話飲徒然草〜Tokyo Meanderings

話飲徒然草〜Tokyo Meanderings

2017年01月18日
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カテゴリ: エッセイ


今回は少しだけワインに関連した絵をとりあげたい。表題の「ボルドーのミルク売り娘」が描かれたのは、1827年。ゴヤが死の床につく数ヶ月前のことだ。ゴヤとボルドーと聞いて、ピンと来る人は相当の絵画通だろう。実はゴヤが人生の最後の時を過ごしたのが、かのボルドーの地なのだ。

ゴヤといえば、「裸体のマハ」「着衣のマハ」や「カルロス4世とその家族」などの傑作たちがまず頭に浮かぶが、今回は主として「黒い絵」に代表される彼の後半生にスポットをあててみたい。

ゴヤの生涯は波乱に富んでいる。鍍金師の息子として生まれた彼は、17歳の年に野心に燃えてマドリードに上り、紆余曲折を経て、43歳にして宮廷画家の地位を手に入れる。しかし、4年後、突然の高熱に襲われれて、聴覚を喪失、以降の生涯を静寂の中に生きることになった。そしてこのことがその後のゴヤの画風に大きく影響する。その後、社交界の花形アルバ公爵夫人とのスキャンダラスな関係?があったり、不安定な政情の元でのしたたかな世渡りを経て、主席宮廷画家の地位まで上りつめるが、1819年、73歳の時に、マドリード郊外の自ら「聾者の家」と呼ぶ別宅に隠棲する。この隠宅の壁に書かれた14枚の絵が「黒い絵」と呼ばれるものだ。

広いプラド美術館の中のスペイン絵画を中心にした2階の明るいフロアから、一階の南端のフロアに下りると、そこだけ、突然、暗い、一種異様な空間が現れる。ここはゴヤの「聾の家」の内壁を再現しているのだそうだ。「黒い絵」は元来、しっくいの壁の上に油絵の具で描かれた壁画だが、1873年、当時の「聾者の家」の所有者であったデルランジェー男爵の意志で、キャンバスに移された。


「黒い絵」の中でも、おそらくもっとも有名かつ衝撃的なのが、この「我が子を食らうサトゥルヌス」だろう。
サトゥルヌスはユピテル(ゼウス)の父。彼は自分の子が彼の支配権を奪うという予言を聞き、生まれる子を次々と貪り食った。(幸いにもユピテルは母レアの機知に救われ、野の精であるニンフたちに育てられる。)ゴヤの描く獰猛な食人鬼のようなサトゥルヌスは、血に染まる子供の肉体の生々しさとあいまって、見るものに総毛の逆立つような戦慄を覚えさせる。しかし、画題の恐ろしさだけだけでなく驚嘆すべき筆さばきにも注目である。たとえば右足の部分。陰影となる部分は地の黒をそのまま残し、まるで書道のような筆致で最低限の彩色をほどこしている。まるで、剣の達人が、文字通り「紙一重」で相手を寸断するかのようだ。



「魔女の集会」(上)「サン・イシードロ祭」(下)も同じ一階食堂の壁面を飾っていた作品で、いずれも「黒い絵」と呼ばれるにふさわしいおどろおどろしい画面と筆致である。


二階のサロンに飾られた「スープを飲む二人の老人」の主題は不明。左の老婆がスプーンを指差し、右の骸骨のような老人が分厚い本をを指差しているところから、知識人を嘲笑し、物質主義を笑う図かもしれないと解釈する評論家もいる。


「殴り合い」。膝まで土に埋まり、身動きの自由を奪われた二人の農夫が血まみれになりながら棍棒で殴り合っている。ゴヤ自身の啓蒙思想と愛国心との葛藤を表しているとも言われる。

本来ならば画家が心身ともにもっとも寛げる場所であるはず隠宅の壁に、誰に見せるでもなく、自分のためだけに描いた、おどろおどろしい一連の絵画。このような絵をゴヤに描かせしめたものは一体なんだったのだろうか。
解説書の類には、「聾者になったことが、ゴヤをペシミズムに向かわせ、このような絵を描かせた」とするものがある。しかし、それはちょっと端折りすぎではなかろうかと思う。ゴヤが聴覚を喪失したのは46歳のとき。このことがそれ以降のゴヤの作風を変えたことは否定できないかもしれないが、一方で、美術アカデミーの絵画部長になったのも、主席宮廷画家になったのもそれ以降のことである。アルバ公爵夫人と1年の間、サンルーカル・パラメータで一緒に過ごしたのも50歳のときの話だ。聴覚を失ったことによって、決して隠者のような生活に様変わりしたわけではなかったのだ。

では、なにがきっかけだったのか。実のところ「黒い絵」に関しては、その謎だけをテーマにした本が少なからずあるくらいなので、ここでは触りだけにとどめておきたいが、いくつかの節目となった事件を挙げてみると・・。

1802年 アルバ公爵夫人わずか40歳で没。

1807年 フランス軍、スペインに侵攻。



1819年 「聾者の家」購入。しかし、この年の末、重病に陥る。

1807年ナポレオン軍のスペイン侵攻では、ゴヤは告発者として、「マドリード1808年5月3日」のような傑作を生みだした。同時にこの事件はまた、それまでの平穏な宮廷生活の崩壊をも意味していた。

ゴヤとの関係が当時噂されていたアルバ公爵夫人はわずか40歳で他界した。さらに、長年ゴヤを支えた妻ホセファも1812年に死去。ところがゴヤはそれで隠棲するかと思いきや、ホセファが死んだ後、若い家政婦レオカディアと同棲を始め、子供まで設けている。このとき実にゴヤ69歳。自由主義者であったレオカディアは、ゴヤとの関係をあっけらかんと隠しもせず、当時主席宮廷画家であったゴヤにとっては、あまり世間体のよいものではなかったようだ。実は、聾者の家を購入したことは、このことも影響しているらしい。




「聾者の家」は購入後かなりの増改築を施さねばならかった。それが負担となったのか、はたまた寒気にあてられかで、ゴヤは病に臥すことになった。当時73歳のゴヤを治療した医者アリエータを書いた絵が残されている。その描写たるや、まさしく迫真のリアリズムである。

さて、その後、ゴヤはフェルナンド7世の自由主義者弾圧を避けて、ボルドーに亡命することとなった。時に78歳。80に手が届こうかという老人が住み慣れない国に移住しなければならない辛さは想像を越えるものだっただろう。

しかし、そのボルドーの家に、ロバの背に乗って毎朝ミルクを届けに来た乙女を描いたこの絵には、もはや絶望的なペシミズムは見られず、明るく、詩的で叙情的な雰囲気とどこか吹っ切れたような透明感に満ちている。私はこの絵を見るたびに、モーツァルトの最後の交響曲となった「ジュピター」の旋律が脳裏に浮かぶ。
ゴヤが死去したのはこの数ヵ月後のことだった。享年82才。
晩年「黒い絵」を描きつづけたゴヤが、終の棲家となった地で、このような優しさと美しさに満ちた絵をもってその画業を終えたことに、私はすこしばかり心やすらぐ思いになる。そしてその地がほかでもないボルドーだったということにも。


S’s Art 参考図書・引用文献(2001年当時)
「名画の見どころ読みどころ」1~10(朝日新聞社)
「西洋絵画の主題物語 I 聖書編」(美術出版社)
「西洋絵画の主題物語 II 神話編」(美術出版社)
「西洋絵画史WHO'S WHO」 (美術出版社)
「ラ・ミューズ」1~50(講談社)
「図解・名画の見方」(別冊宝島)
「絵画の読み方」 (別冊宝島)
「芸術と歴史の街アッシジ 」
「地球の歩き方~フィレンツェ編、イタリア編、ローマ編」
「週刊グレートアーティスト14、52」
「世界の名画と巨匠50人」(世界文化社)
「RAFFAEELLO」 (SCALA BOOKS)
「プラド美術館」 (SCALA BOOKS)
「世界の名画1~ゴヤ」(中央公論社)
「ベラスケス」(ノルベルト・ヴォルフ著 TASCHEN)
「モネ」(クリストフ・ハインリヒ著 TASCHEN)

ジオット ~ 小鳥に説教をする聖フランチェスコ(S'sArt拾遺集)
ラファエロ~草原の聖母 (S'sArt拾遺集)
モネ  「印象~日の出」(S'sArt拾遺集)
ゴヤ~「黒い絵」とボルドーのミルク売り娘(S’sArt拾遺集)
フラ・アンジェリコとフィリッポ・リッピ(S's Art拾遺集)
鉄道(サン・ラザール駅)〜マネ(S’sArt拾遺集)
ラファエロ~ガリテア (S’sArt拾遺集)
モディリアーニ  ~ 黄色いセーターのジャンヌ・エビュテルヌ(S’Art拾遺集)

「S 'Art」の記事は こちらのアーカイブ にもあります。
http://www.asahi-net.or.jp/~mh4k-sri/





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shuz1127 @ Re[1]:祝日セール情報1103 Holiday Sale Info(11/03) Echezeaux14さん、お久しぶりです。 10月…
Echezeaux14 @ Re:祝日セール情報1103 Holiday Sale Info(11/03) お久しぶりです。 ワインと関係ないです…

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