘が当たっていました。林の中には八坂神社、かつての田向村観音堂です。

2025.2.1
八戸御城下三十三観音霊場十二番札所:八坂神社(田向村観音堂)


神社の入口はどこなのか、林の周りをウロウロして、やっとのことで獣道を発見。ここから参拝することが出来そうです。



観音堂時代の名残りか、崩れた燈籠には十一面観音と刻まれていました。



こちらの燈籠にも確かに刻まれています。札所はまずここで間違いないでしょう。



林の奥にこじんまりとした飾り気のない社が建っております。ともすると修験の御堂かとも見紛うような、独特の造りをしています。



八坂神社(田向村観音堂)

祭神:素戔嗚神、疱瘡神
札所本尊:十一面観音(現在は御神体となり秘仏)

 根城​ 龍源寺 ​から沢里・中居林を通って是川に入る。石手洗団地入り口に、ひっそりと、 杉におおわれた丘がある。その参道は、自動車がやっと一台通れる程の細い道で、村がその参道に沿って流れている。この一帯は、ほとんどが畑で、その中にこんもりと見える森が、梨木平の観音堂である。
 佐々木恭岑上人の八戸御城下巡礼札所の中には「田向村観音堂」とあるが、田向には毘沙門堂跡はあっても、観音堂があったという記録・伝承は残っていない。そして、田向村は、天明の飢饉の際、農民たちは、みな逃散してしまい廃村となった部落である(『大館村誌』)。その道を挟んだ隣村の石手洗村梨木平に古くから信仰を集めている観音堂が鎮座している。おそらく、田向村観音堂とは、この御堂のことを指したのであろう。

 『梨木平観世音縁起』の中に書かれている伝説によると、藤原有家という京の公家が、この地を訪れた時、家臣の北島兵衛が病に倒れ帰らぬ人となった。それを悲しんだ有家卿は「十一面観世音・南無阿弥陀仏」と卒塔婆に書き、北川清蔵に墓守りを命じた。そして、 赤城山 金峰寺 を建立したのである。これが梨木平観音堂で、代々御堂を管理してきたのは北川家である。
 八戸藩の記録によれば、天然痘平癒の神として「梨木平疱瘡神堂」とも呼ばれ、寛政2年(1790年)正月に御堂が建立されたという(『御勘定所日記』)。また、享保15年(1730年)4月には「亀之助様卸疱瘡御立顔」と全快祈願の絵馬を奉納した記録もある(『八戸藩日記』)。このように八戸藩でも信仰していた十一面観音であった。

 境内には、杉の葉がたくさん落ちており、夏には最適の避暑地である。そして、数基の古めかしい石燈籠には、確かに「十一面観音」と刻まれ、その中には「文政十二巳丑年(1829年)五月十七日十一面観世音菩薩」とか、「文化十四丁丑年(1817年)九月十九日十一面観音」と刻まれている。ちょうど文化・文政期は、岩井重良兵衛らが八戸城下を巡礼した、いわば何回目かの巡礼ブームの時期である。

 御堂は四間四方のトタン入母屋屋根で、土台の礎石が傾きかけ、歴史の古さを感じるせる。御堂の内部には、江戸時代からの古びた絵馬が数枚掛けられており、中央には、文政10年(1827年)に、糠塚村の六助が奉納した賽銭箱が置かれている。六前とは、田向の吉田家一族であったが、宝暦の飢饉に際し、母に連れられ、糠塚へ定住した大久保家のルーツである(『六助家譜』)。
 従って、梨木平は、田向村と共同体として結びついていたのである。御簾の奥には、3基の神棚が安置され、中央が十一面観音を祀っている。いわば、神仏混合の名残である。従って、御神体の観音を見ることは出来なく、固く御扉に錠がかけてある。左右の神棚には、それぞれ牛頭天王・不動明王が祀られ、その3基の神々を守るように、五尺ほどの大きな、木彫の鬼神像が両脇に安置されている。
明治初期の神仏分離の際には、​ 長者山下の牛頭天王 ​を分祀し、「八坂神社」と改名している が、地元の人々の間では「観音サマ」で通っている。同社奥の院の棟札には「白素戔ノ嗚尊八坂神社・明治四辛末年五月吉日・社守清五郎・祭宦大宮司中居嘉次満藤原道成」と書かれ、神社であることを証明している。そして、当時は、旧6月15日に大祭を執行し、八戸神明宮が兼務した(『明治初年神社調』)。

 御堂は、度々泥棒に入られ、放火にもあっており、現在の御堂は明治になってから改築したものである。その昔は、疱瘡神として信仰を集めていた十一面観音であったが、今では、年に1度旧9月19日、地元の老人たちが集まり、ささやかな例祭を催している。御堂の中に掛かっているたくさんの蜘蛛の巣に、観音堂の今昔をみる思いである。​
デーリー東北出版「八戸御城下三十三番札所巡り」 63~67ページ より引用

南部町の古刹 ​ 斗賀神社 同様、藤原有家卿による開創譚を持ちます。十二世紀頃の歌人で、特に左遷されたなんて謂れは見つかりませんが、当地に於ける貴種流離譚の題材になっております。伝説によれば、有家卿が奉納した十一面観音が札所本尊となっているそうなんです。当初は赤城山 金峰寺と称していた様ですが、近代では専ら田向村観音堂で通っています。山号・寺号共に山岳に関係するもので、おそらくは修験者が勧請した可能性もありそうですが、それを示すものは何1つ残っていません。
会津の鳥追観音 ​や、 涌谷の無夷山 箟峯寺 ​などが挙げられます。当霊場も密教系の修験者が往来していたんでしょうか、気になります。
18世紀頃には疱瘡神としての信仰もあったようで、それがもとかは分かりませんが、明治の廃仏毀釈の際には疫病沈消の神格である牛頭天王が分祀され、八坂神社となり現在に至ります。

社殿を側面から見てみると、本堂は拝殿と一体化しており、さながら仏堂の体が残っています。これで宝形造だった時にゃぁもう、完全に仏堂ですよね。



内陣はこんな感じです。不動明王を祀る寺院に多い五色の幟が懸かっていますね。こうした点も仏閣時代の名残りと言えるのではないでしょうか。何なら鰐口まで懸かっていますし、もう仏閣の風情がムンムン感じられます。



斜めから。
現在は神社になっていますが、かつては八戸藩からも崇敬を受けた由緒ある観音堂です。本尊の十一面観音は 籠田山月山神社 同様御神体となっており、今では絶対秘仏として目にすることは出来ません。見えずとも今でもそこに居わす事に変わりなく、往時を偲んで参拝するのも面白いのではないでしょうか。




まゐるより 頼みをかけよ田向に ほとけのちひか あらたなりけり

現代新御詠歌
習合の み佛祀りて梨木平 観音堂の ひそやかに建つ

札所本尊:十一面観音 एकदशमुख

以上です。

次の記事
・十三番札所:籠田山月山神社(籠田山観音堂 または 鶴輪山 九星寺) 南部の向い鶴と月山の神祀る社

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最終更新日  2026年04月27日 21時32分37秒
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