全98件 (98件中 1-50件目)
朝の排泄をさせていたとき、鶯の初鳴きを聞いたよ!
Feb 29, 2008
コメント(0)
支配性と物欲をごっちゃにしている場合が多いというのは随分前から感じていた事。他にも、作業意欲と、単なる欲求(自分が引くことを体得していない我侭・自己主張)とがごっちゃにされている事も多いよね?食べ物だとかおもちゃで誘導しているとそこが伸びてくる事になりやすい。
Feb 29, 2008
コメント(0)
ヤマト武蔵アテナヴァルキリーアクセルジョワイアンルガー本日、ネームタグを首輪に装着し終えた犬達。マイナスドライバーまで動員してあんなに頑張ってたった7頭かい?!親指。。。取り替えたいよ。。。トホホ
Feb 28, 2008
コメント(2)
何でも流れってあるのだなぁと思う。昨日、ちょっと勇気を出して、これまで疑問に思っていたことに回答を頂こうと或る会に質問電話をした。以前のその会の規定だと、なにやらややこしい規定だったので、それが今も有効だったら嫌だなぁとこれまで問い合わせするのをためらっていたのだけれど、ついに、問い合わせせざるを得ないところに来たというかんじで、それをしないでは先に進めない状況になった。仕方が無い、重い腰を上げて電話すると、おやまぁラッキ~♪そのややこしくも煩わしい既定は外されているという。やはり、余りの馬鹿馬鹿しさと面倒くさい内容に会員からのブーイングが多かったのだろうか?なんにせよ、こちらとしては、心に引っかかっていたものが無くなり、やっと先に進めていく事が出来そうな気配。そんな折、別の要因も偶然に動き出しており、これは、このチャンスに乗らずして見送れば後悔だけが残るのではないか?友人に状況説明のために電話を入れると、先に進めた方が良いのでは?という回答。やっぱり?そんなことをやっていたら、まったく予想もしていなかった他からも背中を押すように情報が流れ込んできた。う~ん、やっぱり、これは、先に進みなさいという暗示でしょうか?勇気の無い小心者の私でも、流れと言うのはこういうことかな?と、今日だけはそんな気がするのであった。明日になったら、夢から覚めてビビリに戻っているかも知れんけど。。。
Feb 28, 2008
コメント(0)
保護主をうちに連れてきた昔の犬仲間と立ち話しているかなりの長時間、ちゃんと姿勢を正して座っていたものだから、まあ、ヴァルキリーったら評判の良いこと。この方の犬、十歳くらいのときにガンの術後の薬が合わなくて投薬量が増えた途端、様態が急変して亡くなったそうです。いつも飼い主である奥さんが、お散歩させていた犬だった。珍しく、自分の分を弁えている、飼い主に対して信頼を寄せている子だったんだよね。亡くなったなんて知らなかったんだけど、亡くなった時の様子を今日話してくれて、本当にいろんな意味で無念だったらしい。。。その時と言うのは、ほんと必死に介護したり、抱いて病院に走ったり、出来る限りの手は尽くしているんだけどね、結果が良い方向にはならなかったとき、やっぱり飼い主としては、どんなに手を尽くしていたとしても後悔が残ってしまうんだな。あの時、こうしてあげればよかったとか、ああしなければ良かったんじゃないか?とかね。。。そんな話の一つ一つを今日、偶然の立ち話から、それはこういうことだったから、それで良かったんだよねとお話しすると、永い事胸につかえていた苦しい思いが、それでよかったんだと解って気持ちが軽くなれたとおっしゃった。犬のことって、世間一般で言われている事は大抵一般飼い主受けが主になっていて、犬のためになっていることってのは殆ど無い。だから、本当はどうだったんだろうとその人は自分の飼い方に疑問をずっと抱いていたのだそうです。でもね、その方、ご自分の犬のガンが見つかる前に知り合いの犬を何日か預かったことがあったそうで、預かったダックスがとても大変な犬だったと驚いたそうです。預け主である飼い主はその犬を連れてくるときにトイレシーツだのを持ってきたらしいのだけど、シーツどころかあっちこっちおしっこ掛け捲り、しかもそのおしっこと言うのが濃くて臭いがきついときた。自分の家の犬は、ダックスの何倍も大きさの或る犬だったのに、ダックスを預かっていたときだけ普段は無い犬臭さに閉口したといっていた。口そのものが非常に臭く感じるというのに、いつでもハッハッハッハッと息が荒く、排泄物なんか超臭かったから、うちの子とどこが違うんだろうと不思議で仕方が無かったらしい。それは、興奮の違いなんですよ~とお話した。興奮の無い暮らしをしていたその家の子は、躾だとか訓練だとかそういったことなんて何にも意識してやって居なかったけれど、親馬鹿で、動物病院にフィラリアの薬を頂きに行ったりしていた頃、診察台の上に乗せたその子の目が可愛いでしょう~ってお医者さんに言ったりしてたって笑っていた。やっぱり、ちゃんとしている子は目がキラキラしてて可愛かったってさ♪訓練の話しなんてその方とはまったくした事無かったから、目の様子なんかも話したことなんて無かった。。。けど、やっぱり素直な子は何の知識も無くたってその目が綺麗で可愛いって思うみたいだよ。話が出たついでに、こういう目の子は良い子だけど、こういう目の子は、あまり良くないんだよとお話したら、今度から、他所のワンちゃんの目を観察してみようっておっしゃった。あの子は、ほんとうに落ちついた、でも、飼い主のことが大好きで、覇気のある瞳をしていた子だったな。しつけだの訓練だの、変に意識して弄くったりしなくても、自然にけじめのある接し方が出来ていたご家族だったんだと思うし、お嬢さんたちの考え方もしっかりしているご一家だった。やっばりね、飼い主自身が、大人なんだと思うのね。こういうご家族には、また、犬を飼って貰いたいなって思ったよ。犬が落ちついた暮らしが出来る、ちゃんと犬の精神を成熟させられるご家族だからさ。この方、亡くなった子のことについていろんなことが気に成っていたらしいのだけど、そうした中でも、ほんと、あの子は人の気持ちが解る良い犬だったとおっしゃっていた。ちゃんとしている子が亡くなったときは、ただの感傷だとかペットロスなんかじゃなくてね、しみじみとその子が良い犬だったなって感じるものなんだよね。ジョンちゃんのおかげで、本当の犬の良さを実感してくれるご家族が増えたんだよね。
Feb 27, 2008
コメント(0)
うちではすぐに姿勢を崩すから、年中イエローカード出されているヴァルキリー。楽して育った犬は緊張状態を長く維持できないのよね。今日、迷子犬の飼い主探し(保護主探し)に同行させたら、外では、ちゃんと緊張を維持できるんじゃん!外だと、肝っ玉の小ささゆえにラフではいられないからだろうと思うのだけど、飼い主が見つかった後で保護主をうちに連れてきた昔の犬仲間と立ち話しているかなりの長時間、ちゃんと姿勢を正して座っていたものだから、まあ、ヴァルキリーったら評判の良いこと。外面良すぎだ、おまえっ!て感じ。いつでもそうしてろよ!出来るんじゃん!かえって、外の環境に慣らしすぎると、外でも弛緩してちゃんとやらなくなるかもね!しかしね、お散歩の習慣なんてまったく無い我家だし(そういえば一度だけ自転車引きしたことがあったっけなっていう程度のことはあったか)、内の敷地内と海沿いのグランドくらいしか知らないヴァルだけど、いきなりそこらの道を連れまわしたって、別に通過する自動車やバイクにビビルこともないし、他所の犬に反応することも無いしね、ちょっと緊張しているかな?って言うくらいのもので、別にこちらの言葉に注意を払えなくなるような事も無かったしさ、途中で、そこにいな!な~んて、道の真中でポッツリ1頭で座らせて待たせてもビビッテ追っかけてくる事もなく、ちゃんと座って待ってるし。。。ワクチン完了していないからって抱っこして環境慣らしに連れて出ていたリズだとかジーンの頃の自分は何馬鹿な情報を信じていたんかな~って思うよ。今、犬の業界は「社会化」「社会化」ってバカの一つ覚えやっているけれどね、あんなのまったく誤情報さ!問題は、飼い主が仔犬に対して神経使わせて理解力を開発する能力があるかどうかってだけなんだよね。仔犬の可愛さやか弱さに過保護過干渉に陥るけじめや良識の無い飼い主の下だと、いくら社会化と称して外の環境に連れ出したとしても与えられた刺激を理解できる頭が出来ていないのだから刺激をあたえたところでそんなものはまったく無駄。逆に、けじめや良識を持って仔犬に接していられる飼い主だったら、普段の生活の中で、理解力を伸ばしていたりするから特別社会化なんてことを意識しなくたって別に問題にはならない。そんなことを考えるとね、あの「社会化」をバカの一つ覚えのように呪文にしている連中と言うのは、けじめや良識が無い飼い主ですって自ら公言しているようなもんだなって思うわけ。外で自分の犬がビビッテいるようだったら、自宅における理不尽が欠けている甘い飼い主(犬の僕)をやってるんだってことだよ。
Feb 27, 2008
コメント(0)
朝、犬達の世話をしている最中に、昨日から迷子犬を保護したという方が飼い主を探して訪ねて来た。うちがここら辺の犬の情報には詳しいだろうと思った方がうちまで犬を保護した方を誘導していらっしゃったとのことだった。。。が、残ね~ん!うちほど地域の犬達の情報に疎い犬飼の家も珍しいだろうっていうくらい地元の犬情報には無関心。なんたって、お散歩という習慣ゼロですから、我家。素人時代には、毎日欠かさず、それこそ、仕事で疲れ果てていても犬のために夜中に成ってもお散歩していたものですけどね、今は、本当に気が向いたときだけとか、仕上げに取りかかった犬とかが居るようなときでないと、お散歩には出ない。お散歩なんかすると、犬が悪くなるだけだからさ!しかも、お散歩に出たりすると、いきなり出たところで、犬飼さんたちの質問攻めに合ってしまうから、歩くどころではなくなって、足止め食らうことになるのがオチ。それだったら、うちで犬達と飛んだり跳ねたりしている方がずっと運動になるし、お散歩で時間を使うなら、みんなを車に積んで海まで行ってしまったほうが効率が良い。1頭がバテバテになるくらいに動かしても、車に積んだ15頭くらいを動かすのには、一時間半から二時間もあれば充分だからね。お散歩で足止め食って一時間二時間立ち話になっているよりよっぽど中身の濃い運動が出来るというものだ。で、今朝、うちに保護した人を誘導していらっしゃったのはうちがまだ毎日お散歩に精を出していた素人時代の犬飼仲間だった。とりあえず、飼い主の探し方をお伝えして、犬の特徴を覚えたところで、犬達の世話に戻らせていただいた。で、みんなの排泄が終了した時点で、ああ、保護されている犬を携帯で撮影しておけば、飼い主さんが犬を探していたりするのに出会ったら確認が出来るよなと思い、携帯を持って先ほどの保護主さんたちを探しにヴァルキリーを連れて出た。暫らくすると、なにやら挙動不信の熟年夫婦が歩いている。ん?もしかして飼い主さんが犬を探して歩いているのかな?と思い声をかけてみたら、先ほど保護主さんによってうちに連れてこられた犬の飼い主さんだった。が、今度は保護主さんが何処の人なのかがわからない。何分、犬達の朝一の排泄が終っていない段階での訪問だったので、何かに書き留めるもせずにいた。ありゃりゃ~行き違いだよ~と思っても後の祭り。結局、保護主さんとの会話で、愛護センターに問い合わせをしたといっていたのを思い出し、センターに記録を調べてもらい連絡を取ってもらう事に。。。迷子犬を撮影するために持ち出した携帯だったけど、センターの方から記録を辿って保護主さんに連絡を入れていただくことに成り、それからすぐに保護場所が判明して迷子君は飼い主さんの下に帰る事が出来た。まあ、今日の場合には一件落着だったわけだけど、飼い主宅から保護主宅はさほど遠いというわけでもなかったが、それでも、保護主さんにとっては飼い主さんを見つけ出せずに困っていた。そんなもんさ。だからね、迷子札ってのは大事なんだよって思う。保護主さんが必死に歩き回って飼い主探していたというのに、飼い主は、いつも脱走されていたらしいのに迷子札もつけず、愛護センターにも連絡しておらず、いつものように程なく帰ってくるだろうって思って待っていたんだとさ!プンプン!今回のことでは、犬を取り巻く赤の他人の方が一生懸命。飼い主それでいいんかよ!?そんなだから、犬だって飼い主置いて出て行くんじゃねぇの?って思った朝だった。。。って、これで半日潰れたし。。。
Feb 27, 2008
コメント(0)
犬を可愛がるという事の本質を彼等は教えてくれたよなって思う。彼等は、ふつうで言うところの「可愛がる」を施されていたために、能力の芽を摘まれてしまっていた。我欲を伸ばされると自分に不都合だとか、努力や我慢を強いられる事一切が受け入れられなくなる。ふつうで言う「可愛がる」は、この厄介な、「我欲」を伸ばすことになる。仔犬の将来だとか、仔犬の購入者の事を考えるならば、繁殖者はやたらな「可愛がり」無意味な「可愛がり」不必要、かつ、余計な「可愛がり」は行なうべきではない。教えておくべきは「自制」と、「自分の分を弁える」ことと「クールダウン」だろうし、「自分が群に協調する生き方」と言うものの「安堵感」や「奉仕精神」ではないだろうか?幼い仔犬だから、そんなことはまだ先のこと。。。なのではなく、幼くて良く刷り込まれる時期だからこそ刷り込んでおくべきなのではないかな?仔犬の可愛さに目が眩んで、そこを忘れた関わり方をしていたり、可愛さに溺れて「可愛がる」自制の無さで関わると、仔犬の将来の可能性をすべて潰す形になりやすい。繁殖を手がける者は、ただでさえ、自分のところで生まれたという可愛い対象に対し、そうした可愛さに溺れないだけの普通以上の自制心を必要とする。そこが出来ていないと子犬達がこの世に生まれでて最初に関わることになる人間として基礎ができていない関わりをすることになるのではないだろうか?繁殖を手がけるのには子犬の可愛さだとか仔犬の将来性に対してクールで居られるような自分になっていないと仔犬に関わるたびに、犬達が恐れる人間のウハウハした悪いもので刺激する事になる。
Feb 27, 2008
コメント(0)
普通の飼い主ってのはみんな無難に暮らしているんだよね。犬が精神的に追い込まれるような状況をわざわざ作るということを行なわず当たり障りの無いところでお互い、表面上、平和を装って暮らしているわけさ。だから、相手が何を考えているのかも、どう感じているのかも、飼い主をどのように見ているのかと言うことに関しても本当はどうなのかと言うことに気づかずに表面的な平和に溺れてお互いが分かり合えていると錯覚していたりするんだな。
Feb 26, 2008
コメント(0)
昔はさ、犬を訓練するのには訓練に適した広場がないと出来ないなんか思っていたのよね。馬鹿だったからさ!今はさ、犬の前脚掴んで二本足で立たせるって言うだけの事でも訓練になるんじゃ~んって解る。で、広い場所に出向いて訓練したくなっているときと言うのはそれ訓練なんかじゃなくて、自分が解放感に浸りたがっているっていうことだったり、親馬鹿に成っていて、犬の嬉しがる姿だの熱中する姿を欲しているんだなってことも解る様になったよ。犬嬉しがらせてど~すんのよね?それ、かえって訓練することで悪くするだけ。訓練という名の構いたがりをやっているだけだわよ。訓練している「つもり」ってヤツね。
Feb 26, 2008
コメント(0)
グリペンが抱えている恐怖心を軽くするべくドッグフードを若干訓練で誘導として使ったら、その日の夕方分の餌誘導で使った分に相当する分量残してあったョ!こういうところ、食い意地が張っていないという点が実にグリらしいなと思う、今日この頃。
Feb 26, 2008
コメント(2)
最近始めた「上を向いて歩こう」訓練。これ、シャイな子、支配性の高い子に効果的だなって言うのを実感している。「自主トレ」と「上を向いて歩こう訓練」は、我家オリジナルといって良いのではないかな?うふふ
Feb 26, 2008
コメント(0)
習う側に真剣味が感じられれば、教える側ってのは必要以上のことまで教えたくなるってもんだ。教える側だって気持ち良い仕事をしたいのだから、習う側もね、教える人を上手く使うって(使うって言うと語弊があるけどさ)言うのも必要なんじゃないのかな?本当は、うちなんて、見習いを置くなんてのは身の丈には合っていないんだよね。以前、見習いで使って欲しいという子を置いた事があったけれど、正直言って、うちなんて、時間がバラバラの生活(夜中にメール書いたりしているからね)だから、見習いがいたりするとかえって生活しにくくなってしまうんだな。特に夏場などは、自分の汗の成分にアレルギーがあるせいで、一作業終えるごとにシャワーを浴びる人間だから、見習いの手前、頻繁にシャワーを浴びられなかったときはこちらの方が参ったものだった。そんなだから、見習いを置く事は二度としまいと思っていた部分がある。が、昨年末、そういう思いがひっくり返ったのは、やっぱり、見習い希望君のやる気と積極性がそういう風にこちらを変えさせたのよね。最初は、うちは見習いを置く気なんてのはまったく無かった事から、折角やる気のある子なのに勿体無いなっていうので、師匠のところにお願いした子なんだけど、情勢が変ってきている事で予定が上手く流れなくなった。で本人が師匠と相談した結果、こちらが施設を作れた時点で、見習いとして入れ、週末、師匠のところに習いに伺うという話になった。基本的に、師匠も、今は弟子は取らないっておっしゃっていたのだけれど、本人のやる気が師匠のお気持を動かしたわけよね。本人の気持が強く、積極的だったら、周りは何とかしてあげようって思うものだ。うちなんて、そのことで尻に火がついてしまったくらいなんだけど、それでも、いいやって思えるし、かえって、それがあるから頑張ろうって思える。その子が伸びてくれれば、師匠にも恩返しできるしね。やる気がある子っていうのは、周りを動かす力を持っているんだよね。師匠が、うちを門外弟子としてくださっているのだって、そこなんだと思う。教える人ってのは、やる気のあるヤツには後押しを惜しまないってことだよね。
Feb 25, 2008
コメント(2)
本日のビジネス発想源。読みながら、そうそうそうそう!って思わず笑っちゃったよ♪頑張れない事は自分で解決すべき問題であって、それを他人(師)にぶつけてどうしようっての?!甘えだよね。それも、思いっきり自己中の!嫌だったら読まなきゃいい!頑張れない事を相手にどうにかしてもらいたいとかどうにかしろなんていうのは、習う姿勢が出来ていないってことよね。教える側は、そんなことまでやってられないし、やってあげる義務もないってもんだ。習う姿勢、学ぶ姿勢が出来てからやってこい!って。世の中が、自分のために尽くすのが当たり前って言う感覚があるヤツはああいうことになる。けれど、それが、教える側のモチベーションを下げ、果ては、その人に学ぶほかの人にも悪影響するって解らないのは、人(教える側)の気持をまったく考えないお子チャまだってことだよ。そういう相手は来なくていいから!ってやっぱり思うよね。やる気のあるものたちが集るからさらにモチベーションが上がるんだと思うよ。すべておんぶに抱っこで暮らしているとそういう「学ぶ姿勢」といった基本的なことも見えなくなってしまうんだろうな。我侭で世間知らずなんだと思う。習う側に真剣味が感じられれば、教える側ってのは必要以上のことまで教えたくなるってもんだ。教える側だって気持ち良い仕事をしたいのだから、習う側もね、教える人を上手く使うって(使うって言うと語弊があるけどさ)言うのも必要なんじゃないのかな?
Feb 25, 2008
コメント(0)
出ちゃいました~!下がりました~!出ちゃいました~!下がりました~!をやる犬というのは、それまで生きてきた犬生の中で、人間を使って生きていた時期があったヤツなんだよね。人間を小馬鹿にしている根っこがあるって言うのかな?そういう犬は、根っこを正す必要があるわけなんだけど、そうした人間を使って生きていたという経緯が無い犬だと、出ちゃうことはあっても、下がります~の方は見られない。ま、出すぎちゃうのは、脚側に関して、完全に未熟なだけなのね。おかしな意図など無いただの不器用とか気が急いているとかってところ。。。飼い主に対する甘えと言うか弛緩などがあるから出すぎちゃうわけだけどさ。。。
Feb 24, 2008
コメント(2)
犬はいたるところで人間の力量を測っている。脚側時、よく見る光景で、前に出すぎちゃいました~!下がります~!って、前半身、身を低くしてバックする犬っていうのが居たりする。飼い主さんは、犬が自ら出過ぎていることに気づいて下がったんだわ。偉いわ~♪と思っていたりする。が、こういう場合、人間側の受け止め方と、犬側の考え方には酷くギャップがあって、犬は、出過ぎたことに気づいて是正したわけではなく、最初っから、わざと出ているんだよね。。。で、自ら下がるのもそこで初めて気づいたから下がっているのではなくて、飼い主に咎められる前に下がれば叱られないということまでを加味して飼い主がそれに気づくだけの能力があるかどうかを見ていたり、自分が、きちんと脚側することを指示されている事に対して飼い主に与えられているコマンドにわざわざ自分風の脚色を加えることで、自分の優位性を誇示していたりするんだな。素直に従いたくないって言うか、これくらいやってもバレナイと言う風に踏んでいるわけね。で、飼い主の多くは、犬の意図通り、そこを見抜けないで、いい子だわ~♪なんて思って、その場を流してしまっていたりするんだな。出ちゃいました~!下がりました~!出ちゃいました~!下がりました~!なんてのはさ、自ら下がらなくてはいけない事が解ってるっちゅうことは、裏を返せば、最初から出てはいけないってことは百も承知の輔ってことじゃん!?なのにね、こちらが注意しないうちに下がったからって、いい子だわ~♪なんて思っているような飼い主だからそんなおちょくりをやらかしてくれるんだって言う事だよね。それを咎めない飼い主だと完全に犬がイニシアチブ取っているっていう事だ。そんなだと、まったく話にならないんだれど、そこで、咎める飼い主だったらどうか?っていうと、これもまた、犬にしてやられちゃった後で、過剰な反応を見せてしまっている辺りで、結局は、あちらに振り回されている飼い主であることに変わりは無く、咎めたから良いって言う事ではなくて、咎めなかった飼い主と、五十歩百歩という目で見られているって感じかな。最初から、そんな、出ちゃいました~、下がります~なんてことをやられない飼い主であるって言うのが理想なのは当然なのだけれど、もしもそうしたことを犬が始めてしまったとしたら、こちらは、そうしたことはお前さんならやるだろうと思っていたよ!くらいの感じの対応をすると、自分の行動を見透かされているって言う部分で、犬は飼い主を軽んじてはいられなくなる。この、出ちゃいました~。下がります~。。。をやるときってのは、大抵、前半身身を低くしてお尻側が上がった、プレイバウのような姿勢でのバックだったりする。しかも、下がったときには、正しい脚側位置ではなくて、下がりすぎるというのが常なんだな。だからね、下がります~と身を低くしようとしたときに、正しい脚側位置で停まらされて、なおかつ、身を低く出来ないように正しい高さで停まらざるを得ない長さでリードをキープすると、後ろに下がれなくて、下にも下げられないとなると、出ちゃいました~、下がります~というおちょくり遊びに弾みがつけられなくなるんだわね。おまけに、そうした下がり行為と言うのを阻止されると、あちらとしては、おちょくりがバレテルって解るらしく、非常に気まずくなるみたいなんだな。で、そうした阻止を無言でやってのけると、あちらがおちょくり始めたことに対してこちらはまったく振り回されていないというスタンスが保てるため、あちらとすると、おちょくる相手を間違えたなってのが解り、こちらは黙っているにもかかわらずあちらは一気に盛り下がって真面目になる。気まずいムードが耐え難いらしいのが手に取るように見えるからこちらは心の中で笑ってしまうんだけどさ、自分のやっている不誠実をすかさず見透かされる飼い主だと、犬はそういうことをやらなくなるんだな。。。てのが、今朝消されてしまった話の概略です。朝はもっと丁寧に根詰めて書いてたんですけど、かなり端折ってしまいましたが、こんなところでいかがでしょうか?こげちゃん様。
Feb 24, 2008
コメント(3)

発注してあったネームタグ。届いて喜んだのはよかったが、親指が使えないから、リングを着けるのが結構至難の業。リングが終っても、今度はリングを首輪のD環にくっつけるという難儀が待っている。数があるから、始めるのに「えいやっ!」の気合を入れてからでないと始められない。親指に力が無いとか、痛みがあって使えないとか、たった一本指が使えないだけで、生活がこんなに不便だとは思わなかったよ。で、タグにリングをくっつけた段階で、首輪に手を出せずに眺めているんだけど、これ、内職みたいだなって思った。。。
Feb 24, 2008
コメント(2)
小手先の業なんかではいろんな方法が取りざたされているけどさ、犬と上手くやっていくってのは結局は脳波が決め手なんじゃないの~?って思う朝。昨夜、物凄い早寝をして、たっぷり寝て目が覚めたら、まだ午後11時だったョ!うわっ!半端な時間に目が覚めちゃって、ど~する?って思いながら、旦那とゴッドファーザーなんか観ちゃって、二度寝したのが午前五時過ぎ。結局午前八時半まで寝ちゃったりして睡眠時間たっぷり取ったら、犬達の反応なんか、何も意識しないでもすこぶる良好!そんなことを考えるとさ、小手先どうこうじゃなくって、結局はアルファー波がどれだけ出せるか?つうことなんじゃないのか?って思うわけ。精神状態が悪いキャピキャピしたヤツとか、我侭自分勝手なヤツとか、寝不足気味の煙草吸いとかってのは、犬がとても恐がるよね。きっとそういう連中と言うのは脳波がさ、余計な波長ばかり出ていてアルファ波が出てないんだと思うけどいかが?
Feb 24, 2008
コメント(0)
犬はいたるところでの続きで脚側に関することを珍しく根詰めて真面目に書いていたところで突然消されました。爆もうヤダ!メモ帳使っていればよかったに~
Feb 24, 2008
コメント(2)
犬というのは、案外、いたるところで「あんたなんか大嫌いっ!」というのを飼い主に対して表現している。飼い主が、それと気づいていないだけでね。今日の、ジーノ君のところの日記にあったこうしたことと言うのは、日常繰り広げられている光景。たとえば、飼い主が名まえを呼んだのに、自分が呼ばれたと解っていて、聞かぬ振りとか、伏せといわれて逆らっていたりする割りに、座ってなさいといわれたら、勝手に楽な姿勢として伏せていたりね。でも、人間はそうした犬の気持を知らないから、そんな場面の数々を知らずと流してしまっている事が多い。というか、流しているだけならまだ救いがあるというもの。呼んでも聞かぬフリを決め込んでいる犬を振り向かせるのに、おやつなんか持ち出していたりするから、そういう飼い主は、救いがないよね。だって、飼い主が呼んでいるのに聞かぬフリするって言うのは、あんたの言う事なんか聞きたくないって犬が言っちゃってる訳でしょ?それって、好きな人の言葉だったら普通聞くんじゃないの?ていうか、呼ばれる前から呼ばれたくて仕方が無いってのが本当なんじゃん?あんたの言う事なんか聞きたくないわ~ってのは、あんたなんか嫌いだよ!と同義でしょ?なのに、そこに好かれたくておやつが出てくるようじゃ、おやつは好きでも、飼い主が好かれる事にはならね~だろって解っても良さそうなものだと思うんだけどね。
Feb 23, 2008
コメント(4)
犬が生きている長さ(永さ?)なんて、本当にアッと言う間だよなぁって思う。『七つの子』も、来月で、もう5歳だからね。彼等の寿命の約三分の一は既に終ってしまったんだよなって考えると、未だに、納得のいく究極のかかわり方と言うのが得られずにいるのが悔やまれてならない。
Feb 22, 2008
コメント(0)
「おやつ」といっても、このブログですから~、犬用のおやつでないのは当然のこと!日中、訓練を真面目にやっていたりすると、小腹が空くっていうことが結構ある。かといって、まともにご飯というような時間じゃないし。。。って言うときに、最近、マイブームなのが、「柴野のうどん」とかいう細麺(五分ほとで茹で上がる)の乾麺に「ヤマモリ名代ツユ」で、かけうどんを作っておいて、『キョクヨーいわしオイル漬』の缶詰の中身と汁を先のうどんに合わせるというヤツ。おやつだから、簡単で、すぐにいただけるのが嬉しい。でもって、かなりイケル!ポイントは、缶詰の汁を半分ほどいわしの身と共にうどんにかけてしまうこと。「ヤマモリ名代つゆ」といわしオイル漬の汁が妙にマッチする。これを始めてから、乾麺がなくなるのが早いこと早いこと。
Feb 22, 2008
コメント(0)
外で犬達を洗えたら楽だよなぁと思うんだけどね、お湯が無いからなぁ。。。電気温水器付きドッグバス。いいなぁとは思うけど、設置工事と本体とで35万円。絶対無理っ!かりに費用がまかなえたとしても、キャビネットになっていたら立っているのが辛いよね。蹴込みが無いってのはさ。。。温水器本体は、そんなに高いものじゃあないらしい。。。ならば、安物ドッグバスと上手く合体させられないか?
Feb 22, 2008
コメント(0)
保護活動家VS訓練界一般飼い主からすると、大抵保護活動家の考え方に軍配が上がる内容なのが、室内フリー飼い。保護活動家たちは訴える。哀れなこの子を、家族の一員として、室内で飼っていただける方に。。。と。で、「哀れなこの子」が、いざやって来ると、遠慮を知らない我が物顔の犬だったり、寝転がって腹を出すとか、遠慮なく膝に乗ってくるだのといった人間を、「媚と言う餌」で操る、自信の無い、自立もできていない割りに、変に生意気な犬だったりする。どこが哀れなのか?解らない犬達。元飼い主が図々しさを刷り込んで、頭が狂わされている事が哀れなのだとしたら、そりゃあ、哀れと言える。たま~に、図々しさや生意気さが無い、まともな犬が居ても、この室内フリー飼い&保護犬同士で絡ませる保護の仕方で、あっという間に図々しさや食への卑しさ、犬に対する不必要な興味と、馬鹿げた興奮を体得して、ムカツク犬に変身する。訓練界の人間たちは、犬にすがった、くだらない人間が、四六時中犬を構うようでは犬が哀れだから、室内フリーは良いことではないと訴える。それだけ自制心や自立心の有る人間は最初から犬なんか飼わないしね。犬の本能から言って、だだっ広い場所での暮らしは落ち着けない。犬はもともと狭い巣穴の生活が外敵から身を守れる安心感を得られる場所なのだと訓練士たちは訴える。。。が、私からすれば、犬のそうした本能部分なんかよりも、人間のくだらなさが犬を破壊する事の弊害の大きさのほうがフリー飼い否定の理由として大いに感じるところである。保護活動家の多くは、犬が自由を欲しているかのように言っちゃうのだけれど、自由を欲しているのは、保護活動をしている人間たちなのであって、決して犬が欲しているという事ではないし、保護活動家が自由というものに魅力を感じているのは彼等がとても我侭で、彼等自身が、誰かに拘束されたり、指図される事が嫌いだからであって、彼等が犬に自由を与えたがるのは、犬のためなんかじゃなく、自分たちの願望の投影であったり、自立心、自制心の無い自分たちが、犬をグチャグチャと弄繰り回していることで、自分たちが善い人を演じていられるからでしかない。犬のことを本当に考えているのだったら、彼等がすぐに持ち出してくる「おやつ」で、犬を馬鹿みたいに興奮させて、皮膚炎だの消化不良だのさせておくはずが無いって私は思うよ。で、保護活動と言う偽善は、一般人の目には、とてもお優しい人たちに映るから、彼等が室内フリー飼いを推奨すれば、おしゃぶり代わりに犬を弄繰り回したいこれまた自立心・自制心の無い、未熟な人間たちが、それが、自分たちの欲求と合致するだけに、犬のために行なっているかのように錯覚してすぐ迎合する。頭が狂って捨てられた犬達を哀れむ割に、自分たちが頭を狂わす飼い方を推奨している自覚も無く、この国の愛護精神を引き揚げているのが自分たちだというおかしな妄想で、国を引っ張っていくのだから、この国に真の愛護精神なんか根付く事などありえねぇって思うのさ。本当に愛護精神を引き揚げていくためのリーダーシップを取るつもりでいるのなら、まず自分たちの自制心だとか自立心だとかを培ってみなさいと思うね。自立心が出来てから、犬との関わりを、今一度見直してみれば、これまで自分たちが言い続けてきた内容が、犬のためではなくてただ、自分の欲求を充たしていただけだったって言う事だとか、それが放棄犬を増産する形に成っていたことがわかろうって思うよ。自分たちがやる事が何でも正しいなんていう傲慢さで物事を捉えているから、飼育放棄させた犬でさえ事実を捻じ曲げて「飼育放棄犬」なんて呼びかたをしてしまうんだと思うよ。謙虚に自分たちのやっている事を見つめられるなら、そういう、放棄を迫って手に入れた犬達は飼育放棄犬ではなくて「私たちが強制的に放棄させました犬」と言えるはず。
Feb 22, 2008
コメント(0)
前に斉藤学氏がおっしゃるところの『大人の条件』を書いた事があったけど、その中の、『自分と自分を取り巻く現実を正視できる人は、今すぐすべきこと、次にすべきことという優先順位の区別がつけられます。』犬の「問題」なんてぇものは、何時までもそこに関わっているようなものではなくて、さっさとそんな部分は解決させてしまって、人間としての生活、人間としてやるべき事、そういうことに向ってどんどん羽ばたいていくって言うのが本当だと思う。犬との関わりは、何時までも問題を長引かせて、犬の犬生を無駄にしたり、自分の人間としての人生を振り回されていたりするようなものではなくて、問題があるならさっさとそれを解決してしまって、お互いが楽しく尊重できる関係になったところで、一緒に楽しめることを見つけ出して一緒に暮らしていることをお互いに幸せだと思えるように暮らすべきだと思う。犬の問題を解決する事を何時までもダラダラと引き延ばしていることは、犬の生きている年月を無駄にしているというだけでなく、自分の人生も無駄にしていることではないかなと思うんだよね。実に勿体無い事だと思うよ。平たく言っちゃえば、誰しも生まれ出た時点からひたすら棺おけに向って突き進んでいるわけなのだから、時間を無駄に過ごすのって、この世に生まれたことに意味が無いんじゃないのかなって思う。優先順位をしっかり見極められる人は、やる事やって、お互い気持ちよくそれぞれの人生を謳歌しつつ、お互い仲良く暮らしているって思うよ。そういう人は、みんな、犬の問題にかたがついた段階で、どんどん外の世界に出ていってさらに自分を磨く努力をしているし、それは自分のためだけなんかじゃなくて、外の世界から学びえた事をまた、ご自分の愛犬との関わりにフィードバックしてより良い関わりになるようにって頑張っている。そういう人に飼われた子ってのは幸せなんじゃないのって思う。
Feb 21, 2008
コメント(0)
頑張ってる。。。つうか。。。頑張らされているっつうか。。。そんなヤマトが堪らなく愛しい。。。
Feb 21, 2008
コメント(0)
同じ叱責でも、同じ高さで叱られるのよりも、2階から叱られたときの方があちらが受け取る強さは数段強いのだよね~。
Feb 21, 2008
コメント(0)

最近出番がなかなかやってこないんですけど。。。僕忘れられてないよね?って不安になっちゃうよ!大丈夫、忘れてないから、こっちに来て、いい顔してご覧。呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ~ン!つって古っ!近すぎだから。。。汗 とっておきの僕の笑顔。いかが?完全ではないけれど、幼少期の酷い興奮は随分治まってきて、落ちついた表情の時が多くなってきている最近のアレス。なかなか良い男っぷりになってきたでしょ?
Feb 21, 2008
コメント(2)
自分で言うのもなんですが、最近、犬達に対して、かなり真面目なんです。負傷中、関われなかった分レベルダウンしてしまっている犬達が目に付くせいで、真面目にならざるを得ないという部分もおっきいですが、関われなかった期間に、いろいろ感じるところもあったりして、再起とともに、その間感じていた事を、一気に爆発させてみようかと思ったりして、細かな試しに挑んでます。そのため、夕方には殆ど精魂尽き果ててる感じで、明け方になって床についていたとても犬飼とは思えない暮らしから、本来の早寝早起きに生活パターンが戻りつつあります。この方が健康的だと思うし、犬達の反応も良くなるのですが、だからといって身が引き締まるか?というと、そういうことには成らないのが残念!
Feb 20, 2008
コメント(0)
何か新しいことを始めたときに犬が暴れるという形で反応が起きたとき、目的の達成のためにごり押しするだけだったら馬鹿でも出来る。。。結果が良いか悪いかは別としてもね。が、犬が示している反応の原因・理由を何も考えずに、ただそれに対して当初のやり方をこり押しするだけだったら、殆どの場合、結果は悪い方に傾く。酷い抵抗や混乱が見られたら、何が原因でそうした反応となっているのか?その理由を細かく分析する必要がある。反抗心からなのか?理解できていないからなのか?恐怖からなのか?混乱が大きい(粘りの無さ)のか?或いは、理解はしているけれども反抗心が勝っているからなのか?道具に対する嫌悪感なのか?道具を使用している人間に対する嫌悪感や軽視が原因なのか?その場の恐怖なのか?or普段の関わりから来る人間に対する不信感からなのか?それらの一つ一つのどこに重点が有るのかを探っていけば、それが複合的に絡んでいたとしてもその中から解決しやすいものから解決するなり、重要な事から解決するなど絡まった毛糸玉の毛糸をほぐすように一つ一つ解決していけば、大抵の事は良い結果が得られる。が、何も考えない、ただ自分の力関係の強化に走ろうという剥き・意地になってしまう飼い主だとこうした分析と言うことが無かったりする。冷静に考えるとか、相手の気持を考えるだけの心の余裕があれば、一度好ましくない反応が見られれば、そこで、はたと考えるという作業が入るはずなのに、相手に対する思いやりよりも、自分の権力誇示に走ってしまったり、頭を使ってものを考えるといった作業に気持が向けられない飼い主だと、犬はそういう相手に対して減滅を抱くことにはなれども、尊敬には到底至らない。意地になる飼い主の多くは、ここが出来ていないのだなと感じる事が多い。根底に、相手の身になるといったことが欠けていて、自分の思いの押し付けが平気でやれてしまうから、細かな分析に対する必要性を感じるに至らないのだと思う。そこが出来ていない飼い主だと、犬との関係は関われば関わるほど悪くなる。それはとても当たり前の事だとちょっと考えてみれば解るはず。自分に対する思いやりや気遣いが無い相手に心を開くはずなんか有る分けない。そんな簡単なことが見えていないとごり押しという行為を平気で続けている事が出来てしまう。
Feb 20, 2008
コメント(0)

良い子のラフちゃん普通に立たせただけだと、私が正面に立つと目が合ったら、耳引き引き。う~ん、これではちょっと様にならない。耳を引かないように、「待てっ!」と、ちょっときつめにコマンドをかけて、エヘエヘモードにちょっと緊張を持たせてみた。確かに耳は前に向きはしたけれど、首抜けがいまいち。これは、悪犬の「なんだなんだモード」にするくらいでないと、耳が前向いたまま、首抜けが良い状態にはならないだろうなぁと思った。で、仕方が無い、悪犬にするか。。。なんだなんだ状態にするべくおかしな音を発してみたら、耳も比較的前向きで、首抜けも感じ良くなった。。。が、後で見たら、なんだなんだと後足が前進してるジャン!同じ1頭の犬でも、姿勢によって印象が随分違って見えるけど、見た目の格好良さを重視すればなんだなんだ状態優先になるから、精神状態が悪い我欲犬に成る。それは嫌だなと思うから、普段は姿勢を犠牲にしている。前に、G・シェパーの展覧会系のオーナーが訓練嫌っていたのが解る気がするよ。耳引けて、首がチンマリしていたらそりゃ、ショーでは勝てないわな~。でも、私は、首抜けが良くても目が可愛くない犬は嫌いだわ。そういう犬は長生きしないだろうしね。写真写りの良いそういう犬なら簡単なんだろうけど、普段撮りなれていないからさ、犬の写真は難しいよ。。。
Feb 19, 2008
コメント(2)
yasuitaguさんにお願いしてあったみんなのネームタグ。アスの午前中に届く事になった。どんなかなぁ。楽しみだわぁ
Feb 18, 2008
コメント(0)

車に乗れば楽しいところへ行くものと思い込み、行くんでしょ!?やるんでしょ!?と勝手に舞い上がっては興奮のために目を真赤にしてしまうコヤツ。なのに、やっぱり甘々なんだよなぁ。。。マイワールド状態だと解ってはいるんだけどね、この甘さ、どうしたものか。。。そんなにガチガチに力込めた顔してたら寿命縮めるぜ~!もっと楽にしろよ~!ってこちらは思うんだけど、ディスクなんか見ちゃったら、もう殆どキチガイだよ。
Feb 18, 2008
コメント(2)
『出来ません』という言葉を簡単にいってしまう人って結構多いよね?それは『出来ない』のではなくて『やりません』或いは『やりたくありません』を体よく誤魔化しているだけ。。。って、誤魔化せてもいないのだけどね。でも、それって、自分は我侭です!とか、やる気もないのに、これまでやる気があるフリをしていました!と暴露しているようなものだと当人はきっと解っていないのだろうなって思う。自分が見えていないって言うか。。。『出来る』とか『出来ない』とかって言うのは、多分に、他者評価によるところが大きいんじゃないかな?自分で言うなら、ただの「出来ない」「出来る」じゃなくて、このようにやってみたけれど、出来なかった。。。とか、自分の今の段階だったら、ここまでは出来るけれど、ここが不足だから現状では出来なくて、その不足を補えれば出来る。。。みたいな感じになるかな。。。
Feb 17, 2008
コメント(0)
昨日、NOZOMIのDVDから画像を落とすのにうちでは出来ないから友人にお願いした。で、その時に、負傷した親指を見た友人が、これ、指、壊死してないよね?!と訊ねる。Oh,No!!これでも、随分良くなったんだから~、恐い事言わんといて~っ!!
Feb 17, 2008
コメント(2)
ヤマトが多少良くなってきたことで、七つの子に対して誤解していたことに気づいたことが有る。普通、飼い主と言うのは、犬がやっていることの意味を希望的観測だとかによって、悪さを良い意味に誤解していることが多い。が、今回、ヤマトによって教えられたのは、その逆。七つの子達の、ここが情けないと思っていたこと、実は、七つの子達の在り方こそが正解だったのに、こちらがそれと気づいていなかったという、飼い主としてはまったく、『反省しろよ、自分!』の世界。考え方と言うのは、難しい。。。一つ一つそうやって真理に近づいて行くわけだけど、せめて、犬達が元気なうち、グレないうちに気づいてやれよ!って自分に思う。
Feb 17, 2008
コメント(0)

かなり前の事に成りますが、姪っ子の写真集について書いた事があったのを覚えていらっしゃいますでしょうか?この度、撮影してくださったyumesakuさまから、公開の承諾が頂けましたもので、叔母馬鹿なんですが、アップしちゃいました♪某方面では、姪っ子も学生服姿?でCMに出ちゃったりなんかして(家電量販店のデオデオとかエディオのCMだったそうですが、生憎、こちら関東では見られなかった)ますます張り切っている様子。踊っていればゴキゲン♪という若くして、既に、足ることを知っているという珍しい子で、あまり欲の無い子なんですが、数日前、高校入試に合格したとかで、今、本人は、幸せ真っ只中って感じでしょうか。^^本人、毎年、夏に行なわれている岩槻祭り(埼玉県)のひな壇の前で踊っているそうなので、機会がございましたら、NOZOMIを是非応援してやってください。m(_ _)m撮影 by yumesaku
Feb 16, 2008
コメント(4)
下の、対症療法の方法にどれを採用するかなんていう話を同レベルの者同士で、あれやこれや話していても、まったくそんなことは役に立たないという事がきっと当人達には見えていないのだろうなと思うのだけど、そういうことが、犬を取り巻く世界ではいろんなところで同様の事が起きている。いわゆる犬仲間という関係でお互いに有益情報を提供したり供与してもらっていると思っていたりするわけなんだけど、そういう人たちと言うのは、自分たちより上のレベルの人に学ぼうと思っていないのではなくて、同レベルに在りながらもどちらかが先輩飼い主だの、訓練上級者だのという風に上の立場に位置し、他方が、それに学ぶという形態が整っていたりする事が多い。が、その上に位置している人が放っている内容がまったくいい加減なレベルのものであるというのは習っている側には見えていないということで、そうした関係が成り立っているわけで、見ていると、恐ろしいほど分けの解らない話しを楽しんでいたりする。ちゃんとまともなプロに習った方がいいと思うよとそういう犬仲間の会話を見ていていつも思う。特に、訓練をプロに習っている上級者が上の立場に位置していたりすると、その人にくっついている人は、何か、その人をとおしてプロの技術を与えてもらっているかのように錯覚しちゃっていたりするのだけれど、決してそんな上手い事にはなってなどいなくて、プロに習っている上級飼い主さんが、一旦自分のところでプロの技術を捻じ曲げて、わざわざ有害情報に変換してしまっている自覚無く情報を垂れ流している事になっている。。。な~んてこと、絶対疑っていないんだな、習う側ってのはさ。正しい情報は、それを流す元から直接得なければ、途中で別物に変換されるという危険を誰も考えないのね。そんなことを考えると、師匠との出会いは、ほんと偶然の産物で、実にラッキーな事だったのだなぁと思うと同時に、師匠に引き合わせてくれたリズに感謝してしまうよ。
Feb 15, 2008
コメント(0)
それは彼等の爪きりです!負傷以来、柔らかな土の上が遊び場所の彼等は磨り減るという事が無いためえらく爪が伸びている。爪を切らねば、ディスクをやりに連れて行くことは出来ない。爪が割れたり、着地姿勢、脚に変な無理がかかりそうだからさ。とりあえず、今日は、七つの子のうち4頭の爪を切った。。。が、指が痛み始めたため中止!はぁ~~~、たかが指一本なのに、厄介ですヮ!とりあえず、それから犬達をちょこっと弄くって、訓練まがいの遊びを行ない。。。していると、一日がアッ!ちゅうまに終る。犬弄ってるときって、どうしてこう時間の経つのがはやいん?面白すぎる!
Feb 15, 2008
コメント(0)
後手に回ってる飼い主やってるから対症療法に奔走させられるって言うか、奔走するレベルの飼い主にしかなれないっていう感じ?バイクや犬、猫なんかに向ってガーッ!て突っ走るとか、飛び掛ろうとするとか、攻撃する子の場合、飼い主は大抵、その時に、何とかしようと思っておもちゃやおやつで釣ってみたり、リードでショックをかけてみたり、そういうときのためにジェントルリーダーみたいな小道具を使って散歩していたりするんだな。中には、犬を蹴飛ばすなんて事もあるらしいけど。。。でもね、そういうのってのは、全部対症療法でしかないわけよね。ことが表立って表面化したときに何とかしようってのは対症療法でしかない。対症療法なんてのは、よほどゲキ的に効果が高いものでなかったら、大抵は失敗に終るものなんだな。ことが表立って表面化するってのは、普段の関わり方の結果(成果ともいう)なんだってことが、解らない飼い主だから、対症療法に奔走させられる情けない飼い主をやらされているわけよ。表面化しないと気づけない飼い主だとか、表面化しているのに、それでもまだ気づけない飼い主。。。だから、犬が、それを見越して、お前なんかにゃ頼れるわけなかんべ!?自分の身は、自分でまもらにゃ!!ってなってんでしょ!?なのにね、そういう場合に使う手はおやつやおもちゃなんかの楽しい嬉しいで教えるべきか、ショックや体罰、叱責で教えるべきかという話しをして完結しているようではどうしようもない飼い主だって解ります?話題にすべきはそこではないって気づかない程度だから犬がその状態なんだってことだ。
Feb 15, 2008
コメント(0)
問題は、問題と思わなければ、問題ではない。躾と称してしながら、多くの飼い主、多くのトレーナー諸氏が曲芸に走っているのは、多分、ここが原因なのだろうな。。。と思うところがある。それは、正すべき点が見えていないということ。見えていないから、問題と認識されない。見えないのは、本人が、そのままそれを当たり前としてやっているからだろうと思う。犬に自由を与えるとか、犬同士で関係を成立させるとかって言うと、いかにも、犬の行動心理を把握して扱っている優しい飼い主であるかのように聞こえるのだけれど、そこには、必然的に、征する者と征せられる者とが存在するわけで、征せられる者の心理を自分の思いとして考えられるのだったら、征する者が存在している事を肯定できるはずがないと感じる。が、そこで、そうした両者の関係を許容できるというのは、征せられる側の思いを強く感じたことがない楽な暮らしをしているだけで生きてきたのであったり、また、そうした暮らしによって、我侭が通用する世界に身を置いてきたことで、自身が我侭で支配的だったりする(本人自身が野生)のだろうなと思う。征する側の犬に対して、違和感が無いから支配性だとか野生状態であることを許容できるのだと思う。感じないのだから、意識している許容とは意味が異なるのだけどね。犬をもっと良くしたいと思ったら、問題を問題と認識できる自分が最初に必要だ。そこが出来ていないと、曲芸を教えているというだけになっていてもまったく気づけるはずが無いもの。。。
Feb 15, 2008
コメント(0)
他人の喜びを共に喜び、痛みを分かつという、人間の感性に生まれつき賦与された能力ですが、他の能力と同様、鍛錬しないとしぼんでしまいます。下記の本によれば、共感する能力と言うのは、生まれつき備わっているという風な捉え方だけど、私はそうは思っていない。鍛錬しないとしぼむんじゃなくて、鍛錬しないと芽生えないものと感じる。そういう人を沢山見てきたからね。もともと備わっているものがしぼんだというだけだったら、それを呼び起こすのには、何かのきっかけがあれば簡単なことではないのかな?と思うのだけど、恵まれた環境で、至れり尽くせり育てられ、自分の頭を使わずに生きてきた人たちには、ここを開発することが非常に困難であるらしいし、見ていて、まったく的外れな感じ方をしていたりする。基準となる物差しが、まともに形成されていない人には、そこが開発できないのだなと感じる。そんなことからすると、もともと備わっているものなのではなくて、あとから構築していくものなんじゃないだろうか?それも、極限られた僅かな期間の間にね。共感する能力と言うのが元々備わっているものと言う風に考えるのは、集団生活を送る(送らないでは生き残れない)生き物という考え方をするうえで、そのためには必要不可欠という考え方が根底にあるのだろうと思うのだけど、人間は、生まれた段階では、人間としての機能を備えきってはいなくて、極幼い期間に、備え忘れてきたものを補っているのだと言う風に考える。人として生きていくために必要な内容を、完成形に近づけるのには、この世に生を受けて後、数ヶ月、ないし、数年の期間を補いの予備期間として設けられているのではないかなと感じる。刷り込み期間、社会化期という部分で、よく言われている「三つ子の魂」を作り上げる時期がそれに当たると思うんだな。この時期に、「人として生きるために必要なこと(集団生活をするために必要なこと)」が補われなければ、この「共感する能力」の芽が出ないんじゃないだろうか?と思う。出ても、伸びる方向性が捻じ曲がっていたりね。。。コミュニケーション能力の欠如?というのかな。。。キャッチボールが出来ない類が出来上がる。鳥類等で比較されるヒヨコと小鳥の雛で考えると解り易いって言うか、ヒヨコは、卵からかえって羽毛が乾けば、速攻生きるために自力で動き回ることが出来るけど、多くの小鳥の雛は、目も開いていなくて、保温する羽毛も生えていない。まったく親鳥の庇護の下でしか生きられない未熟な形で生まれてくる。人間は、後者の小鳥の雛状態で生まれてきているわけで、人間としてはまったく未完成状態で生を受けている形だよね?小鳥の雛なども、この世に生を受けて、親鳥の庇護の下に居る間に、同種のことりの鳴き声だとか習性を刷り込まれ、その雛たちが巣立って後、連れ添う相手を選び出すときにそうしたさえずりの特徴だとか、求愛ダンスの形だとかが呼び起こされて同種のパートナーとつがいになる。人間も、こうした未完成で生まれて来た雛たち同様、親の庇護の元で、育成期間中に、人間として生きるための必要不可欠な要件をちゃんと刷り込まれていないと、人間としての完成形に及ばないまま、なりだけ成熟した形となってしまうんだとおもうのね。昨今、集団生活に不向きと言うだけに留まらず、他者を殺傷することに抵抗が無い連中と言うのは、完成形の人間に向けて、この刷り込みの時期に行なわれるべき必要不可欠だった内容を落として成長してしまったというのだったり、或いは、集団生活する動物としては致命的となりうる間違った刷り込みがなされた結果でしょ?と思う。
Feb 14, 2008
コメント(0)
今、家族依存症 斉藤学 著 という本を読んでいる。ここに、「大人の条件」というのが載っていた。さて、みなさんは、此処に挙げられている条件、満たせていますか?*********************************************** 大人の条件成人ないし大人の条件というものを考えてみましょう。かつてある汚職事件で主役を演じた人物は、「お互い、大人のつきあいをしようじゃないか」というのが口癖だったといいます。このような使い方をするので、私自身は、大人という言葉が好きではない。公的な権力を背景に、裏取引も辞さないというのが大人の感覚なら、そんな大人にはなりたくないという人は多いでしょう。どうも私たちの社会では、「やり手」と大人とが混同されているふしがあります。ここでいう大人とは、人間として備わった能力を、フルに展開できる人のことです。 そこで、大人であることの条件ですが、私はこれを、「現実検討の能力」「衝動をコントロールできる能力」「自分を肯定できる能力」「いい加減にやれる能力」「人と共感できる能力」というふうに分解して考えています。 大人は、他人に依存しないですむだけのパワーを備えていなければなりません。この世で生き抜き、家族を支えるためには、経済力をはじめとするパワーが必要ですが、これは、現実を正確に把握する能力や、欲求不満に耐える能力がないと身につきません。現実検討とか衝動のコントロールという中には、自分の限界を知り、誤りを矯正するという部分が含まれますから、次の「自己肯定の能力」とは一見矛盾するようですが、実はそうではありません。自分を正確に把握したり、自己の欠点を直視したり、欲求を我慢したりするためには、自分が世間の人に受け入れられ、愛されているという、基本的な自己肯定の感覚が欠かせないのです。私たちは人に愛されていると思うときにだけ、その人からの叱責や問題提起を、建設的に受け入れられるものなのです。 自分と自分を取り巻く現実を正視できる人は、今すぐすべきこと、次にすべきことという優先順位の区別がつけられます。また、注意深く完全をねらう職人仕事と、直感力を生かしておおまかな見通しをつける仕事との見分けがつけられます。私はこうした能力を「いい加減にやれる能力」と呼んでいますが、これこそ最も高度な大人の能力と呼んでいいもので、世の中で目だった業績をあげているのは、この能力に恵まれた人たちです。一方、私のところへ来る患者さんたちの中には、種々の才気や能力に恵まれながら、この能力だけは欠けているという人が多いのです。彼らが努力を空転させている様は、傍で見ていても痛ましい限りなので、私は口をすっぱくして、次のようにいうことになります。「今やれることをひとつだけ決めてやってごらんなさい。失敗してもいいんですよ。いい加減におやんなさい」はじめのうち「今やれること」といえば、私といっしょに治療ミーティングに出ることくらいですが、それでいいのです。高望みしないで、「今やれる課題」が設定できるようになったら、その人はすでに、私の援助を必要としないくらい健康になっているのです。 最後の「共感する能力」は、大人の人間関係を楽しむために不可欠の要素です。共感する能力「共感する能力」とは体験を分かち合う能力の事です。他人の喜びを共に喜び、痛みを分かつという、人間の感性に生まれつき賦与された能力ですが、他の能力と同様、鍛錬しないとしぼんでしまいます。人間の精神は「取り入れる」段階からはじまって「分かち合う」段階へと発達し、これに伴って共感性の発達があります。赤ん坊は、親の愛と関心を取り込むところから始まって、栄養、言語、生活技術などを取り入れて成長し、固有の自己イメージを作り上げていきますが、やがて、他人に共感し、他人と相補的関係(分かち合う関係)ができるようになると、大人になったといわれるわけです。したがって、真の大人は、共感する能力をたっぷり備えているはずなのですが、いつのまにか、他人の痛みがわからないスレッカラシになっていることが多いのは、残念なことです。************************************************前に読んでいた「第1感」という本によれば、直感力というのは普段の訓練によって培われる感覚であるということだったから、実際には「いい加減にやれる能力」を身に着けるのには、どこをいい加減にやっても大丈夫なのかが解るくらいに作業内容を把握できる鍛錬がなければ、「いい加減にやれる能力」も備わらないだろうと、私は思う。これは、建築測量をやっていたときに上司の仕事の進め方を見て実感として理解している。仕事の隅々を熟知していると、どこだったら力を抜いてよい部分かがわかる。が、熟知していない者が、手を抜けば、それは後々、大きな問題となって降りかかってきたりする。にしても、「他人の痛みがわからない」人のことを「スレッカラシ」といいのけてしまうのには笑ったな。ここでは「他人の痛み」とあるけれど、これは、自分の犬の痛みを感じ取ろうとしない飼い主と言うことでもいえることだよね。そうか、そういう飼い主は、「スレッカラシ」で「お子チャマ」ということなのね。人に愛されていると思うときにだけ、その人からの叱責や問題提起を、建設的に受け入れられるものなのです。愛されていることを感じ取れない人は、何時になっても苦言を受け入れることが出来ずに失敗するともいえるね。
Feb 13, 2008
コメント(2)
昨日まで、曲がらないというのと、接触すれば痛みが生じるというのの両方でマウスに触れることが出来なかった右手の親指。今日から、マウスを軽~くではあっても、掴める様になった。こんな小さな進歩でも、回復を感じられる事はとても嬉しいし、親指が使えることに感謝する。
Feb 13, 2008
コメント(0)
旦那が50代半ばにして良い方向に変り始めたのは、こちらが、「良い妻」を辞めて、「悪妻」に徹する事ができるようになったからかもしれないな?と今朝ふと思った。娘と旦那は悪いところに共通点が見られる。本人達も、お互い、そこが自分たちのダメなところだと自覚があり、娘は、親父に似たと言い、旦那も、娘のその点を、俺に似たんだなと言う。彼等の悪いところは、普通より、危機感が薄いところだったりする。物事の期限に間に合うようにと言う部分の意識が普通でなく甘い。だから、周りは、間に合うのか?大丈夫なのか?とやきもきするのだけれど、本人達は一向に動く気配が無かったりして、結局、周りを騒がせる事になる。そんなだから、以前は、旦那の間に合わない期限をこちらがカバーし続けてきた。。。が、今は、そうすることは何が起きても覚悟してカバーする事を一切やらない事にしている。昨日、娘と電話で、そんな話をしていたのだけれど、娘が、その危機感の無さと言うのは、別の場面では、普通の人が焦るような事態が生じている際に、冷静に、これは、こうすればこうなるんじゃないの?と思考がスムーズに回転するという良い意味での冷静さと表裏一体なんだよねと言う。言われてみれば、あの二人は、いざと言うとき、なかなかの発想をするというところでも共通していて、それが彼等の世間的評価の高さになっていたりもする。で、今朝、旦那に、あいつがこんなことを言っていたよと伝えると、「それは、あいつの詭弁だな。俺が思うに、期限にルーズなのと、物事に冷静だというのは元が同じところと言うことではない。期限にルーズなのは、ただ、だらしが無いと言うだけの事だ。」。。。と本人の口から出たよ!解ってんならちゃんとやれよ!怒
Feb 13, 2008
コメント(0)
物事を細かく思慮していない人の口から飛び出す言葉にはその場を取り繕うための嘘が沢山有る。が、本人、そうしたごまかしの嘘を発しているという自覚が無かったりする。嘘と言うのは、自覚してついているうちは、まだ救いがある。しかし、本人自覚も無く、そういうことになってしまっている嘘は、直しようも無いわけで、そんな風に、考え方がいい加減であるというだけのところから始まるウソツキと言うのは、本人騙そうという意図があっての行為では無い割りに、修正が利かないという不思議な現象に陥るものなのだなぁと思ったりする。で、それだけではなく、騙そうという意図があるわけではないのに修正が利かない嘘が繰り返される事によって、信用を無くすというおまけがついてくるから、思慮せず口から言葉を発することと言うのはかなり大きな弊害のある行為なのだなと思ったりするのさ。
Feb 13, 2008
コメント(0)
失禁する子犬と言うのは、爆走や犬同士での遊びを体得した犬同様、自分の緊張や興奮をコントロールすることが体得できていなかったりする。失禁によって緊張や恐怖を排泄に解放してしまう事で自分の中にそれを消化することなく楽な方法での解決を体得してしまっているから、我が侭な根っこだとか、クールダウンできない部分が改善されるための下地が出来ていない。何よりも、失禁に及ぶ、前段階での異常な興奮状態や、緊張状態が存在しているわけだから、それを解放という方法で解消してしまうという事はとんでもない状態にあるといえるのではないだろうか?
Feb 13, 2008
コメント(0)
生き方、考え方の姿勢だとか深さだとかというのが見える瞬間がある。後手に回るのは思慮深さに欠けていたり、相手の気持を考えられない心の無さによるものだな。そんなだから、相手から、突っ込まれてあたふた弁解に回らなくてはならなくなる。説明を終えれば、それで良いということではなくて、それでは、人としての信用を落としていくことになっているんだって気づけないようだと、随分損をしているのにって思うよ。そういうことになりがちなのは、どこかで慢心しちゃっているとか、何かに気をとられていて集中力が無かったりするからなんじゃないのかな?って思う。
Feb 12, 2008
コメント(0)
昨日は姉に、此処(大網)は、狸が縄張り争いして夜中にギャアスカやられるのだけが困りものだよと嘆いてきた。狸どころか、フクロウまで現れたのには、さすがに、此処は一体何処だよ!?って思ったさ~と笑ったばかりなのだけど、夕方、犬達の世話をしていたら、2方向からフクロウの声が。。。え゛っ!?フクロウも、複数羽になったってか?!一方から聞こえるそれは、いつものお馴染みの鳴き方なのだけど、もう一方から聞こえてくるそれは、まだ、鳴き慣れていない様な、拙くダミ声の鳴き方だったりする。。。が、以前此処は、白鷺の一大営巣地と成っていたために乾燥して粉になって風に舞う鷺糞と悪臭、羽毛などが問題視され、猟友会の方たちのお出ましとなったりした事も有ったらしい杉林。杉林の跡地となった今、今度はフクロウの営巣地?
Feb 12, 2008
コメント(0)
恵まれた環境に過ごし、感性が鈍っている愚鈍な人が発する言葉は、軽薄、かつ、無意味だったりする。生きていることが辛いと訴えている人を励ますのに、そういう人は、「生きていれば、楽しいことがあるのだから」と言って励ます。(こうした言葉は、「生きていたくない」と訴える人に対して、その主張は到底認められる事ではないだろうと責め立てているのに等しい言葉と感じられる)脇で、二人のやり取りを聞いていた私は、そんな言葉、何の意味が在るのかな?と思う。本人、励ましているつもりなのだろうけれど、それは、まったく相手の苦悩を感じ取っていない壁の外に居る人の言葉としか思えない。生きていれば楽しいこともあると信じられるのは、それまで生きていた中で、楽しい思いが有った人だから言える事だ。楽しいことが無く、苦しい事ばかりで過ごしてきた人には、楽しいことが、自分の身に起こる可能性が感じられない。そういう、可能性を感じられない人を相手に「生きていれば、楽しいことがあるのだから」と言って励ますそれは、貴方と違って、私はこれまで恵まれていたわ。そして、これからも、ずっと、楽しく生きていくのよ~とひけらかしているだけの言葉だろうになぁと思う。それは、励ましている「つもり」のイタブリでしかない。***********************************昨日は数年ぶりに姉と再会した。姉は、子育てが終ったら、自分は、生きていたくないわぁと言う。子どもに負担をかけてまで、生き延びていることに価値は感じられないという。姉のところの長女は、去年、結婚したばかり。この子は、潔癖すぎるきらいがあって、新婚でありながら、その子は今、それが原因で、パートナーともめている最中だという。白黒つけたがる傾向が強いので、そういう部分では、姉は、その子の子育てに関して自分は失敗したなと思うと言っていた。だから、私は、姉に、子育てが終っても、貴方の役目は終ったわけじゃないと思うよと言った。その長女の性格から言うと、その子が産んだ子(姉にとっての孫)は、母親の潔癖症から来る極端な性格に苦しめられるのではないかしら?その子が、母親の極論に押し潰されそうになったりしたときに、母親である長女を懐柔し、とりなしてくれる人の存在だとか、孫の気持を聞いてあげる人が必要になるとは思わない?と、姉に問うと、ああ、そういう必要がありそうだな~と姉が言った。自分が失敗したなぁと感じる子育てのツケは、自分が摘む必要があるよね?放置してしまわないでさ。だから、子どもに厄介かけてまで生きていたくないじゃなくて、厄介かけずに済むように、健康に気を配って、勉強や仕事を続けつつ周りの役に立つ生き方で生きていればいいじゃん!という話をした。***************************************人が生きていくのには、「生きていればこそ楽しいことがある」なんていう軽薄な内容ではなくて、自分が存在している事を肯定できる内容が必要なのだと思う。自分が存在していることを否定され続けてきた人たちだから、自己の存続を許可し、存在を肯定してくれるものが無かったら、生き続けていることは、自己保存の本能に反して「罪」を犯してでも居るかのような後ろめたさだとか、虚無感に悩まされる。子育てが終ったら、生きてなどいたくないと言った姉に、以前は私も、さっさと早死にしてしまいたいと思っていたけれど、この2~3年の間で考え方が変って、長生きしたいとか、永く生きるのも悪くないかなと思うようになったよと言うと、へぇ~、どうしたらそんな風に変ったの?と訊かれた。自分は生きていてもいいんだよって肯定してくれるものが出来たからだよと答えた。今は、生きていることを楽しめるようになったよ♪と言うと、ふ~ん、そんな風に変る事もあるんだね~と、姉は不思議そうにしていた。********************恵まれた環境に過ごしていると、本人、いくら親身になって発している言葉であってもそうではないところで生きている人の心に響くような台詞が出てこない。むしろ、無意識に、励ましのつもりで追い込んでいるだけだったりする。相手と同じ環境に自分が立っていないのに、相手に何かを伝えようなんていうのは思い上がりというものではないだろうか?だから、「家族と言う名の強制収容所」のようなサイトが存在しているのだろうと思う。恵まれていながらにして、そうではないところに位置している人の苦悩や苦労の「芯」をついて説法を説けた釈迦と言う人はやはり特別な存在なんでしょ?と思うよ。
Feb 12, 2008
コメント(0)
全98件 (98件中 1-50件目)

