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次男である弟が77歳の喜寿を迎えた。「77歳だって。びっくりしちゃうよ」と言った。元気に毎日仕事をつづけてい、のみならず趣味の句作に精を出し毎月4回の都内地方の句会に一度も休まずに出席している。「この頃寝不足だ」と言う。それはそうだろう。私は心配しているが口には出さない。エネルギーが燃焼して気力が充実しているところに側から水を差すことはない。私自身が絵描きとしてやってきて、80歳、エネルギーと気力を持続させる方法を良く承知している。・・・三男の弟も70歳を過ぎた。彼も元気らしいが、兄弟皆高齢者と言われる年齢になったわけだ。まあ、仲良くやってきた。
Sep 29, 2025
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9月23日にイタリアを代表する女優のおひとりクラウディア・カルディナーレ氏が亡くなられた。享年87。 私がCCことクラウディア・カルディナーレさん出演映画を見たのは15,6歳のときだったと記憶する。私は映画館で観た作品をかなり良く記憶しているのだが、CCを観た最初の作品の題名を思い出せない。その映画のなかで彼女はたくましく大砲を引っ張っていた・・・と、記憶している。その後に観た出演作品を時系列で述べれば、◯ 若者のすべて(1960:ルキノ・ヴィスコンティ監督)◯ 8 1/2 (1963:フェデリコ・フェリーニ監督)◯ 山猫 (1963:ルキノ・ヴィスコンティ監督)◯ ブーベの恋人 (1963:ルイジ・コメンチーニ監督)◯ 熊座の淡き細影 (1965:ルキノ・ヴィスコンティ監督)◯ 家族の肖像 (1974:ルキノ・ヴィスコンティ監督)◯ フィツカラルド (1982:ヴェルナー・ヘルツヘルツォ=ク監督) クラウディア・カルディナーレ氏を追悼します。
Sep 28, 2025
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日本時間の26日の米野球、ロサンゼルス・ドジャース vs アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で、大谷翔平選手が今期第54号ホームランを放った。試合は8-0の大差でドジャースが勝利した。地区優勝である。 ところで試合後、ダイヤモンドバックスの監督が記者会見で驚くべき発言をした。NLBは54号ホームランを放った大谷選手のバットを検査すべきだ、と。禁止されているコルク・バットを使用したことはヴィデオ映像が証明している。ボールを打った瞬間、バットに亀裂が入り、光を反射しているのが見て取れる、と監督は言ったのである。 大谷選手がホームランを放ったとき、じつは彼は低めの球を体幹を使って右手だけで打ち、そのボールは場外の池に落ちた。片手でホームランを放つことなどできるわけがないと言うのがダイヤモンドバックス監督の言い分だった。 大変な論争が巻き起こった。この監督に賛意を表明するSNSへの投稿も少なくはないようだった。専門の野球関係者の間でも議論が持ち上がった。 MLBはついに大谷選手のバットを機器を使って精密検査をした。もちろんヴォデオ映像も厳密に調査された。・・・そして、結論。バットはコルク・バットではなく、映像で亀裂と見えたのはボールとバットの接触瞬間の「擦れ」が光を反射したのであることが判明した。すなわち大谷選手は強靭な体幹と技術によって片手で場外ホームランを放ったのである。 ダイヤモンドバックス監督に対するNLBの処分は免れないであろうが、それについては私の関心外だ。つまり私は、ただただ大谷翔平選手の野球技術に驚いているのである。
Sep 26, 2025
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秋分の一日だけの涼味かな 青穹(山田維史) 汗拭けば空の青いろ秋の青
Sep 25, 2025
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ようやくに一息付ける秋の風 青穹(山田維史) 夏さらば青空に風の道 熟柿落ち下戸酒飲みに間違われ
Sep 23, 2025
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朝日新聞東京本社版が2025年9月20日、5万号になったそうだ。朝日新聞小史によれば東京朝日新聞の創刊は1888年7月10日。本日9月22日の夕刊がいやに分厚いと思ったら、38ページからなる記念の「朝日新聞写真館 ー since 1904」が別刷りになっていた。時代を象徴した写真である。 おもしろいのは1955年6月1日のラジオ番組欄から1980年6月7日までのラジオ・テレビ欄が、もちろん各ページに1日分ではあるが、そのまま復刻されている。1955年(昭和30年)、私は10歳。NHK第一(夕)6時25分に「オテナの塔」とある。北村寿夫作「新諸国物語」だ。この番組を私は楽しみにして聴いていたものだ。翌年、つづいて「七つの誓い」。 ・・・ラジオドラマは楽しみだった。記念付録には復刻掲載されていないが、昭和26,7年頃にはやはりNHK第一で「ピー子ポン太郎世界巡り」。「♩ピコポン ピコポン ポンピコポン」とはじまる主題歌。75年ちかくになる今でも憶えている。また、「母を訪ねて三千里 ー 家なき子」。ここに登場するカピという名の犬から、私はタカノさんからもらった子犬にカピと名付けた。 朝日新聞にまずは「おめでとうございます」ともうしあげます。ジャーナリズムの本分である政権に対する厳しい目を保持してほしい。 私が最近ちょっと気になるのが、用語の問題だ。「婚活」「就活」などという奇怪な造語の使用を見受ける。つい数日前には、「オワコン」などと書き、その下に括弧に入れて「終わったコンテンツ」と書き添えていた。私は呆れるを通り越して笑ってしまった。もちろん嘲笑である。正しい言葉を略語化してしまうのは、それこそラジオ・テレビ欄のスペースの経済学に端を発しているのではないかと優しく推測もするが、本心はヤクザな風潮と思っている。私が嘲笑したのは、略語にしたものをスペース経済学に反して注釈を書き込んでいたからだ。そんなことをするくらいなら初めからキレイナ言葉で「終わったコンテンツ」と書けばよさそうなものを。 80歳のじいちゃんが紙面作りに感じるのは、ああ、社員も記者も若い連中になったのだなー、ということ。興味の焦点が、エンターテインメントに傾いているようだ。こんなことを取り上げれば、新聞離れの傾向にある読者を引き止めることができるのではないか、呼び戻せるのではないか・・・そう、考えてはいないだろうか。私の下司の勘ぐりかな? まあ、80歳のじいちゃんにはむしろだんだん読む記事が少なくなっているのだが。夕刊の第一面の作りにはあまり感心していない。 しかし、私は現代世界情勢に照らし合わせながら、朝日新聞のオトナのジャーナリズムの良識を信頼しています。 そして、創刊以来5万号の実物がすべて残っているのかどうか私は知らないが、少なくとも1940年以降の実物は残っているのだろう。これは「紙」だったからではないだろうか。電子新聞がはたして5万号分を後世に残せるかどうか。電子新聞が歴史の証言者になれるかどうか。時代世相を歴史として後世に伝えることができるかどうか。これは朝日新聞だけの問題ではない。出版全般に言えることだが、やはり早急に考えるべき問題ではなかろうか。朝日新聞発行が5万号を誇る意味が、そこにある、と私は思います。
Sep 22, 2025
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彼岸過ぎ国勢調査訪えり 青穹(山田維史) 雨音のはげしくなりて夏去りぬ 雨に散る柿葉のなかに赤黄いろ
Sep 21, 2025
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予報どおり昨夜から今朝方まで降った雨のため、きょうは凌ぎやすい1日になった。これ幸いと私は終日、事務仕事。わき目もふらず。 それはそれとして国内に目を向ける。自民党の総裁選の立候補者が出揃ったようだが、いずれも危ない奴ばかり。国会議員も要職に就くと多忙をきわめ、おそらく目先に山積する問題に私利私欲が絡んで物事を広く深く考えなくなるのかもしれない。 T氏は政権に不都合な放送をしたと電波配信停止のイチャモンつけて放送法を改悪しようとした。安倍の子分よろしく先方にファシズムを据えての言論封殺。ヒステリックな傾向があるようで、T氏が首相になれば、台中悪化で日本は盲目的に参戦方向へ舵をきるだろう。 K氏は、そうだなー、国会議員であることが不思議。なぜ担がれているのだろう? 担いでいる人たちの欲得のバランスとは何だろう? この人は考えていることなど何もないのじゃないかなー。物事の論理性、それを組み立てる能力がまるでない。事態をとらえる言葉がない。言葉には修練が必要なのだ。すなわち古代ギリシャ以来のエロキューションが非常に重要だということ。その修練は、この人の担がれ方をみていると今からでは無理なのではあるまいか。 以上で日本のお二人にからめて私が言うことは、いままさにアメリカ合衆国で起こっている問題、まことに奇怪な人物が大統領となってしゅったいする現象と、問題の底にあるものは同じだ。 奇怪な人物と私は言ったが、独裁者や権威主義者がそうであるように、精神病理学的な観点からはむしろモデル・タイプと言ってよいほど納得しやすい人物ではないだろうか。自らが吐き出す蜘蛛の巣のような詭弁や嘘に自らが絡みとられ、二進も三進も行かなくなると、不安感と自己憐憫と強烈な自己愛が撚り合わさって鎧となる。このような人格は決して常軌に目覚めることはない。そしてこの人物が権力を掌握すると、その国や組織は落ちるところまで落ちる。歴史が教えている。 アメリカの分断状況は、大統領の意向に追従するか否かで右派と左派とに敵対し、政治思想的と言うよりも感情的に攻撃をあおって事件を創出し、それを理由として大統領不服従を封じ込めようとしていることだろう。 この大統領の弁論術は、一度の演説のなかで攻撃ポイントを同じ言葉で3度4度と繰り返すこと。あるいは言葉を変えて思いついた譬え話を何度も何度も繰り返し、その冗漫な演説で論点を移してゆくか擦り替えてしまう。さらに悪いことに、その大統領としての発言が当然社会に波及して問題化すると、彼はまるで他人事のように自らの言論の責任に背を向けるのである。強烈なナルシズムの様態であり、自己保全のための忘却でもある。彼の演説はいかなる場面の演説でも常に虚偽をものともしない誇大化した自己宣伝である。それは見事なものだ。なぜなら何らかの不安をかかえ自己の矮小化に圧迫を感じている聴衆は、誇大妄想に容易に自己を重ねることができ、喝采するからだ。この喝采こそが彼が望んでいることだ。妄想の中で「王」でいられるのだ。彼が「言論の自由」と言うとき、それは彼に反対しない言論のことである。反対でないかぎり虚偽でも陰謀論でもよいのである。 私の観点は、政治的あるいはオデオロギー的な右派とか左派の問題ではないということ。大事なのは個人の尊厳をたしかなものとする社会であること。そのために言論の自由が保証されていること。すなわち憲法によって保証されていること。その憲法のもとに制定された各法律によって保証されている社会であらねばならにということ。それが私の考えの基盤である。
Sep 19, 2025
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夜中に雨が降る予報が出ている。明日の予定のためにちょっと外に出て夜空を見た。昼間の34℃の暑さが夜9時、24℃まで下がった。10度の差はさすがに涼しく感じる。空気は幾分湿っている。 虫が鳴いている。・・・やはり秋なのだ。柿をひとつ捥いだ。 昼間より十度下がりて秋の声 青穹(山田維史)
Sep 18, 2025
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柿の葉裏にセミの抜け殻。この夏、我が家の庭でi五つ目の抜け殻発見。一番下の画像はセミの巣穴である。二つある。残暑と言うが、きょうも猛暑。午後2時過ぎ、36℃。 2025年9月17日 撮影
Sep 17, 2025
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Tadami Yamada Sep 16, 2025ああ、大統領!考古学DNA調査の結果、アメリカ合衆国国民のほとんどが移民であると判明しまし。大統領も例外ではありません。
Sep 16, 2025
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山田維史 「2025年9月15日の自画像 80歳」Tadami Yamada "Self-portrait on September 15, 2025 age 80"
Sep 15, 2025
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明日の敬老の日を前にして、今朝、町内自治会から私の80歳(傘寿)に対して祝意を頂戴した。恐縮。町内のみなさん、ありがとうございました。
Sep 14, 2025
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さきほど19時までYouTubeで市川崑監督作品、1956年の「ビルマの竪琴」を観ていた。11歳か12歳のとき、葯70年近く前に観て以来である。しかしそのころ観たこの映画は、実に鮮明に記憶にある。竹山道雄原作小説の映画化である。主演は安井昌二、三國連太郎、浜村純、西村晃をはじめ多くの男優諸氏、そして北林谷栄氏。脚本は和田夏十(市川崑夫人)、撮影;横山実、美術;松山崇、音楽;伊福部昭(ゴジラの作曲家)。 ビルマ戦線に連合軍の猛攻になすすべもない三國連太郎演じる井上隊長が率いる小隊の物語。1945年7月。終戦1ヶ月前ということになる(余談だが、私山田は生まれて2ヶ月経っていた)。井上隊長は音楽学校出身で、兵舎で部隊に合唱をおしえていた。安井昌二演じる水島上等兵は竪琴を弾けた。 ・・・私山田は作中で歌がうたわれる映画をいくつも記憶しているが、美空ひばりや高田浩吉が道中歌などをうたう時代劇などは別にして、その歌に感心した映画のなかにこの1956年の「ビルマの竪琴」がある。その「埴生の宿」はすばらしい。あるいは三船敏郎が富島松五郎を演じた稲垣浩監督「無法松の一生」のなかで吉岡少年がうたう「青葉の笛」。あるいは小栗康平監督「泥の河」のなかでキッちゃんがうたう「戦友」(ここは御国を何百里 離れて遠い満州の・・・)。あるいは木下恵介監督「二十四の瞳」のなかの「七つの子」「浜辺の歌」「仰げば尊し」・・・ 小隊は宿営しているある村で印英軍に包囲され身動きがとれなくなる。ビルマ人に扮装するのが上手い水島上等兵が斥候に出るが、彼はいたるところに散らばって白骨化している日本兵を見る。そしてそのまま部隊には戻らず、ビルマ僧として慰霊に服することを決意した。・・・間も無く終戦となり、井上部隊に日本へ帰還して復員するようにと命令が降る。水島上等兵はまだ帰隊しない。ある日、合唱をしていると兵舎の柵の向こうにビルマ僧が佇み、歌に合わせて竪琴を弾き始めた。戦友一同が「水島!」と叫ぶが、僧は無言で去った。 兵舎に出入りしている物売りの老婆がいる。北林谷栄が演じている。兵たちは老婆から鸚鵡を譲り受け、鸚鵡に「ミズシマ イッショニ ニッポンニ カエロウヨ」と覚えさせる。 ・・・映画のスジを追うのはここまでにしよう。11歳か12歳だった私は北林谷栄氏のお婆さんに見入ったものだ。お婆さんの肩の上で鸚鵡が「ミズシマ イッショニ ニッポンニ カエロウヨ」と言う、その哀切さに胸を打たれた。70年近く忘れられない映像として記憶に刻まれた。 出演俳優がみな自ら戦場で戦って復員した人たちだった。それだけに身にまとっている、なんと言おうか、空気感が違う。あえて批評することもないのだが、市川崑監督はこの「ビルマの竪琴」を1985年に再映画化していられる。市川監督の心に再映画化のどんな必然性があったのか、私は知る由も無いが、残念ながら私はやめておけばよかったのに、と思った。俳優たちが全然あの戦争の過酷さを身にまとっていない、と私は感じたのだ。頭で作り上げた演技で表出してくるものではない何事かがある。実際に戦場をくぐり抜けたあの時代の「顔」ではない、と私は思った。子供達の顔が、戦後すぐの頃の顔と、現代の中高なすっきりしてキレイな顔と、たいへんな違いがあるのだが、それと同じことを現代俳優が演じた兵士に感じたのである。市川崑監督、おやめになればよかったのに、ことは物語があればすむ問題ではないのではありませんか?YouTube 1956年版「ビルマの竪琴」
Sep 13, 2025
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都内が大雨となり、あちらこちらに店舗等の床冠水や河川の急激な増水、また氾濫警報が出た。 私の処は昨夜から断続的に激しい降雨となったが、いずれも比較的短い間の降りだった。しかし雷はあまり経験したことがない音がつづき、その異様さに私は夜中に目覚めたほどだ。地響きもした。今日も午後3時ごろに何かくぐもったようではあるが、それだけに異様な轟音がつづいた。このときに違いない、隣市の立川に雷警報が出たらしいが団地の建物に落雷があり、出火した。高齢者が煙を吸って、病院に搬送されたようだ。 河川の増水や氾濫の映像を見ると、激しく降り出してからたちまち通常水面から高さ2mはありそうな河岸擁壁を超えている。川幅4mから5m以上もあるような川である。10分20分のうちにまるで水が膨らむように盛り上がってくる。あれはどういうメカニズムなのだろう? 深山の源泉の一滴がやがて大河となるのも、考えてみると驚異だが・・・。 画像は数年前に見学した「首都圏外郭放水路」パンフレット。この放水路に水を取り込むのは年平均7回程度。最も多かった平成27年9月の台風17号18号には、約1,900万㎥の排水を記録した。通水による治水効果は目覚ましく、浸水被害は大幅に軽減されている。(同パンフレットより)
Sep 11, 2025
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昨夕、秋刀魚の塩焼きを食べた。入荷したばかりのものを家人が買ってきた。店内で捌いてもらったと言うので、見ると、頭と内臓を抜いていた。私は笑いながら、「秋刀魚は内臓も食べるんだが・・・」そしてつづけて、「佐藤春夫の詩に、秋刀魚 にがいか、しょっぱいか、とあるでしょ?」 と言って、ふと私もずいぶん歳をとったな、と思った。いや、秋刀魚の内臓を食べる食べないとは関係がない。 私が学生のころ、佐藤春夫氏はご存命だった。谷崎潤一郎、永井荷風、井伏鱒二、正宗白鳥、志賀直哉、武者小路実篤、野上弥生子、有島生馬、有馬頼義、永井龍男、網野菊、佐多稲子、円地文子、宇野千代、北原武夫、高見順、伊藤整、梅崎春生、武田泰淳、今東光・・・みなさんご存命でご活躍されていた。毎月出る文芸誌を私はむさぼるように読んだ。ノイローゼに陥って神経が光に過敏に反応するので昼間学校にも行けず、雨戸を閉めきった部屋で読んでいた。三島由紀夫氏や中村真一郎氏や高橋和巳氏には直接お目にかかっている。中村真一郎氏がノイローゼから回復されたと聞いていたので、私は「ノイローゼは自覚がありますか」などと聞いたものだ。谷崎潤一郎がなくなって幾ばくもしないころ、今東光氏が師・谷崎純一郎の思い出を話すのを聴いた。平安時代の「牛車」についての薀蓄で叱られたことや、同じ話を嫌い、「その話、聞いた!」と叱られたこと、あるいは、今氏がいまや縁先でコッコッココ、コッコッココと鶏と遊んでいるのだ、などと。 文学史に足跡を残すこれらの方々は、いまやずいぶん遠い昔の文学者のように感じもするが、その方々が御活躍していた頃に私の生も掠るように重なっていた。・・・私も歳をとったものだ、と思った次第。 「男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて 思ひにふける・・・」(佐藤春夫 秋刀魚の歌)
Sep 10, 2025
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わんさか生っている庭の柿を一つもいで食べてみた。コリッとまだ硬いが甘い。これはもう少し経つと美味しい柿になりそうだ。 じつはあまりにも生り過ぎて、すでに二度、バサリバサリと枝切りをした。もちろん実がついたままである。5,60個はあった。ちょうど枝切りをしているときに、隣家の夫人が「今年はたくさん生りましたね」とおっしゃった。そうそう、去年はヒロヘリアオイガの幼虫が大発生して、駆除するまでにすっかり葉を食い荒らし、ほんの10個ばかりの実だった。殺虫剤を噴霧したのでその実は食べられない。とにかく駆除後のあとしまつが大変だった。 そんなことがあったからであろうか、今年は柿ががんばったのだろう。しかし、一つ食べてみたところでワンサカ生っている数百個を食べてしまえるものでもない。朝方に鳥が食べて、例によって半欠けを地面に落としているが、それとて限りある。 我が家のこの柿は、たった一本の木であるが、種類は禅寺丸(ぜんじまる)ではないかと思っている。禅寺丸は1214年(鎌倉時代・健保2年。前年に源実朝の「金槐和歌集」が成立した)に、現在の川崎市麻生区王禅寺の山中で偶然発見されたと言われる。物の本には不完全甘柿と書かれている。 この「不完全甘柿」という記述、私には思い当たるふしがある。我が家の柿は、20年くらい前までじつは渋柿だったのだ。たしかずっと以前にこのブログ日記に書いたと覚えているが、ある年、何気なく今日のように一つ捥いで食べてみた。すると甘柿に変わっていたのである。ちょっとびっくりして「宗旨を替えたか」と思った。 私は中学・高校生時代をまるまる会津若松市で一人暮らしをしていた。会津は「不知身柿(みしらずがき)」の産地である。たくさんの柿農家が点在するが、この柿は渋柿である。収穫後は大樽に詰め込んで焼酎をふりかけて寝かせ、渋抜きをする。美しい姿のおいしい柿ができる。・・・思い出す。私が八総鉱山小学校6年生の冬、担任の星孝男先生に連れられて同級生のSさんとふたり、汽車で下郷町旭田中学校の作曲コンクールに参加した。終了してから、そのまま徒歩で先生の御実家に伴われた。先生は下郷町の御出身だと、私はそのときに知った。そのお宅で先生のお母様に迎えられた。陽のあたる広い廊下に大きな樽がならんでいた。不知身柿の樽だという。私はそのときはじめて不知身柿が焼酎を振りかけて渋を抜くのだと知ったのだった。 じつは見事なその不知身柿の産地に暮らしながら、当時私は柿が食べられなかったのである。小学校3年生か4年生のときに、たしか夕食だったと記憶しているが、何かキノコと柿を食べて失神してしまったのだ。大事に至らずすぐに回復したが、以来、柿をたべられなくなった。・・・しかし食物アレルギーが慢性化するのでもなく、自分でも気づかないうちに柿を食べるようになった。それも熟柿が大好きである。キノコも大好きだ。いろいろなキノコを入れた炊き込みご飯をつくる。赤ん坊のころからシイタケが好きで、「シイタちゃん」と呼ばれていたようだ。赤ん坊のころなので私にその記憶はない。私には食物アレルギーも他のアレルギーも全く無い。 庭の柿で「柿酢」や「柿ジャム」や柿のブランデー砂糖漬け「パーシモングラッセ」を作った年もあったが、もうそんなことをする余力がない。もうすこし熟すのをまって、きょうのように捥いで齧るだけである。
Sep 8, 2025
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アメリカ合衆国は9月5日、大統領令によって国防総省から戦争省へ名称を変更した。トランプ大統領が署名した。世界情勢を踏まえるとこの名称が適当である、というのが改称の理由だという。つまり国防からより積極的に攻撃に出ることを意味する。アメリカ合衆国は世界最強の軍隊を擁していると、署名に当たりトランプ大統領は語ったと報じられている。 「戦争省」という名称が米国史に現れるのはこれが初めてではない。初代大統領ジョージ・ワシントンが陸軍を創設したときに「戦争省」とした。その名称は第二次世界大戦後の1949年にトルーマン大統領による米軍大規模再編成までつづき、この再編によって「国防総省」となった。 トランプ大統領の改称は、この歴史を踏まえての過去への回帰であろうか。・・・トランプ大統領の政策を「革命的」と理解する意見もあるようだが、はたしてそうだろうか。 たしかにこの人によって現在世界はひっくり返りつつある。しかし政策の根幹にある思想は、私には自己中心的 (selfish : 自分ファースト) な、アンシャン=レジーム(Ancien réjime ; 古い体制) への無節操な回帰としか思えない。 いや、トランプ氏ばかりではない。いま世界の分断を煽り、人倫に悖る殺戮と破壊をし、欺瞞のかぎりをワチャワチャとやらかしている各国の最高権力者たち。いずれもまるで中世に逆戻りしたような思想だ。中世の支配者と異なるのは、中世の彼らは自ら戦場で戦った。しかし現在の支配者ツラをした奴らは、コソコソ逃げ回るように我が身の安全を確保し、国民を虫けらのように戦場に駆り立てて殺している。国民が死んでも代わりはいるが 、自分に代わる者はいない、とばかりに。 いやー、そうかなー? アンタの代わりはいくらでも出てくる・・・それが歴史のおしえるところだと私はおもうのだが。 日本の戦中の「産めよ殖やせよ奨励政策」の「国力」とは、兵士増産と同義。・・・現在、国家間戦争や内戦等の渦中にある某某国が、子供に戦争教育を強制して武器をもたせたり、戦争傷病兵を脅迫的に再び戦場に駆り立てたり、同盟国最高権力者の懐に金を入れて同国の人民を兵士として買ったり(国民を権力者が売買している)、敵とみなせば生まれたばかりの赤ん坊を爆殺したり、あるいは敵国の女性をレイプして子供を産ませ、その子供をいずれ自主的な判断ができない状態にして自国の兵士に仕立てたり、敵国の男の性器を切断したり・・・ 我が日本のパッパラパの政治家とその阿諛者が「ジャパン・ファースト」だ、やれ「トーキョー・ファースト」だなどホザイているが、我が日本は「鎖国」していては経済的にはやっていけないよ。コロナ・ウィルスが蔓延すれば国内物流さへとどこおりがちになり、中小企業は操業停止、外国人観光客の激減で商店は倒産。天候不順で農産物ができず米もできなければ、国内産だけで到底やってゆけず、国民は干上がる。これで戦争になれば、海外からの輸入物産品が当然ストップする。とにかく資源は無い、あるのは頭脳と繊細にして豪快な技術力。それが現実。豊かそうに思っている我が国で、おおぜいの子供達が食事がとれない。ガザに比較することは絶対できないが、日本で子供が飢えていることは何を意味しているのか? 日本の政治家はくだらない利己心と党利党略を捨てて、よくよくその現実を認識しなければならない。日本は普段から多国間交渉で救け助けられ、グローバル経済を活用しなければならないのだよ。愛国心は大切だが、それはジャパン・ファーストなどと息巻くナルシズムであってはならない、と私は考えるね。CNN トランプ大統領、国防総省を戦争省に改称する大統領令に署名
Sep 6, 2025
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文芸評論家、翻訳家、小説家等々、多方面でご活躍された紀田純一郎氏が亡くなられた。7月5日に逝去されたそうだが、昨日9月4日に公表された。享年90.。 私は直接お目にかかったことはなかったが、紀田氏は私の幻想文学についての道標であった。また、紀田氏にお近しい周辺の方のなかに、イラストレーターとしてお近づきを賜った方々もいられる。 荒俣宏氏には鏡明名義で翻訳されていた幻想小説の挿画を描かせてもらった。私がイラストレーターとしてぼつぼつ出版社から依頼がくるようになっていたころである。紀田氏と荒俣氏が共同企画された国書刊行会のドラキュラ叢書では、前任者との途中交代というかたちで装画と挿画を担当させてくださった。この中の荒俣氏が翻訳された「ジャンビー」の挿画が私の国際舞台にでるきっかけとなった。荒俣宏氏は、30年以上も経ってから対談する機会をくださった。 あるいはまた島崎博氏は雑誌『幻影城』の編集長として挿画を描かせてもらった。東雅夫氏は、直接お会いしなかったが、花輪莞爾氏の『悪夢百一夜』に言及された一文で、装丁挿画を担当した私のことを「懐かしい」と書かれていた。そして早川書房ミステリも。 20歳代後半に始まった私の画業のなかで、私自身がわすれられない自作の遠い背景に、幻想文学への導き手となってくださった紀田純一郎氏の存在が揺曳している。 紀田純一郎氏のご逝去を悼みます。
Sep 5, 2025
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去る4月初め、トランプ大統領は「反イスラエル主義」の学生がいると主張してハーバード大学に対して助成金凍結を通達し、さらに同月16日に追い打ちをかけるように免税資格の取り消しと留学生受け入れ資格の取り消しを通達した。 このトランプ大統領の「脅迫」に対して、ハーバード大学は「大学の独立性とならびに学問の自由を守る」として法律顧問を通じて合衆国政府の要求を拒否した。そして学長名義で『アメリカの高等教育の約束 (The Promise of American Higher Education)』と題した公開書簡をだした。私はこの公開書簡のオリジナル全文(英文)を4月16日のこのブログに掲載した。 さて、本日9月4日のCNNは、トランプ大統領のハーバード大学に対する助成金20億ドル (約3000億円)の凍結をめぐって、ハーバード大学がトランプ政権を提訴していた裁判で、連邦地方裁判所は3日、大学側のを主張を認める判決を下した、と報じた。 判決の判断理由は、政府は助成金の凍結を「反ユダヤ主義」に対してとしているが、この主張はハーバード大学を狙い撃ちにするための「煙幕」として「反ユダヤ主義」を利用し、「思想を動機としてこの国の名門大学を攻撃した」というものである。 ハーバード大学側は、大学が「反ユダヤ主義」学生を擁護していると主張するトランプ政権側に対し、学問の自由や連邦助成金の拠出や大学統制をめぐる訴え、とこの裁判を位置付けていた。 トランプ政権が主張する「反ユダヤ主義」とみなす攻撃理由は「縁幕」にすぎないという裁判官の判断は、私がつねづね言ってきた「隠れ蓑」と同意である。真意を隠し、民心を惑乱するために利用して相手に貼り付けるラベルないしレッテルである。ネタニヤフ政権も私は同様の手口で「反ユダヤ主義」を使っている、と私は思う。世界の良識は、イスラエル軍のパレスチナ自治区ガザに対する攻撃が病院や学校、子供やジャーナリストを狙い撃ちに殺害している残虐性に対してネタニヤフ政権に抗議しているのであって、ユダヤ民族に抗議しているのではない。ネタニヤフ政権は上述のような攻撃を偶発的な過ちと弁解し、良識ある抗議に対して「反ユダヤ主義」と決めつけて非道を推し進める。「反ユダヤ主義」とレッテルを貼れば、皆が平伏するだろうと考えているのだろう。このような「煙幕」「隠れ蓑」は、プーチン政権の手段でもある。ウクライナに対して「ナチズム」のレッテルを貼り、その悪逆な体制下にある人民を救出するために侵略する、という主張である。 ・・・まあ、いずれもちゃんちゃらおかしいのだが、そういうバカげた「煙幕」を張るのが権力者の正体である。真相を突かれるとその人物を暗殺する。あるいはガザのジャーナリストのように爆殺する。それで80億人の世界がギクシャク動いているのが現実である。 ハーバード大学側の主張が連邦地方祭によって認められたからといって、これで安泰というわけでは全然なかろう。ただハーバード大学はやはり事の真相を見抜いている。「日本学術会議」諸氏の、・・・品の無い言い方をあえてするが・・・政府に尻の毛まで抜かれるていたらくとは性根が違う、と私には見える。CNN 米ハーバード大がトランプ政権に勝訴
Sep 4, 2025
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私が長野県川上第二小学校の1,2年生だったときに、二階の角部屋の音楽室で、映画「原爆の子」新藤兼人監督、1952年(昭和27年)と「ひめゆりの塔」今井正監督。1953年(昭和28年)を観た。両作共に制作・初公開年に観ていたわけだ。 じつは関川秀雄監督の映画「ひろしま」(1953年8月、昭和28年)をYouTubeでみつけて、さきほど22時近くまで観ていた。「ひめゆりの塔」と同年に公開された作品で、企画製作は日本教職員組合である。 私はこの映画を一度も見たことがなかったし、存在も知らなかった。一貫した筋にそった物語というよりドキュメンタリーのように展開してゆく映画で、原爆を題材にした映画としては「甘さ」を排した映像に非常な力があり、原爆投下直後の実態に迫ろうとする製作者の意思と映像の訴求力を私は感じた。被曝から7年後の製作であり、実際の被爆者の会や原爆の子の会、広島市や広島電鉄等が協力しているので、現実がまだなまなましく残っていたからであろう。 黒い雨が降るシーンがある。この雨について映画は深く言及してはいないが、・・・つまり映画制作時点でまだ黒い雨の実体を誰も知らなかったからだと私は推測するが、被曝直後に降った黒い雨を映像化した最初の作品ではあるまいか。後に井伏鱒二の小説「黒い雨」(1965年)を1989年に映画化した今村昌平監督の「黒い雨」があり、この映像がいわゆる原爆投下直後に降ったという「黒い雨」の最初の映像化と一般に思われているかもしれない。すくなくともそれが私の認識だった。しかし、じつはそれよりずっと先行して、原爆投下7年後に、関川秀雄監督の「ひろしま」でその雨を描いていた。この一事からも、関川秀雄監督と長田新編「原爆の子」を原作とした脚本家八木保太郎が、極力突っ込んで被爆の実体を描こうとしたことが感じ取れる。・・・焼けただれて剥離した皮膚がボロ雑巾のように垂れ下がったまま、幽鬼のようにさまよう人々の実際の姿は、さすがに映像化されていないが・・・ また、当時、原子物理学を研究していた仁科芳雄博士ら学者グループと軍部高官との会議・・・広島と長崎の爆弾がはたして「原子爆弾」であるか否かの議論・・・がおこなわれ、映画ではわずか1シーンだけであるが、このシーンを私は注目した。 軍部の主張は、戦意高揚のために原子爆弾であることを否定し、被爆後80年間は生命は存在できないという、ひそかに巷間に流れている噂を否定しなければならない、と。 ・・・このシーンに描かれているのは、科学的知見の否定である。精神主義と言えば聞こえは良いが、その実質は根拠薄弱な狂信的幻想に国民を巻き込んでゆくことであった。・・・なんと今、現在、社会現象として起こっていることではないか! 医学的知見もない人物が大声でワクチン接種を否定し、あまつさえそんな主張で政界に登場する。教育の現場で科学を否定する発言をする子供を、その子供らしい一面的な性急な考えに対して広い知見で補填することもなく、「そのとおり、そのとおり」と褒める。「科学」とはあらゆる現象に疑問をもって、観察と実験を繰り返し「証拠」を積み重ねることだよ、と教えることができないオトナたち。・・・そんなオトナたちが、あの地獄のなかでも目覚めることがなかったのだと、映画「ひろしま」の幹部会議シーンは見せている。現在の広島原爆資料館の展示品から、悲惨さを伝える物証を排除する動きがある。原爆資料館をアミューズメント化しようとでもいうのだろうか。 ・・・私は亡父が戦地から婚約者の母に書き送った一文を何とは無しに思い出す。「凄惨な戦闘をして帰営した兵士が、普段は兵舎の窓の外に小さな花畑をつくって花をそだてている」と、戦場の父は軍事郵便葉書に書いていた。 映画から離れるが、原爆の表現として昔から「ピカドン」と言われてきた。閃光がピカッと光ってドン!と爆発音がした・・・というのである。 ところが爆心地にいて被曝した方々の証言によると、誰も「ドン!」という爆発音を聴いていないのである。これは一致した証言である。どういうことだろう? ごく最近の調査研究がそのてんを明らかにした。閃光が走り、猛烈な爆風が起こった。このとき爆心地にいた方々の鼓膜は破れるかあるいは聴覚が麻痺し、一瞬遅れで伝播した爆発音が聞こえなくなっていたのである。したがって「ピカドン」を実体験した人は、爆心地からかなり遠方にいた人ということのようだ。 映画「ひろしま」は是非多くの人にご覧いただきたい。あるいは何らかの権利云々でYouTubeから削除されるかもしれないが・・・関川秀雄監督の映画「ひろしま」
Sep 1, 2025
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