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これは、今、読んで身に染みるなあ! という文章を引用・紹介しようという段取りに、とりあえず、落ち着きました。文章が長くて、とても手に負えないものは、部分的になりますが、ああ、そうだよな、と感じた一節の引用です。
身ぶり手ぶりから始めよう 先日、 2024年 の 1月4日 のことです。神戸の地震の後で元町の高架下で古本屋を始めて、おそらく、高架下の再開発計画のせいでしょう、今は、元町商店街あたりで店を出していらっしゃる古本屋さんのご主人と、文庫本を買い求めるついでにおしゃべりしました。
あれとって。それではない、あれ。というような家の中のやりとりが、地震以来、力を取り戻した。身ぶりはさらに重要だ。被災地ではそれらが主なお互いのやりとりになる。この歴史的意味は大きい。なぜならそれは一五〇年以前の表現の姿であるからだ。身ぶり手ぶりで伝わる遺産の上に私たち未来をさがす他はない。
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かつて政府は内乱をふせぐという目的を掲げて、軍国主義に押し切られ、大東亜戦争敗北まできた。当初の目的は実現したが、この統一は、支払った費用に見合う効果だったか?
欧米本位の学問をキリスト教抜きで受け継いだ。岩倉使節団以来の日本の大学内の思想では、フランスとイギリスのやりかたが正統だと考えがちだが、フランスで王の首を切り、イギリスでもおなじことをし、両国ともにその反動の揺り戻しで長いあいだ苦しみ、それぞれに民主主義の習慣を定着させた。
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日本では、西郷隆盛の内乱の後、明治天皇は西郷に対する少年のころからの自分の敬意を捨てることなく、観菊の宴で、西郷をそしらずに歌を詠めと、注文をつけた。少年のころの記憶を捨てることのない明治天皇の態度は、明治末までは貫かれた。明治末に至って、つくりあげた落とし穴だった大逆事件が正されることなく新しい弾圧の時代をつくり、昭和に入って、軍国主義に押し切られて敗北に至った。
そうした成り行きを分析しないまま、米国従属の六十五年を越える統一は続いていて、地震・原子炉損傷の災害に見舞われた。
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長い戦後、自民党政権に負ぶさってきたことに触れずに、菅、仙谷の揚げ足取りに集中した評論家と新聞記者による日本の近過去忘却。これと対置して私があげたいのは、ハナ肇を指導者とするクレージー・キャッツだ。休止した谷啓をふくめて、米国ゆずりのジャズの受け答えに、日本語もともとの擬音語を盛りこんだ。
特に植木等の「スーダラ節」は筋が通っている。アメリカ黒人のジャズの調子ではなく、日本の伝統の復活である。「あれ・それ」の日常語。身ぶりの取り入れ。その底にある法然、親鸞、一遍。
はじめに軍国主義に押し切られた大東亜戦争あった。その終わりに米国が軍事上の必要なく日本に落とした原爆二つ。これは、国家間の戦争が人類の終末を導く、もはやあまり長くない人間の未来を照らすものである。このことから出発しようと考える日本人はいたか。そのことに気がつく米国人はいたか。その二つの記憶が今回の惨害のすぐ前に置かれる。
軍事上の必要もなく二つの原爆を落とされた日本人の「敗北力」が、六十五年の空白を置いて問われている。
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言語にさえならない身ぶりを通してお互いのあいだにあらわれる世界。それはかつて米国が滅ぼしたハワイ王朝の文化。太平洋に点在する島々が数千年来、国家をつくらないでお互いの必要を弁じる交易の世界である。文字文化・技術文化はこの伝統を、脱ぎ捨てるだけの文化として見ることを選ぶのか。もともと地震と津波にさらされている条件から離れることのない日本に原子炉は必要か。退行を許さない文明とは、果たしてなにか。(P60~P63)朝日新聞2011年3月31日夕刊
「初めて、店を出したのが震災の後だったので、新聞社の方がいろいろ取材してくださったのですが、あの人たちは、ご自分の、まあ、なんというか、あつらえてきた物語のストーリーに沿って、記事をお書きになるということがよくわかりましたね。私が店を始めたのは、バブルの破綻の影響で会社が倒産して、何かできることをという結果だったのですが、みんな、震災の結果のようにお書きになって、困りましたね。 同年輩のご主人の、とつとつとした語りに引き込まれて、お話を伺いながら、そういえば、あのあたりには、ボクらよりも年上の方たちが大勢暮らしていらっしゃるだろうし、生き埋めになったり倒壊したりの救助作業はもちろんだけれど、無事に家が残った方たちだって、家の中の後片付けの人手だって、ままならないにちがいなし、大きな話をすれば、あのあたりには片手を越える原子力発電所があるはずだし・・・・
もちろん、私も震災を体験したんですが、それとこれとは違いますよと今でも言いたいですね。
今回も、この寒空の下で避難所暮らしをしておられること思うと、たとえ1円でも、何か手助けをと思うのですが、ネットや新聞の記事というのは、今一、信用できませんね。」
「それはどうなっているのか?」 何にも伝わってこないなあと思いながら、十何年か前の この文章 を読みました。テレビ画面やSNSの画像の中に映る、 人々の「身ぶり」 に目を凝らして見守りたいという心境になりました。笑えませんね。
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