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初めてデモなるものに参加した日。高校時代は“都の塵も通い来ぬ”環境?でして。沖縄について語る同級生に感嘆のまなざしを送るのが精一杯のところでした。大学に入っていくらかその空気に触れ、正義感にかられて、已むに已まれぬ気持になって飛び込んで行ったのが『沖縄返還デモ』だったというわけです。沖縄を返せ~と唄ったものでした。そして返還が決まると次には「核抜き本土並み」でない、と批准反対デモに参加。デモの呼びかけがあると、何だか参加するのが当たり前のような気になり・・・けれど、参加しようとしない沖縄出身の友にどうして?と聞くことはできませんでした。彼女はどこか醒めていたような。。信用されてないな~と思いつつ、参加をやめることはできなかった・・・政治参加の実際の行動は、と考えてみるに、選挙以外ではデモとか署名とか、駅頭に立つ、チラシを配る、等、割と少ないように思います。その中でもハードルが高そうな「デモ」にいとも簡単にでてしまうことができたのは「沖縄」だからだったのでしょうか?なんでこの日に・・・地元の反対についてまったく触れず、「普天間の解決策は辺野古移設のみ」と改めて日米で合意するなど・・・民意を無視して平気でいる為政者をこのまま黙って有難くいただいていていいのかしら?4月28日は私にとっても特別な日。政治参加について、どんなに小さくてもいい、まったく何もしないのは間違いだ、と目覚めさせてくれた日、となるでしょうか?
2015年04月28日
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地方の選挙ですが、地方も地球の一部。人は誰も皆、自然の一部。自然の子。自然との共存をより良い地球の存続を。というのは、かなり人間が地球を、自然を、壊してしまってきているので。地方の選挙は、その地方の問題を解決してくれる人を選ぶのが筋、と大方の人はいうかもしれない。でも、今、或地方をとりあげて、そこにある問題を何とかしよう、というのでは、地球に対して申し訳ないようなあまりにもそれでは地球のあげてる悲鳴に対して無頓着のような気がしてならないのです。近くの所沢市で小中学校にエアコンをつけるかつけないかで住民投票があり、その結果つけるべきという意見が多数を占め市長は今期、2校に設置することを余儀なくされた、ということですが。この異常な暑さの中で、(基地の騒音を防ぐだめ)窓を閉め切ったりしたら熱中症になってしまう、昔はこんなに異常な天候ではなかった、という声が多くあります。地球が悲鳴をあげている、ということの一端がそこにも見えているのではないか?と思います。台風の大型化に干ばつ、豪雨や竜巻、毎年激しくなっているのでは?とよく話題に上ります。自然のこともですが、地球規模で考えなくてはいけないことは平和の問題。お国の防衛だけ考えていたのでは、絶対争いはなくなりません。自国民を救出するために軍隊を出すなどもってのほか。どこの国でも、防衛の名で戦争は始まる。あまりにも有名な言葉ですが。領土問題も敵対心を煽る道具だてにされているとしか思えません。お国大事の考え方ではもうこれから起こるかもしれない戦争を止める力は弱いように思います。大事なのはお国ではない。人の命だ!その、人の命を守るために国があるのだとある人は言うでしょう。それは為政者のまやかし。絶対によその国の人だから、政府に殺せと命じられたから、という理由で人を殺さない。違う宗教だから、という理由で、領有権を争うという理由で、人を殺さない。戦争には絶対赴かない。という強い意志を育てなくては、と思います。教科書が領土問題を取り上げる時、未来の子ども達が隣国と仲良くしたいと思うようになっているか?と言えば、どんどん嫌いにさせていくようなそんな教科書でいいのでしょうか?統一地方選挙のさなかで、投票したい候補者が一人もいないことを嘆き悲しんで、こんなとりとめのないことを書いています。何で与党系の人しかいないの~?と叫びたい・・・
2015年04月06日
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