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(ウルグアイ その1 から続く)ウルグアイ東方共和国<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ウルグアイ東方共和国ウルグアイ川の東方の国を指す。 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)87位通貨ペソ1米ドル=19.7ペソ(2012年10月)国旗青と白の9本の帯は当時のウルグアイの九つの県を、カントンの5月の太陽はアルゼンチンの国旗と同じく、当事のラ・プラタ地域の硬貨の意匠 から取られており(ホセ・アルティーガスの定めた東方州の旗の中に既に出てくるモチーフである)、古代インディオの、つまりインカ帝国の独立の象徴を意味すると言われている。国の標語Libertad o Muerte(スペイン語:自由か死か)面積:平方キロ176,000平方km日本の約半分国の位置北と東にブラジルと、西にアルゼンチンと国境を接しており、南は大西洋に面している。スリナムに続いて南米大陸で二番目に面積が小さい。人口:千人3,370千人(2011年)人口密度:/平方キロ19人首都モンテビデオ人口:140万人東京からの大圏距離:18,589km時差:JST-12時間サマータイム時差:JST-11時間(10月7日~来年の3月10日)民族欧州系90%,欧州系と先住民の混血8%,アフリカ系2%言語スペイン語宗教キリスト教(カトリック)が多数。憲法で信仰の自由を保障。政体立憲共和制元首ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ大統領(任期5年,連続再選禁止)FA(拡大戦線)党議会二院制(上院31名,下院99名,共に任期5年,上院議長は副大統領が兼任)政権首相名 なし(副大統領 ダニロ・アンヘル・アストリ・サラゴサ)外相名 ルイス・レオナルド・アルマグロ・レメス主要政党の議席数上院: FA(拡大戦線)党16,国民党 10,コロラド党 5下院: FA(拡大戦線)党 50,国民党 30,コロラド党 17,その他 2軍事予算 4.8億ドル、兵役 志願制、兵力 陸軍16,234人,海軍5,403人,空軍2,984人(2011年ミリタリーバランス)主要産業農牧業(牛肉,羊毛,米等),食品加工業,製造業(羊毛製品,皮革加工品等),観光,金融GDP:億ドル467億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル13,866ドル(2011年)実質GDP成長率5.7%(2011年)物価上昇率7.9%(2011年)失業率6.3%(2011年)財政収支/GDP比▼0.9%政府総債務残高/GDP比55.1%政府純債務残高/GDP比38.6%対外債務144億ドル(2011年)経常収支(国際収支)▼14.4億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼27.7億ドル貿易額:輸出A79.5億ドル(2011年)同 :輸入B107.2億ドル(2011年)貿易品目:輸出肉類,大豆,米,小麦(2011年)同 :輸入自動車及び自動車部品,通信機器(2011年)<原油 20.1億ドル(18.8%)>貿易相手国:輸出ブラジル,アルゼンチン,中国(2011年)同 :輸入ブラジル,アルゼンチン,中国(2011年)対日輸出80.4億円 内訳羊毛,ラノリン,魚介類対日輸入 78.5億円 内訳自動車,合成ゴム,タイヤ主要援助国2009年伊 13百万ドル西 12日 2仏 1加 1日本の経済援助2010年度までの累計有償: 72億円無償: 18億円技術:145億円国際金融機関等資金協力(ロ) 運輸セクター・ローン(世銀・JBIC協融)1989年4月 118億2,400万円(8,080万ドル)(ロ)ウルグアイによる円建て私募債発行(サムライ債)1989年8月 25億円1994年10月 100億円2001年2月 300億円2007年3月 300億円2011年5月 400億円東日本大震災への政府支援食糧支援:コンビーフ(4,600缶) 約2t義援金:50万米ドル日本から支援その他地デジ方式を日本方式採用そのための太陽電池パネルの設置を供与世界遺産コロニア・デル・サクラメントの歴史的町並みわずか12ヘクタールの街並に、スペインとポルトガルの建築スタイルが混在。ラプラタ川沿いにあり、対岸にはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスがある。
Oct 31, 2012
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ウルグアイというと、ウルグアイ・ラウンドという、GATTを改組 してWTO(世界貿易機構)が設立された通商交渉を思い出す。 学生時代には、米の配給制度で米穀通帳が下宿で必要だった。 戦時食糧管理制度(1942年)が成立し、米価引き上げ、干拓 事業の推進で米食糧事情は過剰供給に転じ、1970年には 減反政策が始まり、1993年にはウルグアイ・ラウンドを受けて 「米の一部自由化」、1995年には食管法廃止となる。 ウルグアイは政治、労働の状態においては南米で最高度の 自由を保つ国。 ウルグアイ東方共和国略史<資料出所:外務省など>年月略史1825年独立宣言(8月25日,独立記念日)1903年バジェ大統領,民主主義政策,社会保障整備を推進1973年極左テロ鎮圧により軍部台頭,議会閉鎖(軍政化)1984年軍部及び政党関係者の合意により民政移管を発表1985年3月サンギネッティ大統領就任(コロラド党)(民政移管)1990年3月ラカジェ大統領就任(国民党)1995年3月サンギネッティ大統領就任(コロラド党)2000年3月バジェ大統領就任(コロラド党)2005年3月バスケス大統領就任(FA(拡大戦線)党(左派))2010年3月ムヒカ大統領就任(FA(拡大戦線)党(左派))(ウルグアイ その2 に続く)
Oct 31, 2012
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(パラグアイ その1 から続く) 基本事情<資料出所:外務省、世界経済のネタ帳、WIKIPEDIAなど>国名パラグアイ共和国最下流はラ・プラタ川で、パラナ川に合流する「パラグアイ川」が国内を流れる 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)75位通貨グアラニー1米ドル=4,342グアラニー(2012年4月30日)国旗赤白青の横三色旗。表面の中央部には国章が、裏面の中央部はライオンと自由の帽子、「平和と正義」(PAZ Y JUSTICIA)と記したリボンを配置した国庫証印がある。国の標語Paz y justicia(スペイン語: 平和と正義)面積:平方キロ406,752平方km日本の約1.1倍国の位置東と北東をブラジル、西と北西をボリビア、南と南西をアルゼンチンに囲まれている内陸国である。人口:千人6,570千人(2011年)人口密度:/平方キロ16人首都アスンシオン(「聖母の被昇天 (Asunción de María)」に由来)都市圏人口:85万人(特別区)標高:53m不定期観光鉄道以外はバスが発達東京からの大気圏距離:18,013km時差:JST-12時間サマータイムJST-13時間(今回10月7日~来年4月14日)ラ・プラタ川河口のブエノスアイレスまでの大圏距離:1,040km民族混血(白人と先住民)95%、先住民2%、欧州系2%、その他1%言語スペイン語、グアラニー語(ともに公用語)宗教主にカトリック(信教の自由は憲法で保障)政体立憲共和制元首ルイス・フェデリコ・フランコ・ゴメス(2013年8月まで)議会二院制(上院45、下院80、任期5年)政権副大統領 オスカル・デニス・サンチェス、外相 ホセ・フェリックス・フェルナンデス軍事予算 約248百万ドル(2011年、ミリタリーバランス)、兵役 徴兵制、兵力 陸軍7,600人、海軍1,950人、空軍1,100人主要産業農牧業(綿花、大豆)牧畜業(食肉)、林業<農牧畜業で、輸出総額の8割以上を占める>GDP:億ドル239億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル3,649ドル(2011年)実質GDP成長率3.7%(2011年)物価上昇率4.9%(2011年)失業率7.0%(2011年)財政収支/GDP比0.8%(2011年)対外債務23億ドル(2011年)政府総債務残高/GDP比12.0%(2011年)経常収支(国際収支)▼2.5億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼60億ドル(2011年)貿易額:輸出A55億ドル(2011年)同 :輸入B115億ドル(2011年)貿易品目:輸出大豆(世界第4位)、食肉、穀物、木材(2011年)同 :輸入機械機器、電子機器、原油・燃料、自動車(2011年)<原油 15億ドル(13%)>貿易相手国:輸出ウルグアイ、アルゼンチン、ブラジル、チリ、スイス(2011年)同 :輸入中国、ブラジル、アルゼンチン、米国、ベネズエラ(2011年)対日輸出51億円 内訳農産品(ごま、大豆)対日輸入 95億円 内訳自動車、機械、化学製品直接投資受入額(日本から)4,700万ドル(2010年) 主要援助国2009年西 39百万ドル日 37米 271976年以来、2004年、2009年を除いて日本が最大日本の援助実績2009年度まで累計有償:1,383億円無償: 318億円技術: 811億円日本人移住者・日系人約7千人世界遺産 17世紀から18世紀に南米大陸各地に築かれた先住民のキリスト教化のための小規模集落群の一環ラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナ(「パラナの聖三位一体」の意)は、パラグアイのイエズス会伝道所遺跡。「トリニダー遺跡」と呼ばれる。1706年建造され1767年イエズス会退去後、廃れた。ヘスース・デ・タバランゲは1685年に築かれたイエズス会伝道所である。
Oct 30, 2012
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小生には、パラグアイというと、サッカーのゴールキーパー のチラベルト選手の名防御ぶりが焼き付いている。 単に、「お腹の具合」というような自分なりの憶え方があったが、 この国では赤痢・コレラ感染の危険情報は見あたらず、デング 熱、黄熱の危険があり、むしろ治安に関する渡航情報に注意を 払うべきだろう。 昇格した新大統領が近隣諸国から認められないという不幸が、 来年の正式選挙まで続きそうである。 略史<資料出所:外務省など>年月略史1811年スペインから独立1864年~1870年三国戦争(対ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイ連合軍)で人口激減1932年~1935年チャコ戦争(対ボリビア)に勝利1954年ストロエスネル将軍がクーデターにより政権掌握。以後35年間にわたり独裁政権継続1989年2月クーデターによりロドリゲス将軍が政権掌握1989年5月ロドリゲス将軍、大統領に就任1993年8月ワスモシ大統領就任(文民政権)<政局は不安定を否めず>1998年8月クーバス大統領就任1999年3月ゴンサレス大統領(前上院議長)就任2003年8月ドゥアルテ大統領就任<政権後半、停滞、失業・貧困問題、治安悪化が顕在化>2008年8月ルゴ大統領就任<中道左派で元司教。野党連合「変革のための愛国同盟>2012年6月上院によりルゴ大統領が弾劾される。<農地改革に伴う農民と警官の銃撃衝突事件での弾劾>フランコ副大統領が大統領に昇格。<上院の弾劾は、近隣諸国で結成する南米南部共同市場(メルコスール)や南米諸国連合(UNASUR)から、前大統領に充分な抗弁機会を与えていないとの指摘を受けており、現大統領は、「民主的秩序の回復が確認されるまでの2013年4月の次期大統領選挙まで」はこれらの会合への参加を認められず、小数与党・フランコ新政権は難しい立場にある。>(パラグアイ その2 に続く)
Oct 30, 2012
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土曜日午後から日曜日午前中は、久しぶりの「めいてい会」で 仲間と箱根仙石原を楽しんだ。 新宿ハルク前の小田急高速バス乗り場は、周りがまるで変わっ ており、新宿駅には1時間前に到着したが辿り着くのに苦労した。 バスの到着が遅れがちらしいので、30分早い便に切り替えて お弁当を買い出し、トイレに寄ってから、乗車した。 仲間のうち4人も同乗していた。 途中は混雑し、仙石原地区には、1時間余も延着したようだが、 テニス開始時刻には間に合ったようだ。 OB、OGに混じって現役組も参加している。 OB組には、小生のような足腰が不自由なものもいて、現役組の スピードボールにはついて行けないが、無理をして球を追いかけず 「悠然と見送る余裕」が出来ている。 若い頃には球に追いつけないと悔しい思いがしたり、パートナーに 悪いと「自戒の念が湧いた」が、今は超越した感覚で楽しんでいる。 「年寄りだからこれくらいだろう」と相手に見切られているが、 それに抵抗する馬力・気力も無いことがわかる。 「これくらいの範囲」をせいぜい高めておく位しかできないのだから、 「意表を突いての攻撃」ぐらい研究しておきたいと思う。 若いときは「ロブ攻撃が有効」であったが、球に勢いが無くなり 「逆襲されるのがオチ」である。 オチ君と言えば、今回の会を挙行してくれた恩人であり、 「Beyond WISDOM」という姓名である。 夕方になると大涌谷方面から冷気が仙石原に舞い降りてきた。 医者から、極端に寒いときや、極端に暑いときには運動しない ように注意されているが、本当に頭が「ジンジン」してきた。 血管が収縮して、血圧が上がり、危ない状態に近づいている証拠 である。 切り上げて、仲間の大型自家用車で宿泊所に向い、温泉に入った。 箱根では、硫黄の臭いが強い温泉で気持ちよく、タオルは宿泊所 で用意しているものを利用する。 湯上がり後は、全身マッサージ機で体をほぐして、宴会場に入った。 ビールでの乾杯だが、小生はビールは「まずい」ので吟醸酒にして もらった。 「血液サラサラ」の薬を飲み出してから、ビールは砂を舐める感触 で不味いのだ。 吟醸酒と、シャンペーンを少しだけ飲める状態である。 宴会は、幹事によると20周年目というが、もっと長いような 気がする。 この宿泊所も売却されるとのことで、我々OB,OGが利用できる のは今期限りで、寂しい限りである。 現役組から聞くところでは、「給与のダウン」、「残業の制限」、 「昼休み時間の厳守」、「部下からの上司の評価」など、我々の 「所得倍増時代組」とは格段に違った世相を生きているらしい。 我々の時代は、列島改造論などの勇ましい国論があり、結局は バブルとなってはじけ飛び「空虚の!十年」を生んでしまったが、 威勢の良いのは良いことである。 何でも悪く解釈して縮み込んでしまい、他国から良いように 扱われるのがオチの時代に入り込んでいる。 官僚が悪いと言う前に、官僚が国の将来を憂えて、一人一人が 努力してきた明治の偉人を思うべきではないだろうか? 明治維新を言う前に、坂本龍馬の苦痛の人生を学ぶべきでは ないだろうか。 彼は、時代を否定するよりも、新しい時代を夢見ていたに違いない。 将軍だって、大臣として立派な働き口を見つけてあげていたのだから。 自分は、大臣ではなくて世界を駆けめぐる商船の船長として貿易立国 の先導役として働きたかったのである。・・・ いやいや、小生達も、今後は、「医療費の世代間平等の原則」と やらで、1割負担を3割に戻され、年金も大幅に減らされる政策が 待っているようである。 明治維新のように、貧しい日本を美しいものと思う時代が復活 しそうだ。 「美しい日本」という言葉が、「美しい世界」のなかで息づくような 世の中になって欲しい。 「企業に役立つ審査」を謳い文句に「自分では頑張ってきた時代」 を懐かしく思って、地下の「カラオケ・ルーム」に移った。 「カラオケ・ルーム」では、「裕次郎、石川さゆり」並みの美しい声に 酔いしれて12時頃まで「めいてい会」が騒いだ。 朝風呂に入りマッサージ機を終えて、豪勢な朝食を摂ってコートに 向かった。 昨夜は少し雨が降っていたらしく、オムニコートは湿り、少し雨が 降ってきたので、ドームに入った。 コートを毎年利用しているので、我々は優遇されているようである。 来年から宿泊所は利用できなくなるが、コートがタイアップしている ホテルがあるらしいのでそこを利用するという。 シャワーを浴びて、参加者全員の記念写真を取った。 OGが二人参加しているが、物凄い美人ながら、未だ独身である。 あまりに美人過ぎ、男性が近寄りがたかったと言うから勿体ない話。 仲間の車で、「金時まんじゅう」の売店まで送って貰い、「まんじゅう」 を買い、「手作りソーセージ屋」で「焼豚ブロック」を買って、妻への お土産とした。 近くのスーパーで「御握り」と「お茶」を買って、高速バスに乗った。 昔の若い頃は、ビールとおつまみを買ってバスでは撃沈したが、 今回はのんびりと、旧友との会話を楽しんだ。 来年の秋、芒が靡く、箱根にまた仲間で来よう。
Oct 29, 2012
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(補足 その1 から続く) 2002年8月~2003年10月サンチェス・デ・ロサダ大統領 民族革命運動党 (MNR) 貧困問題の悪化を背景に、対米天然ガス輸出計画に対する先住民団体の大規模・反政府運動への軍鎮圧で70名を越す死者を出して退陣。2003年10月~2005年6月メサ大統領 ジャーナリスト出身。前大統領退陣により、副大統領から就任。西部住民(貧困)と東部住民(裕福)との対立から国内道路封鎖抗議活動が過激化し退陣。2005年6月~2006年1月ロドリゲス大統領 前大統領が続いて退陣したため、憲法上第3位の継承権を持つ最高裁長官として就任。2006年1月~2009年12月モラレス大統領 第一期 社会主義運動党(MAS)。 左派先住民指導者で、貧富是正、先住民の権利拡大を掲げ、新憲法制定を目指す。米国主導の麻薬撲滅、急速な経済自由化に反対し、炭化水素資源の国家管理の強化を打ちだす。2009年1月の国民投票で、先住民の権利拡大、地方分権推進、農地改革・土地所有制限、天然資源の国家による所有等を定めた新憲法が61.43%の支持を得て、2月に発布された。2010年1月~モラレス大統領 第二期(任期5年) 就任時の支持率は64.2%であったが、ガソリン値上げ(80%)、国立公園縦断道路建設反対デモへの警察の暴力介入、政党の候補リスト作製問題で反発を招き30~35%の支持率に落ち込んでいる。 対米関係、地域統合等に関し路線変更傾向(FTAAへの消極的対応、ベネズエラやキューバへの接近)が見られるほか、新たなパートナー(イラン、中国、ロシア等)との関係構築を模索している。チリとの間では、「海への出口」問題を巡り、国際裁判所への提訴意向を表明したことで外交関係はない(領事関係のみ)。2014年~2015年10月29日モラレスが大統領選で3度目の当選、2015年1月第3期モラレス政権が発足2019年10月20日モラレスは大統領選で4度目の当選を果たすも、開票結果の不正操作疑惑が浮上して抗議活動から混乱し、国軍、警察などからの辞職勧告で11月10日大統領を辞職、12日にメキシコへ亡命。憲法裁判所はヘアニス・アニェス上院副議長を暫定大統領に指名。米国、ブラジル、コロンビア、エクアドルも承認した。
Oct 19, 2012
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年月略史 <在ボリビア日本国大使館資料など>独立以前 高原地帯には、約3千年前からティワナク文明が現れ、紀元後9~11世紀にかけティティカカ湖畔から中央アンデス全域に拡大。13世紀にはケチュア族のインカ帝国が成立し、現在のボリビア(当時はコジャスと呼ばれた)もその支配下となる。 他方の、東部アマゾン低地では、半定住様式のアラワク、トゥビ・グァラニー、チキートなど部族や多数の狩猟・採集民族が独自の生活を送っていた。 1533年にインカ帝国の滅亡後、当国領域は征服者に与えられた「ヌエバトレド」という漠然とした地域となったが、ペルー副王領の管轄地で「アルトペルー」と呼ばれ、1559年に現スクレ市に「行政兼司法府」が設置され、長官は或る程度の独立権を行使できた。 高原地帯の先住民は、スペイン王室の重商主義・統治により、鉱山(ミタ制による労働徴発)・農園(土地の収奪)の労働力となり、1545年に発見されたポトシ銀山は1650年ころ人口16万人の新大陸最大都市となり、その発展は西欧の経済改革革命の引き金となった。過酷な労働条件の鉱山就労、西欧起源の疫病で人口は激減した。 東部の低地では、イエズス会布教活動で定住化が行われ植民地経済の一角を形成したが、1767年の同会追放以降は発展から取り残された。 アルトペルーは1776年にペルー副王領からラプラタ副王領に転入されたが、スペイン人でも「現地生まれ」が小数の「本国生まれ」の支配に反対して1809年に独立運動を起こした。1825年スペインより独立。 最終的にアルトペルーを解放したのは、ベネズエラ、コロンビア、ペルーを相次いで独立させたシモン・ボリーバル (Simon Bolivar)の軍隊とこの軍隊を率いたスクレ将軍 (Sucre)である。1824年にアヤクチョの戦いで副王軍が敗れペルーが完全に解放されると、翌25年にスクレ将軍がアルトペルーを解放し、現スクレ市で独立宣言した。新生国家は解放者・ボリーバルにちなみ「ボリビア」と名付けられ、同人の起草した憲法が採択され、スクレ将軍が終身大統領に選ばれた。27年の内乱でスクレは国外追放となり、後継者・サンタクルス将軍が国内秩序を確立。独立当初の模索の「ボリビア・ペルー連合」はチリの干渉で崩壊している。 1879~1883年チリとの太平洋戦争 当時国内のチリ企業の鉱業権の税率を、財政難とペルー政府の要請もあり一方的に引き上げ、チリ企業が増税を拒否すると鉱山を接収した。チリは、ペルー、ボリビアに宣戦布告し、4年間の戦争で敗北、1904年の講和条約で海岸領土を割譲し、内陸国となる。敗戦の責任は、政治に介入する軍人指導者に帰せられ、軍の非政治化、鉱業ブルジョアの支持する政党政治が定着。1899~1903年ブラジルとのアクレ紛争 ゴム産地の北東部・アクレ地方のブラジル人農民が反乱し、地方の独立宣言となり、両国が紛争に巻き込まれて1903年ペトロポリス条約でアクレ地方をブラジルに割譲。1932~1935年パラグアイとのチャコ戦争 その後20年以上、文民政治で安定したかに見えたが、錫に依存した産業構造は、錫の国際価格の下落で輸出が停滞し、恐慌となる。この国家的危機を国境紛争なる対外問題に置き換えようとしたものだが、ナショナリズム高揚どころか、6万人以上の死者と、チャコ地方喪失の痛手、経済不況、インフレによる鉱山労働者、農民、都市の中間層への圧迫を負った。1952年(4月9日)「ボリビア革命」 チャコ戦争に参加した青年将校達の間には、敗戦は指導者の無能と腐敗がもたらしたとの意識が広がっていった。軍事社会主義時代に入ると、米系石油会社国有化、ボリビア石油公社の設立、労働省の設置・労働条件改善が図られ、革命母体・民族革命運動党(MNR)が創設された。鉱山労働者が労働条件改善要求で立ち上がると、政府は武力弾圧(カタビ鉱山虐殺:1942年)、MNRと結んだ軍の民族主義グループがクーデターで政権を握った。総選挙でMNRが有効票のほぼ半数を獲得するも、軍事政権が認めなかったため、MNRは警察、武装鉱山労働者を味方にクーデターを起こして臨時政府を樹立、パスが亡命先から帰国して大統領に就任した。鉱山国有化、農地改革、文盲への選挙権付与を含む普通選挙法の施行、旧軍隊の解体など社会の根底を揺さぶる諸改革を実現した。しかし、この革命は、官僚的非効率、労働運動に伴う生産性低下、農業では小規模化による生産性低下、などの弊害を生み出し、国際収支悪化、天文学的インフレを生み出した。MNR政権は社会主義政策の修正を余儀なくされ、外資導入、労働者権利制限などで保守化し、MNR政権からの離反、内部分裂が発生する。1964~1982年軍事政権 レネ・バリエントス・オルトゥーニョ空軍司令官のクーデターが起こる。米国の「進歩のための同盟」の良き協力者として同国の軍事援助を得、左翼ゲリラ活動の徹底取り締まりで、革命家・チェ・ゲバラを処刑、親米路線をとる。しかし、自身は謎のヘリ事故で死亡。 その後のクーデターで成立したオバンド、トーレス両軍事政権は、ガルフ石油の接収で、保守化していた中間層の反発を招き、バンセル保守軍事政権に奪取された。 バンセル政権は外資優遇に基づく開発戦略と反共・親米政策をとり、鉱物価格の安定に支えられて7年続くも、独裁色が国際的な非難を浴びた。 その後も何回かクーデターが繰り返された。強圧政治、コカイン輸出で内外から強い非難を受け、経済状況の悪化、労働組合の圧力により軍部から文民政治に移った。1982~1985年シーレス・スアソ大統領(民政移管) 民主人民連合(UPD) ラテン・アメリカ史上未曾有のハイパーインフレーション(1985年には年率約2万%)を招いた1985~1989年パス・エステンソロ大統領(21年ブリ、4回目) 民族革命運動党 (MNR)党首 国営企業合理化などで国家財政健全化、輸出入、外貨取引の自由化などの「新自由主義経済政策」で抜本的経済改革を行ない、労働攻勢には戒厳令施行で鎮静化、中南米諸国で最も低い水準(20%以下)に抑えることに成功、2年連続のプラス成長を達成。1989~1993年パス・サモラ大統領 UPDの流れを汲む左派革命運動党(MIR)が、中道右派の民族民主行動党(ADN)と連合 基本的に前政権の自由主義経済路線を踏襲、経済安定の中での民主化定着に尽力1993~1997年サンチェス・デ・ロサダ大統領 民族革命運動党 (MNR)は、左翼系MBL(ボリビア自由運動党)と新興のポピュリスト政党UCS(連帯市民連合、94年9月政権離脱)を招き、8月6日政権連立。 世銀、IMFの勧告に従い経済の構造調整を図る路線を踏襲。先住民を含めた「大衆参加政策」も推進し、6大国営企業の民営化に意欲的に取り組み。1997~2001年8月バンセル大統領 (元大統領) 民族民主行動党(ADN)が勝利し、8月、左派革命運動党(MIR)、連帯市民連合(UCS)及び愛国良心党(CONDEPA)(但し愛国良心党は98年8月連立を離脱)と政権連立。2001年~2002年キロガ大統領 前大統領が病気で退任したため、副大統領が就任(略史補足 その2 に続く)
Oct 19, 2012
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(ボリビア その2 から続く)対日輸出(2018年,日本財務省貿易統計) 158億円 内訳亜鉛,銀,コーヒー,砂糖,木材等対日輸入 438億円 内訳自動車・自動車部品,機械,工業用品等直接投資受入額(日本から2018年) なし在留邦人数2,991人(2018年)(外務省「在留邦人数調査統計」)日系人 約1万人(推定)主要援助国DAC2016年(1)ドイツ(3,469万米ドル)(2)スイス(3,038万米ドル)(3)デンマーク(2,343万米ドル)(4)スウェーデン(2,214万米ドル)(5)ベルギー(2,076万米ドル)日本の経済援助2010年度まで(1)有償資金協力 1,110.06億円(E/Nベース)(2)無償資金協力 916.19億円(E/Nベース)(3)技術協力実績 735.11億円(JICA実績ベース)世界遺産概略(WEB情報より)ポトシ市街16世紀に設置され、人口も一時は20万人を数えた。労働力としてアフリカ人奴隷も連れてこられている。スペイン統治時代に金・銀を多く産出する鉱山が開発され、45千トンの銀などを産出したが、19世紀にはすっかり枯渇。標高4千mの人が住む町では世界最高地点。市域人口:16万人(2007年)チキトスのイエズス会伝導所群チキトスに残る6つの伝道所。スイス人のイエズス会宣教師マルティン・シュミット は、建築家でもあり音楽家でもあった人物で、「混血の」バロック様式で建てられた伝道所の大変美しい聖堂群は、彼に多くを負っている。「金メッキを施されたもの」)と呼ばれる金色のまばゆい祭壇もある。壁面の絵画もこれまた素晴らしいものである。古都スクレ最高裁判所があるだけで、その他の国家機関はほぼラパスに集まっている。今も16世紀に建造されて以来蓄積されてきたコロニアル様式の古い町並みが残っている。白く美しい建物が多いため、「白の街」と呼ばれることもある。サマイパタの砦砦と呼ばれるが、実際には軍事拠点ではなく、コロンブス到達以前の宗教的な遺跡である。おそらくはインカ人たちによって建てられた。この遺跡は空飛ぶ円盤の発着施設跡と主張するものもいた。ティワナク文化中心地首都ラパス近くのチチカカ湖の東沿岸(そこから17km)にある。ティワナクはプレ・インカ期の遺跡名、およびその管区と村の地名。また、その時代の社会や文化をさす言葉としても用いられる。破壊がすさまじく、めぼしいものはない。ただし、遺跡に付設する博物館に出土遺物を展示。ノエル・ケンプ・メルカード国立公園 調査研究者の名を冠す、元の名はウアンチャカ国立公園。ブラジルとの国境にあり、大小様々な湖がある。川が合流する地域で、いくつかの滝を形成し、アルコ・イリスの滝は80mあり壮観である。 <首都・ラパスから他国の港湾への大気圏距離> ペルーのイロ港: 363kmチリ のアリカ港:319kmチリ のイキケ港:465km <首都から国内の都市・開拓地への大気圏距離> スクレ: 417kmポトシ: 426kmサンタクルス568kmサンファン 453km(日本人開拓地)オキナワ 565km(日本人開拓地)
Oct 19, 2012
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(ボリビア その1 から続く) 人口:万人1,135万人(2018年 世銀)人口密度:/平方キロ10人首都ラパス(憲法上の首都はスクレ、1899年の「連邦革命」)市域人口:88万人(2008年)標高:3,600m強で「雲の上の町」東京からの大気圏距離:16,548km時差:JST-13時間サマータイムなし<ラパスとスクレ間 417km>民族先住民41%,非先住民59%言語スペイン語及びケチュア語,アイマラ語を中心に先住民言語36言語宗教国民の大多数(95%以上)はカトリック教徒政体立憲共和制元首ジェアニネ・アニェス・チャベス暫定大統領(H.E. Mrs. Jeanine Áñez Chávez)議会二院制(上院36名、下院130名)政権(1)副大統領 未就任(2)首相 なし(3)外相 カレン・ロンガリク・ロドリゲス(H.E. Mrs. Karen Longaric Rodríguez)軍事(ミリタリーバランス 2019)(1)予算 約3億150万ドル(2)兵役 徴兵制(3)兵力 35,000人主要産業天然ガス,鉱業(亜鉛,銀,鉛,錫),農業(大豆,砂糖,トウモロコシ)GDP407億米ドル(2018年IMF)一人当たりGDP3,622米ドル(2018年IMF)GDP成長率4.0%(2018年IMF)物価上昇率3.5%(2018年IMF)失業率4.0%(2018年IMF)貿易額:輸出A 90.60億米ドル(2018年国家統計局)同 :輸入B 99.95億米ドル(2018年国家統計局)貿易品目:輸出 天然ガス,亜鉛,金(地金),大豆,銀同 :輸入 工業用品,機械,自動車・自動車部品,燃料・ 潤滑油貿易相手国:輸出 ブラジル,アルゼンチン,インド,日本,韓国, 米,コロンビア,中国同 :輸入 中国,ブラジル,アルゼンチン,ペルー,米,チリ,日本,スペイン(ボリビア その3 へ続く)
Oct 19, 2012
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チチカカ湖やウユニ塩湖が雄大であり、ユニクロCMで 知られている。 国土は独立時に比べて、隣接国との戦闘で46%に縮小し、 海への出口までも割譲せざるをえず、内陸国となった。 高山病に罹る人も多く、コカ茶が緩和剤として良いというが、 日本、アメリカなどでは麻薬の一種として扱われる。 首都ラパス市から北東のユンガス地方へ向かう、切り立った アンデスの断崖絶壁の80km山道(バス1台の幅)を通過 する必要があり、雨や霧の多い気候にあり、その「デス・ ロード」は毎年200人以上の命を飲み込んでいる。 日本からの移民は1899年のペルー移民がアンデス山脈を 越えて、再移住したことに始まり、戦後の移住計画でオキナワ、 サンファン移住地が開拓された。 先住民出身反米主義大統領が、炭化水素資源の国有化など を行っている。 詳しくは、日本ボリビア協会のホームページなどをご覧下さい。 ボリビア多民族国略史<資料出所:外務省、WIKIPEDIA>Rev.Jan5,2020年月略史1825年スペインより独立1964年~1982年軍事政権1982年~1985年シーレス・スアソ大統領(民政移管)1985年~1989年パス・エステンソロ大統領1989年~1993年パス・サモラ大統領1993年~1997年サンチェス・デ・ロサダ大統領1997年~2001年8月バンセル大統領2001年~2002年キロガ大統領2002年8月~2003年10月サンチェス・デ・ロサダ大統領(対米天然ガス輸出計画への先住民団体の反政府運動で退陣)2003年10月~2005年6月メサ大統領(前大統領退陣で副大統領から就任したが、貧困西部住民と裕福な東部住民との対立から国内道路封鎖抗議活動の過激化から退陣)2005年6月~2006年1月ロドリゲス大統領(前大統領が続いて退陣したため、憲法上第3位の継承権のある最高裁長官として就任)2006年1月~現在モラレス大統領 第一期(左派先住民指導者で、社会主義運動党・MASの候補が貧富是正、先住民の権利拡大を掲げ、新憲法制定を目指した。米国主導の麻薬撲滅、急速な経済自由化に反対し、炭化水素資源の国家管理の強化を打ちだした。2009年1月の国民投票で、先住民の権利拡大、地方分権推進、農地改革・土地所有制限、天然資源の国家による所有等を定めた新憲法が61.43%の支持を得て、2月に発布された)2010年1月~2019年11月モラレス大統領 第二期(任期5年)就任時の支持率は64.2%であったが、ガソリン値上げ(80%)、国立公園縦断道路建設反対デモへの警察の暴力介入、政党の候補リスト作製問題で反発を招き30~35%の支持率に落ち込んでいる。対米関係、地域統合等に関し路線変更傾向(FTAAへの消極的対応、ベネズエラやキューバへの接近)が見られるほか、新たなパートナー(イラン、中国、ロシア等)との関係構築を模索している。チリとの間では、「海への出口」問題を巡り、国際裁判所への提訴意向を表明したことで外交関係はない(領事関係のみ)。モラレス大統領が大統領選に選ばれるも選挙操作の疑いで辞任を余儀なくされてメキシコに逃亡。2019年11月 アニェス暫定大統領 資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など国名ボリビア多民族国国土を解放してくれた二人の将軍に肖り、「シモン・ボリバル将軍」を国名に、「アントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍」を首都に命名した。2009年3月に「共和国」から「多民族国」に変更 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)117位通貨ボリビアーノス1米ドル=6.86ボリビアーノス(2019年8月)国花カントゥータはボリビアの国花。低地に咲く花で、花弁は赤、花弁の付け根は黄、茎は緑でボリビア国旗と同じ色。<ペルーと同じ国花>国旗「国旗は水平方向に 3 つに分けられた帯をなし、その幅は等しく、色は一番上が赤、中央は金、一番下が緑とする。」赤、黄、緑の三色旗で、中心にある紋章のコンドルは希望を象徴。赤は独立戦争で流れた血、黄は豊かな鉱物資源、緑は森林資源を表す。 国の標語Morir antes que esclavos vivir(スペイン語: 奴隷として生きるより死ぬこと)面積:平方キロ1,100、000平方km(1,098,581平方km 在ボリビア 日本大使館) 日本の約3倍国の位置と特色国の面積はアメリカ大陸では8番目に、世界的には27番目に大きい国である。かつてはより広大な国土面積を有していたが、周辺国との戦争に負け続けたために現在では最大時の半分ほどになってしまった。北と東をブラジル、南をアルゼンチン、南東をパラグアイ、南西をチリ、北西をペルーに囲まれた内陸国である。ラテンアメリカでも最も開発が低い水準にある国の一つで、かつて「黄金の玉座に座る乞食」と形容されたほど豊かな天然資源を持つが貧しい国であり、現在もその構図は変わっていない。独立前はアルト・ペルー(上ペルー、高地ペルー)と呼ばれていたが、独立に際してラテンアメリカの解放者として知られるシモン・ボリバル将軍と、アントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍に解放されたことを称えて、国名をボリビア、首都名をスクレ(旧チャルカス)と定めた。 失った国土は旧国土の半分強 独立時:237万平方キロ現在:109.9万平方キロ▼1884年 チリとのバルパライソ条約で銅と硝石の鉱山が豊富な太平洋岸の領土(リトラル県)を割譲し、海への出口を持たない内陸国になる(正式には1904年)。▼1903年 アクレ紛争に結果的に敗北し、ゴムの一大生産地だったアクレ県をブラジルに割譲。▼1938年 チャコ戦争が正式に終結。ブエノスアイレス講和条約によりチャコ地方がパラグアイの領土となる国土の地理分類1.「チチカカ湖およびアンデス山脈地域」29% 標高3千m以上の年中寒冷気候。 「高原地帯=アルティプラノ」という。 チチカカ湖8,686平方km、ポーポ湖2,700平方kmの 巨大湖や 巨大な塩湖ウユニが広がる。 首都ラパスはチチカカ湖近くにある。2.「北東から東側のアマゾン熱帯地域」62% 「東部平原地帯=リャノ」という。北方はアマゾン水系、 南方はラプラタ水系に属している。3.「中間地帯」9% 「渓谷地帯=バジェ」という。スクレ、コチャバンなどの盆地 がある。 温暖な果樹栽培適地。コカの栽培盛ん。 コカ茶として現地では飲用されるが、米国、日本 などではコカインとして抽出可能なので、麻薬取り 締まり対象である。現地では、日常のお茶で、 高山病緩和、鉱山労働の重労働緩和などにも効果 あるとされる。(ボリビア その2 へ)
Oct 19, 2012
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(ペルー その2 から続く) 原油輸出 47億ドル(2011年)原油輸入 57億ドル(2011年)原油輸出入差▼10億ドル(2011年)対日輸出1866億円(2011年)<前年比7.2%> 21.7億ドル(2011年)<銅、亜鉛(精鉱)は微減、震災需要でLNGのスポット需要を南米で唯一供給。> 内訳銅、亜鉛、魚粉、銀 原材料 66.1% (銅・精鉱53.3%, 亜鉛・精鉱 7.4%, 鉄・精鉱 2.2%,魚油0.5%)食糧品 10.7% (飼料用魚粉5.8%,コーヒー0.9%, 赤イカ0.9%,擂り身0.2%)工業製品 7.8% (銅地金3.4%,亜鉛地金2.5%, 天然着色料0.4%)その他 15.5%対日輸入 727億円(2011年)<前年比▼7.6%> 13.1億ドル(2011年)(内需の好景気を受け建設、鉱業向け機械が好調だが、自動車販売では地震(東日本)と水害(タイ工場)で台数枯渇し、苦戦し、韓国が有利となった。日本車のシェアは親日を反映30%。) 内訳自動車、鉄鋼製品、タイヤ 工業製品 97.3% (自動車56.3%,金属製品 11.8%,ショベルカー2.9%)直接投資受入額22、020百万ドル(2011年)<国際経済の不透明感に加えて、鉱山開発(金)による水資源悪影響懸念の住民反対運動で、輸送、金融のみが伸び、他は減少。主要国では、英国、カナダのみ増加。>日本からの直接投資受入額 234百万ドル(2011年)主要援助国2005年~2009年日本 781百万ドル米国 705西 576独 425日本の援助実績2010年度まで有償: 3,957億円無償: 630技術: 491世界遺産概略クスコ市街インカ帝国首都、美しい教会やインカの石造建築技術の遺跡マチュピチュ標高3,300mの空中都市。インカの精密石造遺跡チャピン・デ・ワンタル紀元前1千年~100年の栄華、地下神殿、半人半獣石像遺跡ワスカラン国立公園標高3千mのワラスを囲む6千m超の万年雪山と、青い湖チャンチャンチムー王国の神殿遺跡マヌー国立公園クスコから入る、ペルーの奥地ジャングルで動植物の宝庫。リマの旧市街の街並インカ帝国征服者・ピサロが建設。古い教会などあり。リオ・アビセオ国立公園チャチャポヤス文化遺跡はマチュピチュの3倍ナスカの地上絵雨の降らない砂漠へ巨大な地上絵。アレキパの町並み白い火山灰質材で統一された町。ミスティー山の景色。<標高>リマ 0mナスカ 500~620mマチュピチュ 2430mクスコ 3300m <観光地間大気圏距離>リマとクスコ間の距離: 576kmクスコとマチュピチュの距離:71kmリマとナスカ間の距離: 362kmナスカとマチュピチュの距離:330km
Oct 18, 2012
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(ペルー その1 から続く)政体立憲共和制元首オリャンタ・ウマラ・タッソ大統領(2011年7月28日就任、任期5年)→2016.4.10大統領選挙決選投票 ペドロ・パブロ・クチンスキー50.120% 「変革のためのペルー」 ケイコ・フジモリ 49.880% 「人民勢力党」 議会一院制(130名) 人民勢力党 73議席 「正義・生活・自由のための拡大戦線」20議席 「変革のためのペルー」 18議席政権首相 フアン・ヒメネス(2012.7.23就任。現政府3人目) →2016.8 フェルナンド・マルティン・ サバラ・ロンバルディ →2017.9.17 メルセデス・アラオス・フェルナンデス (女性) 元通商・観光大臣、第二副大統領外相 リカルド・ルナ・メンドーサ軍事予算 18億ドル(2011年予算)、兵役 志願制、兵力 11.5万人(ミリタリー・バランス2012)主要産業製造業、農牧業、鉱業GDP:億ドル1,768億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル 5,500ドル(2011年)実質GDP成長率6.9%(2011年)物価上昇率4.7%(2011年)失業率7.9%(2011年)財政収支/GDP比 2.5%(2011年)政府総債務残高/GDP比20.9%(2011年)政府純債務残高/GDP比 6.3%(2011年)対外債務残高 475億ドル(2011年)外貨準備高472億ドル(2011年)経常収支(国際収支)▼ 23億ドル(2011年、JETRO)貿易収支(国際収支) 93億ドル(2011年)貿易額:輸出463億ドル(2011年)<前年比30.1%>同 :輸入370億ドル(2011年)<前年比26.2%>貿易品目:輸出銅、金、農畜産物、鉛、繊維製品、魚粉(2011年) <JETRO>(2011年)伝統産品 77.5% (銅の地金・精鋼23.2%,金21.8%,原油・同製品7.4%,鉛の地金・精鋼5.2%,魚粉3.8%,亜鉛の地金・精鋼3.3%,モリブデン1.2%)非伝統産品21.9% (農産品6.1%,繊維製品4.3%,化学品3.6%,金属製品2.4%,水産品2.3%,木材・紙0.9%)その他 0.7%輸出コメント中国が28.3%の増加で、横ばいの米国を抜き最大の輸出国となる。中国は旺盛な資源需要(鉱石類、銅製品、魚粉)で今後も持続。銅・金の生産は前年並みだが、市況の高止まりで2割、3割増加し、2品目で輸出の45%を占めた。農産物(ブドウ、アスパラガス、アボガド、マンゴー)が32%増加、繊維製品も主力の米国、ベネズエラ以外の近隣・ブラジル、コロンビアに拡販し好調。同 :輸入石油及び石油製品、食品原料、繊維、プラスチック(2011年) <JETRO>(2011年)原材料・中間財 49.4% (工業用30.9%,燃料・潤滑油15.5%,農業用3.0%)資本財 31.6%(工業用19.7%、輸送機器7.6%、建築資材3.9%、農業用0.3%)消費財 18.1%(非耐久9.4%、耐久8.7%) 主要食糧品 6.2%(大豆、メイズ・コーリャン、小麦、砂糖、乳製品)輸入コメント原材料・中間財、資本財ともに約3割増で建築資材が好調。国別では上位の米国(26.7%増加)、中国(23.6%増加)が36%を占める。貿易相手国:輸出(JETRO,2011年)NAFTA 22.9% (米12.7%,加9.2%) EU 18.2% (独4.2%,西3.7%,伊2.8%, 蘭1.9%)アンデス共同体 5.1% (コロンビア2.3%、エクアドル1.8%、 ボリビア1.0%)メルコスール 3.3% (ブラジル2.8%、アルゼンチン0.4%) その他 50.5% (中国15.3%、日本4.8%、チリ4.3%、ベネズエラ2.0%)同 :輸入(JETRO,2011年)NAFTA 24.7% (米19.5%,加1.5%) メルコスール 12.3% (ブラジル6.4%、アルゼンチン4.9%) EU 10.8% (独3.0%,西1.6%,伊1.5%, 蘭1.0%)アンデス共同体 9.6% (コロンビア5.0%、エクアドル3.9%、 ボリビア0.8%)その他 42.6% (中国16.8%、日本3.5%、チリ3.5%、ベネズエラ0.5%)(ペルー その3 に続く)
Oct 18, 2012
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インカ帝国の首都・クスコは内陸南部にあり、ペルーの 首都リマは中部・沿岸にある。 リマの大聖堂には征服者・ピサロが眠っている。 日本人二世のフジモリ大統領が、ハイパーインフレや 貧困に苦しむ国民を活気づけ、ゲリラ撲滅、政治の安定化を 図ったが、強権すぎる政治のために支持を失った。 ペルー沖海流温度のエルニーニョ(その反対はラニーニャ) 現象は世界の大気や経済にも影響を与える1つの指標である。 日本のD保険会社の説明では、夏の猛暑で夏物衣料、飲料関係、 エアコン販売が好調であっても、エルニーニョで暖冬になると 冬物商戦の不振、冬季暖房費減少、冬季娯楽サービス(スキーなど) 不調で、平均気温+1.0度の場合は実質GDPを0.04% 引き下げるという。 南米でもエルニーニョではペルー海流の湧昇が小さく、アンチョビー の漁獲が急減し、ラニーニャでは鮪・鰹等回遊魚の漁獲に影響が出る など世界的な変化が現れるようだ。 ペルー共和国略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史<独立以前>紀元前から多くの古代文明が栄えており、16世紀までは当時の世界で最大級の帝国だったインカ帝国(タワンティン・スウユ)の中心地だった。その後スペインに征服された植民地時代にペルー副王領の中心地であった。1821年スペインから独立(遙々、ラ・プラタ連合州から遠征軍を率いてリマを解放した、ホセ・デ・サン・マルティンの指導の下に独立を宣言。1824年に北のベネスエラからコロンビア共和国の解放軍を率いた解放者シモン・ボリーバルの武将、アントニオ・ホセ・デ・スクレがアヤクーチョの戦いでペルー副王ホセ・デ・ラ・セルナ (エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナの母方の先祖)を撃破し、ここでペルーは事実上の独立を果たした。ペルーの事実上の支配者ガマーラは旧・インカ帝国領土回復のためボリビア、コロンビアなどを併合しようとしたが戦いに敗れた。逆に、1836年にボリビア大統領により征服され「ペルー・ボリビア連合」が成立したが、ガマーラ初め亡命ペルー人はチリ政府、アルゼンチンの協力を得て、ボリビア軍を破り連合は崩壊した。ガマーラは再び、ボリビア併合のためにボリビアに向かい、破れて戦死して、以後は2国の統一を臨むものはいなくなった。1845年ラモン・カスティーリャ政権には、強権政治で安定し、硝石肥料、綿花、サトウキビが経済を支え、1854年に奴隷制廃止後の中国移民受入れを行った。)1968年~1980年軍事政権1980年~1985年ベラウンデ政権1985年~1990年ガルシア第一期政権(反米・反帝国主義、貧困層救済、経済政策失敗などで小農業国としては莫大な対外債務を抱えた。輸出収入の5倍、外貨準備の10倍に匹敵し、インフレ率は8千パーセントのハイパーインフレで国家破綻の危機となる。)1990年~1995年フジモリ第一期政権(「変革90」を率いる日系二世大統領。「フジ・ショック」と呼ばれたショック政策によるインフレ抑制と、財政赤字の解消による経済政策を図って、新自由主義的な改革により悪化したペルー経済の改善を図り、農村部の農民を武装させたゲリラ対策により治安の安定に一部成功するなど素人とは思えない業績を残した。1992年に議会を解散し、憲法を停止して非常国家再建政府を樹立。)1995年~2000年フジモリ第二期政権(日本はこの時期にペルーへの最大の援助国となったが、これを原因として1996年にトゥパク・アマルー革命運動による日本大使公邸占拠事件が発生。)2000年~2001年フジモリ第三期政権、同政権退陣、パニアグア暫定政権(徐々に独裁的になっていった政権に対する国民の反対運動の高まりや、汚職への批判を受け、11月21日に訪問先の日本から大統領職を辞職。)2001年~2006年トレド政権(先住民初(チョロ)の大統領)2006年~2011年ガルシア第二期政権(2007年8月15日に発生したペルー地震によって、死者540人、負傷者1,500人以上、被災者数85,000人が報告されている。2009年4月7日、ペルーの最高裁特別刑事法廷は、元大統領アルベルト・フジモリ被告に対し、在任中の市民虐殺事件や殺人罪などで禁固25年(求刑30年)と被害者や遺族への賠償金支払いを命じる有罪判決を言い渡した。)2011年~ウマラ政権 資料出所<外務省、JETRO.WIKIPEDIA,世界経済のネタ長など>国名ペルー共和国パナマ地峡を支配していた酋長・ビルーの名前を現地人から聞いたスペイン人がピルーと発音し、転訛して、ペルーとなり、インカ帝国をペルーが指す言葉として使用された。 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)115位通貨ヌエボ・ソル1ドル=2.671ヌエボ・ソル(2012年6月)国花カントゥータ。赤と黄色の2種類がある。学名はCantuta buxifolia、 ハナシノブ科Cantua属。国旗真中が白で、両側が赤。赤は勇気と愛国心を、白は平和と名誉を象徴する。ペルーの公的機関は、旗の中央に国章が入ったものを使用する。公的機関以外は略式可。独立記念日などに各家庭が掲揚しない場合、罰金を取られることあり。<国旗販社:さらご>建国の英雄サンマルティン将軍が見た、翼が赤く胸が白い鳥に由来する旗。白は平和と名誉を、赤は勇気と愛国心を象徴する。中央の紋章は左がラマ、右がキナというそれぞれペルー特産の動植物、下は財宝で豊かな鉱物資源を表わす。国の標語Firme y feliz por la unión(スペイン語: 団結による安定と幸せ)面積:平方キロ1,285,216平方km日本の約3.4倍国の位置北にコロンビア、北西にエクアドル、東にブラジル、南東にボリビア、南にチリと国境を接し、西は太平洋に面する。人口:千人28,220千人(2010年)30,000千人(2012年推定)人口密度:/平方キロ23人首都リマ人口:911万人(2010年)東京からの大気圏距離:15,504km時差:JST=14時間サマータイムなし民族先住民45%、混血37%、欧州系15%、その他3%言語スペイン語(他にケチュア語、アイマラ語等)宗教国民の大多数(95%)はローマカトリック教。場所によっては大地の神パチャママと聖母マリアを同一視。(ペルー その2 に続く)
Oct 18, 2012
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(チリ その1 から続く) 主要産業鉱業、商業、農業、農産加工業GNIGDP2,127億ドル(2010年)2,484億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP10,120ドル(2010年)14,403ドル(2011年)実質GDP成長率5.2%(2010年)5.9%(2011年)物価上昇率3.3%(2011年)失業率7.2%(2011年)財政収支/GDP比1.4%(2011年)政府総債務残高/GDP比11.3%(2011年)政府純債務残高/GDP比▼8.7%(2011年)外貨準備高419億ドル(2011年)経常収支(国際収支)▼32億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)108億ドル(2011年)貿易額:輸出710億ドル(前年比32.2%増加)(2010年)814億ドル(2011年)同 :輸入590億ドル(前年比39%増加)(2010年)706億ドル(2011年)貿易品目:輸出銅、モリブデン、木材・チップ、サケ・マス、メタノール、果物、魚粉 <JETRO>鉱産物 61.1% (銅鉱・精製銅52.9%,モリブデン鉱1.8%)<カソード・陰極銅や銅鉱石は価格高騰で増加>工業製品 29.4% (加工食品・飲料・アルコール類・タバコ12.1%,木材・木製家具・セルロース・製紙7.3%,基礎化学製品・石油派生品・ゴムプラスチック4.3%,金属製品・機械類など2.2%)<サーモン産業が大幅回復>農林水産物 6.1% (果物5.1%) <価格下落を数量増>同 :輸入石油・石油製品、輸送機器、通信機器、金属製品、天然ガス、化学製品 <JETRO>工業製品 75.6%(金属製品・機械類34.3%,基礎化学製品・石油派生品・ゴム・プラスチック23.6%,加工食品類など6.2%,繊維類4.5%,鉄鋼など2.8%,木材など2.3%)鉱産物 12.3%(銅・鉄 10.3%)フリーゾーン 6.4%その他 4.2%農林水産物 1.4%<工業製品の増加22.3%、エネリギーの対外依存を反映。品目別には軽油、原油、瀝青、液化天然ガスの炭化水素関連産品および自動車が上位5品目。耐久消費財上位では、携帯電話、ノートパソコン>貿易相手国:輸出中国 22.2%、米国 11.2%<カソード、サーモン、ブルーベリー増加>、日本 11.0%、韓 5.4%ブラジル 5.4%蘭 4.7%、伊 3.4%(EU27国 18.0%<独向け銅鉱石、カソード、英国向けクラフト紙、ブルーベリー増加目立つ>)<輸出の地域別で46.4%を占めるアジア向けが7.3%増加に留まったのに対し米国、EU向けが2桁台の伸び>同 :輸入米国 18.8%<日本の軽油輸入代替、ガソリン、LPG増加>、中国 14.4%<携帯電話、パソコン、自動車増加>、ブラジル 8.4%<原油輸入増加>アルゼンチン 6.4%、独 3.6%<乗用車、トラクター、建機増加>韓国 3.5%<軽油減少>、メキシコ 3.3%<自動車増加>日 3.2%<軽油減少>コロンビア 2.9%英 1.8%(メルコスール 15.8%,EU27国 13.0%,)<欧米および米州地域が増加、中国を除くアジアが停滞>対日輸出7944億円(2011年)90億ドル 内訳銅鉱(精鉱を含む) 53.7%陰極銅 7.4%<震災復興需要>太平洋サケ 5.9%<震災復興需要>冷凍マスフィレ 4.4%<震災復興需要>モリブデン精鉱 4.3%<震災復興需要>木材チップ 3.1%豚肉 2.1%<震災復興需要など>冷凍鱒 2.0%<震災復興需要>対日輸入 1868億円(2011年) 27億ドル(2011年) 内訳乗用車 27.2%燃料油 13.6%<東日本震災で軽油生産減となり米国が代替>航空機用燃料 8.0%掘削機 3.5%自動車用タイヤ 3.3%硫酸 3.2%ダンプカー等 2.8%直接投資受入額154億ドル(2011年)銅資源確保のための鉱山投資が好調で、2012年上半期は対内直接投資額の60%を占めた。国別では、日本からの投資が前年同期比で約3倍に増加、全投資額の43%を占め、投資国第1位となった。日本からは銅山以外にも、水関連(海水淡水化事業が鉱山が集中する北部地方でニーズ)やサーモン養殖への投資がある。日本からの直接投資受入額 30億ドル(2010年までの累積)対外債務残高986億ドル(2011年)主要援助国2008年独 20百万ドル仏 9西 7日 7加 3日本の援助実績2009年度までの実績有償:271億円無償: 95技術:409
Oct 17, 2012
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日本のように地震国。1960年5月22日のチリ地震(モーメント・マグニチュード9.5)は遥か地球の裏側で起こった。本震発生から15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲い、約15時間後にはハワイ諸島を襲った。ハワイ島のヒロ湾では10.5mの津波を観測し、61名が死亡した日本では地震による津波の被害が大きかった。地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大で6mの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、142名が死亡した。気象庁は、津波の災害について「チリ地震津波」と命名している。 小生には、島嶼部等に多量に存在する、海鳥の糞塊(燐鉱石の代用・燐酸質グアノ)が、ペルーとともに多大な利益を上げ、グアノ戦争(チリ対ボリビア)を起こしたことに興味がある。グアノ枯渇後には、チリ北部のアタカマ砂漠に大量の「ソーダ硝石=チリ硝石」鉱脈が発見され、「アンモニア・硝酸の合成法」が確立される1940年代まで肥料・火薬の原料とされた。 チリ共和国略史(資料出所:外務省、WIKIPEDIA)年月略史1818年事実上の独立1970年アジェンデ社会主義政権誕生1973年クーデターによりピノチェット軍事政権誕生1980年新憲法草案に対する国民投票の実施1981年新憲法発効1988年ピノチェット大統領信任投票1989年大統領選挙、国会議員選挙1990年エイルウィン政権成立(民政移管)1994年フレイ政権成立2000年ラゴス政権成立2006年ミシェル・バチェレ政権成立(女性初の大統領)2010年ピニェラ政権成立<2010.8.5>コピアポ鉱山落盤事故が発生。事故発生当時坑内で作業していた33名の労働者は、17日後に生存が確認され、10月13日に全員の救出が行なわれた。救助された鉱夫の中に、ボリビア人が一人いて、普段は諍いが続いていた、同国大統領も駆けつけた。<2011.6.4>プジェウエ=コルドン・カウジェ火山群が噴火。火山の近郊の町・アルゼンチンのバリローチェでは厚さ30cmの大量の火山灰が降下し、さらに火山灰は東に流れアルゼンチンの首都ブエノスアイレスまで到達した。オーストラリアでは航空機数百便が欠航。火山灰は12日間で世界を一周する大災害となる。2014.3左派連合のミチェル・バチェレ前大統領返り咲き(女性、62)2018.3ピニネラ大統領の返り咲き資料出所:外務省、JETRO,WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳、世界60秒巡りなど国名チリ共和国「寒い」、「雪」、「世界の果て」などの説あり。 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)71位通貨ペソ1米ドル=501.3ペソ(2012年1月)国花ラパゲニア チリ南部の原産で,半耐寒性の常緑つる植物。 夏の高温には弱い花です。「ツバキカズラ」国旗下半分に赤い帯、上半分に白い帯と青い正方形に囲まれた白い星で構成されている。青い正方形は白帯と同じ高さである。白い五角形の星は、進歩と名誉を意味する。青は空を意味し、白はアンデス山脈の雪を、赤は独立のために流された血を意味する。国の標語Por la razón o la fuerza(スペイン語: 理性によって、または力によって)面積:平方キロ756,102平方km国の位置、気候など東にアルゼンチン、北東にボリビア、北にペルーと隣接しており、西と南は太平洋に面している。太平洋上に浮かぶフアン・フェルナンデス諸島や、サン・フェリクス島、サン・アンブロシオ島及びポリネシアのサラ・イ・ゴメス島、パスクア島(イースター島)などの離島も領有。チリ領南極大陸としてアルゼンチン、英国と同様に領有権を主張。国土の南北は4300kmに達するが、東西は平均180km以下である。他国に気候を例えると、北・中部は中華民国、南部はモンゴル国、最南部はロシアのシベリアに当たる。人口:千人17,110千人(2010年)17,250千人(2011年)人口密度:/平方キロ23人首都サンティアゴ・デ・チレ首都圏人口:688万人(2010年)東京からの大気圏距離:17,252km時差:JST-12時間サマータイム(今回9月2日~来年3月10日) 冬時間時差:JST-13時間 民族スペイン系75%、その他の欧州系20%、先住民系5%言語スペイン語宗教ローマカトリック(全人口の88%)政体立憲共和制元首<大統領選挙で交代>セバスティアン・ピニェラ・エチェニケ大統領(任期4年、連続再選不可))(第35代大統領、国民革新党)→2014.3より左派連合のミチェル・バチェレ前大統領(女性、62)→2018.3ピニネラ大統領の返り咲き議会上下両院制(上院 38名、下院 120名)政権内務大臣 ロドリゴ・インツペテル、外務大臣 アルフレッド・モレノ・チャルメ→2014.3変更→2018.3ピニエラ大統領政権軍事国防予算 21億ドル、兵役 2005年より志願制、兵力 59,059人(陸軍35,000人、海軍16,299人、空軍7,760人)(2010年、ミリタリーバランス2011年版)(チリ その2 に続く)
Oct 17, 2012
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(アルゼンチン共和国 その1 から続く) 主要産業農牧業(油糧種子、穀物、牛肉)、工業(食品加工、自動車)GNIGDP3,436億ドル(2010年)4,446億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP8,500ドル(2010年)10,959ドル(2011年)実質GDP成長率9.2%(2010年)8.9%(2011年)<キルチネル前大統領の2003年就任以降は、リーマンショック、干魃の2009年を除いて高成長を継続中。隣国ブラジル経済の好調で輸出が伸びており、財政・貿易の黒字を維持しながら積極財政を推進。実体経済では、諸問題を抱える。インフレは1桁台の公表値ながら、20%を越えており、賃金も高率で上昇。所得上昇が消費を刺激して、プラス成長の持続が出来ている。しかし、2001年に政府はデフォルト宣言しており、債務問題を抱えている。輸入保護主義、強制的な石油会社国営化などで厳しい目が向けられている。>物価上昇率10.8%(2010年) 9.8%(2011年)失業率7.3%(2010年)7.2%(2011年)財政収支/GDP比▼3.1%(2011年)政府総財務残高/GDP比44.9%(2011年)外貨準備高432億ドル(2011年)経常収支(国際収支) ▼3億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B 82億ドル(2011年)貿易額:輸出A685億ドル(2010年)821億ドル(2011年)同 :輸入B564億ドル(2010年)739億ドル(2011年)貿易品目:輸出燃料、大豆油かす、工業製品、動植物油、穀物(2010年)<JETRO>2011年工業製品34.6%(輸送用機器<自動車>12.1%、化学製品7.1%、金属製品3.7%、機械電気機器2.9%)農畜産物加工品33.5%(食品産業残留物<大豆粉、大豆ペレットなど>12.7%,食物油脂8.3%)一次産品24.1%(穀物<トウモロコシ、小麦>9.9%,油糧種子<大豆>7.0%)同 :輸入機械、自動車、電気機器、産業用資材(2010年)<JETRO>2011年中間財29.5%(産業用資材29.0%)、資本財19.6%(輸送用機械を除く資本財15.4%,工業輸送機器4.3%)資本財用部品・付属品19.4%燃料・潤滑油関連品12.7%消費財10.9%(非・半耐久消費財7.2%)乗用車7.6%貿易相手国:輸出ブラジル、中国、EU、チリ(2010年) <JETRO>2011年南米 39.0%(ブラジル20.5%,チリ5.6%)EU27国 16.9%アジア 16.2%(中国7.7%,韓国1.2%,インド1.2%,日本1.0%)NAFTA 9.2%(米5.1%,メキシコ1.1%)マグレブ・中東9.0%その他 9.7%同 :輸入ブラジル、中国、米国、EU(2010年) <JETRO>2011年南米 34.4%(ブラジル29.5%)アジア 21.8%(中国14.4%,韓国1.9%,日本1.9%)EU27国 15.7% NAFTA 14.8%(米10.4%,メキシコ3.4%)その他 13.3%原油輸出64.8億ドル(2011年)原油輸入94.1億ドル(2011年)原油輸出入差▼29.3億ドル(2011年)対ブラジル貿易差額▼ 45億ドル(2011年)(乗用車 8億ドル)同 輸出 173億ドル(2011年)(乗用車45億ドル、貨物自動車、小麦、石油・瀝青油)同 輸入218億ドル(2011年)(乗用車37億ドル)対中国貿易差額▼40億ドル(2011年)同 輸出 66億ドル(2011年)(大豆、大豆油、石油・瀝青油で85%を占める)同 輸入106億ドル(2011年)(電話機、自動データ処理機械等、計算・タイプライター・事務用機器等)対日輸出874億円(2010年)826百万ドル(2011年) 内訳(2010年)銅鉱石、魚介類、アルミ<主要輸出品:播種用以外のとうもろこし(21.2%)、銅鉱(含む精鉱)(17.4X%)、アルミニウムの塊(14.5%)特徴:アルミニウム、銅鉱など資源関連の対日輸出が近年増加>対日輸入 749億円(2010年)1,415百万ドル(2011年) 内訳(2010年)一般機械、自動車、自動車部品<主要輸入品:ギヤボックス及びその部分品(15.6%)、乗用車(ガソリンエンジン、1500cc超3000cc以下)(7.0%)、その他のガソリンエンジンの部品 (6.2%)特徴:自動車など輸送機械関連の対日輸入が近年増加>日本からの直接投資受入額 11億ドル(1951年~2004年度累計)<2009年の日本からの対内直接投資は前年比34.3%減の6,700万ドルで、自動車産業関連が総額の約8割を占める。>対外債務1,286億ドル(2010年)730億ドル(2011年)日本の公的債権額 23億ドル主要援助国2009年西 30百万ドル独 22仏 13米 7日 6日本の経済援助2009年度まで有償: 82億円無償: 58技術:459世界遺産の中から<世界60秒巡り>ブラジルとの国境にあるイグアスの滝滝の幅は約4km、流量はナイアガラ滝の約1.5倍、落差は60~80m。
Oct 15, 2012
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「銀」を「スペイン語」から「ラテン語」にわざわざ表記 し直した、国名を持つ、アルゼンチン共和国。 化学記号「Ag」はこの国の略号のようだ。 先住民は、BC11千年にアジアからベーリング海峡を越えて 遙々辿り着き、彼等は「足が大きい」ため「パタゴニア」の 由来があるが、その地に「手の洞窟」を残している。 場所的にインカ帝国の辺境の地にあり、「ラプラタ」(銀の川) 地名の、鉱物の産出もないため、インカ帝国や植民地政策 の中では開発気運が生まれず、カトリックの布教活動による 布教村落が建設され、家畜の繁殖がこの地を繁栄させた。 国土主要部分はポルトガル、スペイン帰属を変遷し、ペルー 副王領(スペイン)からリオ・デ・ラ・プラタ副王領になり、 英国が宗主国の混乱に乗じて進攻したのを現地人・クオーリョ が撃退し、自由貿易・自治拡大の意識が芽生え、副王の退位、 自治(植民地脱皮)を認めさせた。 当国には、旧植民地としての首都の繁栄、土着生活のままの 内陸地方、なる「本質的に異な、2つの国家プロジェクト共存」 を抱えた。 英国とのフォークランド諸島の領有権、近隣国との南極大陸 の領有権問題を抱えるが、南米では第2位、世界では第8位 の国土を有する。 世界遺産・イグアスの滝をブラジル国境に持ち、国際的には デフォルト宣言したが、隣国・ブラジルの好況に支えられて、 なんとか立ち上がる機会を得ている。 保護主義が台頭している国で、舵取りが世界から注目されて いる。 アルゼンチン共和国 略史<資料:外務省>年月略史1816年独立1946年ペロン政権の成立1973年軍部介入など変遷の後再度ペロン大統領が就任1976年クーデターにより軍事政権成立1982年4月~6月フォークランド(マルビーナス)諸島紛争1983年12月<第二次大戦後の断続的軍政の終焉>アルフォンシン大統領就任(民政移管)<急進党政権は経済運営に失敗、社会的混乱が生じる>1989年7月メネム大統領就任<ペロン党政権は自由開放政策で高成長を達成>1995年7月メネム大統領再度就任<政権末期には、経済成長減速、汚職疑惑顕在化、デモ、スト頻発>1999年12月デ・ラ・ルア大統領就任<急進党、経済・金融危機に端を発した社会騒擾により任期半ばで辞任>2002年1月ドゥアルデ大統領就任<暫定政権>2003年5月キルチネル大統領就任2007年12月フェルナンデス大統領就任(前大統領夫人、選挙による女性初の大統領)2011年12月フェルナンデス大統領再任、→2015.12マウリシオ・マクリ大統領(中道右派連合) 資料出所:外務省、JETRO,WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳、世界60秒巡りなど国名アルゼンチン共和国スペイン人がこの地を1516年に踏んだときに「銀」の飾りを身につけたインディヘナに出合い、上流の銀山脈を信じた。スペイン語「リオ・デ・ラプラタ」=「銀の川」と同じ、ラテン語「銀」=Argentumに由来する。 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)56位通貨ペソ1米ドル=4.26ペソ(変動相場制、2011年11月現在)国花アメリカデイコは南アメリカ原産。カイコウズ(海紅豆)の名もある。 高さ6mになる高木で、長さ50~70cmの総状花序をつけ、赤色の蝶形花を多数つける。 耐寒性が強く、関東地方以西のあたたかい地域では庭木や街路樹に利用される。国旗横に青白青の三層で中央に太陽のシンボル。中央の太陽は「五月の太陽」と呼ばれ、古代インディオの、つまりインカ帝国の独立の象徴である太陽神インティを表し、当時のラ・プラタ地域で流通していた8エスクード硬貨の意匠があしらわれた。<世界60秒巡り>水色と白は独立のために戦った軍人の軍服の色で、中央の太陽は独立戦争が雨続きで、勝利の日に輝いた「5月の太陽」を表す。国の標語En Unión y Libertad(スペイン語: 統一と自由において) 面積:平方キロ2,780,000平方km2,791,810平方km(JETRO)この他にも、マルビナス(フォークランド)諸島や南極大陸の一部を領土として主張している。南アメリカではブラジルについで2番目、世界では8番目。国の位置、特徴南アメリカ南部に位置する連邦共和制国家である。西と南にチリ、北にボリビア、パラグアイ、北東にブラジル、ウルグアイと国境を接し、東と南は大西洋に面する。国土の南北の最大距離は約3330km、東西は約1384km。フエゴ島の東半分とその周辺の島々もふくまれる。人口:千人40,410千人(2010年)40,570千人(2011年)人口密度15人/平方キロ首都ブエノスアイレス(Buenos Aires)連邦首都のみ人口:289万人(2010年)東京からの大気圏距離:18,385km時差:JST-12時間サマータイムなし民族欧州系(スペイン、イタリア)97%、先住民系3%言語スペイン語(公用語)宗教カトリック等政体立憲共和制元首マウリシオ・マクリ大統領2015.12.10就任(任期4年、1回限りの連続再選可)議会二院制(上院72議席(任期6年)、下院257議席(任期4年)。上院議長は副大統領が兼任。)政権大統領 マウリシオ・マクリ(中道右派・「変えよう」)副大統領 首相 外相 軍事国防支出 26.0億ドル(2010年)、兵役 志願制(1994年12月に徴兵制度廃止)、兵力 陸軍38,500人、海軍20,000人、空軍14,600人(アルゼンチン共和国 その2 に続く)
Oct 15, 2012
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身内に不幸があって、写経はお休み勝ちとなっている。今日は、霊柩車の運行について、小生が不思議に思ったことを記してみる。「○○○」という大組織で「家族葬」を執り行った。 「家族葬」と言っても、決して、考えるほど安くはないのである。 「霊柩車」というと、ハワイ旅行で使用したような大型リムジンを思い出すような「長ロング・デラックス・タイプ」であった。ハワイではカクテルバーがあるくらいの、ゆったりしたスペースがあったが、7mもの長さの霊柩車は、後部に「納棺」を収納しているので、気分としては雰囲気が息苦しく感じられる。大通りを進んでいき、別の市の大霊園近くを通過するに際して、大通りがあるのに、突然小道に入り込み、グルグル回り始めた。 小生は、日本の歴史小説を読んでいると、方位学、風水学等で行く道が左右されると聞いていたが、そのためにわざわざ方位を 転換しているのだろうと思った。 付随の車両も、先導の霊柩車に習ってグルグル回り始めたから、マイクロバスでは気分が悪くなってゲロを吐く乗客もでた。霊柩車の運転手に、穏やかに尋ねてみると、「方位」などの風流な話ではないという。今は、方位などを占っていては、一方通行規制の複雑な小道を進むことは不可能だから、別の理由だという。 車社会の現代では、沿道の住民や、商店(特に同業である葬儀社)などから苦情が出る、という。煌びやかな霊柩車は、沿道では住民や同業には歓迎されない。特に、同業者は自分の車は良かれども、他社の車には文句を言うらしい。 たしかに、有名な霊園入り口の手前で小道に入って、遠慮がちに、自分の支店がある経路を選んで、右往左往していた。火葬場からの帰路については、霊柩車はすでに帰路についており、一般車両との区別が付かないため、マイクロバスは自由行動でき、一般の経路を使用しての順調な帰路となった。 7mもの霊柩車は同業他社からも邪魔者扱いであって、運行経路を小道を選びながら、ひっそりと進むしかない、のが現実である。乗客にゲロを吐かすような運行しかできない、業界の「いがみ合い」は生きている人にはともかく、死者にも負担を与えるものであり、なんとか和解できないものかと思う次第であった。 商売より、死者の尊厳を優先するべし、である。
Oct 13, 2012
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(サハラ・アラブ民主共和国 その1 から続く)サハラ・アラブ民主共和国(国連非自治地域リストの「西サハラ」にある)略史<資料出所:WIKIPEDIA,GEOCITIESなど>1884年11月スペインによる「西サハラ」の領有宣言1975年11月「緑の行進」として、モロッコ市民35万人がモロッコ南部都市タルファヤから西サハラに達す。スペイン撤退後の西サハラ分割で、スペイン、モロッコ、モーリタニアがマドリード協定締結1976年2月ポリサリオ解放戦線がサハラ・アラブ民主共和国の独立を宣言1976年4月モロッコ、モーリタニアが西サハラ分割ラインを決定1979年8月モーリタニアが西サハラ領有を放棄(ポリサリオ戦線の首都攻撃により無血クーデターが発生)、代わってモロッコが西サハラのほぼ全域を占領1991年4月~国連の斡旋で停戦が発効OAU(後のAU)が独立問題を決める住民投票を提案し、モロッコも受け入れたが、西サハラが1984年OAUに加盟したことで、モロッコはOAUを脱退し、紛争は継続している。基本事情国名サハラ・アラブ民主共和国(=「西サハラ」)(アルジェリアに亡命中の政権) 国の承認と非承認など<承認国>アルジェリア、南アフリカ共和国、メキシコ、ベトナムなど58ヶ国から承認を受けている。モーリタニアは1984年に承認、AU(前身OAU)が1982年に加盟を受入。<非承認国>モロッコ。欧米や日本など先進諸国はモロッコとの関係から、承認していない。当時の西サハラの支援国・アルジェリアが社会主義国であったこと、モロッコが北アフリカ随一の親米国であった事などにも拠る。国連は加盟を受け入れず、当地域は「非自治地域」として扱っている。<国連・AUについて>国連は承認していないが、アフリカ連合(AU、旧OAU)は加盟を受け入れた。そのため、モロッコはAUを脱退した。モロッコは国連のみの加盟となった通貨(流通)西サハラ:モロッコ・ディルハム難民キャンプ:ユーロとアルジェリア・ディナール国旗この旗は元来、アルジェリアに支援されアルジェリアを拠点とするポリサリオ戦線の旗でもある、黒・白・緑の横三色の旗。白い帯の中央に赤い三日月と星が描かれ、旗竿側(ホイスト)に赤い三角形が配置されている。汎アラブ色の黒・白・緑・赤に、イスラム教の象徴である三日月と星を組み合わせたものである。(西サハラの大半をモロッコが実効支配しており、西サハラで実際に見られる旗はほとんどがモロッコの国旗である。)国の標語アラビア語: 自由、民主主義、団結面積:平方キロA266,000平方km国の位置北アフリカの旧スペイン領サハラ(リオ・デ・オロ及びサギア・エル・ハムラ地区より成る)に領有権を主張している共和制国家。西サハラの概念では、モロッコ、アルジェリア、モーリタニア、に接し、西には大西洋に面する。多くの地域をモロッコが実効支配している。現実には、大まかに見て、「砂の壁」(砂漠の鉄条網)が分離壁として存在し、壁の西側・沿岸都市部はモロッコ軍が監視、東側・砂漠はポリサリオ戦線による解放区となっている。風土典型的な砂漠気候。国土の81%は砂漠地帯で、19%が牧草地。人口:千人B502,585人(2010年推定)<概括>・アルジェリア難民キャンプ:約10万人・解放区:サハラウイ人民解放軍RASD兵士2万人・モロッコ占領地域サハラウイ:6.5万人・モロッコ政府入植者:約20万人・モロッコ軍兵士:約12万人人口密度: B/A2人/平方キロ首都<名目首都>アイウン(ラユーン:人口18万人2004年、モロッコの実効支配下)東京からの大気圏距離:12,489km時差:JST-9時間サマータイムなし<事実上の首都>アルジェリアの領内にある難民キャンプ行政区画・ラブニ(Rabouni)<臨時首都>解放区のティファリティ(Tifariti)が新たな臨時首都として宣言された2008.2.27民族アラブ人とベルベル人(部分的にブラックアフリカ系)が歴史的に混合した多様な氏族から構成され、一般に「サハラウイ」と総称される。モーリタニアのモール人と民族的・文化的に共通。言語サハラウイの母語はアラビア語の一方言であるハッサニーヤ語(モール人と共通)。公用語はアラビア語。第一外国語は旧植民地宗主国語であるスペイン語。教育を受けた人々にはフランス語を理解する人も多い。宗教大多数がイスラム教政体<アルジェリア難民キャンプでの亡命政府>大統領制元首ムハンマド・アブデルアジズ大統領ポリサリオ戦線書記長を兼任、1976年8月就任)三権分立、任期3年最長3期の大統領制政権アブデルカデル・タレブ・オマール首相主要産業* 遊牧(元来、住民の生業であった。リン鉱石開発などの影響で定住化が進み、現在は紛争と国土分断のため遊牧に従事する者は少数。)*リン鉱石(1942年にブクラア Boucraa鉱床が発見され、1962年より開発が本格化。以後、主産業となる。モロッコと併せて世界総埋蔵量の約66%を占めるといわれる。現在、鉱床はモロッコ支配下にある。)*水産資源(タコ、マグロなど。西サハラの海岸地帯は現在すべてモロッコの支配下にある。* 石油 (現在は埋蔵が確認された段階で、採掘権をめぐりRASDとモロッコの争いが続いている。* 最大都市アイウン(ラユーン)のほか、良港を持つ港湾都市ダフラ を抱える。
Oct 11, 2012
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身内に不幸があり、多忙となったので、日記は不定期となる。 時間を見付けての「写経」であるので、内容などは後で修正 しないと見るに堪えないだろう。 今回は、アフリカを一旦離れるに当たり、日本製の地球儀で 国名が不明な地域の西サハラを見てみよう。 そこは地図では、西アフリカのモロッコ、アルジェリア、モーリ タニアに囲まれた地域である。 この「西サハラ(仮称)」は、国連の「非自治地域リスト」に入っ ており、実体的には、「大半がモロッコにより実行支配されて おり」、一部が「サハラ・アラブ民主共和国の支配下にある」 からである。 「サハラ・アラブ民主共和国」とは、WIKIPEDIAによれば、 「砂の壁」に国土を分断され、壁の西側はモロッコによる 占領地で、モロッコ軍が監視、東側はポリサリオ戦線による 「解放区」で戦線側が監視している、とある。 つまりは、「サハラ・アラブ民主共和国」の立場に立てば、ポリ サリオ戦線による解放区に当たる部分が同国が実質支配して いる部分で、それ以外の部分は他国(文脈からはモロッコ)に 実行支配されている、と言う説明に聞こえる。 脳幹梗塞の小生には理解するのは難しいが、その地域に 住む民が民族自決する問題であり、つまり自治問題であり、 国連は,「国民」の住民投票を辛抱強く待ち続けているようだ。 資料も乏しく、バイアスが掛かってはいけないので、 小生が理解できる範囲で纏めてみたい。 あくまで、個人的な資料収集能力に限界がある話なので、 データの信憑性は求めないで欲しい。 ただ、地図上に名前が現れない国(「囲い」があるのが「國」 との認識)は気がかりなので、簡略に「写経」してみた次第で あり、お許し願いたい。 (サハラ・アラブ民主共和国 その2 に続く)
Oct 11, 2012
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テニスのジャパンカップで錦織圭選手が優勝して驚いたばかり である。 今朝の新聞はノーベル賞。 生理学・医学分野のノーベル賞の受賞者が発表された。 賞の偉大さを検証する期間が必要であるが、他方で、生存する 人への賞が原則なのだから、お年寄りが多かった。 今年は、「iPS細胞作製で再生医療に道を開いた」二人の人物。 京都大学iPS細胞研究所長・山中伸弥教授(50才)、英国の ジョン・ガードン博士(79)。 脳幹梗塞の小生などは、判らないことばかりだが、秦の始皇帝が 不老長寿薬草を求めて日本に探索に行かせたことを思い出す。 随分と時間が経過しているが、日本には不老長寿にも直結する 素晴らしい技術が芽生えている様に思う。 小生のみに例えれば、脳幹梗塞しても、再生パーツに取り替えが 出来たり、心臓バイパス手術が難しい状態であっても、再生パーツ に取り替えが出来たりするかも知れない。 しかし、倫理的に考えれば、本人のものでなく、「より優れたもの のパーツ」が「選ばれるような選好が許される場合」には、本人の オリジナルは廃棄されることになる危険があるようにも思う。 素晴らしい技術であり、倫理的に、人道的にも道が開けることを 願うばかりである。 小生個人としては、山中教授が奈良先端科学技術大学院で 教鞭を執っておられたことにも興味があった。 小生の知人にも、そこの卒業生がいたようなのだ。
Oct 9, 2012
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(リビア その1 から続く) 首都トリポリ(フェニキア人の植民都市「オエア」、「サブラタ」、レプティス)の3つの都市の総称に由来)人口:168万人(2004年)時差:JST-7時間サマータイムなし民族アラブ人言語アラビア語宗教イスラム教(スンニ派)政体共和制元首ムハンマド・ユースフ・エル=マガリエフ国民議会議長(大統領格)議会リビア国民全体会議(国会)の定数は200(トリポリタニア102・バルカ(キレナイカ)60・フェッザーン38)である。国会は内閣を承認する権限を有する。 政権カダフィ政権崩壊後、2012年7月7日に60年ぶりに行われた国民全体会議(定数200)選挙で、120議席が無所属に、80議席が政党に配分された。国民勢力連合が39議席、ムスリム同胞団系の公正建設党が17議席、残りの議席は各中小政党が獲得した。国民評議会は同年8月8日に権限を全体国民会議に移譲し解散。今後、選挙によって選ばれた議員で構成された議会に承認された内閣が行政権を継承し、そしてこの議会が制憲議会としてリビアの新憲法を制定し、1年以内の正式政府発足を目指して統治機構を調えることとなる。↓ 2012年9月12日、リビア全体国民会議は、ムスタファー・アブーシャーグールを首相に選出したが、組閣できず、不信任となり、同年10月14日元外交官アリー・ゼイダーンが首相に選出さる。軍事軍種 : 武装人民軍(陸軍)、海軍、防空軍(空軍部隊を含む)(ムアンマル・カッザーフィー旧政権時の兵力は約76,000人、予備役約40,000人)、最年少の兵士は、17歳。軍事費は13億ドル。GDP比は、3.9%。主要産業石油関連産業(1) 確認埋蔵量 415億バーレル(世界第8位)(2008年、BP)、(2) 原油生産量 1日あたり185万バーレル(世界第17位)(2008年、BP)、(3) 輸出量 1日あたり 138万バーレル(主要輸出先:伊、独、西、仏)(2007年、OPEC)GNIGDP:億ドル779億ドル(2008年)369億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP12,380ドル(2008年) 5,691ドル(2011年)実質GDP成長率3.8%(2008年)▼61.0%(2011年)物価上昇率2.6%(2009年)14.1%(2011年)失業率約30%(2009年)(リビア当局)経常収支(国際収支)16.3億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B254億ドル(2007年)貿易額:輸出A430億ドル(2007年)(リビア中央銀行)同 :輸入B176億ドル(2007年)(リビア中央銀行)貿易品目:輸出石油等(2007年)同 :輸入自動車、電器製品、食糧品等(2007年)貿易相手国:輸出伊、独、西(2007年)同 :輸入伊、独、英(2007年)原油輸出186.3億ドル(2011年)原油輸入 88.9億ドル(2011年)原油輸出入差 97.4億ドル(2011年)対日輸出1億円(2010年,貿易統計) 内訳まぐろ等(2010年)対日輸入305億円(2010年) 内訳自動車、電線、鋼管等(2010年)世界遺産列挙 レプティス・マグナの考古学遺跡首都の東130kmのアル・クム市にある、古代ローマ時代の傑出した都市遺跡。トリポニタニアの三都のひとつ。チュニジアに同名の町があり「偉大な=マグナ」が付加された。アフリカ初のローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの凱旋門などがある。当時は、カルタゴ、アレキサンドリアに次ぐアフリカ第3の大都市であった。サブラータの考古学遺跡サブラタは、古代トリポリタニアの三都市のうち、最西端に位置した都市。現在のリビアの北西端ザウィア市に位置する。サブラタ港の建造は古く、おそらく紀元前500年頃にフェニキア人の交易拠点として建造されたものである。そこは、アフリカの後背地の産品を扱う沿岸部のアウトレットとしての役割が与えられていた。キュレネの考古学遺跡古代ギリシャ都市で、この地方にあった5つのギリシャ都市の中で最大・最重要を誇った。現在のリビア東部のことを「キレナイカ」(Cyrenaica) と呼ぶのは、キュレネに因むものである。キュレネ草創期における主要な地元産の輸出品目は、薬草の一種であるシルフィウム (silphium) であり、それが絶滅するまでは多くのコインにも描かれていた。大地震で廃墟となり、砂に埋もれ18世紀に再発見された。タドラルト・アカクスの岩石芸術遺跡群サハラの一部にあたるリビア西部の砂漠地帯。アルジェリア国境に近く、ガット (Ghat) の町にも近い。「タドラルト」は現地の言葉で「山」を意味する。この地域の特色は先史時代の岩絵が多数現存しているガダーミスの旧市街アルジェリアやチュニジアの国境にも近い、トリポリの約600km南西に位置するリビアのオアシス都市。オアシスには、7000人ものトゥアレグが住む。町の中でも、古くからある壁に囲まれた区域である。
Oct 8, 2012
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カダフィ政権が自らの死亡と共に崩壊し、リビアは選挙による 新政権のもとで、再起を図っている。 この2011年9月11日には、米国公館襲撃事件が、イスラム教 冒涜の米国人映画製作への抗議デモに合わせて行われて、 米国大使を含む殺害事件に発展しており、米軍・CIAを 巻き込む危険も孕んできた。 9月11日というと、2001年に米国の摩天楼・WTCを アルカイダが爆破した「米・同時多発テロの日」である。 脳幹梗塞の小生には、宗教が絡むと話が難しくなり、 纏められないが古いデータと、新しいデータの混在ながら 「写経」してみる。 リビア(共和制国家)略史<外務省、WIKIPEDIA,共同など> 年月略史1951年12月リビア連合王国(イドリース王国)として独立1969年9月9月1日革命、カダフィ大尉(当時)によるクーデター、国名を「リビア・アラブ共和国」に改称1977年3月人民主権確立宣言(ジャマーヒリーヤ宣言)発表国名を「社会主義リビア・アラブ・ジャマーヒリーヤ国」に改称2011年2月カダフィ政権に対する反政府デモがリビア全土で勃発。2011年8月カダフィ政権とリビア国民暫定評議会を中心とする反体制派間の数か月にわたる武力衝突を経て,反体制派が首都トリポリを制圧。カダフィ政権の崩壊。<国名:リビアに変更、国旗変更、政体:共和国、新政府:選挙による内閣は2012年以降に明らかとなる><2012.9.11><東部都市・ベンガジの米国公館襲撃事件でクリストファー・スティーブンズ駐リビア米国大使を含む4人の米国国民が殺害されたことで国際的な非難を受ける。最近、米国人の製作した、イスラム教を冒涜する描写のある映画「イノセンス・オブ・ムスリム」への抗議として、エジプト、チュニジア、ヨルダン、モロッコなどでも抗議デモが発生しているが、この事件は、武装した群衆による、デモに乗じた襲撃事件と見られている。一部の報道は、ロケット弾や小銃を保持した「武装グループ」の犯行と伝え、ニューヨークタイムズ2012.10.2電子版は米軍・CIAなどが特殊作戦の立案を開始したと報じた。(共同)この事件を受けて、我が国外務省から,中東,北アフリカ,一部のアジア地域等イスラム諸国を中心に、全世界の在留邦人及び邦人渡航者に向けて注意喚起を促す広域情報が発出された。> <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名「リビア Libya」 国名変更 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)108位通貨リビアン・ディナール(LD)100円=1.60LD(2011年10月)国花ザクロ(柘榴)<「雑学研究」>国旗<変更>赤、黒、緑、白の配色はそれぞれ力、イスラムの戦い、緑地へのあこがれ、国民の行為を表している。赤・黒・緑の水平三色旗に、中央には白い三日月と星を配したものであった。中央の黒は、赤と緑の二倍の幅があった。この旗は19世紀以降この地を拠点としたイスラム教のサヌーシー教団を率いるサヌーシー家 (Senussi) の旗(黒地に三日月と星)を基にしたものである。2011年に成立した反カダフィ派の暫定政権・リビア国民評議会も国旗にこの旗を選んでいる。 (1977年~2011年まではカダフィは緑一色の「イスラームの開祖ムハンマドのターバンの色」を国旗に採用していた。)面積:平方キロ1,760,000平方km日本の約4.6倍国土アフリカ大陸の北部に位置し、地中海に面している。 国土の大部分がサハラ砂漠の一部であり、面積の大半を砂漠が占める。サハラ砂漠のリビア部分を特にリビア砂漠と呼ぶ。砂漠には砂丘のみならず、岩石砂漠や礫砂漠も存在する。南部には山脈が走り、トリポリ南方にはナフサ山地が、ベンガジ東方にはアフダル山地が存在する。降水は北部の地中海沿岸にわずかにある。西のトリポリタニアから東のキレナイカにかけての地中海沿岸の屈曲した部分をスルト湾(シドラ湾)と呼ぶ。国土の70%は標高500m以下だが、地中海を北から南に行くほど標高は高くなり、チャドとの国境付近は標高1,000m~2,000mの高原となっている。 国の位置東にエジプト、南東にスーダン、南にチャドとニジェール、西にアルジェリア、北西にチュニジアと国境を接し、北は地中海に面し、海を隔てて旧宗主国のイタリアが存在する。人口:千人6,420千人(2008年)6,480千人(2011年)人口密度:/平方キロ4人(2011年)(リビア その2 に続く)
Oct 8, 2012
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(アルジェリア その1 から続く) 首都アルジェ都市圏人口:552万人(2006年)東京からの大気圏距離:10,817kmJST-8時間サマータイムなし民族アラブ人80%、ベルベル人19%、その他1%言語アラビア語(国語、公用語)、ベルベル語(国語)、フランス語(国民の間で広く用いられている)宗教イスラム教(スンニー派)政体共和制元首アブデルアズィーズ・ブーテフリカ大統領(1999年4月~)Abdelazɪz Buteflika政党:アルジェリア民族(国民)解放戦線(FLN)民選、任期は5年、再選制限撤廃2008.11行政府の長は首相であるが、大統領が任命議会従来、一院制であったが、1996年11月の憲法改正により二院制に移行政権<国民議会選挙で変更>首相は各大臣を任命する権限有り首相 アブデルマレク・セラール(2012年5月~)政党:国民解放戦線(FLN)が民主国民連合(RND)と大統領与党連合を結成し、62.3%獲得軍事(ミリタリーバランス2011)予算 56.7億ドル(2010年)、兵役 徴兵制度あり(18ヶ月)、兵力 14.7万人(予備役15万人)主要産業石油・天然ガス関連産業、第二次産業2009年には、原油・天然ガスをはじめとする炭化水素部門で、同部門の資源収入は、輸出総額の98.3%、財政収入の65.7%、GDPの31.5%を占めているGNIGDP1579億ドル(2010年)1907億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP4460ドル(2010年)5304ドル(2011年)実質GDP成長率2.4%(2010年)2.5%(2011年)物価上昇率5.7%(2010年)4.5%(2011年)失業率10.0%(2010年)財政収支/GDP比▼3.6%(2011年)政府総債務残高/GDP比9.9%(2011年)外貨準備高1431億ドル(2008年)経常収支(国際収支)196.2億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B168億ドル(2010年)貿易額:輸出A570億ドル(2010年)同 :輸入B402億ドル(2010年)貿易品目:輸出石油・天然ガス関連製品(2010年)同 :輸入資本財(工場設備等)、食料品、消費財(2010年)貿易相手国:輸出米、伊、西、仏、蘭(2010年)同 :輸入仏、中、伊、西、独(2010年)原油輸出717.6億ドル(2011年)原油輸入0原油輸出入差717.6億ドル(2011年)対日輸出410億円(2010年) 内訳液化ガス、原油、石油製品等(2010年)対日輸入 840億円(2010年) 内訳自動車、建設機械等(2010年)大きなプラント市場になっており、経済関係はプラント建設等、エネルギー分野が中心。対外債務残高 54億ドル(2010年)国際協力銀行JBIC融資累計9860億円(2006年3月末)(主として炭化水素関連事業への対ソナトラック((独)石油天然ガス・金属鉱物資源機構)融資。)日本の経済援助2009年度まで有償:149億円無償: 13 技術: 65<追記>隣国・西サハラにある「サハラ・アラブ民主共和国」独立の 支援国で、国内には難民キャンプを設置し、亡命政権を 受け入れている。 隣国・モロッコは西サハラを併合すべく、実効支配を 行ったが、西サハラは独立宣言し、AUが加盟を受け 入れ、モロッコがAUを脱退する異常事態となっている。 西サハラ問題は、国連の仲介で住民投票に任されることと なったが、投票基準を巡り纏まらず延期のままである。 (亡命政府の)西サハラ大統領は、ムハンマド・アブデルアジス であり、アルジェリア大統領アブデルアジス・ブーフテリカと なにか似ているような名前だと、脳幹梗塞の小生には 思えてしまう。 後日、纏めてみたいと思ったが、「写経」するにも資料不足 であり、混乱を招くだけなので同国をスキップすることとする。
Oct 7, 2012
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連立与党のアルジェリア民族解放戦線(FLN)と民主国民 連合(RND)が各々 220、68の計288議席を獲得し大勝。 1990年代、イスラム政党が総選挙に圧勝したのを契機に、 軍とイスラム過激派の内戦状態に陥り、15万人もの死亡者が でた過去があるために、この国では、「アラブの春」を受け、 チュニジアやモロッコ、エジプトの選挙でイスラム勢力が 躍進した流れには乗れなかった。 今年に入り、政党の結成要件が緩和され、今回選挙で10近い イスラム系政党が乱立し、支持票が分散したのも敗因の一つ。 (共同) アリジェリアというと、アルジェの丘に建てられた「オスマン帝国 の太守の城塞」カスバが有名であり「世界遺産」に登録される。 映画「望郷」、「アルジェの戦い」の舞台である。 小生などは、ハスキーな声が懐かしい、青江三奈の「カスバの 女」が「涙じゃないのよ 浮気な雨に ちょっぴりこの頬 濡らし ただけさここは地の果てアルジェリア どうせカスバの夜に咲く 酒場の女の薄情け ・・・」と、白い服の外人部隊(FLNと戦う 傭兵)の彼に向かって唄うメロディーが聞こえてきそうである。 外人部隊が対峙したFLNは、既に勝者となり、国連でも有名な ブーテフリカが大統領だ。 美しい城壁が、怪しげで黄昏れた酒場のイメージに代わり申し 訳ない。 奇しくも砂に埋もれて守られた古代ローマ都市タムガスが 「ティムガッド遺跡」として蘇り、「アフリカのポンペイ」の 異名をとるなど世界遺産が多い国である。 アルジェリア民主人民共和国 略史<外務省など>年月略史1962年7月フランスより独立(当時、人口は1千万人)。1965年6月軍事クーデター、ブーメディエンヌ政権の成立。1979年2月シャドリ大佐、大統領に就任。1989年2月憲法改正。1992年1月シャドリ大統領辞任。国家最高委員会設立。1994年1月移行期間の大統領としてゼルーアル大統領就任。1995年12月複数政党制下初の大統領選挙、ゼルーアル大統領が選出。1996年11月憲法改正国民投票の実施、多数の支持により憲法改正案が承認。1997年6月国民議会(下院)選挙が実施され下院が設立。同国史上初めて複数政党で構成される国民議会が開会。1997年12月国民評議会(上院)選挙が実施され、上院が設立。1999年4月大統領選挙、ブーテフリカ大統領が選出。2002年5月国民議会(下院)選挙を実施。2002年10月統一地方選挙を実施。2003年5月ブメルデス県を震源地とする大規模地震が発生。2004年4月大統領選挙、ブーテフリカ大統領が再選。2007年5月国民議会(下院)選挙を実施。2007年11月統一地方選挙を実施。2008年11月憲法改正。2009年4月大統領選挙、ブーテフリカ大統領が三選。(→2014.4 四選)2009年12月国民評議会(上院)選挙を実施。<資料出所、外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳など>国名アルジェリア民主人民共和国「アルジェを都とする国」の意「島々」の意もある 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)134位通貨アルジェリアン・ディナール(D. A.)100円=94.7ディナール(2011年9月現在)国旗緑と白で二分されている。中央に赤い三日月と星の印が入っている。白は純血を表し、緑は繁栄を示している。三日月はトルコの国旗と同様イスラムのシンボルである。国の標語(アラビア語: 人々により、そして人々のために)面積:平方キロ2,380,000平方km(内、砂漠地帯約200万平方キロメートル)(アフリカ第1位)人口:千人35,420千人(2010年)(北部地域・国土の7%内に95%の人口が集中)35,950千人(2011年)国の位置東にチュニジア、リビアと、南東にニジェールと、南西にマリ、モーリタニアと、西にモロッコ、サハラ・アラブ民主共和国と国境を接し、北は地中海に面する。地中海を隔てて北に旧宗主国・フランスとスペインが存在する。緯度としては、日本の新潟県と首都アルジェがほぼ同緯度にあり、プレートテクニクス的にはユーラシアPとアフリカPの境界にあり地震国で、北部には2千m級のアトラス山脈が走る。 地震発生後の日本救助隊のハイテク活動2003.5.22大地震が発生し、日本は国際緊急援助隊第一陣18名、第二陣43名をパリ経由で派遣。4トン、180個の携行機材を持ち込み、救助犬、人命探査装置「シリウス」の捜索活動を行った。倒壊ガレキの下から、6名を救出(うち1名生存)。他国の救助隊が生存反応なしとみて、撤退した直後の出来事であった。人口密度:/平方キロ15人(2011年)(アリジェリア その2 に続く)
Oct 7, 2012
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(チュニジア その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名チュニジア共和国古代のカルタゴが建設された土地 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)79位通貨チュニジア・ディナール(TND)1米ドル=1.4293TND(2010年年間平均レート、チュニジア中央銀行)国花と革命(ジャスミン革命は、2010年から2011年にかけてこの国で起こった民主化運動を指す)国花は「アカシア」。その仲間には、黄色の花をつけるミモザ、白い花をつけるニセアカシア、根もとが白く先端が淡虹色の刷毛のような花をつける合歓の木がある。「ジャスミン革命」というように「ジャスミン」もこの国の代表的な花である。革命経緯:失業中の大学生が青空市場で農産物を無免許販売、警察・公衆に咎められ焼身自殺をしたニュースがITを介して伝わり、折しもウイキリークスで政府の腐敗政権が暴露され、草の根的なデモが組織されて、大統領は国外に脱出した。国旗中央の三日月と星は古くからのイスラム教の象徴であり、幸運のシンボルでもあった。赤い色はオスマン帝国時代の反抗勢力の名残である。<国旗販社:さらご>歴史的に関りの深いトルコの国旗を参考にしてデザインされたもの。三日月は古代都市国家カルタゴを建設した、フェニキア人の美の女神・タニスを象徴する。国の標語アラビア語: 自由、秩序、公正面積:平方キロ163,610平方km日本の約2/5<ネタ帳>164,154平方km国の位置西にアルジェリア、南東にリビアと国境を接し、北と東は地中海に面する。地中海対岸の北東にはイタリアが存在する。最も早く「アフリカ」と呼ばれ、アフリカ大陸の名前の由来になった地域である。人口:千人10,550千人(2010年)10,660千人(2011年)<ネタ帳>人口密度:/平方キロ65人<ネタ帳>首都チュニス人口:73万人(2004年)時差:JST-8時間サマータイムなし民族アラブ人98%、その他2%言語アラビア語(公用語)、フランス語(国民の間で広く用いられている)宗教イスラム教スンニ派(ごく少数だがキリスト教およびユダヤ教も信仰されている)政体共和制元首カイドセブシ大統領(2014年12月就任)アラブの春から4年の暫定期間後初直接選挙議会制憲国民議会 議席数:217(国内選挙区:199、海外選挙区:18) 任期:開会日(2011年11月22日開会)から最大1年(但し,法的根拠はないため延長可能)政権2014年12月就任のセブシ大統領から次期首相候補に指名された首相 ハビブ・シードは閣僚名簿発表 外相:バクーシ(第一党の世俗派政党:「チュニジアの呼びかけ」)書記長。ただし、第二党の穏健派イスラム政党「アンナハダ」 のメンバーは含まれず。過半数の政党は不在で対立が先鋭化の可能性。 軍事(ミリタリーバランス2011年)予算 5億3,200万ドル、兵役 徴兵選抜制(12か月)、兵力 35,800名(陸軍27,000名 海軍4,800名 空軍4,000名)主要産業(2010年GDP割合)サービス業41%: 観光業、情報通信産業、 製造業16%: 繊維、機械部品、電機部品、食品加工、農業7%: 小麦・大麦・柑橘類・オリーブ・なつめやし その他27%: 鉱工業 等GNIGDP:億ドル428億ドル(2010年)464億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP4,060ドル(2010年)4,351ドル(2011年)実質GDP成長率 3.7%(2010年)▼0.8%(2011年)物価上昇率 4.4%(2010年) 3.5%(2011年)失業率13.0%(2010年)18.9%(2011年)財政収支/GDP比▼3.5%(2011年)政府総債務残高/GDP比 42.4%(2011年)経常収支(国際収支)▼34.5億ドル(2011年)貿易額:輸出FOB165億ドル(2010年)同 :輸入CIF233億ドル(2010年)貿易品目:輸出機械部品、電機部品、衣類(2010年)同 :輸入機械、電化製品、原油、天然ガス(2010年)貿易相手国:輸出仏29%、伊20%、独9%、英国、リビア5%(2010年)同 :輸入仏19%、伊18%、独8%、中6%、スペイン5%(2010年)原油輸出25.9億ドル(2011年)原油輸入34.1億ドル(2011年)原油輸出入差▼8.2億ドル(2011年)対日輸出CIF 125億円(2011年) 内訳電気機器45%、衣類34%、クロマグロ27%(2011年)対日輸入FOB 82億円(2011年) 内訳精密機器17%、機械16%、電気機器13%(2011年)主要援助国2009年仏 174百万ドルスペイン 128独 32日 13英 4日本の経済援助2009年度まで有償:2,240億円無償: 47技術: 213
Oct 6, 2012
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カルタゴの将軍ハンニバルが古代ローマを脅かした。 ジャスミン革命でITが時代を左右する情報機器として躍進。 革命後、中国などでも情報機器による民衆の政治活動の伝播が恐れられている。略史<外務省など>年月略史紀元前9世紀より都市国家カルタゴとして栄えた。ベルベルとフェニキアの文化が融合する。<カルタゴの将軍ハンニバルがイベリヤ半島からピレネー山脈、アルプス越えでイタリアに深く侵入し、ローマ帝国を脅かす。ハンニバル側に付いたシチリア島のシラクサの防衛にはかのアルキメデスがいて彼の考案した兵器はローマ軍をさんざん苦しめたと言われる。>紀元前146年ローマ帝国がカルタゴを征服。439年ゲルマン系ヴァンダル族がカルタゴを占領し、ヴァンダル帝国を建設。533年東ローマ帝国のビザンチンがヴァンダル帝国を滅ぼし、ビザンチン文化が開花。7世紀アラブ侵入、イスラム化の始まり。1574年オスマン帝国の属州となる。1881年フランスの保護領となる。1956年3月フランスより独立。翌年7月、共和制に移行し、ブルギバ大統領就任。1959年6月共和国憲法発布1987年11月ベン・アリ大統領就任1989年4月ベン・アリ大統領当選1994年3月ベン・アリ大統領再選1999年10月ベン・アリ大統領三選2004年10月ベン・アリ大統領四選2009年10月ベン・アリ大統領五選2011年1月ベン・アリ政権崩壊。ムバッザア暫定大統領就任。2011年3月1959年憲法の停止2011年10月制憲国民議会選挙の実施2011年11月制憲国民議会の開会2011年12月マルズーキ大統領就任、ジェバリ首相内閣の発足。2013年首相交代ラアレイエド「出身母体・エンナハダ」(チュニジア その2 に続く)
Oct 6, 2012
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(モロッコ その1 から続く) 民族アラブ人(65%)、ベルベル人(30%)言語アラビア語(公用語)、ベルベル語(公用語)、フランス語宗教イスラム教(国教)スンニ派がほとんど政体立憲君主制元首モハメッド6世国王(His Majesty the King Mohammed VI)(1999年7月即位)議会二院制(1996年9月の憲法改正により一院制から移行)衆議院:395議席 任期5年 直接選挙。比例代表制。参議院:270議席 任期9年 地方議会議員等から選出する間接選挙。3年毎に3分の1(90名ずつ)改選。(2011年7月の憲法改正で,議席数は90以上120以内,任期6年とすると変更されたが,次回選挙(時期未定)までは旧制度のまま。)政権「公正と発展党(PJD)」=穏健イスラム派首相: アブドゥリラ・ベンキラン(2011年11月~)外相: サアッディン・エル・オトマニ(2012年1月~)軍事(ミリタリーバランス2011)予算 31億9,000万ドル(2010年度予算)、兵役 志願制(2006年に徴兵制を廃止)、兵力 19.58万人(陸軍 17.5万人,海軍 7,800人,空軍 1.3万人)予備役15万人主要産業農業(麦類、ジャガイモ、トマト、オリーブ、柑橘類、メロン)、水産業(タコ、イカ、鰯)、鉱業(燐鉱石)、工業(繊維・皮革製品・食品加工)、観光業GDP:億ドル 1,002億ドル(2011年)一人当たりGNI 2,970ドル(2011年)実質GDP成長率 4.5%(2011年)物価上昇率 0.9%(2011年)失業率 8.9%(2011年)財政収支/GDP比▼6.9%(2011年)政府総債務残高/GDP比 54.4%(2011年)外貨準備高 221億ドル(2010年)経常収支国際収支▼73億ドル(2011年)貿易額:輸出 175億ドル(2010年)FOB同 :輸入 352億ドル(2010年)CIF貿易品目:輸出燐鉱石・燐酸関連,衣類,電子部品・電気ケーブル(2010年)<ネタ帳>燐鉱石・燐酸関連,衣類,食糧品、電気・電子部品同 :輸入エネルギー,農業・産業用機械・設備類,消費財(2010年)<ネタ帳>機械・設備類、エネルギー、材料(化学・金属・プラスチック)、消費財貿易相手国:輸出仏、スペイン、印、伊、米国(2010年)<ネタ帳>仏、スペイン、印、ブラジル、伊同 :輸入仏、スペイン、中国、米国、サウジアラビア(2010年)<ネタ帳>仏、スペイン、サウジアラビア、伊、中国原油輸出 8.5億ドル(2011年)原油輸入 110.9億ドル(2011年)原油輸出入差▼102.4億ドル(2011年)対日輸出 128百万ドル(2010年) 内訳魚介類(タコ、イカ等)、電子部品、燐鉱石関連、寒天(2010年)対日輸入 446百万ドル(2010年) 内訳乗用車、産業用車両、機械類(2010年)直接投資受入額 <日本> 1.8百万ドル(2010年)主要援助国2009-10年仏 387百万ドルEU 253スペイン 170日本 157アラブ経済社会開発基金 153日本の経済援助2010年度まで有償:2,468億円無償: 340技術: 324
Oct 5, 2012
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地中海世界、アラブ世界にあって、地中海連合、アラブ連盟、 アラブ・マグリブ連盟に加盟する立憲君主制国家。 しかし、「西サハラ」がサハラ・アラブ共和国として独立宣言、 AUに加盟するや、これを実効支配し、独立を認めず、 AUから独立国としては唯一人脱退している。 首都は「城壁都市」の意の「ラバト」で、「白い家」で有名な 「カサブランカ」や「マラケシュ」「フェス」「タンジェ」ではない。 スペインとは地中海を挟んで向き合い、領内にその飛び地を 2箇所抱え、南西沖にはスペイン領カナリア諸島を見つめる 位置にある。 独立を認めず、「緑の行進」で実効支配した西サハラは嘗て スペイン植民地であった。 モロッコ王国 略史<外務省> 年月略史7世紀アラブ人の侵入1912年3月フェズ条約によりフランスの保護領となる。1956年3月フランスより独立1961年2月モハメッド5世急逝。ハッサン2世国王即位。1962年12月憲法発布1970年7月憲法改正。二院制廃止。1972年3月憲法改正1975年11月西サハラ非武装越境大行進(緑の行進)1989年2月アラブ・マグレブ連合条約調印1991年9月西サハラ「停戦」成立1992年9月憲法改正1994年6月フィラリ内閣発足1996年9月憲法改正。二院制を導入。1998年3月ユスフィ内閣発足1999年7月ハッサン2世逝去。モハメッド6世国王即位。2002年11月ジェットゥ内閣発足2003年5月ムーレイ・アル・ハッサン皇太子誕生2007年10月エル・ファシ内閣発足2011年7月憲法改正2011年11月衆議院選挙実施。公正と発展党(PJD)が勝利し,ベンキラン党首が首相に任命。2012年1月ベンキラン内閣発足 <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳、世界60秒巡りなど>国名モロッコ王国Kingdom of Morocco 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)114位通貨モロッコ・ディルハム(MAD)1米ドル=8.445DH(2010年平均)国花薔薇、ROSE<60秒巡り>国旗Flag of Moroccoは深紅の色で預言者モハメットを象徴しており、緑の五芒星「スレイマン(ソロモン王のトルコ語発音)の印章」(国家安泰の象徴)が表されている。国旗の由来<60秒巡り> 以前は赤旗を用いたが、1912年に共産党の赤旗と区別するために国の安泰と神の守りを象徴する「ソロモン王の印」が加えらた。国の標語アラビア語:神、国、王面積:平方キロ446,000平方km日本の約1.2倍、西サハラを除く国の位置北アフリカ北西部のマグリブに位置する立憲君主制国家。東にアルジェリアと、南にサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)と、北にスペインの飛び地セウタ、メリリャに接し、西は大西洋に、北は地中海に面している。人口:千人31,950千人(2010年)32,190千人(2011年)人口密度: 72人/平方キロ(2011年)首都ラバト「城壁都市の意」都市圏人口:180万人(2010年)東京からの大気圏距離:11,538km時差:JST-9時間サマータイムについては、時差は8時間であり、4月29日午前2時から9月30日午前3時に終了。<モロッコ最大の都市:カサブランカ「白い家の意」都市圏人口 385万人(2005年)>(モロッコ その2 に続く)
Oct 5, 2012
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(モーリタニア その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳など>国名モーリタニア・イスラム共和国 国名の由来国名はアフリカの地中海岸に位置したベルベル人(そのマウリ部族)の古代国家マウレータニア(現在のアルジェリア西部とモロッコ北部、ジブラルタルを含む広大な地域)からとられている。マウリ人はギリシャ語の黒 mauros に由来すると示唆されている。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)132位通貨ウギア(UM)1ドル=262ウギア(2009年平均、EIU)国旗緑地に黄色の三日月と星があしらわれた旗。三日月と星はこの国の主要な宗教であるイスラム教のシンボルである。緑はイスラム教を象徴し、黄色はサハラ砂漠の砂を表している。国土の大半を占めるサハラ砂漠を緑化したいという強い希望を示している。国の標語Honneur, Fraternité, Justice(フランス語: 名誉、友愛、正義)面積:平方キロ1,030,000平方km日本の約2.7倍国の位置北西に西サハラ、北東にアルジェリア、東と南にマリ、南西にセネガルと国境を接し、西は大西洋に面する。大西洋沖の西にはカーボ・ヴェルデが存在する。西サハラについては、スペインが旧スペイン領サハラを放棄すると、モロッコ同様に領土権を主張したが、ポリサリオ戦線の抵抗に遭い領有権を放棄している。人口:千人3,500千人(2011年)3,260千人(2011年)<ネタ帳>人口密度:/平方キロ3人首都ヌアクショット人口:88万人(1999年)東京からの大気圏距離:13,529km時差:JST-9時間サマータイムなし民族モール人(ベルベル人とアラブ人の混血であるイスラム教徒のムーア人)、アフリカ系(黒人)言語アラビア語(公用語、国語)、プラール語、ソニンケ語、ウォロフ語(いずれも国語)なお、実務言語としてフランス語が広く使われている。宗教イスラム教(国教)政体共和制元首モハメド・ウルド・アブデル・アジズ大統領Mohamed Ould Abdel Aziz議会二院制(上院及び国民議会)政権首相 ムライ・ウルド・モハメド・ラグダフ、外相 ハマディ・ウルド・ババ・ウルド・ハマディ軍事(ミリタリーバランス2011年版)予算 1億1,500万ドル(2009年)、兵役 志願制(2年間)、兵力 15,870人(陸軍15,000、海軍620、空軍250)主要産業農牧業(ソルガム、粟、米、牛、羊)外貨収入は水産物(タコ及びイカ)及び鉄鉱石の輸出に依存。ただし、ヌアクショット沖合で相当量の石油と天然ガスの埋蔵が確認。技術的問題により石油生産量は当初予想より落ち込んでいる(7万5千バレル/日から8千バレル/日(2010年))。GNIGDP34.6億ドル(2010年)42.0億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP1,000ドル(2010年)1,290ドル(2011年)実質GDP成長率▼ 1.1%(2009年)3.6%(2011年)物価上昇率 5.0%(2010年) 5.7%(2011年)対外債務残高23億ドル(2010年)財政収支/GDP比▼1.5%(2011年)政府総債務残高/GDP比92.4%(2011年)経常収支(国際収支)▼2.7億ドル(2011年)貿易額:輸出20.4億ドル(2010年)同 :輸入20.3億ドル(2010年)貿易品目:輸出鉄鉱石、原油、魚介類(2009年)同 :輸入石油開発機器、石油製品(2009年)貿易相手国:輸出中国、伊、日本(2010年)<ネタ帳>中国、仏、スペイン、伊同 :輸入仏、中国、蘭、ブラジル、ベルギー(2010年)<ネタ帳>仏、中国、蘭、スペイン原油輸出2.2億ドル(2011年)原油輸入5.5億ドル(2011年)原油輸出入差▼3.3億ドル(2011年)対日輸出121.1億円(2010年) 内訳たこ等(2010年)対日輸入 28.0億円(2010年) 内訳ダンプカー、自動車等(2010年)主要援助国2009年スペイン 45百万ドル仏 35米 10 独 12日 10日本の経済援助2010年度まで有償:111億円無償:486技術: 59
Oct 4, 2012
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全土がサハラ砂漠に位置し、国土の90%以上が砂漠で、それが西に押し寄せている。砂漠とあるがままに生きる、イスラム教を国教とする国民であり、あまりにも過酷な生活が、純朴でシャイで大人しい国民性を変えないでいる。シャルル・ド・ゴールの娘と結婚したことで知られる、ダッダ初代大統領が一党独裁のモーリタニア人民党(PPM)を結成して、ムーア人(が主)、黒人、スペイン系の民族集団の対立を纏め上げたが、西サハラを併合することに失敗、クーデターを受けて失脚した。現在のモーリタニア大統領「アブデル・アジス=Mohamed Ould Abdel Aziz」は、よく似た名前の大統領が隣国にいるので混同しそうである。アルジェリア大統領には「アブデルアズィーズ・ブーテフリカ=Abdelazɪz Buteflika、任期1999年4月9日~」、サハラアラブ民主共和国大統領に「ムハンマド・アブデルアズィーズ=Mohamed Abdelaziz、任期1976年8月30日~」 がいる。つまり、アルジェリアには「アブデルアズィーズ・ブーテフリカ」、サハラアラブには「ムハンマド・アブデルアズィーズ」、モーリタニアでは「ムハンマド・ウルド・アブデルアズィーズ」。同世代の隣接する3国の大統領を識別しなければならない。(特に、「アブデルアズィーズ・ブーテフリカ」氏は国連総会議長を1974年に務めた人物である。) モーリタニア・イスラム共和国 略史<外務省、WIKIPEDIAなど> 年月略史15世紀-アラブ系民族による支配1902年フランスによる支配の開始1904年フランス領1945年フランス連合植民地1958年自治宣言1960年フランスより独立(ダダ初代大統領)1978年クーデター、特別軍事政権成立1984年クーデター、タヤ参謀総長政権掌握1992年タヤ大統領選出1997年タヤ大統領再選2003年6月クーデター未遂事件2003年11月タヤ大統領三選2005年8月タヤ大統領不在時に軍事クーデター軍部暫定政権発足2007年3月アブダライ大統領選出2008年8月 クーデター、軍事政権発足、モハメド・ウルド・アブデル・アジズ将軍が政権掌握<大統領警護隊長官であった同将軍を長とする国家評議会を設置、評議会は大統領選の早期実地を発表し、暫定内閣首相にムライ・ウルド・モハメド・ラグダフ氏を任命>2009年7月大統領選挙、モハメド・ウルド・アブデル・アジズ大統領選出第4代大統領2009年8月5日~政権与党:共和国連合(UPR) (モーリタニア その2 に続く)
Oct 4, 2012
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(カーボヴェルデ その1 から続く) 政体共和制三権分立、半大統領制、複数政党制、間接民主制世界の自由度指標(1~7)の1(アフリカ唯一)元首大統領:国民の直接選挙、任期5年、3選禁止、国家緊急権、軍最高指揮権、国民議会解散権 ジョルジュ・カルロス・フォンセカ大統領<2011年9月~>「民主主義のための運動(MPD)」大統領は野党候補が当選。議会一院制(国民議会72議席、任期5年)政権行政権は主に首相率いる閣僚評議会(内閣に相当)が行使する。首相、および閣僚はいずれも大統領に任命されるが、首相の任命は国民議会、閣僚の任命は首相の指名に基づく必要がある。 首相 ジョゼ・マリア・ネーヴェス、対外関係大臣 ジョルジュ・アバルベロ・ダ・シルバ・ボルジェス 有力政党カーボヴェルデ独立アフリカ党(PAICV)が2001年1月から、過半数を維持し、現首相は最年少で、内閣は2008年6月女性が多数派となった。現首相は、EU加盟も視野に入れ、アフリカ諸国とは距離をおいている。軍事予算 800万ドル(2010年)、兵役 選抜徴兵制、兵力 1,200人(陸軍1,000人、空軍100人、海上保安隊100人)主要産業農業(バナナ、サトウキビ)漁業(マグロ、ロブスター)GNIGDP16.2億ドル(2010年)19.0億ドル (2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP3,270ドル(2010年)3,661ドル(2011年)実質GDP成長率5.4%(2010年)5.1%(2011年)物価上昇率2.1%(2010年)4.5%(2011年)失業率 10.3%(2010年)財政収支/GDP比▼8.9%(2011年)政府総債務残高/GDP比77.6%/GDP比経常収支(国際収支)▼2.4億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼7.4億ドル(2011年)貿易額:輸出A1.5億ドル(2011年)同 :輸入B8.9億ドル(2011年)貿易品目:輸出燃料、魚・甲殻類、衣料、靴(2005年)同 :輸入消費財、中間財、資本財、石油(2005年)貿易相手国:輸出スペイン、ポルトガル、モロッコ、アルジェリア(2010年)<ネタ帳>スペイン、ポルトガル、モロッコ、独同 :輸入ポルトガル、蘭、スペイン、中国(2010年)<ネタ帳>ポルトガル、蘭、スペイン、ブラジル対日輸出 38万円(2010年) 内訳衣類(2010年)対日輸入6億7745万円(2010年) 内訳再輸出品、自動車(2010年)対外債務残高8.6億ドル(2010年)主要援助国2009年ポルトガル 53百万ドル米 36スペイン 21日本 18ルクセンブルグ 14日本の経済援助2010年度まで有償: 45億円無償:156技術: 22
Oct 3, 2012
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カーボヴェルデは世界報道自由度ランキングが世界9位 (アフリカではNo.1)である。 ちなみに、政体は共和国制・半大統領制であって、 大統領が野党党首でも、最年少の首相が、女性多数内閣を 指揮し、AUよりもEU加盟を重視しているという。 大統領は、ジョルジュ・カルロス・フォンセカ氏で政党は 民主運動(MpD)所属、 首相はジョゼ・マリア・ネーヴェス氏で政党は カーボヴェルデ独立アフリカ党(PAICV)所属である。 世界には、フォンセカ大統領というと、ブラジルやスリランカ にもいるので間違わないように。 カーボヴェルデ共和国 略史<外務省> 年月略史15世紀頃ポルトガル船来航(当時は無人の群島)1963年ポルトガルの海外州となる1975年7月ポルトガルより独立1985年12月総選挙(ペレイラ大統領3選)1990年9月憲法改正(複数政党制への移行)1991年2月大統領選挙(モンテイロ大統領選出)1996年2月大統領選挙(モンテイロ大統領再選)2001年2月大統領選挙(ピレス大統領選出)2006年2月大統領選挙(ピレス大統領再選)>2011年8月大統領選挙(フォンセカ大統領選出) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳など>国名カーボヴェルデ共和国(Cape Verde)<大西洋上に浮かぶ小群島国家>《ポルトガル語で、緑の岬の意》アフリカ西岸のベルデ岬の西方沖にある共和国。 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)100位通貨カーボヴェルデ・エスクード1ユーロ=110.265カーボヴェルデ・エスクード(固定レート)国旗10個の星はアフリカ大陸から離れたところにあるカーボベルデ諸島の主要な島々を表す。青は空と海を表し、紅白の帯はこの国の形成までの道を表す。白は平和、赤は努力を象徴する。面積:平方キロ4,033平方km滋賀県ほど国の位置大西洋の北、アフリカの西沖合いのマカロネシアに位置するバルラヴェント諸島とソタヴェント諸島からなる共和制国家。<当初、ギニアビサウを統合の予定が同国のクーデターで立ち消え>人口:千人527千人(2011年)人口密度:/平方キロ129人首都プライア「砂浜の意」・・・サンティアゴ島南東部の小さな高原にある・・・人口:12.5万人(2008年)国の人口の1/4東京からの大気圏距離:14,135km時差:JST-10時間サマータイムなし民族ポルトガル人とアフリカ人の混血が約70%。言語ポルトガル語(公用語)、クレオール語宗教キリスト教(カトリック)(カーボヴェルデ その2 に続く)
Oct 3, 2012
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(マリ その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名マリ共和国(Republic of Mali)馬利と表記植民地時代は仏蘭西領スーダンマリとはバンバラ語で「カバ」という意味 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)131位通貨CFAフラン655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)国旗フランスの国旗をモデルとして汎アフリカ色である緑、黄、赤を等間隔に描いた縦三色旗。 <国旗販社:さらご>緑色は農業を、黄色は天然資源を、赤色は独立の為に流された血と勇気を象徴する国の標語Un Peuple, Un But, Une Foi(フランス語: 1つの国民、1つの目標、1つの信念)面積:平方キロ1、240、000平方km日本の約3.3倍国の位置西をモーリタニア、北をアルジェリア、東をニジェール、南をブルキナファソ、コートジボワール、南西をギニア、西をセネガルに囲まれた内陸国である。人口:千人1,530万人(2013年、世銀)人口密度:/平方キロ12人首都バマコ(ニジェール川の河岸に位置)人口:172万人(2009年・・ 現在は約230万人とも言われる)東京からの大気圏距離:13,678km時差:JST-9時間サマータイムなし民族バンバラ,プル,マリンケ,トゥアレグ等23以上言語フランス語(公用語),バンバラ語等宗教イスラム教80%,伝統的宗教,キリスト教政体共和制、大統領制元首大統領制:国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止イブラヒム・ブバカール・ケイタ大統領議会国民議会(一院制147議席,任期5年)政権首相は大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、首相が任命する。首相 ムーサ・マラ外相 アブドゥライ・ジョップ軍事予算 3億1,000万米ドル、兵役 あり(2年,選抜徴兵制)、兵力 7,000人,憲兵隊1,800人(ミリタリーバランス2014年版)主要産業農業(綿花,米,ミレット,ソルガム),畜産,鉱業(金・・アフリカで3位)金以外の埋蔵鉱脈の可能性:ウラン、鉄、ボーキサイトなど GNI102.2億ドル(2013年、世銀:記載ない場合以下同じ)一人当たりGNI670ドル実質GDP成長率2.1%物価上昇率▲0.6%対外債務残高30億7,200万ドル主要援助国単位:百万ドル 米265、カナダ116、仏73、蘭59、日本44(2010年)貿易額:輸出30.8億ドル同 :輸入29.6億ドル貿易品目:輸出金,綿花同 :輸入石油製品,投資財,食料品貿易相手国:輸出中国,インドネシア,印、バングラデシュ同 :輸入セネガル,仏,コートジボワール,中国対日輸出0.1億円 内訳雑製品、機械類対日輸入7.7億ドル 内訳ゴムタイヤ、釣り具在留邦人/在日マリ人19人(2013.10)147人 日本の経済援助2012年度まで有償: 87億円(債務免除を除く)無償:577技術: 94
Oct 2, 2012
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クーデターで自らの国家が転覆しかかり、どさくさで北部が独立宣言、慌てて、原状回帰に走ろうとするマリ共和国。世界は、北部独立を認めず、マリはAUから加盟を外され、暫定政府による早期大統領選挙が待望される。まるで、蝶蝶の羽のような国の形が、右羽(北)の自由が利かないようだ。 マリ共和国略史<外務省、WIKIPEDIAなど> 年月略史3~17世紀にかけてガーナ王国,マリ,ソンガイ帝国として栄える<8世紀にサハラとの交易(北方の塩と南方の金・象牙と交換)によって絶頂期を迎えた。アラブ商人の広範な交易ネットワークによる。16世紀末にソンガイ帝国がモロッコ・サアド朝に滅ぼされると、大西洋側の三角貿易、奴隷貿易の影響で、この地の交易ルートは衰退し、小王国の乱立となった。>1920年フランス植民地<仏領スーダン→1958年仏自治国スーダン>1960年マリ共和国としてフランスより独立<1960年6月セネガルと共にマリ連邦を結成→同8月セネガル離脱→同9月マリ共和国>1968年トラオレ中尉による軍事クーデター1969年トラオレ軍事政権成立1979年トラオレ大統領就任1991年クーデターによりトゥーレ暫定政権成立1992年1月新憲法成立1992年4月大統領選挙,コナレ大統領選出1997年5月コナレ大統領再選2002年5月大統領選挙,トゥーレ大統領選出2007年5月大統領選挙,トゥーレ大統領再選2012年3月一部国軍による騒乱発生<首都バマコで銃撃戦、反乱軍が大統領府と国営放送局を掌握。反乱軍は権力掌握と憲法停止を宣言。混乱に乗じて反政府勢力がアザワドの独立を宣言。反乱軍は議会議長への権限移譲を表明>2012年4月トゥーレ大統領辞任,トラオレ国民議会議長が暫定大統領に就任トゥアレグ族の「アザワド解放民族運動」MNLAによるアザワドの独立宣言についての各国の立場<アザワドの想定国土は、マリ共和国の地方行政区画のうちトンブクトゥ州、キダル州、ガオ州、モプティ州の一部から成っていると主張しているため、マリ共和国の括れた部分の北側に当たり、国土のほぼ半分を占める。ガオが最大の都市(人口6万人弱)である。サハラ砂漠とサヘルを跨ぐ位置で、乾燥した河川地域。2011年に石油やウランを含む鉱物資源が潜在的に存在していると報告されてはいる。住民は、トゥアレグ人が北東に、西部はムーア人、南部はサハラ以南の人々であり、人口密度は1.5人で、ほとんどが遊牧民という。宗教的には、ほとんどがイスラム教(スンナ派ムスリム、スーフィズム信仰)。・・・独立宣言への国際社会の対応・・・アフリカ連合AU:独立を認めない仏:アフリカ諸国の独立承認がなければ独立宣言は無効米国:独立宣言を認めない日本:独立宣言を非難する談話注:AU=モロッコ以外の全アフリカ独立国家が加盟加盟資格停止:マダガスカル2009年1月、マリ2012年3月、ギニアサビウ2012年4月、それぞれクーデターへの制裁措置>2013年7,8月大統領選挙、ケイタ大統領選出 2013年11、12月国民議会選挙 (マリ その2 に続く)
Oct 2, 2012
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本日は、オンライン記載ができるという総務省の就労調査に 協力した。 先日、調査員が置いていった世帯の個人調査票記入である。 家内の分を含めて2枚ある。 自分は、60歳定年後、少し休んでから、別の仕事に つき、65歳で第2の職場で再定年を迎えたので、 もう仕事がない。 呆け老人には、このような調査は無意味に思う。 「老人にも仕事を探してくれるならいいが、調査のための 仕事を創っているようなものにしか見えない」。 「公園の草引きなどの公共事業」か何かに、お仕事があれば いいが、それでは、より若い方のお仕事を奪うことになる。 年寄りには、人気のない「尖閣諸島の草引きや島山羊の お世話」の仕事があっても、体力からして無理だろう。 さて、件の調査票であるが、世帯主の登録・送信をして、家内 の入力をしていく段になって、世帯主の記録が生きていて送信 できなくなった。 一旦、ログアウトしないとPCは受け付けないようだ。 調査票には、ログアウトするように書いていない。 また、「世帯番号」や「世帯員番号」が「世帯主」では合致して いるが、「家内」については調査委員の誤記入で受け付けない。 総務省統計局に電話しても混雑しているように見えるが、 PCでの入力方法の説明を含めて準備不十分である。 このような調査も必要だろうが、年寄りにも年相応のお仕事を 探して欲しいものである。 給料は年金を貰っているからそれで良いのであり、少しでも 国や自治体に役立つお仕事が欲しいものである。 お仕事がないので、テニスや太極拳で極力病気にならない ように気をつけて、せめてポックリ逝くように努力している。
Oct 1, 2012
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(ガンビア その1 から続く) ガンビア・イスラム共和国<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ガンビア・イスラム共和国<小説「ルーツ」のモデル国>「クンタ・キンテ島と関連遺跡群」として、ユネスコの世界遺産に登録 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)106位通貨ダラシ1米ドル=30.0ダラシ(2011年)国旗赤、青および緑の水平の三色旗で、白い縞によって分離される。一番上の赤はサバンナと太陽を、青はガンビア川を、緑は森を、白は平和を表す。国の標語Progress, Peace, Prosperity(英語: 進歩、平和、繁栄)面積:平方キロ11,300平方km岐阜県ほど国の位置北大西洋に面したガンビア川の河口を除き、周りをセネガルに取り囲まれている。西は大西洋に面する。ガンビア川の両側に国土を有し、最大幅は48kmに過ぎない。ガンビアはもともとイギリス領であり、セネガルはフランス領で、イギリスとフランスが1889年に、ガンビア川の約200マイルをイギリス領とすることで合意した。アフリカ大陸最小の国で1,300平方kmをガンビア川が占める。国土の大部分がサバンナ地帯。人口:千人1,800千人(2011年)人口密度:/平方キロ159人首都バンジュール(Banjul人口約33千人:2010年)人口:市街地36万人(2003年)東京からの大気圏距離:14,028km時差:JST-9時間サマータイムなし民族マンディンゴ族、ウォロフ族、ジョラ族、セラフリ族言語英語(公用語)、マンディンゴ語、ウォロフ語等宗教イスラム教(80%)、キリスト教(10%)、伝統的宗教(10%)政体共和制・大統領制<イギリス連邦加盟国から2013.10脱退>元首国民による直接選挙、任期5年、再選制限無しヤヤ・ジャメ大統領与党「再指針と構築のための愛国同盟(APRC)」議会一院制(定数53名(選出48/大統領指名5)、任期5年)政権(2016.12大統領選でジャメ氏敗北、野党連合候補バロウ氏当選。2.17.1.18の任期切れ前だが居座りで緊張高まる)大統領 ヤヤ・ジャメ大統領(敗北)(厳格なイスラーム主義者であり、徹底した反米・反イスラエル主義者で、反米路線を採る国のイランやシリア、ベネズエラといった国との関係を強化している・・・WIKIPEDIA)→野党連合バロウ氏新大統領に当選首相 首相職なし、 パレスチナを国家承認しており、イスラエルの存在を認めていない軍事予算 700万ドル(ミリタリーバランス推定:2009)、兵役 志願制、兵力 800人(陸軍)主要産業サービス業(貿易・輸送・通信・観光)農業(落花生)農業に人口の75%、GDPの27.5%、サービス業にGDPの57.1%(観光業が外貨獲得源)GNIGDP7.4億ドル(2010年)9.8億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP450ドル(2010年)543ドル(2011年)実質GDP成長率5.0%(2010年)3.3%(2011年)物価上昇率5.0%(2010年)4.8%(2011年)財政収支/GDP比▼4.4%(2011年)政府総債務残高/GDP比68.8%(2011年)経常収支(国際収支)▼1.4億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼2.2億ドル(2011年)貿易額:輸出A103.7百万ドル(2011年)同 :輸入B326.5百万ドル(2011年)貿易品目:輸出外国製品の再輸出、落花生製品(2007年)同 :輸入食料、飲料、機械・輸送機器、鉱物・燃料(2007年)貿易相手国:輸出印、中国、仏、英国、米国(2010年)<ネタ帳>印、中国、英、仏同 :輸入中国、ブラジル、セネガル、印、コートジボワール(2010年)<ネタ帳>中国、セネガル、コートジボワール、ブラジル対日輸出なし(2011年) 内訳なし(2011年)対日輸入 385百万円(2011年、財務省) 内訳再輸出品、乗用車、精米、船舶用ロータリーエンジン(2011年)主要援助国2009年日本 11百万ドル米 5英 4日本の経済援助2010年度まで有償:0無償:157億円技術: 28億円
Oct 1, 2012
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本日は、台風一過の快晴である! 西アフリカの英と仏の植民地拡大政策で小さいながらも 「楔として重要な役割を持った」英領ガンビアであった。 仏蘭西領セネガルのダカール海洋基地が、仏本国、セネガル、 ギニア湾沿岸地域、南米ギアナを統括する役割に対して、 ガンビアは、一時は仏に譲渡される運命にまでなったが、 直前に英国は取りやめることとした。 元英領でありながら、大統領が敬虔なイスラム主義者で、 反米、反イスラエルを貫いている国である。 隣国・セネガルとは、宗主国の違いなどで、いがみ合っていた が、同じくイスラム教徒が多数の国として歩み寄ってきている。 「ルーツ」「ルーツ 2」 親子三代の黒人奴隷の始祖、「クンタ・キンテ」<ガンビア・ マンディカ族の出身、村で尊敬されるイスラム教聖者の孫> が17歳の時、森に太鼓の材料の木材を探しているときに、 突然、奴隷貿易商人に掴まりアメリカに送られ、何度か脱走を 試み、制裁に片足を切断され、花壇世話係、御者を務める。 彼は、奴隷身分にあっても、誇り高く、アフリカ人としての 生き方を変えなかった。 その子孫が足跡(ルーツ)を辿るドキュメンタリーである。 「なぜ自由が奪われたのか」、「身分は奴隷でも、誇り高く 生きる姿」、「血、汗、涙に彩られたアフリカ系米人達の歴史」 が、世界の「茶の間」に、痛烈に伝わるTVドラマであった。 ガンビア・イスラム共和国略史<外務省など> <ガンビアの位置> 年月略史10C~13C<ガーナ王国に属する>13C~15C<マリ帝国に属する>15C中頃<ポルトガル人が下流に商業拠点建設>16C~<イギリスが進出、仏と争いの後、1783年植民地。奴隷貿易が行われていた植民地支配の痕跡(クンタ・キンテ島遺跡など)をとどめる遺構の数々が残る。>1965年2月独立(旧宗主国・英国)<英連邦王国>1970年4月共和国となる。ジャワラ大統領就任1981年7月クーデター未遂事件1982年2月隣国セネガルとの間にセネガンビア国家連合設立1987年3月総選挙実施。大統領選挙(ジャワラ大統領再選)1989年9月セネガンビア国家連合解体1992年4月総選挙実施。大統領選挙(ジャワラ大統領再選)1994年7月軍事クーデター発生(ジャワラ大統領セネガルへ亡命)<ヤヒヤ・ジャメ中尉による無血軍事クーデターで軍政権>1994年11月準将校によるクーデター未遂発生1995年1月サバリー副大統領、サデイブー内相によるクーデター未遂発生1995年7月台湾と外交関係樹立1996年8月改正憲法国民投票1996年9月大統領選挙(ジャメ大統領就任)1997年1月国民議会選挙2001年10月大統領選挙(ジャメ大統領再選)2002年1月国民議会選挙2006年3月チャン軍参謀総長によるクーデター未遂発生2006年9月大統領選挙(ジャメ大統領三選)2007年1月国民議会選挙2011年11月大統領選挙(ジャメ大統領四選)2012年3月国民議会選挙2014年12月サネ元国軍中佐によるクーデター未遂2015年12月国名を「ガンビア・イスラム共和国」に変更2016年12月5日大統領選挙でジャメ氏敗北、野党連合のアダマ・バロウ氏選出。2016年12 月9日ジャメ氏拒否で混乱。翌年1月の政権移行が混乱。年 月(ガンビア その2 に続く)
Oct 1, 2012
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