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物事というのはいろんな見方が出来るものなのだなと今更ながら感心する。愛護法という法律一つ取ってみても其処に含まれる総意が過保護感覚であったり人間に対する嫌悪感であったり仕切りたがりの我侭さであったりすることを感じ取っている人はどれくらいいらっしゃるだろうか?動物に依存している人たちは依存によって冷静に見るということができなくなっているから自分たちのヒステリックさに気づかない。人間の介護とか子供の育成とかそういうことに関わってみると動物に関する内容が対人間に関する内容よりもはるかに細かく要求する内容になっているといった不思議な現象に気づく。最近の、自由に購入したい者の行動をやたらと制約課していく傾向に時々、彼等は「動物を大切にしたいから」という大義名分を打ち立てる本当は動物嫌いなんじゃなんかと疑いたくなる。彼等はことあるごとに欧米が動物愛護先進国で日本は遅れているというのだけど愛護先進国は規制が厳しくなって2頭以上は自宅では飼えないような規制が進んでいたりするのをそういう人たちはどう考えるのだろうか?法律が細かく厳しく規制するということはそうしなければ社会が上手く回らないという馬鹿が一杯増えていることの証明だと私は思うよ。言ってみれば人間が幼稚化しているということなんだと思う。それは百円ライターの構造規制なんかに顕著に現れていたりする。昔は子供に火遊びの危険を親が口すっぱくして教えていた。それは子ども自身の火傷に対する危惧と出火の危険に対する危惧と出火・類焼によって地域社会から排除される危険に関する危惧といった観点から本当に子供がそこを感じ取れるようになるまでしつこく厳しく教育していたはずだ。その上で、さらに親は子供の手の届くところに発火物を置かないという注意を怠らない緊張感を持っていた。しかし今は共働きが一般的になって親の目が行き届かないからという大義名分の下しっかり教育しないことが許されてでも居るかのような風潮で百円ライターの製造業者に親の無教育のしわ寄せを課すことで終わりになっている。親の目が行き届かないということが解かっていれば親の目がないところでもしっかり言いつけを守れる裏表のない子供を育てるということにもっと力を入れるべきところでは?と思うのに普段共働きで接触の機会が減ったからと一緒に過ごす時間を親が子供に嫌われまいと子供のご機嫌取りする時間に摩り替わってしまい子供は裏表どころか表の顔も傍若無人になってしまった結果が百円ライター構造規制なんじゃないか?法律が厳しくなるというのはそれだけだらしない人間が多くなったために規制せざるを得なくなったという社会現象だろうと私は思う。欧米社会の法規制が進んでいるのは愛護精神が発達しているからなんかじゃなく自分勝手で周りの迷惑を考えない飼い方をするとか動物依存が酷い人が多くなった病んだ社会だからだろうと私は思う。自分が一生懸命生きることに必死なときは他人の行動にとやかく目を向けてる暇などない。ましてや他人が飼っている動物に自分の飼い方を押し付けていられるほどの暇など無いはずなんだ!そんな暇があるから他人の飼い方を可哀想だの虐待だのと騒いでいられるのだと思う。欧米社会の法規制が進んだのは社会が成熟しすぎて衰退期に入っているためだと思うね。どんどん法律が細かく規制するようになったらその国は成熟しすぎて崩壊一歩手前にあるのだという危険を感じるよ。実際今の日本は過債務状態に加えて製造業の空洞化農業の衰退震災以来資産家の国外移住などが進み衰退化の一方だ!票を取りたいだけの無能な政治家は議員立法で名前をブランディングするには愛護法はもってこいの題材といえる。なんたって愛護団体が勝手にムードを盛り上げてくれるから自分は何も身銭を切らずとも動物愛好者のフリさえいれば周りが選挙に勝たせてくれるのだから。
Dec 22, 2012
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先日行政の担当官と愛護法について話しをする機会があったのでこちらの考え方を話させて頂いた。相手の方は「一般的な考え方」で最近の愛護法の改正を受け止めていらっしゃったのでコチラの話にとても驚いていらっしゃった。現場の声は愛護法が現在進んでいる方向と必ずしも一致しないのは先日の愛護法の義務講習での動物実験研究室の教授のお話でも解かる。が、それらの内容をきちんと理解できる経験をお持ちでない一般の動物愛好者はただ可哀想とか、可愛がるとかそういう単純な基準でしか物を見ていないしそういう人が大半でそれを煽る団体が世の中には多数存在していることもあって真面目にその内容を伝える機会など殆んどないに等しい。だから、今回その機会を得て今こそ伝えるべき!と思って話したら酷く驚かれ、その内容がちゃんと伝える必要があると思ったらしい担当官の口からそれ、コメント送りましたか?と訊ねられた。ええ、送りましたよ!でも、多勢に無勢。愛護法を先導している人たちにとってはブリーダーや訓練士は動物を食い物にする悪者でしかないでしょ!結局は躾を間違えてしまった飼い主さんが自分が造ってしまった噛み犬を直して飼い続けたくても直している最中に近隣から虐待していると非難されたり通り過ぎる車の車窓から「馬鹿野郎!」とか罵声を浴びせられる現状など誰も知りえないからどんどん可哀想がりは後ろ盾を大きくし、うちだってそんな中で自分の看板に傷つけられるのは嫌だから獣医から相談が入ってももうしつけ直しの訓練はお断りすることにして安楽死を勧めている。。。とお答えした。他所の訓練所などはうちがまだそういう仕事を受けていた段階でさえ噛み癖が付いた犬はおなりませんよと断っていたくらいでそういう人たちがうちに流れてきていたのですけどうちももうやりません!やり方を飼い主さんに教えることはしてもメール相談だけで直接の指導はしません!と答えたら表情が硬くなっていた。
Dec 21, 2012
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過去を振り返って「苦労した」と語る人は多いけれどそういう人は過去を語れるだけの苦労しかしていない。本当に大変な苦労をしてきた人はそのとき抱いていた感情は過去のものではなく現在もそのまま変わらず現在のものとして心の傷に成っているから過去を思い出すなんていう作業などしたくないと思い思い出をわざわざ語ろう何てことは仕舞いとする。しかしそれを語らずには相手が自分の考え方を責めるような言い方を封じる手段が無い場合にはその場は相手の言いたい放題にさせておく。相手がそれだけ言いたいことを抱えているときにこちらが自分の心の傷を押してまで相手に理解を求めても結局聞く耳持たずという勢いにこちらが自分の心の傷を抱えながら語る勢いが勝てるわけが無いのだ。しかし、相手がこちらの生き方や考え方を理解するというか理解せざるを得ない機会はいつか必ずやって来る。何気ない会話の中にその時は訪れ悲惨な出来事によってもたらされた過去と、現在にも生きている耐え難い感情が本格的に表に現れる時間を回避できるくらいにあっさり過去の事実を表現することが出来るタイミングに相手にそれを伝えるとあまりに衝撃的な内容に相手は反論だの説得だのという行為がどれだけ無意味でコチラを傷つけることにしかならないことを知り以前此方に対してぶつけてきていた内容を自ら訂正する。本当に深い悲しみや傷を負っている人は過去が過去ではなく現在にも引き摺っていて「苦労した」などと過去形で堂々と語ることなど出来ない。だから「私は苦労した」と言う人が羨ましくもありくだらないと思ったりもするし、彼等がこちらに説教がましいことをぶつけてきているときは戦うときではないと考え放置する。それについて相手を説得すべきとおっしゃる方もいらっしゃるしそうおっしゃる方達はこちらが抱いている傷の重さをご存知で無いから自分の中にある傷の重さと戦うことの厳しさと相手を説得する労力のダブルパンチに抗することがどれだけ大変なことかを解かっていないからこそ言えてしまう楽天家なのだと冷めた見方で観てしまう。相手が熱しているときは放置し相手がその話題に対して無防備なときにさらっと過去にあった事実を伝えるようにすればこちらの傷の深さを自ら思い知るまでに至らずとも相手の考え方を訂正できる。「私は苦労した」と言えない傷を負っている自分が相手を説得するにはこのやり方が一番労が少なく効果が高い。
Dec 8, 2012
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