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*モスクワ グム百貨店のマネキン。【'10.05.04】ここまで意地になったのは、たぶん相手がロシアだったから。そして、そのロシアの象徴とも言える「赤の広場」と「聖ワシーリー寺院」だったからに他なりません。むふふ、私はロシアに勝ったんだ!!!時計の針は6時40分。モスクワ観光も残すところ2時間となりました。そこで、どうしても もう一度 行きたいと思っていた「カフェ・プーシキン」へ意気揚々と向かいます。手にはトルストイの「アンナ・カレーニナ」を持って。洗練されたボーイ達も その重厚で壮麗な内装も、カフェ・プーシキンは昨日と同様に私を出迎えてくれました。私はといえば、この先の予定は飛行機で帰国・・・だけでしたので、服装も化粧もかなりの手抜きです。ここへ来る時は、自分の名誉にかけても身なりをピシッとしなくちゃ~、なんて ちょっぴり反省。。。(笑)俯きかげんで、「パイナップルジュースを1杯下さい。」とまずは注文しました。前日にグム百貨店で飲んだパイナップルジュースの美味しさが忘れられなくて、ここでも頼んでみたのでした。早朝のカフェは人も少なく、静かで穏やかな空間が漂っています。本をめくる指も、思いの外 進みます。そんな居心地の良い夢の時間がいつまでも続いてくれれば嬉しいのですが、、、あら、もう8時だわ!「Check please!」慌てて勘定を済ませた私は、余韻に浸ることなく、半ば駆け足でカフェ・プーシキンを後にしました。バタバタと地下鉄を乗り継いで、ホテルに着いたのが8時35分。25階へとゆっくり上るエレベーターにイライラさせられながら、なんとか約束の8時50分までにチェックアウトを完了させました。* 迎えの車の中には、戦勝キャンペーンで配られる「ゲオルギーのリボン」が飾られています。*「ゲオルギーのリボン」とは、黒とオレンジ色のストライプ模様で、帝政時代の聖ゲオルギー勲章及びソ連時代の栄光勲章の綬を模したもの。2005年の戦勝60周年から、これを身に付けて戦勝記念を祝おうという運動が始められました。ホテルから空港まで約1時間の道のり。3日前 初めて目にしたモスクワの街は、どんよりと灰色の雲が空を覆い、それに合わせたかのような侘しい廃墟が続いている、、、それは肌をまとう湿度感こそ違えども、北京やバンコクの裏町にも通じるものを感じました。しかし、帰国を前にした私の心には そんなモスクワはどこにもありません。ぬけるような青空がどこまでも続き、廃墟に見えた無数のビルは その一つ一つに表情があります。こんなに色鮮やかな街だったかな、、、?それくらい、最初の印象とは正反対の姿でモスクワは 私を見送ってくれたのです。* * * * * * * ただ、、、変わらないことといえば、永遠に改善されない渋滞でしょうか・・・。余裕な表情で車窓の景色を楽しんでいた私も、段々と不安が募ってきました。私は何度も何度も時計に目をやりました。ドライバーさんも焦りを隠せず、少しイラついているのが分かります。前へ前へ、少しの隙間があればきわどいほど狭い場所にも割り込んでいきます。けれど、時間がない・・・。 ドライバーさんは振り返り、首を横に振っています。とにかく急いで!!!脳裏には、入国時のあの恐ろしいほど長くかかった入国審査がよぎりました。出国審査にはどれほどの時間を要するのだろうか、、、私は自分の顔から血の気が引くのを感じました。時間がない!早く!!! 急いで!!!!!1時間の道のりが、渋滞の為にすでに40分もオーバーしています。空港に到着した私はドライバーへのお礼もそこそこ、一目散にフィンランド航空のカウンターを目指しました。すでに時は遅し??? そこはもぬけの殻。大声で呼んでも誰も出て来る気配はありません。サーーー。 私の顔からは全ての血が引ききってしまいました。「どうかしたの?」へなへなと地べたに座りこみそうになる寸前、一人の男性が声を掛けてくれました。「私、ヘルシンキまで行きたいんだけど、、、もうチェックインは終わってしまったの?!」きっと私は涙を浮かべていたんだと思います。「とにかく落ち着いて。 チェックインなら、あのゲートの向こうでできるはずだから。」見も知らぬ男性のその一言に、不安か安堵か分からない感情が私を一気に襲いかかり、思わず わーっと泣き出しそうになりました。彼にきちんと「ありがとう」と言えたかどうかさえ覚えていませんが、とにかく彼の指すゲートへと小走りで向かいます。「私、ヘルシンキへ行きたいの! まだ大丈夫よね!!!」ゲートには二人の女性が座っていました。ところが、一人が「もう遅いわよ。」と首を横に振ったように見えたのです!これに乗り遅れたら、帰国は明日以降になるってこと?それとも航空会社を変更させるとか?もし予定通り帰れなければ、職場に秘密で来た旅行なのに、どんな言い訳をすればいいのだろう。いや、それよりビザはどうなるのだろう。頭の中では答えのない問いかけがグルグルと駆け巡ります。バンッ! 私は目の前の机を大きく叩き、叫びました。 「お願い! 助けて!!!(><)」とにかく、予定通りにフィンランド航空に乗せてくれなきゃ困るのよ!それでも、表情を一つも変えることのないロシア人係官。「じゃぁ、通れば~。」って感じで、冷たく突き放されてしまったのです。。。*この瞬間、私は大パニックに陥ってはいるものの、少し冷静さを取り戻します。というのも、思いっきりバンッ!と机を叩いたことが功を成してか、ふと我に返ることができたのです。ぷはっ!(≧∇≦)/無表情の係官が口にした「later」を、なんと「too late」に聞き間違えた私!(爆!)いや、それは聞き間違いなんかじゃなくて、はなっから大幅に遅れたと思い込んでいた私は、相手がどんな単語を使っても、同じく「too late」と聞こえていたことでしょう。(恥)実は、出発時刻を私は1時間早く勘違いしていたのでした。(^^;旅行会社のMさんは、モスクワの大渋滞を想定してか、ピックアップの時間を あらかじめ2時間前に手配してくれていたのでした。渋滞でイラついていたドライバーが慌てていたと感じたのも、私の勝手な思い込みからでした。ということは、まだ時間に余裕があるということ。フィンランド航空のカウンターに人がいなかったのは、時間が早すぎた、、、ということだったのです。いやぁ~、さすが私だわ!たぶん、緊張に緊張を重ねたモスクワ滞在で、私はいつになく すっからかんになってしまっていたのでしょうね~。思いこみで冷静さを失っていたんでしょうね~。「ロシアに勝った!」な~んて思い上がりが、 最後の最後で、逆にロシアからしっぺ返しを食らわされてしまいました。(爆)
2010.07.28

かくして私は、大人しくホテルへ帰りました。明朝8時50分にホテルを発ち、そのまま空港へと向かいます。これで モスクワとはしばしの別れです。僅か2日間であったにも関わらず、様々な表情を見せてくれた私のモスクワ。「赤の広場」は最後まで私を受け入れてくれなかったけれど、貴重な場面は心にしっかりと刻みました。・・・。けれど、本当に これで日本へ帰っていいの?耳元でプーチンが、、、もとい(笑)、 心の中で もう一人の自分が囁きます。このまま諦めて帰っても後悔しない?いいえ! "最後まで諦めない"っていうのが、私の旅の鉄則じゃない!!* * *5月5日、午前5時半。始発に乗る為、地下鉄 パルチザンスカヤ駅に立つ私がいました。昨晩 遅くまでパレードに参加した軍人達は、きっと夜を徹してお酒に溺れていたことでしょう。ということは、早朝なら広場へ入ることも叶うかもしれない。まずは先日、無情にも鉄格子で私を拒んだ ヴァスクレセンスキー門へと向かいます。はい、closed ☆はい、そんなことは はなっから覚悟しておりました。続いて グム百貨店側から広場を目指します。 * * * * * * * ・・・。(●д●)まだ やってる・・・。(ToT) 早朝6時の「赤の広場」です。まだ行進の練習を行っていました。広場に面した場所には変わらず柵が設けられており、数人の警官が監視を行っております。やる気のなさは感じられるものの、広場に入場しようとする者を一人一人チェックしているのです。クレムリンへと向かう政府関係者のみ通行可能。なかなか相手も手強いわ。さらに私は進み、少しでも聖ワシーリー寺院に近づける場所まで移動しました。そこにも やはり警官が・・・。(T_T) ところが、、、、、・・・ずれている!決して、警官の鬘ではありませんよ~。(笑)10メートルくらいでしょうか、進入禁止の柵がほんの少しだけ中へずれていたのです!!!一歩、私は「赤の広場」へ足を踏み入れました。一歩、また一歩。。。今、私は「赤の広場」に立っている!ここに こうして立てることに これほどの苦労を要するとは思わなかったけれど、確かに私は立っている!!!この場所でかつてどれほどの血が流れていようと、今はそんなことなど関係ないのです。ここに立っていることに意味があるように思えました。そして、どうしても見たかった「聖ワシーリー寺院」を間近で見上げながら、沸々と湧き上がる達成感を感じていました。たった これだけで私の全てが満たされたのです。最後まで諦めないで良かった! 私はロシアに勝ったんだ!(笑)朝陽に照らされた聖ワシーリー寺院とクレムリン城壁を瞼に焼き付け、もう一度 ここへ来ることを誓った私は、きっと余裕の微笑みをたたえていたに違いありません。
2010.07.24

クレムリン周辺ではパラソルの下、数々の露店が立ち並び、小学生らしき子供達が大はしゃぎでアイスクリームを食べていました。やたら喉の渇きを覚えた私は、それを横目に、ノンガスのミネラルウォーターを1本、一気に飲み干しました。その後、トレチャコフ美術館へと向かったのですが、話を少し先へと進めます。* * * * * * *一度は仕方がないと諦めた 『赤の広場』。ですが、そろそろ開放してくれたっていいじゃない!淡い期待を抱きつつ、再びそれを目指しました。この季節、午後9時過ぎに日没を迎えるモスクワの空は、午後5時を回ったくらいでは、まだまだ真昼のような明るさです。今度はグム百貨店側から挑戦してみよう!"美しい広場"の意味を持つ 『赤の広場』は、クレムリン城壁と国立博物館、誰もがお馴染みの聖ワシーリー寺院、そしてモスクワ最大の百貨店・グムによって囲まれています。 けれど、そちらも 赤の広場に面したところは全て柵で仕切られており、何人もの警官が無愛想な顔で見張りを行っていました。私は広場に通ずる道という道 全てを巡ってみたものの、その徹底した警備にうんざり肩を落とすしかありませんでした。どうしても、中へは入れさせないということね。。。そうやって、私が何度も何度も広場侵入を試みようとしていた その頃、決して入場できない広場周辺に、ひとり、また一人とモスクワ市民が集まって来ました。これから、また何かが始まるということ?柵の向こうの広場全体を見渡すには、『赤の広場』は広すぎました。実際、この広場に立ったことがある人は、意外と狭い印象を持つことと思いますが、警官に囲まれ、思うように行動できなかった その時の私には、悔しいほど広く感じたのでした。それでも、少しでも広場の様子を伺おうと、私はグム百貨店へと入ります。百貨店の窓からなら、その全体像が見れるかも、と思ったのです。 ところが、ソヴィエト時代には十貨店と皮肉られていたその内部も、現在は 私では到底 手の届かない高価なブランドショップで埋め尽くされていました。しかも、肝心の広場に面したショップほど高級品を扱っており、私は窓辺に近付くどころか 店内に足を踏み入れることすらできません。悔しさを噛みしめながら 再び 外へ出てみると、すでに目の前には見物客でいっぱい。これから何が行われるというのだろう。。。ここで何かが始まることは確かでしたが、そんなことよりも、私ったらカフェ・プーシキンでの朝食の後、昼間のミネラルウォーター以外 な~んにも口にしていないわ!ってことに気が付きました。(笑)疲れもピークに達していましたし、もう一度 グム店内に戻り、カフェでいっぷく。この時 飲んだ、フレッシュなパイナップルジュースほど美味しく感じたものはありません。一瞬のうちに、緊張と疲れから私を解放してくれたのです。外のざわつきを一切感じることなく、しばしカフェで寛いでいたものの、「もう閉店ですから、、、。」との一言で席を立ちました。時計の針は、すでに午後8時半を回っていました。グム百貨店前の人だかりはいっそう大きく膨らんでいました。見れば、広場には軍人さんの集団が次から次へと登場してきます。鼓笛隊のような集団もありました。労働者らしくヘルメット頭の集団も見られます。その後をベレー帽姿の部隊が続きます。立派な軍服姿のエリート達も現れてきました。軍事パレード?ここにプーチン首相とメドベージェフ大統領が揃えば完璧だわ!!(笑)どう表現すればいいでしょうか。ソヴィエト連邦が崩壊して すでに20年。そのソヴィエトのまさかの復活のような物々しい場面が、今ここで展開されているのです。以前の日記にも書きましたが、この時、私は対独との戦勝記念日については全く知りませんでした。分かることは、第二次世界大戦に関する何らかの記念すべき行事であるということ。これが、(たぶん)戦勝記念の軍事パレードの予行演習だとは想像もできるはずがありません。戦車も姿を現しました。 ミサイルも登場です。『赤の広場』は、今や 一万人を超す軍関係者で溢れ返っております。まさか、私を歓迎してのパレードじゃあるまいし。。。( ̄▽  ̄)くぅ~~~。(><) これじゃぁ、私が 『赤の広場』に入る隙間もないじゃな~い。私が感じたところでは、軍事パレードは まだまだ延々と続くよう。暗くなる前には帰らなくちゃ、、、 一度にこれだけの軍人が 地下鉄へ押し寄せて来ては堪らない!(笑)物騒だけれど、異常に気になる広場を後にして、それでも まだ 『赤の広場』にこだわる心をなだめながら、午後9時半、私はその場を立ち去ることにしたのです。 *こちらは2005年、60周年記念式典の映像ですが、雰囲気だけでも伝わるでしょうか…。小泉元首相も、ほんの一瞬 映っております。^^ (You Tube)
2010.07.20

これが、5日後の戦勝記念日当日(5月9日)ならば、中国の胡錦濤国家主席やドイツのメルケル首相など各国首脳も来訪され、もっとピリピリとした空気に包まれていたことでしょう。さすがに その日だけは、クレムリンにおける一般観光客の入場は禁じられたのでは?、と思います。*ここクレムリンでは、世界一広大な面積を誇るロシアらしく、数々の「1番!」を見ることが出来ます。まず、こちらは1568年に鋳造された大砲で、口径 89cm、重さ40t の「大砲の皇帝」。当時は世界最大を誇っていました。実際に使用されることはなかったそうですが、近くで見ると かなりの迫力があります。そして、こちらが 重さ200tの「鐘の皇帝」。 高さ 約6m の世界最大の鐘です。1737年のクレムリン火災の消火の際、鋳造中だった この鐘は、かけられた水に冷やされ亀裂が入り、一部が欠けてしまいました。そのかけらだけで 11.5t もあるのだとか。。。(メインは男の子!・笑)この八角形の鐘楼は、16世紀初頭に建立されたもの。その名は、「イワン大帝の鐘楼」。81m の高さで、24個の鐘を持ち、17~19世紀 モスクワで最も高い建物でした。これ以上の高さのものを造らせなかった、と言う方が正しいでしょうか。 *様々な意味において ロシアの凄さを噛みしめながら、私はプラプラと クレムリン内の庭園を散歩しました。赤や黄色のチューリップの花達が、同じ背丈でちょうど見頃を迎えており、愛きょうある姿で揺れています。^^ここはロシアの中枢としてだけでなく、モスクワ市民の憩いの場でもあるのでしょうか。そういえば、、、数年前にロシアを旅した 親友M子がこんなことを言ってたっけ。。。今にもポツポツときそうな薄曇りの空を見上げながら、私はM子の言葉を思い出していました。「4年前はね、ロシア人達はまだ自由に慣れていなくて、自由を謳歌している僅か一握りの人達が、何だか特別に見えてたの。」「そうそう picchuちゃん、ロシアって国はね、国家をあげて行う行事の日は、お天気さえも操ってしまう国なのよ。空にミサイルを打ち上げて、雨雲さえも散らしてしまうんだって。中止とか延期とか、そういう考えははなっからないみたいよ。^^」そんな話を聞いた時、まさか そんなことまで…って半信半疑で聞いてたけれど、この国なら それもあり得るかも。まだまだ紆余曲折しながらも、すっかり自由に馴染んだ彼らは、これからどう歩んでいくのだろうか、、、。不思議な大国、あらゆる面で明らかに敵わぬ相手を前に、今後 日本はロシアに対してどう向き合っていくのだろうか、、、。ホントだぁ~、もうロシアに対する古い固定概念は捨てるべきよね~。ロシア政府だけを見るんじゃなくて、個人的に私もロシアの国と人を相手にお付き合いできたらどんなに勉強になるだろう。実はかなり面白い国と見た!(笑)この日のクレムリンでの昼下がり、独特の緊張感と、圧倒的な芸術の全てに酔ってしまった私は、昼食を取ることもすっかり忘れ、美しく咲くチューリップの花々を眺めながら、頭の中で まとまりのないことをグルグル思い巡らせておりました。あ、あの女性(ひと)、なんてスタイルがいいんでしょう。 思わず、パシャリ!(*^^*) * * * * * * *◆ちょっと気になる(?)今日のニュース◆[モスクワ 16日 ロイター]サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で勝敗予想を的中させ人気者となったドイツのタコ「パウル」が、ロシアの次期大統領を予想したことが分かった。16日付のコムソモリスカヤ・プラウダ紙によると、記者がドイツ西部オーバーハウゼンの水族館にいるパウルを訪れ、それぞれプーチン首相とメドベージェフ大統領の名前を書いた2枚の紙を見せたところ、パウルが一方を触手で指したという。ただ、その結果は大統領選挙が行われる2012年まで公表しないとしている。 ・・・ ほんまかいな。(笑)
2010.07.16

私は そこを訪れるまで、クレムリンといえば、、旧ソヴィエト政府の核をなした場所くらいにしか思っていませんでした。そして、ソヴィエト崩壊後も そのまま ここにロシア大統領官邸、大統領府が置かれている、と、まぁ その程度。(笑)ピピッ!!歩道を外れ、物珍しそうにウロチョロしている私を指さし、強面の警官が遠くから「ピピッ」と笛を鳴らしました。え? 私のこと???(汗)この日の観光客は比較的少なかったけれど、それでも多くの人の前で指をさされるのは結構 恥ずかしものです。警官の怪訝そうな顔つきも嫌な感じですし、、、。ここでは安易に行動してはならない、思う以上に緊張感漂う特別な場所なのです。まして今日(5月4日)は、メドベージェフ大統領もいらっしゃるようで、改めてロシアの中枢なんだ!と気付かされました。こちらが、その「大統領府」です。「ピピッ!」 ふふ。^^ 笛を鳴らされるのは、私だけじゃないみたい。* * *大聖堂を一通り観終わった私が、次に向かった先は、「武器庫」。名前こそ物騒な雰囲気がしますけど、ここに戦利品やロマノフ家の宝物が飽きるほど展示されているのだとか。エカテリーナ2世の戴冠式のドレスとか、歴代皇帝が戴冠式に使った「モノマフの王冠」、イヴァン雷帝の玉座に、宮廷馬車なども見たいよね~。そうそう、精緻な細工と仕掛けで有名な「インペリアル・イースター・エッグ」は必見よね~。胸をときめかせ、けれど もう歩道からは外れません!途中、どなたか要人を乗せた立派な車が、私のすぐ目の前を横切っていきましたが、どうせ プーチン首相ではないでしょうから、ふんっ!て感じで、無視してやりました。(笑)さて、武器庫らしき場所に到着です。武器庫は 毎日、決められた時間(10:00、12:00、14:30、16:30)の4回しか入場できません。確かな時間は覚えていませんが、たぶん12時少し前だったように思います。地下へと続く狭い石段を降りて行くと、入口付近に数人の観光客が待っていました。顔をあげると、セキュリティチェックをしているお兄さんが私に手招きをします。「この下にクロークがあるから、手荷物を預けて来るように!」「は~い。。。」 きっとカメラ類がダメなのでしょう。しぶしぶ階下に降り、クロークの前まで行くも、何だか気持ちが萎えてしまった私。面倒くさいな~。 結局 荷物を預けることなく、先程の検査場に戻りました。「預けて来るようにと言ったじゃないか!」 係員のお兄さん、眉間に皺が寄ってます。「う~~~。」 だって、信用できないんだもん!ほんの少し沈黙が続いた後、「まぁ、いいだろう。」と、そのお兄さんは許してくれました。けれど、今度は 傍にいたもう一人のお姉さんに、「手荷物を見せて!」と呼び止められます。「これは何?!」 キッと私を睨みつけます。鞄の中を覗くと、一番上にカメラ付き携帯電話が堂々と姿を見せているではありませんか!あち゛ゃ~。( ̄□ ̄;)!!慌てた私は、どう説明しようかとパニックになりながら、「これは、Japanese ・・・」「もう いいわ!」きっと私なんて相手にもされなかったということでしょう。 あっさり 中へと通してくれたのでした。^^*中に入ってみると、、、、、何かが違う!????真っ暗な部屋に 少し目が慣れてくると、楽しみにしていた宝物はそこにはなく、眩いばかりの金とダイヤモンドが「これでもか!」というくらい無限の輝きを放ちながら 並んでいました。もしや~?もしや、ここは「武器庫」ではなく「ダイヤモンド庫」~~~???後で知ったことですが、偶然 私が足を踏み入れたこの場所は、帝政ロシア時代の秘宝の山とも呼べましょうか!一生分のダイヤモンド運を使い果たしたかと思うほど、それはそれは目が眩むような宝石達で埋め尽くされていたのです。本来なら、セキュリティチェックもそう簡単ではなかったはず!カメラを没収されることなく、堂々と手荷物持参で容易に入場できた私は、かなり運が良かったのだと思います。「ダイヤモンド庫」は「武器庫」に併設されており、別途料金が必要とのこと。「武器庫」のチケットはトロイツカヤ塔のチケット売り場でも購入できますが、「ダイヤモンド庫」のチケットは、武器庫の入り口でしか購入できません。そして、実は カメラ・携帯電話・傘さえも持ち込み不可と書かれてありました。元来、私は宝石類には全く興味がありません。というのも、自分が宝石とは不釣り合いであることを百も承知だからです。そんな私が、ガラスにへばり付くようにダイヤモンドから目が離せず、息をするのも忘れて、輝きの中に吸いこまれていきました。この世のものとは思えない煌びやかさと誉れ高き美しさ、そして、これまで何人(なんびと)をも狂わせてきたであろう その妖しくも眩い魔性の輝き。これは本当に現実なのだろうか、、、。私はこれから、何を基準に生きていけばいいのだろうか、、、。全てを狂わせてさえ、それでもなお 魅せられるその輝き。何故に太古の昔から 人はこの輝きを追い求め、果ては全てを滅ぼすに至ったか、それを初めて感じられたように思います。 ここには、かの有名な『オルロフ・ダイヤ』もあります。世界で4番目に大きな そのダイヤ、ご存知の方も多いかと思いますが、あえて少しだけ説明を…。最初にこのダイヤを所有したのはムガール帝国の王子でした。当時は、500カラットもあったと言われる巨大ダイヤモンド!王子はそのダイヤをヒンドゥー教の寺院に寄贈し、「かの石に触れるものに災いあれ」と言い残したそうです。さて、時代は下り、あるフランス兵が そのダイヤを盗み出してから、王子の呪いの言葉通り、盗んだ者はもちろんのこと、それに関わる者を次々と不幸が襲います。すでに買い手がつかなくなった そんな不吉なダイヤを手にしたのが、エカテリーナ2世の愛人であったオルロフ公爵でした。オルロフは、疎遠になりつつあった彼女とよりを戻す為、これをプレゼントしたのだそうです。こうして、この美しき不吉なダイヤはロシアの地に招かれました。エカテリーナ2世は、190カラットのこのダイヤを愛用の王笏に取りつけて、大事に扱ったそうですが、オルロフの方は、結局 すでに用なしで、ポイされちゃったようですね。(苦笑)* * *ここで私の受容範囲を大きく上回ってしまいました。これ以上の宝物を一度に目にすることは、私の小さな頭と心では到底無理な話です。どうやっても、私の中にこれ以上のものを収める隙間はないでしょう。いや、無理やりに押し込めようとしてしまったら、この感動が「普通」の出会いになってしまう。ですから 私は、敢えて この先にある「武器庫」へ向かうことはしませんでした。
2010.07.12

雪景色なら、なお一層 美しいに違いない。クレムリンに入場し、共産党大会などに使用する為、ソヴィエト時代に建てられた直線的で現代的な建築物「クレムリン大会宮殿」を通り過ぎ、それとは対照的に、丸みを帯びた 歴史ある様々な寺院によって囲まれた「ソボールナヤ広場」に立った時、そのギャップと、その想像以上の美しさに言葉を失いました。眩しいネギ坊主の王冠をいくつも頭に戴いて、それら白亜の殿堂は、威厳に満ちた姿で私を出迎えてくれたのです。<十二使徒教会>では、ガイドブックを片手に、ほんの少しだけ ご案内致しましょう。^^<ウスペンスキー大聖堂 (1475~1479年)>ロシア正教の府主教会として、ここで歴代皇帝の戴冠式や総主教の任命式が行われていました。現在でも、ロシア連邦大統領就任式でロシア正教会による祝福が行われるそうです。<ブラゴヴェッシェンスキー大聖堂 (1484~1489年)>皇帝、皇后の私的な参拝、礼拝所として使用された聖堂であり、16世紀半ばの火災の後、イワン雷帝によって修復されました。雷帝との異称を持つイワン4世は、54年の生涯において、7回も結婚しました。(8回という説も)4度目の結婚の時、すでに教会での礼拝に参加する権利を失った雷帝のため、ここに専用の階段付き玄関が設置されたのだとか。^^;処刑や拷問が好きだった雷帝ではありますが、礼拝や巡礼を好んだ敬虔な一面もあったと言われています。<アルハンゲリスキー大聖堂 (1505~1509年)>ロシア全土を統一したイワン大帝の死を目前に、大聖堂兼皇帝廟として建設が開始されました。イコン画で覆われた薄暗く冷たいこの内部には、処狭しと多くの棺が並べられ、ここに歴代皇帝とその家族54名が安置されています。セルギエフ・ポサードの地下納骨堂と同じく、ここでも多くのロシア人達が胸に十字を切り、棺に口づけをしていました。新型インフルエンザ流行時には、ここは避けるべきかな、、、な~んて思ったりして。(笑)それでも、壁一面に描かれた 数々のイコン画の迫力と、沈黙を守り 堂々と横たわる歴代皇帝を前にして、人を惹きつける妖しくも美しいその魔力に、私もすっかり魅了されてしまったようです。国境を越え、時代を越えて、私は歴代皇帝に招かれたような錯覚に陥りました。不思議とここだけ時が止まり、ダリの描いた時計のように、ぐにゃぁ~~~と 過去も現在も未来も歪んだ形で入り混じっているような、このまま進めば霊界の入り口へと繋がっていくような、言葉では決して言い表せない 恐いほど静かで冷たい空気が私の肌を包ました。はっ! もしかして私の電話が鳴ってる?歴代皇帝の手招きにより霊界へ入る一歩手前で、私は現界に引き戻されました。バッグの底から携帯電話が鳴り続けていたのです。一瞬、出ようか出まいか迷いましたが、今回の旅行は職場に内緒のことですし、しかも ちょうど昨年度の決算期真っ只中であった為、もしも上司からの電話なら一大事だと、恐る恐る携帯を手にしました。国外では着信履歴が表示されない為、一体 誰からの電話か分からなかったのです。「はい。」「もしもし、、、もしもし?」 電話の向こうから小さな声がひたすら「もしもし」を繰り返しています。「もしもし。」私も答えます。「もしもし? もしもし?」電波は届いているものの、その声はとても遠くて お互い言葉が通じません。「もし、、、」 プツッ。 ツーツー・・・。切れちゃったから、まぁ いっか・・・。ですが、やっぱり気になって、アルハンゲリスキー大聖堂を出て、聖堂の石段に腰をおろし、家に電話を掛けてみました。「あら、どうしたの?」と母。「何か変わったことない? 私に電話とか なかった?」「ええ、今のところ 変わったことはないわよ。」「あっそ。 なら、いいの。 じゃぁね。」安心した私は、とにかく手短に、少しでも早く電話を切りました。というのも、通話料の高さを恐れた為。(笑)「あの電話はモスクワのクレムリンからだったのよ!」帰国後、少々 鼻息を荒くしながら、母に自慢(?)しました。^^そして、先日 au から請求明細書が届きました。受信した「もしもし」を3回と、私から掛けた電話の僅か30秒。これだけで、450円も掛かるんですねぇ~。(T_T)高くついたその電話、ですが 私を霊界から連れ戻してくれたのも事実です。(笑) * * * * * * *こちらは2007年に東京と大阪で開催された「ロシア皇帝の至宝展」から拝借しました、ウスペンスキー大聖堂内の写真です。
2010.07.08

かつて偉大な軍人であっただろう その団体は、クレムリン内にある「無名戦士の墓」に敬意を示し、祈りを捧げていました。もちろん、その様子を遠くから眺めることで精いっぱい、近付くことは絶対に許されません。やはり第二次世界大戦に関する行事が行われているのだ、、、悲しくも、分かることはそれだけでした。ここには、対独戦におけるモスクワの防衛戦で散っていった多くの無名戦士が祀られているのです。墓標には、「あなたの名前は知られていないが、あなたの偉業は不死身である。」そう刻まれているそうです。「1941 - 母国の為に倒れた人達へ - 1945」*こちらは、モスクワ・クレムリンではなく、セルギエフ・ポサードの無名戦士の墓。きっとロシアのあちこちで、このような記念墓地を見かけることがあるでしょう。 写真右手前に写っているのは、月桂樹の枝を表現した聖火台。広島の平和公園で燃え続けている平和の灯とは、その意味だけでなく 漂う空気からして全く違います。無名戦士の墓から、多くの元軍人さんらが現役兵を先頭に出て来ました。テレビ局の取材は続きます。もしかしたら、興味津々な表情で その周りをしつこくウロついていた私の姿は、カットされることがなければ、その日のモスクワのニュースに流れていたかもしれません。(笑)「まさか、クレムリンにも入れないってことはないわよね?」私と同じように、この様子をずっと見つめていた 大学生と思われる一人の男の子に声を掛けました。「いや、たぶん今日は入れないと思うよ。」 その白い肌が、一層 彼をクールに見せます。「え゛~~~! なんで、なんでぇぇぇ~?! o(T□T)o」「なんでって、今日は・・・・・。」ゴォ~~~! 背後から響く騒音に、彼の言葉は掻き消されました。何、何、なんなのよぉ~!!(><)振り向くと、超低空飛行で戦闘機が頭をかすめていきました。今度は何~???何十機もの飛行機が、次から次へと赤の広場の方角へ、建物すれすれで飛んで行くのです。その向こうの様子は全く見えませんので、その戦闘機がどこまで飛んでいったのかは不明です。過去に、山口県岩国市の米軍基地でも航空ショーを見たことがありますが、そんなもの全く比にもならない大規模な演出。まして、市内中心部をこれほど低く飛ぶなんて、どれほどの腕前のパイロットでありましょう!はっ! 写真 撮らなくちゃ!時はすでに遅し、、、ぽか~んと しばらく呆気にとられていたせいで、数えきれない戦闘機が何度も何度も頭上を通り過ぎたにも関わらず、こんなお粗末なものしか撮れなくて、非常に残念です。(T_T)はぁ~、凄かった。いやはや、今にも戦闘機に足元から掬われるのかと思ったわ。凄いよ!凄いよ! 戦争はいけないことだけど、これは正にショーだ、芸術だ!と高鳴る胸を鎮めることにやっとでした。(笑)クレムリン、もしも休みでもいいじゃない! 赤の広場がなんだっていうの!改めて出直したらいいじゃない!なんだか気分がすっとして、なるようにしかならないわ!って、呆気らかんと微笑む余裕の私がそこにいました。 目の前に広がる 美しいモスクワの今を感じよう!こんなにも、モスクワは今 輝いてる! この場所に立てたことが大切なのであって、この空気を吸うことが素晴らしいのであって、それが私の旅の原点なのだと気付きました。「もしかして、今日 開いてます?」観光客にとってクレムリンへの唯一の入場門、トロイツカヤ塔の傍にあるチケット売り場で尋ねてみました。「ええ、開いてますよ。」小さなこだわりを捨てたら、意外と物事は上手く流れるのかもしれませんね。^^ 気分もすっかり転換され、清々しくクレムリンへと向かいます。さぁ、ここがロシアの中枢、ロシアの全てを司る場所。なんだか訳も分からず、ロシア万歳という気分でした。(笑)*今の世界情勢を考えて、冷静さを取り戻せば、こんな私の気持ちはちょっと危ないかも~って思いますけど、、、。^^;そして、緊張と高揚をうまく操り、気持ちを高めさせる空気づくりも怖いほど上手です。
2010.07.04
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