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「27日夜、来月9日の対ドイツ戦勝記念日に行われるロシアの軍事パレードの予行演習が行われた。」これは4月28日付けの産経新聞の記事によるものですが、どうも予行演習は27日だけではなかったのでは、、、???と思われます。* * * * * * * 明けて5月4日。カフェ・プーシキンでゆったりと朝食を取った後、私は「赤の広場」を目指しました。さすがはモスクワの中心たる場所です。その日は平日にも関わらず、多くの人々が慌しく交差していました。この先に「赤の広場」があり、そしてお馴染み「聖ワシーリー寺院」が見えてくるはず!高鳴る鼓動を感じながら、「国立歴史博物館」を背に堂々と立つ銅像を見上げました。 これ誰?無知な私は、一瞬 レーニンかスターリンだろう、と思いましたが、そんなわけはありません。(^^;こちらは、ソヴィエト時代の軍人及び政治家であった「ゲオルギー・ジューコフ」という人物です。第二次世界大戦において活躍し、その後も政治に大きく関与した彼は、ソヴィエトで最も人気の政治家の一人であったようです。1945年の対独戦勝パレードにおいて、ジューコフは行進する将兵を馬上より閲兵する栄誉を与えられました。当初、スターリン自ら閲兵を行なうつもりだったようですが、リハーサルで馬から振り落とされ、ジューコフを呼んでこの役を譲ったのだとか。(笑)ちなみに、ソ連軍の北海道上陸作戦に反対してくれたのもジューコフでした。実は1945年8月22日の時点まで、北海道上陸作戦の準備がされていた、、、ということを、私は今回 初めて知りました。像の前では、胸に数えきれないほどの勲章をぶらさげた軍人らしき人物を真ん中に、記念撮影が行われていました。またかぁ…。 まず、私はそう思いました。例えば、ローマの"コロッセオ"やブダペストの"漁夫の砦"などのように、コスチュームに身を包んだ人物達と 観光の記念に写真を撮っているのだろう、、、てっきりそう思ったのです。もちろん、写真の後はお支払いが待っています。(笑)軍人というのがロシアらしいなぁ~、、、根拠もなくそう思いました。そんな人の輪を潜りながら、「赤の広場」に入るべく、私は勇み足で歩を進めました。「ダメです、入れません!(キッパリ!)」目の前に立つ軍服姿の美女が、手でバツを描きました。え~~~??? どうして~???ニヤッとした表情を浮かべ、首を横に振る軍服の美女。「入れません!」そこで私は、博物館を挟んで反対側のヴァスクレセンスキー門から入ることを試みました。え゛~~~????!(ToT)大きな門扉によって、そちらも固く閉ざされておりました。鉄格子の向こうに、小さく聖ワシーリー寺院が見え、、、、そうで、よく見えない!(><)お願いだぁ~、入らせてくれぇぇぇ~!! o(T□T)oはるばるモスクワまで来て、「赤の広場」に入れないなんてぇ~!!!楽しみにしていた聖ワシーリー寺院を間近で見れないなんてぇ~~~!!!うそでしょう!! これじゃぁ、何の為にモスクワまで来たというのか…。(><。)。。私は囚人のごとく、その非情な門扉を何度も何度も揺すりました。(苦笑)他の観光客も、恨めしそうに門の向こうの「赤の広場」を見つめます。きっと私と同じ気持ちなのでしょう。。。近くでマトリョーシカを売る露店のお姉さんに尋ねてみました。「今日は赤の広場に入れないの? 何時になったら入れるの?」「残念ねぇ~、今日は入れないのよ。 今日だけじゃなくて、毎日ダメね。」うそつきっ! 毎日「赤の広場」に入れないなんて、そんな馬鹿げたことがあるものですか!ところが、嘘ではなかったんですよね~。。。その時はそう思ったのですが、いつになく気合の入った戦勝65周年記念式典を前に、事実 モスクワの至るところに「偉大な勝利」などと書かれた無数の巨大看板や垂れ幕が掲げられ、記念日の数週間前から、市の中心部では幾度と通行止めやリハーサルが繰り返されていたそうです。なんでなのよ~、誰かきちんと教えてちょ~だぁ~い!!(T□T)/半べそかきつつ、もう一度 ジューコフ像の前に戻りました。すると、胸に沢山の勲章をさげた人物達が、わんさと集まっているではありませんか?TV局の取材に応えている模様です。え? 観光記念ではなかったの???んんん~?冷静に辺りを見回すと、そこらじゅうに「65」の数字と、「1945 - 2010」と記された幕が、、、。そこには戦争を思わせる写真が何枚も連なっていました。1945、、、これは第二次世界大戦における何らかの行事に違いない。しかし、その時、、、、、世界史を全く知らない私では、それが対独戦の戦勝記念だとは全く想像もできませんでした。とにかく、目の前に並ぶ老齢の彼らは、戦争において国に貢献した人物ということなんだ。ということは、意外な有名人もこの中にいるかもしれない???誰か詳しく日本語で説明してくれぇ~~~!!!(><)完全に壊れてしまったpicchukoです。(笑)* * *有名人がいるかも~~~と思って撮った写真です。 って、誰ですか?この人達?(笑)
2010.06.30

さて、随分と話が逸れてしまいましたが、5月3日、セルギエフ・ポサードよりモスクワへ戻った私は、遅めの昼食を取りに レストラン「グラブリ」を訪れました。そこは200種類以上ものメニューが、バイキング形式で並ぶカジュアルレストラン。お味はモスクワ市長のお墨付きというだけあって、どれもこれもハズレなし。美味しそうな品々とあまりの空腹に、思わず沢山 取り過ぎてしまった私は、ここで予想以上に時間を費やしてしまいました。その後、一旦 荷物を置きに イズマイロボホテルまで戻り、さて、これからどうしよう、、、。机の上に置かれた小さな古い扇風機をカタカタ回しながら、ガイドブックをペラペラめくりました。『モスクワ川クルーズ』そうだった、そうだった!市内を湾曲して流れるモスクワ川からの風景は、また違ったモスクワの魅力を教えてくれると、以前 ロシア語講座で紹介されていたのでした。市内には何箇所か水上バスの停泊所があり、20~30分間隔で運航されるという便利さ。"雀が丘船着き場からウスチンスキー橋付近がベストコース"ということで、まずは地下鉄で雀が丘船着き場の最寄り駅「ヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅」を目指しました。余談ですが、この駅は3月末にモスクワ地下鉄テロが発生した「パルク・クリトゥーリ駅」から3つ目の駅です。ヴァラビヨーヴィ・ゴールィ駅に20時頃到着しました。小雨の中、行き交う船を眺めながら、もしやあれが最終バスかも、、、と不安になってきました。 どうかまだ間に合いますように。。。「これ、クレムリンまで行きます?」「ええ、行くわよ。料金は400ルーブルね。」 慌てて駆け込んだ船が、実は水上バスではなく、モスクワの夜景を楽しむ遊覧船だと気付いたのは、デッキに立つ私にメニューが配られてからのことです。21時過ぎに船は出航しました。 静かに優しく滑るように船は進みます。段々と街に灯りが灯ってきました。40分程進んだ頃、左手に「救世主キリスト大聖堂」が見えてきました。こちらもロシア正教会の中心地のひとつです。 河岸に建つこの大聖堂は、祖国戦争(ナポレオンによるロシア遠征)の戦没者を慰霊するために、計画から44年もの年月を経て、1833年に完成しました。といっても、現在の大聖堂はソ連崩壊後の1997年に新生ロシアの象徴として、当時の姿を忠実に再現したもの。当初の建物は、1913年にスターリンによって爆破されたからです。それは、この地にソヴィエト宮殿を建設しようというスターリンの思惑からなのですが、結局は、大聖堂跡地から地下水が吹き出し、宮殿建設は頓挫することになりました。人々は、この地下水をキリストの涙だと噂したのだそうです。その後 再建までの間は、巨大な温水プールがこの場所にあったのだとか。。。船の中では、激しいダンスミュージックが流されていました。ギラギラ眩しく、赤や緑のライトが回ります。けれど私はこの白亜の建物を目の前にして、不思議と切なく胸が締め付けられ、思わず涙がこぼれそうになりました。夜に浮かぶ大聖堂は威厳に満ち、そして哀しい歴史をそのまま物語ってくれています。そして、そのうち見えてくるのが、ロシアの中枢「クレムリン」! その先には、ぼぉっと聖ワシーリー聖堂も見えて来ました。明日、その場所に立つ! それはまるで戦いを挑むように、先ほどの切なさを吹き飛ばし、熱い思いが湧きあがってきました。そろそろ降ろしてくれるのかな~。クレムリンが遥か後ろに遠ざかっていきます。私、赤の広場で降ろしてもらいたいんだけど…。船は進みます。 停まる様子はこれっぽっちもありません。あれれ?すると 目の前には、スターリン・ゴシック様式(スターリン時代、威厳を強調した象徴性の強いモニュメントとして、国家に承認された建築様式)の一つである「芸術家アパート」が聳える姿が見えてきました。スターリンは、モスクワを"世界の規範的な首都"にするべく、このような荘厳な高層ビルを市内に 7つ建てたのです。 私はネギ坊主頭の方が好きだなぁ~。そんなことを思いながら、どこが停泊所なのだろう、、、と探しておりました。* * *ところが、船はこの芸術家アパートの手前にあるウスチンスキー橋を潜ってUターンし、そのままどこにも停まることなく、もと来た川をもう一度 下って行くのです。うそっ! このまま戻るの?その時、時計の針は すでに午後10時を回っていました。ということは、雀が丘の船着き場に着く頃には23時を優に過ぎることでしょう。え゛~! そこからホテルまでは随分と遠いのにぃ~!!(><)そんな夜遅くに地下鉄に乗らなければならないなんて、、、。予想外の出来事に少々焦りました。 やはり夜中の地下鉄はダメでしょう、ダメでしょう。。。それから残りのクルーズは、その後のことで頭がいっぱい。 感傷に浸る場合ではありません。夜中に地下鉄はどう考えてもダメでしょう。ですが、地下鉄を使う以外、ホテルに帰る術は他にないのです。(><)「どう? 十分に楽しめた?」ちょっぴり素敵なスタッフのお兄さんの言葉もいいかげんに、船が岸に着くや否や、私は急いで飛び降りました。船着き場から地下鉄駅までの道のりだって真っ暗です。ところどころに釣りをしている男性を見かけました。 それが余計に恐い!小走りで駅に向かい、地下鉄駅に到着するも、やはりホームには私一人だけで、、、。あぁ、ホテルへは途中で路線を乗り換えなければならないのだった、、、。ここで乗り間違えだなんて、ホント洒落にもなりません。 最終時刻も迫っているのですから。*焦る心を抑えながら、無事に真夜中の地下鉄を乗りこなし、ホテルに着いたのは、もうすぐ次の日を迎える午後11時50分のことでした。
2010.06.26

たぶん、背伸びしたい年頃だったのだと思うのです。高校生だった私は、学校の図書室で一冊の詩集を手にしました。『プーシキン詩集(岩波文庫)』和訳のどことなく古めかしい響きと、独特の侘しい空気感が、センチメンタルな気分に浸りたい年頃の私の心に居心地の良さを感じさせたのだと思います。詩集に興味を持ったのは母の影響からです。「母さんね、高校時代は よく授業中に先生の目を盗んで、色んな詩集を書き写してたのよ。たとえば、ゲーテとかハイネとか、そうそうヘッセも好きだった、、、。」当時、私の周りでは銀色夏生さんの詩が結構 人気だったと思います。ですが、たぶん その頃から天邪鬼だった私には、それではどこか物足りなく、だからといってゲーテやハイネでは何かしら違ったのです。プーシキン、、、ちょっと変わった名前よねぇ~。ロシア人とも知らず、しかもゲーテに引けをとらない偉大な詩人だとも思わず、ただ その白く広大な大地を思わせる うら悲しい世界を開くことが好きでした。プーシキンがどこの国のいつの時代の人かなんて、そんなことはどうでもよかったのです。図書室の貸し出しカードには、『プーシキン詩集』だけ私の名前で大賑わい。(笑)それは国語の先生にも目に留まるほどの羅列でした。*彼がロシア人だったとは、一昨年の秋、ツルゲーネフの『はつ恋』を読んで気付きました。そして、実はロシアを代表するほど有名な人物だったとは、今回 モスクワを訪れたことによって初めて知りました。というのも、ドストエフスキーが「我々は皆、プーシキンから出た、彼の末裔である。」と表現するほど、ロシア人にとって偉大なる詩人であり劇作家だったのです。帰国後 調べてみると、「はじめて作品のなかに積極的に口語を取り入れ、独自の語りの文体を作り上げて近代文章語を確立し、後代のロシア文学に影響を与えた。」とWikipediaにあるように、古典的なロシア詩の詩作規準を確立し、ヨーロッパ文学の模倣にすぎなかったロシア文学を真に国民的な文学に高めたのだとか。だから、トルストイやツルゲーネフといった日本でも有名な作家達の作品の至るところに、プーシキンの詩が引用されているのですね。また 彼の死後、その多くの作品が、ロシアの作曲家によってオペラ化されたそうです。*それほどロシアの文学界に影響を与えたプーシキンの肖像画が、「トレチャコフ美術館」にもありました。数あるプーシキンの肖像画の中で、プーシキン自身がとても気に入り、後に買い取ったという、オレスト・ギプレンスキー作 『詩人プーシキンの肖像画』 は、美術館の多々ある作品の中でも なぜかしら目を引く一枚です。 「まるで鏡の中の自分を見ているようだ。」 そんなプーシキンの言葉ではありませんが、「まるで生きたプーシキンが、ちょっぴり気取ったポーズで目の前に座っている」そんな感じかな。^^口を開けば、今にも素敵な詩の一節でも飛び出してきそうな、ごく自然のプーシキンがそこに存在していました。ちょっと色黒なところと、クルクルと巻いた髪の毛は、エチオピア人だった彼の曾祖父さんの血筋でしょうか。ロシア近代文学の父に、実はアフリカの血が流れているっていうのも面白いですよね。そして、若くして決闘によって 儚くもその生涯に幕を下ろしたところなど、まさに劇作家を地で行くような情熱的な人。それでも素朴さを忘れない、そんな彼の一瞬の表情が この絵に現れているようで、もの凄く親しみやすさを感じました。私もこの絵、大好きです。^^*彼の作品の持つ、本来の美しい韻の響きや表現力の巧みさは、原語でなければ掴み取れないといいます。ロシアではこれほど有名な彼の作品が、世界に殆ど影響を残さなかったのは、まさにその翻訳が非常に難しいからだと言われています。ということは、やはりそこにもロシア語という大きな壁が、、、。(T_T)プーシキンとの再会は、私にとって ロシア語との新たな出会いになりそうです?!って、それは絶対にあり得ませんけど。。。(苦笑)
2010.06.22

「たとえば このわたしが決闘を申し込んだとしよう」そんな独りごとを続けながら、決闘申し込みの後で過ごす一晩のこと、自分に向けられるピストルのことをありありと思い浮かべたカレーニンは、ぎくりと身を震わせて、自分がけっして そんなまねをしないだろうと悟ったのだった。 『アンナ・カレーニナ(光文社 古典新訳文庫)』 第2巻 P.117これは、アンナによって、ヴロンスキーとの関係を打ち明けられた夫 カレーニンが、その後 どう振る舞うべきかを思い悩んでいる場面を抜き出したものです。「仮にわたしがあの男に決闘を申し込んだとしよう。そうして決闘の作法を教わり」彼は考えを進めた。「決闘の場に立たされて、引き金を引き」 彼は目をつぶりながら そう自分に語った。「そして相手を殺したとしよう」・・・文中において、カレーニンは次のように繰り返します。「間違いなく わが国の社会はいまだにひどく野蛮だから、決闘を好意的に見る人間はきわめて多数にのぼる。だが決闘をして どんな結果が得られるというのだ? たとえば このわたしが決闘を申し込んだとしよう・・・」* 事実、ロシアには、このように愛人との「決闘」において尊い命を失った文学者がいるのです。その名は、アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン。ロシア近代文学の祖とも言われる、国民的詩人です。それは、美貌の妻 ナターリアがニコライ1世の愛人であるかのような噂を流されたのがきっかけでした。噂を流したのはオランダ大使のヘッケルン男爵。その養子であり、ナターリアに執拗に言い寄っていたフランス人のダンテスにプーシキンが決闘を申し込んだのは1837年のこと。夕闇が迫る中、銃弾を浴びた詩人は、2日後 自宅の書斎で静かに息を引き取ったそうです。僅か37歳という若さで。 * * * * * * *ロシア文学と聞けば 少し重苦しく感じてしまいがちですが、それを手にする場所を選べば、それは趣きある魅力ある世界へと様変わりします。そんな素敵な場所をご紹介致しましょう。それは、前述のプーシキンにちなんだ高級レストラン「カフェ・プーシキン」です。彼の生誕200年を記念して、1999年にオープンしました。プーシキン広場から徒歩2分程度で、ピンク色した可愛らしい外観が見えてきます。 入口にはドアマンが立っており、二重扉の向こうには、さりげなくドアを引く 若く洗練されたボーイの姿がありました。店内は帝政ロシア時代を彷彿させる重厚な内装で、背後には誰もが知るクラシックのピアノ小曲が流されており、なんとも言えぬいい雰囲気。そうそう、3階にはオーナーのコレクションである古書を陳列した書棚があるのだとか。そちらは正午以降でないと入れないということでしたので、朝食に訪ねた私は1階の窓際の席に腰を降ろしました。落ち着いた気品ある趣きは、私がこれまで訪れたカフェ&レストランの中では最高級。とりわけ人数(ひとかず)の少ない時間帯でしたので、まるでその空間を一人占めしている気分です。^^古新聞をモチーフにしたメニューには、軽く朝食といっても 選びきれないほどの料理が並びます。さすがはモスクワを代表するレストランだけあって、お値段もかなり高めです。カプチーノとパンケーキ、、、あ、パイナップルジュースも頼みましたっけ、、、それだけで945ルーブルもしました。1ルーブルを単純に4円と計算して、田舎者の私にはちょっとビックリなお値段ですよね。カプチーノにはプーシキンの頭文字が書かれており、小さなマカロンが付いてきます。 そして、こちらは 簡単に言えば「目玉焼き」!(笑)玉子の上にジャガイモ、トマト、マッシュルームなどが乗せられて、それをぐるっとソーセージで囲んでいます。 お味の方は、どれもこれも見た目以上に美味でした!あまりにも素敵な場所でしたので、僅かなモスクワ滞在中、二度ほど足を運びました。モスクワに住んでいるのなら、毎日でも通いたいくらい、そんな私好みの優雅な時間が流れています。それは、ウィーンの高級カフェでさえ味わうことができなかった至極の時間。いつの日か「プーシキン詩集」片手に、もう一度 この場所を訪ねる私がいるでしょう。
2010.06.18

不覚にも、風邪をひいてしまいました。暑いのに寒い、喉の痛みと鼻水に苦しめられ、そして気付くのです。あぁ、私は毎年 この時期になると、必ずといっていいほど 風邪をひいてるなって。先日、沢山の本を買い込んでしまいました。それも"ロシア"に関するものばかり、、、書店の方も驚くほどのその量は、買った本人である私をも途方に暮れさせているのです。(笑)今年の3月から読み始めた 『アンナ・カレーニナ』 を未だ全巻読破できていない状態で、この積み上げられた本をどうするのか。読む気は十分にあるものの、微熱でじわじわ溶けてしまいそうな私の身体がブレーキをかけているこの頃です。* * * * * * *正直、『アンナ・カレーニナ』 という本は、単なる不倫話だと高をくくっておりました。ソフィー・マルソー主演の映画を観た後でさえ、その美しさは絶賛しつつも、まだその奥に無限に広がるドラマを感じ取ることができませんでした。ところが、実際に単行本を手にしてみると、これを熟読できれば 当時のロシア全てを語れるほどのものがぎっしり詰まっているのではないだろうか、、、と驚きに近いものを感じました。ご存知、トルストイの代表作 『アンナ・カレーニナ』 は、人妻であるアンナと青年将校ヴロンスキーとの不倫愛、そして 地主貴族であるリョービンと公爵家の末娘キティとの穏やかな愛を交互に描き進んでいきます。確かに、人妻ゆえに醸し出す媚態のアンナが次第に余裕を失い、自分を失い、壊れていく様は物語の主軸になるのかもしれませんが、まるで自身の語り部のように綴られたリョービンの堅実さによって、ややもすれば浮足立ちそうな話の流れをしっかりと固め、アンナとは対照的にさえ思えるキティの健気な明るさが、長い冬の雲間から射し込む柔らかな光のように読む者をひととき救ってくれます。そして、リョービンの目を通して 自身が体験した当時のロシアにおける農地経営、そして 革命へと向かうロシア社会の様々な側面の描きようは、歴史を知る上でも非常に勉強になるものです。と偉そうに言いつつも、未だ4巻中3巻の半ばをウロウロしている私に、この物語の続きは、もっと激しく強烈な印象を叩きつけてくれることでしょう。(^^;なんてったって、かのドストエフスキーに「文学作品として完璧なものである。現代ヨーロッパ文学のなかには比肩するものがない」と言わしめさせた作品なのですから…!あ、個人的には、リョービンとキティがお互いの思いを確認し合う場面が一番好きです。^^* * *自分には到底及ばないと思っていたロシア文学の面白さが感じられるようになったこれを機に、思い切って 同じくトルストイの代表作である 『復活』 を購入しました。それは、若い貴族とかつて恋人だった女の贖罪と魂の救済を描き、それを通じて社会の偽善を告発するといったもので、帝政ロシアにおける裁判、教会、行政などの不合理を大胆に摘発し、権力の非人間的行為へ激しく抗議したトルストイの力作です。その 『復活』 の中で、「聖書を勝手に解釈したり正教を冒涜した」として、トルストイはロシア正教会から破門の宣告を受け、現在に至るまでその破門は取り消されていないのだとか。せっかくの縁でロシア正教との繋がりを得た今の私にとって、そこのところが最も興味深いです。* * *そして、もう一冊をご紹介。それは、ジェイ・パリーニ(米国人)作、『終着駅 ~トルストイの死の謎~』 です。こちらも すでに映画化されており、この秋に日本でも公開されます。*「うさぎの春子さん」、貴重な情報をありがとうございました!(*^^*)主演は、映画 『クイーン』 でエリザベス女王を演じた ヘレン・ミレン。世界三大悪妻とされるトルストイの妻ソフィヤが、彼女によってどう映し出されているのか、、、。また、トルストイ役に クリストファー・プラマー。こちらは、映画『サウンド・オブ・ミュージック』 のトラップ大佐でお馴染みですよね。^^~ 1910年11月、トルストイは旅の途次、寒村の駅長官舎で息絶えた。82歳の文豪を流浪へと駆りたてたものは何だったのか。最晩年の謎にみちた日々を、トルストイ夫妻、娘、高弟、秘書、主治医、それぞれの視点から浮かびあがらせる。回想のなかで明かされる、放蕩無頼の青春時代、情愛あふれる新婚の日々…高まる名声とともに信奉者が集いはじめると、作家と妻ソフィヤのあいだに断絶が生まれ、それは死の際までトルストイを苛みつづけた。実在する多くの記録をもとに、ありうべき手記を創作し、新しい文学の誕生を告げるドキュメント・ノヴェルの傑作。 ~次回はそんなロシア文学の似合う、モスクワの素敵なカフェ&レストランをご紹介致します。^^
2010.06.14

まずはじめに、前回の日記を訂正致します。セルギエフ・ポサードで2010年5月3日に行われた行事とは、正教における「主の昇天日」に関するものではなく、第14代総主教・ピーメン1世(在位:1971年6月3日~1990年5月3日)がお亡くなりになって20年目の儀式だったようです。その追悼の儀式は現(第16代)・総主教をはじめ、ロシア正教の多くの大主教達 列席のもと行われました。(納骨堂入口にて)ピーメン1世の棺は、修道院内にあるウスペンスキー大聖堂の地下納骨堂にあります。あの日、地下納骨堂の狭い入口を目指して、一斉に信徒の渦が押し寄せました。私のちょうど目の前にはかなり高齢であろうお婆さんがいらっしゃって、その渦に巻かれたら間違いなく転倒してしまう。その時の私は、熱狂的な信徒達からお婆さんを守るため、できる限り彼女の後ろに立って、それを防ぐのに必死でした。なんなんだ!この狂った人々は!!!今なら、何故に信徒達が狂人のごとく 納骨堂を目指したのか、なんとなくですが 理解することができそうです。 * * * * * * * 先ほど、ブログ仲間の「とらのこどもさん」が面白いお話を教えてくださったので、ここに紹介致します。2009年1月22日付け、JBpress(日本ビジネスプラス)の記事です。「2008年12月5日にロシア正教会総主教・アレクシー2世が亡くなった。後継者は今年(2009年)1月27日から29日まで開催される全国教会総会において、秘密投票で選ばれる。即位式は2月1日に行われる予定だ。秘密投票は2回行われる。だが、その結果はもう明らかである。次期総主教になるのは、12月6日から総主教代行になったキリル大主教だろう。その確率はほぼ100%と言ってもよい。誰もがそう思っていた。ロシア正教の規約では、総主教の選挙はできるだけ一般のロシア正教徒に参加してもらうことが望ましいとしている。今回は時代の流れに沿って、ウェブで投票をやろうということになった。ロシア教会だけではなく他の教会も、教会を宣伝し、若くて新しい信者を引き集めるためにネットを積極的に使っている。ロシア正教会は、ロシア総主教の選挙に当たって特別のサイトを設置した。そのサイトには、次期総主教の資格がある34名の大主教と77名の府主教の候補の写真が載っている。写真の下のボタンをクリックすると、その候補に1票が入るという仕組みだ。要するにネット上の人気投票である。最初は予想通り、キリル大主教がリードしていた。しかし1月13日に突然、候補者の列のはるか後方に掲載されていた東京の大主教、ダニイル主代郁夫(ぬしろ・いくお)が77%以上を集め、キリル候補の人気をはるかに上回って、トップになってしまったのである。ダニイルは日本教会を代表する主教だ。ロシア正教会では大騒ぎになり、サイトの管理者はダニイル大主教の写真の下に「投票数を恣意的に上げるハッカー攻撃があった」と書き付けた。15日までにダニイル大主教への投票をマニュアルで削除したりしていたが、また大量の投票があり、70%台へと支持率が上がってきた。そこで16日にはダニイル候補の支持率を削除し、票数だけを残して掲載した。同時に、キリル候補の支持率は、一気に10倍の58%(1万5269票)へと押し上げられた(修正された)。しかし、ダニイル候補の獲得票数は2万3799票と、キリル候補を追い越したままだった。ダニイル大主教の写真は削除されないだろう。その必要はない。必要なのは、ロシア文化の中核をなすロシア正教の総主教選挙で、どうして日本人候補の人気が突出して高いのかを解明することである。ただのいたずらなのか、その背景には何かが隠れているのか。現実的には日本人がロシア正教総主教になるのは夢のような話であり、まずあり得ない。だが、理論的には可能であり、可能性がまったくのゼロとは言えない。ロシア正教の決まりによると、総主教になれる候補は、神学大学を卒業していること、教会の教主(大主教または府主教)であり、教区経営経験があり、40歳以上であること、とされている。人種の規定はない。ダニイル大主教はこれらの条件を完璧に満たす候補であり、日本でもロシアでも、信者を含めて教会関係者からの評判は高い。ただし、1月13日まで、彼のことを知っていたロシア人は多くはなかった。この事件を解明しようとするロシアのマスコミは、"若い日本アニメのファンがロシアに大勢いることが原因だ" と主張している。毎日、ネットサーフィンしている彼らが東京のダニイル大主教の写真を見つけ、こぞって票を入れたのだろうという分析だ。」これにはロシア正教会も大慌てしたでしょうね~。(^m^)ですが、日本人を総主教に就けることは、ロシア正教会の名誉に掛けても譲れなかったことでしょう。ローマ教皇を決めるカトリックの「コンクラーヴェ」もそうですが、トップの座を選出するのには、いつも何かしらあるのでしょうね。*とらのこどもさん、とても興味深いお話をどうもありがとうございました。^^
2010.06.10

2010年5月3日。この日、ロシア正教における特別な日であったに違いありません。お恥ずかしいことに、私はロシアを訪れるその日まで、正教がキリスト教であることすら知りませんでした。壁に描かれたイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)のイコン(聖像)を見て、「そうだったのか!」と知る始末。(苦笑)正教会において、西方教会諸派における復活祭(イースター)に当たるものが「復活大祭(パスハ)」であり、それが正教会最大の祝祭日であること、その他 降誕祭(クリスマス)など、十二大祭が行われること、現行の太陽暦・グレゴリオ暦ではなく ユリウス歴を用いる為、西方の教会とは祝祭日が異なることが多いなど、少なくとも基本中の基本は勉強してくるのだった、、、と、後悔しても後の祭りです。これまで西側諸国において数々の大聖堂へ足を運んだにも関わらず、キリスト教であることさえ知らなかったロシア正教会で、この上なくその無知加減を腹立たしく感じ、これまでになくキリスト教の重みを肌に感じました。総主教・キリル1世の掛け声に合わせ、大声で唱える信徒達。日曜日でもないのに、一体何の騒ぎなの?信徒達は一体、何と唱えてるの?なぜ、総主教が現れたの?帰国後 色々調べてみて、"たぶん" その日は復活大祭から40日目にあたる『主の昇天祭』の関連行事だったのではないか、、、と分かってきました。それは十二大祭のひとつであり、正教会ではこの日をもって復活祭期の終わりとするため、教会暦上の大きな節目のひとつでもあると書かれてあります。また 信徒達の掛け声は、復活祭期の間に主教と信徒、又は信徒同士で交わす挨拶「ハリストス復活!」「実に復活!」であったと想像できます。*キリル1世は、まず金色屋根のトロイツキー聖堂にて祈りを捧げ、その次に向かった先がウスペンスキー大聖堂の地下。この地下納骨所には、20世紀における何人かのロシア正教会の総主教らが眠っているのです。私はまるで信徒のように、彼の後をついて回りました。ですから、私が初めてロシア正教に足を踏み入れた場所が、トロイツキー聖堂(写真)となります。トロイツェ・セルギエフ大修道院の中でも最も古い建物で、1423年に建てられました。その内部のイコン画は、中世ロシア、モスクワにおける最も重要なイコン画家アンドレイ・ルブリョフによって描かれています。一歩進むや、その狭く薄暗い厳かな内部と 迫り来るイコン画に、私は息を呑みました。長い信徒の行列に、ぼんやり灯された蝋燭の光、美しく響く"パスハの讃詞"と呼ばれる聖歌の調べ。人々は恭しく胸に十字を切り、イコンに口づけをする。一瞬、妖しくも見えるその情景も、まるで目の前にハリストスが現れたかのような喜びを内に秘めた人々の表情に、ロシア正教に対して野蛮な印象を持っていた私は、驚きを隠しきれませんでした。イコンに口づけするその姿からは美しさすら感じます。私も大きな柱にもたれかかり、頭にスカーフを被せ、信徒達の祈りの姿を真似てみたものの、やはりそれは嘘っぽい。(笑)仕方なく、私流に手を合わせ、ウスペンスキー大聖堂の地下へ移りました。その地下納骨堂では、それまで恭しく謙っていた信徒達が熱狂者へと豹変☆満足に息もできないほどもみくちゃにされた私は、押し合いへしあい「我先に!!!」という彼らの姿に、別の意味で驚かされました。それは、そこで静かに眠っている歴代の総主教様もビックリして目を覚ましてしまいそうな勢いです。(笑)不思議な縁で、訪れる予定でなかったこの地を旅し、偶然にもその場所がロシア正教の聖地であり、その日がなんらかの特別な日であったこと。そして、総主教様のお出ましに居合わせた この偶然。それは、神様が私を正教へと導くべく、何かのお示しであったのかもしれません?(笑)ですが、神様! 私にロシア語は絶対 無理ですぅ~。(><)(日本正教会には興味ありませんので、あしからず…。)*写真は、トロイツキー聖堂とは対照的に、煌びやかな内部に圧倒されたセルギエフ教会(聖セルギイの食堂)です。
2010.06.10

「クレムリン」といえば、まずモスクワのそれを頭に浮かべる方が多いでしょうが、もともとロシア語で「城壁」を意味するクレムリンは、中世ロシアの多くの都の中心部に備えられていたのだとか。ここ『トロイツェ・セルギエフ大修道院』も、同じくクレムリンで囲まれております。その中に、金色の星型の入ったブルーの屋根を持つ「ウスペンスキー大聖堂」(写真)をはじめ、金色の屋根が眩しい「トロイツキー聖堂」他いくつもの教会、そして神学校、僧坊、宮殿、病院などがあり、ロシア最大の修道院として、またロシア正教において最も重要な修道院のひとつとして、常に多くの信者で賑わって(ごった返して)おります。その為か、ここの修道院長は、ロシア正教の長たる"モスクワおよび全ロシアの総主教"が務めることになっています。実務はセルギエフ・ポサード駐在の院長代理が行うそうです。 呑気にカメラを構える私とは対照的に、多くの信者達が 正面入口からトロイツキー聖堂に向かってずら~っと並び始めました。何? 何かあるの?図々しくも列に割り込み、これから現れるであろう その偉大なる人物を私も待つことにしました。周囲の女性信者達は、頭にスカーフをかけ、恭しく手を合わせて入口を覗き込み、観光客と思われる者達は、カメラを掲げ、同じく入口を向いて待機しています。熱狂者に備えてか、はたまた怪しい人物に備えてか、目の前には多くの護衛兵がキツい表情で立っています。そこで、私が大学時代に親しかった三谷君という友達によく似た兵隊さんが目に入りました。あらー、久しぶり!って感じで、ちゃっかり彼の隣りに立ちました。(^m^)「(ねぇねぇ、三谷く~ん!) 一体 これから 誰が来るっていうのぉ~?」と、すっかり友達気分で慣れ慣れしく声を掛けてみるものの、、、もちろん、彼は三谷君でもなければ日本人でもなく、今 自分が遂行しなければならない任務に超真剣です。彼はギッと私を睨みつけました。それでも私は全く怯みません。「ねぇ、誰が来るのか教えてよ~!^^」ですが結局、何度も睨まれ無視されて、これ以上 しつこくすると 今にも監禁されそうでしたので、仕方なく、彼の隣りで静かに待つことと相成りました。(笑)*一瞬、辺りがざわめき立ちました。誰? 誰? やっぱりプーチン首相なの???私も必死に背伸びしてみるものの、多くの信者にもまれて 何が何やら分かりません。三谷君は相変わらず無表情で任務を遂行しております。^^そのうちに、黒い服に身を包んだ修道士達を先頭に、厳かなる列が目の前に現れました。深々と頭を下げる人々に混じって、私は必死で頭をあげてキョロキョロ辺りを見回しました。グラッ!前へ前へとのめり込む信者の波に押されて、私の身体が前方へと押し出されてしまいます。ガシッ!!!これほど強く掴まれたことがないほど、勢いよく力強く、護衛兵の手によって 私の肩が抑え込まれました。ひぃ~~~! ここで捕まえられては堪らない。(><)ドキドキしつつも何事もなく、ホッと一息ついた頃、、、現れたのです、現れたのです!!!レニングラード(現サンクトペテルブル)生まれのウラジーミル様が!!!緑色の特別な衣装に身を包み、頭には十字架の付いた白いクーコリを頂いて、、、。("クーコリ"とは、正教会における最上位格の修道士によって着用される帽子のこと)そうです。 目の前に現れたのは、ロシア正教のモスクワおよび全ロシアの現・総主教、キリル1世。1946年11月、レニングラードにて生を受け、 2009年2月1日、正式にモスクワ総主教としてご着座あそばされました。本名、ウラジーミル・ミハイロヴィチ・グンヂャエフ。正しく、レニングラード生まれのウラジーミル様です。(笑) 私が待ち焦がれていたウラジーミル様は、レニングラード生まれのウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン様。誰もが知る第2代ロシア連邦大統領なのでありまして、、、。(T_T)総主教といえば、カトリックでいうローマ法王に値するお方。そのような有難いお方のお出ましに、本来なら感謝しなければいけないところ、思いっきり落胆してしまったpicchukoなのでありました。* * * * * * *余談ではありますが、ロシア革命の主導者、かの初代ソビエト連邦共産党最高指導者 レーニン氏の名前も、ウラジーミル。ロシアには、ウラジーミルという名の人物は、掃いて捨てるほど(失礼…^^;)存在します。ロシア人の名前の種類は日本よりも随分と少なく、ですから ウラジーミルさんとか、ニコライさん、セルゲイさんなどが わんさといるわけです。そこで(?)、ロシア人の発想はなかなかユニークでして、名前と姓の間に父称を入れ、"ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン" のプーチン首相の場合でしたら、"プーチン家のウラジーミルさんの息子のウラジーミル君"となるのだそう。プーチン首相はお父さんの名前もウラジーミルなのね。(^^)また、名前にはそれぞれ愛称が決まっており、ウラジーミルなら「ヴァロージャ」が一般的。部下などが、敬意を表す場合には、「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ」と呼び、英語の「Mr.」に当たる「ガスパジン」を用いて、「ガスパジン・プーチン」と呼ぶのはよそよそしい言い回しになるので、ロシア人同士ではまず使われないのだとか。そして、ロシアで人気のロシア大統領ブランドウォッカ「プーチンカ」は、"プーチンちゃん"となるようです。(爆!)
2010.06.06

「これからどこへ行くつもり?」バッセーリさんの言葉に、修道院までの道しるべを探さなくちゃと気付きました。 駅から修道院までは1kmばかり。 徒歩15分と書かれてあります。ガイドブックの写真を見せながら、「ここへ行こうと思ってる。」そう日本語で答えました。^^「道順は分かってる?」「一人で大丈夫?」「タクシーを拾う方が早いかなぁ~。」「ちょっとついておいで。」そんなことを言ってるであろうことは、例えロシア語でもなんとなく分かります。私の返事を待たずして、彼は一人勝手に納得し、ドンドン先へと進みだしました。ちょ、ちょっとぉ~、私にも考える時間をちょうだいよ~!!><慌てて、後を追いました。彼が向かった先はタクシー乗り場。背の高いロシア人のドライバー集団は、ちょっと独特の迫力があります。煙草をふかしながら、一人のお兄さんがバッセーリさんと何やらブツブツ。私達を運転手のお兄さん達が取り囲みます。「チッ、もう少しマシなヤツはいねぇのかよぉ~。」…(わが妄想・笑)もしかして、私 売られる~???(><)意味が分からずビクビクしている私に、バッセーリさんはロシア語で説明を始めました。だからぁ~、私はロシア語が分からないって、さっきから何度も言ってるじゃない!!説明が終わると、又もドライバーとの交渉再開。そして、再び振り返り、私に説明するという繰り返し。傍から見ると、きっと彼がロシア人と私の間に入って通訳をしているように見えるでしょうが、、、彼はずばり! ロシア語しか喋っておりません!(爆!)超真面目な顔で私を説き伏せる(?)バッセーリさん。私は彼の肩に手を置いて、何度も首を横に振りました。「だから、分かんないんだって!」とうとうバッセーリさんとドライバーとの間で交渉が成立したらしく、私のシベリア送りが決定したようです。(T_T)ドライバーのお兄さん、指で「15」と示します。15ルーブル? ってことは、日本円だと大体60円くらい?私はそんなに安いのか?そんなにわけないだろう!って感じで首を振りつつ「150だよ。」とお兄さん。それでも 私の値打ちはせいぜい600円ということか、、、。(ToT)と、冗談はさておき、それが妥当なタクシー料金かどうか分からないまま、私は車に乗り込みました。信じられるのは、バッセーリさんの心強い頷きだけです。(^^;*ほんの1時間半ばかりの貴重な出会いに手を振って、目指すはシベリア、、、(笑)ではなく、世界遺産の『トロイツェ・セルギエフ大修道院』。 こちらの大修道院内部には、数々の教会だけでなく モスクワ宗教大学と神学校も置かれており、聖書片手に黒い服で身を包んだ若き美しい神学生と出会えます♪ロシア正教の中心地のひとつでもあり、きっと厳かな空気が流れていることでしょう。多くの信者達が恭しく祈りを捧げる姿が、私の頭の中で膨らみます。(あれれ? 何気にピース?・笑)ところが、到着早々 何やら慌ただしい雰囲気で、、、?警備も厳重になってきて、、、???まっ、まさかぁ~~~!!!まさか、プーチン首相のお出ましか?!念ずれば、必ずや夢は叶うと言いますものぉ~~~!(*^^*)
2010.06.02
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