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メリークリスマス〜〜今日はクリスマス。ニューヨークは、2、3日前には、19度Cまで上がるいう記録的な暖かさの後今日はマイナス2度ぐらいまで下がっています。これがいつものNYの寒さですね。クリスマスは、私たちは、いつも適当にレストランで食事するぐらいなのですが昨日のクリスマスイブは、久々にニューヨークらしいクリスマスを過ごそうということでメトロポリタンオペラにモーツァルトの魔笛を見に行くことにしました。まずは、セントラルパーク内のボートハウスでブランチ。私たちが行ったのはもう3時近くでしたが、まだたくさんの人で賑わっていました。ちょうど池のほとりの窓際の席が取れて、ラッキー。ここは、場所柄、観光客が多いのでニューヨーカーはあまり来ないようなレストランでしょうがたまにはいいものですね。ここでクラブケーキやお魚料理を頂きながら、ワインで乾杯それから冬のセントラルパークの中を歩きます。セントラルパーク内の建物の中でモーツァルトなどクラシックの曲を演奏をしていた二人。すごく上手かったので、たぶんある程度、プロの方なのしょう。涙が出そうになるほど、美しい旋律と音色。しばらく立ち止まって聴き入っていました。この寒さの中、指がここまで動くなんて、すごい♪箱にたくさんのチップが集まっていて、ある程度お札が溜まってくると箱からゴミ袋にざざ〜とお金を入れかえていたのが、またすごかった。それから、コロンバスサークル前の出店をぶらぶら。そして、メトロポリタンオペラへ。オペラを見に行くのは、ほんと何年かぶり。私がこれまで見たのは、マダムバタフライやラボエームやカルメン、トスカなど有名なものばかりで、魔笛も初めてですしけしてオペラに詳しいわけではないのですがあの有名な「夜の女王のアリア」を生で聴いてみたいなあと。1週間前にふとオペラに行こうと思いついて、席を取ったにも関わらずオーケストラ席の前から4列目の席が取れたので舞台はすぐ目の前で、歌手の方々の表情もよく見えてラッキーでした。そして、舞台はとても素晴らしかったです。夜の女王のアリアは、聴きながら鳥肌が立ちました。夜の女王を歌ったソプラノ歌手の方は、ただ上手いというだけでなくなんと言うか、声に深みとつやがあってすごい迫力ながらも、高音がとても自然に響いてくるのです。(ちなみにこちらに、これは別の方ですがYou Tubeでの夜の女王のアリアの映像。この方もすごい迫力。http://www.youtube.com/watch?v=SqleLlHX5WI)また舞台装置や演出も斬新で素敵だったしまた、オペラ歌手の方々の演技も素晴らしい。オペラはストーリーが今一つなものが多いですしその中でも、魔笛は、最も支離滅裂なストーリーだと言われていて確かに最初に対訳を読んだ時にはフリーメーソンを表していると言われている教団の話も含めてなんじゃこりゃ〜という感じだったのですがそんなことも実際に舞台を見ていると、全く気にならないものですね。モーツァルトの素晴らしい歌曲の数々に加えて「真夏の夜の夢」みたいなファンタジーな舞台設定、ミュージカルや喜劇のように演技で笑わせるところも多く子供でも楽しめるオペラなのだなあと。実際、家族連れで子供もたくさん来ていました。これはフィナーレのカーテンコール。オペラが終わった後は、近くのレストランで再び乾杯忘れられない素敵なイブの日となりました。(そういいながらも、忘れるものだけどね)昨日、今日と二日続けての休みは、本当に久しぶりでおさむがこれからキネシオロジーのセッションを私にしてくれるそうでそれも楽しみ。(最近はおさむもヒーリングホリックになるつつあるのよ)そして今日も夜は、またソーホーのタパスバーに食事に行く予定です。ふふ、やっぱり飲み過ぎかしらねということで、今年もあと1週間で終わり。何だか年末になると、しみじみ〜と今年を振り返ってみるものですよね〜。これが年が明けたら、また気分も変わるのですが。私は、明日から大晦日までずっとセッションで元旦だけ休み、1月2日からは、通常通りのセッションです。今年残りの1週間の間にも、またいろんな物語が生まれるのだろうなあと。今年も最後まで、すべての瞬間を最大限に楽しんでいこうと思います今年もたくさんの方々にお世話になりました。セッションに来てくださった方々もブログを読んでくださった方々もそして、遠くからいつも見守ってくださっている方々も。みなさま素敵なホリデーシーズンをお過ごしくださいね。そしてどうぞよいお年をお迎えくださいますように
2013年12月25日
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昨日の夜は、友人と久々にお寿司を食べに行きました。つい調子に乗って飲み過ぎてしまい最後は、友人にべらべらと話していたのは覚えていますが何を話していたのかほとんど覚えてない。。。(たぶん、キネシのこと話していたんだと思うけど)今朝はしっかり起きて(というより、おさむに叩き起こされて)朝から夜までセッションでした。セッションに入ると集中できるので、関係ないですがやっぱり、飲み過ぎはいかんですね〜。(と本気では思っていない?)さて前回のブログで、私自身のコミュニケーションの問題と書いたものの基本的に人とつきあうのは好きだしどう見ても、これはコミュニケーションそのものの問題ではないなあと。私の根本的な問題は、他の人の問題を見てしまうと、その要因を解明してヒーリング(本来のその人のあるべき姿に戻すこと)したくなってしまう、というヒーラー根性というのか、ヒーリング中毒。そして、それに伴って起こっている時間がないという問題。この時間がない、という問題は何かにつけて出てくるのですがさすがに、一時期のように1ヶ月に休みが1日しかない、なんて状況にはならなくなったものの今年の公約だった?週休2日はいまだ実現せず。あらかじめ予定を立てている時は、一応、週2日で休みを取っているのですが緊急にセッションが必要な人が現れるとつい休みの日にも入れてしまったりするので、週1日休みを取るのがやっと。最近の私のスケジュールは半年先まで一杯なのですぐにセッション受けたい方は、できるだけおさむに受けてもらったりもしますが私自身もディープな問題を見てしまうとすぐにやりたくなってしまうのです。セッションをすぐに行えなくてクライアントさんに申し訳ないというギルティ感は、以前、調整したこともあって今、それほど大きな問題を抱えていない方の場合は例え、半年待ってもらったとしても、気にならなくなったのですが(もちろん、問題に大きいも小さいもないものの)おさむに対しては、彼自身が自分でできるようになったので以前のように毎日のように夜中までヒーリングを行うことはなくなりましたが私のヒーリング中毒は、相変わらず。これがあるおかげでプライベートでの人とのつきあいやコミュニケーションが昔に比べると、おっくうになってしまっているのは確かです。このヒーリング中毒、わかっちゃいるけど、やめられない考えてみれば、確か2012年の6月にフロリダに行った時に、それが問題だと出てきたのですがいまだに、調整されていないわけですから私の潜在意識としては、よほどそれを変えたくないのですよね。小さな頃から勉強でも何でもやりだすととまらない、探究心、好奇心の強さが私のよさでもあり、欠点でもあり。それがあったからこそ、ここ何年間か、ほとんどクレイジーなほどヒーリングに取り組んできたわけですしヒーリングは、私にとっての何よりの喜びですがそれが故に起こってしまう問題もあるわけです。ヒーリングに対する探究心、好奇心、情熱は持ちつつも例え、友人や家族が問題を抱えているのを見てもセッションしたいと感じないようにするなんてことができるようになるかしらね。もちろん、相手が望んでいなければ、私もやりたいなんて思わないわけで人それぞれの選択でいいのですが相手が望んでも、今の私には時間的にも無理なことが多いですから。例えば、父の病気に関しても、父には父の人生の選択があるのだから、と私は父にヒーリングしたい、とは思っていなかったわけですが今年5月に日本に戻った時に、父がセッションを受けたいと言い出しセッションをやり始めると、私自身がもっとセッションをやりたくて仕方なくなりました。父の場合、脳だけでなく、内臓も骨も筋肉もありとあらゆるところに問題があり、私が実家に滞在する間の数回のセッションでは焼け石に水かも?と思っていたのですがその数回のセッションでも、かなりの効果があったこともあってもっとセッションを重ねれば、さらに回復することも目に見えています。結局、来年の5月にまた実家に戻って、父にセッションを行うことに決めたのですがきっとその滞在期間中に何度かやったとしてもまたさらにもっとやりたくなってしまうのだろうなあと。NYに住んでいて昔は親しかった友人たちと、なかなか連絡を取らなかったりするのもそのもどかしさを感じたくないからというのがあるかもしれません。もっとも友人というのも、変化してゆくものですし今の自分が一緒にいて楽な人といればいいわけですけどね。昨日の彼女は、私のセッションを定期的に受けていることもあっていろんな意味で一緒にいて楽でむしろ、最近はプライベートの時には私の方が話を聞いてもらっていることが多いかもしれません。以前は、バーバラアンブレナン博士などの著書で書かれてあるようにセラピストは、クライアントとはプライベートでつきあわないというのは、セラピストとしての鉄則だと思ってましたがそれも最近の私にとっては、違ってきたなあと。最近は、私のところにクライアントさんとして来られた方の中に友人としてつきあってゆきたい方たちもいらっしゃっるし癒されれば癒されるほどお互い楽につきあうことができるようになるわけですから。どちらにしても、セラピストといっても、カウセリングなどとは違ってキネシオロジーは筋反射というマインドには全く左右されないでその人の中にあるものを見ることができるものがあるのですからプライベートでつきあっても関係ないわけですけどね。さて、明日は冬至です。去年の冬至にセドナで過ごしてから、1年が過ぎました。この1年、本当に濃い内容でした。あのセドナでの自分の意識とは違っている自分がいます。ほんとうに不思議。これからまたどんな意識になってゆくのか1年後は、また違う自分がいるのかしらね。その頃までには、ヒーリングホリックも何か変化しているかも。 みなさま、どうぞ素敵な冬至の1日をお過ごしくださいますように。Blessings
2013年12月20日
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本来コミュニケーションは、とてもシンプルなものですが私たち人間は、言葉を使って行う必要性があるため様々な問題が生まれ、複雑になりがちです。またメールでのコミュニケーションは、直接会って話すのとは違って相手の動作やエネルギーから相手の気持ちを読む取ることができないので誤解を招きやすくなりますからよりシンプルに、わかりやすく相手に伝えることが必要となってきます。もっとも大切なのは、自分の気持ちや意向や感覚を率直に伝えるということ。人とのコミュニケーションでそれができない人はとても多いです。例えばAさんがBさんに対して、あることをヘルプしようと「もし必要なら、私が今度手伝いますが、いかがですか?」と聞いたとします。ところがBさんが「Aさんはお忙しいですし、どうぞ無理をなさらないでください」などということだけを伝えたら、Aさんには、Bさんが自分の手伝いを受けたいのに遠慮しているのかもしくは、助けを受けたくないのか伝わりません。それで、もう一度、AさんはBさんに「私の方はちょうど今は手が空いているしもしヘルプが必要なら遠慮しなくていいですよ」などとBさんの意向をさらに尋ねる必要が出てきてシンプルなコミュニケーションが、ひとつ手間(複雑)になるのです。Bさんとしては、もしヘルプを受けたいのにも関わらずそういう微妙な言い方をしてしまったとしたら「ヘルプはありがたい、でも相手に迷惑に思われたら嫌だ。それだったら一人でやった方がいい」などという気持ちがあり迷惑になったらなぜ困るかと言うとそれによって相手が嫌な思いをするのではないか?という恐れであり自己価値が低いから。ですから、自己価値をしっかり自分自身が受け入れていない人はシンプルなコミュニケーションができなくなってしまいます。この場合、Aさんに聞かれた時、Bさんが伝えるべきことはシンプルです。サポートを受けたいのか、今回は必要ないのか、自分の感覚や思いや意向をそのまま伝えるだけなのです。もちろん、例えばA さんが本当に忙しい人で人のためにちょっと無理をしがちな方だったら「ありがたく申し出を受けさせてください。でも、もし急に予定が入ったり、疲れていたらいつでもキャンセルしてくださいね」などと相手を思いやる言葉を伝える必要も出てくるかもしれません。(これも場合によっては、不要な気遣いとなりますが)人に気を使う必要はなくても人をケアする気持ち、思いやる気持ちは大切ですから。人に気を使う人は、逆に相手にも気を使わせてしまうことになりがちで本当の意味では相手のことを思いやることができていないこともあります。さて、ここでBさんだけでなく、Aさんも自己価値が低かったりあれこれと人に気を使う(思考でコミュニケーションする)人の場合は、話は余計に複雑になります。Aさんは「Bさんが無理をしないでください、と言ったのは私のサポートを迷惑だと思っているからかもしれない」などと考えたりして、サポートをするのをやめたりすればそこでBさんは「やっぱりAさんにとっては迷惑だったのだ」などと思って、事態はわけがわからないことになってゆくのです。Aさんとしては「Bさんは私のことを〜〜〜だと思っていると思っていた」でBさんとしては「Aさんは私のことを〜〜だと思っていると思っていた」でお互いに相手がこう思っているのではないか?と思って(妄想して)いるわけです。このことは、以前も書きましたがこれを「幻想のコミュニケーション」と私は名付けていますが相手がこう思っているのではないか?とあれこれと予想することに何も真実はありません。「相手の気持ちがわからなければ、率直に相手に尋ねる」コミュニケーションは本当にシンプルなのです。自己価値が低ければ、相手のために何かができる自分や相手の迷惑にならない自分でいなければならなくなってしまうので乗り気がしないなあとどこかで感じつつも、無理をして引き受けてみたりまたはBさんのように自分の気持ちを率直に伝えないことで話が面倒なことになってしまったりで自由でオープンなコミュニケーションを持つことはできなくなってゆきます。またプライドを持っている人も、コミュニケーションは苦手になります。プライドというのは持っていれば、必ず傷つくものだからです。ですから、無意識にそのプライドが傷つかないように相手の気持ちを探るような遠回りな言い方をしたり自分の気持ちを率直に相手に伝えることができなくなります。実は、プライドがあるというのは、自己価値が低いということの裏返しなのです。自己価値をしっかりと受け入れていれば、どんな時でも「心から自分のやりたいと感じることだけをやる」ことができます。私はプライベートでつきあう相手は、自分にとって本当に楽しくて心地よいと感じる人だけです。また例え、いくら大好きな人であってもその時に他にやりたいことがあって今回は大切な友人とのつきあいよりも、そちらをやりたいと感じれば「今回はやめておくわ〜」とか一度約束していたとしても「ごめん〜やっぱり明日はゆっくり休むことにします〜」などと自分の感覚を優先します。私が断ることによって、その方との信頼関係は揺らぐことはないとわかっているからです。ですから、私が断ったことで傷ついたり余計な気を使ったりする必要がある人とは友人としてつきあうことはなくなります。(もっとも、基本、酒を楽しく飲むことができる人なら誰でも大丈夫だったりするのだけど)←結局それかい!どんな時でも相手に無理に合わせたりせず自分が本当にやりたいと感じたことだけをやる。そのためには自己価値をしっかり受け入れ、人と共鳴しながら自分の今の気持ちや感覚を率直に相手に伝えること。本来とってもシンプルなことなのに複雑になってしまうのは人それぞれ様々な要因があります。そういっている私自身もここ数年感じているコミュニケーションの問題がありそれはまだ調整していないのですが。もともと私は、基本的にオープンな人なのでほとんどの人には出会ってすぐに何でも自分の感覚を伝えることができていたしコミュニケーションに関しての問題というのは感じていませんでした。が、これはキネシオロジーを初めてからの職業病に近いのですが例えば友人と話して、友人から何かを相談されたとしてもそれに対してただ話を聞いたり、何かアドバイスを伝えるということができないのです。筋反射を取って、その人の(頭で考えている問題ではなく)本当の問題や本当に何が必要なのかを見てからでない限り私のアドバイスが、その人の道に添っているかどうかわからないし場合によっては、そのアドバイスが、友人のブロックになることもあり得るということが、よくわかっているからです。普通、友人同士では、何か悩みなどがあってもお互いに話をするだけで満たされたりしますが私の場合、プライベートで何か悩みを話されたりすればその問題は、一体どこから起こっているのかしら?となって、カフェで筋反射を取り始めることにもなりかねないしそうなると、プライベートでも仕事モードになってしまいます。また、これまで何千回もセッションをやってきたこともあって筋反射を取らなくても、会って話をすれば「あ〜原始反射があるなあ」とか「インナーチャイルド、かなり残っているなあ」とか「これは脳神経の問題がありそうだなあ」などとある程度は見えてくるので、そうなるとさらにセッションをしなければ何も変わらないということもよくわかるのでセッションをせず、ただ友人の話を聞いている、ということがもどかしく感じてしまいがちです。毎日のセッションでは、人と深いレベルで共鳴することができてもプライベートで人とつきあう時にはたまに、無意識に第6チャクラを閉じているような感じになりなるべく相手の本質的な問題を感じないようにしてしまう傾向がここ数年できているのも、よくわかっています。(なので、私が酒を飲んで酔っぱらっていれば相手の本質的な問題は観えてこないので、楽なのよね〜)友人の中でも、私のセッションを何度も受けていたりある程度、本質的なものが癒されている人だとそういう意識を持つことなく、楽につきあうことができるのですが。もちろん、どちらにしても、私にとって心地よい人としか友人としてはつきあえないのは確かなことですが例え、その人のことが好きであっても職業柄、つい問題の本質的な要因を追求しようとしてしまったりそれがどこから来ているのか、わかりすぎてしまうためにプライベートでのコミュニケーションが面倒になってしまうというのは完全にマインドの問題ですからこれは私の意識を変化させる必要がありそうだなあと。楽でないもの、シンプルでないものは私たちの本質ではないですから。ということで、コミュニケーションは癒されれば癒されるほどさらにオープンに、さらに自由に、さらに楽に、なってゆくのです。
2013年12月18日
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キネシオロジーのセッションを通じて気づくことは「自分で何でもやらなければ」「問題は自分一人で解決しなければ」という意識の方がとても多いということです。ちょうど、先日、セッッションを受けてくださった方からの感想を頂いたのでまずはそれをシェアいたしますね。ありがとうございますのりこさん、先日はありがとうございました!約半年ぶり、3回目のセッションとなりましたが回をますごとに成果が大きく、滞りなく表れているような気がします。とにかく、次のセッションが楽しみでしょうがないです。早く受けたい!人から親切にされると感じる義務感、責務感もセッションを受けた次の日から解放されたような感じが、、。人に親切にされても、ストレスを感じなくなったんです。とってもワガママな本来の自分が出てきました。良いことなのでしょうか?笑あと、インナーチャイルド。私は滅多に人前では泣かないというか泣けないのですがあんなに人前ですんなりと涙を流したのは初めてかもしれません。のりこさんに言われた言葉が胸に染み渡って9歳の頃の自分も不思議とリアルにそこに居ました。辛かったんだね、ごめんね、って。でも、誰も悪くないんですよね。本当に。のりこさんのヒーリングをこれまで受けてきて私一人だと何年もかかるような問題がここ何ヶ月かで乗り越えられた様な気がします。正直、前まで、ヒーリングという人の助けを借りて自分の問題を解決するなんて贅沢なんじゃないか、本来苦しみながら自分で解決し成長するべきじゃないかと頭で考えてた節がありました。でも、最近は自分の心、体が欲するモノにたまには素直に従ってもいいじゃん!思うようになりました。頭で考えるより、自分の直感に従って行動した方が自分のこと好きになれるような気がするんですよね〜。これまで何度か「人からのサポートを受け入れること」について書いてきましたが人に親切にされたり、人から何かをやってもらうと申し訳なく感じる方や人に何かを頼むのは苦手な方は、とても多いです。これは育ってきた世代にもよりますが、私ぐらいの世代では「何でも自分でやりなさい」とか「人に迷惑をかけてはいけません」などと親に言われて育っていることが多いのですよね。または、そう言われなくても、親が苦労をしていたので子供が気を使って「いい子でいなければ」と感じてわがままで自由な子供時代を送れないでいると大人になって人からのサポートを受けれなくなるのです。「ヒーリングという人の助けを借りて自分の問題を解決するなんて」他の方でも同じように感じている方がよくいます。でも、私が思うのは、髪の毛のことは、ヘアスタイリストに任せるように心のことはセラピストに任せる、という感じでいいのではないかしら、と。自分のことだから何でも自分でする、というのは一見、正しい考え方のように見えますがどんな人でも、他の人の助けを得ずに自分一人で生きることなんてできないし私たちは、衣住食、どれをとっても何らかの形で誰かのお世話になっているわけですから。むしろ、ヒーリングにしろ、何にしろ、人に任せることができる人からのサポートを受け取ることができるというのは自分の実力の一つなのです。もっとも、キネシオロジーのように根本的な要因を調整するものであれば、同じ問題でセッションを受け続ける必要はないですからセッションを受ければ受けるほど、問題自体は少なくなってゆきますが問題があるからヒーリングを受けるのではなく自分の新たな可能性をのばすためということであればほぼ無限に出てきます。(私たちの可能性は無限ですから)例えば、最近はキネシオロジーのセッションにスポーツ選手なども来られるようになってきましたが今の実力に不満があるから、というよりさらに可能性をのばしたいから、と来られる方も多いです。自分であれこれとやってできることもありますが自分だけではどんなに努力しても、けしてたどり着けないこともあるのです。例えば、よく行う調整としてスポーツやヨガの時の平衡感覚などがありますが平衡感覚は、視覚や耳の前庭神経、そして筋肉や腱の中にあるProprioceptors(感覚器官)また原始反射などが要因としてあります。例えば、ヨガのアーサナで、片足を上げてバランスを取るポーズで目をあけていればバランスが取れるのに、目をつぶると上手くできなくなるなどの問題がある方は、要因が原始反射や筋肉や腱のProprioceptorsにあるケースが多いですがそれらを調整すれば、調整後、すぐにバランスが取れるようになります。自分一人で何年もかけてバランスを訓練したとしても訓練によって、proprioceptoresの問題がなくなるわけではないですから能力に限界が出てきます。そういうレベルでのヒーリングやセラピーは私自身も、何千時間、何万時間とセッションをやったり研究したりしてきて、ようやくわかってきたことで普通の方が簡単に学んで自分でできる範囲ではないですしやはりそれぞれの問題に対応できるプロに任せた方がいいのです。(もちろん、ヒーリングも簡単に学んでできることもあります)プロのスポーツ選手の多くは、メンタル的なコーチや身体のケアをするプロの方の助けを得ながら、やっているようにある道のプロであればあるほど自分でできることと、できないことをはっきりと理解して自分でできないことは、人の助けを得ています。だから、人に任せる、人のサポートを得るというのは自分の実力のうちなのです。心の問題も同じ。何が思い込みで何が本当の自分の声なのかをちゃんと理解している人はとても少ないですから様々な問題が起こってきます。そしてその多くは「気持ちの持ちよう」などで片付けられる問題ではないですから自分だけで何とかしようとすればするほど限界が出てくるのです。ちなみに、学ぶということで言えばただヒーリングを楽しんだり、もっと深く知りたいという気持ちであればどんどん追求していけますが自分のことは自分でやらなければ、とか家族に対して自分がヒーリングするために、ということでヒーリングを学ぶ人は、例えクラスを取っても続かなくなる方がけっこう多いです。かくゆう私自身も、以前アーユルヴェーダに興味を持った時に自分の使うスキンケア用品を自分で作ったり自分のケアのために学ぼう、と思っていたことがありました。それで、アーユルヴェーダのナイナ先生の5回のクラスを受けようとクラス受講費を払っていたにも関わらずクラスの日に、クライアントさんのセッションを入れてしまって結局、たった1回しか参加しませんでした。スキンケアのプロダクトを自分で作っている時間なんてないその道のプロの人に頼めばすむことだ、と気づいたからですが時間がなくてもやりたいという情熱があればやったでしょう。今から思えば、キネシオロジーもそうですがアーユルヴェーダなんて、一生をそれに費やしても学びきれないようなものですから自分のことは自分でやりたいから、という意識では学ぶための情熱は湧いてこなかったわけですね。最近は、何でも自分でやる、というのは、分離の意識であって私たちが持っている思い込みー幻想なのだなあと感じます。どんな人でも、その人自身の才能を最大限に生かすものがありそれは人それぞれ違うのですから。私たちはそれぞれが持っている才能や資質をのばしてゆくと同時に自分のできないことは、人からサポートしてもらうことで人生が上手く回っていくようにできているのだなあと感じます。またこの方のように「苦労は乗り越えなければ」と思っている方も多いです。子供の頃から、苦労してきた方は、楽に幸せになるという意識が薄いので、苦労するのが当たり前になってしまうのです。また、苦労を乗り越えると成長する、と苦労をすることに価値を置いていれば苦労の人生になります。でも、本来の私たちは、別に苦労を乗り越えなくても成長してゆくことができるもの。自分自身が楽に生きれるような意識に変化すれば実際、どんどん楽な人生になってゆきます。もちろん「楽な人生」というのは、何もしない、ということではなくやりたいことを自由にどんどんやってゆくことができるということですし、また、何も起こらない、ということでもありません。例え、何かが起こったとしても、楽にそれに対応してゆくことができるということ。自分自身の心(エネルギー)が常に安定していて自分の人生に起こることのすべてを信頼することができていたら何が起こったとしても、心配したり不安になったりせずその時の自分に最適な選択を行うことができるのです。いろんな場面で人のサポートを得ることができれば人生の可能性はどんどん開けてきます。なぜなら、人から何かをやってもらって感じるのが『申し訳ない」『ギルティ感』を感じるという方は本当の意味では人からの愛を受け取ることができていないからです。申し訳ない、という負のエネルギーではせっかくそれを与えてくれた相手に対してもマイナスのエネルギーになります。人から何かをやってもらって感じるのが、感謝と幸せ感であればそれを与えた相手にとっても、幸せ感をもたらすしさらにプラスのエネルギーとして働くのです。人に何かをやってもらうのが苦手な方は反対の立場で感じてみればわかるはずです。大切な人に何かをやってあげて、相手が申し訳ないなどと感じれば受け取ってもらえないさみしさが残ります。ただ相手が喜んでありがたく受け取れば与えた方はもう充分報われているのですから。ということで最近、私とおさむが『XXX ホリック』に続いてはまって見ている動画が『夏目友人帳」人との深いつながり、人からサポートを得ることの大切さがジーんと伝わってくる素晴らしいアニメで、とてもおすすめです。物語の設定は、ホリックととても似ていて両親を亡くした少年、夏目たかしは、小さな頃から他の人には観えないものーあやかしーが見えるという設定です。ですが、ホリックと違うのは、幼少の頃のたかしはうそつき呼ばわりされ、親戚の間をたらい回しにされて学校でも家でも寂しい辛い思いをしていて「早く一人で生きていけるようになりたい」と願うのです。ですが、暖かな夫婦に引き取られ、あらたな学校に移った後やさしい友人たちとも出会うことができまた楽しくてやさしい「あやかし」たちとも交流を持つようになって人やあやかしとの深いつながりを得てゆきます。ある事件を解決した時、たかしが「これは自分一人ではけしてできなかった。みんながいたからできたんだ」と言う言葉が、胸に静かに響いてきました。このアニメを見た後は、毎回、心がほのぼの暖かくなります。たかしを見守るあやかしのニャンコ先生がとにかく最高のキャラ♪(ニャンコ先生も大の酒好きなのがいいのよ)日本の田舎ののどかな風景や情緒人の暖かさ、やさしさ、哀しさ、人生の不思議さ、おもしろさたくさんのことを感じさせてくれるアニメなのでぜひぜひ見られてくださいね。こちらが無料動画です(途中でコマーシャルが多いサイトですが)http://www.crunchyroll.com/natsume-yujin-cho/episode-1-the-cat-and-the-book-of-friends-515654私たちは誰でも人と深いレベルでつながり人からの愛とサポートを受け取ることで無限の可能性が開かれてゆくのです。
2013年12月15日
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さて、今日はお金のお話。ここ最近、お金がテーマのセッションがいくつかありました。お金というのは、その人の潜在意識にあるものがそのまま現実化するよい例ですから潜在意識にあるお金に対する思い込みやブロックを外してゆくのが先決となります。お金に対する思い込みは、わざわざ筋反射で調べなくても自分である程度わかります。例えば、いくつかあげてみると1)私はお金が大好きです。2)私はお金がいつも充分にあります。3)私はたくさんのお金を受け取るに値する人間です。4)お金を好きなように使っても、途切れることなく入ってきます。5)私はお金を稼ぐことを楽しんでいます。6)私はスピリチュアルであり、裕福です。7)私はお金を喜んで受け取り、与えることができます。8)お金について人に話すことは安全です。9)私は楽をしてお金を得ることができます。10)自分のためにお金を使うことは安全です。11)私はお金をあげたい人に自由にあげることができます。こういった文章を読んでみて、何か引っかかる感じがあったり心地悪い感覚があったら、お金に対する思い込みがあるということです。例えば、いつも子供や家族のためにはお金を使うことができるけれど自分のためには使うことができていない人は10が居心地悪く感じるでしょうしお金について話すことはみっともないことだ、と感じている方は8が居心地悪く感じます(年配の方には多いです)ちなみに「お金を稼ぐことを楽しんでいます」という文についてですが例え、自分自身でお金を稼いでいなくてもパートナーや家族が稼いだお金を喜んで受け取ることができているということです。もし潜在意識で「お金を稼ぐためには、嫌なこともやらなければならない」とか「お金を得るためには、必死で働かなければならない」と感じていれば、そういう人生になるしお金は使えばなくなるものだ、と思っていてば、そういう人生になります。こういったお金に対する思い込みができるのは、いろんな要因があります。親のお金に対する思い込みや価値観を受け継いでしまっているケースや(例えば、親が「お金を稼ぐことは大変なのよ」とか「お金について話すことは、はしたないことよ」など子供に伝えているなど)または、逆に親のあり方に反発してそれが思い込みになっているケース。(親が財産相続のことなどでお金で揉めたりしたのでお金は不幸のもとだ、などと感じているなど)または、大人になってお金で苦労したという経験からきている思い込み(それも、もともとあった思い込みが現実化してさらに強くなっていることが多いですが)また、案外、お金に関する前世の影響などもよく出てきます。私自身も、以前セッションをした時にお金のない人からセッション料金としてお金を受け取ることの抵抗というのが出てきたので、調べてみたら前世で貧困や迫害された人々と関わっていたことが出てきました。ですから、潜在意識を変化させるには、親であれ前世であれ影響を受けているエネルギーを変化させる必要があります。いくら、頭で「私はいつも充分なお金があります」などと言い聞かせてみても、そのエネルギーが変わらなければ何も変わらないからです。さて、私はお金に対する意識は、もう何年も前からワークしてきたし今は、ほとんどマネーゲームから脱出しているつまり、やりたいことをいつでも自由にやることができる豊かさを持っていると感じていたので私のお金に対する思い込みは特にない、と思っていました。ところが、少し前にあらためて筋反射でお金に対する思い込みのアファメーションをチェックしてみたら一つクリアになっていない意識が出てきました。それは「私は貯蓄することへの抵抗を手放します」というもの。は〜確かに〜昔から、稼いだお金を貯蓄するという発想は全くなかったなあと。「お金は循環するエネルギーである」「人に与えれば与えるほど入ってくる」ということを若い頃に学んだこともあって20代の頃は、例えば1日100ドル稼いだら、その100ドルをどう使い切ろうか?と思っていました。お金に限らず、溜め込むというのは、エネルギーが滞ることであって私にとっては、溜めることより出すことの方が大事でしたし貯めるという発想は、未来に向けて何かをするということであって今を生きていない、と感じていたからです。年を取っても、お金は入り続ける、というのはなぜか昔から漠然と感じていたので、将来に対する不安はなかったし子供もいないし、欲しいものは何でも買うことができているのでお金を貯める必要性を感じたことがないというのもあります。さすがに、40代になる頃から稼いだお金を使い切るというようなことはなくなりましたがお金が溜まってくると、どこかで居心地の悪さを感じていたのは確かだなあと。もちろん、節約して貯蓄をしていれば、それは豊かさの意識ではないですから私の魂は、お金を貯める必要性を伝えてきたわけではなくやりたいことを自由にやった上で、余ったお金を貯蓄してもそれに対して心地よく感じていなさい、ということです。これまでのクライアントさんへのセッションでお金を得ることや受け取ることに対しての調整はたくさんやってきましたが貯めることの問題がほとんど出てこなかったのは私自身に抵抗があったからなのでしょうね。ちなみに、何かの目的のために借金をする、というのは常に負のエネルギーを意識のどこかに持ち続けることになりますから何か欲しいもの、やりたいことがある方は借金をしてそれをすぐにそれを叶えることより貯蓄してからそれを得た方が、流れとしてはずっといいです。カードの先払いですぐに欲しいものを買ってしまうという方は、欠乏感と渇望のエネルギーに基づいていますから豊かさの意識とは離れてゆきます。また同じ貯蓄をするのであっても「老後に病気になった時のために」というのと「自分のやりたい新たなビジネスを始めるために」というのでは、そこにあるエネルギーは全く違いますから現実も変わってきます。病気になった時のために貯蓄をすれば意識は病気にありますから実際に病気になりやすくなります。お金の問題は私たちがクリアにしておく必要がある一つの要因ですがそれはただお金自体に対する意識だけの問題ではありません。「お金さえあれば、自分の問題はすべて解決する」と思っている方は、問題は他にあります。実際、お金をたくさん持っていても自分の持っている才能を生かしながらやりたいことを自由にやることができない、いつも満たされないという問題を抱えている方はとても多いです。お金が欲しい理由として今の仕事を辞めたいから、遊んで暮らしたいから、と答える方はもし、たとえ何らかのことでお金を得たところで本当に幸せな満たされた意識にはならないでしょう。本質的な問題は別にあるからです。それがクリアになった時、お金もその他の問題もなくなるし本当に満たされた人生になるのです。
2013年12月12日
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NYは、今日は雪でした今年も残すところ、あと20日。ここ1週間ほど、家からほとんど出ないで、朝から夜までキネシ三昧です。師走、と言っても、ほとんどセッションルームの中で立ちっぱなしで筋反射取っているだけなので年末だから忙しい〜〜という感はないのですけどねでも、この日々のセッションを通じて、様々な出会いや再会がありそして、それぞれの人生の物語を一緒に読み解きながら感動したり、共鳴することができて、今年も最高だったなあとしみじみ感じています。さて、いろいろとお話したいことはあるのですが今日は思考のお話を。先日の修のプログに「今日もバッタバッタとマインドをたたき切る、侍ヒーラーのりこ」などと書かれてありましたがこの超やさしいヒーラーを捕まえて、侍ヒーラーだなんて人聞きが悪いじゃないのよ〜とつっこみつつ今日もクライアントさんのマインドをたたききるもとい、マインドとやさしく対話している私ですいやはやマインド(思考)っていうやつは、ほんと困ったものです。あれこれ思考を働かせて出てくるものと言ったら「こうなってああなったら、どうしよう?」「やっぱり自分にはこれは向いてないんじゃない?』「きっとこれはまだ私には無理」などというもののオンパレード。それでも、その思考が問題だ、と自分自身で気づかれている方はある程度、内観できているということですが思考と同化してしまっている方もけっこう多いです。例えば、キネシオロジーのセッションをやっていて私が筋反射で反応した言葉をその方に伝えると「ああ、確かに、いつもどこかでそういう風に思っています」などという答えが返ってくることが多いのですがでも、セッションの前に「そういう風に思ってしまうことが問題なんです」と言われる人は少ないのです。つまり、思考に自分自身が同化してしまっていてそれは思考である、自分は今、そういう風に考えているのだということには気づいていないわけです。思考型の方は、つねに思考が働いている状態でいますから思考を客観的に見る、ということができない状態になっています。例えば「何かを決断するために、十分に検討し、考えなければならない」と潜在的に感じている人はいつも思考を働かせることになります。私たちの人生は選択の連続であってあらゆる瞬間に何かを選択していっているわけですがそれを考えて(思考で)選択しようとすると「いや、これはこの点ではいいけれどこの点ではこちらの方がいいしでも、こちらはやっぱりこの点ではいいし」などと思考を働かせれば働かせるほど、選択できなくなってゆくのです。決断は左脳の作用、選択は右脳の作用と言われていますが実際、本当に自分にとって大切な道を選択するのは自分の内なる感覚に従うしかないのです。ですが「考えて」選択しようとすればなかなか決断できない、行動できないということになりがちです。例えば、過去に自分が不用意に使った言葉で、相手を怒らせてしまったなどという経験があると次から(相手を怒らせないように)よく考えてから発言しなければ、という安全装置が働きます。その安全装置が、思考の正体。次からは失敗しないように、と常にあれこれと思考を働かせるようになります。つまり、思考ーマインドの基本は恐れ。例えば「私はヒーラーとして向いてないのではないか?」という概念があったとしてヒーラーとして向いていないと思われる理由を過去の様々な自分の経験や他の人から聞いた話などからマインドは次から次から出してきます。そして、それがまるで真実であるかのように感じてしまうわけです。そして、その恐れによって、さらに思考は意味付けをしようとします。例えば「私がヒーリングをすることに意味はあるのだろうか?」とかはたまた『すべては完璧だと言うけれど、それならヒーリング自体に何の意味があるのだろうか?』などと、自分の経験、これまで聞いた話などと照らし合わせながら「正解」を見いだそうとマインドは休むことなく、あれこれと働き続けます。そうすると、どんどんどつぼにはまっていって全く意味のない意味づけになってゆくのです。この何か現象や行動についての意味付けをする、というのも思考の得意技です。それは、意味がないことをやりたくない、間違った選択をしたくないという恐れから起こります。あらゆる事象に意味づけしようする方もよくいます。例えば「すべては完璧である、ならばなぜヒーリングをしなければならないのですか?」とか「『あなたはそのままでいい』ということと『変化を受け入れること』は矛盾しているように思うのですが」などというご質問を受けるのですが「(この時に)ヒーリングを受けて潜在意識を変化させる」というプロセスも含めて、完璧なのです。「ありのまま」というのは、変化も含めてすべてということであって何一つ変化しない、ということではありません。(もっとも、ある次元では何一つ変化しないのですが)でも、いくら「すべては完璧である」という状態を頭で考えてみたところで、その感覚を持っていなければ意味付けすることで、それは制限になってゆきます。ということで、ここで話は変わりますが私は、人に説明する際に、わかりやすく説明するために潜在意識、顕在意識、思考、魂、などの言葉を使っていますがもともと、言葉にはできないものを言葉に変換して説明しているわけですから実際は、そういう風に 区切られているわけではありません。例えば「潜在意識」と言っても、人それぞれの定義は違ってきます。ですから、ここを明確にしておく必要があるかもしれませんが私にとって「思考」というのは気づいていること(顕在意識)も気づいていないこと(潜在意識)も含めて脳で作り出している概念のことを言います。でも、潜在意識というのは、思考だけでなく、感情も含めたエネルギーであって、脳にあるわけではありません。では、潜在意識はどこにあるか?ということですが実際は、身体を含めた私たちのエネルギー体に存在しています。感情的なものなら、アストラル体に精神的なものなら、メンタル体にというある傾向はありますが、必ずしもそうではなく感情的なものが肉体に宿っていることもあります。その何らかの滞っているエネルギーが最初に起こりそして次にそのエネルギーに基づいた脳のプロセス(思考)が生まれます。ですから、ヒーリングのセッションで、潜在意識の感情的なものやエネルギーを変化させるだけでは不十分なことが多いのです。ある一定のエネルギーが溜まれば脳のプロセスはパターン化してしまって例え、もともとあったエネルギーを変化させても同じ思考プロセスを行うようになるからです。いろんなヒーリングを受けてきて、それなりに変化はしているけれどいつも同じような思考に陥ってしまう人は、脳のプロセスそのものを変化させる必要があります。子供の場合、セッション後にすぐに変化するのはそこまでエネルギーが溜まっていないのでまだ脳のプロセスとして確定(パターン化)していないからです。そのことに気づいてから、私のセッションは例え、どんな問題に関しての調整であっても脳の調整が多くなっています。ということで、話は戻りますが大切なことは、何かの事象に意味づけしようとしないこと。食事をすることの意味をあれこれ考えても意味がないようにヒーリングをすることやダンスすることや自分のやりたいことの目的や意味をあれこれ考えても意味はないのです。もちろん、ヒーリングを受ける側は病気を癒したいとか、彼との愛を深めたいとかコミュニケーション力を高めたいとか経済的な豊かさを実現したい、など人それぞれヒーリングを受ける目的はあっていいのですが(目的がなくてもいいのです)私自身は、基本的にこの仕事が最高に楽しいからやっています。もちろん、プロとしてやっていくにはある程度、確実な効果をあげていく必要性は出てきますがそれでも結果に関わらず、それを行うことそのものに喜びがなければ情熱は湧いてきません。過去の私もそうでしたが何かやりたいことがあるのに、それに向けての情熱がない人は「何かのためにこれをやらなければ」という目的意識や、そこに意味付けをしていることが多いです。例えば、ヒーリングを行う目的として世界の平和のために、とかみんなが幸せになるために、とかヒーリングが必要ない世界にするために、など目標を設定すれば、そこに隠れている意識は「今では不十分だ」という欠乏感であり、渇望ですからそれらは必ず、限界を生み出してゆくのです。すべてのものは、ただそこにあるべくして存在しています。彼を好きな理由を考えなくても、好きなものは好きでいいしダンスをする理由を考えなくても、踊りたいから踊るでいいし自分の人生の目的や意味を考える必要もないのです。設定した目標に向かってやってゆくという時代はさらに終わりを告げるように思います。これからは「目標達成型人生」ではなく今、この瞬間瞬間を最大限に楽しむ、だけですね。私にとっては、こうやって日記をアップしている時間もまた最高に楽し♪です。ということで、みなさま暖かくしてお過ごしくださいませ〜
2013年12月10日
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