宗教に関しては最近興味が出てきたこともあり、楽しく見ることができました。
その中で、もう大分前になりますが森総理(当時)の「日本は神の国」発言に関することが取り上げられていました。
(森総理の発言内容よりも、その発言に対するマスコミ等からのバッシングが印象に残っていました)
当時はマスコミなんかの叩きぶりを見て、森総理が日本のことを「神に守られた特別な国だ」というような趣旨で発言したんだろうなーと(あまり興味もなかったこともあり)受け売りで思っていたんですが、改めて考えてみると「日本は神の国」という言葉自体は何も間違った内容ではないんですよね。
この点については竹田恒泰さんが全面的に肯定していました。
さてこの話の流れで、竹田さんが 「日本は八百万の神に守られた国だ」というようなことを発言した時に、田嶋陽子さんが 「それは日本だけが八百万の神に守られているのか。他の国、民族は違うというのか」ということを質問していました。コレに対して若干話が噛み合っていない印象はありましたが、竹田さんは「他の国は違う。キリスト教の国を見てください、キリスト教では”最初に神ありき”なんですよ」というような説明をしていました。
田嶋さんは、おそらく、竹田さんに対して「日本だけが八百万の神に守られている特別な国だと根拠もなく考えているのではないか。日本だけを特別と考えるのは間違えているのではないか」というような事を指摘したかったんじゃないかと思いました。
それに対して竹田さんはさっきのようなことを繰り返し説明していた訳ですが・・・その説明にちょっと違和感がありました。
私の考えはこうです。
ただ、日本は、八百万の神が存在していると考え、大事に祀り、八百万の神に守られていると考えている。
そして他の国ではまた違う神の存在を感じ、信じている。
ただそれだけのことじゃないのかな?と思うのです。
神という存在があるとしたら、物理法則と同じで、世の中(少なくとも地球のオーダーくらいでは)の全てに等しく作用する存在なんじゃないのかな、と私は考えています。
ただ、それをどのように考えるかは人それぞれ。民族や宗派でそれぞれ。
だから田嶋さんの質問に対しての回答は、
「日本だけではなく他の国や民族のところにも同じく八百万の神が存在し、守られている」
「ただしその国や民族が”八百万の神が存在し、守ってくれている”と考えているかどうかは分からない。そう考えているかどうかが、日本とそれ以外の国や民族との差である。差は人間側にある」
ということになると思います。
というとりとめのない話でした。
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