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この3日間、とろとろと眠りに逃げていました。一昨日と、昨日と。宅急便を出したり、振込みに行ったり、買い物をしたり。それでも少しだけ外に出ましたが、今日は全く。自宅前のゴミ捨て場にゴミを出しに行っただけ。メールの返信もせずにごめんなさい。電話もでなかったりしてごめんなさい。とろとろと 眠りながら あの頃歌ってた歌を 夢の中で聞いていました。照太を病院に残し、つかの間自宅に戻る道すがら車の中で歌った歌。小さい頃、照太は よくお花を摘んでわたしにくれました。髪に挿してくれたり、ぽっけに挿してくれたりしました。わたしは、とてもうれしかった。交換条件のない無償の愛を受け取ったのははじめてだと感じました。小さくて大きい 愛のかたまりのようなかわいい子。陽だまりみたいに あったかい子。照太と巡り合うまでのわたしは、どうしようもない寂しさを抱えていました。「お勉強ができたら 良い子と思ってもらえる」「おりこうにしてたら 」「きれいにしてたら 」「明るくしてたら 」・・・・「〇〇だったら」という条件なしには愛してもらえないと思っていたし、実際そうだったのではないかと思います。何もない素の自分には価値がないのだと 無意識の意識の中で感じていて、それが救いがたい寂しさとなってわたしを縛っていたのです。両親にも友人にも恋人だった人にも夫にも。それは癒されることはありませんでした。頑なに自分を閉じ込めていましたから。自信がない。自分をだして拒否されるくらいなら、条件でかためた自分でいた方が楽。(あのね・・・また?って笑われるかもしれないけれど・・・マイケルにシンパシーを感じるのはここのところ。多分彼も同じ寂しさを抱えてた。わたしと同じ匂いがした。)それが、照太の前では自分を解放できたのです。照太の前で、わたしは「母」の時もあったけれど「子ども」の時もあって、与えられなかった子ども時代をやり直していました。誰にも見せたことのない甘ったれた自分も、ダメダメな自分も。照太はそのまま笑って受け入れてくれました。信じられなかった。呼吸が楽にできて・・・そして、何もない素の自分を愛してくれる人がいることがこんなにもあたたかく自信をくれるものだと知りました。自分のことをもっと愛してあげよう。照太に出会って、はじめて自分を見つめました。「赤い花 白い花」は、照太の笑顔を思う歌です。同時に、無垢な心を感じる歌です。照太がどんなわたしも無条件の愛で受け入れてくれたようにわたしも、ただただ透明な心でに照太を思い、快復を願い、傍に寄り添おう。どんなことがあっても・・・・たとえ、照太がどんな姿になったとしても、この歌のようにわたしの真心の花を照太に捧げ続けたい。そんな祈りのこもった歌でした。
2011年04月28日
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照太が事故に遭ったこの日。6年前の夕方。昨日から いやな重いものが身体や心に入り込んで追い払っても追い払っても出ていかない。今頃は、学校だった今頃は、部屋で遊んでいた今頃は、バスに乗ってスイミングにでかけたところ今頃は・・・今頃は・・・ああ!今は もう・・・・。考えたくない。頭をからっぽにして照太が死とひきかえにわたしに与えてくれたものを受け止めようと思う。受け止めきれない大きな苦しみも 悲しみも 確かにあるけれど照太が気付かせ、与えてくれた新しいわたしもいる。照太と共にある自分がいる。神が与えたもうたのかこの世に生まれてくる前に自分でプログラミングしたのか照太が選んだ運命なのかそれは、今のわたしにはわからない。それでもどんな試練もGIFTだと。この日々には必ず意味があり、その意味はいつの日にかわかるのだと。そう言い聞かせ、日々を暮らしている。なのにこんなにも心がざわめく。照太の笑顔と ERでの反応のない姿が交互に浮かぶ。遠くに行ってしまいそうな照太をなんとか留めようと必死だった。自分を痛めつけることが この身を生贄として捧げることにつながるのだと勝手に決めて祈っていた。姿の見えないものに挑んでいた日々が浮かぶ。・・・・・あの日寝た ERのリノリウムの床の冷たさ・・・・・どうしてもどうしてもどうしても心が あの日に
2011年04月26日
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さて。アエロフロートです。「もう書かない」と言ったが、やっぱり書きます。だって、前回ブログを書いた時点では(もう午前の勤務はないから、アエロフロートとも会うことはあるまい)と思っていたのに・・・・・。はい。会いました。昨日のことです。シフトが一緒だったわけです・・・またしても。午後の勤務だったのに、ロビーで彼女を見たときのわたしの衝撃がおわかりいただけるでしょうか。彼女は午前専門だと思っていたので意気揚々とバイトに行ったのに~~~。もう、申し訳ないけれどモロに顔にでてしまった。「ぐへえ」って顔したと思う。彼女のウザさはいつも通りでしたが、昨日はいつもと違うことがひとつだけありました。それは、他のメンバーです。テレビドラマなどでは、よく彼女のようなキャラが登場しますよね?押しが強くてオクサマ集団のボス的存在の人。いつも取り巻きが数人いて、その人たちをアゴで使うっていうのがお決まりの設定です。パート女性の中にも少数ながら「腰ぎんちゃく」のような人たちがいるのですよ。「怖いものにはへつらう」・・・みたいな。さらに、大人数の中では気配を消そうとしている「子羊ちゃん」がとても多い。ことなかれ主義を貫く人々ですね。言われたことにはひたすら従順な人々。(これってある程度の割合で人口の中に分布されているんでしょうかね?)アエロフロートも威張る甲斐があったわけです。威張ったらビビる相手と、威張ったらすぐに言うことを聞く相手がいたわけですから。それが、珍しいことに昨日は腰ぎんちゃくがひとりもいなかったの。腰ぎんちゃくのいないアエロフロートは丸腰の警察官のようなものです。ドスドス走ろうがこれ見よがしに椅子を直しに行こうが何日も先の宣誓書の日付入れをひとりでやってようが誰もふりむきもしなければ手伝おうともしませんでした。孤独なアエロ。かわいそうに。うふふん。(あ・・・でも、本当にちょっとだけだけど・・・かわいそうだな~と思った瞬間もあった。だって、やってることは悪いことではなく、むしろほめられるべきことなのだからね。)そしたらば。何を思ったのか休憩に入る前、受付けをしていたわたしともう1人(男性。アエロフロートはこの人には一目置いている)に泣きが入ったの。「誰も動かない。特に**の二人は休憩も15分とるって言って聞かないんだよ。」(休憩時間については、10分だという人と15分だという人にわかれてて。支所によってまちまちらしい。時間給の中に含まれるサービス休憩なのだから、わたしは10分で十分だとは思ってる。)言う相手、間違えとる。だから言ってあげました。「あなたが動くのは、あなたが動きたいからでしょう? 同じことを人に要求なんてしなくていいの。」アエロ、硬直。さらに言ってあげました。「昨日、休憩は15分だって言い張ってたのは、あなたでしょう?」そうなのです。一日前、アエロはわたしが10分休憩をとって戻ってきたら「あなた、短かったわよね?なぜ15分とらないの?」としつこかった。「暇だし、10分で十分」と言ったら「では、トイレ休憩を別でとって」などとぬかしていました。休憩は10分程度とされているし、その前後の常識の範囲内なら何分とろうが自由だと思うわけです。アエロフロートに何故休憩時間の管理までされないといかんのだ。さらに、アエロフロートは隣に座った子羊ちゃんにしつこく言い募ってましたっけ。「10分なんて、女性は何にもできないじゃない?」わたしに聞こえよがしに。ふん。女性じゃなくて、ごめんね。10分あれば、お茶飲んで何かつまんでトイレ行ってメールチェックくらい余裕でできるわ。でも、アエロフロートが休憩は15分必要なら15分とればいい。何とも思わないし(自分が損したとか、いい人に思われたいとか)、どうこう言うつもりなど全くない。今日は、わたしの隣の男性が「10分派」だったので、ころっと態度を変えてうまく「彼女たちが15分だと言い張るの」とすり替えたわけです。どうでもいいことをどうでもよくしないのが彼女の特技といいますか存在意義なのでしょうか?わたしに指摘されたアエロ、何気に話題を変え、休憩場所へと逃避。ちょっとおもしろくなったので、一日彼女の言動を観察しました。(もちろん、仕事の合間にですよ。)実に興味深かったです。注目されていないと気が済まない自分より目立つ人はゆるせない自分のすることは賞賛されねばならない誰もを自分の管理下に置きたい人は自分の指示によって動くか、自分の行動から学んで動くかせねばならないすげー・・・・・。ああ、心理分析してやりたい。「何故?」と聞いたときの彼女の反応を見たい。あまりに浅すぎる。遠浅の海のような彼女に、はたして深い部分はあるのだろうか。帰り。一緒のエレベーターに乗りたくなかったので早足で部屋を出たのに、彼女も早足で追いかけてきて結局同じエレベーターにふたりだけで乗るはめになってしまった。「みんな、先にさっさと帰っちゃったんだよ」と、アエロ。はぁ・・・・また、文句かい?何に対してでも不満があるんだなあ。いいじゃん、帰ったって。仕事が終わったんだから。わたしも帰りたかったよ。アナタにとっつかまる前に。「自由な時間に早く戻りたかったんじゃないの?」とニヤリと返した。「?」と腑におちない顔のアエロをB1で降ろし、わたしはB2の駐車場へと。ほっ・・・。アエロちゃん。これが自由な時間ってもんよ。二度と会わないことを願ってるわ。
2011年04月20日
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がるるるる~~~~~~っ吠えたい。ワンワンワン!ああ、気に入らん。もう書かないから、今日だけ吠えさせてくれ。あの、鼻クソみたいな女と二度と一緒に仕事させんで欲しい。今日は市議会議員選挙の期日前投票初日だった。・・・と書くとわたしのブログを読んでくださっている勘のいい方は既におわかりになったかもしれませんね。そう。はまってしまった。「アエロフロート」とシフトが重なってた。今日も、しきるしきる。おまえは何者じゃってくらいに、しきりまくる。何者も、彼女にお伺いすることなくして何かをしてはならない様子。10分程度の休憩を誰からとるか誰とペアでとるかパソコンにはどんな順番で座るか休憩に入るタイミングはいつかどーでも ええじゃねぇか、そんなもん。ったく、アホくさい。宣誓書を束ねてあるヒモすら、彼女に伺わなくては切れない。・・・わたしが切ったら「あ~~~~っ!」とアエロフロートが悲鳴をあげた。「?」と顔を見ると「これ、500枚の束になってるの。既にひとつ切ってあるのよね~」と、わたしがさもすごい悪いことをしたかのような口ぶり。「じゃあ、もう500枚以上は書かなくてもいいということですね?」と聞いたら(わざと聞いてやった)「あ・・・書こうかな?1000枚くらい書いておこうかな」との言葉。ふん!500枚じゃ完璧に足りないことくらいわかってて切ったんだ、こっちは。はさみ、使いたかったか?ナントカは刃物好きだよね。危険だけど。今日も、ドスドス走る。「わたしはできる女顔」しつつ走る。「どや顔」ってやつだ。・・・走る必要は全くないのに。地響きがするから、歩け!椅子やボールペンの位置がやたらと気になるらしく、常に席を立って直しにいく。それだけならなんも思わんし好きにやってくれたらいいが、席に座ってる人たちの悪口を言うな~~!「あの人たち、ちっともやらない。ホントに気が付かないんだから。」と、わたしの向こうの綺麗なレディたちをにらみつけるな ボケ。自分が好きでやってることを、なんで人にも要求するのだ。ボールペンなんてどっち向いてたってええやないか。そんな大仕事か?それの位置直すのが?おめでたいのぅ。一生、直しとれ。で、しょっちゅう喋ってる。朝礼の時に「お喋り厳禁」って言われたろ?仕事中に無駄口たたくやつって一番ダメじゃん。ああ、うるさい。口に瞬間接着剤くっつけてやりたい。黙ってろ。同じ穴の狢だと思われたら大迷惑だ。・・・・ここには書けないことも多々。なぜたった6時間なのに、このように重い空気を作り出せるのかわからん。ホワ~イ?いちばん腹立たしいのは、こんなどうでもいいやつに反応して腹をたててる自分が「ちいせぇ」ヤツだと感じることだ。アエロフロート怖いもの見たさは確かにあったけれどキミは怖いのではなくて「ウザイ」のだった。もう真っ平ごめんでござる。・・・はっ・・・!これか?「空海の星占い」にあった わたしの性格「猛悪で怒ったり強奪したりするのを好む」ってやつ。あたってるのか~~~~~
2011年04月18日
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土曜日は、久しぶりのMちゃんとのデートでした犬山市にある野外民族博物館リトルワールドに行って来ました。今回は、ポンパレードというチケットサイトで入場料+園内バス乗り放題で¥1000というチケットを昨年のうちにゲットしていたのでここは、世界各地から集めた4万点の民族資料と22カ国、31施設の野外展示家屋を有しています。『生きた博物館』として、世界の生活や文化に手軽に触れ、学ぶことができ、そのすばらしさを味わうことができます。 (HPの紹介文より)現地の民家や領主の館などが実際の大きさのままにあって中まで入って見学できます。民族衣装を着ることができたり、その国のお土産品なども売っています。レストランや屋台もたくさんあるし、サーカスや民族舞踏なども入場料のみで見ることができます。すごく久しぶりに行ったのだけれど、いや~・・・楽しかった!タイ名物のトゥクトゥクに乗った。ボンネットバスも。ドイツ館でグルグルソーセージ食べて、アフリカ館でワニの串も食べて、タイの屋台でガイヤーンっていうのも食べた。(そういえば、ご飯ものは食べてなかったなあ)<園内はこんな感じ。これはイタリアのアルベルベッロの建物><アルベロベッロから遠くを見ると・・・これは教会?><ペルー大農園領主の家で飲んだインカコーラ。インカという文字と、黄色いコーラというキャッチに惹かれて頼んだけれど・・・ただの黄色い発泡ジュースでした黄色もインカ人が好んだ金からイメージしただけらしい。やられた~> <「ワンダー空中サーカス」開催中。美女と美男ばかり ^-^> <サファリプラザ(アフリカ館)ではオドロキのメニューが食べられます><ワニの串。味は特徴がないけれど、独特な匂いが。食べにくくはないよ> <タイの舞踊と、ガイヤーンと呼ばれる炭焼きの鶏肉。スイチリをつけていただく。すんごく美味しかったです。>今度は明治村にも行ってみたいなあ。
2011年04月17日
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実家の竹やぶを手放すことになりました。道路拡張に伴って移転するデンタルクリニックに売って欲しいと言われ、手放すことを決意したようです。田舎の竹やぶなんて、二束三文にしかなりません。でも、デンタルクリニックの先生を知らないわけではなし、困っておられるのを「嫌だ」と言える父ではありません。「もう、潮時かな・・・」とポツリと言いました。実家の父は、とてもマメな人です。そして人に喜んでもらうことが大好き。人に差し上げるタケノコ作りのため、竹やぶにいい土を入れたり、適度に陽が入るように竹を伐採したりして手入れをしてきました。早朝、3時から4時。まだ暗い中をリヤカーを曳いて父はひとりで竹やぶに向かいます。リヤカーには大きなポリバケツに水を張って載せています。タケノコは空気にふれるとすぐにえぐみがでるからと、掘ったはなからバケツに放り込み水につけて空気を遮断するのです。父に言わせれば、どんな有名な産地のタケノコだって店頭で売ってるのは空気に触れてるから既に美味しくなくなってるのだそう。土から出る前のタケノコを掘るのも、ただ柔らかいからというだけではなくて、空気に触れていないということに大きな意味があるのですって。こだわりのタケノコを実家に持って帰ると、すぐに庭に設置した大釜で茹でます。皮つきのまま、糠と唐辛子と一緒に時間をかけて茹で上げます。アルミホイルで大釜に落し蓋をして、火を止め自然にさめるまで一昼夜。普通、家庭ではできない手間と暇をかけてようやく出来上がりです。一度も空気に触れていないタケノコは、何の癖もなく驚くほどに柔らかく・・・わたしは正直に言ってこんな美味しいタケノコは他では食べられないと思っています。父は、この茹でたタケノコを友人や知人、ご近所の方に差し上げるのです。さらに父の関係者のみならず、母の友人、わたしやわたしの友人、弟やその友人、弟の嫁さんの友人へとタケノコは貰われて行きます。娘が友人にあげて喜んでもらったら、娘は友人と良い関係を保っていられるだろうと父は思ってくれています。タケノコ堀りは相当な体力と気力とコツがいります。わたしもつきあったことがあるけれど、直ぐに音を上げたくなりました。(意地っ張りなのでがんばりましたけどね)こんな大変なことをしていたんだなあと思うと、父の背をみながら涙がでそうになりました。人のために無欲になって時間も身体も心もお金もつかう父を、尊敬しています。とはいえ、父は昭和ヒトケタの生まれです。背中も曲がってきました。後姿が随分おじいさんになってきました。タケノコは美味しいけれど、身体のことを考えるといつ「もうやめようね」と言おうか悩んでいました。潮時だったのです。友人のみなさん。タケノコはお届けできなくなりました。今年は出てくるのが遅く、わたしは昨日初物を数個いただいて食べました。最後のタケノコかもしれません。長いことわたしにたくさんのタケノコと愛情をくれた父に感謝しています。父はこのブログを読んではいないけれど。でも、言いたいです。「おとうさん、ありがとう。タケノコとっても美味しかったよ。世界一のタケノコだったよ」って。
2011年04月15日
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さっきyuyumiさんのブログを覗きに行ったら、バターケーキの写真をアップしていてくれました。わたしは写真を撮っていなかった --;ということで、彼女のブログをリンクしておきます。(青字クリックしてくださいませ)名古屋の目的3つ目はレイキのフルトリートメントを受けることです。レイキという言葉は、何度かネット上でも目にしたことはあったのですが、実際にはどんなものだか知りませんでした。今年知り合った方でレイキをされる方がいたので 4月1日にはじめてのレイキ体験をしました。今回は2度目です。頭や首筋、肝臓のあたり、子宮、心臓、脚、踵、背骨 etc...に手を置いて気を通して行きます。ふわっと温かくて不思議な感じです。前回は、肝臓と仙骨からお線香の匂いがすると言われました。母との関係についても言われました。脚が地につくのを嫌がってる・・・と。思い当たることばかりでした。照太のことで「こんなふうだと思いますよ」と、とてもうれしいことを言っていただけて、あたたかな言葉を聞いていたら自分でもびっくりするくらい泣けました。(書きたい気もするのですが、モッタイナイ気もします。書いていいかどうかもわからないのでナイショね ^-^)うつ伏せで嗚咽するわたしの背中からそっと抱きしめて「辛かったですね」と一緒に泣いてくれました。その時にふくらはぎから白い煙状のものが随分たくさん出て行ったようです。今回は(身体に触れられたときにはじめて気が付いたのですが)、前回とは全く違ってとても楽に呼吸ができていました。あ・・・わたし、楽になってたんだ! と発見。前回の時は、呼吸ってどうやっていいのか混乱してしまって、息が吸えなくなったり逆に吐き出せなくなったりしてたのです。呼吸を意識しないでいられただけでも随分違います。「お線香の匂いが全くしないです。お花の香りがします。短期間でしたが随分変化がありましたね」と言われました。うん・・・自分でも気が付いていました。「こんなことがやりたいと思ってはいませんか。まだまだできますよ。脚がそう伝えてます(笑)。あなたと会いたい人が、待ってる人がたくさんいます。」って。わたしのやりたいことの中心にあることを言ってもらいました。やっぱり間違っていないんだと思えました。手立てを模索しているところだったのです。トリートメントが終わってから、照太がERにいたとき体感した不思議な感覚を話しました。「そうでしょうね。わかりますよ。素敵なお子さんを持たれましたね。」と言ってもらえて、また涙 涙 涙 でした。身体も心もふわっと軽くなって、ついでにお腹も軽くなってyuyumiさんのお店に向かいました。yuyumiさんはカレー屋さんを経営されています。(カリーと呼んだ方がいい?)(オーナーはご主人様)で、ここが また いけないことに半端なく美味しいんだな。「インド風家庭料理の店」と銘うたれた店の名前は「ゴージャス」なぜ「ゴージャス」なのかは店名クリックでHPに飛んでご確認くださいカレーはわたしの好物です。我が市でも、最近はインドカレー屋が増えました。本格的な所だけ知ってる店を挙げても6店舗くらいは簡単に挙がります。でね・・・ずっと そういう店のカレーを美味しいと思って食べて来たんだけど。yuyumiさんの主催する心理学講座に通って週に1回カレーランチするっていうのを4週続けたところ、とある変化が。何と、地元のインドカレー屋でカレーを食べても ちっとも旨くない。ん?こんな味だったっけ? 何かが足りないんだけど?ということで、他店にも調査のため(?)行ってみた。カレーバイキングにて2種類のカレーを味わうも「?」クエスチョンマークが並ぶばかり。辛さはあっても、旨味がないーーーーー!yuyumiさんに聞いたところ、わたしの舌は確かであった。インドの家庭で作っているカレーとは作り方が違うそうなのです。だから「インド風家庭料理」と「風」がつくのだって。インドに渡ったオーナーが旨味を追求して作り上げた味らしい。そうか。コクが違うわけですよ、コクが 納得しました。調理担当のインドの方が「インドではこういう作り方しない」と最初は不満そうだったらしいが、この頃では「うちはこのやりかただからお客さんがつくんだ」と言ってるそうな。わかるわー。イケナイ白い粉でも入ってるんじゃないかと思うほど癖になる味だもん。材料は安心・安全にこだわってるし、大量に使うトマトも缶詰は一切使わずフレッシュのみという一途さ。原価率がメチャ高いけれど、オーナーの一徹さゆえずっと頑張ってる。すごいぞ、ゴージャス!季節限定の「牡蠣カリー」を堪能。ああ・・・やばい・・・・・。どうする、わたし?通っちゃうかも。という濃い一日を二日にわけて書いてみました。長々とお付き合いいただいた方、ありがとうございました。
2011年04月14日
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今日は名古屋まで行って来ました。目的は4つ・学生時代からのお馴染みケーキ屋さんに超久しぶりに寄ってマスターの顔を見ること・成城石井(ちょいセレブな?スーパー)に寄ってミントのタブレットを買うこと ついでにカラートマトもあったら買うこと・レイキのフルトリートメントを受けること・yuyumiさんのカレー屋さんで相談事&絶品うまうま牡蠣カレーを食べること======================================お馴染みケーキ屋は、そんじょそこらのケーキ屋ではありません(と私は思ってる)。バターは全発酵のものを契約牧場で作ってもらってて販売もしています。小さな小さな喫茶店ですが、こだわりのケーキを作ってます。ここのバターケーキとクッキーが特に美味しくて、わたしの結婚式の引き出物にはクッキーを焼いてもらったのでした。マスターとはよく話し込みました。(マスターは某有名大学有名学部卒で学生運動にのめり込み、さらにはホテルマンを経てのパティシエ&オーナーという変わった経歴の持ち主。ゆえに話の幅が広くておもしろい!)バターケーキにいい思い出がないというyuyumiさんへバターケーキの差し入れ。そして、ここのクッキーが大好物だった照太とじいちゃんへクッキーをお土産に。マスターがお店にいなくて一瞬不安になりました。マスターは癌に罹患して数年になります。お店のおねえさんに聞いたら「元気です。お店にもいつも出てますよ。」との返事でした。・・・ほっ・・・・。と、おねえさんがわたしの目を見て言いました。「もう・・・6年生くらいですか?」照太のことです。照太が小さかった頃、小学校入学前あたりにじいちゃんと共によくこの店に連れてきていました。その時におねえさんともお喋りしてましたっけ。「いいえ。もう、高校生ですよ。」と言いました。「そんなに?・・・ああ、そうかもしれませんね・・・月日は残酷に過ぎますね。むじょうというか何ともいえませんね。」そして、彼女の目の中で涙がふわっとふくらんで溢れました。ああ、覚えててくれたんだ。照太が、もうこの世にいないことも。彼女が言った「むじょう」が「無常」を指すのか「無情」だったのかはわからないけれど、わたしと彼女が感覚を共有していることがわかりました。この頃は、ママ友ともほとんど会うことはなくなりました。照太のことを知っている人と思いを分かち合うこともありません。照太を知っている人が、照太を思って泣いてくれたことが母としてどんなに嬉しかったか。「マスターによろしくお伝えください。」と言い残して、店を出ました。ぽかぽか陽気のいいお昼、ケーキの包みを持ってぽろぽろ涙を流しながら少し離れた駐車場まで歩きました。すれ違う人が目を合わせないように伏せたり、けげんそうに覗き込んだりしました。・・・変なオバハンだよね~・・・ま、いいのだ。・・・・<これが、自慢のクッキーバター含有率高し。それが困りものなんだよなあ> <左が成城石井で買ったカラートマト。美味しいし綺麗なのでサラダのランクがあがる感じ><右が接客時のマストアイテムのタブレット。歯茎と頬の間に潜ませておけば見えません。ちょうどいい大きさに刺激的なスッキリ感。><友人に贈っていただいた神戸フロインドリーブのパイ。通称「大耳」。甘いけれどストレートコーヒーや紅茶にぴったり。凄く美味しい。わたしがもらったのに・・・一日ひとつづつ食べるのが楽しみだったのに・・・オットが2つもいっぺんに食べるのを目撃。ゆるさん もうとっくにありませぬ。友よ、サンキュー>
2011年04月13日
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中日新聞の夕刊1面にこんな記事が載っていた。阪神淡路大震災で両親を亡くした大学生があしなが育英会の支援活動に参加するために近く宮城県に入るという記事。一部を抜粋。「悲しみ 仲間と共感して」両親を亡くした子どもとして、幼い頃から何度もマスコミの取材を受けた。いつも同じことを聞かれ、答える度に言葉が軽くなる気がした。事実を知ってほしい気持ちもあったが、言葉にならないのに無理に言葉にさせられるのが苦痛だった。これを読んで胸がいっぱいになり涙が溢れた。今は大学生の彼が両親を亡くしたのは、小学1年生の時だという。数日前に、東日本大震災で両親を亡くした男の子が小学校に入学したという記事を読んだばかりだった。お母さんの遺体は見つかったが、お父さんはまだ見つかっていない。記事の中、写真の男の子は深い悲しみを目に宿し、袖口で涙をぬぐっていた。その子は入学にあたってお母さんへの言葉として「おかあさん、今までありがとう」と言い、お父さんへの言葉として「おとうさん、早く帰ってきて」と言った。・・・遺体で見つかったとしても、それは遺体でなく紛れもなくお母さんなんだ。・・・帰ってくるとしても、お父さんは多分生きてはおられないだろう。こんな小さな子が親と引き裂かれて生きていく。そう思った瞬間に、その子が照太と重なった。心が千切れる。照太の名前を呼んでいた。今日の記事の中には今時の茶髪の大学生が穏やかな表情でマイクを持って街頭活動をしている写真があった。彼のように、先日の記事の男の子が成長できますように。あたたかい人たちに見守られますように。そして。冒頭の記事の中にあった「答える度に言葉が軽くなる気がした。」という一文がわたしの頭から離れない。わたしも・・・わたしたちも、またそうなのだ。話せば話すほど、言葉が軽くなって心から離れていってしまう気がする。「悲しい」と「苦しい」と「切ない」と「愛している」と言っても 言っても 言うほどに苦い思いが湧き上がってくる。わたしの中にあふれる思いは言葉にできるような軽いものではない。もし、あえて言葉にするなら「死にたい思いを抱えてでも、生き抜く覚悟をした」としか言えない。わたしの中に息子はいるから。愛する人を亡くした者は、言葉にできない深い深い沼を心に持っている。マスコミの方に切に願う。「おかあさん ありがとう」なんて苦しい言葉を小学1年生に言わせないで欲しい。「もう 泣かない。 亡くなった家族に顔向けできないから」なんて表面だけの空美しい言葉を記事にしないで欲しい。泣けばいいんだよ。亡くなった家族も傍にいて、一緒に泣いてるさ。離れちゃって切ないんだもの、泣くのは当たり前さ。泣いて泣いて泣きまくったら、美味しいもの食べて空見て笑おう。それは決して悪いことじゃないんだよ。そう言って抱きしめて欲しい。目の前の人は、物語のためにいるんじゃない。その人は、この続きの一生を歩んでいかねばならないのだから。切に 切に願います。
2011年04月09日
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今日のバイトは午後でした。今日はまったり良い日でしたよ仕事場に到着したら五月ちゃんが受付けをしていました。(やった! 時間がずれてた!)と内心ニッコリ。アエロフロートがいないか気になりましたが、本日は午前午後ともに気配なし。心なしか会場の空気が柔らかい? なんて・・・。========================================昨日の なぞなぞ の答えです。「アエロフロート客室乗務員」の彼女は・やたらとはりきって「わたしは仕事ができるオンナ」オーラを撒き散らしておりました。 本当にできるかどうかはナゾ。・髪型はスッチー(あみちゃん、笑う?)みたくひっつめにしてある。・体型が大変ボリューミーで おっぱいも胃も下腹もお尻もボンッとしてる。 ロシアの中年女性に多い体型かな? パツパツの膝丈タイトスカートに アイロンがきいたパツパツの開襟シャツを着用。 しかも、スカートにシャツインなので身体の線がばっちりでてる。・靴はスッチー愛用の黒パンプスでヒール4センチほどのもの。 ヒールががっしりしたタイプなのはお約束。・でもって、むやみにドスドス走る。 「仕事できるわたしはチンタラ歩かないのよ」という空気をバリバリにまといながら。いつだったか・・・・昨年か、その前か?テレビCMでこんなのありませんでしたっけ?飛行機内で機内食を肉にしようか魚にしようかうれしく楽しく悩んだ挙句、客室乗務員に「ビーフ プリーズ」と言ったら固太りの怖い顔の女性が「フィッシュ オンリー」と冷たく返すっていうの。あのイメージ。はりきってくれるのは一向にかまわないのですが、嫌だったのは仕事に入る前に前日一緒だった誰かの悪口を大きな声で思いっきり言ってたことでした。「パソコンの2番までは忙しいのだから、3番4番がさっさと動いて椅子整理にまわらないとダメだよね。気が付かない誰かさんはお尻に根っこが生えてるんじゃないの?」とかなんとか。わたしたちの仕事はとっても簡単です。仕事ができるとかできないとか そんなのは全然関係ないレベルの仕事なの。こんなところで威張られてもなあ・・・・。椅子整理なんて気が付いた人がやればいいし、1番2番のパソコンの人が椅子整理にまわってたら3番4番の人がパソコン入力すればいい。それだけのことなのに。自分が気が付いてやったからって、人のことを悪く言う必要は全くありませんよね。彼女がいると、空気がピリピリして嫌な雰囲気。彼女が席を立って何かをしに行くたびに「気が付かないヤツって言われてる」ような気がするのか皆が少し緊張するのがわかりました。===================================・・・wwwどうでもいいことを語ってしまった・・・今日のスタッフは、皆おだやかで無駄なお喋りもなく快適に仕事ができました。ギリギリの時間まで駆け込む人が多かったので忙しかったけれど苦になりません。このスタッフだったら、毎日一緒にやっても楽しくできるだろうなあ。・・・と書きつつも、アエロフロートの次回のいでたちが気になってるわたしでした。怖いもの見たさっていうのでしょうかね。困った性分です。さて、今後一緒に仕事する機会はめぐってくるでしょうか。アーメン
2011年04月07日
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アルバイトも4日目。月曜日だけはお休み。今日は、AM8:15~PM2:15 の勤務でした。仕事にも慣れたので、時々マンウォッチングをして密かに楽しんでいます来場される方の中にもムフフな方々がいらっしゃいますが、それはここでは書けません。秘守義務?があるので。残念だ~~~っということで、ちょっとスタッフのお話など。スタッフは場所も時間もマチマチに組まれていますので、毎回新たな人と出会う仕組みになっています。馴れ合いを防ぐ意味もあるのかもしれない。わたしは、申し訳ないのですが 嫌だなあと思った時にはその人にニックネームをつけて楽しむ癖?があります。(好きな人にもつけちゃう時もある)ニックネームをつけると、なんだかかわいく思えて、嫌な部分も許せるというか我慢できるの。たかだか6時間のアルバイト。しかも受付けなので、ほとんどバイト仲間とは話す時間もないはずなのですが・・・いますね、濃い人。初日に出会ったのは、よく喋る女性でした。歳の頃はわかりませんが、よくいるタイプのいわゆるオバサン。ひょっとしたらわたしと同じくらいの年代?朝は来客のためにパンを焼いただの、晩御飯の用意を忘れただの、いつものパートの時間をずらしてもらっただの。聞いてもいないことを、まあよく喋る喋る。規約に私語禁止って書いてあるのに、隣に座ったわたしに私生活を喋りまくり。う~ん・・・ちょっと病的か? お仲間に思われたら嫌だなあ。はじめは適当に相槌だけうっていたけれど途中からそれも苦痛になったので聞こえないふり。仕事はきちんとやらせてくれよ~っ と心の中で泣きが。あまりにうるさいので、ニックネームは「五月(さつき)ちゃん」としました。由来は「五月蝿い(うるさい)」から。ひとりごとみたく喋ってる声を音として聞くとブンブンいってるように聞こえる。五月ちゃんは自転車で通勤しているらしい。がんばるなあ自転車にのってもひとりごと言ってるんだろうか。今日も強烈な人がスタッフにいました。「アエロフロート客室乗務員」と命名。(*本物のアエロフロートスッチーの方、申し訳ありません)あくまでイメージ。さて、どんな女性だったかわかるかな~?
2011年04月06日
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今日は午後2時過ぎから8時過ぎまでアルバイトに行って来ました。県議の期日前投票受付けです。一日6時間のバイト。中一日の休みをはさんで一週間続きます。一週間が終われば、投票があって一週間あけて、また今度は市会議員の期日前投票受付け。そして選挙当日が一日。やることがあって、ちょっと嬉しい4月。じっとしてると落ちる月だからありがたいです。さて、明日も午後2時過ぎから。元気にがんばってきま~す。
2011年04月02日
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