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午前中、接骨院へ行って、調整して貰ったので、ついでに亀田のジョイフルへ。ついでって距離じゃないんだけど、まあ、いい天気だったから。すごーく久しぶりに来たので、マイナー極まるコーナーのレイアウトが変更されており、DMCの糸を探して、ウロウロ。(広いんだよ、すごく...)全く関係の無い、アンティーク家具売り場なんかも覗いたり、画材を見たり、ビーズを見たり、陶芸コーナー、その他色々。ああ、コレいいなぁ、やりたいなぁ、なんて思いつつ、でも、手を出せない。趣味は、インドア1、アウトドア1にすると決めたから。あれこれやらない、見るだけ、見るだけ~。で、何の脈絡もなく、パッチワークコーナーに、ちょこんとあったDMCのラック。微妙に埃を被っており、ほとんど売れてなさそうな、風前の灯に近い気が...。お目当ての、838番をゲット。ひとかせ、105円。通販で買えば、65円なのに。でもって、ここへ来たからにゃ、絶対、食べたい物がある。岩船漁港のたこ焼きである。無論、購入。6個入り、350円で、かなーり美味しい。生地が違うのよ。で、隣でクレープとコーヒーも買う。クレープは、絶品。生クリームが違う。これで250円は、かなり安いと思う。牧場が経営してるだけの事はある。しかも、コーヒーは100円なのだ。一瞬、ありん?と思う、香りとか気にしちゃいけない。コクを楽しめ!って感じの、マックよりゃ美味いが、まあ、100円だから的な味だったが、取り敢えず質より量で...美味いコーヒーが飲みたけりゃ、2Fの専門店へ行けと自分に言い聞かせ...。ラーメンも食べたかったが、おばちゃん、もう若くないから腹が一杯なの。ここまで来たのに残念だ。その後、下のムサシで物色。木材から何から全部、見て回る。ここのホームセンターは、自分で、家1軒くらい建てられる品揃えなもんで、お気に入りなの。いや、遠くまで来た甲斐がありました。心おきなく、ちくちく再開できます、はい。
2009年11月25日

さてぇ、久々に認知フロア勤務になったオイラ。ここは、のんびりしてて、いいねぇ~。日頃いる60名フロアは、休む間もない戦場だからなぁ。。。認知症軍団40名。20名の違いは、大きな違い。40名くらいなら、起こしも楽だし、誘導も楽だ。と、思える。日常が日常だけに...。しかし、食介が始まると、ストレスメーターは、切れんばかりに振り上がる。認知症=覚えておけない=何を言っても通じない=何度でも同じ事を繰り返す。暫く重度の認知症から離れてると、クるなぁ。^^;施設では、認知症の人を特別扱いはしない。普通の人と同等に接するのは基本なもんで、普通に会話する。「はい、Aさん、食事が来ましたよ、口を開けてください」「おねえさん、おしっこ」「はい、管入ってるから、おしっこ出ちゃってますよ、確認しますか?」「いいです」食介、ひとくち食べて、「おねえさん、おしっこ」「はい、管入ってるので、おしっこ出てます、確認して下さい」「いいです」食介、ひとくち食べて、「おねえさん、おしっこ」「はい、管が入ってるので、おしっこは出ています、確認してみましょうよ」「いいです」食事開始から終了まで1時間、これを繰り返す。フォーレ(尿道に管が入っている)の場合、尿意は無いはずだが、Aさんは、思い出したように「おしっこ」言い始める。昔は頻尿で常にトイレを気にしている人だったから、頭に、おしっこ行きたいが、こびりついてるんだろうね、ってのが職員の見解。きっかけは、誰かが、トイレと言うと、自分も行かなきゃと思って、そうなる。他の人を構ってると、自分も構って欲しくて言い始める。体は問題ない、普段は、おしっこなんて全く言わないが、これらのきっかけで、特に構って欲しい時に言い始めて、ドツボにハマる。終いにゃ、ナースに怒られる。お茶を取りに廊下を行くと「おいおい(^_^)」Bさんに呼ばれる。「はい、Bさん、こんにちわ^^」「んぼぉ~、んん~、あれよ~」「はい、元気ですよ~、Bさんは元気ですかね?」「んだ^^」ははは、相変わらず。「あれ、もう、ごちそうさまですか?」「ん」「入れ歯、外してもいいかね?」にこぉ~、と笑って口を開ける。が、ここで安心して手を入れてはいけない。片方の手で、しっかり口を押さえてから、もう片手で外す。でないと、がっつり噛み付かれる。認知症、力の加減はしない。入れ歯の入った状態で、がっつり噛まれると、怪我をする。Cさんの席を通りかかる。「オイッ!、オイッ!」「何でしょう?」「あれよ、ほら、あれだ、なんだ」Cさん、スプーン片手に、何か言おうとしているが、うまく思考がまとまらない。「Cさん、親方が今日は雨だから休みだって言ってましたよ」「そうか、ほじゃ、そうするわ」ごはん、再開。元職人のCさん、常に仕事の事を気にしており、職員が近づくと、焦って仕事の段取りをしようとするが、「ほら、あれだ」と言うのが精一杯。食事風景は、大勢の1~3歳児が食べている状態と思ってください。人間、最初と最後は手掴みで食べるんだなぁって、ここへ来て思いました。手掴みで食べて、人の顔見て、にこぉ~と笑うところなんか、幼児そのものです。いいんです、どんな手段でも、食べれば、それで。そう思わないと、やってられません。食後は順番にトイレ誘導です。認知が進んでくると、尿意も便意も無くなります。あ、いや、正確には、尿意はあっても、おしっこしたい=トイレに行くという行動に結びつけられなくなるんです。結果、漏れる、だから定期的にトイレに連れて行く。人間、おしっこなんか出ないと言っても、時間が来れば、必ず出ます。たまに、「貯めジョン」と言って、排泄スパンが長く、定時誘導で出ない人がいますが、まあ、数名なので、必ず全員、うまく言いくるめて、トイレに誘導します。ここで必ず、立位不安定、転倒する可能性大のFさんが、動き出します。徐に立ち上がり、「ねぇちゃん、どうしよ?」「Fさん、誘導のおねえさんが来るまで座ってましょう^^」「そう?そうしよか...ねぇちゃん、あたし、どうしよ、こうしよか?」座った2秒後に立つ。(--;)重度の認知症は、人の言う事は、ほとんど聞きません。いや聞きますが、すぐ忘れます。何度も立ち上がるのは、他の人が、次々に、何処かへ連れて行かれる為、自分もと焦るからです。かと言って、Fさんを真っ先に連れて行くと、今度は、終わった人の居る場所で、動き始めるから目が離せないんです。目が離せない人は、結局、最後になります。どのフロアも、転倒の危険があるので、見守り要員が必ず1名おります。一見、ぼーっと座ってるだけのように見えますが、神経すり減らしてフロア全体に目を光らせています。その間、コールが鳴ろうが、他の職員に呼ばれようが、見守り場を離れられません。担当の日は、憂鬱です。危険行為を見かけたら、すぐさま駆け寄り対応します。応援を呼びます、来なけりゃ、自力で何とかする他ありません。他の職員が、どんなに忙しそうでも、手伝いに行けず、心苦しいです。見守り業務は疲れるので皆、嫌がります。だから、誰か(例えばナース)が、ちょっとならココにいられるよ。なんて言おうものなら、ホイホイまかせて、起こしに行っちゃいます。ちなみに、1日中、見守り業務はツライので、半日交代、早番の仕事です。とまあ、認知フロアは、丸1日中、こんな調子なので、体は、まあまあ楽だけど、心がツライ。ここ最近は、ほとんど、認知フロアに来ないので、たまに来ると楽しいけれど、昼までには嫌になる。元々、このフロアにいたのになぁ、おかしいなぁ、なんて思う今日この頃です。
2009年11月24日

平日だから、ちょっと買い物に出たんだけど、何でこんなに混んでるんだろう?と思うくらい人が居て、スタバも混んでて、いつも、ガラガラのラーメン屋にも人が並び、おかしいな、と思ったら、祝日だった。気付かなかった...。介護職になって以来、国民の休日が適用されなくなって久しいもんで、休みの感覚が人と違っている。万が一、土日に休みが当たっても、その日は、出かけないようにしたりして、すっかり平日休体質に...。夜勤明け、バディと温泉に行こうと盛り上がったが、明けが日曜と気づき、次回繰り越しとなったりするくらい、一般の人の休日に行動しなくなっている。理由は、のんびり出来ないから。平日、ほとんど人の居ない所でしか遊ばなくなると、土日の人混みは、うざい以外のナニモノでもなく、並んで買い物なぞ遠慮したくなり、孤独に拍車がかかるちう寸法だ。この孤独に耐えられなくなった人が、会社員に戻ってゆくってワケだいね。で、まあ、弊害と言えば、今までお付き合いしていた、友達とはほぼ遊べなるって事で、中のよい友達と遊ぶのは、休日合わせた年に2回くらいとなる。こちとら、月末にならなきゃ次の休みなんか分からないんだから。ねぇ、再来月さぁ、有給合わせて、旅行に行こうよ。なんて言われても、無理ってもんだ。遊びに行く理由じゃ、3日も休めないよ。って事で、毎度、休日には、孤独に遊んでいるワケで、たまには、人と遊びたいなと思う。基本、1人が好きだが、たまにはね。変則休仲間が欲しい今日この頃。難しいのが、気の合う変則勤務者。一緒に遊べるとなると、もう、絶望的かもしれない。引き籠もり=ストレス=ヤケ食い。う~ん、何とかせねば。。。
2009年11月23日

DMCの糸が切れた。2年くらい前の記憶だが、確か「トーカイ」に、DMCが置いてあったハズ。あまり好きな手芸店ではないが、背に腹は替えられないので出向く。オリムパスの糸しか見あたらないので店員に聞いてみた。番号が分かれば、と言うので、番号を言うと、オリムパスの中から似た色を探せと言う。ハァ?そんなオチか?さも当たり前のような口調で、番号が分かれば似た色が探せるって、そんな事わかっとる。DMCの糸は、入手可能か知りたかったのに、この回答はないだろう。だったら、あるか聞いた時点で、「すみません、置いてないんです」くらい言えないのか。手順的に、その後で、オリムパスでも差し支えなければ似た色を探せますけど、だろう。もう、何言ってんの、DMCなんか無いわよ!っての感じで、ムッとしてるのは何故だろう?常連でもない客が、お前の店の事情なんか知るか!と思いつつ、店を出る。前は、もっと親切だったんだけどなぁ...。聞いた店員が悪かったんだろうか。はぁ、あとDMCの糸を置いてあるのは、亀田のジョイフル。しかし、亀田まで行く気力が無い。古町あたりで売ってないかな。こんな田舎で、100色単位のクロスステッチなんかやっとる好き者は、いないんだろうか。いたところで、販売と言う観点から見て、絶対数が足りなくて、DMC全色、置いたところで、在庫抱えて、しまいには、糸焼けて撤去と相成るのだろう。その証拠に、新しくできた店には、置いてくれて、うれしいと思っていると、いつの間にか無くなっているのが常だ。糸ひとかせの為に、何十倍の送料払って通販と言うのも悲しいので、気に入らない店ででも買わなきゃならない田舎の事情。はぁ、こんな時、吉祥寺が懐かしい。ユザワヤさえあれば...。東急ハンズさえあれば...。生活面では、他の地方都市よりもダントツに恵まれているが、趣味分野では、まだまだド田舎を脱せない新潟。未だ、ステッチャー仲間見つからず、孤独にちくちくしているオイラ。クロスステッチと言えば、昔、手芸店に置いてあった、大きな枡のオリムパスのキットしか知らないと言う人が多い。だから、クロスステッチの世界は、奥が深いんだってば!如何に少ない分量の糸で、効率よく刺すかを競う頭脳プレイなんだってば。最小限を追求するゲームなのよ。何カウントで何目刺すかで、糸がどれくらい必要か計算で求める。うわ~、見誤ったぁ~!なんて事もあり、単純だけど、やめられないのよね。糸はおろか、針さえ売ってないマイナーさ。いや、決して、オリムパスの糸がダメなワケじゃない。オリムパスの糸も好きだよ。でも、DMCで刺してて、DMCが購入可能ならDMC統一で刺したいだけなんだ。20年以上前の、ビオレーの余剰糸だって、大切に保管して、未だに使ってるオイラ。(糸は焼けていない)こりゃあ、DMC400色揃えるしかないかも。と去年辺りから思っているが、未だ実行されていない。仕方がないので、欲しかったけど我慢してたキットともうひとつ、持ってるキットを刺し終わった時点で、刺そうと思ってた図案の糸を買い込む事にしよう。して、資金は?今月のフーレ、キャンセルで。腰が痛いのに...。(T◇T)
2009年11月23日

久々のクロスネタ。まあ、勤務の合間にぼちぼちと進んではいるんですがね。こんな感じでふ。あと、ちょっとで完成ですな。と言っても、1ヶ月以上かかるでしょうが...。作業場を和室に引っ越し、なかなか寒い今日この頃。暖房器具が無いもんで...。しかも、DMCの838番が切れた。^^;通販で買うしかない!でもって、施術用ベットでくつろぐセクシーダイナマイトな、お嬢。はい、椅子もこの調子。とてもじゃないけど、カバー無しでは置いておけません。猫が平気な、お客様のみ受け付けております。(--;)
2009年11月22日

昼食前、ばーちゃん達が歌を歌っていた。軍歌である。オイラ、一応、自衛隊マニアだから、こおゆう事に詳しい。ちなみに、軍歌は全部、歌えます。若い職員は、???って顔してたけど、歌ってる歌で、何をしているのかすぐに分かった。兵隊さんを送り出しているのだ。声かけすると、笑いながら、泣きながら、昔話をしてくれた。「昔ねぇ、この歌で送り出したんだよ^^」「こうやって、タスキかけて、旗振って、みんなでね」「ばんざーい、ばんざーいって」うん、うん、と周りのばーちゃん達、頷く。「恋人、送り出したの、死んじゃった」「兄はねぇ、ガタルカナルへ行ったの、 着いた時には、何も無かったんだって、 勿論死んじゃってねぇ、死んだ後に手紙届いて、可愛そうだったよ」「従兄弟は、特攻に志願して、出撃する2日前に戦争が終わっちゃって、帰ってきても、恥ずかしくて表を歩けなかったの」ガ島と言えば、高度経済成長期をちょい過ぎ生まれのオイラでも知っている。生きて帰れる筈もなく、特攻で生き残るも恥。皆で神社に集まって、送り出す四男、三男、二男、長男、順番に。出兵の数日前、急いで結婚して、跡取り残せたから、離縁されずに済んだ。ダンナ死んじゃったけどね。近所の人は、ダメだった。なんて、そこらじゅうであったんだよって。死んでナンボだった先の戦争。若い職員には、理解の限界を超えるようで、しきりに、質問していた。^^;そして、同席していた、出兵経験のあるじーちゃん達。大陸行った、内地で戦った、シベリア抑留されてた。「こうやって、送ってもらったの?」と若い職員が聞くと、「やってもらった」と答える。内地で戦った人は、お金が貰えなかったんだよ。このじーちゃんは、外行ったから貰えたとか、そうゆう事も教えてくれた。出兵して帰ってきて、また行ったとか、俺は、戦後に嫁貰ったとか、今、そうゆう人達が、施設に入っている。非常に我慢強い。出兵経験者のじーさんは、何も言わず、黙々と静かに日々を送る。(時々、ヘンなスイッチが入り、兵隊モードに突入するが...)ばーちゃん達は、陽気に歌って話して、日々を送る。若い職員がふざけて、イタズラしても、笑って許す度量がある。しっかり、ちゃっかり抜け目もない。90前後の、ご老体は、だいたいそうである。しかし、生まれが昭和2ケタに近づくにつれ、ちょっと違ってくる。口は達者、やる事やらずに言い訳三昧、我が儘放題、主張と文句も出し放題。依存心の塊な人、多し。戦前に成人していたか否かでは、こうも違うものか。と、かなり年下のオイラでも、如実に思う今日この頃。失礼な話だが、これから、団塊の世代が入り始めたら、どうなっちゃうのかな?って、正直なところ、相当、心細い。今、施設入所中の中でも、上の方にあたる、ご老体は、戦争によって、少なからず人生を曲げられてしまった人達。決して、いいケアが出来てるとは思えない環境だけど、ここはいいよ、あったかいし、ご飯も出てくるし、と言ってくれる。すっごく、頑張った人達だから、オイラは、つい、ちょっとだけ、えこひいきしてしまう。老健の介護士としては、どうかと思うが、最後くらいと思うと、つい、うっかり。ばーちゃん達は言う。「死に損ないの面倒見てる、あんた達が気の毒だ」と。「いやいや、あたしら金貰って、やってんだから、気にしなくていいんだよ^^」と返す。クソババア!と思う時あり、ありがとうと思う時あり、介護は、ほんとに3Kで、常に危険がつきまとい、体キツくて、心腐ってやんなって、もう嫌だ!と思っても、何故かやめられない不思議な職業です。彼らの戦争が終わるまで、もうちょっとだけ、もうちょっとだけ。そう思って、1年半が過ぎようとしている。
2009年11月19日

土下座で、「離婚して下さい!」と頼む夢。う~ん、リアルだ...。事の発端は、すごーく貧乏で、女房も養えないクソカスのくせに、90万円(しかもローンで大型犬)出して、新たに犬を買った事にブチキレた為である。ウチには、既に1匹犬がいて、やっと飼ってる状態なのに、ローンでまで、もう1匹なんて、許せない。借金してまで犬飼うくらいなら、住宅ローン払え、ばかやろー!もう、我慢の限界!って事で、最終的に、渋々、離婚を承諾させる夢である。勿論、全て夢の中の設定であって、現実には、ウチで犬ころは飼っていない。何故、そんな設定の夢を見たのかは謎であるが、脳が何かを整理しようとしたのであろう。。。一体、何を?それとも、これは、願望だろうか?朝方の夢は正夢と言ふ。そろそろ独りになりたいオイラ。あと体験してない人生のイベントって、離婚と再婚くらい。過去、ケンカする度に、離婚、離婚と言い過ぎて、狼と少年化していたので、本気でこの単語を出しても信じて貰えなくなってるから、そんな設定の夢になったのかもしれないなぁ。なんて思いつつ、職場でみんなに話すと、大爆笑が取れた。ウケた、ウケた。^^
2009年11月18日

足部反射区療法よじべえです。備品の金を払いに師匠の店に行くと、研修結果を伝達するちう事で、変更された反射区やら施術方法やら、診断方法やら、経絡の事やら、盛りだくさんで、2時間半。3日間、朝から晩まで、みっちり老師から受けてきた中の、最も重要な所を集約して教えてくれた。特に、追加変更された施術方法、施術者の身を守る方法は重要で、新たに分かった事も加わり、ふむふむふむむ。メモメモ。これらは、今後の施術に反映してしていかなきゃならない。しっかし、この広がり、この複雑さ、中医学ここにあり!と言う感じで、いやはや。^^;すごーく勉強になると同時に、まだまだ、やらなきゃいけない事だらけと、改めて思う。勉強せなアカンよ。。。ちらっとだが、師匠の師匠にも、会えた。^^我が師、近頃、やっと師匠と普通に仕事の会話が出来るようになったそうだ。で、聞いた話、老師方の高齢化が進み、いつ何時、旅立たれてもおかしくない状況になってきているそうで、なかなか日本まで来ての講義が難しくなりつつあり、師匠が中国で世話になった大老師も例外でなく、とても心配していた。オイラ、本業(介護)が忙しくって、毎日と言うワケにはいかないけど、お声がかかった場合のみ、施術してますんでね。今回も、覚える事満載。しかも、今度、弟子が集まって、技術を見せ合う会があるので、休みだったら参加しようと思っている。我が師の弟子で、完璧に独立開業しているのは、2名。すちゃらか開業1名(オイラの事だ^^;)旅立ったきりの弟子、数名。資格取得中の弟子、多数。だそうなので、楽しみである。資格なんて、勉強すれば取れる。開業して続けていくのが、一番大変よ。師曰く、てらちんは、本業が過酷すぎて、こっちまで手が回ってない状態だから、誰かに手伝って貰いなさい、勿体ないから。ちう事で、誰か、部屋作るの手伝って下さい。なぁ~に、TV運んだりパーテーション作ったり、着物片付けたり、ネコトイレを何処に置いたらいいか考える、そんなレベルでふ。気力が無くて、それが出来ない。肝、胆、腎をいじって、やる気を出せ!と励まされ、帰ってまいりました。今日は、師匠の心、肝、副腎、腎、首、血圧点などをいじって、ついでに歯もいじって、コーヒー飲んで菓子食って、師匠の店は居心地がええなぁ。ウチも、こんな風に居心地よく作れたらいいな、なんて思いながら。帰ってから、やる気の出る経絡をいじって、ちょとスッキリ。師匠、ありがとー!
2009年11月16日

さてぇ、本日、インフルエンザの予防接種が行われました。この時期の恒例行事。余程の理由が無い限り、「否」は、許されません。人の命を預かる者の義務であります。利き腕に撃って、万が一の事があると、役に立たなくなるので、違う方の腕にブスッとな。注射自体は、すっごい上手い人が打ってくれるので、痛くないんですが、2分後くらいから、だら~んと、腕の力が抜け、全く、お役に立たない状態に...。おいおい、起こしが残っているのに、こりゃヤバイんでないかい?注射位置より下が、怠くて、力が入らない。それでも何とか起こし終わる頃には、腕全体が怠くなる。手先が痺れる。帰る頃には、両腕がおかしくなる。顔が熱くなる。まいったな、明日、夜勤なのに。。。取り敢えず、寝る。
2009年11月13日

夜勤明け、4時間ほど寝て、講習会に出かける。本日は、ノロとバリデーション。栄養科からのお願い付き。バリデーションって、なんじゃやらほい?バースデイトバリデーションなら知っとるが、とか思いながら受けに行きました。バリデーションとは、認知症高齢者とのコミュニケーションを通して感情レベルに訴える方法論だそうで、簡単に言えば、精神的ケアが如何に重要かちう事と、認知症のレベルに応じて、コミュニケーション方法を変えつつ、感情のケアをしましょうって事で、実例を挙げながら実習もしながら、要するに、いつもやってる事を論理的に解説してくれたっちゅーワケで、介護の基本「傾聴と共感」をより明確に論理立ててと言ったところ。介護を職業にするにあたって、最初に「傾聴と共感」を徹底的に叩き込まれるのだが、老健なんかで働くようになると、やりたくても出来ない状況にブチ当たる。理由は、絶対数の職員不足。職員のジレンマでもあるし、ここで腐って辞めていくか、傍若無人な職員に化けるか、出来る範囲で割り切ってやっていくか、分かれ道である。まあ、今更、現実云々、言った所で、どうにもならんので、出来る範囲で職務に励むしかないんだけど、それでも、気に毒だなぁって思う事の方が多いもんで、こうゆう、講習会があったりすると、考えさせられるんだよね。本音は、こうゆうの、じっくり出来たらいいのになぁ、だもん。よくTVなんかで、介護の現場なんて、やってるけど、見てると、年寄り相手に笑って話したり、一緒にゲームしたり、散歩したり、程度の良い人の食介くらいしか映ってないから、楽に見えるかもだけど、実際、その裏の現実なんて見た事無いんだろうな、きっと放映できないんだろうな、と思う。この手の講習会なんか行く度、思うんだけど、理想と現実は違うよ。人間相手だからね。と思うオイラであった。と、同時に、家で介護する方向に動くんだったら、家族が参加できる機会を、もっと多くするべきだろうとも思う。論理だけじゃなく、実践主体でね。ロクに現場を知らない、頭でっかちじゃ困るんだよね。色んな知識やノウハウは、必要だけど、実践が伴わなくては意味が無い。今回のバリデーション講習は、おもしろかったので、早速、試してみようと思う。帰宅願望、カモーン!「死にたい」と訴える人に対しての対応も試してみたいと思う。今まで、「もう死にたい」との訴えには、「そうですか、私も常日頃から、死にたいと思っていますが、死なせて貰えません、Aさんも、お迎えが来るまで生きるしかないですねぇ^^」なんて、答えていましたが、これからは、「一番、死にたくなる時って、どんな時ですか?」と聞いてみる事にします。一瞬、酷いと思うかもしれないけれど、理に叶っていると思います。なぜ、死にたいのか、理由が分かれば対応できる。理由が言えない、自分は何故死にたいのか考える。言わなくなる。なぁ~るほどぉ~、です。
2009年11月09日

貴様と俺とは、同期の桜。同じ施設の庭に咲く。今日、勤務が終わってから、同僚の見舞いに行ってきた。彼女とは同期で、仲良しだ。仲の良い同僚と、同期の見舞いに行く。病院へ向かう車の中も、病院でも、とても楽しかった。ゲラゲラ笑いながら、気の許せる同僚でしか話せない事を存分に話し、スッキリして帰る。この歳で、仲の良い同期が出来るってのは、夢のような話で、大方の場合、心許せる同期が居るのは、せいぜい、最初の就職先くらい。後は、同期なぞ居ない一匹狼的存在。まさか、この歳でねぇ、と感慨深く、何と幸せな事よ。と思わずには、いられない。実は、この病院、十数年前に自分が入院していた所で、昔の記憶を頼りに、同僚を乗せて出向いたのだ。確かねぇ、駐車場があって、夜間でも面会できたハズ。一緒に行こうと言いつつ、全く勤務が合わず、同僚、夜勤明け、オイラ、日勤L。このチャンスしか無い!しかし遅番が1人休んで、本来ならリーダーであるオイラが居残りしなきゃならねぇ状態。がっ、ここでも助っ人が...副主任が残ってくれると言う。マジですか!ええんですかっ!!オイラ、見舞いの事は言ってないので、本当にらっきぃ以外のナニモノでもなく、ありがたく、お願いして職場を後にした。見舞金と見舞いの品で迷いつつ、気遣い無用の「品」の方で。どないな状態か分からないので、日持ちして、本人が食べられなくても、家族が食べてくれそうな物、加え、この時間で空いてる店となると、大阪屋ですかい。何を買って持って行っても、適度に喜ばれ、間違いないのが大阪屋です。ほとんどの新潟市民は、大阪屋が大好きです。うん、それにしましょう。って事で、7時ちょっと前に病院到着。えーと、確か...案外、忘れてるもんですねぇ。何となく見覚えありますくらいの感覚でした、ははは。恐る恐る入った病室。思ったより元気で、TVなぞ見ており、普通に話せて安心しました。本人、そんな重たくないから大丈夫と言ってましたが、やっぱり心配でした。身に覚えあるしぃ...。術後、動けるようになってから、どんだけヒマかも分かってるしぃ。動けて、歩けて、話せて、本当に良かった。ここの病院のナースは、優秀なの知ってるけど、ちゃんと面倒見て貰ってるかな、とか色々と気になってたもんで。後は、退院後、しっかり休んで復帰してくれたらね、もう、それでいいです。先月、皆にはナイショにして欲しいんだけど、と話してくれて、奇しくも同じ病院に入院すると言うので、入院前、知っている限りの情報を渡した。まあ、情報的には、古いから、あまり役には立たないかもだけど、知らないよりマシか、くらいのノリで。それから、2週間で復帰はするな!1ヶ月きっちり休め。ってのも進言。介護は、重労働です。経験的に、座りっぱなしのプログラマーですら、1ヶ月休んで、ギリギリ何とか使いモノになる、しかし、つらい、出来たらもっと休みたかった。くらいのダメージは、来るので、何でもないと思っても、兎に角、休めと。。。社会保険の詳細も伝え、収入面は多少目減りするけど大丈夫だと。どういう形態で休むかは、事務方と相談して決めた方が良いと。相談して貰えて、うれしかったです。後は、このまま順調に回復して、悪性じゃなくって、復帰できて、たま~にしか、シフト被らないけど、また一緒に働けたらうれしいぞ、と。彼女は、オイラより、全然優しくて頭が良くて、いいヤツだから、きっと人徳口座の御利益があると思う。人徳口座、それは、金でなく徳を積む口座。誰でも、1口座持っている。イザと言う時、この口座に、いくら徳が積んであるかで、人生が決まる。だから、きっと大丈夫。
2009年11月07日

今日、会社員時代の靴を全て捨てた。下駄箱が空になった。いっぱい、あったんだな...。いい靴だから勿体ないと思うけど、今どき、人が数年に渡り、さんざん履き倒した古い革靴を誰が貰って履くと言うだろう。内側なんか、ボロボロだ。買ったきり、数度しか履いていない、時代遅れのパンプスもある。今どき、白のピンヒールって、あーた...。鎖も付いとるぞ、誰か履くか?思い出が、いっぱい詰まっている靴なれど、とっておいても仕方ない。履かなくなった靴は、カビが生えて終いだ。皮は生き物、手をかけなけりゃダメになる。で、オイラってば、どんだけ靴持ってたんだよ。と、改めて思う。下駄箱一杯の春夏秋冬。残ったのは、下駄と草履、サンダル、冠婚葬祭用の靴1足。^^;いや、スッキリした。あのごちゃごちゃは、何だったんだろうと思う。靴、入りきらない。下駄箱の上、山積み。ってのが、一気に無くなったよ。会社員て無駄が多いんだな。これじゃ、金かかるわ...。ついでに、箪笥の中も少し整理。取り敢えず、冬物だけ。引き出しの半分、いらない服でした。自分が着て歩くにゃ、イマイチな、そっくりした物は、職場へ寄付。(再度、洗濯中)延びる素材の服は、重宝するんですよ。施設のご老体へ貸し出す服のほとんどは、職員が持ち寄った物です。多少、時代遅れのデザインでも、その場しのぎに使えますから。体が拘縮してるのに、延びない服ばかりだったりすると、体を痛める原因にもなるので、無理と判断した場合は、一時的に施設の服を貸し出します。元気な時に着ていた服がたくさんあり、新たに延びる服を買って貰えない人もいるんですよ。夏冬、3~4着ずつあれば済む話なんですけどねぇ。ユニクロのトレーナー上下で充分なんですが...。むしろ、そっちの方が、うれしかったり...。そのくらいの事は、してあげてもいいんじゃないかと。または、オムツ外し常習犯だったりする人が、着替えまくって、もう着る服が無い、たまたま、家人が洗濯物を取りに来るのが遅れてる。なんて時、まさか、他の人の服を貸して、なんて言えませんから。お家の事情は様々ですんで、無理は言えませんが、最低限、着る物くらいは、ちゃんとしてあげたいですよ。って事で、だいぶ、スッキリした下駄箱に、草履を押し込んだら、また塞がってしまい、下駄や草履は買わないように!と、いや、もう、買えませんから、今ある草履を大事に使いましょう。って事で、またタンスの整理をしなくちゃね。
2009年11月05日
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