昨日、赤穂浪士の討ち入り後の撤収路をたどってみた。ナツメ社の「図解雑学忠臣蔵」という本を参考にして両国→泉岳寺の間を約11kmの行程で昼食を挟んで4時間(11時→15時)かけて歩いた。当事者たちは3時間(6時→9時)だった様だ。当時は両国橋の船頭に頼んで水路で泉岳寺まで行くつもりだったそうだが、断られたため陸路で移動したとの事。
行程は両国の吉良邸→回向院→永代橋→聖路加国際病院前(旧赤穂藩邸)→築地本願寺→築地場外市場横→汐留→泉岳寺というルート。永代橋→聖路加国際病院前(旧赤穂藩邸)の鉄砲洲通りは平日で会社員のランチタイムと重なり混んでいた。築地場外市場は外国人概要に多く、混雑を避ける為に少し迂回してしまった。泉岳寺は浅野家の菩提寺との事で浅野内匠頭の墓石の横に四十七士の墓石が並べられていた。墓石の拝観は無料という建前だが「お墓なので線香をあげて」という流れになっており、300円で100本位の線香に火をつけて竹の器に盛ってもらい、それを持って各墓石に線香をあげて回った。
思ったのは、300年位の時空を超えて線香をあげ続けて貰ってる四十七士達は幸せかも知れない。が、線香をあげる側の当人たちは、先ずは日頃から自分の先祖に線香をあげてないとご先祖は苦々しく思うのではないか?先ずは自分の先祖を大切にしておかなければならない。
あと、殿様と下級武士の墓石を見るとその大きさが全然違う。身分の差は亡くなった後も残るもんなんだ。
あと、歴史に名を残さない一般庶民は徳を積もうと積むまいとコレだけの時空を超えて線香をあげてもらう事はないよね。
それから、11?qもよく歩き切った。いつもは1〜2?qも歩くと腰が我慢できなくなってしゃがんでストレッチするんだけど今回はそんな事しなくても大丈夫だった。