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土曜日の朝、目が覚めてテレビを点けると、「みのもんた」の情報番組をやっていた。特に「これが見たい!」という番組があったわけではなく、たまたま点けたらこのチャンネルだったということだ。まだ布団から起き出さず、まどろみ半分。土曜の朝の情報番組というこということで、この一週間の世情を振り返るようなこの番組、今日の話題も相変わらず「マンションの耐震強度偽装問題」の続報が中心という感じだった。いつの間にか「みのさん」の番組は終わっていて、続いて始まったのは子供向けヒーロー番組「ウルトラマンマックス」。私が小学校低学年の頃に最初の「ウルトラマン」が放映されて以来、この円谷プロの特撮ヒーロー番組のシリーズは、約40年の時を経ても子供に根強い人気があるようだ。私はシリーズ2作目(「ウルトラQ」を含めると3作目)の「ウルトラセブン」に思い入れが大きい。それは、単純な勧善懲悪ではない、子供向け番組としては珍しい考えさせられるストーリー展開があったり、印象的な映像表現あったためだろう。当時、小学生の私には、そんな理由付けはなく、単に他のウルトラマンシリーズとは違う何かを感じ取っていたのだと思うが、大人になって観直してみると、明らかに作品のタッチが違うものが判る。ストーリー展開が勧善懲悪で割り切れない作品は、金城哲夫が脚本を手掛けた作品。その代表作が第42話の「ノンマルトの使者」。ウルトラセブンは全編を通して「地球侵略を狙う宇宙人との戦い」という一貫した路線があったのだが、この「ノンマルトの使者」では、地球上に人類以前に文明を持った先住生物がいて、人間こそが地球を侵略した「侵略者」だったのではないかという内容。人間のために海底に追いやられたノンマルトは海底都市を築いてひっそりと暮らしていたが、人類が海底開発を始めたため、ついに逆襲に転じ人類への攻撃を開始したという話である。日本人とアイヌ民族、アメリカ白人社会とアメリカインデアンあるいはアメリカ中心の国連とアラブ民族といった構図を連想させ、「勧善懲悪」とか「正義」という言葉では割り切れない内容である。また、映像表現が子供番組とは思えない作品は、「円盤が来た」や「第四惑星の悪夢」に代表される実相寺昭雄が監督を務めたものである。逆光映像を使って登場人物がシルエットだけで映し出されるシーンや、本来ならこの番組の中心となるべきウルトラセブンの戦闘シーンを幻想的な映像処理であっと言う間に終わらせてしまったりと、子供にとっては難解でやや期待はずれな表現の作品が、逆に後々印象に残っているのである。この脚本家:金城哲夫、監督:実相寺昭雄という、ウルトラマンシリーズの中でも特に個性の強い二人が関わった作品がある。第8話「狙われた街」。ウルトラセブンの作品の中でも名作とされている作品で、ボロアパートの一室でモロボシダンとメトロン星人がちゃぶ台を挟んで向かい合って対談するシーンはあまりにも有名だ。(パチンコ・ウルトラセブンでもスーパーリーチのリーチアクションに使われている)前置きが長くなったが、今朝、たまたま観た「ウルトラマンマックス」のオープニングシーンが、その「狙われた街」を彷彿させるものだった。そして映し出されたタイトルが「狙われない街」。ストーリー展開は40年前の「狙われた街」そっくりに作られている。「狙われた街」では、人間の理性を失わせ凶暴化させる物質をタバコに仕込み、人類同士を争わせて地球を征服しようとしたメトロン星人であるが、今日の「狙われない街」では携帯電話のアンテナをターゲットに人間の脳を狂わせる電波を発信するという話になっている。40年前とは違い、昨今の世界的な禁煙・嫌煙の流れと、爆発的な携帯電話の普及が巧妙に脚本に盛り込まれているというわけだ。舞台となっている街の名前が「北川町」というのも「狙われた街」と同じ。ボロアパートでちゃぶ台を挟んで対談するシーンもちゃんと盛り込まれている。しかし、メトロン星人は「もう地球もこの街も狙う必要はない」と言うのである。「40年間地球に潜伏して見守ってきたが、もう攻撃しなくても人類は俺達の手に落ちると確信したから、自分の星に帰る」と言うのだ。「人間は便利なツールを手にして、どんどん退化しはじめている」「放っておいても人類は勝手に滅びる」「低能化して、環境を破壊して、礼儀も知らない人類を、守る必要もないだろう」とウルトラマンマックスを諭すのである。なんとも皮肉な宇宙人である。そして、夕焼けをバックに運河を挟んで巨大化したメトロン星人とウルトラマンマックスが対峙するのだが、今回は全く戦うこともなく、メトロン星人は迎えの円盤で帰ってしまう。「えッ! 格闘シーンなし??」このストーリー、40年前のウルトラセブン「狙われた街」を知らない今の子供達には、その面白さ、ペーソスは分からないだろう。いったいターゲットをどこに置いた作品だったのだろう。偶然にもこの作品を観た私はとってもラッキーだったと思える。映像の表現も40年前の作品をとことん意識した作りになっていて、そのことも嬉しかった。それもそのはず、監督は実相寺昭雄だったのだ。
2005年12月10日
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家に居るときはほとんどの時間をテレビと供に過ごしている私。私の情報源の大部分がテレビである。しかし、だからと言って活字が嫌いな訳ではない。これは高校生の頃からの習慣?で、電車に乗ると活字が読みたくなる。私の読書の場は、昔から通勤・通学の電車の中なのである。以前勤めていた会社を辞めて以来、読書が捗らなくなったのは、通勤電車に乗らなくなったせいだ。特にこの3年間は早朝の仕事のために自転車通勤をしていたから、読書時間が極端に少なくなっていた。それが、この一週間、結構充実した読書時間を過ごしている。言うまでもなく、12月から始まった新しい仕事の通勤のおかげである。片道約20分、往復40分間の中央線での時間は読書には丁度良い。30分以上活字を追っていると、逆に眠くなてしまうことが多いので、20分ぐらいベストだ。今読んでいるのは司馬遼太郎の「関ヶ原」。上・中・下、全3巻の下巻に差し掛かったところだ。今年の正月から「国盗り物語」(全4巻)を読み始め、夏頃には「太閤記」(上・下2巻)を読んだ。そして「関ヶ原」と、司馬遼太郎にハマってしまった。しかも、この3作品は続けて読むと一層面白い。斉藤道三 -> 織田信長 -> 豊臣秀吉 -> 石田三成vs徳川家康という戦国時代の権力の変遷が、なんともドラマチックなのである。このぶんだと、「関ヶ原」の下巻はアッと言う間に読み終わってしまいそうだ。さて、次は何を読むか・・・。
2005年12月08日
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今日は二十四節季の一つ「大雪」。本格的に雪が降り出す頃ということである。昨日の朝の天気予報では、昨日、東京でも雪がちらつくかもしれないと言っていたが、結局雪は降らなかったようだ。それでも、昨日、今日と先週までとは比べ物にならない寒さで、いつ雪が降ってもおかしくない気候になってきたことは確かだ。12月1日からようやく新しい仕事にありつけた私。仕事の内容は少々(かなり)物足りないものがあり、当然その分、拘束時間の割りに収入も物足りないのだが、今のご時世、そうそう贅沢も言っていられない。また、勤務地が吉祥寺からバスで10分ちょいかかるというのも、通勤時間や交通費の面であまりありがたくない。そんな新しい仕事が始まって、今日で丁度一週間。毎日バスに揺られて井の頭公園の横を通っているのだが、今日は昼休みに初めて勤務地のビルを抜け出し、井の頭公園まで足を延ばしてみた。武蔵野の雑木林が残る公園西部は、この季節落ち葉の絨毯が敷き詰められた状態だが、冬枯れの広葉樹の中に、真っ赤に色付いたモミジが結構残っている。「紅葉狩り」といえば普通は11月の上旬から中旬と思っていたが、武蔵野の紅葉はまだ楽しめる。井の頭公園は学生時代や会社勤め時代の花見など、何度も足を運んだことがあったはずだが、今日歩いてみて、今まで私が知っていた「井の頭公園」は、公園全体のほんの一部だったことに気付かされた。井の頭公園には学生時代の思い出や様々な思い入れがあるのだが、それはまた別の機会に書くことにしよう。
2005年12月07日
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