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消えていた名刺入れは、免許証、カードと共に発見された。車の中に落ちてたらしい。この間、窓を閉め忘れて強烈な悪臭が漂うようになったので、掃除してたら発見された。
2008年09月04日
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丸々一週間子供たちと過ごした。休み中仕事のことを殆ど考えなかったのは久しぶりのこと。やること山積みでも、こういう時間が必要なのでは。明日から仕事だが、出張で開始。
2008年08月17日
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ブログを除いてない間に、いろいろ心配してもらったみたいですね。みなさんありがとう。今回はまだ帰ってきません。ホワイトハウスコックスというちょっといい感じの名刺入れだったんだけれど、残念。カードもANAのスーパーフライヤーズで飛行機乗るときに使ってたので、ちょっとあわてました。まずい、飛行機乗れないかもという感じでしたが、無事eチケットも出せたので一安心。いつも頼っているものがなくなると、本当に困りますね。もっと大事にしないといけなかったのかな。暑さでまいって意識が散漫だったかな?
2008年07月23日
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航空券買うのにいつも使ってるカード紛失。朝でがけにポケットに入れたつもりだったんだが、名刺入れと共にどこかに消えた。駐車場で車を止めたときに落としたのか、行った先か、道すがらか全然分からん。このカード何年か前に愛地球博でも落としたぞ。その時は、いい人に拾われて、戻ってきました。エディも使われずに!今回はどうでしょうか?
2008年07月17日
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課長 島耕作で有名な弘兼さんの作品だが、Yahoo の電子版コミックで見つけてちょっとはまっている。サスペンスあり、色恋ありと青年向けには趣向を凝らしているが、政策面などちょっと骨がある感じで、よく取材したんだなという印象。全共闘世代で政治には関心があったそうだが、この漫画をドラマ化しようという政治家のグループもあったらしい。もう15年以上も前の漫画で今頃見ているのが遅すぎだが、今読んで見てもまだ通用しそうな感じがある。漫画は、うどん屋で少年ジャンプを眺めるぐらいだったが、麻生太郎は漫画で世相が読めるといっているから、見方によってはそうかもしれない。
2008年07月01日
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今日は子供の柔道大会。室戸まで行ってきた。片道2時間でけっこう遠い。ちびさんたちが奮闘。うちのは、出場した中で一番のちびが敢闘賞をもらった。自分よりでかい相手に畳に顔から叩きつけられながら、それでも自分から技を掛けて一歩もひかなかったのはよかった。そこだけは似ている。おいらは弱かったけれど、奴は強くなりそうだ。道場の子供たち一人ひとりに声援を送っていると自分の子供が増えたような気にもなる。こうやって休みの日に子供と過ごせるだけでも幸せかも。
2008年06月15日
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経済状態が結構シビアなので、FXに挑戦してみようと思っている。鳥居万友美さんという主婦が書いたFXの入門書を昨夜から眺めていて、FX Onlineのデモ版をダウンロードしたところまではよかったのだが、その先が…。デモ版でどう注文発注するのかが不明で悩んだままで昨夜は終わり。でも、このFX取引が夜の10時から12時ごろまでで1-4万円程度も儲かる可能性があるらしい。(儲かるということは損する可能性もあるということだが、普通はそっちは無視する。)4万も儲かれば一週間で20万いくよ。金の先物をやってたとき一日に5,6万は稼げることがあったが、それをコンスタントに続けなきゃいけないんだね。そういう観点がなかったなあ。この日とちょっとすごい!!と思って見ているわけです。www.mayumifx.comというページもあっていろいろ情報が載っているらしい。マックイーン版のThomas Crown Affairsでは彼は「裁定取引をやって金がうなるほどある」という設定だったが、うなるほど無くてもいいから、うならないでいいくらいは稼ぎたいもんだ。
2008年06月13日
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今日はこちらは雨です。雨が降ると、昔突発性難聴(あゆさんがなったのと同じ病気)になったほうの耳が変な感じになります。人間の身体は、気圧の変化も敏感に感じることのできる高性能の測定器のようですね。 しかも、自然の変化だけではなく、周りの人たちの心の変化も結構敏感に感じますね。機嫌を損ねている人が一人いると、そういう雰囲気が漂ってきます。自分がへそを曲げるだけで、これだけ周りにも影響を与えられるというのは、すごいといえばすごいことです。しかも、親しい仲のほうがその影響が大きい。知らない人の心 の変化なら、無視しようと思えば無視できますが、家族のこころの変化は気になるものですからね。
2008年04月17日
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A thrilling medical mystery with attractive characters. Beautiful lady surgeon and a rugged woman cop who disliked each other, but finally saved each other's life. Our favorate Jane Rizzoli have newly joined to homicide unit in this novel. There is wicked air between she and other male cops and she is struggling through it. It was only Thomas Moore, a middle aged cop, she can trust. There goes horrible and brutal killing of young woman and the killer seems to have anatomical knowledge to perform such a killing. There was a similar homicide a year ago and the unsub seemed to be a copycat serial killer back in several years ago who was killed at the site of crime by the victim, Catherline Cordell, a surgeon.
2007年05月14日
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I came to know her book when I was searching a book to read on Amazon.com, the site told me her book may interest me as long as I like Robin Cook's book. "Vanish" is a detective story filled with medical examiner's involvement. Tess's way of telling the stories is very clever. Several monologues of a teen smuggled from Russia seeking a New World but only finds a hell filled with enemy of women, a medical examiner finding a corpse waking up in the morgue, a mama-to-be cop trapped in a hostage during a radiologic exam before laboring a child, all go tangling and finally tapered into one thread. Wording is rather easy to read and guide you to cover to cover. She portraited woman characters vividly and shows inside of their minds. Could be a good guide to know woman minds.
2007年05月13日
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私の友人でSiberian Pipeline Coffee CompanyのPresidentのPeterが結婚する。彼は以前、日本人女性と結婚することになっていたのだが、複雑な事情で破談になってしまい、もう50近くになってしまった。彼とは10年ほど前、ニューヨークの田舎の学校で知り合い中古車(スバル88年式?)をシェアしていた。当時、僕は殆どペーパードライバーだったが、そこで学内の食料売り場をつくってDunkin Donutsなどを売っていたので、雪に閉ざされたBarrytownから近くのKingstonという町まで車を走らせていた。PeterはLearner's permit(仮免許)のみだったので、私が隣に座って教習をやったものだ。日本では岡山の教習所と東名高速道路しか走ったことが無かったので、私の運転はアメリカ仕込である。乗った人なら分かるだろう。 この25日に式を挙げるらしく、招待も受けたが残念ながら参加できない。昨日電話したら、非常にうれしそうで、幸せそうだった。相手の人はフィリピンの人だそうで、話をしたが陽気でいいひとだ。お幸せに!Peter.
2006年12月20日
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子供を虐待したり殺してしまう母親や父親が続出しています。ガキが何人もいる我が家には、4歳児もいますが、この子と同じ年の子供がご飯ももらえないで部屋に閉じ込められていたり、親に手をかけられるというのは、痛ましいという言葉以外になんといってよいのかわかりません。まだ、捨て子にするほうが、マシなんじゃないかと思います。 子供が生まれなくて困っている人もいるのに、生まれてきてくれた子供を殺してしまうなんて、どうしてそういうことになってしまうのでしょう。
2006年11月13日
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世の中には、プラチナカードやブラックカードという見たこともないようなカードを持っていて、月に何百万もお買い物をする人がいるようですが、僕のクレジットカードのとお付き合いは、借金をするために必要だからということで持っています。昔はカードのキャッシング枠ぎりぎりに借りまくって、自転車操業をしていた頃もあります。セゾンカードからもお断りされたこともあり、がっくりしましたが、ダイナーズクラブが拾ってくれてからは、これが僕のメインカードになっています。当時は9000円の年会費だだったのが、今は大分高くなりました。ダイナーズクラブの何がいいかというと、黙って100万円貸してくれることでした。理由も不要、年収証明も不要で、大学院時代の殆ど収入の無い時代も、助けていただきました。 ダイナーズクラブといえば、クレジットカードの草分けで、アメリカの富豪があるときレストランに財布を忘れていき、大変に困ったので、財布を持たなくても信用のある人にカードを持たせて、支払いをできるようにしようということで、作ったそうです。昔は紙でできていたらしいです。そういう成り立ちのカードを全く逆の格好で使い始めたわけですが、電話の応対なんかを聞き比べても、ダイナーズクラブは他のカードよりいい感じです。昔は富士銀行の関係だったのが、CITICORPに変わってから、対応が落ちたという話も聞きますが、昔のことが良く思えるというだけのことかも知れません。 このカードでお金を借りて、自分の収入以上にいろんなことをするという傾向は今も収まっておらず、オリックスVIPカードというカードも通常の枠以上に貸してもらっていますし、他にもあるよという感じです。年齢を重ねるごとに大きな借金ができるようになって、すこし大物になったのかなと思っています。この借金体質は子どもたちとモノポリーをするときも変わらないようで、うちの子供たちは借金を絶対にしないのですが、僕は全部のカードが裏返るぐらい借金してます。ゲームでも借金がかさむと重苦しくなるのですが、借金をせずにはいられない変な性格のようです。 ちなみに、高級外車を何台も持っているとかという理由ではありません。今の車を買ったときには、前もっていた2台を売っぱらって、株を処分したお金を加えて買ったので、殆ど借金はありませんでした。一応、その借金も生き金になっていると信じています。自分の枠を精一杯広げて生きてこそ、自分の器も広がるかなと期待をしながらやっていることです。でも、ここ1年ぐらいで借金をちゃらにして、一気に反対側に突き抜けたいところです。
2006年11月06日
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当直おわり。これから帰ります。途中で朝マックしよう。昔、高校まで住んでいた地域ではマクドといっていましたが、あなたの地域ではマックですか?英語ではMacDonaldというような名前はDonaldさんの息子という意味のスコットランドの言葉なので、(つまり、DonaldsonとMacDonaldは同類です)macDonaldのようにDoのところに一番のアクセントが来ます。その面では、マクドはドを強調しているので○でしょう。 アメリカにはKing Burgerというのがありますが、今年のSuperbowl(ballではなくbowl:御椀のような球場でやるから)の際に、テレビ放映で赤や緑、しろのドレスを着たきれいな女性が螺旋階段を上がっていき、天辺に王冠をかぶった王様がいるのですが、そのあたりからみんなハラボテのような格好で飛び込んでいき、ハンバーガーに重なるという宣伝がありました。Macとちがって、トマトやレタスが普通に入っているのがKing Burgerなのです。Superbowlの時には、一見しただけでは何かわからない宣伝が放映されるようで、それを楽しみにしている人も多いようです。
2006年11月04日
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先物取引というとかなりやばそうですが、今度は日経先物をやってみようと思っています。以前、金先物をやっていましたが、リスクの取り過ぎのためか始めは60万ぐらい儲かったんだけれど、200万ぐらい損しました。120万の金1kgを取引するのに6万円の証拠金を出せばよかったので、めい一杯10枚とか買ってたのですが、突然急落してパーになりました。 こういうレバレッジをかける方法は、ロバートキヨサキ金持ち父さんにもでてきてこれをマスターするとお金がなくても、お金に働かせて、お金ができるようです。キャッシュフローゲームの101は普通の株式投資や投資信託、債券、不動産、ビジネスしか出てきませんが、201ではオプションや空売りなどの信用取引が出てきます。お金がないと、お金に取り付かれて、借金に押しつぶされそうになったり、不法行為に手を出したりとひどいことになります。そういうのは嫌ですね。 ほぼ年収相当の借金があるので、これをどうにかすっきりしたいところです。しかし、欲張ってレバレッジを効かせすぎると、金先物の二の舞になるので、リスクをできるだけ小さくしてやりたいですね。日経225先物ミニというのが、通常の10分の一の証拠金でいけるらしいので、それをやってみようと思います。
2006年11月03日
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久しぶりにネイティブの岡山弁を聞いてきました。大学の二次試験の朝、西口駅からバスに乗って、女子高校生の「じゃあ、じゃあ」という相槌に不思議な感じを抱いたときから、もう大分経ちました。岡山駅がいま大変身中で、次に行ったときにはさらに迷うことでしょう。 ちょっと、ばたばたしていて大手饅頭を買い忘れてしまいました。岡山行ってきび団子買って帰る人は多いけど、大手饅頭がおいしいですよ。それから源吉兆庵が最近羽田にできてて、東京行くたびに、そこで岡山を思い出します。
2006年10月31日
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大学は普通の企業ではないので利益を追求するというだけでは困るでしょうが、今までのように公務員だから定年までは首にならないし、給与も年々挙がっていくのが当然という考えは法人化で消えたと思っていたのですが、どうも引きずっているようですね。人事院勧告に準じてというのがいつまで続くんでしょうか?独自の戦略を打ち出して、多少我慢してでも小粒でもぴりりと辛い大学にしようという意気込みが経営陣には足らないのでは...と思います。若手がしがらみに縛られない意見を提出してもなかなか聞いてくれないというのはどこかの国の行財政改革と全く同じ構造で安倍政権を注視するのとおなじくらい大学の経営には目を光らせないといけないようです。ドラッカーは21世紀は公共サービスの時代だといっています。大学や病院といった公共サービスを提供するところが何を成果とするのかという観点で評価し、独自の経営の指標を出さないといけないのかもしれません。大学のスタッフ一人ひとりの仕事は教育、研究、医療、社会貢献であるでしょうが、経営陣はただ文部科学省の言いつけどおりに何かをするのではなく独自の戦略を提示することこそ本文だと思いますが、大学人が経営のプロになるのは難しいことのようです。
2006年09月29日
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石井さんという人が書いているプチリタの話しっていますか?結構売れていて女性にも人気があるようです。本は読んだことがありませんが、メルマガの登録をどこかでしたらしく、ずっとその関係のメールが来ます。「直ぐに辞表を提出しよう!」「理解されない人は成功者になれる」「時間が欲しかったら風呂に入る時間をなくそう」という調子でかなり過激です。しかし、僕も結構過激にやっていた時代があるので共感できる部分もあります。経済的には彼ほど成功していないですが…MIXIが上場して売り出し価格の10倍の値がつき、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)というネット上の村づくりも活発化しているようです。中には悪い人も紛れ込んでいるのでしょうから、気をつける必要はあると思います。でも、本田健さんの本でも、多くの人に共感してもらえて、彼らを巻き込んで行えば一人ではかなり難しいということでもあっという間に達成できます。僕もなかなか人を信じないところがあって、なんでも自分ひとりでやってしまおうという傾向があり、背負い込みすぎることがよくあります。そうすると実力の6割程度しか出せずに終わってしまうこともあります。「これが大変なんだ」といって友人に愚痴るだけでも力が湧いてできてしまうこともあります。友人が協力してくれることもあります。影で支えてくれているということも限りなくあるでしょう。そういう現象がSNSでも起きるのかなとちょっと期待して、前述、石井さんのやっているココロネットというやつに入ってみることにしました。なにかいいことが起こるでしょうか。すこし楽しみです。
2006年09月20日
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英語で日付書けますか。英国式だと16 September 2006米国式だとSeptember 16, 2006 ですね。斜線で区切ると 9/16/06です。2006/9/16の順に書く人もいます。英国式はカマ(comma)がないのに、米国式はカマがあるのは数字が二つ並ぶからだと思います。でも、曜日が入るとどうでしょうか。子供の頃に毎回Monday, September 11, 2006と書かされていたので米国式だとカマがいるのは知っている(つもり)なのですが、英国式だとどうなるんでしょう。さっきの理由がカマの存在意義なら、文字の次が数字になる英国式ではカマは不要???知っている人がいたら教えてください。
2006年09月16日
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Barneys NYと書いたのに、そのことについて書いていなかったので追記。それとapostrophe " ' " は不要らしい。 イタリア製の洋服はちょっと若者向きかなと思って今まで買ったことはないのだが(イタリアの学会帰りに空港でBoggiのジャケットは買って帰ったことあり)、昨日寄ったBarneys NYにはちょっといいスーツがあった。前にも、横浜の店で目を付けていたのだが、1年振りくらいに着てみてもやはりきれいなスーツだと思った。Castangiaというのだが、日本ではBarney's NYにしか置いていないらしい。仕立て屋さんに仕立ててもらうと自分の体型に合わせていろいろ補正をしてもらっているし、腕がいい仕立て屋さんだとよく作ってあるなあと思うのだが、プレタポルテは完成しているデザインなので、全体のバランスがよいからだろうか。 いくつか違うブランドのものを着てみたが、圧倒的にこのCastangiaがよかった。しかし、値段がいいのでもう一声出せば仕立てられる額なのだ。なんか理由をつけないと買って来れない感じ。やはり株で一儲けして、「パーッと行こう!」という感じでなきゃ買えないかもしれない。松阪屋にHenry Pooleという英国の老舗の仕立て屋の既製品が置いてある。仕立ててもくれるようだが、Castangiaのほうが断然よかった。福井にいる非常に腕のいい仕立て屋さんに作ってもらったことがあって、できればそこでいつも作りたい(夢は大きく!)。彼のマイスターなら、おそらく、型崩れがしますよと忠告するのだろう。実際に、Barneys NYの店員さんもそういっていた。確かに仕立てたスーツは型崩れがしない。脱いでもかっちり形が整っている。それがよいか、今風のUnconstructedなスーツがよいかということだろう。でも、たまには今風の洋服をきて若い気持ちになってみたいもする。
2006年09月14日
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朝から御茶ノ水で会議だったので、昨夜は山の上ホテル泊。いままで泊まったホテルの中ではかなり気に入っている。たまたまかどうか、前回と同じ部屋だった。単に楽天の予約の割引の部屋がそこなのかもしれないが、快適だった。前回同様、夜食にハヤシライスを頼み、朝はてんぷら山の上で朝食をとったが、前回ほどの感慨がなかったのかまあ普通に旨いなという程度であった。前回はくたくたに疲れていたので、ホッとしたところに旨いものが出てきたので、ああ旨いと感じたのかもしれない。昼は幸いにして、何も出なかったので飛行機の時間まで3時間ほどあったので銀座まで出て天一で天丼を食した。ここの天ぷらは旨い。出張費ではこんなところで食うほどのものは出ないので自ずと持ち出しになる。勿論、山の上ホテルに泊まるほどのものもでない。こういう出張にはできるだけ金をかけないというプラクティカルな人もいるが、僕は人生経験だと思うので、ひどい贅沢をしようとも思わないけれど、評判のよいホテルや食堂があれば寄ってみたいと思う。その評判というのが自分のオヤジの世代の人が言うことを頼りにしているので、同年代の人からするとちょっと時代遅れかもしれない。お土産に羽田限定黒い東京バナナを買って帰宅。これからPTAの集まりがある。
2006年09月13日
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国際語としての英語をマスターしたいのか英国人や米国人になりたいのか。日本を世界に伝えたいのか。ということも、考えてみるとよい。英国人俳優や米国人スターのしゃべり方をそのまま真似て振りも添えてやってみるというのは楽しい勉強法だと思う。僕も結構やってみた。大分昔、東後勝明先生がやっていたラジオ英語会話は、米国人だけではなく英国人の登場人物がいて微妙に発音が違っていて面白かったし、アルクのEnglish Journalではそれこそあらゆる国籍の人が登場して、訛りが強くて殆ど聞いていても分からない人もいた。10分程度のインタビューを聞くというのは結構しんどいが当時高校生だった僕でも何回も繰り返し聞いて結構分かるもんだなというところまではいった。 年齢を重ねて世の中を知ってくると経済の動きとか政治の舞台でどのような登場人物がいてどういうトピックがあるのかということも分かってくる。こういう背景を知ることはどのような言語を使っているとしても情報を掴むためには重要だ。日本語の中にはかなりの外来語があり、日本にいる大人の殆どは学校でならった英語とあわせて2万語程度の英語の単語を理解可能だという。勿論カタカナ英語のすべてがそのものの意味を表すわけではない。アメリカで初めて英語を習った頃、一緒にいた妹がウイニーの宣伝の歌を歌っていたら、「それはおちんちんのことよ!」と日系一世のお母さんに怒られてしまった。そういうこともあることを忘れてはいけない。お父さんにパピー!なんて読んでいる女の子!それはpuppy子犬ちゃんのことですよ! さて、本題に戻るが、戦後の占領のせいか、日本の英語教育は米語一辺倒だが海外で学会などに参加したり、アジア諸国で話をしてみるとむしろ英国の英語に近い発音が多いように思う。米国に留学した人も徐々に増えているので一概には言えないが、米語といえども英語の一方言と考えたほうがよいかもしれない。正しい米語は3大放送(ABC、CBC、NBC)のアナウンサーしかしゃべれないというほど米語の方言はいろいろある。Ronald Reaganが話した英語とGeorge Bushが話す英語は全く違って聞こえる。金持ち父さんのRobert Kiyosakiは日系人なので「この英語なら真似できそう」という感じがかなりある。興味のある方は、www.richdad.comを覗いてみよう。
2006年09月12日
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英語の発音は日本人にとってはちょっと難しい。全く同じにはできないとあきらめたほうがよいと思う。西洋人と口腔の中の形が違う。だから多少工夫をしないと似た音にならない。ところで、世界で活躍しているビジネスマンや外交官の英語を聞いてみると、留学帰りのお兄さんたちお姉さんたちとはかなり違うことが多い。はっきり言って発音自体は下手な人が多い。しかし、見事なほどに論理的で、必要なメッセージが含まれていてはっきりと相手に伝わる。十分にコミュニケーションしている。アメリカでグリーンカードを取得して、アメリカ人と対抗して生きていこうと思えばCalfornia Rを身に付けないと出世はできないだろうが、国際人として生きていく上には論理的な思考やユーモア、異文化の理解、伝えるべきメッセージを持っていれば十分すぎるほどの活躍ができる。まず、目指すべきところは日系アメリカ人の英語か?勿論、自分はCatherine Zeta Jonesが大好きで、その口真似をしているとか、何が何でもSean Conneryだという人はその路線で行くしかない。小林克也が南部訛りの英語を話すのは有名で、彼の発音は日本人離れしているなあとその昔うらやましく思ったものだ。しかし、個々の単語の発音が非常にうまくてもメッセージが十分に伝わらないスピーチをしてしまう人もいる。区切るところを間違えていると非常に聞きづらい。そしてゆっくり過ぎるスピーチは話がどう流れていくのかみえない。原稿のあるスピーチはある面非常に簡単だが、原稿のない即興のスピーチやちょっと知的な会話ということになると積み重ねないとたくわえが底を突くことになる。AOLのchatをアメリカの友人としたことがあるが、別のアメリカ人もそのchatのなかにいたこともあり、挨拶してちょっと発言しただけでついていけなくなったことがある。思ってタイプしようと思ったら、既にそれに対する反応が書かれてしまっている。それに対する答えを考えていると次のメッセージがという調子で、彼ら同士の会話のスピードに対応するのはかなり大変だ。理解するだけではコミュニケーションにならない。そのあたりが、今の自分の限界のようでその頃の状況から大幅に上達したとはいえないだろう。英語でのBlogをやるべきだなとはおもうが、継続的にはできていない。彼の「英語道」の松本道弘氏は英語で日記を書き、日系アメリカ人と偽ってデパートなどで英語でしか話をしないという訓練を続けていたそうだが、日本に居ながら英語を習得するにはそれなりの努力が必要だ。ただ、努力といっても好きなことならば長続きがするし、努力という印象も薄れる。ファッション雑誌を眺めるのが好きな人なら、ELLEやVOGUEといった雑誌の英米版を購入すればよい。アメリカの雑誌のHPでは定期購読のキャンペーンが時々されていて、以前にEsquireが年間8ドルというので「うそだろう!」と思って注文したら、毎月アメリカから送られてきて本当に8ドルしか取られなかった。でも、これは国際郵便代を明記し忘れていたらしく、次の年に更新しようとしたら、北米以外は受け付けませんという状態になった。注文したのは僕だけではなかったようだ。現在は郵送費が別に取られるようになっている。購読してみてはいかが?
2006年09月11日
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ということで、英語の習得法を書いてみよう。オヤジが英語の研究者だったせいで、小学校の頃に中学生の教科書と辞書を渡され、「これを訳せ。」と言われ、大学ノートに本文を書き写し、辞書を引いた言葉に線を引き、反対のページに訳を書く。これをオヤジ殿が○×を付けるというのが英語勉強事始であまりよい記憶ではない。今の世の中のように、素敵でやさしい青い目の先生がやさしく教えてくれたのではない…とひがんでみたところ、ああ、それ以前にLos AngelesでBobbyのお母さんに習ったのが最初だと思い出した。オヤジ殿の留学に随行したわたしたちは現地の小学校に入れられた。だが、全く英語も分からないので、特別授業を受けることになった。その担当者が日系一世のその先生だ。丁度、息子さんがわたしと同じクラスでよく面倒を見てもらった。確か一番最初に習った言葉が、ant(アリ)とaunt(伯母さん)。それから、fat(太っている)とthin(痩せている)ではなかったか。それをしばらく続けた後、本当の外国人向け英語クラスに入れられ、アメリカ人の先生の厳しい発音の訓練を受けた。中でもよく覚えているのが、thirteen。thの発音が上と下の歯で舌の先を軽く挟んで、引っ込めながら発音し、「(サ)トゥルルティーン」という感じで発音するのを数十回やらされた覚えがある。西海岸はrの発音に厳しいようだが、そのせいもあったのだろう。 さて、若し読者の方が英語を習得したいと今考えていて、どこから始めてみたらよいのか分からないと思っているのなら、まず、英語を使う国について興味を持つことからはじめてみたらどうだろうか。それには彼の国の本を読んでみることだ。ベストセラーになったDaVinci Codeの訳書でもよいし、「大草原の小さな家」でもよい。今考えてみると、子供の頃に見たアメリカは魅力的な国だった。肌の色や髪の色目の色のの違う子供たちが一緒の学校に通い、言葉が分からないながらも一緒に遊んでいる(勿論、言葉が分からなかったのは妹と僕の二人だけのようだったが)。唇を横に広げて、えくぼができるような笑顔の国、すばらしい青空。もう少し長くいたならば、苦労せずに英語を習得できたのだろうが、4ヶ月のみの滞在で帰国したおかげで、英語を習得する難しさも体験できたと言えるだろう。 彼の国に興味を持ち、自分が興味のある音の出る教材があれば、それを使ってみるのがよい。英語のポップスなどが好きであれば、その曲を聴き口ずさむのがよいだろう。事実、同級生にもBeetlesが好きな奴がいて、えらく発音がうまく感心したものだ。僕はその頃、そういう音楽には関心が無かった。むしろ、「大草原の小さな家」にでてくるお父さんに西部開拓魂のようなものを感じ、その話が好きでたまらなかった。だが、我が家には二ヶ国語放送のチューナーなるものが無く、友人に頼んで録音してきてもらったりしたものだ。そうやって聞いた大草原の小さな家は、日本語の放送を聴いているから内容を追えるものの、基礎英語や続基礎英語とは異なるスピードだった。実際に話されているスピードでなければ、役に立たないなとそのとき強く思った。
2006年09月11日
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作家や評論家が「私は雑誌に何本の連載を抱えています。」というと格好がよいが、Blog等の普及で今すぐにも何本もの連載を抱えることができる。要は自分で自分にあるテーマで文章を書いて意見を述べてみよと課題を出して、思うさま書いてみればよい。その瞬間から、作家になれるし評論家になれる。新しい考えの提案者になれる。もちろん考えているというだけの話ならば、一億人以上の人が悩みながら生きているこの国の中だけでも似たようなことを考えた人はいるのは確実で、それをどう実現するのか、どういう体験があるのかというあたりが他人と自分を分ける違いになるのだろう。考え方が斬新であるというだけでは、その人の実に成っているとは言い難い。 作家であれば、自分が生きてきた中で感動した体験があり、その感動を伝えたいという気持ちがあって、それを表現しきったときに分かってくれるひとが何人か現れるのではないか。それが明確なテーマを持つということだろう。テーマからずれていると何か違うなという印象をぬぐえない。一貫したテーマがあれば、この人はこれを伝えたいのだなということが分かる。その人の意図が分からない話は、普通の会話でもやりづらい。「今日はただ話がしたくて来たんだな。」という理由であっても、明確なメッセージを出しているほうが付き合いやすい。 十分には使いこなせていないが、RSSリーダーなるものを使えば魑魅魍魎が渦巻くインターネットの世界から自分の関心のあるテーマを常にフォローしていくことができる。一級の執筆陣さえそろえることができれば、個別の雑誌を編集するようなものだ。ある人の話によれば、本を書こうと思えば、一人の明確なターゲットを意識してその人に語りかけるつもりで書くのがよいのだそうだ。その人の背後には20万人の似たような読者がいるのだという。今はその20万人につながる一番よいルートは出版社のようだが、徐々にインターネットの無料の世界に変わっていくらしい。無料の情報で且つ信頼性の高いものというのがGoogleのPageRankなどの信頼性の指標で示されるようになってくると雑誌社の意向に沿った文章を信頼性の高いものとして読んできた時代から、世界中の人が信頼性が高いと考える記事を自分で編集して読むような時代へと移り変わっているらしい。 わたしも2,3本の連載を抱えて書くという訓練を始めてみようと思う。最初のテーマはなんだろうな。英語の習得法、国際的日本人、男と女は分かり合えるか、なんてところだろうか。
2006年09月11日
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本日は朝から当直。コンバインに巻き込まれかかった人が来た。幸い脂肪の多いところで血管など損傷なし。その他、蜂刺傷、クラゲ刺傷など。越前クラゲは今年は少ないらしい。ケーブルテレビで壬生義士伝をやっていてちらりちらりと見ている。ずいぶん前に新春12時間ドラマでやっていたときにも見たが、極貧の南部の武士が妻子を養うために脱藩して新撰組に入る話。こういうドラマを見ると自分がこの吉村嘉一郎の立場だったらとついつい話の中に入り込んでしまう。極貧で食べられずに死ぬということに実感がわかない自分は恵まれすぎか。自分の稼ぎをすべて里に仕送りし、自分は裸一貫で命を懸けるという生き方はかつての出稼ぎ労働者に通ずるところがあるのかもしれない。今の自分はそのくらい妻子のために尽くしているのかと考えると疑問だ。尤も何をしたかというだけが、すべてではあるまいが。形だけで心が伴っていないということもありうる。結局、自分が納得したやり方でなくてはやったことにならないし、相手にそれが伝わらなくては完結しない。死んでしまって後に始めてわかるということもあるようだが…壬生義士伝、小説はもっとよいようなので、読んでみたいものだ。大分昔にミンピの井戸?のシリーズを読んだが、壮大な話を書ける作家だなと思った。
2006年09月10日
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昨日は子供をつれて近所のグリーンセンターへ。一輪車の練習をしたり、子供と相撲を取ったりした。子供はエネルギーが有り余っているらしい。投げても投げても襲い掛かってくる。5人もいるのでなおさら大変。足を持ってぐるぐる回すと大喜びで「もう一回やって」と騒ぎ出す。犬の訓練をしている人がいた。フリスビーを投げると矢のように飛んでいく。この犬も失敗しても何回も何回も挑戦していた。一輪車も失敗を厭わず繰り返して挑戦する子供のほうが上達が早い。あまり比べてしまうと、上達の遅いほうがやる気をなくすので、どう励ますか難しいところだ。
2006年09月10日
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うどんの映画がなかなか面白いらしい。讃岐で育った者としては大変うれしい。楽天の亀城庵さんもなかなか旨いが、最近再会した小学校のころの友達がやってる店(郷屋敷という)もなかなか旨かった。香川には旨い店は山ほどある。つい最近までは、香川のどのうどん屋で食っても旨いと信じていた。セルフサービスも子供の頃毎日通った枝川など最高に旨い。昼時になると行列が店の中から外までできている。大体県庁の職員だろう。その当時、かけ小で70円!これがうどんの麺がプルプルで最高に旨かった。そういう体験があるので、この間、栗林公園の近くの青空駐車場に止めて、「おじさん、ちかくに旨いうどんや無い?」ときいて紹介してもらったセルフの店が不味かったのには閉口した。これはなんというべきか、昼時をはずしたのが失敗の原因かもしれない。明らかにゆでてから大分たった乾き始めのうどんをあたためて…「岡山のセルフうどんのレベルだ!」とあたためるそばから思っていたら案の定旨くない。やはり、はるばる来たときは知った店しか行かないのがよいのかと思った。 しかし、その岡山(といっても倉敷の水島だが)で珍しい本物のうどん屋にであったことがある。これも高松で近所にあった「こんぴらうどん」の名前そのもので、入ってみると細切りざるうどんがある。ちゃんぽん麺ぐらいの細さのざるうどんでしかも讃岐うどんのプリプリ感だ。オヤジに聞いてみると、高松のこんぴらうどんで修行をしたという話で納得した。
2006年09月05日
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妙な名前のホテルだが、結構部屋はきれいだ。TBSの裏にあり、疲れ果てて赤坂までたどり着いた昨夜は地下鉄の駅から遠いなあと感じた。モダンな作りでテーブルなどは曲線で狭い部屋の中に快適な空間ができている。シャワーしかないのだが、洗面所からの空間も清潔でシックな感じ。そのシャワーが、手に持って使えるものと、頭の上から垂直に打つものと、腰にあたる感じのボディーシャワーと三種類あり、これがなかなかよい。洗面所の空間も狭いのだが、そこに拡大鏡?クローズアップミラー?なんと呼ぶのかは知らないが、ひげそり用の拡大鏡がありちょっとうれしかった。この鏡、大分前にドイツのドルトムントの個人営業のホテルに泊まったときに初めて使ったのだが、そのときこんなにいいものがあるのかと大変喜んだ記憶がある。しかし、日本に限らずアメリカその他の国でも高いホテルに泊まったからといって必ずあるものでもない。髭剃りは男の身だしなみの基本なのだが、そういう配慮のあるホテルでいいなと思った。 朝食はビュッフェ。ホテルの雰囲気が西洋風なので洋食を取ったのが間違いだったらしい。やはり日本で洋食の朝食の旨いホテルと言うのは限られたものなのかもしれない。といっても朝食で旨いなあと思ったのは前述のドルトムントのホテルが一番だ。何種類ものブルスト(ソーセージ)やチーズがあり新鮮な野菜があり淹れたてのコーヒーがありというものでこれ以上のものにはワシントンのリッツカールトンでもお目にかかったことは無い。それに対抗できるのは山の上ホテルの和定食の朝食か。 昨夜久しぶりに夜の渋谷を一瞥した。昔はよく歩いたものだが、田舎暮らしになれている今高校生と思しき制服姿の女の子が外人男性と抱き合っているのをみると、「日本は異常だ!」という思いが湧き上がってくる。安倍くんの「美しい国」どころの話ではない。政治家は夜の渋谷を歩いてみるべきだ。憂国の情がふつふつとたぎってくるのは間違いない。そのカップルとインド人夫婦と思しき慎ましやかなカップルとが実に対照的だった。
2006年09月05日
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人間、常に燃え続けているという人がいるのだろうか。ホメロスのトロイの木馬の戯曲を信じて発掘を続けついにトロイの町を発見したシュリーマンが「古代への情熱」の中で「天才とは情熱を保ち続けることのできる人である」と述べた。上がり下がりのある人間ではなく、一つのことに対して心を燃やし続けることができるかどうかが、大物になれるかどうかの分かれ道だと言うことだろう。果たして不惑の年を目前にして情熱を保ち続けることができているのか。若き日に志したものは今どうなっているのか。反省すべきところが多い。だが、行くべき道を選ぶについて悩んでいても仕方が無い。胆を据えて、失敗すれば自分が責任を取ればよいという姿勢で行くしかない。人の責任にするような卑怯な生き方だけはしたくない。潔い生き方をしたい。
2006年09月03日
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中央労働災害防止協会(略して中災防)がメンタルヘルス支援事業というのをやっていて明日はある事業場にその支援に行く。こっちが支援してほしいような気もするが、私の仕事は仕事の優先順位や量内容などを自分で決めて行なえる仕事なので、ストレスは少ないのだそうだ。昔から学者や芸術家などはメンタルの問題を抱える人が多い。そういう問題があってもやれる仕事だからだと言う人もいる。まあ半分ねじが外れかかっているくらいじゃないと、もくもくと物を書いたり、実験を続けたり、世界で一番自分が頭がいいと思い込んだりすることもできまい。半分は当たっているのではないかと思う。第一、まともな人間というのはどういう人かということさえ、みな知らないのではないかと思う。鬼平の長谷川平蔵みたいなひとがいれば、それはすばらしいと思うがそんな人にはあったことがない。友達としていいやつはもちろんいる。この間、小学校の同窓会が28年ぶりぐらいにあって、俺の友達はいいやつがこんなにいたんだなあ、と思ったが、それでもまだ人生の途上だ。これからどんな悪さをするか知れたものではない。それは自分だってそうだ。ひとつ間違えると、大きく道をそれるかもしれない。過去だ、未来だと若いころはいろいろと考えたものだが、今をどう判断してどう生きていくかという繰り返しが、結局は人を作り上げていくのだろう。平蔵さんみたいな人間になりたいものだ。
2006年08月30日
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少年柔道の指導に行っただけで、身体がボロボロ。病み上がりで体力が無い。心なしか腕や足が痩せたようにも思えてショックだ。我が家の小僧どもの進歩は芳しくないが、道場の中には気合の入っている子供もいて、先生たちとしては周りで騒いではっぱをかけている。どうしたら強くなるのかは頭を抱えるばかりだが、せめて相手に立ち向かう強い気持ちだけはしっかりと身に付けてほしい。子供は正直で、気持ちが前に向いていると向かうところ敵なしとなるのだが、気持ちが後ろ向きになると途端に負けてしまう。大人の世の中でも、多かれ少なかれ同じではないのか。気持ちでは負けないようにしよう。
2006年08月25日
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最近、風邪を引いたりして干からびていたので東京の先輩のところを尋ねた際、うなぎでも食いに行きましょう!ということで外神田の神田川といういい風情の店に連れて行ってもらった。この近くには以前寄った菊川という店もあるのだが、この神田川は一組につき一部屋と決まっていて、頼んでから捌くので30分はかかる。いつも福井で通っている店は関西風だが、この店は勿論江戸風で背開きで蒸してある。ふっくらとしていて脂は少ない感じだ。 ついてきたお吸い物は肝吸いではなく、鯛のお吸い物でそうめんが入っていたので少し合わない感じがしたが、うなぎはなかなか旨かった。今度は白焼きを食ってみたいと思う。このおかげでかなり元気になった。 帰りの飛行機に乗る前に、安倍晋三くんの書いた「美しい国へ」なる本を買って機中で読んだ。彼の所信表明だと思う。いろいろとテーマが多く、政治家というのはいろいろな視点を持っていないといけないのだなと感嘆した。彼の強みの外交や日本のスタンスという面に力が入って書いてある。政治家というのはいろいろな人に注目されていて、本で書いてもその通りやったかどうか、本で書かなかったとしても言ったことをやったかどうかと常にチェックされる。それでも国を引張っていこうというのは目立ちたがり屋というだけではできない仕事だろうと思う。政治家の家系というのがあるが、そういう生き方をしている人を身近に見なければなかなかできない仕事ではないか。
2006年08月24日
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ここ数日熱が8度ほどあり、仕事に行っても早引きする始末。夜は夜で自分の咳のひどさに、息ができなくなりそうで夜中に何度も起きる毎日だった。昨日もメールで用件が入っていたので、ファックスで送ってくれるよう頼むと、「ちゃんと寝ていてください!何のために帰ったんですか!長引くほうが多くの人に迷惑をかけるんですよ。」となかなかに手厳しい。このひとは良妻賢母となるであろう。 こうやって床に就くといつもの読書の虫が騒ぎ出し、鬼平を一冊目から引っ張り出した。若い頃無頼の放蕩生活を送っていた四百石の旗本長谷川平蔵を配下の与力同心も元盗人の密偵もが命をはって支えて凶悪な盗賊を倒していくという話だが、男ならばこのような人物になりたいと思うだろうし、女ならばこういう人のいいひとになりたいと思うのではないか。しかし、一朝一夕に平蔵さんの人格が出来上がったのではあるまい。妾腹に生まれ実家で疎まれ放蕩三昧の暮らしをしていたときにも、剣術の道場に通いそのなかで師と仰ぐ人物がおり、好敵手がいる。無頼の輩とつるんでいてももう一歩で抜けられない悪の道にというところで先輩に救われたりする。そういう濃い人間関係は今はなかなか得がたい。 自分自身もそこまでの関係はあるだろうか…と思ったりもする。断片的には確かにあるのだが…。しかし、どうにかこの鬼平の周辺に生き生きと命を張って仕事をしている人たちの様子を自分の周りに再現してみたいとおもう。そのためには、まずは自分が命を張って鬼平に使える一人の密偵、一人の同心、一人の与力あるいは一人の友になって見なくてはならないのかもしれない。
2006年08月19日
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韓国訪問。丁度、8月15日になる前に帰ってきたが、向こうにいる友人は「明日は8月15日だから日本人は外歩けない!」とのこと。よくそんなところで、生活していると思うが、息子(1年生)娘には日本語と韓国語に加え英語まで勉強させているらしく、柔道しか教えていない私としてはちょっとまけたなという感じだ。柔道といえば、テコンドウをやっているらしく、その型を見せてくれた。この息子が彼女の力の源泉だと分かった。 小泉首相の靖国参拝で各国が騒いでいる。国内もある程度騒いでいる。だが、まともなことを行っているのは麻生君ぐらいしかいないのではないか?わが国として戦没者を慰霊する施設があるべきだし靖国神社はその点では適格だろう。しかし、韓国に行ってその国の人の主張を聞けば最もだと思う。従軍慰安婦の問題にしてもわが国ではそのような問題は無かったという主張もあるが、もし万が一、立場が逆でわが国が韓国の植民地となっていて、女子挺身隊を特にわが国の乙女から選んでいたとしたら、あの時は私たちは韓国の属国でしたから、法的な問題はございませんと引っ込んでしまうのだろうか。それこそ骨の無い奴ではないか。 日中韓というと社会体制などの違いが大きいが、日韓はたとえ意見が大きく違ったとしても、主張し合い何も分かっていない奴だと相手を罵り合いながらも、対話をしなくてはいけないのではないかと思う。しかし、そのぐらい罵り合いながらもまた会えて話ができるような関係がまず作られないといけないのかもしれない。 私は小泉首相が他国になんと言われようと、自分の主張を通したということが大きな一歩であると思う。昔、タイム誌に顔の見えない日本の首相というような記事が載ったことがあったが、今までの歴代首相の中で顔が見えること随一だ。タイでも日本の首相はリチャードギアに似ていると言われた。このスタイルを保ちつつ、大人の国として他国の感情も理解しつつ、アジアの中の日韓関係、日韓中関係、世界の中の日米関係と国の利益を超えて発言できるような国になれば、だれも常任理事国入りを反対しはしないだろうと思う。
2006年08月17日
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親父の書斎が本のジャングルのようだったのが影響しているのか、自分の部屋が職場でも自宅でも同じ状況になっている。整理術の本など何冊も読んだがいまひとつしっくり来ない。もちろん、自分でもごちゃごちゃしてることが落ち着かないもとになることがあるのは承知していて、かつて受験勉強などをしていたころは一つの机が飽和したら次にいくというヤドカリ状態をつづけていた。もちろんそのうち行くところが亡くなるので、ゴソッと机の上のものをすべて別に放り出して次を続けることになる。片付けの上手な友人に昔聞いてみたことがあるが、「元に戻すのよ。」といとも簡単に言う。元どこにあったかさえもわからなくなっているので、あまり僕には役の立つアドバイスではない。というより、「元の場所」を作ってあげることができないぐらいモノがあふれている。特に本が溢れている。最近はレントゲンフィルムも溢れているので手が付けられない。デジタル化の波が押し寄せてきて大体のフィルムはPACSというオンラインで見ることができるようになったので大分減っているほうだ。そういうものの洪水に加えて、ワンガリ・マータイさんが「モッタイナイ!」とやるまえからの勿体無い人間なので、モノを捨てるということに一大決心がいる。ごみだこれはと冷静に考えれば分かるものでも大切に放置してある。おそらく私の部屋にまず必要なのは大きな作業机と大きなゴミ箱。大きな作業机には仕事をするときにしかモノを置かないようにする。そして終了したら、パタパタと片付けてさよならする。ということだろう。外来の机にモノを放置したままにするということは通常無いので、可能なのだろう。外来では使うものが限られているからか??そして、資料を持って運ぶための一時的な箱??ファイルボックスがあるとよいようだ。しかし、ファイルボックスを置くスペースさえない。やはりいらないものを捨てることが必要?大学の研究者は自分の興味を時間の限りとことん突き詰めるのが仕事なので、周りからみるとなにやってるのか分からない人が多い。実験系なら実験してるのでいかにも仕事している感じでよいが、僕のようなのはいろいろな人にあって話をつけるというのが結構重要だったりするので、営業さんみたいな感じもある。しかし、この分野で誰より詳しいよというオーラが出ていないと関心を示してくれないので、その詳しい状況を作るためには、せっせと論文を書かなくてはならない。この論文を書くのは気持ちをのせないと進まないので、ようは気持ちを盛り上げることが重要だと思う。僕の場合は気持ちを盛り上げるのに、本を読むのが一番いい。池波正太郎の「剣客商売」がいちばんいいようだ。あれを読むと秋山大治郎が剣の道を突き進むように、自分の道を進まねばと思うからだ。英語で論文を書く機会が多いので、その前には英語で小説を読むことも多い。そういうx全然違う分野の文章が創作(ほんとに論文を創作したら、大変なことだが)意欲を掻き立てる。
2006年07月22日
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タイ・バンコクに出張予定。海外出張をするといろいろな刺激をうける。タイは王室が非常な権威を持っていて一日に数回はサイレンがなって王宮に向かって敬礼をしている。非常な金持ちと貧乏な人が住んでいて、一見しただけではわからないが、行くところに行けば持ち物が違うという感じ。ホテルなんかも日本の感覚では一日分の宿泊費で一週間ぐらい泊まることのできるホテルがざらにある。さらにすごく安いところもある。また、オリエンタルホテルみたいに超一流ホテルもある。そういうことを知らずに初めてタイにいったとき、カード会社の勧めるホテルに泊まったところ、タイの厚生省の人に「すごいホテルに泊まってるんですね。」と驚かれた。今は彼が世話してくれるホテルに泊まるようにしているので安くてよい。 フードコートなどに行くと、一食百円で結構食える。ラーメンにパクチーが入っているのが初めは往生したが、そのうちこれがないと物足りないようになってくる。ラーメンがすごい甘い味なのだ。あまいラーメンって想像できないでしょう、普通は。だから、パクチーが必要なのだ。
2006年07月21日
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かなりブログを放っておいたが、心配してくれる人もいてありがたいことだと思った。今日は教室の研究会で体育の分野の研究生の発表だったが、身体を動かすことで心の状態が開放されていくというような主旨のことを研究したいようで、経験的あるいは感覚的には知られていても科学的に証明するにはきっと遠い道のりだろうなと思う内容であった。研究を始めたいという人たちはこういう青空のような夢を持って入ってくる。しかし、西洋哲学や科学の考え方に則った大学で研究をしているとこういう夢のような話の難しさばかりが目に付いて直ぐに現実的な方向へと走ってしまう。しかし、自分の夢を実現するという熱意がないと研究のように単調な毎日には直ぐに嫌気がさしてしまうだろうと思う。 自分が研究室を主宰していない状況では、主任教官が考えていることを実現するだけでも仕事になるし、その際に、いろいろとアイディアが取り入れられればそれで満足することもできる。しかし、自分が主宰するとなれば、ビジョンがあってそれを実現していく原動力がなければ到底続くまい。果たして今の自分にはそのようなビジョンがあるのか、と自問せざるを得ない。 学生時代に行く道を選択したときから、自分は前に進んでいるのか彷徨っているのか。主任教官の仕事を助けるということのみに満足していないか。追求すべき真理はなにか。どのようなビジョンを持っていて、それを現実のものにしたいのか。勿論、おぼろげなは見えていたとしても、学生時代のようにただ夢を描いているだけでは大人とはいえまい。それを現実のものとしてこそ、立派な大人と言えるだろう。実現するには夢を共有する仲間が必要だ。家来ではなく同志が必要なのだと思う。そういう仲間をどうも必要としているらしい。
2006年07月11日
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学生向けの肺癌画像の研究会に全国区で知られる胸部外科の先生が毎月教えにこられている。僕も学生時代、外科の肺癌検討会に毎週顔を出していたこと があり、学生時代からそういうふうに第一線の先生に教えてもらえることはありがたいことだと思う。この先生の説明されるのを今まで聞いていたのだが、僕た ち大学の教官より、よほど忍耐強くしかも熱心だと思う。また、経験に裏打ちされた知識がすばらしい。それでいて、それを見せびらかすようなところがない。 脱帽した。
2006年06月22日
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休憩時間中。今日は産業医の外勤である。産業医というと、健康診断が仕事だとい認識が多いが、健康診断の中で も一般定期健康診断という主に結核予防法の結核検診と肝機能、血糖、コレステロールなどの血液検査を行う検診を会社で行っているのわが国だけだと言ってよ い。本人の生活習慣に起因する病気について会社が責任を負う立場にはないからだ。その点、米国などでは健康保険自体が国家としてないのだから、通常の疾病 については会社どころか国家さえ責任を負う立場にはないわけだ。 欧米で会社での健康診断というと業務の関係で特別に有害な環境におかれていてそ影響をモ ニターするために行うものだとの認識が強い。つまり、日本で行われている特殊検診がそれに該当する。そのあたりの認識の違いが、会社でのがん検診の実施な どに現れている。がん検診の対象が職業癌でない限り(アスベストに職場でばく露されている場合、これは職業癌だ。)会社で行う必然性はない。もちろん、会 社が費用を負担する必然性も無い。ただ、地方自治体や国が実施するがん検診事業の受診率を上げて有効なものにしようとするのならば、職場検診の機会を利用 させてあげるということはありだろう。このような議論が必要だと思う。休憩が終わったので、ここで終了。
2006年06月22日
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どこかのHPでみつけたAl Bazarという店に行きたくて、着いた初日に歩き回った。「ベルチェロ通りに程近い」と書いてあったのだが、通りといってもVia Corso などいくつかある。皆目見当がつかない。地図とにらめっこしてCorso Verochelliというのをみつけたのだが、そこに近いというだけで結局どこかわからない。"Dov'e il Al Bazar?" とやればよかったのかもしれないが、友人が泊まったホテルの受付で聞いても、始めて聞く名前だと相手にされなかった。インターネットで調べたらと言われたので調べたが、そこでもヒットしない。目の前に電話帳が置いてあり、それで調べると見つかった。Via Scarpe靴通り。確かに、Corso Verochelliの近くだ。 早速、友人を連れて行ってみた。店構えからして、マホガニーのようないい色の木でできたショウウインドウ。仕立てのよさそうなスーツが並んでいる。早速店に入ると、どこかのHPでみた名物オーナーと思しき白髪交じりの品のいい紳士が談笑していた。スーツは僕の体格だと46らしい。確かイギリスサイズだと38なのだがボタンを閉めようとするとおなかのところがぴったりで皺ができてしまう。「きつそうに見えるけれども、私たちはこれでピッタリのサイズだと考えるんだ。イタリア製のものはこういうスタイルなんだよ。イタリアではほとんど前のボタンは閉めない。だからこれでいいんだよ。もし、あなたが、これでは窮屈だと思うなら、もうすこし広げるけれど。」と説明してくれた。そして、袖丈については、「もう少しつめないといけないね。」といった。日本では手の長さにあわせて袖を詰めているので、あのサイズならこれでOKといわれただろう。だけど、彼らはシャツの長さを気にしているようで、シャツが1cmほど出る長さを示していた。 ファッションにうるさい友人は、わたしが試着を終え、ちょっと考えて決めますといって帰るころにも、夢中でカフリンクスやネクタイなど小物を見ていた。彼によると、今まで見た店の中で一番の品揃えだそうだ。スーツの値段は950ユーロでこのときの僕の予算には合わなかったので、今Wardrobeには加わっていない。かわりにMalpensa空港で帰り際に買ったBoggiのlino入りのgiaccaをいま羽織っている。250ユーロなり。
2006年06月21日
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コモ湖はミラノの北で特急列車で約40分程度で着く。Centraleから列車に乗り、Como San Giovannniという駅で降りて、歩いていくと湖が広がっている。さて、それまでの道中のはなし。Biglietteriaというのが駅には大きく書いてあってそれが切符売り場らしいことが分かる。切符をくださいというのは"Uno bigliette per Como San Giovannni, per favore."と本に書いてある。その通り、読んでみた。biglietteをビグリエッテと読んだのだが、一応分かってくれたらしい。しかし、すぐにbiglietteはビリエッテだということがわかる。やけくそでも、口に出していってみるとそこに言葉の先生がいるわけだから外国にいると言うことはすばらしい。小学生のころthirteenをアメリカの小学校の移民向けのクラスで徹底的に発音させられた。自分で結構うまくできていると思っても許してくれない。おかげでこのthirteenについては“トルルティーン”見たいな感じで前歯の間を平たくした舌がすごいスピードですり抜けていけるようになった。どのthについてもこれができればいいのだが、他の単語はそこまでスパルタ教育を受けなかったのでそれ簿度でもない。 さて、そうやって列車に乗り込む。Classe 2と書いてあるのでseconda classeらしい。2等車ならば自由席かと思ったのだが、空席があってもみなどんどんと進んでいく。お供のSignoritaとなんでここみんな座らないんだろう。と思いながら、ここだれかいるの??と英語で聞いてみると、ここに番号かいてるでしょと言われ、始めて指定席なのだと分かった。乗った列車はユーロスターのIC(Inter CIty)で結構快適。ヘッドレストが席の外側だけについていて、隣の人にもたれかからなくても眠れるようになっている。 帰りもICで帰ってきたが、予定変更して早いのに乗りたい!というと駅員はこのままでOKと指定席を変えてくれる様子も無い。確かにComoはMilanから一つ目の駅なので、空いてれば座ってOK帰りも無事座ることができた。改札は駅の入り口にはなく、途中車掌がパッチンとしにくるだけ、改札のところでばたばたと走っている人もいないし実に大人の雰囲気の駅だ。Milano Centraleに着くといかにもヨーロッパの駅ですという半円筒の終着駅のドームが見えてきて思わずシャッターを切った(デジタルなので本当はシャッターを切っていない!)。
2006年06月20日
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英語の問題で一番簡単なのは、長文読解でしかも英語で質問されて英語で答える問題である。なぜか、それは答えが問題の中に必ずあるからだ。問題文だけあって、論理的な文章を書かなければならない問題が英米の大学での問題なのだが、それとは話が全く違う。 英語の特に論理的な文章は、必ずパラグラフparagraphごとに主題文thesis sentenseがある。このthesis sentenseを引っ張り出してつなぎ合わせれば、文章の要約ができるし、thesis sentenseの親玉が文章全体のthesisとなるのだ。このthesisとtitleとはほぼ同一であるはずだ。この理屈が分かっていれば、2000語ほどの文章の要約は瞬時にできるし、読解で聞かれるのは文章のポイントなのでこのthesis sentenseが答えそのものである可能性が極めて高い。 こういう問題のほうが、不規則な発音ばかりを集めて聞く発音問題や、文法の問題よりも論理的な頭には解きやすい。そして実際に役に立つのはこのlogicalな考え方である。英米人は東洋の起承転結の論理は理解しがたいらしい。oratorial contest弁論大会で起承転結に基づいた話を書いてやってみたが、審査員は目を白黒させて「そういう論理の進め方もあるのか、確かに筋は通っている…。」と絶句していた。一次審査は通ったものの、そこから先に進めなかった。その弁論大会で優勝したのは身近な出来事から感じた気持ちを率直に表現して、そこから普遍的な真実を説いたウガンダ出身の同級生だった。会場が彼の話に共感していた。論理と感情とは別々であるようにも思えるが、生身の演説では会場の聴衆が沸き立たなければ渦が巻き起こらない。そういえばアフリカの女性牧師、アメリカの新聞屋と組んで出場したディベート大会では、僕の話に聴衆が大喝采を送ってくれた。そのときに背後で裏方をやっていたのがわが友Peter Duveenである。 ともあれ英語は論理でできている。論理を読み解けば枝葉末節にとらわれずに意味が取れる。それがわかると結構いろいろな情報を英文の情報源から取れるようになる。
2006年06月20日
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縦列駐車もすごかった。バンパーに擦り傷があるのは当たり前のようです。行きの飛行機の中でピンクパンサーを見ていたらクルーズ警部がスマートKに乗って登場。前後の車にがんがんに当たって駐車というシーンがあって思わず思い出し笑いした。そうとう暗いようにみえるが向こうはなぜか9時くらいまでは大変明るい。おかげでみんな9時くらいから夕食をとるらしい。だいぶイタリア料理を食ったが、量がすごい。パスタなどは絶対二人分入っている。間違えたかと思って、「これ頼んだ奴?一人分しか頼んでないよ。」と言ったがわざわざ2人用に分けてくれていたことが分かって驚いた。ミシュランをパリのシャルルドゴールで買っていったのが役に立ち、安くてうまい店にいった。しかし、ある人に招かれて中華料理屋に行ったときのこと、メニューに焼きそば=spaghetti, 餃子=ravioliとなっていたのには大変驚いた。そして結構そのスパゲッティー麺でつくった焼きそばがうまいのだ。
2006年06月19日
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ミラノより昨日帰国。小さなイタリア語の本(ジェラーニモ氏著)が結構役に立った。"Dov'e toilette?(ドヴェ トワレテ:トイレどこ)" "Minerale gassata.(ミネラーレ ガサータ:ガス入り水)" "Due Biglietti per Como San Giovanni andata e ritorno, per favore.(ドゥェ ビリィエッティ ペル コモサンジョバンニ アンダタ エ リトルノ ペルファボレ:コモ行きの往復切符2枚ください)" "Mi squsi. Dov'e Corso Verocelli?"という感じで使いまくった。おかげで結構対話ができた。下手なイタリア語でも使うと駅の窓口のおじさんも温かく見守ってくれて人情を感じる。アメリカなんかに行くより暖かい感じがしたのは観光立国のイタリアだからか? それからBar(バール)がなかなかよい。1 Euroそこそこであんなにうまいエスプレッソ、カプチーノが飲めるのはやはり本場というしかない。アメリカのコーヒーはかなわない。(アメリカのcoffee shopはそれで気に入っていていつも入るとブラウニーを食うことにしているが)ここにはパニーニやサンドイッチも置いていて、頼むと温めたりして出してくれる。学会場の近くのBarであわてて昼食を取ったときはpenneとcottoletta alla Milanese(ミラノ風カツレツ)を頼んだが、これがなかなかにおいしかった。観光客など殆ど来ないとみえるその店では地下鉄の構内で働く人が12時になった途端現われ、"Chao, Carlo"と挨拶をしながら品物を選び、店のひとは店の人で歌いだしたりして大変盛り上がっていた。
2006年06月19日
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職場の同僚が腰痛でしばらく休んでいたが、今日から出てきていた。そのせいか、今日は朝から三回ぐらいぎっくり腰になりそうになって、ドッキリ。明日は朝から飛行機の旅だと言うのに大丈夫か??と心配している。大体海外に行くと気管支炎になったり、声が出なくなって咳がひどくて、"This is not bird flu."とか言わないといけない羽目になる。今回は這いずりながら発表をしなくてもよいようにと祈っている。太ももの後ろがボーッとしていていかにもどこかの神経が圧迫されていますよ…という状況だ。あまり大きな身体ではないのに100キロを超える先輩にバックドロップを仕掛けるような柔道ばかりをしていたのが間違いだったらしい。やはり小柄な選手はその体形を生かして背負い投げを徹底して練習すべきだったのだろう。大きな技にあこがれて大外刈り払い腰と大柄な選手がやるような技ばかりをやっていた。その反動で、子供には背負い投げしか教えていない。 腰痛の治療は2,3日の安静が一番のようで、丸一日近い飛行機のたびはちょっと堪えるが、ファッションの都ミラノを楽しみにしていってくることにしよう。といってもこれから荷造りをすべく大学の研究室でゴソゴソやっている。このくらい切羽詰れば、発表の内容のまとめかたがまだ不十分だとか、やり残した仕事があるとかいうことも諦めがつく。大体のことは僕がいなくなっても代わりの人がいてやってくれるに違いない。毎日代わりがないからと自分を酷使しながら働いている人たちには理解できないかもしれないが、重病になって倒れたとしても世の中の営みが途切れることはない。堀江社長が捕まっても、村上さんが捕まっても人は自分のやるべきことをやり、穴が開いたところを埋める人が必ず出てくる。 自分がいなければみんなが困るというのはある面、自分を過大評価している。僕もその傾向があるが、パセリかクレソンぐらいの役割しか果たしていないのかもしれない。そういうと悲しすぎると言う人がいるかもしれない。もっと重要な、必要な存在だと認めてもらいたい人もいるだろう。僕も認められたいという思いもある。だが、背伸びをして認めてもらってもどうかなとも思う。パセリやクレソンでも添え方によっては最高に旨い。そういうパセリであれば善しとしようと思っている。
2006年06月09日
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PETでミリ癌が見つかるというセンセーショナルなうたい文句でPETドックが始まってからだいぶ経つ。私の所属する施設はPET研究の草分け的な施設で、かなり前から研究や臨床では使っていたが、ドックを始めたのはつい最近だ。これも法人化のなせる業だが。PET単独ではかなり偽陰性があることも分かってきており、CTなどとの併用が必要との報告もある。検診というスタイルなので、網をかけてその網に引っかかるかどうかということではあるが、ふるいのかけ方によって検査で異常が出たときに、異常すなわち病気である割合は大きく異なる。その点、ドックでの説明はすこし雲をつかむようなところがあるので、気を使う。外来に「最近、咳がずっと続いていて血が混じることもあるんです。」と言う人の検査結果から、精密検査をしましょうというときと、ドックで引っかかった人の精密検査のお勧めとは検査で異常が見つかる割合がおのずと違うのだ。 しかし、検査で異常を指摘した場合、ある程度精度の高い検査で精密検査をすることは必要だ。特に、悪性腫瘍などの死因になる病気の場合は特にそうである。自覚症状が無いときに見つけるのが検診の役割なので、ご本人にとっては寝耳に水だが、病気があるというだけでもかなり動揺するものなので、そのあたりは注意するようには心がけている。だが、医療従事者にとって、たいしたことは無いという病気でも、一般の方にとっては重大事件であることが多いので、一般人の常識が少ない私たちにとっては結構難しい作業だ。 検診についても、病気がでてくるまで知らないでいたほうが幸せだと言う人もいれば、医学の進歩により早期発見によって救われることを期待して受診される方もいる。どちらも一理ある。医療従事者は健康であることが絶対善であるかのような発言をしてしまいがちだが、人生をかけてもやる仕事や夢があっての人の一生だと思う。それを実現するための役割をこの肉体と精神が果たしているということだろうか。
2006年06月09日
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来週はMilanにいる。国際学会なのでいろいろと気を使うこともあるが、誰も邪魔が入らないので、少しは仕事が進むかと期待もしている。Milanといえばファッションの発信地らしい。雑誌に10万円以下のスーツ特集が載っていて、そこにBoggiとMacoというファクトリーの話が載っていた。作りの細部は日本製のものがよいが、全体のドレープなどが非常によいそうだ。評論家がよいというものがよいとは限らないが、着てみてしっくり行くものならせっかくなので手に入れたい気がする。Al BazarというセレクトショップにMacoのものが置いているらしいし、ホテルの近くにはBoggiの店もあるみたいだから覗いてみようと思っている。洋服なんて気にしなければどこまでも気にしないでいられるのだろうけれど、自分のスタイルを作りたいのにシャツにスーツの袖が引っかかったり、シャツが見えすぎたり隠れすぎたりすると気になってしまう。それでいて、麻布テーラーでつくった39800円のスーツが結構格好良く似合っていたりする。 そんなことより、まだ発表用のパワーポイントができていないけど、本当に大丈夫なのだろうか。荷物の準備はいつも前日の夜なので、こんなものかなと思うが、パワーポイントで発表可能になって以降は、学会開催地でいつも作っているような感じでやや心臓に悪い。完璧な発表にして世界を驚かせなきゃとも思うのだが…
2006年06月07日
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転移性の肺がんで入院中のおばあさんが先ほど亡くなった。当直医なので殆ど経緯はわからないまま、看取らなくてはならないのでご家族とも初めてお会いすると言うケースが最近は殆どだ。主治医で病状の説明を時々している関係ならまだ話しやすいと思うが、この「ご臨終です」という宣告はなかなかつらいものがある。14年目になるがこれだけはまだうまい接し方ができない。相手の大変さを思うと声が出にくくなってしまう。もう相当なお年寄りで特に何が原因と言うわけでもなくなくなる老衰ならば、「天寿を全うされたんですね」と一言付け加える気にもなるが、ご家族が悲しみに暮れているときに、かける一言というのは難しい。 自分の妹が亡くなったときは、その時は気ばかり働いて涙も出なかったが、葬式の時には涙が溢れてきて自分でも驚いた。父親との確執からか、臨終の床の前で言い争いをしてしまったことに悔いが残る。ご先祖様の仲間入りを先に果たした妹は、私たちを心配そうに見守っていたのかもしれない。私の子供たちは何度か見舞いに行ったせいか、私の妹のことを覚えていて、「モコちゃんは死んだのか」と何度も聞いていた。うちには仏壇はないのだが、お菓子などを買ってくると写真の前に供えたりしている。何度も喧嘩をした妹だが、その写真は大学生のころ岡山に遊びに来て後楽園で撮ったもので、実に可愛らしい。はやり死を通して、この世を超越した存在になったからか。
2006年06月04日
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当直に来ている病院で知り合いの先生のお子さんが英語の勉強に夢中なのだそうだ。中学2年になったばなりなのに高校の教科書まで勉強しているらしい。なかなかに頼もしい。わたしの場合は親父が言語学者で、「子供の英語習得過程について」なる論文を書いたねたのために小学生のころ実験台にされた。というのはまず中学校で使われるNEW PRINCEかなにかの教科書を発音させ、怪しい発音はすべて書き留められ、大学ノートに写させられ、英和辞典を与えられて「これを引いて意味を書け!」とやられた。これが大体4年生ぐらいから続いたのではなかったかと思う。妹弟も同時に始めさせられたが、当然年長者のほうが上達するに決まっている。意味を取り違えると、「想像せずに、書いてあるまま訳せ!」と怒鳴られる始末で、大体この実験の時間に一人や二人は泣き出して、さらに怒鳴られるという地獄のような特訓であった。星飛馬の家庭が実に身近に思えたものだ。わたしはと言うと中学の教科書は済んでしまって、子供向けの百科事典を訳させられるようになった。このころにはあまり怒鳴られることもなくなったが、星一徹の姿勢は変わらなかった。 中学に入り、一冊の本が英語に対する印象を変えた。田崎清忠というラジオ英語講座の教師だった人が書いた本で、アメリカ滞在時のエピソードが盛り込まれた「私の英語修行?(なんだったか忘れた)」という本で英語でこんなに人とやり取りが出来るのかと大変な関心を持った。事実、中一の頃の英語の成績は大してよくなかったのだが、それを読んで以降、飛躍的によくなる。もちろん、星一徹の大リーガー養成装置の効き目が後になって現れたのかもしれないが… 人に問われると、英語を勉強するより、英語を使って何かをすることが重要だと答えている。フラワーアレンジメントが好きならば、それに関する英語の雑誌を買ってきて読めばよい。ファッションが好きならば、ELLEなどを読めばよいだろう。英語で情報を入手できる人は、世界中の出来事の半分ぐらいは情報収集できる可能性が広がる。 うちの息子も小学4年になったが、そろそろ特訓でもやるか…。
2006年06月03日
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