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2016年11月23日
花を咲かせたいと思った時にきっと読むといい本「ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則」ジム・コリンズ
ビジネス書の中でもかなり有名な本ではないでしょうか。
実は1年以上前にAmazonで「面白そうだ」と興味本位で買ってはみたものの、届いた本を本棚に置いた時点で何か満足してしまい、それからは積ん読の見本のような存在になっていました。
こうなってしまうと「さあ、読もう!」という気持ちにはなりにくいのですが、思わぬことから急に読む気になりました。
それは、
「サーチ・インサイド・ユアセルフ——仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法」
を読んでいるときに、その中で
と書かれていたからです。
「サーチ・インサイド・ユアセルフ」は、私にとって非常に多くの気付きを与えてくれる本でした。その筆者が「生涯に一冊しかビジネス書を読まないのならば」という前置きまで付けて勧める本とは、一体どれくらい素晴らしい本なのだろう?
これは読まなければという衝動に駆られ、早速Amazonで検索・・・をしようとしたのですが、本の名前がどこか記憶に引っかかりました。
しばらくして「1年以上前に買っていた本だったんじゃないか?」ということを思い出した、という訳です。
こういう事ってあるんですね。
この本「ビジョナリー・カンパニー2」がどれほど素晴らしい本なのかは、先程の「サーチ・インサイド・ユアセルフ」からの引用文が全てを語っているところですが、自分で整理を行うための作業として、自分なりの書評を以下に書くことにします。
経営関係の本では時々、「私はこうやって成功した!!」という全く個人的な経験に基づく方法論だったり精神論を書いた本を見かけます。
著者個人に興味がある場合はそれでも面白いですが、正直あまり参考にならない事が多いです。
この本は「調査で得られたデータから法則を見つけ出す」というアプローチで科学的に書かれています。
ここが大きな特徴です。
成功者や学者の個人的な経験や見識を根拠として書かれたものではありません。あくまで科学的な見地、つまりデータと分析によって書かれたものですから、「普遍的に共通する法則である可能性が高い」という期待を持って読むことができます。
次に、本の構成が素晴らしい。
調査によって導き出された法則を順序立てて説明していくのは勿論のこと、それらを「読み手に分かりやすいように」「理解してもらいやすいように」工夫して書かれています。法則をビジュアル化した図がとても分かりやすいと感じました。
”飛躍の法則”には幾つかの段階があり、一つ一つのステップがやがて大きな動きとなってその企業を「偉大な企業」へと変貌させていくという理論なのですが、章の冒頭にかかれている図の中で「今ここを説明している」ということがとても明確に分かります。
企業の経営について分析された本ですので、会社経営者でもなく、投資家でもない私が読んでも「これはすぐにでも使える」という内容は正直ありませんでした。
それならそもそも読まなくてもいいじゃないか・・・という自分自身の心の声も聴こえてきましたが、だからといって「知らなくていい」という事はないと思います。
今の社会を支えているのは国や自治体といった行政は勿論のこと、世の中に数多ある民間企業であることは疑いの余地がありません。
むしろ社会資本整備がある程度整ってきた今の日本では、直接的な恩恵を感じるのは主に民間企業のサービスによるところが大きいのではないでしょうか。
企業は今後も無くてはならない存在で、これからも色々な形で関わっていく訳ですから、企業経営についての分析結果を知ることは意味があるはずです。
また、企業経営に限らなくても、対象とする問題を自分の周りの環境や、個人的な目的の達成に置き換えた場合には、活用の方法がありそうです。
しかし、本書で2番目のエッセンスとして挙げられている「適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろす」という内容には少し苦味を覚えました。
参考になったというよりも、少し重荷を背負わされたというような表現が近い感覚でした。
0から物事を始める時には適用できそうですが、既に走り出しているバスから「降りろ」ということが難しい場合にはすぐには適用は難しそうです。
”偉大な企業”を目指すのでなければ、ただちに「降りろ」という必要はないということになるのでしょうけれども・・・
巻末のQ&Aにはこの問いに対して”達成までに時間をかける。”と応えられています。
これは、相当大変だなあという印象を持ちました。
ひょっとしたらこの事が、読むことで得られたことの中で一番大きなことかもしれません。
自分自身が「何かをやり遂げたい」という強い思いを抱いたとき、それを達成するためのヒントが込められているというのが、今の時点でのこの本の感想です。
だから、「何かをやり遂げたい」という思いを強く持ったとき、またこの本を開きたいと思いました。
この本を読み込んで細部までを理解するときは、まだ来ていないというのが、今の判断です。
また少しの間、本棚で休んでおいてもらおうと思います。
実は1年以上前にAmazonで「面白そうだ」と興味本位で買ってはみたものの、届いた本を本棚に置いた時点で何か満足してしまい、それからは積ん読の見本のような存在になっていました。
こうなってしまうと「さあ、読もう!」という気持ちにはなりにくいのですが、思わぬことから急に読む気になりました。
それは、
「サーチ・インサイド・ユアセルフ——仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法」
を読んでいるときに、その中で
最後に大事なことを記しておく。私はすべての友人に、生涯に一冊しかビジネス書を読まないのならば、ジェームズ・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー2』を読むべきだと言っている。素晴らしい企業を経営することについて、私の知っているほかのどの本よりも多くを教えてくれる。
と書かれていたからです。
「サーチ・インサイド・ユアセルフ」は、私にとって非常に多くの気付きを与えてくれる本でした。その筆者が「生涯に一冊しかビジネス書を読まないのならば」という前置きまで付けて勧める本とは、一体どれくらい素晴らしい本なのだろう?
これは読まなければという衝動に駆られ、早速Amazonで検索・・・をしようとしたのですが、本の名前がどこか記憶に引っかかりました。
しばらくして「1年以上前に買っていた本だったんじゃないか?」ということを思い出した、という訳です。
こういう事ってあるんですね。
この本「ビジョナリー・カンパニー2」がどれほど素晴らしい本なのかは、先程の「サーチ・インサイド・ユアセルフ」からの引用文が全てを語っているところですが、自分で整理を行うための作業として、自分なりの書評を以下に書くことにします。
どんな本だった?
経営関係の本では時々、「私はこうやって成功した!!」という全く個人的な経験に基づく方法論だったり精神論を書いた本を見かけます。
著者個人に興味がある場合はそれでも面白いですが、正直あまり参考にならない事が多いです。
この本は「調査で得られたデータから法則を見つけ出す」というアプローチで科学的に書かれています。
ここが大きな特徴です。
成功者や学者の個人的な経験や見識を根拠として書かれたものではありません。あくまで科学的な見地、つまりデータと分析によって書かれたものですから、「普遍的に共通する法則である可能性が高い」という期待を持って読むことができます。
次に、本の構成が素晴らしい。
調査によって導き出された法則を順序立てて説明していくのは勿論のこと、それらを「読み手に分かりやすいように」「理解してもらいやすいように」工夫して書かれています。法則をビジュアル化した図がとても分かりやすいと感じました。
”飛躍の法則”には幾つかの段階があり、一つ一つのステップがやがて大きな動きとなってその企業を「偉大な企業」へと変貌させていくという理論なのですが、章の冒頭にかかれている図の中で「今ここを説明している」ということがとても明確に分かります。
読むことで得られたもの
企業の経営について分析された本ですので、会社経営者でもなく、投資家でもない私が読んでも「これはすぐにでも使える」という内容は正直ありませんでした。
それならそもそも読まなくてもいいじゃないか・・・という自分自身の心の声も聴こえてきましたが、だからといって「知らなくていい」という事はないと思います。
今の社会を支えているのは国や自治体といった行政は勿論のこと、世の中に数多ある民間企業であることは疑いの余地がありません。
むしろ社会資本整備がある程度整ってきた今の日本では、直接的な恩恵を感じるのは主に民間企業のサービスによるところが大きいのではないでしょうか。
企業は今後も無くてはならない存在で、これからも色々な形で関わっていく訳ですから、企業経営についての分析結果を知ることは意味があるはずです。
また、企業経営に限らなくても、対象とする問題を自分の周りの環境や、個人的な目的の達成に置き換えた場合には、活用の方法がありそうです。
しかし、本書で2番目のエッセンスとして挙げられている「適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろす」という内容には少し苦味を覚えました。
参考になったというよりも、少し重荷を背負わされたというような表現が近い感覚でした。
0から物事を始める時には適用できそうですが、既に走り出しているバスから「降りろ」ということが難しい場合にはすぐには適用は難しそうです。
”偉大な企業”を目指すのでなければ、ただちに「降りろ」という必要はないということになるのでしょうけれども・・・
巻末のQ&Aにはこの問いに対して”達成までに時間をかける。”と応えられています。
これは、相当大変だなあという印象を持ちました。
ひょっとしたらこの事が、読むことで得られたことの中で一番大きなことかもしれません。
こんな時にまた読みたい
自分自身が「何かをやり遂げたい」という強い思いを抱いたとき、それを達成するためのヒントが込められているというのが、今の時点でのこの本の感想です。
だから、「何かをやり遂げたい」という思いを強く持ったとき、またこの本を開きたいと思いました。
この本を読み込んで細部までを理解するときは、まだ来ていないというのが、今の判断です。
また少しの間、本棚で休んでおいてもらおうと思います。
2016年11月22日
鉄血のオルフェンズ 第7話「友よ」はとても重厚な回でした。やっぱり名作!
第2期が始まってから8話目となりました。
相変わらず面白い”鉄血のオルフェンズ”。
さきほど7話を見終わりまして(録画)、興奮の残滓が抜け切らないなか、久し振りにオルフェンズの感想を書いてみようと思いついたところです。
ここ数話は鉄華団・地球支部のストーリーが中心となって進んでいました。
前話までは、地球支部長代理となったタカキが、 策略により情報を立たれた中で流されるまま戦闘を繰り返し、仲間を失い、見えない戦いに疲弊していく様子がリアルに描かれていました。
状況が見えない中で戦闘を強要されることほど疲弊することはありません。
戦闘を”仕事”や”勉強”という言葉に置き換えると、似たような状況を経験した人も多いのではないでしょうか。
かくいう自分もその一人です。
見えない指示系統、目的、情報・・・目隠しされた中でひたすらに足掻き続けるのはとても辛い。
ああなんか思い出してきた・・・
もとい。
オルフェンズの話です。
第7話はいよいよクライマックスシーン。
冒頭から鉄華団のタカキとアストには 死亡フラグを予感させる台詞が連続します。
「約束だ」
それ以上言ってはダメだ、、、
という心の叫びを他所に、話は一気に加速していきます。
見どころは戦闘が終了した後の詰問シーン。
鉄華団地球支部を裏切り、先の見えない戦いへの引きずり込んだ連絡役の男を、火星支部からやってきた面々が問い詰めます。
なぜ裏切ったのか。
言いたいことはあるのか。
それに対してまあ必死に言い逃れをしようとします。
「地球支部を守るためにしょうがなかったんだ」
「現場で判断しないと駄目な状況だったんだ」
などなど。
それを聞いていたミカヅキがぼそっと一言。
「こいつは鉄華団を裏切った。そして仲間を無駄に死なせた。こいつはもう・・・」
と言いながら懐に手をやり、拳銃を取り出そうとします。
制止するようにタカキが「俺に!話をさせてください」と言ったところ、
「話してどうすんの」
と冷たく言い放つミカヅキ。
強い目で見返すタカキ。ついこないだまでは迷いがいつも表情に出ていたのに、決意が漲った表情に変わっています。
「これは地球支部の問題です」
・・・
さながら任侠もののような雰囲気が醸し出されるこのやり取り。
なんだかミカヅキは若頭みたいな風格を醸し出してきました。
戦闘にも、人間にも、物語にも、何だか生々しい血の匂いを感じ、練り上げられたシナリオはまさに「重厚」の一言です。
たまりません。
やっぱりオルフェンズは名作だ!!
という思いをまた強く感じました。
ところで7話タイトルの「友よ」ですが、鉄華団、中でも今回はタカキとアストの関係を暗示したタイトルだなあと思っていたのですが、最後に「友よ」と呟いたのは敵役の黒幕だったギャラルホルンの男でした。
そう、鉄華団からすれば憎むべき敵であっても、彼らもまた友情で結ばれた仲間がいた・・・。
そんな余韻も与えながらの7話でした。
楽しかった。
また、次回が楽しみです。
相変わらず面白い”鉄血のオルフェンズ”。
さきほど7話を見終わりまして(録画)、興奮の残滓が抜け切らないなか、久し振りにオルフェンズの感想を書いてみようと思いついたところです。
ここ数話は鉄華団・地球支部のストーリーが中心となって進んでいました。
前話までは、地球支部長代理となったタカキが、 策略により情報を立たれた中で流されるまま戦闘を繰り返し、仲間を失い、見えない戦いに疲弊していく様子がリアルに描かれていました。
状況が見えない中で戦闘を強要されることほど疲弊することはありません。
戦闘を”仕事”や”勉強”という言葉に置き換えると、似たような状況を経験した人も多いのではないでしょうか。
かくいう自分もその一人です。
見えない指示系統、目的、情報・・・目隠しされた中でひたすらに足掻き続けるのはとても辛い。
ああなんか思い出してきた・・・
もとい。
オルフェンズの話です。
第7話はいよいよクライマックスシーン。
冒頭から鉄華団のタカキとアストには 死亡フラグを予感させる台詞が連続します。
「約束だ」
それ以上言ってはダメだ、、、
という心の叫びを他所に、話は一気に加速していきます。
見どころは戦闘が終了した後の詰問シーン。
鉄華団地球支部を裏切り、先の見えない戦いへの引きずり込んだ連絡役の男を、火星支部からやってきた面々が問い詰めます。
なぜ裏切ったのか。
言いたいことはあるのか。
それに対してまあ必死に言い逃れをしようとします。
「地球支部を守るためにしょうがなかったんだ」
「現場で判断しないと駄目な状況だったんだ」
などなど。
それを聞いていたミカヅキがぼそっと一言。
「こいつは鉄華団を裏切った。そして仲間を無駄に死なせた。こいつはもう・・・」
と言いながら懐に手をやり、拳銃を取り出そうとします。
制止するようにタカキが「俺に!話をさせてください」と言ったところ、
「話してどうすんの」
と冷たく言い放つミカヅキ。
強い目で見返すタカキ。ついこないだまでは迷いがいつも表情に出ていたのに、決意が漲った表情に変わっています。
「これは地球支部の問題です」
・・・
さながら任侠もののような雰囲気が醸し出されるこのやり取り。
なんだかミカヅキは若頭みたいな風格を醸し出してきました。
戦闘にも、人間にも、物語にも、何だか生々しい血の匂いを感じ、練り上げられたシナリオはまさに「重厚」の一言です。
たまりません。
やっぱりオルフェンズは名作だ!!
という思いをまた強く感じました。
ところで7話タイトルの「友よ」ですが、鉄華団、中でも今回はタカキとアストの関係を暗示したタイトルだなあと思っていたのですが、最後に「友よ」と呟いたのは敵役の黒幕だったギャラルホルンの男でした。
そう、鉄華団からすれば憎むべき敵であっても、彼らもまた友情で結ばれた仲間がいた・・・。
そんな余韻も与えながらの7話でした。
楽しかった。
また、次回が楽しみです。