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2016年07月21日
マギ 30巻 大高 忍 (※ネタバレ)
さあ!
待ちにまったマギの最新刊、 30巻 が発売されました。
表紙は、背中に大荷物を背負って旅人のような雰囲気を醸し出し、陽の光を浴びてキラキラと光っている少し大人びたアリババ。
帯には” 商人アリババ、新世界を大冒険!! ”のコピーが。
29巻は生き返ったアリババがシンドバッドに会い、次に、煌帝国の皇帝になった紅玉に会いに行くというところで終わりました。
戦争のない、金属器のない新世界でどのようなストーリーが進んでいくのか・・・。 急ぐ心を整えながらページを捲っていきました。
(読後の感想。ここからネタバレです)
最終章、最後の物語はアリババの旅から始まりました。
まだアラジン、モルジアナの行方は分かりません。暫くは静かにアリババの旅を見守るしかなさそうです。
30巻では、少しずつシンドバッドが築き上げた「平和な新世界」の様子が少しずつ明らかにされていきました。それは煌帝国からの視点であったり、アリババがかつて交流していた人物からの視点であったり、様々です。
何はともあれ「30巻も面白い!」ことは間違いありませんでした!
その中で中心になるトピックや気になった事項に焦点を幾つか当てて、紹介したいと思います。
煌帝国の弱体化振りは29巻で描かれていたとおりですが、30巻でアリババが紅玉から聞いたのは「煌帝国の破綻秒読み」という現状でした。それを何とかしたいと考えたアリババは、何と、かつての煌帝国軍隊を商会として機能させて、商売で復興するという考えを絞り出します。
その第一歩として、アリババは、シンドバッドに 「返済を1年間無条件で引き伸ばして欲しい。利子も凍結して欲しい」との交渉を行い、これを成功させます。
こう来るか!と唸る展開ですが、しかし同時に、
マギってビジネス漫画だったっけ?
と呆気に取られる自分がいました。
これまでは魔法や金属器による戦いで物語が進んでいきましたが、シンドバッドが作り出した平和な世界を舞台に、今後は経済戦争が繰り広げられていくということなんでしょうか?
シンドバッドとアリババが智慧の限りを尽くし、マネーの世界で生きるか死ぬか、生き馬の目を抜く熾烈な戦いを繰り広げる・・・。
いやまあそれはそれで面白いと思いますが、やっぱりマギは30巻の裏表紙に書いているとおり「究極魔導ファンタジー」な訳ですから、魔法や金属器の戦いもやっぱり見たい。
しかしながら暫くは、アリババが煌帝国を商売でどのように立ち直らせるかということを主軸に話が進みそうです。30巻の最後では、その商売のキモとして「転送魔法陣」の仕組みを活用するべく、アリババが各国に交渉の旅に出ます。
まずは、この行方を静かに見守りたいと思います。
でも何か、少し、今の私たちのリアルな世界に似ている感じがしてきましたね…。一つ一つのことが他人事だと思えず、意識に引っ掛かります。
29巻でその片鱗を見せていました、アリババが得た「新しい力」の正体が冒頭で明かされます。
それは、
一瞬を永遠に感じる超集中力(ユナン談)
です。つまり、もの凄い集中力を発揮することで、まるで自分以外の時間が止まったかのように振る舞うことが出来るという能力です。
これにより、敵の攻撃をたやすく捌くことができたり、膨大な書類の山をとんでもない速度で理解することができたりします。
まるで”JOJOの奇妙な冒険”第三部のザ・ワールドや、スタープラチナのような能力。
もとい!
これまでは金属器・魔装の力、バルバッド剣術、マゴイ操作(未熟)を持ちながらもどこか頼りなかった感じのあったアリババ。人間的な魅力は大きいものの、戦闘力に難あり・・・といった印象でしたが、この新しい力により、戦闘においても一気に頼れる存在となった感があります。
アリババの今後の活躍がますます楽しみです。
あ、でも、金属器は封印されているんですよね。
ところで、このアリババの力についてユナンが解説しているシーンの一コマに、アリババにハニワの身体を与えた人物のシルエットが出てきます。
よく見ると、「アルマトラン」の魔道士である、 ワヒードと セッタだということが分かります。
一人は肩に子供を乗せているのと、目隠しっぽいシルエットがあり、ワヒードだととすぐに分かりました。もう一人はファーラン(ワヒードの妻)かな?とも思いましたが何かシルエットが違う・・・と確信が持てず、22巻を引っ張りだして神杖の形を確認したところセッタでした。
2人の周囲には黒ルフの絵が描かれていますから、
・ソロモンによりルフが白く染められる前に死んだセッタ
・イル・イラーを地上に引き下ろし、自らはイル・イラーに帰っていったワヒード
という事実とも突合できますので、まず間違いないでしょう。
ワヒードは自分の子供であるテスのルフに巡り会えたんですね(肩に乗せてているから)。アルマトランは滅びましたが、テスとワヒード、魔道士唯一の親子が黒いルフの中で巡り会えたことは少しだけ救われたなあという感じがしました。
でもちょっと気になるのは、かつて「アル・サーメン」としてソロモンに敵対したワヒードがなぜアリババに力を貸したのでしょうか?ワヒードとセッタ、アリババの中でどんな話がされたのかがとても気になります。
このあたりも少しずつ明かされていくことだと思います。
楽しみです。
29巻のアリババとシンドバッドとの会談で、シンドバッドは自らがダビデと繋がったことを伝えました。
一方アリババは、死んでいる間に魔道士から「ダビデがシンドバッドと繋がり、イル・イラーを地上に下ろそうとしている」と聞き、それを止めようとしています。
それでいてシンドバッドとのこれまでの関わりから、その話をすぐには受け容れる事ができないため、シンドバッドという人間のことを見定めようとしています。
アリババがそのために取った方法は、シンドバッドを知る人からの話を会って聞いていくこと。煌帝国の商業のための旅と並行して、アリババは「自分が死んでいた間のシンドバッドさんのことを教えて欲しい」と尋ねていきます。
これについて、30巻の中で印象的だった台詞は次の2つです。
・マスルール
「アリババ、シンさんは超人じゃない。だから、あまり追いつめるな。」
・シャルルカン
「俺には・・・・・・国が小さいことだとは思えねぇ。エリオハプトが大事だし、王サマが王様だった頃のシンドリア王国が・・・まぁ・・・大好きだったんだよ。」
※シンドバッドの「国という、小さなことに囚われず生きなさい。」という台詞を受けて。
特にマスルールの言葉が意味深です。言葉少ないキャラということも効いていると思いますが、 アリババの話のどこが「シンドバッドのことを追いつめようとしている」のかが、とりあえず分かりません。
きっと後で「あれはそういうことだったのか!」ということになるんでしょうね。楽しみですし、落ち着いて時間が取れたら、じっくりと考察してみたい点です。
あまり話の本筋とは関係ないと思いますが、ちょっと面白かったので触れておきたいです。
煌帝国復興のために、アリババに連れ戻された紅明が「魔導研究施設」の状況を確認しに行くシーンが出てきます。ここで紅明が幼いころから先見の明を持ち、魔導を研究していたということが明らかにされますが、その中で「乾卦札」というものが出てきます。
これは肉体の腐乱を止める魔法札(キョンシーみたいな感じ)なのですが、「何に使うんだよ」と聞いたアリババに対し、紅明は 「死者を蘇らせるのですよ。」と言い放ちます。アリババは激昂して「死んだ人間を弄んでいいと思ってんのかよ・・・!!」と凄みますが、これに対して紅明とその仲間たち(煌帝国)は、いとも涼しい顔で次のように言います。
紅明「弄んでなどいません。彼らは死後も、世界を一つにするために、戦い続ける事ができるのです。」
部下A「すばらしいっ!!この上ない名誉ではありませんかっ!!」
部下B「俺も魂なき後も、煌のために、身体がちぎれるまで戦いたいものだ!!」
部下C「私もだ!!」
コレに対してアリババは呆然と呆れ返って、これ以上何も非難はしませんでした。
なんて危ねー国なんだ・・・と私も空恐ろしく感じましたが、しかし煌帝国に生きる人間にとってはごく当たり前の考えだということなんですよね。アリババもそれ以上言わなかったということは、少なくともこの世界において、「死者を蘇らせて戦わせる」ことが絶対に悪だという普遍的な価値観はないという事になります。
これもまた、漫画「マギ」が示す一つの真理なのかもしれません。
世界には様々な考え方・文化があり、それぞれがそれぞれにおいて存在しているのであり、「絶対的に正しい何か」なんて世界には無いんだというメッセージとも受け取れます。
そういえば、エリオハプトでの「そういう文化なんだよ、慣れろ」という台詞も、その一つかもしれません。
相変わらず考えさせられます。「マギ」。
がらっと装いを新たにした新世界を舞台に進められる最終章。
金属器もない、魔法のバトルも繰り広げられない、どこか寂しい感じもしたマギ30巻ですが、活き活きと動く登場人物たちによって進められていく物語は何の翳りも見せない、むしろ「どう進んでいくんだろう?」というワクワクを感じさせるものです。
まだまだ最終章は始まったばかりで、物語が一体どこへ向かおうとしているのかは読み取れません。
そしてまだ姿を見せない、アラジン、モルジアナ。
30巻を読んだばかりでアレですけれど、
31巻が待ち遠しい!!
ということで、30巻の感想でした。
長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
↓↓過去のマギについての記事はこちら
マギ 29巻 大高 忍(※ネタバレ)
マギ 28巻 大高 忍(※少しネタバレ)
マギ 27巻 大高 忍(※少しネタバレ)
マギ 大高 忍 (11〜26巻)
マギ 大高 忍(1〜10巻)
待ちにまったマギの最新刊、 30巻 が発売されました。
表紙は、背中に大荷物を背負って旅人のような雰囲気を醸し出し、陽の光を浴びてキラキラと光っている少し大人びたアリババ。
帯には” 商人アリババ、新世界を大冒険!! ”のコピーが。
29巻は生き返ったアリババがシンドバッドに会い、次に、煌帝国の皇帝になった紅玉に会いに行くというところで終わりました。
戦争のない、金属器のない新世界でどのようなストーリーが進んでいくのか・・・。 急ぐ心を整えながらページを捲っていきました。
(読後の感想。ここからネタバレです)
最終章、最後の物語はアリババの旅から始まりました。
まだアラジン、モルジアナの行方は分かりません。暫くは静かにアリババの旅を見守るしかなさそうです。
30巻では、少しずつシンドバッドが築き上げた「平和な新世界」の様子が少しずつ明らかにされていきました。それは煌帝国からの視点であったり、アリババがかつて交流していた人物からの視点であったり、様々です。
何はともあれ「30巻も面白い!」ことは間違いありませんでした!
その中で中心になるトピックや気になった事項に焦点を幾つか当てて、紹介したいと思います。
煌帝国を立て直せ!
煌帝国の弱体化振りは29巻で描かれていたとおりですが、30巻でアリババが紅玉から聞いたのは「煌帝国の破綻秒読み」という現状でした。それを何とかしたいと考えたアリババは、何と、かつての煌帝国軍隊を商会として機能させて、商売で復興するという考えを絞り出します。
その第一歩として、アリババは、シンドバッドに 「返済を1年間無条件で引き伸ばして欲しい。利子も凍結して欲しい」との交渉を行い、これを成功させます。
こう来るか!と唸る展開ですが、しかし同時に、
マギってビジネス漫画だったっけ?
と呆気に取られる自分がいました。
これまでは魔法や金属器による戦いで物語が進んでいきましたが、シンドバッドが作り出した平和な世界を舞台に、今後は経済戦争が繰り広げられていくということなんでしょうか?
シンドバッドとアリババが智慧の限りを尽くし、マネーの世界で生きるか死ぬか、生き馬の目を抜く熾烈な戦いを繰り広げる・・・。
いやまあそれはそれで面白いと思いますが、やっぱりマギは30巻の裏表紙に書いているとおり「究極魔導ファンタジー」な訳ですから、魔法や金属器の戦いもやっぱり見たい。
しかしながら暫くは、アリババが煌帝国を商売でどのように立ち直らせるかということを主軸に話が進みそうです。30巻の最後では、その商売のキモとして「転送魔法陣」の仕組みを活用するべく、アリババが各国に交渉の旅に出ます。
まずは、この行方を静かに見守りたいと思います。
でも何か、少し、今の私たちのリアルな世界に似ている感じがしてきましたね…。一つ一つのことが他人事だと思えず、意識に引っ掛かります。
アリババが得た”新しい力”と、アルマトラン時代の魔道士
29巻でその片鱗を見せていました、アリババが得た「新しい力」の正体が冒頭で明かされます。
それは、
一瞬を永遠に感じる超集中力(ユナン談)
です。つまり、もの凄い集中力を発揮することで、まるで自分以外の時間が止まったかのように振る舞うことが出来るという能力です。
これにより、敵の攻撃をたやすく捌くことができたり、膨大な書類の山をとんでもない速度で理解することができたりします。
まるで”JOJOの奇妙な冒険”第三部のザ・ワールドや、スタープラチナのような能力。
もとい!
これまでは金属器・魔装の力、バルバッド剣術、マゴイ操作(未熟)を持ちながらもどこか頼りなかった感じのあったアリババ。人間的な魅力は大きいものの、戦闘力に難あり・・・といった印象でしたが、この新しい力により、戦闘においても一気に頼れる存在となった感があります。
アリババの今後の活躍がますます楽しみです。
あ、でも、金属器は封印されているんですよね。
ところで、このアリババの力についてユナンが解説しているシーンの一コマに、アリババにハニワの身体を与えた人物のシルエットが出てきます。
よく見ると、「アルマトラン」の魔道士である、 ワヒードと セッタだということが分かります。
一人は肩に子供を乗せているのと、目隠しっぽいシルエットがあり、ワヒードだととすぐに分かりました。もう一人はファーラン(ワヒードの妻)かな?とも思いましたが何かシルエットが違う・・・と確信が持てず、22巻を引っ張りだして神杖の形を確認したところセッタでした。
2人の周囲には黒ルフの絵が描かれていますから、
・ソロモンによりルフが白く染められる前に死んだセッタ
・イル・イラーを地上に引き下ろし、自らはイル・イラーに帰っていったワヒード
という事実とも突合できますので、まず間違いないでしょう。
ワヒードは自分の子供であるテスのルフに巡り会えたんですね(肩に乗せてているから)。アルマトランは滅びましたが、テスとワヒード、魔道士唯一の親子が黒いルフの中で巡り会えたことは少しだけ救われたなあという感じがしました。
でもちょっと気になるのは、かつて「アル・サーメン」としてソロモンに敵対したワヒードがなぜアリババに力を貸したのでしょうか?ワヒードとセッタ、アリババの中でどんな話がされたのかがとても気になります。
このあたりも少しずつ明かされていくことだと思います。
楽しみです。
シンドバッドを探る旅・・・
29巻のアリババとシンドバッドとの会談で、シンドバッドは自らがダビデと繋がったことを伝えました。
一方アリババは、死んでいる間に魔道士から「ダビデがシンドバッドと繋がり、イル・イラーを地上に下ろそうとしている」と聞き、それを止めようとしています。
それでいてシンドバッドとのこれまでの関わりから、その話をすぐには受け容れる事ができないため、シンドバッドという人間のことを見定めようとしています。
アリババがそのために取った方法は、シンドバッドを知る人からの話を会って聞いていくこと。煌帝国の商業のための旅と並行して、アリババは「自分が死んでいた間のシンドバッドさんのことを教えて欲しい」と尋ねていきます。
これについて、30巻の中で印象的だった台詞は次の2つです。
・マスルール
「アリババ、シンさんは超人じゃない。だから、あまり追いつめるな。」
・シャルルカン
「俺には・・・・・・国が小さいことだとは思えねぇ。エリオハプトが大事だし、王サマが王様だった頃のシンドリア王国が・・・まぁ・・・大好きだったんだよ。」
※シンドバッドの「国という、小さなことに囚われず生きなさい。」という台詞を受けて。
特にマスルールの言葉が意味深です。言葉少ないキャラということも効いていると思いますが、 アリババの話のどこが「シンドバッドのことを追いつめようとしている」のかが、とりあえず分かりません。
きっと後で「あれはそういうことだったのか!」ということになるんでしょうね。楽しみですし、落ち着いて時間が取れたら、じっくりと考察してみたい点です。
番外編:危険な国・煌帝国と紅明
あまり話の本筋とは関係ないと思いますが、ちょっと面白かったので触れておきたいです。
煌帝国復興のために、アリババに連れ戻された紅明が「魔導研究施設」の状況を確認しに行くシーンが出てきます。ここで紅明が幼いころから先見の明を持ち、魔導を研究していたということが明らかにされますが、その中で「乾卦札」というものが出てきます。
これは肉体の腐乱を止める魔法札(キョンシーみたいな感じ)なのですが、「何に使うんだよ」と聞いたアリババに対し、紅明は 「死者を蘇らせるのですよ。」と言い放ちます。アリババは激昂して「死んだ人間を弄んでいいと思ってんのかよ・・・!!」と凄みますが、これに対して紅明とその仲間たち(煌帝国)は、いとも涼しい顔で次のように言います。
紅明「弄んでなどいません。彼らは死後も、世界を一つにするために、戦い続ける事ができるのです。」
部下A「すばらしいっ!!この上ない名誉ではありませんかっ!!」
部下B「俺も魂なき後も、煌のために、身体がちぎれるまで戦いたいものだ!!」
部下C「私もだ!!」
コレに対してアリババは呆然と呆れ返って、これ以上何も非難はしませんでした。
なんて危ねー国なんだ・・・と私も空恐ろしく感じましたが、しかし煌帝国に生きる人間にとってはごく当たり前の考えだということなんですよね。アリババもそれ以上言わなかったということは、少なくともこの世界において、「死者を蘇らせて戦わせる」ことが絶対に悪だという普遍的な価値観はないという事になります。
これもまた、漫画「マギ」が示す一つの真理なのかもしれません。
世界には様々な考え方・文化があり、それぞれがそれぞれにおいて存在しているのであり、「絶対的に正しい何か」なんて世界には無いんだというメッセージとも受け取れます。
そういえば、エリオハプトでの「そういう文化なんだよ、慣れろ」という台詞も、その一つかもしれません。
相変わらず考えさせられます。「マギ」。
まとめ
がらっと装いを新たにした新世界を舞台に進められる最終章。
金属器もない、魔法のバトルも繰り広げられない、どこか寂しい感じもしたマギ30巻ですが、活き活きと動く登場人物たちによって進められていく物語は何の翳りも見せない、むしろ「どう進んでいくんだろう?」というワクワクを感じさせるものです。
まだまだ最終章は始まったばかりで、物語が一体どこへ向かおうとしているのかは読み取れません。
そしてまだ姿を見せない、アラジン、モルジアナ。
30巻を読んだばかりでアレですけれど、
31巻が待ち遠しい!!
ということで、30巻の感想でした。
長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
↓↓過去のマギについての記事はこちら
マギ 29巻 大高 忍(※ネタバレ)
マギ 28巻 大高 忍(※少しネタバレ)
マギ 27巻 大高 忍(※少しネタバレ)
マギ 大高 忍 (11〜26巻)
マギ 大高 忍(1〜10巻)
タグ: マギ
2016年07月12日
世界史の大転換〜常識が通じない時代の読み方〜 佐藤 優、 宮家 邦彦
世界各国でナショナリズムの台頭と思われるような現象が表れるなかで、最近の世界の動向を元・外交官の2人が中東情勢、中央アジア、欧州、アメリカ、中国、そして日本について議論を交わしていくという本です。
佐藤優さんはロシア、宮家邦彦さんは中東の大使館で勤務していた経歴を持つ外交のスペシャリスト。
見識の広さ、世界情勢への理解の深さはそれぞれに専門地域は違えど、ともに凄いものを持っています・・・といっても私の2人に対する理解は、
・佐藤さんについては著書を読んだ(5〜6冊程度?)。
・宮家さんについては「そこまで言って委員会NP」で話しているのをよく見かけていた。
という程度のものです。
また私自身もいわゆる国際問題の専門家でも何でもないので、いくら私が「凄い人です」なんて言ったって説得力は無い訳ですが・・・。
おっと話がそれました。
この本について簡単にまとめておきたいと思います。
ひとことで言うと、難しい本です。
何せ知識レベルの高い2人の対談本ですから、テーマに挙げられる国や地域の歴史や文化、人種など様々な事柄を背景にして、それらの事が分かっている前提で議論が進められていきます。
私はたまたま佐藤優さんの本を何冊か読んでいるので、ロシアや中東情勢、キリスト教やイスラム教に関する話が出てくると「佐藤さんの本で読んだことがある話だな」と連想することが出来ましたが、どの程度の人がこの本の内容を本当の意味で理解できるのかなあと正直思いました。
え?
勿論、私も理解なんて出来ないですよ。
さらさらっと1回読んだだけで今この記事を書いていますが、正直なところ、読んで何かを分かったような気になっているだけです。
雰囲気を楽しむとでもいいますか・・・。
だって 内容を理解するためには、書中に出てくる単語一つ一つの意味を正確に理解する知識と、2人の文脈を解析して把握できる読解力の2つが必要です。
読解力はともかく、それだけの「知識」を持ちあわせている人はそうそう多くないのではないでしょうか?
何しろ世界が舞台のこの本。
国名はもとより、地域名や人種・民族名、言語名、経済や政治用語など世界的な視野での単語が惜しみなく飛び交っている訳です。
では、理解できないから意味が無いのか?というと、決してそんな事はありません。
私がこの本を読んだことで得られたことは次のとおりです。
・世界で起きている事象の背景の入門的な知識を得ることができた。
・単純な話ではなく、様々な問題が絡んでいること。
・背景には、単純に国同士の利害関係ではなく、地域や国の歴史・文化、民族が抱える問題など、普段のニュースには出てこない事項が要因となっていること。
・それらを読み解くためにはそれぞれの地域の地勢的、民族的な歴史を知らなければ理解できないこと。
つまりどういう事かというと、
・この本には世界で起きている事象の大きな流れが語られている。
・しかしそれらを読み解くためには、まず背景となる多くの事柄の知識が必要。
・その知識を得るためのヒントがこの本にはつめ込まれている。
という事で、更に論を進めると
・この本に書かれているこの事柄はどういう意味だろう?
・この用語の意味は何だろう?
・どうしてこのような読み取り方が成り立つのだろう?
というような疑問を持ち、実際に自分で調べてみたり、勉強したりすることで本当の理解へと辿り着く事ができる、と言えるのではないでしょうか。
つまり、これは解説本の体を見せながら、実はこの現実世界で起こっている事項を読み解くためのヒント集であり、考える訓練をするための本なのです。
表紙には「一挙に解き明かす!」と書いてあり、確かに「これはこういうことですよね」と解釈が書かれていますが、その内容を本当の意味で理解するためには膨大な知識が必要です。
とにかく刺激がビシビシ伝わってくる、凄い本だなと思いました。
何か世界で事件が起こる度、テレビやネットで流れるニュースを見て何かを思う時があります。
そのニュースだけ、あるいはネットで幾つかの記事を見て、「本当に起こっている何か」を捉えることは難しいのだなということを何となく気付きました。
「なぜこのような事が起こったのか」「どのような影響力を持つのか」という視点から背景となる事象をしっかりと見抜き、それを元に「自分はどう考えるのか」ということを考えなければならないのだな、と思い知らされた感じを強く持ちました。
そんな風に何かを真剣に考えるとき、この本を読み返すことになりそうです。
佐藤優さんはロシア、宮家邦彦さんは中東の大使館で勤務していた経歴を持つ外交のスペシャリスト。
見識の広さ、世界情勢への理解の深さはそれぞれに専門地域は違えど、ともに凄いものを持っています・・・といっても私の2人に対する理解は、
・佐藤さんについては著書を読んだ(5〜6冊程度?)。
・宮家さんについては「そこまで言って委員会NP」で話しているのをよく見かけていた。
という程度のものです。
また私自身もいわゆる国際問題の専門家でも何でもないので、いくら私が「凄い人です」なんて言ったって説得力は無い訳ですが・・・。
おっと話がそれました。
この本について簡単にまとめておきたいと思います。
どんな本だった?
ひとことで言うと、難しい本です。
何せ知識レベルの高い2人の対談本ですから、テーマに挙げられる国や地域の歴史や文化、人種など様々な事柄を背景にして、それらの事が分かっている前提で議論が進められていきます。
私はたまたま佐藤優さんの本を何冊か読んでいるので、ロシアや中東情勢、キリスト教やイスラム教に関する話が出てくると「佐藤さんの本で読んだことがある話だな」と連想することが出来ましたが、どの程度の人がこの本の内容を本当の意味で理解できるのかなあと正直思いました。
え?
勿論、私も理解なんて出来ないですよ。
さらさらっと1回読んだだけで今この記事を書いていますが、正直なところ、読んで何かを分かったような気になっているだけです。
雰囲気を楽しむとでもいいますか・・・。
だって 内容を理解するためには、書中に出てくる単語一つ一つの意味を正確に理解する知識と、2人の文脈を解析して把握できる読解力の2つが必要です。
読解力はともかく、それだけの「知識」を持ちあわせている人はそうそう多くないのではないでしょうか?
何しろ世界が舞台のこの本。
国名はもとより、地域名や人種・民族名、言語名、経済や政治用語など世界的な視野での単語が惜しみなく飛び交っている訳です。
読むことで得られたもの
では、理解できないから意味が無いのか?というと、決してそんな事はありません。
私がこの本を読んだことで得られたことは次のとおりです。
・世界で起きている事象の背景の入門的な知識を得ることができた。
・単純な話ではなく、様々な問題が絡んでいること。
・背景には、単純に国同士の利害関係ではなく、地域や国の歴史・文化、民族が抱える問題など、普段のニュースには出てこない事項が要因となっていること。
・それらを読み解くためにはそれぞれの地域の地勢的、民族的な歴史を知らなければ理解できないこと。
つまりどういう事かというと、
・この本には世界で起きている事象の大きな流れが語られている。
・しかしそれらを読み解くためには、まず背景となる多くの事柄の知識が必要。
・その知識を得るためのヒントがこの本にはつめ込まれている。
という事で、更に論を進めると
・この本に書かれているこの事柄はどういう意味だろう?
・この用語の意味は何だろう?
・どうしてこのような読み取り方が成り立つのだろう?
というような疑問を持ち、実際に自分で調べてみたり、勉強したりすることで本当の理解へと辿り着く事ができる、と言えるのではないでしょうか。
つまり、これは解説本の体を見せながら、実はこの現実世界で起こっている事項を読み解くためのヒント集であり、考える訓練をするための本なのです。
表紙には「一挙に解き明かす!」と書いてあり、確かに「これはこういうことですよね」と解釈が書かれていますが、その内容を本当の意味で理解するためには膨大な知識が必要です。
とにかく刺激がビシビシ伝わってくる、凄い本だなと思いました。
こんな時にまた読みたい
何か世界で事件が起こる度、テレビやネットで流れるニュースを見て何かを思う時があります。
そのニュースだけ、あるいはネットで幾つかの記事を見て、「本当に起こっている何か」を捉えることは難しいのだなということを何となく気付きました。
「なぜこのような事が起こったのか」「どのような影響力を持つのか」という視点から背景となる事象をしっかりと見抜き、それを元に「自分はどう考えるのか」ということを考えなければならないのだな、と思い知らされた感じを強く持ちました。
そんな風に何かを真剣に考えるとき、この本を読み返すことになりそうです。
2016年07月04日
映画「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」
TOO YOUNG TO DIE!
を映画館で観てきました。
面白いのはもとより、何かちょっと心に引っかかった・・・映画でした。
忘れないよう、感想をまとめておきます。
ネタバレも含みますので、映画の内容を1ミリたりとも知りたくない!聞きたくない!という方はご注意ください。
17才の高校生が不慮のバス事故で死んでしまい、地獄に行く…から始まる映画です。
バス事故の原因は劇中で明らかにされますが、
「 主人公がおやつのバナナを喉に詰まらせてしまい、座っていた最前列の座席から苦しさのあまり運転席へ倒れこみ、はずみでハンドルを谷方向に切ったことでバスが谷底へ転落したこと」
というギャグのような理由です。
その「自分でハンドルを切った」ことで、地獄の閻魔大王に「自分で死ぬ原因を作った=つまり自殺」とみなされて、地獄へ落とされたというのが本作の主人公です。
随分とぶっ飛んだ設定です。
序盤からのこんなぶっ飛んだ感じが映画の中では終始続いて、何だかきつ〜〜いお酒を手当たり次第に混ぜて飲まされるような感覚を受けました。
結構、酔えますよ。
(飲まされる、ではなく、こんなに上手くて楽しいものがあるんだぜと見せ付けられて、気が付いたら一緒に飲んでいた、という感じだったかもしれません。)
さて、あらすじの続きですが、最初は自分自身の生前の恋の行方を確かめたい主人公が、輪廻転生で人間界に戻ることを目指します。その途中で長瀬演じる鬼(キラーK)たちとの絡みがあったり、地獄ロック大会みたいなものへの出場を目指したりといったことをしていきます。
その中で主人公は、他人の生き様や歌に次第に感化され、いつしか輪廻転生の目的が「キラーKの歌を死に別れた彼女に届けてあげたい」という思いへと変化していきます。
ようやく主人公がキラーKの死に別れた彼女と子供とがいる天国に辿り着き・・・というのが、大まかなあらすじです。
そうそう、地獄のシーンで繰り返し出てくるロック音楽のシーンが印象的でした。シャウトが効いたハードロックが何度も映画館に響き、まるでハードロック・ミュージカルのような様相でした。
色々と面白い点はありましたが、3点を触れておきたいと思います。
◯長瀬が演じる地獄の鬼「キラー・K」
ヘビメタ色の濃い格好とドスの効いた話し方が特徴で、とにかくキャラが濃かったです。それでいて自己中的な主人公をそれとなく導いていく人間味のあるキャラなんですよね。
実は、死ぬ前は主人公が通っていた貸しスタジオの店員でした。これが明らかにされるなかで、生きていた時に持っていた人間的に弱いところや、付き合っていた女性とのエピソードが明かされ、急に人間臭くなってきます。
生前のどこか情けない男の感じと、死んで鬼になった後の突き抜け感のギャップが強く、また、それが急にまた人間の時のような弱い性格になったりと、この変化が見ていてとても楽しい!
むしろこっちが主人公なんじゃないか?って思いました。
怖くてカッコよくて、それでいて人間臭い、長瀬さん演じる「キラー・K」は最高に面白かったです。
歌も良かった。
◯散りばめられた大人のギャグ
下ネタとまでは言いませんが(一部は完全にそうでしたが)、 結構大人な感じのギャグ がそこかしこに散りばめられていました。
詳しくは割愛しますけれど、劇場でも結構笑いが起きてました。
爆発的な笑いではなく、「クスクス・・・」といった小さな笑いでしたが、そういったテイストが好きな人にはツボに嵌ると思います。
(親と一緒に家で見る時にはちょっと笑い方に困るかもしれません。)
面白かったポイントとして、ここも挙げておきたいと思います。
◯人の一生を俯瞰で見る
映画のストーリー上の仕掛けとして「地獄は時間の流れが早く、地獄で少しの時間でも、人間界ではかなりの時間が過ぎている」という設定がありました。
主人公は定期的に輪廻転生で地獄を離れますが(そのほとんどは「畜生道」つまり動物としての転生ですが・・・)、その度に何年単位で時間が過ぎてしまった人間界を見ることになります。
貸しスタジオの若い女店員にはいつしか子供が生まれ、その子供も大きく成長します。
主人公が好きだった女の子は、最後に高校生の娘を持つ母親として登場します。
主人公の視点を通じてこの時間の流れを見ていくことで、人間の一生を俯瞰の視点で見るという体験をすることになります。
「色々あったけど、人間の一生って、結局はまあ終わってみたら一瞬の出来事みたいなもんだよなあ」
そんな考えが浮かびました。
同時に、世は無常だなあとも思いました。
頑張って生きようとしていた親子が火事であっさりと死んでしまったり、初恋の相手の女の子は誰かと結婚して子供を産んで年老いていたり。
バス事故で生き残った友人(男)は不倫して会社の金を使い込んでいたり。
それらには意味がありそうで、意味がない。少なくとも主人公は「そうなった」という事実のみを体験するんですよね。これはある意味で冷徹な「現実」の有り様を観客に突き付けているのかな、とも思いました。
見方を変えると、人間の一生なんてまあこんなもんだから、あまり深く考えすぎるのは意味がないよ的なメッセージだったのかもしれません。
色々とテーマは込められているのだろうと思いますが、最後に主人公が言った 「行った奴じゃないと分かんないよ」という台詞は一つのテーマだといえます。
地獄にいる者達はみな「人間道」そして最上の「天国」に行きたいという渇望を持って描かれています。
そんな中、映画で描かれた天国の姿は決して魅力的なものではありませんでした。天国に行った主人公は、自ら天国での「自殺」を選び、鬼として地獄に戻ってしまいます。
そこでさっきの台詞を言い、
「地獄の方が面白い」 と言うのです。
ところで劇中でキラー・Kは生前に「天国」という曲を作ります。
この曲のサビでは、
「あなたがいれば ここは天国
あなたがいない そこは地獄」
という様な(ごめんなさい!1回だけしか見てないので記憶がアヤシイです)
歌詞が流れますが、まさに主人公が天国から堕天して戻ってくるそのシーンは、 「楽しい仲間がいる地獄が、自分にとっては天国」というメッセージに他ならないな、 と。
若者よ!ここではないどこかの天国なんて無いんだよ。
今いるところこそが、一見苦しそうに見えるかもしれないけど、楽しいことだってある天国なんだよ。
という事が主題だなというのが私の感想です。
エンターテイメントの中にさりげなくメッセージを感じることができる、面白い映画でした。
ロック好きで、力を抜いたギャグが楽しめる人。
何だか世界が灰色に見えて形の見えない苛立ちに苦しんでいる人。
きっと楽しめる映画だと思います。
面白いのはもとより、何かちょっと心に引っかかった・・・映画でした。
忘れないよう、感想をまとめておきます。
ネタバレも含みますので、映画の内容を1ミリたりとも知りたくない!聞きたくない!という方はご注意ください。
映画の概要紹介(1回観て、覚えている範囲で・・・)
17才の高校生が不慮のバス事故で死んでしまい、地獄に行く…から始まる映画です。
バス事故の原因は劇中で明らかにされますが、
「 主人公がおやつのバナナを喉に詰まらせてしまい、座っていた最前列の座席から苦しさのあまり運転席へ倒れこみ、はずみでハンドルを谷方向に切ったことでバスが谷底へ転落したこと」
というギャグのような理由です。
その「自分でハンドルを切った」ことで、地獄の閻魔大王に「自分で死ぬ原因を作った=つまり自殺」とみなされて、地獄へ落とされたというのが本作の主人公です。
随分とぶっ飛んだ設定です。
序盤からのこんなぶっ飛んだ感じが映画の中では終始続いて、何だかきつ〜〜いお酒を手当たり次第に混ぜて飲まされるような感覚を受けました。
結構、酔えますよ。
(飲まされる、ではなく、こんなに上手くて楽しいものがあるんだぜと見せ付けられて、気が付いたら一緒に飲んでいた、という感じだったかもしれません。)
さて、あらすじの続きですが、最初は自分自身の生前の恋の行方を確かめたい主人公が、輪廻転生で人間界に戻ることを目指します。その途中で長瀬演じる鬼(キラーK)たちとの絡みがあったり、地獄ロック大会みたいなものへの出場を目指したりといったことをしていきます。
その中で主人公は、他人の生き様や歌に次第に感化され、いつしか輪廻転生の目的が「キラーKの歌を死に別れた彼女に届けてあげたい」という思いへと変化していきます。
ようやく主人公がキラーKの死に別れた彼女と子供とがいる天国に辿り着き・・・というのが、大まかなあらすじです。
そうそう、地獄のシーンで繰り返し出てくるロック音楽のシーンが印象的でした。シャウトが効いたハードロックが何度も映画館に響き、まるでハードロック・ミュージカルのような様相でした。
ここが面白かった
色々と面白い点はありましたが、3点を触れておきたいと思います。
◯長瀬が演じる地獄の鬼「キラー・K」
ヘビメタ色の濃い格好とドスの効いた話し方が特徴で、とにかくキャラが濃かったです。それでいて自己中的な主人公をそれとなく導いていく人間味のあるキャラなんですよね。
実は、死ぬ前は主人公が通っていた貸しスタジオの店員でした。これが明らかにされるなかで、生きていた時に持っていた人間的に弱いところや、付き合っていた女性とのエピソードが明かされ、急に人間臭くなってきます。
生前のどこか情けない男の感じと、死んで鬼になった後の突き抜け感のギャップが強く、また、それが急にまた人間の時のような弱い性格になったりと、この変化が見ていてとても楽しい!
むしろこっちが主人公なんじゃないか?って思いました。
怖くてカッコよくて、それでいて人間臭い、長瀬さん演じる「キラー・K」は最高に面白かったです。
歌も良かった。
◯散りばめられた大人のギャグ
下ネタとまでは言いませんが(一部は完全にそうでしたが)、 結構大人な感じのギャグ がそこかしこに散りばめられていました。
詳しくは割愛しますけれど、劇場でも結構笑いが起きてました。
爆発的な笑いではなく、「クスクス・・・」といった小さな笑いでしたが、そういったテイストが好きな人にはツボに嵌ると思います。
(親と一緒に家で見る時にはちょっと笑い方に困るかもしれません。)
面白かったポイントとして、ここも挙げておきたいと思います。
◯人の一生を俯瞰で見る
映画のストーリー上の仕掛けとして「地獄は時間の流れが早く、地獄で少しの時間でも、人間界ではかなりの時間が過ぎている」という設定がありました。
主人公は定期的に輪廻転生で地獄を離れますが(そのほとんどは「畜生道」つまり動物としての転生ですが・・・)、その度に何年単位で時間が過ぎてしまった人間界を見ることになります。
貸しスタジオの若い女店員にはいつしか子供が生まれ、その子供も大きく成長します。
主人公が好きだった女の子は、最後に高校生の娘を持つ母親として登場します。
主人公の視点を通じてこの時間の流れを見ていくことで、人間の一生を俯瞰の視点で見るという体験をすることになります。
「色々あったけど、人間の一生って、結局はまあ終わってみたら一瞬の出来事みたいなもんだよなあ」
そんな考えが浮かびました。
同時に、世は無常だなあとも思いました。
頑張って生きようとしていた親子が火事であっさりと死んでしまったり、初恋の相手の女の子は誰かと結婚して子供を産んで年老いていたり。
バス事故で生き残った友人(男)は不倫して会社の金を使い込んでいたり。
それらには意味がありそうで、意味がない。少なくとも主人公は「そうなった」という事実のみを体験するんですよね。これはある意味で冷徹な「現実」の有り様を観客に突き付けているのかな、とも思いました。
見方を変えると、人間の一生なんてまあこんなもんだから、あまり深く考えすぎるのは意味がないよ的なメッセージだったのかもしれません。
主題って何だろう
色々とテーマは込められているのだろうと思いますが、最後に主人公が言った 「行った奴じゃないと分かんないよ」という台詞は一つのテーマだといえます。
地獄にいる者達はみな「人間道」そして最上の「天国」に行きたいという渇望を持って描かれています。
そんな中、映画で描かれた天国の姿は決して魅力的なものではありませんでした。天国に行った主人公は、自ら天国での「自殺」を選び、鬼として地獄に戻ってしまいます。
そこでさっきの台詞を言い、
「地獄の方が面白い」 と言うのです。
ところで劇中でキラー・Kは生前に「天国」という曲を作ります。
この曲のサビでは、
「あなたがいれば ここは天国
あなたがいない そこは地獄」
という様な(ごめんなさい!1回だけしか見てないので記憶がアヤシイです)
歌詞が流れますが、まさに主人公が天国から堕天して戻ってくるそのシーンは、 「楽しい仲間がいる地獄が、自分にとっては天国」というメッセージに他ならないな、 と。
若者よ!ここではないどこかの天国なんて無いんだよ。
今いるところこそが、一見苦しそうに見えるかもしれないけど、楽しいことだってある天国なんだよ。
という事が主題だなというのが私の感想です。
エンターテイメントの中にさりげなくメッセージを感じることができる、面白い映画でした。
ロック好きで、力を抜いたギャグが楽しめる人。
何だか世界が灰色に見えて形の見えない苛立ちに苦しんでいる人。
きっと楽しめる映画だと思います。