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「バーンスタイン・レガシー」と題したコンサート。PMF修了生でファゴット奏者のダニエル・マツカワは、近年、PMFでバーンスタインにフォーカスしたコンサートを指揮しているが、今年もバーンスタインゆかりの曲、作曲家などの作品を集めた。ダニエル・マツカワはフィラデルフィア管弦楽団の首席ファゴット奏者をつとめているが、その頃から指揮を学び、カーティス音楽院では実際のコンサートで経験を積んできたらしい。過去のPMFでの指揮は可もなく不可もなくといったところだった。やはり指揮を専門に学んだ人に比べると素人ぽさは否めなかった。しかし、今年はちがった。指揮に開眼したというか、指揮者らしい指揮をするようになった。たぶん経験値が一定のレベル、蓄積を越えたのだろう。オーケストラを手中にする技が飛躍的に向上したのを感じた。デビュー以前から指揮の要諦を会得しているような人もいれば、だんだんと開眼する人もいる。大野和士や小泉和裕はデビュー直後にもう指揮の技術は完成しているように見えた。一方、高関健などは40歳くらいのある時期、突然のようにオーケストラを自在に動かせるようになったのをおぼえている。いままでのマツカワの指揮を見て今回のコンサートはパスしようかと思っていたが、行った甲斐があったというものだ。ブラームスの「大学祝典序曲」はバーンスタインがフリッツ・ライナーの試験を受けたときの曲であり、「悪口学校」序曲のバーバー、「エル・サロン・メヒコ」のコープランドはバーンスタインが高く評価し個人的にも親しかったことから選ばれた曲という。前半はこれらにビゼーの「カルメン第一組曲」。これはマツカワがバーンスタインの録音で親しんだ曲という。バーンスタインの演奏の再現をめざしたようだが、いささかやりすぎの部分もあるバーンスタインのそれに比べると穏健で美しい演奏。後半はすべてバーンスタイン作品で「ウェストサイド物語組曲」、オーケストラのための「ディヴェルティメント」、「オン・ザ・タウン組曲」、アンコールに「キャンディード」序曲。「ディヴェルティメント」はバーンスタイン自身の録音で聞いてはいたが、あまり面白いとは思っていなかった。しかし実演できくと、たしかに名曲とは言えないにしても、バーンスタインの才気がわかって面白い。作曲とは美しいメロディーにハーモニーをつけることだと思っている人が多いが、それは作曲のごく一部でしかない。それらがなくても、創造性のある作品を作ることができるという見本のような曲。しかしこの曲全体の品のないイメージは好悪のわかれるところだろう。クラシックソムリエだという司会者とマツカワのトークをはさみながらの展開。声楽曲を加えるなどGALAコンサートぽさがあったらもっとよかったと思うが、たった1000円(学生は500円)で珍しい作品も楽しめるこのようなコンサートを、無名の指揮者と学生オーケストラだからという理由で忌避するクラシック・ファンはバカ以外のなにものでもない。
July 27, 2016
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前日と全く同じ演奏者とプログラム。しかし、全く別のコンサートと言っていいくらい次元がちがった。特にそう感じたのはほぼアカデミー生だけによる前半。ワーグナー「さまよえるオランダ人」序曲は、どこがどうとは言えないが密度が増した。ドビュッシーの「海」の第二楽章は手探りだった前日とは打って変わって熱演で、思い切りよいクレシェンド、より大きな波がおしてはひいていくようなスケール感ある演奏は思わず拍手を誘ったほど。メーンのマーラー「交響曲第4番」も、生硬さがとれ細部のニュアンスが格段に豊かになった。二日目や三日目の演奏がよくなるのは超一流のオーケストラでも経験することではあるが、若者集団の適応力、柔軟性に舌を巻いた100分。
July 24, 2016
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3つのプログラムで行われるPMFオーケストラコンサート、Aプログラムの初日。まず興味は今年のPMFオーケストラの参加者のレベル。昼のオープンリハーサルを見学した限りでは過去26回の平均といったところか。女性とアジア系の割合が増えてきている。次の興味は指揮者のジョン・アクセルロッド。今年50歳のアメリカ人指揮者で、ハーバード大学出身で前職はカリフォルニアワインのバイヤーという経歴の持ち主。バーンスタインとムーシンに師事したことがあるらしい。前半はワーグナーの楽劇「さまよえるオランダ人」序曲とドビュッシーの交響詩「海」。わかりやすい指揮を見ていて、いちばん最初のリハーサルを見学してみたかったものだと思った。にわか仕立ての学生オーケストラを数日のリハーサルでここまで整え、音楽的な演奏ができるまでに導く手腕そのものに興味を持ったからだ。これまでのPMFに登場した指揮者をつらつら思い返しても、自分の解釈の押しつけではなく、まずオーケストラからバランスよい響きと開放的な音楽を作りだすことのできた人は決して多くない。その点、オーケストラビルダーとしてかなり優れた人ではないかと思うし、オーケストラのメンバーから好かれ信頼されるタイプだろう。二曲とも特に不満のない出来。ディナミークがややフォルテよりで、耳をそばだてるようなピアニシモや神秘的な音空間の創造(特にドビュッシー)はなかったが、明晰なのに温かみのある音作りには好感。後半、マーラー「交響曲第4番」では、ウィーン・フィルの現・元首席奏者が弦の、ベルリン・フィルの現・元首席奏者が管打楽器セクションに加わる。コンサートマスターの席にライナー・キュッヘルが座るだけで格が上がった気がするが、音も明らかに変わる。音に厚みや膨らみが加わり、フレーズが尻切れにならず次の音楽にリレーされていく。曲のせいもあるが、アクセルロッドの音楽からは皮肉や哀愁や怒りや諧謔といったものがきこえてこない。これは世代のせいもあるかもしれないし、アメリカの指揮者にかなり共通の現象かもしれない。暴力的・悪魔的な表現を要求されるような作品でどうなのか。バーンスタイン作品や現代曲も得意としているようだが、陰のある明るさのようなもの、あるいは暗い中に光が差し込んでくるような音楽でどうなのかは未知数だ。すでに録音も多くブラームスの交響曲全集も出ている。Bプログラムのブラームスでその辺のことを確かめられるだろう。マーラーのソリストは今野沙知恵。音程は正確だが声に伸びがなくオーケストラに消されてしまう部分もあった。なおこのコンサートの前に小ホールで無料の室内楽コンサートがあった。例年のことながらこれが出色。シュールホフの「フルート、ヴィオラとコントラバスの小協奏曲」、バックスの「フルート、ヴィオラとハープのための悲歌三重奏曲」などが演奏された。オーケストラメンバーでは大平治世という人のフルート、セバスチャン・ジンカのコントラバスなどが印象に残ったが、安楽真理子のハープ、ミヒャエル・フーデラーといった教授陣の演奏はまた別格。この二人はフランセの「バロック風二重奏曲」とフォーレ「夢のあとに」、サン=サーンス「白鳥」を演奏。めったに聞くことのできない曲と編成、室内楽ならではの臨場感は、もしかするとPMFの全プログラムを通じての白眉かもしれない。
July 23, 2016
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廃校になった小学校が「あけぼのアート&コミュニティセンター」になり、いくつかの団体が入居し拠点として利用している。演劇公社ライトマンはここを稽古場にするだけでなく半年に一回の公演もここで行っている。そのセンターが「あけぼの学校祭」というイベントを開き、その催しの一環として開かれたのがこの公演。17.5回とあるのは、5月に行った第17回公演「鳥を眺めて暮らす」から派生した内容のため。その第17回公演で主演の山ガールを演じた千葉美香の演技がすばらしかったので、また見られるかと思って行った。だが彼女は今回は出演せず残念。ただ会場案内などをやっていて、ライトマンに加入したということなので、次回公演からが非常に楽しみだ。世捨て人のように山小屋で暮らす寛文が主人公。短編が3つで、最初は狩猟好きの青年春充が仕留めたクマのレバ刺しを蕎麦屋の主人しんすけが調理する。二番目は東京から転勤で帯広に来た狩猟好きの青年春充が寛文のところに挨拶に来る。ふたりの会話はかみ合わずちぐはぐに終始する。最後は蕎麦屋の主人しんすけと同じ俳優が寛文の祖父文二を演じ、帯広に移り住んだ経緯、森の女神との出会いなどを物語る。ただこの祖父は妻の没後、悪い女に騙されたらしく、地元の青年健人らは山狩りで逃げた男女を追う。基本は会話劇で、その会話のやりとりが虚実の皮膜の上を行ったり来たりしているようで面白い。三つの話に関連性はないが、「鳥を眺めて暮らす」を見たことのある客には、いくつかクスリと笑わせるしかけもある。初日と最終日を見たが、やはり最終日が間のとり方、セリフの明瞭度などが段違いだった。「あけぼの学校祭」の出し物は全部見たが、弦巻楽団新人リーディング公演「子どものように話したい」も楽しめた。ほぼ演技なしの朗読だけで行われたが、キャスティングが的確で、死んだ男を演じた役者など、女性なのに男に見えてきたほどだ。
July 8, 2016
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