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今日は大晦日。ニューヨークは、まだ大晦日の昼過ぎですが、日本ではもう年が明けたのですね。私は今年のセッションは一昨日に終了したのですが、昨日、今日の二日間で溜まっていたメールへのお返事やセッションレポートをほぼ終えてようやく一息ついているところです。みなさまにとって、2015年はどんな年だったかしら?これは毎年のように思うのですが1年を振り返ってみると、その1年の間に出会った人たちや起こったことで1年前の自分の感覚は随分と変わっているなあと。何よりも人との出会いやつながりが、私の中に眠っていた様々な気づきを目覚めさせてくれるかのように感じます。時々ふと、日本「袖振り合うも多生(たしょう)の縁」という美しいことわざを思います。たしょうが多少ではなく、多生だと知ったのはいつのことだったか忘れましたが道で袖が触れ合ったような出会いであっても、いくつもの人生ー前世からのご縁というこのことわざを思うとちょっと触れ合ったぐらいでも、前世からのご縁だとしたら今生で、深く関わっている人たちは、いかに深いご縁でつながっているのかしらと。ここにお越しになるクライアントさんとも、多生でいろんなご縁があるのかもしれませんね。思い返してみると、あの時、あの人と出会ったから、今、これをやっているのだなあ、とかあのクライアントさんが来られたから、この精神疾患について深く研究することができたのだなあなど、今の私を作っているものの多くはこれまでの様々なご縁からつながってきたものです。もちろん、これまでの人生の中では、あまりいい関係で終わらなかったものもいくつかあり例えば「わかってもらえなかった」「誤解された」などという感覚がその後に残ったものもありましたがそれがあったからこそ、その感覚を深くひも解いていくと辛い前世とのつながりや、私の遺伝的な性格の問題などとリンクしていてそういった出会いもまた、私の中にある闇を引き出させてくれた大切な出会いだったのだなあと感じます。不要な出会いというのは何一つないんですね。さて、今月、8年ぶりに再会した方は最初にお会いしたその瞬間から、多生のご縁だと感じた方でした。彼女の名前は山下景子さん。彼女と出会ったのは、8年前、伊豆でのスェットロッジと富士山でのペルーの長老の祈りのイベントに参加した時のこと。一目彼女に会った時から、私は強い親しみを感じそして、彼女の方も同じように感じてくれてすぐに長年の親友のように意気投合したのです。そして、あの時、景子さんが私にドランヴァロのフラワーオブライフを勧めてくれたのがドランヴァロを知る最初のきっかけでした。その後、私とおさむはドランヴァロのワーク、ATIHをロンから受けて私は2012年にロンのフィボナッチのクラスを受けそして、来年2016年に、そのロンを招いてハワイでフィボナッチのクラスを開催することになったわけでもしも、あの時に彼女との出会いがなかったら、この流れがあったかどうか。彼女とは、それ以来、連絡は取り合っていなかったのですがこの12月にニューヨークに来られると連絡がありこれは何としても会わなければ、と出かけていったのです。久々に出会う彼女は会社の経営者としての貫禄みたいなものがプラスされていましたが率直でパワフルで暖かいエネルギーはあの時のままでした。彼女は数秘術や様々なヒーリングを教えている方ですが人のエネルギーも読める人なので数秘術と私のエネルギーから、様々なことを読んでアドバイスしてくれました。私は筋反射で直接身体に触れないと詳しいことはわからないのですがある程度のことは、その方の話を聞いたりその人のエネルギーで読める部分もあるのでお互いに酔っぱらいつつも、感じるままにああした方がいい、それはやめた方ががいいなどと言い合っていました。こういう時、相手が自分軸を持っている人だと何でも好きに言えるので楽なのですよね。8年前にたった一度会ったきりとは思えない感じでホテルのバーで語り合い、飲み明かしました。その時の写真です。彼女は来年ニューヨークでも数秘術の講座を開くそうなのでその時は、またご案内いたしますね。こちらが彼女のサイトです。http://www.clair-v.com/pro/index.htmlさて、今年、私にとって、とても大きかった意識の変化と言えば何といっても、おさむとの関係からでした。特に、今年の中盤以降は、けっこう辛くて何度も泣いたり、怒ったりと感情が揺れ動いた年でもありました。それは、単におさむと私の関係ということではなくおさむの抱えていたカルマとも言える、深い闇に関連していて今年最後になって、ようやくそれも解放に向かった感じです。それもこれも、9月におさむに対して行なったフィボナッチ以降ですからフィボナッチは、時には、魂レベルでいくつもの生で抱えてきた不要なものを吐き出させる強烈なヒーリングであることをつくづく感じさせられました。もちろん、私が辛かったのは、あくまでも私の女性性の部分であってもし私がセラピストとしておさむと向かい合っているだけだったとしたら例え、彼のセッションで何が出てきたとしても、特に何も感じないし「ああ、なるほど、こうなっているのね」で終わっているわけですが女性としての私の部分は、おさむの身体から筋反射で様々なことが上がってくる度にこれまでおさむと関わってきた20年間の様々な感情や感覚がよみがえってくるわけです。例えば、二人の間で起こったことで「え?おさむはあれをそういう風に捉えていたの?」というようなものがおさむの身体の声から明らかになるにつれ私自身もそのことで、ショックを受けたりしました。もちろん、おさむが何をどう感じていたとしても、誰のせいでもないしそう感じたということは、そこに何かがあることを知らせるサインでしかないことも充分にわかっていますが、一人の女性としてはそうはいかないわけでパートナーに対してセッションを行うというのはかなり強力な精神的な強さを要求されるなあと毎回のように思います。私の場合、いろんな方から「のりこさんは強いですね」と言われるように本質的な強さを持っているゆえに昨日の感想の方のように、個としての、また女性としての自然な感情を抑圧してしまう傾向があることもよくわかっているのでそこは抑えてしまわないようにおさむのセッション中でもわんわん泣いたり、セッションの後にも私自身のセッションを行なって、その悲しみを癒してゆくというようなことが何度かありました。ここを解放しておかなければ私の女性性の抑圧へとつながってしまうのです。なので、しばらくの間は私はもう彼へのセッションはやらない、と何度も思ったのですがおさむのハイヤーセルフというのは、かなり厳しいお方のようでおさむに少しでも、何らかの闇、例えば、傲慢さや現実逃避、自分への信頼の欠如など、彼にとっての真実から離れればすぐに身体の痛みとして知らせてくる、というのが今年の後半から始まった彼のプログラムでした。急に歯が痛くて、動けなくなったり、背中に激痛が走ったりそれは、時には耐えれないほどの痛みとしてやってくるので私もほっとくことができず、彼へのセッションをやることになったわけですがセッションをすると、その痛みにつながっている前世やらカルマやら何やらが出てきてそれらを調整した途端、その痛みはなくなるのです。毎回、思うのは、普通の人はこういった痛みが起これば病院に行ったり、薬を飲んだりするのでしょうが本当はそういった深い要因から、その痛みが起こっている可能性は高いわけです。だから、そういう場合は病院に行っても、根本治癒にはならないわけでその人の本質的なものが解放されるまで、それは何度でもやってきたり形を変えて、やってくるのだなあと。身体は潜在意識だけでなく、さらに深いレベルの意識とつながっているので痛みや不調や予期せぬ出来事というのは、その方が抱えている様々な要因のお知らせ装置のようなものと言えます。なぜその痛みや不調が起こっているのかがわからなければそのせっかくのお知らせも無駄になってしまうのですがそれに気づいた時は、すべてのことは感謝と祝福になるのです。ということで、今年後半は私は自分の意思や思いとは関係なく、彼へのセッションをやらされている感があったのですが今、思えば、そういったプロセスを経ることがさらに真実の生き方へ向かうために、二人にとって必要なことだったのだなあと。もちろん、まだ出てくるのかもしれませんけどね。もともと、いつも一緒にいるし、とても仲はいいのですが今はなんと言うか、どんな闇や問題が出てきたとしてもこの愛はけして揺らぐことはない、という深い確信みたいなものをさらに強く感じることができた年でした。そして、おさむの変化につれて、おさむが私へのセッションを深いレベルでやれるようになったのも今年からでした。おさむのセッションをやることで傷ついた私の女性性を癒すために今度は、おさむが私の身体に聞きながら、ヒーリングしてゆくのですから一見、効率が悪いというか。ま、考えてみれば、人間って、すべてが効率の悪い生き物ですけどね。もともとは、大きなるソースとつながっていたのにこの世に生まれて、そのソースから切り離されてそして、そこで様々なことを学んだり、気づいたりしながらそれを取り戻すプロセスを経て、いずれは、またソースに戻ってゆくという。最初から、つながったままでいいじゃん、という感じですがそのプロセスをわざわざ体験したい、といういわば人間みんなマゾみたいなものですね景子さん曰く、来年の私は大きな変容が起こるとのこと。今年のその変容のプロセスの大変さを思うと「え〜?また変容ですか?もう落ち着きたいんですけど」と思わず言ってしまったのですが落ち着く前に、まだ大きな変容があるそうです。きゃ〜ドキドキ。人生の中では、魂の学びは、そう楽な道は歩ませてくれないこともあります。もちろん、わざわざ苦しい方向を選んだり、困難を乗り越えなければ成長しない、などという信念や思い込みは不要ですが、例え、そういう思い込みがなくても、変化するべき時には変化を促される何かが起こるわけですね。そして、何が起こったとしても、結局、自分にとってそれは必要な変化のプロセスであり後から思えば、必ず、あ〜あれがあったからここまで来れたのだなあと感じるのです。ということで、新たな年のドキドキの変化を楽しみにしつつ。みなさまにとっても、2016年がさらに輝く年になりますようにお祈りしつつ。どうぞよいお年を!
2015年12月31日
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今年最後にいろいろ書きたいこともあるのですが思うところがあって、今日は、また先日頂いたセッションの感想からご紹介します〜。昨日はありがとうございました。一晩明けて、まだ少し頭がボーッとしているのとのどのあたりが重いような違和感があるのとあとはふだん全然泣かない私が涙もろいのです。セッションのあと大雨の中、目に付いたデリで雨宿りしながら車で迎えに来る夫と子どもたちを待っていたのですが突然、デリの人たちに「2分以内に出て行け!911に電話するぞ」とか言われすごいショックを受けつつも外へ出たのですが、めちゃくちゃ悔しくて、悲しくて、腹が立って、涙がでてきてすごく悲しくなって、エーンエーンと声を上げて大泣きしました。子どものように泣きながら、私はずっとずっと泣きたいのを我慢していたことに気づきました。そしたら、夫が車で迎えにきて、顔をみたら安心してまた涙が出てきて、夫に抱きついてワンワン泣きました。3歳の息子は「マミーなんで泣いてるの?」と言っていたけど「今までニコニコしているばかりだったけど、お母さんも泣きたいときは泣くんだよ」と言うと「うん、泣いていいよ」と。実は私はここ数年、涙がまったく出なかったのです。何が起きても泣かない自分をヘンだな?と思っていたもののここまでいろんな感情を抑えて感じないようにしていたのだと気がつきました。ネガティヴな感情を感じる前に、反射的に前向きに解釈してポジティブな理由付けしていたのだと。今までどれだけ気持ちに蓋をしていたのだろう、、と。うちに帰ってからも、なんでもないことで涙がホロホロ出てきて今朝もちょっとしたことで感動して泣いて、、、。大放出の大浄化が起きているようです。私の中で、大きなターニングポイントとなるセッションになりました。(義理人情で続けていた)あの仕事を手放すことせっかく人と分かち合えたのに!手放したくない!と心のどこかで抵抗していたのですね、だからセッションに行きたくない、と思ったのでしょうね。でも今は、よくわかります。私はそこでのストレスを感じないようにして無理矢理、前向きな解釈を上書きしていたのです。あんなに受けたくなかった昨日のセッションのあとから、なんだか、今度は打って変わり早く次を受けたいー!!という気持ちなんです(*^o^*) 不思議だな〜。急に、体が変化をすごく喜んでいる感じ。また胸がジンジンするけど、疼きの奥に、じんわり暖かみがあります。そして、だんだん、気持ちがすっきりしてきました。あと、昨日のデリのイヤな奴じじいは、私の涙を出すために私が創り出した登場人物なのかも??改めてみると、、私はどんだけ元気病だったの!?っておどろきます。。。これからは、どんな気持ちも、どんな自分も受け入れて行きたいなぁ。本当にやりたいことだけをやる。実践します。自分の魂のために。それが結局まわりのためでもあるし。「叡智は人間愛を超える」のりこさんからいただいたこの言葉が私の深いところに沁みました。本当にありがとうございました。次回が今から楽しみです!!「元気病」というのは、この時のセッションで彼女から出てきた言葉で名付けたもので自分の自然な感情に蓋をして、いつも元気でいようとする病のことです。別名「ほがらか病」とも「ポジティブ病」とも言いますこの方はこれが確か、4回目のセッションでこの日、お会いすると、一番最初にお会いした時の印象とはかなり変化されていました。初めてセッションにお越しになった時は私は彼女の身体から聞こえてくる声を聞いて彼女に「まるで、おしんみたいな生き方ですね」と言ったのですがその時の彼女は「子育ては楽しいし、家族が幸せならそれでいい」という感じで家族以外の人とのつながりも薄く彼女の心の奥にあった本当にやりたいことを抑えてしまっている状態でした。でも、この4回目にお越しになった時には、いろんな人たちと深くつながりながら彼女がやりたいことも仕事としてスタートして、生き生きとしていて最初の印象とはまるで違っていたので私は「こんな方だったけ?」と最初の頃の彼女を思い出そうとしても思い出せないぐらいエネルギーが変化されていました。なので、今日は一体どんなセッションになるかしら?とわくわくしたのですがでも彼女曰く「なぜだかわからないけど、今日はセッションに来たくなかったんです」とのこと。そういう時は、たいてい、大きな変容が起きることが多いのです。ということで、セッションをスタートしました。最初にチャクラの状態を見てみると、もともと第6チャクラは開いている方でしたがハートチャクラも前よりかなり開いてきているしまた以前はほとんど閉じていたパワーと自己価値のセンターである第3チャクラも開いています。ところが、感情のセンターである第2チャクラと自己表現である第5チャクラはまだほとんど閉じている状態で、真実を生きることにつながる、第7チャクラも閉じ気味でした。女性の場合(いや、男性でもそうですが)この第2チャクラと第5チャクラは密接に関連していて自然な感情を抑えて第2チャクラが閉じていればそれを表現する第5チャクラも閉じ気味になってしまうのです。彼女の場合、それが真実を生きることを防いでいることにもつながっていました。感情表現が上手くできないのには、いろんなケースがあります。例えば、自分の感覚そのものを受け取るのが苦手であれば、ハートチャクラは閉じているしまた、例えば、アスペルガー的な性質があれば、脳の機能として自分や他の人が何を感じているかを感じる部分に問題があるのでそういった場合は第6チャクラも閉じていることが多いです。この方の場合は、感性も知性もあるので、それでは何が原因かしらとあれこれ調べていったら両親からの遺伝的な性質や、前世的な問題が出てきたのですが「人間愛、人を思う気持ちの強さ」というのが大切なキーワードとして上がってきました。周りを明るく幸せにしたい、という思いが強すぎてそのために、自分がいつも元気で笑顔でいる、ということになり楽しい、喜びといった感情だけは表現できるけれど悲しみや落ち込みといった感情や感覚には蓋をして何があったとしても自分の心の中でポジティブな言葉で抑えてしまったいたわけです。特にこの方のように、子供の前ではニコニコいつも元気でいる方もいますが多くの子供はエネルギーを読んでいるのでいくらママが笑顔でいても、感情を抑えているとそれをどこかで察知してします。子供にとっては、本来、泣くことは悪いことではなくごく自然なことなので、ママが泣いても大丈夫なのですがそれを抑えていることが、逆に子供を不安にさせてしまうのですね。また、例えば、自分の今の辛さを人に話すと愚痴になってしまって話を聞いてくれる人に心配かけたり、落ち込ませたりするのが嫌だからその問題を乗り越えた後でないと人には話さないという方もけっこういますが愚痴には、人を嫌な気持ちにさせる愚痴とそうではなく、人との親密さやつながりををもたらす愚痴とがあると私は思っています。前者は被害者意識の人の愚痴であり、後者は被害者意識でない人の愚痴。根底に被害者意識がなければ、愚痴は愚痴に聞こえないしそれは、思いを人とシェアする、分かち合うことになります。どんな時も愚痴を言ってはいけない、と思い込んでいる人は素直に表現できないので人との深いつながりも失ってしまいがちになるのです。もちろん、被害者意識が強くて、いつも愚痴を言っていれば、周りの人たちは疲れるでしょうが一方で愚痴を言ってはいけないと、いつも元気で明るい人も周りを疲れさせることが多いです。なぜかといると、そういうポジティブ思考の人のそばにいると周りの人たちもネガティブな感情を持ってはいけないような気になってしまうから。これは、多くの親が子供に対してやってしまうことなのですが子供が悲しかったり、落ち込んだりした時に子供を元気付けようと「大丈夫よ」とか「そんなクヨクヨしたって仕方ないでしょ」などと言うと、子供は自分の自然な感情を否定されたことになりそういうものを感じてはいけないのだ、と感情に蓋をする性質が生まれてきます。そういう方は、大人になると、例えば、他の人が「落ち込んだ〜」とか話してもやはりその相手に対して「きっと大丈夫よ」とか「そんなに落ち込むことないわよ」などと元気づけようしてしまうので話した方は、自分のそのままの感覚を否定されてしまうことになりだんだん素直な思いを話せなくなるのです。ネガティブもポジティブもなくそのままを受け入れることができると人との関係はどんどん楽になってゆくしそして、それは、本当に魂レベルで自分がやりたい方向に向かってゆくための大切なステップなのです。この方の場合も、自分のやりたい仕事をスタートさせてそれはわくわくだったのですが一方で、義理人情で続けている別の仕事もあって育児の大変さと重なって、身体もエネルギーもくたくたになっていました。その方の魂の声としては義理人情で続けている方はもう辞めたいとどこかで感じていたのですが人への思いが強すぎるために「みんなもがんばってくれているから」とか「この仕事も楽しいし、いろいろ学べるから」などと、自分の本当の感情を見ないようにして自分のとっての真実を生きることができなくなっていたのですね。「叡智は人間愛を超える」これは私の言葉ではなくて、身体が選んだスキャンリストからの言葉でそのリストの正確な言葉は「叡智は人間愛を越えたところにある」です。実は、これは私が今年の中盤にやった私自身のセッションで出てきた言葉でした。人間愛はとても大切だし、それがなければ人生に何の喜びも幸せ感も生み出しませんがでも、真の叡智はその人間愛をさらに越えたところにあるという意味です。自分の自然な感情を抑えて、人のために自分が本当にやりたいことを優先しなければ自分の真実の生き方ができずそれは結果的には人のためにもそして、この世界全体のためにならないのです。すでに人間愛がベースにある彼女が、これからそれをさらに越えて自由に魂の道を輝かせていくのが、とても楽しみだなあと。さて、明日は大晦日。明日の夜は、NYファミリーと名付けた仲間たち7人でお寿司とおそばを頂く予定です。このメンバーは、全員、IHのセッションを何度も受けている方たちであることもありますが被害者意識もいなければ、元気病もいないので一緒にいて、超楽なのです。落ち込んでいる時は、落ち込んでます〜とかむちゃ調子悪いよ〜と言えるしそう言われたとしても、誰も無理して元気づけようとしないし、そして気にしない(笑)ああ、そういう変化の時期なのね、とか今、デトックス中なのね、という感じで受け止めて流せるので何をどう言ってもいいので、楽なのですよね。ということで、明日の大晦日も時間があれば今年最後のブログをアップしたいなあと思っていますが今日はこのあたりで♪
2015年12月30日
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先日、日本からお越しになって、10回のセッションを受けられた方から感想のメールを頂いたので、ご紹介しますね。セッションを通じて、一緒に様々な旅をさせて頂いて、とても幸せでした。出会いに感謝です。今日10回目の最後のセッションが終わったときは、終わったんだという充実感ともうセッションがないんだという寂しさ。あんなに暖かい涙が流れたのは生まれて初めてでした。初めてお会いしたときからのりこさんはとても真剣でした。天気の話やらフライトがどうだっただの世間話は一切なくてすぐに確信に入っていきましたね。行きの飛行機の中で今回の旅のキーワード「死」をひしひしと感じていた私はそんなのりこさんの直球な姿勢に助かったし、とても心地よかったです。(のりこ侍、とはこのことか!とも思ったりして)今世、過去世、家族、仕事集合意識や宇宙人まで登場してしかも自分でも想像していなかった展開に頭がくらくらして最初の数日間は自分がNYにいるのかはたまた日本にいるのか全くわからなくなるような感覚でした。でも、のりこさんが次々と私からあがってくるものをキャッチしてくれて、それも本当に多元的で圧倒されました。ときに優しくときに熱く、的確な言葉で説明してくれるのりこさん。それだけではなく、私のつたない言葉にしっかりと耳を傾けてくれたのりこさん。私も今までの人生で抱えてきたもの全てを安心してゆだねることができました。調整してもらっているときは、宇宙船のなかで宇宙人、もしくは人ならざるものに手術されているような感覚でした。抵抗が出てきているときは自分の体の感覚も苦しかったり、体がぶるぶる震えたり、抜けたときは楽になったことがはっきりわかりました。そしてこんなに怖い思いをしたもの生まれて初めてでした。4回目辺りでお伝えしましたよね。「ここにきたことを心底後悔しています」あんなに望んで来たのりこさんのセッションなのに。変わりたいと思ってずっとずっと生きてきた私ですが、それが実現しないが前提だったんですね。実現しないから安心みたいな。今回、自分が変わるんだつまり今までの自分が「死ぬ」ということを目の前にしたとき自分が崩壊してしまいそうなものすごい恐怖でした。最終日の前日、自分の胸に手を当てて感じてみました。おそらく私、もう死んだ、そんな気がしました。今の自分は死を体験する前の恐怖という記憶に縛られているだけではないか。「あぁ、怖かった、恐ろしかった、寂しかった、辛かった」縮こまってキュッと身を固くしている私が見えました。その姿を見て、もう一人の自分がやさしく声をかけました。「もう怖いのは終わったよ。ほら、力を抜いて、目を開けてごらん」怖くてもゆっくりでもいいからとにかく目を開けよう。死を通り抜けた目の前の世界には自分の欲しいもの全てがある、と。これからの自分、楽しく過ごしてゆきたいと思っています。帰りの飛行機の中で、セッションのことを振り返ったりしていました。どれもこれもかけがえのない言葉ですが「今を我慢すれば状況がよくなって幸せになると思って過ごすことは本末転倒だ」という言葉が一番浮かんできました。今、この瞬間から幸せになれる今まではそれを許していなかったんだなって。おそらくこれから抜けてきて、変容も進むと思います。また近況をお知らせしますね。最後のセッションは終わりであり始まりでした。to be continue人生という旅は続きますね。最後にもうなんていったらいいかわかりません。ただただたくさんの愛をありがとうございました。わたしのにゃんこ先生、のりこさんへにゃんこ先生と言われて、とても光栄ですこれまで、この方は変わりたい、変わりたい、と思っていたそうですが身体を触ってみると、変わりたくない、変わるのが怖い、という潜在意識の声が何度も何度も聞こえてきました。頭で変わりたいと思っていても、潜在意識は変わりたくないのでずっと何も変わらなかったわけですね。その意識、その思考パターンだから、その現実ができているのであって現実を変えるためには、意識や思考パターンを変える必要があるのですが多くの方はその方にとっての「現実」を変えたいと思っていても自分の意識を変えたい、とは感じていないし変わることを恐れているということに気づいていないのです。自分が何を恐れているかに気づいていない方は何をしたいかもわからなくなります。この方も、長い間、恐れを見ないようにしてきたので自分が何をしたいのか、どうなりたいのかもわからない状態でした。それが4回目のセッションの時に初めて「変わることをこんなにも自分は恐れていた」ということを感じることができたわけです。同時にセッションでは強烈な抵抗が起こっていましたがなぜ、自分がこれまで変われなかったのか、何を恐れていたのかそれを感じることができたというのは、変容の大きな第一歩なのです。意識が変化した後、行動が変化し、そして現実が変化します。意識が変化していない時に行動が変化しても状況は何も変わらない、ということも多いです。例えば、どの会社で働いても上手くいかないとか、いつもお金の問題を抱えている、とかつきあう男性がいつも頼りない人ばかり、とか会社を変えても、仕事を変えても、男性を変えても同じような問題を引き寄せる方というのは、その方の意識が変わっていないから。意識が変わった後で、行動が変化すれば、そこには全く違う「現実」があり、そしてそれによってさらにまた意識が変化するという3段階の変化のプロセスがあります。でも、この意識というのは、ほとんどの場合、長い間慣れ親しんだものであって多くの人はそれを「自分」だと思っているのでそれが変化するというのは、これまでの自分が崩壊するということであってこの方が事前に感じていたようにこれまでの自己の「死」を意味するわけなのですね。と、こう書くと、何だかヒーリングが恐ろしく、仰々しいものに思えてきますが実際は、ただ単に幸せになっていくだけのことなんですが。「変化する覚悟」というのは「幸せになる覚悟」というだなあと。幸せになるために覚悟がいるの?と思われるかもしれませんが多くの人にとって、幸せでいることより、不幸でいることの方が居心地よかったりするわけです。周りががまんして苦しい人生を送っているのに、自分だけが幸せになんかなれないとか、最悪の状況よりは今はましだから、とか苦しいことを越えてこそ、人間的に成長するからいつかは幸せになりたいけれど、今は苦しい方がいい、など潜在意識の幸せになりたくない要因は、人それぞれですが、必ずと言っていいほど今の「現実」がその人にとって、都合がいい何かがあるわけです。もちろん、どう生きてもその方の自由なので今生は不幸で来世にかけてもいいのですが私のセッションにお越しになればその方の魂は、来世で幸せになるための道を示すことはないですし今生で、しかも、今すぐ幸せになるための変化を要求してくるので幸せでいるのを先延ばしにしてきた方は、抵抗しはじめます。あ、誤解のないように説明するとここでお伝えしている「不幸」というのは「自分がやりたいと感じることを自由にやれない感覚」であり「人との深いつながり感を失っている感覚」であり「満たされない感覚」のことを意味しているのでお金や仕事がないから不幸とかいうことではないです。ついでに、この感想で出てきたのでセッションで出てくる宇宙人とは何かについて説明すると身体から次元的リアリティの調整が必要、などと出てくる場合に調べてみると大抵はエンティティやグレイなどのエネルギーなのですがそういう方は宇宙人だけでなく、霊やら何やらくっついていていわゆる憑依体質の方です。そこをお伝えすることで「宇宙人」にフォーカスされてしまうと本当に身体が伝えたい本質がぼやけてしまうこともあるので私は、例え「宇宙人」が出てきても、お伝えしないこともあるですが私のブログを読んでくださっている方や、そういったものに抵抗がない方にはそのままお伝えすることが多いです。(一応、身体に確認していますが)ちなみに、なぜそういったエンティティ(特にグレイ系)がくっついているのかを調べるとよく出てくるのが、放射性物質、です。その方自身が何らかの放射性物質を持っている、という場合もあるしもっと複雑だったりもしますが。私は宇宙人や霊が観えるわけではないしそういった要因が身体から上がってきても、以前は何らかの次元的な歪みから受けているエネルギーだろう、と捉えていたのですが今年の秋にセッションを受けられたクライアントさんで宇宙人が観える方がいらっしゃって、とてもおもしろかったです。その方は、セッション中に、急に足をバタバタとけり始めていたのですが私はその行為には気にとめず、なんか妙なエネルギーを感じるなあこれは一体何だろうと、スキャンリストをから筋反射で調べていたら「次元的リアリティ」『グレイ』というのが身体から上がってきたので「どうやら宇宙人、グレイがいくつか憑いているみたいなんだけど」とその方にお伝えしたのです。すると、その方曰く「今、まさに私の足下にカッパみたいなのが、何匹かくっついてきているんです。そんなに嫌な感じではないんですが、気持ち悪いので足でけって追い払おうとしていました」とのことで、本当にそういうものは、そういう形態として存在しているんだなあと。ちなみに、その後、第1チャクラ対応の大きなクリスタルボールを足の間において鳴らすと、その宇宙人たちは、嫌がって散り散りに去っていったそうでそのクライアントさんは、その光景がおもしろい、とキャッキャと笑っていました。いや、そんなものまで観えたら、大変だろうなあとは思いますが。今回の方はそういったものが観えないものの感じる力はかなりある方だったのですが一方で、そういう方は、いろんなものを抱えていることが多いです。この10回のセッションは、インナーチャイルドや信念体系脳や遺伝の問題や前世的な問題などいろいろな分野に渡っていました。もちろん、2、3回のセッションですべてが劇的に変化される方もいれば回数を重ねることが必要な方もいるし人それぞれの変化のプロセスもスピードも違いますがすべてはその人にとって、必要なタイミングで起こるのだなあと。ちなみに、セッションでは、たった3時間弱の間に今生での、いや時にはいくつもの生で抱えてきた問題を解消しようとその方の魂は意気込んでいるのですから世間話なんてやってる暇はないわけですが普段は私も世間話というか無駄話もたくさんするのですけどね。ということで、今回、この方からおみやげで頂いたのがこれ。ニャンコ先生!いなくなったガネーシャの代わりにやってきてくれたのかしらん。高さ3cmの小さなサイズが、とても気にいっています。(大きかったら、部屋に飾るのに躊躇するけど)七辻谷のまんじゅうとお社つき♪うん、来年は、ニャンコ先生キャラでいこうと。義理人情や同情なんて持ってないし好きなことを自由にやって、、歌が下手でも構わず人前で歌って飲んだくれて、、でも根底に愛がある。「おまえはめんどくさいやつだな」と言うニャンコ先生のたかしへの言葉は私たち人間に向けられたものですね。人間って、ほんとめんどくさくて、だからこそ愛おしい。いや〜やっぱり目指すはニャンコ先生だわ〜♪(お姫様キャラも捨てがたいけど^^)
2015年12月25日
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メリークリスマス〜〜〜今日のイブと明日のクリスマスは久々の2連休です。夜はおさむとタパスレストランで食事をした後、IFCという映画館で宮崎駿の映画が夜10時から上映されるというので、行く予定ですがそれ以外は、家でのんびり過ごしています。おさむが「「クリスマスに何が欲しい?」と聞いてくれたのですが何一つ欲しいものが見つからず。欲しいものはすべて持っているなあという幸せ感と何も欲しい物がないという、ちょっぴり寂しい気持ちと。おさむに「物は要らないけど、おさむの愛が欲しい~」と言ったら今日、キネシオロジーのセッションをしてくれました。ふふ、クリスマスでも、誕生日も、旅行でも結局キネシをやっているぐらいこのヒーリングが好きなんですよね。のんびり過ごす、と言ってもここ最近、溜まっているセッションレポートを明日中に終えてしまおうと思っています。「のりこは、いつもセッションレポートに追われているよね」とおさむに言われていますが確かに、セッションレポートがなかったら、もっと時間ができるなあと。そもそも、キネシオロジストによっては、レポートを書かない人もいますがセッションレポートを残すことが必要なのかどうかあらためて検討してみたのですがやっぱり、今のところは私にとって必要なので、続けることにしました。例えば、脳の調整の時に、言語中枢のウェルニッケ野は今日は何%まで松果体は何%まで統合、などと細かく数値が出てくるのですがレポートに記録しておかなければ、それらを覚えていることはないしもちろん覚えていなくても、次に来られた時に、今、何%を見ればいいのですがもしも、以前、統合した数値がまた下がっていたら、なぜ下がってしまったのか要因を調べる必要があるので、以前、どこまでやったかを記録しておくことは大切なのです。で、セッションレポートの話が長くなってしまうんですが日本語のレポートはいいのですが、英語でのセッションレポートが私にとってはとても面倒に感じていて後からレポートを書くことを考えると英語でのセッション自体までやりたくない気分になっていました。それで、最近、おさむが私が作成した日本語のスキャンリストを英語に翻訳するという、大変な作業をスタートしてくれてまだ最初の6ページ分ぐらいまでしか終わっていなのですがそれだけでも、英語でのセッションレポートの作成が楽になってきました。こういったセラピーの内容について、英語での説明は日本語を直訳しても上手く伝わらないんですよね。英語での概念形成が不得意な私のこれからの課題でもあるのですが。で、ここからは断捨離の話になるのですがセッションレポートは、以前は紙に書いてクライアントさんにお渡ししていて、その後、私自身のための記録として書き直していたのですがそれが溜まっていって、分厚いファイルがどんどん増えている状態でした。1年半ぐらい前から、1回のセッションで取り扱う情報量も多くなってきたこともありMacにテキストとして入力して、後でクライアントさんにメールでお送りするようになってからは、紙が増えることはなくなったのですがそれ以前のファイルはそのままになっていました。でも、私の以前と今とでは、セッションではアプローチがが違うし2年以上前のセッションレポートは、今の私にはほとんど意味がないということがわかってきたので、いくつか残しておきたい記録だけは取って紙のファイルは全部処分することにしました。何千枚とあったので、見直すのにも時間がかかってまだあとファイル2冊分は残っているのですが、ほとんど処分できて、かなりすっきりしてきました。これは、昔の写真のアルバムや約20年間分の日記帳を処分した時と同じぐらいの開放感でした。日本人気質というのか、年末となると、大掃除やお片づけをしたくなる方は多いみたいで、私のクライアントさんの中にも「今、断捨離中です」「物を大量に処分しています」と言われる方がけっこう多かったのですが私もこの1ヶ月ほど、時間を見つけては、物の処分をやっていました。私にとって、お片づけは、やらなければならないものではなくて、趣味に近いものというか昔からやる気が起きない時にお片づけをやるとエネルギーが湧いてくるので、忙しくてもやれるのです。先日、ときめきのこんまりさんを思い出したので調べてみると、私が「人生がときめく魔法の片付け」の本をここにご紹介したのは3年前の2012年のことでした。それで、久々にこんまりさんのブログをのぞいてみると、今年、こんまりさんがタイム誌で世界に影響を与えた100人に得らればれたことが大きいのでしょうが、何だか以前とは雰囲気が変わっていてお片づけがアカデミックになっているというか今や、お片付けは日本の一つの文化にまでなっているのかもしれないなあと。断捨離という言葉も、今や一般的ですものね。こんまりさん以前の私のお片づけバイブルと言えばもちろんカレンキングストンの「ガラクタ捨てれば未来が見える」これが私にとって、不要な物を処分する喜びを得る最初の本でした。あれは何年ぐらい前だったかしら?当時はニューヨークのオープンセンターなどで開かれていたunclutter セミナーや風水セミナーに参加したりしていました。(unclutter はガラクタ処分のことで、断捨離のことです)その時に、部屋の片付けは、日本とアメリカの文化の違いもあるなあと感じました。例えば、アメリカでは、クリスマスを家族と過ごす方が多いのですが全員にクリスマスプレゼント交換をやったり家庭も多くそのために物がどんどん増えていったり、出費も多くなったり。当時、クラスに参加された方の多くは、このクリスマスプレゼント交換をどうやったら減らしたり、やめることができるか?といったテーマが上がってきていました。みんながプレゼント交換するのが当たり前になのに、私はやりませんって、なかなか言えないものですよね。人にもよるでしょうが、ここ最近は、以前ほどクリスマスプレゼント交換をしない人も増えてきているようです。例えば、西洋では、机の上にたくさんの家族の写真立てを置いていたり壁一面に絵や写真を飾っていたりするインテリアが多く空間を埋めるという発想ですがもともと、日本はわびさびの文化であって西洋のように物をたくさん飾ることではなく、空間を生かし物の一つ一つの美しさを最大限に引き出してゆくあり方なので断捨離のように、物を厳選して残す、という日本本来のあり方に共鳴する方は多いのだろうなあと。こんまりさんの本がアメリカで100万部以上売れているというのもそういった物を厳選して、大切にする文化が受け入れられてきたということなのかもしれません。物を厳選して残す、と一言で言っても、その基準は人それぞれでここ最近、夜寝る前に断捨離ブログやミニマリストのブログを読んでいたのですが中には「ハサミも処分しました~」みたいなことになっていたりアパート暮らしなのに、布団もなく、寝袋に寝ていたり究極に物がない部屋、がらんとした家に住んでいる方もいました。人それぞれ物を処分する理由はいろいろあるわけですが居心地よい部屋や機能的な部屋、美しい部屋にするため、ではなく中には物を減らすこと自体が目標になっている方もいそうです。私は物が多すぎても、少なすぎても部屋自体のエネルギーは下がると感じているので自分にとってのほどよい感じになればいいなあと思っているのですがこういった断捨離やミニマリストの方のブログを読めば、自然とお片づけのモチベーションは上がってきます。先日、ある方のブログで衝動買いならぬ「衝動捨ての勧め」というのがあって家の中のものを見直し「思い立って10個捨てる」というのがあったのでお、これはゲーム感覚でちょっとした達成感を味わえそう♪とやってみたら、10個どころか30個以上、どんどん出てきました。服は少ない方だと思うのですが、それでも以前は好きでよく着たけれど、ちょっと古くなってしまった服とか1年に1度ぐらいは着るけれど、なくてもいい服や靴など。本は1年ぐらい前に本棚自体を処分すると同時に、大量に処分していたのですが今回は、昔は好きで何度も読んでいた様々なスピリチュアル系の本もほとんど処分しました。そういった本から得たエネルギーは私の中に一部としてあるのですが今はまた違う意識にあるのでいつかまた読むかも、はないだろうなあと。また、それほど気に入っているわけではないパワーストーンや、クリスタル、今は部屋の雰囲気に合わなくなった、ガネーシャやインドの神様の置物とかセージで炊いて、処分しました。さて、さきほど終了したおさむからのセッションはここ最近の私のお片づけ熱にもリンクしていて最初におさむが筋反射で私の身体からアップしたのは「物が増えることへの恐れ」「夢中になりすぎる」「完璧主義」くく〜。確かに、ここ最近、お片づけにちょっとはまりすぎていたかも。物が増えることの恐れは、昔はけっこう強かったのです。昔は「荷物はトランク一つでいつでも世界中に行けるようにしたい」というのが私のスタンスで実際、20代の時にニューヨークに移住してきた時もトランク一つにすべての荷物を入れてきたしその後、何年も家具や電化製品を買いたくない物を増やしたくない、と感じていた時期はけっこう長かったです。それは、物が多いと縛られる感じがどこかであったからなんですね。でも、自由感というのは、本来は物の多い少ないには関係ないことであってそれは、内面が自由でなかったから、だということがわかってそれが抜けてからは、物を買うことにも、増えることにも抵抗はなくなっていたのですがここ最近、いろんなブログを読んだこともあってまた出てきたようです。私の身体から、これ以上は物を減らす必要がない、と出てきたのでとりあえずは断捨離も終わり。このおさむから受けたセッションは、私の完璧主義に関してだけでなく私の家系的なカルマ(母が神社の家系なので)などもあれこれと出てきてかなりディープなものでした。その話も、またいつか書きたいですが年末に内面の大掃除ができてよかったです。ということで、セッションレポートのことやら断捨離やらであまりクリスマスの話題ではなかったですがこれからレストラン&映画に出かけてきます〜。どうぞ、みまさまも素敵なクリスマスを!
2015年12月24日
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今年もいろいろありましたね。今年最後の時をみなさまいかがお過ごしかしら〜?私はこのところ、相も変わらず忙しかったのですがこういう忙しい時には、1日の中で力を抜いたり遊ぶ時間が必ず欲しくなるもので夜寝る前に、おさむとYoutubeで連続もののアニメを何話か見るのが日課になっていました。ここ最近は、以前にもご紹介した「夏目友人帳」を見ていたのですが二度目だけれど、やっぱりこのアニメに描かれている世界観は好きだなあと。毎回、見終わった後は「あ〜どんな出会いも別れも、人生の祝福だなあ」と、ほんわりしてます。少し前に、おさむに「のりこは、最近『ニャンコ先生化』してきたよね」と言われて、それって女としてどうなのよ?とちょっと微妙〜な感じですがニャンコ先生ファンとしては、妙にうれしかったり。一応、ご存知ない方のために説明すると、ニャンコ先生は夏目たかしの用心棒であってあやかしもの(この世のものではないもの)の中でも低級霊ではなく、格の高い霊という設定なのですが普段は仮の姿である猫となって、たかしと暮らしていていつも「腹減ったぞ、まんじゅう食わせろ〜」とたかしに要求し、毎晩酒を飲み歩いて、好き勝手しているのだけどたかしが妖怪に襲われたり、いざ危険になった時には本来の姿に変身して、襲ってくる妖怪たちを倒したり猫のままの姿でも第6チャクラから光を放ち、妖怪を追い散らしてきっちり用心棒としての仕事をする、というそのギャップが最高で、変身した時にはしびれるぐらいかっこいいのです。私は猫ラバーではないのですが、ニャンコ先生なら絶対に欲しいで、私が「ニャンコ先生化」しているところはいざという時はきっちり仕事をする、というところではなくいつも仕事が終わったあと、おさむに「腹減った〜、もう死ぬ〜。なんか食わせて〜」と要求するところということで、ニャンコ先生を食わせるためにおさむは、このところ毎日のように、夕食を作ってくれています。仕事が終わった後、おいしい食事がすでに準備されている時の幸せ感って半端ないこれ以上の幸せってあるのか〜と、噛み締めています。さて、話は変わりますが、先日、ようやくハワイでのフィボナッチのクラスの参加者の最終支払いが1名を除き全員終了したので、ほっと一息しているのですが最終支払いに入る直前になって、参加者の中で4人ほどキャンセルがありキャンセル待ちされていた方々が、すぐにそのスポットに入ることになりました。最初のデポジットは、今年の7月には支払って頂いていてそれは返金不可のデポジットということで決めたのですがロンから「最終支払いが終わった後はリトリート側に支払わなければならないので、返金はできないけれどその前にキャンセルされた方たちには最初のデポジット分をお返ししたい」と申し出てくれて、ロンの暖かさにまた感謝でした。返金の手続きやら、新たな参加者の追加やら何やらでロンに手間を取らせてしまったので彼に「何度も変更があったのに、いつも暖かく対応してくださってありがとう」とメールを送ったら、そのお返事が「私は、のりこからキャンセルが入りました、というメールが来る度にあ〜今回はこの方とはお会いできないんだなあとちょっと悲しい気持ちになってその後、のりこが新たな参加者の名前を送ってくるとあ〜今回、この方とお会いできるんだなあと、うれしくなります。この二つの感情を感じれることに、喜びと祝福を感じていますよ」と書かれてあって、やっぱり私はこんなロンが大好きだなあと。今回、キャンセルされた方たちは私とおさむはよく知っている人たちで中には、本当に来たかったのに来れなかった方もいて今回、ハワイで会えなくなったことが本当に残念だったのですがロンは、全くその人たちのことを知らないのに「会えなくて、ちょっと悲しい」という気持ちを持ってくれたことがうれしかったしそして、それを率直に私に伝えてくれたことに感謝で一杯でした。もちろん、ロンは、完全に宇宙の流れを信頼している人なのですべては完璧で、今回このクラスが必要な人たちが来られることもわかっているし一喜一憂するような人ではないのですがそれでも『人をケアする」という意識で、ハートが全開なのでいつもとても暖かいのです。例えば、ある悟者が「死というのは存在しない。私たちの魂は死なないし、もともと生まれていないのだから」と人が死んでも悲しむことはない、と言っているのを聞いたことがあるのですがもちろん、例え、ある次元では、死は存在しないというのが真実であってもやっぱり誰かがこの世を去ってしまったら、悲しいし、さみしいと感じることができるのが、私は好きだなあと。だから、いつも書いているように多次元的に存在していたいなあと思うのです。すべてはベストのタイミングで動いていることを知っているから何一つ動じることはないし、安心しているけれどでも、やっぱり会えなかったらさみしい。これが私たちに必要な自己表現なんだよね。私のところに、日本からお越しになって続けてセっションを受けられる方たちが増えているのですが出会いはいつも喜びであり祝福でありそして、また必ずやってくる別れは、ちょっぴりさみしいのです。でも、またいつか会えることを知っている(祈っている)からちょっぴり、なのだけど。日々、私たちは、出会いと別れを繰り返しながらそして、いつかは、大いなる一つの意識の中へと戻ってゆくのだろうなあ。さて、たまたま今日のセッションでも期せずして「あやかしもの」と向かいあうことになったのですが「夏目友人帳」や「XXXホリック」で描かれているようなあやかしの世界が私にとっては、けして、もう特殊な世界のことではないのがいいんだか悪いんだか。こんな時、ニャンコ先生が側にいたら、おもしろいだろうなあなんてふと思ったり目に観えない世界と目に見える世界に生きている人ってつくづく不思議な生き物ですね。
2015年12月13日
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今日は夕方からのセッションの方が予約を忘れてしまってお越しにならなかったのですがおかげでこのブログをアップする時間ができたのでささっと、「知性」について書いてみようと。このところ、精神疾患について研究していたこともあってここ最近は、IHキネシオロジーのセッションでそういう調整も多くなりました。精神疾患と言っても、統合失調症や解離性障害、境界性人格障害など明らかに病的なものや脳の障害として出てくるものもあれば例えば、コミュニケーション障害や被害妄想など、そういう性質があるという感じで出てくるものもありどこまでが病気で、どこまでが正常というレベルなのかの境目は曖昧です。そして「知性の欠如」と身体が反応する時にはそういった様々な性質や傾向を自分自身で認識できてない状態の時であってそういった精神疾患的な性質を持っているかいないか、ではないのです。例えば、被害恐怖など、自分の中であれこれと被害的なイメージをしていていわゆる被害妄想状態になっていたりまたは依存性人格障害で、人に依存する傾向があったとしてもそれを自分自身で気づいていれば、知性の欠如にはならないですがそれが認識できていなければ、知性の欠如となります。また、例えば、アスペルガーなどの症状も、脳の調整が必要だと出てくる場合は知性の欠如、となりますが性質や傾向としてのものだけでは、知性の欠如にはつながらないということも、ここ最近、身体からの反応でわかってきました。本人が全く精神疾患を認識していない場合つまり、知性が欠如している状態の時に、どこまでそれをクライアントさんにお伝えするのか?ということで、私は毎回、その方の身体に聞いているわけですが身体から「今は伝えない」と出てくれば、伝えることはありません。でも伝えると出てくれば、いくら知性が欠落していたとしてもご本人にお伝えなければならないわけでこれがこれまでの私にとっては少々、ストレスだったというか私が何をどう言っても相手は、今の段階では理解できないことはよくわかっているのでできれば伝えないでそのまま調整していけたらいいなあとと思うこともあったのですが、ここ最近はそういったストレスもなく、お伝えできるようになりました。ちなみに、知性というのは、学校の勉強ができるとかいろんな知識を持っている、とか仕事が特別にできる、などということとは全く関係ありません。知性は判断力、理解力、内観力、洞察力など様々な側面がありますが感性とも関連しているので知性である第6チャクラが大きく閉じていれは、ハートチャクラも閉じているケースが多いです。先日、友人からのメールで「エドガーケイシーは、知性は惑星から与えられる、と言ったそうですよ〜。本当の知性というのは愛が伴っているものだと思うし」とあったのですが、ちょうど私もこのところ「知性と愛」についてあれこれと思うところがありました。例えば、相手の気持ちを理解する、とか自分の感覚を受け取る、とかそれを的確な言葉に表現する、という知性がなければ人とのコミュニケーションは上手くいかなくなるし愛の状態でいることは難しくなってしまいます。でも、子供の学習障害や自閉症などのケースでは、例え第6チャクラが閉じていてもハートチャクラはまだ大きく開いていることもありそういったケースでは、その親がその子の障害や性質をそのまま受け入れていてその子は愛の状態でいれることがわかるので、とてもうれしくなります。一方で親から愛を与えられなくても(天から)知性を与えられたので愛を持ち続けることができる人たちもいます。よく親が育児放棄したとか、虐待した、といった事件がありますがそういう親に欠けているのは愛というよりは、知性なのだなあと。以前は、そういうことを子供に対して行う人はその方自身が親から愛されなかった人たちなのだ、と思っていましたがもちろんその要因も大きいものの例え、どんなに親から愛を与えられずに育っていたとしてもむしろ人への愛に溢れている人もいてそれは知性を与えられていたからなのだと。ですから、この世に生まれて、もしも知性を与えられずそして愛を与えられなかったとしたらそれはもう幸せな人生を歩むことはできなくなってしまうわけです。知性ということで調整すると、まず間違いなく身体から出てくる要因は脳の調整、そして、性質や性格としての親の遺伝の問題ですがそれと平行してよく出てくるのが、前世やカルマの問題です。ですから知性というのは、今生で与えられたものではなく前世やカルマ的な影響が大きい、ということもここ最近のセッションで気づいてきました。(エドガーケイシーが知性は惑星から与えられると言ったというのもそういうことなのかはわかりませんが)よく日本のことわざ?で「バカは死んでも治らない」なんていう酷い言葉がありますが身体から上がってきた様々な要因を見ているとそんな言葉に妙に納得してしまうのです。ちなみにカルマ的なことで言えば「前世での自殺」や「前世での暴力、冷酷」などとという要因が上がってくる人の多くにその人の今生での親や、その人自身の知性に問題を抱えているケースが多いです。(もちろん、これはあくまでも傾向であって、すべてではありません)前世での自殺、などという要因が身体から上がってきた場合はそんなことを知ったとしても意味はないし余計なイメージを受え付けるだけですので私はそのことをクライアントさんにお伝えすることはまずありません。(ごくごくたまに、そういうイメージや夢を持っていて気づいている人もいますが)知性は、第6チャクラに関連しているので第6チャクラが著しく閉じている人は知性や明晰さが欠落していることが多いです。それに関して、少し前のセッションでおもしろいなあと思ったのはある女性のセッションで、その方の身体から「知性の欠如」「何も観えていない状態」という言葉が上がってきたのですが不思議なことに、第6チャクラは他のチャクラよりもずっと開いている状態になっていたことでした。これは一体どういうことなのだろう?とさらに見てゆくと『何も観えていない』というのと同時に、ほんの少し『観えすぎている」にも身体の反応があります。ほんの少し、というのは、身体の抵抗が起こっている状態だったので大きくは反応しないけれど「観えている」という性質もどこかにあるということ。それで、ご本人に「何も観えていない、と身体から出てきているのですが。まるで頭が霧の中にあるような状態みたいなのですけど」と聞いてみると「いや、まさにそうなんです。子供の頃から私は自分では何も判断したり決めたりできなかったので私はバカなんだと思って、すべて親の言うとおりにするしかなかったのです」というお答えでした。それで、ピンと来たのは、もし本当に知性がなかったとしたら誰にも言われたことがないのに、自分に知性がないことに気づくことはできないわけでこの方は「自分は何もわからない、ということに気づく知性を持っている」ということでした。それでさらに探ってゆくと、出てきたのはやはり前世の要因でした。その方がつながっていた前世は、サイキック的であり、観えすぎている状態だったのですがそのせいで、責任を負わされ、人を救うことができなかったギルティ感を持つことになりそれで、今生では、自分自身で(もちろん無意識レベル、魂レベルで)知性や観える力を封じていた、ということでした。だから、この方にとっては、何もわからない状態で他の人の言うとおりにやっていれば「安全」だったわけです。同時に、その方はずっとヒーリングをやりたいと思っていたにも関わらずなぜかこれまで実現できなかった、というのも、その前世の要因でした。おもしろいと思ったのは、この方が、今生では判断力、理解力、内観力、洞察力、決断力などの知性を封じてしまって、何も観えていない状態になっていたのにも関わらず第6チャクラだけは開いていた、ということです。つまり、チャクラの開き具合というのは、今生だけのものではなく前世的なもの、魂レベルでのことも反映しているわけですね。チャクラは、ある程度、日々のちょっとしたことでも開いたり閉じたりしますが一方で、その人にとって、生まれてからずっと弱いチャクラ、とかここだけはいつも開いているチャクラ、などがあり弱いチャクラは、その人の今生での課題やテーマでもあるわけです。この方は、それが4回目のセッションだったのですがこの日のセッションで、一気に彼女の目が輝き始めたのを感じました。まさに知性は第3の目であり、知性を高めることは目を開く、ことなのだなあと。その他にも、知性をブロックする要因はいろいろありますが例えば、たまに上がってくるのがその方の親がダブルバインドだった、というのがあります。ダブルバインド、というのは、表情やエネルギーと言葉や行動が一致しない人のことです。例えば、親が子供に対して、こちらにおいで、と口では言っていながら子供が来ると表情やエネルギーは嫌な表情をする、とかあなたを愛しているのよ、と言いつつ、殴る、など子供が混乱を招くような性質を親が持っているとその子の理解力や判断力などの知性は失われてゆきます。大抵の場合は、その親はダブルバインドであるという自覚はないですしもしその子が遺伝的にその性質を受けつげばその子は親が酷かったとかいう意識さえ、持っていないのでそうなるとそれを本人に気づかせるのは、大変なのですがその方が本当の知性を取り戻すには、必要なプロセスなのだなあと。ヒーリングは、こういった様々なプロセスについていかにそれを淡々とやっていくことができるか、だなあと感じます。そういった意味で、ヒーリングを極めてゆけばゆくほど「感情が揺れ動く」という女性性が失われてサムライ、になってしまうのかもなので、私の弱いチャクラは、やはり女性性と感情のセンター第2チャクラなのですよね〜。何年か前に、ロンにチャクラを見てもらった時にも「特に第6チャクラは大きく開いていて他のチャクラもほとんど開いているが第2チャクラは若干、閉じ気味です」と言われたことがありましたが先日、おさむに見てもらったら、やはり第2チャクラが弱いと出てきてこれはやっぱり私の今生でのテーマでもあるのだなあと。私にとっては、音楽が女性性と密接につながっているようで占星術の松村先生にも、音楽は私自身のバランスを取るために必要と言われたのですがセックスより何よりも、音楽をおさむとやっている時間は女性性が高まることに、最近気づいてきました。ということで、これからさらにダーリンとのを深めてゆくのだ〜(←なぜか走る)
2015年12月02日
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