投資の余白に。。。
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沖浦和光(1927~2015)日本人はどこから来たのか。異民族の間ばかりでなく同じ民族の間にさえなぜ差別が生まれるのか。芸能と芸術のちがいは何か・・・こうしたことを一度でも考えたことのある人なら、この人の名前を「かずみつ」ではなく「かずてる」と正しく読むことができるはずだ。この人の名を知ったのは1979年、小田実らが大手出版社から発行していた「使者」という雑誌。対談か何かだったと思うが、日本共産党員だった過去を振り返り「初心忘るべからずだな」と結んでいたのが記憶に残った。こういう人が大学の学長をやっている関西の知的風土にも羨望をおぼえたが、比較文化論に興味を持つと同時に、「六全協」以前の共産党員でその後共産党を離れた人たちに興味を持った。沖浦氏はそのひとりであり、当時はたくさんの「オキウラ」がいて、思いがけないところでそういう人に出会ったものだった。「この人はモノがわかっている」と思った大学教授などと親しくなると「実は朝鮮戦争時に所感派だった」という告白をきくことが稀ではなかったのだ。当時は知識がなかったので、そのことの意味や教訓について訊ねることもなかったが、いま思えば惜しいことをしたものだ。1948年に結成された全日本学生自治会総連合の中央執行委員のひとりが沖浦和光である。委員長は武井昭夫で他の中執には安東仁兵衛、力石定一らがいた、というより彼らによって作られたのが当時22万人を擁した全学連である。武井の「層としての学生運動論」によって全学連は共産党の独善的指導から自立。共産党の迷走や分裂や敵対を乗り越えて発展し、反イールズ闘争、ポポロ事件、砂川基地反対闘争などで勝利していった。そうした薫風かおる戦後革命期の反戦運動の中心人物が逝去したというのに悼辞を掲載する「全学連」はなく政党もない。沖浦氏がなぜいつどのように共産党を袂をわかったのか、日共にかわる革命政党の創設はかんがえなかったのか、膨大な著作をすべて読めばどこかに書いてあるのかもしれないが、彼の近くにいた誰かが訊ねたことはなかっただろうか。青木昌彦(1938~2015)共産主義者同盟(通称第一次ブント)の指導者・理論家であり、60年安保闘争時の全学連の中央執行委員のひとりだった。のち近代経済学に転じ、ノーベル経済学賞候補になったこともあるが、唐牛健太郎、島成郎、生田浩二といった同時代の煌星のような人々との交流などは「わたしの履歴書~人生越境ゲーム」に詳しい。姫岡玲治名で書いた「国家独占資本主義段階における改良主義批判」を読んだのは1980年ごろ。「同時代音楽」という雑誌になぜか安保ブントの基本文献が復刻され、山口一理「十月革命とわれわれの道」と共に印象に残ったのがこの論文だった。作曲家・ピアニストとの高橋悠治とは10代のころからの親友だったらしく、彼のコンサートで「姫岡玲治こと青木昌彦かも」と思う人を何度も見かけることがあった。2015年4月の京都のコンサートでも見かけたが、話しかける勇気がなかった。第一次ブントの人たちが持っている(その後のイデオロギー的転向を問わず)楽天性というか懐が広くて深い人間性の由来に興味があったし、ブントが依拠したマルクス=レーニン主義のどこに「収容所国家」を結果する隘路があったのか個人的な意見をきいてみたいと思っていたが、見ず知らずの人間がいきなりそんなことを訊ねるわけにもいかなかった。助川敏弥(1930~2015)札幌出身の作曲家。作品を知ったのは「終わりのない朝」という被爆ピアノとオーケストラのための曲を放送できいたのが初めてで、あれは初演時のものだと思うから1983年のこと。どういういきさつだったか忘れたが彼が「バイオシック環境音楽研究所」を始めた1987年ごろに知己になり数回会った。その研究所の案内には「招待状をもらった批評家とごく一部のマニア」しか来ない現代音楽の世界にはうんざりした、もっと広い音楽の場を得たいと思って始めたという手紙が添えられてあった。現代作曲家が環境音楽(当時はまだそういう言葉はなかったが)を提供したからといってそういう問題の本質的な解決にはならないと思ったが、気持ちはわかるという感じだった。芸術音楽が少数のきき手にしか届かないのは当然で、創作の論理は「聴衆に受け入れられるかどうか」ということとは関係がない、というか関係があってはならない。もちろん、職人として社会から求められる音楽を提供することがあっていいし、それは創作自体にも決してマイナスではない。こんなあたりまえのことがわからない「自分より年長者」には興味を失った。時間がたちホームページができた。いまでも一部は閲覧できるが、戦後まもなくの日本社会を活写した部分など非常に興味深い一方、現代音楽の否定や反共主義丸出しの政治思想には落胆した。芸術における保守主義者がすべて政治における保守主義者ではないだろうが、芸術について深く考えない人間は政治においても深く考えないということを「教わった」。ホームページはすべて削除されてしまったようだ。「札幌の思い出」などは貴重な歴史資料だったのに残念だ。関係者は故人の名誉にならないと思ったのだろうか。
January 10, 2016
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