ところで菊で思い出したことがある。昔、1978年11月から翌年1月まで『130人の日本のイラストレーター』という展覧会がパリで開催された。その当時日本のイラストレーションをリードしていた作家たちが出品していた。私の出品作についてはこの遊卵画廊の詩画集『遊卵飛行』のあとがきに述べている。 私はオープニング・パーティーに出席するためパリにでかけた。会場がマドレーヌ寺院の近くだったので、パーティーの翌日、マドレーヌ寺院の近辺を散策したついでに会場に立ち寄ってみた。そこで私はたまたま、観客の美術学生につかまり、作品の説明をもとめられたのである。私の作品ではない。他人の作品である。 それは御料車を描いたものだった。そこに菊の紋章がついていた。それについて説明してくれという。彼は、それが紋章だとは思わなかったらしい。「随分もったいぶった装飾だが、これは何をあらわしているのだ」と彼は言った。私はフランス語で説明できなかったので英語で‘The crest of the Emperor of Japan’と答えた。すると、「太陽をデザインしたのか。たとえばルイ14世のように」と聞く。‘No. This is a chrysanthemum.’菊だ、と私は言った。すると彼は絵から目を離し、私をまじまじと見て、‘Chrysanthemum?’と鸚鵡返しに聞きかえした。私が言い間違えたのではないかと思ったらしい。‘Yes, I said. A kind of flower, a chrysanthemum.’ 彼は信じられないというように首をふった。彼の言うところはこうだ。 フランスでは、デージーは別として、菊といえば一般的に「葬式の花」なのだそうだ。墓に捧げることはあっても、家のなかに飾るひとはいないかもしれない。だからその菊が日本のエンペラーの象徴であるとは驚きだ。だいいち香があまり良くないではないか、と。 この美術学生の指摘は、私にはとても面白いことだった。 日本文化においては、菊の香は「清浄」と感覚されている。甘さのない、苦味を感じるような独特のツンとする匂がさわやかさのイメージと重なっている。菊膾のように料理して食し、菊酒として長寿を祈願する。菊にまつわる言葉がたくさんある。「百菊」「初菊」「菊畑」「菊の宿」「菊作り」等々。
私は拙い英語で日本文化のなかの菊について彼に話したのだった。興味深そうに聞いていた彼は、最後に‘I'm glad to talk with you. Merci beaucoup.’と言って去っていった。