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2017年12月28日

【安倍政権5年】各国首脳との会談550回以上 鳩山由紀夫政権とは隔世の感…日米同盟深化

産経ニュース より 

【安倍政権5年】各国首脳との会談550回以上 鳩山由紀夫政権とは隔世の感…日米同盟深化

安倍晋三首相は再登板後、「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」を掲げ、延べ129の国・地域を訪問し、国内外で各国首脳との会談を550回以上重ねてきた。特に朝鮮半島情勢が「戦後最大の危機」を迎えている中、米国との同盟深化を果たした意義は大きい。  この11月、米大統領に就任後、初来日したトランプ氏は皇居・御所に招かれた際、天皇陛下にこう話しかけたという。  「日米関係はかつてなく良好です」  安倍首相とトランプ氏は今年、電話会談を含め20回以上会談し、ゴルフも2度、一緒にプレーした。首相はトランプ氏との間に「事実上のホットラインをつくるほどの信頼関係を構築した」(外務副大臣経験者)とされる。  トランプ氏が9月の国連総会の演説で、米大統領として初めて日本人拉致事件に言及したのも、安倍首相が折に触れて拉致問題解決の必要性を直接、トランプ氏に訴えてきたからだ。  米メディアは安倍首相を「トランプ大統領の忠実な相棒」(ウォールストリート・ジャーナル)と評した。意味不明の東アジア共同体構想を唱えた揚げ句、米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の移設問題で迷走し、日米関係を悪化させた鳩山由紀夫元首相時代とは隔世の感がある。  トランプ氏が推進する「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、もともと安倍首相が5年前から温めていた外交方針だ。米国が日本主導の外交戦略に追随したのはおそらく初めてだが、これも両首脳の信頼関係あっての現象だろう。 もっとも、良好な日米関係を支えているのは、首脳同士の信頼だけではない。  政府は平成26年7月、限定的な集団的自衛権行使を認めるための憲法解釈変更を臨時閣議で決定し、27年9月には安全保障関連法が成立した。これにより日米同盟の双務性は高まり、自衛隊と米軍の有機的な連携が可能になった。  それに先立ち25年12月に成立した国の機密を漏らした公務員らに罰則を科す特定秘密保護法も「北朝鮮対応を含め、日本の安全に非常に有効に機能している」(小野寺五典防衛相)。  いずれも当時は反対派の強い批判を浴び、内閣支持率の低下を招いた施策だった。だが、もし整備していなければ、現下の北朝鮮情勢に対しても、米国はじめ諸外国と十分な連携は難しかった。(原川貴郎)
日本の国の政治の仕組みで 5年政権を維持するのは すごいことだ。 その観点に立って 野党やマスコミが本気で その原因を客観的に考えてくれれば 日本の政治のレベルは 格段に進歩するのだろうが 今の野党の 政権批判の内容を見ると それには程遠い。 また 時の首相を賞賛すると 政権に媚を売るように取られやすいと警戒して 安倍政権の優れた点を直視しない 向きもあるが それも今後の方向性を検証する上で 決して良いことではない。 長期政権が長期間続くことの原因と意味を 客観的に本気で考えることは 普通に考えられる以上に 大切なことだ。 もちろんこういうことは 一言二言で片付くことではないが 多角的なしっかりした議論は 与党にとっても 野党にとっても大切だ。 多くの要素の中で あえて一つをあげるとすれば 経済をあげる方は多いと思う。 そのこと自体に異論はないが 金融緩和の方向性がよかったとか 現実的な施策が 功を奏したということ以前に 政治の方法の中心として 経済を選択したこと そしてまた 方法を求めたことそのものに 大きな勝因があったと思っている。 つまり 「やり方」の必要性を求めたということだ。 物事には「やり方」がある そして やり方を体系化したり整理したりした 方法論や〇〇学などがある。 それを理屈っぽいとか 実践は理論とは違うと 息まく人は どの時代にも どの分野にも一定数いるものだが 「やり方」をふまえずやることは 自己流とか我流ということになる。 これの全てを否定する気はないが 多くは失敗に終わる。 この自己流は 天才的なひらめきを持った カリスマが独裁的に行って 成功する場合も確かにあるが ほぼ偶然でしかないし そういう独裁者は実は 大変な勉強家だったりする。 自己流とは結局 無知で未熟なもので 非効率なものだ。 東京から大阪に行きたいとする。 その時に 国道一号線を歩き始める人がいる。 確かにそれでも いつかは大阪に着くかもしれないが 大変な労力と 結構なコストがかかる。 これが自己流だ。 「やり方」を知っていれば まず新幹線か飛行機のチケットを買う。 チケット代はかかるが それは 歩いた場合の宿泊のコストや 長期間にわたる道中の食事代に比べれば はるかに安い。 「やり方」とはそういうものだ。 そして 自己流を政治の世界で 実際にやってしまったのが 民主党政権だ。 草の根政治とか いろいろ耳障りのいい言葉を並べるが 結局のところ 方法論を持たない 思いつきや行き当たりばったりの 未熟な政治姿勢だった。 その伝統は 民進党、希望の党、立憲民主党でも 当然強く受け継がれている。 政治の方法論 つまり「やり方」は 当然いわゆる政治学のみならず 様々なものが学問として 体系化している。 もちろん 学問が実際の政治の世界で そのまま通用するわけではないとしても 自己流で良いわけではない。 小泉政権にしても 安倍政権にしても 経済を政治の方法の中心に置いて 経済の仕組みをしっかりした根拠を持って コントロールした。 このことを野党は本気で学ぶべきだ。 デフレは持っているお金の価値が上がるのだから 良いことだとか 金利が下がれば 預金生活をするお年寄りが困るからいけないなどと 政治の素人が言うならわかるが 政治家の口から出る言葉ではない。 つまり 現在の安倍一強は 野党の極めて単純な 勉強不足による部分は否定できない。 だから 野党は政治の方法論なり 経済の方法論を まずはしっかり 正統的な方法で 勉強してみたらどうか。 そして 然るべきブレインを確保して その上で それなりのスキルを培った上で 与党と争ってみたらどうなのだろうか。 このままでは プロ野球と草野球の試合になりかねない。 立憲民主などは 草野球の素晴らしさを 力説しているようにしか見えない。 草野球のプロ野球にない楽しさは あったとしても それをプロ野球を否定する論点とすることは 全くの筋違いだ。 安倍政権が5年続いていることは 支持する支持しないに関わらず 一定の評価はされるべきであり そこから学ぶべきことは やはり 支持する支持しないに関わらず 多くある。

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posted by sachi at 06:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2017年12月25日

長谷川幸洋 2018年も、結局日本の野党は首尾一貫間違え続ける「その根拠」

現代ビジネス より 

長谷川幸洋 2018年も、結局日本の野党は首尾一貫間違え続ける「その根拠」

「望ましい野党の姿」を教えよう

トンチンカンすぎる日本の「リベラル」

日本の野党はなぜダメなのか。 彼らはしばしば「左派リベラル」と呼ばれるが、 実は本来の意味の 「リベラル」ではまったくない。 といって「保守」でもない。 政治的な立ち位置が不明瞭なのだ。 原点から考えてみよう。 そもそもリベラルとは何か。 英語で「liberal」と言えば 「自由で偏見がない、開放的」 といった意味になる。 政治の世界では自由主義だろう。 個人の自由と多様性を大切にした 社会を目指す立場である。 具体的な政策に落とし込めば、 個人の自由を基礎にしているから当然、 市場経済重視だ。 そして多様な人々が差別や偏見なく暮らせるように、 雇用と社会福祉重視になる。 社会保障を充実させるために 「大きな政府」 を目指す。 雇用を創出するためには金融緩和を志向する。 これが世界標準だ。 金融を緩和すれば、 経済が刺激されて活況になり雇用が増える。 それは安倍晋三政権の実績が証明している。 アベノミクスの下で金融緩和が続き、 いま完全失業率は2.8%の低水準、 就業者数は6581万人(2017年10月)と 58カ月連続で増加した ( http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/pdf/201710.pdf )。 欧米のリベラルは、 基本的に以上のような 「大きな政府と金融緩和志向」である。 たとえば、 ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン教授は 一貫した金融緩和論者で知られているが、 教授がニューヨーク・タイムズに連載している ブログのタイトルは、その名も 「The Conscience of a Liberal (リベラルの良心)」 ( https://www.nytimes.com/column/paul-krugman )だ。 ところが、 日本で左派リベラルと呼ばれる勢力の経済政策は、 これとほとんど真逆になっている。 旧民主党の流れを組む勢力は一貫して増税による 財政再建を唱え、 かつ金融政策は引き締め志向なのだ。 増税で借金を減らすだけなら、 歳出は増えないので 「大きな政府」にはならない。 たとえば、 民主党政権時代に消費増税を決めた 「社会保障と税の一体改革」 はどうだったか。 増税分を社会保障の充実に回せばいいのだが、 多くは財政赤字の縮減に使われた。 2015年度に消費税8%への増税で得た増収分 8.2兆円のうち、 社会保障の充実に充当されたのは、 わずか1.35兆円にすぎない ( http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/h27ss.pdf )。 ちなみに、 財政再建という名の緊縮財政と 金融引き締め志向は、 野党を応援する左派系マスコミも同じである。 代表格である朝日新聞や毎日新聞は 一貫して増税による財政再建、 すなわち緊縮財政を唱え、 金融緩和を強く批判してきた。 東京新聞も私が社説を書いていた当時は 金融緩和を唱えていたが、 最近は「早く緩和を手仕舞いすべきだ」と主張している。 野党の中でも、 日本共産党は増税に反対だが、 金融緩和を批判するのは旧民主党勢力と同じである。 つまり、 日本のリベラル勢力はマスコミや共産党を含めて、 リベラルとは名ばかりで、 むしろ雇用を悪化させる政策を志向しているのだ。 規制改革についても、 個人の自由と市場経済を尊重するなら当然、 改革推進でなければならないが、 彼らはモリカケ問題で トンチンカンな追及をするばかりで、 規制改革の本筋に迫った議論はまったくなかった。

首尾一貫して間違っている

これに対して 「保守」とは何かといえば、 歴史や伝統を重んじて、 漸進的な改革を志向する勢力である。 欧米で保守勢力といえば 「増税よりも減税で歳入を絞り、 かつ歳出も絞った小さな政府と金融引き締め」 を唱えるケースが多い。 日本では自民党が保守勢力とされているが、 安倍政権の経済政策をみれば、 徹底的な金融緩和を断行してきた。 財政政策でも、 先の総選挙で消費税10%への引き上げに伴う増収分 約5兆円のうち借金返済に充てる約4兆円の半分、 約2兆円を幼児教育や 高等教育の無償化に回すように変更した。 これは増税で歳入を増やす一方、 歳出も増やすので「大きな政府」の政策である。 つまり、 日本は保守であるはずの自民党が、 実は「世界標準のリベラル」であり、 リベラルと言われる野党が、 実は「保守」の政策を唱えているのだ。 だからというわけではないが、 自民党の英語表記は 「Liberal Democratic Party(LDP)」である。 党の総裁である安倍首相こそが、 まさにリベラル勢力の代表格と言っていい。 安全保障政策について言えば、 野党と左派系マスコミはそろって 集団的自衛権に反対してきた。 だが、 日米安保条約を結んで 日本に米軍基地を置くのを認めておきながら、 集団的自衛権に反対する立場は、 そもそも根本的に矛盾している。 領土を外国軍隊に使わせ、 それによって自国の平和と安全を担保している時点で 集団的自衛権を行使しているからだ。 これについては、 2014年5月2日公開コラム ( http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39149 )や 15年6月26日公開コラム ( http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43908 ) などで何度も説明してきた。 こんなイロハのイのような 基本問題すら理解していないのが、 日本の野党や左派系マスコミなのだ。 ただし、 共産は日米安保条約に反対し 「米軍基地も撤退せよ」 という立場なので、 それなりに首尾一貫している。 首尾一貫して間違っているのである。 中国や北朝鮮に攻められたとき 「米国に頼らず、日本は自力で(個別的自衛権のみで)防衛せよ」 というなら、 日本は中国並みの防衛費を費やして 防衛力を整備しなければならない。 それには、少なくともいまの4倍、 20兆円規模の防衛費が必要になる。 つまり 「自力で戦え」というのは 「これから日本は軍事大国を目指せ」 という主張と同じである。 そうでなければ、 中国や北朝鮮の脅威に対抗できない。 ところが、野党は、 そんな軍事大国化には猛反対するに違いない。 脅威に対して 「自力で対抗する」のは高くつくので、 いまや世界は集団的自衛権を認めて 「悪漢には集団で立ち向かう」のが、 安全保障の常識である。 スイスのような例外もあるが、 スイスは自力で立ち向かうために、 いざとなったら 国民皆兵と焦土作戦で戦う決意を固めている ( http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38228 )。 憲法改正についても、 明確に護憲を唱える共産や 「安倍政権の下で改正に反対」 と言った旧民進党勢力は、 単に現状維持を目指しているだけなので 「右派の保守」と言っていい。 自衛隊の明文化を目指す安倍政権こそが、 世界標準でみれば常識的な 「リベラル」だろう。 こうしてみると、 野党や左派系マスコミの主張は 経済政策も安全保障政策も およそ世界のリベラルには程遠く、 かといって 自国の平和さえ 守れないような政策を唱えているのだから、 保守とも呼べない。 原理的に見れば、リベラルでも保守でもない、 まったく中途半端な勢力なのだ。

「望ましい野党の姿」とは

では、彼らは何を目指しているのか。 本質を言えば、 彼らは 「自民党政権に反対する」 ことだけが目的の勢力なのだ。 政権反対が自己目的化しているので、 実際に政権を獲得してみたところで、 まともに国を運営することはできない。 それは2009年から3年続いた民主党政権が証明している。 いま野党第1党の座に就いた立憲民主党も その点は同じだ。 彼らは立憲主義を 「政治権力が独裁化され、 一部の人たちが恣意的に支配することを 憲法や法律などによって、 抑制しようとする立場」 と説明している (立憲の政策パンフレット、 https://cdp-japan.jp/gallery/ )。 「政治権力を抑制する」 のが結党の原点なのだから、 彼らは原理的に永遠に野党でなくてはならない。 間違っても、 自分たちが権力を握ってはいけない。 自分たちが権力を握ってしまったら、 だれが 「立憲民主党政権」の権力を抑制してくれるのか。 いなくなってしまうではないか。 まったく困った状態になる(笑)。 以上の議論を180度ひっくり返すと、 実は 「望ましい野党の姿」 が浮き上がってくる。 それは、どんな野党か。 まず、 経済政策はアベノミクス以上に 徹底的な金融緩和を主張する。 それから財政政策は増税を唱えてもいいが、 その代わり増収分は全額、 社会保障で使い切って国民にお返しする。 これでリベラル本来の 「大きな政府」ができあがる。 そして自由と多様性を基礎にした 市場経済を徹底するために、 一層大胆な規制改革を唱える。 安全保障政策は いまよりもっと大胆に集団的自衛権を認める。 それによって日米同盟を強固にして 中国や北朝鮮の脅威に備える。 その方向で憲法も見直す。 安倍政権の改正案は本来、 あるべき姿から言えば、 従来の自民党案にあった 国防軍創設を引っ込めた、 実に生ぬるい案なのだ。 一言で言えば、 野党は世界標準のリベラル勢力に生まれ変わったらいい。 そうなれば、 自民党は本来の斬新的改革を 目指す保守の立ち位置にならざるをえない。 もしかしたら 「Liberal Democratic Party」 などと名乗るのは気恥ずかしくなるかもしれない。 安倍政権が 「人づくり革命」とか「生産性革命」 などと、 リベラルっぽい過激な言葉を使うのを 許しているような野党では、 まったくダメだ。 まず自分たちが 「革命」を起こすような気構えが必要である。 とはいえ、来年もそんな夢物語はとても期待できないのだが…。
長谷川さん さすが面白い。 歯切れの良さが違う。 さすがに左派の中に身を置かれて 正論を語り続けている方ならではの 歯切れのよさだ。 気がつけば 野党とは 自民党の主張に 反対することが 完全に目的になってしまっていたということだ。 だから 野党の政策とは 野党の政治的な目的が 表されたものではなく 自民党に反対するための手段が 表されたものだということだ。 枝野さんの過去の言説を見れば 改憲に関しては ほぼ安倍総理の改憲案と 変わらない。 しかし それでは対抗軸にならないから 安倍政権の下での改憲は 反対ということになる。 ここでは 本来の野党のあり方まで 丁寧な説明がされている。 今の野党のお立場の方は 現実的ではないように思われるかもしれないが 今の時代にあるべき野党の立ち位置はあるのだ。 目先の他党批判に終始して 批判が野党の主たる仕事にならずに 価値観や技術革新の激しい時代に 先を読んだ野党のあるべきあり方を しっかり創造的に割り出してほしい。 自民党が完全であるはずはなく その意味で 一強化することは自民党支持者でさえ 社会のために良いこととは思っていない。 その意味で 野党は自らの党の興盛か衰退か という問題ではなく 社会の役割として 健全なあるべき姿である責任がある。 公党とはそういうものだ。 また人間とは 日常的に利己的な生き方をしても ある部分何かの形で 世の中のため社会のためという 利他的な部分がないと 健全な幸福感は得られない。 これは決して道徳観の問題ではない。 人間の深層の構造の問題だ。 同じことがマスコミにも言える。 より読者に喜ばれる記事を書きたいのは 当然理解できる しかし 事実に基づかなければ 報道機関とは言えない。 そして何よりも 批判とか対抗という立場ではなくて 先の時代を見据えた 世の中のあり方に対する建設的な提言が もっとできるはずだ。 特に 新聞などの旧来のメディアは その創造力がなくてな 本当に存在価値がなくなるのではないか。 社説が批判目的だったり 媚を売る場になっては 長い目で見れば 結局は自らの首をしめる結果にしかならない。 政権支持者不支持者を問わず 本来のあり方を 惑わされずに 見ることは大切だ。
posted by sachi at 06:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2017年12月22日

篠田英朗 映画『ダンケルク』で考える集団的自衛権の歴史

BLOGOS より 

篠田英朗 映画『ダンケルク』で考える集団的自衛権の歴史

先日、映画『ダンケルク』を観ることができた。 私の場合、 なかなか映画館に行く暇もないため、 なんとか機内で観たりする。 気になっていた映画だが、 どのような評論がなされているのかは、 よく知らない。 ただ国際政治学者として、 この映画を観て、 あらためて思い直すことがある。 それは、集団的自衛権の歴史だ。 第二次世界大戦初期、 圧倒的なドイツの兵力の前に、 英仏軍は大陸で大敗北を喫し、 1940年5月末、 ドーバー海峡に近いダンクルクに、 約40万の兵力が追い詰められた。 もはや戦況の転換を望むことはできず、 撤退しかありえない。 しかしドイツはダンクルクを完全に包囲していた。 近づいた船舶も魚雷や爆撃によって 次々と撃沈されてしまう。 救出は極めて困難であった。 しかも、 イギリスが本国に温存している兵力を投入しすぎれば、 ドイツによるイギリス侵攻を不可避にしてしまう。 しかしそのうえで、イギリスは、 民間の漁船や遊覧船にも働きかけて、 ダンケルクに向かわせる。 ドイツによる攻撃を避け、 兵力の浪費を防ぎながら、 追い詰められた兵士をできるだけ救出するための 決死の奇策であった。 このダンケルク作戦は成功をおさめ、 第二次世界大戦の歴史に残る奇跡の脱出劇によって、 約33万人以上の英仏の兵力がイギリスに帰還した。 1940年5月10日に イギリス首相に就任したばかりであったチャーチルは、 大陸での軍事作戦の失敗を反省しつつ、 作戦の成功を喜び、 「新世界」の勢力、つまりアメリカが、 やがて旧世界の危機を救いに来るはずであることを述べ、 国民の士気を鼓舞した。 ダンケルクの作戦が失敗に終わっていたら、 最終的には連合軍の勝利に終わる第二次世界大戦の行方が どうなっていたかわからなかった。 島国イギリスだけでも ナチスドイツの支配から免れ続けることができたことが、 その後の戦争の帰趨に大きな意味を持った。 しかしそれにしても、 なぜドイツは、追い詰められたイギリス軍に対して、 より大規模な攻撃を仕掛けなかったのだろうか。 ノルマンディー侵攻によって イギリス軍が戻ってくることを知っていたら、 ヒトラーは兵力を集中投下する大作戦を 敢行したはずではなかったか。 正確な史実から言えば、ヒトラーは、 イギリスが戻ってくるとは思っていなかっただろう、 というよりもむしろ、 そもそもイギリスと戦争を続けるつもりがなかった。 ドイツは、ダンケルク以降、イギリス本土に対して、 しばしば奇襲的な空爆作戦を行ったが、 侵攻しようとしていた形跡はない。 西のフランスを占領し、 ヨーロッパ大陸をほぼ掌握したヒトラーは、 むしろ東のソ連に侵攻する作戦を命令することになる。 しかしヒトラーは、 なぜナポレオンの二の舞となるため 独ソ不可侵条約を結んでまで避けたかったはずの 二正面作戦となるソ連侵攻を敢行したのか。 広がり切ったドイツ帝国の領域を 維持するための資源の確保等の物質的理由はある。 だがそれにしても イギリスとの戦争を清算してからのほうがよかったはずだ。 イギリスが持ちこたえたため、 やむをえずソ連への侵攻を決断した。 これによって第二次世界大戦の行方が変わった。 ダンケルク救出劇が、その展開を用意したのだ。 そもそもヒトラーは、 イギリスと戦争などしたくはなかった。 イギリスの介入はないと読んで ポーランド侵攻したところで、 ヒトラーの誤算は始まっていた。 さらにダンケルクをめぐって イギリス海軍との大海戦などを挑まなかったのは、 双方の兵力を温存することを、 ヒトラーが認めていたことを示唆している。 日本人にはあまり知られていないが、 ダンケルクの後、 ヒトラーは中立国スウェーデンなどを通じて、 イギリスに対して和平工作の提案を行っていた。 それを無視し、 閣内で和平について語ることを禁じたのは、 チャーチルのほうであった。 ヒトラーは、 そもそも最初からイギリスと戦争をするつもりなどなく、 始まってからも戦争を終結させることを 狙い続けていたのである。 時間切れになってソ連との開戦に踏み切り、 日本の真珠湾攻撃以降、 アメリカとの戦争も強いられることになり、 結果として、最終的には大敗北を喫した。 ダンケルクの作戦を指揮し、 徹底抗戦して和平を退けながら、 ソ連とアメリカとの大同盟を作っていったチャーチルは、 まさに第二世界大戦において 最も重要な人物であり、 英雄であった。 歴史に関する大著を 何冊も持つ歴史家チャーチルは (ちなみにイギリスでは歴史学の地位が高く、政治家にも歴史学を修めた者が結構いる)、 数百年にわたるヨーロッパの歴史への洞察から、 ドイツ帝国と対決し続けなければならないことを 確信していた。 そして数多くのイギリス人がそのように信じていたため、 ポーランドが侵攻されたときに、 低地諸国(ベルギ−・オランダ)の防衛を企図して、 ドイツとの開戦を決断したのである (チャーチルが首相に就任したのは、ドイツが低地諸国への侵略を開始した日であった)。 そのとき、 イギリスの宣戦布告の法的根拠となったのが、 国際連盟における共同防衛体制であった。 チャーチルの行動は、 第一次世界大戦後の 国際法秩序の原則にもそったものであった。 しかし、当時の国際連盟は、 アメリカ、ソ連、ドイツ、日本が加入しておらず、 実態としては広範に弱小国を従えただけの 英仏同盟と変わりがなかった。 およそ普遍的な 集団安全保障などと主張できるような 代物ではなかった。 今日でいえば、ポーランド侵攻にあたり、 英仏が集団的自衛権を行使することを決断した、 ということである。 こうした史実は、第二次世界大戦以後、 個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障が、 すべて一続きの安全保障構想の中で 位置づけられるべきものだとされるようになった背景を 示している。 当時、 アメリカはイギリスに強力な輸送・物資支援を提供し、 1941年には米英共同で大西洋憲章も発表して、 事実上の同盟国としてイギリスを支えた。 しかし国際連盟加盟国ではないアメリカは、 イギリスとは異なる法的地位にあった。 不戦条約を推進し、 スティムソン主義にもとづいて 日本による満州国設立を 認めない立場をとっていたアメリカだが、 戦争に参加する法的根拠は 持ち合わせていなかった。 真珠湾攻撃によってアメリカの参戦が決まった後、 チャーチルが深く安堵したということは、 広く知られている。 日本では、 アメリカのF・D・ローズベルト大統領が 日本の参戦を誘発する政策をとっていたことが、 陰謀のように語られることが多い。 国際社会主流の見方をとれば、話は逆だ。 当時、集団的自衛権が広く認められていたら、 アメリカの法的地位は変わり、 ヒトラーが計算ミスで拡張主義をとってしまうことを 抑止する大きな力になっただろう、 と考えるのが、普通である。 第二次世界大戦の結末を予期できてさえいれば、 ヒトラーは拡張政策をとらなかっただろう。 集団的自衛権があれば、 少なくともイギリスの参戦の脅威で、 いっそう大きな抑止力が働いただろう。 第二次世界大戦後、 イギリスは、アメリカと、 第二次世界大戦で守ろうとした西ヨーロッパ大陸諸国と、 国連憲章51条に明記された 集団的自衛権を法的根拠にして、NATOを結成した。 これによってドイツは、 個別的自衛権を行使せず、 集団的自衛体制の枠組みでのみ行動する国となった。 東側陣営と厳しく対峙し続けたが、 今日に至るまで70年近くにわたって、 NATO加盟欧州諸国は、内部からも外部からも、 武力攻撃されることがない、 人類史上まれに見る強力な抑止体制を築き上げた。
なぜ、日本だけが、 個別的自衛権だけが善で、 集団的自衛権は悪だ、 と信じる国になってしまったのだろうか。 外国と組めば 即戦争に巻き込まれる といった 感覚的情緒的な即断で その即断を 訳も分からず煽る人がいて 訳が分かって利用する人がいたのだろう。 誰だって戦争は避けたい。 しかしそのためには 感覚的情緒的な思考は 極めて現実的に 命取りとなる。 ヨーロッパは 数世紀に渡り 様々な理由で 様々な方法で 様々な組み合わせの戦争を経験してきた。 ヨーロッパ内の後発ドイツに 先進イギリスのチャーチルが 見事な戦略と洞察を積み重ねるのは 偶然に起こるような事ではない。 島国の日本が 感覚的に集団的自衛権と 平和を結びつけるのに時間がかかることは 理解できる。 しかし この篠田さんの文を読むと 今の日本のような 情緒感覚で平和を論じるあり方 つまり 情緒感覚で 集団的自衛権は悪だと思い込み 情緒感覚で 核を盲目的に避け続ける態度が 世界の歴史の中で見れば 本当に危うい 薄氷の上の平和のようにさえ 思えてくる。

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2017年12月20日

足立康史 捏造メディアとの最終戦争が開幕する − メディアを超えた新しい政治を創ろう −

BLOGOS より 

足立康史 捏造メディアとの最終戦争が開幕する − メディアを超えた新しい政治を創ろう −

国政が混沌としている。 1993年に崩壊したはずの自民党一党独裁 =「55年体制」、 それから四半世紀にわたって “反自民”政権樹立を目指してきた民主党と民進党 =「96年体制」、 その民進党が露と消えた2017年は、 今後の日本政治にとって、 その進路を定めていく大きな転機となっていくだろう。 私は、2012年の初当選以来、 反対のための反対、 レッテル貼りと印象操作に終始する 民主党と民進党を 「55年体制の亡霊」と揶揄し、 止めを刺すべく攻撃を続けてきたが、 気が付けば、 第三極でともに戦ってきた同志の多くは、 討ち死にするか、 あるいは自民党に入党し、 自民党一強体制は盤石に見える。 そうした中で 日本維新の会の創設者でもある橋下徹氏は、 月刊正論12月号に掲載されたインタビュー 「“大博奕打ち”小池百合子の失敗」の中で、 日本維新の会と希望の党との連携を求めている。 自民党に対抗できる二大政党に 道筋をつけたいということだろうが、 所詮は民進党の残党たち。 私は反対である。 希望の党が失速した最大の理由は、 その実態が民進党議員の生き残りのための看板架け替えに 過ぎないことがハッキリしたからだ。 民進党の残党たちと連携して 何が生まれるというのか。 橋下氏の見識・行動は 今も私が創設者と仰ぐところだが、 最大の不見識は野党の国会議員が どれだけアホか知らないことだ。 2009年政権交代前の民主党議員もアホだったが、 それは単なる不見識。 ところが政権交代を経て (3年3か月の悪政も酷かったが) 2012年に再び野党となった後の 民主党そして民進党のやっていることは犯罪である。 政権を経験すれば レベルアップすべき政策や国会対応が ますます稚拙化しているのだ。 その点、大阪維新の会は立派である。 08年に知事となった橋下徹氏を支持する 松井一郎現大阪府知事らが 09年4月に新会派を結成、 翌10年4月に地域政党 「大阪維新の会」を創設し 橋下氏を代表に担いだ。 そして東日本大震災直後11年4月の統一地方選 大阪府議選で単独過半数を獲得し今日に至るのだ。 一瞬で露と消えた 小池百合子都知事率いるファーストや希望と、 来春には創設9周年を迎える 橋下徹府知事(当時)が創設した大阪維新の会 (、5周年を迎えた日本維新の会)。 その違いとして、 政策への真摯さや豊富な人材なども指摘されるが、 メディアへの向き合い方に 死活的な違いがあったと感じている。 橋下、松井、吉村改革いずれをとっても マスメディアとの戦いだったし、 今もその戦いは続いている。 朝日新聞は先月18日付けの社説で 私の発言を批判したのに続いて 翌19日付けの社説で 吉村洋文大阪市長の サンフランシスコ市との姉妹都市提携解消方針を 頭から批判した。 自らの責任を棚にあげてである。 新しい政治を創る仕事は戦である。 小池百合子や小泉進次郎、 私が彼ら彼女らに期待しないのは、 メディアと戦っていないからだ。 メディアが作った政治家は メディアの都合で葬られる。 しかし真の政治リーダーは、 メディアを乗り超えなければならない。 来年2018、 捏造メディアとの最終戦争が開幕する。
希望の党はすでに 死に体ではあるが 唯一のこされた道があるとすれば 維新との連携だ。 しかし今の希望の党の体質では かなり難しい。 維新に限らず 他との協調が難しい。 協調できるくらいだったら そもそも 民進党が実質解党する事もなかったわけだから。 メディアは確かに戦いが必要だが メディアの問題の根本的な部分は 民度の問題でもある。 つまり簡単に言えば 騙されやすい人々がいれば 騙す人は現れる。 朝日新聞は 客観的な事実とは思えないようなことに 「かわいそう」とか 「そんな気の毒な人がいるのか」 といった同情心を刺激するような表現を使い 信じない人は人として どうなのだと思わせる手法をとる。 裸の王様と同じ手口だ。 今の日本は 大切なことさえ 客観的な事実に寄らないで 情緒的な感覚で判断しようとする意味での 民度の低さはあるから 朝日新聞のような 論法には 惑わされる人はいる。 学校教育だけではない 広い意味での教育がまだ必要だ。 メディアの問題は 人々が問題をどう認識するかの問題だから そこまで含めた包括的な認識を求めたい。 改憲はするべきだが それに耐えうる民度が 一番心配だ。 その意味で 少し過激でも はっきりものをいうことを 悪いとは言えない。
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2017年12月19日

「『あいつと一緒はイヤ』…もう勘弁」 民進・大塚代表

より 

「『あいつと一緒はイヤ』…もう勘弁」 民進・大塚代表

大塚耕平・民進党代表(発言録)

私たちには野党病があります。 持論に固執して合意を共有できない。 それを(民主党時代に)政権をとった時に やっちゃったんですね。 で、意見が違うからといって分裂しちゃった。 それを是正できないうちに また下野をして野党病をやっている。 今回の党改革で、 これを乗り越えないと 良い方向にいかないと思っています。   立憲民主党、希望の党との統一会派結成を 正式に申し入れることに、 両院議員懇談会では 「まだ早い」とかいうご意見もありましたが、 執行部としてはそういう状況ではないと思っています。 3党連携で 次の総選挙の時に 政府を選択していただけるような 構図に持ち込む。 統一会派は民進でもつ。 だって、 希望と立憲は直接組めないと 言っているわけですから。 率直に申し上げて、 「あいつと一緒になるのがイヤだ」 とか、 また衆院の中で議論が行われているんです。 もう勘弁してほしい。(津市での講演で)
夏に、 もりかけ問題で 安倍政権の支持率が下がった時に 民進党の支持率が上がれば まだ2大政党制の一翼という 位置付けを保てたのだろうが 自民党の支持落ち込みに 合わせるように 民進党の支持率も落ちた。 これは 正直言って 笑ってしまった。 そして 自民と民進の 二大政党制は芽は消滅した。 民進党の低迷は 誰が見ても 党の中での左右両派の争い。 つまり 民進党が何を目指しているのかが わからない党だということ。 だから 小池さんは 最低限、憲法と安全保障では 共通のベースを保つことを考えて 「排除」を実行した。 それは民進党が 支持されない政党であることから脱する 最低限度の条件だと考えるのは当然だ。 だから 枝野さんは むやみな連携を嫌うし それぞれの政党のアイデンティティーを 重要視する方向に進むのも当然だ。 その当然の考えが 希望や現民進には わかっていない。 わかっているかもしれないが その深刻さの度合いは わかっていない。 ということが 一つ。 しかし 上の大塚さんの発言を聞いていると ちょっと変なことを考えてしまう。 どういうことかというと 希望の党や民進党の人たちは そもそも政策や考え方としては 右でも左でも 改憲や安全保障も 賛成でも反対でも どちらでもいい人たちなのではないか ということ。 旧民進党にしても 現希望の党にしても 常に意見がまとまらないことで 評価を落とす。 希望の党は 踏み絵を踏んだにも関わらず 早速とばかりに 小池さんを実質的に追い出して 堂々と踏み絵の約束を破る。 そして また 党内での対立構造を作り始める。 そしてその結果 またわかりにくい党になって 政党支持率が 民進並みに低迷しても やめない。 国民から見て 一つの政党として 理解できない。 踏み絵が嘘だったら 希望の党から 離れればいいではないかと 誰しも思う。 それは 本当に理解しにくいことだったが 上の大塚さんの話から 考えたことは 希望の党や民進党の人たちは そもそも政策や考え方としては どちらでもよくて 政策や考え方よりも 自分が目立つ存在であることを優先する ということではないのか と考えてしまう。 それも 政治家として注目されたいなら まだわかる。 しかしそれならば 党というブランドの上に 立脚して 自分の政治家としての価値を 高めようとするわけだから 党のイメージは最低でももう少しは大切するはず。 だったら 嘘でも踏み絵の約束には従う。 しかし この場合の「自分が目立ちたい」は もっとプリミティブなもので 身近な周囲に対して 張り合う類のもので 政治的な考え方とか 政策がどうのこうのよりも エゴイズムのぶつかり合いに近い。 そう考えれば 民主用政権の崩壊も 民進党の低迷も 希望の党の低迷も 全く納得がいく。 旧民進党を救うために 前原さんが 希望との連携を模索した。 そして 小池ブランドを手に入れることで 難を逃れたかに見えた。 しかし 小池さんを追い出して 民進党時代と 同じようなことを始めた。 すると 政党支持率も 旧民進並みになった。 これも正直 本当にお笑いだ。 おとぎ話にしたいくらいだ。 つまり きつい言い方にはなるが 旧民進党の支持率が低かったというよりも 今希望の党にいる この方々の支持率が低かったということではないか。 これもきつい言い方だが 旧民進党も希望の党も 低迷の本当の理由は 稚拙なエゴではないのか。 大塚さんは それを 野党病と表現しているのは まだ優しい気遣いだと言えるが 3党が連携はいただけない。 方向性がさらにわかりにくくなるだけだ。

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2017年12月17日

「指揮権」「軍事裁判所」明記を=石破氏、9条改憲で提案

jiji.com より 

「指揮権」「軍事裁判所」明記を=石破氏、9条改憲で提案

自民党の石破茂元幹事長は 16日、仙台市で講演し、 憲法9条改正に関し、 自衛隊の存在を明記するだけでなく、 首相が最高指揮権を持つことや 軍事裁判所の創設も 盛り込むべきだと提案した。   安倍晋三首相が 9条への自衛隊明記を提起したことについて、 石破氏は 「自衛隊違憲論を封殺するという首相の考えだ」 と指摘。 その上で 「違憲論はなくなるが、 誰が最高指揮権を有するのか。 文民統制を確保するため、 首相が指揮官だと書くことは 最低限やらなければならない」 と述べた。 (2017/12/16-17:16)
改憲ということに 抵抗というより まさにアレルギーと言って良いほどの 拒否反応を示す人はいる。 それを考えに入れての 安倍首相の改憲案なのは よくわかる。 しかし 中長期的には 論理性があまりにも不足した 思考停止がゆえの反対には 改憲よりも なんとかしていかなくては ならない。 欧米に比べても 重要な問題を 情緒に頼る姿勢が強すぎるのは 異常というより狂気に近い。 理屈でものを考えられない人が 理屈で変わらないのも 当然といえば当然のことで わからない話ではないが その思考停止は かなり 破滅的な結果に繋がる可能性を 常に多くもつ。 その改善は 運動や主張というより ある種の啓蒙や教育に近い作業が必要だと思うが 通らなくてはならない道なのではないか。 石破さんの言うことは もっともだ。 そして その背後にも 解決すべき課題はある。

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2017年12月16日

和田政宗 税制改正 「会社員が標的」論は正しいか

和田政宗ブログ より 

和田政宗 税制改正 「会社員が標的」論は正しいか

与党税制改正大綱が決定されたが、 一部メディアが「会社員が標的にされた」 「増税感が強い」と報じている。 しかし、 それは一部を切り取る報道ではないだろうか。 安倍政権は、子供の貧困や待機児童問題は 無くなるまで徹底的に取り組むべく行動しており、 またサラリーマンの所得を上げるべく 種々の手を打ち続けており、 働き方改革も進めてきた。 こうした経済政策は いわば社会民主主義的であり、 「一億総中流」再びという経済状況を 目指しているともいえる。 今回も 年収850万円超の サラリーマンは増税となるが、 高所得の方から税を厚めに取り、 所得を再分配する考え方である。 安倍総理は時に「強権」などと言われるが、 現実的には人にやさしい政治、 国民全体が豊かさと幸せを 享受できる社会を構築しようとしている。 今回は、 賃上げに取り組む企業の 法人税を減税するなど、 企業の賃上げも促す 税制改正である。 実は、 こうした政策は 本来野党側が主張すべき政策であり、 それを安倍政権は ほとんどやってしまおうとしている。 野党からすると攻め手が無く、 メディアからしても 批判をしようにも 批判する点を無理に見つけないと 批判が出来ない状況になっている。 メディアにおかれては、 評価すべきところは評価をし、 真に足らざるべきところを批判したり 提言していただけないものだろうか。 『暮らしへ増税次々 取りやすい会社員に狙い』(東京新聞) http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201712/CK2017121502000129.html
イデオロギーの強いメディアは そのイデオロギーの強さが売りだから イデオロギーの視点で 政権を批判する。 または イデオロギー視点の土俵の上に 連れ出そうとする。 しかし 今の政治は イデオロギー視点で 論ずることはまず不可能だ。 相手は イデオロギーの価値観で動いているわけではなく 現実的な価値観で動く。 だから よく考えれば 昔だったら リベラル系の主張であったことが 自民党からいくらでも出てくる。 だから イデオロギーの強いマスコミが 何を批判しても 結局的外れになる。 的外れなだけならまだ良いが 問題や課題を 捏造したり 中途半端な疑惑を いつまでも後生大事に 抱え続けなくてはなくなる。 これは 意図的に 悪意で行われる場合もあるし 案外 意識的ではないところで 行われることもある。 イデオロギーの強いメディアは そのイデオロギーの強さが売りだから それを失っては 売り物がなくなる。 だから少なくとも当面は 相手とは違う言語で 喧嘩をしなくてはならない。 当然食い違いや 誤解や的外れな見解 深刻なネタ切れに見舞われる。 しかし これは その時代その時代での 読みの甘さが招いたことだと 深く自覚しなくては 解決の糸口はない。 それに気付かず 猛進すれば 気付いた時には 単なる世の中の迷惑者でしかなくなる。 朝日新聞はほぼそうなりつつある。 自民党の支持者でさえ 健全な対抗勢力は必要だと 思っている。 その辺を本気で考えてほしい。 また そのために 和田さんのような 視点と論点は 非常に大切だ。
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2017年12月14日

小泉進次郎がどんどん過激になってきた「ある事情」

現代ビジネス より 

小泉進次郎がどんどん過激になってきた「ある事情」

人気がうなぎ登りになればなるほど、進次郎をやっかむ議員は増える。男の嫉妬だ。だからこそ、圧倒的実力を見せつけねばならない。同じ「元総理の息子」を女房役に得て、進次郎はますます過激だ。

菅が「一皮剥けたな」

いま707人いる国会議員の中で、 もっとも国民的な人気を持っている男・小泉進次郎は、 腹の底で何を考えているのか。 肉声を克明に記録した 『小泉進次郎と福田達夫』(文春新書)で、 著者・田崎史郎氏(時事通信社特別解説委員)から「 他人からのジェラシーを感じるときはありますか」と問われ、 進次郎はこう答えている。 〈 腹の底では相当厳しい評価をされてるんだろうなと思っています。 他の人なら評価されるぐらいの結果を出しても、 絶対に評価されない立場なんだろうなっていう自覚はありますね。 80点で頑張ったねと言われることは決してなく、 120点取って初めて、 まあ、褒めてやってもいいかっていう立場なんだろうと。 じゃないと、次のチャンスが与えられないだろうなって 〉 (同書より、以下同) 進次郎の言う「結果」は、 決して選挙の「客寄せパンダ」となり、 自民党を勝利に導くことだけではない。 魑魅魍魎蠢く永田町にあって、 他を黙らせるには、 目に見える仕事の成果が必要だった。 それが、 '15年10月から自民党農林部会長として手がけた 「全農改革」だった。 農家は、自民党にとって文字通りの大票田だ。 大きな抵抗勢力だったが、 進次郎は改革案をまとめ上げ、 '17年の通常国会で 「農業競争力強化支援法」 など8本の法律成立にこぎ着けた。 進次郎を農林部会長に推薦したという 菅義偉官房長官は同書でこう語る。 〈(農林部会は)とりまとめる苦労が 党内でも一番必要なところなんですよ。 それをうまくまとめましたよね。 ですから私、これで一皮剥けたなという話をしたんです 〉 全農改革で、 進次郎の女房役として、 緻密なサポートを行ったのが、 部会長代理の福田達夫だ。 福田康夫元首相の長男として生まれ、 三菱商事で11年間サラリーマン生活を行った後、 父のもとで総理秘書官を務め、 代議士となった。 将来の総理候補の一人とも目される人物である。 小泉もこう語っている。 〈 福田さんはあれだけの知的なレベルの高さで、 常に何か一つの事象を 全体の中で最適になるかどうかということを考え、 その上で判断する。 マクロの発想を持ってると思う。 それはすごく大事で、 僕に欠けている部分を補ってくれた 〉 進次郎と福田のタッグで思い起こされるのが、 二人の父親どうしの関係である。 小泉純一郎が総理時代、 官房長官を務めたのが福田康夫だった。 全農改革では、 既得権を手放すまいとする全農側との激しい応酬が続き、 日本農業新聞では、 次郎批判の見出しが連日躍った。 だが、進次郎は、常に好戦的だった。 〈 戦わなければ政治家じゃないと思っていますからね。 こっちとこっちの意見を聞いてまとめて、 パパパッと繕ってお化粧して、 はい、出来上がりっていうのは、 僕じゃなくてもいいと思っています。 (略)戦うことによって突破力が生まれますよね。 誰でも落としどころが見える世界だったら、 ある意味誰でもいいわけじゃないですか 〉

父・純一郎の忠告

強気のパフォーマンスは、 努力に裏打ちされたものだった。 スポーツ紙を含めて毎日10紙の新聞をむさぼり読み、 睡眠時間を削って勉強を重ねた。 〈 寝るのが午前2時、3時……。4時になるときもある。 部会長って部会を開くまでの仕事がすごいんですよ。 政治の世界は会議の場が勝負ではなくて、 会議までが勝負という部分があるじゃないですか。 根回しをして、 そのときまでに仕込んで、 徹底した電話かけと同時に、 自分もインプットを重ねなきゃいけない 〉 この勉強家ぶりを福田も称え、 二人はこう語り合っている。 〈 福田: 素直で勉強家。だからお父さん(純一郎)が、 「あいつは勉強しすぎてダメだ」 って言ったのがよくわかった。 「(兄の)孝太郎のほうがわかってるんだ。 あいつ勉強しないから。 進次郎は勉強しすぎるんだよな」 って言ったのがよくわかる。 ほんとに真摯に勉強するし、 自分の見られ方もよくわかっている。 小泉:  うちの親父が、 「勉強しすぎはダメなんだ」 って言うじゃないですか。 それね、やっぱり年齢と立場がありますよ。 僕の立場、年齢で 「いや、勉強しすぎちゃダメなんですよ」 なんて言ったら、 ただの勉強不足じゃないですか。 そうでしょ 〉 人たらしの術も「さすが」のひと言。 『小泉進次郎と福田達夫』のなかでは、 「海軍カレー」や「かりんとう饅頭」といった 横須賀名物を手土産に持ってきた話を引き合いにだして、 農水省の官僚がこう語っている。 〈 資料を作った課の若手職員に差し入れを持ってこられたり、 若手職員を議員会館の事務所に招いて、 そこでランチを振る舞いながら、 資料作りの苦労話を聞かれた。 そういうねぎらいをしてくれるんですね 〉 2人のタッグは成功だった。 進次郎がこう総括している。 〈 ある意味、 僕らは発言する入場券を農林部会長と 部会長代理をやったことによって得たと思う。 もしも一度も経験をしてなかったら、 発言権すらもなかったと思う 〉 事実、発言権を得た進次郎は、 どんどん過激になっている。 「党は何も聞いてないし、議論もしてないですから。 このままだったら自民党必要ないですよ!」 11月1日のことだ。 小泉進次郎による、 公然の安倍批判とも受け取られかねない発言だった。 安倍首相は、 幼児教育無償化の財源として、 約3000億円の拠出を財界に求めたが、 自分は聞いていないと言うのだから。 翌日には自ら呼びかけて総選挙の 「反省会」を自民党本部で開催し、 こう語った。 「議席の数ほど自民党の信頼が回復していないという危機感の表れだ」 こうした発言は、むろん、メディアに逐一流れる。 印象的なワンフレーズを連発し、 世論の流れをつくっていった純一郎を想起させる。 進次郎は、 「お父さんに似てしまったところは?」 という田崎氏の問いに対して、こう答えた。 〈 うちの親父、ワンフレーズってよく言われたじゃないですか。これは必要だったからワンフレーズになったんだということが、自分がこの立場になってよくわかりました。 というのは、マスコミは自分の都合がいいように発言を切るから。ワンフレーズだったらどこも切りようがない 〉

本当の下積みができるか

田崎氏は、進次郎のメディア露出の戦略を、こう分析する。 「きちんとメッセージを出すときと、 様子をみるときと使い分けていますよね。 たとえば国会での質問時間配分の問題は、 踏み込んだ発言をしていない。 『世の中の多くの人が共感するだろう』 という段階になるまで、 軽々な発言はしないんです」 非の打ち所がなさそうな進次郎。 弱点はないのか。 実は女房役の福田は、 「女房」としてこう進次郎に苦言を呈している。 〈 やっぱり下積みの経験がないんですよ。 (略)人の苦労はやっぱりわからなきゃいけない。 下積みの苦労って、 たぶん彼はこの2年間やってきたことが 下積みだと思っているかもしれないけど、 それはエリートの下積み。 本当の雑巾がけは知ってたほうがいいだろうなあ 〉 進次郎より14歳年上で、 サラリーマン生活の長い福田らしい発言だ。 全農改革で、 進次郎は福田に対して、 JAや全農の組合員の前で 「若手の議員に、(農家に対して)厳しい意見を言わせてほしい」 と伝えたが、福田はこう反論したと言う。 〈 それね、いいですけど、処遇できるんですか。 言わせたあとに何かポストとか、 選挙で万全の応援をして絶対に落とさせないとかできない限り、 そういうことを軽々にしちゃダメですよ 〉 ただし、今の進次郎に対し、 福田のように耳の痛い話もできる立場でいられるのは、 ほんの数人だろうと田崎氏は言う。 「影響力が格段になったため、 政権が発言を気にするのは、 小泉さんのものだけ。 だから先日、 3000億円の話で政府批判したという時は、 僕も心配して、 『小泉さんの注目度は衆院選を通じて ものすごく上がっているのだから、 言う時期や場所を選んだほうがいい』 と申し上げましたよ。 ボールを繰り返し投げ続けていると、 摩耗して小池百合子さんのように スポイルされてしまう可能性だってありますから」 進次郎は、 福田という女房役を得て、 さらに成長した。 田崎氏が続ける。 「小泉さんは、どこかで気を抜いたほうがいい。 安倍首相も、第1次政権の失敗があって今があるわけで、 人間だから必ず大失敗するときがある。 そこから這い上がるときに、 小泉さんの真価が試されると思います」 進次郎が将来の総理というのは衆目の一致するところ。 「小泉首相、福田官房長官」 という2代にわたるコンビが誕生する日は来るのか。 (文中一部敬称略)
先日の開票特番で 池上彰さんから 自民党の中で 安倍晋三首相に批判的なことを 言えなくなっているのではないかと 問われた小泉氏は 「新聞の軽減税率反対だって言ってもね、 なかなかテレビで報じてもらえないんですよ。新聞なんかほとんど書かな いんですよ」 と嘆くも、中継はそこで終了。 ということがあった。 小泉さんが最近色々と積極的に発言するのは 池上さんへの ちょっとしたレジスタンスのようにも見える。 そうであれば 安倍政権を批判しつつも実は 一強独裁というイメージを払拭するという意味で 政権を支えている。 安倍さんへの対立軸の代表格とも言える石破さんも 安倍政権との距離を絶妙に保つことで 自民党全体のイメージを損なうことなく 存在感を示している。 つまり 考え抜かれた目的のための行動をしているということだ。 それにつけても 希望の党や 旧民進はそれができないのが 致命傷。 希望の党は 本当のところ 小池さんが追い出されたのか 小池さんが見捨てたのかは わからないが どちらにしても 面倒見ようとは思えないのが普通の人の感覚。 当事者は 民進党がなぜ支持されなかったのかが 全くわかっていなかった ということが明らかになったというのは 確かだ。 石破さんにしても 小泉さんにしても 共通するのは読みの深さだ。 野党は自らの置かれた座標を 認識する必要がある。


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2017年12月11日

麻生太郎氏、AIIB「サラ金発言」の意味 借金国に中国主導で取り立て属国化や領土分割の懸念残る 高橋洋一

産経ニュース より 

麻生太郎氏、AIIB「サラ金発言」の意味 借金国に中国主導で取り立て属国化や領土分割の懸念残る 高橋洋一

麻生太郎副総理兼財務相が 11月29日の参院予算委員会で、 中国が主導するアジアインフラ投資銀行 (AIIB) の運営や融資審査について 「金を借りた方も、ちゃんと計画を立てて返済しないと、 サラ金に取り囲まれちゃうみたいな話になった場合、 元も子もない」 と発言した。 「金を貸した経験のない人が急に貸すという話だ。 お手並み拝見だと思って見ている」 とも述べている。 (夕刊フジ)   筆者は郵政民営化の際に、 民営化法案の作成や政策シミュレーションを行う 民営化サイドにいたので、 当時総務相だった麻生氏から目の敵にされたが、 周囲の人間に対して 極めて優しい政治家であるとの評判を聞いている。 政治家の話は、 官僚と違って味のある答弁が多いが、 麻生氏はいつも面白い話をしてくれる。 ときたま、 それが政治的には失言にもなるのだが、 よくいえば人間味でもある。   麻生氏の表現は具体的にはどのようなことを指すのか、 本コラムで推測してみたい。   AIIBは、途上国などに融資する国際金融機関である。 途上国が融資を受けた資金によってインフラ整備を行うが、 融資なので返済が必要になる。 国際金融機関とはいえ、 その融資機能は国内の金融機関やノンバンクと同じである。 一般論として 融資の返済可能性などについて審査をするわけだ。   ただ、AIIBは国際金融機関としての経験が乏しい。 それを 「金を貸した経験のない人が急に貸す」 と言っているのだろう。 金の貸し手は、 借り手の生活に大きく関わることもある。 金融業者の取り立てが社会問題化したことからもわかる。 取り立てでは、 担保設定された不動産を差し押さえすることもある。   AIIBは国際金融機関であるが、 借り手が返済しなければ当然取り立てを行う。 それはやはり中国主導となるだろう。   「取り囲まれちゃう」というのは、 債務返済がない場合、 借り手の途上国が中国の取り立てによって 政治的に困窮する状況を 示唆しているのだろう。   取り立ての一環として、 借り手が不動産を差し出すのは、 融資の世界ではよくあることだが、 国際金融の世界でAIIBが同じようなことをした場合、 借り手の途上国にとっては、 中国への属国化や 領土分割を意味することになってしまう。   従来の西側の国際金融機関であれば、 途上国の発展を考えて債務の減免を行うなど、 過酷な取り立てはしてこなかった。 しかし、 中国主導の国際金融では こうした国際基準があるのかどうか分からない。 麻生氏は、 そうしたAIIBに対する懸念を表現したかったのだろう。   筆者としては、 この麻生発言にさらに追加したい。 最近AIIBが 最上位の格付けを取得したと報道されているが、 本コラムで指摘したように 肝心なのは中国の資金調達レートだ。 AIIBの調達レートは格付けに関わらず、 中国を上回るだろう。 ということは、 西側の国際金融機関より 高金利になる可能性が高い。 この点も、高利貸のイメージである。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
利己的な行動だけでは行き詰まることが目に見えている。 かといって 利他的な行動は かなりの余裕がなければできるものではない。 どちらにしても 特に国家間の場合は なんらかの形で 自国の利益に繋がることしかできない。 その最終の利益を 余裕が少なければ少ないほど より直接的な形で求める。 反対に余裕があればあるほど 間接的な形で求めるのが 常道となる。 直接的であればあるほど 即時性が高く持続性は低い。 反対に 間接的であればあるほど 即時性は低いが 持続性や多くの発展性に 繋がる可能性を多く持つ。 極端に直接的で 即時性が高いのが 武力侵略だが そのあとをつなげるのが 今はあまりに難しい。 しかし 北朝鮮のように 余裕のない国では それしか考えられない。 間接的な方法論で 時間をかけて 確実に繁栄を築くなどということは 金持ちのたわごとくらいにしか 思っていない。 その意味で北朝鮮問題は その北朝鮮の余裕のなさの正体を 具体的にしっかり解析しないと 平和的な解決はほぼない。 それは普通の国では 考えられないレベルの 大きな欠乏だ。 ものだけではない。 むしろ本質はものではなく 考え方、広い意味で良い状態を作る方法論、 国としての正常な機能を作り出す方法論などが 欠乏しているのだろう。 ものの不足より そういったものの考え方の欠乏からくる 不安と余裕のなさは 計り知れない。 だから より直接的な方法を求める。 その北朝鮮と中国のそのあたりの距離・乖離を考えると 経済力は大きく違っても 考え方・方法論の不足はあまり差がないのかもしれないと ふと思ってしまう。 現に中国は 武力による直接的な 方法論を捨ててはいない。 だから 見かけの制度設計よりも 実際には かなり露骨な 直接的な方法論を選択すると見た方が素直だ。 やっぱり まだまだどう転んでも やばい国だ。 それにつけても 麻生さんの失言は 気配りや優しさの裏返しとは なのだろうか。 高橋洋一氏の言説には いつも大いに刺激をいただいているので よく考えて見たい。

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2017年12月08日

立憲民主・枝野代表 希望との再合流「あり得ません」

産経ニュース より 

立憲民主・枝野代表 希望との再合流「あり得ません」

昔から「政治の世界は一寸先は闇」といわれていますが、自分自身が当事者となって、こんなに激しい体験をするとは思いませんでした。民進党の中でも新党や再編などに最も消極的な立場だったので、自分が党を立ち上げるなんて想像もしていませんでした。

政権交代目的化はダメ

「政権交代のため、野党はまとまらなければならない」 という言葉は、 この選挙では説得力を持っていませんでした。 国民にとって 「政権交代」が重要なのではなく、 結果的によい政治をしてくれるか否か。 むしろ、 党が何を目指すのか、 自民党とどこが違うのか 明確にしてほしいとの求めこそ 強くありました。   この声に応えたことが 今回の衆院選での 立憲民主党の結果につながりました。 違うものを無理やり1つの箱に入れるのでなく、 相違点を別々の党として明確にする。 その上で 「一致点の範囲で協力しましょう」 と目に見える形で決める。   私は民主党、民進党で幹事長をやっていたとき、 党運営に相当無理をしていた自覚がありました。 反省も込めていえば、 おそらく 国民の皆さんもそう感じていたからこそ、 いくらアピールしても 支持率や選挙結果に結びつかなかったのでしょう。 もちろん、 今のわが党の支持率が実力とは思いませんが、 明確に立ち位置を示すことが大事でした。   「なぜ希望の党や民進党と国会で統一会派を組まないのか」 とも指摘されますが、 統一会派という枠組みの話に引っ張られるあまり、 立憲民主党の立ち位置が 不明確になるのなら元も子もありません。 そもそも、 僕は希望の党との カラーの違いを感じたから 合流しなかったのですから。   したがって 希望の党と再合流なんてあり得ません。 自己否定になってしまいます。 立憲民主党と希望の党、民進党が再び1つになって 政権交代を目指すべきだとの意見もありますが、 衆院選を通じて学んだのは、 政権交代が自己目的化してしまったら 国民から支持されないという事実です。 可能な範囲で 野党間の連携、協力を進めることは必要ですが、 私は政権交代から逆算する立場とは違います。 国民の皆さんは、 理念、政策を無視してまで 何が何でも 政権が代わってほしいとは 思わないでしょう。

護憲政党とは違います

  立憲民主党は「護憲政党」と レッテルを貼られることがありますが、 違います。 私自身、政治家として24年間、 「あなたは護憲派ですか、改憲派ですか」 という質問に 「護憲派」と答えたことは一度もありません。 憲法が良く変わるなら変えればいいし、 悪く変わるなら徹底的に反対する。   私もかつて、 解釈改憲ができないよう 憲法9条に個別的自衛権の限界を ギチギチに明記するのはありだと 私案に書いたことがあります。 もし憲法9条に3項を書き加え、 個別的自衛権まで否定するような案が出てきたら、 「改憲派」を称する人たちは猛反対するでしょう。 「護憲」と「改憲」は、 案件や方向で立場が入れ替わるのです。   わが党の憲法議論は「立憲主義」。 もし条文を変えるのならば、 憲法というルールで、 どう権力の暴走をより良く歯止めをかける方向に 持っていくか。 こういう議論です。 一番は、首相による解散権の制約の話。 次いで臨時国会の召集期限。 「護憲」ではないので、 建設的な良い議論なら否定しません。   現在の自民党の改憲議論は非常に内向きです。 そもそも 国民投票で否決されるような発議をすべきでない。 今回の衆院選で、 自民、公明両党を合わせた得票率は 選挙区でも5割を切りました。 その状況で、現在の、 たまたまの議席で押し切って発議して、 国民投票で否決されたらどうするんですか。 それこそ最悪ですよ。 あえていえば、 共産党にも賛成してもらうぐらいの 発議をしなければならないんじゃないですか。

今でも欅坂「不協和音」

  外交・安全保障の立ち位置も質問されますが、 コントロールできない周囲の国際状況に 左右されるため本来、選択肢の幅は狭い。 その中で何を選択するかは、 主義主張やイデオロギーでなく 現実的外交交渉の話です。 日米同盟は基軸ですし、 むしろ強化すべきだと考えています。   年が明ければ、 広く一般に党員募集に向けた動きを始めます。 党所属国会議員のいる地域には、 できれば年内に都道府県組織も立ち上げたい。 民進党で一緒にやってきた自治体議員らとの関係は 大切にしたいと思いますが、 それ以上に、 衆院選で立憲民主党に期待し投票いただいた皆さんに 応えていかなければならない。 地域に根を張った組織づくりを 進めることはそうした皆さんへの責任です。   衆院選後、趣味のカラオケに4、5回行きました。 党を立ち上げる直前に 私が欅坂46の「不協和音」を歌いたいとつぶやいたことが 話題になりましたが、 前から歌っていました。 今でも歌っています。
嘘もないし驕りもない 媚びることもしない高潔さが感じられながら カジュアルな雰囲気を忘れない能動性がある。 政党の指導者が参考にすべき点は多いのは確かだ。 悪い人ではないと 相手に感じさせる人柄には違いない。 しかし どうして これほど党としての考え方や 憲法や外交の考え方を 簡潔ではあるが 非常に明快に迷いのない姿勢を 表現できるのに どうして経済のことには 触れていないのだろう。 主要三教科以外は不得意だから センター試験は諦めて 私立一本に絞る受験生ならわかる。 しかし政治はそうはいかないし 見たくないものを見ないことで 高潔を保つのは どう考えても正しい姿勢ではない。 政治が経済のためのものであってはいけない、 しかし 政治には経済がその手段として 必要だ。 安倍政権にしても どの長期政権にしても 経済をよくするという ハンディを抱きながら 高邁な理想を追求するから 苦労しているわけで そこを本気で考え クリアすることなくしては 政権は取れない。 しかし枝野さんの言説をよく読むと 政権を取るつもりはないとは言わないまでも 政権奪取ありき ではないのは確かなようだ。 結果として 政権がついてくるという姿勢は 悪いとは思わないが 予め相手よりもハンディを減らした 身軽な条件の上で戦う設定を行うのは 正しいとは思わない。 昔からある 反対のための反対を唱える野党と 本質的には変わらない。 枝野さんご自身が 健全なお人柄であることは否定しないが 政党としての健全性を 語るには 経済を避けてほしくはない。 また 下のように 旧民進党には 党というブランドを尊重するより いかに自分を目立たせるか といった考え方が まだまだ根強い。 立憲民主というブランドが確立してきた頃をみ計らって わけのわからんアホなことを言い出す 引っ掻き回し屋が現れることは 十分に予想される。 民進党で苦労された枝野さんなら もうすでに想定されているかもしれないが 気をつけていただきたい。 下は 「お行儀が悪い」 と言いたいのではなくて 自分ファーストが 当たり前になってしまっていないかと 考えて欲しいという意味で。
産経新聞 より 

これが立憲民主党の「まっとうな政治」か?本会議場をウロウロ、居眠り 今国会、党首の会見なし

【野党ウオッチ】

  10月の衆院選で 「まっとうな政治」というスローガンを掲げて戦い、 野党第一党に躍り出た立憲民主党が何かおかしい。 立憲民主党は、 民進党の希望の党への合流構想を嫌った有権者が、 「永田町の論理」と距離を置き 「草の根の民主主義」を訴えた 枝野幸男代表(53)の姿勢に共感して 躍進したとみられる。 だからこそ当選した議員もさぞ 「永田町の論理」から距離を置くのだろうと 本会議場を記者席からのぞいてみると、 「まっとうな政治」とは言えない光景が広がっていた。   「朝鮮半島で軍事衝突が発生した場合の甚大な犠牲は明らかです。 先月末の米国の議会調査局の報告では、 北朝鮮が通常兵器のみを使用する場合でも、 軍事衝突の最初の1日だけで、 ソウルで3万から30万人の民間人が 死亡すると想定されています。 日本が直接の標的となる可能性も 高いと言わざるを得ません」   11月21日午後、 衆院会派「無所属の会」に所属する13人を代表して 岡田克也氏(64)は 衆院本会議場でこう声を張り上げていた。 共産党席から時々、拍手が起こったが、 かつて民主党・民進党と野党第一党を率いた 岡田氏の代表質問に対する野党側の反応とは思えない 寒々しい印象を受けた。 岡田氏の代表質問は約10分だったが、 その間、 野党側記者席の真下では 立憲民主党の辻元清美国対委員長(57)や 山内康一国対委員長代理(44)、 手塚仁雄国対筆頭副委員長(51)らが うごめいていた。   この日、自民党の森山裕国対委員長(72)と辻元氏は、 特別国会後初となる衆院予算委員会の 開催日程や質問時間の与野党配分をめぐり、 午前中から断続的に協議していた。 与党側は従来の 「与党2対野党8」の慣例を改めて 「与党5対野党5」に変更するよう求めていたが、 野党側は従来通り行うよう主張し、 協議は平行線をたどっていた。   当時、 与党側は議席数に応じて 質問時間を配分するよう要求し、 一方の野党も行政府のチェックこそが 立法府の役割だとして一歩も譲らなかった。 この難しい局面をいかに取りまとめるかは、 野党第一党・立憲民主党の国対委員長である 辻元氏の手腕にかかっていた。   11月1日に召集された特別国会の会期は 当初8日間だったが、 野党側の強い要望により39日間となった。 質問時間の配分でも与党側の要求をはね付け、 野党第一党としての存在感を示したい−。 辻元氏らの頭にはそんな思いがよぎっていたのではないか。   本会議中、辻元氏と手塚、山内両氏は何度も席を立ち、 会話を交わし、 その光景を枝野氏が黙認していることに 猛烈な違和感を覚えた。 いやしくもかつての同僚である岡田氏が登壇し、 政府の方針をただしているにも関わらず、 眼下に広がる野党席では議員が落ち着きなく、 立ち歩き、際限なく“おしゃべり”を続けるのだ。   岡田氏が聞いた朝鮮半島有事に関する質問は、 国民の生命・財産に直結する事柄だ。 辻元氏らは、 国民の生命・財産に関わる以上に 大事な話をしていたのだろうか。 そもそも本会議場でなければできない話なのか。   いくら聞き耳を立てても 記者席から議場内での議員同士の会話は聞こえない。 本会議後に与野党が 11月27、28両日に衆院予算委を開くことに 決めたことから察するに、 辻元氏らは 質問時間の配分で強気の姿勢を崩さない与党側との 交渉戦術でも練っていたとみられる。 時に「与野党の談合」と称される 「国対政治」こそ「永田町の論理」の典型だが、 そんなことに構っていられなかったのだろう。   国民の知る権利に応えるためにも、 野党には仕事をしてもらわなければならない。 その意味で、 野党側が 従来通りに質問時間を配分するよう求めたのは理がある。 だが、 国民の負託を受けた立法府として 衆院の最終的な判断を下す本会議場でなすべきことなのか。   私は幼稚園のころから、 授業中は立ち歩かないよう、 人が話している最中は最後まで聞くよう教わってきた。 小学校の息子と、 幼稚園の娘も同じように教わっているだろう。 民間企業で会議中に部屋を抜け出したり、 同僚とペチャクチャ話したりすることはあり得ないし、 少なくとも私は見たことがない。 しかし、以前からそうだが、 永田町にこの常識はない。   立憲民主党は 「まっとうな政治」と「草の根の民主主義」 を掲げている。 辻元氏も衆院選の当選直後、 地元で 「まっとうな政治の実現に向けて大きな輪が広がり、当選させていただいた」 「一番大変な選挙だった。非常に厳しい国会運営になると思うが、ぶれずに新たな動きを作っていく決意を新たにした」 と語っていた。 しかし、辻元氏らが本会議場で繰り広げた行動は 「まっとうな政治」どころか、 旧態依然とした「永田町の論理」そのものだった。   国民の知る権利に応えるためにも、 野党には仕事をしてもらわなければならない。 その意味で、 野党側が従来通りに質問時間を配分するよう求めたのは 理がある。 だが、 国民の負託を受けた立法府として 衆院の最終的な判断を下す本会議場で なすべきことなのか。 立憲民主党の議員は 12月5日午後の衆院本会議でも 「永田町の論理」を実践した。 この日の議題は、 弾道ミサイルを発射した北朝鮮に対する抗議の決議や 国家公務員らの給与に関する 法律の改正案などの採決だった。 約35分間の短さだったにもかかわらず、 深く頭を垂れ、 気持ちよさそうにうつらうつらしている 立憲民主党の議員が続出した。   本会議や委員会での 離席、立ち話、談笑、居眠り、読書、スマホ操作は、 別に立憲民主党の議員に限ったことではない。 永田町の日常の風景である。 「まっとうな政治」を掲げ、 「永田町の論理」からの脱却を掲げる 立憲民主党の議員もまた、 何ら変わらず踏襲していた。   ちなみに立憲民主党は今国会中、 一度も枝野氏の記者会見を開いていない。 代表の定例記者会見を開くことが 「永田町の論理」だということだろうか。 不倫疑惑の渦中にある 同じ会派の山尾志桜里衆院議員(43)や、 セクハラ疑惑を週刊誌報道された 初鹿明博(48)、青山雅幸両衆院議員(55)に 関する質問が嫌なのではないかと勘ぐってしまう。   こうした疑いを払拭するためにも、 枝野氏は早々に代表としての記者会見を開き、 所属議員の疑惑について説明責任を果たし、 「まっとうな政治」の お手本を見せるべきではないだろうか。
posted by sachi at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治
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