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(マラウィ その1 より続く) 国の標語Unity and Freedom(英語: 統一と自由)面積:平方キロ118,000平方km北海道+九州国の位置と世界遺産マラウィ湖アフリカ大地溝帯に位置する内陸国であり、マラウイ湖の西岸にある南北に細長い国。東西の幅は90-161km、南北の長さは900kmに及ぶ。国土はほとんど高原上にあり、マラウイ湖が大きな面積を占める。北・北西をタンザニア、東・南・南西をモザンビーク、西をザンビアの国境と接している。マラウィ湖は総延長約560km、幅は75km、面積は約3万平方kmで九州島の約8割、この国の20%以上を占める。最大水深706m。人口:千人15,260千人(2009年)16,170千人(2011年)人口密度:/平方キロ137人首都リロングウェ(人口:約65万人)東京からの大気圏距離:12,352km時差:JST-7時間サマータイムなし民族バンツー系(主要部族はチェワ族、トゥンブーカ族、ンゴニ族、ヤオ族)言語チェワ語、英語(以上公用語)、各部族語宗教キリスト教75%、その他イスラム教、伝統宗教政体共和制イギリス連邦加盟国元首ジョイス・ヒルダ・ムティラ・バンダ第4代大統領(女性初)任期5年、3選禁止。議会一院制政権与党:民主進歩党(DPP)閣僚は大統領が任命首相職は1966年廃止外相 エフレイム・ムガンダ・チウメ軍事予算 (43百万米ドル)、兵役 志願制、)兵力 陸軍5,300人、湖上海兵隊220人、空軍200人(2010年:ミリタリーバランス)主要産業(農)たばこ、メイズ、茶、綿花、ナッツ、コーヒー(工)繊維、石鹸、製靴、砂糖、ビール、マッチ、セメント伝統的農業国で就労人口の80%が従事、タバコ、紅茶、砂糖などが輸出の8割。2009年から北部のカエレケレ・ウラン鉱山(推定埋蔵量11,000トン)で年間1,500トン規模のウラン鉱採掘を開始。GNI:億ドルGNP44.3億ドル(2009年)56.7億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP 290ドル(2009年)351ドル(2011年)実質GDP成長率7.6%(2009年)5.5%(2011年)物価上昇率8.4%(2009年)7.6%(2011年)財政収支/GDP比▼7.9%(2011年)経常収支(国際収支)▼1.9億ドル(2011年)貿易額:輸出11.9億ドル(2010年)同 :輸入16.8億ドル(2010年)貿易品目:輸出タバコ、紅茶、砂糖、綿花、コーヒー、ナッツ等同 :輸入食料品、石油製品、資本財、消費財等貿易相手国:輸出独11.5%、印8.5%、南ア7.2%、露7.1%、ジンバブエ7.1%(2009年)同 :輸入南ア38.2%、印7.7%、ザンビア6.5%、中国5.8%、仏4.8%(2009年)対日輸出33.4億円(2010年) 内訳葉タバコ、ナッツ、コーヒー、茶等対日輸入 18.9億円(2010年) 内訳自動車、電気・通信用機器等主要援助国2008年英 147百万ドル米 88ノルウエー 64日本 31独 30日本の援助実績2009年度まで有償:331億円無償:559億円技術:331億円世界遺産マラウィ湖国立公園(「湖のガラパゴス」、「綺羅星の湖」)、チョンゴニ・ロック・アート地区(石器時代から鉄器時代の岩絵)無形文化遺産グレワムクル(チェワ族の仮面舞踏)、ヴィンブザ(マラウィ北部の癒しの舞踏)
Aug 31, 2012
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(P.S. 9月2日のThe世界遺産でマラウィ湖国立公園の不思議に ついて放送していた。 大地溝帯で裂け目の広がった湖で、タンガニー湖から、マラウィ 湖に移り住み、800種もの異種に広がったシクリットという魚などの 紹介があった。) 錦織選手が全米テニスで活躍し、日本女子サッカー界でも、 「なでしこ」、「ヤングなでしこ」が共に世界で驀進している。 女性のスポーツ層が厚くなって来たのは喜ばしい限りである。 この呆けには、ジョイス・バンダ女史がこの国で女性初(アフリカで 2番目)大統領となったのも、驚きである。 呆けているので、バンダ大統領というと、独裁色で名高い初代 大統領のバンダ氏と関係があるかと思ったが、無関係の女性解放 運動家であるらしい。 このような事も解らない、ド素人が、国情を纏めては失礼だが、 「リハビリ」の一環なので、WEBのバグとして、お許し願いたい。 夏休みが7,8月で終わり、市民テニスが始まり、ヨチヨチテニスも 忙しくなるので、諸国事情の写経時間は少なくなる始末だ。 マラウィ共和国の基本事情略史<外務省、WIKIPEDIA>年月略史1891年英保護領1953年ローデシア・ニヤサランド(現マラウイ)連邦[ ザンビア(北ローデシア・・地下資源豊富)、ジンバブエ(南ローデシア・・製造業)、マラウィ(ニヤサランド・・黒人労働力)を合わせた英領中央アフリカ連邦のことで、白人入植者(アングロアフリカン)が経済発展を図る策と言われる。当地では、1959年黒人反乱、1962年連邦内自治権獲得、1963年連邦離脱 ]1964年英国より独立1966年マラウイ議会党による一党制移行(初代バンダ大統領)[初代大統領はヘイスティング・カムズ・バンダ(博士号授与)であり、「終身大統領」となったが、独裁制が強かったため、国民投票で複数政党制が採用されて失脚し、南アで101歳で病死。]1993年国民投票により一党制から複数政党制へ移行1994年独立後初めての大統領・議会選挙(ムルジ政権[が大勝])1999年ムルジ大統領再任2004年ムタリカ大統領就任2009年ムタリカ大統領再任2012年4月ムタリカ大統領が急逝し、憲法規定で副大統領バンダが大統領就任(女性初)[ アフリカでは昨年ノーベル平和賞を受賞したリベリア大統領に次ぐ2番目の女性大統領 ] <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名マラウィ渡航危険情報<十分注意>全土。組織的な凶悪犯罪が昼夜を問わず日常的に発生<当国駐日本大使館情報は、アフリカでは最も犯罪率が低いというので参照下さい。>幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)158位通貨マラウイ・クワチャ(MWK)1米ドル=165MWK(2011年現在)国旗黒・赤・緑の三色旗に赤い半円の太陽を置いたもの。マラウイ独立時はアフリカ諸国が独立を開始していた時期で、太陽は日の出を、アフリカ大陸の希望と自由の夜明けを表し、また黒はアフリカの国民を、赤は自由のための殉教者を、緑はマラウイの自然を表す。(マラウィ その2 に続く)
Aug 31, 2012
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(ザンビア その1 より続く) 国の標語One Zambia, One Nation(英語: 1つのザンビア、1つの国)面積:平方キロ752,610平方km日本の約2倍国の位置内陸国であり、コンゴ民主共和国、タンザニア、マラウイ、モザンビーク、ジンバブエ、ナミビア、アンゴラの7つの国に接している南緯8~18度の南部アフリカに位置し標高700~2000m。人口:千人12,930千人(2010年)13,590千人(2011年)人口密度:/平方キロ18人首都ルサカ(人口約170万人) 海抜1,227m東京からの大気圏距離:12,935km時差:JST-7時間サマータイムなし民族73部族(トンガ系、ニャンジァ系、ベンバ系、ルンダ系)言語英語(公用語)、ベンバ語、ニャンジァ語、トンガ語宗教8割近くはキリスト教、その他 イスラム教、ヒンドゥー教、伝統宗教政体共和制イギリス連邦加盟国元首マイケル・チルフヤ・サタ大統領任期5年、3選禁止議会国民議会(一院制、議員任期5年)、158議席(うち8議席は大統領指名特別議席) ・PF(愛国戦線、政権与党):71 (うち8議席は大統領指名特別議席)・MMD(複数政党制民主主義運動):54 ・UPND(国家開発統一党):29・無所属:4 政権PF(愛国戦線、政権与党)首相職は1991年8月廃止副大統領 ガイ・スコット、外相 ギヴン・ルビンダ軍事予算 276百万米ドル、兵役 志願制、兵力 総兵力 15,100人(陸軍13,500人、空軍1,600人)(2010年)主要産業農業(とうもろこし、たばこ、落花生、綿花、コーヒー等)、銅鉱業・加工、建設、食品、飲料、観光<ネタ帳>(農)とうもろこし、たばこ、落花生、綿花、茶、コーヒー、畜産等 (鉱)銅、コバルト、亜鉛、鉛、石炭 (工)食品加工、繊維、建築資料、肥料 (観光)<観光について>この国と南隣のジンバブエとの国境に流れるザンベジ川には、世界三大瀑布の一つと称される「ヴィクトリアの滝」がある。アフリカを代表する動物、ゾウ、カバ、キリン、シマウマ、ヌーも多く住み、大自然が大変良く残されている。GDP:億ドル138億ドル(2010年)192億ドル (2011年)一人当たりGNI:ドル1,070ドル (2010年)1,414ドル (2011年)実質GDP成長率7.6% (2010年)6.6% (2011年)物価上昇率12.7%(2009年) 8.7% (2011年)財政収支/GDP比▼3.4%経常収支(国際収支) 2.4億ドル(2011年)貿易額:輸出52.5億ドル(2010年)同 :輸入54.7億ドル(2010年)貿易品目:輸出銅、コバルト、電力、たばこ、花、綿花等(2009年)[銅のモノカルチャー経済で輸出の約6割を占める]同 :輸入機械類、石油製品、肥料、輸送用機器、食料、衣類等(2009年)貿易相手国:輸出中国21.4%、サウジアラビア8.9%、コンゴ民8.6%、韓国8.3%、エジプト8.1%(2009年)<ネタ帳>中国、南ア、コンゴ(民)、サウジアラビア、韓国同 :輸入南アフリカ51.8%、UAE7.7%、中国5.9%、コンゴ民4.2%(2009年)対日輸出46.2億円 内訳コバルト、たばこ、精製銅等対日輸入 55.0億円 内訳車両及び部品、電気機器等主要援助国2009年米 126百万ドル日 36デンマーク 31英 18独 15日本の経済援助2009年度まで有償: 550億円無償:1,011億円技術: 551億円
Aug 30, 2012
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やっとというか、遂にというか、日本の先行きを見定めて、国民の意思に先駆けて、消費増税法案を強引に通過させた首相に問責決議案が、理性の殿堂・参議院で全野党により可決された。もともと、消費増税を主張し、3党合意で消費増税法案を通過させた、第一野党(前与党)などでさえ、「参院問責」に賛同したのであるから、捻れに捻れた、国民不在の国会である。将来において、この強引な首相の決心は、素晴らしかったと、「宰相の鑑」視されるかも知れないが、「和の精神」を尊ぶ国民の前では、意識格差が有りすぎ、「国民意志の集計が現れる選挙」前のいわば、強権発動による、「出し抜き」にしか見えない。このまま、国会は混迷化し、強力すぎるマニフェストを表明する「維新の会」などの路線の舗装に寄与するだけかも知れない。日本の周りの国々は、混迷を良いことに、圧迫を強める風潮が生まれており、「お守りのためにも尖閣にオスプレイ基地が必要」(韓国が竹島にヘリポート基地を建設したように)となるかも知れない・・・呆け頭の空想である。さて「ザンビア!」と聞くと、同世代の方は東京オリンピックでのこと、開会式には無かった名前の団体国が閉会式に紹介された思い出をお持ちかも知れない。ザンビア共和国略史<資料出所:外務省、WIKIPEDIAなど> 年月略史1964年独立(旧宗主国:英国)、カウンダ大統領就任[かつてはイギリス領北ローデシアであった地域で、東京オリンピックの出場期間中に「北ローデシア」から「ザンビア」に国名が代わったことが記憶にある]1964年~1973年[アパルトヘイトの南アフリカ共和国との経済関係断絶、独立宣言のローデシアの封鎖に加わり、ザンビア経済は打撃を受け、銅の輸出の道を絶たれた。外資系銅企業をはじめ国有化、タンザニア、中国の支援でタンザン鉄道建設を進めた。]1973年第二共和制(一党制施行)[部族主義を克服し、「統一民族独立党(UNIP)」を樹立、モザンビーク解放戦線、アンゴラ国民解放戦線を支援]1990年第三共和制(複数政党制移行)[大統領の独裁化、銅価格低下で経済は凋落し、選挙制度改正後、UNIPは複数政党制民主主義運動(MMD)に敗れた。]1991年チルバ大統領就任(第2代大統領)[経済自由化を意図したが、汚職の恒常化、クーデター試行で政治は不安定化]1996年チルバ大統領再選2002年ムワナワサ大統領就任(第3代大統領)[政権を「ニューディール政権」と称し、汚職の追放と専門家登用による実務重視の政治を実践]2006年ムワナワサ大統領再任2008年[エジプトを訪問中に同大統領は脳卒中で倒れ、8月に仏で死去。副大統領であったバンダが補欠選挙で選出]バンダ大統領就任(第4代大統領)2011年9月サタ大統領就任(第5代大統領)[大統領選挙でMMDに代わりPF党が与党となり、党首が大統領に] <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳、在日大使館など>国名ザンビア共和国国名は西部から南部を流れるザンベジ川に因む。渡航危険情報など世界平和度指数ランキングでは149か国中51位となり、アフリカでもっとも平和な国の一つとして評価されるが、真昼以外は要注意らしい。<渡航の是非検討>コンゴ民主共和国の国境付近(コッパーベルト州ンドラ市を除く)およびアンゴラとの国境付近<十分注意>首都ルサカ市およびコッパーベルト州ンドラ市を含む上記以外の地域<大使館から交通事故注意>事故多発。整備不良車、飲酒運転、無灯火などもある。<大使館から注意喚起>テロ事件および誘拐事件<病気>マラリア、コレラ、赤痢、腸チフス、アメーバー赤痢、A型肝炎、ハエ蛆病、住血吸虫病、性感染病、狂犬病、毒蛇、サソリ・・医師や看護師の不足に加え医薬品や医療機器も不足しており、最悪の状態。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)148位通貨ザンビア・クワチャ(ZMK)1ドル=約5,210ZMK(2012年6月現在)国花なし(ブーゲンビレアという説は正しくない)国旗赤は自由への苦闘(血)、黒はザンビアの国民(肌)、オレンジ色は天然・鉱物資源(銅)をそれぞれ象徴している。右上部の鷲は国鳥のフィッシュ・イーグルで、国家の問題を乗り越える国民の力を象徴している。緑地はザンビアの大自然を象徴している。(ザンビア その2 に続く)
Aug 30, 2012
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(コンゴ共和国 その1 より続く) 人口:千人 約4,100千人(2011年) 3,980千人(2011年)<ネタ帳>人口密度:/平方キロ12人<ネタ帳>首都ブラザビル(ブラザヴィル)人口:60万人東京からの大気圏距離:13,372km時差:JST-8時間サマータイムなし民族コンゴ族,テケ族,ブバンギ族等言語フランス語(公用語),リンガラ語,キトゥバ語宗教伝統的宗教,キリスト教政体共和制元首ドゥニ・サス・ンゲソ大統領議会国民議会(137名,任期5年)上院議会(66名,任期6年)政権首相 サス・ンゲソ大統領兼務、外務・協力大臣 バジル・イクエベ軍事予算 214百万ドル、兵役 志願制(2年)、総兵力 10,000人(陸軍8,000人,海軍800人,空軍1,200人)2012年版ミリタリーバランス主要産業鉱業(石油,鉱石),林業鉱業(石油)はGDPの6割、輸出収入の9割、国家予算の8割を石油関係に依存産油量の増加により(2006年の26.8万バレル/日から2010年の31.5万バレル/日),経済は堅調な伸びをみせている。天然ガス、カリ鉱石、鉛、亜鉛などの資源も存在するが、開発はあまり進んでいない。石油の生産は、ギニア湾に面したクイルー地方に集中しており、他の地域との経済格差も大きい。GDP:億ドル118億ドル(2010年)148億ドル(2011年)一人当たりGNI:ドル一人当たりGDP:ドル2,150ドル(2010年)3,714ドル(2011年)実質GDP成長率8.8%(2010年)4.5%(2011年)物価上昇率5.0%(2010年)1.9%(2011年)財政収支/GDP比15.9%(2011年)外貨準備高 22億ドル(2007年)経常収支(国際収支) 9.2億ドル(2011年)貿易額:輸出84億ドル(2008年)同 :輸入29億ドル(2008年)貿易品目:輸出石油,木材,砂糖(2010年)同 :輸入石油セクター,非石油セクター(2010年)<ネタ帳>石油関連品、資本材貿易相手国:輸出米国,中国,仏,印(2010年)同 :輸入仏,中国,米国,伊(2010年)<ネタ帳>仏、中国、韓国、米国対日輸出 7,500万円 内訳木材,鉱物(銅,コバルト)対日輸入9億5,800万円 内訳亜鉛,めっき鉄,タイヤ,魚加工品主要援助国仏スペイン伊独カナダ日本の経済援助2010年度まで有償:なし無償:47億円技術: 3億円
Aug 29, 2012
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コンゴ共和国は双子と言うよりも、同一の国名を付けた二つの国がある時期同時に存在したこと、その親は同一の王国であることで、ややこしい。もともとコンゴ王国が、現在の当国、コンゴ民主共和国、北・アンゴラ、ガボンに相当する地域を統治していたが、1568年にジャガ人の 侵入を排除するに際して、ポルトガルの占領下に入った。その後、1885年のベルリン会議で、当時ベルギー王家私有地となっていた地域はベルギー(政府)領、その他はフランス領赤道アフリカ(当国、現・中央アフリカ、チャド)を主に形成した。当国は、後者のコンゴ州に当たる。ベルギー領であった、コンゴ民主共和国ほどの危険性は薄いが、内紛の後遺症は残り、渡航延期勧告が継続している。先日、日本の中国大使公用車の「車載国旗奪取事件」が公道で起きたが、コンゴ川流域の政情不安はこのような「次元」ではない。赤道アフリカでは民主政治そのもののあり方の困難さが、個人 次元ではなく、部族・階級などの間で、素顔で現れている。今すぐには近寄りがたい国である。民主主義や社会主義は、国民のみんなに幸福をもたらすことができるか、どうか、が、部族・階級間闘争を通して直接に問われているようである。日本には「和」の心があるために、自由民権運動が息づき、民主主義が成功しているが、「差別が強く生きる国」では極めて困難な気がする。呆けているから、当たっていまいが。コンゴ共和国の基本事情略史<外務省、WIKIPEDIAなど> 年月略史13~15世紀コンゴ王国の最盛期1910年仏領赤道アフリカ・コンゴ州1958年共和国宣言1960年独立[コンゴ共和国とする。元ベルギー領の隣国も全く同名の国名を採用(1964年まで)したため、コンゴ共和国(キンシャサ)と呼び、当国のコンゴ共和国(ブラザヴィル)と区別した。その後、当国は1969年12月にコンゴ人民共和国に一時改称。]1979年サス・ンゲソ大統領就任1989年7月サス・ンゲソ大統領三選1991年6月[再び]コンゴ共和国に国名変更1992年8月パスカル・リスバ大統領選出1997年6月リスバ大統領,サス・ンゲソ前大統領の間で交戦勃発1997年10月サス・ンゲソ大統領就任2002年1月新憲法草案に関する国民投票2002年3月大統領選挙でサス・ンゲソ大統領当選2002年5,6月国民議会選挙,上院議員選挙2002年8月サス・ンゲソ大統領就任2009年7月大統領選挙でサス・ンゲソ大統領再選 <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名コンゴ共和国渡航危険情報<渡航延期勧告>プール地方(首都ブラザヴィルを除く)<十分注意>その他地域内戦の後遺症や不安感がいまだに払拭されずに残っているほか、未だに職に就けない旧反政府勢力兵士(通称・ニンジャ)の不満や雇用問題がある。マラリア感染危険地域。チクングニア熱、コレラ発生などに注意。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)105位通貨CFAフラン655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)国花ニオイマホガニー(センダン科、高級家具材)については、コンゴ民主共和国(旧・ザイール)と言う説、当国という説がWEBにあるので「不明」として扱う国旗緑は希望と豊かな森林資源を、黄色は誠実・寛大・誇りを、赤は青年の熱意を表している。国の標語Unite, Travail, Progres(フランス語: 統一、労働、進歩)面積:平方キロ342,000平方km日本の約0.9倍国の位置東にコンゴ民主共和国、北にカメルーンと中央アフリカ、西にガボン、南にアンゴラの飛地カビンダと国境を接している(コンゴ共和国 その2 へ続く)
Aug 29, 2012
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(コンゴ民主共和国 その1 より続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIAなど>国名コンゴ民主共和国(旧・ザイール共和国)渡航危険情報<退避勧告>南北キブ州、オリエンタル州北東部<渡航是非検討>キンシャサ特別州、東西カサイ州、バンドゥンドゥ州など。東部地域においては、未だに武装勢力が活動を続けており、不測の事態が発生する可能性を全く排除することはできない状態。<衛生状態>黄熱、マラリア、コレラ、ポリオなどに注意が必要。エボラ出血熱が発生。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)176位人間開発指数は187ヶ国中の最貧国(2011年)通貨コンゴ・フラン(FC)1ドル=899FC(2011年)国旗濃い青が平和を象徴する水色に改められている。赤は国家のために殉じた者の血、黄色は国富、星は国家の輝かしい未来を象徴している。国の標語Démocratie - Justice - Unité(フランス語:民主主義、正義、団結)面積:平方キロ2,345,000平方km<アルジェリアに続いてアフリカ大陸で第2位の面積を擁し、世界全体でも第11位の面積>国の位置アフリカ大陸中央部のコンゴ川流域に広がり、北西にコンゴ共和国、南西にアンゴラ、南にザンビア、東にタンザニア、ブルンジ、ルワンダ、北東にウガンダ、南スーダン、北に中央アフリカ共和国と国境を接し、西は大西洋に面する。赤道直下にある国。人口:千人6,780千人(2011年)7,257千人(2011年)<ネタ帳>人口密度:/平方キロ31人<ネタ帳>首都キンシャサ(コンゴ川下流左岸に位置し、川を挟んで隣国のコンゴ共和国の首都ブラザビルと相対する)都市圏人口:1,000万人東京からの大気圏距離:13,374km時差:JST-8時間サマータイムなし民族バンツー系,ナイル系等言語フランス語(公用語),キコンゴ語,チルバ語,リンガラ語,スワヒリ語宗教カトリックを中心としたキリスト教(85%),イスラム教(10%),その他伝統宗教(5%)政体共和制元首ジョゼフ・カビラ大統領議会上院(120議席),国民議会(500議席)政権与党:「大統領多数派連合」(支持母体:再建民主人民党)首相 オーギュスタン・マタタ・ポニョ、外務・国際協力・仏語圏大臣 レイモン・チバンダ・ントウンガムロンゴ軍事予算 2億1,400万米ドル(2011年)、兵役 志願制、兵力 陸軍120,000 海軍6,700 空軍2,500主要産業鉱工業(銅,コバルト,工業用ダイヤモンド,石油)農 業(パーム油,綿花,コーヒー)GDP:億ドル131億ドル(2010年)157億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル 180ドル (2010年) 216ドル (2011年)実質GDP成長率7.2%(2010年)6.9%(2011年)物価上昇率30.2%(2009年)15.5%(2011年)財政収支/GDP比▼6.4%(2011年)経常収支(国際収支)▼13.6億ドル(2011年)貿易額:輸出65.9億ドル(2008年)同 :輸入67.1億ドル(2008年)貿易品目:輸出ダイヤモンド,原油,コバルト,銅(約9割がコバルト、ダイヤモンド、金など)同 :輸入消費財,資本財,原材料貿易相手国:輸出中国,ザンビア,米,ベルギー<ネタ帳>ベルギー、米、中国、フィンランド同 :輸入南アフリカ,中国,ベルギー,ザンビア<ネタ帳>南アフリカ、ベルギー、ジンバブエ、ザンビア対日輸出1億1,500万円(2011年) 内訳木材,金属(コバルト)対日輸入 52億9,200万円(2011年) 内訳自動車,二輪主要援助国2009年ODA実績米英ベルギー独日本日本の援助実績2010年度まで有償:356億円無償:571億円技術:103億円
Aug 28, 2012
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さきの大統領選挙では、現職大統領が、元首相を破り当選したが、 国際NGO、カトリック教会監視団、敗者側から、不正投票、投票 用紙破棄、監視員排除、選挙認定機関の最高裁判所判事の 定員増などに問題有りと指摘されており、紛争は継続中。 モブツ大統領の頃から、大統領の独裁色が強く、政党も多数が 輩出し、暴動や内紛で、まだまだ、安定した国とは言い難い。 なにしろ、国が、先に見た双子国と違い、桁違いに大きいので 目が届かないに違いない。 コンゴ民主共和国略史<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,SOCIALISTほか[内]>年月略史1908年ベルギー領[14世紀末からコンゴ王国(現在の当国、コンゴ共和国、北・アンゴラ、ガボン相当)、1568年のジャガ人侵入でのポルトガル占領下、1885年のベルギー国王私有地・コンゴ独立国、1908年ベルギー政府へ委譲・・・この間の詳述は早崎隆志氏の脚注参照]1960年ベルギーより独立(コンゴ共和国),コンゴ動乱[コンゴ共和国の名前は同時に隣国同士で共有されているので、当国をコンゴ共和国(キンシャサ)、元仏領・隣国をコンゴ共和国(ブラザヴィル)と呼ぶ]1965年モブツ政権成立(クーデター)1967年 [コンゴ共和国(キンサシャ)から、]コンゴ民主共和国に国名変更1971年ザイール共和国に国名変更1977年シャバ紛争(1978年まで)[レアメタルの産地のこの州は、国の独立時に分離独立を宣言して、憲法まで制定したが、1963年には敗戦、大統領は亡命。この志を温存したコンゴ民族解放戦線・FNLCがアンゴラ、ザンビアから反攻し内戦化したが鎮圧された。]1990年複数政党制導入1991年キンシャサ市内暴動発生1996年バニィヤムレンゲ(ツチ系)の武装蜂起,他の反政府勢力が合流,コンゴ民主解放勢力同盟(AFDL)結成[東の隣国ウガンダ、ルワンダ、ブルンジのツチ族政権の後ろ盾でAFDLが軍事的にモブツ大統領を軍事的に方遂。議会による首相の選任で、モブツ大統領の独裁制と度々対立していた、民主社会進歩同盟(UDPS)からチセケディ首相が1週間だけ成立した。]1997年ローラン・デジレ・カビラ大統領就任,モブツ大統領国外逃亡,国名変更(コンゴ民主共和国)1998年コンゴ民主共和国紛争勃発[アフリカ大戦とも言われる悲惨な内戦で、民間人を含めた犠牲者は、第二次世界大戦以来最多の500万人]2001年ローラン・デジレ・カビラ大統領暗殺,息子のジョゼフ・カビラが後継2002年プレトリア包括合意2003年暫定政権成立2005年12月憲法国民投票の実施2006年2月新憲法公布2006年7月大統領選挙(第1回投票)・国民議会選挙の実施[UDPSは有力野党ながら選挙をボイコットしている。]2006年10月大統領選挙(第2回投票)の実施[副大統領が善戦、混乱を生むとして決選投票制度は廃止。]2006年12月ジョゼフ・カビラ大統領就任2011年11月大統領選挙,国民議会選挙の実施2011年12月ジョゼフ・カビラ大統領再選[カビラ大統領の得票率は49%弱であり、対立するUDPSから立候補したチセケディ元大統領の32%を上回ったが、UDPS側は「不正選挙」としてこれを認めていない。チセケディ元首相は民主主義リーダーとしての信望は高いが、高齢で健康問題もある。カビラ大統領を支える「大統領多数派連合」での多元的な内部問題、実質的支持母体「再建民主人民党(PPRD)の主張の差など、複雑な問題を抱えているようである。]早崎隆志:http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/dic/congo.html<2000年2月までの記述である>(コンゴ民主共和国 その2 に続く)
Aug 28, 2012
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(ブルンジ その1 より続く) 人口:千人 8,500千人(2010年) 8,440千人(2011年)人口密度:/平方キロ306人(2010年)303人<ネタ帳、2011年>[cf.アフリカの平均値は34人]首都ブジュンブラ (タンガニーカ湖畔)標高:774m<国土の平均高度 1,700mの高原国で、「アフリカのスイス」と言われる>人口:30万人(1994年)東京からの大気圏距離:12,076km時差:JST-7時間サマータイムなし部族というより階級のようフツ族85%,ツチ族14%、トゥワ族1%言語仏語(公用語で、教育・政治用語),キルンジ語(公用語で母国語)、英語は高卒以上で、スワヒリ語は英語以上に話される。<フツ、ツチは宗教、言語を共有し、階級的性格や、農耕と牧畜の差などあるのみ。ツチは少数派ながら、軍隊を持つ。>宗教カトリック65%,プロテスタント10%,伝統的宗教23%政体共和制大統領制元首ピエール・ンクルンジザ大統領議会国民議会および上院の二院制政権主要合法的政党は3党ある、1. 現大統領ピエール・ンクルンジザ率いるフツ系政党民主防衛国民会議・民主防衛勢力 (CNDD-FDD)2. フツ系政党ブルンジ民主戦線 (FRODEBU)<4人の大統領輩出>3. ツチ系政党の民族進歩連合 (UPRONA) <3人の大統領輩出>内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、大統領が任命首相 設置されていない、外相 ローロン・カヴァクレ軍事予算 6,400万ドル(2011年)、兵役 志願制、兵力 20,000名主要産業農業(コーヒー,茶等)主食:マメ(赤いインゲン豆)GDP:億ドル約16億ドル(2010年) 23.6億ドル(2011年)一人当たりGNI:ドル 一人当たりGDP:ドル170ドル(2010年)250ドル(2011年)世界最下位から3番目<最下位はコンゴ民主共和国 同190ドル>279ドル (2011年)実質GDP成長率 3.9%(2010年) 4.2% (2011年)物価上昇率 6.4%(2010年) 14.9% (2011年)財政収支/GDP比 4.0%経常収支(国際収支)▼3.1億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼267百万ドル貿易額:輸出A 68百万ドル(2009年)同 :輸入B335百万ドル(2009年)貿易品目:輸出コーヒー(アラビカ等)72%,茶16%,製造品(%は2005年)同 :輸入中間材,資本材,消費材貿易相手国:輸出ドイツ,パキスタン,ベルギー,ルワンダ<ネタ帳>日本、独、パキスタン、ルワンダ同 :輸入サウジアラビア,ウガンダ,ベルギー,中国<ネタ帳>サウジアラビア、ケニア、ベルギー、仏対日輸出 2億5,000万円(2010年) 内訳コーヒー,茶対日輸入 7億4,900万円(2010年) 内訳乗用車,二輪車主要援助国2009年ベルギー米国独ノルウエー日本
Aug 27, 2012
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「ルワンダの涙」は、双子のようなブルンジ国に同様の現実がある。 この呆け頭には、仮に日本で明治維新と、自由民権運動が同時に 起こったような大事件であるが、日本は鎖国が長く続き、海に囲ま れた孤立国である事が幸い、しているように感じる。 資料が少なく集めてみたいが、誤っている可能性は残る。 歴史というものは、時の支配者層の編纂であるので時により代わる 危険があるからだ。 まったく、次元が異なるが、親父の所に、「地元・町史に貴方を 記載するので、ご寄付をよろしく」と来て、追い返したことがある。 低次元でも、これだから、歴史学者は大変な苦労が伴うだろう。 ブルンジ共和国 略史<資料出所:外務省、「わたしたちの地球と未来」愛知県国際交流協会> 年月略史17世紀頃王国成立1889年ドイツ保護領1922年ベルギー委任統治1946年ベルギー信託統治1962年7月ベルギーよりブルンジ王国として独立1966年ミコロンベ首相によるクーデター,王政廃止(1972年)<フツ族が反乱し1万人のツチ族殺害、その反動でツチ族系の軍隊がフツ族10万人大虐殺。17万人国外避難、死者推計10万~30万人>1976年バガサ大佐による無血クーデター1984年大統領選挙(バガサ選出)1987年9月無血クーデターによりバガザ大統領失脚,ツチ族ブヨヤ大佐が国民救済軍事委員会樹立1992年3月複数政党制を含む新憲法採択1993年6月複数政党制下初の大統領選挙(ンダダイエ大統領選出、フツ族出身)1993年10月ンダダイエ大統領暗殺 <7万人国外避難>1994年1月<大虐殺が起きた隣国・ルワンダからフツ族難民20万人が流入して、紛争激化>国民議会は新大統領としてヌタリャミラを選出1994年4月ヌタリャミラ大統領事故死1994年10月ヌティバントゥンガニャ大統領選出1996年7月軍部クーデターによりブヨヤ元大統領が大統領代行に就任1998年ブヨヤ暫定大統領就任2000年8月アルーシャ和平合意2001年11月暫定政府の成立(ブヨヤ前期大統領就任)2003年5月ヌダイゼイエ暫定政権後期大統領就任2003年11月暫定政府と反政府勢力FDD間の和平合意署名<1994年~2003年までの内戦の死者推定30万人、遺児は34万人>2005年2月新憲法を国民投票により採択2005年7月上下院選挙実施2005年8月大統領選挙実施,ンクルンジザ大統領就任2006年9月FNLルワサ派との包括的停戦合意2010年6月大統領選挙,ンクルンジザ大統領就任 <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳、わたしたちの地球と未来、など>国名ブルンジ共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)178位通貨ブルンジ・フラン1ドル=1,261ブルンジ・フラン(2011年)国旗緑は希望、白は純潔、赤は独立への苦闘を示している。中央の3つの星は、ブルンジの3つの主要な民族、フツ族、トワ族、ツチ族を示す。この三つ星は、同時に国のモットーである「統一、労働、進歩」を表す。国の標語国の標語: Unité, Travail, Progrès(フランス語: 統一、労働、進歩)面積:平方キロ27,800平方km北海道の1/3国の位置赤道の少し南にあり、中部アフリカの内陸に位置する国家。ルワンダ、コンゴ民主共和国(旧ザイール)、タンザニアと国境を接し、タンガニーカ湖に面する。(ブルンジ その2 へ続く)
Aug 27, 2012
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(ルワンダ その1 より続く)<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳、わたしたちの地球と未来など> 国名ルワンダ共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)163位通貨ルワンダ・フラン1ドル=602ルワンダ・フラン(2012年)国旗緑、黄色、水色はそれぞれ、平和、繁栄への希望、国民を表す。右上には24本の光の太陽がデザインされている。国の標語 Unity, Work, Patriotism( 統一、労働、愛国心)面積:平方キロ26,300平方km日本の1/14国の位置西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと国境を接する内陸国。人口:千人10,900千人(2011年)<ネタ帳>10,210千人人口密度:/平方キロ388人<アフリカで人口密度最大>世界10位、ちなみに日本14位。首都キガリ標高:1,567m人口:85万人(2005年)東京からの大気圏距離:11,918km時差:JST-7時間サマータイムなし言語キニアルワンダ語,英語,仏語部族(と言うよりも階級闘争)ジェノサイド嘗ての王政時代の軍事支配階級ツチ族(小数)、大衆のフツ族(多数)が、植民地支配国の思惑で、主役に出たり、脇役に出たり、国外脱出、入国を繰り返して、相互に大虐殺をもたらしたという。ツチ(14%)、フツ(85%)以外はトゥワ(1%)の所謂ピグミーである。宗教カトリック57%,プロテスタント26%,アドヴェンティスト11%,イスラム教4.6%等政体共和制イギリス連邦加盟国。元首ポール・カガメ大統領議会上院(26議席),下院(80議席)政権与党:ルワンダ愛国戦線(RPF)<ウガンダのツチ系難民が組織したのに始まる。米国の支援が強い。>首相 ピエール・ダミアン・ハバムレミ、外相 ルイーズ・ムシキワボ軍事予算 7,300万ドル、兵役 志願制、兵力 3万3,000人(2011年)主要産業農業(コーヒー,茶等)主食:バナナ、マメ、ジャガイモ、サツマイモ、キャッサバ、米など段々畑、谷の水田光景は日本に似ている。牛乳、ヨーグルトを飲むが、コ-ヒ-はあまり飲まず輸出品。GDP:億ドル56.3億ドル(2010年)61.8億ドル (2011年)一人当たりGDP:ドル 520ドル(2010年) 605ドル (2011年)実質GDP成長率7.5%(2010年)5.7%(2011年)物価上昇率2.3%(2010年)財政収支/GDP比▼1.9%(2011年)経常収支(国際収支)▼6.4億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)▼7.9億ドル(A-B)貿易額:輸出A297百万ドル(2010年)同 :輸入B1,084百万ドル(2010年)貿易品目:輸出コーヒー,茶,錫,コルタン(極めて耐熱性の高い金属元素タンタルの原鉱石)<ネタ帳>コーヒー,茶,錫同 :輸入消費財,資本財,中間財,エネルギー財<ネタ帳>資本財、半加工品、エネルギー財、消費財貿易相手国:輸出ケニア,コンゴ民主共和国,中国,スイス<ネタ帳>中国、独、米、タイ同 :輸入ケニア,ウガンダ,アラブ首長国連邦,タンザニア<ネタ帳>ケニア、中国、ウガンダ、ベルギー対日輸出(2011年)1億900万円 内訳コーヒー,雑貨対日輸入(2011年) 6億8,400万円 内訳自動車,二輪,医療関連機械主要援助国2009年米英ベルギー蘭独 日本の援助実績2010年度まで有償: 46億円無償:372億円技術: 68億円映画:「ルワンダの涙」監督:マイケル・ケイトン・ジョーンズ2005年製作、ルワンダ虐殺の時代に現地で働くBBCニュースプロデューサーの経験に基づく。虐殺の加害者・フツ族(過激派)に発泡を禁止されている国連の兵士による、「死者の体をついばむ野良犬を狙い撃つ際の行動」が原題Shooting Dogs。
Aug 26, 2012
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呆けには、この国を理解するのは、非常に難しい。 この国というより、ルワンダとブルンジという国は、隣り合わせで 双子のように似て見える。 国内の紛争が目まぐるしく変わり、「国民の目線」が部外者からは 見えにくい。 特に、両国を支配してきた少数派のツチ族は、「土」よりも 日本なら武士の「士族」に近く、支配される側の多数派はフツ族、 つまり「普通の族」であるような「気」がするのである。 支配者であるものは、その時々の都合で、「ツチ」「フツ」を利用。 この両者は、民族、部族などでの識別ではなくて、支配者が 「階級的に創り出した識別記号」であるようだ。 軍事規律で抑えられる時代には、「ツチ」だけで政治を行うことが 出来るが、民主化が進むと、「フツ」が数で優勢になり、摩擦が 生じてしまう。 支配層、外国の勢力などが絡んで政治がややこしくなり、 長い国内紛争で「ルワンダの涙」が落ちた。 今は、ルワンダでは、隣国・ウガンダに一時難民として追われた、 ツチ族を中心とする「ルワンダ愛国戦線」が、米国の後押しもあり、 内乱の後の政治を上手く統治しているようである。 ルワンダ共和国の基本事情 略史<資料出所:外務省>年月略史17世紀ルワンダ王国建国1889年ドイツ保護領(第一次大戦後はベルギーの信託統治領)1961年王政に関する国民投票(共和制樹立を承認)議会がカイバンダを大統領に選出1962年ベルギーより独立1973年クーデター(ハビヤリマナ少将が大統領就任)1990年10月ツチ族のルワンダ愛国戦線(RPF)による北部侵攻1993年8月アルーシャ和平合意1994年4月ハビヤリマナ大統領暗殺事件発生をきっかけに「ルワンダ大虐殺」発生(~1994年6月)1994年7月ルワンダ愛国戦線(RPF)が全土を完全制圧,新政権樹立(ビジムング大統領,カガメ副大統領就任)2000年3月ビジムング大統領辞任2000年4月カガメ副大統領が大統領に就任2003年8月複数候補者による初の大統領選挙でカガメ大統領当選2003年9-10月上院・下院議員選挙(与党RPFの勝利)2008年9月下院議員選挙(与党RPFの勝利)2010年8月カガメ大統領再選(ルワンダ その2 に続く)
Aug 26, 2012
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(ウガンダ共和国 その1 より) 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)156位通貨ウガンダ・シリング(U.shs)1米ドル=2,420 U.shs(2011年7月)国旗中央のホオジロカンムリヅル(Grey Crowned Crane)はウガンダの国鳥であり、ウガンダの歴代諸王朝がこの鳥を一度もシンボルとしたことがないことから、その中立性を買われたという。国旗の色は、黒が黒人を、黄はアフリカの夜明けを表す太陽の光、赤はアフリカ人の同胞愛や民族愛を象徴している。国の標語For God and My Country(英語: 神と我が国のために)面積:平方キロ241,000平方kmほぼ本州(陸地面積197千平方km)国の位置アフリカ東部に位置する。東にケニア、南にタンザニア、南西にルワンダ、西にコンゴ民主共和国、北に南スーダンとの国境に囲まれた内陸国である。ナイル川(白ナイル)の始まるビクトリア湖に接している。人口:千人35,200千人(2011年)人口密度:/平方キロ146人首都カンパラ標高1,312m東京からの大気圏距離:11,542km時差:JST-6時間サマータイムなし民族バガンダ族、ランゴ族、アチョリ族等言語英語、スワヒリ語、ルガンダ語宗教キリスト教(6割)、伝統宗教(3割)、イスラム教(1割)政体共和制イギリス連邦加盟国国内的には、トロ王国、ブニョロ、ブガンダ、ブソガの伝統的な地方王国が存在している。これらは1967年に一度廃止されたものが1990年代に復活したものであり、各王国の国王は「文化的指導者」と位置づけられ、政治的な力を持たない儀礼的な存在である。元首ヨウェリ・カグタ・ムセベニ大統領議会一院制政権与党「国民抵抗運動(NRM)」首相 アママ・ムババジ、外相 サム・クサテ北部地域では、20年に及ぶ反政府組織「神の抵抗軍」(LRA)との戦闘が続いたが、ウガンダ・コンゴ(民)・南部スーダンの3か国による共同の軍事掃討作戦で縮小し、一時は200万人近くに達した国内避難民の大半が帰還。残る国内避難民の帰還促進と社会の復興・開発が課題。軍事予算 230百万ドル、兵役 志願制、兵力 約45,000人(ミリタリー・バランス2011)主要産業(農) 鮮魚、コーヒー、紅茶、綿花、タバコ(鉱) 銅、コバルト、金(工) 繊維、タバコ、セメント、砂糖、醸造<ネタ帳>農)鮮魚、コーヒー、紅茶、綿花、(鉱)銅、燐鉱石、タングステン、(工)繊維、タバコ、セメントGDP:億ドル152億ドル(2009年)168億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル 460ドル(2009年) 478ドル(2011年)実質GDP成長率7.0%(2009年)6.7%(2011年)物価上昇率 13.4%(2009年) 6.5%(2011年)財政収支/GDP比▼7.3%(2011年)経常収支(国際収支)▼18.7億ドル(2011年) 貿易収支(国際収支)▼18.1億ドル(A-B)貿易額:輸出A37.5億ドル(2009年)同 :輸入B55.6億ドル(2009年)貿易品目:輸出鮮魚、コーヒー、紅茶、綿花、タバコ(2010年)同 :輸入石油・石油製品、車両、鉄鋼(2010年)貿易相手国:輸出スーダン(18.9%)、コンゴ(民)(15.2%)、ケニア(13.2%)、ルワンダ(8.5%)、UAE(5.6%)同 :輸入インド(14.5%)、ケニア(11.6%)、中国(8.8%)、UAE(8.3%)、日本(6.5%)対日輸出(2010年) 4億円 内訳ごま(32.2%)、魚介類(22.9%)、コバルト(21.9%)、コーヒー(10.9%)対日輸入(2010年)161億円 内訳自動車(70.3%)、金属(20.1%)主要援助国2008年米 353百万ドル蘭 83百万ドルデンマーク 83百万ドルアイルランド 81百万ドルノルウエー 75百万ドル日本の経済援助2009年度まで有償:195億円無償:460億円技術:168億円
Aug 25, 2012
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大地溝帯の西側(西リフト・バレー)を辿って行く。 ビクトリア湖は大地溝帯そのものではなくて、地殻変動に伴い 形成されたものらしいから、ものすごいエネルギーなのだろう。 エネルギーといえば、この付近にも、列強の思惑と絡んで、部族 間の対立闘争が激しい。 日本の国際協力も、せいぜい、南スーダンまでで「ぜーぜー」と 言っているように聞こえてならない。 呆けの小生などには、アフリカの奥地は非常に危険な地域に見える。 日本海の離れ小島の領有権を、付近に地下資源埋蔵層が 見つかったと、慌てて主張し合う様な次元とは異なり、 内陸部の奥地の領有権は奥深い思惑が渦巻いているだけに、 他国者には理解できないだろう。 ウガンダ共和国の基本事情略史<資料出所:外務省>年月略史1962年独立(旧宗主国 英国)1963年共和制移行1966年オボテ首相によるクーデター(オボテ大統領)1971年アミン少将によるクーデター(アミン大統領)1979年アミン大統領失脚(ルレ大統領)1979年ルレ大統領失脚(ビナイサ大統領)1980年オボテ大統領復帰1985年オケロ将軍によるクーデター1986年ムセベニ中将によるクーデタームセべニ大統領就任1996年大統領・国会議員選挙。ムセべニ大統領当選。2001年3月ムセべニ大統領再選2001年6月国会議員選挙2006年大統領・国会議員選挙(2月)。ムセベニ大統領三選。2011年大統領・国会議員選挙(2月)。ムセベニ大統領四選。 <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ウガンダ共和国渡航危険情報<渡航延期、滞在者退避手段検討>北東部、西部の一部<渡航是非検討>北部、北東部、北西部の一部<十分注意>北部、南西部、首都など一部マラリア対策など国土全域。感染症(黄熱,コレラ,赤痢等)に注意。野生動物との接触も注意。エボラ出血熱が発生。大地溝帯東リフト・バレー(タンザニア、ケニア、エチオピア、ジブチ、紅海へ抜ける。湖ではトゥルカナ、チャモ、シャーラ、ズワイがある。)に対して、西リフト・バレー(ウガンダ、ルワンダ、ブルンジからタンガニーカ湖)から、マラウイ湖、さらにモザンビークに抜ける地溝帯をニアサ・リフト・バレーと呼ぶこともある。東西リフト・バレーに挟まれるような形でビクトリア湖が大地溝帯で隆起したと考えられている。(ウガンダ共和国の その2 へ続く)
Aug 25, 2012
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首都とナイル川など1. ジュバ<ケニヤ、ウガンダ、ザイールへの中継地>(標高550m、人口約25万人、2008年)2.ナイル川は遡ること、スーダン共和国・首都ハルツームから東に「青ナイル」(源流はエチオピア・タナ湖)、西に「白ナイル」に分岐し、白ナイルはさらに当国・首都ジュバを経由してウガンダ方面のビクトリア湖に向かう。3.東京からの大気圏距離:11,322km4.時差:JST-6時間サマータイムなし民族ディンカ族,シルク族,ヌエル族を筆頭に数十の部族がいるとされる。(スーダンは「黒い人」の意であり、特に南部スーダンは大半が黒人。北部はスーダンにはアラブ人が多い。)言語英語(公用語),その他部族語多数宗教キリスト教,伝統宗教<北部のスーダン共和国がイスラム教を信仰するアラブ人が多数を占めるのと対照的に、ナイル系民族がこの国の主流=特色である。>政体共和国元首2011年現在の大統領はサルバ・キール・マヤルディ議会立法議会議長 ジェームズ・ワニ・イグア政権成立の経緯など与党:「スーダン人民解放運動」(SPLM)66%大統領 サルバ・キール・マヤルディ<ディンカ人であるが南部スーダン自治政府の初代大統領ジョン・ガランとは部族が異なる。敬虔なキリスト教徒である。>副大統領 リエック・マチャル・テニィ<前南スーダン国防軍司令官、スーダン共和国大統領補佐官など、ヌエル族(ヌアー族)。>主な政党はスーダン人民解放運動 (SPLM) で、ジョン・ガランが結成した元来軍事組織。米のジョージ・W・ブッシュが主導した包括和平合意に基づいた住民投票で独立が98%以上を占め、北部スーダン大統領が南部の意志を尊重する声明を発表し、独立が確定。南北境界上にあるアビエイは、現在も帰属先未解決の地域である。石油資源は南部地区に75%があるが、パイプラインなどの輸出設備は北部にしかない。南北両民にとって石油収入は生命線であり、これらの交渉は今年の4月には南北両国の関係は破滅状態にあったが、(南が経費を支払っていないとして、北が原油を押収するなどで軍事衝突に発展)が、両国は8月にやっと合意に漕ぎ着けた。CNNによると:交渉では南スーダンによるパイプラインや港の利用料の水準が焦点となっていたが、スーダン側が輸出税や精製経費としてパイプラインで輸送される原油1バレル当たり25.80ドル(約2012円)を受け取ることで合意した。両国の軍事衝突に伴い、南スーダンの上ナイル州にはスーダン側から避難民が殺到。援助団体などはこれら避難民の数は少なくとも15万人と推定している。国営テレビはまた、両国国境周辺で活動していたスーダンの反政府武装勢力と同国政府が2州での一部停戦に合意し、戦闘に巻き込まれていた住民への人道援助が可能になったとも伝えた。[CNN.co.jp]軍事予算 N/A、兵役 徴兵制(18歳~30歳 2年間)、兵力 約194,000人主要産業原油,農業,林業,畜産業,漁業石油収入に過度に依存(国家収入の9割が石油収入)。天然資源としては他に鉄鉱石、銅、雲母、クローム、タングステン、亜鉛、金、銀、ダイアモンドなども産出する。農産物としては綿花、ピーナッツ、サトウモロコシ、雑穀、アラビアガム、キャッサバ、サトウキビ、マンゴー、パパイア、コムギ、サツマイモなどがある。木材は主要輸出品でアフリカ最大のチークのプランテーションがある。経済は農業に大きく依存しているが、潜在的電力資源もある。GDP:億ドル130億ドル程度(2010年 南スーダン統計局)一人当たりGDP:ドル1,500ドル(2010年 南スーダン統計局)実質GDP成長率6%(2012年 EIU推定)物価上昇率最近のドル高,国際的食料及び原油価格の高騰を受けて上昇。2011年2月には,前年同月比39.6%も上昇。貿易額:輸出5.9億ドル(2010年 EIU)同 :輸入1.6億ドル(2010年 EIU)貿易品目:輸出原油同 :輸入機械・設備,工業製品,輸送機材,小麦・小麦粉貿易相手国:輸出中国,UAE,日本,サウジアラビア,インド同 :輸入中国,インド,ルーマニア,サウジアラビア,UAE対日輸出N/A 内訳石油等対日輸入 N/A 内訳輸送機材、機械等外国からの援助2011年現在、アメリカと中国などを中心に未整備な道路などのインフラや教育面などの援助が行われている。日本は最大部族になるディンカ族以外にも幅広い援助を行っている。特に石油資源を巡る中国の支援は北部政府とも連携して、際だっているようだ。日本の経済援助<南北スーダン>2010年まで有償: 105億円無償:1,264億円技術: 123億円日本の南部スーダン政府援助実績(2005年~2012年)1.スーダン支援国会合 7億1千万ドル以上2.総選挙支援実地など 2600万ドル3.南部住民投票支援 817万ドル4.人道支援2012年 3月 3500万ドル国境審査強化支援2012.8日本政府が向こう2年間で 540万ドル人身売買誘拐防止策南スーダン陸上自衛隊員任務・規模・ 司令部4名・ 道路等のインフラ整備(最大330名)・ 同上支援調整部隊(最大40名)・ 輸送・補給の海上自衛隊(170名)・ 人員・物資輸送空輸・整備部隊(170名)
Aug 24, 2012
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昨日は、次男が入院していたというので、慌てて見舞いと、退院の 手伝いに行ってきた。 内容は聞いていなかったが、胃の定期検査で、「胃カメラを飲んで 撮影した」ら、帰り道にコンビニに寄ったときに、気分が悪くなり、 救急病院に運ばれたという。 夏ばてに、仕事疲れの上に、「胃カメラ」という「異物」を飲み込ん だために、異常を来したのだろう。 小生などは、鈍感なのか、「胃カメラ」「大腸カメラ」撮影の時には、 「麻酔薬」で寝てしまい、起きたら終わっている。 兎に角、大事ではないようなので、安心した次第である。 さて、諸国基本事情であるが、だんだんと情報が少なくなる、 遠くの国に踏み込んできた。 大地溝帯を北に辿って来たが、その西側で、ナイル川を遡ると、 スーダン共和国に入り、その首都から「白ナイル」を遡上すると、 分離独立した「南スーダン共和国」となり、ほんの先日までは、 戦闘状態にあり、やっと、和平の糸口が見えてきた。 歴史には、ド素人ながら、昔々古代エジプトを救援しに、 南から「黒い人達」が押し寄せたという。 まさに、「黒い人」(=スーダンの意)は北のスーダン共和国には 少なく(イスラム教を信奉する褐色のアラブ人が多い)、 この南スーダン共和国の主流が「黒い人」で、かつ、キリスト教徒 であるという。 ピラミッドの数も、エジプトより、スーダン方面の方が多いようである。 幸いにして、南スーダンには、石油資源が豊富に埋蔵されており、 輸出パイプラインは北のスーダンを経由するので、両国の和平 合意により好転しよう。 米国、中国(資源重視)などが絡んでおり、日本も南側にPKOを 派遣している。 東に、エチオピアがあり、ここは古代キリスト教国であるのだから、 南スーダンとは「宗教的に近い国」であり、和平での協力が 得られる素地があるだろう。 呆けの素人には難しい国情だが、資料を集めてみる。 <北部の「スーダン共和国」は今年2月27日記述済み> 南スーダン共和国略史<外務省>年月略史1956年1月スーダン共和国独立1958年11月アブード軍事政権成立(1964年10月崩壊)1965年4月ウンマ党・国民統一党連立内閣成立1969年5月ニメイリ軍事政権成立,スーダン民主共和国に改称1972年3月アディスアベバ合意署名。第一次内戦(1955年開始)終結1983年1月ジョン・ギャラン率いるスーダン人民解放軍(SPLA)がスーダン国軍を攻撃。二次内戦勃発。1985年12月スーダン共和国に改称1986年5月民政移管によりマハディ政権発足1989年6月軍事クーデタによりバシール軍事政権成立1996年3月総選挙実施,バシール大統領当選(2000年12月再選)2002年7月マチャコス議定書の締結2005年1月南北包括和平合意(CPA)署名2005年4月国連スーダンミッション(UNMIS)を設立する国連安保理決議1590号採択2005年7月国民統一政府樹立2007年10月SPLMが国民統一政府への一時参加停止を表明(同年12月復帰)2009年3月ICCがバシール大統領に対する逮捕状発付2009年7月常設仲裁裁判所によるアビエ裁定発表2009年12月南部住民投票法・アビエ住民投票法成立2011年1月南部スーダン住民投票2011年7月南スーダン共和国独立<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,CNNニュースなど>国名南スーダン共和国通貨南スーダン・ポンド(SSP)変動相場制:1US$=約2.96スーダン・ポンド(2012年2月)(現在は暫定的にスーダン・ポンドを使用)国旗黒は南部スーダンの民(黒人)、白は平和、赤は自由のために流された血、緑は国土、青はナイル川の水、金色(黄色)の星はベツレヘムの星で南部スーダンの団結を象徴している(星に傾斜が加えられている)。国の標語Justice, Liberty, Prosperity (英語: 正義、自由、繁栄)面積:平方キロ640,000平方km日本の約1.7倍国の位置と独立北にスーダン、東にエチオピア、南東にケニア、ウガンダ、南西にコンゴ民主共和国、西に中央アフリカと国境を接するサハラ地方の内陸国。2011年7月9日に、スーダン共和国の南部10州が、アフリカ大陸54番目の国家として分離独立。元のスーダンは約251万平方kmあり、南スーダンはその1/4を受け継ぐ。人口:千人8,260千人(2008年)人口密度:/平方キロ13人
Aug 24, 2012
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(エリトリア国の基本事情 その1 から続く) 面積:平方キロ117,600平方km北海道+九州の広さ国の位置西にスーダン、南にエチオピア、東にジブチと国境を接し、北は紅海に面する。紅海の対岸のアラビア半島にはイエメンがあり島嶼部の領有で紛争し、四面敵視(楚歌?)の状態。人口:千人5,490千人(2011年)人口密度:/平方キロ47人首都アスマラ標高:2,300m東京からの大気圏距離:9,974km時差:JST-6時間サマータイムなし民族先住民は、エチオピアのアムハラ人とは、文化を異にするティグレ人である。ティグライ、アファール族など9民族言語ティグリニャ語、アラビア語、諸民族語宗教キリスト教、イスラム教他政体一党制(臨時政府)元首イサイアス・アフォルキ大統領議会一院制国民議会政権臨時政府は1991年発足。1993年の住民投票において有権者の99.8%がエリトリアの完全主権を主張、独立宣言。エリトリア人民解放戦線(EPLF)は解散し、民主主義と正義のための人民戦線(PFDJ)として改組国政選挙は2001年12月に行われる予定であったが、その後無期限の延期。エチオピアとの国境紛争で緊張関係にあり、破壊されたインフラ復興、兵士の動員解除及び退役後の社会復帰、難民・国内避難民の復帰等、多くの課題を抱えている。また、スーダンとはイスラム原理主義拡大として外交断絶、イエメンとは紅海の諸島の領有権で対立。国連安全保障理事会は、エリトリアがソマリアの反「政府」武装勢力を支援しているとして、エリトリアに武器の全面禁輸などの制裁決議を採択。軍事予算 65万米ドル(2005年支出)、兵力 総兵力 約20万(陸軍20万、海軍1400、空軍350)主要産業(農)根菜類、ソルガム、豆類、大麦、小麦(工鉱)金、大理石就業人口の多くが生産性の低い農業、牧畜業に従事。食糧の7割を輸入ないし援助に依存。GNI:億ドルGNP 17.9億ドル(2010年) 26.1億ドル(2011年)一人当たりGNI:ドル一人当たりGDP:ドル 340ドル(2010年) 475ドル (2011年)実質GDP成長率 2.2%(2010年) 8.7%(2011年)物価上昇率 29.5%(2010年) 13.3%(2011年)失業率 14.5%(2010年)財政収支/GDP比 ▼16.2%(2011年)政府総債務残高/GNP比 133.8%(2011年)経常収支(国際収支) 0.1億ドル(2011年)貿易額:輸出 84百万ドル(2009年)同 :輸入 379百万ドル(2009年)貿易品目:輸出食糧・家畜、ソルガム、繊維製品、食料、工業品同 :輸入機械、石油製品、食料、工業品貿易相手国:輸出(2002年)伊、スーダン、サウジアラビア、中、英同 :輸入(2002年)サウジアラビア、エジプト、中、印、独対日輸出 89万円(2010年) 内訳魚介類対日輸入1億5100万円(2010年) 内訳機械類、ゴム製品主要援助国2009年ノルウエー 10百万ドル日 9百万ドル英 7百万ドルスウエーデン 4百万ドル米 4百万ドル日本の援助実績2009年度まで有償: なし無償: 121億円技術: 17億円
Aug 23, 2012
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東にジブチ、南にエチオピア、西にスーダンと接し、北に紅海に 面しその沖の対岸にイエメンに対して、隣国との緊張状態が続き、 政情が臨時政府のままの不安定な国である。 国連も、エチオピアとの国境問題から停戦監視を諦め、安全保障 理事会は反政府ソマリア勢力の支援先として「武器の全面禁輸」 などの制裁措置を採択した。 私事ながら、しばらく日記は休み勝ち?となりますので、 ご勘弁を! エリトリア国略史<資料出所:外務省>年月略史1890年(スエズ運河の開通後)イタリアの植民地支配下におかれる1942年(第二次世界大戦で英が占領し)英の保護領となる1952年国連の決定により、エチオピアと連邦を形成1962年エチオピア議会がエリトリアのエチオピアへの併合を決議1972年エリトリア人民解放戦線(EPLF)を結成1991年5月(ティグレ人民解放戦線TPLFとともにエチオピア・首都アディスアベバに突入し、エチオピアに政変を起こし)EPLFがエリトリア臨時政府樹立を宣言1993年4月国連の監視の下、エリトリア地域の分離・独立を問う住民投票実施1993年5月24日エチオピアより独立1998年5月エチオピア・エリトリア国境紛争勃発2000年12月エチオピアとの包括的和平合意成立2002年4月国境委員会によりエチオピアとの(地図上の)国境線確定2004年第3回地方議会選挙 <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名エリトリア国国名の由来ラテン語で「紅海」の意味。ギリシャ語で「赤」を意味する。渡航危険情報<退避勧告>エリトリア南部のエチオピアおよびジブチ国境付近(スーダン国境付近も危険)<渡航延期勧告>デブバウィ・ケイバハリ地方北部<渡航是非検討>アスマラ市以外<十分注意>アスマラ市幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)162位通貨ナクファ(Nakfa)1米ドル=15ナクファ国花コーヒーの花国旗中央のオリーブのリースはエリトリアがエチオピアと連邦制をとっていた1952年当時のエリトリア国旗からとっている。緑は土地の肥沃さ、農業を表し、青は海を表す。赤は自由への闘争で流された血を表す。赤の使われている部分が左から右にかけて細くなっていき、右辺で消えているのは、この流血が将来無くなってほしいという願いを表している。(その2 に続く)
Aug 23, 2012
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(ジブチ その1 より続く) 政体共和制元首イスマイル・オマール・ゲレ大統領議会一院制国民議会(65議席)政権連立与党のRPP(進歩人民連合)とFRUD(統一と民主主義回復のための戦線、アファール系)が全議席を獲得首相 ディレイタ・モハメド・ディレイタ、外務・国際協力相 マフムッド・アリ・ユスフ外交基本方針 旧宗主国仏をはじめ、全ての国との友好協力関係維持に努力。近年アラブ連盟の一ヵ国として近隣のサウジアラビアを中心とするアラブ穏健派との関係が深い。2001年9月の米国同時多発テロ事件以降は、従来から駐留する仏軍に加え、米軍基地が置かれ、独、西軍も駐留。また、我が国を含め、ソマリア沖海賊対処にあたる各国は主にジブチを拠点としている。軍事予算 13百万ドル(2009年)、兵役 志願兵、兵力 10,450名(陸軍8,000名、海軍200名、空軍250名、憲兵隊2,000名)主要産業(運輸)ジブチ鉄道、ジブチ港湾サービス厳しい自然環境のため国土の大部分で農業未発達。主な収入源は、ジブチ鉄道による収入、中継貿易、ジブチ港の港湾施設サービス、仏軍、米軍等の駐留による利益。依然として1万人以上のソマリア難民、エチオピア難民が存在し同国経済を圧迫。GNI:億ドルGNP:億ドル9.6億ドル(2008年) 12.4億ドル(2011年)一人当たりGNI:ドル1,130ドル(2008年)1,467ドル(2011年)実質GDP成長率3.9%(2008年)4.5%(2011年)物価上昇率3.1%(2008年)5.1%(2011年)財政収支/GDP比▼0.7%(2011年)政府総債務残高/GDP比55.5%(2011年)経常収支(国際収支)▼1.6億ドル(2011年)貿易額:輸出0.8億ドル(2009年)同 :輸入再輸出品、現地製造品貿易品目:輸出554億ドル(2009年) 同 :輸入食料、石油製品、カート、機械・電機器具貿易相手国:輸出ソマリア、UAE、イエメン、オマーン同 :輸入サウジアラビア、印、中国、米国対日輸出3.9億円(2009年) 内訳再輸出品対日輸入 91.5億円(2009年) 内訳自動車、タイヤ主要援助国2009年仏: 42百万ドル日本:19百万ドル伊: 12百万ドル米: 6百万ドルスペイン:3百万ドル日本の援助実績2009年度まで有償: 0億円無償:253億円技術: 29億円 日本との関係・ 1986年、南イエメン内乱で在留邦人75名がジブチ経由で帰国・ 阪神大震災時にグーレド大統領(当時)が私金1万ドルを義援金供与。・ ソマリア沖・アデン湾の海賊対処のために日本が派遣している護衛艦2隻、P-3C哨戒機はともに拠点をジブチとしている。・ 2012年1月に日本大使館を現地に開設。
Aug 22, 2012
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タンザニアからケニア、さらにエチオピアへと高原地帯が 続くが、地球の割れ目と言うべき、「大地溝帯」が貫いており、 ジブチでは海水面より低い標高地点(▼155m)の火口湖・ 塩湖が現れる。 それは、紅海を経て「死海」へと続く、今も拡大する割れ目。 ジブチはその三角地帯にあり、付近は古代人類発祥の地域らしい。 と言うか、古代人類の活動形跡が追跡できるような地質構造である と言った方が、無難かも知れない。 この国の大統領は、阪神大震災の義援金を私費で1万ドル供与 してくれ、日本人の南イエメン脱出を助け、今もアデン湾の海賊 対処のための日本艦船などを受け入れてくれている。 もし、将来、紅海の海水がこの国の盆地に流れ込むような時代が 来れば、日本が率先して援助することが、恩返しなのだろう。 政治の素人であるが、大地溝帯という物理的な割れ目の先には、 シリアという人為的な割れ目・戦争争乱の地域があり、政府・ 反政府勢力の抗争が激化して、仲裁機関は退避を余儀なくされて、 報道機関も日本人女性記者を含めて死傷している。 メルトダウンした原子炉の中も危険でありロボット開発が急がれ るが、戦闘地域に非戦闘員が無防備で入り込むのには無理があり、 紛争地記者もロボットでなければ無理でなかろうか。 シリアはこの呆けの日記でも、今年2月6日に国情を記している。 ジブチ共和国の基本事情 略史<資料出所:外務省>年月略史1862年3月仏、ジブチ市北方のオボック地方をアファール族より譲り受ける1885年仏、イッサ族よりジブチ市近辺を譲り受ける1896年5月仏領ソマリランドに名誉総督を派遣1946年仏海外領土となる1967年3月仏領アファール・イッサと改名1977年6月仏より独立、グーレド大統領就任1991年11月政府軍と反政府軍FRUD(アファール系)の武力衝突により内戦が勃発1992年9月国民投票(新憲法採択)1994年12月政府とFRUDの間で和平合意に署名1996年3月FRUDが政党として正式に公認される1999年4月大統領選挙 ゲレ候補当選1999年5月ゲレ大統領就任2000年2月政府と武装FRUDとの間で和平枠組み合意に署名2001年5月政府と武装FRUDとの間で最終和平案を合意2003年1月総選挙で与党連合が国会の全65議席を獲得2005年4月大統領選挙 ゲレ大統領再選2010年4月憲法改正(大統領任期の短縮(6年から5年))、再選回数制限の撤廃等2011年4月大統領選挙でゲレ大統領3選<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ジブチ共和国国の位置と大地溝帯アラブとアフリカの十字路に位置する(タンザニア、ケニア、エチオピアからの大地溝帯が、紅海、アデン湾に分岐する場所・アファール盆地or三角地帯<アフリカ最低標高で海面下155m>である)国家。エリトリア、エチオピア、ソマリアと接し、紅海の入口、アデン湾に臨む。フランス領アファル・イッサ(旧称ソマリア海岸)が 1977年独立。大地溝帯の谷は、幅35 - 100 km、総延長は7,000 kmにのぼる。正断層で地面が割れ、落差100 mを超える急な崖が随所にある。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)150位通貨ジブチ・フラン(Dfr)1米ドル=177.7ジブチ・フラン(固定レート)国旗緑は国土を、水色は空を、白は平和をそれぞれ表し、赤い星は統一を表す。青はソマリ系のイッサ族を、緑はエチオピア系のアファル族を、白い三角はこの2つの部族の統合を示し、赤い星は独立の闘争を表している。面積:平方キロ23,200平方km四国の約1.3倍人口:千人850千人(2011年)人口密度:/平方キロ36人首都ジブチ人口約480千人東京からの大気圏距離:9,856km時差:JST-6時間サマータイムなし民族ソマリア系イッサ族(50%)、エチオピア系アファール族(37%)言語アラビア語、仏語宗教イスラム教(94%)(ジブチ その2に続く)
Aug 22, 2012
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エチオピア(その1)より続く 国旗中央にエチオピアの国章を配した緑、黄、赤の横三色旗。緑は、肥沃な大地を、黄は、平和、民族・宗教の調和、赤は、国土の防衛のために流された血を象徴する。国章は青の盾形紋地に、光線を発している金色の五芒星を含んでいる。この五芒星は、旧エチオピアの皇族の先祖だとされるソロモン王の紋章が起源とされている。今日では、五芒星は人々の結束とエチオピアの愛国心を表す。面積:平方キロ1,097,000平方km日本の約3倍国の位置と大地溝帯東をソマリア、南をケニア、西を南スーダン、北西をスーダン、北をエリトリア、北東をジブチに囲まれた内陸国。大地溝帯は同国を南北に走る高原地帯から、湖(ズワイ、シャーラ、チャモ、トゥルカナ)群を経てタンザニアに至り、周囲にはケニヤ山、キリマンジャロを持つ山地が広がる。北に向かっては、ジブチで紅海、アデン湾に分かれ、紅海からシナイ半島・アカバ湾・ヨルダン渓谷・死海に繋がる。人口:千人86,830千人(2011年)「サハラ以南のアフリカ」ではナイジェリアに次ぐ人口。人口密度:/平方キロ79人首都アディスアベバ(アムハラ語で「新しい花」)人口:約300万人標高:2,400m(2300-2500m)高山病症状に注意東京からの大気圏距離:10,412km時差:JST-6時間サマータイムなし民族オロモ族、アムハラ族、ティグライ族等約80の民族言語アムハラ語、英語宗教キリスト教(エチオピア正教会、東方諸協会・非カルケドン派でコプト派に近い)50%、イスラム教30%、アニミズム、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教など政体連邦共和制元首ギルマ・ウォルデギオルギス・ルチャ大統領議会二院制(人民代表議会〔下院〕と連邦議会〔上院〕)政権首相 メレス・ゼナウィ、外相 ハイレマリアム・デサレン(副首相兼任)(現在4期目)。連立与党(エチオピア人民革命民主戦線 (EPRDF))で成り立っており、構成は、オロモ人民民主機構 (OPDO)、アムハラ民族民主運動(ANDM)、南エチオピア人民民主戦線、ティグレ人民解放戦線 (TPLF)の4党。「アフリカの角」地域の安定勢力として、ソマリア(当国のオガデン洲地方にソマリア人が住み、同州の分離・ソマリア復帰を目指す運動が激化し、軍事政権内紛時に紛争が発生した)の安定化やスーダン和平に積極的に関与。エリトリア独立で国境画定未確定により国交正常化に至らず。軍事予算 330百万米ドル(2007年支出)、兵力 総兵力13.8万(陸軍及び空軍)(2008年ミリタリーバランス)主要産業農業(コーヒー、メイズ、テフ、ソルガム、大麦等)、畜産業、首都で若干の工業(繊維、食品加工など)GDI:億ドルGNP:324億ドル(2010年)313億ドル(2011年)一人当たりGDI:ドル 390ドル(2010年)<最貧国水準> 360ドル(2011年)実質GDP成長率10.1%(2010年)7.5%(2011年)物価上昇率24.2%(2009年)18.1%(2011年)失業率20.5%(2009年)財政収支/GDP比▼1.6%(2011年)経常収支(国際収支)▼0.7億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼53.3億ドル貿易額:輸出(2010年)A46.5億ドル同 :輸入(2010年)B99.8億ドル貿易品目:輸出コーヒー、油料種子同 :輸入石油、穀物・穀類貿易相手国:輸出米、独、サウジアラビア、蘭、ジブチ同 :輸入中国、サウジアラビア、印、米、伊対日輸出(2010年) 40億円 内訳コーヒー、原皮など対日輸入(2010年)76億円 内訳自動車、機械類など日本からの直接投資 683万ドル(1951年~1974年) それ以降なし主要援助国2009年米 726百万ドル英 343億ドル日 98億ドル加 87億ドル蘭 86億ドル日本の援助実績2009年度まで有償: 37億円無償:932億円技術:243億円
Aug 21, 2012
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丸1ヶ月の間、家内が高知市に帰省していたため、暇に任せて 呆けの日記、諸外国の基本事情を「写経」的に綴ることが できた。 とは言っても、一応は食事は自分で簡単に準備作成?した。 お弁当、冷凍食品や、保存食料などが容易に入手できるし、 関東の田舎なので道路端や、スーパーで生野菜・果物も手に入る。 家内は、「一人では心配なら高知市に来ても良いよ!」、と いってくれたが、独人でテニス、日記ができる生活もいいものだ。 ただ、早朝から地域テニスで4時間近い運動は、きつくてキラキラと 光が舞い始める時があり、深呼吸して、さすがに切り上げたものだ。 つまり、夏は、血管が拡張し、血圧サラサラの薬効も手伝い、血圧 自体は上手く操作できているようだ。 本日は、家内が戻るので、今朝は、早く起きて、掃除をして、 日立奥様会テニス、太極拳練習に出かけて、また少し掃除だ。 家内は綺麗好きであり、小生はそのままでいいので、ギャップは 大きく、「慌てての一日掃除」でも致し方ないのである。 さて、正式国名のない「ソマリア」に次いでは、古代キリスト教が 根付いている「エチオピア」の国情を見る。 東京オリンピックで裸足のランナーも居たように記憶している。 ローマに続いて東京でもオリンピック・マラソン連続金メダルの 活躍だった。 たしか、アベベ選手だったが、首都の名前と似ている。 エチオピア連邦民主共和国の基本情報略史<資料出所:外務省>年月略史1962年エリトリア地方併合1974年革命により王制廃止、社会主義国家建設宣言、臨時軍事行政評議会(メンギスツ議長)設立1977~1978年オガデン紛争(ソマリアと交戦)1984年エチオピア労働者党(メンギスツ書記長)設立1987年エチオピア人民民主共和国樹立1991年5月エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)首都侵入、メンギスツ政権崩壊1991年7月エチオピア暫定政府成立1993年5月エリトリアがエチオピアから分離・独立1995年5~6月第1回国会選挙(連邦下院選挙及び地方議会選挙)実施1995年8月暫定期間終了、エチオピア連邦民主共和国樹立、メレス新政権樹立1998年5月エチオピア・エリトリア国境紛争勃発2000年5月第2回国会選挙2000年12月エリトリアとの包括的和平合意成立2002年4月国境委員会によりエリトリアとの(地図上の)国境線確定2005年5月第3回国会選挙2010年5月第4回国会選挙 <資料出所:外務省、世界経済のネタ帳、WIKIPEDIA、日本アフリカ学生会議など>国名エチオピア連邦民主共和国渡航危険情報<退避や注意喚起>・北部のアファール洲のエルタ・アレ(火山噴火口の観光スポット付近で欧州観光団への武装集団の襲撃事件5人死亡、数人の負傷、誘拐が発生した。本年1月19日、その他にもエリトリア国境周辺では緊張状態にある。退避勧告)・ソマリ洲のソマリアとの国境付近(退避勧告)・スーダン国境、ケニア国境付近に渡航是非検討・首都内で発生している集会・抗議活動に注意など、多数の危険情報有り。衛生・医療事情一般マラリア危険地域。湖沼に寄生虫がいて生水・遊泳厳禁。インフラ整備不十分で衛生水準は低い。エチオピア人の平均寿命は55才で、死因の7割は肺炎、マラリア、栄養失調、下痢、AIDSなどです。入手できる医薬品は限られる。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)153位通貨ブル1米ドル=17.6ブル(2012年1月現在)国花と著名な花マスカルの花(マスカルはアムハラ語で十字架という意味)・・ひな菊の一種カラー・エチオピカ(サトイモ科湿地性)もこの国の「乙女のしとやかさ」を表す素敵な白い花(その2へ続く)
Aug 21, 2012
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<外務省、WIKIPEDIAなど>Revised 2017.10国名ソマリア連邦共和国(Federal Republic of Somalia)通貨ソマリア・シリング(SOS)2013.51ドル=15,000 SOS国旗イタリアからのソマリア独立は国連の援助により為し得たため、国連の旗と似たデザインを標榜。五芒星はソマリ族居住地の5つの地区を表す。この5地区とは、イギリス領ソマリランド、イタリア信託統治領ソマリア、仏領ソマリ海岸(現在のジブチ)またはフランス領アファル・イッサ、オガデン(エチオピア内ソマリア人地区)、南西ソマリア開発区(ケニア実効支配)を指す(大ソマリア主義)。面積:平方キロ638,000平方km日本の約1.8倍国の位置東アフリカのアフリカの角と呼ばれる地域を領域とする国家。ジブチ、エチオピア、ケニアと国境を接し、インド洋とアデン湾に面する。現在の国土は「ソマリア共和国」暫定政権の南部[1960年、イタリアから独立した地域]と、1998年7月に自治宣言した「プントランド共和国」(首都ガローウェ、暫定政権との連邦制に肯定的)の北東部、91年に独立宣言した旧英領の「ソマリランド共和国」(首都ハルゲイサ、国際的に未承認、東部に分離の動き)の北部[1960年に英から独立した地域]からなる。人口:千人1,050万人(2013年:世銀)人口密度:/平方キロ16人首都モガディシュ人口155.4万人(2011年、国連) 東京からの大気圏距離:10,284km時差:JST-6時間サマータイムなし民族ソマリ族言語公用語:ソマリ語、アラビア語第二公用語:英語、イタリア語宗教イスラム教政体連邦共和制元首ハッサン・シェイク・モハムッド大統領(H.E. Mr. Hassan Sheikh Mohamud)(2012年9月就任、任期4年)議会二院制(上院:最大54名(現時点では未選出)、下院:275名、いずれも任期4年)政権(1)首相 オマール・アブディラシッド・アリ・シャマルケ(H.E. Mr. Omar Abdirashid Ali Sharmarke)(2)外務大臣 アブディサラーム・ハドリエ・オマール(H.E. Mr. Abdisalam Hadlie Omar)TFGは2012年8月20日の暫定統治期間終了に向け、国連や国際社会の後押しを得て、8月に暫定憲法を採択し、新連邦議会が招集、9月にハッサン・シェイク・モハムッド大統領が選出され、10月にアブディ・ファラ・シルドン首相が就任、11月に新内閣が発足し、21年ぶりに統一政府が樹立した。なお、2014年12月、首相が交代し、新たにオマール・アブディラシッド・アリ・シャマルケ首相が就任、2015年2月に新内閣が発足した。軍事約2万人(ミリタリーバランス2014)。AMISOM*軍が2007年より展開中(現在約17,000人、22,000人規模に増強中)。*アフリカ連合ソマリア・ミッション(AMISOM: African Union Mission in Somalia。2007年~)主要産業畜産業(ラクダ、羊、山羊、牛等)、農業(ソルガム、メイズ、米、豆、ゴマ等)地下に石油・ボーキサイトなどを含有する地層が存在するが、未開発である。伝統的に家畜とバナナが主要輸出品目だったが、内戦に加え、主要輸出先である湾岸諸国による家畜輸入禁止措置や、度重なる干ばつの影響により経済は荒廃。GDP1,067百万ドル(2011年:国連)一人当たりGDP112.0ドル(2011年:国連)総貿易額:輸出 51.6百万ドル輸入 12.7百万ドル(2012年CIA)貿易品目:輸出家畜、バナナ、皮革、水産物同 :輸入工業製品、石油製品、食料貿易相手国:輸出UAE、イエメン、オマーン同 :輸入ジブチ、インド、ケニア、中国、パキスタン対日輸出 0.12億円(2008年) 内訳生鮮魚類、精油(2008年)対日輸入2.95億円(2008年) 内訳自動車、貨物自動車(2008年)主要援助国単位:百万ドル2010年1位 英 62.33 2位 米 59.353位 ノルウエー 31.594位 日本 29.075位 スウエーデン 25.88援助受取総額 662百万ドル(2009年)日本の経済援助2011年度まで有償:64.7億円無償:333.08億円技術: 8.71億円ソマリアの位置<ソマリアの位置>日本の姿勢ソナリア政府承認 2012.11 (21年ぶり)二国間援助再開(1)基礎サービス改善(食糧援助、インフラ支援、水・衛生、教育等)、(2)治安回復(ソマリア警察支援、海賊対策)、(3)経済活性化の三つの分野を中心に支援を2007年から継続して実施している。日本は在ケニア大使館が兼轄
Aug 20, 2012
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韓国とは竹島問題、中国とは尖閣諸島問題で、日本政府は ギクシャクし始めていて、21日からの日中韓FTA協議の 行方が注目されている。 朝日新聞によると、日中韓の域内貿易が1990年の12.3%から 2011年には21.3%と倍増し、日中韓の3ヶ国のGNPは 欧州連合に匹敵する規模になった、という。 過去の出来事にばかり拘泥し、お互いに足を引っぱるのでなく、 世界の円滑な成長を図るべき経済規模にあることを、お互いが 認識する必要があると思う次第。 今日は、資料が少ないが、内戦状態と、干魃などで混迷している、 ソマリアを見てみたい。 外務省から、「全土」:「退避を勧告。渡航延期要請。」が出ている。 「イスラム過激派勢力」VS「暫定連邦政府軍」の戦闘状態で、非常 に危険な国情にあり、治安状況の改善の見通しはつかない。 ソマリアでは、隣国との関係よりも、自国の貧困は目を覆うしかない のであり、デモで過去の事件を取り上げたりできるアジアの現代は、 これに比べれば平和であろう。 海賊の収入がGNPに組み込まれると、さえ言われる国情は悲しい。 ソマリア略史<資料出所:外務省> 年月略史1960年7月伊信託領及び英領がそれぞれ独立し、合併して「ソマリア共和国」を形成1969年10月クーデターによりバレが最高革命評議会議長に就任。その後、大統領に1991年1月バレ大統領追放、全武装勢力間の内戦状態に突入1991年5月北部が「ソマリランド」と自称し独立宣言1992年4月国連ソマリア活動(UNOSOM)、米を中心とする統一タスクフォース(UNITAF)が活動開始1995年3月UNOSOMが、武装勢力間の抗争、武装勢力の激しい抵抗により完全撤退1998年7月北東部が「プントランド」と自称し自治領宣言2000年8月ジブチの仲介で、暫定国民「政府」成立(ただし2003年に崩壊)2005年1月周辺諸国の仲介で、暫定連邦「政府」(TFG)成立2006年6月「イスラム法廷連合」(UIC)がバイドアを除く中・南部ソマリア地域を制圧2006年12月TFGの要請を受けたエチオピアがソマリアに派兵2007年9月エチオピア軍に駆逐されたUICが、エリトリアで「ソマリア再解放連盟」(ARS)結成2008年8月TFGとARSの穏健派グループが、ジブチ合意(停戦等)に署名2009年1月エチオピア軍撤退終了後、反TFG勢力アル・シャバーブがバイドアを掌握シェイク・シャリフ(ARSの穏健派グループ指導者)が、ユスフ初代TFG「大統領」の後任として就任2011年6月シェイク・シャリフTFG「大統領」とハッサン暫定連邦議会「議長」が、TFGの暫定統治期間の1年延長を決定する旨のカンパラ合意に署名。2012年8月新暫定憲法が採択され、TFGの暫定統治期間の終了とともに、新連邦議会が発足。2012年9月ハッサン・シェイク・モハムッドが連邦議会により新大統領に選出され就任2012年10月ハッサン大統領によりアブディ・ファラ・シルドン氏が新首相として任命され、連邦議会の承認を得て就任。翌月、新内閣が発足2013年12月シルドン首相が連邦議会で不信任決議を受け、アブディウェリ・シェイク・アフメド氏が新首相として任命される。翌年1月、連邦議会の承認を得て新内閣が発足2014年12月アブディウェリ首相が連邦議会で不信任決議を受け、オマール・アブディラシッド・アリ・シャマルケ氏が新首相として任命される。翌2015年2月、連邦議会の承認を得て新内閣が発足 <その2に続く>
Aug 20, 2012
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(その1より続く) 国の位置ケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、ザンビア、マラウイ、モザンビークと国境を接し、タンガニーカ湖対岸にはコンゴ民主共和国(旧名:ザイール)があり、またインド洋に面する。アフリカ大陸東部沿岸のタンガニーカと、島嶼国・ザンジバルとが連合した国家である。人口:千人44,840千人(2010年:世銀)、人口増加率 3.0%(2010年:世銀)人口密度:/平方キロ47人首都ドドマ(法律上の首都であり、国会議事堂が置かれている。人口約195万人)(2007年)ダルエスサラーム(政府官庁が存在するなど、事実上の首都機能を有し、経済面でも中心となっている(人口約288万人))(2007年)ドドマからの大気圏距離: 397km(ダルエスサラーム)東京からの大気圏距離:11,407km(ダルエスサラーム)時差:JST-6時間(ダルエスサラーム)サマータイムなし民族スクマ族、マコンデ族、チャガ族、ハヤ族等(約130)言語<タンザニア大使館情報>公用語・・・スワヒリ語スワヒリ語は各地の様々な言語とともに一般的に使われていて、すべての小学校でスワヒリ語による教育が行なわれている。第二公用語・・・英語英語は第二公用語で、ビジネス用言語であり、また中等・高等教育の理系科目の教授用言語でもある。アラビア語はザンジバルを始め沿岸部で広く話されている。宗教<タンザニア大使館>大陸地区・・・キリスト教30%、イスラム教35%、伝統的信仰35%ザンジバル地区・・・99%以上がイスラム教 政体共和制:イギリス連邦加盟国(本土タンガニーカと島嶼ザンジバルが合併してできた連合共和国。連合共和国大統領は本土および島嶼ザンジバルの有権者の直接投票により選出される。一方で、島嶼ザンジバルには、連合共和国政府とは別の独自の司法・立法・行政自治権があり、独自の大統領を有する。本土タンガニーカのみの自治政府はない。)元首ジャカヤ・ムリショ・キクウェテ大統領議会一院制(任期5年)定員357名政権2010年10月には連合共和国及びザンジバル共に大統領選挙・国民議会選挙が平穏に実施された。連合共和国では、約61%の得票率によりキクウェテ大統領が再選され、ザンジバルでは、任期満了のカルメ大統領に代わり、シェイン与党CCM候補(連合共和国副大統領)がハマド野党CUF候補を僅差で破った。軍事予算 247百万ドル(2009年)、兵力 総兵力 27,000人 陸軍 23,000人 海軍 1,000人 空軍 3,000人、(2011 ミリタリー・バランス)主要産業農業:GDPの約25%。農業従事者は労働人口の約68%。(コーヒー、サイザル麻、茶、綿花、カシューナッツ、タバコ、グローブ、トウモロコシ、キャッサバ等)工業:GDPの約21%。(製造業、建設業、鉱山・採石業等)サービス業:GDPの約52%。(観光業等)GNI:億米ドル<GDP>234億ドル(2010年:世銀)<233億ドル(2011年:ネタ帳)> 一人当たりGNI:米ドル一人当たりGNP:米ドル530ドル(2010年:世銀) 553ドル(2011年:ネタ帳)実質GDP成長率7.0%(2010年:世銀)6.7%(2011年:ネタ帳)物価上昇率6.2%(2010年:世銀)7.0%(2011年:ネタ帳)失業率1.5%(2008年、タンザニア統計局)財政収支/GDP比 6.0%(2011年:ネタ帳)外貨準備高 24億ドル(2007年度)経常収支(国際収支)▼22.5億ドル(2011年:ネタ帳)貿易収支(国際収支)A-B▼34.8億ドル(2009年)貿易額:輸出A29.3億ドル(2009年)同 :輸入B64.1億ドル(2009年)貿易品目:輸出(2009年)金、製造品、綿、タバコ、コーヒー等同 :輸入(2009年)原油、機械、産業資材等貿易相手国:輸出(2009年)スイス、中国、南ア、ケニア、印同 :輸入(2009年)印、中国、南ア、アラブ首長国連邦、日本対日輸出(2010年度)136億円 内訳コーヒー、貴金属、ゴマ、魚対日輸入(2010年度) 264億円 内訳自動車等輸送機械、機械製品日本からの直接投資受入額 134百万ドル(2003年までの累計)主要援助国2009年(単位:百万ドル)米 284英 217日 121ノルウエー 116デンマーク107
Aug 19, 2012
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尖閣諸島は、日本政府が実効支配を、実体化しないために、民間ベースの花見の陣取り合戦のような風合いも帯びてきた。竹島は日本領土と言いながら、韓国が実効支配し、ヘリポートまで造作している。秀吉の「一夜城」とまではいかないだろうが、魚釣島では何も見あたらないのはどうしたものか?今は、所有者は日本の一般人なので、造作もできないかも。政府間の正当な領有権の確認も必要だ。日本政府は、マニフェストを守らずに、新しい方針を先取りし、消費増税を先行したが、尖閣諸島はきちんと先取りできるだろうか?尖閣諸島が、一般日本人の立ち入り禁止場所であり、他方で外国人が「公言領土侵入」しても、無罪・強制帰国優遇措置である。実効支配していても、日本国民が何らかに、有効利用できないなら、無意味ではなかろうか。 東京都が地権者から購入して、都民の海洋遊園地として国民が有効利用できるよう、または、国が購入して先端防衛基地建設、日米共同防衛訓練場所として、オスプレイを配置するくらいの政治的な決断が欲しいものである。資源が見つかるまでは、民間企業に探査させるなどの措置さえできないのだろうか?呆け頭には難しい話はこれくらいにしよう。 さて、随分昔のこと、調査団に入れなくて訪問できなかった国・タンザニア連合共和国の基本事情をWEB紙面で追ってみたい。タンザニア連合共和国略史<資料出所:外務省、タンザニア大使館(日本駐在)>年月略史(それ以前)<タンザニア大使館情報>タンザニアは人類発祥の地といわれる。北部にはルイス・リーキー博士が175万年前のものとされる現代人の祖先、ジンジャントロプスの化石を発見したオルドパイ渓谷がある。さらにオルドパイ渓谷から南へ30キロメートルしか離れていないラオテリでは、360万年前のヒトの足跡が発見されている。アラブ商人が2000年前にはタンザニアの海岸に到達し、7世紀頃にはザンジバルに定住するようになった。タンザニア内陸部への通商ルートが確立されたため、アラブ人の影響を受けたスワヒリ文化とスワヒリ語が沿岸部から内陸部へと浸透していった。16世紀には一時ポルトガル人が定住していた。キルワには、ポルトガル人が1505年に建造した砦の遺跡「ゲレーサ」がある。しかし17世紀後半、ポルトガル人は象牙や奴隷の売買を始めたオマーン人に取って代わられた。象牙はインドで大変な需要があった。インドでは既婚女性は象牙の腕輪を身につけ、亡くなったときには一緒に埋葬された。18世紀には象牙は日本とも取り引きされていた。 日本では「根付け」の生産に必要とされていた。奴隷は象牙を海岸に運ぶために働かされていた。 奴隷は、ザンジバルの丁子(クローブ)プランテーションやモーリシャスの砂糖プランテーションでも必要とされていた。またペルシャ湾岸、ヨーロッパ、アメリカ大陸に輸出される奴隷もいた。(19世紀)[オマーン帝国のサイードがソマリアからタンザニアに至るアフリカ東岸諸都市を攻略し、ザンジバルにストーン・タウンを建設し、1840年(マスカットから)遷都。奴隷貿易、移植したチョウジを特産品として栄えた。1861年にはオマーン・スルタン国と分離、サンジバル・スルタン国として香辛料交易、奴隷貿易で、栄えて、スワヒリ商人は内陸部まで入り、探検家リビングストン、スタンリーの活動を助けた。これらヨーロッパの探検隊は、宗教的、あるいは政治的な目的(「列強によるアフリカの植民地化分割」)を帯びており、探検の目的は奥地へのキリスト教の布教や、奥地の首長との政治関係樹立を行っていった]1881年ドイツ領となる。1920年英国委任統治領となる。(第二次世界大戦では、軍の動員で出征し、東アフリカ戦線ではイタリア軍と、ビルマ戦線(インパール作戦)では日本軍と対峙した。タンガニーカから87千人。)1961年独立(ニエレレ首相)1962年共和制移行(ニエレレ大統領)1964年タンガニーカ・ザンジバル合邦、タンザニア連合共和国成立1985年ムウィニ大統領選出1990年ムウィニ大統領再選1995年ムカパ大統領選出2000年ムカパ大統領再選2005年キクウェテ大統領選出2010年キクウェテ大統領再選 <資料出所:外務省、WIKIPEDFIA,世界経済のネタ帳など> 国名タンザニア連合共和国渡航危険情報発生ザンジバル・ストーンタウン周辺暴動に関して「注意喚起」。ブルンジ国境付近「渡航延期」、インド洋沿岸部(ザンジバルを含む)、タンガニーカ湖岸ならびにルワンダ国境付近「十分注意」国名の由来タンザニアを構成するために連合したタンガニーカとザンジバルの名前に、かつてアフリカ南部で栄えたアザニア文化の名前を複合して1964年に命名された。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)121位通貨タンザニア・シリング(T.shs)1ドル=約1,578タンザニア・シリング(2012年1月現在)国花ばら国旗<タンザニア大使館情報>タンザニアの旗には緑、金色、黒、青の4色が使われている。黄色(金色)で縁取られた黒い帯が左下から斜めに旗を分けていて、左上の三角形が緑色、右下の三角形が青。黒は人々、緑は大地、青は海、金色は鉱物資源をあらわしている。 1964年に、それまでのタンガニーカとザンジバルの国旗をもとに、現在のタンザニア連合共和国の国旗が制定された。国の標語スワヒリ語: "自由と統一"面積:平方キロ945千平方km(日本の約2.5倍)ケニアとの国境近くのキリマンジャロ山(5,895m)の大部分は当国にある。ビクトリア湖も南半分近くは当国領内。
Aug 19, 2012
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ニュージーランドの基本事情(2016年改訂)略史<資料出所:外務省>年月略史1642年タスマン(オランダ人探険家)により発見される。1769年クック(英国人探険家)南北両島を探検。1840年英国代表と先住民マオリの伝統的首長との間でワイタンギ条約署名(これにより英国はNZを自国の植民地とした)。1907年英国自治領となる。1947年英国のウェストミンスター法受諾(英国議会から独立した立法機能取得)(2010年9月、2011年2月)(カンタベリー地方では、2010年9月にはマグニチュード6.1、2011年2月には同7.0の地震が発生し、クライストチャーチ大聖堂の塔が崩壊し、市内の多くの地域で停電や断水が発生し、未曾有宇の液状化現象で4万~5万棟の家屋が被害を受けた。さらに、地元のテレビ局と、語学学校が入居しているビルが倒壊して、生徒・留学生が多数巻き込まれた。日本人留学生も多数死亡・負傷した。2011年3月3日に政府は生存者がいる可能性はないとして捜索を打ち切った。死者185名、うち日本人28名。倒壊したCTV・語学学校ビルは、市の検査で建築技師が立ち会っておらず、後に、構造上の欠陥も判明している。)<資料出所:外務省、JETRO,CIA,WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ニュージーランド略称 NZ愛称は現地に棲む鳥から「キーウィ」(kiwi)。<日本を「瑞穂の国」と呼ぶのと同等表現>幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)18位通貨1NZドル=81.83円=0.7126米ドル(2012年5月平均、NZ準備銀行)国花コーファイ(Kowhai)。高さ10mほどの木でマメのサヤを思わせる細長い黄色い花が咲く。英名では「TEA TREE」。国旗青地に左上(カントン)にユニオンジャックを配し、白く縁取られた四つの赤い星からなる南十字星をあらわしている。オーストラリアの国旗同様、ブルー・エンサインを基にしたものである。面積:平方キロ270,534平方km日本の3/4よりやや小さい(72%)国の位置、日本と似た火山地形にある島国であり、2つの主要な島と、多くの小さな島々からなる。北西に2,000km離れてオーストラリア大陸(オーストラリア連邦)と対する。南方の南極大陸とは2,600km離れている。北はトンガ、ニューカレドニア、フィジーがある。ニュージーランドの北島は日本と同じように地震・火山や地熱活動が活発で、特にホワイトアイランドからルアペフまでのタウポ火山帯では,素晴らしい火山地形を見ることができる.人口約469万人人口密度:/平方キロ17人首都ウェリントン都市圏人口(48.3万人、2008年)東京からの大気圏距離:9,282km時差:JST+3時間日本より3時間早く進んでいる。日本が8時のとき現地は11時である。サマータイムではJST+4時間民族欧州系(74%)、マオリ系(14.9%)、太平洋島嶼国系(7.4%)、アジア系(11.8%)、その他(1.7%)(2013年国勢調査)言語英語、マオリ語、手話(2006年より)宗教信仰を持つ国民は総人口の53%で、そのうちの48.96%がキリスト教で、宗派別では以下カトリック26%,、英国国教会、長老会、メソディストの順となっている(2013年 国勢調査)政体立憲君主国イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国である。元首エリザベス二世女王(英国女王)総督パッツィー・レディー(Hon. Dame Pasty Reddy, GNZM, QSO)(2016年9月着任,5年の任期)議会一院制(120名、任期3年、国民党56、労働党46、NZファースト党9,緑の党8、)政権2017.10.19(国民党連立政権→9年ぶり政権交代)労働党+緑の党+NZファースト党の連立政権首相 ジャシンダ・アーダン(労働党)(労働党、女性党首、37歳)2017.10.19副首相兼外相 ピーターズ(NZファースト党党首)軍事(1)予算:約20.4億NZドル(2015年-2016年度予算)(2)兵役:志願制(3)兵力:正規11,440名(陸軍6,255名,海軍2,570名,空軍2,615名)(2016年4月現在,NZ国防省)主要産業 酪農製品,肉類,林産品,機械類が主力 最近ではバイオテクノロジーを含む科学技術分野や映画製作等に注力GDP:億ドル1,723億米ドル(2016 IMF, 2015年6月末統計)1,820億米ドル(2016 est.CIA)一人当たりGDP:ドル37,066米ドル(2016 IMF, 2015年6月末統計)実質GDP成長率 2.4%(2015-2016年度) 4% (2016 est. CIA)物価上昇率 0.6%(2016 est. CIA)失業率 5.1%(2016 est. CIA)公的債務/GDP 34%(2016 est. CIA)財政収支/GDP比 0.3%(2016 est. CIA)外貨準備高185.5億米ドル(31 December 2016 est.)経常収支(国際収支)▼ 49.57億米ドル(2016 est. CIA)貿易収支(A-B)▲28.7億米ドル貿易額:輸出A2016319.6億米ドル(2016 est. CIA)484億NZドル同 :輸入B2016348.3億米ドル(2016 est. CIA)516億NZドル貿易品目:輸出酪農製品(23.1%),食肉(12.2%),木材(8.5%)同 :輸入自動車(14.9%),機械類(13.3%),鉱物燃料(8.5%)貿易相手国:輸出中国(19.4%),豪州(17.1%),米国(10.9%),日本(6.1%)同 :輸入中国(20.0%),豪州(12.6%),米国(11.3%),日本(7.1%)対日輸出 20162,550億円 内訳乳製品,アルミニウム,木材,果実類,肉類,野菜類,魚介類対日輸入 2016 2,377億円 内訳自動車,ブルドーザー類,石油,印刷機,自動車部品類対日貿易収支 173億円直接投資対外残高同対内残高 590.8億米ドル 711.9億米ドル 対外債務残高 813.9億米ドル在留邦人数(2016年6月) 18,706名
Aug 18, 2012
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<その1より続く> 民族欧州系(48%)、混血(43%)、その他(アフリカ系東洋系等)(2010年)(日系人総数推定 約150万人)言語ポルトガル語宗教キリスト教(カトリック約74%、プロテスタント約15%)(2000年)政体連邦共和制(大統領制)元首ジルマ・ヴァナ・ルセーフ大統領(初の女性大統領 56.1%獲得)(中道左派、労働者党(PT))⇒2018.10.29極右・社会自由党ジャイル・ボルソナロ下院議員が大差をつけて勝利議会二院制(上院81名、下院513名)政権首相 なし軍事予算 297億ドル(2009年)、兵役 徴兵制、兵力 陸軍19万人、海軍6.7万人、空軍7.07万人主要産業製造業、鉱業(鉄鉱石他)、農牧業(砂糖、オレンジ、コーヒー、大豆他)GDP:億ドル2兆8,980億ドル(2010年)2兆4,751億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル10,816ドル(2010年)12,789ドル(2011年)実質GDP成長率 ▼0.6%(2009年)、 7.5%(2010年)、 2.9%(2011年)(IMF)物価上昇率 5.9%(2010年) 6.5%(2011年)失業率 6.0%(2011年9月)財政収支/GDP比 ▼2.6%(2011年)外貨準備高2,390億ドル(2009年)3,504億ドル(2011年)経常収支(国際収支)▼526億ドル(2011年)貿易収支(国際収支) 298億ドル(2011年)貿易額:輸出2,019億ドル(2010年)2,560億ドル(2011年)同 :輸入1,816億ドル(2010年)2,262億ドル(2011年)貿易品目:輸出(2010年)一次産品 44.6%(鉄鉱石、原油、大豆等)、 工業製品 39.4%(乗用車、航空機等)、半製品14.0%(粗糖、木材パルプ等)同 :輸入(2010年)原材料及び中間材46.2%(化学・医薬品、鉱産物、輸送用機器・アクセサリー等)、資本財22.6%(工業用機械、事務・科学用機器)、燃料及び潤滑油14.0%、非耐久消費財7.1%(医薬品、食料品)、耐久消費財10.2%(乗用車、家庭用機械器具等)貿易相手国:輸出中国15.2%、米国9.6%、アルゼンチン9.2%、オランダ5.1%、ドイツ4.0%、日本3.5%同 :輸入米国14.9%、中国14.1%、アルゼンチン7.9%、ドイツ6.9%、韓国4.6%、日本3.8%対日輸出 8,600億円(2010年) 94.7億ドル(2011年) 内訳(2010年)鉄鉱石、肉類、非鉄金属、化学製品、鉄鋼等対日輸入 5,430億円(2010年) 78.7億ドル(2011年) 内訳(2010年)自動車部品、自動車、原動機、金属加工機械等直接投資受入額 666.6億ドル(2011年)(日本からの直接投資受入額) 24.9億ドル(2010年ブラジル中央銀行)主要援助国(2008-09年)独 172百万ドル日本 138百万ドル仏 54百万ドル日本の援助実績有償:206億円無償: 3億円技術: 20億円対外債務残高2,974億ドル在留邦人数58,374名(2010年10月現在)(長期滞在者:2,413人、永住者:55,961人)
Aug 17, 2012
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ロンドン・オリンピックは終わり、4年後には、真っ黄色の国花が咲くブラジルのリオデジャネイロでの開催である。リオは、かつて首都であったが、あまりにも巨大化して、また、他の大都市へのアクセスの便宜から、内陸部のブラジリアへ遷都。ブラジルは、日本から移民がたくさん船出した国。多方面で関係が深く、スポーツではサッカー等での関係が強い。国境のイグアスの滝などの自然遺産、文化遺産が盛りだくさんだ。リオのカーニバルも凄いらしい。呆けには纏めきれないが、なんとか、纏めてみたい。こちらも疲れたので、これくらいでご勘弁! ブラジル連邦共和国の基本事情(2011年)略史<資料出所:外務省>年月略史1500年ポルトガル人カブラルによるブラジル発見1822年ポルトガルより独立(9月7日)1889年共和制樹立(11月15日)1964年カステロ・ブランコ軍事政権樹立1985年3月民政移管(サルネイ政権)1988年10月新憲法公布1995年1月カルドーゾ政権成立1999年1月第2期カルドーゾ政権成立2003年1月ルーラ政権成立2007年1月第2期ルーラ政権成立2011年1月ルセーフ政権成立<資料出所:外務省、JETRO、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ブラジル連邦共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)81位通貨レアル1米ドル=約1.85レアル(2011年12月現在)(1レアル=約42円)国花イペ(ノウゼンカズラ科)の花国旗緑色の地に黄色の菱形と青い円を組み合わせたデザインの旗である。金と緑の旗という意味でアウリヴェルジ(Auriverde)と呼ばれる。元来緑色と黄色はそれぞれブラジル皇帝であるペドロ1世のブラガンサ家とその皇妃マリア・レオポルディナのハプスブルク家を象徴していた。現在では非公式ながら緑色は森林を、黄色は金と鉱物資源を象徴していると解釈されることが多い。中央の円は共和政が樹立された日である(1889年11月15日)の朝(8時30分)のリオデジャネイロの空を表している。円内の27個の星はそれぞれブラジル連邦共和国を構成する26州と1連邦直轄区を表している。そのためアメリカ合衆国の国旗のように州が増える度に星の数も増えるという性格を持っている。アメリカ合衆国の国旗と異なる点としては、それぞれの星が象徴する州が厳格に定められている点が挙げられる。例えば円の下部に描かれた一番小さな星は南極星で、ブラジリアを中心とする連邦直轄区を表している。勘違いされやすいが、帯の上部に描かれた大きな星(スピカ)は連邦直轄地区ではなくパラ州を表している。中央の白い帯は黄道を表している。帯には緑色で哲学者オーギュスト・コントの言葉「秩序と進歩」がポルトガル語で記されている。国の標語国旗に記載されているポルトガル語「秩序と進歩」面積:平方キロ8,514,877平方km日本の22.5倍国の位置チリとエクアドル以外の全ての南米諸国と国境を接している。また、大西洋上のフェルナンド・デ・ノローニャ諸島、トリンダージ島・マルティン・ヴァス島、セントピーター・セントポール群島もブラジル領に属する。人口:1億9,493万人(2011年)人口密度:/平方キロ23人首都<遷都歴>ブラジリア<リオデジャネイロからの首都移転は1946年に決定、1960年新首都完成、1970年頃三権の機関移転ほぼ完了><都市圏人口>256万人(2010年)<ブラジリアからの大気圏距離(都市圏人口)> (2000年現在、→は2005年)サンパウロ : 875km(10.4→18.3百万人)リオデジャネイロ: 935km( 5.9→11.5百万人)サルヴァドール:1,062km( 2.4百万人)ベロオリゾンデ: 625km( 2.2百万人)フォルタレザ 1,691km( 2.2百万人)ブラジリア ------ ( 2.1百万人)クリチーバ 1,083km( 2.1百万人)レシッフェ 1,660km( 1.4百万人)ポルトアレグレ 1,621km( 1.4百万人)ベレン 1,596km( 1.3百万人)[東京: 17,696km(→ 35.3百万人)]時差:日本時間から12時間引く。マイナスとなる場合はさらに24から引く。例:日本時間7時-12=-5と計算して、さらに24-5=19時となり現地時間は前日の19時となる。サマータイム時の時差:日本時間から11時間引く。マイナスとなる場合はさらに24から引く。例:日本時間7時-12=-5と計算して、さらに24-5=19時となり現地時間は前日の19時となる。[次期2016年オリンピック開催都市はリオデジャネイロで、南半球ではメルボルン(1956年)、シドニー(2000年)に続き、16年ぶり3度目の開催]<その2へ続く>
Aug 17, 2012
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政体立憲君主制<英連邦王国の一員>元首エリザベス二世女王(英国女王)。但し、通常は連邦総督(2014.3.28ピーター・コスグローブ元国防軍司令官が就任)が王権を代行。議会二院制:上院(定員76、任期6年、議席配分:保守連合33、労働党25、グリーンズ10、その他8)、下院(定員150、任期3年、議席配分:保守連合90、労働党55、グリーンズ1、その他4)政権交代/首相ジュリア・ギラード(労働党)、外相 ボブ・カー(労働党)二大勢力の拮抗状態で、労働党がキャスティングボートを握るグリーンズ1名と無所属議員3名を取り込み。APEC及びWTOを通じた多角的自由貿易体制強化や二国間及び多国間自由貿易協定の推進に熱心。→2013.6.27与党労働党の緊急議員総会・党首選でギラード首相が敗れて ラッド前首相が返り咲き(但し9月には総選挙)→2013.9.8保守連合勝利し、自由党党首・トニー・アボットが首相→2015.9.15マルコム・ターンブル(自由党) →2016.7.2与党が過半数を何とかクリア見込み軍事予算 320億豪ドル(2015~2016年度予算)、兵役 志願制、兵力 (現役兵力約56,607名) 陸軍28,928名、海軍13,760名、空軍13,919名(2012~2013年度)主要産業流通、製造業、鉱業、金融・保険、建設、通信GDP:億ドル14,427(米)億ドル(2014年,外務省以下同じ)一人当たりGDP:ドル 61,066(米)ドル実質GDP成長率 2.4%物価上昇率 1.5%失業率 6.1%財政収支/GDP比▼2.2% (CIA、2014年 以下同じ)外貨準備高 539億(米)ドル経常収支(国際収支)▼438億(米)ドル貿易収支(国際収支)A-B 3億(米)ドル貿易額:輸出A2,408億(米)ドル同 :輸入B2,405億(米)ドル貿易品目:輸出鉄鉱石、石炭、非貨幣用金、液化天然ガス(LNG)、原油、酸化アルミニウム、銅鉱、小麦、アルミニウム、医薬品同 :輸入原油、乗用自動車、石油製品、医薬品、非貨幣用金、自動データ処理機械、貨物自動車、電話機、受像機器、自動車部品貿易相手国:輸出中国33.7%、日本18%、韓国7.4%、米国4.2%同 :輸入中国20.5%、米国10.6%、日本6.8%、シンガポール5%、独4.7%、韓国4.7%、マレーシア4.4%、タイ4.3%対外債務 15,350米億ドル対内外国投資 5,938米億ドル対外投資 4,733億米ドル 日本からの輸入(2014年、JETRO通関 以下同じ) 143億米ドル 日本から輸入品目輸送用機器50.6%、一般機械11.4%、原材料製品(ゴム製品、鉄鋼など)8.6%、電気機器4.0% 日本への輸出 484億米ドル 日本への輸出品目 鉱物性燃料61.6%、原料品24.3%(鉄鉱石18.7%など)、食料品7.8%(肉類3.7%、穀物類1.3%など) 対日貿易収支 341億米ドル 日本企業投資額フロー 44億豪ドル 日系進出企業状況 707社 在留邦人 85,083人
Aug 16, 2012
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昨日の「終戦の日」の夕刻、日本領土の尖閣諸島・魚釣島へ(中国領内)香港籍の漁船に乗船した活動家数人が不法上陸した事件は、不法入国容疑で14人が海上保安庁に逮捕された。(尖閣諸島は1895年に日本が領土編入し、大戦後は米国支配下に置かれ、1972年の沖縄返還に伴い日本に返還された。)同じく、日本が領土主張しながら、韓国が実効占拠している竹島に韓国大統領が先日ヘリで上陸した。ロシアが実効支配している日本の北方領土でもロシアの首相が次々に訪問し、開発行為を他国企業に打診している。 今や、北側の三方から領海が侵犯されている事情が判る。やはり、このような脅威が強まれば、日米安全保障は必要不可欠であり、これらの脅威に対応するには、広範囲防衛を可能とする航空防衛機能が必要となる・・・つまり「オスプレイ配置」を・・・結論に結びつけざるをえないだろうか?オスプレイなら狭い尖閣諸島にも容易に着陸できる基地等を設営可能であろう。この辺りでの演習なら、密集地での騒音・墜落被害は避けらる。無人島が、民有地でなくなり、官有地なら弊害も少なくなる・・・・・ただ、尖閣諸島は、他国軍隊が現実に上陸侵犯したのではなく、武力威嚇・衝突するまでの緊迫性はないのではなかろうか・・・・さらに、機動戦士・オスプレイは、改造の余地が大きいかも・・ この呆け頭には、目の前の政治的な緊張を分析する余裕もないので、いつもの脳トレの継続として、見ればわかるのであるが、写経的に世界諸国の事情を「無闇に」纏めていくこととしたい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はるか南方に眼を転じて見る。 オーストラリア連邦の基本事情(2014年)略史<資料出所:外務省>年月略史1770年英国人探検家クックが現在のシドニー郊外、ボタニー湾に上陸、英国領有宣言。1788年英国人フィリップ海軍大佐一行、シドニー湾付近に入植開始、初代総督に就任。1901年豪州連邦成立(六つの英国植民地が憲法を制定。連邦制を採用)。(現在6州2特別地域)1942年英国のウェストミンスター法受諾(英国議会から独立した立法機能取得)。1975年連邦最高裁の英国枢密院への上訴権を放棄。1986年オーストラリア法制定(州最高裁の上訴権を放棄する等英国からの司法上の完全独立を獲得)。 <資料出所:外務省、JETRO,CIA,WIKIPEDIAなど>国名オーストラリア連邦幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)26位通貨豪州ドル1豪州ドル=84.05円=0.7010米ドル(2015年9月末現在、豪州準備銀行)国花ゴールデン・ワトル(マメ科アカシア属の花で、森林を黄金色に染めるように咲く。)国旗左上にイギリスとのつながりを象徴するユニオンフラッグを、右に国土が南半球にあることを象徴する南十字星を、そして左下に6州1準州を象徴する七稜星を配している。面積:平方キロ7,692,024平方km日本の約20倍アラスカを除く米とほぼ同じ人口:千人23,910千人(2015.10)人口密度:/平方キロ3人首都キャンベラ<首都移転(臨時首都から)> (英国からの独立時・1901年に首都をシドニーかメルボルンにするか揉め、中間のキャンベラへ新首都を1908年に定め、建設し、1927年に臨時首都・メルボルンから連邦議会の移転を行った。省庁の移転が完了したのは1989年。)<人口>386千人(2014年6月末)<主要都市からの大気圏距離>シドニーから 247kmメルボルンから 467kmブリスベンから 945kmパースから 3,092kmアデレードから 959km(東京から 7,958km)<時差>JST+1時間(日本の方が1時間遅れている)サマータイムの時差:JST+2時間(サマータイム2014.10.4~2015.4.3)<季節感覚:日本とはほぼ逆になる><国全体の時差>オーストラリアの時間は、東部、中央部、西部の3つの時間帯に分かれている。日本の標準時と比較した場合、クイーンズランド州(QLD)やニュー・サウス・ウェールズ州(NSW)、ビクトリア州(VIC)、首都特別地域(ACT)の東部時間帯は1時間早く、ノーザン・テリトリー(NT)や南オーストラリア州(SA)の中央部時間帯は30分早い。逆に西オーストラリア州(WA)の西部時間帯は日本標準時よりも1時間遅い。サマータイムについては、実施していない州もあるので注意。<大都市人口:2007年国勢調査>(1)シドニー 4,336千人(2)メルボルン3,806千人(3)ブリスベン1,868千人(4)パース 1,555千人(5)アデレード1,158千人民族アングロサクソン系等欧州系人が中心言語英語<オーストラリア英語、又はオージー英語はオーストラリアで話される英語である。イギリス英語のつづりを基本とする。エイがアイと聞き取られることで有名。>(家庭で英語のみを使用する人口は78.5%、英語以外の言語を用いるのは全人口の15.6%)宗教キリスト教61%、無宗教22%(2011年国勢調査) その2に続く
Aug 16, 2012
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以下はブログ2017.9.13~14にUp-to-date
Aug 15, 2012
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本日はに終戦記念日である。 海外・沖縄・硫黄島での戦没者約240万人に黙祷を捧げると共に、 いまだ母国に戻れぬ遺骨約113万3千人が早期に戻れるよう祈る。 本日の朝日新聞に、「第二次世界大戦の末期および終戦後に、 現在の北朝鮮で死亡した日本人の遺骨返還や墓参に関する 日本と北朝鮮の予備協議」を29日に北京で行うことに合意 した、とある。 実に4年ぶりの日朝協議の再開で、「北朝鮮側では拉致問題は 解決済の立場」と言うものの、新しい金正恩体勢での対応の変化 を期待している。 <日本赤十字社と朝鮮赤十字会の協議では、今月9、10両日 約3万人とも推定される戦没者の遺骨返還や墓参をめぐり、 政府レベルを交えた協議を目指すとことで合意しており、 それを受けての予備協議の実現である。> 「北朝鮮」に関するの基本的資料は少なく、集めたWEB資料 での正確性は期待しがたいが、小生の私的病室の掲示板: 「脳梗塞・呆け頭のトレーニングとしてご放免願いたい。」 以下に、外務省、JETROなどの参考資料から、WEB情報を 纏まりなく「纏めてみる」ことで、朝日新聞の理解を深めたい。以下は、「ブログ2017.9.13~14」にUp-to-date
Aug 15, 2012
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ラオス人民民主共和国の基本事情(2011年)略史<外務省、JETRO>1353年,ランサーン王国として統一。1899年フランスのインドシナ連邦に編入される。1949年仏連合の枠内での独立。1953年10月22日仏・ラオス条約により完全独立。その後内戦が繰返されたが,1973年2月「ラオスにおける平和の回復及び民族和解に関する協定」が成立。インドシナ情勢急変に伴って,1975年12月,ラオス人民民主共和国成立。 ラオ族は、中国国内を次第に南下し、現在の雲南省定住後、さらに南下し、1353年には統一王朝、「ラーンサーン王国」を建国した。この王国は、長らく繁栄を誇ったが、18世紀には3王国に分裂し、19世紀半ばにフランス人がインドシナ半島に進出し始めた頃には、タイの支配下にあった。タイの支配に対抗のため、ラオスの王族はフランスに援助を求め、仏泰戦争の結果、1893年にフランスの植民地となった。以後、第二次大戦中の日本軍占領迄フランスの支配が続いた。日本の敗戦後、フランスは植民地化復活を試み、ラオスは53年10月にようやく完全独立を達成した。独立後、長期にわたる内戦が続き、75年のサイゴン陥落後、同年12月にラオス全土を次第に制圧した左派(ぺテート・ラオ)が王政の廃止を宣言、社会主義のラオス人民民主共和国が成立した。人民革命党が指導政党となり、86年にはベトナムにならった経済開放化政策を導入、88年には80年以降断絶していた中国との関係を改善し、97年7月にはアセアンに正式加盟を果たした。 我が国との関係では、独立後、55年に外交関係を樹立し、57年岸首相、67年の佐藤首相の訪問後、日本の要人のラオス訪問は途絶えた。97年のラオスのアセアン加盟後、2000年の小渕首相の訪問を契機に両国要人の相互訪問は活発化し、それに伴って経済交流も拡大していった。基本事情(2011年)<外務省、JETRO,世界経済のネタ帳など> 国名ラオス人民民主共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)126位通貨キープ(Kip)1ドル=8,001キープ(2012年1月,ラオス統計局)国花「チャンパー」。別名「プルメリア」国旗横に赤青赤、中央に白丸を配した旗。赤は独立闘争で流された血の色を、青は国の豊かさを象徴しているとされる。中央の白丸はメコン川に昇る月を表し、共産主義による国の統一を象徴している。国の標語(ラーオ語) 平和、独立、民主主義、統一、繁栄面積:平方キロ240,000km人口:千人6,560千人人口密度:/平方キロ27人首都ビエンチャン799千人(2009年)東京からの大気圏距離:4,148km時差:JST-2時間サマータイムなし民族ラオ族(全人口の約半数以上)を含む計49民族言語ラオス語宗教ラオス語政体人民民主共和制元首チュンマリー・サイニャソーン国家主席(ラオス人民革命党書記長)議会国民議会、議長 パーニー・ヤートートゥ(党政治局員)、一院制 (132名)政権首相 トンシン・タンマヴォン(党政治局員)、 外相 トンルン・シースリット(党政治局員,副首相兼任)軍事徴兵制、現役総兵力:2.9万人、国防予算:1,460万ドル(ミリタリーバランス2009年版)主要産業サービス業(GDPの約39%),農業(約28%),工業(約26%)。但し労働人口の約7割が農業に従事。(2010年,ラオス統計局)GDP:億ドル 79億ドル一人当たりGDP:ドル1,203ドル実質GDP成長率8.2%物価上昇率8.7%失業率不明財政収支/GDP比▼2.4%外貨準備高 7.1億ドル(2010年末)経常収支(国際収支)▼15.3億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼8.8億ドル(2010年)▼3億ドル貿易額:輸出A20億ドル同 :輸入B23億ドル貿易品目:輸出(2010年度)鉱物58.6%,電力16.2%,縫製品9.4%,農産・林産物6.7%,木材・木製品2.1%,その他7.1%同 :輸入(2010年度)燃料ガス23.2%,電気機械・OA 16.4%,車両15.9%,建築資材12.8%,その他31.6%貿易相手国:輸出(2010年度)<年度は10月~9月>タイ31.4%、中国23.3%、ベトナム12.1%、英国3.2%、米国26%等同 :輸入(2010年度)<年度は10月~9月>タイ65.7%、中国14.7%、ベトナム6.1%、韓国3.5%、日本1.9%等対日輸出38億円 内訳(2010年)衣類等21.8%、食料品15.6%、非鉄金属14.1%、木材6.4%対日輸入55億円 内訳(2010年)輸送用機器52.5%、建設用・鉱山用機械18.3%、金属製品7.1%、重電機器6.3%直接投資受入額2000~2010年度累計<年度は10月~9月>132億ドル発電事業46億ドル、鉱業32億ドル、サービス16億ドル、農業13億ドル、工業11億ドルなど対外債務残高32.7億ドル(2010年)日本の経済援助2010年度まで有償: 189億円無償:1266億円技術: 540億円
Aug 14, 2012
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<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名モンゴル国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)59位(Mongolia)通貨トグログ(MNT)1米ドル=1,970.3トグログ(2015年平均,モンゴル銀行)国旗赤・青・赤の縦三色旗で、左側の赤地にソヨンボという意匠を配している。ソヨンボはかつてモンゴルで使われていた文字で、ソヨンボの意味には色々な説がある。それぞれの図形は上から、火・地球・水・太陽・月・陰陽をあらわしている。面積:平方キロ1,564,100平方km日本の4倍国の位置東と南を中国・内モンゴル自治区と、西を中国・新疆ウイグル自治区と、北をロシア連邦とそれぞれ接する内陸国。モンゴル民族の居住地域であるモンゴル高原のうち、清国支配下において中国語で外蒙古と呼ばれたゴビ砂漠以北の一帯にほぼ該当する領域を国土とする。これに対し、南部の一帯が内蒙古で、現在は中国領となっており、「蒙古族」(中国国籍のモンゴル人)のための「民族区域自治」単位として内モンゴル自治区等が置かれている。人口:千人311万9,935人(2016年,モンゴル国家統計庁(以下「NSO」))人口密度:/平方キロ2人首都ウランバートルウランバートル(人口139万6,288人)(2016年,NSO)東京からの大気圏距離:3,017km時差:JST-1時間(当国は東部は時差無し、西部はJST-2時間と広大である。)サマータイムなし民族モンゴル人(全体の95%)及びカザフ人等。親日的だが、中国に対しては(中国共産党により粛正された、1966-1976年に内モンゴル人民革命党数十万人の粛正事件もあるため)反感を持つ人もいて、日本人は間違われることもある。言語モンゴル語(国家公用語)、カザフ語宗教チベット仏教等(社会主義時代は衰退していたが民主化(1990年)以降に復活。1992年2月の新憲法は信教の自由を保障。)政体共和制(大統領制と議院内閣制の併用)元首ハルトマー・バトトルガ大統領(2017年7月10日就任)野党・民主党推薦議会国家大会議(一院制,定員76,任期4年,直近の総選挙:2016年6月)(人民党65,民主党9,人民革命党1,無所属1)政権首相 ジャルガルトルガ・エルデネバト(2016年7月8日就任)(人民党政権)→2017.9.7「首相の指導力不足など」で内閣総辞職<外交方針>1. 隣国である中国とロシアとのバランスの取れた外交関係を展開しながら,両隣国に過度に依存することなく「第三の隣国」との関係を発展させること2. 日本との関係は特に重視されており,2016年7月の新政権発足後,首相及び外相が二国間の文脈における初の外遊先として日本を選択軍事(1)予算 117百万米ドル(2016年予算ベース)、(2)兵役 徴兵制、男子満18歳~28歳のうちの1年間、(3)兵力 9,700人(予備役約13万7000人)、(出典:ミリタリー・バランス2017)主要産業鉱業、牧畜業、流通業、軽工業<石炭、銅、ウラン、レアメタル、レアアース等の豊富な地下資源に恵まれる>GDP:億ドル(名目)2016年世銀等 111.6億ドル一人当たりGDP:ドル 3,856.8ドル実質GDP成長率1%物価上昇率1.1%失業率 8.3%国家予算歳入A27.27億ドル同:歳出 B 44.37億ドルA-B▼17.1億ドル財政収支/GDP比▼15.3%外貨準備高13.231億ドル経常収支(国際収支)▼4.49億ドル(CIA)貿易収支(国際収支)C-D15.594億ドル貿易額:輸出C49.173億ドル同 :輸入D33.579億ドル貿易品目:輸出鉱物資源(石炭、銅精鉱、蛍石)、原油、牧畜産品(カシミア、皮革)同 :輸入石油燃料、自動車、機械設備類、日用雑貨、医薬品貿易相手国:輸出中国,イギリス,ロシア,ドイツ,スイス同 :輸入中国,ロシア,日本,韓国,アメリカ対日輸出19.01億円 内訳鉱物資源(石炭、蛍石)、繊維製品、一般機械対日輸入304.60億円 内訳自動車、一般機械、建設・鉱山用機械主要援助国日本、米国、ドイツ、世銀、IMF、ADB等。我が国からの累計直接投資 206.93百万ドル(2013.9)我が国の経済援助2015年まで無償:1,259.44億円有償:1,163.70億円技術: 497.28億円我が国の重点支援三分野1.鉱物資源の持続可能な開発とガバナンスの強化、2.全ての人々が恩恵を受ける成長の実現に向けた支援、3.ウランバートル都市機能強化。大相撲関係<OB>旭鷲山(最高位:新三役、ダワーギーン・バトバヤル、実業家、モンゴルの政治家)、朝青龍(最高位:横綱、ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ、実業家、タレント、コメンテーター、評論家、映画俳優、慈善家としてマルチに活躍)、<現役>白鵬(横綱)、日馬富士(大関)、旭天鵬、翔天狼、時天空、玉鷲、その他多数
Aug 13, 2012
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モンゴル国の基本事情(2011年)略史<外務省、世界史講義録:モンゴル帝国 金岡 新 氏など>年月略史 「世界史講義録」など抜粋・編集13世紀テムジン(のちのチンギスハーン)およびその子(ジュチ、チャガタイ、オゴタイ、トゥルイ)のうち、オゴタイハーンが首都をカラコルムに建設。孫達(バトゥ、グユク、モンケ、フビライ、フラグ、アリクブケなど)のうちバトゥがポーランドまで侵攻し、オゴタイの急死報でロシア平原へ撤退、キプチャク・ハーン国を建設。フラグは西アジアのイスラム・アッバース朝を滅亡させ、エジプトまで進攻し、西アジアのイランにイル・ハン国を建設。フビライは、チベットの吐蕃、雲南の大理を征服、西南方向から中国の南宋を攻略。一族はこのほかに、中央アジア・トルキスタンにチャガタイ・ハン国、西北モンゴルにオゴタイ・ハン国を建設、結局、フビライが4つのハン国を束ねて、モンゴル高原、中国北部、チベットを支配し、首都を大都(北京)に遷都し、南宋を滅ぼした。このように、約1世紀で、東欧にまで西進し東欧の東端(イラン、イラク、トルコなど)の一部を支配、南は元朝として中国を支配し、東は朝鮮半島を属国とし、日本を元寇(1274年、1281年)として2度脅かす、巨大なモンゴル帝国が築かれた。フビライの即位時には曾孫(ハイドゥ)の反乱があった。以後は中国の元王朝となる。中国での支配感覚:[1番]はモンゴル遊牧民を国族、[2番]は色目人(目の色が色々の他民族の有能な人、マルコポーロなど)、[3番]は彼等の言う「漢人」で女真族が中国北半分に築いた旧金王朝の漢民族、女真・契丹・高麗人、[4番]は「南人」で中国南半分に築いた旧南宋の漢民族。モンゴル人は、中国の思想、文化の吸収よりも、徴税による「徴収を優先させた」きらいがある<マルコポーロの東方見聞録など>。14世紀以降しかし、その後はあまりに広大となった帝国を治めきれず、度重なる海側の遠征にも失敗、疫病も発生し、チベット仏教信仰が深まるにつれて大規模寺院造営が財政を圧迫、各地では国力が衰え地元勢力が台頭し、吸収された。中国領土では、南京を本拠に、白連教徒の紅布の乱が起こりモンゴルは万里の長城の外に追い出されて洪武帝が明朝(江南からの王朝として中国統一したのは明朝のみ)を樹立した。その後は、モンゴルの支配下にあった満州人(女真人改め)が勢いを高めて中国に攻め入り、中国では清朝を建設した。モンゴル人の戻った、モンゴル地区も清朝の支配下に入った。1911年辛亥革命、中国(清朝)より分離、自治政府を樹立ボグド・ハーン(チベット仏教の活仏ジェブツンダンンバ・ホトク第8世)政権が内外モンゴルの独立を宣言1919年自治を撤廃し中国軍閥の支配下に入る1921年7月外モンゴルのみは、活仏を元首とする君主制人民政府成立,独立を宣言(人民革命)1924年11月活仏の死去に伴い人民共和国を宣言1961年国連加盟1972年2月日本とモンゴル外交関係樹立1990年3月複数政党制を導入、社会主義を事実上放棄1992年2月モンゴル国憲法施行(国名を「モンゴル国」に変更) P.S. (呆けの戯言) このチンギス・ハーン一家の西進で、モンゴル帝国が 形成されたのは、遙かに遡り、フン族が(匈奴の後裔?) 西進して、ドミノ倒しのようにヨーロッパでのゲルマン民族 の大移動が起こった大事件を彷彿させる。 小生には、ヨーロッパにとってはフン族の影響がより大きく 残って現れており、モンゴル帝国はアジアとその周辺に 影響が留まったように見える。 匈奴が移動したのは、干魃やイナゴの大群の発生など 自然環境が激変したことに因るらしい。 モンゴル人はかつて匈奴(やフン族)が西進した道を 途中まで 辿った様に思われる。 日本も含めてDNAに彼等の系統が含まれるのも 大移動を可能にした騎馬の活躍に依るものであろう。
Aug 13, 2012
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モルディブ共和国の基本事情(2011年)略史<外務省>年月略史1887年英国保護国となる1965年7月英国保護国から独立,同年9月国連加盟1968年11月共和制に移行1985年7月英連邦に正式加盟 モルディブ共和国の基本事情(2011年)<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名モルディブ共和国<モルディブはサンスクリット語で「島々の花輪」を意味する>幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)66位通貨ルフィア1米ドル=15.21ルフィア(2011年)1ルフィア=4.93円(2011年平均値)国旗赤で囲まれた緑地に月章の旗。国の位置インド洋にある島国。インドとスリランカの南西に位置する。イギリス連邦加盟国。面積:平方キロ298平方km淡路島の1/2人口:千人330千人人口密度:/平方キロ1,091人首都マレ104千人(2006年)東京からの大気圏距離:7,609km時差:JST-4時間サマータイムなし民族モルディブ人言語ディベヒ語宗教イスラム教政体共和制元首(モハメド・ワヒード・ハッサン大統領)→2013.11.17アブドラ・ヤミーン大統領:任期5年議会一院制(議席77: 小選区制)、議席数:モルディブ民主党(MDP)(31),モルディブ進歩党(PPM)(18),モルディブ人民党(DRP)(16)他政権(1)首相 なし、(2)外相 アブドゥル・サマド・アブドゥッラ軍事(1)予算 51.8億米ドル(2009年予算)、(2)兵役 志願制、(3)兵力 約4,000人,湾岸警備隊,海兵隊及び支援隊を主体とする国防軍を有する主要産業漁業及び観光GDP:億ドル20.3億ドル一人当たりGDP:ドル5,973ドル実質GDP成長率7.5%物価上昇率12.8%失業率14.4%(2006年)財政収支/GDP比▼11.7%経常収支(国際収支)▼2.6億ドル貿易収支(国際収支)A-B▼14億ドル貿易額:輸出A75百万ドル同 :輸入B1,465百万ドル貿易品目:輸出鮮魚,水産加工物同 :輸入機械,鉱物,食料品,繊維製品貿易相手国:輸出タイ,仏,スリランカ,伊同 :輸入UAE,シンガポール,印,スリランカ二国間関係1.インド洋の日本側シーレーン上の要衝,地政学上重要な位置にある国、2. 国際場裡において日本の活動にも協力的な国。3. 観光立国として多くの日本の観光客も訪問している。4. 小規模島嶼国として経済社会開発上の困難を抱えており,その面での日本の協力に対する期待感が強い。対日輸出5億円 内訳魚介類(まぐろ,かつお等)対日輸入21億円 内訳船舶用エンジン,貨物自動車,乗用車政府総債務残高/GDP69.1%日本の経済援助<1985年以来の最大の援助国>有償: 27億円(2006年度)無償:275億円(2010年度まで)2004年12月インド洋津波が起こったが、日本の無償資金援助で建設したマレ島防波堤が津波被害から守ったことで感謝されている。技術: 63億円(2010年度まで)
Aug 12, 2012
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ブルネイ・ダルサラーム国 略史<外務省>年月略史14世紀末アラク・ベタタール王がイスラム教に改宗して初代スルタン・モハマッドとなる。16世紀・マゼラン艦隊,ブルネイ湾に入港。・第5代スルタン・ボルキアの統治下,サバ州,サラワク州及びフィリピン南部を統治,ブルネイ王国の最盛期。1888年英国と保護協定を結び,外交を英国が担当。1906年内政を含め英国の保護領となる。1959年内政の自治を回復。1962年アザハリの反乱(ブルネイ人民党のメンバーによる,スルタン制及びブルネイのマレーシア連邦参加に対する反乱)。非常事態宣言を発布(現在に至る)。1984年英国より完全独立(1月1日)。 <外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名ブルネイ・ダルサラーム国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)9位通貨ブルネイ・ドル、1ブルネイ・ドル=約62円(2012年6月上旬現在)国花シンポール(ビワモドキ科 Dillenia (Wormia) suffruticosa、マレー語でSimpoh)国旗黄色の地に白と黒の帯が斜めに横切り、中央に赤い国章が配されている旗である。中央に配置されたブルネイの国章は、イスラム教を象徴する三日月と、ブルネイ王室を表す傘、政府の福祉・平和・繁栄を象徴する両手などを組み合わせた意匠である。三日月には「神の御導きに従って常に奉仕に尽力する」という国の標語が、三日月の下のリボンには「ブルネイ・ダルエスサラーム(平和の国ブルネイ)」という国名が、それぞれアラビア文字で記されている。国の標語常に神の導きに従いなさい面積:平方キロ5,765平方km三重県並み人口:千人423千人人口密度:/平方キロ 74人首都バンダルスリブガワン東京からの大気圏距離:4,267km時差:JST-1時間サマータイムなし民族マレー系65.7%,中華系10.9%,その他23.4%言語公用語はマレー語。英語は広く通用し、華人の間では中国語も或る程度通用。宗教イスラム教(国教)67%,仏教13%,キリスト教10%,その他10%政体立憲君主制元首ハサナル・ボルキア国王(第29代スルタン)国是「マレー主義,イスラム国教,王制擁護」議会立法評議会はブルネイの一院制議会であるが,その権限は限定されており,予算審議等を行うのみに留まっている。政権首相 ハサナル・ボルキア国王が兼任、外務貿易相 モハメッド・ボルキア殿下(国王の実弟)軍事国防省予算 5億ブルネイドル(全体の9.8%)、兵力 志願制 陸海空三軍の合計約8,300人(陸軍:約5,000人,海軍:約1,100人,空軍:約1,200人)。また,英グルカ兵約3,050名(現役約1,050人,退役約2,000人)が王宮等主要な建物の警備に当たっている。主要産業石油・天然ガス(産出量:石油(16.6万バレル/日),天然ガス(126億立方メートル/年))GDP:億ドル156億ドル一人当たりGDP:ドル 36,521ドル実質GDP成長率2.2%物価上昇率2.0%失業率2.6%財政収支/GDP比31.9%経常収支(国際収支)84億ドル貿易収支(国際収支)A-B120億ブルネイ・ドル貿易額:輸出A157億ブルネイ・ドル同 :輸入B 37億ブルネイ・ドル貿易品目:輸出原油48.0%、天然ガス44.7%,メタノール1.1%,その他同 :輸入機械・輸送機器31%,工業製品23%,食料品15%,雑工業品9%,化学製品及び関連品8%その他14%貿易相手国:輸出日本45.7%,韓国16.8%,ASEAN諸国14.7%,豪10.5%,インド8.5%,ニュージーランド3.8%,米国0.1%同 :輸入ASEAN諸国54.7%,米国12.5%,EU9.9%,中国7.8%,日本7.3%,韓国3.2%対日輸出4,413億円5,695百万ドル<日本通関> 内訳石油・天然ガス対日輸入114億円142百万ドル<日本通関> 内訳車両及びその部品,管及び管用継手 国の位置カリマンタン島(ボルネオ島)北部に位置し、北側を南シナ海に面するほかは陸地ではマレーシアに取り囲まれている。
Aug 11, 2012
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首相は、遂に、前・与党が主張する消費増税案を国会通過させた。 現・与党は、消費増税については今期取り上げない姿勢であった が、首相が欧州会議に出向いてからは、「待った無しに対処すべき 最優先最重要課題」として認識し、「尻に火が付いたような 恐怖心で、国会を主導してきた」。 オリンピックの聖火がギリシャから飛び火したように! 前・与党は自らの主張であるので、反対する理由もなく、 旗幟鮮明ができずに、困り果てている。 しかし、現・与党にとっては、国民の公約・マニフェストに明らかに 反する「首相の思いつき」であり、前・与党は「自党の特許侵害」と 怒るでもなく「国民との約束を破った悪質な行為で、内閣不信任に 当たる」と、国民に成り代わり、早期退陣を求める姿勢であった。 勿論、大部分の野党は消費増税を時期尚早として反対していた。 しかし、ついには、前・与党の総裁は首相との秘密会談で 「一貫した消費増税を選択」することに決めた。 「消費増税などの税制改革」はいつか必要であると、大概の人 は思っているが、「べらぼうに早く導入する前に、不貞とも言える 議員の定員数を削減する努力など」、するべきことが多いと 思っていまいか。 消費増税を望む、財界からも「このような混乱を起こすようなら、 議員はたくさん要らない」と、厳しい意見が聞こえてくる。 首相は1.三党合意を優先させる、2.合意事項の消費増税が 成立したら国民に信を問う、と言っている。 「自国国民との約束に縛られると、世界の劇的な変化に合わせら れない」、のは戦時体制では判るが、欧州危機を目にして、 現在は「戦時体制」と同等だろうか。 「事後了解」は、民主主義には相応しくないのではなかろうか。 早くも、各党が差し迫る解散・総選挙を目指して、 「新しいマニフェスト」を作成しつつある。 国民は、「事後承諾」ばかり言われると、事前の見積もりにも似た、 政策要領としてのマニフェストの意味がないと思い、 信用しなくなるのではないか。 事前見積もりで、仕様や性能などを「サンプル」として見せられて、 後で、「お客様には、世界の趨勢からしてこれが最適です」と、 全く別の「高額のECOの最新鋭機」を買わされるような、 不思議な気持がするのである。 いくら、「国民のために、首相として選んだ、待ったなしの選択 なのです」と、事後的に改めてTVで釈明されても困るのだ。 今回は、国民のために近い選択であるが、首相に選択を先行して 任さねばならないとすると、国民のためであるかないかは、 首相の気持ち次第ではなかろうか? やはり、国民に信を問うのであれば、最低、マニフェストの範囲 にある場合以外は、解散・総選挙が良かったと思う。 もう、「不貞の議員数は無用」であり、時代を先取りして、 国民の幸福に 真に貢献できる資質・実績を積んだ議員だけに選挙民が賢く 投票することを期待したい。 歴史的には、主導者がファシストであるか、どうかは、 事態が進行した「事後」では、選挙でも判定できない のが判っているはずである。 たとえ、哲学的にも正しい判断であるとしても、一人の心変わりは 「観察時間がすこしでも必要であろう。」 脳幹梗塞を患う呆け頭には、実に判りにくい世相である。
Aug 10, 2012
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<外務省、JETRO,WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳など> 主要産業農業GDP:億ドル502億ドル一人当たりGDP:ドル 832ドル実質GDP成長率5.5%物価上昇率6.7%失業率4.0%財政収支/GDP比▼4.2%対外債務残高92億ドル経常収支(国際収支)▼13.7億ドル貿易収支(国際収支) 24.5億ドル(2010年度)貿易額:輸出A81億ドル(2010年予測)同 :輸入B77億ドル(2010年予測)貿易品目:輸出(2010年度)天然ガス28.4%(ほぼ全量タイ向け、今後は中国向け天然ガス・石油パイプラインを期待),豆類9.1%,縫製品4.3%(日本向け増加中),チーク3.5%,堅木3.2%,魚類2.4%,米2.2%,ゴム1.7%(価格倍増),エビ0.7%、宝石類(翡翠)同 :輸入(2010年度)精油(主にディーゼル油)21.7%,一般・輸送機械(天然ガス採掘用機材、コンテナ・トラックなど)18.8%,卑金属・同製品8.6%,・・これらは首都-マンダレー間の高速道路、中国雲南省への石油パイプライン敷設工事関連・・電気機械・器具5.4%,プラスチック3.9%,合繊織物3.2%,食用植物油3.2%貿易相手国:輸出(2010年度)タイ32.7%,香港21.4%(宝石類),中国13.6%(宝石類、ゴム製品、水産品、ゴマなど),インド9.9%(豆類、木材など),シンガポール5.1%,マレーシア5.0%.日本2.7%同 :輸入(2010年度)中国33.8%,シンガポール25.7%,タイ11.1%,韓国4.7%,インドネシア4.3%,日本4.0%,インド3.0%対日輸出(2010年度)238億円427百万ドル 内訳(2010年度)縫製品(布帛類)、靴・履物<以上で7割>,海産物対日輸入(2010年度) 363億円 281百万ドル 内訳(2010年度)一般機械(建設機械など)、輸送機械(トラックなど)直接投資受入額(2010年度)200億ドル(過去21年間を上回る)石油・天然ガス分野102億ドル、電力分野82億ドル(以上で92%)中国83億ドル、香港58億ドル、韓国27億ドル、タイ29億ドル(以上で98%)直接投資受入額(日本からの)212百万ドル(1988年以降2011年10月末までの累計)縫製業が特徴的日本の経済協力(2010年度) 有償:なし無償:14億円技術:17億円2012年4月に日本は経済協力方針を右記に変更· 国民の生活向上のための支援(少数民族や貧困層支援,農業開発,地域開発を含む)· 経済・社会を支える人材の能力向上や制度の整備のための支援(民主化推進のための支援を含む)· 持続的経済成長のために必要なインフラや制度の整備等の支援
Aug 9, 2012
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ミャンマー連邦共和国の基本情報(2011年)<外務省、JETRO,WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳、朝日新聞>国名ミャンマー連邦共和国外務省渡航危険情報全土:十分注意してください(散発的爆弾事件など)略史諸部族割拠時代を経て11世紀半ば頃に最初のビルマ族による統一王朝(パガン王朝,1044年~1287年)が成立。その後タウングー王朝,コンバウン王朝等を経て,1886年に英領インドに編入され,1948年1月4日に独立。1962年発足の社会主義経済政策のネ・ウイン政権は、閉鎖的経済政策失敗などで、1988年国軍のクーデターに倒れ、経済開放に転じたものの硬直的な経済構造が障害となった。更に、アウン・サン・スー・チー氏の拘束が米国、ECなどの経済制裁措置の強化を招き、国内産業の打撃となった。2010年11月の総選挙で連邦連帯開発党が8割の議席を得、スー・チー氏の自宅軟禁も解除され、翌年3月に軍事政権を解除し、現テイン・セイン文民政権が発足した。米国の経済制裁も緩和に向かっている。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)130位通貨チャット(Kyat)1ドル=818チャット(中央銀行レート)(2012年4月平均)国花サラノキ、カリン(マメ科)、「沙羅双樹の花」が日本の菊、桜に相当と言われる国旗上から黄色、緑、赤に塗られた三色旗の上に、大きな白星が描かれている。黄色は国民の団結、緑は平和と豊かな自然環境、赤は勇気と決断力を象徴し、三色の帯にまたがる白星はミャンマーが地理的・民族的に一体化する意義を示している。面積:平方キロ680,000平方km日本の1.8倍人口:千人62,420千人人口密度:/平方キロ92人首都ネーピドー(ネーピードー)2005年11月首都をヤンゴンから北方300kmに遷都東京からの大気圏距離:4,607km時差:JST-2時間半サマータイムなし民族ビルマ族(約70%),その他多くの少数民族言語ミャンマー語、シャン語、カレン語、英語宗教仏教(89.4%)、キリスト教(4.9%)、イスラム教(3.9%)、ヒンドゥー教(0.5%)など政体大統領制,共和制元首=大統領テイン・セイン(軍事政権:任期切れ)→ティン・チョー(NLD)2016.3.30就任<アウン・サン・スーチー党首の側近> 議会二院制、上院:民族代表院=定数224(選挙議席168,軍人代表議席56)、下院:国民代表院=定数440(選挙議席330,軍人代表議席110)、NLDが両院過半数政権(1) 元首 ティン・チョー大統領(NLD)、副大統領 ヘンリー・バン・ティーユ(NLD、少数民族チン族出身)、ミン・スエ(軍事政権強硬派)(2) 1990年には総選挙が実施され,アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したものの,政府は民政移管のためには堅固な憲法が必要であるとして政権移譲を行わなかった。スー・チー氏に自宅軟禁措置を課す(2003年5月~2010年11月13日)。2008年5月10日,新憲法草案採択のための国民投票を実施(一部地域は24日に実施)。92.4%の賛成票で(投票率99%)で新憲法承認。2010年11月7日,総選挙が実施されたが,スー・チー氏率いるNLDは総選挙をボイコット。2012年4月1日,議会補欠選挙が開催され,スー・チー氏率いるNLDが45議席中43議席を獲得。(3)ティン・セイン政権による、少数民族との対話は、主要10民族(カレン民族同盟<KNUなど>)とは停戦協定は結んだものの、政治的対話は進まず、戦闘状態のカチン独立機構<KIO>とは交渉が正式に進まない停滞状態にある。カレン州、シャシ州で小競り合い、衝突があり死傷者が出ている。民主化、経済自由化と共に、少数民族との和解を改革の主柱とする大統領の和平協議は足踏み状態にある。(4)2015年11月の総選挙でNLDが上下両院の過半数を占め、憲法の制約で大統領になれないスー・チー氏に最も近いティン・チョー氏が来月には大統領に就任となる。 軍事(1)予算 19億ドル(2009年推定)、(2)兵力 陸軍37.5万人,海軍1.6万人,空軍1.5万人、(2012年版ミリタリー・バランス)
Aug 9, 2012
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<外務省、JETRO,WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名フィリピン共和国国名の由来など国名は16世紀にスペインのマゼランが発見し、カルロス1世の皇太子フェリペ(後のフェリペ2世)にちなみ、フェリペナス諸島と命名されたことに由来する。当時、スペイン帝国はメキシコを副王領地(ヌエバ・エスパーニャ)とし、そこを経由して植民地に組み込まれた。マゼランは布教活動を強硬に進めたため、セブ島対岸のマクタン島の部族長・ラプラプとの戦いで戦死したが、部下がビクトリア号1隻で世界一周を達成した。ラプラプ王は欧州人のアジア侵略に対して最初に立ち向かった、フィリッピンの英雄として当地で讃えられている。国歌の最後に「ダヒルサヨ」の文言あり。タガログ語で[because of you]らしい。哀愁のあるハワイアン調の恋歌も素晴らしいが。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)78位通貨1ペソ=約1.8円(2011年8月現在)国花ジャスミンの一種「アラビア・ジャスミン」で、タガログ語で「サンパギータ」(永遠の愛を誓う)が語源。国旗フィリピンの国旗は4つの色からなる国旗である。白は平等と友愛を、青は平和、真実と正義を、赤は勇気と愛国心を象徴し、黄色い太陽は自由を意味している。3つの星は主な島であるルソン島・ミンダナオ島・ヴィサヤ諸島を象徴している。太陽から伸びる8本の光条は、フィリピン独立革命の際、最初に武器を取ったルソン島所在の8州(パンパンガ州、ブラカン州、リサール州、カビテ州、バタンガス州、ラグナ州、タルラック州、ケソン州)を表している。戦争の時には天地を逆にして「勇気」「愛国心」を表す赤を強調するという、他の国旗にはなかなか見られない特徴を持つ。国の標語国の標語: Maka-Diyos, Maka-Tao, Makakalikasan at Makabansa(タガログ語: 神、国民、自然、国への愛情のために)面積:平方キロ299,904平方km日本の8割。7,109の島嶼国。人口:千人95,860千人人口密度:/平方キロ320人首都マニラ首都圏人口:11,860千人東京からの大気圏距離:3,001km時差:JST-1時間サマータイムなし 民族マレー系が主体。ほかに中国系、スペイン系及びこれらとの混血並びに少数民族がいる。言語国語はフィリピノ語、公用語はフィリピノ語及び英語。80前後の言語がある。宗教国民の83%がカトリック、その他のキリスト教が10%、イスラム教は5%。政体立憲共和制元首 2016.6.30~ロドリゴ・ドゥテルテ大統領(第16代)任期:6年、再選禁止フィリピン民主党・国民の力 ダバオ市市長7期経験、母方は華人で中国語も理解。厳格な治安対策に定評がある。1945.3.28生まれ(71歳) 議会上・下二院制政権正副大統領はそれぞれ直接投票により選出、大統領:任期6年、再選禁止、副大統領:任期6年、閣僚任命権者は大統領。副大統領:レニー・ロブレド軍事予算:778億ペソ(約1,500億円、1ペソ=約2円)、兵役 志願制、兵力 正規軍11.4万人(司令部/統幕1.1万人、陸軍7.7万人、海軍2.0万人、空軍1.6万人)予備役13.1万人主要産業農林水産業(全就業人口の34%が従事)(2009年)GDP:億ドル2,248億ドル一人当たりGDP:ドル 2,223ドル 実質GDP成長率3.7%物価上昇率4.7%失業率7.0%財政収支/GDP比▼0.8%外貨準備高673億ドル(除く金)経常収支(国際収支) 71億ドル<海外出稼ぎ所得多し>貿易収支(国際収支)▼155億ドル貿易額:輸出480億ドル同 :輸入601億ドル貿易品目:輸出輸出:電子・電気機器(60.5%、半導体が大半を占める)、輸送用機器等同 :輸入原料・中間財(37.4%、化学製品等の半加工品が大部分)、資本財(30.1%、通信機器、電子機器等が大部分)、燃料(17.4%、原油等)、消費財(13.5%)貿易相手国:輸出日本(15.2%)、米国(14.7%)、シンガポール(14.3%)、中国(11.1%)、香港(8.4%)同 :輸入日本(12.3%)、米国(10.7%)、シンガポール(9.5%)、中国(8.4%)、タイ(7.1%)対日輸出89億ドル 内訳電気機器(31.2%)〔半導体等電子部品(8.7%)〕食料品(15.3%)〔果実(11.9%)〕原料品(13.1%)〔非鉄金属鉱(8.8%)〕一般機械(12.0%)原料別製品(10.2%)〔家具を除く木製品等(6.6%)〕対日輸入112億ドル 内訳電気機器(31.2%)〔半導体等電子部品(10.4%)〕一般機械(16.2%)原料別製品(15.9%)〔鉄鋼(7.5%)〕化学製品(10.1%)輸送用機器(10.0%)直接投資受入額 59億ドル対外債務残高 617億ドル政府総債務残高/GDP比40.5%日本の経済協力2009年度までの実績有償資金協力: 21,714億円,無償資金協力: 2,540億円,技術協力実績: 1,935億円
Aug 8, 2012
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フィリピン共和国(2011年)略史<外務省>>年月略史14~15世紀イスラム教が伝わり、フィリピンで初のイスラム王国であるスールー王国誕生1521年マゼランのフィリピン到着1571年スペインの統治開始1898年米西戦争。6月12日、アギナルド将軍が独立を宣言12月10日、米西パリ講和条約調印。米の統治開始。1935年独立準備政府(コモンウェルス)発足1942年日本軍政開始1946年7月4日、フィリピン共和国独立1965年マルコス大統領就任1972年戒厳令布告1986年2月革命によりコラソン・アキノ大統領就任、マルコス大統領亡命1992年ラモス大統領就任1998年エストラーダ大統領就任2001年アロヨ大統領就任2010年ベニグノ・アキノ3世大統領就任2016年6.30 ロドリゴ・ドゥテルテ大統領就任
Aug 8, 2012
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東ティモール民主共和国の基本事情(2011年)<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名東ティモール民主共和国通貨<3通貨共存>米ドル、豪ドル、ポルトガル領ティモール・エスクード (通貨コード: TPE)国旗黄色の三角形は「東ティモール史に残る植民地主義の跡」を表し、黒の三角形は「乗り越えなければならない反啓蒙主義」を示す。赤地は「国民の解放への苦闘」を表し、星は「道を示す光」、白は平和を表すとされている。面積:平方キロ14,900平方km東京首都圏並み国の位置インドネシア・バリ島の東方に位置するティモール島東部(西はインドネシア)の小さな国。南方沖に豪州大陸。人口:千人1,090千人人口密度:/平方キロ78人首都ディリ東京からの大気圏距離:5,143km時差:なし、サマータイムなし民族テトゥン族等大半がメラネシア系。その他マレー系、中華系等、ポルトガル系を主体とする欧州人及びその混血等。言語国語:テトゥン語、ポルトガル語。実用語:インドネシア語、英語。その他多数の部族語。宗教キリスト教99%(大半がカトリック)、イスラム教1%政体共和制元首ラモス=ホルタ大統領(任期5年:2007年5月20日~)議会一院制政権ティモール再建国民評議会(CNRT)、民主党(PD)、ティモール社会民主協会(ASDT)、社民党(PSD)、ティモール民族抵抗民主国民連帯党(UNDERTIM)の連立与党シャナナ・グスマン首相兼国防・治安大臣(2007年8月~)軍事予算 約2,842万ドル、兵役 志願制、兵力 陸軍1,250人、海軍82人 (出典:"Military Balance 2011")主要産業農業が主要産業(多くは零細農業。コメ、とうもろこし、イモ類、ココナッツを栽培)。輸出用作物にコーヒーの栽培に注力。石油・天然ガス(ティモール・ギャップ)開発が貴重な国家財源。GDP:億ドル43億ドル一人当たりGDP:ドル3,950ドル実質GDP成長率10.6%物価上昇率13.5%失業率国民人口の7割が30歳以下が占め、首都ディリでは15~34歳の失業率が6割以上財政収支/GDP比50.2%石油基金残高69億ドル経常収支(国際収支)23.8億ドル貿易品目:輸出コーヒー、(注)天然ガスはパイプラインを通じオーストラリアから輸出されているため、統計上は計上されず。同 :輸入電気機器、穀物、自動車及び部品、機械類、燃料貿易相手国:輸出米国、ドイツ、シンガポール、ポルトガル、インドネシア (日本:7位)同 :輸入インドネシア、シンガポール、オーストラリア、中国、ベトナム (日本:6位)日本のPKO延べ2,300人の自衛隊派遣、文民警察官・選挙監視団派遣、JICA協力。日本は、豪州、ポルトガル、米国と並ぶ主要援助国
Aug 7, 2012
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東ティモール民主共和国 <外務省>略史年略史16世紀以前リウライ(王)が割拠し、王国が乱立。16世紀前半ポルトガル、東ティモールに白檀を求めて来航、ティモール島を征服。17世紀半ばオランダ、西ティモールを占領。1701年ポルトガル、ティモール全島を領有。1859年リスボン条約で、ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割。1942年日本軍、ティモール全島を占領。1945年第2次世界大戦終了後、ポルトガルによる東ティモールの支配が回復(西ティモールはインドネシアの一部として独立)。1974年ポルトガル本国でクーデターが発生し、植民地の維持を強く主張した旧政権の崩壊に伴い、東ティモールで独立の動きが強まる。1975年独立派(フレテリン等)と反独立派の対立激化。フレテリンが東ティモールの独立を宣言した後、インドネシア軍が東ティモールに侵攻し制圧。1976年インドネシア政府、東ティモールを第27番目の州として併合を宣言。1991年11月、サンタクルス事件発生(インドネシア軍による独立派虐殺事件)1998年5月、スハルト・インドネシア大統領が退陣、ハビビ副大統領が大統領 に就任。インドネシアは、東ティモールの独立容認へ方針転換。1999年6月11日、国連安保理は国連東ティモール・ミッション(UNAMET)設立を決定。8月30日、独立についての直接投票が実施されたが、投票直後から、独立反対派の破壊・暴力行為が急増し、現地情勢は急激に悪化。これを受けて、国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の設立を決定。10月20日、インドネシア国民協議会は東ティモールからの撤退を決定。国連安保理は国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定。2002年4月14日、大統領選挙実施、グスマン氏が当選。5月17日、国連安保理は国連東ティモール支援団(UNMISET)の設立を決定。5月20日、東ティモール民主共和国独立。2005年4月28日、国連安保理は国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定。2006年西部出身の国軍兵士による差別待遇改善要求のデモをきっかけに、治安が急激に悪化。15万人に上る住民が国内避難。政府の要請を受けて、豪、ポルトガル、NZ、マレーシアが国際治安部隊を派遣。国連安保理は、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立を決定。2007年4月9日、大統領選挙実施(5月9日、大統領選挙決選投票実施、ラモス=ホルタ前首相が当選)。6月30日、国民議会選挙実施。2008年2月11日、ラモス=ホルタ大統領及びグスマン首相襲撃事件発生。ラモス=ホルタ大統領重傷を負う。2月12日、非常事態宣言発出(5月8日、非常事態宣言解除)。2009年5月、UNMITから東ティモール国家警察への警察権限移譲開始(2011年3月、全13県で移譲完了)。2010年4月7日、国造りの基本となる中長期開発計画「戦略開発計画」(SDP)の概要を発表(2011年7月15日、正式発表)。2011年8月20日、政府は東ティモール国軍の前身となるゲリラ組織「ファリンテル」の動員解除式典を実施。2012年2月23日、国連安保理はUNMITのマンデートを2012年12月31日まで延長することを決定。3月17日、大統領選挙実施(4月16日、大統領選挙決選投票実施、ヴァスコンセロス(タウル・マタン・ルアク)前国軍司令官が当選)
Aug 7, 2012
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今朝は、月2回のシニアの練習日であるが、生憎、9時から 12時までは雨と天気予報に出ている。 しかし、起きると天気はまずまずなので、出かけた。 途中で、ポツポツと雨だれがフロント硝子に当たってきた。 コートに着き、水を掻き出してみたが次第に雨脚は強くなり 中止と決まった。小生だけは、体育館に移動して、トレーニング室でいろんな器械を 使用しての筋トレである。 1時間くらい、全ての器械を一通り使って、外を見ると真っ暗に なっている。 ピカッと遠くに雷が落ちて、雷鳴が轟く。 落雷が落ちたら水道を通ってシャワー室でも危ないかと、冷や冷やしながらシャワーを浴びて、豪雨の中を車に飛び込んだ。 自宅前で、また、雨にぬれた。 今日の雨は凄かった。 帰路の道路は、半分水路のようになりつつあった。 今は止んでいるが、九州の豪雨は、 このような状態が何日も続いたのだろう。 帰宅してオリンピックの録画を見ている。 競泳、卓球、ハンマー投げすべてが素晴らしく見える。全力で自己の運動能力を発揮して、競っている姿は、実に美しい。 無気力相撲、八百長相撲を見ているのとは正反対である。 オリンピックは競技試合であるから、全力で戦わないと勝てる はずはないのだが、人間には、限界があり、競技によっては、 ペース配分が重要である部分もある。 マラソンなどは、最初から100%の力を発揮すれば、 必ず途中で転ける。 素人でも、競技時間が長くなれば、自分の持てる力をどのように 配分すればいいのかが、重要なことくらい判る。 今回の、バドミントンで、2つの国の選手団が、すでにリーグ戦で 上位にいるので、対戦相手に自国No.1と当たらないように わざと「負けようとして、無気力試合と判定され失格した」。 このことが、全力での試合を重んじる「オリンピック精神」に 反するとして問題視されたのである。 「試合そのものを捨てる行為は、 勝利のために戦闘能力を時間配分する行為とは異なる」 のであろう。 日本の女子サッカー監督が、 同クラスで1位を避けて2位通過を狙った ことで、 「無気力試合ではないがフェアーでない」と指摘されているが、 2位通過でさえ簡単なことでないから、 むしろ、無理してカウンターを受けるよりも、慎重に試合を進めることも大切であり、監督は安全な 体勢を取ろうとして、指示したのだろう。 素人が言うのは可笑しいが、 「監督たる者は、チーム内の采配をあまり チーム以外に伝わるようにおしゃべりするのは、 チームの士気を貶める 仕草以外の何者でもない。 チーム自体が大切なのであって、 監督は その代名詞ではないのだから、余計な自己主張であろう。」 試合中の休憩に、TVが入り監督の檄を放映しているが、 大事な試合を ここまで見せるのはTV放映としてスポーツを冒涜していないか。 監督の檄を見せる、ショーマンシップを期待しているのではなくて、 選手全体の自律的な一糸乱れぬ試合運びを期待して試合を 見ているのに、あらぬ監督が素晴らしい指示をしているように 見せるのは、可笑しい。 TVがあまりにも試合に介入しすぎて、 たとえば、野球ではキャッチャーのサインまで 公然と映すときがあるので気をつけるべきだ。 このように、スポーツの世界では、 公明正大なスポーツマンシップが 尊ばれるのであるが、 政治の世界では、最も大切にするべき主体者である 国民に、約束もしていないマニフェストがさも大切な 重要事項として、事前の提示なく、 「代わりに決めてあげるので、あとでご覧あれ!」とばかりに、 ごり押し、出し抜きしようとしている。 国民が否定したはずの、 他党のマニフェストを、 国民が投票行為を 行うことが出来ない闇の時間内に 主役者抜きで、さっさと決めてしまおうという政治行為は、 オリンピックの公明正大な原理に照らしても、 真逆にあるように見える。 国民はスポーツでがんばっているのであるから、 政治家も少しは 公明正大な姿勢を見せるべきと思う次第である。 P.S. 東日本大震災・原発事故の復旧で大勢の作業員達が 必死になって働いてくれている。 なにしろ、「京」という天文学的な放射能が拡散された 人災であり、質量不変の法則から形は変わっても 半減期が数時間から、数万年の核物質が 存在し、それに向かって対処する 尊い努力である。 線量計を付けようと付けまいと その場に滞在する以上は高い放射能を 浴びることは判っている。 あえて、線量計を外すことは 危険を承知で身を投げ出す行為であり、 人造ロボットが開発できない今は その尊い行為に負んぶするしかないのである。 「線量計外しを云々する」前に、大量の放射能が 均一ではなくて、ホットスポットとして 存在する事実を明確にしないことが 問題では無かろうか。 国会事故調の識見は、怖いかも知れないが 政治家が隠したい事実が潜んでいるかも知れず、 国民としては事実を明らかにして貰いたいものである。 隠したいようなことでも、 主権者として国民は知る権利が あるのだから。 それを奪うことは、人間としても 神に対しても背くことにも、なりかねない、 と、呆け頭は考える。
Aug 6, 2012
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ネパール連邦民主共和国<年度は7月17日~7月16日>略史<外務省>年月 略史1769年プリトゥビ大王による国家統一1846年~ラナ将軍家による専制政治1951年王政復古1956年日本・ネパール外交関係樹立1990年民主的な新憲法導入2007年1月暫定憲法成立2008年5月制憲議会発足:王制廃止(240年続いたヒンドゥー教を国教とする国体から、特定宗教にとらわれない「世俗国家」へ)2010年5月制憲議会を1年延長2011年5月、8月制憲議会をそれぞれ3ヵ月延長2011年11月制憲議会を6ヵ月延長2012年5月制憲議会が期限内の憲法制定に至らず任期満了2013年3月制憲議会再選挙実施のための選挙管理内閣発足2013年11月第二回制憲議会選挙実施2014年1月制憲議会開会2015年9月新憲法公布、2015.10新政権発足<外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳、など>国名ネパール連邦民主共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)119位通貨ネパール・ルピー;Rs.=約¥1.00(2013/2014年度当初6ヶ月平均値)、$1=約 Rs.99.4(2013/2014年度当初9ヶ月平均値)国花シャクナゲ国旗世界で唯一矩形ではない国旗。特徴的な形は、ネパール王国の王家と宰相家が使用していた2つの三角旗を組み合わせ簡略化したことに由来。国旗の真紅は、ネパール国花・シャクナゲの色、ネパールのナショナルカラー。また、赤は国民の勇敢さを、縁取りの青は平和を、それぞれ意味している。2つの三角形はヒマラヤの山並みを象るとともに二大宗教であるヒンドゥー教と仏教を意味しており、月と太陽はこの国が月や太陽と同じように持続し発展するようにという願いを込める。国の標語「母と母国は天国より素晴らしい」(サンスクリット語)面積:平方キロ147,000平方km;北海道の1.8倍国の位置地理的にインドと中国(チベット自治区)の両大国の間に位置し、「非同盟中立」を外交の基本としており、雪を冠したヒマラヤ山脈の風景とあいまって、まるで"アジアのスイス"のような存在と言えるかもしれない。首都は、古くから大小様々な王国が興亡したカトマンズ盆地に位置し、「カトマンズの谷」や「仏陀=釈尊、ゴータマ・シッタルダの生誕地ルンビニ」など今に残る貴重な歴史的建造物は、ユネスコ(UNESCO)の世界遺産にも登録されている。人口:千人26,490千人(2011年)人口密度:/平方キロ180人首都カトマンズ;東京からの大気圏距離:5,165km時差:JST-3時間15分<時間が半端に注意>サマータイム無し民族パルバテ・ヒンドゥー、マガル、タルー、タマン、ネワール等言語ネパール語識字率65.9%(2011年)宗教ヒンドゥー教徒81.3%、仏教徒9.0%、イスラム教徒4.4%他政体連邦民主共和制元首ビドヤ・デビ・バンダリ大統領(象徴的存在)2015.10.28~議会立法議会(新憲法公布により連邦議会二院制移行が決定)政権首相プラチャンダ 新憲法制定に伴い、第一党のネパール会議派総裁のコイララ首相が10日に辞任。同氏とオリ氏の首相選出でオリ氏が勝利。 カドガ・プラサード・シャルマ・オリ・・・第2党の統一共産党議長2015.10.11~→2016.8.3オリ氏辞任:第3党共産党毛派プラチャンダ議長選出(同氏は2006年までの内戦で武力闘争主導、2008年首相になるも連立政権の内部対立で9ヶ月後に辞任している。2018年に予定される新憲法での初の議会選前に政権を第一党ネパール会議派に渡す連立合意によるもの。) 内政1996年以来ネパール統一共産党マオイストが武力闘争で政情不安にあったが、2006年包括和平成立、2008年制憲議会選挙を実施、王政廃止、連邦民主共和制移行が決定。しかし、憲法策定作業は難航、任期内に制憲できず制憲議会は解散、2013年11月憲法制定のための再選挙が実施され、翌年議会が開会、ネパール・コングレス党党首・スシル・コイララが首相に選出された。同党と第二党の共産党の連立内閣が発足した。2016.8第3党の共産党毛派のプラチャンダが第一党ネパール会議派などの支持を受けて新首相となる。外交基本方針非同盟中立、近隣諸国との友好関係の維持軍事(1)予算 293億ルピー(国家予算経常予算の約5.7%)(2013/2014年度予算)(2)兵役 志願制(3)兵力 陸軍約9万人主要産業農業、貿易・卸売業、交通・通信業GDP:億ドル221億ドル(2013/2014)一人当たりGDP:ドル 703ドル実質GDP成長率5.5%物価上昇率9.9%(2012/2013)財政収支/GDP比▲3.1%外貨準備高61億ドル経常収支(国際収支)6.4億ドル(2013/2014)貿易収支(国際収支)▼55.1億ドル(2012/2013年度)貿易額:輸出8.8億ドル同 :輸入63.9億ドル貿易品目:輸出工業製品、既製服、カーペット、食品(豆、香辛料等)同 :輸入石油製品、機械部品、金、輸送用機械等貿易相手国:輸出インド、米国、バングラデシュ、ドイツ、中国同 :輸入インド、中国、アラブ首長国連邦、インドネシア、タイ対日輸出1,100万ドル 内訳既製服、紙製品、カーペット・繊維対日輸入85,350万ドル 内訳鉄鋼関連品、機械・工業製品、車関連部品日本の援助実績:2013年度まで有償:790億円;無償:1,974億円;技術:637億円主要援助国英国、米国、日本、インド、スイス
Aug 5, 2012
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今朝の早朝テニスは、いくらか涼風がコートを過ぎったので、 最初は気持ちよいくらいであった。 医者は、脳幹梗塞なので暑い時期や、寒い時期は 運動を控えるようにと指導してくれている。 ただ、暑いようだと、血液の循環がむしろ良くなるのだろう。 いちおう、バイアスピリンで血液をサラサラにしているので、 血管も緩むのであるから、循環はスムーズに転じている。 2時間の練習が終わり、他のメンバーは疲れた様子だが、 小生はなんとか持ちこたえている。 もちろん、右手、右足の痺れはきつくなっているが、 いつものことで、慣れてきた。 さて、次の地域テニスの練習までは2時間あり、 一度、自宅で待機しようとしたが、ラケットが見当たらない。 小生は、グリップが白いYONEXを今朝使ったが、 真っ黒いWILSONが代わりに、残っていて、 女性のハードヒッターの名前が書いてある。 次の2時間の練習は小生の控えのWILSONを使用して、 シャワーを浴びて帰宅すると、 件の女性からメールが入っていた。 明日から出かけるので、マクドナルド近くの小生の自宅に 届けたいとのこと。 マックに車を止めて、件の女性が、ラケットケースを掲げて 近づいてきた。 「自分でもどうして、全く違うラケットを持ち帰ったのか、 判らない」、そうである。 随分と、熱戦をしたので、頭が熱くなったのだろうか。 脳幹梗塞の小生は、暑い時期は、脳が危ないと意識しながら 行動しているから、冷静であり、健康な人の方が返って、 意識が朦朧としたときは、自然な朦朧現象が続いているようだ。 とりあえず、自分のラケットが無事手元に返り安心した次第である。 「朦朧」としたことで思うのだが、 「政治は朦朧として」いないだろうか。 与党は、自党のマニフェストに表記せずに、外国からの指摘で、 他党のマニフェストが国策に合致していると判断、正直に、かつ、 国民の同意無く、勝手に乗り換える様は、 「朦朧」としか言いようがない。 他党では、野党第1,2党が外国からも信任を得ている消費増税 マニフェストを与党と共に、掲げながら、「首相不信任」も掲げる。 これに輪をかけて混乱しているのが、残りの野党が、 首相の不信任案を 「政治信念でなく党派利害からか」 真っ先に提出するのである。 首相は、消費増税は命を懸けて国のために通過させる所存であり、 野党全員は「首相の不信任」で一致しているが、 消費増税は、野党の内第1, 2党のみが賛成なのだ。 与党だって、首相の意図をおもい賛成せざるを得ない 状況に沈殿した結末のようでもある。 首相が命を懸けるなら、国民はその恩恵を受けられるのか? 多くの国民は、No.と言っている。 経団連など以外の国民はそうなのだ。 だんだんと、国民という概念が表に顕れて来ている世の中だから、 「明治維新で、国民が置き去りにされた」ことが、 再び、維新の会で明らかにされるだろうか、 とも思うこの頃だ。 とは言っても、今回のロンドン・オリンピックでの日本の活躍は 素晴らしい。 オリンピックは参加することに意義があるのであり、色がゴールド でなくても、多くの選手が上位に這い上がることで、スポーツが 国民にとって、自分で行うこととして楽しければ良いのだ。 行わなくとも、見ることでも興奮する。 特に、錦織圭選手の成長が逞しく憶えるのは、 小生だけでないだろう。 小生のような、ヨチヨチ・テニスでも「エヤー」と飛んでみたくなる。 「エヤー」といっても、ギターの「エヤー」では概念が違うが。 本当に楽しいオリンピックへ国民全員が TV参加している、この時期である。 商業主義は忌々しいが、 やはりオリンピックはクーベルタン男爵の 意志が受け継がれていると思う。 石原知事の思惑も、当たっているかも知れない。 兎にも角にも、この暑さの期間は、暇な小生にとって、 オリンピック様々で時間が費やせる。 政治の空白がオリンピックで埋められるなら 有りがたいが、そうはいくまい。 平成維新が起きるのは 間もなくの気がする。 明治維新は革新的な個人が多数現れて 維新に成功し、その後の素晴らしい官僚達の 頑張りもあって、世界に追いつき、 追い越してきたが、平成維新の 騎士達の姿はよく見えない。 幻でないことを祈るばかり。 ついでになるが、首相は「命をかける」と良く言うが、 米国でオスプレイに試乗した、防衛大臣が 「試乗しての安全感を自分が実感できたことで、 そのことだけで、沖縄の人たちが同じ気持ちに なってくれるとは思ってはいない。」と、正直に いっていたように記憶しているが、「自分が命がけ になっていようといまいと、他人の尺度は他人しか 決められない」ことを、防衛大臣はよく弁えた立派な 方に思え、ぜひ、首相は見習って 謙虚になって貰いたい。 呆け頭の独り言である。
Aug 4, 2012
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<外務省、JETRO,世界経済のネタ帳、など> 国名スリランカ民主社会主義共和国幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)93位通貨ルピー1ドル=113.9ルピー1ルピー=0.68円(2011年末値)国花青いスイレン「ブルー・ロータス」国旗赤地に金のライオン(「シンハ」=シンハラ族のシンボル)と剣が中央にあるデザインであった。1951年に緑と橙色の帯が、少数派であるイスラム教徒とヒンドゥー教のタミル人を意味するものとして付加された。1972年に国名がセイロンからスリランカに変更された際、多数派の仏教徒を意味するものとして4枚の菩提樹の葉が付加され、1978年にそれが公式に採用された。国の位置南アジアのインド亜大陸(インド半島)の南東にポーク海峡を隔てて位置する。かつての、英国領土時代はセイロン島と呼ばれた。面積:平方キロ65,607平方km北海道の8/10人口:千人20,630千人人口密度:/平方キロ314人首都スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ経済首都:コロンボ東京からの大気圏距離:6,861km時差:JST-3時間半(サマータイムなし)民族シンハラ人(72.9%),タミル人(18.0%),スリランカ・ムーア人(8.0%)(一部地域を除く値)言語公用語(シンハラ語,タミル語),連結語(英語)宗教仏教徒(70.0%),ヒンドゥ教徒(10.0%),イスラム教徒(8.5%),ローマン・カトリック教徒(11.3%)(一部地域を除く値)政体共和制元首(マヒンダ・ラージャパクサ大統領→)2015.1.9選挙で野党統一候補シリセーナが大統領選に勝利(51.28%)就任 議会一院制政権スリランカ自由党(SLFP)を中核とする与党統一人民自由連合(UPFA)(1)首相名 D.M.ジャヤラトナ(2)外相名 G.L.ピーリス軍事予算 15億ドル、兵役 志願制、兵力 160,900人 (陸軍:117,900人,海軍:15,000人,空軍:28,000人)(出典:ミリタリー・バランス)主要産業農業(紅茶,ゴム,ココナツ,米作),繊維業GDP:億ドル574億ドル一人当たりGDP:ドル 2,836ドル実質GDP成長率8.3%物価上昇率6.7%失業率4.2%財政収支/GDP比▼6.9%外貨準備高 67億ドル(2010年)経常収支(国際収支)▼46億ドル貿易収支(国際収支)▼97億ドル貿易額:輸出106億ドル同 :輸入203億ドル貿易品目:輸出工業製品(繊維・衣類製品等)76%,農業製品24%,宝石類0.3%同 :輸入中間財(繊維関連等)61%,資本財21%,消費財(食料品等)18%,その他0.3%貿易相手国:輸出米国20.3%,英10.5%,伊5.8%,ベルギー・ルクセンブルク5.4%,印4.9%同 :輸入印21.9%,シンガポール10.5%,中国10.3%,イラン7.9%,日本5.1%,マレーシア3.4%対日輸出216億円2.3億ドル 内訳紅茶,衣類及び同付属品,魚介類(まぐろ,えび等),ゴム製品,植物性原材料。対日輸入752億円10.3億ドル 内訳自動車,一般機械,繊維用糸及び繊維品,ゴム製品,鉄鋼。直接投資受入額 9.6億ドル対外債務残高289億ドル日本の援助実績2011年度まで有償:8,755億円無償:1,965億円技術: 691億円デット・サービス・レイシオ(債務返済額÷総輸出額) 12.6%
Aug 3, 2012
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スリランカ民主社会主義共和国の基本事情(2011年) 略史<外務省>年月略史紀元前483年ヴィジャヤ王子(シンハラ族の祖といわれる)スリランカ上陸。シンハラ王朝建設紀元前250年仏教伝来紀元1505年ポルトガル人来航(海岸地帯を植民地化)1658年オランダ人来航(海岸地帯を植民地化)1802年アミアン条約によりスリランカは英国植民地となる1815年キャンディー王朝が滅亡し,全島が英国の植民地化1948年英連邦内の自治領として独立1956年バンダラナイケ首相就任。シンハラ語のみを公用語とする公用語法成立。1972年国名をスリランカ共和国に改称(英連邦内自治領セイロンから完全独立)1978年2月ジャヤワルダナ大統領就任(実権のある大統領制の発足)1978年9月国名をスリランカ民主社会主義共和国に改称1983年7月大騒擾(騒乱)事件,LTTEとの内戦本格化1987年7月スリランカ,インド和平合意成立,インド平和維持軍(IPKF)がスリランカへ進駐1987年11月憲法改正(シンハラ語及びタミル語を公用語と規定。州評議会制度を導入)1989年1月プレマダーサ大統領就任1990年3月IPKF完全撤退1991年5月ラジブ・ガンディー印元首相暗殺1993年5月プレマダーサ大統領暗殺,ウィジェートゥンガ大統領就任1994年11月大統領選挙,クマーラトゥンガ大統領就任1999年12月大統領選挙,クマーラトゥンガ大統領再選2001年12月総選挙で野党統一国民党(UNP)が大勝,ウィクラマシンハ首相就任2002年2月政府とLTTEとの停戦合意成立2002年9月政府とLTTEとの和平交渉開始2003年4月LTTEによる和平交渉の一時中断の表明2003年6月スリランカ復興開発に関する東京会議2004年4月総選挙で野党統一人民自由連合(UPFA)が勝利。ラージャパクサ首相就任。2004年12月スマトラ沖大地震及びインド洋津波により,スリランカ北西部を除く全ての沿岸が被災し,3万人以上が犠牲。2005年8月ガディルガマール外務大臣暗殺事件2005年11月ラージャパクサ大統領就任2006年2月政府とLTTEとの「停戦合意の実施に関する直接協議」2006年7月東部水門閉鎖問題を契機に戦闘激化2006年10月政府・LTTEによる直接協議2007年7月政府,東部をLTTEより解放2008年1月停戦合意失効2009年5月政府軍,北部LTTE支配地域を全て奪取。内戦終結。2010年1月大統領選挙,ラージャパクサ大統領再選。2010年4月総選挙で与党統一人民自由連合(UPFA)が圧勝。2011年12月過去の教訓・和解委員会の最終報告書公表。
Aug 3, 2012
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