おはようございます。あるへです。
ちょっとレビューの前に語らせてくださいよ。
皆さんにも少なからずこういう心理ってのは存在すると思うんですが、アイドルの発掘とかと同じ原理で、自分だけが知っている神ゲーが周りにどんどん周知されていって、遠い存在になっていく寂しさ、みたいのありませんか?
これ本当に面白いのに、なんで皆知らないの?ってもっと色んな人に遊んでほしいなーとか思いつつ言いつつ、それが現実のものになるとこの作品は自分だけが知っている自分だけの心の拠り所であってほしかった、みたいな我儘な精神が鎌首をもたげたりしません?
私は自分だけの、自分が面白いと思えるゲームを発掘する目には多少自信があって(つまりそれが他の人に受け入れられるとは限らない)、発売前PVとか、Steamでの情報とかふとした時にピーンと来た作品を草葉の陰から見守ることってよくあるんですよね。
さて、何が言いたいかそろそろお気づきでしょうがよくある1ゲーマーの自己中な心の叫びとして聞き流してやってください。ただ言いたいだけなんです。
俺はこのゲーム、発売前から神ゲーだって知ってたぞー!
何年も前からこのゲームHDDに温めてたぞー!
ずーーーっと前から知ってて、発売前には発売を心待ちにしていて、発売後にはあんまり見向きされないことに心を痛めていて、初めてセールに現れた日に速攻で買って、最近になってプレイする人が増えて、私より先にプレイした人がフレンドの中にもちらほら増えてきて、今言ったみたいな心境になって云々かんぬん。
……なんかアホらしくなってきた。負け犬の遠吠え的な(笑)
私って食事の時好物はとっておくタイプなんでしょうか? 意識したことないけど。
さて。
というわけで本作は神ゲーです。
パンデミックとか、あれやこれや、割とフィクションには使いやすいネタですし、こじつければなんでも時事ネタに出来てしまうので言わない約束。
本作は過去、実際に起きたパンデミックという出来事をヒントに、想像力を働かせて作られたフィクションです。
病気を媒介するネズミがおぞましいくらいに大量発生して、その数の波で巨大な人間にすら牙を剥く、そんなIFの世界観で、家族を救いたい、ただその一心で奮闘し、生き抜こうとする姉弟のお話です。
本作はステルスアドベンチャーに相当します。主人公は非力なので屈強なNPCの目を盗んで行動しなければならないのですが、クラフトできる弾には強力なものが多く、そもそも敵NPCの数が少なかったり、ほとんど動き回ることがないので、非常に易しい難易度だと思います(そのくせ一部界隈では全ゲーム屈指の最強主人公とも呼び声が高いほどアミシアは基礎性能に優れています)。
本作の真価はこのステルスではなく、アドベンチャー。もっと言えばストーリーにあります。
これが本当によく出来ていて、かなり神経を使って練ってあると思うんですよね。
客観的に見れば人を襲うネズミや、それを扱える悪魔の血、そして悪の大司教など、かなりフィクション寄りな設定なのですが、実際にゲームをプレイしていて感じる臭いというか雰囲気は物凄くリアリティに溢れていて、ゾクゾクワクワクしながら、常にもっと先が知りたい欲求によってぐいぐいと惹きこまれていきます。
そうなった時に、プレイを阻害しない程度の抑えられた難易度ということで、本当にゲームの中に吸い込まれたまんまでずっとプレイを続けられるんですよね。
またこのイノセンス(無垢)という副題に込められたテーマがいい味出してますよね。大雑把に言えば本作のキーパーソンとなる右も左もわからない5歳の男の子の血に宿った力が今回の物語の大きなポイントなのですが、彼は本作の主人公アミシアの愛する弟でもあるので、彼女はこの凄絶な世界そのものから生き抜きつつ、ネズミから身を守りつつ、病気と、弟を狙う宗教裁判たちからも逃げ続けなければならない宿命にあります。
そんな苛烈な日常の中で、弟の無邪気さは心の安らぐ瞬間でもありますが、その無邪気さが人の死を土台にしたものだったりもするのが本当にゾクゾクします。
川の桟橋で泡がぶくぶくしてて、ヒューゴがカエルかなーとかはしゃぐんですよね。そのシーンは恐ろしい敵から逃げ切った後でもあるのですごく和やかなんですけど……。
周囲を見回すとわかる様々な状況証拠から、それは絶対にカエルではないってことにプレイヤーだけが気づくんですよね。おそらく、それは……。
みたいな(笑)
他にも不可避の出来事とは言えアミシアとヒューゴが生き延びるためには、生きている人を手に掛けたり、動物を犠牲にせざるを得なかったり、そうやって得た教訓が後々生きてくるので、ホントこういった演出に胸が潰れる思いです。
最近如くやらKemcoやら、自分の思考レベルや感受性を何段階も落として鑑賞しなければならないような作品ばかりだったので、こんなにも深いゲームに出会えて眼福でした。
実はこのゲーム、作り方が物凄い似ているゲームに心当たりがあるんですよね。
それは、「ラストオブアス」です。
あっちは難易度設定などでゲームプレイも歯応えが出るのですが、そこを除けば、ちょっとしたドンパチを潜り抜けつつ深いストーリーをメインに追っていくスタイル。非常によくできたキャラクター(個性)とキャラクターの掛け合い、昼間や明るい所では人間と戦い、夜や暗い場所ではクリーチャーと戦うこと。相手が人間かネズミかで戦法がまったく異なる部分や、点在する素材を拾い集め、その場で消費アイテムを作るのか、もう少し溜めてアップグレードに使用するべきかを考えたりと、共鳴する部分が多いのです。
これがパクリだとかなんだとか言う気はまったくなくて、そうじゃなくて、ラスアスの(当然1の話ですよ)ああいったゲームスタイルにのめり込めるなら、本作もドンピシャで楽しめると思うよって言いたいわけです。
登場人物がゴリラじゃないのも誉めてあげたい(笑)
ちょっとネタバレになりますが、中盤拠点にするシャトー・ド・オンブラージュ。この設定も素晴らしいです。大人のいない子供だけの世界というか、城。
みんなそれぞれ役割を持ってすごく頼もしく、結束も強く、安心できる空間なのですが、やっぱり全員子供、ってところがミソで、明確に表現されないながらも、この空気にはどこか危うさが漂っていて、この世界観とすごくよくマッチしていると思いました。
続編となるレクイエムも既に発表されていて、いよいよ注目を浴び始めているなという気がしますが、これについて若干の、ホントただの独りよがりな気がかりですけど、あるんですよね。
本作の副題はイノセンスで、確固とした意味はありつつも、その言葉に抱くイメージって結構人によってばらつきがあると思うんです。だからこそ、本作は人によって受け取り方に幅のある懐の大きいゲームになり得たんだと思っています。
対してレクイエムとは、鎮魂歌の名が示す通り、死んだ者に捧げる歌以外の意味がありません。その言葉に寄せる思いは多様かと思いますが、イノセンスほど膨らみのあるテーマではない気がするんですよね。
これの何が問題かというと、それはプレイヤーではなく開発者の側の問題になります。このゲームに携わるすべての人々の思想がこのレクエイムの言葉が持つ明確性に縛られることになるのです。
すると、実際にゲームとして完成し、プレイヤーがそのゲームを遊んだ時に、目に見えないそのゲームの持つ空気みたいな部分に、遊びが少なく、その期待を上回るような傑作は出てきにくいんじゃないかなーなんて、鼻くそみたいな分析をしちゃったりするんですよね。
まぁ、好きの裏返しということで多めに見てもらって、期待してることには変わりないです。今作は等身大の物語ということもあって、「大破壊」などほぼ意図的に触れられていなかった設定などもきっと語られていくことでしょう。
私としてはこの等身大のリアリティを大事にしてもらいたいところです。
あ、そうそう。本作はネズミも大変重要なファクターですが、この世界観において黒死病やペストを思わせるエピソードというのは思いの外(ほか)少なく、病の媒介者というよりは生きたまま食われる、より直接的な恐怖の象徴としての描かれ方が強いです(このネズミの存在自体も文明の衛生状況による自然発生ではなく、超常的な力に操られて発生したようですし)。というわけで、ネズミに食われるシーン、食い散らされて臓物が飛び出してる死体などグロい場面も多いです。特に、何て言ったっけ、ハスコラじゃないけど集合恐怖症みたいな、小さなモノがたくさん蠢いている画に生理的な嫌悪を抱く人には要注意です。
でも我慢して遊ぶ価値はある!(他人事)
エンディングは珠玉の出来だと思います。ハッピーエンドのはずなのに、言い表せない切なさに包まれたエピソードでした。
記憶を消して、もう一度遊びたいゲームですね。
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そうでしょそうでしょ!もっと褒めて〜(笑)なんてね。
ちょっと気になって調べ直してみたのですが、続編のレクイエム、ちゃんと開発中のようです。
ただ、どうも、これ、X|S専用かもしれない。
ストア表記というのか、最近のX|S対応ソフトって、専用なのか、どっちでも出来るのか、ぱっと見わかりにくいですよねー。