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いたたたた。。。し、尻が痛いです。(すみません汚くて…)きょうも朝早く起きたのに、朝メシもチャリの弁当もブラ雄やピッピコの餌も作れませんでした。起きてきたまま2時間うつぶせで撃沈。ちょうど1年前になったギックリ腰に近いかもしれないので、朝一番でペイン・クリニックに行ってきました。東洋医学や整体ではないブロック注射で痛みを緩和する病院です。お医者様はやさしく語りかけてくれました。「ひさしぶりですね~」うれしくありません。ブロック注射を背中にブスっと刺してきました。怖かったです。ところで、きのう急にパジョンが食べたくなって里山に行きました。のびろ(のびる)とアサツキを採ってきて、庭で母が作ったニラを入れてなんちゃってパジョン。のびろとアサツキは味噌とダシ、砂糖で炒めて中に入れました。ニラは生のまま入れて焼き上げました。パジョンじゃないですねコレ。^^土曜日は花見散策、日曜日は里山歩きと続いたので老体が悲鳴をあげたのでしょうか。弱っちいです。いたたた。ついでに新聞で連載しているイムさんとかいう韓国人の「チャルモゴッソヨ」の料理コーナーで、たんぽぽの若葉(生食)のサラダがおいしいですよと書いてあったので、すぐ実行。(若葉は花が咲いていないのを選ぶのだそうです。さらに、ゆがくと苦くなるそうです)たんぽぽって韓国語で何て言ったっけ?痛みで記憶も飛んでます。えっとーチンダルレじゃないしミクラジ^^じゃないし…ま、いいや。韓国風ドレッシングで作りました。レタス、水菜なども入れてみました。やっぱり苦いですね。おいしかったけど。(でも見た目がうまくいきません。プロのはおいしそうに見えたのだけれど)里山も春まっさかりですので、甘草(かんぞう)のマヨネーズあえも作りました。甘草(知ってます?)も若芽だけ採ってきてゆがきます。ニラのマヨネーズあえにそっくりです。手前が甘草、奥が苦いタンポポサラダです。息子チャリも「苦げーなー」とかいいながらつまんでくれました。みなさん春になってウキウキして行動起こすと、思わぬ運動不足に泣くことが。。。気をつけましょう。そして春をおいしくいただきましょう。
April 24, 2006
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きのうは天気も上々で風もなく、こちらではやっと桜が満開になってきたので、妻とウォーキングにでかけました。まずは軽く腹ごしらえ。きわめ亭?はじめて入ります。^^店主はカンボジアとベトナムで5年間バックパッカーやってました。ラーメンは荻窪でバイトで学びました。とでも言わんばかりの浅黒い青年です。( ̄~ ̄きわめ亭というだけあって“ポーズ”はきわめていました。がはは。でも東京スタイルの正当派醤油ラーメンはけっこうおいしかったです。(550円)さてクルマを友人の駐車場を借りて置いて有名なお寺へと続く階段をのぼります。これがほんとの桜坂。左手の小さな市営動物園は親子連れでおおにぎわい。もろこしのこおばしい匂いがただよう中、あまりの桜の美しさに皆ケータイで写真を撮っています。今はみんなケータイなんですねえ。どっかのばあちゃんだけば一眼レフでバシバシ写真を撮ってました。かっこよかったです。昼からワイワイ飲んでる若者グループを横目にオッサンとオバハンはお寺にやってきました。ハイ、かざはなさんサービスショット。ここはもう地元勢はいません。圧倒的に関西弁やら中国語やら韓国語やらベルギー語(知りませんが)などで国際色ゆたかです。^^巨大な香炉に1束100円也のお香に火をつけて願いをかけます。妻は何故か頭にけむりをかけてます。いまさら頭がよくなってもしようがないのですが、何かを願ったのでしょう。100円のお香代はもったいないので、私はしらんぷりでもう1束くすねて祈りました。(● ̄▽ ̄●;)当然です。何を祈ったかって?竹島が日本に返るように!!ではありません。^^半月遊んで50万円ぐらいの給料くれるところへ雇ってもらえるように!!でもありません。つきなみな家族の健康でした。仲見世を冷やかしながら友人の喫茶店へ。エスプレッソをいただいて今きた道をまたのんびり歩いて帰りました。日本人は桜が好きですねー。
April 23, 2006
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竹島問題でいま外務省の事務次官が渡韓している。韓国サイドは一歩も断固としてゆずらない姿勢だ。日本海と東海の問題、靖国も含め、韓国人のメンタリティに「反日」は欠かせない。“ウリナラ”が骨なら“反日”は血だ。肉づけは政府主導で「教科書」で行なわれる。体制寄りの韓国メディアはさらにそれを焚き付ける。経済的排他水域という「乱獲」で漁場を失った韓国漁業という本来の基本事実はとうの昔に忘れ去って、『我らが領土をまたあの汚らわしい軍靴で踏みにじろうとするのか!』となってしまう。時代錯誤も甚だしいし、ただの悪循環だ。(李承晩ライン以前では対馬もよこせと言っていたらしい)日本の国民がいつもの風景だとあきらめても、外交としてはそうはいかないだろう。いま韓国と日本、日本と北朝鮮、北朝鮮と韓国の間に、抜き差しならぬ問題がいろいろ横たわっている。北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんのお父さんが韓国に行くこともそのひとつだ。(韓国の政府関係者も訪朝しているらしい)韓国政府は金泳三政権から、ノーベル賞欲しさの金大中、ノ・ムヒョンへと三代続いて北への宥和政策をとった。そのおかげ?もあって、見事に同民族愛国精神が花咲いたかにみえる。休戦中という足かせがあるにもかかわらずだ。北は第七サティアンだ。少なくとも国家ではないだろう。カルト集団のもと朝鮮民族300万とも350万ともいわれる人々が餓死している。(政権による計画経済だと言う人もいる)もちろん「粛清」はこの数に入っていない。その頂点で空中浮揚もままならぬ李朝残影の独裁者が、凍結された自分の口座を開けてくれと中国に朝貢してあしらわれている。いいのですか?韓国。ホロコーストと靖国を同列に置いてあげつらってますけど、北との統一がすめば統一コリアが自国民300万以上を殺害したことに直面するのですよ。その覚悟ができてるのか。私は(しろうと判断ですが)すでに金正日の首には鈴がかけられた状態だと思っている。彼もルーマニアのチャウシェスクの二の舞いだけはごめんだとおびえる毎日だろう。毎日朝起きて、考えることはたったひとつ。自分の命。おまけで金。そんなとこだろう。将来朝鮮半島が統一されたとき、どさくさにまぎれて拉致された日本や韓国、その他の国の人々の生命、および存在自体が霧散してしまう可能性もある。横田さんご夫妻やその他の拉致被害者のご家族に残された時間はそう長くはないはずだ。韓国は長期非転向囚数十名を北へ返した。拉致実行犯のシン・ガンスじいさんも含めて。北から帰ってきた人間はいない。 ●いま韓国の教育は大きく揺らいでいる。教総(韓国教員団体総連合会)から全教祖(全国教職員労働組合)に取って変わられつつある。~略~ 韓国の全教祖の教えはそれ以前の政権すべての否定の上に成り立っている。~~朝鮮戦争が北の侵略から始まったという史実にはふれない。また、現在の北の経済的な窮状についても教えない。~~金星出版社の教科書の記述の一部にこうある。「千里馬運動(北朝鮮の)は社会主義の発展に大いに寄与した」。「セマウル運動(韓国の)はパク・チョンヒ政権の権力維持のための手段」。(「韓国が危ない」豊田有恒 PHP新書 2005)これがほんとうだったら怖い。作者は嫌韓派の人物ではない。むしろ韓国の友人を多く持つ親韓の作家だ。ただ現在の韓国が大きく親北に傾いていることを危惧しているようだ。ノ・ムヒョン大統領は全教祖のメンバーを閣僚に迎えた。「まず日本がすべてを謝罪してからテーブルにつく必要がある」などと、レームダック化した自身の政権から目をそらすいつものパターンに陥ることも考えられる。北と同じこと言うなよ。「韓国は民主主義をやめることにしました」そんなバカなと思うけど、今の韓国政権はどうしたいのかよくわからない。韓国全土の“キム・ヨンナム氏”のご親族はこれでいいのだろうか。
April 22, 2006
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昔ソウルに住んでいたことのある、ある女性のHPを訪れていた時期がある。韓国語を勉強し始めたばかりでブログのことも知らなかった頃。この女性は韓国の昔の映画や音楽や建物に興味があるようで、けっこうマイナーな素材を見つけてきては紹介していた。その中の映画のひとつに「誤発弾(オパルタン)」があった。1961年制作とある。もちろん内容も知らなかったけど、心のかたすみにその不思議な発音だけが残った。 オパルタン。ある年、韓国商品をネット販売している在韓の日本人の女性のHPで、なんとその「誤発弾」を見つけることになる。しかも商品としての魅力がなかったのか、SALE商品(DVD)だった。すぐに申し込んだ。どうやら「名作復刻版」らしかった。(初めて買った韓国映画です)1960年代の韓国。まだ撮影する場所も限られていたはずだ。街の風景も、写真に納めることのできない時代のソウルがそこにあった。私は解説書を読みこなすほど韓国語に精通しているわけではないので、この監督(ユ・ヒョンモク)の狙いはわからない。ただ、“ユギオ”(6.25)=朝鮮戦争 なんて言葉が映画の中にちらほら見え隠れするので、混乱を終えて出発した韓国の一時代を描いていることはわかる。主人公チョルホは「歯が痛い」。登場からラストシーンまで痛い痛いで終わる.チョルホたちが住んでいるのはゴミゴミした丘の上だ。バラックが続く泥の坂道。まさしくタルトンネ(月の町)だ。“タルトンネ”は昔読んだ本で知った。日本でもあった終戦直後のバラック街のようなところだ。ソウルは坂道が多いので、貧民街が山に向かって迷路のように入り組んでいく風景が映っている。(ペ・ドゥナの「子猫をお願い」にも残滓が残ってますね)もちろん初めて見る風景だった。主人公の家はその丘の上、最後ははしごで登るような家だった。映画は主人公の兄弟を中心にして当時の韓国の閉塞感と、傷病兵がなすすべもなく酒におぼれる現実を描いている。若い女たちは金のある米兵にむらがって、その日の糧を得ている。まさしく日本の終戦(敗戦)直後の東京に近い風景だ。主人公は客を引いてつかまった妹を見受けに警察に行き、仕事がなく強盗を働く弟との面会にまた警察に行く。妻は苦しみながら早産で死ぬ。母親は戦争の苦しみから気がふれて「カジャ~カジャ~」(行くのじゃ、行くのじゃ)としか話すことができない。たったひとりの小さな娘に“コムシン”(ゴム靴)さえ買い与えることができない男。八方ふさがり。「痛い。歯が痛い。私はなんのために生きてるのか」と自問する。白い歯からにじみでる血は、戦争で亡くなった人間の何十万トンという血の比ではない。しかし、もがいてもかきむしっても、すき間からジュルジュルと音を立ててわきでる当時の韓国社会の泥水のようにみえる。あきらめて投げやりになっても、捨て去ることさえできない復興の街ソウル。日本が残していった百貨店とおぼしき街並みを、歯をおさえて歩くチョルホ。拾った白タクのにいちゃんに「こいつ誤発弾だよ」と言われるラスト。まるでイタリア映画のネオリアリスモのような既視感。「カジャ~」という言葉が「北へ行こう!」と勘違いされて上映禁止になったいわくつきのこの映画。文化的財産は思わぬところにもころがっている。映画「誤発弾」の感想でした。写真参照 http://www.hf.rim.or.jp/~t-sanjin/korea.html
April 19, 2006
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春川のギョンス父さんに、こちらは桜がまだつぼみです。なんてメールを辞書を引き引き出したばかりなのに、いきなりきのうあたりからソメイヨシノが開花しはじめた。土曜日には気の早いツバメがマンションの駐車場をスイスイ飛んでいた。GW前はわたしの住む田舎もにぎやかな季節を迎えそうだ。きのうはスーパーで筍が安かったので買ってきて筍ごはんを作った。これは妻が上手なのでおまかせ。だからきょうは珍しく息子チャリの分と自分の分を作って、お弁当を持ってきた。できあいだけどキャベツメンチカツもおいしそうだったので半分にして分けた。もうじき外でのお弁当もおいしい季節になる。こんな「おやつ」も持ってきた。“ふらの牛乳プリン”。北海道は富良野のものらしい。高級プリンだ。(たぶん^^)ふたの上の長いスプーンで食べる。チャリが幼稚園の頃、仲が良かった近所のカッちゃんち(北海道出身)が送ってきてくれた。(いまは東京)賞味期限が2日しかないので、こうして会社まで持ってきておやつに食べようと思う。スタッフSちゃんにも「すげーうまそォ」と喜んでもらえた。カッちゃんには当時2歳の妹がいて、赤ちゃんのころから足が痛いと泣いていたのが、のちにガンとわかって切断しないとだめですと先生に言われて切ってしまった。そんな悲しいこともあったので、妻もなにかとやりとりしてつきあっているらしい。今回のプリンはカッちゃんの高校入学のお祝いのお返しということだ。不幸にも幼少の頃に片足を失ったカッちゃんの妹だが、いまは元気な小学生。人ごとながら我が家も安堵している。
April 17, 2006
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先日なにげなくテレビを見ていたら「食わず嫌い王選手権」だったっけ?とんねるずの番組にチェ・ジウとスマップのゴローちゃんが出ていた。チェ・ジウのメニューを見て何が嫌いか瞬時にわかった。たぶん韓国に住んでいる日本人なら誰でもわかるだろう。彼女の嫌いなもの(あるいは食べたくもないもの)は“焼き塩ジャケ”だったからだ。韓国で塩鮭を食べる習慣はない。どうしても食べたくなった在韓日本人は日本から持って帰る。魚はおもに白身の魚が好まれる。日本食が普及して寿司なども食べられるようになったので「マグロ」を食べることも増えたけれど、基本的に赤い魚は食べない。そんなようなことは、いろんな「本」で知っていた。チェ・ジウはこんなことも言っていた。・日本での撮影でお弁当が出る。そこに“冷たい焼鮭”が入っている。あれもいやだ。・オレンジの魚なんて食べたくない。ほらね。やっぱりそうだ。韓国って熱々のごはん・おかずが好きだものね。ロケ弁なんてきっと囚人の喰い物ぐらいにしか思えないだろうな。だけどチェ・ジウ。そんなにまずそうに喰わなくったって。。^^さて先月、春川のジェミン(小学生)とジェウ(高校生)あてに、仮面ライダーとガンダムのフィギュアを送ったと日記に書いた。ふたりの進級のシャレのつもりだった。高いもんじゃないしね。さすがに高校生のジェウはおもちゃをジェミンに譲ったようだ。そんなメールも来た。メールの終わりに、「韓国海苔」送ったよとあったので、わざわざ気を使わなくてもいいのに。。。なんて思ってたら、いきなりメールが届いたきのうEMSで届いた。しかも大型小包み。20袋も入っていたよー!!韓国人はそんなに“律義”じゃない^^と思ったから気楽に送ったのに。これじゃ逆だ。驚いたのはもうひとつ。送り手の住所が印字されていた。しかも漢字。こりゃほんとに韓国人が漢字忘れるわけだね。ギョンス父さんの漢字フルネームもはじめて見ました。むずかしすぎるって。
April 15, 2006
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きのう妻が幼稚園から帰ってくるとき、近所のAさんのお宅の前に救急車が止まってガヤガヤしていたと言った。Aさん?「そう、Aさんち」と妻が言う。実は先々月、ブラ雄の散歩の時Aさん(奥さん)に会った妻が“まるで別人のように”暗かったと言ったことを覚えていたので、まさかねと言い合った。Aさん夫婦はN○T勤務のおしどり夫婦で、生活もダブルインカムで順調に見えた。ふたりの子どももスポーツ、勉強と両立して大学にも進み、何の問題もない、いい子に育っていた。要するにはた目にはうらやましすぎるご家庭だった。Aさんは昨年会社の方針で早期退職して家にいる毎日だったようだ。それが彼女の生活に影を落とすようになったようだ。Aさんは美人でとても明るい女性で、私がブラ雄の散歩でもしてると、向こうから手をあげながら笑顔で声をかけてくるような人だった。その彼女が「鬱病」にかかるなんて想像もしていなかった。私は昨年ふたりの知人を鬱病で亡くしている。以前の日記でも書いたヤクザの親分S雄と、クライアントの元気な社長Oさんだ。前者は稼業に嫌気がさして鬱病になった。人が良すぎて親分肌になれないかわいそうなヤクザだった。後者は売り上げも順調で新しいブランドを立ち上げたのに燃え尽き症候群で鬱病になった。今回のAさんはまだ理由がわからない。朝、スタジオでネットしていると妻がAさんが昨晩息を引き取ったようだと泣きながら電話してきた。私は1年で50代の知人をこうして3人も失った。先週の土曜日に東京の熟年離婚、M子ちゃんの所へおじゃましたのも、彼女の心の健康を不安視したからだ。私のまわりだけが特別なのではないだろう。私自身だって不安なことなど山ほどではないにしろ、それなりにある。あまり詳しく書くのは避けるがデザイン屋としての仕事も順調ではない。むしろかなりな逆風だ。ギリギリのところで生活はしている。でもやり足りないことが山積みなので(韓国行きも含めて)、あ~これで金さえあればなーなんて毎日思っている。韓国バーに行ってキスされてる場合じゃないことは重々承知なのだけれど、悩みごとの多い毎日だ。しかしお気楽なオッサンか。中年って、その「悩み」が即、生活に直結してくるのが怖いと思うこの頃だ。きょうはお寿司を買って帰る。結婚記念日に、お寿司を買ってうちでビールで乾杯するのが毎年の恒例だからだ。また一年たっちゃったねーと言い合う日なのだが、来年から別の意味でも忘れられない日になってしまうだろう。鬱病って言葉が時々重くのしかかってくる。苦痛から逃れようとする人をこちら側に引き止めようとすることは無理なのだろうか。
April 13, 2006
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カヤ、めぐみ、順子。私の人生を変えた女たち。ではない。昨晩出会った女性たちだ。しかも全員韓国人。きのう友人ナカッチャンと飲んだ。ナカッチャンとの酒の思いではろくなものがない。以前書いたけど、むかしHなバーでホステスの肩に噛みついて怖いおにいさんに大枚ふんだくられたのも彼と一緒のときだった。(噛みついたのはもちろん彼)二人だけで飲むなんてひさしぶり。きのうはナカッチャンの再就職を祝う飲み会だった。実は他にふたり参加予定の友人がいたのに、私たちふたりの悪行を見てきた仲間だったので恐れをなしたかドタキャンを食らった。賢明なおふたりだ。話し戻って居酒屋で飲んでるときに韓国の話しになった。で、そういえばG町は韓国バーがすごいことになってて、僕も2回ほどひきこまれちゃったよ~とうれしそうに話す彼。いや~な予感がしたので「ラーメンでも食って帰ろうか」と居酒屋をあとにすると、現在独身でヒマな彼が「ちょっとだけ行かない?」と水を向けてきた。男ふたりの飲み会で「ちょっとだけ。。。」がちょっとにならないことは何十年と飲み続けてきた私でなくとも誰でも知っている事実だ。しかし男はこの言葉に弱い。それにナカッチャンは若い時とってもカワイイ新婚の奥さんを病気で亡くしている。そんなこともチラリと頭をよぎり、よせばいいのに「じゃあちょっとだけよ」と加藤茶のように私たちはG町へ向かった。翌朝サイフをみてガックシ肩を落とすとは知らずに。お前バカかと言いますか?上記3人のお名前は1件のお店で知りあった方々ではないのです。お前アホかと言いますか?ハイ。3件もはしごしてしまいました。ですから3つのお店のママの名刺を持って帰ったのです。ていうか、朝気がついたらサイフに3枚の名刺が入っていました。懲りないおっさんです。しかも。思い出したくもないのですが私きのう「クチビル奪われました」。相手?もちろん韓国のおばちゃんです。確か2件目だったか、私たちのボックスのお相手ではない、あちらの席から突進してくるアジュンマが目に入りました。アジュンマは韓国語を多少話す私に興味があったようでした。次の瞬間、頬を両手でおさえつけられる私。「シロー(嫌や)シロー(嫌や)!!」首をイヤイヤしました。 ぶっちゅう(; ̄□ ̄ 『アイゴー!!』くちびるを手でゴシゴシぬぐいながら店を出ようとする私。 笑うナカッチャン。 追うアジュンマ。「ケンチャナ~」とか言いながら襲いかかるイノシシ、じゃないピンクのアジュンマ。 ぶうっちゅう ( ̄皿 ̄; 『チュゴ~!!!!』なまあたたか~いクチビルが私を組み臥しました。(涙)おばちゃんはたぶん私より年上です。酔っていても“アップ”で見たので断言できます。そんなの断言してもしゃあないのですが、アズンマは得意げな顔してました。エッヘンみたいな。(`Д´)(すんません。若者風に使いました)このお店が一番高かったので、キス代が含まれているものと思われます。妻とももう何年もチュウさえしていないのに。(レスです)笑いたければ笑え!なキモチ。チェ・ボンマンにやられた山本キッドのような私。私はスケベですが限度というものがあります。カネ払って犯されて日韓友好ありますかあなた!イッシ。 俺のあの夜を返せ!!ババア!分裂してます。。。。(ノp_q`)いっつも金ケチって昼めし喰ったりしてるのに、あ~バカみたいに散財です。春なのにお別れですね♪~ナカッチャンとはあと3年ぐらい飲まないつもりです。(3年後に飲むのかよ)
April 12, 2006
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うぃはよさんの日記でミナリ(セリ)の韓国式のおいしいいただき方を見た。我が家はいつも日本風におひたしとか、みそ漬けしか知らなかったので挑戦してみることにした。2週間ほど前に行った(クレソン摘みのときの)山あいの小川へ。雪まじりのみぞれがそぼ降る春の木立の中は思ったより暖かい。ずいぶん少なくなったとはいえ残雪の斜面を踏みしめること5分。ゲゲ!クレソンが乱獲されている。昨年もそうだった。次の人のことを考えないやからはどこにでもいる。あんなもの根こそぎ採ってどうするのか。まあ、今回の狙いはセリだったので、クレソンの大繁殖から逃れた「山ゼリ」をせっせと収穫。山ゼリは小さいので集めるのもたいへんだ。この“秘密の場所”もことしぐらいまでかなあと長靴をズブズブ水につけながら採集した。クレソンも多少残っていたのでスタッフSちゃんち用に集め、ついでにフキノトウも“ふきみそ”(郷土料理です)用に採ってきた。家に帰ってうぃはよさんのブログを再確認。春川のコチュジャンと、かざはなさんのサムジャン、お砂糖少々、コチュカル、にんにく、ダシ醤油少々、あとちょびっとゴマ油を入れて酒のつまみを作ってみた。うぃはよさんはコーラなんかを少し入れるといい。と書いてあったけどなかったので今回はパス。それでもおいしいおかずが一品できた。残ったクレソンとふきのとうは今晩の釜揚げうどんの天ぷらのタネにするつもり。まだ寒いんですよ~田舎は。あと少しでコゴミ、タラの芽、山ウドの季節だ。
April 10, 2006
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桜前線は北上する。私たち夫婦はきのう桜前線をつぼみの町から満開の町へと南下した。先日の日記で書いた「熟年離婚」してしまったM子ちゃんに会いに東京へ行ったのだ。私はただの運転手役。妻が彼女の話しを聞いてあげるというかたちでおじゃました。5年ぶりに会うM子ちゃんは元気だったが、築40年ぐらいの二間しかない文化住宅は今にも風で飛ばされそうなさみしい住まいだった。ふたりは話しがあるだろうからと、私は早々に近所の散策にでかけた。ここは完全な下町。町を流れる川の両側に桜並木が続き、いままさに桜まつりの真っ最中だった。川の両側ではミニバザーや花屋がでて賑わっている。この写真の桜の木の下では黒人の双子の姉妹が日本語で「買ってくださーい!買ってくださーい!」なんて叫んでいる。下町なので人種もさまざまな様子だった。川を渡す歩道にたつと春満開である。こんな風景が数キロ続く。私はヒマなのでのんびり歩くことにした。並木のなかほどが賑やかなので覗いてみると、「子ども太鼓」のアトラクションをやっていた。小さな女の子たちが演歌に合わせてドドドン ドドドドンっとリズミカルにバチをあやつっている。見学している人々の顔もおだやかだ。ただ“地味”なその人々の服装を見ていると「平成のいざなぎ景気(バブル)に次ぐ好景気に湧く日本!!」の姿などどこにもなく、日本という国が確実に2局化していることをひしひしと感じる。焼きそばやたこ焼き、お好み焼きやら焼き鳥やら屋台も出て、子どもたちで賑わっていた。川には大きな鯉が泳ぎ、気の早い子どもたちが網をもって追いかけている。どっぷりニッポンの原風景に出会った気がした。きのうはM子ちゃんの4人の男の子たちのうち3人とも会えた。私が肩車をしたり、キャンプに連れていった子どもたちもすっかり大きくなっていた。子ども会いたさにM子ちゃんもこの下町を離れられないらしい。新しいお母さんがやってくるだろうという話しも聞いた。M子ちゃんと妻は「ほんとに夫婦ってただの他人だねー」と笑いあったらしい。お米と梅干しを置いて、私たちはつぼみの町へと帰ってきた。
April 9, 2006
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私はフィクションよりもノンフィクションが好きな人間だ。(本はノンフィクション、映画はもちろんフィクションが好き)ちょっと前まで本屋やブックオフに行くときまって「アジア本」を探した。どちらかというと南の方が好きだったので、背表紙のどこかに「タイ」だの「バリ」だの「亜細亜」だの入っていると、足を止めて買おうかどうか悩んだものだった。5~6年前から韓国語に関心を持ちはじめてからは、それが「韓」や「ソウル」に変わってしまった。この2文字が踊っているとピコーンとセンサーが反応して手が伸びてしまう。いまやアジア本、韓国関連含めて私のスタジオには400冊以上の本がある。よくもまあと自分でもあきれるがかたっぱしから読んできた。(しかもみ~んな忘れてしまったアホです私)前の日記で紹介した「あんにょん・ソウル」(1986年)のような、私にとっては“お宝”ものの本もブックオフで買った。こんな古いデザインの焼酎も載っている。(まだ栓抜き式ですね)当時は消化剤のメクソロンを入れて緑のカクテルにして飲んだと書いてある。だいじょうぶか韓国人。(* ̄皿 ̄*)))))!きのうも外出したときにいつも行くブックオフではない、別のお店にちょっと寄ってみた。私のようなリストラ崖っぷちの親父たちも所在なげにぶらぶらしている昼下がり。 「こんにちわー!!いらっしゃいませー!!」(  ̄〆 ̄意味もなく元気な店員のマニュアル通りの挨拶には毎度むかつく。元気のない日だってあるんだってのこっちは。さて「韓」の字はあるか、「ソウル」が背表紙のすみに踊ってるかと、ハタからみれば異常者の目付きになりながらウロウロすると。。。ありました!ありました!!し、しかも、こんなのが出ていたんですね。1988年 集英社文庫『ソウルソウルソウル』原語で歌う88川村湊 佐野良一 選 (105円)88(パルパル)オリンピック=ソウル五輪の時に出された「ウタ本」でした。ひえ~はじめて見たよ。1945年以前~80年代までの歌謡。それと歌曲と民謡、ゴロにあわせて全88曲が音譜入りで紹介されている。最初のページが「タヒャンサリ 異郷暮らし」、最後のページが「サントッキ 山うさぎ」だ。ペラペラ見ても私が歌えるのは「黄色いシャツの男」、「アリラン」、「故郷の春」ぐらいしかない。「別れの釜山停車場」とか「断腸のミアリ峠」とかいわれても、さっぱりわからない。断腸の思い^^で買った「ソウルソウルソウル」。こうして誰も悔しがらない私だけのコレクションがまた1冊増えた。近所に住んでれば、はんらさんやはあちゃんママに教わりにいくんだけど。(嘘です嘘!^^知らないよね?古すぎて)
April 7, 2006
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はんちゃんおんまのノグリラーメンの写真を見て、私もラーメンネタの日記をひとつ。とっとっ、その前に1986年4月発行の「韓国日常雑貨事典 あんにょん・ソウル」(四方田犬彦 編・著 洋泉社)の最初のページがこうだ。写真が小さすぎたかな。でも、すでにほぼラインナップができている。(ノグリが左下、右上が三養、右中がチャパゲッティ)今、なくなったのはありますか?ちなみにメミルククスはつゆが甘すぎてだめ!町で食べてもつゆが甘すぎる!と書いてあります。先月韓国から「演歌の先生」がいらしたときに食事のお礼にと、たまたま持っていた?インスタント食品をいただいた。韓国海苔とチャパゲッティとラーメンだ。チャパゲッティはチャジャンミョンとスパゲッティの合体したようなもので、黒いソースがくせものだった。焦げ臭いのだ。作り方が悪いのか。あれ食べたことある人いますか?おいしい??で、ラーメン。これはおいしかった。(私は袋ラーメン派)三養ラーメンという。しかも「元祖!」ときた。日本のサンヨーラーメン(株)と関係があるのかどうかは知らない。私は日本式に何種類かの野菜をたっぷりゆでて、その中に麺を投入。粉末スープも日本式にどんぶりに開けておいて、麺と一緒にグツグツ煮ることはしなかった。これがよかったのかもしれない。真っ赤にしみた麺にならずに済んだ。辛いことは辛いけれど、さっぱりした味になった。ゆで卵とチャーシューと韓国海苔をのせてパーフェクト。(乾燥野菜の中には何故かタコが…だと思う)アジョッシなのでラーメンライスでいただいた。それにしてもやけに腹いっぱいになったので、三養ラーメンの袋を見ると「有湯麺類」“120g!”とある。似たような日本の袋ラーメンを見ると100gはない。麺だけなら90g前後か。三養ラーメンの120gは韓国の中でもずばぬけて多いのだろうか。韓国ではラーメンに野菜などふんだんに入れると聞いたことはないので、素ラーメンでたくさん食べるのかな。そういえば映画なんかにもよく鍋のフタでラーメンだけズバズバ食べてるシーンが出てくるでしょ?最近では「木浦は港だ」や「僕らの落第先生」にも“鍋フタ”シーンがでてきた。こんな感じ。喰いにくいだろうに。面白いぞ韓国人。今回のラーメンは麺だけなら、日本のよりつるつるしていて私の好みに合った。次は何を食べよう。さっき韓国食品をネットで探したら、やっぱりラーメン類は120g前後のものがほとんどだった。ラーメンじゃないけど、こんなのはうまいかな。
April 5, 2006
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私たち夫婦には共通の友人がいる。息子同士が野球少年だった関係で知りあった。M子ちゃんという。“ちゃん”づけだが年齢は40代。かなりおでぶだが、おひとよしでおしゃべりなのでみんなの人気者だった。M子ちゃんの旦那は地元の外資系の会社に勤めていたが、不況で撤退、閉鎖となったので職を求めて東京に行った。引っ越し当日M子ちゃんの旦那は東京にいて不在。彼女の親戚や私たち友人がすべてを手伝った。東京へさあ出発だ!というときのことは今でもよく覚えている。今にも止まりそうなスズキの「軽」の中は鍋、釜、ふとんでいっぱい。M子ちゃんには男の子が4人いて、一番上が我が家のアッキーと一緒。(当時中1)一番下の子は保育園にも通っていないチビだった。人間は5人。うち、人の言うこと聞かないのは4人。その日は猛暑の8月のお盆初日。高速大混雑。私「ねえM子ちゃん、まさかこれ1台で行くんじゃないよね。きょうお盆だよ」M「だいじょうぶだいじょうぶ、ゆっくり行くから」私もつくづくお人よしだと思う。M子ちゃんの親戚すら何にも言わないのに、我が家の乗用車にM子ちゃんの子どもたち3人を乗せ、東京までつきあうことにした。私の車には「僕たちも行く!!!」と、我が家の息子アッキー、チャリまで同乗。つまり私の車は“ガキ”しかも男だけで5人も乗る、ほとんど幼稚園の遠足状態になってしまった。東京について翌日のお盆帰省による大渋滞に巻き込まれたことも今ではいい想い出だ。(てか7時間もかかったんだよー)その後M子ちゃんのうちはお金こそないものの家族6人でがんばって東京で暮らしてきた。持ち前の明るさで楽しく暮らしていると思っていた。…思っていた。昨年年の瀬も押し迫ったある日我が家の電話が鳴った。M子ちゃんである。こう切りだした。 「あたしたち離婚しちゃった」り、りこん!まさか!何で?!!私たち夫婦にも詳しい理由はわからない。M子ちゃんがあまりにもお人よしすぎて、人にお金を貸したり(返ってこない)、あるいは頼まれていらん物を買ってしまうというルーズさは知っていた。それでもパチスロやるとか、新興宗教に入ったとかいうのではない。旦那のこともよく知っている。子煩悩のおっとりした旦那。M子ちゃんの機転の早さがなければここまで来られなかった…はずの…一家だった。これが熟年離婚というのだろうか。M子ちゃんは行く場所がないので今まで(前旦那と)同居していた。この春、別居となった。愛する子どもたち4人は旦那のところだ。妻がM子ちゃんに会いに行くという。会ってどうなるというもんでもないが、話しを聞いてあげたいらしい。妻がよく言う「夫婦なんてどうせ他人だからね~」なんて冗談も、単なる冗談に聞こえないきょうこのごろだ。どこでボタンのかけちがいが生じてしまうのか。夫婦なんてどうせ他人。いやそれはそうなんだけどさ。
April 4, 2006
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「国際結婚は旦那の国で暮らすより、妻の国で暮らすほうがうまくいきやすい」そんなようなことを以前ざおりんさんも言っていたし、例の「妻をめとらば韓国人」にも似たようなことが書いてある。(もちろん私にはその差はわからない)私の中学の同級生にフィリピンからお嫁さんをもらった人がいる。ある年、同級会があって彼から「実は来週結婚するんだけどフィリピンの人なんだよ。だからさ、みんなに言わないでね」と耳打ちされた。私の同級生に農業だけで暮らしている家はなかったので、たぶん彼はお見合いで決めたその婚約者のことが恥ずかしかったのかもしれない。つまり農家の跡継ぎのために選択した結婚ではなかった。そんなことないよ、せっかくの同級会なんだから発表しようよ。とは言えない自分もいて、あとで少し後悔した。後日、とあるスーパーで赤ちゃんをおんぶしたそのフィリピンのお嫁さんと彼にバッタリ会った。挨拶もかわして、かわいらしい奥さんという印象だった。今も仲良く暮らしている。恋愛による国際結婚じゃない場合は当事者でないのでよくわからないが、やはり恥ずかしいものなのか?ところできょうのニュースで韓国の農村における「嫁さん不足」の話題が出ていた。韓国ではより深刻なようだ。●とりわけ、昨年結婚した農林・漁業に従事する男性8027人のうち、36%の2885人が、外国人女性と結婚したことがわかった。農村の男性と結婚した外国人女性の国籍は、2004年度は中国がもっとも多かったが、昨年はベトナム、中国、フィリピンの順となった。 これはまさしく「ざおりん家」の日記とシンクロする話しだ。やはりベトナム人が一番人気が高いようだ。(何故だろう?)ざおりんさんちは、すでに2人のベトナム人が親戚にいるらしい。韓国女性もおいそれと結婚しない時代に入ったのか。それとも“しきたり”の多さに辟易しているからなのか。●昨年、外国人との離婚は4278件となり、25.8%増加した。なかでも韓国人の夫と外国人の妻の離婚は2444件となり、51.7%増えた。一方、韓国人の妻と外国人の夫の離婚は1834件となり、2.5%増に止まった。 数字だけでは判断できないけれど、跡継ぎをあせるあまり外野が大騒ぎする傾向は日本より韓国の方がより強いだろう。日曜日のハングル講座のインタビューで、邦題「拳が泣く」のナントカいう監督が面白いことを言っていた。「(何かが)上手な人は好きな人には勝てない、好きな人は楽しむ人にはかなわない」こんなようなこと。韓国のことわざ?なのかな。映画作りと国際結婚を同列で扱うことはもちろんおかしいけど、“楽しむこと”を知るには人の性格ももちろんまわりの環境もないとできないということだろう。
April 3, 2006
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私の住んでいる家は、母と妻と近所に住む仲よしの建築士キミちゃんが3人で話しあって作った家だ。私は計画に参加してないのでよくわからないが、日本の家屋でも、どこに台所を置いたらいけないとか、玄関は北側に入口を向けるなとかいろいろと制約があるらしい。やはり風水を考えてのことだろうか。あるいはその名残があるのだろうか。吉と凶を考えながら暮らしている人もまだ多い。むかしの都も風水をとりいれて造営されてきた。・中国の長安(西安)、北京、韓国の慶州、漢陽(ソウル)、北朝鮮の平壌、日本の平城京(奈良)、藤原京(京都)、これらの都は造営マニュアルが共通していた。[佐野良一 ソウルエレガンス 風水都市ソウルより]昨年景福宮(キョンボックン)の前に立って、後ろにそびえる北岳山との対比を見たときおぼろげながら背山臨水の王都の姿がかいま見えた気がした。・都を守護する四方の山も、ソウルでは北の玄武がプガクサン、東の青龍がナクタサン、西の白虎がイヌァンサン、南の朱雀がモンミョクサン(現在の南山)に当たる。これらの山に囲まれた地が明堂(ミョンダン)であり、ここを基盤の目状に区分して、王宮を中心に街が作られた。[同エッセイ]日本が作った朝鮮総督府が、この風水を意図的に遮断・破壊しているとして取り壊されたのは1995年~98年。私のような韓国デビューが遅かった人間には、その異様さも疑問も、もう感じ取ることはできない。とても残念だ。さて明堂(ミョンダン)とはなんだろうか?・山の起伏は龍の姿を現わすものと考えられ、龍脈はその龍身を貫く生気の流れの方向となる。龍脈のうちで最も中心的で生気の集中する場所があり、それを「穴(ケツ)」という。これは鍼灸でいう人体の「穴(ツボ)」である。~略~「穴」の前の地を「明堂」という。[川村湊 ソウル都市物語より]こう考えるとまさしくソウルは風水地理が非常にコンパクトにまとめられた都であることがわかる。その風水を表す山局基本図が上記の本に載っている。誰がどう見てもこれは女性器だ。(すんませんホントーにすみません)国が都をかまえるときに考えられた国家繁栄の風水理念は、女性そのものが大地であると見立ててそこから誕生していくものだと考えられていたようだ。・すなわち、家も村落も都市も“女性”なのであり、風水思想は基本的には原始的な母性崇拝、性器崇拝(女陰信仰)にまで遡らせて考えることができる。[同 ソウル都市物語]ソウルにお住まいのみなさん、どえらいところに住んでいますねえ。韓屋(ハノォク)が残り、コルモッキル(路地裏)の風情を感じられたのはいいところ80年代までだろう。88(パルパル)オリンピックもあったしね。私が韓国人に「なんで韓国語を勉強しているのですか?」と訪ねられると「韓国の田舎めぐりをしたいのです。朝鮮半島全体も含めて」とこたえることにしている。私の中にありもしないソウルの残像を地方のどこかに見つけたいという気持ちがあるのかもしれない。ま、そんなにカッコいいもんでもないんだけどね。1961年撮の韓国映画「誤発弾(オパルタン)」を見てそんなことを考えました。(字幕なしなので意味不明)(; ̄□ ̄映画の感想はまたいつか。
April 2, 2006
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