一生の間に、強く心を惹かれるものとの出会いは、それほど多くはないのだと思う。 何か(誰か)を好きになることは奇跡みたいなこと だから、自分の心が強く惹かれたものには、嫌われてもいいから、傷ついてもいいから、ダメになってもいいから、素直に、正直に、恐れながらも、ぶつかっていきたい。 傷つくことを恐れる気持ちもある。思いがけない傷を負うことも、再起不能だと思う傷を受けることも、一度や二度ではない。 だが、私たちは、 いつの日か「傷つくことさえもできなくなる」日が、必ず来る 。
辞表を出した最大の理由は「 やりたいことよりも、やりたくないことが優先される人生なんてクソだ! 」と思ってしまったから。 意識的に失うことが決断だと思っている。何かを失わなければ、何かを得ることが出来ない 。
現状を打破する道はただ一つ、自分が恐れていることをやることだ。1日1F(恐怖心のfear)を実行することで、日々タフな自分になっていく。
他人の濁りを指摘するのではなく、自分自身が透明になる。変化を求めるのではなく、自分自身が変化になる。
やりたいことをやって死ぬのと、やりたいことを我慢して、ほどほどのところで生きるのと、果たして、どちらが生きたと言えるのだろうか?
我慢をしている人ほど肌は乾き、自由に生きている人を憎むようになり、自分が自由になる事よりも「他人の自由を奪う事」に意識が向かう
「自分が好きなことだけをやって生きるのなんて無理」などとよく耳にするが、みんな嫌いなことをやって生きているのだとしたら「嫌いなことをやっていても生きていける」訳だから、好きなことをやって生きるのなんて実はとても簡単なんじゃないかと思う。
やりたいことをやる、言いたいことを言う、会いたい人に会う。これ以上に優先するべき事柄はあるだろうか。 理想の日々は「今日も生きた」と思いながら毎晩眠りにつくことであり、死ぬ間際、「私は生きた」と思いながら、遊び疲れた子供が眠りに落ちるように、自分の人生に静かに幕を下ろすことだ。
周囲から幸せだと思われることと、自分が幸せになることは、根本的に違う。私は、前者を無視することに決めた。理由は単純、その人は生きていないからだ。
知性とは、孤独のことではないかと最近思う。知性とか、品格を感じる人には、「孤独」を感じるのだ。自分を貫けば人は必ず孤独になる。孤独とか、寂しさは同じ孤独や寂しさに出会ったとき、ぬくもりを生む。
何かに感動するという事は、自分も、そのようにあれたらと願う心の働きがあるから。 感動したものには、責任が生まれる。それは、自分が受けた感動を継承する責任だ。
自分を殺して生きるより、自分を出して死ぬ方がいい。
【感想】
大学を中退、会社も辞め、彼女に家を追い出され、一時的にホームレスになった経験も持つ筆者。この人は自分の気持ちに正直に生きているのが良くわかるから、言葉1つ1つがとても心に刺さった。少し道を逸れても、レールから外れても、何とかなる!と思わせてくれる1冊だった。再起不能だと思う傷を受けることも、一度や二度ではない。だが私たちは、いつの日か「傷つくことさえもできなくなる」日が、必ず来る。この言葉にはかなり心を強く揺さぶられた。
やりたいことをやるために、好きなものを好きだと言うために、僕らは生まれてきたんだ。 新品価格 |
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