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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。

2024年02月19日

大阪呑み

土曜日は呑み会の前に靴を買いに行った。
ネットで見て気になっていたブランド。靴だけは実際に履いてみないと判らないので実店舗へ。心斎橋パルコ、確かこの場所は心斎橋そごうだったのだ。
アパレルをやっていた頃、心斎橋そごうを担当していた。もう38年前だ。懐かしい思いで全く様変わりした建物に入った。

呑み会は女性3人と。もう知り合って3年近いか。2人は年下、1人は年上。SNSのグループで知り合い、東京に居る時に大阪出張の時に合わせて何度か呑みに行った。。
不思議なものだ、異性ではあるが全くの純粋な呑み友達なのだ。オッサンと呑んでいる感覚なのだ。呑むスピードも同じようなものだ、みんなかなりの大酒呑みだ。
1軒目は串カツ屋。そこを出て他で呑んでから17時半に予約している別の居酒屋に行くつもりだったが、話に花が咲く。ケツは重いまま、1軒目で2時間を過ごした。

3軒目はカラオケで2時間を過ごした。
ちゃんと帰るリミットの時間を前もってチェックしていた。ちゃんと最終のバスに乗れるよう。
ギリギリ電車には間に合った。座れたのもラッキーだった。
ちゃんと駅を降りたのだが、お腹が痛くなった。かなりの量を食べたからか、いや何かが当たったのか。駅でトイレに行きバス停に向かう。目の前でバスは行ってしまった。
乗れなくて良かったかもしれない、またお腹が痛くなったので、また駅に入ってトイレ。3駅先の家の駅へ。この駅からはタクシーで1000円ちょっとで済む。
夜にもお腹が痛くなった。やはり何かあたったのではないのではと思ったが、朝には収まった。

そんなに酔っていないと思っていたが、日曜日の午前中まで軽く頭は痛かった。
オンライン英会話もキャンセルして午前中はゆっくりした。ジムにも行ったが、ルーティンの筋トレは半分でやめてストレッチを長くした。
そういえば今年に入って呑まなかった日はない。休肝日がそもそも必要なのかという議論もあるようだ。調べると週に連続して2日の休肝日で体内からアルコールが完全に無くなるらしい。
まあ、人によってアルコールの処理能力は違う。よほど調子が悪ければ呑みたくなくなるものだし、あまり考えなくて良いのかもしれない。

身体は大きな変化はない。今日は魚の美味しい居酒屋の予約日。10日に1回の予約日がもうやってきたのかと思う。
今週は木曜日からまた4連休だ。
posted by shigenon at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年02月16日

初体験

鯛をもらった。
14日は会社内にあるお稲荷さんの初午。神主が来てお祈りをしたのだろう、そのお供えとしてお酒やら昆布、餅などを用意した。用意するのはウチの総務。終わるとそのお供えは総務内で分配。
鯛は人気がないようだ、調理しないといけないからだろう。どうぞどうぞと言われ喜んでもらった。
帰りにおばんざいのお店に行こうと思っていた。店が要ると言えばあげるし、要らないのなら呑んでいる間は冷蔵庫に入れてもらおうと。
店に行くと満席だった。他の店に寄ると鯛の保存ができないので仕方なく帰ることにした。

家に着いて鯛を母親に任せて近所の居酒屋に行こうと思った。
いや待てよ、母親はできるだろうか。認知症以前に調理自体がそんなに出来ないのだ。鯛を捌くなどは無理だろう。初めて魚を捌くことにした。バスの中でYouTubeで捌き方を調べた。
鱗を取るにも鱗取り器がなかった。包丁の背で簡単に取れるほど鯛の鱗はヤワではなかった。何か手ごろなものと考えた結果、大根おろし器を使うとうまくいった。こんなに鱗は多いのかとイヤになりながら、包丁も使って完全に鱗を取るのに小一時間かかった。
頭を落とすのも簡単ではなかった。家の出刃包丁が全く切れないのだ。
初めての三枚おろし、骨にたくさんの身が残った。反対側はうまく出来た。内臓も白子と肝をよける。
この作業も小一時間かかった。
もう21時半、何も食べていないし呑んでいない。近所のバーに行くことにした。

翌日、あら炊き、半身は塩焼き、半身は鯛めしに調理した。
あら炊きは味がそれほど染み込まなかった、水を入れ過ぎたか。塩焼きは皮が剥がれて身が崩れた、塩水に漬けたのが失敗か。鯛めしは味が薄かった。
まあ、初めてにしてはよく出来たかもしれない。もう一度鯛を買ってきて調理したいくらいだ。

身体の調子。
右のモモ裏が張っているので、ジムでフットローラーでゴリゴリ。前脛骨筋・後脛骨筋も膝から足首にかけてローラーに当てる。
家に帰ると親指の母指球に強い痺れがあった。気にはならない、ここが神経の起点なのだろうかと考えるがあっているのだろうか。刺激が入って影響があるからこそ別の場所が反応するのだ。嫌な感じがない限りそれは良い反応だと思うが、どうなのだろう。
明日はSNSのオフ会、大阪で。15時半から呑むのだが、幹事がはしご酒をして19時半からカラオケとか言っている。帰る時間をちゃんと見ておかないと、またタクシー代6500円になってしまう。
posted by shigenon at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年02月14日

刺激と筋力

4連休は想像通りの過ごし方、特に何をするでもなく。
ジムには3日連続で行ったから軽く筋肉痛。ふつうで言う筋肉痛を感じられるのは嬉しいことで、数年前までは違う痛みに変換されて感じていた。
酒蔵に酒を買いに行ったくらいか。車で40分ほど行けば最近気に入っている酒蔵元がある。限定の春酒が出たのでなんか欲しくなったのだ。その近所にもお気に入りの酒蔵元があって2か所へ。
両親を連れて行った。外に出る機会はデイサービスくらいしかないのだ、車から昔通った風景を見るのも良いだろうと。

右脚はいつも何らかの痺れの変化がある。
押せば痛みや痺れがあることに違和感を感じ続けていたが、もうこれにも慣れてしまった。痛みというより痺れか、押せば感じるのは。
違和感を違和感と感じなくなるのは脳の働きなのだろう。いちいち気にしていても仕方ないのだよと脳が教えてくれている。
不思議なのが、鍼の度に押した時の感じ方が変わる。今は前脛骨筋・後脛骨筋を押すと、その起点の足裏まで神経が響く。鍼によって何か変化があるのは事実だ。

筋や末梢神経に刺激を入れることは気持ちも良いし改善になる。
ただ筋肉がちゃんと働くように最低限の使える筋力が必要だろう。たぶんそんな指導することは簡単なのだが、そのバランスが取れているかは自分しか判らないし、そのためには知識も必要になってくる。ここが難しい。ほとんどの人はそんなことを思わない。思わせることが必要なのだろう。
刺激はストレッチで筋を伸ばすだけでも簡単に得られる。最近になって痛い箇所の改善を判りやすいショート動画で表現している海外のPTさんのページを発見した。
刺激が入っても、それをどう自分に活かせるかが大事なのだろう。

寒さに震えないことをずっと考える。前は慣れなのだろうと書いたが、体内の温度が上がっているのかもしれない。寒さを感じるセンサーと前に書いたことがある。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/774/0?1707883311
間違いなく寒さは皮膚表面で感じるのだろうが、体内温度が高いとセンサー可動しないのかもしれない。朝起きて自分の部屋タバコを吸うが、前夜から窓は開けっぱなしで外気と変わらない気温の部屋。
ここで朝は一服したりヒゲを剃るが震えない。前は震えるような気温だが、そんなに寒く感じないのは体温が維持されているからなのだろう。こちらの約1年の生活の中でなぜか血行が良くなったのかとも考える。

また明日はオフ。明日は父親と自分の整形外科の予約日。
もう1ヶ月経ったのかと思う。遊びの予定をどんどん入れないと過ぎゆく日は早いぞと自分に警告しよう。
posted by shigenon at 13:13| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年02月09日

身体の状態2024年2月

身体が良きにつけ悪しきにつけどう変化したのか、変化していないのか。
先週行った東京のジムで東京にいた時そのままのルーティンでの筋トレ。今のジムでの筋トレ感覚と比較する。腕の筋トレはキツく感じ、脚はすごく軽く感じる。同じ箇所を鍛えるマシンでも動かす方向やグリップが違えば効く箇所も微妙に変わる。
まあ腕はそうだろう、今のジムの荷重は軽く感じているから。脚が強くなったのには少し驚いた。
筋トレが終わると自転車マシンにつかまり横屈伸。土曜のスタジオ待ちのお気に入りだった女の子を見るためにこの場所で横屈伸をしていたのだなぁと思い出しながら。
驚いた、横屈伸の深度が深まり身体がよろけず安定していた。

手の痺れが強くなったのは間違いないか。
車をバックする時にハンドルに手のひらを押し当ててハンドルを動かす。その時の感覚が前と違うように感じる。どれだけ強くなったのかは判らないが、今のところ日々の生活に大して影響はない。気にしても仕方ないのだ。
気にすれば余計に痺れているように感じる。気にしないと痺れや痛みは忘れられる。これは脳の働きなのだろう。脳はできうる限り望む自分にしてくれるのだ。
鍼を打った脚の感覚は良いまま。まだ打ってもらった箇所の感覚が活きている。少し指で押すだけで、打ってもらった時の感覚が蘇って気持ちいい。

明日から4連休、特に予定はない。放置している医療費控除を完成させないといけない。
あとは少し手の込んだ料理でも作ろうか。といっても何も思い浮かばないが。父親の作った大根やらカブやら青梗菜が大きく育っている。それらも消費しないといけない。
母親は収穫するのはいいが、野菜室に入れてそのままだ。昨日は残っている野菜でシチューを作った。
何か肉系の料理を作ってみるとするか。
posted by shigenon at 14:43| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年02月07日

出会い

歯の調子が良くない。
奥歯のかぶせは先週の火曜に左下3本が入った。そのうちの1本に痛みを感じていた。昨日は右下の奥歯3本が入った。
痛みのある歯はかぶせる前にもしみたりしていたが、それを言うとコーティングしてくれて痛みは無くなっていた。が、かぶせる時に削ったら痛みが出てきた。かぶさると上の歯に当たると痛い。痛くなかった上の奥歯も痛くなってきた。これは慣れるのだろうか。
昨日もとても丁寧に噛み合わせを調整してくれた。が、夜に親知らずが欠けた。少し削ったからだろうか。それを今朝同級生の衛生士にラインするとともに痛みがあることを言うと、土曜日にまた来てくれということになった。まあジムくらいしか予定がないから問題ない。

今年最初のブログでマッチングアプリを始めたと書いた。
3人の女性と実際に会った。一人は高い店で奢ってもらうことが目的だけの人だった。二人目は会って楽しく食事をしたのだが、合わないような気がした。先方から断られたが。
三人目はとても頻繁にメッセージをやり取りした。朝も昼も夜も。寝る前には電話で話もした。初めて会っても親近感を感じ、もっと会いたいと思い翌日にも会ったし翌週にも会った。
手が空けばメッセージをやり取りしたので、ずっとそばにいる感覚だった。結局それは15日くらいで終わった。
電話で短い結婚と離婚の理由を聞かれたので、自分としては丁寧に長い話をした。
その翌日からメッセージが来なかった。自分の過去のことだ、何が気になったか判らないがそれは変えられない。自分からはしつこくメッセージできなかった。
そうして、楽しかった関係は終わった。自分としては久しぶりにトキメイたことだったのだが。

よく書いているように、起こってしまったことは仕方ない。
受傷してからは過ぎたことを悔やまないように生きてきた。そこが元々の自分の性格から変わったところだ。そうでないと10年も元通りを目指すことなど継続できない。
が、こと人との関係になると喪失感は強い。特にトキメイていただけに。
皆が皆ではないだろうが、やはりこういった出会い方はこんなものなのだろうか。少なくとも別のSNSで知り合った人たちとは楽しく遊んでいるのだが、男女の出会いとなると違うのかもしれない。
しばらくは休日の予定もなくなった。

まあしばらくは自分のやるべきことをやって、新たなことを考えよう。老い先短いのだ。
posted by shigenon at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年02月05日

2024年2月上京

楽しい上京だった。
東京にいた時の晩期、ルーティンで行く店は2軒だった。火曜日を過ごす洋食屋と週末を過ごす居酒屋。このブログでも何度も出てきている。自分にとってはただの酒を呑んで食べる場ではなく、そこに行くことが楽しみであり、自分のリハビリの励みになっていたのだ。
週末を過ごしていた居酒屋は家族のように付き合っていたのだが、こちらに戻って何回目かの上京の時に行くよと連絡した時にそっけない対応だった。
いつも自分のリクエストの料理を用意してくれていた。そう思い電話をしたのだが、バタバタしているから来なくていいよ的なことをマスターに言われた。
ママにラインをしたが返事はなかった。

悲しい思いだった。
それが夏くらいだったろうか。その後10月頃に店を閉めたと常連のお客さんから聞いた。
こちらに帰ってからの生活に慣れることで精いっぱいで、上京する時にしか連絡しなかったから冷たいと思われたのだろうか。相手の思いだけは自分ではどうしようもないことだ。
今回の上京で連絡してみることにした。水曜日だ。
いつもの明るい声でママは電話に出た。久しぶりと懐かしんでくれた、まるで何事もなかったかのように。そうなのだ、自分は何事も先回りして悲観的に考えてしまう。
そして金曜日に呑みに行く約束をした。マスター、ママ、常連のお客さんカップルと。

居酒屋の後にカラオケに行った。前から何度も行っていた店。
するとずっと居酒屋の常連で、一緒に旅行までも行ったカップルが来ていた。いつもお店で仲良くしていたのだが、東京を離れる1ヶ月ほど前にマスターかママと言い合いになったようで来なくなってしまっていた。
もう1年ほどが過ぎたのだ、大人同士は合ってにこやかに挨拶をする。何が行き違ってお店に来なくなったのかは判らないが、自分にとっては週末を過ごした居酒屋の思い出の人達なのだ。

土曜日はSNSの友達との呑み会。男女総勢10名。会ったことのある人は4名だが、他の6名もSNS上ではやり取りがある。
居酒屋→貸し切りカラオケ→居酒屋と楽しく過ごした。SNSで知り合っただけというライトな付き合いだから気を使わなくて良いからなのだろうか、これって表面上の楽しさなのだろうか。
そんなことを思うが、みんな楽しく遊んだのは事実だ。
深く付き合えば付き合うほど、色んな思いが入って人間関係が難しくなるのだろう。

鍼のことを忘れていた。このために東京へ来ているのだ。
前回の後脛骨筋への鍼がすごく良かったのでそれを言う。間違いなく後脛骨筋が支配する部分に痛みや神経痛を感じている。これはかなり前からだった。
後脛骨筋だから後ろから打つのが良いと思うのだが、センセイは前から打つ。「今、後脛骨筋の一番上に触ったと思いますよ」そんなことを言いながら。
鍼の技術的なことは判らない。打ってから鍼先をしゃくりあげるとか骨に当てて滑らせるとか、鍼自体に痛みは感じないが想像するとゾっとすることを聞きながら。間違いなく鍼の経験の少ない人には言わない方が良い言葉だろう。

鍼後、独特な感覚になる。はっきり言うと痺れているのだ。
それは悪い感じではない。筋肉の中の方が引っ張られているような感覚と言ったらいいだろうか。動くたびに色んな筋肉が刺激されていくのがわかる。まるでまだ鍼が置いてあるような感覚なのだ。
金・土と2万歩歩いた。歩くたびに刺激を感じる。
これがどのような効果になるかは正直わからない。ただこれまでこの繰り返しで気づけば良くなったのだ。刺激を感じ、それを良い方向に持っていくのは自分なのだ。治療を受動だけでやっていたら、悪くはならないだろうが良くなる感覚を身に付けることはできない。

週3勤務でも月曜はなんか疲れる。ただ明日はオフだと思うとお気楽だが。
週末は4連休だ。4連休が2週続く。
posted by shigenon at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月31日

手の痺れと孤独

オフの火曜日は朝から粛々とやる予定を進めていった。
買い物、髪のカット、そしてヒトカラへと。近所のカラオケボックスが11時開店だと知ったのは着いてから。10時半だ、仕方なく隣の食堂チェーンへ。
朝飯定食を食べている人の中で、酎ハイが目についたので酎ハイとイワシの梅煮。朝から食べるメニューではないが。11時にカラオケボックスに行ったが開いていない。30分待っても開かないので諦めた。
今週は東京でSNSの友達と新年会、カラオケに行くので少し練習をしておこうかと思ったのだ。
帰ってのんびりしてから歯医者へ。
この日は下の奥歯5本分のかぶせが入った。ようやく左だけは噛めるようになったが、?み合わせを高くしたため違和感がある。噛めるかというと今日の昼めし現在、噛みにくい。

一昨日書いたが、手首から先の動きに不安があると思った。でもそれは手の痺れが強くなっているからかもしれない。
手の痺れの強弱はもう意識していなかった。痺れていないと思って手を使っていたら、痺れている感覚は気にならない。それに慣れ過ぎたのだろうか。
シャツの胸ポケットにタバコとライターを入れる時に。2回ライターを入れそこなった。いちいち胸ポケットを見なくても出来ていたはずなのだ。胸ポケットの幅を指で触れて開き具合とかを感じながらしまうという行為。
それと朝にシャツを着る時に、ボタンが閉めづらい。クリーニングによる糊の強さかと思ってはいたが、視認しないとはめ辛い。見なくても感覚で出来ていたのだが。

今日、会社に来ると給与支払報告書を各行政に提出する作業を手伝ってほしいと言われた。かなりの件数がある。
単純作業だ。レターパックに作っておいた住所を貼る。そしてレターパックの問い合わせコードを剥す。
ラベルシールを剥す、レターパックの問い合わせシールを剥す、これらの作業をやりながらも感じた、やはり指の感覚が少し鈍っている。つまりは痺れが強いのだろう。
受傷後、いつから手の痺れを感じ始めたのだろうと思い返す。最初は動かないから痺れているという感覚はなかったと思う。動くようになってからか。
いや、もっと強い痺れだったように思う。正座した時の限界の痺れ。指は機能として動かしにくかったことに加えて痺れていたのだったか。

両手の痺れを悲観的に感じたことを覚えている。もっと酷い症状があってもあまり悲観的に思ったことはないのに、両手の痺れだけは自分が生活できるのだろうかという不安を感じさせた。
ビタミンB2が痺れに良いと聞いて飲んでいた。
いつも間にか疼痛と痺れを感じないようにするコントロールができた。脳も常に痛みや痺れを感じることに疲れたのだ。
今も入力しながら手に意識を向けると、確かに前よりも痺れているのは間違いない。低気圧の影響など一過性であればよいが。

2週間ほどワクワクするような楽しい日々だった。それについては書かないが、それも終わるようだ。やはり自分は色んなことに適切に対処することができないのだろうか。仕事以外のことに。
人にはその人の持つ傾向がある。自分の傾向は孤独を求めるのだ。そうならないよう、長い人生の中で気を付けてはいるのだが、どうやら死ぬまで傾向とやらは変わらないのだろう。
木曜の夜行バスで東京。前回の後脛骨筋への鍼をリクエストしよう。手の痺れも話してみよう。
土曜日は昼前から多くの友達との呑み会。半分以上は初めて会う人だ、それも楽しみだ。
posted by shigenon at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月29日

首から先の連動した動き

朝から社内報を各拠点に発送する作業。
もうすでに送った拠点もあり、社内報の箱は開いている。寒いしワーキングスペースじゃなく自席で封入をやろうと運ぶ。
箱の開いた部分を両手で持つ。持ち上がらない。箱の下から腕を使って持つとなんとか持てる。
どれくらいの重さなのだろう、10キロあるのだろうか。でもあってもそれくらいだろう。それがうまく持てない。筋トレでは33キロを押しているのだが。

グリップが付いたものを上げたり引いたり押したりするのとは違うことは判る。だが不安定なものを持ち上げるということが10キロ程度で苦労する。本当に重いのかどうか、隣席の女性に持ってもらったが、何とか持っていた。
空いた箱を空いたフタをつかんで上げるといった動作は指で挟む力と手首の力、そして腕の力だろうか。
これがダメなのだろう。握力は筋肉がかなり付いた今でも6,7年変わっていない。それぞれの単体の力もあるが複数の力を組み合わせるということも必要だ。
単に引っ張り上げるだけだと箱のふたがよじれて破れる。そうならないよう、手の力を入れたまま手首を動かしたり力を調整していたと記憶している。それを頭が覚えている。力を入れるだけでなく力を抜く調整、それができない。

最初の頃に書いたよう、受傷後はなぜかスリッパを履けない。履いてもすぐ脱げる。これは他の中枢神経損傷者の人も同じだったという。足首がうまく動かないからか。いや、足首だけでなく足先から踵までの動きだろう。スリッパを足に密着させるには脱げないように足指や足全体の角度、足首をうまく微調整しているのだ。その複数の動きのコントロールができないのだろう。
スリッパが脱げずに履けるようになったのは、足首に柔軟性が出たから。脱げにくくなっただけだが。
冬になり、ブカブカのボアのスリッパをはいている。それは踵も靴下のように覆えるのだが、スリッパの状態で使用している。
履き始めは脱げることなく履いていたので、何か自分の状態が進歩したように感じていた。それが、先週あたりから階段を降りる時に脱げるようになった。

自分では悪化せずに良い状態が続いていると思っていた。そして機能も良くなっているのではという期待を持っていた。
足首や手首から先の動かし方、それも複数の筋肉をうまく使う動き。それが回復していない。それをリハビリしていない。どういう訓練をすればよいのだろう。長い棒を手のひらに立ててバランスを取るような事を思い浮かべるが、どうなのだろう。
中枢神経損傷者がこのような動きに難があることは明らかになっているのだろうか。そしてそれに対するリハビリとかは行われているのだろうか。優先度が低くはない事柄だとは思うのだが。
posted by shigenon at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月26日

元通りまでの生活

身体の状態を最近意識しなくなっている。
最近は1日の中で別のことをして時間を過ごすことが多くなったからだろう。
それに加えて以前のように痛みや痺れが強くなることが少なくなったからか。それはそれで嬉しいことなのだが。
この前の鍼以降右ふくらはぎの張りは減っていたのだが、気づくと張っていた。張っていても何か日常の動作に影響があるかと言えばない。昨日フットローラーに乗って気づくほどだ。
それは自分で解決できる。フットローラーで筋硬結を潰すように当てる。そのものが対処療法なのだが仕方ない。
意識しないと痛みや痺れを感じないのは良いことなのか悪いことなのか。

意識しないと痛みや痺れを感じないのは、自分がそう訓練しただけのことだ。辛さを常に感じながら生活はしたくないので、それはそれで良い。
ただ、それに慣れてしまうのは良くないのだろう。持病のように当たり前化はしたくない。症状固定を認めていることになる。ただ、いつも自分の身体の状態を思うことに疲れたのは事実だ。
悪く感じればそれなりに自分の症状を変える術を考えていた。今は何か新しいことを考えているかといえば何もない。

何かをすることが目的ではない。元通りが終了地点。何もせずに終了地点には行けないが、途中の生活を楽しみながらが大事なのだ。90歳まで生きたが、89歳に元通りになりましたでは悲しすぎる。
今の身体の限界を知らないといけないな。そうしないと禁忌事項が定められない。まずはどれくらい歩けるかという身近なことからなのだろう。
2年前に龍王峡を歩いた時も腰と肩がパンパンになった。先週2日で28000歩の翌日は腰と脚がパンパンだった。もちろん健常な時もそうなったのだろうが、これしきの距離ではならなかった。
それはうまく身体が使えていないことなのだろう。
何事もやってみて初めて気づくことも多いのだ。
posted by shigenon at 10:59| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年01月24日

最後まで生きる人

月曜日の夕方、電話が鳴った。アナミさんだ。
「久しぶりです〜、〇〇さん!」と元気のよい声。アナミさんは大阪時代にお好み焼き屋で知り合った人。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/628/0?1706056886
もう廃業したお好み焼き屋のママやアナミさんからは時々電話がある。その都度書いていたが、ここ最近書くのを忘れていた。
ママからは今年の正月に電話があった。いつも年賀状が着いたら電話をくれる。去年こちらから電話をしたのだが全然出なくて心配をしていたのだが、元気そうで安心した。
アナミさんも、こちらに帰ってきてから一度電話した。それ以来だった。

「大変だったんですよ〜、死ぬとこやったんです」
アナミさんは自分より10歳くらい歳上だが、いつも丁寧語を使う。
聞けば、先週まで入院していたという。大動脈乖離で救急車で緊急入院していたと。それも、前回電話をした翌日位に急に倒れて救急車を呼び、先週まで。7か月くらい入院していたそうだ。
「サイレン鳴らさんと来てくれ言うたら、あかん言われてね」「国道まで出るわ言うたら、動いたらあかん言うし」「もう家出た言うてウソついて国道出ましたわ」
ポンポン喋る。もう回復したのかと聞くがそうでもないようで、息が切れるという。入院していても瀕死の状態だと自分でも思ったという。
「1回夏に退院して、会社の若い子連れてアワビ取りに行ったんやけど、ボート引くだけでゼイゼイでしたわ」「波打ち際でチャプチャプ遊んでましたわ」
おい、入院中に海に行くなよ。屈託のない笑顔で喋るアナミさんが目に浮かぶ。まるで目の前にいるようだ。

よく一緒に海に行った。1時間半ほど沖から戻らず、心配しているとニコニコしてアワビを10個くらい取ってきたアナミさんそのままだ。大阪を離れてからも2回会ったか。
「近いうちにママにも声かけて呑みに行きましょうよ」という。いや、呑んでも大丈夫なのだろうか。
聞くと家では呑んでいるという。
アナミさんは死なない。何が起こっても最後まで生きる人だ。それを思うと、なんて自分の周りには生命力に溢れた人が多いのだろう。何度も書いた元居酒屋Kのマスター、沖縄のAさん。どちらもステージ4からの復活。
受傷前から、このような人たちと仲良く呑んで多くの時間を過ごしていた。それは少なからず、自分が当たり前のように元通りを目指すことを思ったことと無関係ではない。
posted by shigenon at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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