で、その動画内でエミリア編のラストステージが「忘られし聖堂」と紹介されました。誤用かな、と思ったのですがメニュー画面に表示されたゲーム内テキストも「忘られし聖堂」だったので余計に気になりました。正しい日本語なのか、誤植なのか。
ということで調べてみた結果。
三省堂国語辞典には「忘られる」という項が存在しました。
意味は、簡単に言うと「忘れることが出来る」という可能形の単語でした。
項目が存在するということは、それが正しい言葉であれ、誤用であれ、辞書編纂者の耳に届くくらいには使われているということになります。
しかしどうしたことでしょう。
岩波国語辞典には「忘られる」という項目が存在しませんでした。
三省堂国語辞典は割とフランクな辞典で、現代の口語や言い回しに視点を置く書物です。一方、岩波国語辞典は言葉の歴史、文章に使う文字として正しいかについて重きを置く辞典です。
でも「忘られる」って会話ではあまり使いませんよね。どっちかっていうと文章表現っぽい言い方です。
ただ、「忘れる」という単語は下一段活用なので、
「え、え、える、える、えれ、えろ」→「忘れない、忘れます、忘れる、忘れる時、忘れれば、忘れろ」
となります(未然、連用、終止、連体、仮定、命令)。
また、忘れるの概念は自分でどうこうできる現象ではないので他動詞となり、それについて可能かどうかを表す活用はあまり考えられません。
上記二つの辞書にある「忘れる」という項目にも、「うっかりして気が付かない」など、自分の意思とは無関係な現象を強調していました。
おやつの縛りプレイ(あ、言っちゃった)じゃないんですから「忘れずに忘れる」なんて器用なことは出来ませんので、「忘れる」という単語単体で可能・不可能を表す活用は本来は無いと見ていいと思います。
ということで本来ならば未然の形をとって、「忘れ・られ・し・聖堂」となります。
(れる・られる、は動詞の未然形に付き、可能・尊敬・受け身や、他からの動作・作用をこうむる場合に使われますby岩波国辞
さらに、られしのしは文語助動詞きの連体形が残ったもので、過去の事柄を回想して言う感覚が含まれるby岩波国辞)
そんな感じで、「忘られる」は誤用として広まったんじゃないでしょうか?
「忘れれる」……なんてアホな使い方をしたくないと思った人が、「忘れられる」もなんかラ行が多くて不安になり、「忘られる」と言ったんじゃないでしょうか。
したがって「忘られし聖堂」は「忘れる」と「られる」の接続がうまくいっておらず意味が通じていません。ら抜きとかれ抜きという以前に言葉として間違っています(れが入れば正しいですが笑)。
でもでも「忘られる」あるいは「忘られし聖堂」とか、文語っぽい表現で、忘れられし聖堂、っていうよりもすっきりしてて、ちょっと格好いいな、素敵な表現だなって思いました(だからこそ気になりました。改めてよく考えれば、単に「れ」を入れ忘れた誤植の可能性が濃厚ですけどね)。
これが「し」じゃなくて「た」だったら「忘られた聖堂」となり意味が一応繋がります。
その時は、ストーリーの流れも鑑みて「エミリアがレンとの思い出を自分の意思で忘れ、新しい人生を、あるいは懐かしい過去を思い返す聖堂」という意味を込めて「忘れることが出来た聖堂」となるのでしょう。
ちなみに「わすられる」と打っても変換は出来ません。
以上、レポートでした。
どこか間違ってることもあるかもしれないので、そんな時は優しく教えてください。
超ひさしぶりに小説カテゴリあたりに入れようかな(笑)
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ああ、そうか!
古語に「忘らるる」って言葉があるから「忘られる」についても大きな違和感を感じなかったんですね。
言葉は生き物ですから時代とともに使い方や意味が違ってくるのは当然ですが、だからこそ正しい言葉や元々の意味を知った上で現在の誤用や転用も使いたいと思う今日この頃です。
『忘らるる』という言葉があるぐらいですから、
『忘られる』は古い日本語なのだと思います。
日本語って、常に進化し続けている言語ですしね。