全7件 (7件中 1-7件目)
1

明日から2月。2月といえば、主人の誕生月&バレンタインデーです。バレンタインはどうでもいいといえばどうでもいいのですが。我が家の周辺・・・実家や弟宅や義妹宅・・・ここらの身内で義理チョコが飛び交います財布と相談しながらのチョコ選びは、結構面倒くさいおもしろい。あくまで義理なので、義理の領域をでない程度のものしか選択しませんけどね~一昨年は暇にまかせてチョコレートケーキを焼きました。フォンダンショコラとかも焼いたっけ。昨年は全くやる気がなくて、適当にスーパーで見繕ったのをあげました。今年は・・・・今日買ってきましたよ。地元ではありますが、デパートで。偉いぞ、わたし半日ダラダラ過ごしたので、これはいかん! と思い外出しました。寒いので、外の散歩とかはパス。で、デパートの中を散歩(随分あやしいが)することに。おほほほ。いいもの発見!旅行用品売り場に、外国製チョコレートが限定数福袋で売ってました。1袋¥1050見本を見てみるとなかなか豪華です。定価¥4200以上だって。面白そうなんで購入してみました。家に帰って早速中身チェック。個数にして12個入ってました。これはお得でした実家の父と、弟と、甥(小学4年)、義妹のオットと、甥(高校3年)5人に分けっこして、これで済ます所存です。「ケチ」だよね~~~~。だが、中身はまあまあなんで許してもらおうということで。とりあえず、主人には昨年渡して好評だったヤツを買っておきました。気が向いたら、ケーキでも焼こうと思ってます。
2011年01月31日
コメント(10)
先ほど風呂からあがったら、部屋の電気も廊下の電気も消されて真っ暗になってました。オット、先に就寝。わたしのふにゃふにゃした態度に腹をたててたんだろうなあ。毎度すみません。風呂でいろいろ考えてた。半世紀ちゃんに近づいているというのに、わたしはまだ夢みたいなことを考える時がある。「もしも、自分が〇〇だったら」の「もしも」シリーズとか。もしもわたしが魔法使いだったら。まずは、自分をほどほどの美人にする。絶世の美女っていうのも生き難そうだから。で、ほどほどのスタイル。中肉中背。健康上も美容上も何の問題もナシの身体にする。いつも100万円が入ってる財布を持つ。出したら出した分だけすぐに補充されるヤツ。もちろん、しょっちゅう出して貯金。基金を作って、お金が必要な人や場所にガンガン提供する。霊を見せる能力を持つ。会いたい人が会いたい霊と会えるように。そうすれば愛する人をこの世で失っても、みんな希望を持って生きられるようになるから。人の悩みを瞬時に解決できる能力を持つ。暗い顔で来た人も、わたしに会った瞬間ににっこりできる。「どんな悩みもおまかせ」の看板を掲げてみんなに感謝される人になる。いいなあ。魔法使い。なってみたいよなあ。でも、実際はそんなのとは程遠い生活を送ってる。当たり前だけれど。顔ははっきり言ってブーだしスタイルは、巨大なドラム缶だし健康上も美容上も問題山積だしお財布の中身はレシートとスタンプカードと小銭ばかりだし霊は見えないし人の悩みどころか自分のですらおぼつかなくて。自分じゃどうにもできないだろうことに胃をキリキリさせてるわたしに、オットはイライラしたんだろう。そのとおりです。わかるんだけどね。魔法使いじゃないんだから。わたしがどんなに悩んだって胃をキリキリさせたって心配したってどうにもならないことは、どうにもならない。倒れてる人を抱えては歩けない。わたしが倒れても、誰かが抱えて歩くのは無理だ。誰もが自分で歩くしかない。うずくまっている人の傍にいつも佇んでいられない。自分のペースで行くしかない。それが申し訳なく思えて。自分が冷たく思えて。自分の無力さに思いっきり失望する。無力さを忘れて、いい気になってアドバイスもどきをしてた自分に悪態をつきたくなる。風呂の中にて、深いためいき。今通ってる心理学講座でやったことを振り返ってみる。「自分の立ち位置を知る」無力な自分。誰もが自分以外の何も背負えない。わたしも、そう。わたしは、魔法使いではない。とてもとても苦しいことだ。無力な自分としてここに立つということは。そんな自分を見つめるということは。身体の変なところに力が入って大切な部分がカラになるかんじ。自分をゆるすということは、ある意味自分をあきらめるということなのかな。
2011年01月24日
コメント(10)

毎日、寒いです。寒さのせいにして、プチ引きこもりの今日この頃。今、読んでいるのはこんな本です原題「The Gving Tree」(シェル・シルヴァスタイン著)日本語版「おおきな木」訳を本田錦一郎(故人)さんと村上春樹さんで読み比べ。シルヴァスタインは好きな作家なので、この本は随分前に本田さんの訳で読んでいました。本田さんがお亡くなりになり、出版社もかわって村上春樹さんが新たに訳されたのが昨年でした。簡単な言葉で書かれたお話なので、自分自身で訳してみて お二方と比べてみようと昨年末に思いつきました(内容はとっても深いです)。市の図書館で3冊揃ったのが最近。これはね・・・おもしろかったです!まず「題」のつけかた。原題は「The Big Tree」ではなく「The Giving Tree」なのです。直訳すれば「やさしい木」とかになりそうなものを 「おおきな木」とした本田さんのセンスがいいなあと思いました。「やさしい木」としてしまうと、読者の想像力に制限がでてきます。「おおきな」という言葉には、「やさしい」という言葉よりも広がりを感じます。身体の大きさ・・・心の大きさ・・・。何を感じとるかは読者次第。Giveには「与える」という意味がありますが、この木はまさしく「与える木」なわけで。読み終えて改めて題の意味を考えると「おおきな」にはそんな意味も含んでいるように感じられました。村上さんは「長く読み続けられた本なので、混乱を避けるために元の題はそのまま使わせてもらいました」とあとがきで書いていらっしゃいますが、これ以上の題はなかったんじゃないかな?と思いました。登場人物については、両者違う訳し方をされてました。・原作では おとこのこを「The boy」としています。 その呼び名も違います。 お話の中で「The boy」は歳をとっていきます。 老人になったboyをどう訳すか? それについても両者捉え方が違うようです。 ・さらに、訳本では おおきな木の性別も違う捉え方をされています。どう訳されてるかは・・・ナイショですとってもいい本ですので、まだの方は是非読んでみてください。ところで。この本に関しては、とっても好きな村上春樹さんですが、実はわたしは彼の良さがわからないハルキストと呼称されるくらいファンの多い村上さんの良さがわからないなんて悔しい。悔しすぎる昨年観た「ノルウェイの森」も、全然いいと思えなかった。映像は美しくて詩的でよかったし、細野晴臣さんとか高橋幸宏さんとか糸井重里さんとかがチラッとでてたのもポイントが高かったけれど。出演者の菊池凜子さん&新人の水原希子さんが苦手というのはある。が、2人の演じた原作のキャラクターもとっても苦手なのは間違いない。原作読んでます。しかも2回。でも・・・・だって、オンナ達が蜘蛛みたいで嫌なんだもの。蜘蛛の巣をはって、主人公のワタナベくんがひっかかるのを舌なめずりして待ってるみたいな。ああいうオンナオンナしたいやらしさを感じさせる女性がものすごく苦手。見る人によったらカワイイ人ってうつるんだろうな。特に男性にはね。うーむ。悔しくて、彼の本を何冊か読んだ。でも、良さがわからない。いえね、どこに惹かれるかは何となくわかる気はする。何となくだけど。例えて言えば・・・・「箱」に例えるとすると・・・無理やりだけど。きらびやかな箱がある。置いておくだけで目が奪われるような。あるいはいかにも心がほっとするようなあったかみのある色合いの箱。かわいいのやら、凝った形のやら。でも、村上さんの小説は 何のへんてつもない無機質な箱。箱自体は無愛想に見えるのだけれど、蓋を開けてみずにはいられない。開けてみたところに何かがあるような気がして。そんな感じ?いつかわかるようになるんだろうか?その箱に切り取られた空気の感じが。残念ながら、わたしの周りにはハルキストがいない。誰か教えて~。彼の魅力は何なのか。新作が出るときに、徹夜までしちゃってもすぐに読みたいほどどこに惹かれるのか。お待ちしてます。後は、こんな本に囲まれてます読み終えたのもあり、読んでいる最中のもあり、これからのもあり。 *これは、今年末か来年あたりに行きたい旅行先の本。 いくつか候補があるけれど、今のところ「ガラパゴス」に注目。 友人と4年ほど続けてる500円玉貯金で行く予定^-^*meronさんにおススメしたのは、この本。 リサ1号から教えてもらって速攻でアマゾン購入。ええわ~~~。*yuyumiさんの講座の時にわたしが話してたのは、この本。 もう3度目。 対人関係でモヤモヤした時の必読書です。
2011年01月22日
コメント(12)

先日、岡山に行った時のことです。昼食に入ったうどん屋さん。食事も終えて帰ろうとした時にトイレに行きたくなりました。が、とっても狭い小さな店のトイレ入り口にはサラリーマンの方が5~6人食事中です。淑女(?)としては水の音をたてるのも申し訳なくて、行きそびれてしまいました。外にでてから、コンビニで借りることに。と、目の前の壁に目が釘付けパウチされた貼り紙が左1辺のみ壁にくっついて開いたドアみたくプラプラしてます。きっとはがされたのでしょう。「禁煙」と書かれていました。はがされたところに何か小さな紙が。これもパウチされています。近寄って、読んでみると・・・・ 怖い・・・。こんな文をわざわざ色変えたり字体を変えたりしつつ パソコンで打ったのね。で、打ち出したのをパウチしたのね。その姿と心を想像すると・・・怖い・・・でるものも引っ込みそうだ。あ、ちびりそうな人には丁度トイレでいいわけか。と思考は変な方向に。「禁煙」をはがした人は客なので多分特定できないですよね。でも、この文を書いたのは間違いなく店の人。店主なわけで。特定されて嫌じゃないのかなあ?トイレを借りたので飴かガムでも買おうと思ってたけれど、店の人と目を合わさないようになるべく隅っこを歩いてそそくさと店を後にしました。お店の方、その節はトイレをお借りしてありがとうございました。びびって何も買わずに出てきてしまい、すみません。そして、不届き者の皆様、トイレの張り紙は剥がさないようにしましょうね。そういえば、トイレの張り紙って以前にもブログに載せたことがありましたね。こんなのとかこんなのとかう~む。奥が深い。トイレ あなどりがたし。
2011年01月18日
コメント(8)
昨日深夜、にゃんこのうり が猫トイレの砂をじっと見つめていました目の動きを見ていると、何かが砂の中にいる模様です。・・・?何だろう?ジョニー(注:飲食業界用語でいうゴキのこと)じゃないよね。真冬だしね。まさかね・・・・こわごわ覗いてみると、かわいらしい5センチくらいのヤモリがいました。かわいいヤモちゃんじゃないの~~。わたしは ヤモリはつかめます。つぶらな瞳が愛らしい。指先の丸い吸盤?も愛らしい。ついでに、薄いベージュの色合いも愛らしい。多分、暖炉に使う薪にくっついて部屋の中に入ってきたのでありましょう。うりのオモチャになってはかわいそうなので、急いで救済。でも、真冬だし部屋で飼うのも無理だし。・・・ってことで、雪の中をヤモちゃんつれて庭に出ました。まだ今年中には使わない薪の中に逃がしました。ヤモちゃん、速攻で潜り込む気配。ヤレヤレ。でも、アレだよね。ヤモリ=家守り っていうくらいだから、我が家を守ってくれるよね?ヤモちゃん。逃がしてあげたご恩を忘れないでいるのよ~っ。にゃんこから守ってあげたのは わたしだからね。と、ヤモリに恩を売りたいわたしでした。===================================さて、一夜明けて 早朝。外を見ると雪が積もってます。10センチはゆうにある。我が家の入り口は20メートルくらいの坂になっています。5時くらいから雪かきをしました。でかける主人のためです。主人の車はスタッドレスを履いているので大丈夫ではありますが、やっぱり坂の傾斜が気がかり。車の雪を大雑把に払い、竹箒を持って坂の雪をどけました。これが、なかなか骨が折れます。雪国の人にしたら鼻で笑うくらいの雪ですが、なにせド素人です。ゼーハー言いつつ頑張りました。うわ~わたしって、いい人~~。いい妻だよねぇ。オットが寝てる間に雪かきするなんて。と、心の中は自分の行為に対する賛辞でいっぱい。どうやって主人に恩を売ろうか?どんな言葉でほめてくれるかな?むふふふふ。半分ほど終わったところで主人が起きてきて顔を出しました。「あ。大丈夫だからね。」それだけ言うと、家の中に引っ込んでしまいました。ん?大丈夫って?もうやらないでいいってこと?いやいや。遠慮してるに違いない。そう思ったわたしは、残りの半分の雪をどけるべく老体に鞭打ったのでありました。しばらくして家から出てきた主人。おもむろに車に乗り込んで・・・乗り込んで・・・・乗り込んで・・・・発車。バックライトがわたしの方に向かってくるではありませんか!?あわててよける私。車の窓が開いて「行ってきま~~~す」わたしに明るく一声かけると、主人はでかけて行ったのでした。呆然。ちょい待て。「ありがとう」も言わなかったよね?「偉い偉い」とも言わなかったよね?・・・これじゃ、早朝から ただ好きで雪かきしてるおばさんじゃん?恩。買ってよ~~~っひとり竹箒を手に立ち尽くした雪の朝でした。がっくり。
2011年01月17日
コメント(8)

今日は珍しく、こちら太平洋側にも雪が降ってます。3時頃、ケンタッキーフライドチキンが無性に食べたくなって(お昼抜いたのに、なんにもならん~。そういえば朝食も食べてなかった)買いに行きました。雪は降ってたけど、チラチラだったし少しの間だから積もることはないだろうと思って。ドライブスルーが妙に混んでいて10分ほど待たされました。その間に車の窓から撮った写真が、これどひゃ~~っすごい勢いでどしゃどしゃ降ってきた。帰りは、道路にも積もってましたよ。積もりだすと早い早い。ノーマルタイヤだから超慎重に運転しましたよ。橋を渡った時、表示された温度を見たら-2度でした。こわごわ、とろとろ運転して帰宅。自宅についたら人影が。主人が傘をさしてくれました。ありがと~居間の窓から外を見ると、かなり積もっていました。数年前この庭に雪が降ったとき、照太はよろこんでほっぺを真っ赤にしながら雪だるまを作ってたっけ。あの時の声あの時の表情雪を踏むブーツの音さえも忘れてはいないのに。暖炉に火をいれてあたたかくしてもここに照太はいないんだね。多分、おなじことを思っている主人とふたりじっと火を見て静かに過ごしています。
2011年01月16日
コメント(18)
新しい年になりました。お久しぶりの更新です。今年もよろしくお願いします。長らくブログが書けませんでした。書きたいことはあったのだけれど。書かなくちゃと思ったりもしたけれど。手が止まってしまって、毎回開いては閉じ・・・を繰り返していました。表面に現れてる自分と内側の自分とのギャップが大きくなると、固まって動けなくなる。日常のことは差し障り無い程度にできるし、どこから見ても普通なんだろうけれど。そういう時が一番キツイ。キツかったなあ。クリスマス。年末・年始。よく泣いたなあ。街中で中学生を見かけて。照太が生きていたら、今年は受験。高校生になる年。同級生が中学に進学する年は、苦しかった。何も感じないような顔して笑ってたけど、眠れない日が続いた。今年もくるんだな・・・あの日々が。そう思うだけで、もうめげてしまう。中学生の照太は想像できなかったけど、高校生の照太はもっと想像できない。遠くに行っちゃう感じがして切なくてたまらない。心臓がきゅっと絞られる。ずっとずっと重い気持ちが自分の中にあって動けなかったけれど友人の一言で、ボロボロ涙がこぼれて重かった気持ちが随分軽くなりました。昨日、ママリンが「肩こりさんは優しいね」って言ってくれた。電話を切ってから涙がとまらなくなっちゃった。頭をやさしくなでてもらったような気がした。わたしはね小さい頃は可愛げのない子どもだったせいか、ほめられたり抱きしめられたり頭をなでてもらったりしたことがない。大人になってからは、しっかり者と見られてるから 頼られたりしたことはあっても頼ったことがない。頼り方がわからない。頭をなでて抱きしめたことはあったけれど、その逆はない。ほめられるのに慣れてない。そんなわたしを唯一ほめて頭をなでてくれたのが照太だったの。母子が逆なんだけれど、照太には甘えられた。「おかあさん がんばったねぇ。えらい えらい。」照太の小さな手がわたしの頭をなでる。「お母さん、偉い?頑張った? もっといい子いい子してくれる?」そういって甘えると「うん。いっぱいしてあげる。おかあさん、いい子いい子。」一生懸命なでてくれたっけ。なんだか、そんなことを思い出した。ママリン、ありがとう。素敵な歌を贈ってくれて ありがとう。電話やメールでも、抱きしめて頭をなでてもらった気がしたよ。嬉しかった。また、わたしが凹んだときにはよろしく頼みます。 ママリンが贈ってくれた歌。わたしからも大切な仲間に贈ります。「みんなひとり (松たかこ)」
2011年01月11日
コメント(12)
全7件 (7件中 1-7件目)
1