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韓国拉致被害者の家族が北朝鮮の“あたたかいはからい”で昨日、息子(英男さん)に会った。彼の韓国向けの会見はさきほど終了している。英男さんのお母さんとお姉さんが先日日本に来て、横田さんたち日本の拉致被害者の方々と会ったとき、双方には意見の相違が出た。英子さん(姉)は当然「一緒に北へ行って会いましょう」という。横田さんたちは違う。「相手の思惑に沿って軽はずみな行動はよした方がいい」という。英子さんは「日本には失望した。一緒に行動できない」と韓国へ帰った。(端的に日本と韓国の“家族”に対する温度差がでたシーンだった)そこへすかさず北朝鮮が「ならば“お会い”させてしんぜましょう」と水を向けてきた。しかも日米首脳会談の日に。ただしこちらは拉致でなく『離散』として。一連の経過はざっとこんな感じだ。何十年も前、北が韓国人や日本人を拉致した目的は人民軍の浸透を容易にするためだろう。日本では朝鮮総連がこれを金銭面のみならず、拉致被害者の発掘に協力したことは総連を追いだされた人間により告発されている。日本人はせっせとパチンコに通い、資金源確保にいっしょうけんめい協力してきたわけだ。世の中はうまくいかない。しかし北朝鮮、というよりあの暴君親子もまさか半世紀以上も過ぎて当初の目的である拉致の当人たちが「こんなにりっぱなカード」になるとは想像すらつかなかっただろう。韓国人は「家族一家」の人々だ。日本人とはちょっと違う。日本人はむしろ「社会」の人々か。英子さん家族が英男さんに会いに行った気持ちはすごくよくわかる。いま会わずにいつ会うのか!という心境だろう。それを浅はかな行為だと責めることはできない。横田さんたちは立場が微妙だ。今や日本を代表する顔のようになってしまったから。いるかもしれない。。。会えるかもしれない。。。というより、あの国の謀略にはまって拉致被害者を奪還できなくなることを恐れている。結局ニッポンジンとして潔い態度に落ち着いてしまう。(ひとくくりにはできないが)小泉首相がこれで任期最後と訪朝して、めぐみさん他、一部の人々を連れて帰るという幕引きもシミュレーションしていたみたいだが、もし阿部晋三が小泉政権を引き継ぐとしたら、そんな「劇場型」終結を許すはずがない。そもそも今日の英男さんの会見でそれも水の泡と消えてしまった。北朝鮮は建国の国是である「白米と肉のスープを人民に与える」というスローガンを結局ただの一度も果たせぬまま“配給”を停止して、あとは皆さんお好きなように…と1年たってしまった。韓国と日本にタカって中国にへつらいながらアメリカを挑発する。ミサイルも拉致家族もただの金のなる木だ。近い将来の終結を(あるとすれば)韓国はどうとらえるのだろう。選挙でノムヒョン大統領に国民はノーを提示した。しかし任期はまだある。韓国のふんばりどころは「今そこにある危機」を日本とどう戦うかにかかっているのだが、それを思うと気が遠くなる。小中華が政権で幅を利かせているからだ。しかし英男さんの会見時の笑顔は堂々としていて、どこまでが嘘なのかシロウトにはわからない。北はやはり恐ろしい。
June 29, 2006
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朝鮮半島と日本のつきあいが始まってどのくらいたつのか私にははっきりわからないが、「たった1コの石けん」が玄界灘を渡って日本のオッサンに届いたのは有史以来初めてのことだろう。とにかくそれが、1年前のはんちゃんおんまとの劇的な出会いだった。(何いってんだか)…そして、そのはんちゃん「石けん」おんまからミット クット オプシ!“バトン”が。お題は『料理』。 がァァァーーーーーー!!!いくら毎朝息子チャリ(高1)の弁当をせっせと作っているからって、料理の話しなどできるわけない。…嫌みかい!^^さてどうしたものか。◆『料理』…三丁目の夕日私は下町のビンボー家に生まれた。両親、じいさん、ばあさん、親父の兄妹6人、そして私。計11人がゴロ寝する小さな家だった。働き手のトップが母親。ついで親父だったので、家はいつも火の車だった。もちろん子どもの私は覚えていない。よくもまあそんな家に嫁いで来たなと思うけど、昔の家はそんなのが多かったかもしれない。収入が少ない→家族が多い→お米が買えない方程式はできあがっている。私の小さいころの想い出に「米びつの中を升でカラカラとかきまわして遊ぶ」というのがある。米びつが米でいっぱいだとうれしかった記憶がある。なので「お料理」の思いではまったくといっていいほどない。“出されたものはおいしくいただく”時代でもあったので、粉物ばかりの食事でも大好きだった。粉物。ようするにウドンだの、おやき(郷土食)だの、すいとんだの、大量に作ってみんなでいっせいに食べれるものだ。韓国もそうだったか、自分の箸などなく、箸立てにつきささった塗り箸を手に取って、早い者勝ちで取り分ける。というのが食事の風景だった。よく貧しい時代にたくさん食べたものは、大きくなって食べられないという人が多いけれど私は違う。いまでも粉物が大好きだ。映画「三丁目の夕日」そのものの暮らしだったので、「お料理」とは縁遠かったのかもしれない。小さいころの思いでです。◆『料理』…オニドンの朝日さて、韓国版。私は作夏チュンチョンに3週間ステイした。チュンチョンでは学院の先生方が、それこそマッククスだ、サムゲタンだ、サムギョプサルだ、スユクだと本当にまめに食事につきあってくれていろいろな料理を口にすることができた。でも何故か今思い出すのはステイ先のばあちゃんとソンスク・アジュンマが作ってくれた朝食だ。テンジャンクク、キムチなどの定番に混じってあったパンチャンの数々。名前は知らない。朝しっかり食べる習慣のある私には、何より朝食が楽しみだった。ステイ時の日記にも書いたが、トドクのキムチもぜひもう一度食べてみたい食が進む一品だ。料理の多さではうちの日本の朝食風景より、ソンスク女史の朝食風景の方がかなり豊かに見える。出てるものはニラとかもやしとか、エゴマの葉、そんなもんなんだけどね。食事に関しては封建的な韓国人だと思うので、ステイ先ではそれが幸いしたのかもしれない。外食で真っ赤な料理を食べるより、私にはそれらの小皿料理が肌に合っていた。日本人だからとばあちゃんはいつも“取り皿”を用意してくれたっけ。いやあ、書いていたら行きたくなっちゃったよ。ということでバトンは終了。はんちゃんおんま!あの頃族な話しになっちゃいました。ミアネ。
June 28, 2006
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すごく久しぶりに「韓国語ジャーナル」を買った。表紙はWAX。特集は“韓国人に聞いてみた 知っておきたい韓国人の常識”だ。注目する人のスポーツ部門のトップがパク・チソン。悔しいけど彼レベルのプレーヤーは日本にいない。(大舞台でのね)“おさえておきたい9つの道の基本情報”が面白い。各道の人間像や特色・文化・特産物などがイラストでも紹介されている。これ何だろう?忠清南道の人について。「話しはゆっくりとしていますが、せっかちな性格の人が多いと言われています」ですって!はんらさん。^^でも、「自分の主張をあまり外に出さず、温順で他人の意見を尊重します」ってフォローしてます。テチョンというところが美しくて、おいしいものがあって避暑に最適とあります。探して行くか。その他の道については当たってるかな。京畿道:経済状況に敏感で理財に長け現実的な面を持ちます。…水原のケチンボという笑い話しもあるほどです。(わははは水原はケチなのか)江原道:美しくも厳しい自然環境の中で生きてきたため、強い精神力と生活力、そして愛国心を合わせ持ち、国難のときは立ち上がる…。(生活力?ペクスが多かったような気が)忠清北道:…昔から「両班の郷」といわれ保守的でありながらも礼節に優れた人が多い地だとされています。(その両班「科挙」が国力を削いじゃったんだけどなあ)慶尚北道:情が深く温和で純朴です。両班精神を受け継ぎ、義理と粘り強さがあり、正義を重んじます。…勉強熱心な人が多いと言えるかもしれません。(で、門閥政治が多くなったのか)慶尚南道:ざっくばらんで親しみやすいですが反面、せっかちなのが短所と言われています。(ここのサトリを聞いてみたい)全羅北道:味と洒落っ気、そしてソリ文化の名所。温順、純朴でとても親切です。(全州でモーテルに泊まったときのご主人がすごく親切で困りました。^^;)全羅南道:勤勉で生活力があり、義理がたい気質の人が多いようです。国難の時に義兵、義士を数多く輩出してきたことからも伺い知れます。(映画「木浦は涙」が面白かったな。「大長今」もここで撮ったんだ)済州島:…苦難の歴史を知恵で克服してきたため、勤勉で生活力が強いと言えます。「チョニャン精神」という済州島に特有の節約精神、「スヌルム」という済州島に伝わる助け合い精神が特徴です。(う~ん知らないこと多いもんだなあ)2006年は旧暦で立春が2回来る。200年に1度の双春年(サンチュンニョン)なので“ものすごくめでたい”。そうなんだー。これも知らない。W杯は敗退したから“ものすごくめでたい”ことは先延ばしだね。将軍様ミサイル発射失敗で爆死、統一。まさかね。
June 27, 2006
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私の街にもやっとシネコンがオープンした。全部で8館。ひとつだけ300席の劇場が入っている。銀座のテアトル東京などを知っている世代なので、まあチマチマした大きさかな。韓国映画「デイジー」はこのシネコンの161席の中ホールで見た。明らかに韓流のアジュンマにたたき起こされて連れてこられた、哀れな日曜日のお父さん2名を含めて、お客15人。。。 少なすぎる。^^(夫婦どちらかが50歳以上だとふたりで2000円になるサービスがあります…あたしのこと)・スナイパー(チョン・ウソン)がアムステルダムの小さな広場を狙うにしてはバカに大きすぎるライフルを抱えている。(しかも広場から丸見え)・貧乏なはずの画学生チョン・ジヒョンが、素敵なアパートに住み、高そうな自転車に乗っている。・麻薬捜査で韓国からやってきた刑事イ・ソンジェたちがいきなり市民のいる広場で拳銃をぶっ放す!ツッコミどころは満載です。「インファナル・アフェア」(香港映画)のアンドリュー・ラウ監督なのでドンパチは好きだとしても、アムステルダム市民に無茶しすぎです。とまあ異国で出会った韓国人3人の恋愛模様というにはハードすぎる内容ですが、いいんです。チョン・ジヒョンだから。^^;)いまどきの韓国映画でスッピンに近い状態でアップで出てくる女優なんてチョン・ジヒョンぐらいしか思いつきません。シム・ウナにははるかに劣るとはいえ、彼女の魅力は大きいです。実はこの映画を引き締めているのはチョン・ウソン(だいなし)でもなく、チョン・ジヒョンでもなく、イ・ソンジェです。(原題「フランダースの犬」、「ソンムル」の彼です)イ・ソンジェは今後いい映画に出あうと思います。で、きのう「デイジー」を見てふと思ったこと。とてもまずそうな、伸びきったスパゲッティ(パスタ?)に“缶詰!のキムチ”を混ぜて食べていたチョン・ジヒョン。地の果てまで行ってもおそらくキムチを食べる韓国人に、尊敬の念をおぼえました。
June 26, 2006
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ミニラ「父ちゃんきょうはありがとう」ゴジラ「ん?楽しかったか?」ミニラ「父ちゃん最近太ってにぶいかなと思ってたんだけど、やっぱ父ちゃんは世界一だよ」ゴジラ「ああ、イマイチだったけど、みんなも喜んでくれたかな?」ミニラ「うん。僕らもいつまでもいい子だけじゃいられないね。そうだ。ボクもう帰るんだけどオミヤゲ何がいいかな?」ゴジラ「みつくろってやりたいけど、父ちゃんまだ仕事あるからな。赤い悪魔ちゃんちで聞いてみたら?」ミニラ「悪魔ちゃんちはみんなでTシャツ着ておでかけだって。お前となんか遊んでられないって」ゴジラ「しかたないな。先に帰ってな。コージ君にもよろしくな、ありがとうって」ミニラ「コージ?ピンガ(酒)飲み過ぎでぶったおれてるよ。あはは」ギャオス「おいゴジラ!行くぞ!!」ミニラ「ギャオスおじさん!僕、父ちゃんみたいになれるかな?」ギャオス「歴史が語ってるだろ。ミニラはミニラ。ゴジラにはなれないんだよ」以上。玉田(ミニラ) ロナウド(ゴジラ) ロナウジーニョ(ギャオス)の会話でした。余談。中村俊輔にインタビューしてたアナウンサー!「辛いときにすみません…」って何?あやまるなら聞くな。
June 23, 2006
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ノーベル平和賞を受賞したケニアのマータイさんは、日本語の「MOTTAINAI」=モッタイナイを世界に広めようとしている人だ。日本人の持つモッタイナイという精神が好きなのだそうだ。私の母は砲弾の下を逃げ惑った世代なので「モッタイナイ」どころか「ナンモナイ」状態からの日本を見てきた。息子の私にも多少モッタイナイ精神が残っているのでマータイさんの言いたいことはわかる。私の3人の子どもたちにも親父は「ケチクセエ」と思われていることだろう。^^;)(どうでもいいけどケチクセエはフランス語のケスクセに似てるな)先日テレビで外国からのお客さんにこんな日本語が流行っていると言っていた。「KAWAII」=カワイイだ。特に女性が多いようだ。どこの国の人かわからないが、インタビューでも「かわいー」を連発していた。語呂がいいのか響きがいいのか。一時期トルコや中国では日本人と見ると「オシン!」と叫ぶ人が多かったようだけど、フジヤマゲイシャだけでない日本語が広まっているようだ。(しかしオシン!!って)W杯ジーコジャパンはふがいない試合の連続で“しょせん日本はこんなものか”という印象を持たせてしまった。ブラジル戦が終わったあとに残る日本語はどんなものだろう。世界に広めたい日本語はなんだろう。まさかこんなの?「SAIAKU」=サイアク。これは?「GANBARANAI」=ガンバラナイ。怒られるか。(すみません鎌田先生)もっとプラス思考でいけって?プラス思考持ってないからなあ。でもちょっとがんばって「HOTTOKE」=ホットケ。これじゃ韓国語のオットッケ~~!になっちゃうか。ブラジル戦終了後「MAJISSUKA」=マジッスカ。いい意味で使われればいいのだけれど。
June 21, 2006
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いきなり今朝10時~3時までの取材がキャンセルされてボーな私です。昨日のことでも書こうかな。日曜日は体がナマナマなので散歩にでかけました。いまだにコルセットが手放せない環境は、入院時の隣りの“ミヤシタじいさん”と変わりがありません。ブラ雄も私と走り回ることができなくてストレスがたまっているだろう。(そんな顔じゃないかこれは↑)…と、ボロ軽にブラ雄を乗せて妻とクルマで15分ぐらいの川べりに。ブラ雄がクルマに乗るのは隣町からもらわれてきたとき以来なのでオシッコ、ジョージョー!かな?と思っていたらおとなしく荷台に座っていた。ブルブル震えていたけどね。私はヨシキリ(鳥です)の声が大好きだ。大きな川の河川敷はちょっとした鳥のサンクチュアリになっていていろんな鳥が住んでいる。長く伸びた葦の林の中からチーチキチキチキと軽快な鳴き声があちこちから聞こえてくる。誰もいない河川敷にブラ雄も上機嫌。ヤッホーご主人!僕、なにしたらいい?ウンチしてもいい?ラララ~♪とウンチを2回。むかし飼っていた犬を同じように川に来て離したら本流に入っていってしまい、あわてて泳いでつかまえに行ったことがあったので今回は支流で水遊び。(その時は水泳選手の妹が泳いで追いついた)僕!飛びついちゃうからねー。僕!泥まみれになっちゃうからねー。飛びつかれて泥まみれになったのは私だ。ブラ雄もすっかりストレス発散になったようだ。その時私たち夫婦はその6時間後、W杯クロアチア戦でさらにストレスたまりまくることを知るよしもなかった。きのうの収穫。1.スーパーでお弁当(389円)を買ったら、「父の日です」と黄色いバラを1本くれた。2.父の日ねと娘が猫の置物ひとつくれた。(後ろ姿です)3.スタジオのあるマンションの同じ階のおばさん(40ぐらい?独身)が「病気だいじょうぶですか?何かあったらお手伝いしますよ。遠慮なくどうぞ」と自宅の電話番号を教えてくれた。かなり怖い。
June 19, 2006
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W杯2戦。日本対クロアチア戦。いままさに始まろうとしている韓国はソウルの飲み屋。韓国人キム「ヤー!こんな試合やったって意味ないジャナヨォ」日本人シュジュキ「これからでござる。ヌシはサムライ精神をご理解いただいていないようであられるな」クロアチア人ブコバル「君らアジアの人間にはわからないだろうビッチ。僕らは戦火をくぐってきたんだスノチ。絶対勝つよ」シュジュキ「バルカンを引き裂いてユーゴを亡き者にした君ら小国にやられてたまるか!たわけ!」キム「ノ、小国をバカにすんなヘヨ。だいたいヒディンク・マジックにコロっとやられたジーコに戦術なんてあるわけないゴエヨ~」ブコ「オオとんがらし野郎、その通りだビッチ。故国のザグレブ(首都)も燃えてるノフスキー!!」シュジュキ「ああやだなー、カイハツトジョーコクの人々は。声がでかけりゃ強いと思ってる。わしらはあの大国・アメリカに戦いを挑んだ末裔ぞ。血が違うって血が」キム「ムォ!言ったな。言ったな。この下駄バキやろう!!625で儲けて復興したくせに先進国ヅラする気はクマン!!」シュジュキ「クマンもオマンもラマンも一緒じゃい!明日の朝お前はヘジャンククで酔い醒しじゃい!」ブコ「あーアジアの言葉は似ていて好かんスカヤ。共和国から1発もらって消えてしまえノビッチ!」キム「マンセー!マンセー!統一したあかつきには竹島も対馬も鳥島も佐渡ケ島もみ~んな占領するニッカ、ウルジマァ」シュジュキ「統一?ハンッそんあと泣きつくのはヌシたちではなかろうか?それとも中華の臣下に下るでござるか?ほほほ」中国人留学生・好(ハオ)さん登場。好「ニ~ハオア~。なんの話しアルか?きょう誰のおごりアルか?」ブコ「ビッチ、ビッチ、サノバビッチ!!!」ソウルの夜は更けていくのであった。(朝から何考えてんだかオレ)(´皿` "#)
June 18, 2006
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ホン・サンス。映画「きまぐれな唇」の監督だ。奥さんが韓流ドラマにはまって、ふだん映画にも興味のないオヤジがチラッと寄ったビデオ屋の韓国コーナーで「へ~韓国もエロ映画があるのか~。ちょっと見てみるか」と間違って借りてしまい後で激しく後悔する。そんな映画がこれだ。実は原題は「生活の発見」。まったくヒトをばかにしたようなタイトルだが私はこの韓国映画が好きだ。キム・サンギョン(「殺人の追憶」の人ね)という面白い役者もここで知った。で、きのう偶然手にした「女は男の未来だ」がホン・サンス監督の新作映画(04年)だったので借りて見た。「生活の発見」のときもそうだったけど、役者のアドリブにまかせる場面が多いので、ユ・ジテ(大学教授役)なんかもそこらにいるオッサンのようにノラクラ歩いて出てくる。女に弱くだらしないこんな男の方が彼にはよく似あうと思う。たれた白い乳と腹が、青年期を過ぎようとしている男が「人生これでいいんか俺?」と言っているようだ。先輩の映画監督役のキム・テウも、勝手で無責任で甘ったれの男を自然体で演じている。「生活の発見」のときも「女は男の未来だ」ときも男たちの目はウツロだ。意志を持っているのは女の方。突き放すのも女、抱きとめるのも女だ。(ソン・ヒョナが別人のように変化する)ホン・サンスは面白い。実は理知的に生きているはずの男たちが、その場凌ぎの自己弁護ですぐパンツを脱ごうとする。昔を思いだし「アタタタタ…」と頭をかかえる男は私だけではないと思う。垂れ流しのように並ぶ韓流ドラマの膨大なDVDの影で、こんな韓国もひっそりとある。
June 17, 2006
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するどく弧を描いたボールがはじかれた時、彼は満面の笑顔で胸で十字をきった。ロナウジーニョだ。今朝のブラジル、クロアチア戦の後半。ロナウジーニョはヘディングに失敗しながらも、笑顔で試合を楽しんでいるようだった。試合は1-0でブラジルの初戦突破だったが、両チームの選手はお互いの健闘をたたえあって握手をしたり軽くハグしたりして観客の拍手に応えていた。(素晴らしい試合でした)こういうことなんだよなと思った。日本にないものが。日本代表もW杯を楽しんできますと言ってドイツへ行ったはずだった。でも「サムライブルー」はほんとにブルーな顔して立っているだけだった。いつも思うんだけどなんで“サムライ”なのか。なんで日本は21世紀になってまでハラキリが好きなのか。私はイチロー選手が好きだ。世界に日本人を示した功績も大きいと思う。以前このブログでも書いたが、彼もまた「野武士」だ。いざというときにニコリともせずに現れて、目にも止まらぬ早業で敵をバッサリ切って捨てる。 “それがあっしの仕事ですから。。。”そうとでも言いたそうだ。今回のサッカー日本代表もまげを結って海を渡った。サムライはへらへら笑ってもいけないし、やたらと涙を流してもいけない。 「自分の仕事をするだけです」中田ヒデもそう語っている。トム・クルーズじゃないんだから。ちょんまげ時代から何年経ったら日本人はサムライをやめられるのだろうか。それともそれこそがアイデンティティとして、大切にかかえこんで生きていかなければならないのだろうか。何百年も何千年も。いいかげんで仕事嫌いな私にはわからない。(実際シゴトしてねーし^^)たとえば我が国の首相。「靖国へ行くことが何故歴史の歪曲になるのですか?」と口を一文字にして言う。私もその通りだと思う。ふざけんな韓国!中国!とも思う。でも待って。小泉も自分をサムライだと思っている。信念を曲げないことこそサムライたる所以だ。相手の国にまるめこまれるのは日本人として困るけれど、肩で風切る必要もないじゃん。もともとヤクザだからいいのか。きのう排他的経済水域の問題が9月に先延ばしになった。韓国も(いつも通り)おかしなこと言ってるが、もし小泉首相が8月に靖国に参拝すればまた元の木阿弥。外交は遠のく。中島みゆきのプロジェクトXのテーマソングはサムライたちを奮い立たせる。風の中の昴~ねえ。きらいじゃないんだけどねえ。さて、クロアチア、手ごわいよお。
June 14, 2006
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朝ラジオのハングル講座を聞いた後はブログの返事を書いて、いつもおじゃましているリンク先や気になる方のブログを軽くまわるのが日課だ。規則正しいジジイの朝そのものだ。今朝も上記コースでたどってみた。サッカー サッカー サッカー。やっぱね。お怒りですね皆さん。私の肩も落ちきってすっかりナデ肩です。二階(寝室)に向かう夫婦の後ろ姿がどれだけ哀愁をおびていたことか。ジーコは知るよしもないでしょう。私10年以上前にとんねるずのチャラケた番組で、まだ監督でなかった当時のジーコを見ていました。とんねるずのふたりと確か得点を競っていたと思うのですが、その時確信したことがひとつあります。「この人案外こすっからいかも」すでに名声もお金も手にしていた世界のジーコでしたが、何故かそんな感想を持ちました。いさぎよくなかったのです。トルシェよりははるかにまともとはいえ、そんな理由からジーコジャパンには思い入れが少なかった気がします。あくまでもシロウト考えなのですが、信用できない部分があって昨日は 「なんじゃこりゃ」だったわけです。もちろん選手のモチベーションの低さが露呈しただけのことなのですが。 あっ トーゴ戦?トーゴはチーム内がボロボロだからなあ。ここは韓国がいくでしょう。面白くないけど。ヒディンクマンセー!悪魔マンセー!面白くないけど。
June 13, 2006
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そんな宗教があったことなどすっかり忘れていた。むしろ創価学会の政界工作なんかの記事が雑誌に載ったりするので、多くの日本人同様、怖いなあぐらいに思っていた。きのう日曜の「報道特集」。韓国の清平(チョンピョン)だっけ?場所がいまいちわからないけど、テレビで見たらすごいことになってました。統一教会の総本山?なのですか?巨大な施設がガンガンできて、日本からの信者ツアーがひんぱんに行なわれているという。ホワイトハウス(だから何?!)そっくりの建物やホテル風老人施設。信者に壷、絵画、書、本など「買っていただく」建物など、山まるごと統一教会になってました。Aさんという日本人はお子さんを亡くしてから入信し、総額3000万円“ご寄付なさって”から脱退して現在訴訟中だという。なにしろ教祖様のご本が1冊430万円ですから。お金もかかるわけです。宗教にまったく興味のない人間には失笑ものの品物が、バカみたいな価格で売られていくみたいです。それも経済か。そう考えれば救いがあるのかもしれません。いずれにしても『悪霊を追い払い神が降臨』するのがその清平しかないのだそうです。要するに教祖様がそろそろなので、ご子息に継がせるためのランドマークにしたいのでしょう。ちなみに冬ソナで日本にも有名になった、ヨン様ご用達・江原道のヨンピョンリゾートも統一教会の傘下になっていました。韓国冬季五輪での利益を計算に入れているようです。冒頭で創価学会のこと書きましたが、統一教会の韓国国内での政界工作も盛んなようです。どの世界も「ダ・ビンチ・コード」よろしく国家とつながっていくのでしょうか。こういうことに詳しい私の知人Ken氏は、アメリカに留学した高学歴の統一教会信者を、日本の代議士秘書にぞくぞくと送り込んでいるようだと話していました。阿部晋三が統一教会の信者の結婚式に祝電を送ったなんてネットニュースは最近のものです。日本も韓国も少子化にブレーキがかからないから、いっそのこと世界中のカルトの聖地をいっぱい作って東アジアの人口底上げを図るってのはどう?ジョーダンだけど。さあ、きょうはW杯サッカー、対オーストラリア戦。神に降臨してもらいましょう!
June 12, 2006
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地元のデパートで木工展が開かれていたのでのぞいてきた。私の住むところはいろいろな分野の作家が移住してきてアトリエをかまえていることが多い。今回の木工展も、そんな家具作家たちのグループ展だった。これはつくりつけのタンスみたいなもの。引き出しがそれぞれの作家が考案したデザインで作ってある。タンスそのものがコラボレーションだ。なかにはカラクリの引き出しがあったりして感心するほど凝っている。大人の遊び心は楽しい。販売作品もたくさんあったがビンボ人にはおよびなし。80万円の創作仏壇がシンプルで美しかった。ついでに雑貨コーナーに行って「立体絵手紙!」をふたつ買ってきた。韓国・春川のジェミンと韓国語の先生041先生にいずれ送ろうと思って買ったものだ。手紙を開くと“日本の夏の風物詩”が立体で現れる。右のは夏の日本家屋での情景がイラストになっている。写真ではよくわからないが、花火も、じいちゃんも、ホタルも、風鈴も立体で飛び出るのがおかしい。浴衣に下駄!姿が日本の夏らしくてイイ味出している。左のは日本の夏祭りと街並みが立体になっている。みこし、たこやき屋台、ビアガーデン、ちょうちん、かみなりさんなどがにぎにぎしく並んでいる。どちらもかなり凝っていて1つ399円(税込)。韓国人だったら珍しいので喜ぶだろう。種類もたくさんあったよ。実は韓国に行ったときこんな洒落たステーショナリーを探したんだけど見つからなかった。絵はがきなんかも好きなんだけど種類が少なかったなあ。私は韓国の映画ポスターが好きでスタジオに何点か飾ってある。ハングルっていうのはポスターなどでビジュアル化したときに日本語よりはるかにデザイン化しやすく、美しいのでインテリア向きだ。文具なども独特の韓国文化とコラボレーションすれば、面白いものができると思うんだけどないのだろうか。日本人と違って細かい芸より派手でストレートなものを好む傾向があるからないものねだりかな。
June 11, 2006
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ビオシン(久々の登場“美人の女慎太郎”)とお昼ご飯をご一緒した。きのうは彼女がごちそうしてくれるというので出所した高倉健(映画ね)のように「親子丼」を頼んでみた。高倉健はカツ丼だったっけ( ̄Д ̄?寿司でも、鰻重でもなくこういうのを喰いたかった。娑婆(シャバ)のメシはうまいね。だって病院暮らしのときは1階のラウンジまでこそこそ降りて病院内レストランの食品サンプルを(例えばこんなやつ)ワックスが溶けるんじゃないかと思うほど凝視していたもんなあ。目が危なかったかも。病院食じゃあチカラ湧かないんですよ。一例がこんなだもん。5月○日 日曜 朝4階西421 ヤンパ様----------ごはん(おにぎり2個)みそ汁(ほとんどお湯です)ひじきの煮付けしらす干し和えのり佃煮(ちょび)牛乳(毎回プリントアウトされたので持って帰った)この状態で食べる。ビオシンには退院する数日前に電話したんだけど、彼女も、突然消えてケータイもつながらない私を 「アジョッシ死んだか」と思ったらしい。新聞の“おくやみ欄”を毎日探したそうだ。(; ̄□ ̄さいわいおくやみ欄には載らなかったのでこうして街!にくり出している。きょうは車の中からカラスとツバメのデッドヒートが見えた。ツバメの巣をねらうカラスをすごいスピードと低空飛行で威嚇するツバメの母ちゃんか、父ちゃん。どうということもない日常も、おっさんには新鮮だ。てか、その前に仕事しろよってぐらいスタッフSちゃんのヒモ状態な私。今週も終わってしまった。いや、サッカーが始まったな。ふふふ。4年っていうのも早いなあ。「日本人は団結すると強い。韓国人はひとりひとりが強い」そう表現するのは韓国人だけど、うそだろ?4年前の市庁前の光景を見ると、韓国の赤い悪魔たちのがどれだけ怖かったか。今回もやるのかな?
June 10, 2006
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「韓国徴兵、オレの912日」講談社文庫にそんなものがあって読んでみた。著者は1966年生まれなので入隊経験はそうとう昔のことになるけれど、随所に出てくる装備や食事、訓練の状況は現在の話しを取材している。お隣りの国の徴兵制度がわかりやすくまとめられていてサラッと読めた。兵士の1日の摂取カロリー基準は3800キロカロリーと書いてある。一般人が2500キロカロリーなので結構多い。これはチャンパプという蒸したご飯だそうだ。(ちなみに先月の私の入院時の摂取カロリーは1日1800以下でした!^^)作者が入隊時には軍隊内のヨルチャリョ(罰)でいじめにあって精神状態をくずした訓練兵が、自動小銃の乱射で先輩3人を殺害したなんてケースもあったようだ。自殺者の数が今まで数百件(ほんとですか?)あるらしいので、思いのほかつらい経験に耐えられない人もいるのだろう。本文にこうある。「軍隊は国家にとってタダ同然で動員できる大量の労働力であり、非常に有益なものだけれど、個人にとっては得るものは何もない」何もない。。。のは個人の資質によって多少変わるのだろうけれど、若い男の子にとって2年2カ月以上の軍隊生活は同世代の日本人が考える以上のことなんだろう。我が家のアッキー(ハタチ)だって考えることはオネーチャンのことばかりだものなあ。(ちなみに北朝鮮は陸軍で5~8年の兵役期間)俳優のウォンビンがケガで昨日かな?除隊を決意したという。ネットでわりとふっくらして色白の彼の「残念そうな」顔が連日伝えられている。私は、ウォンビンはとてもいい役者なので除隊は素直によかったと思っているけれど、ヨルチャリョは、どこかで誰かにされるだろう。「チャジルルチャルラソ ソーセージチョロム クォポリルカブダ!」(チ○コ切ってソーセージみたいに焼いてやろうか!)…本文ママ↑こんな軍隊用語もあるくらいだしね。別の本でこういうことも書いてあった。「韓国の軍備は陸軍から海軍に重点を置いてきている」陸軍(戦車)→陸続きの国への脅威ではなく海軍(イージス艦など)→海を隔てた仮想敵国への脅威やはり同胞への敵意は薄れてきているのだろう。
June 8, 2006
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一年前に突然消えた人がいる。名前は知らない。私たちの間では「研ぎ屋のオジチャン」で通っていた住所不定のおっさん。一年近く前にもこのブログに載せている。最後は“公園に、足が腐ってハエがたかっている浮浪者が死んでいる”と騒然となった御仁だ。私に話したところによると、彼は若い頃はそれは飛ばした人生だったようだ。刺青もあるのでテキ屋かヤクザだったのだろう。(銭湯で会った私しか知らない)北海道にお母さんと兄が暮らしているけど、“腐乱死体”事件前に兄から断絶された。要するに天涯孤独だ。何故か、ついの住みかをここに選んで、「包丁研ぎ」なんかの日銭暮らしで生きてきた。(不況のため建設現場などでの仕事がなくなったから)私の家にもたびたび来て包丁を研いだり、ばあさん(母)におにぎりとおかずを詰めてもらって世間話をして帰るような日々が続いていた。私の回りでも我が家を含めて千円貸した、2千円貸したなんてお人よしの家がいくつかある。ある意味おじちゃんは憎めない人柄の持ち主だ。私のお古のシャツやズボンをはいて、自転車で移動するおじさんを昨年までよく見かけたものだ。私たち家族はそんなおじちゃんに生活保護を勧めたが、なにせ「寅さん」なので国や権力!の世話になるのがいやだったようだ。そしてある日私たちがおまわりさんを呼んで、おじちゃんと善後策を話した日から彼は突然と消えたのだった。(サツ呼びやがってと言われた^^:)どこぞで死んだな。とは、ばあさんの推測だった。だから彼が1年ぶりにひょっこり現れて「包丁を研ぎに来たよ」と言ったときは、ばあさんも腰を抜かしたらしい。研ぎ屋のオジチャンは生きていたのだ。おじちゃんはアル中やら糖尿やら、肝臓やらモロモロの病気で病院に隔離されていたらしい。その間説得され、生活保護も受けられるようになったというのだ。今どきの世の中で赤の他人に包丁を渡して「研いでくれ!」なんて物好きはそうはいない。おじちゃんも定収は得ることができたので、米代ぐらいはと、旧知の間を回り始めたと言う。(我が家では3本研いで300円×3 1000円でお願いしている)日本は(というか都会は)バブルを越える好景気時代に突入したという。平成のいざなぎ景気(バブル時代)を越えたと聞いてしばらくたつ。不良債権で倒産したはずの大手銀行の収益が最高額!なんてニュースも毎日聞こえる。新聞によると私の住む県ではこの一年で「生活保護」に入る家庭がそれこそ空前の伸びを示しているという。研ぎ屋のおじちゃんもその部類だ。「…だとすれば私はこの国には住みたくない」これはおとといの村上ファンドの村上氏の会見中の言葉だ。大半の人は国を捨てることなどできずに、そこにとどまることしかできないのだけれどね。この国のかたちはどうなるのか。司馬さんが生きていたら誰もが聞いてみたいだろう。
June 7, 2006
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病気になっていちばんごやっかいになったのはもちろん妻だ。ただでさえやることが多いのに、まさにおんぶにだっこ状態だった。前から見たいと言っていたので、きのうはねぎらいのつもりで映画「ダ・ビンチ・コード」を妻と見に行った。なにが驚いたって、開始のブザーが鳴り始めたときに入館したんだけど、目をこらして見たらなんと!人でギッシリ。天気のいい休日なので、どうせスカスカだろうとタカをくくっていたら大間違い。アベック、女性同士、年配カップルなどで息も苦しいくらい人、人、人。映画館でこんな状態を見たのはいつ以来だろう。とうぜん私たちは離れて別々に観賞しました。感想。・意味わかんねー。(あえて原作を読まなかったので)・オゥドレイ・トゥトゥ(映画「アメリ」みたいで魅力なし)(´_゚||| )・トム・ハンクス(絶対整形したな。ミスキャスト)・ジャン・レノ(この人結局「レオン」だけの人なのかな)ひとり気鋭を吐いていたのはイアン・マッケラン(映画「ロード・オブ・ザ・リング」の白いじいさんやった人ね)だけだ。ちょっと話題にのぼり過ぎたかな。そんな印象でした。ついでに土日に借りたDVD「秘密のかけら」。この人の映画にはずれ!はないと思っているケビン・ベーコン主演。渋めでエッチな内容がなかなかよかったです。( ヘ 皿 ヘ )もう1本韓国映画「ビッグ・スウィンドル」。原題は「犯罪の再構成」←これでいいのかな?パク・シニャンとヨム・ジョンアのやつです。韓国映画はこういう小品がいいね。ヨム・ジョンアはやっぱりこういうハスッパなコメディエンヌタイプが似合ってる。映画もスラングががんがん出るので“勉強”になりました。私の住む町にも今月シネコン(8館)がオープンします。こけら落としのひとつは韓国映画「デイジー」。そう、チョン・ジヒョンの最新作です。 たぶん おそらくギャグみたいな、オチも何もない( ̄ε ̄;映画だと思いますが、ぴかぴかの映画館で味わってみたいと思ってます。しばらくはインドアな生活です。
June 5, 2006
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入院はヒマです。ラジオの韓国語講座もごぶさただったので、こんな本なんかをチラチラ見ていました。ちょっと見、最近の本かなと思いましたがブックオフで100円の古本。なんと1982年発行、24年も前の韓国旅行のための会話集でした。写真がふるってます。こんなのや、(空港で)こんなの。(郵便局で)こんなのまであります。(バスで)時代を感じるね。コラムも楽しいですよー。【~ウォーカーヒル内のパシピッククルロブではフロアショーがあり、ホステスも日本語を話せますので楽しさが増します。しかし、それにつられて大声で日本語を話すことは、まだいまのところ控えたほうがよさそうです】 …原文ママ。(● ̄▽ ̄●;)あはははは。この本を買った人はどうやら個人旅行だったようです。なぜってあちこちエンピツで○をつけてるのですが、「ホンジャ」…ひとり なんてところをチェックしてたので。レストラン(シクタン)コーナーの会話にこんなのがありました。これってさー、話せるわけないって!しかも初心者にメニューの中身がなんのことかわからないじゃない。まあこんな矛盾がいっぱいの会話集。カセット会話集は別売で5400円!(当時)だそうです。高っけー!というわけで1カ月間ごぶさただったハングルをまた始めました。きょうのラジオ講座のテーマ「サランウン ネリ サラン」は、いきなりハードル高かったです。( ̄∇ ̄;)春川のジェミンからのメールにも、私の不在を案じていたので“ヒーヒー”辞書を引いて送り返しました。小学生だから椎間板ヘルニア!; ̄□ ̄なんてジェミンも知らないと思うけど。
June 3, 2006
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その夜の病棟はめずらしく静まり返っていました。おさわがせの患者もなく、夜勤のナースたちの慌ただしい足音もしません。廊下からもれる所在なげな薄明かりのなか。。。私は何かの気配でぶるっと目が覚めました。ベッドの足元に見たことのないジイサンがぼうっと立っています。ゴマ塩頭の70代ぐらいのじいさん。私のベッドを見ながらこう言いました。 「ねえなー。ねえなー」何かを探しているようです。あから顔のじいさんはしばらく何かを探すと、カーテンの向こうに消えていきました。よく考えてみるとゴマ塩頭で、なおかつ自力で歩けるようなじいさんは私の“棟”にはいないのです。1カ月いて見たこともないじいさん。いったい何を探していたのか。まさかあの世に尿瓶でも持っていきたかったのか。それとも「大人のおむつ」か。そういや今回初めての入院で“おむつ”だけは免れたなあ。危なかったです。( ̄~ ̄;それは置いといて翌々日、T橋じいさんが私に訊ねました。T爺「あんた、昨日の夜中おしっこに起きた?」私「昨日は行かなかったよ」T爺「あのな、昨日の夜中、歩行器(私用の)ですごいスピードであとずさりしてる男見たんだけど、あれ、あんたじゃなかったのか?」どうやら二晩続けてゴマ塩じいさんが現れたようでした。病院のおばけのくせに元気だなあ。以前日記に書いたけど、私は昔、夜中に若い女性の霊に枕元に出られてオシッコちびりまくったことがあったので今回のじいさんにはそんなにびっくりはしませんでした。(腰も痛かったしね)いずれにしても今回は久しぶりのおばけ体験でした。この病院では前の夜までいたはずの年よりが、翌日の朝にはきれいさっぱり“消えている”なんてこともあったので、あの世に行きかけたじいさんが何かを探しにきたのでしょう。くわばらくわばら実のところ若いボイン(死語) ̄皿 ̄;)のナースの霊でも現れて「ないわあ、ないわあ」と言ってもらえれば「あるわよ、ホラ」とパジャマを下げるのにな。ぎゃははははと笑うと「そんだけ元気あればもうだいじょうぶだわ」と妻にあきれかえられたのでした。
June 2, 2006
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椎間板ヘルニアの手術も無事終了し、翌日には背中の「血抜き用の管」も抜いてもらいました。おまけに足首に装着した「エコノミー症候群」回避のためのマシン?がどーにもこーにもうっとうしくて、懇願して引っこ抜いてもらいました。おっさんかなりわがままです。(* ̄皿 ̄*)こうなると患者なんて勝手なもんです。病院食のうすい味付けがつまらないので、大部屋のじいさん仲間からしょっぱいおかずを分けてもらったりして「山菜採り談義」なんかで花を咲かせました。そんなじじい仲間を紹介します。T橋じいさんは、よくいる不平不満のじじいです。「メシがぐちゃぐちゃ柔らかすぎて喰えやしねえ」と文句を言い、看護士がじゃあおにぎりにしましょうと言うと今度は別の看護士に「メシが固すぎて入れ歯じゃ喰えやしねえ」と言う典型的なクソジジーです。U野じいさんは60代ですが、愛人とおぼしき女性(30代、元ミス○○とか言ってた)を私に「娘だ」と紹介し、奥さんの面会時間とニアミスしながらも悠然としている太っ腹なじいさんです。しかもジイさん、彼女と3時間どこかにしけこんでました。奴さんは腕のけがでしたのでシモは使用可能だったのでしょうか。お下劣ですみません。さて本題のミヤシタさんです。ミヤシタさんは私のベッドと薄いカーテン2枚で仕切られているだけで、顔はほとんど見えません。足のけがで入院していて、足の大きさからかなり巨人なジジイかと思います。その足のけがを除けばいったいこの人のどこが患者なのかと思うくらいチョー元気なジイさんで、異常に声がでかいのが特徴でした。ミヤシタさんの1日は簡潔です。24時間中、20時間は睡眠。( ̄‥ ̄)起きるのはメシの時間と、おしっこウンチ、大相撲中継、リハビリ(15分)のみでした。寝てるあいだはモチロンいびきです。グォーグォー起きてるのが4時間だけなのに彼の発する爆音にはまいりました。何か行動するたびに「音」が出るのです。こんなぐあい。看護士「ミヤシタさ~ん、お食事ですよー。起きてください」 「オヒョッ グヒョヒョ!」(うれしいらしいです) 「アフアフ~ゴブッ?」(何を食べようか悩んでいるようです) 「ジジルジジルジジル」(番茶を飲みました) 「ガフッ」(かなりでかいゲップです) 「ニッチャニッチャ グショグショ」(喰いはじめたようです) 「ズゾゾゾゾゾー ゴブゴグッ」(みそ汁ですな) 「ガフッエホエホッホッ」(むせました) 「チッチッチッチー シッシッシッシィー」(歯のカスをすすってます) 「ブリブリブリ===バス!!」(喰いながら屁をこきます) 「グァアアア~ッペッ!!!」(中国人なみのつばも吐きます) 「ニチャグショ ガフッ ブリリリリィ ジジルゴヒッ チッチ シッシッ」(間断なく様々なサウンドがこだまします)もしフランスの民放のバラエティ番組でミヤシタさんの食事風景が放映されれば、翌日、放送局はきっと焼き打ちに遭うでしょう。国際線の機内食時にミヤシタさんが遭遇すれば、機長命令で出発空港へ引き返すでしょう。そのぐらいの騒々しさです。なあんて笑っていたらミヤシタじいさんとT橋じいさんの会話が聞こえてきました。 ミヤ「俺も海外なんて興味なかったけどな、行きはじめれば結構行くもんだな」 T橋「すっと、中国とか韓国とかも行ったんか?」 ミヤ「オメ、韓国なんてデッタラメな国だどー」 T橋「でたらめか?」 ミヤ「ああ、値切ろうと思えばえくらでも値切れるんだど、あそこは」わははは。ジジイ、どこに行ったんだ? ミヤ「それにな、あの国の言葉はな、京都弁みたいなもんだ」ぎゃはははは!!!京都弁だったんだ。世の中面白いもんで、看護士さんたちにはこの天然ジジイの人気はかなり高く、「ミヤシタさん、うんちはウォシュレットできれいに流そうね」とか「ミヤシタさん、ほら寝てばかりいないでリハビリ行くよ」とかやいのやいのとかまわれていたのでした。私はそんなミヤシタさんを見ていて、そういえば昔はこんなジジイがたくさんいたなと思ったのです。ほとんど絶滅危惧種です。現代人は“いろいろと回りを気にかけながら”生きているので、案外こんなじいさんの方が長生きするんだろうなあと思いました。 “長生きはゲフッブリッシッシのミヤシタさん”そんな一句で眠りにつきました。ブリッ。
June 1, 2006
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