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2015年06月02日
燃えつきるまで (幻冬舎文庫) 唯川 恵
少し前のことになりますが、その頃とにかく恋愛のことばかり考えていて、参考にならないかと思い、本棚にあった本を読んでみました。
31歳の女性が5年間付き合った男から別れを告げられることから始まる話。主人公は失恋により心と体の調子を失ってしまい、次第に追い詰められていきます。
あるときは自分自身に。
あるときは友人からの情報に。
あるときは別れた男が新しい恋人を見つけたことに。
あるときは仕事での失敗に。
そうして自分が抱え込んでいた感情の全てを出し切った後、ようやく立ち直りを見せるようになります。
この本からは、失恋一つでものすごい喪失感があるのだなということを感じます。失恋といっても、片思いの失恋ではなく、長期間付き合った後の失恋(年齢などの事情もある)ではありますが。自分には経験がないことなのでとても貴重な疑似体験になったな、と思います。
「たかが恋愛一つに・・・」と話す主人公やその友達に共感します。理性と感情というのは全くの別物で、人間は双方を持ち合わせた生き物である以上、仕様がないのだろう・・・と感じました。
ところで、見た目の可愛さとか、しっかりしてる感とかと、恋愛とか失恋とかに関する耐性っていうのは全く関係がないのでしょう。だとすると、考えたうえで接しなければ、相当な火傷をするはめになるのかもしれないです。まあ、自分には関係ない話ですが。
恋愛の怖さを垣間見た小説でした。
面白かったです。
31歳の女性が5年間付き合った男から別れを告げられることから始まる話。主人公は失恋により心と体の調子を失ってしまい、次第に追い詰められていきます。
あるときは自分自身に。
あるときは友人からの情報に。
あるときは別れた男が新しい恋人を見つけたことに。
あるときは仕事での失敗に。
そうして自分が抱え込んでいた感情の全てを出し切った後、ようやく立ち直りを見せるようになります。
この本からは、失恋一つでものすごい喪失感があるのだなということを感じます。失恋といっても、片思いの失恋ではなく、長期間付き合った後の失恋(年齢などの事情もある)ではありますが。自分には経験がないことなのでとても貴重な疑似体験になったな、と思います。
「たかが恋愛一つに・・・」と話す主人公やその友達に共感します。理性と感情というのは全くの別物で、人間は双方を持ち合わせた生き物である以上、仕様がないのだろう・・・と感じました。
ところで、見た目の可愛さとか、しっかりしてる感とかと、恋愛とか失恋とかに関する耐性っていうのは全く関係がないのでしょう。だとすると、考えたうえで接しなければ、相当な火傷をするはめになるのかもしれないです。まあ、自分には関係ない話ですが。
恋愛の怖さを垣間見た小説でした。
面白かったです。
2015年03月23日
無知の壁
養老孟子さんと、アルボムッレ・スマナサーラさんとの対談を書籍化したものです。
科学者と仏教者との対談で「バカの壁」と「無知の壁」の共通点を見つけ出し、「自分の壁」を越えて行くということが帯に書かれています。
「自分」というものの捉え方を、科学と仏教というそれぞれ全く異なるアプローチで臨みながら、気付くところはかなり似ているという現象が起こっているということが何となく分かった本です。ただし、敷居は高いなと感じました。
敷居が高いというのは、ある程度、仏教についての下地を持っていないとスマナサーラ長老の話は簡単なようで難しくて、結局何を言っているのかが分からないというところに落ち着いてしまいそうだからです。
私は仏教に関する興味が幸いあったので、幸い今までにも何冊か仏教関連の書籍を読んだことがありますし、般若心経も暗唱できます。このためか、スマナサーラ長老の話にも「なるほど、そういうこともあるのかもしれない」とうなずくことが出来るのですが、他の人にそれができるのかどうかは疑問です。
さて、この二人の対談者の話から共通項として読みとれるのは、
「自分という認識は錯覚や妄想であり、脳の機能の表れであり、実体はないもの」
ということです。
仏教の本ではこのことは何度も繰り返し書かれていますが、今回の本ではそのことがより受け取りやすく表現されていると思います。
「何を言っているんだ!自分というものが無い訳ないじゃないか!息をしているのも自分、考えるのも自分だよ!」
と、二人の話に耳を貸さないような考え方でいることは、それは即ち養老さんがいう「バカの壁」に囲われているということに他ならないことになります。
いろいろと考えさせられる切っ掛けを与えてくれる本、のような気がします。
科学者と仏教者との対談で「バカの壁」と「無知の壁」の共通点を見つけ出し、「自分の壁」を越えて行くということが帯に書かれています。
「自分」というものの捉え方を、科学と仏教というそれぞれ全く異なるアプローチで臨みながら、気付くところはかなり似ているという現象が起こっているということが何となく分かった本です。ただし、敷居は高いなと感じました。
敷居が高いというのは、ある程度、仏教についての下地を持っていないとスマナサーラ長老の話は簡単なようで難しくて、結局何を言っているのかが分からないというところに落ち着いてしまいそうだからです。
私は仏教に関する興味が幸いあったので、幸い今までにも何冊か仏教関連の書籍を読んだことがありますし、般若心経も暗唱できます。このためか、スマナサーラ長老の話にも「なるほど、そういうこともあるのかもしれない」とうなずくことが出来るのですが、他の人にそれができるのかどうかは疑問です。
さて、この二人の対談者の話から共通項として読みとれるのは、
「自分という認識は錯覚や妄想であり、脳の機能の表れであり、実体はないもの」
ということです。
仏教の本ではこのことは何度も繰り返し書かれていますが、今回の本ではそのことがより受け取りやすく表現されていると思います。
「何を言っているんだ!自分というものが無い訳ないじゃないか!息をしているのも自分、考えるのも自分だよ!」
と、二人の話に耳を貸さないような考え方でいることは、それは即ち養老さんがいう「バカの壁」に囲われているということに他ならないことになります。
いろいろと考えさせられる切っ掛けを与えてくれる本、のような気がします。