やまぶろぐ・登る呑む撮る滑る山ブロガー

2018/05/22
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カテゴリ: 登山



登山者が死ぬ場所は二通りだ。
山で死ぬか、それ以外で死ぬか。
彼は前者であるように運命づけられているような、
寂しげな感じがあった。

登山家というよりかは表現者と言った方が
しっくりくるのでは。

登山(特に登る過程)を通して、一般人に何かを
伝えたかったのだと思う。


されるが、彼はそこに至る過程に重きを
置いていた感じがする。動画によるリアル感を
伝えようとしたのは斬新な手法だったろう。

現場にいる人でしか分からないことがある。
風雪や低温の厳しさなどだ。彼の動画を視聴した
ことはないが、そういうものを伝えたかった
のではないか。

自分もそういう状況を伝えたい。
メモに残して文章として伝えることになるが、
そこには主観が入る。真の状態を伝えるので
あれば、映像がベストだ。


動画は録画し続けなければならない。
体力を使うし凍傷の危険もある。でもそこは、
やらずにはいられない衝動というものが存在する。

彼はスジを通したわけだ。自分は寒かったら途端に
撮影枚数が減る。生命の危険を冒してまでも撮る、


ネット上では、
「無謀だ」
「いつかそうなると思った」
というような彼の行動を否定するような
コメントが並ぶ。

やまやろうもそう思うし、彼自身もそう思って
いたのではないか。

しかし、登りたい、やってみたい、という思いは
誰にも抑えられない。

安全地帯でこれみよがしに非難する人々には
嫌悪感を覚える。挑戦し続ける姿勢をバカにする
奴等は、日常のぬるま湯に浸かってぐだぐだと
歳を取って下さい。

彼の残念な点は、エベレストに登れなかった
過去の挑戦の知見を次回に生かしていなかった
ことではないか。

詳細を確認したわけではないが、一度失敗したら
その轍を踏まないように考えるのが一般的な思考。
7回登頂できなかったら何か策を練るのは当然だ。
その辺りはどうだったのか。

単独、無酸素にこだわったかもしれないが、
それよりも登頂するにはどうしたらいいのか、
を考えるのが先だった気がする。

山を舞台に、自分を存分に表現できたK氏は
羨ましい。やまやろうは写真を通じて、山との関係を
表現したいと思っている。

しかしその影響力は彼の方が絶大である。
登頂しようがしまいが、多くの人に影響を与えた方が
登山者としては優れているのではないだろうか。

彼のなきがらが収容されたことがせめてもの
救いである。





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Last updated  2018/05/23 06:57:02 PM


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