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2015年06月22日
「原因」と「結果」の法則について?B
「思いと環境」の章の続き
P33
”「自分の心と人生内で機能している法則は完璧に公正であり、それが、悪に対して前で報いたり、前に対して悪で報いたりすることは絶対にありえない」ということを知るでしょう。”
の解説の箇所の続きからです。
対比する例としてトウモロコシやイラクサの話に触れ、続けて
P34
”この法則が自然界のなかで機能していることは、誰もが知っています。でも、それが個人の人生のなかでもまったく同じように機能している人は、とても少数です。”
また出てきました。「個人の人生のなかで」という言葉です。
法則は世界の中で成り立っているのではなく、あくまで「個人の人生のなかで」機能しているということを説明しています。
これは一見見落としがちな箇所かもしれませんが、ここをしっかり捉えておかないと「そうは言っても自分が善い行いをしても、不運続きで全然善いことが自分に帰ってこないじゃないか」という誤った認識につながり、「原因と結果の法則」を意味のない理想論として見限ってしまうことになりかねない、重要な箇所だと思いました。
P35
”私たちに苦悩をもたらす環境は、私たち自身の精神的混乱の結果です。私たちに喜びをもたらす環境は、私たち自身の精神的調和の結果です。”
この箇所は、P22の
”人格は環境を通じて、それ自身を表現しています。”
という箇所の言い換えだと考えられます。
ここでようやく、この章の主題の分かりやすい形での提供が行われたと見ていいでしょう。
筆者が真実として紹介した「人間は自分の人格の製作者であり、自分の環境と運命の設計者である」のうち、「人格の製作者」「環境の設計者」の2つの箇所については説明がされました。
なるほど、これが原因と結果の法則ということなのですね。
この真実のうち、残るは「運命の設計者」です。
これはどの箇所で説明されていくのでしょうか、しっかりと読んでいきたいと思います。
P37
”この宇宙を動かしているのは、混乱ではなく秩序です。”
という言葉が唐突に出てきますが、これは筆者の信念だと考えるべきでしょう。なぜならこの内容についてこれまで一切論じられていませんし、引用もありませんし、この章においてはこの点に関する説明はありません。
あるいは宗教的な共通認識として西洋にある考え方なのかもしれません。
ここは、「このような考え方に立つと」というくらいで留めておいたので良いと思います。
・・・そしてここから先は、「思いが環境をつくる」ということの例示が続きます。例を重ねることで、主張をより分かりやすい形で見せようとしている部分でしょう。
という事で、この章「思いと環境」は一旦幕を閉じます。
この章では、「運命の設計」というところまでは論が進まなかったようです。そりゃそうですね。
次の章は「思いと健康」。
さて、次は環境ではなく健康。一体どのような論が展開されるのか、しっかりと読んでいきたいと思います。
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