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77歳の母に乳がんが見つかって10日になる。セカンドオピニオン医師の選定や種々の検査、気分転換のために温泉やら外食に連れ出したりしているうちに、あっという間に10日間がすぎた。それにしても、本人にいきなり「ガンです」と告知するのだから時代も変わったものだ。知人もいきなり「胃がん」と言われたそうだが、治易性のガンの場合はすぐ告知するという方向になってきているようだ。治療をお願いすることにした病院の医者には、「とにかくストレスがよくないので、気分転換をするように」と言われた。中止しようかと思った沖縄旅行も行くことにした。読んだガン関係の本は30冊以上。10冊目を超えたあたりから、冷静に読めるようになり、留意点やポイントがわかってきた。乳がんは10ミリ以下だとまず完治するので心配がない。母のガンは15ミリ~18ミリで、20ミリ以下だと転移はほとんどなく、7割から9割は治るそう。女性のガンは見つけやすく治りやすいものが多く、男性のガンは見つけにくく治りにくいものが多い。これが男女の寿命差の最大の原因になっているという指摘などは興味深かった。また、ガンは寝ている間に育つので、夜の食生活を含めた生活習慣を見直すことが大事だという。40年以上ガン治療に関わってきて、自分もガンになったお医者さんは「40歳以上の人間は、ガンの地雷原を歩いているようなもの」と書いていた。たしかに、40歳くらいから、同窓生などにガンの消息を聞くようになった。ストレスで言えば、持ち株の暴落ほど強いストレスはない。健康を損なうようなスリリングでリスキーな投資をするのは愚の骨頂。むしろ投資は心と体の健康に寄与するようなものでなければならない。そういう投資は、やはりグレアム=バフェット流をおいてほかにないと思う。それはともかく、人間のふたりにひとりはガンで死ぬ。再発や転移を防ぐために、ミネラル、クロレラ、IP6、アガリクス、カバノアナタケ、など自己免疫力の強化にいいとされているものはすべて試してみようと思う。
January 30, 2004
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1年のオンとオフの詳細な計画を立てる。一つ歳をとることの意味を思索する・・・・大前研一のおしえにしたがって、お正月には何も予定を入れず、どこへも出かけず、もちろんおせちやお雑煮は食べず、こうしてパソコンの前にいる。年が変わってまずすべきことは、年を越すことができなかった人たちのことを心に刻んでおくことだ。夏にはコンバイ・セグンドが死んだ。年末にやった「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の放送では、チェ・ゲバラの肖像の描かれた旗が掲げられる部分がカットされていて鼻白んだが、これなどセグンドを冒涜する行為でなくてなんだろう。こういうことをする輩にはいずれおとしまえをつけることになるが、90代でなお稚気に富んでいた彼のような老人になれたらどんなにすばらしいだろう。秋には吉田雅夫が88歳で死んだ。日本のフルート界の父とでも言うべき人。「フルートの神様」と言われたフランスのマルセル・モイーズの研究と紹介に一生を費やした人で、日本のフルート奏者で直接・間接に影響を受けていない人はいない。わずかなSPレコードや資料を頼りにモイーズやジョネを探りあてたその感性もすごいが、この人ほど生涯、向学心や向上心を失わなかった人はいないと思う。1970年代前半に2度参加した公開レッスンで聴いた彼のフルートの音は金の玉が転がるような美しさで、「美しい音」とはこういうものなのかと圧倒されたのをおぼえている。そのときの受講生は工藤重典、酒井秀明、加藤元章らだったが、今は世界を代表するプレイヤーとなった彼らの音が貧弱に感じられたほどだった。1962年以前のNHK交響楽団の演奏で、フルートだけが傑出した見事さで音楽的なフレーズを奏でているのに遭遇することがあるが、そういう時はまず間違いなく彼の演奏だと思う。彼の公開レッスンで学んだのは、ハンガリー語と日本語の共通性とか、音楽における3という数の重要性とか、演奏における椅音の扱いとか、モーツァルトと他の類似の音楽語法の作曲家たちとの決定的な違いとかいったものだったけれど、「学問」というものの面白さを教わったのだと思う。3月には天本英世が死んだ。「世界わが心の旅」で観たスペインやロルカへの愛は、無謀な戦争を行いその反省もなくひたすら経済的利得を求めるだけに成り下がった日本及び日本人に対する強烈なアンチテーゼだったと思う。・・・とにかく日本人には哲学がないんだ。なんのために生きるか。生きているとは何か。教師も何を教えていいかわからない。文部省も僕らが小さい頃と同じだ。ばかばかしいことの再生産で、「君が代」を歌えなんて言っている。僕は日本のすべての俳優を引き連れて「君が代」反対のデモをやりたいくらいだ。「君が代」なんてバカの骨頂で、僕は全然天皇制なんて認めない。昭和天皇は戦争責任者の最たる者だった。こういうことはテレビでしゃべっても全部カットされるんだ。そうしたことがあるかぎり、日本人はいつまでたっても精神的に自立できない。天皇や天皇制について議論さえしないんだよ、日本人は。 ・・・僕にとっては、俳優になるというのは乞食になるのと同じ意味だったんだ。生きることを捨てるというかね。かといって、それを怖いとも寂しいとも思わなかった。ここには「怒れる老人」のお手本がある。怒り、別の言葉でいえば公憤を忘れた人間は人間ではなく家畜ではないだろうか。全く個性は違うし生き方も違うが、最良の「昭和人」がこうしてひとりまたひとりといなくなるのはさびしい。
January 1, 2004
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