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本日は、市民テニスの前期練習の最終日で、親善試合である。 小生もよちよちながら、お弁当付き大会なので、参加した。 「タイ」が二つ、「勝ち」、「負け」で「イーブン」に終わった。 ダブルス・パートナーは試合毎に違うメンバーで、ランダムに 組合せがあり、個人の勝率で順位を付ける仕組みである。 昨夜は深夜まで、プエルトリコの資料をWEBで探していたから、 目が疲れ、いつもと違いラケットの当たりがずれているようだ。 体もどこか違う方向を向いているようだ。 今日の出場選手は、前期最後であるせいか、いやに病気上が り、怪我上がりなどが多い。 小生のパートナーは普段は上手で、優勝経験もあるが、エル ボーが余ほど痛いらしい。 球が浮いて、相手の絶好のスマッシュにはまり、前衛の小生 目がけて剛球が飛んできた。 避けきれず、眼鏡がガシャンと響いた。 幸い、怪我もなく、眼鏡も割れていないが、鼻眼鏡になって しまい、眼鏡屋に行くと、「これ以上曲げると折れたら申し訳 ないので、この状態で様子をみてください」、である。 先日から、視野が呆けがちであったのが、眼鏡が凹んだ分、 「度」が強くなったようであり、よく見える。 不幸中の幸いであった。 さて、今夜は、近所のお通夜に出席する。 お亡くなりになった方は、享年40才で、小学生の頃に自損 事故で、高所から落下し、脳を損傷して、肢体不自由に なった不幸な方である。 風邪を拗らしてお亡くなりになったという。 ご家族は、大変な思いで、これまでお育てになったかと思う。 実は、その方のお父さんも、介護の疲れで昨年お亡くなりに なった。 肢体不自由な方のために、震災時にはどうすべきかなどを 市として市民に指導を始めているが、間近に不幸な出来事を かいま見ると、もっと、家族の負担を軽減できるような行政面 ネットワークの普段の対応ができないかと思う。
Nov 30, 2012
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(キューバ その2 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA>国名キューバ共和国República de Cubaカリブ海に浮かぶ最大の島であり、「中心地」という意味の土着語が由来。「メキシコ湾の真珠」、「カリブ海の真珠」と呼称。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)83位通貨キューバ・ペソ及び兌換ペソ1兌換ペソ=1米ドル(公式レート)=24キューバ・ペソ(実勢レート国旗青の3本縞はスペイン統治下のキューバの三つの軍政地域、白の二本縞は純粋な愛国心を象徴。赤の三角は強さ、不変性を象徴、フリーメーソンの「平等」を示すシンボルとも、他の旧スペイン植民地国の国旗に多用される。白星は独立を象徴。国花ハナシュクシャ(ホワイトジンジャー)国の標語Patria y Libertad(スペイン語: 祖国と自由)面積:平方キロ109,884平方km本州の約半分国の位置島国であり、ウィンドワード海峡を隔て東にはイスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国、ケイマン海峡を隔て南にはケイマン諸島とジャマイカ、フロリダ海峡を隔て北方145km先に米国フロリダ州が存在。人口:千人11,240千人(2010年)人口密度:/平方キロ102人首都ハバナ(サン・クリストバル・デ・ラ・アバナ) 守護聖人は「十字架を背負うもの」クリストフォロスである市域人口:233万人(2005年)東京からの大圏距離:12,131km時差:JST-14時間サマータイム時差:JST-13時間(次回2013年3月10日~11月3日)民族ヨーロッパ系25%、混血50%、アフリカ系25%(推定)言語スペイン語宗教宗教は原則として自由(キューバ革命以前はカトリック教徒が7割以上であったが、フィデル・カストロ時代に政府から反革命運動をしていないと見なされる必要があり、信者は4割にまで減少、今では無信教者が55%にまで達している。ローマ法王の米国通商停止批判や2度にわたるキューバ訪問で宗教弾圧策は廃止された。)政体共和制(社会主義)元首ラウル・カストロ・ルス国家評議会議長(閣僚評議会議長兼任)2013.2再選、任期5年議会一院制(人民権力全国議会、614名)、任期5年キューバ共産党一党独裁体制政権首相 ラウル・カストロ・ルス(閣僚評議会議長)外相 ブルーノ・ロドリゲス・パリージャ外交基本方針(1) 伝統的に非同盟諸国との連帯を重視。(2) ベネズエラ、ブラジル、ボリビア、エクアドル、ニカラグアの現政権とは積極的外交を展開。「米州人民ボリバル同盟」(ALBA)によるラ米諸国の統合を推進。(3) 近年、中国との経済関係を強化。胡錦濤中国国家主席がキューバを訪問、ラウル・カストロ議長が中国公式訪問を行った。(4)米国との関係は、カストロ政権成立直後に、米国資本企業の国有化を発端に、1961年、外交関係途絶。ブッシュ前大統領は、キューバ制裁措置強化策を執ったが、オバマ大統領は、キューバとの対話重視、従来の対キューバ強硬路線を変更。2009年4月、キューバ系米国人の家族訪問及び送金に関する制限撤廃等を指示。米・キューバ間移民協議や二国間直接郵便サービスの再開協議も再開。軍事(2012年:ミリタリーバランス)支出 約19.6億ドル、兵役 徴兵制、兵力 49,000人(陸軍3.8万人、海軍0.3万人、空軍0.8万人)主要産業観光業、医療サービス、農業(砂糖、煙草、柑橘類)、鉱業(ニッケル)、水産業<メキシコ湾海底油田推定埋蔵量は、46億バレル。同油田鉱区には、スペイン、ノルウェー、ベネズエラ、露、印、ベトナム、マレーシア、ブラジル等の石油企業が参入、2012年4月から試堀開始。>GDP:億ペソ643.28億ペソ(2010年)一人当たりGDP:ペソ5,722ペソ(2010年)実質GDP成長率2.4%(2010年)物価上昇率1.6%(2010年)失業率2.5%(2010年)貿易収支(国際収支)A-B▼60.49億ペソ(2010年)貿易額:輸出(FOB)A45.98億ペソ(2010年)同 :輸入(CIF)B106.47億ペソ(2010年)貿易品目:輸出鉱物、砂糖、葉巻、魚介類、農畜産物同 :輸入燃料・潤滑油、機械・輸送機械、食料・動物、工業製品、雑貨貿易相手国:輸出ベネズエラ、中国、カナダ、オランダ、スペイン<ベネズエラへの医療サービス提供による収入が増加>同 :輸入ベネズエラ、中国、カナダ、スペイン、ブラジル)<ベネズエラから約10万バレル/日の原油を特恵条件で輸入。チャベス大統領が2013.3.5病死し、約50億ドルもの実質無償援助がどうなるか注目。>対日輸出11.5億円 内訳魚介類、たばこ、コーヒー等対日輸入 25.7億円 内訳機械類及び輸送用機器、精密機器類、化学製品等主要援助国2009年、単位:百万ドル西 38、米 20、加 8,スイス 4,ベルギー4日本の援助実績2010年度まで有償:なし無償:20億円技術:42億円世界遺産(文化遺産)ハバナ旧市街とその要塞群:オールド・ハバナ(バロック建築、新古典主義建築、ハバナ大聖堂、ハバナ大劇場、旧国会議事堂、旧大統領邸宅)と4つの要塞(フェルサ、モロ、プンタ、カバーニャ)トリニダとロス・インヘニオス渓谷:砂糖取引で繁栄した町並みと、砂糖生産盆地の製糖工場跡サンティアゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城:湾内に伸びる岬の崖の上に城塞があり、海賊防衛施設ビニャーレス渓谷:カルスト地形の窪地での伝統的タバコ栽培農法独特の景観、および渓谷斜面の洞穴や断崖はハイキング、ロッククライミングで人気の一大観光地キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観:81,475haの土地に171のコーヒー・プランテーションの遺跡(南米に押されて衰退)シエンフェーゴスの都市歴史地区:都市は、本国の啓蒙主義を反映した近代的な都市計画に基づき、格子状街路に整然と建造物が並び、一体的景観を呈する。当初、新古典主義様式であったが、次第に他様式が折衷された。カマグエイ歴史地区:1530年代の建設で、19世紀までスペイン領西インド諸島の経済的な中心地。17世紀の教会を含め、スペイン植民地時代の建築物が今なお残る。世界遺産(自然遺産)グランマ号上陸記念公園:国立公園は マエストラ山地の西側の斜面にあり、石灰岩段丘が海中まで伸び、高低差は540 m(海抜標高360 mから水深 180 m)で、石灰岩の海岸段丘としては世界最大規模。1956年フィデル・カストロがグランマ号でキューバ上陸を果たした地域が含まれる。アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園:グアンタナモ州、オルギン州にある国立公園。総面積714.4平方キロメートル。由来はドイツの科学者アレクサンダー・フォン・フンボルトの1800年~1801年キューバ訪問。その面積、標高差、岩石学上の複雑さ、地形多様性、固有な植物相、動物相の豊かさが登録理由。
Nov 29, 2012
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(キューバ その1 から続く) 1959年1月<キューバ革命>フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルス首相政権成立(2月半ばにカストロは首相に就任、農地改革法を実施、砂糖よりも食料による作物生産に注力、米系資本に握られていた土地・産業の国有化、農業の集団化を行った。米系資本が所有していた農場は国営農場となり、農地面積(国土の65%)の8割を占める。カストロは、経済援助を要請するために訪米したが、アイゼンハワー大統領に面会できず、ニクソン副大統領にはCIA報告で「共産主義者」とみなされ、米国にキューバ・カストロ政権を承認させることに失敗。米国資産の国有化を開始、カストロは弟をモスクワに訪問させ、ソ連首相をハバナに招請し、冷戦下で米国と対峙していたソ連との接触を開始する。米国は共産主義国家の脅威を間近に感じることとなる。1961年1月3日米国と外交関係断絶、ピッグズ湾事件<Invasión de Playa Girón>(地名コチーノ:西語で豚の意)米国は、対抗策として「砂糖の輸入禁止という経済制裁」に踏み切り、国交断絶した。同月20日就任のジョン・F・ケネディ大統領(ソ連との宥和を当初目指していた)時に米国亡命のキューバ人部隊「反革命傭兵軍」2千人が米国の支援(ケネディは航空支援命令失敗などでその後、CIAの解体を宣言・・自身の暗殺事件で未実施)を受けて3日間戦い、東側諸国の支援を受けたキューバ軍20万人に撃退された「ビッグズ湾事件」を起こた。メーデー演説で、カストロは先の革命が「社会主義革命」であったことを声明し、ソ連への接近を強めていく。1962年1月3日ローマ教皇ヨハネ23世がカストロを破門。カトリック教会が社会主義革命に反対の立場を取り、反革命派を支援した。これに対して、カストロは社会主義革命を標榜する無神論者として、司祭や尼僧3百人を国外追放、キリスト教会所有学校国有化、教会資金源枯渇化などの宗教弾圧政策を実施したため破門される。1962年10月14日~28日(2週間)キューバ危機<Crisis de los misiles en Cuba>米州機構(OAS)が対キューバ制裁決議(除名)米ソ間の冷戦の緊張が、最悪の場合全世界を巻き込むことになる第三次世界大戦の勃発を意味する核戦争寸前まで達した危機的な状況。ソ連側:キューバへ核ミサイル配備計画<アナディル作戦>米国側:本土に大陸間弾道ミサイル配置、西欧、トルコに 中距離核ミサイル配置済み経過:米空軍偵察機が14日にキューバ国内で中距離弾道ミサイル4機を発見。米国の海上封鎖、ソ連船の臨検、核弾道ミサイル発射準備態勢、駐留米軍臨戦態勢、全面核戦争可能性報道、キューバ上空での米偵察機撃墜事件「暗黒の土曜日」、第三次世界大戦勃発の可能性、・・・・10月28日にフルシチョフ首相のミサイル撤去(基地、ミサイル解体)声明、ケネディのキューバへの武力侵攻の中止声明で、小国キューバ政府が介在しない「米・ソの政治的妥協で終結」(冷戦体制から平和共存の「デタント」・・以後米ソはホットライン構築)カストロが発射を期待していたキューバ内のソ連製核ミサイルは、ワシントン射程の中距離弾道ミサイル2機、対上陸軍用戦術短距離ミサイル42基、グアンタナモ米軍基地への攻撃準備なども配備されて、兵士数も見積もりの10倍で、米国の予想を上回っていた。しかし、当時の世界的規模で見たときの「核戦力はソ軍300発、米国5,000発」とソ連側には不利であり、第三次世界大戦勃発の可能性があったものの、フルシチョフのキューバ撤退の判断は当然かもしれない(2年後に撤退・譲歩を非難されてフルシチョフは失脚する)。1965年キューバ共産党結成1975年第1回共産党大会、アンゴラ派兵本格化1976年新憲法制定、人民権力全国議会発足、カストロ国家評議会議長就任1979年非同盟運動諸国首脳会議開催(ハバナ)1980年マリエル事件(12万5千人のキューバ難民発生)1991年アンゴラ撤兵完了1992年憲法改正、米国トリチェリ法成立(ブッシュ大統領の署名で下記内容が成立)1. 米国籍企業海外支店のキューバ貿易を禁止 2. 米国市民のキューバ旅行を禁止3. キューバ人亡命者の家族送金を禁止カストロはキリスト教徒への融和策を導入し、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は米国の通商停止に対し、「不正で、倫理的に承諾しがたい」と非難し、バチカンとカストロの関係は改善される。1993年初の直接選挙で人民権力全国議会を開催(任期は5年)。2008年1月、全国議会選挙が実施され、カストロ前議長を含む614名の立候補者全員当選。1994年米・キューバ移民協議1996年米民間機(反カストロ亡命キューバ人団体)撃墜事件米ヘルムズ・バートン法成立(クリントン大統領の署名で下記内容が成立)1. 米国人は接収財産に関わる取引をした外国企業に対し所有権を要求する権利を持つこと 2. 接収資産と関わる企業は米国への入国を禁止すること11月カストロがバチカンを表敬訪問し、ヨハネ・パウロ2世に謁見、宗教弾圧政策を放棄。1998年ローマ法王ヨハネ・パウロ2世による(ローマ教皇初の)キューバ訪問(クリスマスを再び休日とし、宗教的行事の公然実施を認めた。)1999年第9回イベロアメリカ・サミットの開催(ハバナ)エリアン少年事件(キューバから母親達と12人が米国へ小舟で亡命密航中、フロリダ沖で遭難。唯一人救助された8才孤児は米国の親類に託された。が、キューバに残った父親が親権を主張して国際問題化し、ついにはキューバに戻った事件)2000年第1回南サミット(G77諸国)開催(ハバナ)2001年米国からの食糧購入開始2002年カーター米元大統領キューバ訪問2005年4月ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の死去の際、カストロはハバナ大聖堂のミサに参列。枢機卿がカストロに謝意を表す。2006年カストロ議長が弟ラウル・カストロ国家評議会第一副議長に権限を暫定委譲非同盟運動諸国首脳会議開催(ハバナ)2008年2月2006年に病で倒れて姿を見せなかった、カストロ議長が国家評議会議長職を辞す意向を表明(弟)ラウル・カストロ国家評議会議長就任2009年3月11名の閣僚解任で前カストロ側近が失脚。オバマ米政権による対キューバ制裁緩和2011年第6回共産党大会、市場主義経済の部分的導入を含む「経済社会政策方針」を採択。カストロ前議長が共産党第一書記退任、ラウル・カストロ議長が同第一書記就任2012年ローマ法王ベネディクト16世のキューバ訪問(ローマ法王としては2回目)キューバ政府にとっては、ミサ参加のための在外キューバ人入国を容認、海外永住キューバ人資産没収制度廃止などで、法王の訪問が良いイメージ造りの機会となっている。(キューバ その3 に続く)
Nov 29, 2012
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「アメリカ合衆国の裏庭」と俗称されるが、むしろ、南・北の米大陸、及び西欧とラテンアメリカを結ぶ「要路」に位置している。風光明媚なことでは、「メキシコ湾の真珠」、や「カリブ海の真珠」とも呼ばれる。「米大陸初の社会主義国」に因んで「カリブに浮かぶ赤い島」とも形容される。世界を震撼させたキューバ危機では、ケネディやフルシチョフがカストロの上空で「和解」に至った(その後、両者とも暗殺や失脚となった)。フィデル・カストロは表舞台から引退しているが、後継者の弟ラウル・カストロが、2009年に、兄の革命式典出席以来24年ぶりにロシア訪問を、本年7月にも中国、ベトナムを経て再度、訪露した。プーチン大統領からは、「古い仲間であるだけでなく、今もわれわれの友人である、とフィデルに伝えよ」、のメッセージを預かったという。カストロは、高校球児時代最優秀選手、大学時代はメジヤー選抜との対戦で3安打無得点の投手として活躍もしている。スペイン人移民の裕福な農場主の息子として生を受け、共産主義者、無神論者(既に信条から放棄し、後に破門された)として、カトリック教徒を厳しく宗教弾圧し、バチカンと対立したが、米国の対キューバ通商停止政策に対する、バチカンの理性的批判を評価して、「互いに接近」しており、教皇逝去時はハバナ大聖堂に参列、枢機卿から謝意を受けている。・・・・・・・・「ローマ法王がカストロを善導している」かのよう。「無我」や「縁起」が大切であることがよく分かる実例。NHKアーカイブ 「幸福の国ブータン」からの「連想」。・・・・・・・・Memo.(後述の貿易関係基本事情に追加スペースないので)キューバの貿易統計追加 国際収支(2007年)、単位:百万ドル 経常収支 488 輸出(財) 3,830 A 輸入(財)10,083 B A-B ▼6,253 <後述の表示ペソは兌換ペソ=ドルと思われるため記述>/////////////////// キューバ共和国 略史<資料出所:外務省、WIKIPEDIAなど> 年略史先コロンブス期南米ギアナ地方から海渡したアラワク族系のタイノ族、シボネイ族、カリブ族が先住民として暮らす1492年10月27日コロンが第一次航海で「印度」と思い発見、「スペイン人によるインディオの征服」が始まる。スペイン人に征服されたイスパニョーラ島から逃避してきたアトゥエイの指導でスペインへの抵抗を継続。1511年にスペインのベラスケスの遠征隊に征服され、植民地の進行とともに、虐殺、強制労働、疫病などで先住民はほとんど絶滅。インディオの悲劇とは裏腹に、キューバの植民地化は砂糖産業、奴隷貿易を盛んにし、中継貿易で発展を遂げ、メキシコ市、リマ市に次ぐ都市として発展、大学、要塞が建設された。19世紀初頭南米大陸の多くが独立していく過程で、それら旧王党派の亡命地となり、スペイン本国もフィリッピン、プエルトリコなどと共に僅かに残った植民地を手放すまいと、駐キューバ・スペイン軍を強化。サン・ドマングから逃亡した仏農園主からの技術を獲て、大規模奴隷制砂糖プランテーションが発達、1840年代は世界最大の砂糖生産地となる。葉巻の通商でも富を得るが、スペイン支配の抑圧に対する独立気運が高まった。1868年<第一次、第二次キューバ独立闘争>米合衆国への併合を求めた闘争で、1877年にキューバの自治権が認められ、1878年サンホン条約で休戦成立。しかし、ムラートのアントニオ・マセオ将軍達はキューバの完全独立を目指し、解放戦争を続行。1886年には奴隷制度完全廃止。1892年ホセ・マルティなど亡命キューバ人がニューヨークでキューバ革命党を設立、1895年マルティの指導で第二次キューバ独立戦争が再発、本人は同年戦死したが、マキシモ・ゴメス将軍のキューバ独立軍は1898年島の過半を解放。折しも、米戦艦メイン号がハバナで謎の爆沈、激怒した米国民の支持を背景にキューバ独立戦争への米国の介入が始まる。1898年米西戦争で瞬く間に米国はスペイン軍をキューバ全島から駆逐し、米軍の圧倒的勝利。<パリ条約>1902年<米国軍政のもとでの独立>キューバ共和国の独立ながら、米国の内政干渉権、グァンタナモ、バイア・オンダの二箇所にアメリカの軍事基地を設置。1906年~1909年米軍管理下。初代大統領トマス・エストラーダ・パルマ時、精糖産業など多くの資源産業を米系企業が支配、政治家の不正などで国民の不満が深化。1906年反乱鎮圧のため米軍の占領下に、1908年ホセ・ミゲル・ゴメス大統領時に米軍撤退、1912年白人支配に対する黒人反乱が発生し米軍と結んで鎮圧。1913年マリオ・メノカル大統領時、1920年選挙の混乱で米軍の介入、クーデターなどで1930年代まで政治的不安定期が続き、米国はキューバの秩序維持に努めざるをえなかった。1936年親米派のフルヘンシオ・バティスタ政権誕生し、1940年には一定の政治的安定を見せたが、1944年総選挙でバティスタは敗北、砂糖の国際価格不安定化、インフレへの対策に失敗して社会不安が拡大、バティスタがクーデターで政権を奪取、独裁政治を開始、米国のキューバ支配から同国の半植民地状態となる。弁護士カストロの蜂起を鎮圧し、1955年自らは大統領となり、カストロなどの政治犯は恩赦で釈放されメキシコに亡命、独裁体制は継続した。カストロはアルゼンチン医師チェ・ゲバラからゲリラ戦訓練を受け、1956年12月キューバに上陸、政府軍から壊滅的打撃を受けたものの、2年余のゲリラ闘争の結果1959年初にバティスタを国外逃亡に追い込み、550人を処刑した。(キューバ その2 に続く)
Nov 29, 2012
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(ハイチ共和国 その2 から続く) <資料出所:外務省、JETRO,WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ハイチ共和国Republic of Haiti「カリブの真珠」としてキューバ(メキシコ湾の真珠とも)やハイチが称されるHaitiとは「山ばかりの土地」という原住民語で、Hの発音は聞こえない。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)118位通貨グルド1米ドル=約42グルド国旗<国旗販社:さらご>青と赤の2色は、黒人とムラート(黒人と白人の混血)の2種類の人種を表わす。中央の紋章にはヤシの木と自由の帽子、大砲、弾丸、旗などが描かれており、自由と独立の為の戦いの歴史を象徴する。下部の文字の意味は「団結は力なり」。国花ダイオウヤシ国の標語L'union fait la force(フランス語: 団結は力なり)面積:平方キロ27,750平方km北海道の約1/3の面積国の位置イスパニョーラ島西部に位置。東にドミニカ共和国と国境を接し、カリブ海ウィンドワード海峡を隔て北西にキューバ、ジャマイカ海峡を隔て西にジャマイカが存在する。人口:千人10,089千人(2010年)人口密度:/平方キロ361人首都ポルトープランス(Port-au-Prince 「王子」の港)都市圏人口:173万人市域人口: 108万人東京からの大圏距離:13,119km時差:JST-14時間サマータイム時差:JST-13時間民族アフリカ系(約9割)、その他混血言語フランス語、クレオール語(共に公用語)宗教キリスト教(カトリック、プロテスタント等)、ブードゥー教等政体立憲共和制元首ミシェル・ジョゼフ・マルテリー大統領(2011年5月就任、任期5年)議会二院制(上院30議席、下院99議席)政権首相 ローラン・ラモット(2012年5月就任)(計画・対外協力大臣兼任)外相 ピエール=リシャール・カジミール(2012年8月就任)外交基本方針(1) 主要支援国である米国、加、仏等との関係を重視。(2) 1996年2月、キューバと国交を回復。2002年7月、カリブ共同体(CARICOM)に加盟。(3) 治安維持、選挙監視等の分野で国連及びOASの役割・協力に依存。(4) 台湾承認国。軍事アリスティッド大統領の帰国後(2004年10月)、ハイチ政府は軍を解体。主要産業農業(米、コーヒー豆、砂糖、バナナ、カカオ、マンゴー、トウモロコシ)、軽工業(繊維製品、軽電気、機械組立)GNIGDP:億ドル6,494百万ドル(2010年)7,390百万ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP:ドル650ドル(2010年)738ドル(2011年)実質GDP成長率▼ 5.1%(2010年)5.6%(2011年)物価上昇率4.1%(2010年)7.4%(2011年)財政収支/GDP比▼3.7%(2011年)政府総債務残高/GDP比11.7%(2011年)経常収支(国際収支)▼340百万ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼1,481百万ドル(2009年)財貿易額:輸出(FOB)A551百万ドル(2009年)財同 :輸入(CIF)B2,032百万ドル(2009年)財貿易品目:輸出衣類、加工品、カカオ、マンゴー、コーヒー同 :輸入食料品、加工品、機械・輸送機器、燃料、鉱物原料貿易相手国:輸出米国、ドミニカ共和国、カナダ、メキシコ、ベルギー同 :輸入米国、アンティル諸島、ブラジル、中国、コロンビア原油輸入770百万ドル(2011年)対日輸出入差▼29.9百万円対日輸出1.5百万ドル(2006年)<JETRO> 内訳衣類、コーヒー豆対日輸入31.4百万ドル(2006年)<JETRO> 内訳自動車、発電機等主要援助国2009年米、西、加、仏、日日本の援助実績2009年度まで有償:なし無償:333億円技術: 16億円世界遺産(文化遺産)「シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園」シタデルは、1805年から1817年にかけて標高 970 m のラフェリエール山の頂にハイチ国王・アンリ1世が建造した巨大な要塞。サン=スーシ城は1807年から1813年に同国王が築城した「憂い無し」の城。上記の建物を中心に、ラミエールの丘とその周辺には、ラテンアメリカで最初の独立国、世界で初めての黒人奴隷が打ち立てた共和国、となった当時の建造物が数多く残る。
Nov 28, 2012
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(ハイチ その1 から続く) 1996年2月プレヴァル大統領就任(前大統領推薦、政党「希望戦線」レスポア)年末にアリスティドはOPLから分かれて新党「ラヴァラの家族」(Fanmi Lavalas、FL)を結成、一方OPLは略称はそのままで「闘う人民機構(Organisation du Peuple en Lutte)」に改称。1997年11月国連ハイチ・ミッション(UNMIH)がハイチから撤退国会議員選挙が登録有権者の5%の投票率で不成立、スマート首相の辞任などで、国会の機能停止状態2000年5月~7月議会、地方選挙(上院議員選挙の不正、不正を是正せずに国会を開いたことに主要ドナーが非難し、援助の見合わせ)9月石油価格値上げに伴うインフレの加速、延滞債務問題等経済状態の悪化が続く2001年2月アリスティッド大統領就任(2期目、FL)野党側は両選挙無効主張、米州機構の仲介努力にも拘わらず、大統領府襲撃事件が発生、対立は先鋭化。大統領退陣要求が激化。2004年2月武装勢力の活動先鋭化、アリスティッド大統領国外脱出(仏、米の命で南ア経由中央アフリカへ亡命、その翌月にジャマイカに移動)、アレクサンドル暫定大統領(最高裁長官から就任、~2006年5月)、多国籍軍展開(安保理決議1529)2004年3月賢人会議の選出でラトルチュ首相(外相から就任、~2006年6月)暫定政府発足 大統領任期中「アムネスティ・インターナショナル」より警察権力、処刑裁判、行政怠慢などで告発された。2004年4月多国籍軍が国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)に6月から移行(安保理決議1542)2004年7月対ハイチ支援会合開催(於:ワシントンDC)2004年11月国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期6ヵ月延長を認める決議を採択(安保理決議1576)2005年6月国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期を2006年2月15日まで認める決議を採択(安保理決議1608)暫定政権下でハイチ系海外移民(ディアスポラ)からの送金及び通信及び建設分野の投資等が増大し、国内総生産がプラス成長となり、インフレ率も前年比減2006年2月国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期6ヵ月延長を認める決議を採択(安保理決議1658)2006年5月ルネ・ガルシア・プレヴァル大統領就任(2期目)、国会設置・開会2006年6月アレクシー内閣発足2006年7月対ハイチ支援会合開催(於:ポルトープランス)2006年8月国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期6ヵ月延長を認める決議を採択(安保理決議1702)2006年12月統一地方選挙(一部国会議員選挙含む)2007年2月国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期8ヵ月延長を認める決議を採択(安保理決議1743)2007年10月国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期1年延長を認める決議を採択(安保理決議1780)2008年4月食料価格高騰で大規模デモ発生、アレクシー首相辞任、ピエール=ルイ首相就任。2008年10月国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期1年延長を認める決議を採択(安保理決議1840)2008年9月、同国付近を連続通過したハリケーンにより、死者約800名を含む被災者約80万人のほか、同国GDPの約15%に相当する損失を被った2009年4月対ハイチ支援国会合開催(於:ワシントンDC)3.5億ドルをプレッジ、10月ピエール=ルイ首相辞任、ベルリーヴ首相(計画・対外協力相から就任)2010年1月ハイチ地震(マグニチュード7.0)発生で、死者31万6千人を含む被災者約370万人(ハイチ政府発表)のほか同国GDPの約120%に相当する約78億ドルの損失を被った国連安保理は国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)の増員(3,500名)を決定(安保理決議1908)ハイチに関する閣僚級会合(於:モントリオール(カナダ))2010年3月ハイチ支援国会合(於:ニューヨーク国連本部)53億米ドルをプレッジ2010年10月国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)任期延長を認める決議を採択(安保理決議1944)2010年11月~2011年4月大統領・国会議員選挙2011年5月マルテリー大統領就任 大統領指名の首相が2度議会で否決後にコニーユ内閣が10月発足、2012年2月コニーユ首相辞任でラモット外相が首相に就任。(ハイチ その3 に続く)
Nov 28, 2012
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Haiti は「ハイチ」ではなくて「アイティ」といい、先住民の言葉で「山ばかりの土地」を意味する。独立との交換条件に、仏から接収した農園・奴隷の巨額賠償を引き受けされ、巨額の借入金が発生し、国民は悲惨な生活を余儀なくされ、さらに、それに伴う国政混乱、内戦が続き、地震、コレラ大流行などの災害が加わり、生活は貧窮水準にある。貧しさとは裏腹に、「カリブの真珠」と呼ばれる美しい国である。 ハイチ共和国 略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史1492年コロンブスのイスパニョーラ島発見1697年<ここまでは、現在、島の2/3を領有する東国・「ドミニカ共和国」(前身はスペイン領サント・ドミンゴ)を参照。>イスパニョーラ島の西部(島の1/3を占める)がフランス領となる(仏領サン=ドマング) 1791年<ハイチ革命>仏本国で仏革命(1789年)が勃発すると、サン・ドマングの黒人奴隷とムラート(混血自由黒人)がヴードゥーの司祭に率いられて蜂起、その反乱軍は白人地主を処刑、仏に宣戦布告し侵入した英・西軍を撃破して島全土を掌握。ルーヴェチュールが1801年自らを終身総督とする自治憲法を公布し、ハイチを立て直そうとしたが、「奴隷制復活」を掲げたナポレオンが軍を派遣し、その反乱は鎮圧され首謀者は獄死。再び、蜂起したジャン=ジャック・デサリーヌの反乱軍は英の支援で仏軍を駆逐した。1804年~独立<ハイチ帝国>1804年~1806年デサリーヌ・・建国の父・・は国名をハイチに変更して、ナポレオンに倣って皇帝・ジャック1世として即位し、白人を追放、翌年憲法制定、翌年北部・クリストフや南部・ペションの勢力により暗殺された。<ハイチ国>ハイチは北部のハイチ国と南部のハイチ共和国に分裂した。ジャック1世の暗殺に関わった一人であるアンリ・クリストフが「ハイチ国陸海軍大元帥兼大統領」に就任した。1811年、クリストフは突如自身を国王と宣言し、アンリ1世として独裁的に振舞い始めた。北部王国では、クリストフが王制[ハイチ王国]を宣言、圧政を敷き、対仏征服名目で宮殿、城塞<両者共に世界遺産>を建設、1820年国王アンリ1世が自殺。<南北分裂で南部のハイチ共和国>南北に分かれて争ったが、南部共和国では、ペションが農地改革でプランテーションを解体、革命戦士に土地を分配、南米の解放者・シモン・ボリーバルも亡命してきた。<ハイチ共和国による南北統一>1820年南部のペションの後継者ボワイエ大統領がハイチを再統一した。<ハイチ共和国による全島統一から「ドミニカ共和国」分離>1820年イスパニョーラ島の東2/3を支配していた、スペイン人クリオージョ達が「スペイン人ハイチ共和国」の独立を宣言し、「コロンビア共和国」への編入を求め1821年内戦に陥ると、ハイチは東進してこれを併合1844年まで全島に独裁体制を敷いた。この時期に、仏艦隊が迫り、ボワイエ大統領は「独立時に仏系植民者から摂取した農園・奴隷に対する莫大な賠償金」を請求され、シモン・ボリーバルが主催した国際的なパナマ会議が失敗に終わり、ハイチの独立は承認されず、仏に対して独立を承認してもらう代わりに賠償金の支払いに応じたため、賠償金が長年の借金としてハイチを苦しめる。1843年ボワイエ独裁への反乱でボワイエは亡命し、国は無政府状態に陥り、1844年上記賠償金のための重税で苦しむ東部の西班牙系住民が再度「ドミニカ共和国」の独立を宣言、これに敗北して手放すなど内政は混乱が継続。1849年<ハイチ帝国>1849年~1859年この状況を収拾したフォースタン将軍は黒人奴隷出身で1791年の反乱にも参加した人物で、大統領に就任、さらに1849年には帝政を宣言・皇帝フォースタン1世を名乗る。圧政、秘密警察配備、隣国侵入を行い、1859年圧政で困窮した民を救うべく将軍の蜂起を呼び、帝政は崩壊、共和制に復帰。しかし、国内情勢は復帰不可能なまでに悪化、大統領交代、内戦が発生。1915年~1934年米国による軍事占領(債務返済問題を理由に海兵隊派兵、数十万のハイチ人がキューバ、ドミニカ共和国に亡命。1934年には世界恐慌、ニカラグアのサンディーノ軍との苦戦などで米大統領ルーズベルトの善隣外交政策のもと海兵隊が撤退。)1946年~1956年米占領以来、共和制下で数人のムラートの大統領が交代、1946年クーデターでエスティメが黒人大統領になり改革を企図したが国内混乱を招き、黒人の軍事政権が誕生、一時は活況を呈したが全土でゼネストが起こり1956年クーデターで打倒された。1957年9月<秘密警察(トントン・マクート)の時代>フランソワ. デュヴァリエ大統領(1964年以降終身大統領)国民統一党黒人多数派を代表する医師でポピュリスト政治家から翌年には軍事独裁者に転じた1971年4月ジャン=クロード.デュヴァリエ(F. デュヴァリエの子息)大統領就任1986年2月J.C. デュヴァリエ大統領ハイチ出国1987年4月民主憲法発布1991年2月ジャン=ベルトラン・アリスティッド大統領就任(元サレジオ修道会の司祭、支援母体「Lavalas」から初めての民主的選挙で選ばれた34代大統領、後に36,37,39代大統領歴任)首相はルネ・ガルシア・プレヴァル(デュヴァリエ時代に亡命していた、後に38代、40代大統領)1991年9月軍事クーデター、アリスティッド大統領国外脱出1993年7月アリスティッド大統領の帰国に向け合意成立1993年10月国連安保理制裁再開(6月に実施、8月末に停止されていたもの)1994年5月国連安保理制裁強化(全面禁輸等)1994年7月国連安保理、加盟国に多国籍軍創設を認める決議を採択1994年9月カーター合意により軍指導部は退陣に合意。多国籍軍、展開1994年10月アリスティッド大統領帰国1995年3月多国籍軍が国連ハイチ・ミッション(UNMIH)に移行6月の選挙では多党連合であるラヴァラ(Lavalas)政治機構(OPL)が圧勝(ハイチ その2 に続く)
Nov 28, 2012
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競馬のジャパンカップの瞬間を見た。競馬ファンではないが、息子夫婦が孫達を連れてきていて孫達に「アンパンマン」などのDVDを見せた後で、「お馬さんだよ」とTVを点けたのだった。立派なサラブレッドが鬣を揺らしながら、長い足を前に前に出して、まさに人馬一体となって競い合っている。イギリスや他の外国から航空機で輸送してきた競馬名馬が多く参加しているらしい。外人の騎手もいる。スタートで出遅れたのか、なかなか伸びない馬がいるが、いつの間にか、するすると、頭角を現してきたか、と思うと、遥か先頭を切っていた馬が疲れたのだろうか、次々と追い抜かれていく。落ちていく馬は、まるで、マラソンで「ペースメーカー」として全体のスピードを高めるための「外人選手団」のようである。最後の周回に入り、ゴールが間近になって、2番手が先頭を追い抜きざまに、少しだけ右手に押しやられたようだ。出遅れていたものの、強烈な勢いの3番手が右に迫る中での出来事である。2番手が、3番手にぶつかっているから、両馬は転ぶのかと思ったがお互いに慣性があるからであろうが、もたれ合いながら、ゴールを駆け抜けた。2番手は「進路妨害」になるのかと思ったが、「審議中」で、「TV放送の時間切れ」となった。翌日のスポーツ紙をみると、後味の悪そうな優勝馬の騎手が発表されている。「鼻の差」よりも僅差であり、もたれ合ってのゴールであるから後塵の馬の方が進路を妨害される、というより人間なら「肩が触れあった」ようなもので、「進路上の障害となった存在」に違いなかろう。「審議」されたので、問題は解決されたのだろうが、素人目にも明らかに、「ぶつかり」、「後ろの馬に押して貰った」瞬間が存在したように見えた。後ろの馬は、出遅れていたが、充分なスピードを蓄えていた。格闘技なら容認だが、スピード競技なら進路の妨害はタブーで、妨害者は降格または失格となるはずである。小生は、馬券も買っていないし、文句を言う筋合いも、また、「降格」に一票投じる権限もないが、なんだか気持ちが悪い判定であった。競馬ファンが文句を言わず、騒がないのは立派だと思う。しかし、大金を投じて勝負に出たギャンブラーには、もう一度二頭だけの勝負をしてもらいたいのではないだろうか。または、このような場合は、判定不能で同着とできないものだろうか。なにせ、もたれあいゴールで同体に見えるからだ。 大相撲では、「同体とみての再試合」なのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 昨日に、記載したものを本日に転記(昨日は削除)する。
Nov 27, 2012
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(ドミニカ共和国 その1 から続く) <資料出所:外務省、WKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ドミニカ共和国Dominican Republic幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)42位通貨ペソ1米ドル=38.72ペソ(2011年平均)国旗赤青地に白十字の旗。中央には国章を配置。民間用途ではこの国章を省略。国章は、月桂樹の枝(左)と椰子の葉(右)が支え、青リボンには国是:Dios, Patria, Libertad (神、祖国、自由)を表示。下の赤リボンには、República Dominicanaの文字を表示。中央には、聖書と小さな金の十字架があり、聖書はヨハネ福音書8:32「Y la verdad os hará libre 」(そして真実は汝を自由にするであろう)と読める。聖書から両側に向かう三つの槍が上方に向かっている。国花マホガニー国の標語DIOS,PATRIA,LIBERTAD「神、祖国、自由」面積:平方キロ48,442平方km九州+高知県の大きさまたは、北海道の6割弱国の位置西インド諸島の大アンティル諸島で、二番目に大きな島のイスパニョーラ島(北海道の9割強)の東部に位置、同島西部にある国・ハイチと国境を接す。モナ海峡を隔て東にプエルトリコ、ウィンドワード海峡を隔て西にキューバ、ジャマイカ海峡を隔てジャマイカが存在する。人口:千人10,060千人(2011年)人口密度:/平方キロ208人首都サントドミンゴ(西半球で西欧人が最初に建設した町)都市圏人口:225万人(2006年)市域人口: 91万人(2007年)東京からの大圏距離:13,241km時差:JST-13時間サマータイムなし民族混血73%、ヨーロッパ系16%、アフリカ系11%言語スペイン語宗教カトリック政体立憲共和制元首ダニーロ・メディーナ・サンチェス大統領(2012年8月~2016年8月、任期4年)議会二院制(上院32名、下院190名)、任期4年政権首相 首相職無し、外相 カルロス・モラレス・トロンコソ外交政策(1) 対米重視、EUと協調関係維持(2) カリブ諸国連合(ACS)の原加盟国、カリブ共同体(CARICOM)オブザーバー。中米統合機構(SICA)準加盟国。2007年3月米国と自由貿易協定(DR-CAFTA)発効。2008年10月EUと経済連携協定を批准。(3) 2004年以後、ハイチ安定化に向け協力姿勢。ハイチ人不法移民問題は両国間の懸案事項。2010年1月ハイチ地震災害の支援国会合を開催、ハイチへ支援物資通関や国境通過便宜等ロジスティック面支援。(4) 台湾と国交維持。1997年、中国と通商関係樹立。 軍事(2012年:ミリタリーバランス)(1) 予算 約229百万ドル(2011年予算)(2) 志願制(3) 兵力 24,500人(陸軍15,000人、海軍4,000人、空軍5,500人)主要産業観光、農業(砂糖、コーヒー、カカオ)、鉱業(フェロニッケル、金、銀)、軽工業(フリーゾーンにおける繊維、縫製業) 主要産業コメント砂糖、コーヒー、カカオ、タバコ等伝統的一次産品の輸出国だが、1990年以降、フリーゾーンからの繊維等軽工業品の輸出が増加。また、観光業は外資誘致及びインフラ整備で発展。2009年外国人観光者約400万人。観光収入約41億ドル。主要外貨獲得源は、上記に加え、米国居住ドミニカ共和国人(約100万人)の海外送金(2009年、約30億ドル)。GDP:億ドル557億(米)ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル5,538(米)ドル(2011年)実質GDP成長率7.8%(2011年)物価上昇率24.4%(2011年)失業率14.6%(2011年)財政収支/GDP比▼2.6%(2011年)政府総債務残高/GDP比29.8%(2011年)外貨準備高36.4億ドル(2011年)対外公的債務127.6億ドル(2011年)経常収支(国際収支)▼45.0億(米)ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼88.8億ドル(2011年)貿易額:輸出(FOB)A85.4億ドル(2011年)同 :輸入(CIF)B174.2億ドル(2011年)貿易品目:輸出繊維製品、電気製品、宝飾関連製品、医薬品、フェロニッケル、タバコ同 :輸入石油・石油関連品、自動車、電気製品、鉄製品貿易相手国:輸出米国、ハイチ、西、英国、ベルギー、蘭、フィンランド同 :輸入米国、ベネズエラ、西、墨、コロンビア、中国、日本原油輸入 46.7億(米)ドル(2011年)対日輸出79億円(2011年) 内訳医療用機器、医薬品、履物類、フェロニッケル、コーヒー対日輸入128億円(2011年) 内訳自動車等輸送機器、精密機器、タイヤ、自動車部品主要援助国2009年、単位:百万ドル西 29、米 14,韓国 7、仏 3、加 3日本の援助実績2010年度まで有償:316億円無償:251億円技術:296億円世界遺産(文化遺産)サントドミンゴの植民都市:コロンらによって建設された新世界初の植民都市で、16世紀前半の大聖堂、病院、大学などがある。スペイン人の米大陸本土を征服する最初の拠点であった。
Nov 26, 2012
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米州で最初の西欧人恒久的定住地であり、かつてのスペイン侵略拠点があったサント・ドミンゴ市を含む、イスパニョーラ島の2/3を領有するドミニカ共和国。(島の西側の1/3は仏から独立したハイチ共和国。)米州最古の植民都市で、大学、大聖堂、要塞がある。此島を、東洋のジパングと誤認し愛して止まなかったコロンが永遠の眠りについている。首都の反対側でも、独裁者トルヒージョも眺めたであろう、美しい「銀の港(プエルト・プラタ)」の景色がイサベル・デ・トーレス山の山頂ロープウエーから展望できる。近隣の英連邦王国のドミニカ国としばしば混同される。ドミニカ共和国略史<資料出所:外務省、WIKIPEDIA> 年月略史先コロンブス期BC4000~1000年に先住民アラワク族(タイノ人)が南米大陸ギアナから移住。島をアイティ(Haiti)などと呼び、島全体に5部族(100から300万人)がいたという。ドミニカ文化の中に食事、言語、家族構成、モラルが残っている。1492年<スペイン植民地時代、スペイン領サント・ドミンゴ>コロンブスがイスパニョーラ(小さなスペインの意)島発見。二度の植民失敗の後、コロンの弟バルトロメ・コロンが1496年サント・ドミンゴを建設、「新大陸初めてのスペイン植民地となる。先住民は金鉱山の酷使、疫病の発生で、ラス・カサス神父の告発も空しくほとんど死亡。サトウキビ・プランテーションがカナリア諸島から導入され、不足した労働力はアフリカ黒人奴隷で補った。1502年にサントドミンゴに設置されたイスパニョラ島総督が植民地貿易を統括し、1526年からは南米ベネズエラ全土をも管轄した(しかし、ベネズエラは1717年以降ヌエバ・グラナダ副王領、1777年以降はベネズエラ総督領に移管されるなど変遷)。イスパニョーラ島の統治は数世紀にわたり疎かにされ、島の西部が無人化した後、仏海賊の定住地となる。1697年<島の西部(現ハイチ共和国)を仏領サン・ドマングとして失う>スペイン・仏間の「リスウィク(ライスワイク)平和条約」で、同島の東側(島の2/3)がスペイン領サント・ドミンゴ(現在のドミニカ共和国)、西側(島の1/3)が仏領サン・ドマング(現在のハイチ共和国)、と決められる。<仏領サン・ドマングのメモ>仏領サン・ドマングでは、1730年代から仏技師がサトウキビ生産性向上のため複雑な灌漑設備を作り上げ、多数の黒人奴隷に厳しい労働を使役することから、黒人奴隷の反乱に神経を尖らせる必要が生じ、白人農場主達は厳格な階級制度を定め始めた。逃亡奴隷の集団襲撃には当初、統制が欠けていたが、僧侶マッカンダルの出現で反乱が1751年~1757年に起こり、指揮者の火炙りの刑では終わらず、死後も襲撃、示威行為が続いていた。1789年には仏領サン・ドマングは世界の砂糖の40%を生産し、最も価値ある植民地であった。島内には、カリブ海地域の黒人奴隷百万人の半数がいたとされる(仏人の白人入植者は4万人)。 1791年<仏領サン・ドマングでの「ハイチ革命」とその後の被支配>1791(~1804)年に反乱が起こる。2ヶ月の暴動で2000人の白人が殺され、280箇所の砂糖プランテーションが焼失したという。この革命は、自由黒人の共和国としてハイチの建国を目指すもので、奴隷解放も意味する。1795年「バーゼルの和約」で仏・スペイン戦争の結果全島が仏領サン・ドマングとなる1804年<全島が「ハイチ」として仏より独立>国土は何年にもわたる戦争で痛めつけられ、農業は疲弊し、正式な商業というものは存在せず、大衆は教育も無くほとんど技術も無かった。島人口は革命前550千人→革命後300千人。1809年<東部は分離,再びスペイン領に戻る>サント・ドミンゴは再びスペインの支配下に戻り、1814年パリ条約で東側が正式にスペイン領となる1821年11月<東部独立の試練とハイチによる再占領>サント・ドミンゴは、南米大陸で進められていたシモン・ボリーバル達の解放戦争に触発されスペイン人ハイチ共和国として独立したが、王党派と独立派の内戦の隙を突かれて、1822年隣国ハイチ軍による占領(~1844年)を受ける1844年<再独立・ドミニカ共和国成立>ハイチの独裁政権・植民地支配に反発する勢力は高まり、独裁者失脚後に、革命軍がハイチ人を一掃し、ハイチから独立、ドミニカ共和国が誕生、ペドロ・サンタナが初代大統領に就任。1861~1865年<再びスペイン植民地を受容、再々独立、隣国ハイチの脅威>大統領は相次ぐハイチとの戦争に耐えきれず、スペインに併合を申し入れ、1861年自身はサント・ドミンゴ総督に就任。屈辱的併合はドミニカ国民を激怒させ、ハイチ人と組んだドミニカ人自由派が独立運動を激化させ1865年再び独立。しかし、ハイチの脅威は大きく、二度にわたり米国に併合を求めたが、米上院の反対にあって頓挫。1875年にハイチとの平和条約が締結し独立の歩となる。1882年<独裁政治、独立時の賠償問題で米国被保護国(両国共)>黒人のウーロー大統領の独裁政治。1899年拙劣な政策で暗殺され混乱状態続く。1906年ウーロー大統領時代の外債債務返済が巨額のため、米国に「ドミニカ共和国の債務返済の保証を、自国の関税徴収の見返り」に提案し、同国の保護国となった。同様に隣国ハイチも対仏賠償や各国へ債務返済ができず財政難、混乱が続いた。第一次世界大戦でドイツがドミニカ共和国、ハイチの混乱につけ込むのを避けるため、米国が1915年ハイチを占領。1916~1924年<米国の軍事占領>米国によるドミニカ共和国の軍事占領両国は米軍支配下で債務返済、経済基盤や政治を改善し大規模農業を導入、有力者私兵や軍閥に代わる警察や国軍を作るが、後にそれが両国・軍部独裁の「種」となる。1924年選挙でオラシオ・バラスケスが大統領に選出、同年7月にアメリカ軍は撤退。1930~1961年<トルヒーリョ独裁統治>トルヒーリョ将軍による独裁統治。1960年OAS(米州機構)総会で同人の非難決議が出されて、翌年に暗殺され、一族はバミューダに亡命。1961年<混乱>バラゲールを首班とする国家評議会成立その後クーデターにより軍事評議会成立1963年<ボッシュ維新政権>総選挙を経てボッシュ大統領就任[ドミニカ革命党]の「立憲派(注)」(注:土地改革を含む社会改革実践のための憲法)1965年<ドミニカ内戦と米海兵隊派兵>政府軍と反政府軍の武力衝突(ドミニカ内戦)が発生。ジョンソン米大統領の米海兵隊派兵で「立憲派」軍を鎮圧(パワーバック作戦)1966年<内戦終了後>バラゲール大統領就任(1970年、1974年再任)[社会キリスト教革命党]トルヒーリヨの流れを汲む強権政治1978年グスマン大統領就任[ドミニカ革命党](財政状態は悪化を継続)1982年ブランコ大統領就任[ドミニカ革命党党首](経済状況の悪化を背景に国際通貨基金の要請によって財政緊縮政策が進んだ)1986年バラゲール大統領就任(1990年、1994年再任)[社会キリスト教革命党](観光業、ニッケル、在外ドミニカ人送金により経済回復を実現し「ドミニカの奇蹟」といわれる経済成長を達成。国内の貧富の差、汚職の蔓延。)1996年フェルナンデス大統領就任[ドミニカ解放党(PLD)](平均7%の高成長)2000年メヒーア大統領就任[ドミニカ革命党(PRD)](2002年以降米経済停滞、観光収入減、大手銀破綻で経済悪化。汚職により支持を落とす。)2004年フェルナンデス大統領就任(2期目)[ドミニカ解放党(PLD)](IMFスタンドバイ協定に基づき、税制改革、財政政策(補助金削減、徴税制度改革等)、金融政策(価格安定等)、金融部門強化、電力部門改革に努め、為替レート安定、インフレ抑制等で実質的成果を上げ、2005年は9.3%、2006年は10.7%、2007年は8.5%の高成長)2008年8月フェルナンデス大統領再任[ドミニカ解放党(PLD)]世界金融危機の影響、特に米国経済の急減速で対米輸出・米国移民送金・観光収入減の中、マクロ経済の安定的発展が課題。貧困削減、治安対策、失業対策、電力部門改革による電力不足の解消、貿易自由化の進展に伴う産業競争力強化等が重要な政策課題。2009年後半から実質経済成長率はプラスに転じている。大統領再選方式の改正(3選禁止から連続再選のみ禁止へ)、司法改革、国籍条項の改正等、2010年1月に新憲法を公布。同年5月の両院議員選挙でも過半数をPLDが獲得。2012年5月メディーナ大統領就任[ドミニカ解放党(PLD)]新憲法規定で前大統領出馬せず、与党PLDのメディーナ候補が51.2%で、第一野党ドミニカ革命党(PRD)メヒーア候補(元大統領)を破り大統領に就任。(ドミニカ共和国 その2 に続く)
Nov 26, 2012
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視力の老化と再生 最近「日記」でパソコンを見ているせいか、物凄く目が疲れる。 外務省や、世界経済のネタ帳は項目が少ないのでそれ程でも ないが、WIKIPEDIAなどは詳細な分析をしているので苦し くなる。 もしかすると、目よりも脳の方が内容を理解するのに疲れて いるのだろう。 たかが「写経」なのだからと、タカをくくっていたのだが、 できるだけ短く、正確に纏める任務を自らに課しているため、 或る程度理解してからでないと「写経」できないから、 「脳幹梗塞」のリハビリは疲れて、目の前に光の粒が漂う危険 な状態を招来する。 先日は、外務省の「ハイチと日本との二国間取引の時系列」を 見ていると、「日本への輸出」、「日本からの輸入」の数字を 差し引きすると、日本側の貿易収支が「大幅赤字」である。 驚いて、JETROの貿易統計を見ると、日本側が「大幅貿易 黒字」であり、外務省のほうが多分転載違いであろうと思う。 正解は、さらに、WEBのラテンアメリカの貿易統計を見れば 明らかとなる。 (ハイチとドミニカ共和国を取り違えた!ので文章を訂正した。) このように、「写経」していても「数字」が気になるし、 「ドル表示」が「世界通貨(米ドル)」なのか、「地域ドル」 「当該国ドル」なのか、つまり「どの単位」かが気になる。 判らないときは、「そっとしておく」しかない。 大統領、首相の名前、政党、年代なども記載されていたり、 されていなかったり。 これらをWEBで探していくのだから、目は疲れる。 自分は国立病院に行くが眼科には行っていないので、家内に 目薬はないか、と尋ねると、サンテン製薬の「フォーカス云々」 というのを出してくれた。 それまでは、色盲になったかと思うくらいに、森の木々の色彩 が薄れて、霞んで見えたのが、目薬を差すと、鮮やかに戻り つつあるようだ。 喉が渇いたときに、冷たい水を飲むと美味しく感じる、 あの気持ちである。 放置していたら、きっと「失明」に近くなっていたかも知れない。 近頃、iPS細胞を発見したノーベル科学者の報道では、網膜の 再生技術を優先的に臨床実験するらしい。 もしかしてだが、小生の、網膜は各所に細かい穴ができていて、 時たま太陽が眩しすぎる感覚や、蚊のようなものが飛び回る感 覚などが脳に生じる、と考える。 目を瞑っていても、目を開けていてもそうだから、きっと、脳の 仕業なのだろう。 網膜は、キズがあってもそこで把握できないものを、他の 神経細胞が補正して画像を形成しているらしいのだ。 あまり壊れてしまっては補正機能もお手上げだろう。 早く、iPS臨床実験を実地の手術に採用して欲しいものである。 日本国民が医療分野ノーベル賞のありがたさを、身をもって 感じる日が近いことを祈っている。 体の部品の再生が希望で、別に「ハンサム」などや、「無駄な 長生き」を希望してはいない、ことを申し上げておきたい。 「東方の不老長寿薬」を探していた、始皇帝や、エジプトの ファラオなら、長寿や再生が第一なのだろうが。
Nov 25, 2012
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(アンティグア・バーブーダ その1 から続く) <資料出所:外務省、WKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名アンティグア・バーブーダ幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)16位通貨東カリブ・ドル(EC$)1米ドル=2.7EC$(固定相場制)国旗太陽は新時代を象ったものである。配色にはそれぞれ違った意味を持っている。黒はアフリカに祖先を持つ人々、白はイギリス系の人々、青色は希望を、赤色は独立と力を意味する。また黄色、青色、白色は太陽、海、砂浜を意味する。国の標語Each Endeavouring, All Achieving(英語: 各々の努力が全体の成功へ)面積:平方キロ442平方km種子島とほぼ同じアンティグア島・・・280平方km(365のビーチがあり クルーズ船寄港地)バーブーダ島・・・161平方kmレドンダ島・・・1.3平方km国の位置カリブ海東部の小アンティル諸島に位置するアンティグア島、バーブーダ島、レドンダ島からなる国家である。海を隔てて南に仏領グアドループ、南西に英領モントセラト、西にセントクリストファー・ネイビス、北西に仏領サン・バルテルミーが存在する。人口:千人89千人(2010年)人口密度:/平方キロ199人首都セントジョンズ市域人口:31千人(2005年)東京からの大圏距離:13,736km時差:JST-13時間サマータイムなし民族アフリカ系(約9割)、混血、ヨーロッパ・アメリカ系、その他(ほとんどの住民が砂糖プランテーションでの奴隷の子孫)言語英語宗教キリスト教(英国国教会、プロテスタント、カトリック等)、その他政体立憲君主制英連邦王国元首英国女王エリザベス2世議会二院制(上院17名、下院17名)政権首相名 ボールドウィン・スペンサー、外相名 首相が兼任外交基本方針(1) 親米・英の穏健外交路線。カリブ共同体(CARICOM)、東カリブ諸国機構(OECS)との関係重視。(2) 英連邦の一員であり、CARICOM、カリブ諸国連合(ACS)、OECS加盟国。(3) 中国・北朝鮮と外交関係を有する。(4) 米州ボリバル同盟(8ヶ国)に加盟軍事東カリブ安全保障機構に加盟。1996年3月、OECS6ヵ国及びバルバドスの7ヵ国の間で地域安全保障システム(RSS)設立(本部:バルバドス)。予算 7.8百万米ドル、兵役、兵力 国防軍170人(陸軍125人、海軍45人)、予備軍75人、(2009年 ミリタリーバランス2010)主要産業観光業(2008年にはGDPの半分)、建設業、軽工業(衣料品、アルコール、家電等) <ネタ帳>観光業、金融・保険、農業(綿、野菜、果物)、漁業(エビ)産業コメント主要産業は観光。近年はオンラインカジノ事業が主要収入。農林水産業ではサトウキビ栽培のほか羊、山羊などの牧畜。工業は食品加工、各種組立加工業、鉱物資源は存在しない。GNIGDP:億ドル939百万(米)ドル(2010年)1120百万(米)ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP10,590(米)ドル(2010年)12,766(米)ドル(2011年)実質GDP成長率▼ 5.2%(2010年)▼ 5.4%(2011年)物価上昇率 2.9%(2010年) 3.5%(2011年)財政収支/GDP比▼3.1%(2011年)政府総債務残高/GDP比93.4%(2011年)経常収支(国際収支)▼120百万ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼468百万ドル(2010年)財貿易額:輸出(FOB)A33百万ドル(2010年)財同 :輸入(FOB)B501百万ドル(2010年)財貿易品目:輸出石油製品、機械、輸送機器、工業製品、食料・動物同 :輸入食料・動物、工業製品、輸送機器、加工製品、化学品、石油貿易相手国:輸出米、EU、パナマ、蘭領アンティル、ドミニカ国同 :輸入米、EU、中国、トリニダード・トバゴ、日本貿易コメント貿易相手国では約半分を米国が占め、次いで日、英である。主な輸入品は自動車、石油製品、機械であり、輸出品は電気機械、鉄鋼、自動車、輸出仕向け国は米、英、セントクリストファーネービス。原油輸入170百万ドル(2011年)対日輸出入差▼790百万円(2010年)対日輸出 10百万円(2010年) 内訳ぶどう(乾燥)、その他の機械(固有の機能を有するもの)対日輸入 800百万円(2010年) 内訳自動車主要援助国2008年日本、ギリシャ、加、英、仏&独日本の援助実績2009年度まで有償:なし無償:52億円技術: 6億円
Nov 24, 2012
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アンティグア島の最高峰402mのボギー山は逃亡奴隷達が頂上にキャンプを造り身を寄せ、反乱を起こし、捉えられて火刑にされた歴史を持つ。2009年8月4日、アメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領の誕生日に、アンティグア・バーブーダのボールドウィン・スペンサー首相が山の正式名を「オバマ山」に改称した。この国の周りには危険な岩礁が点在し、1695年からの難破船は150隻近いという。アンティグア島は故郷の教会名、バーブーダ島は「近くのバルバドス島」と間違ったとか、WEBに「国名の意味・由来」の説明がある。「正解」かどうかは、伝承もあり、「未知」の領域が残るかも。アンティグア・バーブーダ国略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史1493年コロンブスによりアンティグアを「発見」、セビリアの教会に因んで命名。スペイン、継いで仏の植民地となる。バーブーダ島は1628年以来英国のコドリントン家の私有財産1632年アンティグアが英国植民地となる1666年バーブーダが英国植民地となる1667年アンティグアが英国領となる1860年英国がアンティグアとバーブーダを併合1951年普通選挙導入。米国が軍事基地を建設1956年内閣制度の導入アンティグア労働党(ALP)が1956年~2004年3月まで(ただし1971年からの5年間を除く)長年にわたる長期政権維持1958年英領西インド諸島連邦に加盟(同連邦は1962年解体)1967年英国自治領1972年近隣諸国に対抗できずに砂糖産業を中止1981年英連邦王国の一員として独立1983年米国のグレナダ侵攻に参加1993年絶大な支持を背景に国政を担ってきたヴェア・バード前首相は、公金着服疑惑など政権に対する国民の不満の高まりを背景に政界を引退し(のちに公職永久追放される)、1993年9月9月に第2息子レスター・バードが党首を引き継ぎ、1994年3月の総選挙で首相に就任。1999年3月にも安定多数で続投。2004年総選挙でボールドウィン・スペンサー率いる野党統一進歩党(UPP)が圧勝し、独立以来初めて、自治領統治時代から28年ぶりの政権交代。2009年3月の総選挙でも与党統一進歩党が辛勝。スペンサー首相が続投。2008年GDPの約半分を占める観光業が治安事案の発生で打撃を受け、世界的な経済危機で痛手を負う。翌年もその後遺症は続き、2010年にIMF財政再建支援が認められる(アンティグア・バーブーダ その2 に続く)
Nov 24, 2012
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小生は、脳幹梗塞を患い右手足に痺れを感じているので、国立病院の主治医から血液サラサラの薬などを調剤してもらっているが、さらに、特殊な水を血液循環に資するように期待して飲んでいる。その水の成分は、H3O2- 「ヒドロ(ハイドロ)キシルイオン」であり、洗浄作用、界面活性作用があり,つまり、洗濯機を使用しなくても自然の力で洗濯ができる、ようで「石鹸粉」を使用せずとも汚れが落ちる機能が注目されている。小生は、「命の洗濯?」としてこの水を(もったいないので)時々飲むことにしている。もちろん、「クリスタルガイザー」や「谷川連峰の水」等々は近くのスーパーなどでケース単位を、安い時に買ってきて、よちよちテニスの休憩中に水分を補給している。この「H2O、OHー(マイナス電子をもつ還元水)」を毎月発注しており、1升瓶x6本 1ケース、送料は2ケースが経済的なので2c/sとして依頼(4,202円)。脳梗塞で飲酒は禁止であるので、お酒代わりであるが、近所の人には一升瓶がごろごろあるので、大酒飲みかと疑われる。これの「事件」である。現在、我が家は築24年で老朽しかかった「屋根・外壁を張替工事中」。屋根スレート瓦は、石綿アズベストを含んでいるために剥がせないため、特殊な鉄板を被せて、中に緩衝材を挟み込む工法である。自由設計ができる軽量鉄骨造りのために、屋根の形に矩形の部分が生じ、やや厚手の既成鉄板を現場で機械で 切るなどの作業が発生している。そのためか、工事がやけに遅いようだが、業者は「丁寧にやっていますので」、と有難い返事である。工事代は契約してあるので、追加で支払うこともないから丁寧にやって貰った方が施主には有難いのだ。自宅には、車2台分のスペースがあり、工事中は小生の車をすこし離れたスペースや、隣家の庭先を一時借用する。工事の車が帰った後で、自宅の庭に戻してあるが、工事用荷物が庭に半分弱残るので車保管スペースは狭くなる。 ネットで注文した「件の水」が着いたらしい。夕方暗いなかで、家内がなにか大声で叫んでいる。「宅急便の荷物の瓶が、割れたので危ないから直ぐ来て!」である。30cmくらいの幅しか無くなった通路で、商品運搬中に宅配業者がケースを落としたらしい。宅配業者は顔見知りで、いつも「2ケース」を、軽々と同時に運搬する力を見せる笑顔の若者らしい。発送業者が、「積み重ねた形」で梱包しているようだ。見ると1本割れているが、残りの11本は無事である。小生にとって、暗くて狭い通路を、1ケースでも運搬することは難しい状態だから、家内は「文句を言わないで受け取った」という。「弁償させるという手」もあったであろうが、このような工事中に発送依頼した小生にも非があり、日頃一生懸命に届けてくれる若者には感謝しているので、家内の「処置判断」は「芳」だろう。以前に、自家用車を、はるか高知から搬送して貰った業者では、台風時に船を利用しないで、だれかが運転して来たのだろうか、No.プレートが壊れて、傷も付いていたので、相応の弁償をして貰った経験がある。 なんでもかんでも相手に文句を言うのは止めようと思う。相手も人間、注意しているのに壊すこともあるのだ。今回はたかが水であり、「水に流すべきことだから。」今日は、母の50日祭を喪主として務めるので[諸国基本事情写経日記]はお休みとする。自分勝手な写経なので自分の体力・知力にあわせるしかないのだ。50日祭(&納骨)の時間には土砂降りも、一時止んで何とか挙行できたことを記しておく。
Nov 23, 2012
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(セントキッツ その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名セントクリストファー(セントキッツ)・ネーヴィス連邦 Federation of Saint Kitts and Nevis幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)21位通貨東カリブ・ドル(EC$)1米ドル=2.7EC$(固定相場制)国旗二つの星は「希望と自由」を象徴し、また、セントクリストファー島とネイビス島の二島も示す。緑は「国土の肥沃さ」、赤は「植民地時代の奴隷制から独立・解放への苦闘」、黒は「アフリカからの伝統」、黄色は「日光」をそれぞれ象徴する。国花ポインシアナ(和名オオゴチョウ)国の標語Country Above Self(英語: 私利を超越する国)面積:平方キロ262平方km西表島とほぼ同じ国の位置西インド諸島の小アンティル諸島内のリーワード諸島に位置するセントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島の2島の島国。海を隔て北西に英領アンギラ、東にアンティグア・バーブーダ、南西に英領モントセラトが存在する。人口:千人52千人(2009年)人口密度 214人/平方キロ首都バセテール人口:15,500人(2005年)東京からの大圏距離:13,683km時差:JST-13時間サマータイムなし民族アフリカ系、イギリス系、ポルトガル系、レバノン系等。言語英語宗教キリスト教(英国国教会、プロテスタント、カトリック等)等政体立憲君主制英連邦王国元首女王エリザベス2世議会一院制(14名)政権首相 デンジル・ダグラス、外相 サム・テランス・コンドァー外交方針(1) 親米・英の穏健外交路線、(2) カリブ共同体(CARICOM)、東カリブ諸国機構(OECS)加盟国、(3) 台湾承認国軍事(1) 1996年3月、OECS 6ヵ国及びバルバドスの7ヵ国の間で域内安全保障システム(RSS)設置(2) 独自の軍隊は持たない。主要産業農業(特に砂糖産業)、観光業<伝統的に砂糖を中心とした農業島国だったが、2005年7月をもって生産を停止。現在は観光が主要産業。電気機械の組み立てが産業として確立(2001年の輸出の63%を占め、砂糖は21%)>GNIGDP:億ドル503百万(米)ドル(2009年)720百万(米)ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP10,150(米)ドル(2009年)12,728(米)ドル(2011年)実質GDP成長率▼ 11.1%(2009年)▼ 2.0%(2011年)物価上昇率▼ 0.7%(2009年)7.1%(2011年)財政収支/GDP比1.8%(2011年)政府総債務残高/GDP比154.3%(2011年)経常収支(国際収支)▼110百万ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼208.4百万ドル(2009年)貿易額:輸出(FOB)A57.6百万ドル(2009年)同 :輸入(CIF)B266.0百万ドル(2009年)貿易品目:輸出機械、食品、電気製品、飲料同 :輸入機械類、工業製品、食料品、燃料(+<ネタ帳>衣類)貿易相手国:輸出米国、EU、アンティグア・バーブーダ、蘭領アンティル、ドミニカ<2001年には米国72%>同 :輸入米国、トリニダード・トバゴ、EU、日本、カナダ原油輸入 0.4(米)ドル(2011年)対日輸出入差 10.2億円(2009年)対日輸出15億円(2009年) 内訳綿製品、電子部品、衣類対日輸入 4.8億円(2009年) 内訳自動車、タンカー、船舶用エンジン主要援助国2007年加、日本、ギリシャ、英、仏日本の援助実績2008年度まで有償:なし無償:16億円技術: 2億円世界遺産(文化遺産)ブリムストーン・ヒル要塞国立公園:17世紀~18世紀にかけて、英国が90年の歳月をかけて建造した38エーカー超の、セントキッツ島にある西インド諸島最大の要塞
Nov 22, 2012
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二島のうち大きい方がセントクリストファー島で、コロンの名前 の由来の、聖クリストフォルスが此島の由来。 「クリストファー」の短縮形が「キッツ」であり、「セントキッツ」の 愛称で呼ばれる。 小さい島の方は、発見時に山頂上の白雲を「雪」山と勘違い 「Nieve」と命名、英語形がNevisとなった。 ミニ国家の一つで、面積・人口共に南北中・米において最小、 独立も一番若い。 一時は、近くの島アンギラ(島の形が鰻のようであり命名) が併合されていたが、セントキッツ政府の支配下に入ることを嫌い 「分離」の道を選んでいる(弱小国の一部となり不便を感じ るよりも、強大な英本国の植民地のままの方を選んだらしく、 「独立」だけが「幸せな選択肢」ではないことが判る。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「自由な独身が素晴らしいか、良き伴侶を得た幸せな結婚が いいのかは、いろいろな組み合わせがあるので、個人の判断? ・・・脱線した)。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ セントキッツ・ネーヴィス連邦 略史<資料出所:外務省、WIKIPEDIA>年月略史1493年11月12日コロンブスによりセントキッツ島、ネイビス島が「発見」さる1623年トーマス・ワーナー卿到着。翌年、英入植者一団と共に初めて永久入植。英国植民地1625年仏人ピエール・ブランも仏入植者を引き連れ入植。翌年、英・仏入植者の関係悪化。先住民・カリブ族(カリナゴ族)がセントキッツ島で両入植者によりブラディー・ポイントで大量虐殺され、生き残りは追放される。翌年、両国の入植者間の条約で同島の分割(中部が、北部・南部が仏)がなされる。翌年、隣のネイビス島に英入植者が入る。翌年スペインがセントキッツ島に侵攻するも、直ぐに撤退。1664年この年から英仏の領有権争いが起こる。1671年に両島は英の知事下でリーワード諸島連邦の一部となる(アンティグア島とモントセトラも加わる)1713年ユトレヒト条約でセントキッツ島は完全に英領となる。1782年に仏が再び島を奪うが、翌年のヴェルサイユ条約で英に島を返還。1861年にセントキッツ島、ネービス島、アンギラ島、英領ヴァージン諸島が一つの英植民地となり、1871年まで管理される。1882年セントクリストファー・ネイビス・アンギラはリーワード諸島連邦内でプレシデンシーとして確立。1932年セントキッツ・ネイビス・アンギラ労働党(SKNLP)が独立運動。1958年英領西インド諸島連邦に加盟(1962年解体迄)セントクリストファー・ネイビス・アンギラは1956年に別の英植民地となり、商業・生産担当大臣ロバート・ブラットショーが同盟の大蔵大臣を務める 1967年セントクリストファー・ネイビス・アンギラとして英国自治領労働党政府のロバート・ブラットショーが初代首相に就任。アンギラは単独で独立宣言し、1969年アンギラ共和国が成立を宣言したことで、英国は2隻の護衛艦で派兵し、アンギラを英植民地統治下に復帰させ、1971年英議会で可決された。1978年ブラットショーが死亡し、同僚のC・ポール・サウスウエルが首相に就任。同人は1979年死亡。1980年総選挙以来国民行動党(PAM)とネーヴィス改革党(NRP)の連立政権アンギラが正式に分離し、アンギラは現在も英植民地であることを選択している。1983年「セントクリストファー・ネイビス」として英から独立人民行動運動(PAM)のケネディ・シモンズが独立後最初の首相に就任。1989年大型ハリケーン「ヒューゴ」来襲、主産業サトウキビや電力供給が深刻な被害を受ける1993年11月総選挙では与野党同数のなかでシモンズ首相は再任、与野党対立激化。翌年も、総選挙やり直しを行わない首相に非難が集中。1995年7月総選挙が実地され、セントキッツ・ネーヴィス労働党(SKNLP)が勝利し、ダグラス党首が首相に就任。1998年8月、ネーヴィス島分離問題住民投票の結果(62%)は、分離に必要な2/3に達せず。2000年3月、2004年10月、2010年1月にも連勝してダグラス政権は4期目続投。(セントキッツ その2 に続く)
Nov 22, 2012
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(ドミニカ国 その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ドミニカ国dominicaはラテン語で「基督教で主の日」。聖なる安息日。日曜日。この日曜日にコロンがこの島を発見。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)29位通貨東カリブ・ドル(EC$)1米ドル=2.7EC$(固定相場制)国旗緑の旗地を白、黒、黄色の三色帯で十字に切り、中央の丸囲み赤地に国鳥のオウム「ミカドボウシインコ」を置き、ライムカラーの緑星10個(10教区を表す)を円に沿い配列。オウムは、「常に高い志向の国民願望」を、緑星は「教区数と平等」を、中央の赤丸は「社会正義国家」を表す。十字の三色のうち「黄色線」は「太陽光、主要産物のオレンジとバナナ、ドミニカ国民先祖のカリブ族とアラワク族」を、「白線」は、「河川の清らかさと国民の志向の純潔」を、「黒線」は、「肥沃な国土とアフリカ系住民」を表す。旗地の緑は「緑の森と国土の活力」を、「三色全体」で「三位一体」を表す。国花特になし国の標語Après le Bondie,C'est la Ter(パトワ: 良い主に従って、我々はこの地を愛する)面積:平方キロ790平方km奄美大島とほぼ同じ国の位置カリブ海の西インド諸島を構成するウィンドワード諸島最北部に位置するドミニカ島全域を領土とする共和制国家。島国であり、海を隔てて北西に仏領グアドループが、南東に仏領マルティニークが存在する。人口:千人67千人(2009年)人口密度:/平方キロ95人首都ロゾー(ドミニカ島の南西岸のカリブ海に面し、ロゾー河口の港湾都市。「人間は考える葦である」の「葦(ロゾー)」が河岸に昔々茂っていたかも。)市域人口:17千人弱(2007年)東京からの大圏距離:13,942kmリスボンからの大圏距離:5,705km時差:JST-13時差サマータイムなし民族アフリカ系、ヨーロッパ系、シリア系、カリブ族言語英語(公用語)、フランス語系パトワ語宗教キリスト教(カトリック、プロテスタント等)等政体立憲共和制元首ニコラス・リバプール大統領(2008年10月就任、任期5年)議会一院制(31名)(選出議員21名、選任議員10名)政権首相 ルーズベルト・スケリット、外相 首相が兼務外交方針(1) 親米・親英の穏健外交路線、(2) 英連邦の一員であり、カリブ共同体(CARICOM)東カリブ諸国機構(OECS)加盟国、(3) 台湾承認国であったが、2004年3月台湾と国交断絶し、中国と国交樹立。北朝鮮とも国交を有する。カリブ族自治政府1903年~(中断有り)自治地域:島の北東海岸の3700エーカー内カリブ評議会:首長と評議会代表の大臣首長:ガーネット・ジョゼフ大臣:ケリー・ガルニュー与党:ドミニカ労働党政治路線:親中国・ベネズエラの社会主義路線軍事(1)1996年3月、OECS6ヵ国及びバルバドスの7ヵ国の間で域内安全保障システム(RSS)設立。(2)独自の軍隊は持たない。警察隊が治安維持。主要産業農業(バナナ、ココナツ、柑橘類)、観光業、製造業(石鹸等)GNIGDP:億ドル360百万ドル(2009年)480百万(米)ドル(2011年)一人当たり GNI一人当たりGDP:ドル4,900ドル(2009年)6,829(米)ドル(2011年)実質GDP成長率▼ 0.9%(2009年) 1.0%(2011年)物価上昇率 0.1%(2009年) 1.4%(2011年)財政収支/GDP比 ▼4.4%(2011年)政府総債務残高/GDP比 70.2%(2011年)経常収支(国際収支) ▼60百万(米)ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼167.6百万ドル(2009年)貿易額:輸出(FOB)A 37.8百万ドル(2009年)同 :輸入(FOB)B 205.4百万ドル(2009年)貿易品目:輸出バナナ、石鹸、野菜同 :輸入機械・輸送機器、工業製品、食料品、化学製品(タバコ<ネタ帳>)貿易相手国:輸出EU、ジャマイカ、アンティグア・バーブーダ、トリニダード・トバゴ、ガイアナ同 :輸入米国、トリニダード・トバゴ、EU、日本、カナダ(中国<ネタ帳>)原油輸入 40百万(米)ドル(2011年)対日輸出入差 ▼596百万円(2009年)対日輸出117百万円(2009年) 内訳革製品、葉巻たばこ、衣類対日輸入713百万円(2009年) 内訳自動車、オートバイ主要援助国2007年加、日本、ニュージーランド&ギリシャ、米日本の援助実績2008年度まで有償:なし無償:65億円技術:13億円
Nov 21, 2012
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コロンブスが此島を1493年11月3日の「日曜日(Domingo 安息日)に発見」して命名したことが国名の由来 [ 曜日 ] 。 イギリス連邦加盟国のドミニカ国・首都ロゾーはコロン出発地 リスボンから大圏距離で5,705kmである。 似た名前で間違いやすい、ドミニカ共和国の方は、「イスパニョ ラ島」の2/3を占め、その首都が新大陸の探検・征服の拠点 となった「サント・ドミンゴ(聖ドミニコ由来)・デ・グスマン」 なのだから別の由来 [ 聖人名 ] であろう。 ロゾーとサント・ドミンゴ間の大圏距離は982kmである。 カリブ海に存在する多種多様の植物が自生しており、 「カリブ海の植物園」と呼ばれている。 世界遺産モゥーン・トワ・ピトン国立公園があり、熱帯雨林には 珍鳥、大型昆虫(ヘラクレスオオカブトムシ)などが棲息している。 カリブの原住民であるカリブ族(カリナゴ族)の人々が 生存している数少ないカリブ諸国のひとつであり、西洋人 に激しく抵抗し、カニバリズム(宗教的な食人俗で、謝肉祭・ カーニバルとは異なる)という言葉も生まれたが、ドミニカ国の カリブ居留地で首長中心の自治政府が認められている。 ドミニカ国 略史<資料出所:外務省、WIKIPEDIA>年月略史先コロンブス期先住民アラワク族が住んでいたが、14世紀頃南米からきたカリブ族に追いやられる1493年コロンブスにより「発見」16世紀スペイン人が頻繁に来島し、先住民カリブ族の激しい抵抗が始まる1635年仏が植民地化1763年パリ条約により仏から英の植民地となる1805年領有権争いが英・仏で続いたが英国植民地1903年英政府がカリブ族に対して、島の東北部の海岸居住地(3700エーカー)に所有権を付与し、カリブ居留地を設立1930年<カリブ戦争>植民地政府警察クレオール人がカリブ族の密輸品を強制摘発した事件が契機でカリブ族と衝突し、抗議の反乱暴動が発生。英軽巡洋艦の出動で、鎮圧し、首長が射殺され、カリブ族首長制は一時衰退し、土地所有権は破棄される。1952年、カリブ族事務所が政府に中断させられる。1958年~1962年英領西インド諸島連邦へ加盟し、後に解体。1967年英領西インド連合州の1州として自治を獲得1975年(モゥーン・)トワ・ピトン国立公園設立(1997年に世界遺産登録)<モゥーンは「山」、トワ・ピトンは「3つの突端」を示す仏語。総面積70平方kmの公園には熱帯雨林、火山地帯があり、5つの火山、50近くの噴気孔、温泉湖などの自然、175種類の珍鳥、大型昆虫(ヘラクレスオオカブトムシ)などが棲息している。>1978年イギルス連邦加盟国として独立独立前からの与党ドミニカ労働党(DLP)の政権パトリック・ジョンが初代首相に就任。11月29日カリブ居留地法により、カリブ族が暮らす地域に内部自治政府が出来る。1980年総選挙で野党ドミニカ自由党(DFP)のユージェニア・チャールズがカリブ初の女性首相となり、1985年、1990年でも勝利し、3期連続の長期政権となる。この間で、1981年元首相などによるクーデター未遂事件が2件発生し、政情不安が続く。1983年米国グレナダ侵攻を積極的支援、1985年の総選挙は圧勝。1991年グレナダ、セントルシア、セントビンセントおよびグレナディーン諸島と共に政治連合を結成するための初会合を開催。1995年6月総選挙で、長期前政権による国民倦怠感を追い風に、若年層の支持を受けた統一労働党(UWP)が勝利、ジェームス首相が就任。2000年1月総選挙で経済政策に失敗した与党UWPが、野党(DLP+DFP)に破れ、DLPのダグラス党首が首相となるが、同年10月に首相は急逝、チャールズ通信・公共事業相が首相に、同人も2004年に急逝し、スケリット教育相が首相に就任。2004年11月発生した地震により、ドミニカのインフラは甚大な被害を被る2005年5月総選挙でスケリット首相率いるDLPが勝利、単独政権、2009年12月の選挙でも与党DLPが議席を増やし、続投。2008年米州ボリバル代替機構(ALBA)に加盟(ドミニカ国 その2 に続く)
Nov 21, 2012
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(セントルシア その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名セントルシア国<伝承としてだが、コロンブスが発見した日が聖ルチア(ナポリ民謡サンタ・ルチアで歌われる基督教聖人)の祝日に当たることに由来。>幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)47位通貨東カリブ・ドル(EC$)1米ドル=2.7EC$(固定相場制)国旗矢をイメージ、青地に「白刃」と「黒い鏃」、「金」の三角形の組合わせ。また、これは島のシンボル火山のピトンも意味する。青は「国土を囲む海」、黄色は「国土とその発展」、黒と白は「黒人・白人が協力した国造り」を表す。国花特になし国の標語The Land, The People, The Light(英語: 国土、国民、光)面積:平方キロ616平方km淡路島とほぼ同じ国の位置西インド諸島のウィンドワード諸島中央部に位置する島国であり、海を隔てて北に仏領マルチニーク、南にセントビンセント・グレナディーン、南東にバルバドスが存在する。人口:千人174千人(2010年)人口密度:/平方キロ271人首都カストリーズ(西インド諸島で最良港をもつ港湾都市でポート・カストリーズと呼ぶ、バナナ輸出港、カリブ海クルーズ寄港地)市域人口:13千人(2006年)都市圏人口:61千人(2006年)東京からの大圏距離:14,102km時差:JST-13時間サマータイムなし民族アフリカ系82.5%、混血11.9%、東インド系2.4%、その他言語英語(公用語)、フランス語系パトワ語宗教キリスト教(カトリック、プロテスタント、英国国教会等)等政体立憲君主制英連邦王国元首英国女王エリザベス2世職務代行は総督(形式的な任命権限)議会二院制上院11名:総督(与党)、野党、社会的集団が任命した選任議員、下院17名:小選挙区直接選挙の選出議員 二大政党制:保守系の統一労働者党(UWP)VS社会民主主義を掲げるセントルシア労働党(SLP)政権下院選挙後に多数派を構成した政党の指導者が首相(総督より形式的に任命さる)与党:SLP政権 首相名 ケニー・アンソニー外相名 アルバ・バプティステ外交基本方針(1) 東カリブ諸国機構(OECS)諸国、バルバドス、米・英を中心とする欧米諸国との関係強化。(2) カリブ共同体(CARICOM)、OECS加盟国(中央事務局セントルシア)(3) 台湾承認国であったが、SLP政権下の1997年9月中国と外交関係開設。UWP政権下の2007年4月に台湾と外交関係回復。軍事(1)1996年3月、OECS6ヵ国及びバルバドスの7ヵ国の間で域内安全保障システム(RSS)設立。(2)独自の軍隊は持たない。 <正規軍はなく、ロイヤル・セントルシア警察隊(沿岸警備隊を含む)が準軍事的組織。>主要産業農業(バナナ、ココナツ)、観光業GNIGDP:億ドル865百万(米)ドル(2010年)1230百万(米)ドル(2011年)人当たり GNI一人当たりGDP:4,970(米)ドル(2010年)7,379(米)ドル(2011年)実質GDP成長率3.1%(2010年)1.3%(2011年)物価上昇率1.8%(2010年)2.8%(2011年)財政収支/GDP比▼6.8%(2011年)政府総債務残高/GDP比69.7%(2011年)経常収支(国際収支)▼280百万(米)ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼293百万ドル(2010年)貿易額:輸出(FOB)A 175百万ドル(2010年) 206.4百万ドル<ECLAC、2010年>:注:同 :輸入(FOB)B 468百万ドル(2010年) 521.5百万ドル<ECLAC、2010年>貿易品目:輸出バナナ、衣類、ココア、野菜 <ネタ帳>バナナ、麦酒同 :輸入食料品、機械、輸送機器、燃料貿易相手国:輸出米国、トリニダード・トバゴ、EU、バルバドス、セントビンセント <ネタ帳>トリニダード・トバゴ、EU,米、バルバドス、ドミニカ共和国同 :輸入米国、トリニダード・トバゴ、EU、日本、バルバドス原油輸入1億(米)ドル対日輸出入差▼868百万円(2010年)対日輸出2百万円(2010年) 内訳可変低抗器、温度計、バイロメーター、光学媒体対日輸入870百万円(2010年) 内訳自動車主要援助国2008年日本、加、英&ニュージーランド、米&独日本の援助実績2009年度まで有償:なし無償:63億円技術:23億円世界遺産(自然遺産)ピトン管理地域:カリブ海に浮かぶ小アンティル諸島の一部のウィンドワード諸島に位置する島国セントルシアにある2つの小さな火山(双子の山)で、豊かで驚くほど美しい自然が残る。:注:ECLACの統計についてはドル表示(USドルと思う)であり、昨日のコメントで記した。
Nov 20, 2012
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コロンブスが聖ルチア(サンタルチア)の誕生日に発見したとの「伝承」がある英連邦王国、双子の火山が美しいく、「世界自然遺産」に登録されている。首都カトリーズは仏人元帥の名に由来し、その後、英国が新たな軍港、市街を築いてカリブ海で有数の良港となる。英語が公用語であるが、領有権が仏・英と目まぐるしく変遷したため仏語も通じる。 セントルシア国 略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史先コロンブス?期3世紀頃、南米ギアナ地方から米先住民アラワク族が定住し、その後にカリブ族が進出。英植民地前1500年頃スペイン人ファン・デ・ラ・コーサにより発見かも。西欧人定住は100年間ほど続いており、現地語のクレオール語が仏語を語源とする由来。その後、仏・英が島を巡って争い、17世紀~18世紀にかけて領有権が14回変遷。1814年最終的にパリ条約で英国領有の植民地として確定1958年~1962年英領西インド諸島連邦に加盟したが、その後解体1967年英国自治領統一労働者党(UWP)が15年間政権担当1979年独立(立憲君主国、英連邦王国、議院内閣制)初選挙でセントルシア労働党(SLP)が勝利。1982年1月~SLP政権が内部抗争、失政で倒壊、暫定内閣を経て、同年5月の選挙でUWPが政権返り咲き、1987年、1992年の総選挙でも引き続き勝利しコンプトン首相が再選され、1996年4月同人引退によりルイス首相が交替1997年5月~与党UWPは首相ルイスを含め議席をわずか1議席しか獲得できず、野党SLPのアンソニー政権が誕生。経済政策を巡る批判噴出のなか、野党に接近の噂の外務・貿易相を罷免、同年12月総選挙でアンソニー首相が再任された。2006年12月総選挙で野党UWPが返り咲き、元首相コンプトン党首が10年ぶりに就任したが、病気治療中に翌年9月逝去、キング首相代行が昇格。2011年11月総選挙で与党UWPの汚職問題を追及したSLPが5年ぶりに政権奪取、アンソニー党首が首相に任命さる。(セントルシア その2 に続く)
Nov 20, 2012
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(セントビンセント・グレナディーン その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名セントビンセントおよびグレナディーン諸島<コロンブスが島を見付けた日が聖ビンセントの誕生日であったことからセントビンセントを命名、グレナディーンは探検家がスペインのグラナダを偲んで命名したグレナダ(近くの島国)から。>幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)40位通貨東カリブ・ドル(EC$)1米ドル=2.7EC$(固定相場制)国旗青は空と海を象徴し、黄色は日光と温暖な気候、国民の明るい気質とグレナディーン諸島の黄色の砂を象徴している。緑はセントビンセント島の豊かな植生と国民の忍耐強さを象徴している。青と緑が黄色を囲み、国土をカリブ海と大西洋が取り囲むことも示す。それぞれの色は横に 1:2:1 の割合で配置。この国旗は「宝石旗(The Gems)」とも呼ばれる。「Vincent」 の頭文字 V にちなみ、黄色地の上に 3 個のダイヤモンドを V 字に配置。この 3 個のダイヤモンドは多くの島々を表し、ダイヤモンドはこの諸島が「アンティル諸島の宝石」であることを示す。国の標語Pax et justitia(ラテン語: 平和と正義)面積:平方キロ389平方km五島列島の福江島とほぼ同じ<中心のセントビンセント島の面積は344平方kmで全体の約9割を占める>国の位置カリブ海の小アンティル諸島に位置する火山島のセントビンセント島と珊瑚礁のグレナディーン諸島から成る。英連邦王国の一国たる立憲君主制国家。島国であり、北にセントルシア、東にバルバドス、南西にグレナダが存在。人口:千人109千人人口密度:/平方キロ283人首都キングスタウン人口:13千人(2003年)東京からの大圏距離:14,171km時差:JST-13時間サマータイムなし民族アフリカ系、東インド系、混血、カリブ族言語英語(公用語)、フランス語系パトワ語宗教キリスト教(英国国教会、プロテスタント、カトリック等)等政体立憲君主制英連邦王国元首女王エリザベス2世議会一院制(選出議員(15名)と選任議員(6名))政権首相名 ラルフ・ゴンザルベス、外相名 ダグラス・スレーター外交方針(1) カリブ海諸国及び英国との関係を重視(2) カリブ共同体(CARICOM)及び東カリブ諸国機構(OECS)加盟国(3) 台湾承認国軍事(1)1996年3月、OECS6ヵ国及びバルバドスの7ヵ国の間で域内安全保障システム(RSS)設置。(2)独自の軍隊は持たない。主要産業観光業、農業(バナナ産業)GNIGDP:億ドル560百万(米)ドル(2009年)690百万(米)ドル(2011年)一人当たり GNI一人当たりGDP5,130(米)ドル(2009年)6,280百万(米)ドル(2011年)実質GDP成長率▼ 2.8%(2009年)0.04%(2011年)物価上昇率 3.0%(2009年) 3.2%(2011年)財政収支/GDP比▼3.9%(2011年)政府総債務残高/GDP比68.1%(2011年)政府純債務残高/GDP比65.4%(2011年)経常収支(国際収支)▼210百万(米)ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼239百万ドル(2009年)貿易額:輸出(FOB)A54.8百万ドル(2009年)同 :輸入(FOB)B293.9百万ドル(2009年)貿易品目:輸出農産品(バナナ、タロイモ)、くず粉、テニスラケット <ネタ帳>農産品(バナナ、タロイモ、サツマイモなど)同 :輸入食料品、一般機械、化学製品、鉱物・燃料 <ネタ帳>食料品、飲料、一般機械、化学製品、建設資材貿易相手国:輸出トリニダード・トバゴ、セントルシア、グレナダ、バルバドス、EU <ネタ帳>セントルシア、EU,トリニダード・トバゴ、バルバドス、英同 :輸入米国、トリニダード・トバゴ、EU、バルバドス、中国原油輸入50百万(米)ドル(2011年)対日輸出13百万円(2009年) 内訳冷凍水産品(2009年)対日輸入 50百万円(2009年) 内訳自動車、タイヤ(2009年)主要援助国2007年伊、加、日、仏、ギリシャ日本の援助実績2008年度まで有償:なし無償:54億円技術:14億円
Nov 19, 2012
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コロンブスが聖ビンセントの誕生日に発見した島と、その周りの宝石のような諸島である。火山の噴火(1902年、1979年)、ハリケーンの襲来(1980年、1987年、1998年、1999年)で被害を受けた。観光業、バナナ生産が経済の中心、葛粉の生産は世界一。米国の保養地としての位置づけで観光収入が多く2003年で見ると観光収入(7400万ドル)が、貿易赤字<輸出3800万ドルに対し、輸入2億ドル>を多少とも補っている。国旗でダイヤモンド***「アンティル諸島の宝石」***と表すように、この国の島々は宝石のように美しく輝いているそうであり、「パイレーツ・オブ・カリビアン」の映画はこの島で撮影された。セントビンセントおよびグレナディーン諸島国略史<資料出所:外務省、WIKIPEDIA(年代など不一致の時は外務省採用)>年月略史1498年コロンブスが「発見」した日が聖ビンセントの誕生日(1月22日)であったことから島をセントビンセントと命名。先住民カリブ族は西欧人の開拓を積極的に防いだ。難破や逃亡でセントルシア、グレナダから此島に避難したアフリカ人奴隷は、カリブ族と結婚、その子孫はブラックカリブと呼ばれる。1719年から仏人入植者がアフリカ人奴隷を使ってコーヒー、タバコ、藍、綿、砂糖のプランテーションを経営。1762年英国人が入植、翌年にはパリ条約で英に割譲され英植民地。1776年、議会の創設1779年仏植民地に戻る1783年パリ条約にて再び英国植民地に戻る1795年先住民カリブ族が、仏人急進派の扇動で英国人に対する反乱を起こすが、失敗して追放(5000人以上がベリーズなどに強制移住)され、大勢のアフリカ黒人が残った1834年奴隷制廃止によりプランテーションでは労働力不足が発生し、1840年代にポルトガル移民、1860年代にはインド系移民を受け入れた。1877年英直轄の植民地政府を設置1902年スフリエール火山の噴火で、2000人が死亡、農地が多く破壊される1925年立法議会設置1951年普通選挙権付与1958年英領西インド諸島連邦に加盟(1962年崩壊)1969年内政自治権を獲得して英国自治領となる1972年ジェームズ・ミッチェル首相が人民党(PPP)とセントビンセント労働党(SVLP)の間でバランスを取る1974年PPPとSVLP連立1975年ミッチェル首相が新民主党(NDP)を創設1979年スフリエール火山が再び噴火、死者はなかったが、数千人が避難し、農場が広範囲に被害を受ける国民投票で独立を決定、12月の総選挙でセントビンセント労働党のケイトー政権成立1984年7月~総選挙で野党・新民主党(NDP)のミッチェル政権成立。2000年10月の引退まで4回連続で再選され、引退後はユースタス蔵相が首相に就任。2001年3月総選挙でNDPは敗退し、統一労働党(ULP)のゴンザルベス政権成立。2010年12月で連続3期目を担うこととなった。(セントビンセント・グレナディーン その2 に続く)
Nov 19, 2012
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(バルバドス その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名バルバドス国<ポルトガル語Os Barbados「鬚の生えたもの」から。この島の木の根、苔、蔓草などが鬚に見えたのが由来>幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)27位通貨バルバドス・ドル(BD.$)1米ドル=2.BD.$(固定相場制)国旗主に青と黄で塗り分けられた旗。中央の黄色地部分に、トライデント(三叉の矛)があり、バルバドスの英国からの独立を、三つの先は民主主義を表す。青は海と空を、黄色はバルバドスの砂をあらわす。青は島を囲むカリブ海と大西洋を表すともいわれる。国花「バルバドスの誇り」の意味の「プライドオブバルバドス」(和名オオゴチョウ)の花。赤い雄蕊が目立つ。<「オオゴチョウ(黄胡蝶)」は沖縄で「サンダンカ」や「デイゴ」と並び三大名花の一つ、県花に指定。>国の標語Pride and Industry(英語: 誇りと勤勉)面積:平方キロ431平方km種子島とほぼ同じ国の位置島全体が珊瑚礁。 海を隔て約200km北西にセントルシア、西にセントビンセント・グレナディーン、南西にグレナダとトリニダード・トバゴがある人口:千人256千人(2009年)280千人(2011年)人口密度:/平方キロ643人首都ブリッジタウン(英植民地時代の名残の町並み、ネルソン提督の像などがあり、名の通り橋の多い町)人口:6千人弱(1994年)都市圏人口:11万人(200-年)東京からの大圏距離:14,239km時差:JST-13時間サマータイムなし民族アフリカ系(約9割)、ヨーロッパ系、混血、インド系、その他言語英語宗教キリスト教(英国国教会、プロテスタント、カトリック)、その他政体立憲君主制英連邦王国元首女王エリザベス2世議会二院制(上院21名、下院30名)<ラテンアメリカ、カリブ海諸国全域で最も議会制民主主義が定着>政権首相名 フローンデル・スチュワート、外相名 マキシーン・マックリーン外交基本方針(1)米との関係を最優先。英国を中心に欧州諸国とも友好関係維持。(2)カリブ共同体(CARICOM)域内国との協調。(3)キューバ・中国・韓国・北朝鮮とも国交を有する。軍事1996年3月、東カリブ諸国機構(OECS)6ヵ国との間に地域安全保障システム(RSS)設立。予算 32.5百万米ドル、兵役 志願制、兵力 610人(陸軍500人 海軍110人)、予備軍430人(2009年 ミリタリーバランス2010)主要産業観光業、農業(砂糖)、軽工業、輸出用組立部品<ネタ帳>観光業、オフショア金融業、農業(砂糖GDP:億ドル3538百万(米)ドル(2009年)4310百万(米)ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル13,820(米)ドル(2009年)15,554(米)ドル(2011年)実質GDP成長率▼ 3.6%(2009年) 0.6%(2011年)物価上昇率 3.6%(2009年) 9.4%(2011年)失業率 10.0%(2009年) 11.5%(2011年)財政収支/GDP比 ▼4.7%(2011年)政府総債務残高/GDP比 75.9%(2011年)経常収支(国際収支)▼380百万ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼916百万ドル(2009年)貿易額:輸出(FOB)A 379百万ドル(2009年)同 :輸入(CIF)B 1295百万ドル(2009年)貿易品目:輸出砂糖及び製糖、蒸留酒、食料品、化学品、電気部品同 :輸入機械、食料、建設資材、化学品、燃料、電気部品貿易相手国:輸出米国、EU、トリニダード・トバゴ、セントルシア、ジャマイカ同 :輸入米国、トリニダード・トバゴ、EU、中国、カナダ、(日本)原油輸入 390百万ドル(2011年)対日輸出 5百万円(2009年) 内訳光学精密機器、ラム等蒸留酒(2009年)対日輸入2872百万円(2009年) 内訳自動車、自動車部品(2009年)主要援助国2007年加、英、米、日、仏日本の援助実績2007年度まで有償:なし無償:なし技術:10億円日本からの直接投資53億円(2005年度までの累計)世界遺産(文化遺産)「ブリッジタウン歴史地区とその守備要塞」17~19世紀の英植民地時代の歴史的建造物や要塞。他の植民地国でスペイン、蘭の植民地都市が碁盤の目状に設置されているのに対して、英植民地都市は蛇行した道路が設計されているのが特色。
Nov 18, 2012
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「リトル・イングランド」と呼ばれるほど、歴史的に英国との繋がりが強く、独立後も良好な関係を維持し、英女王を元首に戴く英連邦王国である。ラテンアメリカ、カリブ海諸国全域において、最も議会制民主主義が定着した国で、最も裕福な国の一つ。国際連合による人間開発指数では42位(2010年度)と域内最高、平均寿命は77.2歳(男74.2歳、女79.8歳、2010年度)で世界第43位。 バルバドス国 略史<外務省、WIKIPEDIAなど (年号の不一致は外務省を優先した)>年月略史先コロンブス期4世紀半ばまでに、南米のギアナ地方からアラワク族系インディオのシボネイ族が移住、好戦的なカリブ族から度々攻撃を受ける1500年スペイン人が渡来し、此島の先住民を奴隷としてイスパニョーラ島に連行、此島は無人島となる。1536年ポルトガルの航海者ペドロ・カンポスが上陸。その後、スペインによる奴隷制プランテーション農園が開設され、やがて放棄された。1627年英国植民地(1620年代に英艦隊が無人化していた島に上陸、1627年英国人ジョン・パウエル率いる開拓団が入植)1652年英国直轄領(ブラジル北東部から追放された、オランダ東インド会社のオランダ人農園主がサトウキビの生産技術を持ち込み、英国人農園主の下でサトウキビ・プランテーションがカリブ海諸島として初めて経営された。労働者としては、当初はアイルランドなど白人年季奉公、最終的にはアフリカからの黒人奴隷であったが、1834年奴隷制は廃止。)1930年代英国人農園主などの独占政治に奴隷子孫の参加が要求高まるなか、1937年黒人暴動が起き、政府は「結社の自由」「労働組合の結成」を認めた。翌年、グラントレー・アダムズがバルバドス労働党を設立。翌々年には最初の自治議会が開設。1951年普通選挙制施行1958年西インド連邦結成(から瓦解へ)。周辺のカリブ海諸島のイギリス植民地と合同での独立を志向。初代首相はバルバドス出身のグラントレー・アダムスが就任し、各植民地で独立のための住民投票を行ったが、ジャマイカの離脱などで連邦は瓦解に至る。1961年イギリス自治領(WIKIPEDIAでは1962年再びイギリス自治領に復帰とある)1966年独立(イギリス連邦加盟国かつ英連邦王国として独立を達成。)独立後初代首相は民主労働党(DLP)エロル・バーロウ就任し、穏健な中道路線で観光開発に尽力、安定成長。1991年1月総選挙で民主労働党(DLP)が勝利。サンディフォード首相が再任したが、経済不況を受けて野党、経済界などから批判高まり、1994年に閣僚が次々辞任し、国会が解散1994年9月総選挙で野党バルバドス労働党(BLP)が下院の68%議席を獲得し返り咲き、アーサー党首が首相に就任。好調な経済を背景に1999年にBLPが圧勝し、2003年にも圧勝して、アーサー政権が3回続いた。2008年1月総選挙においてDLPが67%の議席を獲得し、トンプソン政権が発足したが、2010年10月首相逝去によりスチュワート副首相が首相に就任。(バルバドス その2 に続く)
Nov 18, 2012
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母の50日祭が終われば、家族葬儀の際にご好意(香典)を いただいた親類・肉親への御礼をする順番となる。 三越、高島屋などの百貨店に任せれば、商品と挨拶状付の 封筒を用意してくれるが、今回は、家族葬祭だけに数が少なく、 自分で出来る分にはできるだけ経済的にしたいとおもう。 すべての好意は断っていたので、香典は無いはずなのだが、 遠隔地に住む、母の兄妹達や、一部の人はお断りしても 送ってくれたのである。 もちろん、喪主の小生にではなくて、亡き母の「御霊前」に お供えせよ、との「ご命令」である。 挨拶状の文章は、ウエブに見本が沢山あるので、その中から 選んだ。 「愈々」、「鄭重」、「帰幽」、「懇篤」、「弔慰」など日常の 会話・文章では使用しない文句が表れる。 薄墨の行書タイプで、文字サイズを調整すれば、ほとんど見本 と見紛うばかりである。 用紙の調達は、100円ショップにもあるが、大事な挨拶なので、 文房具屋に行ってみると、「インクジェットプリンタ用紙」として 「越前大礼紙」A4(KOKUYO KJ-W110-6) 10枚入り 525円があり、「立派な和紙」が使える。 封筒は、郵便番号がないものが、「因州楮(こうぞ)筋入紙 長形4号(90x205mm) 品番・J26 封筒せいひつ 10枚 入り 367円」が見つかった。 高級な和紙で、二重封筒なので厚手である。 「越前大礼紙」へ綺麗に挨拶状を印刷できてほっとした。 4ツ折にする前に、新聞紙を敷いて、定規を当て、下をカッター で数cmカットした。 ウエブで見ると、見本には封筒正面に「挨拶状」と書いてある。 小生はプリンターを数回買い換え、今は、キャノンMP770 である(OSは MICROSOFT VISTA)。 長形4号の封筒を入れて「挨拶状」の文字を印字するべく、 セットして、スタートしたが紙詰まりである。 取り出すと、真ん中ほどに紙が擦れた形跡があり、小さな黒い 四角が1つだけ印刷され、封緘口付近が少し破れている。 「警告」があり、後方の自動給紙器に、郵便番号が見える ように封筒を差入れ、封筒のミミを出すよう、命令がでている。 「通常印刷とは逆方向にセットしなさい」、との指示である。 元の傷ついた封筒をセットしてスタートを押すと、「挨拶状」と 印刷ができた。 もう一度、新しい封筒で試行したが、再度、紙詰まりである。 家内に相談すると、封筒には何も書かないで良いという。 中身を読まないで捨ててしまうのがオチでしょう、が意見。 小生は、「プリンターが厚手の封筒に対応していない」、と 諦めた。 なにか良い方法があるかも知れないが、時間をかけて調べる 必要はないので、暇なときに探してみよう。 多分であるが、封筒がガイドに引っかかっているから、厚物は ガイドを広げておく操作があるはずであるが、もう疲れたので パソコン操作探求は終わりにする。 身体障害者の人が大声で手足を伸ばす仕草をみるが、小生も 同様にしたい気分になることが多くなった。 今朝も、雨が来る前に、早朝テニスをよちよちとしてきたが、 そのうち、間もなく「重度○○」が付く身体となりそうだ。 P.S.(1)封筒に印字するのを諦めて、二重封筒を良いことに、 「ご挨拶」の文字を「真っ黒な文字」で印字して、封筒より 少し小さい紙片を制作して二重封筒の間に挟み込んでみたら 何とか透けて見え、目的通りの上品な出来映えになった。 (2)封筒の厚みの件であるが、プラノギスポッケというノギスで 計測しても2mm以下であり、制限の3mm内に入っている。 詰まってしまうのは、楮(こうぞ)筋が入っているため、強靱で あり曲がりにくく、プリンターとしてはガイド通過時には3mm 以上に厚く感じてしまうはず、であることが判った。 機械のせいではなくて、立派すぎる硬い高級紙を使用したため であり、「本来は自分で筆で書きなさい!」との忠告だ。 この程度のことで、プリンターに文句を言いたいと思うのだから 機械メーカーは多くのユーザーを抱えて大変かも知れないが、 種々のユーザーがあるだけニーズがあり、ニッチな商売が 次々と誕生するのだろう。 ニーズが有る限り商売になるかならないかに関係なく、技術 発展には行き止まりがないのだ。 この機械には、CD-Rへのラベル書きができる機能があるが、 硬いものでも印刷できる工夫をしていて、CD-Rをセットする 特殊な格納容器に納めることで、特殊なガイド口から被印刷面 にあてがえるらしい。 CD-Rだけでなく封筒用などに適応できるように、アタッチメントを メーカーが考えてくれることを祈るばかりだ。 もちろん、それに即応したソフトもである。
Nov 17, 2012
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(グレナダ その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳、など>国名グレナダ<大航海時代にこの地を訪れた探検家が、(ザクロ、花崗岩を意味するスペイン語由来の)スペイン本国都市・グラナダを懐かしんで名付けたという> 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)不明通貨東カリブドル(EC$)1米ドル=2.7EC$(固定相場制)国旗赤は、国民の熱情と勇気および独立を、黄は、太陽の光と国土および富を、緑は、肥えた土地と農業に加えて繁栄を表す。七つの金(黄)星は、この国の七つの教区を示し、1個の植物の実は、ナツメグという香辛料の原料となるニクズクともよばれるもので、国の経済をささえる大切な農作物であることを示している。国の標語The Land, The People, The Light(英語: 国土、国民、光)面積:平方キロ345平方km五島列島の福江島とほぼ同じ本島は310平方kmほどの火山島で島嶼国国の位置島国であり、海を隔てて北にセントビンセントおよびグレナディーン諸島、北東にバルバドス、南にトリニダード・トバゴとベネズエラが存在する。グレナディーン諸島の一部にグレナダ領グレナディーン諸島として、カリアク島やプティト・マルティニーク島などの島々を領有している。人口:千人104千人(2009年)人口密度:/平方キロ301人首都セントジョージズ(白馬に跨るドラゴン退治の基督教守護聖人・ゲオルギオスGeorgiosに因んだ市)市域人口:7,500人(1999年)東京からの大圏距離:14,264km時差:JST-13時間サマータイムなし民族アフリカ系、インド系、ヨーロッパ系言語英語(公用語)、フランス語系パトワ語宗教キリスト教(カトリック、プロテスタント、英国国教会等)等政体立憲君主制(英連邦王国)議院内閣制国家元首は、英連邦王国であり、英国女王がグレナダの国王を兼任。国王職務代行の総督は、国王により任命。政治実権は行政府たる内閣に、その長である首相は総督が任命。この任命は通常、下院総選挙後の多数派構成政党の指導者。閣僚は首相の指名に基づき、総督が任命。総督任命は形式的。元首女王エリザベス2世議会二院制 (上院13名、下院15名、任期5年)上院:10議席は政府、3議席は野党指導者が任命下院:全議員が小選挙区直接選挙で選出政権首相名 ティルマン・トーマス、外相名 カール・フッド軍事1983年に軍隊は解体され、現在はグレナダ警察軍が国内治安維持主要産業農業(カカオ、ナツメグ、バナナ、果実)、観光業(クルーズ船も訪れる)<ナツメグ、バニラなどは香料として生産、輸出される>GNIGDP:億ドル580百万ドル(2009年)820百万ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル 5,580ドル(2009年) 7,850ドル(2009年)実質GDP成長率▼ 8.3%(2009年) 0.4%(2011年)物価上昇率▼ 2.4%(2009年) 3.0%(2011年)財政収支/GDP比 ▼4.7%(2011年)政府総債務残高/GDP比 103.7%(2011年)経常収支(国際収支)▼200百万ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼228百万ドル(2009年)貿易額:輸出(FOB)A 196百万ドル(2009年)同 :輸入(CIF)B 424百万ドル(2009年)貿易品目:輸出バナナ、ココア、ナツメグ、果実、野菜、衣類同 :輸入食料品、機械・輸送機器、工業製品、化学製品貿易相手国:輸出ドミニカ、米国、EU、セントルシア、バルバドス <ネタ帳>米、セントルシア、EU,ドミニカ共和国、セントクリストファー・ネーヴィス同 :輸入米国、トリニダード・トバゴ、EU、ボリビア、日本 <ネタ帳>米、トリニダード・トバゴ、EU,中国、日本原油輸入 50百万円(2011年)対日輸出 50万円(2009年) 内訳一般機械等対日輸入 5億円(2009年) 内訳自動車、水産品等主要援助国2007年加、仏、アイルランド、米、日日本の援助実績2008年度まで有償:なし無償:41億円技術:10億円
Nov 16, 2012
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国名グレナダは、大航海時代にこの島を訪れた探検家が故国のグラナダの地を思い名付けたという。GRANATUMという、ザクロか花崗岩が沢山あるという意味ではない。他方、首都はドラゴン退治の守護聖人の市という名前だから、英国人の命名なのだろう。1983年に起きた首相が処刑された左翼クーデターで、反共の米軍などのグレナダ侵攻があり、国際的な注目を集めた。グレナダは本年のオリンピックに出場して「金メダル」を1個獲得した。種目は陸上男子400mで、19才のキラニ・ジェームズ選手(ジャマイカのボルトにあやかりボルト2世と言われる)が43.94秒であった。「オリンピックへの参加の意義」からして「人口割り」でこの1個を評価すると、世界一の座にあり、2位ジャマイカ、3位ニュージーランド、スロベニア、デンマークと続く。獲得メダル数では米国90個、中国80個、ロシア56個であるが、人口割りでは、それぞれ40位、65位、36位で、日本は45位という。大国が国として多くの「メダル」を獲得する競争を演じており、商業主義が優先する色彩を醸し出す大会となったが、小国でも「メダル」を獲得し、クーベルタン男爵の意志を継ぐのが大切。 グレナダ国 略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史1498年コロンブスにより「発見」1650年仏が植民地化、1674年仏人が定住化、先住民との抗争で大量虐殺、1714年仏はカカオ、綿花、コーヒーをプランテーションで黒人奴隷により栽培、奴隷の2/3は過酷労働条件で死亡。1762年英国が仏に代わり植民地化1783年ヴェルサイユ条約で正式に英領1950年普通選挙導入1967年英国自治領となる。労働党が選挙に勝ち、独立を宣言1974年英連邦王国として英国から独立。エリック・ゲイリーが首相に就任1979年親ソ連、キューバ派のニュージュエル運動(NJM)を率いるモーリス・ビショップがゲーリー首相の外遊中に無血クーデターを起こし、首相に就任。人民革命政府樹立。キューバとの関係深まる。1983年ビショップ首相らが処刑される。レーガン米大統領は、左翼政権(キューバ・カストロ政権、ニカラグア・サンディニスタ政権、当国・ニュージュエル運動政権)牽制の目的で、米国およびカリブ海諸国が合同で軍事侵攻を行い、当国の人民革命政府は転覆、親米政権が樹立。1984年選挙により新国民党(NNP)政権成立。2003年選挙により国民民主会議(NDC)政権が成立。(グレナダ その2 に続く)
Nov 16, 2012
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(トリニダード・トバゴ その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIAなど>国名トリニダード・トバゴ共和国国名のとおりトリニダード島とトバゴ島の二つの島からなり、前者は「基督教教義の三位一体と、島に3つの山があること」、後者は「先住民の吸うタバコ」に由来。面積的・人口的には前者に集中。 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)55位通貨トリニダード・トバゴ・ドル(TTドル)1米ドル=6.39TTドル(2011年1月)国花ヘリコニア(チャコニア)国旗赤は国民の寛容さと日光を象徴し、白は平等と海、黒は国民の粘り強さと統一への使命を象徴している。(赤地に、黒の左上からの対角線様の帯があり、その対角線の両外側に白線がある)国の標語Together we aspire, together we achieve(英語: 我ら共に熱望し、我ら共に成し遂げる)面積:平方キロ5,128平方km千葉県よりやや大トリニダード島: 4827平方kmトバゴ島: 301平方km国の位置カリブ海の小アンティル諸島南部に位置するトリニダード島とトバゴ島の二島と属領からなる共和制国家。島国であり、海を隔てて北にグレナダ、北東にバルバドス、南にベネズエラ(15km沖)が存在する。人口:千人1,351千人(2012年)人口密度:/平方キロ263人首都ポート・オブ・スペイン都市圏人口:30万人人口:49千人(2000年)日本からの大圏距離:14,416km時差:JST-13時間サマータイムなし民族インド系(40.0%)、アフリカ系(37.5%)、混血(20.5%)、その他(2.0%)言語英語(公用語)、ヒンディー語、フランス語、スペイン語宗教キリスト教(カトリック、英国国教会等)、ヒンドゥー教、イスラム教等政体立憲共和制イギリス連邦加盟国元首ジョージ・マックスウェル・リチャーズ大統領(2003年~、第四代目)大統領は間接選挙(上下両院議員による投票)で選出権限は、元首としての儀礼的・形式的なものに限られる任期:5年、3選は禁止。首相を多数派政党指導者から任命。議会二院制(上院(31議席、任命制)、下院(41議席))任期:5年トバゴ島には独自の議会があり、トバゴ島の内政自治を担う行政府としての役割も果たしている。政権首相名 カムラ・パサード = ビセッサー、外相名 ウィンストン・ドゥークラン軍事1967年3月、米州機構(OAS)に加盟するとともにOAS集団防衛体制下に入った。予算 3900万米ドル、兵役 志願制、兵力 国防軍4,063人(陸軍3,000人、沿岸警備隊1,063人)(2010年 ミリタリー・バランス2011)主要産業エネルギー産業(石油・石油製品、天然ガス、メタノール、アンモニア、尿素)、鉄鋼製品、食料品、セメント(独立以降、石油・石油化学部門が輸出収入・政府歳入の5割強を占めてきた) <ネタ帳>エネルギー産業(石油、天然ガス、石油精製、石油化学)、製造業、観光業GNIGDP:億ドル207億(米)ドル(2009年)226億(米)ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP:ドル16,700(米)ドル(2009年)17,060(米)ドル(2011年)実質GDP成長率▼ 0.9%(2009年)▼ 1.5%(2011年)物価上昇率 7.0%(2009年) 5.1%(2011年)失業率 5.3%(2009年) 5.1%(2011年)財政収支/GDP比0.3%(2011年)政府総債務残高/GDP比31.7%(2011年)政府純債務残高/GDP比7.0%(2011年)経常収支(国際収支)16億(米)ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B 47億(米)ドル(2010年)貿易額:輸出(FOB)A112億(米)ドル(2010年)同 :輸入(CIF)B 65億(米)ドル(2010年)貿易品目:輸出鉱物・燃料、化学製品、工業製品、食品 <ネタ帳>鉱物・燃料、化学製品、工業製品同 :輸入鉱物・燃料、工業製品、輸送機器、食品 <ネタ帳>鉱物・燃料、工業製品貿易相手国:輸出米国、EU、ジャマイカ、バルバドス、スリナム <ネタ帳>米、ジャマイカ、西、バルバドス、墨同 :輸入米国、EU、コロンビア、ロシア、ガボン <ネタ帳>米、ブラジル、ベネズエラ、コロンビア、ガボン原油輸出46.9億(米)ドル原油輸入45.0億(米)ドル原油輸出入差 1.9億(米)ドル対日輸出153億円(2011年) 内訳LNG、カカオ豆等対日輸入 142億円(2011年) 内訳自動車、一般機械等主要援助国2009年加、仏、米、英、独日本の援助実績2010年度まで有償:なし無償: 154百万円技術:3264百万円
Nov 15, 2012
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昨夜のサッカーのワールドカップ予選では、日本が解説者のいう「中途(中東?)半端でない」という強豪・オマーンを破り「王手」をかけたが、この国はWC出場国では最小の国。南米大陸のヴェネズエラの海岸からわずか15km沖合にある島嶼国で、西インド諸島で唯一、豊かな石油、天然ガス資源があり、石油、天然ガスが経済の中心。 一人当たりGDPで、世界180ヶ国中なんと43位の好位置にあるのは驚きである(台湾は38位)。島にある3つの山で「キリスト教三位一体」から名付けられたトリニダード島にあるピッチ湖(まさに石油のピッチが地中から噴き出したもの)には世界最大規模のアスファルトの天然鉱脈があり、先住民が嗜む「煙草」から名付けられたトバゴ島は観光産業が盛ん。カリプソ音楽、リンボーダンス、ドラム缶製打楽器のスティールパンで有名。アフリカ系とインド系の住民が拮抗している。世界遺産は見あたらない。 トリニダード・トバゴ共和国 略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史1498年1498年コロンブスによるトリニダード島「発見」(先住民カリブ族、アラワク族がスペインに征服さる)1532年~スペインの植民地となる。英、蘭、仏、バルト海の独系クールラント公国など統治者が入れ替わる。1596年英国人によるトバゴ島発見1797年スペインの支配下のトリニダード島が英植民地となる。1802年に正式に英領土となる。1802年仏植民地トバゴ島を英国が獲得。トバゴ島も正式に英国の領土となる。1889年英国植民地(トリニダード島、トバゴ島併合)1956年英国自治領エリック・ウイリアム博士が人民国家運動(PNM)を創設し初勝利。支持者:主として黒人。インド系は対立候補支持。1958年西インド連邦に加入。同から脱退(1961年)<カリブ海の英領島嶼を統合し、将来的な独立を視野に入れた半独立国でスタートしたが、中核となる、ジャマイカとトリニダード・トバコは1500kmも離れ、人種、産業、政治制度、歴史も異なり、対立が深まって中核2国が離脱、瓦解した。ただ、通貨の同連邦の「西インド諸島ドル」だけは、「東カリブ・ドル」と改称されて、旧構成国の多くで使用されている。>1962年英連邦王国として英から独立1970年ブラック・パワーによるデモで一時緊急事態1976年共和制に移行。エリス・クラーク大統領(初代、この国では大統領は形式的で、間接選挙の特色をもつ)就任。<アフリカ系の人民国家運動党(PNM)長期安定政権維持>1980年トバゴ島、独自の国民議会開催1986年<石油価格低落不況で国民の不満が高まり、総選挙で国家再建連合党(NAR)が勝利、ロビンソン政権が誕生。(人民国家運動党(PNM)の独立以来の長期政権終了)1987年トバゴ島が内政自治権を獲得。クラークに代わりノア・モハメド・ハサナリが第2代大統領に就任。年末から内部対立表面化、1988年左派の統一国民会議(UNC)が結成される。1990年黒人イスラム原理主義武装集団「ジャマート・アル・ムスリメーン」によるロビンソン首相の人質事件で、政府転覆未遂事件が発生。1991年総選挙でPNM政権復活<党首マニングが首相就任>1995年統一国民会議(UNC)とNARの連立政権誕生<パンディUNC党首が初のインド系首相に就任。1997年にPNMから2議員が連立に参加し基盤強化>1997年レイモンド・ロビンソン大統領(第3代)が就任2001年UNCとPNMが同議席獲得により、ロビンソン大統領が野党PNM党首マニングを首相に任命、与野党の関係が悪化して、国会は機能停止状態となった2002年総選挙によりPNM勝利2003年ジョージ・マクスウェル・リチャーズ大統領(第4代)就任2007年総選挙によりPNM勝利2010年与党PNMの開発公社汚職疑惑で政府批判が高まり、野党UNC新党首の任期、野党連合結成を背景に、総選挙により野党連合「人民のパートナーシップ」勝利、パサード = ビセッサー政権が誕生した。(トリニダード・トバゴ その2 に続く)
Nov 15, 2012
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今年は母が93歳で亡くなり喪中である。 神道では50日祭というのがあり、母が亡くなったのは 昔の体育の日に当たるから、そろそろ年賀状の欠礼通知 を兼ねて喪中のお知らせを郵送する期限が迫っている。 小生は、仕事柄、現役の頃には400枚近くの年賀状を 出していたのだが、退職してから「メール挨拶」への 切り替え、相手が年配でご迷惑な挨拶の取りやめ等もあり、 半分近くに少なくなっている。 家内の言うように、「ほとんどお付き合いのない方に、 年始のご挨拶だけ決まり文句で毎年送るのは、相手にも ご迷惑ではないかしら」は、もっともで、寂しい限りではあるが 継続組を100枚以下に絞ることになった。 丁度といってはなんだが、今回の喪中ハガキの中に、喪中 欠礼の報告と、「小生が脳幹梗塞を患っているので、今後の 挨拶は欠礼したい」という趣旨を加筆する方を、100人余選び、 継続組・中止組の「峻別」をおこなった。 以前、欠礼したいと言う趣旨で年賀状を出したこともあったが、 相手はお正月の挨拶状の中身などは見るはずがないようで、 今回は少しは目立つであろう。 さて、無印のハガキ大の用紙が100枚ほど余っており、 喪中ハガキに、これも使いたい。 喪中切手を貼れば十分使えそうだ。 「喪中ハガキ」は、インクジェット・タイプを100枚余買ってきた。 無印ハガキ大の用紙には、宛名書きの「郵便番号」数字の 印字が「5桁枠無し」になるが、郵便局に聞けば、「枠は全く 必要なものではないので、心配なく」とのこと。 小生が、基本としたことは、印字する際に、「薄墨印刷」にする べく全ての文字の色を「真っ黒から可成り下の銀色」に選ぶこと である。 喪中挨拶文については、既に小生に3枚ほど知人から到達 しているのを参考にする。 「挿絵」については、「単色」が2、「多色」が1、「黒枠」について は「枠あり」が1,「枠なし」が2であるので、かなりの自由度が ありそう。 小生には、ここ数年はアプリを購入することを止めて、1000円 程度の「年賀状プリント本」についた「筆まめ」アプリしかない。 WEBで薄い「蓮の花」の挿絵を見付けて張り付け、文字を適当 に配置して、枠は「太罫線」を引き縮小・拡大・移動する。 印刷する際には、「薄墨文字」、「薄い挿絵」、「薄墨枠」という、 3色刷りのような、プリンターを3回通す方式。 「薄墨太枠」があると一段と引き締まって締まって見えるようだ。 !!! 印刷するときに、「宛名書き」についても、真っ黒でなくて、 「FONT」を下の方の銀色に変更することを忘れないように注意 !!! 小生は、パソコンに疎いので、キャノンMP770で印刷する際に、 「プリンター設定」、「印刷設定」を印刷毎に確認している。 両方が時々噛み合わず、A4大をハガキに印刷開始するので、 呆けなりに「チェック」が必要だ。 !!! 「筆まめ」なら、「お気に入り」として、ハガキの場合は 用紙=ハガキ、用紙サイズ=ハガキ、倍率=等倍印刷などを あらかじめ「ハガキ」として登録すべきであった。 !!! 小生の見立てでは、「インクジェットハガキ」より、「ハガキ大の 無印高級紙」に印刷し、喪中切手を張った方が立派に見える。 それは、費用についても後者の方が多く掛かっているからかも 知れない。 本日は、喪中ハガキ作りで疲れてしまい、基本事情を書く余裕 はない。 なお、蛇足ながら、切手を100枚余、葉書に貼付するために、 台所から「スポンジ」を借用し、水を含ませ、お皿に乗せて、 書斎までこっそりと持ってきている。 作業をしている間に、「野田内閣のおねだり解散」、「サッカー ワールドカップ予選通過へのリーチ」、「森光子さんのご逝去」 の報が入った。 国民栄誉賞受賞・有名女優として、また、スクワット・エクササイズ の実践者として、92歳まで、この世を明るくしてくれた方の ご冥福を祈る。 野田さんには、他国EU(独)との約束を守り、自国民に約束をして いない消費増税を宰相として歴史に残る決断をした勇気と、 おねだり解散を首相特権でおこなう、「でんぐりかえし」に ご苦労様と言いたい。 「サプライズ」の政党では、「民主主義」はお任せできないことを 最後まで身を以て、国民は勉強させていただき感謝する。 まさに見るとおりの「裸の王様の首相」の姿であった。
Nov 14, 2012
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(ベリーズ その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ベリーズ国国名はマヤ語で「泥水」の意美しい海と珊瑚礁に恵まれ、「カリブ海の宝石」と呼ばれている。 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)48位通貨ベリーズ・ドル1米ドル=2.00ベリーズ・ドル(固定)国花タコラン国旗・国章1950年に英領ホンジュラス(ベリーズのイギリス領時代の名前)が独立運動を開始した際に決められた。独立後に上下の赤線が追加され、現在のデザインとなった。中央はベリーズの国章である。国章:丸い輪郭は25枚の葉で囲まれている。円の中央にはマホガニーの木があり、その前には盾が置かれている。盾には、上半分に木を切る道具が、下半分に船が描かれている。これらは18世紀から19世紀のベリーズの経済にマホガニーが重要な役割を持っていたことを象徴している。盾は、別々の人種の2人の木こりに支えられている。左の人物は斧、右の人物は櫂を持っている。これは、マホガニーと造船の重要性を表している。下部にあるリボンの中には、国の標語である"Sub Umbra Floreo "(木陰の下で栄える)という言葉がラテン語で書かれている。国の標語Sub Umbra Floreo(ラテン語: 木陰の下で栄える)面積:平方キロ22,963平方km四国よりやや大、日本の1/16国の位置北にメキシコと、西にグアテマラと国境を接し、南東にはホンジュラス湾を挟んでホンジュラスがあり、東はカリブ海に面する人口:千人324千人(2012年)人口密度:/平方キロ14人首都ベルモパン(ハリケーンに破壊された旧首都・ベリーズシティから1970年遷都)東京からの大圏距離:12,238km人口:16.4千人(2004年)海抜:76m時差:JST-15時間サマータイムなし民族メスティーソ49%、クレオール25%、マヤ11%、ガリフナ6% その他10%言語英語(公用語)、スペイン語、クレオール語、マヤ語、ガリフナ語 等宗教キリスト教(カトリック、プロテスタント、英国国教会等)等政体立憲君主制(英連邦王国)元首エリザベス二世女王議会二院制(上院9名、下院31名)政権首相名 ディーン・バーロウ、外相名 ウィルフレッド・エルリントン軍事予算 1900万米ドル、兵役 志願制、兵力 1,050人(陸軍1,050人(推定))(ミリタリー・バランス2010)(1994年末まで英軍駐留)主要産業農業(砂糖、柑橘類、バナナ)、水産業、観光業<砂糖、バナナ、柑橘類などの農業が全外貨収入の約70%、労働力の約20%を占める。>GNIGDP:米ドル12.9億(米)ドル(2010年)14.5億(米)ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP3,740(米)ドル(2010年)4,266(米)ドル(2011年)実質GDP成長率2.9%(2010年)2.0%(2011年)物価上昇率2.8%(2010年)1.5%(2011年)失業率12.9%(2010年)11.9%(2011年)財政収支/GDP比▼1.1%(2011年)政府総債務残高/GDP比82.6%(2011年)経常収支(国際収支)▼40百万ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼239百万ドル(2009年)貿易額:輸出(FOB)A382百万ドル(2009年)同 :輸入(FOB)B 621百万ドル(2009年)貿易品目:輸出砂糖、バナナ、果汁、衣類、水産品同 :輸入機械類・輸送機材、燃料、化学製品、薬品、食品貿易相手国:輸出EU、米国、英国、コスタリカ、ニカラグア、日本 <ネタ帳>米、英、墨、EU,中米諸国、カリコム諸国同 :輸入米国、EU、メキシコ、キューバ、グアテマラ、日本 <ネタ帳>米、墨、英、中米諸国、EU,カリコム諸国原油輸出 120百万ドル(2011年)原油輸入 150百万ドル(2011年)原油輸出入差▼30百万ドル(2011年)対日輸出4.7億円(2009年) 内訳果汁、天然真珠、調味料対日輸入6.0億円(2009年) 内訳船舶、船外機、自動車主要援助国2009年米、日&加、西、アイルランド日本の援助実績2010年度まで有償:なし無償: 7.4億円技術:15.9億円世界遺産(自然遺産)ベリーズ珊瑚礁保護区:珊瑚礁でできた小島が150以上あり、なかでも、イルカ、ウミガメがいる、ライトハウス・リーフの直径313mのグレート・ブルーホールが特に有名。
Nov 13, 2012
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砂糖、オレンジ、グレープフルーツ、ロブスター、マホガニーなどの農林水産業がメインで米・英向けに輸出される。カリブ海の珊瑚礁群、伝説のマヤ遺跡、熱帯雨林の中米独特の生物などの観光資源に恵まれて、観光客が急増。中米大陸では稀な英語圏で、元首にはエリザベス女王を戴く。グアテマラとの国境問題は2013年の国民投票を残すばかりである。日本も、竹島、尖閣、北方領土などで国境問題を抱えており、領土、国土境界は目に見えないものだけに、囲いがあるという「國」という文字は判りにくく、人工衛星では見えない区画。もともと、人類がエジプトなどから世界に広がり、勝手な國造で自分の國だと主張しあっているのだから、当事者には国境は広いほどいいのだろう。自分の家と隣家との間には「境界柱」が埋め込まれているが、「境界柱」を抜く人もいて、揉めている。江戸時代でも、「土佐」、「伊予」との「藩境界」で、互いに「境界杭を抜き刺しする戦い」があったという。神様が「境界」を与えてくれればいいのだが、神の名を借りて植民地支配を行う國もあり、人間とは難しい存在である。しかし、時代が進むにつれ、人類は賢くWISDOMに向かっているように見えるのは、小生が病気(脳幹梗塞)なのかも知れない。 ベリーズ国 略史<外務省、WIKIPEDIA,ベリーズ国政府観光局など>年月略史先コロンブス期BC1200年~BC900年:クエリョ遺跡から楕円形基壇をもつ集落住居跡、スワジー式土器(マヤ地域オルメカ人文明の最古の土器)出土BC500年~AD100年:ラマナイ遺跡から、二段の階段状基壇の上にやや小さめに四段の階段状基壇が載るピラミッド神殿、スタッコ人頭(マヤの神々の4mもの漆喰彫刻)が建造物下部階段両側を飾る神殿(セロス遺跡にもある)AD2世紀:同時期にテオティワカンで行われた儀式で使用されたと同じ人形型黒曜石製品や土器出土AD300~900年:マヤ文明が興り各地が栄える。都市国家・カラコルはカラクムルと同盟して有力都市ティカルを打破しマヤの中心地となり、ナランホに680年に攻撃され破壊されるまで繁栄する。7世紀に、ラマナイのピラミッド神殿の古い建物の上を覆うようにした改造が付加され、いくつかの都市も建設される。初めて中米で鉄を使用。マヤ文化が絶頂期、マヤ人口が南部高地から北部低地に移動。AD900年~1531年:チェトウマル国がカカオ豆産地として、ホンジュラス西部-ユカタン半島-タバスコ州の交易路で繁栄し、他のマヤ都市がグアテマラ北部の低地では放棄されたのに比べて対照的となっている。遺構ではユカタン半島のマヤパン出土品と同じ「香炉」、鉛釉土器が見られる。芸術の時代から軍事社会への移行となり、マヤ文明は人口の減少、地震の発生と共に崩壊してゆく。1502年<コロンブスにより「発見」、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ本拠)副王領として(スペイン領)グアテマラ総監領の一部として編入>1527年にユカタンの征服者モンテーホがチェトウマルで2000もの家屋を目撃している1531年以降17世紀初頭にかけて、ベリーズのマヤ人の勢力はスペイン人との争いの中で徐々に衰退。グアテマラ総督領からは、密林を隔てた辺境の低地にありその勢力は事実上及んでおらず、1638年英国の武装船団が沖の小島に勝手に上陸、入植を開始、総督府は一時は軍隊を派遣してこれを追放するも、1660年には英船団はマホガニー、アカミノキを伐採して英本国に輸出するという既成事実を作り上げ、英政府は1763年(パリ条約)、1783年(ヴェルサイユ条約)にスペインに「ベリーズ」の自由な使用収益を認めさせ、1784年人口増大を理由に島から対岸のベリーズ・シティへ移転。1798年英国人入植者、スペイン軍に勝利し、自治拡大1821年<スペインから独立したグアテマラが領有権を主張>グアテマラは「ベリーズへの英国の不法占拠」と主張し、軍隊を展開させたこともあったが、1959年両国は交渉を開始、結局意識的に入植者を増やしていった。1862年英国はジャマイカ総督領下の英王室植民地として「英領ホンジュラス」を正式に宣言した。1884年ジャマイカ総督の管轄から切り離され、英領ホンジュラス総督が設置された。1950年代~民衆に独立の気運が高まり、人民連合党(PUP)が誕生、1954年憲法制定、成人に選挙権付与、1957年普通選挙で自治権獲得、1960年総督の下に行政院、立法会議設立、1963年自治政府承認、しかしグアテマラとの間で独立についての交渉が決裂。1972年「ベリーズ」問題は国連総会の議題にのぼる、1972年首都がベリーズ・シティから内陸部のベルモパンに遷都、1973年1月「ベリーズ」の国名の名乗りを上げる。1980年国連総会。1981年9月<独立>イギリス連邦加盟国として独立、政治体制は英国王を元首に戴く英連邦王国を選択。1986年11月グアテマラはベリーズの領有権放棄、独立の承認を宣言。1991年グアテマラがベリーズとの基本的な安全保障協定を合意、グアテマラとの国交が回復1998年8月総選挙で野党:人民連合党(PUP)が89.7%の議席を占めサイード・ムサ首相が就任。積極財政路線で対外債務が倍増し、国債の格下げ、閣僚の社会保障基金流用、財政再建のための増税で建国以来のスト・反政府デモが発生、首相の民間医療機関へ閣議承認無しに政府資金を投入たことが発端で、内閣改造。2008年2月総選挙で民主連合党(UDP)が80.6%の得票を獲得、ディーン・バーロウ党首が首相に就任。政権が交代した。2012年3月総選挙で与党UDPがわずかに51.6%の得票率で辛勝。(グアテマラとの間に国境問題があり、現在仲介プロセス進行中。2008年12月、両国はICJ付託について合意。また、2012年4月、両国は本件に関する国民投票を2013年10月に行うことで合意。)(ベリーズ その2 に続く)
Nov 13, 2012
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(グアテマラ その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳、など>国名グアテマラ共和国 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)43位通貨ケツァル(Q)1米ドル=7.79ケツァル(2011年(平均))国花シロバナミツビシラン(リカステの白花)(リカステの黄花はエクアドル国花)国旗空色と白で主に構成されている。空色は国が太平洋と大西洋二つの海に挟まれていることを表している。そして中央の白は国の純粋さの象徴として使われている。白地が2つの青で挟まれたストライプは元々中米連邦の国旗であった。グアテマラの国旗ではストライプを縦向きにして使用している。中央に描かれているのは自由の象徴であるケツァールの鳥で、中央アメリカ諸国が1821年9月12日にスペインから独立を宣言したことの象徴である。中央で十字になっているライフルはグアテマラを守るためには戦争をも辞さない意志を表し、オリーブの輪が平和を表している。国の標語なし面積:平方キロ108,889平方km北海道+四国よりやや大国の位置北にメキシコ、北東にベリーズ、東にホンジュラス、南東にエルサルバドルと国境を接しており、北東はカリブ海に、南は太平洋に面する。国境問題ベリーズとの間に国境未確定の部分があり、国境画定を国際司法裁判所に提訴することで両国は合意。しかし、管轄権受諾については国民投票が必要だが、どの国も実地されていない。人口:千人14,710千人(2011年)人口密度:/平方キロ135人首都グアテマラ・シティ(スペイン語で「聖母被昇天の新グアテマラ」を意味するLa Nueva Guatemala de la Asunción、国名と区別する場合は、シウダ・デ・グアテマラ)標高:1,533m市域人口:101万人(2006年)都市圏人口:100~250万人東京からの大圏距離:12,334km時差:JST=15時間サマータイム無し民族先住民38.4%、非先住民(混血、欧州系)61.6%(2006年)言語スペイン語(公用語)、その他に22のマヤ系言語他あり。宗教カトリック、プロテスタント等(信教の自由を憲法上保障)政体立憲共和制元首ジミー・モラレス(46才、コメディアン)2016.1就任、任期4年議会一院制(158議席)政権首相名 首相職無し、国民集中戦線(前政権は汚職で辞任)軍事予算 169百万ドル(2010年)、兵役 志願制(兵役義務なし)、兵力 15,212人(陸軍13,444人、海軍897人、空軍871人)主要産業農業(コーヒー、バナナ、砂糖、カルダモン)、繊維産業<国民の約1割(150万人以上)が米国に移住し、海外送金が貧困地域の家計を支える(GDPの約1割。2011年は43.8億ドル(中銀))。>GDP:億ドル469.1億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル3,188.3米ドル(2011年)<国民の半数以上が1日2ドル以下で生活する貧困層と推定される。>実質GDP成長率3.9%(2011年)物価上昇率6.20%(2011年)失業率4.06%(2011年)財政収支/GDP比▼2.8%(2011年)政府総債務残高/GDP比24.1%(2011年)外貨準備高61.9億ドル(2011年)国家予算76億ドル(2012年)対外公的債務56億ドル(2011年)経常収支(国際収支)▼14.6億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼62億ドル(2011年)貿易額:輸出(FOB)A104億ドル(2011年)同 :輸入(CIF)B 166億ドル(2011年)貿易品目:輸出(2011年)衣類・繊維・縫製製品、コーヒー、貴石・貴金属(半貴石・半金属を含む)、砂糖、バナナ同 :輸入(2011年)食品、鉱物製品、電化製品、化学工業関連製品、繊維・縫製製品 <ネタ帳>食品、電化製品、石油関連製品、自動車貿易相手国:輸出(2011年)米国、中米諸国、EU、メキシコ、パナマ <ネタ帳>米、中米諸国、墨、加、パナマ同 :輸入(2011年)米国、メキシコ、中国、中米諸国、EU <ネタ帳>米、墨、中国、中米諸国、韓国原油輸出 3.4億ドル(2011年)原油輸入31.2億ドル(2011年)原油輸出入差▼27.8億ドル(2011年)対日輸出219億円(2011年) 内訳コーヒー、胡麻、砂糖等(2011年)対日輸入228億円(2011年) 内訳自動車関連製品、鉄鋼、電気機器・機械(2011年)主要援助国2009年、単位:百万ドル西 113米 84蘭 28スエーデン26日本 26日本の援助実績2010年度まで有償:368億円無償:426技術:268
Nov 12, 2012
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先コロンブス期にはマヤ文明が栄え、現在も国民の過半数はマヤ系のインディヘナであり、メキシコを除く中央アメリカで最多人口国である。通貨は「ケツァール」で、鮮やかな色彩をもつ美しい鳥(国鳥)と同じ呼び名。「ケツァール」は古代アステカでは、農耕神ケツァルコアトルの使いで、最高位の聖職者と王だけにその羽毛を身につけることが許された(手塚治虫の「火の鳥」のモデルらしい)。経済的にはエルサルバドルと共に中央アメリカの中位グループに属するが、1960年から36年間続いたグアテマラ内戦により、治安や政治においてグアテマラ社会は未だに不安定な状態にある。 グアテマラ共和国 略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史先コロンブス時代BC1800年にバラ相の無頸壺、土偶など土器文化、BC900年頃に川の流域に集落が形成され、高さ18mの大規模建造物、精巧な土偶文化が興り、BC500年以後は低地にマヤの大規模都市が出現、南部高地に石碑を伴う祭祀センターが築かれ、378年にはティカルにメキシコ・テオティワカンゆかりの強力な王朝が建てられ、メキシコなどと覇を唱えたが、テオティワカンに征服され、11世紀から北方のチチメカ人が侵入し、その様式を受けている。10世紀初頭までに低地の祭祀センターは放棄されたが、高地のマヤ系王国はスペイン征服まで存続。1523年スペインによる征服スペイン人征服者ペドロ・アルバラードが訪れ、カクチケル族の協力で翌年当地の支配者キチェー族の都を攻略、さらにカクチケル族の都を本拠とするが、その抵抗を受け首都を次々と変え、アルバラードは1541年に死亡、同年のアグア火山の噴火で壊滅した首都の代わりに現在のアンティグア(旧)・グアテマラに移った。1544年スペインはグアテマラ総督領を置き、自治権を与えた。範囲は現在の中米五ヶ国を含む。1717年、1773年と地震で大被害を受け、首都をグアテマラシティに移転。1776年には、領土の内、現在のベリーズの部分が英領ホンジュラスとして英国に割譲。1821年1789年の仏革命でヨーロッパは政治が混乱、ナポレオン戦争でスペインがナポレオン兄の帝位となるや、スペイン独立戦争、植民地での本国偽王への忠誠拒否、ひいては解放運動へ繋がり、本国のリエゴ革命の翌年にグアテマラ総督領は独立。同年独立した第一次メキシコ帝国に併合される。1823年~メキシコ帝国の崩壊後、旧グアテマラ総督領の5州は中央アメリカ連合州として独立。翌年には中央アメリカ連邦が成立。ホンジュラス出身のモラサン将軍(自由主義のエルサドバドル派)は連邦維持を目的に、カレーラ将軍(保守主義のグアテマラ派)との戦いを続けた。1838年~1838年にカレーラ将軍は内戦に勝利したものの、中米連邦が瓦解し、1839年、グアテマラ共和国として独立。内戦に勝利し、連邦派を駆逐したカレーラは、1865年に死ぬまでグアテマラを強力な支配下に置き、保守政治ながら、インディヘナに対し共有地保護政策を講じ評価される。また、1856年のウイリアム・ウオーカーとの国民戦争の際は、グアテマラも中米連合軍の一員で参加。1871年内戦に勝利した自由党が政権に就いて、自由主義的な政策が行われ、近隣諸国との戦争、インディヘナの私有地解体・大土地所有制強化、コーヒー・モノカルチャー化、農園移民導入(1893年日本初のラテンアメリカ移民)が行われた。1898年から22年間にわたりマヌエル・エストラーダ・カブレーラ大統領による独裁政治、その死後の空白、クーデターの連続、1931年から1944年までのホルヘ・ウビコ将軍の過酷な統治があった。1944年ウビコ将軍が1944年追放され、「グアテマラの春」と呼ばれる民主的な社会改革の時代が1954年まで訪れた。ポピュリスモ的政治化・ハコボ・アルベンスは土地改革を行い、ユナイテッド・フルーツ社有地にこれを適用したとき米国の反共主義の怒りが頂点に達し、エルサドバドルから米国傭兵の侵攻を受けて、亡命、春は終わった。1960年CIAがグアテマラ軍上層部とのPBSUCCESS作戦で政府転覆を謀り、親米政権を樹立。1958年成立したイディゴラス政権の親米的政策に不満を抱いた軍若手将校の反乱(1960年)は鎮圧されたが、以後36年間にわたり武装反乱軍(FAR)などと政府軍の間で、内戦発生。1965年1965年に憲法改正、翌年大統領選挙が実施され、民主的に政権交代したが、テロ活動が活発化し、1970年以降は軍人大統領が政権掌握。1986年民政移管、セレソ大統領就任。1987年中米和平合意1991年セラーノ大統領就任、1993年自主クーデターを行い国内外の反発を招き失脚、国外逃亡。デ・レオン人権擁護官がこれを受けて大統領就任、ゲリラ間交渉、貧困対策、人権改善等を推進。国連グアテマラ人権検証ミッションを1994年から展開(2004年末終了)1996年内戦終結(中米最後の内戦終了)、翌年、国連軍事監視団のもとでゲリラの武装解除、軍警察解体国家文民警察に移行。2000年ポルティージョ大統領就任2004年ベルシェ大統領就任(停戦実現、政治的迫害根絶などは行ったが、貧困、治安問題改善については課題を残す。)2008年コロン大統領就任(当国初となる、中道左派出身で貧困、経済格差問題に取り組むが治安対策に課題を残す。)2012年ペレス・モリーナ大統領就任(決選投票で野党・愛国党が当選、深刻化する治安情勢、貧困対策に注視。) 世界遺産 (文化遺産1)アンティグア・グアテマラ(スペインのムハデル様式の影響を受けたバロック建築と、植民地時代に建てられた多数の教会の遺構で、地震で壊滅的に破壊された旧首都にある)(文化遺産2)キリグアの遺跡公園と遺跡群(グアテマラ東端部、モタグア川中流域にある古典期に繁栄したマヤ遺跡のひとつである) (グアテマラ その2 に続く)
Nov 12, 2012
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(ホンジュラス その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ホンジュラス共和国コロンブスが「碇が海底まで届かぬ深さ=hondura」で名付けた説有り 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)37位通貨レンピーラ(L)1$=19.05レンピーラ(2011年平均)国花カーネーション(スペイン、モナコ公国と同じ国花)国旗青は太平洋とカリブ海、白は国の統一と平和を表す。中央の五星は中央アメリカ連邦再統一への希望を表し、星はそれぞれホンジュラス(中央)、グアテマラ(左上)、エルサルバドル(左下)、ニカラグア(右上)、コスタリカ(右下)を表す。国の標語Libre, Soberana, Independiente(スペイン語: 自由、主権、独立)面積:平方キロ112,492平方km(日本の約1/3弱)国の位置西にグアテマラ、南西にエルサルバドル、南東にニカラグアと国境を接しており、北と東はカリブ海、南はフォンセカ湾を経て太平洋に面している。大陸部のほかに、カリブ海岸にスワン諸島、バイーア諸島を領有している。人口:千人7,750千人(2011年)人口密度:/平方キロ69人首都テグシガルバ標高:990m都市圏人口:132万人(2006年)東京からの大圏距離:12,615km時差:JST-15時間サマータイムなし民族ヨーロッパ系・先住民混血91%、先住民6%、アフリカ系2%、ヨーロッパ系1%言語スペイン語宗教伝統的にカトリック(信教の自由を憲法上保障)政体立憲共和制元首ファン・オルランド・エルナンデス・アルバラード大統領(任期4年、再選禁止)2014.1就任議会一院制(128名、任期4年)政権国民党:首相名 首相職無し、(1)米関係重視。外交多角化の観点よりアジアとの関係緊密化に努力。中国と国交はなく、台湾と国交を有する。(2)中米統合の促進。軍事徴兵制に代え志願兵役制を導入(1995年4月、議会にて志願制兵役法案可決)、兵力 12,000人 (陸軍8,300人、海軍1,400人、空軍2,300人)、国防費 138百万ドル(2010年)(ミリタリーバランス)主要産業農林牧畜業(コーヒー、バナナ、養殖エビ等)<新規産業のマキラ(保税加工区)での製造業(特に繊維)や観光業が注目されている><在米ホンジュラス人からの本国送金も急増し、2011年の送金額は28億ドル(GDPの16%)>GDP:億ドル172億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル2,105ドル(2011年)実質GDP成長率 3.6%(2011年)物価上昇率 5.6%(2011年)失業率 4.3%(2011年)財政収支/GDP比▼2.8%(2011年)政府総債務残高/GDP比 28.1%(2011年)対外債務42.6億ドル(2011年)拡大重債務貧困国で、国際機関(3億ドル)、各国(予定額9.4億ドル)による債務免除。経常収支(国際収支)▼15.0億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼31.4億ドル(2011年)貿易額:輸出(FOB)A 72.0億ドル(2011年)同 :輸入(CIF)B 103.4億ドル(2011年)貿易品目:輸出コーヒー、バナナ、養殖エビ、養殖淡水魚同 :輸入燃料類、機械・電気部品及び関連製品、化学工業製品<原油20.4億ドル(19.7%)>貿易相手国:輸出米国39.8%、中米23.9%、EU22.9%、日本0.9% (2009年)同 :輸入米国40%、中米23.5%、EU7.1%、日本1.5% (2009年)対日輸出48.5億円(2011年) 内訳コーヒー、衣類等対日輸入98.6億円(2011年) 内訳自動車部品、機械類等主要援助国2008年、単位:百万ドル米国129、西58,日本42日本の援助実績2010年度まで有償:348億円無償:725技術:388世界遺産(文化遺産)コパンのマヤ遺跡(西部にある古典期マヤの大都市の遺跡)世界遺産(自然遺産)リオ・プラタノ生物圏保護区(カリブ海に面し、プラタノ川流域の熱帯雨林で、ジャガー、アメリカマナティなど棲息。先住民ミスキート人の過剰な森林資源伐採などで「危機遺産に再登録されている。」当国軍事クーデターへの国際判断・反応 米州機構(OAS) [2009.6.28]緊急会合でホンジュラスの軍事クーデターを非難。追放されたホセ・マヌエル・セラヤ・ロサレス大統領の即時無条件復帰を求める決議を採択。ホンジュラスのOAS構成資格を停止。米州ボリバル同盟<キューバ、ベネズエラを中心にする、米国主導に対抗した組織>2009年ホンジュラスでクーデターが起こり2010年1月に誕生したロボ政権は同盟からの離脱を表明。同盟加盟8ヶ国はロボ政権を承認していない。
Nov 11, 2012
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コスタリカほどではないが、他の中米諸国に比べて政治が安定している国のようだ。しかし、ニカラグアで見られたように、憲法規定を巡って、「平等の原則」が「大統領の再選禁止」を超法規的に上回ることはできないらしい。ニカラグアなら「道理」が通り、当国では「ごり押し」と判定されるが、もっと視野を広くして世界を見れば、当国では「公正な選挙を経ないクーデターという暴挙」が先行している。社会科学でも、変数のとらえ方、優先順位の付け方などが大切である。自然科学(理科)では、体系が複雑に見えても、単純化して分析可能な(ビッグバンや突然変異以外は安定的だ)のに対し、人文科学(法律)では、無限の変数、無限の条件が存在し、「解がない場合が多い」のではなかろうか。米州機構(米国含む米大陸国)、米州ボリバル同盟(反米国中心)は共にホンジュラスの「軍事クーデター自体を正当なものと認めず」加盟停止、政権不承認の立場(つまりNo!)を取っているようだ。世界的な視野では、「平等の原則」VS 「再選禁止規律」の優先判断以前に、「民主的選挙」VS「暴力による変革」の善し悪しが、親米・反米を問わず、「民主国家としては最重要」ということか。脳幹梗塞の小生には、もともと「お手上げ!」 の次元の話だ。この国は、エルサルバドルとの「サッカー戦争」で相手がキック・オフした国、史上初の「バナナ共和国」でもある。 ホンジュラス共和国 略史<外務省、WIKIPEDIAなど>年月略史先コロンブス時代オルメカ文明(巨石、宝石加工技術、ジャガー信仰)の影響が強く、BC1200からBC400ころの埋葬から長頸壺、「炎の眉」の蛇を刻んだ鉢が出土、高さ20m、南北70m、東西110mのピラミッド、その周りには2km超の掘、防壁が確認された。古典期には426年にテオティワカンの影響を強く受け、神殿、球戯場を造り権威を誇り、「神聖文字の階段」をもつ神殿、王の肖像を刻んだ祭壇などを残し、放棄された。1502年コロンブスが4度目の航海で「発見」、1519年コルテスが米大陸に上陸し、1521年アステカ帝国征服の後にこの地も征服。この地から豊富な金・銀が産出し、植民が進行。1537年に酋長カシーケの反乱の鎮圧を最後に植民地化が進んだ。1539年グアテマラ総督領編入。1570年代に首都の周辺で銀山が発見されたが、ブームはすぐに終焉。1821年1789年の仏革命でヨーロッパは政治が混乱、ナポレオン戦争でスペインがナポレオン兄の帝位となるや、スペイン独立戦争、植民地での本国偽王への忠誠拒否、ひいては解放運動へ繋がり、本国のリエゴ革命の翌年にグアテマラ総督領は独立。同年独立した第一次メキシコ帝国に併合される。1823年メキシコ帝国の崩壊後、旧グアテマラ総督領の5州は中央アメリカ連合州として独立。翌年には中央アメリカ連邦が成立。ホンジュラス出身のモラサン将軍(自由主義のエルサドバドル派)は連邦維持を目的に、カレーラ将軍(保守主義のグアテマラ派)との戦いを続けた。1838年1838年中米連邦が瓦解、「ホンジュラス共和国」として独立。<中米諸州連合瓦解により分離した形で独立> <20世紀に入るまで周辺諸国との国境紛争が頻発>1855年ニカラグアで米国南部人傭兵・ウイリアム・ウオーカーが大統領となり、中米諸国は団結して排除する「国民戦争」が起こり、これを敗北せしめて、同人は英国海軍により処刑される。1870年代以降、コスタリカを筆頭に中米各国ではコーヒー・プランテーションが発達するも、ニカラグア、ホンジュラスでは人口不足、労働力不足で根付かず、代わりにバナナ・プランテーション(当初は建設工事中の鉄道沿線での労働者向けの安いバナナ栽培)がマイナー・キースにより設立され、合併して中米全体でも強大なユナイテッド・フルーツ社を君臨させ、最初に「バナナ共和国」と呼ばれるようになった。1880年マルコ・アウレリオ・ソト大統領が自由主義憲法制定、直接選挙を保証、1894年ポリカルボ・ポニージャ大統領が憲法条文に中米諸国との連合の可能性を導入。1893年ニカラグア大統領ホセ・サントス・セラヤの打ちだした中米大共和国構想に、ホンジュラス、エルサドバドルも賛同するが、グアテマラの干渉で水泡に帰した。1907年ニカラグアのホセ・サントス・セラヤ大統領はホンジュラスに進攻し、全土を支配したが、その拡大を恐れた米国の仲介案で、ホンジュラス大統領にダビラが就任する妥協(この処理に中米司法裁判所が設置さる)となる。1911年反乱によりダビラは失脚、翌年ボニージャが返り咲くが1年で逝去し、ベルトランド大統領政権が1919年まで続く。1919年内戦勃発により、米国がバナナ権益保護の名目で内政干渉。1920年代に世界のバナナ市場の1/3のシェアを要していたホンジュラスは1929年の世界恐慌で大打撃を受け、ユナテッド・フルーツ社の労働争議が活発化する。これを沈めるために、1933年ティブルシオ・カリアス・アンディーノ将軍がクーデターを起こして軍事独裁強権統治を米国のバナナ会社との強い関係を背景に17年間続いた。第二次世界大戦後も政情不安から、軍事政権が相次いで誕生。米国石油会社がニカラグア国境付近で油田を発見したことを契機に、同国のソモサ王朝と、ホンジュラス東部が戦場となり、国際司法裁判所提訴で紛争解決。1960年中米共同市場が結成されたが、ホンジュラスがエルサルバドル製品市場に偏在化、エルサルバドル人が30万人もホンジュラス領内で不法移民として農業を行っている中で、農地改革を行ったことが軋轢となり、「サッカー戦争」(1969年)に発展した。1963年~1980年軍政(1963年~1980年)が続く中、中米共同市場を1971年脱退。1979年のニカラグア革命以後、ホンジュラスはニカラグア・サンディニスタ政権に対する最有力コントラ基地となり、米陸・空軍、イスラエル国防軍、アルゼンチン陸軍などが駐留。1980年制憲議会選挙、1981年総選挙1982年民政移管、コルドバ大統領就任(自由党政権)1986年アスコナ大統領就任(米国への接近で軍事経済関係が強化)1990年カジェハス大統領就任1994年レイナ大統領就任1998年フローレス大統領就任<中米襲来のハリケーン・ミッチで36億ドル(GDPの68%)の被害を受けたが、国際機関等支援(日本は初めて国際緊急援助隊として、自衛隊医療部隊を派遣し、診察、防疫を行った)で復興>2002年マドゥーロ大統領就任2006年ホセ・マヌエル・セラヤ大統領(自由党:中道左派)就任2009年6月セラヤは「大統領の再選禁止」のなか、国民投票による憲法改正を目指したが、軍や裁判所が再選を目指す動きとして猛反発、(最高裁も再選は違憲との判決も出ている中で、)クーデターが発生。軍がセラヤ大統領を拘束し、国外移送。OAS、米国の仲介で2009年10月セラヤ大統領側と「暫定政府側」が合意、翌月の大統領選挙・総選挙で、ロボ国民党候補(当時野党)が当選。<国際経済危機で建設業、マキラ産業が打撃を受け、クーデターによる国際協力停止の影響から厳しい不況に陥り、経済立て直しが急務。>2010年1月ポルフィリオ・ロボ・ソサ大統領(国民党)就任。就任式には、大統領としては台湾、パナマ、ドミニカ共和国の3ヶ国、副大統領はコロンビア、米国国務省から国務次官補の出席に留まった。2011年5月コロンビア、ベネズエラなど南米7ヶ国の仲介でロボ大統領、セラヤ元大統領は和解し、セラヤは帰国し、米州機構(OAS)に復帰が承認された。帰国したセラヤ氏はクーデター後に組織された全国国民抵抗戦線(FNRP)を率いるが、大統領再選を禁じた憲法規定で2013年の大統領選に立候補できない。夫人の出馬を期待する声もでているとのこと。(ホンジュラス その2 に続く)
Nov 11, 2012
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(エルサルバドル その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名エルサルバドル共和国Republic of El Salvador<「世界の救い主・主イエス・キリストの領土」から命名> 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)61位通貨米ドル及びコロン(2001年1月よりドル化)1米ドル=8.75コロンで固定(2001年1月より)国花リューゼツラン科ユッカ国旗国旗販社:さらご青は空と海を、白は平和と調和の希望を表わす。中央の紋章に中米諸国のシンボル「自由の帽子」と、火山や海などが描かれている。両側は14の州を表わす14束の月桂樹の葉で囲まれており、円弧状に書かれている文字は「中央アメリカのエルサルバドル共和国」。国の標語Dios, Unión, Libertad(スペイン語: 神、団結、自由)面積:平方キロ21,040平方km(2011年)カリブ海諸国以外の米州大陸部全体では最小国家国の位置北西にグアテマラ、北と東にホンジュラスと国境を接しており、南と西は太平洋に面している。人口:千人5,900千人(2011年)人口密度:/平方キロ281人米州最高の過密で、特に首都が凄い。首都サンサルバドル(「聖救世主」を意味する都市)市域人口 :53万人(2005年)都市圏人口:210万人<国民の1/3が集中>市域人口密度:7,225人標高:658m東京からの大圏距離:12,508km時差:JST-15時間サマータイムなし民族スペイン系白人と先住民の混血約84%、先住民約5.6%、ヨーロッパ系約10%言語スペイン語宗教カトリック教政体立憲共和制元首カルロス・マウリシオ・フネス・カルタヘナ大統領(2009年6月~2014年5月、任期5年、連続再選禁止)→サルバドル・サンチェスセレン(元副大統領・元左翼ゲリラ)議会一院制、議員定数84名、任期3年政権首相名 首相職無し、外相名 ウゴ・ロヘル・マルティネス・ボニージャ軍事予算 126百万米ドル(2010年)、兵役 18カ月、志願、兵力 15,321人(陸軍13,850人、海軍700人、空軍771人)(2011年ミリタリーバランス)主要産業マキラ製品(保税区で生産された衣類等)、農業(コーヒー、砂糖等)<約250万人といわれる在米エルサルバドル人による家族送金は約35億ドル(2010年)にのぼり、中米地域ではグアテマラに次いで多く、エルサルバドル経済の下支えとなっている。>GDP:億ドル230.5億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル3,729ドル(2011年)実質GDP成長率1.5%(2011年)物価上昇率5.1%(2011年)失業率5.8%(2011年)<ネタ帳>財政収支/GDP比▼4.2%(2011年)政府総債務残高/GDP比50.8%(2011年)外貨準備高25億ドル(2011年)国家予算45億ドル(2011年)対外公的債務71億ドル(2011年)経常収支(国際収支)▼12.2億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼48.1億ドル(2011年)貿易額:輸出(FOB)A53.1億ドル(2011年)(対前年比15.3%)同 :輸入(CIF)B101.2億ドル(2011年)(対前年比16.0%)貿易品目:輸出繊維製品、コーヒー、砂糖 <ネタ帳>繊維製品、コーヒー、エチルアルコール同 :輸入原料・中間財(石油・肥料)、消費財、資本財(輸送機器)<石油16.9億ドル(16.7%)> <ネタ帳>石油、電機機器、自動車貿易相手国:輸出米国、中米諸国、ドイツ、カナダ(2009年) <ネタ帳>米、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ同 :輸入米国、中米諸国、中国、日本(2009年) <ネタ帳>米、グアテマラ、メキシコ、独、中国対日輸出44億円 内訳コーヒー、衣類等対日輸入123億円 内訳自動車、鉄銅、機械類、電気機器等主要援助国2009年西126百万ドル、米82,独18、ルクセンブルグ13,韓国4日本の援助実績2010年度まで有償:449億円無償:342億円技術:192億円世界遺産(文化遺産のみ)ホヤ・デ・セレンの古代遺跡(古代マヤ文明時代の村落が火山大噴火で埋没、1976年に発掘。住居遺跡が珍しい。)
Nov 10, 2012
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人口の9割をメスティーソが占め、白人は9%、先住民は1%で、 米大陸部で比較すると「国土」は、最小だが、「聖救世主」を 指す首都に人口の1/3が集中し、「人口密度」は最も高い。 国外に大量の移民(不法を含む)が住んでおり、彼等の 送金がGDPを支えている。 サッカーが盛んであり、「サッカー戦争」という本物の戦争が、 サッカーの中米地区予選の試合を契機に、1969年ホンジュラス との間に勃発したが、主因は「国境問題、移民問題」である。 政治における軍部の力が強く、1931年から1982年まで 軍・軍出身者の政治が続いた。 エルサドバドル共和国略史<外務省、WIKIPEDIAなど>年月略史先コロンブス時代インディヘナが居住、オルメカ文明(ゴムの国の人を意味し、巨石・宝石加工技術、ジャガー信仰を持つ)の影響を受ける。1世紀の火山噴火で、グアテマラの低地マヤ地域に避難、6世紀末に別の火山噴火で集落ホヤ・デ・セレンが埋没、10世紀マヤ系小王国が群立、ピピル族はクスカトランを首都にした統一王国を16世紀までに建設しつつあった。1524年スペイン人エルナン・コルテスの部下・アルバラードが征服を試みるが、インディヘナはこれに勝利し、グアテマラに撤退させる。1525年再びアルバラードが攻撃し、攻略した市をサンサルバドル(聖救世主)と改称、1528年にはこの国のほぼ全域が征服され、グアテマラ総督領に編入。農業、牧畜業が営まれ、グアテマラとともに開発が進んだ。1821年<1789年のフランス革命後、政治混乱の中でナポレオンのスペイン支配に対し、スペインおよび植民地での独立運動がおこり、グアテマラ総監領が1921年中央アメリカの連合州として独立、エルサルバドルも解放される。しかし、その翌日に独立した第一次メキシコ帝国に他の中央アメリカ諸国とともに併合される。>1823年中米諸州連合結成メキシコ帝国の崩壊後に旧グアテマラ総督領の5州は中央アメリカ連合州として独立。翌年には中央アメリカ連邦が成立。エル・サルバドル出身のホセ・アルセが初代大統領となるが、政治的混乱が起き、モラサン(自由主義者のエルサルバドル派)とカレーラ(保守主義者のグアテマラ派)の内戦でモラサン率いる政府軍が敗戦し、中米連邦は1838年崩壊。 1841年~「エルサルバドル」として暫定的に独立。(米合衆国への併合を求めたが拒否される)その後直ぐに、中米連邦再建を求めての内乱、グアテマラとの戦争が発生。また、ニカラグアでは、米人傭兵ウイリアム・ウオーカーが、環カリブ海帝国を夢見て英語公用語、黒人奴隷復活、米国人土地取得有利化などの法律を制定したため、中央アメリカ諸国はこれに対して反発し、「国民戦争」が始まる。英国や財閥の支援を受けて、コスタリカを中心の中央アメリカ連合軍の一員として、リバスの戦いでウオーカー軍を破り、1857年に打倒した。軍事政権が相次ぎ、その間、対外戦争、独裁打倒運動が行われ、コーヒー等のプランテーションが建設された。1872年から1898年にかけて、グアテマラに代わる中央アメリカの指導国家を目指して、ホンジュラス、ニカラグアと共に1896年に中央アメリカ大共和国を樹立するが1898年に崩壊。1907年~1907年メレンデス一族の独裁時に世界恐慌で主要産業・コーヒーが不振となり、クーデターによる独裁政権で、言論弾圧、「ラ・マンサの虐殺」(犠牲者3万人)が行われた。第一次世界大戦で親米派として加わるが、クーデターが相次いだ。1951年には「サン・サルバドル憲章」を中米5ヶ国で採択、1960年発足の「中米共同市場」の有力国となった。1962年国民協議党政権成立1966年大統領選挙でエルナンデス政権が発足し、安定化1969年「サッカー戦争」国境紛争、農業移民、経済摩擦など諸問題で不和だった、ホンジュラスとサッカーの試合を原因に勃発。戦後、30万人もの移民が送還された。1973年には選挙結果捏造、極右テロで「汚い戦争」となり、中米No.1工業国としての地位から没落。1979年ロメオ政権がクーデターで打倒され、革命評議会発足(ニカラグアのサンディニスタ革命と同時期)聖職者までも殺害の極右テロに対し、左翼ゲリラ組織ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)が抵抗運動を起こし、エルサルバドル内戦が勃発。暫定政府の米国支援要請で、ロナルド・レーガン米大統領が、「中米紛争」に「エルサルバドル死守」を外交命題に掲げて介入し、1982年に一時的に政府・革命勢力間連立は成功したものの、政府軍対FMLNとの内戦は泥沼化。1984年にナポレオン・ドゥアルテ大統領(民族主義共和同盟ARENA右派)がFMLNと首脳会談したが内戦状態は継続。<政府軍とゲリラ勢力間の内戦での戦死者延べ75千人>1989年クリスティアーニ大統領就任(民族主義共和同盟ARENAの治安改善、社会経済開発、教育開発取組は、比較的高い支持率を維持するも、内戦は収拾できず。)1992年和平プロセスの国連監視・検証のもとで、政府とゲリラ(ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)は合法政党化)の間で和平合意調印、内戦終結<国連平和維持活動PKOの成功例として高い評価>1994年カルデロン大統領(ARENA)就任。FMLNは第二党となる。1998年<和平合意の完全履行を宣言>1999年フローレス大統領(ARENA)就任2001年1月及び2月に大地震が発生、死者1,259人、被災者150万人。<ドル化政策で通貨「コロン」に代わり「米ドル」を自国通貨として流通。>2003年<親米政策からラテンアメリカからイラク派兵を行った唯一の国となる。(2008年末まで駐留)>2004年サカ大統領(ARENA)就任2009年~フネス大統領(FMLN)就任。得票率51.32%で対立候補アビラ(ARENA)は48.68%と接戦。貧困層支援、格差是正など社会的公正を政策目標。2009年1月国会議員選挙ではFMLNが35議席(/84議席)を獲得したが、2012年3月議員選挙では31議席に減少、ARENAが33議席で第一党に返り咲いている。(エルサルバドル その2 に続く)
Nov 10, 2012
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(ニカラグア その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ニカラグア共和国スペイン侵略に立ち向かった、先住民の一つ、ニキラノ族の首長「ニカラオの地」がその由来 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)85位通貨コルドバ1米ドル=22.4コルドバ(2011年)国花ハナシュクシャ(ホワイト・ジンジャー)国旗エルサドバドルの国旗やホンジュラスの国旗同様、中米連邦の旗に基づいたデザインである。中央に国章が配置されている。国章には "REPUBLICA DE NICARAGUA" "AMERICA CENTRAL"(中央アメリカ・ニカラグア共和国)と記されている。三角形の中には、中米連邦各国を表す五つの火山と、平和の象徴である虹、自由の象徴である分離独立主義者の帽子がデザインされている。 国の標語En Dios Confiamos(スペイン語: 我々は神に託す面積:平方キロ129,541平方km北海道+九州の広さ国の位置北西にホンジュラス、南にコスタリカと国境を接し、東はカリブ海、南西は太平洋に面している。また、カリブ海にコーン諸島やミスキート諸島を領有している。人口:千人5,870千人(2011年)人口密度:/平方キロ45人首都マナグア市域人口:185万人(2006年)東京からの大圏距離:12,848km時差:JST-15時間サマータイム無し民族混血70%、ヨーロッパ系17%、アフリカ系9%、先住民4%言語スペイン語宗教カトリック政体共和制元首ダニエル・オルテガ・サアベドラ大統領(任期5年、連続再選禁止)最高裁で再選禁止規定は憲法上の平等原則に抵触するとして、再選が認められた。議会一院制、議員数92名、任期5年政権首相名 首相職無し、外相名 サムエル・サントス・ロペス<移民、貿易面では米国との深い関係は維持されているが、米州人民ボリバル同盟(ALBA)でのベネズエラ、キューバとの緊密化、イラン、ロシアとの関係強化にある。台湾との外交あり。特にベネズエラから巨額の経済援助を受けている。重債務貧困国認定で対外債務60億ドル中45億ドルの債務免除を2004年に受けている。中南米に於ける最貧国の一つ。>軍事予算 53百万ドル(2011年)、兵役 徴兵制なし(チャモロ政権の時代に廃止)、兵力 12,000人(陸軍10,000人、空軍1,200人、海軍800人)(2012年:ミリタリーバランス)主要産業農牧業(コーヒー、牛肉、落花生、サトウキビ、とうもろこし、米、バナナ)、マキラ製品(保税区で生産された衣類等)GDP:億ドル73億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル1,239ドル(2011年)実質GDP成長率4.7%(2011年)物価上昇率<数字が不一致で日本大使館情報からネタ帳の値を採用>7.4%(2011年推定値、ネタ帳)失業率6.3%(2011年)財政収支/GDP比0.5%(2011年)政府総債務残高/GDP比70.7%(2011年)外貨準備高17.1億ドル(2011年)対外債務残高 40.7億ドル(2011年)経常収支(国際収支)▼13.1億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼20.7億ドル(2011年)貿易額:輸出(FOB)A40.6億ドル(2011年)同 :輸入(CIF)B61.3億ドル(2011年)貿易品目:輸出コーヒー、牛肉、金、砂糖(2011年)同 :輸入消費財、中間財、石油製品(2011年)<原油輸入12.2億ドル(19.9%)ネタ帳>貿易相手国:輸出米国、エルサルバドル、ベネズエラ、ホンジュラス、コスタリカ(2011年)同 :輸入米国、ベネズエラ、コスタリカ、メキシコ、グアテマラ(2011年)対日輸出25.4億円(2011年) 内訳コーヒー、肉類、ゴマ、下着類(2011年)対日輸入 78.4億円(2011年) 内訳機械類、自動車等(2011年)主要国援助国2009年、単位:百万ドル西143、米89,蘭31、独29、スウェーデン28日本の経済援助2010年度まで有償:211億円無償:710技術:196世界遺産(文化遺産のみ)レオン・ビエホ遺跡群(火山噴火前の旧・レオンの意で、初期スペイン・コロニアル様式の遺構がある)レオン大聖堂(火山噴火後に移転したレオンに建設された、アメリカ大陸最古の教区の一つ、レオン教区の司教座聖堂。スペイン建築とラテンアメリカの地域的特性の融合の優れた例)
Nov 9, 2012
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1937年以降のソモサ一族による、長い独裁政権から、 ニカラグア革命を経て左翼化が進みすぎ、経済面では 1.3万%ものハイパーインフレ、貧困化を経て、一時は 親米化に方向転換し、その後、再び左翼化しているが、米国と の深い関係は維持している。 現大統領の再選問題では、「再選禁止規定と憲法下での 平等原則が相容れず、再選禁止規定は無意味」という、 最高裁判決となり、この国では「再選結果オーライ」である。 重債務問題を抱え、中南米で最貧国の一つであるが、 ベネズエラの巨額の支援が幸いし、維持できている。 人間開発報告書を見ると、18~29歳の失業率が、30歳以上 の失業率に比較して2.3倍と深刻である。 資料が錯綜して(小生の頭が付いていけず)、サマリーが旨く 行かないかも知れないが、これこそ、脳幹梗塞のリハビリ。 しかし、この作業は意外に疲れ、リハビリとはならないとの 心配もつきまとう。 毎日一国の写経日記は小生には難しい。 三日一国、一週間一国が呆け老人には適度の脳運動かも。 原則、写経なので、オリジナリティは全く期待できないが。ニカラグア共和国略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史先コロンブス時代チブチャ系諸族の居住地で、北方のトルテカ族、アステカ族の影響を受け、美しい陶器、石像が残る。アステカ帝国最南端交易所があり、中米地峡の北・南を繋いだ。1502年コロンブスにより「発見」インディヘナのニキラノ族のニカラオが侵略に立ち向かうが、征服者フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバの過酷な支配に置かれ、金鉱山、カカオ栽培などでの奴隷労役を強いられて、疫病(天然痘)、虐殺で人口はほぼ絶滅した。これにかわり、アフリカから黒人奴隷が投入された。1573年グアテマラ総督領に編入ヌエバ・エスパーニャ副王領のグアテマラ総監領の一部として農業、牧畜業が営まれたが、ホンジュラスやコスタリカと並んで開発は立ち後れた。メスティーソ(白人とインディオの混血)が増えていった。1821年独立宣言グアテマラ総監領が中央アメリカの連合州として独立し、翌日には第一次メキシコ帝国に併合される。1823年メキシコ帝国の崩壊後に旧グアテマラ総督領の5州は中央アメリカ連合州として独立。翌年には中央アメリカ連邦が成立。エル・サルバドル出身のホセ・アルセが初代大統領となるが、政治的混乱が起き、モラサン(自由主義者のエルサルバドル派)とカレーラ(保守主義者のグアテマラ派)の内戦でモラサン率いる政府軍が敗戦し、中米連邦は1838年崩壊。1838年完全独立(中米連邦の再独立)自由主義派・レオン(ニカラグアの都市)と保守主義派・グラナダ(ニカラグアの都市)の主導権争いが続き、1853年グラナダ出身の保守主義者フルート・チャモロが大統領で収束するかに見えた。1854年米国南部人・傭兵出身ウイリアム・ウオーカーが自由党傭兵として上陸、混乱に乗じて支配権を掌握し、1956年大統領に就任した。環カリブ海帝国を夢見て英語公用語、黒人奴隷復活、米国人土地取得有利化などの法律を制定した。中央アメリカ諸国はこれに対して反発し、「国民戦争」が始まる。英国や財閥の支援を受けて、コスタリカを中心の中央アメリカ連合軍は、リバスの戦いでウオーカー軍を破り、1857年に打倒した。以後は、保守党政権が続いた。1893年自由党のホセ・サントス・セラヤ政権米国資本の援助で鉄道建設を行い、1894年大西洋側にあるイギリス領・ミスキート王国を米国支援で併合、両大洋に面する国家となり、グアテマラに代わる中央アメリカの指導国家を目指して、エル・サドバドル、ホンジュラスと共に1896年に中央アメリカ大共和国を樹立するが1898年に崩壊。その後、独裁者として長期政権を維持するも、1909年米政府を激怒させ失脚。1927年セラヤ失脚後は様々な政権が交代し、中米地峡運河建設計画でのパナマ案と並んで候補にあったニカラグア案は放棄され、1927年に保守党ディアス政権に対する自由党・モンカーダらの戦争開始・停戦となる。停戦後に、選挙監視で上陸した米海兵隊と、停戦に応じない自由党のサンディーノ将軍が衝突、サンディーノ戦争は「ニカラグア国家警備隊+海兵隊+ラテンアメリカ諸国軍」VS「サンディーノ軍」が密林の中でのゲリラ戦へと展開するが、互いに決め手が無く、選挙監視任務終了、世界恐慌での駐留費用捻出がままならず、1933年米海兵隊は撤退して戦争は終結。翌年サンディーノは米国子飼いの国家警備隊長ソモサに暗殺される。1936年ソモサ将軍政権掌握クーデターアナスタシオ・ソモサ・ガルシア (1937-1947,1950-1956)ルイス・ソモサ・デバイレ (1956-1963)アナスタシオ・ソモサ・デバイレ (1967-1972,1974-1979)<ソモサ一族の独裁政治(ソモサ王朝1936-1979)。傀儡大統領を据えて政治と国家を私物化、第二次世界大戦では「敵性国民」を理由に独系地主財産没収や、隣国との紛争をコスタリカ2度、ホンジュラスと1度起こした。1972年マナグア大地震が首都を壊滅させ、世界中からの義捐物資を一族が着服したことで国民の不満は一層高まった。>1979年サンディニスタ革命<第一次ニカラグア内戦=「ニカラグア革命」><1978年1月に反体制派新聞の社長ペドロ・ホアキン・チャモロが政府により暗殺され国民の不満は頂点に達し、武装蜂起したサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)は中道・左派の幅広い結集と、ラテンアメリカ諸国、国際社会を味方に付け、大統領はマイアミに亡命し、ソモサ王朝は43年間の幕を閉じた。>1981年米国レーガン政権が発足し、反革命武装勢力「コントラ」支援、ニカラグア経済制裁」始まる。<第二次ニカラグア内戦>1984年大統領選挙(革命政権「国家再建会議」からの民政移管)1985年オルテガ大統領就任(FSLN)党首で再建会議議長のオルテガは大統領になるや、鉄道接収、大規模な私有財産の接収、弾圧を行い、知識人・富裕層は米国へ亡命し、中米一の繁栄を誇った経済は破壊された。1986年米国のコントラ支援の増強が、イランへの武器輸出代金に流れていることが発覚(イラン・コントラ事件)。第一次オルテガ政権末期のGDPはソモサ末期1979年の3割以下に低下。<年平均インフレ率10年推移 571%、885%、13110%、4775%、7428%、3004%、116%、21.6%、13.5%、3.7% 出所:ネタ帳>1988年前年の中米和平合意に基づき、1988年暫定停戦合意。1990年2月国連監視下での大統領選挙1990年4月チャモロ大統領就任(UNO)<初の女性大統領「国民野党連合(UNO)のチャモロ政権が成立、親米保守派で、平和構築、民主化、経済自由化の大変革に着手。僅差で敗れたオルテガは弟を国軍最高司令官に就任させ、国軍のクーデターの動きは制した。>1997年1月アルノルド・アレマン大統領就任(AL)ニカラグア自由同盟(AL、中道右派連合)<アレマン政権(元ソモサの部下)が発足。同時にオルテガの養女へのセクハラなどFSLN幹部のスキャンダルでサンディニスタ革新運動が分裂。>2002年1月エンリケ・ボラーニョス大統領就任(PLC)前・副大統領。旧アナスタシオ・ソモサ・デバイレ(ソモサ王朝最後の大統領、中米のアミンと呼ばれる)の流れを継ぎ、アレマンとニカラグア自由同盟(AL)の影響の強い立憲自由党(PLC)から選出される<前大統領アレマンを汚職疑惑で拘束したが、自らの在任時に「勤務実績のない親族に公務員給与を数千万円支払う」という、汚職疑惑が社会問題化。>2007年1月オルテガ大統領就任(FSLN)<カトリック教会を味方に付けて貧困撲滅を訴えて、38%の得票率をえて17年ぶりの復帰。2008年の統一市長選挙で与党FSLNが7割の市長ポストを獲たことに疑念が国内外からでる。>2012年1月オルテガ大統領再任(FSLN)<「大統領の連続再選は憲法違反」との非難が出たが、60%の得票率での当選(再選)で、国会議員選挙でも与党FSLNが68%の議席を占めた。選挙監視団(OASやEUから派遣)は不正、不規則的事項を多数指摘し、改善を求めた。同国の最高裁の判断は、「憲法の連続再選禁止規定」は「憲法の法の下の平等の原則」に抵触し、規定適用は不可である、というもので再選の道が開かれた。>(ニカラグア その2 に続く)
Nov 9, 2012
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(コスタリカ その1 から続く)<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名コスタリカ共和国 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)13位通貨コロン(¢)1米ドル=505.7¢(2011年平均)クリストファー・コロンブスに因む呼び名。エルサルバドルも同じ名称「コロン」であるが単位が異なることに注意。国花カトレア国旗<国旗販社:さらご>かつての中央アメリカ連邦の旗に、フランス革命にちなんだ自由を象徴する赤を加えており、赤は自由を勝ち取るために流された血、白は平和、青は澄みわたる空を表わす。紋章に描かれているのは、観光資源にもなっている3つの火山(イラス火山、ポアス火山、アレナル火山)、太平洋とカリブ海、帆船など。民間の使用時は紋章なし。 面積:平方キロ51,100平方km九州+四国の大きさ国の位置中央アメリカ南部に位置する共和制国家。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接し、南は太平洋に、北はカリブ海に面している。人口:千人4、720千人(2011年)人口密度:/平方キロ92人首都サンホセ人口:335千人(2008年)標高:1,200m東京からの大圏距離:10,904km時差:JST-15時間サマータイムなし民族スペイン系及び先住民との混血95%、アフリカ系3%、先住民他2%言語スペイン語宗教カトリック教(国教、但し信教の自由あり)政体共和制元首ラウラ・チンチージャ・ミランダ大統領<社会主義インターナショナルに加盟する国民解放党からの立候補だが、彼女のカトリック信仰を反映した社会的価値観(なかでも中絶や同性愛への対応や政教分離原則)から保守的信条の人物として知られる。WIKIPEDIA>(2010年5月~2014年5月、任期4年、8年以上間隔後は再選可能)議会一院制(57名)(任期4年、連続再選禁止)国民解放党(PLN)24議席、市民活動党(PAC)11議席、自由運動党(ML)9議席、キリスト教社会連合党(PUSC)6議席、排除無き参画党(PASE)4議席、その他3議席 政権第一副大統領 アルフィオ・ピヴァ第二副大統領 ルイス・リバーマン外相名 ホセ・エンリケ・カスティージョ・バランテス与党:PLN議席は過半に届かず、野党との対話を重視。軍事治安予算:約215百万ドル(2010年)、兵役:なし、兵力:1949年憲法により常備軍を禁止。(ミリタリーバランス2011)主要産業農業(コーヒー、バナナ、パイナップル等)、製造業(集積回路、医療品)、観光業<1998年に米国インテル社がフリーゾーン制度を利用しマイクロプロセッサー製造開始。>GDP:億ドル410億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル8,678ドル(2011年)実質GDP成長率4.2%(2011年)物価上昇率4.7%(2011年)失業率7.7%(2011年)財政収支/GDP比▼4.3%(2011年)政府総債務残高/GDP比30.8%(2011年)外貨準備高46.5億ドル(2011年)対外公的債務103.1億ドル(2011年)経常収支(国際収支)▼21.8億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼58.1億ドル(2011年)貿易額:輸出A104.1億ドル(2011年)(前年比10.2%増加)同 :輸入B162.2億ドル(2011年)(前年比19.5%増加)貿易品目:輸出集積回路、自動データ処理機械部品、バナナ、パイナップル同 :輸入燃料製品<原油:13.3%>、集積回路、自動車貿易相手国:輸出米国、オランダ、中国、中米諸国同 :輸入米国、メキシコ、中国、日本対日輸出3.27億ドル(2009年)190億円(2011年) 内訳集積回路68.2%,オフィス機器14.4%,コーヒー5.8%,医療用・獣医機器2.4%,果物・野菜ジュース1.2%(2009年)コーヒー、集積回路等(2011年)対日輸入4.59億ドル(2009年)675億円(2011年) 内訳集積回路68.3%、乗用車7.8%、鉄・非合金鋼フラットロール3.7%,オシロスコープなど測定・検査機器2.4%,自動車部品1.7% (2009年)自動車、自動車部品、電子部品、機械類等(2011年)直接投資受入額20.5億ドル(2011年)日本企業投資計(1951-2004年)79百万ドル主要援助国(2009年) 日:58百万ドル、独:15、西: 9、仏: 5、蘭: 4日本の経済援助2010年度まで有償:662億円無償: 53技術:203世界遺産(自然遺産)・タラマンカ山脈=ラ・アミスター保護区群と同国立公園(パナマに跨る)・ココ島国立公園(南西550kmの東太平洋上)・グアナカステ保全地域(国土の北部にある国立公園)
Nov 8, 2012
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Satisfaction With Life Index でも13位の高位にあり、 国の名前も「豊かな海岸」で美人が多いという。 通貨コロンは有名なコロンブスに因むが、エルサルバドル通貨 と同じ名称でも単位は別物。 チリ、ウルグアイとともにラテンアメリカで最長の民主主義伝統 をもつ国で、中米では政治経済が例外的に安定、良好だったが、 1990年代以降は麻薬横行、治安悪化にある。 中米紛争の解決に尽力したアリアス大統領にノーベル平和賞 が授与された。 コスタリカ共和国略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史先コロンブス期BC900~BC300の遺跡から見ると、メソ・アメリカの一部として、チブチャ系民族、ナウアトル文化の交錯地帯にあり、その後アステカ帝国に服属、中央アメリカと南米の交易を仲介し、カリブ人も居住。1502年コロンブスにより「発見」、上陸(リモン湾付近)約40万人の先住民が居たと推測される。1538年パナマ市に置かれたスペイン・カスティーリャ王国のアウディエンシアから管理を受け、1542年ヌエバ・エスパーニャ副王領(パナマ地峡以北の西班牙領土)下のグアテマラ総監領の辺境の地に編入される。中央盆地に建設されたカルタゴが中心となる。1570年征服者フランシスコ・フェルナンデス・デ・コルドバにより内陸部もスペイン領となったが、疫病が発生、人口はわずかに1万人ほどになり、最辺境の地として孤立した。カカオ・プランテーションが築かれ、海賊の攻撃を時々受ける。19世紀初頭までにコーヒーがいち早く導入された。1821年1789年仏革命後の1808年スペインにナポレオンが進駐し、その兄を皇帝にするや、スペイン独立戦争動、植民地での解放戦争へと発展し、各地のクオーリョ達はメキシコや南米で共和国が独立を果たした。1821年グアテマラ総督府(中米)、スペインより独立し、中央アメリカ連合州となる。翌日に独立した第一次「メキシコ帝国」(アグスティン・・イトゥルビデ皇帝)により1822年他の中米諸国とともに併合される。1822年から23年(第一次)メキシコ帝国への併合時代1823年メキシコ帝国の崩壊に伴い、チアバス州を除く旧グアテマラ総監領5州は中央アメリカ連邦として独立。この過程でカルタゴが内戦でサンホセ軍に敗れ、サンホセにコスタリカの中心が移る。1838年中央アメリカ連邦はエルサルバドル派(自由主義者)とグアテマラ派(保守主義者)の内戦を経て、諸州が独立を宣言し、当地はコスタリカ共和国として分離独立1842年コスタリカ共和国の大統領となったモラサン(ホンジュラス出身)は中米連邦の元大統領でもあり、中米連邦再建のためニカラグアに進攻を準備中に暗殺された1856年隣国ニカラグアで、元・米国南部人傭兵隊長ウオーカーが大統領となるや、中米4国はその排除に向けて、英・米財閥支援の中「国民戦争」を勝ち抜いた。1870年自由主義者トマス・グアルディア将軍のクーデター政権で、一院制議会、大統領強権が認められ、翌年憲法が制定され、1948年までの民主的な社会を形成する素地が出来た。コーヒー・プランテーションの拡大。1980年には輸出の8割がコーヒー。バナナ・プランテーションにも力を入れ始める。(1905年にはバナナは輸出の6割を占めた。)1882年自由主義の継承者ベルナルド・ソト1889年カトリック教会と結託した保守派ホセ・ロドリゲスに選挙とデモで破れる<自由主義の終焉>1917年第一次世界大戦による輸出入減、前年の所得税導入からフェデリコ・ティノコ・グラドーナス将軍がクーデターを起こす。2年後に米国の圧力で独裁制は崩壊。1921年米国の支持の下で、隣国パナマとの「コト戦争」で領土を得る1936年1929年の世界恐慌はモノカルチャー経済に、コーヒー価格低落が深刻な打撃を与えて、1936年大統領選挙でレオン・コルテスが国民共和党(PRN)から出て、ファシズム化した。1940年大統領選挙で社会民主主義のカルデロン・グアルディア政権誕生。労働者や中間層寄りの政策、太平洋戦争では米国に先駆けて枢軸国に参戦。1948年1944年にカルデロン党が続いて大統領選を獲たのち、4年後の選挙では与党カルデロンと野党ウラテとの一騎打ちで、ウラテの勝利が確定したが、与党は選挙結果を無効とした。選挙結果の不正に対して野党のフィゲーレスがグアテマラ大統領フアン・ホセ・アレバロの支援下で反乱、コスタリカ内戦が6週間起こり、フィゲーレスが勝利、ニカラグアからの旧政府軍の再侵攻を打倒した。1949年現行憲法制定(親米を基調とし、常備軍隊保有を禁止、警察への移行、女性・黒人の政治参加承認)1953年国民解放党(PLN)フィゲーレスが大統領になり、「教育国家」に転換1955年元大統領ピカードの息子・ピカード二世がニカラグア大統領ソモサの支援により進攻してきたが、コスタリカ武装警察はOAS(米州機構)の仲介でこれを武装解除した。1962年バナナ、コーヒー輸出に加えて、外資による工業化を達成し、2年前に成立した「中米共同市場」にグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアに次いで参加1965年ドミニカ共和国の内戦に対し米国リンドン・ジョンソン大統領が反共を掲げて海兵隊を派遣、ブラジルを主体とした占領軍にコスタリカは警察隊を派遣した。1978年ニカラグアのソモサ一族による(親米)独裁政権を嫌っていたため、同国でサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が全面蜂起するとコスタリカはこれを支援し、ニカラグア革命を支えた。FSLN内の対立、急激な左翼化に失望して、パストラ司令官(愛称:コマンダンテ・ゼロ)がコスタリカに亡命すると、彼を中心の反革命武装組織(コントラ)・民主革命同盟(ARDE)が組織され、同国は米国の対ニカラグア作戦基地となった。1986年モヘン大統領を破り就任したアリアス大統領(国民解放党(PLN))は、米国の対ニカラグア強硬政策を良しとせず、また、ARDE基地をも撤去し、中米紛争そのものの解決に尽力した。1987年アリアス大統領ノーベル平和賞受賞1990年カルデロン大統領就任中道右派のキリスト教社会連合党(PUSC)から1994年フィゲーレス大統領就任中道左派の野党国民解放党(PLN)から1998年ロドリゲス大統領就任中道右派のキリスト教社会連合党(PUSC)メキシコ実業家からの不正献金のスキャンダル、2001年9.11テロ後は米国のアフガニスタン攻撃を支持2002年パチェコ大統領就任中道右派のキリスト教社会連合党(PUSC)2003年のイラク戦争開始時に米ブッシュ政権支持声明に署名するも、自国の平和憲法精神や国際法に反するとして、最高裁に敗訴し、米国支持は無効となる。カルデロン、ロドリゲス元大統領は2005年汚職の罪で逮捕さる。2006年5月アリアス大統領再任国民解放党(PLN)から連続再選ではない大統領再任2010年5月チンチージャ大統領就任(初の女性大統領)国民解放党(PLN)のラウラ・チンチージャ前副大統領が大差で当選(コスタリカ その2 に続く)
Nov 8, 2012
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(パナマ その1 から続く) 主要産業第3次産業(パナマ運河運営、コロン・フリーゾーンを経由しての中継貿易、国際金融センター、便宜置籍船制度、商業等がGDPの約8割を占める。パナマ運河の通航量は年間約1万4,000隻(平均約40隻/日)。利用国順位は、米国、中国、チリ、日本、韓国の順。食糧加工品、石油、医療、雑貨、工業製品等の消費財、生産財の大半を輸入に依存しており、貿易収支は恒常的に赤字。)GDP:億ドル306.8億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル8,514ドル(2011年、JETRO)実質GDP成長率10.6%(2011年)物価上昇率 5.9%(2011年)失業率 4.5%(2011年)財政収支/GDP比▼2.4%(2011年)政府総債務残高/GDP比37.8%(2011年)対外公的債務残高107.8億ドル(2011年)経常収支(国際収支)▼27.9億ドル(2008年)▼39.1億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)▼47.1億ドル(2008年)貿易額:輸出(FOB) 11.4億ドル (2008年)7.9億ドル(2011年)同 :輸入(CIF) 90.5億ドル(2008年)113.4億ドル(2011年)貿易品目:輸出(FOB)魚類24.8%,メロン10.2%,バナナ8.6%,スイカ8.5%,エビ3.5%,パイナップル3.2%(2008年) 魚類、バナナ、スイカ、エビ類、パイナップル、鉄くず(2010年) 同 :輸入(CIF)消費財45.1%(燃料・潤滑油20.6%,非耐久11.1%,半耐久6.9%,家庭用品6.5%),中間財29.5%(工業用原料15.2%,建設資材10.8%)資本財25.5%(建設機械など8.9%,輸送・通信機器8.4%、その他資本財) (2008年) 電気製品・部品、鉱産品、食料品、輸送機器、化学製品(2010年) 貿易相手国:輸出(FOB)米38.0%,蘭10.7%,コスタリカ、スエーデン5.5%,英5.4%,西5.0%,中4.3%,台湾4.1%,伊2.6%、コロンフリーゾーン1.7%(2008年) 米国、カナダ、スウェーデン、コスタリカ、中国、台湾、オランダ(2011年)同 :輸入(CIF)米29.6%,原油フリーゾーン15.1%,コロンフリーゾーン9.3%,コスタリカ5.0%,中5.0%,日4.3%,墨3.5%,コロンビア3.0%,韓国2.9%,グアテマラ1.7% (2008年) 米国、中国、コスタリカ、コロンビア、メキシコ、韓国、スペイン、日本(2011年)原油輸出20.5億ドル(2011年)原油輸入23.3億ドル(2011年)原油輸出入差▼2.8億ドル(2011年)対日輸出0.18億ドル(2008年) 1.8億ドル(2009年) 236億円(2011年) 内訳工業製品43.3%,(船舶類40.0%),原料品31.1%(金属原料12.8%,植物性原料11.1%,動物性原料7.2%),食料品等20.6%(肉類6.7%,コーヒー5.0%,魚介類3.9%) (2008年) 船舶、コーヒー、牛肉、エビ、植物(2011年) 対日輸入 108.5億ドル(2008年) <便宜置籍船 101.0億ドル> <実際の輸入 7.5億ドル> 128.5億ドル(2009年) 1兆1896億円(2011年) 内訳工業製品99.9%(船舶類93.1%,乗用車類1.9%,ショベルカー・ブルドーザー等1.0%,など)工業製品以外0.1% (2008年) 船舶類95.6%,自動車類1.1%、など(2009年) 船舶、乗用車、一般機械、電気機械(2011年) <船舶輸入は[便宜置籍船]であり、これを除くと2008年の実際の輸入は7.53億ドルであり、内訳は乗用車類26.8%,ショベルカー・ブルドーザー等14.6%、トラック6.9%,エンジン・関連部品6.1%,ビデオ・デジタルカメラ5.4%,医療・医薬品3.0%,自動車部品2.9%,バス2.5%となる>日本のパナマ利用パナマ運河の第4位の利用国であるとともに、コロン・フリーゾーン(保税地域)の第9位の利用国として、更には便宜置籍船登録(日本船舶の約7割がパナマ船籍)コロン・フリーゾーン再輸出(FOB) 96.2億ドル再輸出仕向国ベネズエラ23.1%,コロンビア14.1%,パナマ8.7%,エクアドル4.8%,ドミニカ共和国4.7%,コスタリカ4.5%,グアテマラ4.0%,米国3.5%,キューバ3.1%,プエルトリコ3.0%(2008年)コロン・フリーゾーン一時輸入(CIF) 90.6億ドル 一時輸入仕向国中国21.8%,台湾19.2%,香港15.1%,米国10.2%, シンガポール4.1%,日本2.9%,墨2.4%,スイス2.1%,仏2.0%,英1.7% (2008年)直接投資受入高 23.6億ドル(2011年)日本企業投資累積1951年-2004年338億ドル主要援助国2009年日本 34百万ドル米 17西 6日本の経済援助2010年度までの累計有償:323億円無償: 35億円技術:275億円日系企業進出三菱商事、伊藤忠商事、ソニー、パナソニック、日本ビクター、シチズン、セイコー、NTN、ニプロ、ヤマハ、五洋建設、キャノン、パイオニア、川崎汽船など34社便宜地籍制度に伴う投融資、海運のほか、コロンフリーゾーンへの投資が中心。世界遺産(文化遺産)パナマのカリブ海側の要塞群:ポルトベロとサン・ロレンソパナマ・ビエホとパナマ歴史地区(附属博物館、大聖堂横の鐘楼など)世界遺産(自然遺産)ダリエン国立公園(コロンビアのロス・カティオス国立公園に続く)タラマンカ山脈=ラ・アミスター保護区群と同国立公園(コスタリカに跨る)コイバ国立公園とその海洋特別保護地域(太平洋沖の島)
Nov 7, 2012
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パナマは大西洋・カリブ海と太平洋を結ぶ、海洋運河 の重要交易ポイントである。パナマ運河は、仏人フェルディナンド・レセップス(スエズ運河開通成功者)がパナマ運河開発に失敗し、米国大統領ルーズヴェルトがその権利を取得、10年がかりで開通となる。コロンビアからのパナマ独立運動を米国が海兵隊で支援した経緯がある。パナマ運河は、中国にとっても、太平洋からパナマ地峡運河を経てカリブ海(さらに大西洋)に抜ける航路として重要となった。中継貿易や便宜置籍船(形式輸入)で統計が複雑である。詳細な統計資料を集めたいが、JETROはパナマは2008年までしかなく、古いので参考になりにくい。(JETROの資料は、コスタリカを探した時、なぜかアルゼンチンとしてのPDF資料が掲載されており、ミスか、もしかして誰かに改竄されているのか心配だ。)パナマ大統領一行がこの10月に来日したばかりだが、与党連合の連立が解消し、過半を抑えられず、今後の経済情勢を含めての不安定化が懸念・注目されている。パナマ共和国略史<外務省など>年月略史1501年スペイン人バスティーダ、パナマ地峡発見1821年大コロンビアの一州としてスペインより独立1903年コロンビアより分離独立1914年米国、パナマ運河完成1968年トリホス将軍、クーデターにより実権掌握1978年ロヨ大統領就任、民政移管1983年ノリエガ将軍が国軍最高司令官に就任1989年米国の軍事侵攻、ノリエガ将軍逮捕、エンダラ政権発足1999年モスコソ大統領就任、パナマ運河返還、米軍完全撤退2004年トリホス大統領就任(故トリホス将軍の実息)2009年マルティネリ大統領就任<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳、など>国名パナマ共和国 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)39位通貨バルボア1バルボア=1ドル(固定)国旗青と赤はコロンビア保守党(保守派)とコロンビア自由党(共和派)を表し、白は平和を表している。青い星はこの国の生活の純粋さと誠実さを表し、赤い星はこの国の権威と法律を表しているとされる。国の標語Pro Mundi Beneficio(ラテン語: 世界の福利のために)面積:平方キロ75,517平方km北海道よりやや小国の位置 北米大陸と南米大陸の境に位置する共和制国家である。北西にコスタリカと、南東にコロンビアに接し、北はカリブ海に、南は太平洋に面する。中米地峡を貫くパナマ運河が通っている。パナマ運河運河の規模は全長約80km、最小幅91m、最大幅200m、深さは一番浅い場所で12.5mである。1914年開通し、1999年末に米国管理を終えて、パナマに完全返還され、パナマ運河庁の管理下にある。運河中央に海抜26mのガトゥン湖があるため、閘門を3ヶ所設置し、24時間をかけて通過させている。NYからサンフランシスの航路20,900km余が12,500kmに短縮された。現在、航行量倍増などを目指した運河拡張計画を遂行中である。航行可能船規模が幅49m(現在33.5m)、長さ366m(現在294.3m)、深さ15m(現在12m)まで航行可能になる。人口:3,400,000人(2010年)3,590,000人(2011年)人口密度:/平方キロ48人首都パナマシティ人口:139万人(2000年)東京からの大圏距離:13,582km時差:JST-14時間サマータイムなし民族混血70%、先住民7% ほか言語スペイン語(公用語)宗教カトリック政体立憲共和制元首リカルド・マルティネリ・ベロカル大統領(任期5年、連続再選禁止)議会一院制(定員71名)政権2011年8月与党連合の解消・ 国会の構成は、民主変革党(CD):33議席、パナメニスタ(PP)党:20議席、民主革命党(PRD)17議席、他である。・ リカルド・マルティネリ大統領(民主変革党)が8月31日、フアン・カルロス・バレラ副大統領兼外相(パナメニスタ党)に対する外相辞任要求を突然発表し、これにより、両党による与党連合が解消。PPからの財務相、住宅相も退任した。・ 今後は与党より野党が多数派となり、2014年の大統領選挙が注目されている。 大統領 リカルド・マルティネリ・ベロカル外相 ロムロ・ルークスロイ運河担当大臣兼メトロ庁長官リナーレス海運庁長官以上を含む大統領一行が訪日(2012.10.21~24)軍事国防軍は、1989年12月の米軍侵攻をもって解体。新たに警察力を主体とした国家保安隊を設置。勢力12,000名(志願制)。(ミリタリーバランス2011年)、国家安全保障費269百万ドル(2009年)(パナマ その2 に続く)
Nov 7, 2012
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ギアナ高地が広がる地域には、おおまかに言って、英、蘭、仏 の「ギアナ三国」が存在する。 これらの地域は先住民、植民地支配者、奴隷、移民などが 複雑にからまり、民族構成は非常に複雑であり、多様な 生活様式、宗教などが満ちあふれている。 元英領ギアナは「ガイアナ(協同)共和国」、元蘭領ギアナは 「スリナム共和国」、元仏領ギアナは「フランス領ギアナ」となった。 仏領ギアナは南米唯一の非独立地域で仏の海外地域圏・海外県 となっている。 国ではないが、南米事情の最後、仏領ギアナを少し説明したい。 <資料出所:WIKIPEDIAなどWEB情報>海外地域圏名(海外県名)フランス領ギアナ Guyane française南米唯一の非独立地域仏・海外県(1946年に植民地から海外県に変更) 通貨ユーロ旗長方形の左からの対角線を境界として、上側が緑、下側が黄色、中心に赤い星がある。面積:平方キロ83,534平方km北海道並み仏領ギアナの位置南米北東部に位置するフランスの海外県ならびに海外地域圏(レジオン)。西にスリナム、南と東をブラジルと接し、北は大西洋に面する。面積は北海道とほぼ等しい。人口 A221,500人(2009年)人口密度:/平方キロ2人海外県・首都所在地カイエンヌ人口:58千人(2006年)人口密度:2458人東京からの大圏距離:15,346km時差:JST-12時間サマータイムなし言語仏語(公用語),仏語のクレオール語など民族クレオール人とアフリカ系黒人66%,ヨーロッパ(特に仏)入植者子孫12%,印僑12%,先住民インディオ3~4%,その他宗教カトリック54%、マルーン(逃亡奴隷)やインディオには独自宗教信奉者もいる元首と知事フランソワ・オランド仏大統領知事 アンジュ・マンシニ仏議会への派遣2人の議員を仏国民議会(下院)に、1人の議員を仏元老院(上院)に送っている主要産業仏経済に依存。最大の産業は漁業(輸出の3/4を占める)であり、金、木材が続く。ギアナ宇宙センター関連の産業がGDPの25%を占める。県GDP B23億ユーロ(2006年)一人当たりGDP=B/A10,400ユーロ失業率失業率は20%から30%と高い慢性的に抱える問題不法移民と、ブラジルとスリナムからの金の盗掘者の増加である。県とスリナムの国境は熱帯雨林の間を流れるマロニ川で、フランス国家憲兵隊とフランス外人部隊によるパトロールが困難である。 スリナムとの国境線は議論を呼んでいる。歴史この地域には古くから、カリブ族、アラワク族、エメリロン族、ガリビ族、パリクール族、ワヤンピ族(またはオヤンピ族)、ワヤナ族などのアメリカ州の先住民族が居住。1498年にコロンブスがギュイヤンヌ沿岸を航行し、1604年仏王アンリ4世の命でギアナ港が建設され、アマゾン調査後、仏入植者が小しずつ入り、1638年カイエンヌの町を建設、1664年から本格定住を開始。1667年ブレダ条約でギアナを蘭、英と分割。風土病で多くの死者を出す。18世紀末に仏立法府はギアナ流刑地を建設し、19世紀~20世紀半ばまでに政治犯を中心に囚人がギアナに送られ、「呪われた土地」、「緑の地獄」と言われて、沖合の流刑島・デビルズ島が特に悪名名高い。19世紀に一時ポルトガルに占領されたが、後に返還された。1858年から1900年のゴールドラッシュで金を求めて砂金採集者2万人超がギュイヤンヌ密林に入り、人口激増した。地理沿岸部に人口の大部分が居住、内陸部は熱帯雨林で近づきがたい。
Nov 6, 2012
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今夕は、大学OB会が運営する都内のホールまで、A教授の もとで理論経済学を学んだゼミテンの総会に出かけた。先生が亡くなり10年目、先生の奥さんが亡くなって22年目に当たる。 本日の出席者は、なぜか108人である。教え子達は大勢いるが、亡くなった人も40人近くおられて、まずは黙祷から始まった。大型プロジェクターで物故者の名前が並ぶのは初めてだ。小生達の同期ゼミテン16名中にもいわゆる物故者は2名。大勢の中には、先輩で懐かしいお顔が何人もいたが、小生が若い頃EPA経済研究所に出向中に、同じく出向していた大手製鉄業のS先輩が「あの時以来だな」と堅く握手してくれた。この会の会長は昨年亡くなり、新たな会長を10年近く若返らせた。新会長は、パソコン製・販業界の革新家で、若手の要望により勉強会、講演会などを開催するという。講師には、ゼミテンのなかにノーベル賞候補(?)の大教授や、その他大勢の教授達もいるので十分だろう。そう言えば、大教授の姿が見えないので聞いてみると、出張先の空港で転んで怪我をしたらしい。「ノーベル賞は死んで花実が咲くものか」で、無事の回復を祈る。ゼミテンの挨拶を聞いていると、女性知事らしい名や外国で活躍中の人物もおり、先生もあの世で喜んでいるだろう。先生は、超優秀な生徒を受け入れたが、さほど優秀でない暴れん坊も受け入れた懐の広い方である。現在の会の役員には、先生が顧問であった柔道部主将達が居て、元気に活き活きと会の発展に尽くしているのだ。先生は、学者としても、教育者としても優秀であった証明だ。人間には大器晩成型がいて、先生の指導を契機に社会に出てから、人一倍吸収して成長する、素晴らしい人物が大切だ。きっと、先生が「吸収する種」を与えてくれたに違いない。なんせ、経済成長論は先生の得意とする分野だ。超優秀なゼミテンは早死にしたりしており、柔道部主将などは社会では社長になったりして成功しており、長い目ではどちらがいいのか判らないのだ。 先生のお子さんは、小生達が学生の頃に3歳、0歳であったが、二人とも嫁ぎ、米国在住で、姉が今回帰国している。親に似て、見るからに美人で優秀な女性である。 小生は、本日、医者から食事療法を指導されたばかりであり、美味しい料理を横目に、お酒を舐めた程度であった。年金老人には会費が高すぎたが、数百万円の寄付を厭わない会長の気持ちに比べれば、はしたない気分を恥じ入るばかり。 年寄りのために、20時早々で切り上げ、先生の愛唱歌「鈴懸の径」を、ピアノ伴奏をバックに、全員で熱唱して、来年の再会を約して散会した。 A先生の「あ~っ。そう。」という、肯定的な反応に引き寄せられた若き、よき時代がみんな懐かしいのだろう。
Nov 5, 2012
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(スリナム その1 から続く)スリナム共和国資料出所<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名スリナム共和国国名は先住民のスリネン人に由来 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)32位通貨スリナム・ドル(SRD)(2004年1月、千ギルダーを1SRDとし、新通貨に交換)1米ドル=3.22 SRD(2011年)国旗緑・白・赤の5本の帯模様で構成されており、中央の赤帯内には黄色の星が描いてある。1975年11月25日の独立と同時に制定された。国の標語Justitia - Pietas - Fides(ラテン語: 正義 - 忠誠 - 敬虔な言行)面積:平方キロ163,820平方km日本の約半分国の位置など東にフランス領ギアナ、西にガイアナ、南にブラジルと国境を接し、北はカリブ海、大西洋に面する。 <国土の大部分がギアナ高地にあり、面積、人口共に南アメリカで最小の独立国である。人口の大部分は北部の沿岸低地地方に住み、国土の8割を占める南部は熱帯雨林からなり、サバナには人影がまばらである。>人口:千人530,000人(2012年)人口密度:/平方キロ3人首都パラマリボ市域人口:22万人(1996年)東京からの大圏距離:15,162km時差:JST-12時間サマータイムなし民族ヒンドゥー系37%、クレオール系31%、ジャワ系15%、マルーン系10%、先住民系2%、中国系2%、白人1%言語オランダ語(公用語)、英語、スリナム語、カリブ系ヒンディー語、ジャワ語<かつてはオランダ領ギアナとして知られており、南米で唯一のオランダ語を公用語とする国である。>宗教キリスト教(プロテスタント、カトリック等)、ヒンドゥー教、イスラム教等政体立憲共和制元首デシレ・ボータッセ大統領議会一院制(51名)任期5年政権現与党:メガ・コンビネーション(MC)党首大統領デシレ・ボータッセ外相名 ウインストン・ラッキン<現大統領は1980年代に軍政時代の実権者。反体制指導者虐殺事件(1982年)の主要容疑者として裁判継続中。また、麻薬密輸の容疑でオランダ政府の要請により国際指名手配中だが、大統領任期中は訴追免除とされている。ガイアナとの間で国境問題を抱えている>軍事予算 49百万米ドル(2010年 ミリタリーバランス2011)、兵役 志願制、兵力 1,840人(陸軍1,400人、海軍240人、空軍200人)(ミリタリー・バランス2011)主要産業鉱業(ボーキサイト、金、石油)、漁業(エビ)、農業(米、砂糖、バナナ)<ボーキサイト鉱山や新規油田開発が、国営石油会社、欧米系企業及び日本企業の提携により進められている。ボーキサイト産出のための電力源として、世界最大規模の人造ダム湖・アフォバッカダムがある>GNIGDP2450百万ドル(2008年)4550百万ドル(2011年)1人当たりGNI一人当たりGDP4,760ドル(2008年)8,457ドル(2011年)実質GDP成長率 5.1%(2009年) 4.1%(2011年)物価上昇率 15.3%(2011年)失業率 12.1%(2006年)財政収支/GDP比 0.9%(2011年)政府総債務残高/GDP比 19.1%(2011年)経常収支(国際収支)250百万ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B109百万ドル(2009年、財、FOB)貿易額:輸出A1404百万ドル(2009年、財、FOB)同 :輸入B1295百万ドル(2009年、財、FOB)貿易品目:輸出アルミナ、金、石油、木材、米、エビ、バナナ <金、ボーキサイト、原油を中心とする鉱産物が輸出総額の約8割を占める>同 :輸入設備資材、燃料、食料品、綿、消費材貿易相手国:輸出カナダ、EU、ベルギー、米国、アラブ首長国連邦、日本同 :輸入米国、EU、オランダ、トリニダード・トバゴ、中国、日本原油輸出 270百万ドル原油輸入 320百万ドル原油輸出入差 ▼50百万ドル対日輸出 6.0億円(2009年) 内訳冷凍エビ、冷凍水産品、木材、動物対日輸入 67.9億円(2009年) 内訳自動車、船外機主要援助国2008年蘭、仏、日本、カナダ、ベルギー日本の援助実績2010年度まで有償:なし無償:50億円技術: 7億円世界遺産パラマリボ市街歴史地区(オランダの名残で、旧総督府、大聖堂(南米一の木造建築)、砦がある。)中部スリナム自然保護区(手付かずの熱帯雨林と多様な生態系)
Nov 5, 2012
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本日は、国立病院の隔月診察日である。先日のめいてい会・箱根合宿での豪勢な食事、ここ最近すっかり忘れた「食事療法の付けが廻ってきた」ようだ。テニスでも奥さん達が持ち寄った「おやつ」を無遠慮に平らげていたからだ。箱根でお土産に買った、大振りの「チャーシュー」ブロック、金時まんじゅうも食べ過ぎた。* **生化学検査結果報告書***総コレステロール 233 H 参考128-219中性脂肪 223 H 参考30-149クレアチニン 1.23 H 参考0.6-1.1H と明記されているのが、高異常値である。年末の忘年会、新年会が控えているので、医者から早速、栄養管理士の指名と、同士による厳しい指導を受けた。タンパク質摂取減量でパン食から米食へ、肉類は少しだけ、塩分控えめなどが並ぶ「脳幹梗塞患者メニュー」である。運動はテニス、太極拳で十分だが、食事内容がタンパク質の摂りすぎ、塩分摂りすぎで、頭がジンジンしてきたのである。今日も久方ぶりに大学ゼミの同窓会があるが、節制せざるをえないだろう。取り敢えず、南米諸国編基本事情の「写経」を続ける。「スリナム」というと、昔々熱帯魚を飼育していた頃に、泥鰌顔の「掃除やさん」という「コリドラス・スリナムエンシス」(カワリナマズ科)の可愛い動きを思い出す。スリナムのコッベナム川に棲む5cmほどのまだら模様のカワリナマズ科の熱帯魚だ。一方「スナメリ」は体長2mに満たないネズミイルカ科のイルカであって、アジアの沿岸地域に棲む海洋性哺乳類であり、「スリナム」とは無関係だが、発音が不得意な、小生には間違いそうだ。「ギアナ」と「ギニア」の分別が付かない小生だから仕方がないだろう。スリナムは南米唯一の蘭語を公用語とする国である。 スリナム共和国略史<資料出所:外務省、WIKIPEDIAなど> 年月略史先コロンブス期先住民スリネン人が居住、16世紀にカリブ族の攻撃で追い立てられる15世紀末~スペイン人により「発見」され、16世紀に蘭、英、仏、西の探検家が探検。1650年英国植民地(タバコ栽培)1667年~オランダ植民地黒人奴隷によるタバコ栽培を行い、領有権の交換などで蘭の領有権が確定。オランダ人の奴隷の待遇の悪さから、脱走奴隷によるコーヒー、カカオ、サトウキビ、綿のプランテーション襲撃事件が頻発し、ヨーロッパ人と脱走奴隷(ボスネガー)は平和協定を結ぶに至る。1815年パリ条約で最終的にオランダ領1863年に奴隷制度は廃止、当地では1873年まで完全解放は待たねばならないが、奴隷から自由になると首都に流入し、不足した農園労働力として、オランダ領東インド(現在のインドネシア、特にジャワ島)、インドの契約移民、その後は中国、中東からの移民を受け入れ、多様な民族性、文化がもたらされている。1954年オランダ自治領1973年にNPK(多くが黒人やムラートのクレオールからなる政党)がオランダ政府と完全独立のための交渉を始める。1975年11月独立分離手当ては非常に実質的であり、独立後最初の10年間のスリナム経済の大部分がオランダ政府の対外援助からなった。1980年陸軍曹長デシ・ボーターセのクーデターが起き、社会主義化。ソ連、キューバと密接関係。1982年蘭の援助停止。1983年米国がグレナダに進攻(カリブ海の英連邦傘下の島国で、米国はじめジャマイカや東カリブ海諸国機構の軍が左翼政権を打ち倒した事件)。1986年ボスネガーの内乱勃発。1987年の総選挙で軍部が敗退。1988年民政復帰。ジャンカル大統領就任。蘭の援助再開。1990年ボーターセによる軍事クーデターが勃発、蘭は再び援助を停止、ジャンカルは退陣。1991年~総選挙でフェネティアン大統領が選出され、アメリカ合衆国とオランダとの関係を回復した。ボーターセ軍司令官が辞任(2010年、民選大統領として復権)した。(スリナム その2 に続く)
Nov 5, 2012
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(ガイアナ その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳など>国名ガイアナ共和国 Republic of Guyana憲法上は「ガイアナ協同共和国」だが、正式な名称として「ガイアナ共和国」を使用。 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)36位通貨ガイアナ・ドル(GYD)1米ドル=203.7(GYD)(2011年12月)国旗「黄金の矢尻(金鏃旗)」と呼ばれている。緑は農業・豊かな森林を表し、白は川と水資源を、黄は豊かな鉱物資源を、黒は忍耐を、赤は国家建設の熱情とダイナミズムを象徴している。国の標語One People, One Nation, One Destiny(英語: 一つの国民、一つの国家、一つの運命)面積:平方キロ215,000平方km本州よりやや小。南米で三番目に小さな国。<ベネスエラとは現ガイアナ領のグアヤナ・エセキバを巡ってイギリス領時代の19世紀から領土問題を抱えている。>国の位置 東にスリナム、西にベネズエラ、南にブラジルと接し、北はカリブ海、大西洋に面する。人口:千人761,000人()2010年人口密度:/平方キロ4人首都ジョージタウン市域人口:21万人東京からの大気圏距離:14,951km時差:JST-13時間サマータイムなし民族インド系(44%)、アフリカ系(30%)、混血(17%)、先住民族(9%)、その他(1%)言語英語(公用語)、クレオール語、ヒンディー語、ウルドゥー語<南米で唯一の英語公用語国>宗教キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教等政体立憲共和制、英連邦加盟国元首ドナルド・ラモター大統領議会一院制(65名)政権与党人民進歩党(PPP/C)首相名 サミュエル・A・ハインズ、外相名 キャロリン・ロドリゲス=バーゲット<カリブ共同体(カリコム)の一員として、カリブ海諸国との関係を重視。ベネズエラ及びスリナムとの間に国境問題がある。>軍事予算 67百万ドル(2008年)(ミリタリーバランス2010)、兵役 志願制、 兵力 1,100人(陸軍900人、海軍100人、空軍100人)、民兵組織1,500人、予備軍670人(陸軍500人、海軍170人)(ミリタリーバランス2010)主要産業農業(砂糖、米、ラム酒)、鉱業(ボーキサイト、金)、漁業(エビ)、テキスタイル(繊維製品)GNIGDP2491百万ドル(2010年)2580百万ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP3,300ドル(2010年)3,333ドル(2011年)実質GDP成長率3.6%(2010年)5.4%(2011年)物価上昇率2.1%(2010年)5.0%(2011年)失業率0.8%(2009年)財政収支/GDP比▼3.0%(2011年)政府総債務残高/GDP比65.2%(2011年)政府純債務残高/GDP比58.2%(2011年)経常収支(国際収支)▼350百万ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼819百万ドル(2010年)財FOB貿易額:輸出A446百万ドル(2010年)財FOB同 :輸入B1265百万ドル(2010年)財FOB貿易品目:輸出金、砂糖、エビ、米、木材、ボーキサイト(2009年)同 :輸入食品関係、燃料・潤滑油、各種機器(2009年)貿易相手国:輸出EU、米国、カナダ、ウクライナ、ジャマイカ(2010年)同 :輸入米国、トリニダード・トバコ、蘭領アンティル、スリナム、EU(2010年)原油輸入560百万ドル(2011年)対日輸出7億円(2010年) 内訳アルミニウム鉱、生きている鳥、ラム酒等蒸留酒(2010年)対日輸入 37億円(2010年) 内訳自動車、船外機(2010年)主要援助国2008年米、日本、英国、カナダ、ドイツ日本の援助実績2009年度まで有償:なし無償:131億円技術: 11億円世界遺産なしカイエトゥール国立公園(630平方km)やカイエトゥール滝(落差226m)が推薦されたが、規模や多様性で、他の世界遺産に比べて見ると条件が合わず該当しなかった。
Nov 4, 2012
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南米で唯一の英語公用語国で英連邦加盟国。 南米で3番目に小さな国であり、日本の本州より小さい。 現地語で「Guyana」は「豊かな水の地」の意。 ベネスエラとは現ガイアナ領のグアヤナ・エセキバ (159.5千平方km)を巡り英領時代の19世紀から 領土問題を抱えている。 残念ながらこの国で「世界遺産」の認定を受けたものはない。 ガイアナ共和国 略史<外務省、WIKIPEDIAなど>年月略史先コロンブス期アラワク人、カリブ人、ワラオ人などが住み、マニオク栽培、狩猟、漁労での生計植民地時代1498年コロンブス渡来、1499年オヘダとアメリゴ・ヴェスプッチ上陸。エル・ドラード(黄金郷)説でこの地は「ワイルドコースト」と呼ばれ、英国人の植民団が1595年、1616年に植民したが失敗。1621年以降はブラジル北東部を支配していたオランダ西インド会社の管轄に入り、18世紀にかけて3植民地(エセキボ、デメララ、バービス)を設立。ナポレオン戦争を経て1814年に英国植民地となり、首都もジョージ3世の名前からジョージタウンと改名された。1831年に英領ガイアナとなる。1834年奴隷制度廃止以後は、農園にはインド・パキスタン系移民が、砂糖工場労働力として、ヨーロッパから年季奉公人が入った。1928年には英の直轄植民地となり、女性参政権も認められた。1953年の総選挙でインド・パキスタン系の人民進歩党(PPP)が勝利し、社会主義化を恐れた英本国は海軍を派遣し、憲法を停止した。1962年アフリカ系の反乱で首都の焼き討ちから暴動が全国に広がった。1964年末にアフリカ系弁護士バーナムが主導するの人民国民会議(PNC)と白人利益代表統一勢力UPPが連立して、バーナム大統領が就任し、ボーキサイトの国有化、インフラの統制が行われた。1966年独立(英連邦王国の一員)1970年共和制へ移行(社会主義国の建設を目指すが、英連邦に残留)1980年新憲法公布1985年バーナム大統領(PNC代表)死亡により、副大統領のホイトが大統領就任<社会主義政策を転換し、新自由主義政策を取り入れた>1992年チェディ・ジェーガン大統領就任(PPP党首)1997年ハインズ大統領就任(ジェーガン大統領急逝による)1998年ジャネット・ジェーガン(ジェーガン大統領の妻)大統領就任1999年ジャグデオ(蔵相が憲法規定で)大統領就任(ジャネット大統領の辞任による)2001年ジャグデオ大統領再選2006年ジャグデオ大統領再選(初の平和的な国政選挙)2011年11月ラモター大統領就任<左派政党・人民進歩党(PPP)を中心とした与党連合が第1党になり、PPPは得票率49%で32議席を獲得、野党勢力のアフリカ系黒人中心の国民統一連携党が26議席を獲得、変革同盟が7議席を獲得したと発表した。PPPは総選挙では1992年以来4回連続で国会の過半数を制してきたが、今回は過半数に届かなかった。国会内の最大会派が大統領を指名することになっていおり、PPPのラモーター書記長が大統領就任>(ガイアナ その2 に続く)
Nov 4, 2012
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