( 承前 )
センダン(楝・あふち)の花にお別れして国道362号を行く。
湖畔に花もいいが、棚無し小舟も亦よろしい。漕ぎたみ行けるもよし、もやひてあるも亦よしであります。モーターが付いているのは見なかったことにしよう(笑)。
国道362号と天竜浜名湖鉄道の線路が接近して走る辺りに句碑がありました。柳園成佳という、この地域出身の俳人の句碑でありましたが、存じ上げぬお名前にて候。
ややあって 放つ光や 今日の月 (柳園成佳)
句碑から500m位行くと西気賀駅である。国道から少し奥まった場所にある。
駅を過ぎて直ぐ右側にあるのが西気賀小学校。此処に「引佐細江のみをつくし」の万葉歌碑があるので拝見させて戴くことに。通用門を入って行くと男性が出て来られて、歌碑の件を申し上げると職員室に行って先生の許可を得るようにとのお話。職員室の場所を教えて戴き、建物の中に入ろうとしていると、先程の男性が来られて、職員室に行き小生の用件を取り次いで下さいました。女性の先生が出て来られて「どうぞ」とお許しを戴く。歌碑は校庭の南東片隅、湖を背に建っていました。
遠江
引佐
細江
の みをつくし
吾
をたのめて あさましものを
(万葉集巻14-3429)
<遠江の引佐細江のみをつくしは頼みになるものだが、そのみをつくしのように私を頼みにさせて置いて、きっと浅いお心であったのでしょう。>
この歌は小学生にはちと難し過ぎる気がしますが、意味は分からずとも先ず覚えてしまいなさい、ということでしょうか。やがて意味は分かるようになる。こういうのも教育の一つの在り方ではあります。
西気賀小学校から300m足らずで再び自転車道である。
引佐細江を眺めつつの快適な走行です。湖面からの心地良い風に吹かれて、風と共に行く銀輪引佐細江の旅であります。どの辺りであったか、大きな澪標が湖面に立てられていましたが、撮影するのを失念しました。
そして、またしても句碑です。今回は室町末期の連歌師・里村紹巴の句ですが、これも初めて目にする名前と句です。句碑裏面の説明文をご参照下さい。
夏をとへば 引佐細江や 秋の声 (里村紹巴)
都田川に出る。みやこだ川と読む。細江大橋を渡る。
上流に見える赤い橋の先で川は右に曲がり、その上流にある落合橋の先で井伊谷川が流れ込んでいる。彦根の井伊家は、この井伊谷川を遡った井伊谷の出にて、井伊家菩提寺である龍潭寺も井伊谷の地にある。彦根の龍潭寺は、関ヶ原の合戦で功のあった直政に彦根の地が与えられた後に、こちらから招聘して建立されたものであるから、こちらの龍潭寺が本家ということになる。
龍潭寺訪問は明日(16日)のこととし、今日(15日)は湖岸の道をそのまま直進である。
名前は見落としたがマリーナを過ぎて、岬を回ると東名高速の浜名湖橋はもう近い。しかし、呉松町の岬を回った先で道は山中に入って行くが、この辺りのサインが不十分でどれが自転車道なのかよく分らない。迷路のようになっているが、方向さえ間違わなければどの道をとっても館山寺へと抜ける道に出る。とは言え、山中では方向感覚も怪しくなる。要は東名高速の下を潜って反対側に出て、坂を上り、下る、これを忘れないことです。
小生の場合は、最初の四ツ角で、山菜・筍採りの男性がたまたま居られて、その方に道を教えて戴けたので事なきを得ました。
動物園前の芝生広場に出ました。時刻はほぼ12時。あちらこちらで寄り道した割には早く着いた。湖岸の自転車道では、食堂もあるまいと途中で自転車道を外れて、国道沿いのコンビニでお弁当を買ったのであったが、このような時刻に着くのであれば、その必要がなかったのでした。
とにもかくにもと、芝生広場で館山寺の遊園地やロープウェイを眺めながらお弁当タイムと致しました。
写真右寄りに館山寺のお堂が見えている。昼食後そこまで走り引き返すということにする。
しかし、字数制限です。続きは明日ということで。( つづく )
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
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