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生韓国人に会った。韓国語学習者として韓国の方と話せないのはつらいところで、昨年の8月以来、電話以外で会話をしたことはない。きのうビオシンの昔の韓国語の先生pekuさん(ピョンテク市在住)がいらっしゃるということで、昼食会を開いた。peku先生は韓国のトロット?ポンチャック?の大先生と秘書さんを従えてやってきた。私もpeku先生とは昨年の春以来だ。美人さんなので春の嵐もなんのその、いさんで行ってきた。(きのうは雨と風の1日でした)3人は日本の「懐石料理」のようなものを食べたいというので、ビオシンがお豆腐を使った料理の得意なお店を予約。どこが豆腐料理の専門店なのかいまいちわからなかった私ですが、3人はこれは何?これは?と興味しんしんでいただいてました。3人はたぶんあとで「あ~コチュジャンでねりまくりたかったねー」と言い合ったと思うけど。私は懐石料理よりこうドバーッとあって、つつきまくる韓国料理の方がそういう点では好きです。育ちが育ちなもので。^^昼食会では、私のへっぽこ韓国語を褒め倒されて悪い気はしませんでしたが、トロットの先生に「私の弟のようよ、あなたは」と言われて、オオ!これで私は春川のばーちゃんの「あんたは私の息子だよ!」に続いて2回目の韓国人になったのでした。どうも韓国人は自分の家族にしたいぐらいなんだよ!というのがぶっちぎりの褒め言葉のようですね。このトロットの先生はご自分で私は「韓国の第一人者」であること。 お弟子さんがすっごくたくさんいること。 教室もたっくさんあること。 日本中ヨロガジ旅行していること。 息子さんたちはロスアンゼルスに住んでること。などなど話してくれましたが、あ~韓国人らしいなあと聞いていたのでした。指からころげ落ちんばかりのでっかい指輪もしてたしね。ツヤツヤの笑顔のお茶目な先生です。どうぞ。さてトロットって演歌?ですよね?ポンチャックとの違いがいまいちわからないのですが。先生方はポンチャックは“バスの中で歌ったりするもの”のような表現を使っていました。「現物」に出会ったことはないのですが、いつか出会っても肝をつぶさないように^^勉強しとこうかな。18年前に出版された朝日文庫「韓国再発見」の中で五木寛之が日本の演歌のルーツがどうの…というくだりで「~どっちが源流でどっちが影響を受けているかということは画一的に言えるものではなく、実際には互いに入り混じっている。日本と朝鮮の非情に長い歴史的なからみ合いの中で生まれてきた反発や近親憎悪、愛着といったものは縄をなうようにからまりあって現代に至っている~」と述べています。↑「韓国再発見」の中のページ。(見にくいですが)忠正北道 名勝島漂三峰とあります。右ページにタイトル「涙に濡れし豆満江」とあります。ぜひカラオケでいっちょう!といきたかったのですが、3人の来日の目的は大きいスキー場でのスキー!なので、北の山へと帰っていきました。姉弟のデュエットは再開の時へと回されました。
February 27, 2006
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私の会社のたったひとりのスタッフSちゃん。その彼女の長女cocoroがことし小学校にあがる。cocoroは我が家で育てたこともあるので、これは前にも書いたが私は“ジジ”と呼ばれている。次女もえぞー君(2歳)も私をジジと呼ぶ。JiJiは「ジジ」であってジジィーではない。(いちおう)我が家とS家はcocoroの保育園最後の発表会にも、私・妻・ばばちゃまの3人で見学にいくぐらいの長いつきあいになってしまった。先日、夕方のお迎えにSちゃんが仕事で間に合わないことがあった。旦那は出張で留守。こういう時は妻か私が迎えにいくことがある。今は妻が別の幼稚園のパート先生なのでそれも無理。(“アヤベてんてい”と言われてるらしい)その日はちょっと恥ずかしいのだが私が幼稚園に迎えに行った。(早い話ヒマ)最近の世の中、危険人物も多いので所在なげにうろうろしてると他の園児のママたちに怪しまれる。ので、テキパキと行動。先生方も一部の方を除いて私のことは知っている。ときどき「cocoちゃ~ん!ジジ来たよー」と言われて赤くなることもある。その日はこんな具合だった。coco 「あれ~ママやんは~?」私 「ごめんごめんママ忙しくてジジが来たよ」偶然その時、別の組の女の子がふたり通りかかった。私を見上げるふたり… A「ジジだってー。プゥ」^^ B「ね~ プゥ」^^coco(; ̄□ ̄;cocoroダッシュで庭へ。私 「どした?」 (やば!よけいなこと言ったかなと思ってる)coco うつむいたまま「恥ずかしいったらありゃしない」cocoro 6歳。他人(ヒト)の子とはいえ、女の子の成長は早いものだ。うなだれて手をつなぎながらもえぞー君の教室に迎えに行くジジであった。ああ恥ずかしいったらありゃしない。
February 26, 2006
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ニッポンのチャーリーズエンジェル!「トリノの3人娘」おつかれさまでした。朝からごはんを作りながら(毎日のことです)、チョロチョロ見てました。冬季オリンピック競技の中では抜きんでてフィギュアが緊張しますね。選手たちの顔を見るのが怖いぐらいです。コーエンもスルツカヤも村主も緊張していました。荒川静のみが余裕ぶちかましていたように私には見えました。しかししずかちゃん(ちゃんづけですが^^)、3人娘の中では、どーも“意地の悪いお姉さん”なイメージです。(リューシー・ルーか^^)ほんとうは長女の村主が病弱でこころ優しい子。元気でおてんばだけど、おっちょこちょいの末っ子安藤。どうも観客の声援はそっちに向かうようでした。話しは変わりますが安藤美姫の最初の衣裳をどう思いましたか?コレ、「世界のワダエミ」のデザインです。ワダエミといえばアカデミー賞の常連。映画のコスチュームデザインで有名です。でもフィギアは体の線が活かされないと美しさは表現できません。村主の悲壮感がいい例です。いくら安藤がモッコリ体形でも、あのデザインじゃカメラが引けばただの黒い影になってしまいます。映画のように女優さんのアップがないだけに、それだけでかなりのマイナス。安藤選手のこころの迷いが前面に出る損な選択になってしまいました。安藤はじきに「世界のトヨタ」の社員です。トヨタはオリンピックの公式スポンサー。日本代表に安藤を無理やりねじ込んだ感があります。彼女、はた目にもオリンピック前に状態を落としていましたからね。世界のトヨタが世界のワダエミを、そして高額の宣伝費を投入してメダルを取りにいった。安藤美姫のつらさはいかばかりだったかと思います。スポーツは単純に楽しめばいいのだけれど、オリンピックはロスアンゼルス五輪あたりから急激に変貌してしまいました。選手たちが限りなく“安全”な薬物を使用するのもむべなるかなという感じです。我が家の「今回はメダルゼロだね」という予想は幸いにもはずれました。( ̄~ ̄
February 24, 2006
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春川のジェミンからメールが来て(最近よく来ます)中国のサーカスを観たと書いてあったので、ちょっとサーカスのこと。みなさんの世界ではサーカスといえば「ボリショイ」なのでしょうか。ボリショイも一時期日本を席捲してたもんなあ。(TV世代かなこれは)私の住んでいる地方の都市は門前町。全国でもまあ有名なお寺さんの仲見世から、歩いて10分ぐらいのところが私の生家があったところだ。早い話「三丁目の夕日」の世界。このお寺さんでは7年に1回だけある大きな催しがあって、昔はものすごい数の屋台やら“見せ物小屋”が建った。子どもたちはふだん遊んでるお寺なんかに用はないから、「お祭り」の方へどっとくりだす。今みたいに“環境”だの“福祉”だの“共存”だの小指いっぽん入らない世界だ。だから見せ物小屋なんてものもあった。(内容はちょっと書けません)わずかばかりのお金を手に、子どもは子どもで大人の波に入っていった。サーカスはそんなお祭りのビッグイベントだった。大きいやつでキグレサーカスあたりかな。あとなんか名前の知らないサーカスもあった。で、さすがにサーカスを見る金はないので、楽屋裏へ行ってクッさ~い数匹の動物を飽きるでもなく見ていた。動物ったってたくさんいるわけじゃない。クマとかヘビとか。出番が来るまで動かないしね。彼らの唯一の楽しみの時間がごはん。時代が時代なので、私らガキの前でも生き餌をあげていた。私が見ていたのは年取ったオスのライオン。一羽のにわとりをホイッと投げた。がばっと受け取るライオン。「コケ=====!!コケコケッ」彼女(彼)は自分のおかれた状況すら飲み込めていない。「ココココココ」とか言いながら実はライオン君にムシムシ羽根をむしりとられていく。ライオンも羽根は喰いたくないらしい。「ぷへっぷへっ」顔を横に向き羽根を吐きだす。飛び散る白い羽根。にわとり氏の目はまんまる。ジィ~~~~っと見入るガキ(私)そういう光景は忘れないもんですね。あの時代はこんなガキでも生と死の境目を生身で体験していたのだ。「あ~生き物ってかんたんに死ぬんだ」ガキ(私)はそう思うより先に「一羽で足りるのかなあ」なんて思っていた。ダンプの後ろに飛び乗って足がわりにしてた子ども時代だからねえ。やわになっちゃったなあ今の子ども。いやある意味バーチャルではタフか。
February 23, 2006
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きょうはお昼に帰ってブラ雄の散歩をしてきました。すごく暑かったです。きれいに晴れ渡ったニッポンです!ふきのとうもチラホラ出ています。春は近いですね。さてここもニッポン晴れでしょうか?2月22日は「竹島の日」だったのですね。がんばってる^^のは島根県と韓国政府(それも困るのですが)ぐらいで、日本のメディアは静かなもんです。トリノの3人娘の行方のみが気がかりのようです。今のところおおかたの予想通りですが、結果はどうなったのかな。さて↓北朝鮮の現体制がなくなる。↓半島がひとつになる。↓玄界灘に鉄道が通る。↓大陸と日本が1本につながる。↓ロシアからカスピ海沿岸の油が列車で運ばれてくる。もちろん韓国にも。↓中国がムチャ言わなくなる。そんな夢のようなことを考えていると、竹島なんて岩じゃんって思えてくるんですけど。半世紀も実効支配している韓国。結局どーしたいの。
February 22, 2006
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チョ・スンウの「マラトン」を見た。映画終盤で春川マラソンの場面がある。スタート地点の競技場から見えるマンションが実は私がステイしていたギョンス一家の住むマンションだ。ギョンス氏宅は11階。私は実は高いところが苦手だ。小学生のころ通知表の体育の欄に「安全に注意しない」と書かれたぐらいやんちゃだった私も、職業病なのかデザイナーになってからは文字通り“エンピツしか持ったことがない”人間に成り下がってしまった。今はマウスだけどね。ステイした最初の日。網戸を開ければまっさかさま!な状態に、まいったなあと思ったけど3週間も寝泊まりすればそこそこ怖さにも慣れた。実は自分が高さにこんなにも弱い人間だったんだと、思いっきり知らされたのは数年前。息子アッキーが野球づけで10年間何もしてあげられなかったので、たまにはどこかに行くかと次男チャリも連れて“ご要望”の富士急ハイランドに行ったことがあった。チャリもアッキーのお供で野球場しか知らなかったから。春休みの富士急は平日にもかかわらず似たようなことを考える人でそれなりに混雑していた。ふたりに連れられて人込みの中へ。「ここここ!」と並んだのは当時日本一と言われたジェットコースター『FUJIYAMA』の列。へ~けっこう小さい子も、じいさんみたいのまでいるぞ。なになに「心臓の弱い方や高所恐怖症の方はご遠慮ください」だと。身長も忘れちゃったけど、あまりに小さい子はだめみたいだった。ま、いいか。私たち3人は初めての体験にワクワクしていたかもしれない。長い列もおわり、乗車の順番がやってきた。左肩ごしにその全貌を現わしたフジヤマの頂上をを見る私。○_○;まさかね。これでも私はふたりの息子の父親だ。「お父さんアイス買ってくるわ」と逃げ出したいこころの内を見透かされないように必死に言った。「チャリはお父さんと乗るか?」その時、非情にも私の真ん前でゲートが下ろされた。ガーン。係員「あっ、お父さんは次の回にまわってくださーい」妙に明るい。息子ふたりはじゃあねーとフジヤマに乗り込んでしまった。○_○;オットッケ。係員「お父さんどうします。先頭車に乗りますか?」いえいえ!うしろでいいですと次のグループとドタドタと乗り込む実ははんべそのオッサン。(実はその後ろの方が恐怖だったとは…)動き出しました。ゴトゴト。傾きだしました。ガコンガコン。昔、ターザンごっこをして渓谷のツタにつかまって川を跳びそこね、服着たまま川に落ちた勇敢な私の姿はそこにはありません。もう心臓もバクバクです。頂上に着くころ、春の風がそよそよと髪をなでます。そよそよはいいですが実は私はすでに両の目を貝のように閉ざしたまま、顔はバーを握った手の下の股のさらに下。もうなーんにも考えられませんでした。おトロしくておトロしくて。みなさんご存知ですか?ジェットコースターは頂上でしばらく止まります。(FUJIYAMA ■最高部79m ■最高速度130km/h)それはたぶん数秒のことなのですが、私にはなが~い沈黙の数十秒に感じました。次の瞬間。他の乗客の歓声が聞こえたと思ったまさにその瞬間。ゴォオオオオオ!!!!っと地獄に向けて落ちていきました。私の奥歯はギリギリとすり減っていきます。う。。う。。 ウォ~~~。ほとんど「トイストーリー」のウッディです。うめきにも似た自分の声しか聞こえませんでした。ゴール地点ではふたりの息子が笑って迎えてくれましたが、はっきりいって立ち上がるのがやっと。白髪のジジイが孫と仲良く降りていく横を、私はガクガクと降りたのでした。掲示板にはさきほど乗った乗客の乗車中の顔がいっぱい並びます。(自動カメラで写真を撮られるのです)私の写真を見てアッキーがゲラゲラ笑ってました。「つむじ」しか見えなかったからです。ということで高いところはもういいです。
February 21, 2006
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先日書いた「韓国言語風景」について。2回目。韓国語と日本語の類似・相違点に体の一部や、場所をさして表現する言葉がある。私たちハングル学習者が一番まっさきに聞くのは日本語でいう「顔が広い」だ。同じ広いという意味では韓国語では「足が広い」…パリ ノルタになる。韓国では顔を合わせるという日本的な表現を交際にあてるのではなく、あくまでも“行動の範囲”に合わせて「足」を使ったようだ。これで思い出したんだけど、昨年春川でステイしていた時、朝7時すぎにTVで外国人向けの韓国語の講座があった。私は朝の予習にと毎日見ていた。司会者のふたりも韓国語に堪能なアメリカ人?だったような記憶がある。ある日の講座で恋人を待っている男の子のイラストが出て、あまりに来るのが遅いので「目が抜け落ちた!」…ヌニ パジョッタという表現が出た。あるいは「首がもげた!」もあったような気がする。これはおかしかった。日本語でいうと「首を長くして待っていたよ」ということなのだろうか。ちょっと違うかな。イラストは「やってらんねーよ!」のような顔をしていたような気がする。「韓国言語風景」ではいろいろな体の部位を使った言葉を紹介している。なるほどねえと思ったのは「肺に風が入った」…ホグァヘ パラミ トゥロガッタ。つまらないことにゲラゲラ笑う。という表現だった。体のあらゆる部分を使いその時の感情を表す言葉って、韓国と日本が異常に多いのでは。ところで、ヌニ パジョるならあなたは何分?私は気が短いので15分かな。^^
February 20, 2006
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家へ帰るとビールを飲みながらのオリンピック観戦というのがこのところのパターン。メダルは獲れないけれど競技自体はとても楽しい。きのうはモーグルを見ていて、ちょうどいい時に帰ってきた、日本人だ…と思ったらトビー・ドーソンという選手だった。ん?トビー…???そうだそうだ!アントニーさんの日記に書いてあった選手だと思ってじっくり見た。なかなかいい滑りだったね。見事に銅獲得。みなさん書いておられるようですが、この選手、小さいころ釜山の警察署の階段に置き去りにされて孤児院に預けられ、3歳のときにコロラド州デンバーなんてド田舎に養子縁組でもらわれていったというつらい経験を持っている人だ。デンバーで彼を引き取った人(デボラ、マイク夫妻)がたまたまスキーの指導員だったためにスキーを始めることになったという。いやあ数奇な人生を送った人ですね。デンバー育ちの韓国系アメリカ人トビー。にっこり笑う彼の顔を見てると人柄のよさがにじみでて見えます。ほんとうのご両親を探したいとメッセージを出していて、韓国政府?も動き出したらしいですが果たして名乗りでるのでしょうか?まわりの思惑はどうかわかりませんが、見つかるといいなと思いました。いやほんとそう思わせる朴訥とした彼の顔がいいんです。さてそのオリンピックできのう「スノーボードクロス」という競技を見ました。今季はじめてオリンピックに取り上げられた競技だという。これすごく面白い!楽しい!予選ラウンドはあくまでタイム。ひとりずつ2回滑って32番?までが決勝ラウンドへ。ところが決勝ラウンドは4人ずつ同時にスタートしてスピードと技で相手をかわしつつゴールへ突っ込んでいく。駆け引きもじゅうぶん勝敗を左右する。大げさにいうと32番で決勝ラウンドに進んでもメダル圏内に入る可能性もゼロではないということだ。いままでショートトラックも面白い競技だなと見ていましたが、がぜんこのスノーボードクロスから目が放せなくなってきました。日本人選手千村格はその32位で決勝ラウンドに進みましたが惜しくも転倒して最下位。きょうは女子藤森由香選手が登場します。応援しましょう。(^∀^)
February 17, 2006
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きのう私立の入試を終えて帰ってきた息子チャリが映画「有頂天ホテル」が見たいんだよなあ。と、つぶやいた…。「お前のアタマは有頂天かよ!」ツッ込んだのはいうまでもない。さて私はブックオフで買ってきた岩波新書の「韓国言語風景」というのを読んでいる。96年発行で著者は日本人と結婚した韓国人女性らしい。日本の「三つ子の魂百まで」と韓国の「三歳の癖は百歳まで」…セ サル ポルッ ヨドゥン カジ… などを紹介しつつ陰陽思想の日韓共通点など取り上げている。言語学者らしい比較論で面白い。その中で儒教文化の変貌ぶりを書いているくだりがあって、「肝っ玉の大きい女、男シリーズ」というのがある。肝っ玉の大きい女は「地下鉄に乗って橋を渡ってデパートに行く女」だそうだ。90年代当時、地下鉄・橋・デパートの大事故(覚えてます)があったので、それを揶揄して言われたようだ。で、男はどうかというと以下の6つ。「二十代の肝っ玉の大きい男は?」…●朝、奥さんに飯をくれという男「三十代の肝っ玉の大きい男は?」…●奥さんにおかずの不平をいう男「四十代の肝っ玉の大きい男は?」…●奥さんがテレビを見ているとき、リモコンでチャンネルを変える男「五十代の肝っ玉の大きい男は?」…●奥さんに口答えをする男「六十代の肝っ玉の大きい男は?」…●話し中の奥さんをじっとみつめる男「七十代の肝っ玉の大きい男は?」…●出かける奥さんに一緒に行ってもよいかとたずねる男ねえ^^日本のことじゃないの?コレ。こんな言葉が流行った時期があったの?しかもぜんぶ奥さんがらみだし。流行のうねりの速い韓国だけにすでに“むかしの話”になってしまったのだろうか。ふむ。ではわたくし版06年度肝っ玉の大きい男・韓国編(勝手に想像バージョン)。「二十代の肝っ玉の大きい男は?」…●朝飯を食いながら尻をかたむけ屁をこき、やっぱキムチはオンマのが一番だという男「三十代の肝っ玉の大きい男は?」…●バレンタインのおかえしにサムギョプサルの肉だけ買って帰宅する男(すまぬHオンマ)^^「四十代の肝っ玉の大きい男は?」…●夜10時頃電話してきて、あと2、30分で着くから同僚の分まで含めてツマミと酒を用意しとけよという男「五十代の肝っ玉の大きい男は?」…●皆をあつめて「明日から事業をはじめようと思う」という男ついでにそのあと「ヘサン!」という男「六十代の肝っ玉の大きい男は?」…●ヨボはもう聞き飽きたので名前のあとに「チャン」をつけて呼んでくれという男(ヨボってさー、ヨギ ボセヨのヨボなの?^^そう?)「七十代の肝っ玉の大きい男は?」…●北の観光ツアーに参加して金色の巨大像の前で同じポーズで記念撮影する男また嫌われたか。チッ
February 16, 2006
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きのうは陰謀に巻き込まれませんでしたでしょうか?平成のいざなぎ景気と謳われた10年以上も前、その価値も値段も知らずにいただいた「ゴディバ」のチョコをぼりぼり食べていた私も、バレンタインデーとはとんと縁がなくなりました。世の中やっとフツーの感覚になってきたのでしょうか。(私はフツー以下ですが)さて、私はきのうチョコ代わりにとスタッフSちゃんからこんなものいただきました。福岡は筑後市(筑紫国)の麦焼酎「つくし」白ラベル。ちなみに黒ラベルもあるそうです。福岡の麦焼酎なんてめずらしくない?芋ならわかるけど。25度。まろやかな味とあります。のんべにはありがたいバレンタインです。娘wakaからはハッピリミョン!義理チョコいただきました。(こういうときには使いませんがちょっとマイブームで使ってみたかったのです。「ノナ チャラセヨ」の次ぐらいにはまってます…韓国に関係ない方ハッピリミョンすみません)話しもどって、チョコは義理というよりほとんど限りなくただのおま毛です。(無断借用。これは、もるさんや悪妻さん仕様か。^^)日曜日に我が家にやってきてせっせと手作りチョコを作っていたので「お前、旦那にチョコ作ってんのかよ?!!」と聞いたのですが、「じゃあ誰に作れっていうのよ」と反論されたのでそれ以上聞きませんでした。ひまだね彼女も。ココアでむせてました。がはははは。見た目はタヌキのうんちですが味はソフトチョコタイプで、料理はヘタなのにお菓子はうまいなと思わせるほどのものでした。ちなみに息子チャリも「おま毛」もらってありがとうとか言ってました。(たぶん彼はこの1個のみ^^)そのチャリに家族一同の凝縮された『インフルエンザもどきウィルス』が侵入したようで、グロッキーです。(グロッキーなんて懐かしい?)本日、私立の入試だというのに(笑) …たぶん(笑) …だめでしょう。(泣)ついてないときはこんなもんだと奴もわかったことでしょう。いちおうダメモトで、朝は私がお弁当用のサンドウィッチ作って持たせました。(ハムと、ツナたまごと、焼きそば=B級です)とーちゃんエライです。
February 15, 2006
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先日、伊福部昭さんが亡くなられた。映画ファンならご存知の「ゴジラ」のテーマ曲を作曲した方だ。(1954年)ダダダン ダダダン ダダダダトゥダダ ♪あの有名なメロディ。あ~あのゴジラの人って思うかもしれないけど、実は外国の恐怖映画のテーマソングにも多大な影響を与えている。50年以上も前の曲に影響される。たいしたものですね。ご冥福をお祈りしたい。ところで私は今年の正月3日に三浦半島を旅したことは以前書いた。近海もののお魚をたくさんいただいた。(うまいもん喰いすぎてその後いろんな検査にひっかかっている←とは、らんまるさんが私にくれたメッセージ)三浦半島では面白いものに出会った。コレ。実はゴジラの足跡。上空から撮影。実寸約6メートル50。(ウソ^^ゴジラの第1作で、彼が上陸した場所が三浦半島だったのだ。(そこに行くまで知らなかった)今でも記念に足型だけが残っている。ひとっこひとりいないお正月の海辺。こんな正月もいいもんだなと思った1日だった。
February 14, 2006
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↑という変なバトンをぽり茶さんからいただいた。ぽり茶さんは別に麦茶をガブガブ飲むのが趣味の方ではない。(ポリチャ=むぎ茶)私のように「人を悪く言う」ことがない素敵な奥様だ。■イイ女の条件とは? いきなりかい!ニコール・キッドマンみたいなこう色白で…(それは容姿だろ!!)イイ女ねえ。仕事がらみでいうと私の職業はかなりいろいろな女性とともに仕事仲間として過ごしてきた。イイ女もいっぱいいた。共通点は…『さっぱり』かな。うん、さっぱり。■一番イイ女だと思う人は誰ですか? 今? まさか紀子(笑)さまじゃないしねー。また映画関係でなんなんだけど、シャーリーズ・セロンの生き方がず~っと気になってる。ウディ・アレンの映画に出ると思ったら、「モンスター」でしょ。“枠”にとらわれないイイ女ってのはいつも魅かれる。 ■イイ女がしてそうなこと プールで読書。ってありえないか。実際やってみると暑くてかなわないよね。…してそうなこと?パソコンのハードいじってたりしてね。かっこいいでしょ。うん?らんまる氏か。^^■イイ女が持っていそうなモノ 海亀のはく製は持ってないだろうなあ。(´皿` ")何の条件を出さなくても「頼む」の一言ではせ参じる男のひとりやふたり。 ■イイ女はこれだけはしてはいけない! 3つ(。・・。) 前の男の悪口。年寄り(権力者)に媚びる。(阿川佐和子がメディアではすごく嫌いです)てか、奴はイイ女ではないけどね。ツバを吐く。(韓国限定)( ̄∧ ̄#)■イイ女になるためにしていること イイ女って、結局最初からイイ女なんだと思う。■あなたのイイ女度は? 度数ねえ。焼酎だったら私は20度がいいな。韓国でも水割りにしたいです。 ■バトンまわす人 あたしこそイイ女って方!どうぞ持っていってくださいまし。あっ、はんらさん手をあげた?
February 13, 2006
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上村愛子残念でした。2位になったカーリ(ノルウェー)の足運びやスピードを見ると、やはりメダルにはあと一歩というところだったのか。さて今、日本語の研究がさかんらしい。日本語はどうやって形成されていったか。一部の研究者は実は「アイヌ語」が言葉の元ではないかと発表している。アイヌ語ってったって、現代人が知ってるのは北海道の地名ぐらいでしょ。オシャマンベとか、クッシャロとか。でもアイヌ語と朝鮮半島から来た「文法」とが少しずつ混ざっていって、日本語ができ上がっていったらしい。よくわからないんだけど、つじつまが合うんだって。言葉といえば、人は嘘をつくとき言葉のイントネーションが変わる。私も“ わ か い こ ろ” お外でいかがわしいことをしてきた時などイントネーションが変わるというか、オクターブ声が高くなった気がする。わかりやすく言うと人間は嘘をつこうとすると早口になったり、「多弁」になる。違う?聞かれてもいないのにいろいろ話したがる。(つまり話しの核心から遠ざけようとする)で、ひととおりくっちゃべった後、ほんの一瞬の沈黙の中に妻の「あんた今日しゃべりすぎじゃない?」な目線を感じて首筋にいやな汗が流れはじめる頃にお開きになるのを期待しつつ寝床へ。そんなパターンがあったと思う。(パターンかい)なんでこんなこと書いてるかというと、最近の日本のヒューザーとライブドアの両社長の発言を「嘘」の観点から見ていた人がいて、こう書いている。嘘をつく人間は「響く音韻」を避けるようになる。日本語の場合「お」と「あ」がよく響く音韻である。(略)嘘の証拠を早く消したい人間は、響きのよい音韻を文末に置くことを避けるようになる。代わりに多用するのは「え」と「い」の音である。「え」と「い」は終始感を与えない。つまり自分の言い分だけを聴かせようとする人間は戦術的に「え」と「い」を文末に多用する傾向を示す。のだそうだ。「そうですねー」などと始める人の場合も、いいからこちらの言うことを聞けという立場で話しているらしい。「…ですしい」という文の切り方をする人もこの範疇らしい。響きのよい音韻を文末に置くことで嘘が空気中に残存しないように無意識的に言葉を選んでいるというのだ。いろんなこと研究している人がいるものだ。(神戸女学院 内田教授)最近ついた嘘?息子チャリに「お父さんがお前ぐらいん時は日に4~5時間は机に向かったもんだけどねー」「え」で終わってるしい。( ̄∩ ̄)でかい嘘、ついたことないなあ。
February 12, 2006
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ズボンを後ろ前、逆にはいた。みそ汁をわけて、おでん用の土鍋のふたを間違えてのせた。息子のクルマのキーで、開かないなあと自分のクルマに突っ込んでいた。以上、インフルエンザの特効薬「タミフル」飲んだあとの行動です。(ただボケたとは妻の話しですが)先日コーモンから内視鏡の検査をして、おしりを丸出して油断していたら、案の定スタッフSちゃん一家のインフルエンザもらってました。しかし、タミフル。聞きしに勝る薬です。飲んでから30分で効果が現れます。早すぎます!この薬を開発したチームは今年特大ボーナスだろうなあ。さて、2月、3月は期末ということもあって皆さんそれぞれ忙しい日々を送ってますか?私のスタジオはこのところ「本」づいていて、今の仕事が終わるとすぐ「中国茶」の本を作らなければなりません。出版社Mが上海まで撮影に出向いただけあって、写真はかなり面白いものがあがってきています。カメラマンが30歳の女性で、彼女の感性が活かされてます。お洒落な本にしたいということなので、オッサン(私)の出る幕は少しだけ。メインはスタッフSちゃんの仕事です。働きもんだあ“女性”は。(人ごと)働き者の女性といえば、帰省中のかざはなさんとランチを供にしました。韓国と日本をとんぼ返りしながら、次の職場への書類をそろえているところだといいます。韓国に帰ってからは、引っ越したばかりのアパートを引き払いすぐ引っ越しだそうだ。いやあパルリパルリの韓国とはいえごくろうさまです。韓国で日本語教師としてがんばっている皆さんの実情を聞くとほんとに頭が下がります。大学によっても高校によっても、もちろん学院も含め条件はかなり厳しいのですね。きのうその韓国から2通のメールが届いていた。ひとつは春川で韓国語講座を開講している041先生からのメール。春川でホームステイしながら韓国語を学びたい人のための講座はここ。(自分で飛んでね)http://cc-academy.com/メールにはほしそら先生の体の検査のことが書いてあった。ほしそら先生の日記を見るかぎりさらっと書いてあるけど、メール自体は心配そうだったのでちょっと気掛かり。もうひとつのメールは私のステイ先だったチョン家の息子ジェミンからのもの。私が国際電話で会話するのはまだむずかしいので、メールをちょうだいねと、旧正月に年賀状を出していたからだ。小学生らしい文章と、アイコンも韓国風?のもので書いてあった。どうやら中国に遊びに行っていたらしい。(両親とも公務員なのでお金に余裕がある)私の家に遊びに来るとかいってたけど、家族5人で遊ぶとなると中国のが半値以下だもんなあ。サーカス見たよ!と書いてあった。サーカス。懐かしい響きだ。話しが飛びすぎたので、サーカスのことはまたこんど。^^
February 9, 2006
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遠くの親戚より近くの他人。昔の人はうまいこと言ったもんです。持つべきものは友!といったところでしょうか。きのうの日記をどうやら、朝見たビオシンからメッセージが届いていました。ようアジョッシ。あの程度の検査でキャーキャー言って、韓国奥様たちの関心を引こうとしてもダメ!甘えんぼ!↑どうですこの優しい言葉づかい。図星もいいところですね。こっちの見え透いた魂胆は先刻ご承知といったところでしょうか。でも自分が“私の名前はキムサムスン”の「クそ甘ったれの泣き虫野郎、サムシガァ~が好きな」ことは忘れております。ホホホで、コーモンからカメラですが(毎度すんません)検査結果は白。向こう(お医者の先生)もショーバイです。「何の問題もありませんでしたね」の舌の根も乾かぬうちに「胃の内視鏡の予約をしてってくださいね」ですと。オイコラ!おっさん!「よかったですねー。ポリープなんかなかったですねー。ヤンパさん、今晩からうまいビールが飲めますねえ」ぐらい気ぃつかったらどーなんじゃ!オラ!!なんて言えるわけもなく「できれば3月にしてください」と、麻酔が切れぬボーッとした頭で答えていた気の弱い私。敵のが上です。(私が酒に強いと判断して麻酔を増量したようです)結論から言うとケツからバリウムと、ケツからカメラとどっちがしんどいかっていうと「バリウム」です。ふたつとももうやりたくないけどね。カメラがお腹に入っていく様子は覚えていません。麻酔が効きすぎていたのか気がついたら車椅子の上でした。(ほしそら先生すみません)^^あっ、管(チューブ)の太さには2歩とび退きましたが…きのうの出費 本人負担5,030円(16,750円)ことしは正月から「初めての経験イン ホスピタル」が続いています。いや~な予感がしますが気合いでけとばしていきます。メシもうまいしね。話し変わって、きのうテレビで韓国の話題を取り上げていたんだけど、「スルメアート」って流行ってんの?アジュンマがたくさん集まってせっせとスルメフラワーなんか作ってたけど、臭いし食べられないし、笑っちゃいました。(アジュンマはつまみぐいしてました)その後に出た完成度もイマ2な「カニカマボコアート」の青年のオブジェは涙を誘いました。(笑)誰かカニカマも日本発だってこと教えてあげて。(反感買う?)
February 7, 2006
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きょうは待ちに待ったケツからカメラの日だ。(待ってません)先月、生まれて始めてコーモンからバリウム攻撃され、男としてのささやかなプライドをぶち破られた私は先生の「コレね。5ミリの影ね。調べときましょうね」の一言で、これまた生まれて始めてのコーモンからカメラ(内視鏡)挿入の儀に取り組むことと相成りました。(本日昼)今朝のお食事はコレです。経口腸管洗浄剤。「ムーベン」。早い話、巨大な浣腸です。ムーミンだったら私はぜったいスナフキンの役をやりたいですが、ムーベンです。かわいげもありません。しかも2リットル。朝、2時間でこの「薬」を飲みきれと言います。1時間を過ぎたころでしょうか。遠雷が聞こえてきます。遠来の客でしたら歓迎ですが「遠雷」です。グォログォロロロロロ~。ゲフッ。私は朝、ラジオハングル講座の後、ブログを確認しています。自分のとこのコメントに返事を書いて、朝が早い「はんちゃんおんま」から読み始めます。最初の一打は「ざおりん」さんあたりだったでしょうか。遠雷が近雷になってきて、読み続けることが困難になってきました。あわててトイレへ。バシュ~~~~。(お食事中の方すみません)ご丁寧に説明書にはその時々の排出物を確認しろと書いてあります。指さし確認オーライ。(; ̄□ ̄さらにブログに戻り、「あ~ん。ほしそら先生、“継続は命”じゃなくて“継続は力”でしょう。」なんて思いながら「ぶぶきっち」さんを見たり、「ナララ」さん、朝、早いなあなんて思いながら「らんまる」さんとこへ。ぎゃははは、またやられてら。キュルキュルキュル~「痛タタタタタ」あわててトイレへ。シャシャシャシャーーー!!!!ジョッ(最後のはおしっこです、度々すみません)( ̄∇ ̄)卒業式だったら以下等分です。出っぱなしです。今もギュルギュルです。「はんら」さんとこにたどりつくころには、私の体内から『栄養』という名のつくものはすべて消え去っておりました。ムーベン恐るべし。どうか一言!と聞かれたらこれしかありません。「やってらんねぇ…」いや、こんなことしてる場合じゃない。仕事も少ししとかないと。^^あっ、ちなみに何か発見されたら…もしものことがあったら…この日記上からしばらくアジョッシ消えます。そんじゃ。(ざおりん風)
February 6, 2006
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「宇宙戦争」という箸にも棒にもひっかからないSFを撮ったスピルバーグ監督の最新作「ミュンヘン」を見た。「MUNICH」。タイトルは何語?ドイツ語?私たち日本人の、それもただフツーに日本で暮らしている老若男女にはイスラエルとパレスチナの問題はあまりにも遠く深い。だから1972年のミュンヘンオリンピックの時に起きたテロ事件、“黒い9月”によるイスラエル選手団殺害事件は、事件をリアルタイムで知っている人にも記憶の彼方で、思いを馳せながら見る人は少ないのかも知れない。あの日の情景を知る私も公開初日の寒い土曜、映画館へ行った。スピルバーグは事件に触発されたと語っている。“インスパイア”という文字が映画の最初に画面に踊る。映画は殺された側のイスラエルが、オリンピック村襲撃を指導したとされるパレスチナ側の要人をひとりずつ暗殺していく過程を描いている。ふんだんに資金を得て5人のチームで実行していく「名もなき」暗殺者たちは、言い換えればただの報復のための“駒”だ。欠けた駒や、悩む駒は補填していけばいいだけのこと。ましてこのチームだけが暗殺者とは限らない。国としての陰謀の裏には必ず二重三重の保険がかけられているはずだし、当然、暗殺が実行されていけばこんどは彼ら自身を狙う暗殺者の影におびえなければならない。映画のなかほどでイスラエル側の暗殺者が偶然出会うことになるパレスチナの青年に問う。「あの何もない作物も育たないような大地に君はそれでも帰りたいのか。」「home is everything」「祖国がすべてなんだ」祖国を奪われたユダヤが祖国を得て、祖国に住んでいたアラブが国を持たないナショナリストとして命を捨てていく。死の連鎖はとまらない。政治的メッセージがないといえばうそになる。アメリカの経済界を動かしているスピルバーグを含む、多くのユダヤの人々の発言権が今、巨大化していこうとしている。1972年からすでに30年以上過ぎて、映画の主人公たちが暗殺用に作った“手製の爆弾”など遠い過去のものとなってしまった。今やイスラエルはアメリカの武器供与と援助でハイテク兵器の宝庫だ。かたやパレスチナは相も変わらず爆弾を体にくくりつけて買い物客で賑わう市場へとでかけていく。私はたまたまこの国に生まれた。祖国という言葉ほどアジアの人々に響かない言葉はないかもしれない。あいまいだからいい。ぶれているから安心。アジア的アニミズムの緩慢さはすぐに世界で通用するものではないが、そこにヒントは隠されていないだろうか。映画「ミュンヘン」はひとつの答えも、未来への約束もないまま、ニューヨークの遠く霞むツインタワーをバックにエンドロールになった。9.11で命を落としたパレスチナ人を含む多くの人々への鎮魂歌が流れているような風景だった。
February 5, 2006
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私のスタジオのSちゃんちが風邪で全滅しています。お父さんは高熱で這って歩いています。(インフルエンザ)上の子cocoroはヤンパ家に非難して静養中。(風邪)下の子もえぞーはヤンパスタジオにてママにくっついて寝ています。(インフルエンザ)私の回りは今かなり危機的状況になっています。想定の範囲外です。(; ̄□ ̄もえぞー(女の子)はもうじき2歳ですが、ママが大好きで、機嫌が悪いと(高熱のため)「パイチュー!パイチュー!!」の大合唱です。お乳などすでに出ないママのパイを吸いたがります。私のうしろで「パイチュー」だけはかんべんしてもらいたいですが、預かる場所がないのでこういうときは仕方ありません。(もちろん別室にてチューですよ)(* ̄皿 ̄*)私のスタジオは今「冠婚葬祭」の雑誌の制作の追い込み中です。編集デザインですね。年が年なだけに“婚”はあり得ないので、インフルエンザで“葬られたく”ありません。今日明日は校正のピークになっていますが、なにしろパイチューです。私がパイチューしたら、らんまる氏に関西弁でどやされそうですが2歳児なのでどうしようもありません。ジジですしね。家に帰っても風邪のバイキン。会社に来たらインフルエンザのウィルス。戦々恐々としています。インフルエンザの予防注射をせずにかかってしまった場合、特効薬として有名になった「タミフル」。今、完全に品薄状態だそうです。(かかってから48時間以内に飲めば治りが早い)若い子が飲んだ場合、幻覚症状が出るという薬。昨年も幻覚症状のまま車に飛び込んだり、ビルから飛び降りた子が出ましたよね。怖いです。良薬カラダに悪しでしょうか。昔、上海で添乗員にもらった薬を飲みすぎて、完全にイカれた状態で旅を続けたことがある私は薬の怖さも少しはわかります。ブルブル。さきほど雪がちらつきはじめました。横なぐりです。さらにブルブル。
February 3, 2006
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ある人のブログ(楽天ではない)に韓国のお金持ちの12の秘密みたいのがのってて、圧倒的に“冬生まれが多い”(諸外国も同じ)と書いてあってそりゃそうだ!俺7月だもんなと納得しているアジョッシです。(ガチョーン!byはんらさん仕様)冬生まれの韓国人の旦那を持ってる皆さん、おめでとう。(ついでに奥さんも大事にする人だって)さて、息子チャリが2月の給食の献立表を持ってきた。1日 春雨スープ チーズオムレツトマトソース 大根とホタテのサラダ マーガリン2日 節分献立?^^ 肉じゃが いわしのみりんしょうゆ焼き 昆布和え 福豆3日 キムチ鍋!! 大豆とエビとさつまいもの甘酢和え みかん ヨーグルト6日 みそラーメン汁??(うまいのか) 切り干し大根のおやき 塩いかと野菜の酢の物7日 カレー 黄金たまご(金箔入り?) 福神漬け和え8日 白菜と鶏肉のスープ 五目ビーフン いよかん スライスチーズ9日 吹雪汁??(寒そう) ワカサギの南蛮漬け 梅肉和え たらこふりかけこんな感じ。公立中学だったらこんなもんか。いやあ『キムチ鍋』あるんですねー。びっくりしました。本人に聞くと、あれキムチ鍋なんかじゃないよ!ということらしいですが、キムチも完全に給食にまで入っちゃいましたね。(おとといキムチ買ったのですが、韓国で包装されていてもやはり“原産国中国”はいまひとつ買う気にさせません)そのキムチで私はスンドゥブチゲをナクチだし&豚肉ほっこりバージョンで作りましたが好評でした。セリも入れたさ。^^チュンチョンのばーちゃんからもらってきたコチュジャンがあるので、まだまだ韓国メニューは続きます。ただやはり私の家にはサイババ(最高のばあさんという意味)こと、母がいるのであんまり辛すぎるのはだめです。料理を作らなかった母も、まさかこんな年になって韓国料理をがばがば食わせられるとは思わなかったでしょう。母はチャプチェも好き。以前私はウルサンに行ってクジラが喰いたい!って書いたことあったんだけど、恥ずかしい話し小学校の給食には「クジラの竜田揚げ」が出ていた世代です。(ガビーン!byはんらさん仕様)おいしいのでよく取りあいしたものです。おまけによく親父にお使いに出されたのですが(昔の子は働き者です^^)当時、私がお使いに行った石橋八百屋さんちには、でかい木の入れ物にドバーッと鯨のベーコンが入っていました。(八百屋さんですよほんとに)鯨のベーコン。今、デパートで数切れで何千円かするやつです。あんなもんビンボ人の喰い物でした。私もよく食わされたもんです。給食の献立表を見てそんな昔を思い出しました。皆さんの懐かしい食べ物はなんでしょう?
February 1, 2006
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