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あさって8/2からは,ラオス・タイだ。ラオスは8/6~13ぐらいで,タイはその前後に滞在予定だ。帰国は19日だ。 タイ東北部を起点にラオスに入る予定だ。今回の出入国は,空路ではなく陸路になる。メコン川越えだ。 さて,このブログの更新だが。 ラオスでは… モバイルPCを持っていくが,接続できるかはわからない。ネットショップからになるかも知れない。この場合,画像はないだろう。サワンナケートにネットショップがあるのは確かだが,他の町にはないような気がする… また,携帯は通話はできるが,通信はできないと思うので,携帯からの書き込みはできないと思う。ただし,メコン川沿いでタイの局へ流れれば可能かも知れない。 日記の更新が,あまりできないことも考えられるのだ。 タイでは… ネットショップが,どこかにあるだろうが,行ってみないとわからない。電話があるホテルに泊まった場合は,接続できるかも知れない。携帯からの書き込みは可能だろう。 ここの画像容量がフルになっているので,「アジアを旅しよう!3号館」にUPするかも知れない。たまにチェックしてください! いただいたコメントに返事が書けなかったり遅れることも多々あると思いますが,これもご了承願います! また,ブログランキングも順位が落ちると思うので,こちらから訪問できる回数も少なくななるのに勝手な話ですが,ポチのご協力もよろしくお願いします!! 明日に,また書き込むと思うが,準備や家の片付けに時間がかかったときは,これが旅行前の最後の書き込みになるかも知れない。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/31
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スリランカ中央部には,文化三角地帯と言われる大遺跡群が残る地域がある。アヌラーダプラ,ポロンナルワ,キャンディの3都市を結ぶ地帯だ。私も,あちこちの町をまわった。 その南の方にあるアルヴィハーラ。キャンディの北にあるマータレーのそのまた少し北にある。ここに,紀元前1世紀に建てられた石窟寺院がある。大きな石窟寺院は,ほかにあるが,ここはスリランカで4番目に古い寺院だ。この寺院は,仏陀の教えが紀元前に初めて文字にされたところらしい。 あまり観光客が訪れないナーランダの遺跡からの帰り,乗っていた車が,ある岩山に寄った。「ここは,どこ??」,「まあ,見てみな!」…もう夕方で,少し暗くなってきていた。登ると,寺院があった。大きな岩をくり抜いて造っているらしい。しかし,全くどこかわからない…その寺院に入る前に,横にある建物に入った。 ここは図書館らしい。仏像や教典が置いてあった。椰子の葉からパピラと言う紙を作る方法を教えてくれた。そこに鉄筆で字を書いて見せてくれた。約2000年以上前に作られた紙と同じ製法だ。その古い教典も残っているのだ。現代ある紙よりも遥かに丈夫で,今もしっかりと残っているのだ。 ところで,このおじさん「私は,日本のガイドブックに載っている!」とコピーをうれしそうに見せてくれた。見ると「地球の歩き方 スリランカ編」の少し以前の版だ。「へ~!」…じゃあ,私が持っていた'03~'04年版には?…「あるやん!!」こちらにも載っていた。この時点で,初めて,ガイドブックに載っている寺院であることに気がついた。 私が持っていたガイドブックにサインをしてくれたが,あやふやな英語で読みにくかった… その後,石窟寺院に入った。薄暗い。中には,寝仏があった。 壁には,あちこちにカラフルな絵が描かれている。様々な姿勢の立像も多数あった。 ここには,様々な地獄絵があるのだ。入り口付近にまで描いてあった。 ここから町を望む。結構な高さがあるのだ。あちこちに見える煙は,夕食時で炊事の煙だ。帰りは,結構薄暗くなってきていた。 ここスリランカでは,町歩き以外に遺跡にも多く訪れたのだ。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/30
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'03年8月に行った東ティモール。年月が経って情報が古くなってきたが,最新情報のサイトではないので,何回かに分けて紹介している。この国の情勢も,いろいろと変わってきたことは,何回か書いた。最新情報が知りたければ,検索すれば少ないがいくつかは出てくる。 東ティモールの大家には,theysunさんがおられる。お気に入りブログで相互リンクしていただいている。 今日は,首都ディリの空港の様子だ。今と,変わっているところがあるかも知れない。 東ティモールへは,インドネシアのバリ島のデンパサール空港から,メルパティ航空が日に1便出ていたと思う。オーストラリアのダーウィンからも別会社が飛んでいると思う。 手前の2機がメルパティで,向こう側の横向きがガルーダ・インドネシアだ。 インドネシア上空だ。雲の間から火山が頭を出す。カルデラ湖らしきものも見える。これは,フローレス島か? ディリのコモロ空港だ。今は,ニコラウ・ロバト国際空港と言うらしい。独立後に改称されたらしい。 降りてから,入国審査場へ行くところだ。長い行列ができていた。かなり待った。窓口で,入国税$25を払う。 その後は,パスポートのチェックと荷物検査だ。審査官は,国連の職員が代行していた。荷物はほぼ全て調べられ,1つ1つ用途を聞かれた。たいへん面倒くさかったし,時間もかかる。元に戻すのが,これまた一苦労だった。 これは,表へ出たところだ。ちゃんとタクシーカウンターがあった。$5だったと思う。街までは,少し距離がある。 少し角度を変えて。それにしても,本当に小さい空港である。これでも国際空港なのである。 出国する際も,入国時ほどではないが,荷物検査が細かかった。いちいち聞いてくる。出国の時は,そんなに人がいるわけでもなく,のんびりと行われた。 出発ロビーは,ここ1つだけであった。画像左側で,ほんの少しだが,Tシャツやキーホルダーなどの土産物が売っていた。今だったら,コーヒーとかもあるのだろうか? 空港内をVTRでも撮影したのだが,なんと言うことか,その後のインドネシアのバリで間違って巻き戻した上に撮ってしまい,この前後の画像が失われてしまった…そのうち,また行くことがあると思うが,そんなに頻繁に行けない。もったいないことをした…(*_*)その当時の情報の損失はたいへん大きいのだ。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/29
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時は'96年。マレーシアのペナン島。訪アジア2回目であった。初アジア(タイ)以来2年4ヶ月置いての,友人との第2弾である。友人と行ったのは,この後の台湾との3回である。この友人の誘いがなければ,今の私はなかった。最初は,全く乗り気でなかったのだ。 初期の頃の日記の更新版である。画像は,Hi8VTRからのキャプチャであるので,かなり粗い。 ご存じの方も多いと思うが,ここは観光の島だ。ビーチへ行ったりプールに入った。また,初アジア(タイ)の時と同じく,長い距離を歩き回ったり路線バスに乗ったりして,あちこちの民家や路地もまわった。目についた屋台や食堂で食事もした。フェリーで対岸の町バタワースへも行った。まだまだ,私にとって旅行がめずらしいときである。 街の外れの小さな食堂で食べた鶏肉のご飯である。この頃は,食事中に飲むことは,あまりなかった。 さて,この日も街を歩いていた。民家と並んでいろいろな店がある。小さくて質素な散髪屋があった。友人は,おもむろに「俺,散髪するわ。」と言った。旅行へ行くたびに現地で散髪屋に行くことにしているらしい。そういえば,タイへ行ったときも散髪をしていた。私は横で見ていることにした。 散髪が始まった。ごくふつうにカットしていた…が,いきなり変なマッサージを始めた。「んん??なんかおもしろい!」VTR撮影開始だ。 それは奇妙なかけ声や奇声とともに,思い切り力を入れて強引にしている。かなり怪しい動きだ。本当に効くのか??そもそも,なんのためのマッサージだ??私は,ずっと笑い転げていたが,友人はそれどころではない。ずっと悲鳴をあげ続けていた。 やっと動きが止まり,一段落ついたと思ったら,今度は体のあちこちをタオルでバシバシ叩きだした。これも,かなり思い切りだ。「痛い痛い!」これまた悲鳴。私は,また大爆笑。ふざけてやっているのかと思ったが,おじさんは大まじめなのだ。これがまた,笑いに輪をかけた。 かれこれ約20分ほど。おじさんは笑顔で「終わったよ!」…友人はフラフラ。声も出ない。そして,おじさんの目は私に…「君も散髪するかい?」もちろん丁重に断った! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/28
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バングラデシュは,河と運河の国である。3大河川の世界最大のデルタ地帯にあるため,雨季には国土の1/3~2/3が冠水してしまう。私が行った時も,国土の大半がかなり冠水していた。 バングラ国内の移動手段として,飛行機,バス,鉄道があるが,船も大切な移動手段なのである。今日は,首都ダッカを流れるブリゴンガ川の船着き場,ショドル・ガットの様子だ。 ブリゴンガ川だ。多数の船が行き来している。小さいのが多い。左側が,オールドダッカ。そのさらに左側が街の中心部にあたる。右側は,隣の町という感じになる。 桟橋だ。ヒマそうに座っている人がいれば,地べたで寝ている人もいる。これは,どうなんだろう?? 船を待っている人々だ。大小,様々な船が並んでいる。船も多いが,人も多い! 大きなフェリーも,隣とぶつかるぐらいの距離で並んでいるのだ。真ん中のフェリーは,いま入ってきたところだ。店員オーバーや過積載などで,転覆事故も多いという… 行き先によっては,船で泊まらなければならない。そのときは,みんな雑魚寝だ。簡単だが,ちゃんと厨房もあり,料理を作ってくれる。 横には,対岸へ渡る渡し船乗り場もある。こちらも,大勢の人々で賑わっていた。 その対岸だ。様々な船が見える。河ギリギリまで,建物が建っているのだ。 拡大してみた。すごい数の小舟と人々だ!横には,ちゃんと大きな橋もあるのだが… その橋の上からだ。「これは!!」船が横に並んでいるが… 「ロケットだっ!!」NASAではない。JAXAでもない。もちろん大リーグのロジャー・クレメンスでもない! ~失礼しました!(^_^;)~ 「ロケット・スティーマー」だ。ロケットとは言うが,速度はたいへんに遅い。今はディーゼルだが,以前は蒸気機関で走っていたらしい。観光用ではなく,ふつうに客船として走っているのだ。個室の1等客室から雑魚寝の3等客室まである。 かなり古いので,いつ廃船になってもおかしくないらしい。 ちょっと拡大だ。確かに,かなり古く見える。外輪の上の辺りは個室のように見える。行ったのは3年前なので,今も走っているかは不明だ。 ショドル・ガットの近くで水浴びをしていた人たち。水浴びと言うより,沐浴か?? バングラデシュは,なかなか酒が飲めないので酒好きには困るが,たいへんおもしろいところだ!!ただし,“スター”並みの待遇が待っているので,息つくヒマがない!! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/27
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ラオスの民家をちょっと載せることにした。ラオス3連発だ。最近,3連発ものが多い… ラオスに限らず,田舎の民家は高床式が多い。木造や椰子の葉?などで造ったものなどがある。コンクリート式もある。街になると,高床式はほとんど見られず,植民地時代のフランス風などが多くある。 まずは,北部のシェンクワン県のポーンサワンだ。市街地にある家。工事中だった。こんな感じの家は,他の都市でも中心部には多くある。 街からしばらく歩くと,家が少なくなってくる。郊外の家だ。街なかとは感じが異なる。この画像は,5月にもUPしている。 街からかなり行くと,このようになる。近くには,高床式の建物もあるのだ。 家は,なんとなく懐かしい感じがするが,横に止まっている車も懐かしいコロナだ!私が,小学校低学年ぐらいの時に祖父が乗っていた型だ。しかし,コロナのトラックってあったのか?? ついでに,'00年に撮影したヴィエンチャンのタクシー。コロナだ。 ここは,首都ヴィエンチャン市内,’00年1月。ヴィエンチャンは,世界で最も小さい首都の1つとも言われている。高層ビルなんて,ほとんどない。 このぐらいの高さの建物がほとんどだ。でも,まあ街だ。 ヴィエンチャンでも,街なかを外れると,このようになる。これは,中心部~タイ国境の間の集落だ。バイクで走った。 南部のサワンナケートの友人宅。高床式だが,比較的立派な家だ。右側には平屋もある。 友人宅は,中心部からバイクでしばらく走ったところにある。大通りから,細いデコボコ道を入ったところにある。途中は細くて,車は入れない。この家に車はない。125CCのバイクとホンダ・ウェイブ125(カブ式クラッチ)の2台だけだ。 その友人宅で昼食。高床の下の部分だ。こちら向きが私だ。 その昼食だ。なんでも食べられるわけでない。パパイヤのサラダは苦手だ…合わない味付けのものもある。 これは,バスの車内から撮った田舎の民家。外で煮炊きをしているようだった。 高床式が多いのは,いろいろな理由があると思うが,雨季に備えてということもあると思う。 これもバスの車内から撮ったものだ。雨季で水が溢れている。高床式の家の下には舟があり,雨季はこの舟で出入りをするのだ。乾季は,ちゃんと地面が見えていて,ふつうの大地なのだ。 田舎の家を見るのは大好きだ!上でも書いたが,こんな感じの家は,周辺国でも多く見かける。国境があり文化も違うが,こんなところには国境がないような気がする。家にしろマーケットにしろ,画像だけを見ていれば,どこの国かはわかりにくい。※ ここしばらく,疲労で,なかなか自分のサイト以外にコメントが書けていない。訪れるだけということも多い。サボっているわけではありませんので,ご理解を!! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/26
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昨日に引き続き,ラオスのサワンナケートだ。今日も町の紹介になるが,もし行かれる予定のある方は,参考にしていただければ…行かない方は,「こんな町なんや!」と思って見ていただいたら,ありがたいです! ラオス唯一らしい恐竜博物館だ。何回も前を通っているが,結局1回も入ったことがない…館内の説明文は,ラオ語とフランス語しかないらしい。 郵便局だ。横には鉄塔がある。ここから何回か日本へ大量の絵はがきを出しているが,全て無事に着いている。英語は通じる。 郵便局前にいた女の子。にぎやかに手を振ってきた。 中心部にあるホールだ。アメリカ人の教授?の指導のもと,学生たちが英語で「白雪姫」に挑戦したのを見た。招待されたのだ。みんな熱演していた。VTRでは撮影したが,デジカメでは撮影していない。PA機器は,かなり古いものだった。ストーリーは,わかっているので,それなりに楽しめた。 6/9の日記「ラオスで記憶喪失!」でも紹介したネットショップは,初めてサワンに来たときからの行きつけだ。 日本語フォントが使える。今は変わったかも知れないが,接続速度が非常に遅かった。客は多い。 この町にも,ちゃんとワット(寺院)がある。ワット・サイニャムンクンだ。(名前は,我流の勝手な読み方です…) 中国寺院もある。さらに,中華系の小学校もあった。 教会もあるのだ。 街から南東方向に歩いていくと,次第に家が少なくなり,このような風景に変わってくる。 中心部のフランス風のレンガ造りやコンクリートの家と違い,木造の家が多くなる。高床式もある。こんな中にも,学校があったりする。 これは,現地の我が子ではないので!!(^_^;)友人の姉の子どもです。ラオスでは,婿入りなのだ。 今夏で5回目になるので,行ったことないところを歩いてみるつもりである。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/24
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ラオス南部のサワンナケート。もう何度も書いてきた。何度も書いたが,まだまだ書いていないことが多くある。特に見どころがあるわけでない。過去に4回行ったのは,知り合いの彼女ができたということが1番の要因だが,今回は留学中でいない。それでも今夏に行くことにした。2年8ヶ月ぶりに行くことは以前にも書いた。メコン川対岸のムクダーハーンとを結ぶ第2メコン友好橋を渡ってみたかったのだ。 そのサワンの町を,2回に分けてまたまた紹介していく。 バスターミナルである。中心部の北側にある。初めて訪れたときは,さらに南部のパークセーからの空路だった。サワン発着の路線は,今は廃線になってしまっている。空港も閉鎖されている。 それ以外は,いつもヴィエンチャンからのバスだ。8~10時間かかる。橋が完成してからの国際バスもここまで来るらしい。 待合所には,簡単な食堂もある。待っている間に食事ができるのだ。お菓子なども売っている。バスの発車時刻は一応あるが,ある程度人がいっぱいになるまでは発車しない。逆に言えば,早くいっぱいになると予定時刻よりも早く発車してしまうのだ。 フーだ。米麺である。名前が違うが,タイにもほぼ同じものがある。 メコン川沿いにある屋台。その向こうはタイだ!日本人としては,異国が目の前にあるというのは,妙な感じだ。 メコン川にあるイミグレーションだ。この頃は,タイから船で渡ってきたので,ここで審査が行われた。今は,橋の両サイドで行われる。 街なかからバイクでしばらく走る。民家の間の細い路地を抜けると,メコン川の上に浮かんでいる食堂があった。しかし,街をふつうに歩いていてはわからないところにあった。 そこで食べたものだ。メコン川で捕れた魚だ。ベトナム風にライスペーパーで野菜やそうめんのような米麺とともに巻いて食べるのだ。これは,うまかった。魚は,川沿いの屋台でも何回か食べている。 市内の道路だ。このように,ほとんど何も走っていない。ラオスでは,それなりの都市なのだが,田舎だ。だいたい,首都ヴィエンチャンでさえ,小さな都市だ。 1本外れれば,こんな感じになり… さらに中に入ると,未舗装のこんな道路になる。この先には,行きつけのネットショップがあり,さらにその先には教会,そして中華系の小学校もある。 こちらは,ふつうの小学校である。私に気づくと,手を振ってきた。 ふつうの民家である。2階建ての長屋のようになっている。フランス植民地時代の名残が残る建物もある。 なんとも,のんびりとした町なのであるが,ここに経済特別区をつくる計画がある。第2メコン友好橋ができ,ベトナムのダナン~タイ~ミャンマーのモウラミャインまでを結ぶ東西経済回廊が開通したのだ。経済発展が期待される。 しかし,ソフト・ハード両面で整備されていないラオスは,単なる通過国なってしまう恐れがある。 今までのまま素朴な姿でいてほしい面と,発展してほしい面の2つがある。うまくミックスされていけばいいのだが… ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/23
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タイ中東部の町チャンタブリ。カンボジア国境から何時間もかからないところにある。ここは,付近で採れるルビーやサファイア,国内外各地から宝石が持ち込まれる宝石取引の町なのだ。宝石の問屋が並ぶ通りがある。 ナコーン・ラーチャシーマー(コラート)から,1等エアコンバスで6時間20分,247バーツ(約740円)だった。2等や普通バスなら,もっと安く行けるだろう。町自体は,そんなに大きくないが,車通りは多かった。 問屋では,宝石の原石の鑑定が行われるのだ。しかし,原石が買い取られることは,それほど多くないという。 街を歩いていると,前方が騒然としている。「なんやろ??」いつもの好奇心だ。 どうも,宝石商と商人の売買上のトラブルのようだ。怒号が飛び交う。その間に警官が割って入っている。周りには大勢の野次馬だ。こんなトラブルは,よくあるのだろうか? 街なかを歩くと,マーケットがあったり屋台が並ぶ。人通りも多く賑やかだ。これは,ほかの町でも似たようなものである。 串焼き屋のおじさんだ。タイでは,鶏や豚が多い。周辺国でも似ているが,牛は少ないのだ。 この夫婦?は,今バイクで着いたばかりだ。屋台の準備中だ。周りには,同じような屋台がズラッと並ぶ。 走行する屋台。バイクと屋台が一体化している。着いたら即店開きだ。横に付いているものや,後ろに牽引型など,いろいろある。 町を流れるチャンタブリ川西岸には,古い家並みが残る。やはり,こんな風景の方がホッとする。 家の中だ。床は,板張りになっていた。なんとも,のんびりとした感じだ。 ここは,串焼きなどを売っていた。ふつうの家と店をしている家が混在していた。 横を流れるチャンタブリ川。画像右を見てわかるように,家の一部が川上になっている。 拡大だ。じつは,家の一部どころか半分ぐらいが川の上になっている。水があふれたら…と思われるだろうが,この時期は雨季で,雨が降り続いていた。つまり,かなり増水状態になっているのだ。それでも,まだ余裕がある。ちゃんと計算されているのだ。 対岸から見た旧民家だ。後方にはワット(寺院)が見える。 橋の欄干には,消防船があった。消防船を見るのは,水上住宅が大量にあるブルネイ(3/18の日記)以来だ。 次回行く時は,ここからカンボジア国境越えをしてみたいと思っている。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/22
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“出張”から帰った来た。仕事だ,遊びではない。京丹後市網野町浜詰だ。一昨日は曇り&晴れ,昨日は午後から雨,今日は霧雨のち曇りだった。 霧雨で視界が悪い。波も高かった。今日から開催の,観光協会主催の宝探しにも参加した。 寝不足で疲労のため,今日はここまで…(^^;)今日を過ぎると,仕事が一段落。今夏のラオス・タイへ向けての正式行程の検討に入る! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/21
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“出張”最終日だ。網野町の朝は霧状態の小雨だった。昼食後に、ここを出る。晩か明日の昼に、また書く予定だ。
2007/07/21
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今日から3日間は,出張だ。京丹後市網野町だ。余裕があれば,更新するかも知れない。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/19
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ありがたく朝日新聞に載せてもらったが,昨年12月には「地球の歩き方 ラオス編」に投稿が採用されたのだ!12/12の日記で書き,コメントも複数いただいたが,今日は再びUPだ。 昨日は徹夜だったでたくさん書く元気がないのと,記念ついでだ。※昨日となっているのは,12/11のことなのだ。 有名な海外旅行のガイドブック「地球の歩き方」。多くの人が利用している。中には「迷い方」なんて言う人もいるが…(^_^;)私は,いつもお世話になっている。なんやかんや言ってありがたい。まあ,載っていない方向へ行くことも多いが…時によっては,他紙やロンプラ(ロンリープラネット=英字のガイドブック)を見るときもある。ただし,私の英語は適当なので,正しく読めていないだろう。 さて,昨日,郵便で本が送られてきた。「なんやろう??」と思って開けてみると,中には「地球の歩き方 ラオス編」の新刊('07~'08年版)だ。「なんで,もらえたんや??」…考えながら中を見る。 これまで何度か紹介してきた南部の町,サワンナケートのところを見た。「あっ!そうか!!」P.178のフンティップホテルのところだ。画像は,私が撮ったものではないが,投稿文は私のだ! 〈 地球の歩き方 ラオス編'07~'08年版 ダイヤモンド・ビッグ社刊 より引用 〉 '05年1月にラオスから帰国後に投稿したのだ。2年近くたっていて,忘れてた…サワンナケートのホテルについてだ。この町では,メコンホテルなどや現地人の友だちの家にも泊まったが,このホテルが基本的に常宿だ。すっかり忘れてた。安くはないが,快適だったのだ。 まさか,載るとは思っていなかった。じつは,何年も前に東京の旅行会社の海外旅行ツアーのパンフレットに,私の画像が載ったことがあったが,それ以来だ。そのときも,ラオス編だった。 新館に泊まったときは,できて間もない頃だった。1階は,まだ工事中でほったらかしたような状態だった。旧館には,すでに何回か泊まっていた。 旧館とは,壁をぶち抜いてつながっている。最初は,旧館寄りの部屋になった。しかし暗い…窓を開ける。「あら!?」窓のすぐ外が旧館の壁だったのだ…ほとんどぴったりくっついて建っている。「そら暗いわ。かえてもらおうかな?」取りあえず,1晩はその部屋で泊まることにした。 しかし…晩ご飯の後に部屋に戻ってみると,部屋の中からなにやら轟音がする。「なんや??」入ってみると,「うわっ!!」…シャワーの根本からおびただしい水が!接続部分が壊れて水がバスルーム中に溢れていたのだ。まだ,新しい部屋なのに… すぐにフロントへ連絡。部屋をかえてもらった。今度は通路を挟んで反対側の部屋だ。 翌朝,窓のカーテンを開ける。「お~!」今度は街が見える。3階建てなので,そんなに見通しがいいわけではないが,向こうの方にはメコン川がかすかに見える。「こっちの方がいいわ!」メコン川のさらに向こうには小さいがタイが見えるのだ。ケガの功名とはこのことか? 外観だ。右が新館で,左が旧館。旧館にあったフロントは新館に移動した。フロントのオーナーらしき人は,いつも愛想が良くない。まあ,気にするほどではない。 旧館は$18,新館は$25。朝食付きだ。おかゆ,麺,アメリカンBFなどから選べた。旧館に比べると,新館の方が高いが,お得と思う。予算を切り詰めて旅するバックパッカーの人たちには贅沢と思う。周りには,安いホテルやゲストハウスはいくつもある。しかし,これは私のスタイルなのだ。若い時は,何でも良かったが,今となっては,ホテルにはある程度の“安心”がほしいのだ。 新館の部屋は結構広い。大きな冷蔵庫,エアコンつきだ。バスルームは,バスタブ,洋式トイレ付きだ。TVは,地元とタイのが中心だ。 これは,旧館だ。ホットシャワー,トイレをはじめ,部屋自体がかなり老朽化している。部屋に似つかわしくない大きな冷蔵庫がある。 この町で,友人ができて何回も行っているのだ。その友人は,今ベルギーへ留学中。よって,2年半以上行っていないが,メコン川にタイのムクダーハーンとを結ぶ第2メコン友好橋ができ,日本人はビザも不要になったので,この夏に行くことにしている。(行くことは,この前も書いた) ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/17
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朝日新聞大阪本社版の夕刊に折り込みの月刊「フルママ」6月号に,私のブログが紹介された!〈 朝日新聞大阪本社 6/27(水)夕刊 「fulmama」より引用 〉 じつは,うかつなことに,すでに発行されていることに気がつかなかった…「いつなんやろう??」と思いながら,見過ごしてしまっていたのだ。毎日,確認していたつもりだったんだが…仕事中に新聞を整理して,たまたまその日は読んでなかったことに気がついた。 自薦ではない。朝日新聞のライターの方から連絡いただいたのだ。やはり,こうやって紹介されると,うれしいものだ!訪問者がもっと増えてくれることを期待しています! 朝日新聞社さん,ありがとうございました!! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/16
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なんか疲れてしまって,仕事があまり進まず今日になった…明日までに仕上げなければならない。なんとかせねば!19日から3日間の出張もある。しばらくは,夏のラオス・タイの渡航の計画は考えてもいられない… 気分転換に,久しぶりに座敷の雨戸を開け中庭を見る。縁側から風が通って涼しい。これなら,一昨日から開けとけばよかった。まあ,台風が来ていたが… 「あれ?また!」紅葉(モミジ)がまだ赤い。 これは,5月の連休中に撮ったものだ。秋のように赤い。このときも,「あれ?」だった。 これは,さっき撮った。5月よりもややくすんでいるが,やはり赤いままだ。 追加の画像だ。少し離れたところに30cmほどの小さな木があった。種子が飛んだんだろう。これも赤色だ。よく見ると,少し緑の部分もある。あとから気がついたので撮って載せた。 年中赤い紅葉もあるらしいが,この紅葉は私の幼少の頃から生きているので,もう何十年にもなるはずだ。以前は,確かふだんは緑色だったような気がする。ここ数年で,こうなったと思う。どうなっているんだろう??単なる勘違いで,以前からいつも赤かったのか?? ふだんから庭をあまり見ないので,いろいろ変化をしていることに気がついてないかも知れない。 たまには,趣旨を変えて書くときもあるのだ。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/16
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カンボジア北西部のシソポン。タイ国境のポイペトの手前の町である。すでに何回も書いている。本当に小さな町で,特に見所があるわけではない。街は,歩いても知れている。 町の西側にプノン・スバイという丘がある。昔は軍事上登れなかったが,今は誰でも登れて見晴らしがいいと「歩き方」に書いてあった。そこへ登ってみることにした。8/13の日記にも現地から書いている。今日も,リニューアル版だ。 3連休は仕事が忙しくて,家でしている。本当は済んでいるはずなのだが,疲れてなかなか進んでないのだ。家で缶詰だ…台風に関係なく外出はできない。 町なかから見た,プノン・スバイ。ここは,国道5号線(手前から左へ→至ポイペト)と6号線(右へ→至シェムリアップ)の合流点である。電波塔と,監視台が見える。 頂上のUPだ。この櫓の上に登ってみたかった。 さて,街から丘へ行く道は1本。ガイドブックによると,グラウンドの前から登り口があるらしい。そこへたどり着いた。「んん?どの道を行けばいいんや??」グラウンド前から道が3本ある。地図に書いてあったようなわかりやすい道ではない。「どれや!」いきなり自ら道を選択しなければならない!まず,右の1本は違うだろう。あとの2本だ。どちらも丘へ伸びているようだ。「一番丘寄りの左の道にしよう。」 道を進む。「えっ??」また道が分かれている。再び丘寄りの道を選択。「うそやろ~!」また分かれ道だ。みたび丘寄りの道へ。民家もある。しかし,断崖でストップ…壁は登れない。じゃあ,真ん中の道だ。 道か何かよくわからないところも多くあった。とにかく,勘で進むしかない。 しかし,最初は広かった道も,すぐにこんな道に…「ほんまに行けるんかいな??」こんなとこへ誰が来るのか?しかも,雲行きが怪しい。案の定,雨がぱらついてきた。避難する場所もない。へたに横へ入れば,何がいるかわからない。ヘビを始め,毒を持った昆虫もいるかも知れない。日本なら,だいたいわかるが,ここでは知らない虫だらけだろう。 道は,雨水が川を作った跡がある。もしスコールが来たら,この道は完全に川と化すだろう。ドロドロで,どうしようもなくなるだろう。あきらめて戻るか,そのまま行くか?? 結論…行くことにした。どうとでもなれ!どうせ下りてもすることがない。傘をさしての山登りだ。コブラやマムシが出てきたら逃げようもない。さらに,こんなとこで強盗なんか遭ったら誰も助けてくれない。殺されても,すぐに発見されないだろう。でも,いつ人が来るかわからないようなとこで延々と待っているようなヒマな強盗はいないか。 後半は,道は1本道だった。でも,ほんまに着く保証はない。しばらく歩き続けた。雨は本降りになるかと思われたが,幸い止んだ。これは,ラッキーだ。 頂上が見えてきた。この道でよかったのだ。右手に小さな建物が見えた。しかし,なんかボロボロ。イスも何もない。中は落書きだらけだ。ここから景色が見えるのか?中に入り,外を見てみた。「??…」右方向は見えるが,正面と左方向は木が生い茂り遮られて何も見えない…おいおい!こんなとこへ,わざわざしんどい目をして来るか??でも,落書きがあるということは,来ている人がいるということだ。ほとんどがクメール語なんで,地元人が多いのだろう。 さらに登る。電波塔などが,すぐ目の前だ。監視塔も見えてきた。しかし,柵が張り巡らされていた。電波塔の周りはわかるが,監視小屋の手前は入れないようにしてあった。なんや,登れへんのんか… と,柵の横に家が(画像右側)。そこから,いきなり犬が2匹出てきた。激しく吠えている。カンボジアの犬は,他人が来るとよく吠える。ってことは,家の中には人がいるのか?のぞいてみると,老夫婦がごろ寝をしていた。こんなとこに住んでいるのか??監視役だろうか?その老夫婦,起き上がって犬をなだめた。私は,「ソーム トーホ(ごめんなさい)!」と言った。向こうも,外国人とわかったようだが,「なんでこんなとこへ来るねん??」という顔をしていた。 雨は止んだが,まだ雨雲がある。雷の心配もあるのだ。先ほどの建物に戻った。建物の向こう側は崖だが,窓から出たとこは岩があって,そこに座っていた。ここから見ても町は小さい。右方向がポイペト,さらに大地の向こうはタイだ。 1時間以上,そこにいた。その間,やはり誰も来なかった。上りの時は雨が降っていたせいもあり,あまり気づかなかったが,下りは,木々の間からだが,景色がいろいろ見えて感じがよかった。 これは,サボテン?いくつもあったが,自然に生えているのって,この地域にあったかな?または,別の多肉植物か?知識があまりないので,わからない。 トックリバチのようなハチだ。毒がどれぐらいあるのか,凶暴なのかはわからない。 バッタだ。10/4の日記(ムシたち)の中でも紹介している。 やけにきれいな色をしている。派手すぎて,毒を持っているのでは??と思い,さわれなかった…タイミングが悪くて撮影できなかったが,きれいな色のチョウも飛んでいた。 ふもとに戻ってきた。そのとき,山の斜面から,いきなり牛たちが下りてきた。よく見ると,牛飼いもいる。こんな斜面で飼っているのだ。牛は,ふもとにもいた。 ふもとにある民家の住民は,「なにしに来てるんや,この外国人は??」という感じで(勝手に想像),ずっと見ていた。民家と言っても,かなり離れて数軒しかない。 わざわざ来なければならないような丘でもないが,興味がある方は登ってみては?山が好きな方は,ちょっとおもしろいかも知れないが,ふつうの丘です… ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/15
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カンボジアのコンポンチャム。何度も紹介している。今日は,過去2回分の日記をまとめて,さらに画像・文章を増強した。 日本の子どもたちは,義務教育で基本的に全員が学校へ通っている。しかし,世界には学校へ通えない子どもたちが多いことは,誰でも知っておられるだろう。 ここカンボジアでも,状況は厳しい。多くの子が学校へ通っているように見えるが,なかなかそうはいかない。教材は全て有料だ。せっかく入学しても,お金が払えずに辞めていく子が多いらしい。 例えば,一般の公務員の月給は約$20だ。これでは暮らしていけないので,多くの人がアルバイトをする。モトドップ(バイクタクシー)のドライバーも多い。本業そこそこに副業に励む教師,賄賂を要求する警官なども多いようだ。子どもたちも働かないと生きていけない。 6年ぶりに訪れた。以前は,対岸へ渡る橋が日本の無償援助で建設中であった。スピアン・キズナ(絆橋)だ。この町を訪れた翌年に完成している。開通により,橋周辺の様子はかなり変わっていた。だが,中心部はあまり変わった様子もなく,のんびりとした雰囲気のままだった。8/17の現地からの日記に,書いている。そのときに書いたキリスト教の宣教師さん。布教のために在住しているが,布教とは別に学校へ行けない貧しい子どもたちへ勉強を教えたり,自立支援などもしておられる。 出会いは,本当に偶然で,こんなこともあるのか??と思った。8/17の日記参照。雨が降ってこなければ出会いはなかった。人生も,そんなもんだと思う。ふとしたことで起こる出会いやすれ違い,または,そのときに決断するかしないか…それがあるかないか,するかしないかで,その後の人生が全く変わるということは,じつは私自身でも何回かあった。 ここは,教会の中だ。しかし装飾など何もない。じつは,この日を最後にこの教会はなくなるのだ。明日の引っ越しのために,全て取り払ったそうだ。この団体は,本部がアメリカにあって3,4年ごとに世界各国をまわって布教活動をしているとのこと。つまり,ここでの活動が終わり,次の地へと移るそうだ。4年ほど滞在した教会の最後の活動の日,ボランティア学校最後の日に私が遭遇したわけだ。 子どもたちは,貧しい村で学校へも行けない子ばかりである。そんな子どもたちを,ピックアップで集めて来るそうだ。見ると,年齢はバラバラ。小学校高学年ぐらいの子から抱っこされているような子もいる。この日は,文字の練習や簡単な手遊びをやっていた。しかし,小さい子はウロウロしていたり勝手に遊んでいたりしていて結構うるさい。小さい子は,勉強しに来るというより,子どもたちが一緒に連れてくるらしい。 聞くと,学校を始めた当時は,かなりうるさくてたいへんだったらしい。言うことを聞かない子も多かったらしいが,今は真面目にがんばっているそうだ。先生は,クメール人が2人。宣教師のアメリカの男性も,時々一緒に入るそうだ。 授業後は,お米が配られる。来る子は,日によって違うらしいが,これがめあてで来ている子も多い。生活は,貧しいのだ。人々の間に,学校へ行かなければならないという意識はあまりない。行くぐらいなら働いてほしいという思いの方が強いのだ。こうでもしないと,なかなか勉強しようとしてくれないらしい。乾季には,多くの子どもたちが舟に乗り漁に出るそうだ。勉強よりも今日の生活といったところか。 この日は,最後ということで,おもちゃなども配られた。みんな喜んでいた。 勉強が終わると,再びピックアップで戻っていく。以前は,2つの集落から来ていたそうだが,1つの集落は,メコン川沿いの開発により,立ち退きを強いられて10km先へ行ってしまい,来れなくなったそうだ。 今来ている子どもたちが住んでいる集落もメコン川沿いだが,開発地点より少し北側である。教会から,そんなに遠い距離でもなく,町なかからも近い。 子どもたちが帰ったあと,その家で昼食をいただいた。昼食後は2時間ほど町を歩き,また夕食もいただいた。クメール人の方が作るカンボジア料理だ。どれもおいしかったが,ソムローカリーは,店で食べたのよりもおいしかった!スガオマレアハ(にがうりの肉詰め)にも挑戦した。無理かと思ったが,おいしかった。 宣教師のアメリカ人男性は,日本語も話す。奥さんは日本人なのだ。久しぶりに日本語で話す。私は,久しぶりに家に来た日本人だそうだ。引っ越しに備えて,荷物はほとんどまとめてある。明日プノンペンに行くそうだ。さらにアメリカへ行き,日本に戻るそうだ。その後,またカンボジアへ来るそうだ。ただし,違う町になるらしい。 本業の布教活動だけでなく,ボランティアで学校を開いたり,自立支援をしたりと,かなりがんばっておられる。以前から,私自身が何かできることはないかと考えているが,こういった活動を目の当たりにすると,さらにいろいろと考えを巡らすこととなった。 晩になり,小さいお子さんを寝かさなければならないので,おいとますることになった。主人がホテルまで送ってくれた。すばらしい日だった。 この集落は,6年前も来た。撮影もしている(ここにあります)が,中までは入らなかった。今回は,教会に来ていた子どもたちに囲まれて,写真を撮ったり,集落の中まで入った。 今回は,最初は通り過ぎた。その後,例の教会の車に出会ったのだ。教会の私設学校には,この集落から来ていたことがわかり,子どもたちが帰ったあと,再び訪れた。顔見知りになると,集落へ入りやすくなると思ったからである。 歩いていくと,子どもたちがやはり手を振っている。おもしろいことに,先ほど教会では素知らぬ顔をしていた子も,ニコニコと手を振っている。場所が変われば,こうなるもんか。見ると,さっき見ていない子の方が圧倒的に多い。日によって来る子が違うと聞いていたが,それにしてもいろいろな子がいる。みんな,わあわあ騒いでいる。元気だ。 たくさんの子が集まってきた。入れ替わり立ち替わりいろいろな子が写りに来たが,さっき教会ではいい顔をしていなかったのに,ずっと入っていて「撮って!」と言っていた女の子がいた。おもしろいもんだ。押し合いへし合いして,はじき出される子ども,叩かれてすねる子ども…日本と同じだ。 後ろはメコン川。右奥には,スピアン・キズナ(絆橋)が見える。周辺の川沿いは,崩れないようにコンクリートで固める工事をしていた。少し前,雨季の異常な雨で水位が上がり,水浸しになったそうだ。 集落には,このように大人たちが多くいる。みな何か話している。私が通りかかると,一斉に見てくる。子どもたちの写真を撮っているときは,おもしろそうに見ていた。大人は,近くで構えて撮ると,喜んで写る人より,顔を隠す人の方が多かった。だから,知らぬ間にさっと撮ることもある。 この子たちは,最後までついてきて,家などを紹介してくれた。おかげで,気軽にまわることができた。後ろは,川沿いの家。以前来たときは,なかった気がする。他にも道路沿いに小さな家が増えていた。立ち退きの影響だろうか? 通りから入っていった。どの家の前にも水瓶がある。子どもたちが,一緒にいてくれるのでこの笑顔だ。たぶん,私一人でいきなり行ったら,こんな顔をしてくれたかどうか… 小さな家だ。しかし家族の数は少なくないはずだ。生活は楽ではないはずだが,みんなたいへん明るい。 ここに来る前に,もっと奥の集落へも行った。まず集まってくるのは子どもたちだ。どこの町へ行っても,「ハロー」という声が聞こえてくる。奥の集落では,先ほどの集落のように顔見知りではなかったが,とても人懐っこかった。 さらにメコン川沿いでは,水上住宅が並んでいる。聞くと,ベトナム人が多いらしい。歴史上,ベトナムに対する感情はよくないと聞いている。しかし,この町に限らず多くのベトナム人が住んでいるのも事実だ。 手を振ってきた少女たち。画像右側がベトナム人の水上住宅,左側が陸地のクメール人の集落だ。 働く子や,学校へ行けない子を見ていると,なんとも複雑な思いになる。一言で簡単に話せることではない。しかし,そんな中でも明るく元気な子どもたちを見ると,少し救われた気になる。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/14
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今夏は,ラオス・タイへ行く。ラオスは,過去5回訪れているが,いずれもタイのバンコク~ラオスのヴィエンチャンへ空路で出入国した。 今回は,初めて陸路で出入国する。入国は,タイのムクダーハーンからラオスのサワンナケートのコースだ。以前は,船でメコン川を渡る経路だった。だが,昨年12月に両国を結ぶ第2メコン友好橋が完成した。この橋の建設には,日本が多大な援助をしている。このおかげか,今年より日本人が入国の際,15日以内ならビザが不要になった。 今回は,バスに乗って国境越えをする。(その前後には,タイもまわる。今まで行ったことのない町にもいくつか行くのだ。) この画像は,'01年12月の2回目の渡ラオスで,初サワンナケートの際のものだ。両国間を流れるメコン川だ。中州のさらに向こう岸は,タイのムクダーハーンだ。トラックを積んだフェリーがゆっくりと進んでいた。 サワンナケートでの様々な出来事は,すでに何回も書いている! これは,'00年8月の初ラオスの時の画像だ。このときは,まだ弟と一緒に行っていた。首都ヴィエンチャンのメコン川沿いの屋台で飲んでいる。川沿いの屋台は,行くたびに様子が変わっている。次に行った時に,同じ店があるとは限らない。 その近くの屋台の食堂で働いていた青年だ。大学生で,アルバイトをしているらしい。日本語の勉強をしていて,いろいろと質問してきた。仕事の合間を縫って,他にいろいろと話もした。(会話は,片言の英語で。) この店周辺の屋台は,'02年8月に行った時は,跡形もなく消えていた… 今回は,初めてヴィエンチャンには寄らない。サワンナケートの後は,ターケーク~パークサンと,田舎の町へ行く予定だ。パークサンは,「地球の歩き方」や「ロンリープラネット(有名な英字のガイドブック)」のラオス版に,街の地図も出ていない。 そのパークサンから出国し,タイのブンカンへ再入国するつもりだ。このブンカンの町も,やはりガイドブック(タイ版)には街の地図が出ていない。「歩き方」には,町の紹介すらない… まあ,行けば何とかなるだろう!(^O^) ※今日の画像は,3枚ともVTRからのキャプチャ画像なので粗い。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/12
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ラオスの首都ヴィエンチャンから約180km北の山岳地帯にある町,ヴァンヴィエン(バンビエン)。バスで3時間あまり。美しい自然が広がっている。近年は,観光客がますます増え,ゲストハウスなども増えている。 11/26の日記(さきに,ここをクリックして読んで下さい!)の続編である。 初めて行ったのは,'00年8月。雨季のときだった。ソン川の向こうには岩山が続き,“ラオスの桂林”とも言われている。 翌'01年12月の大晦日にここを再訪した。乾季の様子が見てみたかったのだ。雨季と違って水量が減る乾季には簡素な橋が登場する。雨季は,ボートが必要だが,乾季は歩いて対岸へ渡れるのだ。ただし,途中の中州に料金所がある。通行料が要るのだ。 町の南にあるヴァンヴィエン・リゾートから,タムチェン洞窟へ行ける。山にある階段をしばらく登ると洞窟があるのだ。 手前の路上で,焼き鳥を売っていた。焼いているのは,地べただ。おいしそうなので買って食べた。これぞ,本当の地鶏だ!さっきまで,そこら辺を走っていたニワトリの行く末だ… 水は,きれいな水色だ。中で泳いでいる少年がいた。ここは,ぜひ行くとよい。山からは,町が見下ろせる。 山の中は,大きな洞窟になっている。階段があり,ライトアップもされている。 鍾乳洞になっていて,造られた通路が続いているのだ。 ソン川を渡った対岸は,さらにのんびりとした田舎だ。家もあまりない。家や畑から煙が上がり,畑には水牛がいる。自転車で走っている子もいる。3時間ぐらい歩いた。畑仕事をする人々,遊んでいる子どもたち,竹でできた橋…自転車でも借りていれば,もっとあちこちを回れてよかったと思った。 トラクター型のタクシー?も走っている。車内にいるのは,僧侶たちだ。 何もないと思ていたら,小さな小川に竹で造った橋が架けてあった。その周辺には,多くの子どもたち。一気に集まってきた! 街に帰って夕陽を望む。 今日は,画像を羅列しただけの日記になってしまった… ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/11
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今週は多忙だ。さらに,来週は木金土と3日間の出張だ。その後は,少しゆっくりになる。がんばらねば! 今日の更新は,疲労で無理だ…というか,時間がない。今は家だが,深夜まで仕事をしなければならない!職業柄,ふだんから家でもする仕事は多いのだ。 最近は梅雨で天気が悪いので,天気の日に家の庭から見上げた空を!ちょっと雲が広がってきたところを… ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/10
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ミャンマーのヤンゴンから列車に揺られて,古都バゴー(ペグー)にやって来た。バゴーは,あの有名な「ゴールデンロック」(2/20の日記でリニューアル掲載)へ行く中継点の1つでもある。ミャンマー3連発だ! 昨日の日記の中で,バゴーのサイカードライバーにも触れたが,昨年7/3の日記を読み返しているうちに,今一度リニューアルして紹介しようと思った。すでに昨日の日記にリンクを貼っているので,読まれた方や,以前にコメントされた方もおられるが,画像・文章増強版にした。世に出していない画像はたくさんあるのだ。 定刻より20分遅れて到着。時刻は,まだ朝の9時15分だ。駅は,乗客や物売り,ただいるだけの人で,ゴチャゴチャしている。 駅に着くと,構内にいたおじさんが声をかけてきた。なんかの客引きか?と思った。とりあえず,ついていった。おじさんは,勝手に私の大きい方のバックパックを持っている。駅前に出た。サイカー(三輪自転車タクシー)のドライバーだった。ホテルは?と聞かれ,考えていたホテルを言う。別のホテルの名刺を出されたが断る。街から少し離れたホテルにしようと思っていたのだ。どうしても名刺のホテルに連れて行こうとするなら,他のドライバーにするまでだ。駅前には,ほかにたくさんのサイカーがいるのだ。「わかった。」とドライバー。ホテルへ向かった。 そのとき,私は早くホテルへ行きたかった。前日,飲みすぎて腹具合がいささか緩くなっていたのだ。しかし,途中で「ご飯は食べたのかい?」と聞いてきた。「食べたよ。」どうでもいいから早く行ってくれ~!しかし,見事にレストランで止まってしまった…おいおい!「お茶ぐらい,いいだろう?」と言う。仕方ないなあ。店に入る。紅茶が出てきた。少し食べるものも出た。しばらく話した。いろいろ聞いてくる。30分ほどして,やっと出発だ。今度は,ホテルへ向かった。「午後から,どこかへ連れて行くよ。」と言って去って行った。私は,どうでもよかった。「わかった。」と生返事しておいた。 部屋に入った。すぐにトイレへ行く。水が出ない??部品が外れている…つけ直す。応急処置で使えるようにはなった。トイレットペーパーもちゃんとあったが,すぐ横にはシャワーがあり,ずぶ濡れになっていて,全く使い物にならない…画像右側にトイレットペーパーがつけてある。もとは薄いピンクだが,濡れてエンジ色っぽくなっている。どうしようもない… その日は,朝5時に起きていたので,眠たくなり寝てしまう。昼間は電気が来ないので暑かったが,睡魔の方が勝った。 目が覚めた。1時をまわっている。そういえば,サイカーのドライバーは12時とか言ってた。まあ,いないだろう。街へ出ようと,ホテルの玄関を出る。ちゃんとドライバーは待っていた!「よく寝たかい?」あらら…まあ,いいか。このドライバーのお世話になることにした。 まず,お腹がすいた。「どこかレストランに行ってほしい。」,「OK~」で,少し出た大通りにあるレストランに入った。まだ,どんな人かがわからないうちに,一緒に食事をし,生ビールも飲んだのだ。 この画像は昨日も載せたが,このときの食事風景は,このブログの1番最初の日記に画像にしたのだ。あちこちをまわった。そのときの画像は,順次紹介している。 そのうち,「我が家に来ないか?」と言い出した。地元の人の家へ行く機会は,そんなに多いことではない。すぐに「行きたい!」と返事した。街から少しはずれの通りを走り,小さな路地へ入った。道ばたでは,子どもたちが遊んでいる。高床式の質素な家が並んでいる。その中の1軒が自宅だった。 この家も高床式だ。たぶん椰子の木や葉などで造ったものだ。中には,小さな子どもと奥さん,親もいた。お茶を出してくれた。のんびりと話をした。様子からして,ほかの家族は働いていない気がした。暮らしは,そんなに豊かではないだろうが,心の豊かさを感じた。 真ん中の青い服は,現地人ではなく,私だ。もちろん,親子でも何でもない!!初対面だ。この画像を,この年の年賀状に使ったら,あちこちで「現地妻と子か!?」と言われてしまった… 周りの家からは,子どもたちがめずらしそうにこちらを見ている。隣の家からは丸見えだ。この子は,隣の家からずっとこちらを見ていた。こっちの家は,板で造ってあって丈夫そうだ。 近所の家だ。同じ高床式でも,形はいろいろだった。 近所の子だ。子守をしている。子どもが,小さい兄弟の子守をしている姿は,そこら中でふつうに見る。日本も,昔はこうだったと思うが… なかなかいいひとときだった。夕方になってきたので,この日は帰ることにした。 これは,帰りしに振り返って撮ったが,ドライバーの家へ入っていく路地である。狭い路地が入り組んでいるのだ。先ほどの少年が写っている。 路地では,子どもたちがサッカーをしていた。私が通りかかると,この通りだ。この後は,もっと集まってきた。 駅前で,ドライバーと。サイカーは,こんな感じで乗る。このドライバーのサイカーには,バゴー滞在中,ずっと乗ったのだ。 名前を聞いていたのだが,難しかったのと,書いたメモをなくしてしまい,忘れてしまった…何年か後に,また再会したい気がしている。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/09
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今日は,ミャンマーの旧首都ヤンゴンから列車で約2時間の町バゴーだ。時刻表では,1時間50分ほどだが,実際は2時間半近くかかる。 昨日に引き続き,街を歩いたときの画像だ。ヤンゴンとは,かなり雰囲気が異なる。13~16世紀を中心に栄えたが,現在はひっそりとした古都である。 最近,なかなか毎日の書き込みができていない。しばらくは,さらに忙しくなるので,毎日書けない代わりに,1日あたりの画像の枚数を増やしている。多すぎて飽きられるかも知れないが,まあごっゆっくりとご覧下さい!!(^_^) バゴー駅の様子は,5/21の日記や2/25の日記でも紹介している。 駅前には,何軒かの食堂がある。この画像は,到着した日のではないが,朝7時半頃の朝食時の様子である。 駅からすぐのところに店が広がっている。野菜や魚などが売られていた。駅前には,多くのサイカー(三輪自転車)のドライバーたちがいるが,私が乗ったのは,駅構内にまで入ってきて客引きをしたドライバーだった。最初は警戒していたが,いい人だった。ドライバーについては,昨年の7/3の日記で書いている。 2人で昼から飲んでいる。警戒していると言いながら,初日からこんな感じだったが…(^_^;) 街なかにも少しホテルがあるが,ちょっと離れたところに泊まった。駅からサイカーで10分ぐらいのところだ。大通りから地道へ入る。ホテルの周りは,ふつうの家ばかりだ。 泊まったのは,シュエ・シー・ゼン・モーテル。TV,エアコン,冷蔵庫,ホットシャワー,トイレ付きで1泊$13だ。部屋はたいへん狭い。右側は,すぐにトイレとシャワーだ。トイレは水洗だが壊れかけていた…1回流すと,タンクに水が溜まるまで10分ぐらいかかった。便座も歪んでいる。 横には新館が建っていて,$23ドルだ。ここに泊まるときれいで快適だろうが,部屋にいるのは寝る時ぐらいなので,やめた。 この辺りは,電気は夜間~朝までしか来ない。昼は,停電状態だ。こっちでは,これがふつうだ。正確に言うと,一般の家庭では停電の状態がふつうで,通電が特別な時間かも知れない。 冷蔵庫は,あまり意味がない。夜に,買ってきたビールや次の日に飲む水を冷やす程度だ。ミャンマーの電力事情は良くない。 これでも,中級ホテルなのだ。プールもあるのだ。しかし,近所の子どもたちが勝手に入りに来ていた。表の道路から簡単に入れる。従業員も何も言わない。ホテル専用のプールというより,市民プールか池?的なものなのだろう。水は緑色だ!さすがに,ちょっと浸かりはしたが,泳ぐ気にはなれなかった… 子どもたちは,私からデジカメを取り上げ??撮影して喜んでいた。 ホテルのある裏通りから,大通りに出たところ。この通りは,幹線道路で,モウラミャイン~ヤンゴンへバスに乗った時も再び通った。 トラクター型の車は,結構よく見る。 マーケットは,どこにでもある。人がたくさんいるのは,何処も同じだ。 マーケットには,必ずと言っていいほど食堂がある。食材は,すぐに調達できるので新鮮だ! 通りがかりの家。少年がにこやかに見ている。マツダK360が止まっている。数十年近く前の日本車だが,現役で動いているだろう。2/22の日記でも紹介している。 街角に座っている人。やはり,にこやかだった。なんで座っているのかは,わからなかった… 馬車もある。さすがにヤンゴンでは見かけなかったが,バゴーやモウラミャインでは,ふつうに走っていた。 街なかはビルもあり,車や人通りも多い。頭にものを乗せるのは,まあよくあることだ。 道路には,車だけでなく,サイカーもたくさん走っている。撮影時刻は,夕方なので,少し暗い。 ちゃんとした橋はあるが,ちょっと外れにはいると,こんな橋もある。完全に人専用だ。 正面だ。なんとも,のどかな橋だ。 チャカッワイン僧院だ。たくさんの若い僧侶が修行をしていた。僧侶の学校のようなものだ。ここは,見学が無料で自由なのだ。施設はかなり大きく,あちこちに部屋があった。1000人以上が修行しているらしい。 寝泊まりしている部屋だ。1人分のスペースは,ほんの少ししかないが,どの場所にも本が何冊も置いてあった。ふと横を見ると,ライターと灰皿が…いいのかな?? 以前,「街を歩けば」シリーズを少し書いていたが,止まっていた。名前を変えて昨日から再開した。このシリーズは,ときどき書くことにする。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/08
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ミャンマーの旧首都ヤンゴン。首都が,ネーピードー(ピンマナの近く)に移った経緯は,いまだに不明のままだ。行政区には,一般人は立ち入り禁止だ。商業区も別に離れているらしい。 何度も書いているが,行ったのは'05年12月~'06年1月にかけて。11月に移転を開始した直後だ。 ヤンゴン市内の画像は何度も紹介しているが,今日は適当にセレクトした。ブログを始めて1年2ヶ月,不規則に大量に画像をUPしているので,以前に紹介した画像を再びUPしてしまうこともあるが,ご了承を… 街の中心には,スーレーパゴダがある(画像の奥の金色の建物)。あると言うより,ここを中心に街が造られている。あちこちの通りから見えるのだ。境内は,いつも多くのお参りの人々がいる。 ヤンゴンで最も大きいマーケット,ボージョーアウンサン・マーケットに掲げてあった垂れ幕だ。この人は,あのヨン様!?ここでも人気があるのか?? 市内の通りには,そこら中に露店がある。売っているものは様々だ。ここミャンマーでも,周辺国と同じく子どもが働いている。店番をしている。 天秤棒を担いでの野菜売りだ。日本では,もう見られなくなった光景だと思う。路上では,多くの人が野菜を並べて店開きをしている。 路上にある屋台食堂だ。もちろん屋根などない。たくさんのお姉さんたちが,ご飯を食べていた。そこら中に路上喫茶店があるのは,10/26の日記で紹介した。 違う店だ。こちらは,いろいろな人がいる。 街には,やたらと人がいる。歩いている人もいるが,ただ立っている人もいる。ヒマなのか,こんな時間の流れなのか…まあ,日本のように多忙でないことは確かだろう。 もと首都なので,街は大きく人は多い。ヤンゴンの人口は,約250万人~500万人など,いろいろ言われているが,実際はどうなんだろう?とにかく,大都市なのは間違いない。 年末年始だったので,カレンダーが売られていた。それにしても,たくさんあった。この通りに店が並んでいた。こんなに多く買う人がいるのか?? KSSフライドチキン??言語は,英語だ。ミャンマーには,外資系のファーストフード店はないが,欧米系のハンバーガーやドーナツのチェーンなどをマネしたような店があちこちにある。 ピックアップには,多くの人が!これは,バスのようなものである。中の客は,降りるのに一苦労だろう。東南アジアでは,こんな形のミニバスがある。 市街地の北の丘に輝く,ミャンマーでは超有名なシュエダゴンパゴダの西側の門の前にある遊園地だ。入ってはいないが,違法コピーだらけの東南アジア。中国の例の遊園地のようなそっくりさんがあるのだろうか?? 街角で,親の店を手伝っていた少年。前の女の子や後ろの女性の顔に塗ってあるのは,タナカーだ。日焼け止めや虫除けになる。5/22の日記で紹介している。 この日は祝日で,なぜか夕方~夜間にあちこちの路上で子どもたち対象の競争が行われており,盛り上がっていた。景品もあった。 大きな街は苦手だが,ヤンゴンは結構おもしろかった! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/07
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カンボジアのアンコール・ワットの続編である。昨日は,用事と疲労で書けなかった… ここへは,昨日も書いたように,'00年12月に1人で訪れた。 お気に入りブログに登録させてもらっている,「はるる!」さんのブログの7/1の日記に,アンコール・ワットのことが書いてあった。ちょくちょく訪問しているいるにも関わらず,うかつにも,気がつかなかった…まるで,それを見て思いついたみたいだが,全く知らずに書いたのだ。まあ,内容は全く違うが… ちなみに,裏口が紹介されている。確かに私も実際に見た。そこから,子どもたちが出入りしていた。しかし,はるるさん!のようには気にしなかった…なんと,うかつな! ここを訪れる人は多いので,あちこちに画像が出ている。前回同様,遺跡の中身の詳しいUPと言うよりも,独自の視点での画像をUPする。 正面の門から入って,しばらく歩くと十字回廊がある。朱色の彩色が,わずかに残っている。金箔もあったようなので,その昔はさぞかし派手だったのだろう。 その右側の柱には,その昔,ここを訪れた日本人が墨で書いた落書きが残っているのだ!ガイドブックに紹介されていたが,注意していないと気がつかない。ツアーなら,ガイドが言ってくれると思うが。 「地球の歩き方 カンボジア編」からの引用になるが,1715年に徳川家光の命により,インドの祇園精舎を視察に来た島野兼了が間違えて,ここアンコール・ワットに来たらしい。そのときの見取り図が残っているらしい。そのさらに80年ほど前に,ここを訪れた森本右近太夫一房が柱に書いた落書きが今でも残っているのだ!歴史的意味合いが深いので,消されずに残されている。当時は,日本人町がカンボジアにもあり,参拝した人もいるらしい。 拡大してみた。墨で漢字が書いてあるのがわかるだろうか?落書きは,悪いものとされることが多いが,ときにはこのように歴史的価値を残すこともあるのである! 回廊を歩いていると,現地の小さな女の子が現れた。黒いビニール袋を担いでいる。中を見せてもらうと,観光客が捨てたと思われる空き缶やペットボトルなどが入っていた。微々たるものだが,これでお金がもらえるのだ。例えば,この国の公務員の月給は,たったの何千円だ。生きていくためには,必死なのだ。こんな小さな子が働いている。 アンコール・ワットの周りには,いろいろな遺跡群がある。その一部を案内してくれた少年。この子も,まだ小学4・5年生といった感じだ。少年は,堪能な英語を話して案内してくれた。私の英語力など知れている。さらに,なまりのあるブロークンイングリッシュだ。わからないことも多かったが,雰囲気はつかめた。 この少年は,英語を学校で習ったというよりも,観光客などから独学で覚えたと思う。これも,生きていくための術であろう。片言の英語を話す子どもは,あちこちの国で見かける。ただし,お金をもらうための用語を話すことが多い。生きていくためには必死なのだ。 遺跡群の中には,多くの売り子の若者がいた。絵はがきなどを売っている。多くの子どもたちも,ウロウロしていた。近くを通ると,「ワンダラー!」と叫ぶ。驚いた「ワンダー」の意味ではなく,$1(ワン ダラー)ということだ。つまり,「1ドルちょうだい!」だ。 私が遺跡を歩いていると,呼びかけていろいろなポーズを取っている少年少女二人組がいた。おもしろいので,VTRで撮影した。直後に,「ワンダラー!」攻撃だ!!やはり,そうきたか!撮影料?の要求だ。 苦しい生活は,わかっている。つい,かわいそうなどと思ってしまう。あげたい気持ちは山々だ。しかし,ここで“金持ち外国人”が簡単にお金をあげてしまうと,その子たちの将来のためにはならない。手を出せば,すぐにお金がもらえると錯覚してしまう。これでは,真の労働意欲の育成にはならない。それでは,この国の発展につながらないのだ。だから,あえて拒否するのだ。つらいが… きれいに保存されている遺跡ばかりではない。崩れたままのものも多い。茂みの中を歩くと,人間ばかりでなく,ゾウもふつうにいた! 3日間,案内してくれたモトドップ(バイクタクシーのドライバーのルン・サーヴァオさんと。この人は,「アンコール・ワット タクシードライバー組合副長」と日本語で書いた名刺を持っていて,もらった。親戚の中には日本人もいるとのことで,日本のことを話していた。結構,詳しかったが,どこまでがどうかは,わからない。 この人は違うかと思う(だますメリットがなかったから)が,よくアジア各国の詐欺師で「兄弟や親戚に日本人がいる…」といった言葉が使われる。 最後の晩にレストランで一緒に食事をした。一旦ホテルに帰ってから再び出たが,このときのタクシー代はタダだが,食事代は私が出したので,もとは十分にとれているはずだ。 店員とも撮影した。レストランと言っても,屋外だ。ドライバーに連れられてきたが,高級でもなんでもない。 このときは,少し離れたタ・プロームなどいくつかの遺跡や,15km向こうのバンテアイ・スレイ,30km向こうのクバル・スピアンへも行った。未舗装の道路を,何時間もバイクの後ろに乗っていると,赤土で服が染まってしまった。その後,何度洗っても取れなかった。 しかし,初めての一人旅で,いろいろな現地人と話せて,有意義なものだった! ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/05
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カンボジアのアンコール・ワット。言わずと知れた有名な遺跡である。タイやベトナム,ラオス,シンガポールなどから直行便が飛んでいるので,首都プノンペンには行かなくても,ここへは訪れた人は多いだろう。 その辺を歩き回るのが好きな私も,観光地へも,ちゃんと行く。こんな歴史的価値のある遺産を見ない手はない。興味もあるし。 今は,ふつうに1人で旅をしているが,初期の頃は二人旅だったのだ。友人との二人旅の後,弟との二人旅。そして,'00年12月に初めて一人旅になった時に,訪れたのがカンボジアだった。初めての一人旅がカンボジアというのも,なんだが… このときは,バンコクからバンコク・エアウェイズでシェムリアップまで飛んだ。ちなみに,その後シェムリアップからプノンペンに飛んだのだが,乗ったのは今はなきロイヤルエアーカンボージュだった。 これは,有名な画だろう。日本人のツアー客も多く来ていた。年配の方が多かった。アンコール・ワットばかり強調されるが,周囲には無数の遺跡群が在るのだ。 ここは,あまりにも有名であちこちに紹介されているので,細かい内部の様子よりも独自の?画像を載せていく。 建物のあちこちを歩き回った。最後に中心の中央祠堂の塔の上に登った。階段は,たいへん急で狭かった。石の形も一定ではない。それまでに,あちこちの遺跡を回った後,ここには3時頃から来ていた。 昼間は,地平線まで広がるジャングルが見渡せる。方角によっては,民家も少し見える。そんなに高層ではないが,見晴らしがいい。 サンライズとサンセットは,このアンコール遺跡群の別の見所の1つである。そこら中の遺跡から見ることができる。たいへん壮大で感動的な光景なのだ。 アンコール・ワットのサンライズは人気がある。後ろから日が差してくるのだ。見たかったが,早朝は苦手だ… サンセットを見ることにした。これは,日が少しずつ落ちてきているところだ。 これは,中央祠堂の窓から外に出たところだ。画像では,わかりにくいかも知れないが,かなりの高さがあり,足場も狭い。うっかりすると,下へ真っ逆さまで命はない。5時半にもなっていないのに,もうたくさんの人がサンセットを待っている。うっかりすると場所がない。私も居座ることにした。たまたま同じような日本人の兄ちゃんがいて,話していたのでヒマではなかった。 だんだん日が落ちていく。その日本人の兄ちゃんに写してもらった。後ろは遺跡,さらにその向こうはジャングルなのだ。そのジャングルに日が沈もうとしている。 かなり沈んだ。大地の向こうに沈む太陽,何とも言えない空の色・模様…みんな,これを見に来ていたのだ! 時刻は,午後6時ちょうどだ。ここにUPしていない別画像の記録を見ると,6時11分にはほとんど真っ暗になっている。その後に下へ降りているので,門を出たのは早くても6時半過ぎのはずだ。 しかし,今は見学時間が6時までらしい。サンセットは見られないらしい。このときも,時間制限があったような記憶があるが,どうだったかは詳しく覚えていない。 ここでは,今はサンセットは見られないようだが,サンライズは見られる。1度行かれてみては?この雰囲気は,行った者だけが味わえる感動だ! ただし,夜間は真っ暗だ。遺跡の上り下りは,昼間でも足下が悪く,滑ることも多い。周辺の道路も足下が心もとない。さらに,治安にも気をつけたい。女性だけの行動,単独行動などは危ない。 明日は,遺跡周辺にいる子どもたちや,遠い過去に日本人が書いた落書きを紹介する。 ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/03
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台湾の台北車站駅からMRTで西へ1駅行くと,西門駅だ。地下にある駅から階段を上がると,西門町がある。ここは,台北の渋谷と言われている。実際には,原宿に近いらしい。この町は,もともと日本統治時代の名残が残る町である。 今日は,田舎とは正反対の“都会”だ。大きな街を歩くことも多いのだ。 ここには,多くの若者が訪れる。中高生が多いとのことだが,学生や家族連れも多く来ていた。親日家が多い台湾。「哈日族」と呼ばれる日本が大好きな若者のメッカらしい。日本のグッズやファッションの店,日本料理屋もあった。 街頭ビジョンもある。大きな音が鳴っている。まるで,日本だ。土曜日だったせいもあるだろうが,とにかく人でごった返していた。 屋台も,ちゃんとある。日本の渋谷や原宿は行ったことないが,屋台なんてあるんだろうか? 路上に3つほど看板が見えるが,イスを支柱に立てている。持って歩いている人もいる。持ち手の中には,高校生らしい女の子もいた。アルバイトだろう。 夜だ。昼間からずっとこの町にいたわけではない。これは,金曜日の晩だ。つまり,金曜の晩と土曜の昼に行ったのだ。 晩と言っても,7時前後なので人が多い。やはり,賑やかだ。 屋台は,昼間よりも夜の方がたくさんあった。それも,いろいろな種類の店が並んでいる。客もたくさんいた。 表通りは,派手できれいに見えるが,ちょっと路地裏に入ると,こんな感じだ。こんな路地が,あちこちに広がっている。 この町には,多くの日本人観光客も来ているだろう。何せ,台鉄台北駅・MRT台北車站駅から1駅だ。都会もおもしろいが,どうも疲れる… ↓ はげみになります クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします!人気blogランキングへこちらも!クリックで,本サイトへ!本サイト
2007/07/01
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