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「ガラガラの列車」の中の「小声」の携帯電話多くの人が一緒に生活をするのだから、「人に迷惑をかける」ということは避けなければならない。このことは社会道徳として、学校などで十分に教え、一人一人の人が人に迷惑をかけないように行動をしなければならないだろう。たとえば、•1) 人前でタバコを吸ったり、タバコの煙が他人の顔に吹きかかったりしない、•2) 電車や列車の中で携帯電話をしない、•3) 道を歩くときに3人以上が横になって歩かない(2人まで)、•4) エレベーターや電車に乗るときには降りる人が先、というようなことだ。気持ちのよい毎日というのは、このような小さなことも大切で、社会で生活する人の基本のように思う.・・・・・・でも、私は「禁止」というのが嫌いなので、できれば「自主的」にできないかと思う。江戸時代、借金をするときに証文を書く場合もあったが、そこには「もしも返済しないときには、お笑いになっても結構です」というのがあった。日本人にとって「恥をかく」ということは「死ぬこと」と同じだったので、「笑われる」というのは耐え難いことだった。私は次のように思う.「禁煙運動」の代わりに、タバコをお吸いになる人は、ご自分で他人に迷惑をかけないように出来ないものだろうか?電車の中で携帯電話をするときには、「空いていて」、「小声で話す」というマナーが守られていれば、良いのではないか。心臓のペースメーカーなどと周波数を変えて影響が出ないようにすることも大切と思う.乗客同士が大きな声で話すのはマナーとして良いが、携帯電話はガラガラの車内で小声で話しても目くじらを立てるというのはちょっと形式的すぎるように思う。・・・私が高校生の頃、道を4人で並んで歩いていたら警察官に注意された。その時には反抗的な気分だったが、確かに考えてみると、横に並んで歩くと向こうから来る人に取っては不快だろう.でも、私の記憶ではこのようなマナーをあまり誰からも教えてもらえなかったような気がする.誰からも教えられないとやはりあまり身につかないものだ。そして、最近は乗っている方がまだ降りないのにエレベーターに乗ってくる人や、電車に殺到する人もいて、これも不快だ.・・・なんとか教育段階で、「誠実であることの大切さ」「相手を不快にさせないこと」という基本を教え、ある程度の具体的な行動を示すようにしたらどうだろうか?そうすれば「がらがらの列車の中で、自宅に帰る時間をそっと携帯電話で家族に伝えるぐらいは認められる社会」になるのではないだろうか?福島原発事故を経験してみると、小さい不始末を厳しく糾弾し、大きなことを許すようになってきたように思う.(平成23年6月30日 午前11時 執筆)武田邦彦
2011年06月30日
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節電」は本当に必要なの?(2) 本当は津波ではなかった!先回、電気代がなぜ高いかを設備稼働率ということで整理をしてみた。 原発事故が起こった後の3月14日、東電の設備は6300万キロワットもあるのに、東電管内の国民が使った電気は、わずか2800万キロワットだった。 それでも東電は「計画停電」をすると言い張っていた。 その理由は「原発が事故を起こしたから」ということで、多くの国民は「仕方が無い」と思った。 ・・・ 3月14日の状態 電気設備 6300万キロワット やられた原発 200万キロワット(運転中のもの(203)) 差し引き 6100万キロワット(作る事ができた電気) 消費量 2800万キロワット ・・・ えっ!と驚く数字だ。 福島第一原発の発電量は全部で470万キロワットだが、事故当時、4号機から6号機までは定期点検中で、もともと動いていなかったから、3月14日に東電が「実質的に事故でやられた原発の発電量」はわずか200万キロワットだったのだ! 残りは6000万キロワット。それに対して東電管内の国民が使った電気は2800万キロワットだから、ジャブジャブ余っている。 これほど余っているのに「計画停電」をした。国民は大変な迷惑を被ったが、政府(経産省)も、マスコミもこのトリックはほとんど言わなかった。 ・・・ どこにトリックがあったのだろうか? 実は「福島原発が想定外の津波で壊れたから停電」ではなく、•1) 東電は原発だけではなく、火力発電の耐震性もサボっていた、 •2) 設備をいつも休ませていた。 の2つが主な原因だった. 繰り返して言いたいのだが、3月の計画停電は、 「地震で福島第一が事故を起こしたから電気が足りなくなった」 のではなく、 「地震や危機に対する東電のあまい体質がもたらしたもの」 だった。 実際に東電はどんな状態に陥ったのだろうか?(単位は万キロワット) 総発電能力 6266 福島第一で動いていてダメになった量 203 福島第一で休んでいた量 78 津波でやられなかった福島第一 188 津波でやられなかった福島第二 440 地震でやられた火力発電所の量 680 (止まった総量) 1588 (津波に関係なく泊まった量) 1308 地震後の総発電量 46783月14日の消費量 2800 ・・・ これでもまだとんでもなく余っていた(約2倍)。 「計画停電」を大々的に発表したが、現実には実施しなかった。それは、詳しく調べると現実には電気はあったということになるからだ。 でも、こうして内容を見ると、ずいぶん印象と違う. 東電は「津波でやられた。想定外だった」と言っているが、実は津波で破壊したのは、6266キロワットのわずか3%、203キロワットに過ぎない. 今回の震災はマグニチュード9という大地震だったが、福島原発は震度6である。震度6で原発も火力発電もやられて、電気が来なくなるということになると、東電は「何やっているのだ。地震の備えが出来ていないじゃないか!」と言われるので、福島第一の1から4号機が津波に襲われたことを全面に出して釈明した。 もちろん、地震でも津波でも備えなければならないのだが、実はこの説明もウソなのだ。本当のところは、大震災で停止した発電量1588キロワットの内、実に82%の1308キロワットが「地震」だけで壊れたのだった。 それも震度6以下である。つまり、 •1) 現実には3月14日の計画停電は必要がなかった(設備能力は2倍あった)、 •2) 普段から稼働率が低い運転をしていたので、そのツケがまわった、 •3) 計画停電の理由として東電が言った「津波」の影響はわずか3%だから、これはウソで、「普通の規模の地震」で、多くの原発、火力発電が壊れたからだった、 というわけだ。 でも、自分たちのミスは「大人しい国民」と「自分たちをかばってくれる政府とマスコミ」に押しつけるという、いわば小児病の会社、それが東電のようだ。 ・・・・・・ 今、滑稽なことが全国で始まっている. これから来る夏、電気が足りないから「節電」をしなければならないと言われている.それも東京ばかりではなく、名古屋でも大阪でも、また全国のほとんどのところで冷房温度を上げたりして、「省エネ」に努めている。 いったい、どうしたことだろうか? 本当に電気は足りないのだろうか? 東電の福島原発と中部電力の浜岡原発は止めたけれど、それだけでなんで日本中で「節電」が必要なのだろうか? また私たちは騙されて、暑い夏を過ごそうとしている。もう、日本の誠意はどこに行ったのだろうか? (平成23年6月29日 午後1時 執筆)武田邦彦
2011年06月30日
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「節電」は本当に必要なのか?(1) 電気代はなぜ高い?この夏は電気が足りないと言う。でも、どうもうさんくさい.一説では「原発を再開したいから、電気が足りないと脅しているだけだ。寝苦しい夜を過ごさせて原発賛成にするためのあくどい宣伝だ」とも言われる.東京電力は日本の代表的な企業だから、本当はこんなことを言われるようなダメ企業では困るのだが、なにしろ「東電はウソを言う企業だ」というのは、原発事故以来、常識になっているので仕方が無い。そして、福島原発事故の直後、東京電力が「計画停電」というのをやり、大きな影響がでた。電気機器をつかって患者さんの命を守っている病院や、1度とめたら製品がダメになってしまう工場などはビリビリしていたものだ。・・・・・・明らかにおかしい.東京電力がもっている発電の能力は、6300万キロワット。これに対して計画停電が実施された3月14日の電力消費量は、たった2800万キロワットだった???それで「足りない」??? ???・・・・・・何かを製造する「製造業」では、設備をどのぐらい使うかという「稼働率」は、収益の死命を制するほど大切なもので、多くの会社は設備稼働率が80%にでもなると、経営はピンチになる.ところが、「原発事故で電気が足りなくなるので、計画停電をする。国民は協力しろ」と東電が言った日の設備稼働率は、実に44%!!さすが東電だ。これまで、営業成績が悪くなると、電気料金を上げれば良いという気楽な商売をしてきた。事実、日本の電気料金はほぼ世界一、アメリカの3倍とされる.それでもお客さんから文句は来ない。もし文句を言えば「じゃ、電気を売らない」と言えば、それで良い。「やらせ番組を放送しているから、受信料を払わない」と言う視聴者を不払いで裁判に訴えるというNHKと同じ体質だ。・・・・・・稼働率が低い理由は、真夏の昼間に多くの人が「エアコン」を使う.かつてはこれに「高校野球」が加わってテレビを見るので、さらに電気が必要になる.だから、半分しか使わない春の稼働率が44%になるのは仕方が無いというのが「東電の言い分」である。もちろん、東電の言い分がウソだ。ウソをつく人というのは、「原子炉が壊れているか?」ということだけウソをつくのではない.「原発事故が起こったから、電気が足りない」というのも、「日本は質の良い電気を供給しているから、電気代が高くなる」というのも、全部、ウソなのである。電気の蓄積方式(集中蓄積、分散蓄積)、発電方式(設備費と燃料費の関係)、電気機器会社とタイアップした電気の平準化システムなど、設備の稼働率を上げるためには、やることは山ほどあるけれど、このような「面倒な事」より「たっぷりと発電所を作って、時々、動かしたらよい」という方が楽だ。・・・・・・稼働率が下がり、経費が嵩むようになれば、電気代を上げればよい。簡単で誰にも文句を言われない。それに対して、電気が足りなくなると、文句を言われる.だから、発電所をたっぷり作って悠々と生活した方が良いと思うのはお公家さんの東電の経営者としては当然だからである.電気会社のシステムが悪い。個別に「これもすればよい、あれもすればよい」と言っても、巧みに言い訳されて終わりだ。こんなことは個別にいくら言っても、ケンカになるだけで電気代が安くなることはない。でも、もし東電に競争相手が居たら、設備の稼働率はたちまち80%になり、電気代は半分になるだろう。その点では技術も大切だが、安全を守り、電気代を安くするには、「電気を供給する社会的なシステムに競争原理を入れる」ことも重要であることが判る。(平成23年6月29日 午前10時 執筆)武田邦彦
2011年06月29日
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健康をどのようにして回復するか(2) 夏の太陽とシミ放射線で被曝するとどんなことが起こるのか、もう一つハッキリしない。その理由の一つは、「このぐらい被曝したら、どのぐらい患者さんがでたか」という臨床的な経験も少ない上に、体のどこの細胞の、どの部分が、どのようにダメージを受けるという具体的なことが判っていないか、普通の人でもわかりやすいように説明できる段階になっていないということがある。学問というのは難しい。この場合でも、単に「患者さんが何人出た」というだけでは不十分で、体の中で何が起こっているか、そこまで判らないと諸説紛々して紛れがある。・・・・・・たとえば、かつて「日焼けする」のは健康のシンボルのように言われていたのに、今では皮膚科のお医者さんで日焼けを進める方はほとんどいない。「日光浴をしてはいけませんよ」などとお医者さんに言われると戸惑うお爺さんは多いだろう.小さい頃、日光浴しなさいと言われて育ったから。でも、そんな風に変わって来たのは、日焼けするということは体にどういう変化をもたらすのかがよく分かってきたからに他ならない。日焼けによる体のダメージにもかなりの種類があるが、たとえばこのブログにも書いてある「チミンダイマーの重合」のようなものがある。DNA(遺伝子)のチミンという塩基があるところが、太陽の紫外線で変化してダイマーになり、それが皮膚ガンやシミの原因になる.このように「太陽の光を浴びると、体の中の分子がどうなるか」というところまで判ってくると、「できるだけ日焼けを避けてください」と言われるようになってくる.放射線はそこまで判っていない。だから、「ガンになる人が何人」というようなザッとしたことしか判らず、「鼻血」、「下痢」などになるとまったくお手上げなのだ。・・・・・・ところで、赤外線ストーブの赤外線、夏の太陽の紫外線、そして放射性チリからでる放射線はいずれも「電磁波」で、体に影響を与える。赤外線は体の中の分子を「揺する」ので、「熱」がでて、「暖まる」.そこで、赤外線ストーブということになるのだが、体の分子を揺するので、それなりに影響があると思われるが、まだハッキリしていない。「電磁波障害」なども同じで、体への弱い影響があっても、敏感な人だけが苦しむ場合が多く、なかなか社会的には認知されない。日光浴では紫外線を浴びる.紫外線はかなりエネルギーが大きいので、分子を完全に破壊するまでには行かないが、日焼けでチミンダイマーが出来るように「分子の形を変化させる」というぐらいのことは起こる.日焼け、シミ、皮膚ガンなどまでは行く。・・・・・・放射線になると、さらにエネルギーが高いので、遺伝子の一部を飛ばしてしまい、それがキズになる.放射線を浴びると体は確実にキズができるので、その意味では「放射線を浴びても大丈夫」とか、「放射線を浴びた方が良い」などということは、まずは原理的にはない。でも、人間の体は防御することができるので、自然界の放射線ぐらいは防御できるのではないかとも言われている(本当かどうかは不明だが).ただ、人間が防御する力は、その人の個人差、体調、影響状態などでも変わるから、抵抗力のある時には被曝しても治す場合もあるが、抵抗力が落ちるとやられる可能性もある。つまり、•1) 放射線を浴びると確実にある割合で体の一部が損傷する、•2) これは体を作っている分子の結合エネルギーより放射線のエネルギーが大きいからどうしても損傷する、•3) 体に抵抗力がある時には、その傷を自分の力で治すことができる、•4) 普段はキズを治す物質はあまり体にないが、被曝すると増えると考えられている、•5) だから、被曝した後、しばらく放射線が少ない環境にいると、キズを治す機会が出来る、•6) まだ、放射線でできたキズを治す薬はない、•7) 体の抵抗力が落ちていたり、抵抗力以上のキズを受けると治せない、•8) 放射線は遺伝子だけを狙ってキズをつけるのではないけれど、遺伝子が傷つくと、それが体にダメージを与えることが多い、ということだ。やや、面倒だが、放射線とのつきあいも長くなるので、基礎的な知識として、少しずつ勉強しておいた方が良いと思う.(平成23年6月29日 午前8時 執筆)武田邦彦
2011年06月29日
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日本の未来は暗いのか?(1) エネルギー石油・石炭・天然ガスなどの化石資源は枯渇しない。いくらでもある。地球は膨大で、今の人間の活動がいかに活発と言っても、地球から見ると小さいからだ.「地下資源は限りがある」「それを湯水のように使っているので、やがて無くなる」という話は余りに雑すぎる。確かに「節約」は大切だが、「節約が大切」ということと「石油が無くなる」というのは関係がない。「節約」は石油がなくなろうと、無限にあろうと、それとは無関係に心の問題として大切なのだ。資源が無ければ節約、あれば浪費というのでは情けない.・・・・・・・・・地球が誕生してから今までの地球の変化から、石油・石炭・天然ガスのように「還元された炭素」がどのぐらいあるかを計算してみると、寿命=500万年となる。そして、その多くが比重の関係で、人間の手が届くところにある。計算の詳細は省くとして、肝心なことを2つ。・・・1つ目・・・【いい加減な専門家】1970年における専門家の「石油寿命の予測」=40年それから40年後の2010年における専門家の寿命予測=43年つまり、枯渇すると言われた2010年に石油寿命は3年だが、増えている.(その理由)石油の価格をつり上げるため。このことがハッキリしているのに、まだ多くの人は「石油はそのうち無くなる」と脅されてトイレットペーパーを買いあさった時代の先入観が抜けていない。専門家もマスコミも罪作りをするものだ。・・・その2・・・2010年に大問題になった尖閣列島。その下に原油が眠っているということが判ったので、中国は領有権を主張した。尖閣列島の下に眠っている石油は1500億バレル。ここだけで日本の100年分。でも、まだ掘らない。理由は世界のあちこちにもっと安価で良質の石油が一杯あるからだ。日本政府が血眼になって尖閣諸島の石油を掘り出してから、どんなに短くても100年はあるということだ。原発が無くてもエネルギー資源はまったく問題が無い。・・・・・・・・・石油・石炭・天然ガス・メタンハイドレード・オイルサンド・オイルシェール・シェールガスなど豊富な石油系資源は、どんなに少なく見積もっても1000年はある。1000年前と言えば紫式部だ。そこまで心配しなくても良い。資源は豊富にある。日本の自然を破壊してまで、休耕田を潰してまで太陽電池を敷き詰める必要は無い.これも国民を不安にさせて一儲けしようとしている人たちの陰謀だ.もう、そんなことにひっかかりたくない。よく未来を見て自分たちのことを考えているアメリカも中国もエネルギーの節約などやっていない。若者は節約しなくても良い。大いに羽を伸ばし、元気にやって欲しい.日本社会は1990年から「うつ病」にかかり、それを利用してもうけようとする人たちが暗躍してきた。福島原発を機に、私たちは明るい未来を見よう!!(平成23年6月28日 午前8時 執筆)武田邦彦
2011年06月28日
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原発再開のための必須条件(1) 経産大臣の論理福島原発事故が起こってから約3ヶ月後(2011年6月18日)、?江田経産大臣は次のような記者会見をしました。その要旨は、「原子力発電所の深刻な原発事故に備えた電力会社などの安全対策は適切に実施されている」「電力需給の安定は震災復興と経済再生のために不可欠だ」「原発の再起動をぜひお願いしたい」の3つです。福島第一原発の事故の一つの原因が、「原発は必要だから、安全だ」ということにあったのは、すでに指摘していますが、まだ経産大臣はこの奇妙な論理の中にあるようです。・・・・・・・・・日本の原子力では、大きな国の方針があり、それを元に国民の同意を得て原発を動かしています.それは、•1) 原子力を推進するのが原子力委員会(内閣府)、•2) 原子力を抑制(規制)するのが原子力安全委員会(内閣府)、で、経産省が監督している原発もこのシステムの中で動きます.つまり、原子力委員会も原子力安全委員会も内閣府にあり、首相の指揮を受けますが、だからといって首相の命令で決まるものではありません。先に原子力安全委員会が安全であることを宣言しないと、首相は勝手に「安全」ということは出来ないのです。この世はすでに法治国家、民主主義であり、首相は殿様ではないからです。・・・・・・たとえば、九州の玄海原発の再開問題で、•1) ?江田経産省が再会を要請する、•2) 経産省が地元住民7名を選出して説明会を行う、という手順で行われていますが、こんな奇妙なことを誰が考えたのでしょうか。ナチス時代の世論操作に似ているので、官僚だけではなく、世論操作の専門家が関与していると考えられます.もともと、玄海原発は耐震性があまり高くなく、津波は2メートルです。それに福島原発の電源問題、付帯設備問題、住民の救命ボートが無いこと、マスク、風向き、ヨウ素剤など基本的な防護システムが整っていないことなど、まったく再開できる状態には無いのです.この状態で、福島原発の教訓を活かして玄海原発は安全であると原子力安全委員会が言うはずもありません。それに玄海原発は原子炉の脆化が進んでいる可能性もあり、技術的な課題が多いのです.・・・・・・「曖昧な日本」と「巨大技術としての原発」は完全に相容れません。こんなことが事故後に行われるということは、本当に日本では原発が出来ないのではないかと思います.これは技術問題では無いようです。(平成23年6月27日 午後9時 執筆)武田邦彦
2011年06月27日
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健康をどのようにして回復するか(1) ラドン温泉の効用福島第一原発から漏れた放射線はほぼ100京ベクレル程度になり、原発事故としては驚くべき結果になりました。 不幸中の幸いですが、福島原発は太平洋岸にあり、事故直後から西風が多かったので、100京ベクレルの内、大半は太平洋に流れました。 その分だけ「太平洋」という世界の人たちが共通して利用する海(公海)を汚したのですから、日本人としては深く反省しなければなりませんが、それでも日本の被害が少なかったことにホッと胸をなで下ろします. これまで日本人は「原爆の被害者」でしたから、「被曝の被害者」でもありました。でも、今回の福島原発の事故によって「被曝の加害者」になったことも同時によく考えた方が良いと思います. つまり、今回の東電の事故は、単に東電という私企業が負担できるような影響ではなく、日本の歴史にも残る世界的な負の行為になったのです。 大きな声で「太平洋に行って良かった」とは言いにくいのです. ・・・・・・ それはともかく、100京ベクレルの内、少し内輪に見て、10分の1の10京ベクレルの放射性物質が日本国土に落ちたとすると、日本人1億人で一人あたり10億ベクレルを背負い込んだことになります。 食品や水の規制値が、おおよそ10ベクレルとか100ベクレルという単位であることでもわかるように、人間が一日に処理できる放射線量は約100ベクレル程度とすることが出来ます. ということは、10億ベクレルを100ベクレルで割りますから、1000万日で処理をしなければなりません。 ところが、人間の寿命は80年で、その日数は80×365ですから、約3万日です。つまり、今回の事故は一人の人間が、一生かかって処理できる放射線量の300倍にもなっているということを示しています. 福島近辺にお住みの方を含めて、日本人全体で被曝の被害を防いで行くことが必要だと私が言っているのはこのことです。 もっとも良い方法は「除染」ですが、なにしろ日本にはシッカリした政府がありませんし、それを期待していては自分や子供の健康を守ることが出来ないので、まずは自分の対策から始めたいと思います. ・・・・・・・・・ 放射線をあびる「ラドン温泉」というものの効用は、被曝から見てどのように考えれば良いでしょうか? 普段、私たちは低い自然放射線の中で過ごしています. でも、その低い放射線でも、また食品などに含まれている発がん物質などからも、攻撃を受け、常に発がんの危険性があります。 体内にできるガンに対して、人間(動物も含む)は常に初期の段階でガンを監視し、それを取り除く「防御」をしています。たとえばTNFというガン壊死因子などがそれに当たりますが、血中に緑色をした複雑な化合物があり、それがガンを退治します. かつて私は若い頃、このTNFの研究をしたことがあるのですが、実験用の動物をガンにかけると、血中のTNFが増え、それを分離して研究をしたものです。 ガンにかかっていない動物の場合は、血液中のTNFの量が少ないので、実験に使うことが出来ません。 そこで、可哀想なのですが、まず動物をガンにかけて、それから血液中に増えたTNFを採取するということです。 これは単なる一例ですが、人間を含む動物は危険に対して、それを防ぐ方法を身につけています. ・・・・・・ つまり、ラドン温泉の効用は、 •1) 普段、低い放射線を受けていて、少しのガンが体にできる、 •2) それを除くために少ない「ガン退治化合物」が体内に出来ている、 •3) でも、日常生活を送っている時には、体内の「ガン退治化合物」はそれほど多くない、 •4) そこで、時々、放射線の高いラドン温泉とかラジウム温泉に行く、 •5) そうすると、そこで放射線をあびるので、体がビックリして「ガン退治化合物」を急に作って体を守ろうとする、 •6) ラドン温泉に2,3日浸かり、体を騙してガン退治化合物を増やし、それから日常の生活に戻る、 •7) 日常の生活ではあまりガンが出来ないので、余ったガン退治化合物が体の中のガンをすっかり退治してくれる、 と言う仕組みと考えられます. このような考え方は、運動でも、健康法にも多く見られます.つまり、普段の生活でかかる負荷よりも少し強い負荷をかけて、体の準備をして、それから普段の生活に戻ると、楽に生活できるということと同じです. ・・・・・・・・・ 3月下旬以来、福島、関東に住んでいる多くの人たちや子供達は、不意に放射線をあびることになりました。体はそれが「ラドン温泉」なのか、「福島原発」なのかは判りませんから、とにかく体内では今、必死に対抗策を講じているところでしょう。 でも、なかなか放射線も強敵なので、ずっと高い被曝を続けているとそのうち打ち漏らすガンが出てくるかも知れません。 そこで、夏休みなどを利用して、「放射線の低い場所」で何日かのんびり過ごすと、体内には「ガン退治化合物」が多くなっているので、それがこれまでに体内にできた被曝のキズを退治してくれるでしょう。 夏休みは体が頑張って増やしてくれた「被曝のキズを治す力」をフルに利用して、これまでのキズを治すチャンスと思います. ちなみに、これまでの放射線防護の考え方では、大人が5年が一つの限度ですから、子供は1年半ぐらいが目処になります。 今年の夏休み、お正月、来年の春休みなどのチャンスをとらえて、自分で治す力を利用することが大切です。 (平成23年6月27日 午前10時 執筆)武田邦彦
2011年06月27日
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マイクロシーベルトを測ってベクレルを推定できるか?福島原発からでた放射性物質の量は少なく見積もっても80京ベクレルとこれまでに無く多いので、その放射性物質で日本全体が汚染されようとしています。もう少し少なければ「薄めて終わる」ということもありますが、これほど多いとそうも行きません.農業の方は作物を植えることができるかと迷い、主婦はスーパーで売っているホウレンソウが放射性物質に汚染されているか判らずに迷います。そこで、手元にある線量計(マイクロシーベルトを測るもの)を使って、土壌から1メートルのところの放射線量(ベクレル)を量れば、土壌のベクレルが推定できたり、ホウレンソウの表面に線量計をつけてシーベルトを測ればベクレルが推定できればと思い、計算をしてみました。詳細は、下に式などを示しましたので、もし専門の方がおられたら、チェックを御願いします。【結論】●現在の関東地方や福島県などのように土壌が汚染されているところは、放射線の量が多く、自然放射線の値を分けて測定することが出来ないので、地表から1メートルの地点での線量を測定しても、土壌の汚染を推定することはかなり難しいようです。●ホウレンソウの場合、葉にほとんどつけるようにして測定しても、他のところから来る放射線量が大きいので、これも100ベクレル程度の量を測定することは困難です.・・・・・・つまらない結論になりましたが、もう少しましな方法を考えてみます。否定的に見ると、内部被曝を計算する場合、係数が0.0073(1日に食べる量あたりのベクレルをミリシーベルトに計算する場合)になることから判るように、係数が小さいということは、外部被曝が人体に与える影響より、内部被曝の方が実質的に影響が大きいので、換算が難しいということになります.・・・・・・・・・計算モデル計算モデルは、普通の物理で行う計算のように、地表の放射性物質からだす放射線が、地表hメートルに達する強さを計算します。つまり、で簡便に示すことができます。もし放射性物質が地面に均一にあり、さらにγ線が空気によって減衰しないとすると、地面から離れても線量はほぼ変化がないと考えられますが、現実には地表近くでは線量が高く、遠ざかると弱くなることがすでに観測されています。その程度もさまざまで1メートルと10センチでは10倍違うというデータから2倍程度までばらついているようです。ともかく、式は、Aを1時間あたりのマイクロシーベルト、Bを1平方メートルあたりのメガベクレル、hを高さ、rを観測点からの距離とすると、観測点直下(r=0)から無限遠方(r=∞)まで積分しますから、ですが、これを簡単に示すとすでに、ICRU56などで示されているとおり、B(キロベクレル/m2)=500A(マイクロシーベルト/時)ですから、これで直接計算することができます。つまり1μシーベルトの場合、1平方メートルのベクレルは500キロベクレルとなります。ところで、1平方メートルというのは、深さ1センチの時に10リットル(約20キログラム)ですから、キログラムあたりの場合、この20分の1になります。(平成23年6月26日 午前10時 執筆)武田邦彦
2011年06月26日
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子供の時代のエネルギー(3) 将来は楽観的私が原子力研究に身を投じた頃、エネルギーの未来は暗く描かれていました。でも、恩師の手紙もあり、それからジックリと考えてみますと、「エネルギーが枯渇する」というのは単に石油や石炭の価格を高く保つための商業的なことで、それにのせられた自分を反省したものです。内容はかなり複雑ですが、40年前から金(ゴールド)の寿命は19年とされており、いつまでたっても同じような「寿命」が続いています。・・・・・・・・・私の著述物にも書きましたが、石油や石炭はあと8000年ぐらいあると見積もられ、どんなに短くみても1000年はあるでしょう。その点から、「人体に対する放射線の影響」、「事故が起こったときの救命ボート」などが明確ではない段階で、原子力を実用化したのは時期尚早だったと反省するようになりました。この宇宙のエネルギーのほとんどは原子力ですから、やがて人類が原子力を安全に使うことが出来る時代が来るでしょうが、それは「ウソをついてまで」実施することではないと思います。・・・・・・・・・もう一つの面から見ると、日本は亜熱帯に近い高温多湿の気候なのに、亜寒帯に近いヨーロッパを真似て都市や家屋を造ってきたことにも問題があるでしょう。山紫水明、四季折々の日本には、日本としての生活様式があり、アスファルトやコンクリートで固められた都市、風も通らない密閉住宅という作りを見直す機会でもあると思います。また「働いて普通の生活をする党」を作りたいというブログの読者のメールからも判るように、このところの日本は「少しでも得をしよう」ということで右往左往してきたような気がします。「資源が無いから節約しよう」というのも中途半端で、「節約」は「資源が豊富かどうか」で決まるのではなく、その人の生き方としての心の問題では無いかとも思います。基本的には節約、そして額に汗して働いただけで満足する毎日。そして「明日は少し良くなるかも知れない」という希望を感じるような人生を送りたいものです。そんなことを考えると、1990年以後、私たちが体験した数々のこと・・・バブルの崩壊、お役所の年金の不正、消費税の増税、不安定な雇用、就職率の低下、赤字国債の大量発行、リサイクル騒動、ダイオキシン騒動、地球温暖化騒動、毎年変わる首相、マスメディアの誤報、リーマンショック、阪神淡路・新潟・東北の大震災、そして今回の「福島原発事故」や「太陽電池を強制すること」など、およそ「働いて普通の生活をする」ということとはかなりの距離があることばかりでした.・・・・・・・・・石油や石炭は十分にあるのですから、資源など気にせず、少し節約をしながらゆったりと過ごし、「日本の山紫水明、四季折々を楽しむ」「愛する家族、信頼できる友、誠実な社会、誇りの持てる日本」「働いて普通に生活する党」「明日は今日より少し良くなるという希望」を持って明るく、楽しく、静かに、張り切って生活を送りたいものです。(平成23年6月25日 午前9時 執筆)武田邦彦
2011年06月25日
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原発事故中間まとめ(8) 救命ボートは準備されていたか?先回に示した「メルトダウンさせる方法」は原発事故を最小限にとどめる一つの方法に過ぎない。問題は、•1) 「止める」ことができない(制御棒が入らない)ことが出来ない場合、•2) 「冷やす」ことができない(冷却系が壊れた)場合、それぞれどのようなことをするのか、どうなるのか、それに対して住民はどのように防御するのか? どれも「明示」されていなかったということがもっとも大切なように思う.つまり、船に乗るときに、船が沈没する可能性があること、その時に何をしなければならないかということについて、単に船長ばかりではなく、乗船している全ての人の「コンセンサス」がなければ、瞬時に判断して行動することが難しいからである.・・・・・・福島原発では、まずは「何がどのように起こるか?」が判っていなかったこと、「その時にどうするのか?」もまったく検討がされておらず、さらに住民になにも知らされず、さらに「原発から遠くに逃げろ」というような明らかなウソを教えられるという状態だった。・・・・・・それはすでに過去のことだが、実は未来でもある。今、日本で稼働している原発について、「何が起こるのか?」についてはこれほどの事故が目の前で起こっても、相変わらず、「原発は安全です」と電力も知事も言っている.「その時、どうすれば良いか?」を問うと、「そんなことは想定していない」という答えが返ってくる。つまり原発は「救命ボートを積んでいない客船」なのである。そして、「救命ボートはどのようなものが備えられているのか?」という質問を電力にすると、うさんくさい目で見られたり、排斥されたりするという異常な社会なのだ。・・・・・・人工放射線による被曝で、1億人に年間5000人がガンにかかる。この損害に対するメリットは「原発からの電気を買うことができる」ということで相殺されている。日本人は原発がなければ1年1ミリも被曝しないのだが、原発があることだけで1年1ミリの被曝をする。これについては不問に付すということであって、1年1ミリがまったく安全だということではない。私は電力会社と話していると、もしかすると電力会社は自分たちが製造し、それを販売している電気に対して、1年に5000人の人がガンになるという代償を払っていることを知らないのではないかと思うことがある。つまり、現在の日本の電力会社は「救命ボートを用意しない船会社」なのである。原発は動いているのだから、電力会社は一刻も早く、「何が起こるのか?」と「救命ボートはどこにあり、どのように乗るのか」を示す誠意を持って欲しい。(平成23年6月24日 午後3時 執筆)武田邦彦
2011年06月24日
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国立ガンセンターなのにガンを増やすのに一生懸命!?福島原発の事故が起こるまで、社会で信頼を置いているところがありました。その一つが、がんセンター等の医療機関です。医療機関には多くの医者さんがおられて、日夜我々の健康を守ってくれるということについて強い信頼感を持っていたのです。確かに、お医者さんのなかにもいろいろな人がおられて、ちょっと?と首を傾げたくなる方もおられますが、多くの医者さんは、たとえば外科手術をしたあと、どんなに疲れていても徹夜で患者さんを見ていただいています。その点では現代の日本社会において、お医者さんの集団は尊敬に値します.「健康第一」という点でお医者さんの発言がぶれることは希でした。・・・・・・・・・ところが原発の後、わたくしはお医者さんについて若干の疑問を感じるようになりました。特にがんセンターです。日本にがんが増えてきたのは、高度成長政策が成功して日本人全体の寿命が延びてきた頃からですが、その頃のガンセンターといえば本当に救いの神でした。自分がもしガンになっても、運命なら仕方が無いけれど、少なくともガンセンターでできることはしてくれると信じていたからです。ところが、今月の初め、ガンセンターの先生とご一緒に国会の委員会で参考人として陳述した時に、がんセンターのお医者さんが、「たばこを吸ったり、野菜が不足したりする方が放射線より危ない」と言われたのでびっくりいたしました。感染症に対する対策が十分に進み、成人病が押さえられたら、日本人の多くはがんで命を終わることになるでしょう。そうなると、日本人のほとんどがガンで死ぬのですから、たばこを吸った人、野菜が不足してる人、お酒を飲む、辛いものが好き、ケーキ・・・、全ての要因が、交通事故や放射線で被爆して死ぬ人より遙かに多くなります。酔っぱらい運転が原因でひかれて死ぬ人は数100人に過ぎませんが、人口の1%が死ぬ原因でも100万人ですから、酔っぱらい運転は許されるはずです。ガンセンターの先生は、「酔っぱらい運転も大したことはない。ケーキを食べてガンになるよりずっと安全だ」と言うと思います。今、ガンセンターのお医者さんが言っていることはそれとまったく同じなのです。こう言われました。「日本人でガンになる人は人口の3分の1で、1年に40万人です.それに対して福島原発で被曝して死ぬ人は1万人もいないでしょう。だから、被曝しても良いのです。」そんな先生に全く診てもらいたくはありません。とんでもないことになります.・・・・・・読者の方から次のような「議事録」をお寄せいただきました。ガンセンターの医師 「......100mSv未満の低線量域での放射線の人体への影響については、ほぼ影響がないことを示唆する報告及び何らかの影響を示唆する報告の双方があるという答えのような書き方をしているんですけれども、どう考えても圧倒的に、要するに100mSv以下で発がんのリスクがないということを示している研究の方が圧倒的に多いんです。」この先生はたびたび大規模なガンの要因調査をされていて、私も何時も参考にしています。でも、こんなことに使われてはとんでもないことです。仮に100ミリシーベルト以下でガンのリスクが少ないのであれば、国際的に1年1ミリシーベルトの規制等が誕生しないからです。今まで、1年5ミリ、0.5ミリといろいろな規制の変遷を経て、また医学の進歩を踏まえて1980年に1年1ミリが決まっているのです。それには膨大な論文があり、「具体的な論証は不足しているが、世界的なガンの発生の状況から、放射線がガンを誘発する危険性は十分に高い」ということから、決まっているのです。公衆のガンの発生要因を調べている先生ですから、この経緯は十分にご存じと思います。・・・・・・・このブログでも朝日新聞論調などを批判してきました。天寿を全うして死亡する方の原因分析と、原発が爆発して被曝してガンになる子供のリスクを比較できないという単純なことも判らないのなら、ガンセンターを止めていただきたいのです.お医者さんはあくまでも「病気の危険性を回避する」という基本的態度が必要です.そして、ここで再びこの問題を取り上げたのは、ガンセンターの先生のご発言が、野菜やその他の「暫定基準値」をドンドン引き上げる道具として使用されているからです.また東京都を中心として、本来なら法律を守るべき立場にある自治体の多くの職員が市民に向かって、1年100ミリまで大丈夫だと言って冷たくお母さんの心配を退けていますが、それもガンセンターの医師の発言が聞いています。・・・・・・私にはお医者さんが「子供達を被曝させたい」という行動に出る理由がまったく理解できません.もう一度、訴えたいと思います。お医者さん! 天寿を全うして亡くなる方の要因が「タバコ」や「野菜不足」であっても、それと「放射線被曝」あるいは「酔っぱらい運転」で犠牲になる子供達とを比較しないでください!!(平成23年6月23日 午後4時 執筆)武田邦彦
2011年06月23日
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名古屋・栄の1時間0.15マイクロシーベルト複数の方、及びやや公的なところから、名古屋の栄のテレビ塔の付近で1時間に0.15マイクロシーベルの値を観測したというデータがありました。東京でも葛飾区等を別にしたら、1時間に0.11マイクロシーベル等を超える値はそれほど多くないので、名古屋でこのような数値が観測されたことは注目しなければいけません。原因としては7つほど考えられます。•1) 福島原発からの放射性物質が日本全土におよぶ大きな風の流れで直接、名古屋の栄まで来た、•2) 福島原発で漏れた放射性物質が、いったん関東の表土に降り、それが二次的に風で愛知県まで飛んできた、•3) 福島の瓦れきやホウレンソウ等を愛知県に人間(自治体や生協)が運んできて、そこに含まれていた放射性物質が人口の密集した栄に集まった、•4) どの靴の裏についた放射性物質が徐々に移動して、栄のような人口が密集するところで出てきた、•5) 浜岡原発で小さな事故が起こっていたが、実はその時に放射線が漏れていて、それが静岡のお茶や名古屋の栄の放射線として出ていた、•6) 敦賀の原発等から漏れた放射性物質が風に乗って名古屋まで来た(実は原発で少しずつ放射性物質の漏えいがあったが、情報が隠匿されていたという形跡もある)、普通に考えると、上の1)から4)が原因と考えられるが、何しろ日本の電力会社の隠匿体質は相当なものなので、浜岡や敦賀の原発から本当は放射性物質が漏れていたとも考えられる。何しろ今まで名古屋の放射線量は一つの場所だけで測定して居たので、これからはきめ細かく慎重に測定を続けて、その原因をはっきりさせなければならないだろう。・・・・・・このブログで指摘しているように、今回の福島原発の漏えいは通常の原発事故のように数億ベクレルではなく、80京ベクレルを超えるものなので、日本全土に広がる可能性がある。その点では「瓦れきを移動したり、放射性物質を含むほうれん草を販売した人」は、長期的には大きな犯罪にあたる行為とも考えられる。たびたび警告しているが、1年1ミリシーベルトを超える被爆をする可能性のある人に「健康に影響がありません」と言ったり、放射性物質が含まれるものを移動したりする人は、将来のことを十分に考え、「自分が責任を取れる範囲」も考えて行動をお願いしたい。・・・いずれにしてもこの世の中には悪い人がいて、せっかく法律で放射線に対する防御基準を決めているにもかかわらず、この非常時に、次から次と放射性物質を拡散し続けているので、一方ではわたくしたちはそれに対して防御をしていかなければいけない。私は10年程前に「リサイクル汚染列島」という本を書いた。リサイクルが始まるまで、私たちは廃棄物貯蔵所から毒物が流れて困っていた。その廃棄物を、「リサイクルは良いことだ」ということで、毒物を除去せずにリサイクルする例が増え、それによって水銀や鉛などで日本国土が汚染されてきた。それを事実と論理で指摘したのが、青春出版からの「リサイクル汚染列島」だった。わたくしは、現在のごみの減量よりも、将来わたくしたちの子供が水銀や鉛で汚染された列島に住むということに心配をしたからだ。今回も瓦礫をリサイクルをするとか、福島を助けるということで、放射性物質を除去せずに全国にばらまいている。わたくしは、むしろ集中的に処理するべきものであり、日本列島全体に放射性物質は拡散させると、将来、子供たちが苦しむことになると思う.その一つが名古屋・栄の0.15マイクロだろう。(平成23年6月23日 午前8時 執筆)武田邦彦
2011年06月23日
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注意すること 2,3 福島原発と生活福島原発から白煙が出ていることや、4号機が不安定であることなど、原発のことが気になっている人が多いようです.でも、原発はそれほど心配は要りません.というのは、「原発はなぜ危ないのか?」ということを考えて見るとわかります。・・・原発は運転中に、ウラン235が「核分裂」して、「強い放射線を出す物質」ができます。運転している限り、ずっとでます。強い放射線を出すということは、「すぐ壊れて放射線を出さない物質になる」ということですので、1ヶ月も経つとかなり減ります.実際のデータを見てみますと、福島原発の中の放射性物質の量は、3月中旬と4月中旬を比較すると1ヶ月で10分の1に減っています.これは、「原発の運転(核分裂)が止まれば、放射性物質の生産が止まる」ということです。つまり、新たに放射性物質が作られなくなるので、だんだん、少なくなっているのです.つまり、福島原発の中にある放射性物質の量が減ると「見かけも小さくなる」とすると、4月中旬にすでに「最初の10分の1ぐらいの大きさ」になっているのです。今ではさらに小さく、1000分の1ぐらいでしょう.つまり、すでに福島原発は最初から見ると1000分の1ぐらいの大きさしかない原発ですから、あまり心配はないということです。どうしても心配な方は、•1) マスク(インフルエンザ用)、•2) 風向きに注意しておくの2つをしておき、万万が一大量の漏洩があったら、風向きに対して横に10キロも移動すればほとんど被曝はしません.3月末から、何回も「原発が危険」、「再臨界か?」などと警告が出され、そのたびに不安になっている人がおられますが、このブログでずっと言ってきたように、すでに福島原発は3月ほどの力は無いこと「マスクと風向き」があれば大丈夫です。・・・・・・・・・ところで、6月に入って、第二段の放射性チリの移動が始まったようです.比較的危険なところ、•1) 従来からの注意する場所、•2) 谷あいの道(丘の上から徐々に下に落ちてきている)、地形が凹みになっているところ、•3) これまで放射線が低かったところが、量は少ないが少しずつ増えている(周辺、まだ危険ではない)、•4) 相変わらず、何の根拠もなく「健康に影響がない」という東京都の通達などが未だにでている、•5) 相変わらず、放射性物質を含む食材を給食や生協を通じて、子供達に食べさせている、一方、放射線を避ける方法など、•1) 放射線の高いところでも、コンクリートで密閉性の高いスーパー、公共の建物、学校などで床などをよく掃除しているところ(人が靴につけて放射性物質を運び込んでくるので、それを丁寧に拭いているところは放射線の量が小さい傾向があります)、•2) 4階以上の高いところ(すでに、空気中には放射性物質はほとんど無く、地面にあるので、地面から遠いところの方が放射線が低い)、•3) ホットスポットの周辺でも放射線の低いところがある、つまり、谷間や凹み、それに上の1)から3)を有効に活かせば被曝量が減ることになります。・・・ということは、今は・・・●従来通り、公園、道ばたのヤブ、道路の側溝と舛、吹きだまり、雨樋の下などは近づかないこと、●谷間や凹みに長くいない、●綺麗に掃除されたスーパーや放射線に注意している学校などで時間を潰す、●高い場所にいるように工夫をする、●ホットスポットの人は買い物や子供を遊びに連れて行くときには付近に行かずに車や電車で、ホットスポットを外すなどが良いと思います.・・・・・・最後に、「内部被曝+外部被曝」で1年1ミリシーベルトを越える可能性のあるところなどの人に対して、「健康に問題は無い」、「特に注意はしなくてよい」と言っている人(政府、東京都、自治体、教育委員会、その他の人たち)は、放射線障害が起こったときに最終的な責任をとる準備をしておいてください。(平成23年6月22日 午後2時 執筆)武田邦彦
2011年06月22日
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推奨できるガイガーカウンター比較的、安くて信頼できるガイガーカウンターをなんとか推奨したいと思い、技術の方と相談をしてきましたが、一つ、良いのが見つかりました。ご推薦が遅れてすみません。ブログで再々、ご希望があったのですが、どうも自信が持てなかったので、遅れました。(画像はダブルクリックすると少し大きくなるはずです) この測定器は個人用・携帯で、お値段もそこそこです。個人ではかなり高い買い物ですが、これからの長い放射線とのつきあいを考えると、健康への出費では良いかも知れません.製品はウクライナ製ですが、信頼性も問題はないと思います。測定は主にγ線でベクレルなどは測定できませんが、それで十分、ご家族を防御できるでしょう. 会社は「フジテックス」というところで、「放射線検知器ラインナップ」というシリーズで売っています.私はこの会社とまったく関係はなく、もちろん、お金も何ももらっていません.放射線検出の技術者とディスカッションして、良いものが他にあるけれど、まずは値段からも推薦できるということになりました。(食品、水、土壌を測定できるオールマイティー型は60万円というとんでもない高い値段ですが、これもフジテックスで良いものを売っています。自治体などで購入されると良いかも知れません.)(平成23年6月20日 午後11時 執筆)武田邦彦
2011年06月22日
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あまりの恐怖に? ピントの外れた東京都外国で新型インフルエンザが流行し始めると、日本では何とかしてウィルスの侵入を防ごうと「初動」に力を入れます.感染が拡大してからでは遅いので、政府も報道も、また東京に流行しないように東京とも全力を注ぎます.テレビもそれに協力してウィルス情報を流します.誰も、「風評が拡がるから、情報をコントロールしよう」などとは思いません。でも、今回の福島原発では、まったく逆になりました。おそらくは、余りに放射線の恐怖が強くて金縛りにあったようです。・・・・・・・・・6月、東京都が重い腰をあげて、放射線の測定を始めました。テレビでその様子を見たら、公園の中央の平たいところで測っていました。今、公園で線量が高いところは「公園の中央」ではなく、ヤブやベンチの下などです。つまり、東京とは「できるだけ放射線の低いところ」に狙いをつけて測定しているように見えます.すでに多くの人が「公園のヤブ、風の吹きだまり」などが1時間に1マイクロシーベルトを越えるという値を出しているのに、そこを避けているのです.このような東京との態度を「インフルエンザの患者さんの調査」になぞらえると、まるで「インフルエンザが流行していても、まだ患者が出ていない高等学校に行って調査する」というようなものです。インフルエンザを本当に撲滅しようとしたら、インフルエンザのウィルスがもっとも多いところに行き、そこを抑えなければなりません.インフルエンザが流行している高等学校に行かずに、わざわざ「普通の高校に行くべきだ」という理屈を立てて、インフルエンザの流行していない高校に行っても意味はないのは誰でも判ります.それと同じで、都内に放射線の高いこと頃があることを知っていても、それを避けてわざわざ放射線の低い場所を測り、0.08だったから安心だなどと言っても意味が無いのです.・・・・・・・・・でも、東京都はこれまでも「都民の被曝を増やすこと」に熱心でした。3月下旬、東京の一部の空間線量が1マイクロを越え、放射性降下物がきわめて多くなったのに、測定をせず、都民にマスクをさせることもしませんでした。つまり、「もっとも被曝が多い時期」には何もせず、それから3ヶ月経って、「そろそろ被曝が少なくなったから、測定しよう」ということで測定し、「これなら健康に影響はありません」と言うのですから、東京都という行政機関は必要なのでしょうか?東京都のやったこと、やっていることをインフルエンザになぞらえて、まとめると、•1) インフルエンザが猛威を振るっているときには何もせず、流行が終わりかけてから流行の調査をしている(放射線が強いときには測定せず、弱くなってから測定する)、•2) 流行が終わりかけた時期に「インフルエンザが流行していない学校」の調査をしている(公園の中心を測り、線量の高い植え込みなどは避けている)、•3) その結果から「都内でのインフルエンザの流行は大したことはない」と言う(すでに少なくなったところだけの線量を測って大丈夫と言っている)。これでは「都民の健康を親身になって考えている」ということにはなりません.都民は都民税を払う必要は無いように思えます.(平成23年6月20日 午後10時 執筆)武田邦彦
2011年06月21日
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原発事故中間まとめ(7) たとえばこんな方法も?原発事故が起こると、それを沈める鉄則として、「止める、冷やす、閉じ込める」と言われる。原発が危険なのは、第一に連続的で小さな核爆発を起こしているのだから、事故となればそれを止めなければならない。そこで、何が何でも制御棒を入れて「止める」のが第一だということになる。でも、制御棒を動かすには電気がいるから、事故の瞬間に電源が落ちれば制御棒も入らず、核爆発が続く場合もある。だから「止める」というのは「止められるときは止める」ということであり、「止められない時はどうなるか判らない」と言うことになる。次に「冷やす」だが、冷やすためには水がなければならない。今回の福島原発のように冷却水が原子炉に届かなくなると、冷やすことができないから「冷やす」というのも、「冷やせれば、冷やす」ということであり、「冷やせなければどうなるか?」というのは今回、初めて経験的には判ったことだ.第三番目に「閉じ込める」ということになるが、閉じ込めるためには容器に孔が空いていたり、割れてしまったら閉じ込めることは不可能になる。つまり「閉じ込めることができる時は閉じ込める」という自分勝手な方針なのだ。・・・・・・つまり、「止める、冷やす、閉じ込める」というのが今回の事故の直後にも金科玉条のように言われたが、もともと「止める」ことが出来ただけで、冷やすことは不可能だったのに、テレビで「止める、冷やす」と繰り返していた。その結果、大量の水を注入するしかなかったが、私もテレビで質問されて「水を投入した方が良い」と言ったが、これは私の技術論で、「非常時は考えてはいけない.非常時の時の事は平時に考えなければならない」という鉄則に従ったことによる。私も研究をしてきて非常時を多く経験しているが、非常時に「良い」と思ったことは、後に考えると不十分なことが多い。人間は冷静でなければ良い考えは浮かばないもので、非常時にあれこれするより運命に任せた方が良い。・・・・・・ところで「止められなかったら、どうするか?」、「冷やせなかったらどうするか?」は原発の安全を考える上でどうしても必要なことだ。「事故」というのは思わぬ時に起こり、思わぬことが起こったときに起こる.だから「止めたい」、「冷やしたい」、「止めなければならない」、「冷やさなければならない」というのは何の意味もない。それより「止められなかったときはどうするか」、「冷やせなかった時は?」が大切である.一つの参考に次の図を見てもらいたい. 原子炉の上に筒があり、そこで爆発したときの放射性チリを外に出さないようにする。原子炉の下に孔があり、そこにメルトダウンした燃料を落としてしまう。事故が起こったら、「水をかけるのではなく、水を抜く」。水が抜かれるから核爆発も起こらず(後で説明)、崩壊熱でたちまち燃料はメルト(融ける)し、原子炉の底を破って地下の孔に落下する.「地下核実験」というのがあるが、理論的には大きな核爆発は起こらないが、仮に起こっても地下核実験になるだけだから、地上にはあまり大きな影響はない.つまり「どのぐらい深ければ大丈夫なの?」という質問には「地下核実験の深さ」と答えればおおよそ大丈夫だろう.融けた燃料が孔の中に落ちたら、そのまま土をかけて「土葬」にしてしまえば、永久にさらばとなる。また、さらに素早く、メルトする前に原子炉の底が開くようになっていれば、事故が起こったらすぐ底をあけて落としてしまえば、放射性物質はほとんど漏洩しないかもしれない。・・・・・・ところで、炉の上の筒は、今回のように水素爆発が起こって上空に放射性チリが舞い上がっても、「無風」ならそのまま原子炉の中に落ちる。それをそのまま実現しようとするものだ。ただ、ガスも一緒に出るので、圧力などをよく考えなければならない。私がここで言いたいのは、「止める、冷やす、閉じ込める」というのは「小さな事故」の時だけで、それは「電力会社の希望的な状況の範囲内」に過ぎない。今でも、日本の他の原発は、「起こって欲しい事故だけが起こる」という安全対策なのだから、こまったものである。でも、ここで示したものも一つのケースに過ぎず、もっといろいろな場合を想定する必要がある。安全とは非常に柔軟な考えを必要とするのに、「誰もいない記者会見で「質問はありませんか?」などと聞く役人」が安全を審査しているということ自身が奇妙なのだ。(平成23年6月21日 午前9時 執筆)武田邦彦
2011年06月21日
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子供の時代のエネルギー(2) 「成長の限界」は本当だったか?メドウスが1970年頃に書いた「成長の限界」は、第2次世界大戦が終わって不安定な東西冷戦のもと、急速に経済成長する時代に住む人にピッタリの新しい概念でした。それまで、「地球は大きい。無限に大きい」と考えてきたのに、1950年代から公害という環境破壊がおき、ロンドンスモッグでは4000人から1万人が死亡しました。日本でも水俣病、四日市喘息と続き、アメリカのロサンジェルスのスモッグも世界的に有名になりました。その他にもベトナム戦争、都市のスラム問題などが起き、経済成長の中でも不安定な日々が続いたのです.そこに、メドウスが、「これまで無限に成長できると考えていた方がおかしい.地球は有限だからこのまま成長を続けていると21世紀の初めには人類に文明は崩壊する」と警告したのです.メドウスの論は単に思いつきで生まれたのではなく、1960年代から国連が資源の行く末、環境破壊に危惧を持ち、検討を始め、その一環として当時、ようやく実用化の域に達したコンピュータを駆使した計算を応用していました。国連、マサチューセッツ工科大学、メドウス博士、地球方程式、コンピュータのシミュレーション、資源枯渇、食糧危機、環境破壊、文明崩壊、天罰・・・すべてのキーワードが当時の不安な社会に生きる人たちにピタッと来たのです。私もすっかり「これほど消費が増えたら、確かに地球はもたないだろうな」と単純に考えてしまいました。・・・・・・「このまま成長を続けていたら、40年後には大崩壊が来る」という「予言」が超一流の科学者から出されたのですから、世界は驚き、「石油ショック」やその他の多くのことが起こりました。日本では「トイレットペーパーがスーパーから姿を消す」という、非常にレベルの低い社会的な騒動に発展したのです。もしかすると40年後に石油が枯渇し始め、それによって樹木からとる紙が不足して、その結果、トイレットペーパーが60年後には少しショートするかも知れませんでした。でも、だからといって明日のトイレットペーパーを買いあさるというのはどういう現象だったのでしょうか? 冷静に考えると実に滑稽ですが、当時から日本のマスコミが国民に伝える情報はかなり怪しかったことが判ります.でも、すでにメドウスの警告から40年が経ち、トイレットペーパーどころか、石油も石炭も豊富にあり、環境も改善され、食糧も4倍に増えています.なぜ、メドウスの予想はこれほど大きく「間違った」のでしょうか?それとも「間違った」のは時期の問題だけで、40年が80年になったのか、400年になったのか、それとも本当に間違っていたのか、今のところ十分な研究はされていません.多くの人が、メドウスの基本的な考えは正しく、単に枯渇する時期を間違ったと思っています.このメドウスの考えの延長線上に、リサイクル、ダイオキシン、地球温暖化、自然エネルギーなどがあります。つまり、見かけ上はメドウスの「間違った」見通しを「正しい」としてエネルギー、資源、そして環境問題が考えられているのです.・・・・・・ひとたび、ある先入観が生まれるとそれを払拭するのは並大抵ではありません。特に、メドウスの警告が、その内容において悲観的であり、贖罪的であり、インテリ風であること、その形式において白人コンプレックスにピッタリであることで、さらに先入観は強固になったものと思われます.私たちは悲観的な見通しを作った人が白人(メドウス、日本人は明治以来、白人を先生にしてきたので、アメリカが・・・ドイツが・・・というと無批判に信じる傾向がある)であるということをあまり意識せず、「成長」には「限界」があるのか、それをもう少し腰を落ち着け、慎重に考えないと未来を見ることは出来ないでしょう。(平成23年6月19日 午前9時 執筆)武田邦彦
2011年06月21日
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6月26日高山講演のご案内 6月26日、岐阜県高山市で講演を行います。午後3時からで、場所は高山グリーンホテル、ご主催はひだ自然エネルギー協議会(TEL0577-72-5877 FAX72-5822木質燃料)です。 ご案内のパンフレット 「takayama.doc」をダウンロード 武田邦彦
2011年06月20日
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我が家の花たちを紹介します。いつも心を癒してくれます。世の中がどのように変わろうとも花たちは誠実に咲いてくれます。人もその誠実さを取りもどしたいものです・
2011年06月19日
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1年20ミリの被曝の被害に、何で報いるのか?先回、「なぜ、子供達は被曝させられるのか?」で、自然放射線に加えて「人工的な被曝」の内、医療や研究などではない、「一般の人の被曝」は「電気が欲しいので、その代わりにガンになる危険性を我慢する」という意味であることを示しました。だから、国際放射線防護委員会(ICRP)も、「1年1ミリシーベルトまでは、個別、具体的な利益を示さなくても良い」としていますし、これを「我慢の限界」と表現しているのです。つまり、1年1ミリまでの被曝の被害は、「電気を使うことができる」ということと相殺すると考えている訳です.これは世界中のコンセンサスですから、個人個人の思いと少し違うこともあります.・・・・・・・・・ところが、もし、「1年1ミリ」を「1年20ミリ」に上げるとすると、•1) 電気を20倍供給するか、電気代を20分の1にする、•2) その他のメリットを政府か電力会社が提示する、•3) それによって、ガンが1億人に5000人から10万人に増えることを認める、というプロセスが必要で、単に「文部科学大臣が宣言したから」だけでは20ミリに上げられないのです.これを多くの教育委員会、校長先生、自治体などが錯覚したようです.錯覚の真なる原因は「子供は自分たちの言いなりだ。子供達に人権はない。子供達は我慢させればよい.子供達は自分の所有物だ」という傲慢な心のように私には感じられます。今の福島で校庭で運動させたり、夏の大会を実施したりするのは、この意味では子供達を犠牲にするものです。・・・・・・・・・このことをICRPは、次のように表現しています.「1年1ミリ(我慢できる限度)までは、個別・具体的利益を提示しなくても良いが、それ以上に上げる場合は、個別・具体的な利益を提示する必要がある。」当然ですが、国民がそれだけ多くの被害を受けるのですから、それに対する「利益」が必要なのです.すでに、「国家のために無意味に我慢する」ということを国民は強要されなくなりました。現代ではよほど野蛮な国でなければ、なんのメリットも無いのに我慢させることは出来ないのです。事故が起こったからと言って、1年1ミリを1年20ミリにしても、電気の供給も電気代も変わらないのですから、何か別の具体的なメリットが要ります.たとえば、膨大な費用をかけてその土地を除染し、1年後には綺麗な福島を返すとか、福島の食材を政府が全て買い上げるなどがありますが、これも「もともと原発が事故を起こさなければ起こらなかったこと」ですから、メリットになるかどうか怪しいものです。それでは、除染した後、希望者には新築の自宅とか、自由に電力会社に入社できるとか、未来のことを提供することも考えられます.今、まだ日本で原発が動いているのですから、この議論は大切です.これは福島ばかりではなく、東京など別の都県でも同じで、自治体の首長や役人が「1年1ミリを越えても大丈夫」と言った場合、その自治体は市民に対して「何らかのメリットに提示」を必要とします。もちろん、1年1ミリでもガンの危険性があるのですから、それを越える環境が「安全」であるはずはないし、ICRPも「事故前の日本の放射線の専門家」もそんなことは一言も言っていないのです.東京で1時間に0.1マイクロの測定値が出たところで、国も自治体も「安全です」などと言うのは論外で、さらに、被曝の損害に対して何もしないということは出来ないのです.国民や市民、子供はあなたたちの所有物ではありません.(平成23年6月18日 午前10時 執筆)武田邦彦
2011年06月18日
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なぜ、子供達は被曝させられるのか?東京都が放射線の測定を始めましたので、急にテレビなどで「どのぐらいなら大丈夫なの?」という話が蒸し返されてきました。少し前、文部科学大臣が「子供は1年20ミリシーベルトまで我慢せよ」といって顰蹙を買ってから2ヶ月が経ちます。まだ、政府もマスコミも「国民はなぜ被曝させられるのか?」という基礎的なことが判っていないような気がします.特にテレビにでる、いわゆる「専門家」の方も技術的なことはおわかりになっているようですが、放射線被曝のもっとも大切なことまでは頭が回っていないようです。・・・・・・・・・原爆と原発が生み出されるまで、人間は「自然放射線」だけしか被曝していませんでした。人間が「核爆発」を起こすことは無かったからです.広島・長崎に原爆が落とされ、さらに太平洋などで多くの核実験が始まってから日常的に「人工放射線」で被ばくする事になります。さらにチェルノブイリがあり、今回の福島になりました。戦争に使う原爆を別にすると、「人間が被曝する」のは、次の4種類になりました。•1) 自然放射線からの被曝•2) 原発からの被曝•3) 医療の被曝•4) 原子力研究などの被曝自然からどのぐらいの放射線をあびるかは「人間が決めることではない」のでこれをまず「別枠」にします。また、「自分で希望する」か「強制されるか」で2つに分けます.そうすると、「自分の希望で原子力や放射線の研究をする」場合は別にしなければなりません。いくら自分の体とは言っても、むやみに傷つけてはいけないので、国としては一応の制限をしています。それが1年20ミリシーベルトです。医療用は「自分の体を治すため」に「若干の損害は仕方ない」ということでレントゲンやCTスキャンを受けます.日本の医療は世界的に見て極端に被曝が多いのですが、それでも日本人は心配性なのでしょう、「少しでも体を治したい」という希望が強いので、「損も仕方が無い」と考えられているからです.ここまでで、判るようにもともと地上にない人工的な放射線の溜めに「被曝する」というのは「被害を受ける」ということを意味しています.それももともと「放射線を出す人がいなければ、被害を受けることはない」ということですから、「トバッチリ」とも言えるからです.・・・・・・つまり、自然放射線を別にすると、•1) 自分が希望しない被曝は原発だけ、•2) 原発で被曝(損害を受ける)しなければならない原理原則は存在しない、•3) みんなが「電気が欲しい」ので被曝する、という理屈になります.このような「被曝の本質的な意味」を良く理解しておくことが大切です.●電気の利得=テレビ、エアコン、オール電化など●電気の被害=1億人で5000人の発がんを同じにしようということで、「1年1ミリシーベルト」が決まりました。1989年のことです。この「損得計算」は人によって違うでしょう.ある人は「電気でガンになるなんて」と思うでしょうし、別の人は「ガンになっても電気が欲しい」と考えるからです。また、全世界で一つの基準を作らないと、海外旅行や海外の水を買うのも危険になりますから、1つに決めなければなりません。そこで、全世界で1つ(1ミリ)にしたのです。日本の文部科学大臣が決められるようなことではなく、全世界の人の「人生観」で決まっていると言うことです。・・・・・・自然放射線と比較する人がいますが、自然放射線とはまったく別のもので、「電気会社が自分の意志で放射線をまき散らしている」ということが違います.医療用と比較する人がいますが、自分の体を治すために、仕方なく被曝しているのです。医者が強制するものでもありませんが、医療については医師が判断するので、見かけ上、医師が決めているように見えるだけです。研究用と比較する人は少ないのですが、職業上の被曝限度が20ミリとなっているのに、みんな「被曝は損」と思っていますので、日本の実績はわずか「1年0.7ミリ」です。それもすべて「外部被曝+内部被曝」ですから、東京の0.1マイクロ(1時間)はかなり高く、放射線を出している東京電力は深く反省し、補償しなければならないのです。それを東京都が「健康に影響がない」などと言う権利もなにも無いのですし、専門家と言われる人も被曝の原理原則を踏まえて発言をしていただきたいと思います.(平成23年6月18日 午前8時 執筆)武田邦彦
2011年06月18日
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子供の時代のエネルギー(1) 恩師の手紙「電気」とか「エネルギー」というのは「ごつい・大がかりな」ものですから、去年は原子力、今年は自然エネルギーというわけには行きません。つまり、戦艦大和ですから、舵を切ってもおいそれと方向を変えることができないのです。でも、日本人はオッチョコチョイのところがあって、地球温暖化が心配になると「これからは原子力の時代だ!」と叫んでいました。たった1年前なのに、今はすっかり様子が変わっています.その頃、私は盛んに「地球が温暖化すると、原発が安全になるのですか?」と冷やかしていました。そして、今度は「原発が事故を起こしたから自然エネルギー」と言われ始めました。そんなややこしいことをするなら、去年から、「原発は飛ばして自然エネルギー」にしておけばよいのです。そこでこのシリーズでは「すぐには変わることができないエネルギーを、子供のためにじっくりと勉強し、間違わないようにしよう」という目的で始めたいと思います.・・・・・・・・・今から10年ほど前でしょうか、その頃、私は「石油や石炭などの化石燃料は40年後には無くなる」と思っていました。「40年」というが少し伸びても、せいぜい60年とか80年とかだから、子供達のためにも将来のエネルギーを準備しておかなければならないと信じていたのです.そして、私のある著作に「石油や石炭はそのうちに無くなるから」と書きました.そうしたら、それを読んでいただいた私の大学時代の恩師が手紙をくれました。そこに1行、「武田先生はなぜ石油や石炭が無くなると考えたのですか?」とありました。すでに私の大学時代の先生はご退職になっておられましたから、私は手紙を読んだときに「先生もお歳を召して・・・」と思ったものです。・・・・・・・・・でも、先生の言葉はなんとなく心にひっかかり、電車に乗ったときなどにフト考えるようになったのです。確かに「石油や石炭は枯渇する」とテレビも新聞も言っていました.そればかりではなく、資源学の本や石油や石炭の専門家の多くも「地下資源は有限だ」と専門書に書いてあります.しかも、石油や石炭はすでに発見されている油田や炭田の他に、「究極埋蔵量」と言って、最終的に人間が採掘することができる量も判っているのです.どこからみても、まもなく枯渇することは間違いない・・・でも、なんで先生がわざわざお手紙で私に注意をされたのか? 先生がお歳を召したと言っても頭脳は明晰なはずだ・・・その疑問は解けませんでした.そこで、私はこれまで判断のもとになってきた書物を読んでみることにしました。読み始めると、これまで「資源は枯渇する」ということを前提に読んでいたのに、新たに「資源は枯渇するかどうか不明」という気持ちで読むと全く違う印象を受けたのです。その一つにメドウスの「成長の限界」という本がありました。1970年代の初めにもてはやされた本で、「資源、人口、工業化・・・」など今の文明はあまりに物質を消費するので長くは持たないということが書かれていて世界的なベストセラーになった本です。なにしろタイトルが「成長の限界」で、「大量生産、大量消費社会はやがて潰える」という誰でも納得できる理由がついて、宣伝されたものです。ところが、改めて読んでみると、「1970年の状態がそのまま続いたら」という前提がハッキリと書いてあるのです。そしてその前提は2000年にはほとんど成り立っていなかったのです.「そうだったのか!」と私は思い、改めて「資源は枯渇するのか?」を計算したり、考えてみようと思ったのです.何時の世も、恩師とは大したものです。(平成23年6月17日 午後2時 執筆)武田邦彦
2011年06月17日
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本当のことを「風評」という不誠実な政府当たり前のことですが、「風評」というのは、実際には無いことをウワサで広めて、損害を与えることです。誠実な社会、安心して住める街では、風評のようなものはできるだけ排除して気持ちの良い生活を送りたいものです。しかし、福島原発が起こって以来、日本政府は、もともと風評ではないものを風評と言って、国民や「正しいお母さん」を苦しめています。・・・・・・日本は法治国家ですから、どのくらい放射性物質が入っていていれば注意しなければいけないという限界が決まっています。それを「クリアランス・レベル」といい、法律でもしっかり決まっていて、それに反すると懲役1年以下の刑に処せられます。クリアランス・レベルは「1年に10マイクロシーベルト以上の被曝になる可能性のあるもの」です。だからたとえば、食材ですと、日本人は一日あたり平均1.4キログラムの食品を食べるから、1年に10マイクロシーベルトを越えない量=「この食品には放射性物質は含まれていないと行って良いレベルですと言える量」=0.01÷(0.0073×1.4キロ)=1ベクレルとなります。・・・・・・・・・つまり非常におおざっぱに言うと、●1ベクレル・・・「このものには放射性物質がついていない」と言える量●10ベクレル・・「放射性物質は入っているけれど、我慢できる」量●100ベクレル・・「この食品や物品に触れるだけなら、我慢できる」量ということになります。「クリアランス・レベル」という概念は、誰(幼児も)がさわっても、放射線を気にしなくても良いということですから、1ベクレル並です。次に、放射性物質は入っていても「我慢できる」というのは、1年0.1ミリシーベルトぐらいで、日本のかつての水道の基準でした。つまり「日本人は水だけを飲んでいるわけではないので、水道は1年1ミリの基準の10分の1で行く」ということです。そして、多くの食品などの基準値になっている100から300ベクレル程度の値は、「空間も綺麗で、水も汚染されていないけれど、この食材や物品だけが汚染されていたら、ここまで我慢できる」ということで、他の被曝と「足し算」しないときのレベルです.・・・・・・今、政府が「風評」と言っているのは、数100ベクレルの放射性物質が入った食材や物品を「放射性物質が入っているからイヤだ」というのが「風評」だというのです。自分(政府)が決めたことを「守ろう」とすると、政府がその人に「風評被害を拡大するな!」というのですから、完全な言いがかりで、まるで政府がアウトローのような感じです.また、マスコミは「政府が言ったから」という理由で、やはり「正しいことをしようとしているお母さん」を「風評を拡大する」と批判していますが、マスコミの記者さんもすでにおかしいことに気がついているのですから、控えてもらいたいものです。・・・・・・・・私は「愛する家族、信頼できる友、誠実な社会、誇りを持てる日本」と言っていますが、政府は「誠実さ」において「先頭を切ってもらいたい」と願います.また農業や漁業の人が、後ろから圧力をかけているとすると、これまで「消費者ためにこだわりの食材」と言っておられたのですから、これも「誠実な社会」を作るために自粛して欲しいと思います.(平成23年6月16日 真昼 執筆)武田邦彦
2011年06月16日
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東京のお母さんへ・・テレビの解説は間違っていましたので注意今朝のテレビは一斉に「東京都が行った都内の放射線測定」を報じていました。原発事故の直後には、測定値も示さずに「安全だ、安全だ」と言っていた頃に比べると、「テレビは神様ではないから、安全かどうかはデータが必要だ」というレベルまで来たようです.でも、大テレビが全国放送で流していた内容もずいぶん間違っていました。•1. データを使うようになった・・・進歩。•2. (データを使う)=(データは正確でなければならない)ということまでは行っていない。文化系の方の多いテレビ局としてはデータを使おうと思うようになっただけで進歩とも言えます.・・・・・・東京都の測定では、「空間線量」がおおよそ0.08ぐらいから0.35ぐらいになっていました。そしてそのデータの見方として、•1) 自然放射線が1年に1.5ミリシーベルト、•2) 人工放射線の限度が1年1ミリシーベルト、•3) だから合計1年に2.5ミリシーベルトまで良い、•4) 従って、これを365日×24時間=8760時間で割って、•5) 1時間に0.285マイクロシーベルトまで良い。と言っていました.学生の答案なら20点というところでしょうか。筋道は間違っていないのですが、結論が大きく異なります。これで、基準を決めたら都民は基準以上の被曝をして健康を害するかも知れないので、最後の結論が正しいことはとても大切です.厳密な先生なら「決定的な間違いがあるから0点」と言われるかも知れません。それが朝早くから、全国ネットの巨大番組で流れ、さらには日本で一流の解説者が付いているのですから、まだまだという感じです.東京のお母さんは、間違えないでください。テレビが故意で間違ったのか、勉強不足だったのか判りません.テレビは間違えても被害が出ませんが、お母さんが間違えるとお子さんに害が及びます.・・・・・・・・・決定的な間違い。•1) 1年間1.5ミリシーベルトの「自然放射線被曝」は、その3分の2が内部被曝で、空間線量からの外部被曝は約3分の1だから、0.5ミリシーベルト。•2) 1年間1ミリシーベルトの法律で定められた「我慢できる限度」は内部被曝を含んでいるから、放射性物質が含まれる野菜、魚などが出回っている状態では、内部被曝を2分の1にするのが適当。つまり、東京都が測った空間線量に相当する「被曝限度量」は、自然放射線からが0.5ミリ、人工放射線が0.5ミリですから、合計1.0ミリシーベルトです。これを8750時間で割ると、1時間0.11マイクロシーベルトです。計算値というのはいくら考え方が「おおよそ」合っていても、結果が2倍以上の違うのではダメなのです.【正しい答え】東京との測定の内、1時間に0.11マイクロシーベルト以上の地域は法律的に違法状態にあり、子供の健康に障害を及ぼす可能性がある。(このブログで、今まで示してきた値です。)内部被曝を入れた値を使い、外部被曝の測定値を使った番組は、明日の朝の番組で修正するかどうかが、その番組の誠意を示すバロメーターになるでしょう。・・・・・・ところで、マスコミも福島原発事故が起こった直後には、東京も放射線の強いところは1時間で1マイクロシーベルトを越えていました。その時に「健康に影響はない」を繰り返して来ました。その中でも、受診料を取っているNHKなどは福島の記者を「健康に危ない」として総員引き上げを指示した一方で、番組でお金をもらって居る視聴者に「安全です」を繰り返しました。でも、このことは、多くの記者さんは釈然とせず、なぜ間違ったことしか報道できなかったのかと苦しんでいます.マスコミも「事実を伝えよう」という気持ちと、「公的なデータなら責任を問われない」という二つの間で揺れ動いているように見えます.今朝の報道も同じでした。東京の線量については、すでに民間で多くのデータがありますので、せめてそれらを比較しながら東京都のデータを紹介すべきだったでしょう.また、3月下旬はどのぐらいだったかについても報道し、線量が高いときに肝心のデータを出さなかったことに対して、解説者でも良いので、少しの言及や謝罪をする良い機会だったと思います.明日の番組では訂正をしてください。それが放送の誠意というものです。(平成23年6月16日 午前9時 執筆)武田邦彦
2011年06月16日
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親父 (おやじ)「クニ、貧乏は恥ずかしくないぞ! 額に汗しただけでいいんだ」父はそう教えてくれた。(わたしの名は邦彦)時々、父は往復の電車賃だけを持って「無銭旅行」というのに連れて行ってくれた。家から歩いて中央線に乗り、もってきた汽車賃の半分の駅で降りる。当時の駅前は小さい広場に土煙があがるようなところだった。駅の外にある小さなベンチで家から持ってきたおにぎりを頬張り、水道の水を顔を逆さにして飲み、しばらくしてまた同じ中央線で家に帰った.父はなにも話さなかったが、「お金と人生」を教えてくれた.・・・・・・・・・「クニ、生きている内に評価されたらダメだぞ. 死んで30年がちょうど良い」私が長じて学生のころ、父はそういった。生きている内に評価されるというのは、その時代の人が理解してくれることだ。そんなことに価値があるわけではない。本当の価値は死んだ後に評価されることだと父は言ってくれたのだ。数学者で変わり者の父だった。一日中、部屋に閉じこもって研究をしていたが、酒が好きで夜は日本酒を飲んでいた。洋酒はダメだった。時々、ジョニ黒やヘネシーをもらうと、母が、「すみませんが、持って行ってくれますか?」と出入りの肉屋さんに頼んでいた。父にとってみればその酒が持つ「社会的価値」などは何の意味もなかった。自分が好きなもの、それだけだった。・・・・・・・・・私は体が弱かったけれど、そんな父の言葉を信じて、ここまで生きてきた。父の教えがなければ今の自分はないだろう。(平成23年3月31日 執筆)武田邦彦
2011年06月15日
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原発事故中間まとめ(6) 重大事故研究は単色だった原子力では原発の「シビアーアクシデント」、つまり「重大事故」の研究はかなり行われていて、原発に関係している人は、「こんな事故など起こらないのに、研究するだけバカらしい」という雰囲気すらあった。 そして、重大事故では「止める、冷やす、閉じ込める」という3原則が立てられると、多くの人がこの「標語」に惑わされて、思考が停止していた。 つまり、目の前で何が起こっても「止める、冷やす、閉じ込める」ということしか言わず、またそれを言わなければ専門家では無いという雰囲気すらあった。 今回の福島原発事故でも、テレビに登場した「専門家」と言われる人たちは、そろって「原発事故の原則は「止める、冷やす、閉じ込める」ということです」と言い、原発の内容を理解しているわけではないアナウンサーや解説者もそれに同調していた。 でも、この3原則は「事故が起こっても、放射線漏れを最小限に食い止める」という目的を持っていて、今回の事故のように「京ベクレル」規模の漏洩が起こる場合は適切であるかどうか、不確かである. ・・・・・・・・・ どんな場合でも、「事実」に即した「対策」が求められるのであり、「原子炉を冷やすことができる」ことが前提で「止める、冷やす、閉じ込める」という3原則が成立するのであり、「冷やす」ことが出来なければ、もしかすると「止める」ことすら不要なのかも知れない。 こんなことを言うと、「核爆発(核反応、臨界)を止めなければ大変なことになる.冗談じゃない」という反論が起こるだろうが、科学や安全というのはなかなか難しく、軽々しく新しい考え方を否定してはいけない。 科学の世界では、 •1) 反論を良く聞かない、 •2) 自分が偉いと思う、 •3) 「考え」ではなく「人間」を批判する、 ということは好ましくない。その典型が、 「そんなことはないよ。私は専門家だから。第一、君は・・・」 という言い方だ. 「良く聞く、疑問は丁寧に答える、相手を否定せず論を批判する」 という鉄則で進みたい。 ・・・・・・・・・ 3月11日夕刻、原子炉の冷却が不可能であることが判ったとき、 •1) 直ちに発電所の東電社員(誰でも良い)から地元消防へ「原子炉が爆発する危険性がある」と通報すべきだった、 •2) 原子炉内の水を抜き、燃料をメルトダウンさせる、 というのがベストの方法だったとも考えられる. 最初の通報についてはすでに述べた。このブログで40年前の化学工場のしきたりを説明したので、現在、職務に当たっている人に、今の状態を確認してみたが、 「1990年代に1度、緩んだが、今では事故を直接、社員から消防などに通報するように指導している」 とのことだった。今でも化学工場の方が原子力発電所より立派だった。 少し脱線するが、なぜ化学工場の方が原発より市民の安全を考えているかということをディスカッションしたところ、結論としては「化学工場の方が電力会社より貧乏だから」、つまり「お金がなく政治的な工作ができないから」ということになった。 お金は人の心も、企業の繁栄も滅ぼす・・・ ・・・・・・・・・ 日本で稼働している軽水炉は、 •1) 燃料としてウラン235が4%ぐらいのものを使っていて、大規模な核爆発は起こらない、 •2) 水を減速材に使用すれば、小規模な核爆発を起こすことができ、それによって発電できる、 •3) 核爆発が止められなくなると、減速材の水が蒸発して、自然に減速効果を失い、高速中性子が多くなって、核爆発が止まる、 と専門家は考え、「軽水炉は安全だ」という論拠にしてきた。 このことと「止める、冷やす、閉じ込める」という3原則は明らかに矛盾している. 大規模な核爆発が起こらないなら、「止める」必要は無く、水がなければ減速しないので核爆発は起こらないなら、「水で冷やす」というのは間違っているし、自然に核爆発が止まるなら「冷やし続ける」ということも要らないからだ。 このように考えると、シビアーアクシデントの時の対策は、冷却できるときと、冷却できない時に別れることになる。 もう少し深く考えてみたい。 (平成23年6月15日 午前9時 執筆) 武田邦彦
2011年06月15日
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科学技術者の誠意、商人の誠意20世紀の初め、ライト兄弟が人類初めての飛行に成功し、航空機の歴史が始まりました。 最初の頃は、戦闘機に応用されて、普通の人が旅客機にのって旅をすると言うことはほとんどありませんでしたが、それでも少しずつ旅客機が飛ぶようになっていったのです. 多くの旅客機が墜落しました。あるいは天候の予測が不完全だったり、金属疲労によって機体が空中分解したりしたのです。 そのたび毎に、大勢の人が無残な死を遂げ、人々は震え上がったのです. そんな時、 「人間はもともと地表を歩くものである。従って、人間が空を飛ぶようなものを作ってはいけない」 という原理主義的な意見が社会を覆うものです。 このような時に「科学技術」を職とするものがどのように考えたら良いかについて、多くの研究がされてきました。まだ、確定した結論が得られている訳ではありませんが、私が「正しいのではないか」と考えていることを整理してみます。 一言で言えば、「科学技術はその作品をショーウィンドウに飾れば良く、それを勧めても拒否してもいけない」ということです。 新幹線も、携帯電話も、水洗トイレ、瞬間湯沸かし器、冷蔵庫、原発・・・社会が何を求めているか、科学技術はあまり深く考えず、自分の作品を勧めるのでもなく、拒否するのでもなく、淡々とショーウィンドウに飾ればよいと私は思ってきました。 科学技術に携わるものは、社会の平均的な知識や感情を持っているわけでもなく、時に偏屈でマニアックなところもあります。 また人によっては、自分の研究に強くこだわる人もいて、作品を客観的に見るのではなく「自分か他人か」でその価値を決める人もいるぐらいです. だから、作品を社会が採用するかどうかは、社会が決めることでしょう。 かつて、私が原子力施設の所長だった時代ですが、その頃には「原子力反対」の急先鋒は朝日新聞で、良く記者が取材に来て「武田さん、あなたの施設は絶対安全ですか?」と聞かれました。 その時、私は、「ここには家族も含めて私の関係者が1000人も居るのだから、私は安全だと思ってやっています。でも、この施設が安全かどうか、最後に決めるのは社会です. その社会が決めることができるように、私は全てのことを言いますから、それを正しく報道してください。私は技術を担当し、あなたは報道を担当しているのですから」と言いました。 このことは、翌日の新聞にでて「所長は冷静」というタイトルが付いていたように記憶しています. 若い頃の私も「科学技術はその作品をショーウィンドウに飾るだけで良い」と思っていたようです。決して自分の作品を勧めたり、粉飾してはいけないということです。 でも、それの前に、二つの条件があります。 一つ目は、ショーウィンドウに飾るときに、少なくとも科学者自身が「社会に貢献する」と考えている事、第二に「作品に関する全ての情報を表示すること」です。 科学者は自分の作品に愛着がありますから、得てして「自分の作品は素晴らしい」と思いがちですが、それでも、ショーウィンドウに飾る限りはさらに考えて、自信作を飾って欲しいということです。 自分の心に少しでも「危険」とか「非道徳的」と思うものは躊躇すべきでしょう。 今回の原発では「原発は危険だから、もしくは危険と思われているから、立地交付金(お金)で懐柔する」というような手段をとるのは適切ではありません。 そして、第二に科学技術の作品は一般の人がわかりにくいので、その長所・欠点を包み隠さず表示することと思います. 原子力ではこれが「民主・自主・公開」の原則なのです。 私は「安全な原発推進派」を唱えてきましたが、それは 「原発が安全と考えられたらショーウィンドウに飾り、包み隠さず情報を開示する」ということです。 だから、今回の福島原発の事故で「原発は不安全である」ということが事実で証明されたので、自分の不明を恥じ、ショーウィンドウから作品を撤去するしかないと思っています. このことは商人でも同じと思います.その点で、今度、もしお会いすることができればその真意をお聞きしたいのですが、福島原発事故の後、首相に促されて浜岡原発を止めることになった中部電力の社長は、「断腸の思い」と言われました。 マスコミを通じて聞いたことですから、本当かどうかは判りませんし、また社長がどのような意図で言われたのかも不明です.もしかすると水からの職業に対して忠実な方かも知れません。 でも、ここではその言葉通り、つまり、「原発は中部地区にとって必要なもので、それを首相の勧告で止めるのは残念至極」と言う意味なら、私の考えと少し違います. 科学技術がその作品をショーウィンドウに飾るに止めるなら、商人(中部電力社長)はさらに強く「売るものショーウィンドウに飾る」だけに止めなければならないからです。 中部地区のテレビ局のアンケートによりますと、名古屋の人の70%が「冷房を止めても良いから原発を止めて欲しい」と答えているそうです。 もし、これが本当なら、お客さんがいやがっているものを無理矢理、買わせているということになります。 また首相が首相として不適切な人物としても、選挙を通じて選ばれた首相ですから、その勧告は国民の勧告でもあるのです。 つまり、中電社長の言葉だけから見ると、「何を売るのかは俺が決める.国民はあてがわれたもので生活をしろ」と聞こえなくも無いのです。 それは商人の範囲を超えているようにも見えます。 科学技術者も商人も「神様」になってはいけない、良いにしても、悪いにしても、それを自分が判断するのではなく、あくまでもそのフルーツ(成果)を享受する社会に任せるべきだと私は考えます. その点では、「正しい情報が伝われば、国民は正しく判断する」という民主主義の確信が無いように思います. (平成23年6月14日 午前7時 執筆) 武田邦彦
2011年06月14日
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「正しいお母さん」の試験問題次のような試験問題が「公務員倫理」の出題に出されたとします(模範解答と思われるものを付記しました)。•1) 一般的に言って、お母さんが「子供の被曝をできるだけ少なくするように努力する」という行為は法的に正しいか?【解答】正しい。法律でも「被曝はできるだけ少なくするように努める」との目的が記載されている。•2) 原発事故のために、すでに法定限度一杯の被曝を受けている子供を持つお母さんが、「暫定許容値」を下回る食材でも、「子供に限度以上の被曝をさせないように、放射性物質を含む食材を使うのを拒否する」という行為は法的に正しいか?【解答】正しい.個別の食材の暫定基準値より、総合的な被曝量の法定限度(1年1ミリシーベルト)を超えないようにするのが、食材提供者およびお母さんの推奨される行為である.•3) 社会通念上、お母さんが子供の健康に気を配ること、健康を守る上で個別の母親が異なる考えを持っていることは正しいか?【解答】正しい。人間の親として、また親権者の義務を果たすために母親が子供の健康に留意することを尊重しなければならず、その程度、方法、考え方の多様性を認めなければならない。・・・・・・次に、校長先生(教育の管理をしている人という意味。教育委員会でも先生でも良い)に僭越ながら2つ出題をさせてもらいたい.問題1: 学校にすでに空間からの被曝だけで法定限度一杯の被曝をしている子供に、放射性物質を暫定基準値以下を含む「地産地消」の食材を給食で実質的に強制的に食べさせるのは、学校給食法の精神である「食の適切な指導」という意味で正しいか?【解答】 法定限度の被曝量は、国民の健康を守るために定められているので、法定限度一杯の被曝をしている児童生徒に、さらに被曝を指せることは不適切である.問題2: 学校は、空間からの被曝量がある程度ある場合、個別の児童の積算被曝量を計算して、学校における追加被曝(運動、給食、プール)などについて、児童生徒が法定限度を超える可能性があるかどうかを保護者に知らせる義務があるか?【解答】 ある。児童生徒の被曝量が1年間に1ミリシーベルトを越える怖れのある地域、および時期において、学校は生徒の行動を強制することから、学校における追加被曝を計算し、児童生徒が総合累積被曝量として法定限度を超える可能性がないことを保護者に知らせなければならないと考えられる。・・・・・・教育担当者、食材提供者、市役所の職員などは、子供の被曝を法定限度の1年1ミリシーベルト以下にする責務を負っていると考えられます.従って、個別の児童・生徒・市民について計算もしないで「安全です」と言うことは(神様でなければ)言うことは出来ないでしょう.また、たとえば九州の学校でも、すでに関東や東北の学校で被曝してきた児童生徒については個別に被曝量を計算して、学校での追加被曝が法定限度を超えないかについて、計算をすることが求められます.・・・・・・すでに、「子供を被曝から守って欲しい」と呼びかけるのも何回目かになります。でもまだお母さんが苦しんでおられますし、個別のお母さんを神経質とかモンスターと言って、被曝させることを正当化している市役所や教育委員会も多く見られます。日本の将来は、子供達の健やかな成長が前提です.また教育基本法でもその目的に「心身共に健全な子供」を目指すことが明記されています.是非、先生方、校長先生、教育委員会、スーパー、市役所のお役人などは、形式にとらわれず、職務の本質にそって子供達の被曝量を可能な限り減らすことを御願いします.特に、「福島の人を助けるために、子供を被曝させる」のではなく、「福島の人の生活を大人だけで全力を尽くして旧に復する」方向に進んでもらいたいと思います.「礼儀正しい個人、愛する家族、信頼できる友、誠実な社会、誇りある日本」一人一人の行動で、私たちの手に届くのではないでしょうか!(平成23年6月14日 午前9時 執筆)武田邦彦
2011年06月14日
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原発事故中間まとめ(5) 国民が背負ったベクレル福島原発から上空に漏れた放射性チリは、約70京ベクレル。海に流れた方はハッキリしないが10京ベクレル程度と考えられる.つまり、福島原発から環境へ漏れた量はおおよそ100京ベクレルだった。この量を少し落ち着いて考えてみよう。福島第一原発には1号機から4号機まであった。1号機、2号機、3号機は運転中だったので、原子炉の中に合計6亥4000京ベクレル(亥は本当は土偏で、ガイと呼ぶ)、プールに1400京ベクレルの放射線量があり、4号機は原子炉の点検中で、原子炉の中はゼロ、プールが2100京ベクレルだった。つまり、原子炉に6亥4000京、プールに3500京だから、合計6亥7500京ベクレルの放射線量があった。この内、100京が漏れたのだから、全体の0.15%が漏れたに過ぎない.もっとも、放射線量は運転が止まる(核分裂が止まる)と急激に少なくなるので、どこの時点をとるかで大きくことなる。とにかく、ザッと言うと、福島原発が持っていた放射線量の1%未満が大気中にでたことになる。・・・まず100京ベクレルというのは、余りにとてつもない量なので、ピンと来ない。まずは、これを「日本国民あたり」にしてみると、100京を1億2000万人で割るので、「約80億ベクレル」となる。つまり国民一人あたり80億ベクレルというとてつもない量を、私たちはかぶり、これからの子供はそれを背負って生きていくことになる.すまない!・・・・・・気を取り直して、少し考えてみよう.私たちは水道水を1日、0.6リットル飲むが、料理や歯磨きなどを合わせると2リットルになる。水道水の汚染の基準はWHO(世界保健機構)が、1リットル1ベクレルと決めているので、おおよそ1日1ベクレルということだ。そうすると80億ベクレルというのは、80億日分になる。人生80年とすると、人の一生は約3万日だから、その30万倍というとてつもない数字になる.・・・原発の事故がいつもこんな大変なことになるという訳ではない。たとえば、新潟沖地震で壊れた柏崎原発では、3億ベクレルが漏れた。ずいぶん多いようだけれど、3億ベクレルを1億人で割ると、「一人3ベクレル」になる.放射性チリが水道に入っても、3日間、我慢したらそれで終わりになる.今度の福島原発のすごさが判ると思う.・・・・・・さて、このことが判ると、「福島原発から出た放射性チリをいくら薄めても、将来の子供達が被曝する」ということがわかる。たとえば、福島の瓦礫を日本中に移動したり、ホウレンソウを基準以下だと言って生協が運搬したり、乳牛を北海道に移動すると、「人間の手で放射性チリを全国にばらまく」ことになり、しかも日本人一人あたりの量がとんでもなく多いので、永久に日本列島が汚れてしまう。さらに、秋になって台風が来て強い風が吹くと、放射性チリの多いところから、また全国にばらまかれる。量が少ないときはこんな問題は起こらないが、多いときはかくのごとく違うのだ。そこで、本来なら政府が、このことを国民に知らせて、ハッキリとした対策をとるべきであった。•1) 放射性チリは100京ベクレルほど出てしまった、•2) これは国民一人あたり80億ベクレルにもなる、•3) 薄めても危険な状態になり、日本列島が全部、汚染される、•4) だから、福島のものを他県に絶対に出してはいけない、•5) 東京など周辺の地域もできるだけ早くチリを集めなければならない、•6) 国家が福島を除染して、原発近くにチリや土壌を移動し、そこで処理を急がなければならない、•7) 半減期が30年ということを考えると、早くやらないと100年、禍根を残す、ということなのだ。「梅雨までに」と言ってきたが、すでに梅雨に入った.かくなる上は強い風の吹く台風までに除染しないと、南風で宮城が、北風で静岡が、東の風で新潟や秋田まで汚染が拡がる.・・・日本人一人あたり80億ベクレルをできるだけ小さくすること、それが今の大人が次世代の子供達にしてあげなければならない最大の義務だろう.放射性チリで汚れた日本列島では「環境を良くする」などと言うことは全く出来ないからだ。一刻も早く、事実を直視して、目を覚ましてもらいたいのだが。(平成23年6月12日 午後3時 執筆)武田邦彦
2011年06月13日
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校長先生が児童を被曝させたい理由浦安市の校長先生は児童を被曝させるために、 •1) 給食は全児童が食べなければならない、 •2) 給食に放射性物質を含むものを使う、 と宣言しています. 校長先生は給食に関して義務と権限を持っていますので、このようなことを意図的にされるのは、児童を被曝させたい(結果として被曝量を増やすことを知っているから)と希望していることは明らかです. 常識ではまったく考えられませんが、校長先生には校長先生の「理屈」があるようです。 ある校長先生が次のような「便り」を出しておられます.図はすべてダブルクリックすると大きくなります。 まず、第一に「学校給食法」によって、校長先生は学校給食が円滑に行われるように努力する必要があり、給食はその学校の児童全員に行わなければならないということが「法律」で定まっていることを示しています. まず、校長先生の頭には「自分が守らなければならない法律」が強く入っているのでしょう. そして、おそらくは「たとえ児童の健康に障害が起こっても、それより法律を守ることが大切だ」と信じておられることと思います. つまり、学校給食法で書かれている「給食」の前提が「児童の健康に障害が起こる可能性に無いものに限る」ということであることに思いが至らないのです. 昔から日本にはこのようなタイプの校長先生がおられました。自分の学校の児童を、自分の子供のようには愛することができず、単に法律上の任務をすることによって出世を考えるタイプの方です. そして、この校長先生が同じ「便り」にこのような文章を載せています.そこには、 「望ましい食生活の形成と人間関係の形成」 が給食の目的としているのです。 福島原発事故が起こって以来、東北、関東地区の「望ましい食生活」は「被曝量を増やさない」ということであることは異論が無いでしょう。 そのためには、学校給食に「放射性物質が入っていないもの」を徹底的に選ぶことが校長の役目であることは明らかです.また、「望ましい人間関係」とは「イヤがる人に無理矢理、嫌いなものを食べさせる」ことでもなく、「思想的に被曝に恐怖を覚える人に無理矢理放射性物質が入っているものを食べさせること」でも無いはずです.もっと他人を思いやり、他人の心配を自分のこととして受け止めることが望ましい人間関係でしょう。この校長先生が「法律好き」なら、次の放射線障害の防止に関する基本的な考え方を「法律」で示します. もともと学校で児童が被曝するなど考えてもいませんので、ここでは対象が「労働者」になっていますが、もちろん児童ならなおさらです。 放射線防護の原則というのは、この条文でも判るように「放射線で被曝する量をできる限り少なくすること」なのです。 「基準以下だから安全だ」という防護原則などないのです。 ところで、野菜などの出荷基準というのは、 •1) 対象者は児童ではない、 •2) その食材だけが汚染されている場合であって、現在のようにさまざまな原因で被曝するときには、「足し算」が必要である、 ということで、このようなことは、およそ他人(児童)の「食」について責任を持たなければならない立場にある校長先生がよく勉強し、知り、そして行動をしなければならないのです. つまり、校長先生が「給食を出す責任」があるなら、栄養士に「児童の年間総合被曝量」を「数値」でだす必要があるからです。 もちろん、児童の年間総合被曝量は、これもまた法律で決まっている値、 「一般公衆の被曝限度は1年1ミリシーベルトである」 以外にはありません.日本の文部大臣はもともと、内部被曝も食材からの被曝も計算していませんし、日本という一つの国の大臣が出した一時的な数字は児童の健康という点ではまったく関係のないことです。教育の自由、独立性は日本国憲法の大きな精神の一つです.・・・・・・・・・ 日本国憲法では、基本的人権が認められています. それはたとえ子供(あるいは親権者)であっても、「自分が食べたくないものを食べさせられる」ことを拒否することはできます。日本国憲法は学校給食法の上位にあり、思想信条に背いた行為を強制させることは出来ないのです。 「福島原発事故からの被曝があるのだから、食事からこれ以上の被曝をさせたくない」 という考え(思想・信条)はまことにもっともであり、被曝に関するこのような考え方は長い間、日本社会で認められ、定着しています. ・・・・・・・・・ ところで私はあまり法律論を展開する積もりはありません。法律以前に「愛情」や「倫理」があり、その方が人間として大切だからです.法律はいざと言う時のものです。 校長先生は、児童が空間から被曝を受けているときに、できるだけ被曝量を減らしてあげようと思わないのでしょうか? 学校給食法がどうであれ、被曝する子供達が可哀想と思わないのでしょうか? たとえ、校長先生が「被曝は健康に良い」という奇妙な信条を持っていたとしても、それを児童に強制することはできるのでしょうか? 私は児童に対する愛情を忘れ、子供の健康を心配している親(たとえ一人でも)を「おまえは法律を知らないのだから黙っていろ」という校長先生は実に野蛮だと思います。 (平成23年6月12日 午後8時 執筆) 武田邦彦
2011年06月12日
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自然放射線と被曝140億年前、私たちが今、住んでいる宇宙がビッグバンで出来たとき以来、この世の「物質」は核反応(核爆発)で作られてきた。核爆発はすさまじいので、落ち着いた元素だけではなく、不安定な元素も作るので、それが放射線を出す。だから、宇宙は放射線で溢れている.だから、私たち地球上に住んでいる人間も動物も植物も、自然からの放射線を受ける。それが日本では1年に1.4ミリシーベルト、世界の平均では2.4ミリシーベルトである。・・・・・・地球が誕生して以来、生物は「危険」と戦ってきたが、紫外線や放射線といった「電磁波=光」と戦いも厳しかった。なにしろ太陽も原子炉だから、そこから強い紫外線が地表に達する.古い生物はこの紫外線と戦い、敗れ、海の底や地中に住んでいたが、偶然にも生物の呼吸でできた酸素が成層圏でオゾン層を作り、それが紫外線を防いでくれたので、生物も地表に出ることができた。それでも、紫外線は厳しく、赤道に住む人は肌が黒くなって皮膚ガンを防ぐ.地域によって紫外線も違うので、黒人、黄色人種、そして白人ができた。・・・・・・放射線は紫外線よりエネルギーが高いので、なかなか防御が難しい。紫外線は皮膚で止まるので、皮膚だけを防御すれば良いけれど、放射線は体を貫くので、どうしても体全体を防御しなければならないからだ。DNA(遺伝子)が傷つくと、それを複雑な酵素などで直していく.しかし、修復するための酵素を作るのにも「原料」がいる。だから「栄養のバランスをとらなければならない」ということになる。休養も必要だ。睡眠時間も7時間はとりたい。・・・・・・自然放射線の1.4ミリシーベルトは、その3分の2が「内部被曝」、3分の1が外部からの放射線だ。だから、1.4を3で割ると約0.47ミリシーベルト。これは1年だから、365日×24時間でわって、1時間あたり0.05マイクロシーベルトになる。3月12日に福島原発が爆発してから、最初の頃、政府が日本の1年1.4ミリシーベルトではなく、世界平均のデータ(2.4ミリシーベルト)だけを言った。しかも内部被曝も言わなかった。だから、政府を信用して、精密に考えていた人が混乱した。2.4を365×24で割ってみると、1時間に0.27マイクロになり、結構、大きな数字だからだ。北海道や秋田など、場所によっては0.27マイクロより小さな値が出た。つまり「原発が爆発したら放射線が減った」という奇妙な結果が得られたのだ。もちろん、日本は日本で考えなければならない。さらに関東ではローム層が地表にあるので、それで少し減って0.025ぐらいまで下がる場所もある。今でも、しかも専門家でも、1年2.4ミリシーベルトが自然放射線で、それを外部被曝と思っている人もいる。・・・・・・・いずれにしても、生物は1日に0.05マイクロシーベルトぐらいの放射線を浴びてDNAが壊れても、それを直す力がある。「自然の中で過ごすのが一番」というのは放射線でも同じだ。そして少し刺激があった方が、守る力も「リストラ」されない。(「リストラされる」というのは、放射線が無いところで長く生活すると、放射線で壊れたDNAを直す体内の物質が減ると考えられている。)今、とても厳しい時期にあるけれど、目指すことは変わらない.•● 自然放射線の中で(できるだけそれに近く)、•● 栄養のバランスを考えて(酵素を作る)、•● 適度に休養をとって(キズを直す)、•● 毎日を楽しく(酵素を増やす)、•● 感謝の気持ちを持って(不満があると酵素が減る)、というのが実は「自分の体にも一番良い」のだから、ビッグバンで誕生したこの世も上手くいっているものだ。(平成23年6月11日 午前8時 執筆)武田邦彦
2011年06月11日
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科学者の日記110609 日本を二つに分けたらどうか?日本はおおよそ国家としての形ができて以来、「一つの国」としてまとまってきた。日本のお城は街の中心にあり、お城の回りに堀が巡らされている.お城には「お殿様」がおられて民を守ってくれている.お殿様の上には天皇陛下がおられ、国民の安寧を日々、お祈りいただいている。どんなにお殿様が偉くなっても天皇陛下にはなれない。そんな秩序も日本文化には大きな影響を及ぼしてきた。そんな中で民は安心して生業に励んだ。自分の土地の中央に家があって回りに庭がある.玄関と言っても植え込みがあるだけで解放されているし、昼は玄関も縁側も開けっ放しだ。盗賊も馬賊もいない。・・・中国は秦の始皇帝が中原を支配して以来、形としては一つの国のように見えるが、実は単に「支配者」が居るだけだった。中国の民は城壁の中で生活し、家も外側が壁で入り口は一つ、庭は中庭方式である。中国は国というものがなかった。だから、街を城壁で守り、家を壁で守る以外にはない。日本のようにお殿様だけが城壁の中にいると、たちまち盗賊や馬賊が襲来し、民は皆殺しに遭うからだ.・・・中国人は「国」に住んだことが無いので、もちろん「国」を信用していない.むしろ、国の指導者は自分たちの儲けのためにウソをつくということを前提にしてニュースを聞く.中国人は、「ウソをつき、お金がすべて、誰も信用しない」と言われる。日本人から見ると「汚い」と思いがちであるが、国が無ければベストの生活の仕方だろう。・・・日本も、•1) 誠実で、お金は2の次、愛する家族、信頼できる友、誠実な社会、誇りの持てる日本、•2) ウソをつき、お金が全て、誰も信用出来ないという日本、政府が無いようなものだから考え方によっては気軽、の2つに別れたようだ。東電、保安院、菅政権、東大教授、放射線医師などは中国式の国を尊敬しているようなので、中国風の日本、2)に行ってもらい、私は伝統的な日本、1)に入りたい。原発事故が起こってから、良く「何を信じたらよいか判らない」と言う人がいる。中国風日本で何かを信じようとすること自体が無理である.信じて生きたい人は1)に、誰も信じることができず自分で判断したい人は2)に移動すると迷いも無くなるだろう.・・・1990年頃、バブルが崩壊したが、それは経済的なことで、もっと深刻な日本社会の崩壊が起こっていた。それからというもの、国債の異常な発行、年金の不正処理、ゆとりの教育の欺瞞、リサイクルとダイオキシン騒動、温暖化詐欺、一年交替の首相など、これまでの日本にはあり得なかったことが続いた。日本では「子供は宝」だったが、1990年からは「子供は金儲けのダシ」になり、今回も子供にもっと厳しい1年20ミリの被曝を課した。・・・日本は信頼できる政府の崩壊と共に、日本人の中国人化が進んでいる.(平成23年6月10日 午後3時 執筆)武田邦彦
2011年06月11日
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奇妙な発がんの論理 お酒と被曝福島原発事故が起こり、おそらくはこの事故が日本人の思考範囲の外にあったのでしょう。奇妙な論理がいくつも横行しています。その一つが朝日新聞が展開した「どうせ1億人に3000万人がガンで死ぬのだから、福島原発で100ミリシーベルトをあびて50万人が死んでも、問題はない」という話で、これは笑い話にもならないでしょう。「どうせ、1億人の人間がすべて死ぬのだから、大震災で3万人が亡くなったって、なにが問題だ」「どうせ、交通事故で1年に5000人も死ぬのだから、酔っぱらい運転で4人、死んだからといって問題では無い」などとムチャクチャなことも言えるようになります。・・・・・・・・・朝日新聞や原子力安全委員が国会で言ったこのようなことは、福島原発で生まれた奇妙な現象の一つとして、今後、心理学などで取り上げてくれるでしょう。この話と一緒にやや面倒な理屈も言われています.主に「お医者さん」からですが、「1年100ミリシーベルトで発がんが0.5%増加するが、1日2合の飲酒では0.6%の増加だから、飲酒より安全だ」というものです。これについて、考えてみます.あたかも理屈が合っているようで、実は詭弁や屁理屈と言われるものがあります。•1) 1年100ミリシーベルトでの発がんの意味2011年に当時、10才だった子供1000人が被曝し、4年から7年目に5人の子供がガンになった。•2) 1日2合の飲酒の意味お酒を飲まない人の平均寿命は男性で79才だったが、1000人中、300人がガンで死亡した。これに対して、1日2合のお酒を飲む人の平均寿命は84才で、1000人中、306人がガンが原因だった.つまり、「原発事故では幼い10才の子供が数年の内にガンになるのだが、お酒を飲む人は若い頃から60年近く飲み続け、死亡原因としてはガンが少し増えている」ということです。この二つの違いを示してみましょう。•1) 原発事故で被曝するのは「自分の意志」ではなく「強制的に被曝させられた」ということであるのに対して、「お酒を飲む」というのは自分の意志である。これを「意志あり」と「強制的」によるリスクで整理するのが普通で、「意志あり」の方が100倍から1000倍の危険でも感覚的には同じとされる。•2) 原発事故では寿命が60年ほど短くなっているが、飲酒は死亡原因が変わるだけで、寿命は増加している。•3) 1日2合ほどの飲酒では寿命が延びるので、その分、発がんは増えている。「意志あり」と「強制的」というものの差についてはこのブログにも書きましたが、まったく異なる統計にしなければならないのです。人間は時に「冒険」もする動物で、冬山などがそれに当たりますが、冬山の死亡率が何%だから、冬は冬山と同じだけ子供が死んでもかまわないなどということを医者が言うことはないのです。また、人間が天寿を全うして他界するときに、その原因は、体の老化(心臓、脳など)、他の動物に襲われる(肺炎など)、自分自身(ガンなど)があります。この中で心臓や脳のアタックで死ぬ人は、いわば「事故」ですが、それが1000人に500人だからといって、交通事故で死ぬのが1000人に5人だからかまわないとは違います.・・・・・・・・・私たちの社会は、ある程度の注意をして天寿を全うする、できれば80才ぐらいまでが望ましいが、それは運命が決めることだ、でも、事故や犯罪にはできるだけ巻き込まれたくないし、原因を作った人は「悪いことをした」のだから罰せられる、ということで安定しているのです.飲酒による80才の死亡原因と、被曝による10才の子供のガンを、「数字だけで比較する」ということをする医師も医師ですが、それを伝える新聞も新聞です.新聞は「事実」を伝えるべきで、このような荒唐無稽で、間違いとも言える比較をあたかも事実のように伝えるのは「報道の暴力」と言えるでしょう。(このブログは、「1年100ミリは怖くない.我慢せよ」と言われて反論に困っている人に、少しでもヒントをと思って書きました。)(平成23年6月10日 午後3時 執筆)武田邦彦
2011年06月10日
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医学とコンセンサス 被曝の危険性放射線医学研究所が子供の甲状腺ガンについての厳しいレポートを隠匿していたということでご心配になっている方が多くおられます.このブログでも何回か書きましたが、再度、取り上げます.•1) 放射線の被曝によるガンや遺伝性疾患の発生は、「医学的」に明確ではない。•2) この世には学問で判らない「未知の分野」がある。•3) 研究中のことだから、医者や研究者によって言うことが違う。•4) 放射線の影響が大きいとする医者にインタビューすれば「恐ろしい」ということになる(今回の甲状腺のデータ。0.2マイクロで危険とされた)。•5) 放射線の影響が小さいとする医者にインタビューすれば「恐ろしくない」と言う(100ミリでも安全と言う。0.2マイクロの50万倍に相当している)。•6) だから、新聞記者は「放射線が怖い」という記事を書こうと思ったら、3)の医師に取材する。•7) 「被曝は怖くない」という記事を書こうと思えば、4)の医師に取材すればよい.•8) だから、原発事故以来、さまざまな記事が出るので、多くの人は「なにが正しいのか判らない」と悩む.今回の甲状腺ガンのニュースは5)からでたものです。なにしろ人や研究機関によって50万倍も違うのですから、右往左往しても意味が無いように思います。・・・事実・・・事実は次のようなことです。これさえシッカリと判っていれば不安になることはありません.•1) 医学的に判らないのだから、医者や研究機関に聞いてもムダである。•2) しかし海外旅行に安心して行くためには、どの国も同じ基準で規制してくれることが必須。•3) そこで、「医学的ではなく」(ここが大切)、「コンセンサス(みんなでとりあえず決めておく)で決める」という方式がとられた(21年前)。•4) それが、「誰でも1年1ミリシーベルト以下なら安全としよう。本当のところはわからないが、それで行こう」である。•5) すでに20年以上、世界中でこの基準で生活し、特にヘンなことは起こっていないので、その意味でのデータは経験的にとられている。•6) そして、日本では「健康に留意し、栄養のバランスをとり、休養を十分にするなら1年5.2ミリシーベルト」ということでも運用され、これも特にヘンなことは起こっていない。世の中にはさまざまな危険があります。でも、現代の科学で判らないものは、判らないとして経験や合意によって「これで行こう!」と決めざるを得ません。研究結果がでるまで100年も待つことはできないからです。・・・・・・・・・私は、次のように考えてまったく動揺しません。•1) 可能なら1年1ミリシーベルト以下にしよう。そうすれば悔やむことはない.•2) もしそれがダメなら1年5ミリシーベルト以下を目指し、その代わり健康には十分に注意しよう。それも仕方が無い.•3) 幼児をこの基準で守って上げれば、大人は安全.•4) いろいろな報道がされるが、聞いても意味が無い.•5) 努力して生活し、それでも人智及ばざるところは運命と思う.(平成23年6月10日 午前8時 執筆)武田邦彦
2011年06月10日
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原発事故中間まとめ(4) 「悪意」か? 私たちの政府3月11日、福島原発が時々刻々、破壊に向かっているとき、発電所と政府は共に国民に事実を知らせなかった。 •1) 発電所長は消防に通報しなかった、 •2) 政府は国民に危険を知らせなかった。 しかし、この二つならまだ「準備不足」とか、「普通に見られる隠蔽体質」とも言えるが、逃げる方向について政府が発表したとき、私は「まさか!」と耳を失った。 原子力の専門家ならすべての人が知っていることなので、「悪意」としか考えられないが、本当だろうか? ・・・・・・ 「放射線」というのは「光」だから、自分の目で福島原発が見えなくなったら、「福島原発から直接来る放射線は来ない」。 だから「被曝する」のは「放射性チリ」からだ。 原発が爆発するとき、原発の建物は「天井方向に抜ける」ように設計されている. これは爆発の可能性のある建物を設計するときの常道で、「爆発のエネルギーが原子炉や人のいる下の方に行かないように」という配慮である。 福島原発の水素爆発でも、屋根が抜けてまっすぐ上に100メートルほど煙(放射性チリ)が舞い上がった. もし、そのまま無風の「状態」が続けば、吹き上がった放射性チリの「粒」はそよそよとそのまま原子炉建屋の中に帰って行っただろう. でも、現実には無風の状態がそれほど長く続くわけではない.上空にまっすぐ上がった放射性チリは、風に流されて徐々に西北(一部は南)に向かった。 その時、政府は驚くべき発表をしたのである。それは、 「放射線の強さは距離の二乗に比例するので、遠くに逃げれば良い」 ということであり、それを受けてNHKのテレビでは東大教授が、 「10キロ地点から20キロ地点に逃げると、被曝量は4分の1になります」 と解説をしていた。「かけ算」をせずに1時間1ミリシーベルトを「レントゲンの600分の1」などと言っていた時代だ. それを真に受けた多くの人たちは、 「原発から遠くに逃げろ」 と思ったのは当然である. これほど簡単なことを間違えるはずはないから、どうも「悪意の政府」、「鬼の東大教授」のように見える。 なぜなら、「正しいことが判っていて、わざと国民がより多く被曝するように指導した」からだ。 原発の事故では「原発を背にして、遠くに逃げる」のはダメである。 この図を見て欲しい. 福島原発が爆発すると、そこからの放射性物質は風で流れる.どちらの方向でも同じだが、もし「西北」の方に流れたとしよう。 その時に、政府が「原発から遠ざかれ!」と言った。 国民はまさか政府が悪意を抱いているとは思わないので、原発を背にして逃げた。 でも、図のAさんは風下に当たっていたから、逃げれば逃げるほど原発から襲ってくる放射性物質の中にいた。事実、逃げたところで粒が上空から降ってきたので、もと居た場所より多く被曝した。 Bさんも、Cさんも風下には当たっていなかったので、逃げる必要はなかったが、政府を信じて逃げた。 そうして、Bさんは郡山まで逃げ、そこで迂回してきた放射性チリで被曝し、元のところの方が低かった。 ・・・・・・・・・ つまり、 •1) 風下に当たっている人は、原発から遠ざかれば遠ざかるほど、長時間被曝する、 •2) 「横に」10キロも逃げれば、被曝しない.つまり「原発から遠ざかる」のではなく、直角に逃げろということだ、 •3) 風下の当たっていない人は遠ざかっても関係がない、 ということが判る。 私が最初のころ、火山の噴煙の動きを貼りつけて「風下はダメだ」と言い、気象庁に「風の向きを予報してくれ!」と叫んだのはこのことだ。 気象庁は知らない顔をしていた。彼らも放射性チリの流れを知っていて、言わなかったのかも知れない. ・・・・・・・・・ もちろん、原子力安全委員会、原子力保安院は知っていた。専門家集団であり、普段から原発のシビアーアクシデント(大事故)を考えに考えているのだ。 こんなことを知らなければ職務が遂行できない.私は彼らが知っていたことを知っている。 ということは、国民がより多く被曝するように「放射線は半径の二乗で・・・」と言い、「遠ざかれ」と言ったと思わざるを得ない。 事実、それを信じた首長さんは住民を連れて原発から遠ざかろうとして、さらに被曝した。 何ということだろう! 万が一、今回の事故で病気の人がでたら、政府と安全委員会は「傷害罪」ではないか? あちらに逃げれば火傷をすると知っていて、その方向に逃げるように指示する人などいるだろうか? 何でこんなに大きな間違いをして、平気なのだろうか? 今からでも修正しておけば、今後も役立つのに、なぜ謝罪しないのだろうか? ・・・・・・ 今回の事件は、多くの面で、「一体、政府とは何か?」、「知識とはなにか?」を訴えているように思える. (平成23年6月9日 午前8時 執筆)武田邦彦
2011年06月09日
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お母さんに「風評被害」と非難する人は人間か?(この記事は子供を守ろうとしているお母さん方が、「風評」といわれて切ない気持ちになっているので、それを応援するためのものです) 少しでも子供を被曝させたくないと懸命になって食材を求めているお母さんに「風評被害を言うな!」と責める鬼のような学校の先生、市役所の公務員、そしてジャーナリストがいます. その理由は二つあるようです. •1) 暫定基準値以下だから「被曝する」というのは言いがかりだ、 •2) 政府が1年100ミリまで大丈夫と言っている。 二つともウソなのです。 学校の先生も市役所の公務員も、かつては真面目な人たちでしたが、一体、どうしてしまったのでしょうか? ・・・解説1・・・ 日本の水道局がかつて基準としていたように、 「日本人は水道だけを飲んで生きているのではない.従って、水道の基準は、1年1ミリシーベルトの一般的な基準をさらに10分の1にして、0.1ミリシーベルトの被曝にならないようにする」 と言うのが正しいのです. これは一般的な毒物、添加物、農薬などでも同じ考えで、一つ一つのものを「ギリギリの基準」にしておくと、買う方は2つ以上のものをスーパー等で買えなくなるからです. 「足し算の原理」です。 ところが、足し算ができるはずの文科省大臣がウソをつき、「1年20ミリまで大丈夫.これを1時間あたりに換算すると3.8マイクロシーベルト」と言ったのです. この計算は、 •1. 子供が学校に行っているときだけ外にでて、 •2. 通学時間もゼロ、家に帰ったら外に出ない、 •3. 飲まず、食わず、呼吸せず(舞い上がったホコリも吸わない、まったく放射性物質を含まないものしか食べない)、 という前提があるのです。 そんな小学生がいるはずもないのに、平気で言うのですから、どうして選挙で当選したのかまったく理解に苦しみます. 「足し算の原理」があるかぎり、そして多くの食材の暫定規制値が 「縦割り行政の中で、自分の役所が取り扱う食材だけを考える」 ということで決まっている限り、お母さんは 「汚染されたものは、たとえ暫定基準値以下でも買うことができない」 と思うのが、「立派な日本のお母さん」だからです。 その人達を「風評被害をいう」と非難する人は勝手に言ってください。あなた方は「鬼」です。 ・・・解説2・・・ 原子力安全保安院は「法律に基づいて」、「一般人が」、「福島原発内で」、「1年1ミリシーベルト以上被曝させた」ということで、東電を「処分」しました。 首相は文科省大臣を同じ理由で処分するべきです.ダブルスタンダードがあり、民間(東電)は処分するが官(文科省)は許すというのはあり得ません。 そして法律を知っている市役所の公務員なども処分しなければなりません。 さらには、下に示した文科省指導課長の通達. これは本来は「子供の健康をまもるべき文科省」の指導課長が出した文章です。出した課長も鬼なら、この指導に従う校長先生も校長先生ですが、やはり「鬼」です。 東電の原発の中で働いた一般の大人が1年1ミリシーベルトを越えたと言って政府は東電を処分しているのに、同時こんな通達を出して子供を被曝させています(下はその内容)。1年100ミリ(通達では100,000マイクロシーベルトとあるがこれは100ミリシーベルトのこと)まで健康に影響がないと言っているのですから、驚くべき内容です.この通達内容が法律に反しているのは保安院の処分からでもわかりますが、放射線障害の法律には「被曝の原則」として第1条に次のように書いてあります。ここで示しているように、日本国民はできるだけ被曝量を低くするように求めています.現実にも放射線作業者(成人男子、被曝量測定、健康管理あり)の場合は1年に20ミリまで認められますが、現実の被曝量は日本ではわずか0.7ミリにしか過ぎません。また、同じ文科省の所管する放射線の法律(文科省のパンフレット)、 ここにも、下の図のように「1年1ミリシーベルトが被曝限度」であるということがハッキリと明記されています.あまりにも当然ですが、日本国内の法律が違う基準で出来ていることはないのです。 最近では見慣れた図ですが、一番下にある「1年10マイクロシーベルト」というのが「クリアランス・レベル」です。クリアランス・レベルというのは、「普通の人が、普通に扱っても罰せられない限度」です。たとえば、校庭、校舎、生徒の机、野菜、農具など全てのものが入ります.そして、国民を被曝から守るのにとても大切なことなので、1年10マイクロシーベルトより多い物品を「普通に」扱った人は、懲役1年以下の刑事罰が科せられます. つまり、文科省大臣も、指導課長も「犯罪人」であることが判ります。そして「犯罪」であることを知ってそれに従った校長先生もまた実質的には犯罪人です。官僚は言い訳をしますから、その対策も示しておきます.•1) 1年1ミリシーベルトという規制は「放射性物質を扱う会社など」に求めているもので、学校や野菜などは対象にされていませんが、「危険性」という意味では同じですから、「1年100ミリまで安全と言われています」のではなく、「1年1ミリまで安全と言われています」が正しい。法律の対象が誰であれ、人間と放射線の関係は変わらないから。•2) クリアランス・レベルは輸入品や原子炉からの廃棄物などが対象ですが、これも「日本国民を被曝から守る」という限度が1年10マイクロシーベルトだからこそ、法律があり刑事罰があるのです。これも法律の対象はともかく、社会にどのぐらいの危険性があるかということは変わらないから。私たちの子供の健康を犯罪人に任せることはできません。また、識者の方は是非、声を上げて子供を守ろうとするお母さんを応援してください。(平成23年6月8日 午前10時 執筆)武田邦彦
2011年06月08日
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科学者の日記110608 夏を迎えて夏を迎えて被曝量を減らすために色々、やらなければならないことがあります。政府、自治体、学校などは、子供達を何とか被曝させようと必死なので、それに対抗して大人がやらなければなりません.・・・・・・・・・•1) エアコンエアコンはフィルター、ファンのところに3月の放射性チリが付いていますので、良く掃除をする必要があります。部屋の空気を循環するのは被曝という点では問題はありませんのでエアコンの使用は大丈夫ですが、その前に室内の空気が循環して床や壁、家具などに付いている放射性チリが舞い上がらないようにあらかじめ水拭きをしましょう。また外から帰ってきたときに着ていた服を着替えて部屋に入ると、その部屋の放射線量が下がるので、被曝量の少ない快適な生活を送ることができると思います。•2) 秋田と新潟のお米・・・どちら?できるだけ原発から遠い生産地を選びましょう。岩手、秋田、新潟、長野、山梨、愛知より外側は大丈夫です.秋田と新潟は米所ですが、両方とも安心です.•3) 除去した土や草夏には風が吹くので、表土(5ミリぐらい薄くとる。3ヶ月ぐらいたったたら2度目(原発にカバーがかかった後))と雑草は取ってきたいとおもいます。除いたものは本来は東電が持って行くのですが、今はダメなのでビニール袋に入れて庭の片隅にかぶせる土が20センチぐらいになるように埋めておきましょう.そのうち、回収に来ると思います。•4) メルトスルー(原発の燃料溶融)日本政府はIAEAはごまかせないので、昨日、1号機から3号機がメルトスルーしていると報告しました。国民は裏切り、海外には本当のことを言うという困った政府です.メルトスルーもメルトダウンも、燃料破損も同じ事で、原子炉の中が壊れたと言うことです。あまり細かい用語は無視しましょう。私のブログに3月20日頃、原子炉はもう危険なことは無いだろうと書いたのがこのことで、原子炉は3月20日ぐらいには壊れていました。だから、今回、ウソがばれただけで、事実は3月20日にはわかっていたことですから、現実は危険でも無く、何も変わりません。強いて言えば、7月に原発に網をかければ、私たちは完全に原発を忘れても大丈夫と思います.•5) 抗議こそが力になる(クリアランスレベル)各地の市長などが瓦礫を受け入れ、生協が汚染された野菜を売っています.このような行為は違法ですから、個別に抗議していく必要があります。いろいろなものが持ち込まれ、焼却炉で燃やされると煙に放射性物質でてきます。•6) 緊急時では政府はなにかしているのか?政府は一刻も早く福島に実働部隊(消防など)を派遣して、汚染を取り除く必要があります。何もしなくても良いように、1年1ミリの基準を上げるなどの姑息なことをするのではなく、「旧に復する義務」が政府と東電にはあります。補償や役人の処分も大切ですが、それより福島や茨城をまずは「旧に復してください」。•7) 休みを取る人間の体は放射線の低いところに行けば、今までの被曝によって起こった損傷を修理します.家族で日本海側にドライブに行く、標高の高い高原で遊ぶ、夏休みを利用して北海道や九州に行くなど、いろいろ計画をしてください。お金や時間の都合が付かない人は、「ミニホットスポット」を調べて、7月からの行動パターンを考えただけでも被曝は3分の1ぐらいになります.•8) 海水浴、釣り宮城沖から静岡沖までの海水浴と釣り、サーフィンは今年は控えた方が良いでしょう。いま、ワカメ、コンブがかなり汚染されていて、危険性が不明な状態です.こんな状態が長くは続きませんから、今年は日本海側の海か、山の方で遊ぶ方が良いと思います。•9) シッカリして気楽な生活注意点は少なくなって来ました。風の日のマスク、雨の日の水たまり、牛乳と魚、原発近くの食材、汚染を表示しないスーパーを避ける、ミニホットスポットを覚えておく、公園に行かない、ヤブに入らない、少しずつ進める除染、生活の習慣の中に取り込み、何気なく生活するようにしたいと思います.気楽な気分になることも修復力を高めます.強いて言えば「楽しいお掃除、楽しい除染」という感じです.宣伝ではありませんが、原発の考え方の本を一通り出しまして、今、「被曝から身を守る」などさらに現実的なことを書いています.並行して知識を増やすのも必要と考えています.(平成23年6月8日 午前11時 執筆)武田邦彦
2011年06月08日
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科学者の日記110607 「原理原則」は大切なこと「放射性物質は、煮ても焼いても減らない」「放射性物質があれば、被曝量はそれほど変わらない」という原理原則が少しずつ浸透してきたようです。松戸市では市が教育施設などの放射線量を測って、除染を始めるそうです。とにかく取り除けばそれだけ被曝量が減ります.「国が安全と言っています」としていても市は綺麗になりません。福島の北の方ではPTAと消防団が一緒になって、溝などを除染して大きな成果を上げています.地域の協力が加わり、素晴らしいことです.減った分だけ被曝が減りますから、今後、何10年とその土地に住む子供達にとっての最高のプレゼントでしょう.・・・一方では、せっかく除染しても周囲から放射性物質の粉が飛んできて、同じような値になったところもあります。でも、放射性物質は無くなりませんし、そこにあれば被曝します.とにかく少しでも減らしていって、早く元に戻さなければならないでしょう。個人の住宅などは個人の力でできますが、地域全体はやはり国が主導しなければなりませんが、どうも動きが鈍いようです.むしろ、「放射性物質を含む瓦礫を全国に拡散する」「放射性物質を含む食材を「安全だ」と言って全国に拡散する」「疑わしい乳牛などを移動させて、さらに牛乳の汚染状況を難しくする」などの反社会的な行為を市長や知事が先頭になって行っているのも困ったものです。「汚染された野菜を全国に出荷する」というのは、「福島原発にあった汚染物質が、福島の土地に降り、それを吸収した野菜を全国に運搬し、結局、福島原発の汚染物質を「野菜」という媒体に乗せて、全国を汚染している行為」なのです。「福島原発のものは福島原発へ」というハッキリした方針を立てて欲しいものです。・・・・・・・・・瓦礫などを移動したり、処理したりするためには、国が定めた「クリアランス・レベル」を下回らなければなりません。それは、1年に10マイクロシーベルトが基準です.これも懲役刑を含む法律で定められているぐらい、人体に影響があるのです。つまり法律で定められた罰則というのは、罰せられる行為が社会に影響を及ぼす程度によって決まっています.クリアランス・レベルを超えるものを取り扱っても、社会に影響がなければ懲役刑などを科することは出来ません。その点で、瓦礫を移動したり、処理したりするのは、人体に影響を与えるから懲役刑なので、それは福島原発事故があったから変わるようなものではないからです。・・・・・・・・・ところで、私が厳しいことを言うものですから、放射線の強いところに住んでおられて移動できない人から、かなり厳しい指摘を受けます。それについて一言、私の気持ちを書きたいと思います.私には本当にはお気持ちが判らないかも知れませんが、おそらくストレスの強い、辛い日々と思います.でも、もし今、「100ミリでよい、20ミリで良い」となると、東電も政府も自治体も土地を、そのままにして以前に戻そうとしないでしょう。それは、これから100年(半減期の30年の3倍)もの間、私たちの子孫が汚染された土地で生活することになります.農作物もずっと「汚染されたもの」というレッテルを貼られます.それは農家の方にとって耐えられないことでしょう.チェルノブイリでは25年経って、今でも汚染地帯は無人ですが、日本はそんなことは出来ません。だから、今、少し辛くてもこれまでの基準を守り、国際的にも問題がない、綺麗な大地を取り戻すことだけが大切ではないでしょうか?どこまで綺麗にできるかは不明なところもありますが、単なる「粉」が土の上にあるだけですから、国が全力を挙げて「粉」を取り去る行動をするべきです。東電の責任、賠償問題、それに国会などでは官僚の責任問題に関心が集まっていますが、私は責任問題を議論する前に、まずは福島を綺麗にして欲しいと思っています.官僚を処罰しても汚染された土地が残れば、被害は続くからです.・・・・・・すでに日本政府はムチャクチャになっていますが、かくなる上は次の選挙まで国民は「政府はいない」ということを覚悟して自衛に勤め、次の選挙では本当に国民の健康を考えてくれる人に投票したいものです。(平成23年6月7日 午後3時 執筆)武田邦彦
2011年06月07日
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放射線防護はどのように進んできたか? もともと「原子力」というのは110年前にキュリー夫人がラジウムを発見するまで、人間はまったく気がつかなかったものです。 さらにアメリカが原子炉や原子爆弾を作る前には「普通の人が放射線で被曝する」などということも無かったので、「どのぐらい被曝したら危険か」ということもまったく念頭に無かったのです. ところが、広島長崎の原爆があり、原子力発電所が開発されるにつれて「どうも、放射線をあびると健康を害するらしい」ということが判り、戦争が終わってから3年後に、 「被曝限度を決め、一般公衆はその10分の1にする」 という原則をアメリカ放射線防護委員会が決めました。 ・・・ まもなく国際的な基準はアメリカから世界(ICRP)に引き継がれ、10年後(1958年)には、 「一般公衆には小児が含まれるので、1年5ミリシーベルトを限度とする」 というのが決まりました。この頃までは「遺伝的異常、白血病」が中心で、まだ「ガン」はあまり検討されていませんでした。 その後、ICRPは1965年、1977年と勧告を出し、徐々にガンの発生率も考慮されるようになり「1年1ミリシーベルト」が定着してきました。 そして、1989年のパリ宣言を経て、1990年に完全に「1年1ミリシーベルト」になり、それが今日まで続いています. もちろん、この勧告の中には、自然放射線の影響、特に自然放射線が高い地域の問題、放射線以外の危険との関係(足し算)なども慎重に考慮されています. 日本で福島原発を境に「放射線は危険だ」ということから、急に「安全だ」に変わった多くの専門家がいます。その人達は「自然放射線が高い」、「ラドン温泉がある」などと言っていますが、もちろん、そんなことは初歩的なことですから、1990年勧告自体でよく検討されています。 ・・・・・・ 自由で安全な海外旅行をするためにも、海外の水のペットボトルを買うにも、そして食品以外のものでも、安心して行動するためには国際的に共通した基準がいるのは当然です. 従って、国際勧告に基づいて、国内法が整備されます. 日本の法律は昭和32年にでき、昭和63年に大幅に修正されていますが、いずれもICRPの勧告に沿ったものです。 現在では、ICRPの1990年勧告にもとづいて、2000年10月に「放射線同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」が改正され、国際基本安全基準(BSS)にそって2004年6月に放射性同位元素の下限の数量が決められています。 ・・・・・・ 先進国として当然ですが、日本も国際的な合意にもとづいて国内法を整備しています. ある(真面目な)公務員が私に「被曝を規定する法律が日本にあるのですか?」と質問してきました。これには少し驚きました。 そして、法律を作り、それを守るべき国会議員や地方公務員が、以上のような経緯も知らず、「文部大臣が大丈夫と言った」というようなことで、子供に被曝をさせていますが、「日本の文部大臣」が、長い歴史を持つ「放射線と人体の健康」について、新しい考えを出せるはずもないのです。 最近、地方自治体で「1時間1マイクロシーベルト以下だから安全だ」と強弁する市長や役人がいるようですが、その発言は必ず記録にとり、もし、数年後に障害が出た場合、「法律を犯して市民の健康を害した」ということで、せめて責任を追及し、障害を受けた人を救いたいと思います。 でも私は、本当は「日本人が、日本人をいたわる心、誠実な言動」に期待したいのです. 上記のこれまでの歴史から判るように、 1時間0.1マイクロシーベルト以下なら安全、 1時間0.6マイクロシーベルト以下ならかなり注意すればなんとか、 という関係は国際勧告、国内法、これまでの研究の結果、動かないのです. また、子供は「放射線だけが危険ではなく、その他の危険を合計して守って上げなければならない」という「足し算の原理」があります。 日本のかつての水道の基準には、 「1年1ミリシーベルトが被曝限度だが、日本人は水道だけを飲んで生きているのではない。だから、水道の基準はその10分の1にして、1年0.1ミリシーベルトにする」 という明確な哲学がありました。 水道は水道局のものではなく、水道を飲む人のものだということが良く理解されています. それから見ると、文部大臣(学校だけのこと)、市役所(自分たちだけのこと)、知事(生産者の売り上げだけのこと)など、情けない限りです. (平成23年6月7日 午前10時 執筆)武田邦彦
2011年06月07日
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科学者の日記110605 今、もっとも重要なこと原発事故から2ヶ月半、今、もっとも重要なことは「日本人の被曝量を少しでも減らす」ということだ。それは「被曝量に比例してガンが発生する」という「コンセンサス」があるからで、それが「医学的に判明したこと」ではなく、「医学的にハッキリしないので、医学者が中心となってコンセンサスを得たもの」だからである。最近、「それはコンセンサスであって、医学的に明らかになっていない」という逆の説明が良く行われる.それが日本政府に利用されて、「子供でも20ミリ(本当は内部被曝を入れると50ミリ相当)まで大丈夫」という言質を与えることになった。放射線関係の医学者や関係者に自制を促すとともに、コンセンサスに基づいて、今、もっとも重要なことを確認しておきたい。・・・・・・・・・確認すると、国際的なコンセンサスは法律になっていて、放射線の被曝については、•1) 1年に1ミリ以下なら安全(全ての放射線関係の国内法)、•2) 1年に10マイクロ以下のものなら「汚染されていない」とできる(クリアランス・レベルの法律)、•3) 栄養十分、休養十分、健康管理下なら1年5.2ミリまでOK(管理区域の法律)、ということだ。すべて「シーベルト」が判る必要がある。ということは、少なくとも宮城から神奈川まで、できれば日本全体で「個人が被曝を計算できる」体制にしないと、せっかく「コンセンサス」や「法律」を決めても、実行することができない。シーベルトもしくはベクレルを表示すべきものは、•1) 高さ0.5メートルの空間線量•2) 地面の表面線量(呼吸による内部被曝計算)•3) 水道の汚染物質濃度•4) 食材の汚染物質濃度1)と2)はマップ(ホットアトムマップ)を作れば、全ての人が簡単に計算できる。3)と4)はヨウ素、セシウム、ストロンチウムが表示される必要があり、プルトニウムは一部、明らかになれば良い。実施するのはこの4つだけで、かつ「法律を遵守する」という意味で、この4つを表示することは政府、自治体にとって最低の義務である.つまり、日本の法律では「被曝量に合わせて、全ての事をする」と決まっている.だから、極めて単純で「被曝量を計算するために必要なデータは全て提供される必要がある」ということで、それにこそ税金を使うべきである.・・・・・・・・・私は各県知事が生産者側(短期的視野での)に立って「測定を拒否」したり、1年20ミリシーベルトなどといういい加減な基準を作るのに熱心であるのは間違いで、「正確な測定値を早く示す」ことに全力を挙げるべきであることは法治国家の政府として最低の義務である.「素直で誠実」な政府と自治体を求める!!(平成23年6月5日 午前9時 執筆)武田邦彦
2011年06月06日
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「安全病」患者リスト・・・子供を被曝させたい人たちこれまで長く原子力関係の仕事をしてきましたが、その時に「被曝はいい加減でよい」などという専門家は一人もおられませんでした。厳密に定められた法律を守らないとこっぴどく言われたものです。でも、福島原発事故が起こるとせきを切ったように「安全病」が専門家のあいだに急激に感染し始めたのです.安全病とは、「危険でも安全と平気で言う」という新しい精神病で、病気は官房長官、経産省の原子力安全・保安院あたりから出たようです.今では、「安全病」患者が、専門家はもちろん、今まで放射線についての知識がなかった人にまで拡大しています.今日も、あるテレビを見ていたら、「年間、数ミリシーベルトですから、健康に問題はありません」と言っている大学の先生がおられ、テレビもその人を「専門家」として紹介していました。1年1ミリシーベルトは「全員の合意」として「被曝限度」とされ、「国際勧告」と「国内の法律」で定められているのに、どういうことでしょうか?自分の趣味だけで、人の命を左右することを言うのですから、大変なことです。やはり深刻な精神病としか思えません.・・・・・・・・・すでに感染した人のリストを示します。感染は「国に近いか、お金をもらっている」、「子供達より自分のことが大切」などの人に抵抗力が無いようです。【「安全病」患者リストと主たる症状】•1) 自治体のお役人・・市民の問い合わせに対して法律を勉強せずに「安全です」という奇妙な症状を示している、•2) 校長先生・・保護者の問い合わせに対して「文部大臣が」と答えている。文部大臣より法律や決まりが大切、•3) 放射線医療関係者・・講演会などで1年100ミリまで大丈夫と奇妙な言う症状を示している。1年1ミリを決めて、今までそれを守るように言ってきた人なので、かなり重症、•4) 大学の先生・・かけ算、足し算をせず、空間からの線量率だけで、食事も何もしないということを盛んに言っている.新しいことを言いたいという潜在的な欲求が症状を示している、研究費の獲得も感染の原因になっている、•5) NHK・・受診料を強制的にとっているので、他の報道機関と全く違う.未だに法律には触れない特殊な症状、受診料は国民からとっているが、予算の承認は国会だから、国会に顔が向いているのが感染の原因と推定される、•6) 朝日新聞・・これまで一貫して「危険病」といっても良いぐらい放射線については厳しかったのに、普通の原発の漏れの20億倍になると、突然「安全病」に感染した、3月12日に福島の記者を待避させたとの情報もあり、疑似感染の可能性もある、•7) 政府・・感染の発症点。隠匿体質と国民を人間と思っていない潜在的な考えが病気を生んだと考えられる、•8) 大人・・大人は郷土や土に愛着があって汚染された土地を離れられない。それはよくよく理解できるが、だからということで子供を道連れにする症状。子供は新しい土地で元気に生きることができる、•9) 知事・・県内の生産者が票田なのか、汚染された農作物を子供に食べさせて被曝させることに熱心、•10) 市長・・汚染された瓦礫を汚染されていない地域に持ち込み、汚染を拡げることに熱心、早く、このような人たちを治療か、隔離しなければ感染が拡がり、国民の健康に大きな影響を与えるでしょう。治療薬はただ一つ「良心」です。・・・・・・・・・このような安全病の患者さんが多い中で、むしろ本来なら感染しやすい人が感染していません。その筆頭が「被災地の方」です。・・・農家の苦しみ・・・福島近辺の農家の方の多くが、汚染された食材を提供したくないという強い意志を持っておられます.たとえば牛乳を生産している方で、原発事故以来、決して汚染された牛乳を出荷しないと言う決意で生産を中止している人もおられます.でも、自治体が「汚染された牛乳でもよいじゃないか」と言って、測定すらしてくれません。「安全病」に感染していない役人に変わらないと苦しみが続きます.・・・保護者・・・ある地域で消防団と保護者が一緒に溝などの清掃をしました。素晴らしい結果で、放射線量は3ミリ台から1ミリ台に激減しました。それぞれの人が仕事で忙しい中、東電が「汚いものを片付けに来ない」という苦情も言わずに黙々と子供達のために行動を起こしています.・・・・・・・・・本来、政府ができるだけ早く、福島全県の除染を国家を上げてやれば、大きな成果を上げるのは間違いありません.どうしてもやらない場合、私たちは投票という形で力を発揮しなければ感染は止まらないでしょう.(平成23年6月5日 午後11時 執筆)武田邦彦
2011年06月05日
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原発事故中間まとめ(3) 原発が壊れていった時先回、通報が早かったら多くの人が被曝を減らすことが出来たのにということを書きました。でも、実際には運転主任も発電所長も公設消防には連絡せず、おそらくは本社に連絡をとり、本社もまた「自分たちは日本人だ」ということには思い至らず、「自分たちは東電社員だ。日本人に迷惑をかけてもかまわないが、東電を痛めることだけはできない」と判断したのでしょう。民主主義と言い、「民主党」という名前の政党が政権を取っているのですが、まだまだ日本は国民が主人ではないようです。・・・ところで、3月11日夕刻、原子炉を循環することができないと判ったとき、発電所幹部はどのように考えたでしょうか?原子炉というのは厚さ約15センチほどの頑丈な鉄の塊で覆われ、その回りを「格納容器」というこれも頑丈な容器に囲まれていました。だから、水が漏れたりしても大丈夫なのですが、唯一、「高圧ガス」が漏れるとどうしようもなかったのです。普通なら、ガスのないところから高圧ガスが発生することはないのですが、液体や固体が分解してガスがでると高圧になることがあります。良く知っているように、水は分子量が18ですから、18グラム(約18cc)で1モルになります。コップの10分の1ほどの量の水ですが、これが分解して「水素ガス」がでますと、温度が低くても22.4リットルにもなります.22400÷18=約1200つまり、水が分解して水素を出すと、その体積は1200倍にもなるということを意味しています.ただ、ガスは圧力が上がると体積も小さくなりますので、圧力が12倍になると、体積も100倍ぐらいになります。いずれにしても、水が分解して水素になると急激に圧力があがり、体積も増えるので、原子炉内には閉じ込めておくことは出来ません。原子炉内で発生した水素が放射性物質で汚れていなかったら、それを屋根の上に放出してしまえば良いのですが、それとともに放射性物質を出すので、おいそれと出すことも出来ません。普通は水素が発生したら、それを逃がす装置もあるのですから、何しろ地震が来たので、どれもこれも壊れているのです.・・・・・・・・・装置の安全性を考えるというのは実に難しいもので、素人が少し考えたぐらいでは安全性を判断することは出来ません。たとえば、原子炉の圧力が上がってくると、それを逃がす必要がありますが、放射性物質を処理しなければ外へは出せません。また、電源が喪失したときに「ベント」(普通は単にガスなどを外に出す出口のようなものを指しますが、放射性物質が含まれているので、単純ではありませんが)を自動的に閉めた方が良いのか、それとも手動か、手動と言っても放射線が強いので、実際には人間が近づけないか・・・など多くの場合があります.今回の場合はベントは自動的に「閉」だったようですが、これもなかなか難しい面があります。・・・・・・・・・ここで書きたかったのは次のことです。電源が喪失して冷却が出来なくなり、水素が発生しだしたとき、このような原発の構造を知っている人は、瞬時になにができるのか、何が起こるのかが判るのですが、他人には判断出来ないということです。ここでいう原発の専門家も含んでいます.政治家、評論家、一般の人はなおさら判りません。専門家も判らないのは、ある一つのバルブがどこにあるか、それが手動なのか自動なのかなどによって、局面はまったく変わるからです.結果から見ると、電源喪失から水素爆発まで一直線だったのですが、これが本当にどういう内容を持っていたのか、今後の研究で明らかになっていくでしょう.私たちの知るべきことは、「今の原発は安全性が不十分だ」という事実をそのまま受け止めることと思います.(平成23年6月5日 午前8時 執筆)武田邦彦
2011年06月05日
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海の汚染の考え方と問題点海の汚染が難しくなってきました。「難しい」というのは、魚や海藻が食べられなくなるという意味ではなく、人類が初めて体験する「海の汚染」というものが、かなり複雑な様相を見せそうだということです。陸に降り注いだ放射性物質もややこしいものですが、それでも畑に降った「粒」は次第に地中深く下がっていくだけですし、そこに植えたホウレンソウも足がないので「歩きません」.でも、海は、「海流が激しく、魚が泳ぐ」という二つの動きがあり、さらに「深さ」もあるので、なかなか考えるのが難しいのです.それに加えて、「東電の妨害」があります。東電はすでに福島原発から漏れた水の分析を終わっていると思います.その水は原子炉の中を通ってきていますので、蒸発しやすい核種(軽い元素か化合物)も、沈殿しているもの(重い元素や化合物)も両方を含んでいると思います.具体的に言えば、ヨウ素、セシウム、ストロンチウム、プルトニウムは含んでいるのは間違いない。あまり期待していないが、国民の健康のため発表を求める必要があります。「海を分析する」より「東電から何が漏れたか」が判る方が正確に事実を把握できるからです。・・・・・・・・・海に漏れた元素はヨウ素、セシウム、ストロンチウムが主で、ヨウ素は海藻に、セシウムは中型から大型の魚の肉に、ストロンチウムは小魚にたまり、それが人間の体に入り、ヨウ素は甲状腺、セシウムはいろいろなところ、ストロンチウムは骨に入るでしょう.今のところ、福島から千葉以外の海は強く汚れていることはありませんが、今後の動きに注意しなければならないと思います。私は年齢的にもそれほど注意しなければならないことはないのですが、小型の魚は避けるようにしています.・・・・・・・・・ところで、問題は「地産地消」や「風評」のかけ声で生協やスーパーが全国に運んでいる汚染された食材、検査を拒否したお茶の葉、瓦礫、それに魚、海藻が「ゴミ」として捨てられ、それが「焼却炉」で焼かれると、その煙のなかには移動した分の放射性物質がそのまま出てきます.放射性物質のやっかいなことは「煮ても焼いても、無くならない」ということです。「なにかを使って放射性物質を除く」というのは、「無くなる」のではなく、「別の場所に移す」ということです。もっとも問題になるのは、「海水にでたプルトニウムが、魚に取り込まれ、それを調理したり、食べた人が残りを生ゴミに出し、焼却した場合」です。プルトニウムは胃に入ると、人間は消化器からは取り込みませんから危険は少ないのですが、プルトニウムの微粒子が肺に入ると肺ガンになります.つまり、プルトニウム問題は魚を食べることより、たとえば魚を裁いたり食べたりした残りを生ゴミに出し、それを自治体が焼却すると、プルトニウムの微粒子が自治体の焼却炉の煙突からでて、肺に入ると言うルートです.これはかなり問題になるでしょう.まだ、環境省はもちろん、各自治体も「放射性物質で汚染されたものを移動する」ということがどのような影響を与えるか、ほとんど考えてはいません。彼らは、縦割り行政の中で、日本人の健康とは関係なく、自分たちの仕事だけが片づけばよいというどうにもならない考えだからです.・・・・・・・・・海の問題のもう一つやっかいなものは、「ストロンチウムやプルトニウムは測定に時間がかかるので、魚が腐った後、測定値がでる」ということです。お寿司屋さんなどはどうなるのかと心配です.海が汚れてきて、魚から放射性物質がでるようになると、「刺身や寿司」はすべて冷凍の魚を使わざるを得ないでしょう.つまり、検査結果が出てきてから食べるしかないからです.福島原発のことで、日本の食の伝統が守れなくなるかも知れません.・・・・・・・・・海の汚染は、イカナゴから始まり、今は藻類がもっとも汚染されているようです。これから6月になると中型の魚、7月は大型と順次、移ってきます。魚や海藻、貝は日本の食生活の中心をなすものです。東電がデータを出すのはもちろん、政府の機関は全力をあげて魚の放射性物質の測定をして、確実なデータを早く提供して欲しいと思います.(平成23年5月29日 午前9時 執筆)武田邦彦
2011年06月04日
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武田邦彦教授の原発について 6月11日 紀伊國屋ホール講演会すみません。定員になったようです。6月11日、東京、新宿の紀伊國屋ホールにて講演会があります。日時: 2011年6月11日(土)19:00開演(18:30開場)会場: 新宿・紀伊國屋ホール(紀伊國屋書店・新宿本店4F)料金: 1,000円(全席指定・税込)前売: キノチケットカウンター(紀伊國屋書店・新宿本店5階受付時間10:00~18:30)電話予約: 紀伊國屋ホール 03-3354-0141(受付時間10:00~18:30)主催: 紀伊國屋書店協力: KKベストセラーズ詳細は添付のファイルをご覧ください。「ShinjyukuSeminar611.doc」をダウンロード
2011年06月04日
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原発事故中間まとめ(1) 爆発が判った瞬間福島原発は2011年3月11日午後3時頃、震度6の地震に見舞われ、施設の一部が破壊されました。その後、1時間後に約15メートルの津波がきて、さらに大きな損傷を受け、続いて翌日の水素爆発で破壊しました。このように連続的な打撃を受けたので、現在の時点で、どこがいつ破壊されたかを正確に判断することはできず、今後、事故調査を通じて徐々に明らかになっていくでしょう。私は、福島原発が日本の他の原発と同じように、耐震性、耐津波、そのほかの自然災害やテロなどに対して、非常に弱くできているので、震度6の地震や15メートルの津波という「普通に起こる自然災害」で大きな損傷を受けると考えていました。だから、福島原発が地震で壊れても、その点についてはそれほど驚きはしませんでした。まったく自慢するつもりはありませんが、すでに2年以上前に、幻冬舎のご厚意で「偽善エネルギー」という本を出し、そこで「原発は地震で倒れる」ということを書いていたからです.「震度6、15メートルの津波」は日本人の常識ですが、原発では「想定外」だったのです。・・・・・・・・・いずれにしても、11日の地震と津波で損傷し、原子炉を冷却することが出来なくなりました。地震直後のことで、現場はかなり混乱していたと思いますが、私が大きな原子力施設の責任者をやっていた経験では、自分の装置は手に取るように判るものです。特に、弱点というのは何時も気になっているので、あることが起こるとそれによって連続的に続く「まずいこと」は走馬燈のように頭に浮かぶものです。事故後の詳細を時間と共に整理している新聞を読んで、私は次のように思いました。•1) 11日の夕刻には、責任者(発電所長や運転主任)は12日に原発が爆発することが判っていた(理由は後に示す)、•2) 爆発によっておおよそ10京ベクレル規模(原発1基がその中に抱えている放射性物質の1000分の1程度)の放射性物質が漏れることが判っていた、•3) 福島の人に避難命令をだすことは原発の責任者には出来ないので(制度上、間違っているが)、東電本社から直ちに政府に連絡が行ったのは間違いない。•4) 福島県知事も11日の夕刻の時点で、12日に原発が爆発して大量の放射性物質が漏れることの連絡を受けたはずである。仮に11日の夕刻(18時頃)の時点で、発電所長からの「爆発予告」に対して、政府と福島県が国民や県民に誠実だったら、直ちに気象庁に連絡して、風向きを調べ、原発から西北(福島市方向)、および南(いわき市方向)の人たちに対して避難指示をしたと考えられます.・・・・・・・・・多くの人は「政府や役所というものは、ことが起こらないまで隠すものだ」ということを経験的に知っていますが、原子力だけは「原子力基本法」によって「民主、自主、公開」という原則が貫かれていて、それを約束して政府は国民から「原子力をやって良い」というお墨付きをもらっているのです.だから、11日夕刻の時点で、政府は「福島原発が12日に爆発して、大量の放射性物質が漏洩する」という発表を行い、直ちに風下の住民の避難準備(バスを用意する)、畑の養生(田畑の上にビニールシートをかぶせる)などができたはずです。「危機管理」とはそういうことです。危険が起こると考えられるものについては、「危険が来る前に、危険を予想し、準備し、演習する」ということで、単に「危険がある」と口で言っているだけではありません。このことは、今、まだ運転を続けている日本の原発にも必要なことで、出来るだけ早く政府と自治体は「予想、準備、演習」をしなければなりません。まして、原発が自然災害で倒壊し、「施設が破壊し、大量の放射性物質が漏洩し、住民が被曝する」というのは予想されていて、それが「地震指針の説明」に載り、さらに閣議の了解も得ているのです。・・・・・・・・・現在の時点(2011年5月末)で、もっとも大切な事は、福島原発の教訓を活かして、原発を運転している地方では、•1) 発電所は原発の爆発が予想された時点で、その事実を直接、社会に公表できるようにする、•2) 直接、公表して、実際に事故が起こらなくても咎められず、発表せずに事故が起こったら、懲役になるというシステムを作る、•3) 原発の所長は、社会に公表してから東電本社、政府などに連絡する(このことは私が会社に入ったときに受けた「火災と通報」の記事に詳しく書いてあります)、•4) 発電所長の公表によって、自治体は直ちにあらかじめ準備し、演習していた避難を開始する。避難の途中に事故の可能性が無くなったら、通常の生活に戻る.この場合、避難した国民は電力会社に損害を請求しない、などをする必要があるでしょう。地震から1日の間、私たちはずいぶん、のんびりとしていたことが判ります。でも12日には私のところに、「逃げた方が良いか?」という多くの問い合わせがありました。よく考えている人は、最初から事実をよく把握していたのです.(平成23年5月31日 午前10時 執筆)武田邦彦
2011年06月03日
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3つのホットスポット 放射線を発する元素を「ホットアトム」と言います.もう少し専門的に言うと、放射線を出した元素は、その直後は特別な状態にありますので、それを「ホット」と呼びます(学問的用語). 一方では、福島原発からの放射性物質は重さ形も「火山からの噴煙(灰)」のようなものですから、風にながれて、まだらに地表に落ちました。これを「ホットアトムが多い場所」という意味で「ホットスポット」と呼びます.4月からこのブログでも呼びかけて来ましたが、それを整理してみました。・・・・・・・・・ 【ビッグ】 今回は福島原発から西北に流れ、福島市まで行ってから南に流れ、二本松、郡山に達しました。 学問的には今後の研究によって明らかになると思いますが、4月初旬に放射線の増え方を見ていたら、その後、白河や宇都宮の横を流れ、柏市から松戸、三郷、葛飾、浅草、文京から新宿まで流れたような感じでした。 4月にこのような地域から「地面の放射線が強い」など読者からのメールをいただきました。 ・・・・・・・・・ このような放射性物質の流れは、1000メートルということではなく数100メートルの高さのようで、山は越えられないようです。また、下降気流や雨、ビルへの衝突や気流の乱れなどで、ときどきまとめて地表に降りたようです. このような場所を「ホットスポット」として意識すれば、被曝を少なくする手段があることになります。 ・・・・・・・・・ 【ミニ】 さらに、地表に降りる時に、これもまた気流の関係で「まだら模倣」になり、福島の小学校でも校庭の放射線が強い場所と弱い場所がありました。 5月になると、さらに地表に落ちた放射性物質が雨、風や人間の靴などによって運ばれて「二次的に集まる」ようになり、そこに「ミニ・ホットスポット」が出来ました。 つまり、 •1) ビッグ・ホットスポット •2) ホットスポット •3) ミニ・ホットスポット の3つがあります。このことを先日、「女性自身」(週刊誌)で説明しました。 ・・・・・・・・・ 【被曝の下げ方】 本当は政府(自治体ではない)がやらなければならないのですが、国会がああいう状態ですから、市民と自治体が「命を守るため」に緊急出動しなければなりません。 子供は誰かが守らなければならないからです。大人が犠牲(大した犠牲ではなく、法律的にできないとか、自分の職務ではないという程度のもの)になったほうが良いでしょう。 •1) ビッグ・ホットスポットに入っている人たちは、「除染する」、「コンクリートの建物にいる時間を長くする」、「時々、日曜日などは日本海側に休みに行く」などが大切です. •2) ホットスポットの中にいる人で、サラリーマンは朝、出勤してホットスポットからのがれますが、家庭におられる人は、「できるだけ放射線の少ないところに買い物や遊びに行く」、「家の回りだけでも雑草を取り、土の表面を少し削り、掃除をする」などが良いでしょう. •3) ミニ・ホットスポットは地図を作り、特に危険な箇所には黄色い枠などをするのも良いかも知れません。これには自治体や地域のご協力がいるでしょう。表土を除いて校庭の放射線が10分の1になった郡山市の小学校でも、溝の舛のところは、私が測ったら10倍もありました。こんなところは黄色い枠でもしておくと、児童が気をつけるでしょう。 問題もいくつかあります。 ビッグ・ホットスポットのご家庭はある程度、掃除をしたら周囲に全体的に放射性物質があるので、線量が下がらなくなります.その後は、少しずつミニ・ホットスポットを見つけて除染すること、「法律では放射性物質を取り扱う責任は国にある」ということをことある毎に国に言うことでしょう。 ホットスポットにあたるところは、自治体や商店街が中心になって除染を進めることです。 「どこが汚染されているか判ったら客足が止まる」など大人の都合を優先せず、「被曝する子供達を少しでも少なくするために、大人が犠牲になる」ぐらいの気持ちになってほしいものです。 また、正確な測定値ではないとなどと、理屈をこねていると、その間に子供達が被曝します。少しいい加減でも実行が大切です. ・・・・・・・・・ いずれにしても、放射性物質は「噴煙の灰」ですから、それが目に見える(本当は見えませんが)ようにお父さん、お母さんが感じることができれば、今後も状態が変わっていきますから、良いと思います. なにしろ、郡山の小学校のように、「除染したら何分の1」、「溜め舛に近寄らなければ何分の1」になるのですから、積極的に考えて「被曝しない貯金」を増やしてください。 ・・・・・・・・・ 空気中の放射線は激減しましたので、マスクは要りませんが、「かつて空気中にあった粒は、同じ量が地面に落ちているのですから、 •1) 子供を地面に近づかせないこと、 •2) 風の強い日は地面の放射性物質がまき散らされるのでマスクをする、 •3) 雨の日は地面の粒が流れて水たまりに移動するので子供が水たまりで遊ぶのを注意する、 •4) 母乳の人は自分が吸い込むと赤ちゃんに行きますから、気を配ってください。放射線は注意をすれば怖がることもありません、 などが必要です。 (平成23年6月3日 午前8時 執筆)武田邦彦
2011年06月03日
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6月5日日曜日いわき市夕方の講演会のご案内いわき市夕刻の講演会のお知らせ下記のご連絡がありました。主催 いわき市青年会議所青少年生活環境向上委員会日 時 : 2011年 6月5日(日) 17時開場 18時開演 と ころ: グランパルティいわき 〒970-8036 福島県いわき市平谷川瀬明治町30 T E L : 0246-35-2000 「iwakisecond.pdf」をダウンロード武田邦彦
2011年06月02日
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科学者の日記110602 私たちは何を間違ったのか?目の前でこれほどの原発事故が起こったのに、まだ「原発は安全だ」を繰り返す人たちがおられます。 私たち(原子力関係者)は、何を間違い、どうしてこんなに多くの日本人の心と体を痛めたのでしょうか? 科学技術者は自ら好きなものを研究することができますが、それは多くの人に迷惑をかけないことが最低の条件です。 これほど大きな災厄(心配も含めて)をもたらしたのですから、原子力の関係者はこの事実を真正面から見つめることから始めなければならないでしょう。 「真実を見るには勇気がいる」(ダーウィン) たとえ、それが友人を失い、職を去らなければならなくても、科学者の誠実さはそこにこそあるからです。 ・・・・・・・・・ 第1に、「軽水炉」は「核反応が爆発的に起こる」ことが「自律的に防止」できると思っていたからです. 第2に、若干の誤解をもたらすかも知れませんが、簡単に言うと「崩壊熱を忘れていた」ということ、そして、 第3に、「技術は事故が起こることを考えておかなければならない」ということを忘れていたこと、 に集約されると思います. そして、知識もあり分別もある人たちが、こんな簡単なことを忘れた深層の理由は、 •1) 自分たちは偉い(判断力がある)と思っていた、 •2) 国の支援を受けていた、 •3) 原子力村の利権にまみれていた、 を上げることができるでしょう。 ・・・・・・・・・ 原子力発電の危険性は1にも2にも「放射性物質が漏れる」ということにあり、それを防ぐには「核爆発」を防止すれば良い、それがもっとも大切なことだという考えは、私も含めてほとんどの原子力の関係者が強く「信じて」いたことです。 私は日本原子力学会から、個人では始めて「原子力平和利用特賞」という輝かしい賞をいただき、それを誇りにしていました。原子力は平和目的で利用すれば人類に貢献できると信じていたのです. また栄誉ある賞をいただいたのだから、なにか原子力に貢献したいと思っていましたが、それがこんな形になろうとは私の知識も判断力も貧弱なものでした。 ・・・・・・・・・ やはり「軽水炉の過信と崩壊熱の軽視」が第一の原因でしょう. 発電用に使うウランは、燃料となるウラン235が3%から5%ぐらいしかありませんので、容易に爆発はしません。広島などで使われる爆弾には90%のものが用いられますし、「20%以上の者を兵器用」と言われているのです. でも、「水」があると低いウラン235でも爆発します。だから「水を減速材に使う軽水炉」というのが誕生したのですが、しかも「水」は反応が暴走し始めると蒸発して泡が出来、中性子を減速しなくなるので、そこで反応が止まるという特徴もあります。 この水のもつ余りに素晴らしい性質に目が奪われ、水を使っているなら大丈夫だという錯覚が生まれたのです. 人間はある錯覚にとらわれると、そこで思考が停止して、「軽水炉は少しの放射性物質は漏れるかも知れないが、チェルノブイリのようなことにはならない」と信じ込んでしまったのです。 誤解の無いように、全体像を示しますと、原子力の世界では今回のような事故を「シビアー・アクシデント」と呼んで、警戒をし、研究もしてきたのですが、どこかに「軽水炉はそんなことにはならない」という甘さもありました。 「核爆発」にとらわれて「崩壊熱によって水素または水蒸気爆発をして、それまでに炉内にあった放射性物質が大量に漏れる」ということに考えが到らなかったのです. ・・・・・・・・・ そして、今でもまだ多くの原子力技術者は思い至っていないのですが、「技術はどんなに信頼性が高くても、事故が起こることを想定しておかなければならない」という基本中の基本を忘れたか、あるいは考えたくないとしていたのです。 原発が事故を起こして、レベル7になっても、原発からでる放射性物質を巨大なフィルターを持った「放射性物質吸いとり器」でとったり、素早く多くの人を待避させたり、田畑にビニールシートを貼ったり出来たはずです. 若干の被爆者を出しても、すぐ健康診断をして防護措置を講じれば、放射線の障害も減らすことができます。 でも、現実は正反対になってしまいました。責任回避を狙った政府は、こともあろうに「健康に影響がない」と繰り返し、原子力の推進をしてきた学者も口をそろえました。 ヒコーキが墜落して、負傷者が苦しんでいたら、一刻も早く病院に運ぶのは当然ですが、「キズは大したことはない、化膿することもない」などといって放置していたのと同じ結果になりました。 ・・・・・・・・・ すべては準備不足でしたし、すべては判断が甘かったのですが、今でも同じ状態が「もんじゅ」も、他の軽水炉(原発)も続いているのに、どうも準備が始まりません。 地震や津波、そして洪水、想定外の竜巻や落雷など自然災害も多く、決して毎日が何も起こらないわけではありません。そしてそれは明日にも来るかも知れないのです。 なにをしているのか?と私はいぶかしく思います.専門家、自治体、そして電力会社は全力で「次の原発災害」の防止に取りかからなければならないでしょう。 また、「2度と起こらないだろう」などと思っていると、同じ事になります。 (平成23年6月2日 午後2時 執筆)武田邦彦
2011年06月02日
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原発事故中間まとめ(2) 原発事故の通報について考える第一回の中間まとめで「福島原発が爆発することが「現場で予想できた」時点で、発電所長か運転主任などが、直接、社会に通報する」ということを書きました。おそらく多くの人は「そんなこと、できるの?」という感じだったと思います。東電は会社ですから、「上司の許可を得る」ということが絶対で、特に会社に大きな影響を与えたり、評判を守ることに関係することは、上司の許可は欠かせないと考えられるからです.しかし、私がこのブログで書いたこと・・・私の若い頃の経験・・・から言えば、火災事故が起こる化学工業では、自分の身の回りで小火(ボヤ、小さい火事)が起きたら、•1) ボヤを自分で消せると考えるな、•2) まず、市営消防に電話しろ、•3) 次に、工場防災隊(消防車が2台)に通報しろ、•4) 3番に、上司に連絡しろ、ということだ。その理由として、私に説明した人は、「この工場は、「社会から認められて危険な化学物質を製造している.だから、危険が生じたらまず社会に知らせる」と説明した。若い頃の私はこの指導を受けて、ビックリしたし、また社会と企業との関係はこういうものかという点で、私の生涯の考えにも影響を与えました。・・・・・・・・・日本で石油化学工業、つまり大規模なコンビナートが産声を上げたのは戦後間もない1950年代でしたが、最初は火災事故や爆発事故がつづき、社会の反撃を受けました。そのため、たとえば次にできたコンビナートと社会の間には、「ベルト地帯」ができ、たとえ火災が起こっても、住民を脅かすことにならないようにとの「ハード面」での方策がとられました。そして「ソフト面」では、「火災が起こりそうだったら、市民消防に連絡する」という教育です.日本社会は消防が「防災」を担当しています.それが火災であっても、病気(救急)であっても、台風災害であっても、消防です.犯罪なら110、災害なら119というわけです。もちろんこのことは原子力でも同じです.化学火災に対して特殊な消防方法を使える消防は、原子力についても「強い放射線のもとで、原発事故を抑える技術と体制」を持っているはずです.今、福島原発では当然のように東電社員が事故処理を行っていますが、化学工場の火災事故では、すべては市営消防の指揮下に入るのです.なぜ、火災の時に「私有財産」である「化学工場」が、「公的な消防の指揮下に入る」という理由は、「社会に影響を与えるようになった施設は所有権が及ばない」ということを意味しています.・・・・・・・・・私は福島原発事故が起こった後、何回か「福島原発をなぜ国家の指揮下に入れないのか?」という疑問を述べてきました。すでに原発事故の影響は福島県を中心とした日本の広い領域に及んでいて、そこでの住民の被曝や生活に大きな影響を与えています.そのような場合に、公的な機関が「東電」を尊重しているということに強い違和感をおぼえるからです.また、最初に述べたこと・・・東電の発電所の従業員が直接、消防に爆発を通報する・・・というのも十分可能と思います.すぐ「そんなことをしたらパニックが起こる」と心配する人がおられると思いますが、「パニックが起こる」というのは、「事故を想定せず、準備せず、訓練していない」からであり、もっとハッキリ言えば、「原発事故が怖いから、想定もしない」という「逃げの姿勢」だからです。災害に向かい合う強い意志が求められます。・・・・・・・・・まだ、日本の原発は運転されています。もし、このまま運転するなら、「想定、準備、訓練」をすること、「原発従業員が、事故が起こりそうな時に、直接、消防に連絡すること」をまずすることでしょう。日本で原発を運転すること、それは「原発事故」を正面から見ることができる日本人の胆力にかかっています。そして、日本社会をすこし改善するために、「私たちは、企業人の前に日本人だ」という思想はすべての分野で適応することでしょう。(平成23年6月2日 午前7時 執筆)武田邦彦
2011年06月02日
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本当に同じ人?! あるアドバイザー(医師)の発言と論文ある県のアドバイザーの先生は「1年100ミリまで大丈夫」、「放射線は健康に良い」と言われています. 機会があって、その先生の論文(お医者さんの学会での講演をまとめたもの)を読みました。(タイトルは次の通り) 講演は患者が放射線の被曝を受けるCTスキャンなどを使うときにどのように考えれば良いかということが中心でした。 そこでは、次のように書かれています. つまり、レントゲンとかCTスキャンなどで患者が被曝することが多く、特に日本ではあまりに気軽に診察で被曝させていると警告しています. ヨーロッパではガンになる人の1%が医療によるもので、被曝量の多い日本ではそれが3%になるとしています. そして、この「3%」について、 「1%と3%で差がないと思いがちだが、3%というと日本人で9000人だから、交通事故よりも多い」 と警告しています. つまり、医療用に低い線量の被曝をしてもかなりのガンが発生しているとアドバイザーの先生は言っておられます. さらに、次の文章は、この先生のご講演などをお聞きになった福島の人は信じられないでしょう. このところでは次の4つのことが書いてあります. •1) 広島、長崎では低い被曝でもガンのリスクがある、 •2) 年齢が低いとガンの危険性が高い、 •3) 20才未満では、10ミリシーベルトで発がんが起こる、 •4) だから年間被曝量を考えてCTなどをとるのは危険。 ・・・・・・・・・ 先生に特別の意図があったのかも知れませんが、医者を相手にした学会では、10ミリシーベルトで危険と言っておられます. これは、「一般人で1年1ミリシーベルト、健康を管理していれば1年5.2ミリシーベルトにできる」という「日本の法律」に沿ったもので、これまでに長く言われてきたことと同じです. 10ミリで発がんの危険性があるのですから、一般的な基準値としては、レントゲンを撮ったりする人もいるので、その10分の1、健康管理していれば2分の1という値は適当なのです. なぜ、このように同じ一人の医師が、少なくとも見かけ上は違うことをお話しになっているのでしょうか? おそらくは福島では 「政府が決めたのだから、ガンになっても仕方が無い。だから100ミリまで」 ということで、医師に対しては 「ガンの危険性があるから10ミリ以上は使わない方がよい」 と話されたのでしょう。 考えさせられる論文でした。 •(注1) 論文の出所(日本臨床内科医学会) •(注2) 私は個人を批判することはしないようにしていますが、この場合は子供の健康に関係があることと、政府の20ミリになんの根拠もないことを示すために具体的な論文を示しました。 •(注3) 先日、このブログで秋田県の医師が心配しておられることを紹介していますが、日本の医師のほとんどの先生は慎重でよく考えておられます. (平成23年6月1日 午前11時 執筆)武田邦彦
2011年06月01日
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