投資の余白に。。。
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名古屋から電話。精神病の、20代のころ一緒に暮らしたことのある彼女の母親から。3月30日は、彼女の39回目の誕生日。彼女が一緒に暮らしている男の話によると、誕生日のお祝いの翌々日、意識がなくなり、一時心臓が停止したとのこと。その結果、脳がダメージを受け、医者の話では、二度と意識が戻る可能性はないという。いつかこういうことが起きると覚悟はしていた。しかし、誕生日にプリンやうなぎをたくさん食べた人間が、翌々日に植物人間になるなどということがあるだろうか。事実は小説より奇なりというが、この彼女を巡る人間関係、特にこの男と出会ってからのそれは、ここに書いても誰も信じないようなことばかりだ。この男は、全共闘運動のころ早稲田を中退、家業の化学工場を継いだが放蕩で破産し、その後は不動産ブローカー。麻薬中毒のヤクザ、在日朝鮮人の同業者、特少上がりの土建屋といった連中を騙して何度も大金を詐取しつつ、不思議といままで生きながらえている。最後に彼女と話したのはいつだったろう。電話魔の彼女は2年ほど前まで頻繁に電話をくれた。半年も連絡がないかと思うと、突然、「やあ」と電話がくる。半年のブランクなどまったくなかったかのように、前回の続きのように話し始める。歳をとるということのまったくない、奇妙に陽気なキャラクターの魅力は、言葉では伝えられない。マンションから飛び降りて頭を打ってからは、きわめて秀でた言語能力と無垢で無邪気な幼稚さが共存する不思議な人格になっていた。放浪画家の山下清に通じるものがあるといえば少しは近いかもしれない。「こういう人間もいたのだ」と、記録して保存したいとさえ思ったほどだ。だが、それももうかなわない。ここにこうして、彼女のことを記すことしかできない。異変に気がついたのは、一緒に暮らし始めて2週間ほどたったころ。突然、理由もなく無表情になり押し黙る。さっきまでの快活な人格とはまったく別な人間になってしまったかのよう。ぶつぶつ言うこともあるし、外へ出ていくこともある。あとをつけてみると、むやみに歩き回ったり、しゃがんで地面に向かって何かぶつぶつ言ったりしていた。何時間かたつと、何事もなかったかのように晴れ晴れとした顔で帰ってくる。マンションの高層階に住んだとき、夜中にふと目を覚ますと窓から飛び降りようとしていることがあった。直前で気づいてとめて事なきをえたことが何度もあった。そんな生活に疲れ果て、所持金を全部渡して、実家に帰したのが1987年の1月。あのときの選択は、正しかったのだろうか。ちょうど松井計の「ホームレス作家」「ホームレス失格」(幻冬社)を読んだところだった。少し精神に異常のある女性と出会い、結婚し、子どもができ、しかしその彼女が原因で生活に困窮し、かなり売れている作家がホームレスへと転落していくさまは、他人事ではなかった。彼女と暮らして得たもの。あえて差別的な言葉を使えば、「キチガイは正常であり」「正常人は実はキチガイだ」ということに気がついたということだ。正常人は、お金や地位や名誉やつまらないプライドで生きている。無意味なものに価値を見出し、それがアイデンティティになっている。キチガイは、自分以外のなにものにもアイデンティティを見出すことがない。それゆえ限りなく正常に近い。これは天と地がひっくり返るような発見だった。ぼくの母の教え子に、よく似たキャラクターの子どもがいたという。その子はある日出かけたきり帰ってこなかった。どこか繊細な子だったという。その話をきいて、こんな世の中では気が狂わない方が異常で、気が狂ったり自殺したりするのは、純粋さを守ろうとする精神の当然の防衛本能なのではないかと思うようになった。彼女のおかげで、人生を棒に振ってしまった部分はある。彼女の母は、いつもそれを申し訳ないという。しかしそれでも、やはり彼女に会ってよかったと思う。元気なうちに、ありがとうを言っておきたかった。
April 15, 2003
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