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2006/04/05
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カテゴリ: カテゴリ未分類
遅ればせながら、「ALWAYS 三丁目の夕日」を見てきました。
先週の日曜日、私の奥様と二人で見に行ったわけですが、やはり50代くらいの人が多かったですね。
ノスタルジーでしょうか。
リバイバルの短期上映ですが、賞を総なめした映画ということで、結構お客さん入ってました。




時代は昭和33年。
私が36年生まれなので、私が生まれる前の話だ。

おそらく泣いてしまうんだろうな、と思って行ったが、やっぱり泣けた。

確かにいい映画なのである。


戦争が終わって13年。
日本人は焼け跡の中から確かに立ち上がった。
この上ない挫折と、失意のどん底から這い上がってきた時代だ。
やはり、日本人というのは強く、偉い民族だとつくづく思う。
果たして今、同じ敗戦時と同じ状況になったら、日本は立ち上がることができるだろうか?
はなはだ疑問である。

さて、今は苦しくとも、自分の未来には必ず幸せがあると実感できた時代なのだろう。
焼け跡に安普請の住居が立ち並んで行き、ビルが建ち、車が走り、そして最大の象徴が「東京タワー」の建設だ。
「ここまできたぞ」
誰もが深い感慨を持って見ていたに違いない。

映画に登場する子ども達がまさしく「団塊の世代」の方々ということになる。


誰もが感受性豊かに喜怒哀楽をストレートに表現できた時代。
テレビが来たといっては大騒ぎ。
どんなものでも素直に受け入れて喜ぶことのできた時代なのだ。
一つのシュークリームでも幸せになれる。
そういう素直な人たちの話を見ていると、泣けてしまうのだ。


もう50年近くも前の結婚したころの話だ。
それはまさしく「三丁目の夕日」の時代である。

4畳半一間、共同台所に共同トイレというアパートで暮らし始めて、何もない部屋。
みかん箱がテーブル代わりだったらしい。

そこから一つずつものが増えていった。
テレビが来た、冷蔵庫が来た、洗濯機がきた。
車が買えた、家が買えた・・・・。

そしていつの間にか、
「なのも持っていなかったから、何でも喜べた」時代から
「手に入れてしまったから、何にも喜べない」時代になってしまった。

日本は確かに豊かになった。
でも、豊かさを測る物差しが「物」だけになってしまったのも事実である。
それは結局底なし沼だ。
物は所詮「物」であって、それ自体が人を幸せにするわけではない。
ましてや、金額の大きさで幸せの量が決まるものでもないはずだ。
人より高い服を着て、大きな家に住んで、目の玉が飛び出るような値段の宝石を身に着けても、それだけで幸せになれるわけがない。
「いい服ですね」「大きな家ですね」「きれいな宝石ですね」
周囲はそう評価してくれるから「幸せ」な気分になったような気がするだけだ。
結局、お金や物は相対的な幸せしか生まない。
人よりたくさん、人よりいいものを持っていることが幸せの基準になってしまう。

結局、幸せは自分のこころの中にあって、人と比べるものでもない。
フォアグラを食べる幸せと、お茶漬けを食べる幸せ。
どちらがより幸せなのか?
それは結局本人が決めること。

お金はあっても誇りがない。
そんな時代になってしまったようだ。

あの頃はよかった。
おそらく、映画を見に来たほとんどの人がそう思ってみていたのだろう。
空っぽの貯金箱をいっぱいにするという夢があった。
でも、いつしか貯金箱はいっぱいになり、守るものだけが増えた。

映画のラストシーン。
真っ赤な夕焼けに東京タワー。
あの時代の家族が夕日を見ながら語りあう。
「きれいだね、明日もきれいかな」
「50年後だってきれいだよ」

確かに夕日の美しさはあの頃のままだ。
でもきっと、夕日を見る人の心は変わってしまった。

「あの頃はよかった。」
といっても、もう誰もあの頃には戻れない。





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Last updated  2006/04/05 10:39:36 PM
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