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自分は何もせずただボーっとしているだけでやってあげているように思い込める。犬は一緒に行動する者を仲間として信用する。自分は何もせず犬だけ動かすボール投げや自由な走りをいくらやらせても人と犬との心的距離は縮まらない。それと同じように「慣らし」によって犬にだけ苦労させ自分はただ眺めているだけと言うパターンでは犬は飼い主を信用することが無い。「慣らし」が大して効果が無い(「慣らし」の対象には有効に見えてもそれだけに有効なのであってそれが他に応用が利くわけではないということ)のは犬のそうした思考パターンにより犬は孤独感から解放されていないからだろうと思う。一つの事象を共有することが人と犬との心の距離を縮めるのには必要なのだ。体を使うことから逃げる横着さやかけるべき時間や手間をお金で代用したり他の犬にお任せにすることは自分と愛犬のかかわりを自ら放棄しているのと同じこと。自分が御互いのかかわりを放棄していながら犬にだけ自分達の言い分を理解してもらいたいとか思うのははなはだ身勝手で自己中心的といえる。犬は犬から学ぶといって自分の犬を犬任せにする人やお金を払ってトレーナーに自分の犬の教育を丸投げにしてしまう人と言うのは自分から必要な関わりを放棄しているわけだから犬が自分を見てくれないとか飼い主に対する認識が薄いとかそんなことは当然の結果といえる。そうした直接的に対象とかかわれない横着や自信の無さ感情の欠如コミュニケーション認識の薄さと言うのは満たされて育ったりテレビやビデオ、ゲームなどを与えられ直接親や友達と体を使って一緒に遊ぶという経験が無かったりした人なのかなと思ったりする。世間では、愛情に満たされて育つと感情や愛情の豊かな人が育つと考えられている。しかし、これまで見た限りでは満たされて育ったものほどそこが欠けている。ハングリーでない方がそこの価値に対して認識が薄い。世間はそんなことも理解していないよなと思う。
May 23, 2012
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積極的に強く出て行けない人。必要な緊張感を維持できない弛緩した人。そういう人が「慣らす」という思考に走りやすい。慣らすというのは何の技術も思考も強さも必要としないで済んでしまう。自分は何もせずただボーっとしているだけでやってあげているように思い込める。が、そうした消極的な内容で得られるものはそれなりだということに気づかない。犬の躾と言うのは今行った努力が今形になって見えるものははっきり言って「まやかし」でしかない。きっちり積み重ねたものは何故だか数年後になってその効果が現れる。そういうものなんだなと知っている人は今形にならなくても焦らないし迷わない。それが経験と言うものだなと感じる。
May 23, 2012
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