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日本人の英語の発音 【復刻日記】『副題 カタカナ英語でもいいのか?』このごろ、テレビで吉田茂元首相の英語での演説が部分的に紹介されるサンフランシスコ講和条約調印式での演説である英語学校、「NOVA」のテレビCMの中でこれが流されている吉田茂はたしかオックスフォードを卒業している(注 ; 最近、これは間違いだとわかった 海外留学の経験も無い ただ駐英大使の経験がある)息子の作家、吉田健一氏も同様であるこの吉田健一氏は、あの文豪夏目漱石の英国小説に対する評論に対して「漱石は英語がわかっていない・・・」的なことを書いたほどの人だだから吉田元首相の英語はさぞやすばらしいオックスフォード風発音だろうと思っていたのだしかし、この古いニュース映画で聴くかぎり、典型的なカタカナ英語だ・・・と言っても、日本人の自称、「オックスフォード卒・ケンブリッジ卒」はほとんど嘘っぱちだという卒業者名簿を詳細に調べて見ると中途退学がほとんど中には全く入学さえしていないケースがあるサッチーの「コロンビア大学卒」を笑えないわけであるアメリカの有名な雑誌の「20世紀で最も影響力のあった経済人20人」と言う特集に、日本人でただ一人選ばれたことがあるソニーの盛田昭夫氏がいた世界に誇る英語の使い手と言われたその盛田氏の英語を聞いたが、とんでもないカタカナ英語だったしゃべった内容がすばらしかったかどうかは覚えていない意外なカタカナ発音にびっくりしたのだもちろん、日本人の英語力は読み書きにあるしかし、発音はカタカナだ英語ネイティヴの人が、われわれの方に歩み寄ってくれて、「ジャパグリッシュ」(日本人訛りの英語)をあえて聴こうという意志的努力をしてくれないと、はなはだ聴きにくいものだと私は思う私の英語力なんて大したものではないテレビでの米英映画を見ても、それほどよくわからない少なくとも理解し始めるのにちょっと時間がかかる娘などは英国人学校に通っただけに、それに母親が大学の英語教師だから、話す方はともかく、リッスニングはほぼ完璧に出来ているようである時々「えっ!? お父さん、あんな所もわかっていないの?」と驚いているくやしい・・・それに、自分勝手に「発音だけはいい」と思っていて、英国人にもほめられたことのある(ただしスコットランド人!)私の英国英語(RPのつもり!))の発音も、多国語をマスターしている娘から見ると、やっと合格ぐらいのものらしいというのもショックである「言葉は人なり」本当にそう思う書くものも話すものも、その人となりを表すこのごろの小泉首相の日本語のコメントも、意味不明のたわごと、国民をバカにしたような、ごまかしのレスでしかない彼の本当の人間性・人間力というものがここに来て、露わ(あらわ)になってしまった・・・と言ってもよいと思うまあ、もともと深い人間ではない、哲学的な思考のある人間ではないそういう印象であるまた、彼の英語の発音もひどい早口のカタカナであるデーブ・スペクターが「ネイティヴには理解が困難」と言っていた戦後、進駐軍との交渉で鍛えたという宮沢元首相の英語も、発音だけを取り上げれば、しょせん、悲しいカタカナ英語だ田中真紀子氏の発音は、米国の高校に行っていただけあって、「かなり」、ネイティヴ風だもちろん、いろんな英語があっていいという強い意見があるこの日記にそう言う意見を何度も書き込んで来た人達がいるネイティブ・スピーカーで無い人間はそれぞれの発音で英語をしゃべればいいという考え方だ何もイギリス人・アメリカ人の英語だけが英語では無いという考え方だ日本人は日本人なりの英語をしゃべればいいという考え方だ例えば普通、インド人の英語はものすごいインド訛りでジョークの対象にもなるロシア人やフランス人のなまった英語も同様(愛嬌があるとも言えるが)しかし私は「日本人は日本人の発音で英語をしゃべってもいい」というのは、結局、負け惜しみの開き直りだと私は思う我々が初めて英語を勉強した時にはネイティヴの人の発音を目標にしたはずだやはり一応は英国英語または米国英語を目標に発音しないと、目指すべき「標準・スタンダード」というものがないではないか? ~~~~~世界英語を積極的に提唱する人も、英語のスペリングがどうでもいいとはまさか、いうはずがないと思うスペリングが正確であってこそ、単語の定義の内容、英語の文法による文意の表現が正確に伝達されるそれと同じように「正確な発音によって、どの単語がしゃべられているのか?が判断されることになる発音が不正確であると、誤差の程度問題としても、伝達が不正確になるのは当たり前であるだから「発音はいい加減でいい」という理屈は成り立たないまた、日本人の英語はカタカナ風でいいのであって、ネイティヴの人にそのカタカナ英語をすばやく推察して、正確な英語に修正して、理解してもらおう・・・と言う意見もただ勝手だと言うしかない~~~~~発音も「スペリング」や「文法」と同じように英語の非常に重要な部分なのだこの世の中に自分勝手で、いい加減でいい・・・ということは少ないのが現実であるそれに言語というものは、原始人の間でまず『声』として始まったもののはずだ
2008.08.31
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英語のブラッシュアップ数十年も「放置プレー」状態にしていた(笑)英語と、また少し「関係」を持ちたくなった私の英語のレベルは、それほど高くない海外ビジネスで、なんとか通用するぐらいのレベルであるそれはそれとして、今回は、英語といっても「リスニング」だけである読み書きにはもう、興味がない死、日常生活においては、ニーズもほとんど無いしゃべる方は、native speaker の相手がいないこのごろ、ふと思いついて、ケーブルTVのCNNやBBCをながめていると、案外、リスニングが出来るので、うれしくなったのであるやはり英国英語の方が楽だがこれからは、音声切り替えスイッチを「英語」にしておく(つもり)~~~~~~~~~CNNやBBCはニュース中心だから、その内容も予め知っていたり、見当が付いたりで、理解が容易だニュースチャネル以外のチャネルでは、例えば【DISCOVERY チャネル】【HISTORY チャネル】【NATIONAL GEOGRAPHIC チャネル】などがあるこれらのチャネルを日本語の音声で聴くより、英語の音声で聴く方がシャープに、的確に理解できる(ような気がする(もちろん、わからない単語・知らない単語も多いのだが)日本語の同時通訳を聴いても、どうもスッキリ理解できない日本語というのは、英語のような【キリッと簡潔で、ピンポイントの的確さ】という表現が苦手な、「あいまい」な表現しかできない言語なので、こうなるのであるもちろん、日本語のあいまいさも詩歌に於いて独特の魅力になるのではあるがもうひとつ、ある英語はその言語的特性として、重要な部位からトップ・ダウンに表現する新聞記事の構造なども、同じように、最重要な部分をトップの見出しにして、次に中見出し、さらに小見出しと来て、本文となる多重構造になっている情報の消化に最適の構造であるそれに対して日本語は、それと反対に、重要でない、いわば「枝葉末節」の部分から表現し始める言語であるだから日本語では、結論がどうなのか?は、文章の最後にならないとわからないダラダラと彦伸ばされたあげくに、最後でロジックの逆転もありうるのである英語と日本語のどちらが我々の脳に、スッと入ってくるか?自明の理である~~~~~~~~~NHKの夜のニュースには、英語の二重音声もある日本の「べた」なニュースを二重音声の英語の方で聴くと、日本語の聞き慣れた時事用語が英語に変換されただけで、「なるほど!」と、「プチ」感激することが多いそれに、ひとつの言葉を日本語だけでなく、英語でも頭に入れておけば、頭脳のトレーニングになる老化防止である(笑)~~~~~~~~~ただ、日本語と英語では、構造的にも、表現センス的にも、発想的にも、非常に異なる今は全く読まないが、ジャパン・タイムズに限らず日本で発行されている英字新聞の英文は、言語的なミスを犯してはいないものの、どうしようもなく日本人的英語で、ああいうのをあまり読まない方がいいと思う
2008.01.25
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昨日に続いて、英国関連これも本当は【復刻日記】なのだが、少しリライトしておいた~~~~~~~~~「英語の冒険 Adventure of English」メルヴィン・ブラッグ(Melvyn Bragg) 著アーチストハウス発行 角川書店発売1,800円新刊書として買った本だ。めちゃめちゃ面白い本だ・・・、と言っても、まだ全部は読んでいないが。表紙の扉のところに書かれている下記の言葉が、この本の内容を要領よく説明していると思う。~~~~~~~~~【「英語」は、悪魔のようにイングランドに現れた。5世紀に海を越えてやってきたゲルマン人の戦士によってもたらされ、激しい暴力のもと、この地に根づいた言語だったのだ。しかしその間も、ウェールズ、オランダ、インド、中国・・・ ・・・と英語は世界を一周し、その家庭でラテン語、サンスクリット語、アラビア語、中国語をはじめ何十もの言語を次々と吸収し、世界一の言語へと発展していった!最初は15万人にしか話されていなかった英語が、どのようにして15億人が使う言語になったのか?「英語」が語る、スリルと興奮、波瀾万丈のドラマに彩られた冒険物語~~~~~~~~~イギリスには、もともと原住民がいたらしいが、その人間がどんな民族だったかはよくわかっていない。一説によると、イベリア人というイベリア半島にすむ民族が住んでいたという。つまり今のスペイン人・ポルトガル人に近い人々だろうか?それから、ケルト人がやって来て、ローマ軍がやってきて、さらにローマ軍の傭兵だったゲルマン人がやって来て、やがてゲルマン人達はケルト人(ブリトン人など)を征服し、蹴散らし、海の彼方に蹴落とした。イギリスの一番いい場所であるイングランドを自分のものにした。ケルト人はウェールズ・アイルランド・スコットランドなどに追いやられ、中でもブリトン人は海を隔てたフランスに逃げていって、ブルターニュ(ブリトン)という地域に定住し、昔、自分たちが居住していた英国を「グレイト・ブリトン」と呼んだ。だから、ウェールズ・アイルランド・スコットランドの言葉は、ケルト系の言葉だ。昔はウェールズの先端のコーンウォールにもコーンウォール語があったが、もう死語となっている。英国のゲルマン人達は、サクソン人・アングル人・ジュート人・フリースランド人などがいて、それぞれのゲルマン方言を使用していた。オランダの北海に面する工業地帯フリースランドから来た、フリースランド人の言葉が今の英語の起源になったようだ。今でもフリースランドの基本語彙は英語に非常に酷似しているという。私は欧州にいた頃、衛星テレビで北欧の映画を時々観ていて、デンマーク・ノールウェイ・スエーデンなどのゲルマン系北欧語の英語との近似ぶりに驚いたことがある。英語は、ノルマン人に征服されてからフランス語などが混入して、洗練されているが、北欧語は、ヴァイキングの昔からの原始的?なゲルマン語といった語感。英語からラテン語系の語彙を抜いて、語彙を短くシンプルにしたような感じである。これは、チェコ語とポーランド語との関係にも言えると思う。チェコ語は長い間使用されないままだったので、ラテン語などを吸収する段階が無く、スラブ祖語の姿をより多く残していると思う。例えば犬のことをポーランド語で「ピエス」というが、チェコ語では「ピス」と無骨に発音する。つまりポーランド語は「i」の代わりに「ie」とダブる母音を入れて語感を柔らかにしている。~~~~~~~~~この他に、8世紀頃からヴァイキングが英国を侵略し、特にデンマークからのデーン人が強力で一世紀ほどの間に、英語にいろいろの影響を与えた。この頃の北欧語はまだあまり分化していなくて古北欧語(古ノルド語)と呼ばれていた。この古北欧語は英国の主に東海岸の各地方の村々に入り込み、村々の独特の方言を作った。ノルマンの英国征服もあった。ノルマン・フレンチはもともと北欧のバイキングだったのだが、フランスに定着した。その彼らが三世紀にわたって英国に君臨した。法律・政治・戦争・食生活関係など1万ものフランス語が英語に入り込んだという。以前書いたことだが、食生活での英語とフランス語に当時のノルマン人と被征服者のアングロサクソンの立場がうかがえる。例えば英語話者は家畜の世話をしていた。。ox(雄牛)もcow(雌牛)も本来の英語。フランス語話者がテーブルで食べる調理された肉はフランス語でbeef(boef)と呼ばれた。同じように英語のsheep(羊)がフランス語のmutton(羊肉)になり、calf(子牛)がveal(子牛肉に)、deer(鹿)がvenison(鹿肉)に、pig(豚)がpork(豚肉)に。いずれも英語が動物を、フランス語がその肉を指している。アングロサクソンは働く人、ノルマンは食べる人・・・である。~~~~~~~~~1986年、東インド会社にいた英国人判事で、アマチュア言語学者のサー・ウィリアム・ジョーンズは、インドのアーリア人の聖典ヴェーダの言葉として少なくとも紀元前二千年までさかのぼることができるインドの古典語サンスクリットを詳細に研究した結果、サンスクリット語がインド・ヨーロッパ語族(印欧語族)に属するという驚くべき事実を発見した。(サンスクリット語はいわば文語で、パーリ語が口語にあたるようだが、仏教の経典などはこの両方で書かれていたようだ)欧州の言葉は、ほぼすべて印欧語だが、例外としてバスク語、エストニア語、フィンランド語、ハンガリー語などがある。バスク人は謎の民族と呼ばれる。どうも今の欧州の民族が欧州に来る以前から欧州に住んでいた欧州の原住民らしい。クロマニオン人の直系の子孫とも言われている。エストニア語とフィンランド語は、同じ語族に属するする。ハンガリー語はフン族の一派であるマジャール族の言葉で、おおざっぱに言えばトルコ語に近い。ハンガリーという名前自体、フン+ガリーで、フン族の背景を物語っている。~~~~~~~~~この本では、こういう説明がなされている。■ 【今から四千年以上前にインド平原のどこかで、その土地の言語が移動を始め、それがやがて英語となったのだ。】これはちょっと粗っぽい、英語視点の表現だが、要するに印欧語の祖語がインド平原にあって、それが拡散して印欧語族を作り上げた・・・、と言うことだろう。~~~~~~~~~以前、BBCの製作した番組を見ていたらこういう部分があった。画面はアフガニスタンの、ポロ競技の原型となったという「ブスカシ」という競技を映している。この競技は、子ヤギの死体を騎馬の2チームが奪い合い、自分のゴールに入れるというもの。ポロではこの子ヤギがボールになっている。私の考えだが、このポロからホッケー競技が生まれたのではないだろうか?騎馬ではなく、徒歩でのポロがホッケー。もちろん、ホッケーからアイス・ホッケーが生まれているが。このアフガニスタンやカザフスタン、トルクメニスタンなど、【スタン】のつくユーラシア大陸中央部の国々は騎馬遊牧民の国で、名馬の産地。千里を行く天馬としょうされた【汗血馬】もこの辺の産馬だという。★ 『馬の世界史』 本村凌二(もとむら・りょうじ) 講談社現代新書1562 2001年 272頁 こんな本を読んだ。本書は馬が人類史に与えた影響、馬が人類に与えた速度と支配権の拡大を強調していて、私としては目からウロコだった。馬は人類の交信、統治範囲などに空前絶後の影響・変化をあたえ、馬なくしては、人類の発展は限定的だったかもしれないと説く。もう一方は軍事面で、馬にひかせた戦車は革命的な兵器となり、これを取り入れた国々が覇権を握って世界帝国を建設したというもの。【英語の冒険】の一部の記述、【今から四千年以上前にインド平原のどこかで、その土地の言語が移動を始め、それがやがて英語(印欧語)となったのだ。】【馬の世界史】の記述、ユーラシアの騎馬遊牧民族の馬は、人類の交信・統治範囲を拡大した。この二つの相互関係にお気づきだろうか?BBCの番組で言われていたことは、この地域の印欧語の祖語が、馬という革命的な交信・統治範囲を拡大する手段にのって、世界に(主に欧州方面に)拡散して、今の印欧語族の優位性を築いた・・・、そう言う話だ。~~~~~~~~~しかし印欧語の欧州への移動・拡散については別の意見もある。やはりBBCの番組で見た、地質学的説明である。昔、黒海は単なる大きな湖だったのだが、地中海の海水が上昇して黒海に大量に注ぎ込み、黒海は内陸の海となった。もともと湖時代の黒海沿岸に住んでいた人びとは移動を余儀なくされ、西へ、欧州へ拡散して、印欧語を伝えた。どちらが正しいかは、歴史の謎だと思う。 ★ ★ ★ ★ ★ ★当時、このオリジナル本文に対していただいたコメントや、私のレスをここにコピペしよう。~~~~~~~~~二代続く世界の覇者が英語を母国語としている alex99英国は初めこそローマの一属州でしたが、フランスが世界の覇者である時代が終わると、やがて数多くの植民地を持つ世界に冠たる大英帝国になり、文化的にもシェークスピアを初めとする偉大な文人を持った。植民地を持つことは、その国の言語の普及に絶大な効果がある。インド・オーストラリア・ニュージーランド・アフリカ諸国・ハワイ・フィリピン・シンガポール・香港・カナダ・・・。さらに英国の相続者である新大陸アメリカが、英国のあとを継いで、膨大な人口を持つ英語話者の国を構築して、単独覇者となった。ハリウッド映画・ジャズの影響、インターネットでの寡占状態。みな英語に有利な状況ばかり。語学的に言えば、いろんな言語を吸収して非常に豊かな言語になったこと。文法的に格変化を廃して、その代わりに前置詞を使用することによって、文法が非常にシンプルになった。語順と前置詞の知識があれば、(本当は熟語・成句が難しいが)外国人にとって習得が非常に容易な言語になった。~~~~~~~~~alex99ノルマン支配下のイングランドの言語構造は、ノルマン人はフランス語、教会関係者はラテン語、イングランド人は古代英語、の三層だったようです。英国の植民地の例で言えば :新大陸(アメリカ・オーストラリアなど)は、英国人が植民者の中心でしたから、英語の世界になったのは当然でしょう。インドは他民族・他言語の国ですから、共通語としての英語がむしろ原住民のインド人側にとっても有用だった。~~~~~~~~~alex99そうです、アイスマン。彼は5千年前の人間ですねとすると、シュメールの時代ですねその頃、欧州ではどんな言葉が話されていたのか?興味深いところです欧州の印欧語は民族と同じで、大別して :○ ロマンス語族(つまりラテン語系)○ ゲルマン語系(ドイツ語・北欧語 英語も古代英語がゲルマン系)○ スラブ語系(ロシア語・ポーランド語・チェコ語・クロアチア語・など)当時はもう、こんな系統に別れていたのでしょうか?バスク語だけは欧州の先住民で、周囲の言語とは影響し合っていませんから、当時からあまり変わらず・・・ではないかと思います。
2008.01.21
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この所、昔のサイゴン駐在時代の「冒険譚」はかり【復刻日記】として書いてきたが、今日は、一時的に、軌道修正。リンクの杉山巡さんが、最近のブログで「英語と語学センス」を書いていた。失礼して、私との応酬をコピーっせていただこう。テーマは、語学である。杉山さんは、最近、英語を再勉強されているそうで、その話題になっている。私は海外関係の仕事が多かったので、さぞや英語が達者だろうと思われているらしいが、日本人の「中」レベルでである。日本人の中の「上」レベルではない。松定食・竹定食・梅定食で言えば、竹定食である。兵隊の位で言えば、中尉から大尉に昇進仕掛けと言うところである。ポツダム大尉になるかも知れない。そこんとこ、ヨロシク!それでも、厚かましくアドバイスじみたものを書いた。■ 杉山巡さんのブログ本文Re:語学と音楽的センス「漢字は見て憶えなさい」伊東静雄 庄野潤三さんが中学1年の時、国語の先生が伊東静雄だった。漢字をノートに書き写しながら憶えていると先生が「漢字は見て憶えなさい。時間かかるけどその方がいい」とアドバイスを受けたという。 私が中学1年の時、英語の先生から「テキストは全部暗記するように! ノートに書き写して憶えるんだ」と。 この方法、あるレベルまでは有効なのだが、壁にぶつかる。目→頭→手→書くという行為の中でノートには残るけれど、頭には残らない。 頭の前頭葉に書き込む、それを繰り返して、記憶中枢に収める。ノートに書き込むエネルギーをひたすら読む(目→頭)これは結構疲れる、しかし、この訓練に熟達しないと語学の壁は破れない。 日本語の本を読むときは難なくこれをやっている。この切り替えが今回英語を学び始める、まず、手始めだと思っている。■ alex99 のコメント漢字は象形文字ですから、私も視覚で脳にプリントするのが一番だと思います。私は英語の勉強を集中してやったことも、文章の暗記をしたこともありません。ただジャズ・ヴォーカルをよく聞いていたのが、似たような効果を生んだかもしれません。英語については、私は視覚より耳(聴覚)中心なようです。特に英作文・会話などの文章は、音とリズムが出て来て、それがピタッとくると、うまく英語になるような気がします。運動神経みたいな感じかな?■ F杉山巡さんのコメント alex99さん。ダンスをしなくてはいけませんね。■ alex99 のコメントそれから、英語は分析的な構造の言語ですから、私は頭自体が分析的構造モードに入っていないと、発想できません。言語構造が全く異なる日本語から発想すると英語にならない。だから熟語など、それだけ分離して覚えるよりも、文章全体を意味のあるものとして捉えるべきだと思います。英文解釈(笑)については、意見がありません。語彙次第ではないでしょうか?■ 杉山巡さんのコメント哲学というか、論理学ですね。■ alex99 のコメント○落語家と江戸弁について林家こん平って、よく田中角栄の話をしていましたが、新潟県出身ですね。「笑ってガッテン」の立川 志の輔は、富山県新湊市(現射水市)出身。地方出身者はアクセントに苦労するそうですね。○ 手本となるような英語映画の男優では、Hugh Grant (ヒュー・グラント)が、オックスフォード出身で、実に上流の英語をしゃべります。私もついて行けないですけれどね。(笑)ご参考までに、主な出演作品『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月』『ブリジット・ジョーンズの日記』『ノッティングヒルの恋人』『ウェールズの山』『フォー・ウェディング』『日の名残り』『赤い航路』後の3作品は見ました。■ 杉山巡さんのコメントalexさん、一押しのジャズ・シンガー、教えていただけませんか?■ alex99 のコメントジャズのスタンダード・ナンバーを歌っている古い歌手ならいいと思います。シナトラ、ビング・クロスビー、パット・ブーンんなど・・・。シナトラの英語は、「楷書の英語」といわれていて、どうしてそうするのかわかりませんが、外国人にもわかる、わかりすぎるほどハッキリした英語です。本人はたしか、NYのとなりのニュージャージー州出身で、この州の訛りは、NYのブルックリン訛りに似て、かなり強いのです。その訛りを消すために、楷書風に歌ったのかも知れませんね。黒人は、黒人訛りがある人が多いから手本になりません。カントリー&ウェスタン歌手もダメですよ。(笑)田舎弁が多い。プレスリーは、すごい南部弁。ビートルズも、リバプール訛りがすごい。リバプールは、アイルランド人がイングランドに出稼ぎに来て、上陸する港でしたから、アイルランド訛りそっくり。(だそうです)オールディーズのCDを聞きながら英語の勉強なんて、楽しそうですね。歌詞を覚えてしまうと、それを会話に楽々使えます。 □□□□□□□□米国の南部弁と言えば、クリントン元大統領も訛っていたが、だんだん、ましになった。ワシントンに入って、浮気相手のプレッピーなどから、きれいな発音を教えてもらっていたのかもしれない。ブッシュはテキサス訛りと言われるが、彼の大統領としての実績ほど、ひどくないと思う。本当のテキサス訛りはあんなものじゃない。昔の蓄音機の回転バネが弱くなってしまったような、ひきずる話し方。今、環境問題を論じてノーベル平和賞を受賞した、自宅の部屋数何十部屋、そこで使用する地球温暖化に貢献する電力消費が膨大なゴア元副大統領の南部訛りは、民主党の「黄門様」こと渡部恒三最高顧問の会津弁レベル。耳の環境が悪いのかな~。
2007.12.17
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先頃の「朝生」を見ていたら、「キーワード」がいろいろ出てきた。○ コンプライアンス○ 冤罪○ 警察・検察の密室での拷問的な取り調べ○ 取り調べ調書○ 裁判員制度○ その中で、『コンプライアンス』。Rinnさんから、興味深いコメントをいただいて、応対した。その経緯。 ~~~~~~~~日本語関係テーマの【復刻日記】をまた(11/30) Rinnさん>外来語を音の面ではうまくカタカナで受け入れられる便宜性があることが、逆にややこしくしてる面があると最近思います。>訳すればわかるのにやたらとそのまま使う嫌みって感じませんか?誰もがalexさんのように海外経験があり、英語に堪能なわけじゃないんです。ーーーーーそうかもしれませんね。だけど、逆のケースもあります。無理に、漢字(中国語)の造語をしても、やはりそれになじむまでにある程度の時間がかかる・・・と言う風に。>「コンプライアンス」って最初聞いたときどれだけの人が意味わかったでしょう。「コンシュマー係」って何とも思いました。「法令遵守」「お客様係」と言えばわかりやすいのに。ーーーーーーでも、「法令遵守」という言葉は今までたしかにあったが、その言葉には、新しい「コンプライアンス」と表現する「問題意識」はまだ含まれていないような気がするのです。>現役親業の一人としては、小学生から英語教育をという前に、自国語をもっと教育しろと言いたい。ーーーーーーこれには、私、大いに異議があります。過去に『大論争』を、シリーズでしたことがあるんです。また【復刻日記】としてみます。数日分ありますけれどね。 ~~~~~~~~これについて、後ほど、述べてみたい。 ~~~~ 続く ~~~~と、書いたが、ちょっと付け加え。『法令遵守』と書いても、われわれの視線は、そこに ロックオン というか、注視する・・・ことはない。法律を守る」ことなんて、当たり前ジャン? と言うところで、終わってしまう。私も酔ったときなど「立ち小便」をしてしまったという前科がある。デヴィ夫人も、故遠藤周作が女性週刊誌で、「あなたの正直度を試しましょう あなたはお風呂でオナラをしたことがありますか?」と質問したら、純情?(オイオイ!)なデヴィ夫人は、蚊の鳴くような??(オイオイ!)声で、「あります」と答えたという。私なら、断じて「そんな お下品なことなど・・・」と、言い張る。ぞれに、私は本当に、お風呂で、オナラなんて、したことが、無いからね!まあ、そういうことじゃ、無いんだ。『コンプライアンス』というカタカナの言葉が今意味していることは、『法令遵守』ということだけでは無い。その示す問題意識は○ 法令遵守、法律をバカみたいに、過度に守ってばかりいていいのか?○ それが望ましくない状況を生み出してはいないのか?○ 法律を守るために、法律違反の行為に対して、厳しい刑罰を科して、それで「よし」として、それでいいのか?○ 法律というのは、ハムラビ法典のような『目には目を』と言うような、『処罰』『報復』『仇討ち』のためだけのものでいいのか?○ 角をためて、牛を殺す・・・側面が無いか?○ 消費期限・賞味期限に違反しないために、食品を廃棄するしかないのか?○ 理想的な法律が成立するまで、不完全な法律の下でがまんすべきか? 社会がフリーズ(凍結)したままでいいのか?○ 法律なんて、かならず社会の実態・ニーズからズレている 遅れている その落とし前はどうしてつけるのか? 間に合わないだろう?○ JR西日本事故などがその例なのだが、責任者の処罰のみが目的化され、事故原因の追及がなされない 司法取引などの制度が必要法律というものを、どう評価すべきか?私は、この問題を、かなり、たびたび、考える。法律って、マジョリティーが信じているような神聖なものではない。人間の価値意識の変遷によってスライドするものだし、そうあらねばならない。言わば、交通整理みたいなもので、道徳的・倫理的な基準ではないんだよね。その辺の、誤解・思いこみが、はじめっからあるんじゃない?その他、いろいろあるのだが、数え上げると、きりがない。面倒くさいから、この辺で切り上げる。
2007.12.03
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昨日に続いて、また、ある事情があって(笑)、私の過去ログから「日本語」「カタカナ」「外来語」関係の日記を【復刻日記】とします。一般のみなさま(笑)退屈でしょうけれど、がまんしてください。それにしても、この私が、これほど、しつこく! これらのテーマの日記を、つたないながらも、書いていたとは、驚きである。(オイオイ!)それに、実に多くのコメントをいただいている。本当に、私のリンクさん達は、「暖かい心」を持った「ケチでない」人びとである。(最近 こればっか) ~~~~~~~~■ 国立国語研究所が提案する「外来語(カタカナ語)」の言い換え提案 ■ 外来語 言い換え語 カタカナ語 漢字■ 外来語の言い換え 他の国では、外来語にどう対処しているのでしょうか?■ 多重言語としての日本語の発達の段階を、私の独断で考えてみた ~~~~~~~~それにしても、われわれ日本人は、外国語の輸入に対して柔軟な言語システム、つまりカタカナを持てて、ラッキーである。まあ、カタカナではしょせん、数多い外国語の複雑微妙な発音をそのまま写し取ることはできない。しかし、中国語などその点、悲劇的なハンディがあるのだから、まあ、よしとしなければならないかも知れない。
2007.11.30
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私の昨日の国語教育論第2弾?「国語教育なんて本当に必要なの?」についても、いろいろコメントをいただいた。また、その中で代表的なコメントを引用して、論陣を張ってみたい。■ ぼえたりんさん僕も「日本語教育最優先」というのは、納得していないんです。日本語さえ出来ない、というよりも、そもそも家の中で遊んでばかりいて社会性がないから、「言語」を操れなくなってしまっているように思えます。僕は、言語というのは、所詮「道具」であって、感情や理論を発信する手段だと思っています。今の子供が日本語を操れないのは日本教育が足りないのではなくて、言語以前の人生経験の不足が一番のような気がします。今の子供は外で社会性を学びませんから。「敬語を憶える」前に「他人の努力を知る」ことで、「敬意」を感じることが先決だと思います。 ~~~~私のレス~~~~ぼえたりんさんのコメント、全くその通りだと思うです。○ 私も英語(言語)はツールだと書きました。○ 「敬語」を教えても、敬語に対するバックグラウンドとしての「社会的な理解」「敬語の対象である相手への敬意の意味の理解」が無いと使いこなせない。○ >外国語の教育の実用性から言えば、「効果的な口説き文句」の講座が欲しいですね(笑)。■ ぼえたりんさん外国語の教育の実用性から言えば、「効果的な口説き文句」の講座が欲しいですね(笑)。 ~~~~私のレス~~~~う~~む。『ボディー・ランゲージ』という講座を必修としましょうか?ただし、小学校はまだ早い。(笑)■ 淡雪さん小学校を中国語で、教育受けました。日本に生まれていると、日本語がやはり自然と得意です。小学校から外国語をすると、感覚がつかめます、 ~~~~私のレス~~~~淡雪さんはバイリンガルですよね。トライリンガルかも知れない。そうそう。小学校から外国語を習うと、感覚がつかめる。私は私立の小学校で週二回ほど、ネイティブの(日系二世)の先生から英語を習いました。ハワイ・アクセントだったけれど。それと、父親が会社での占領軍との折衝をする部署にいたので、ラジオの米軍放送をよくつけていたので、多少耳慣れしたと思います。それとオールディーズ・ポップスを好きで聞いていた。高校生になってからは、ジャズ・ヴォーカルが好きになった。これらは、みな、多少なりとも私の英語感覚に寄与していると思います。■ 淡雪さん日本語は必然的に使うし、本を読むことで向上します。外国語と日本語の読書を薦めると良いのではないかな?読解力がないと他の科目も出来ません。読解力は習うより慣れろ。ひたすら読むことと、感想を纏める事。 ~~~~私のレス~~~~同感です。日本語能力への近道なんてありません。■ 淡雪さん日本語の国語の時間は何をしていたのかな???中国語は教科書の暗記でしたね。それほど、外国語は努力しないと覚えません。 ~~~~私のレス~~~~教科書の暗記は有効でしょうね。私のジャズ・ヴォーカル好きも、暗記と同じ効果があったかもしれません。国語の授業(高校ですが)の中で、一番好きだったのは漢文の時間だったと思います。漢詩が中心ですが、絵画的な漢詩の世界に目覚めさせてくれた。日本と似ているが、しかしながら少し異なる中国の文化をエキゾティックだと感じました。■ 七詩さん英語よりも国語が重要、語学よりも中味が重要…こんな議論はおかしいですね。そんなことをいうのなら、どんな教科にもそれはいえ、学校の授業なんか不必要になってしまう。 ~~~~私のレス~~~~そうそう。国語だけ教えていていいのかっ!■ 七詩さん英語は重要ですよ。たしかにすべての人が英語を必要とするのではないかもしれませんが、英語教育をきちんとすることで、すべての子供に英語を必要とする職業につくチャンスを与えることは重要です。そしてまた英語が生活の糧にならなくても、これだけ世界がグローバル化すれば、英語力は情報の質量に大きく影響をしてきます。戦前の狂信的な軍国主義だって、国民の多くが外国の情報に直接接していればありえなかったと思いますよ。英語教育軽視は愚民政策にしか思えません。 ~~~~私のレス~~~~そうそう。(こればっか)日本人の英語能力の低さが、日本の国力に影響しているという説があります。それに、「へたに!」日本語が素晴らしいから、日本の大学の教育はすべて日本語。原語に接する機会が少ない。世界で発行された本の大半は日本語に翻訳される。そんな国はありません。私が海外の工事現場にいた時のことですが、現地人が派遣されてきた日本人エンジニアに対して尊敬の念をあまり持たないのです。「どうしてだ?」とたずねてみたら「他の国のエンジニアは英語をしゃべる。日本人エンジニアは英語もしゃべれないではないか」というのです。一応、日本では大学教育でもすべて日本語で行われるので、英語は苦手なのだ・・・と言い訳しましたが、痛いところを突かれた思いでした。■ 七詩さん国語、特に現代文は私も学校でそれほど必要があるかどうか疑問に思います。もちろん読む楽しさ、書く楽しさは教える必要はありますが、退屈な文章を教材にしてながながと分析したり、現代文の文法をやったりというのは、あまり必要ないのではと思うのです。 ~~~~私のレス~~~~先ず、生徒が読書しないことには国語力なんて望めませんね。
2006.10.13
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「小学校での英語必修化、文科相が慎重姿勢」という日記を書いたら、いろいろなご意見をいただいた。以下は代表的なコメントと、それに対する私のレスである。■ ねこのひげ99さん英語教育の早期性については、必要性を感じない、というより興味の持てない私です(笑)それほどまでに英語教育に血道をあげる必要があるのでしょうか?私のレスは下記である。 ~~~~~~~~おっしゃることはよくわかるつもりです。日本人全員がペラペラになれ!と言っているわけではありません。ただ、英語で相手に自分の言い分を伝えることは普通の人ならなんとか出来ますが、相手の言うことを普通のスピードでヒアリングするということは、難しいのです。英語に一切関係のない、英語を読むこともない世界にいる人もいることも確かですね。人によるんですよね。(笑)ただ、一カ国語ぐらいは、ある程度の能力があるべきだと思います。英語がダメなら、外国旅行もいつまでもグループ・ツァーでガイドさんの通訳つきでなければなりません。インターネットでも、日本語の情報しか読み取れません。英語的な論理的・構造的な理解・発表能力も身に付きません。直接外国人とおつきあい(深いおつきあい)することもできません。(いくら言ってもダメか? (笑))■ kelly:さん今の小学生の国語力は憂国ものですよ。てにをは、がまともに使えないし、学年相当の漢字をきちんとかける子は少数派。母国語あっての外国語で、国語が苦手な子は英語も苦手な傾向にありますし、他の教科の理解力も劣ります。国語教育もろくにできてない小学校で英語まで必修となると共倒れになるのは目に見えてます。 ~~~~~~~~どうしてそんなに学力が低下したのでしょうか?信じられませんね。ゆとり教育の成果?でしょうか?■ kelly:さん幼少時から英語が必要と思えば個人的にやればよいと思います。公教育でやる必要はないし、今の小学校にそんな余裕はありません。 ~~~~~~~~う~~~ん。国民が外国語をしゃべれない先進国?は、日本・韓国・中国だけではありませんか?それも情けない。ただし中国人は北京官語の他に、広東語などの自分の地域の言葉をしゃべりますから、バイリンガルとも言えます。台湾・朝鮮・パプアでは戦前の日本語教育で、年配の人は日本語をしゃべります。外国語は教育の中心だと思います。 ■■■■■■■■まあ、こんなことしかレスできなかったのだが、もう少し書いてみよう。ねこのひげ99さんの>英語教育の早期性については、必要性を感じない、というより興味の持てない私です(笑) これももっともなご意見である。ただ、注意深く、ねこのひげさんのコメントを再読したら、英語教育の「早期性」と書いている。英語教育そのものの必要性を否定しているわけでは無さそうである。といいながら>それほどまでに英語教育に血道をあげる必要があるのでしょうか?とも書いておられるのだから、やはり英語教育全体にそれほどニーズを認めていないようだ。私はレスで英語のメリットを書いたのだが、英語無しの生活だってもちろん送れる。ただね~・・・。英語をしゃべらず、日本人と日本語だけで生活して、日本のテレビだけを見て、日本だけで住んで、日本の新聞だけを読んで・・・。英語はカタカナの外来語で済ませる?言語的鎖国みたいだけれどな~。それに、それだと、ますます日本的な世界が形成されるように思う。どうも、この部分は説得力が無いな~。ただ、早期教育でヒアリングを特訓する・・・というのは、重要だと思う。英語をちゃんと学習する意欲がある、ネイティヴと将来つきあう必要がある・・・。そういう人は、早期ヒアリング・トレーニングをした方がいい。なぜなら、英語は母音の数が一番多い言語なのだ。日本人の子供は、幼児期には母音を聴き取る能力があるのだが、成長してゆくにつれて、日本語の世界には無い母音の聞き取りについては、その能力を失うのだそうだ。つまり極論すれば、私が以前問題にした日本人のカタカナ英語しか?聴き取れなくなる・・・かも知れないのである。母音だけでなくて、有名な「L」と「R」との聞き分け・・・なのである。 ~~~~~~~~私も恥をかいたことがある。ある米国人との会話で、私が「フーリガン」について話したら、彼女は「フーリガン」がわからない様子である。結局、私が「L」と「R」を間違えて発音していたことがわかって大笑いだったのだ。「フーリガン」は、もちろんみなさんご存じのように、football hooliganで、イギリス起源の熱狂的なサッカーファンで、悪名高い人びとである。ロンドンにいたアイルランド系の無頼漢 Houlihan に由来する言葉と言われている。そのスペルはhooliganである。私はhooriganと発音したらしい。本当の原因は、私がhooliganというスペルを知らずに、日本語のカタカナの「フーリガン」を、「L」と「R」を意識せずに発音してしまったのである。まあ、これは日本人としてはありがちなことである。日本語の「ら行」の「ら・り・る・れ・ろ」は、「L」と「R」どちらでも発音することができるのだから。 ~~~~~~~~どうも、あまり適切でない例をあげてしまったが、おまけに母音ではなくて、子音の例をだしてしまったが、要するに「聞き分け能力」は幼児期に養成されるのである。(強引!)これはほぼ常識なのだが、その具体例を私は知っているのである。以前にも書いたことだが、私の部下に幼児期に、父親の任地のカナダで住んでいた男がいた。期間は2・3年だった。その後、日本に帰国して日本で教育を受けて、英語など忘れていたらしい。彼に英語の手紙などを書かせてみると、それほどレベルの高い英語ではない。ごく平凡なレベルの英語である。ところが、ある日、私の米国人のガールフレンドがオフィスにいる私に電話して来て、席を外していた私に代わって彼がその電話に出たらしい。あとでその米国人のガールフレンドが私に「さっき電話に出た男は米国人か?」と私に聞くのである。「いや、日本人だよ」と答えたら「発音がまったく米国人なのでそう思った」と言うのだ。う~~~ん、この~!書く英語はダメなのに、発音はいいのね。(泣)米国人と間違えられるほど、発音(だけは!)いいのね。(泣)やはり、幼児期に耳に入ったネイティヴの発音が寄与しているのだ。書く英語はダメなのに!(しつこいかな?)英語母音耳になっているのである。くやしい。(しつこいかな?)そう言えば、私の娘も、幼児期は私と日本語ではあまり会話をしなかったし、日本での生活の経験も3才ぐらいの時の一年しか無かったのだが、海外の日本人学校に二・三年いたおかげで、完璧な日本語の発音である。ところが英語の教師である母親の方は、日本で数年すごしたものの、やはりアクセントが少しある。これは消えない。彼女は、日本語そのものは、日本語学校に行ったものの、「授業のスピードが遅すぎる」と、学校をやめてしまって、辞書だけをたよりに独学して、すぐ日本語をマスターしてしまった。そういう、私からすれば「脅威の言語能力」の持ち主でも、やはりちょっとアクセントだけはあるのである。幼児期に日本語を耳にしていなかったからだと思う。 ~~~~~~~~英語という言語はそれほど難しい言語ではない。極端な話、単語を羅列しても、稚拙ながら英語にはなる。「格」とか、男性形・女性形などという盲腸のような文法を切り捨ててしまった言語だからである。だれもが習得容易な言語である。ただ問題は、母音の多さである。このハードルを「母音早期トレーニング」でクリアすれば、あとでボキャブラリーさえ増やせばいいだけである。 ~~~~~~~~これが「私の主張」なのだが、私にとってショックだったのは、kelly:さんのコメントである。■ kelly:さん今の小学生の国語力は憂国ものですよ。てにをは、がまともに使えないし、学年相当の漢字をきちんとかける子は少数派。母国語あっての外国語で、国語が苦手な子は英語も苦手な傾向にありますし、他の教科の理解力も劣ります。国語教育もろくにできてない小学校で英語まで必修となると共倒れになるのは目に見えてます。幼少時から英語が必要と思えば個人的にやればよいと思います。公教育でやる必要はないし、今の小学校にそんな余裕はありません。なんということなのだ!!バンバン!実は私が言いたかったことは、「国語教育なんて必要なの?」と言うことだったのだ。「学校で日本語など教える必要があるの?」ということである。文法や漢字書き取りは別にして、日本語の授業なんて必要なの?私は何を国語の授業で習ったのだろう?思い出せない。ちゃんとした家庭で、ある程度読書をしていれば、「特別の日本語の学習」なんて必要が無いじゃないか!本当にそう思うんだが・・・。 ~~~~~~~~私は、小学校の時から「本好き」であった。幼稚園に上がる前に、祖父から百科事典を開いていろいろなことを教えてもらったのが影響しているのだろうと思う。小学校で「図書委員」になっていたことがある。みんなからも本好きと認知されていたのだろう。もっとも初学校の担任が私の母との父兄面談で「alex99君は本を読みすぎる やめさせてください」と、謎の忠告をされたことがある。なんだそれは?(笑)世の中には変な人間がいるものだ。中学校の時は、父が購読してくれた「世界少年少女文学全集」という本の毎月の配本が待ち遠しかった。そのせいか?高校の現代文の授業では、生徒が正解を出せないときにはかならず私が指名されて、正解または正解に近い解答をしたものである。勉強嫌いの私だったので、こういう予習復習が必要ない現代文のような授業は大好きだった。(笑)まあ、やはり読書すれば国語能力は養成されるわけで、私の小さな体験でもそれは証明されているのである。(ちょっと自慢めくが、ご容赦) ~~~~~~~~とにかく私は国語の時間なんて必要ないと思う。文法の本と、漢字の書き取り帳と、それに推薦読書リストを学校から与えればそれでいいと思うのだが。本当にそう思うのだが・・・。(また、しつこい?)だから、国語の時間を、英語の早期教育時間にして欲しい!!・・・のである。(暴走中)英語をマスターしてこそ見えてくる「日本語」というものもある・・・とも思うのである。
2006.10.12
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日経2006/09/28 (木)にこういう記事があった 小学校での英語必修化、文科相が慎重姿勢 伊吹文明文部科学相は27日記者会見し、学習指導要領改訂の焦点の一つである小学校での英語必修化を巡り「美しい日本語が話せず書けないのに、外国語を教えてもだめ。必要は全くない」との考えを明らかにした。文科相は「政治家として、美しい日本語など必修で教えることが完全に教えられていないと思う」と発言。小学校段階の英語教育には、「やりたければ個人的にやればよい。学校では外国に興味を持つ程度にとどめるべきだ」と述べた。「小学校では国語をきっちりやる。中学校から国際感覚を磨き、外国語をマスターするのがいい」とも語った。文科相は「最低限の日本語などを身につけた上で必修化するのはよい」としながらも「現状では時期尚早」と指摘。慎重に検討する姿勢を示した。 ~~~~~~~~★ 「美しい日本語が話せず書けないのに、外国語を教えてもだめ。必要は全くない」○ 私(alex99)の意見。小学生が美しい日本語が話せず書けない・・・傾向があるのは事実だろう。このごろのテレビのアナウンサーでさえ、これでアナウンサーなのか?と感じるほど日本語の能力が無いものが多い。しかし、「美しい日本語が話せず書けないのに、外国語を教えてもだめ。必要は全くない」とは、飛躍であり、筋違いだと思う。外国語を教える教えないという議論以前に、限られたカリキュラムの中で、「美しい日本語が完全に話せて書ける」教育が可能なのかどうか?の検証がポイントでは無いだろうか? ~~~~~~~~★ 文科相は「政治家として、美しい日本語など必修で教えることが完全に教えられていないと思う」と発言。★ 「小学校では国語をきっちりやる。中学校から国際感覚を磨き、外国語をマスターするのがいい」とも語った。○ 伊吹文明氏は文科相として、その任期中に、「美しい日本語が話せ書ける」教育を保証してくれるのだろうか?「完全に教えて」くれるのだろうか?「美しい日本語が話せ書ける」教育の現実的な具体論も示されていない。国語教育を強化するといっても、カリキュラム上、週に一時限ぐらいしか授業時間を増やすことが出来ないはずだ。同時に、今まで「美しい日本語」を教えてきた教師達の質を、突然向上させるという秘策もないだろう。だからこういう制限的状況で、完全な教育など、望めるはずがないではないか。それなのに、いとも簡単に「実現可能なこと」のように大口をたたくところなど、「政治家」だな~と思う。この問題は、平たく言えば、限られた教育資源(時間)をどう配分するか? 日本語と世界語である英語にどのようなプライオリティーを与えるか?と言うことである。 ~~~~~~~~それにこの人は、このテレビ番組で「教育」というものを、古くさい観念的な言葉で、高いところからの私たちへの説教とも言えるスタンスで語っている。具体策を持たない人間ほど観念論で逃げる。いぶき文明の文科相への起用は、まちがいでは無いか。それに、あるサイトによると、中川幹事長が愛人へ情報を漏らして大スキャンダルになったときの公安委員長がいぶき文明先生であって、中川幹事長は特別の配慮(庇護?)で逃げ切った・・・という。江戸の敵を長崎で・・・。公安委員長時代の情けが大臣の座に・・・?一本のわらしべが(中略)長者に。 ~~~~~~~~こういう記事もある。★ 副大臣も「検証すべき」また池坊保子副大臣(公明党)も、「英語は必要だが、話すべき内容を持っていないといけない」と指摘。池坊保子氏といえば、かって、雑誌(ペントハウス 1984/3)で熟女ヌードを披露した人。その人が、副大臣か!ご自分の公明党の党機関誌にも、芸術教育の一環として掲載してはどうだろう。 ~~~~~~~~いつものことだが、話が回り道をして、長くなったが、要するに、これは私の持論なのだが、英語教育は、特にヒアリングは、出来るだけ幼少期にという意見を持っている・・・ということを言いたかったのだ。ヒアリングだけは、若い頃でないと限界がある。これについては、いずれまた主張しようと思う。
2006.10.11
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【復刻日記】このごろ、テレビで吉田茂元首相の英語での演説(サンフランシスコ講和条約での)が部分的に紹介される。英語学校、「NOVA」のテレビCMの中である。吉田茂は、たしかオックスフォードを卒業している。息子の作家、吉田健一氏も同様である。この吉田健一氏など、あの文豪夏目漱石の英国小説に対する評論に対して「漱石は英語がわかっていない・・・」的なことを書いたほどの人だ。だから吉田元首相(外相・英国大使歴任)の英語はさぞやすばらしいオックスフォードの発音だろうと思っていたが、この古いニュース映画で聴く限りは、典型的なカタカナ英語だ。・・・と言っても、日本人の自称、「オックスフォード卒・ケンブリッジ卒」はほとんど嘘っぱちだという。卒業者名簿を詳細に調べて見ると中途退学がほとんど。中には全く入学さえしていないケースがある。サッチーの「コロンビア大学卒」を笑えないわけである。アメリカの有名な雑誌は「20世紀で最も影響力のあった経済人20人」に、日本人でただ一人選ばれたことがあり、世界に誇る英語の使い手と言われた「ソニーの盛田昭夫氏」の英語を聞いたが、素晴らしい?カタカナ英語だった。しゃべった内容が、素晴らしいものだったかどうかは、覚えていない。もちろん、日本人の英語力は「発音」より、「読み書き」にある。昔の学校風にいえば、「英文解釈」と「英作文」である。外国人と直接的にコンタクトする機会が無く、必要もなかった時代はこれでよかった。しかしこの昔の日本人の英語は、英語ネイティヴの人が、歩み寄って「ジャパグリッシュ」(日本人訛りの英語)を聴こうと、意志的努力をしてくれないと、はなはだ聴きにくいものだと私は思う。そういう私の英語力なんて、大したものではない。テレビでの米英映画を見ても、その英語をそれほど理解していない。商社を辞めた生活では、少なくとも理解し始めるのにちょっと時間がかかる。娘などは英国人学校に通っただけに、それに母親が大学の英語教師だから、話す方はともかく、リッスニングはほぼ完璧に出来ているようだ。「えっ!? お父さん、あんな所もわかっていないの?」と驚いている。くやしい・・・。それに、自分勝手に「発音だけはいい」と思っていて、英国人にもほめられたことのある(ただしスコットランド人だ!!)(笑)、私の英国英語(RP)のつもりの発音も、多国語をマスターしている娘から見ると(聴くと)、やっと合格ぐらいのものらしいというのもショックである。「言葉は人なり」本当にそう思う。書くものも話すものも。このごろの小泉首相の日本語のコメントも、意味不明のたわごと、国民をバカにしたような、ごまかしのレスでしかないでしょう?彼の本当の人間性・人間力というものがここに来て、露わ(あらわ)になってしまった・・・と言ってもよいと思う。戦後、進駐軍との交渉で鍛えたという宮沢元首相の英語も、発音だけを取り上げれば、しょせん、悲しいカタカナ英語だ。田中真紀子氏の発音は、米国の高校に行っていただけあって、かなりネイティヴ風だ。 ~~~~~~~~もちろん、いろんな英語があっていいという「強い」意見がある。この日記にそう言う意見を何度も書き込んでくれた人がいる。各国の人間はそれぞれの英語をしゃべればいいという考え方だ。何もイギリス人・アメリカ人の英語だけが英語では無いという考え方だ。日本人は日本人なりの英語をしゃべればいいという考え方だ。例えば普通、インド人の英語はものすごいインド訛りでジョークの対象にもなる。ロシア人やフランス人のなまった英語も同様。(愛嬌があるとも言えるが)それに、これから、「世界共通英語」というものが、徐々にできあがってゆくのかもしれない。それに徹するのも一つのやり方だと思うが、しかし、我々が初めて英語を勉強した時にはネイティヴの人の発音を目標にしたはずだ。「日本人は日本人の発音で英語をしゃべってもいい」というのは、結局、負け惜しみの、開き直りだと私は思う。やはり一応は、英国英語または米国英語を目標に発音しないと、標準・スタンダードというものがないではないか?なにも、わざわざカタカナ発音の英語をしゃべらなくてもいいではないか? ~~~~~世界英語を積極的に提唱する人も、「英語のスペリングがどうでもいい」とは、まさか、言うはずがないと思う。スペリングが正確であってこそ、単語の定義の内容、英語の文法による文意の表現が正確に伝達されるものだと思う。それと同じように発音が正確になされるということで、どの単語がしゃべられているのか?が判断されることになる。発音が不正確であると、伝達が不正確になるではないか?当たり前ではないか?「発音はいい加減でいい」というのは間違いだということは、これでわかると思う。こちらからしゃべる英語はカタカナ風だが、ネイティヴの人の方からカタカナ英語を推察して、正確な英語に修正して理解してもらおう・・・と言う意見がおかしなこともわかると思う。「発音」もスペリングや文法と同じように、英語の非常に重要な部分なのだ。それに「言語」というものは、原始人の間でまず「声」として始まったもののはずだ。
2006.02.17
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ポルトガル語からの外来語をネットで調べてみた。○ 以下は私のコメント。 モール mogol ボーロ bolo ○ そばボーロのボーロらしいピン(ピンからキリまで) pinta ○ 英語で言えば prime 最初の 最高の らしい point(点)という意味もあるらしいキリ キリ」は「cruz(クルス 十字架)」から「十(十字架から転じて)」「最後のもの」「最低のもの」を指すというパン paoトタン tutanaga ○ トタン屋根のトタン トタンとは鉄板を亜鉛メッキしたもので、ブリキは鉄板をスズメッキしたものというチャルメラ charamela ○ 屋台のラーメン屋さんでチャルメラを吹かせてもらったことがある 吹き口を観察してみたら、オーボエと同じ、リードを鳴らす木管楽器だった リードとは蘆のことで、蘆をスライスしたものを吹き口に固定して音を出す オーボエやサックスがこの系統の楽器タバコ tabacoシャボン sabao ○ フランス語でもシャボンのはずザボン zamboa ○ 長崎の果物・ザボンはここから来たのかコンペートー(金米糖) confeito コップ kop ○ コップは語感から、オランダ語かドイツ語から来たものだと思っていたキリシタン Cristao カルメ焼き caramelo ○ カルメラだな キャラメルもここから?カルタ carta ○ 文書の意味もあるはずカッパ(合羽) capa ○ 絵巻物で碧眼紅毛の異人さんがはしょっていた袖無し裾広の服が capa らしいカステラ pao de Castella ○ カステーリャ地方のパンという意味ミイラ mirra 没薬(もつやく)という防腐剤の名 ○ 防腐剤の名前だったというのは実に意外 なお、ミイラは江戸時代に「薬」としてポルトガルから輸入され、粉末にして服用された調べてみて、まだあれば追加します。
2005.09.21
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総選挙で圧勝した小泉首相が、その余勢を駆って?国連で英語での演説をした。以前にも日記に書いたことだが、小泉首相は英国のロンドン大学で学んだという事になっているが、それにしては、その英語の発音はひどい。ブッシュ大統領を米国に訪問して話しかけていたものの、ブッシュは小泉の英語がわからなかったらしく、曖昧な微笑を浮かべていたことがある、と書いたことがあるが、今回の国連での英語演説も、あらためて、ものすごい発音である。以前、あるテレビ番組でデーブ・スペクターが「小泉さんの英語では、ネイティヴ・スピーカーには通じない」と言っていたが、まさにそうであるだけではなく、日本人にもよくわからない発音ではないだろうか?国連という大舞台で英語をしゃべるのだから、事前にネイティヴ・スピーカーから、発音の指導を受けただろうに・・・、それでいてあの発音である。ロンドン大学での学生としてのステイタスが、正規の学生だったのか?聴講生(そういう制度があればの話だが)だったのか?それとも学歴詐称だったのか?確かな情報が無いのだが、あの発音を聞けば、おおよそどのような「学生」だったかが、よくわかると思う。ロンドン大学へ「留学」した事情も、女性との「不祥事」を起こして、そのほとぼりが醒めるまでの便法としてのものだったと、もっぱら噂されているが、そうなのかもしれない。小泉首相のこの「英語発音」に比較して、不思議なことに、例えばアフリカの旧仏領の小国などの代表などの例だが、自分の部族の言語の他にフランス語を話す人々が話す強いフランス語訛りの英語など、やはり同じ印欧語というレンジ内の言語同士だからなのか?英語ネイティヴの人達にも充分通じるだろうと思わせるものだ。ここで、想像してみると面白い事があるのだが、小泉首相の演説が一応は「英語」と言うことになっているはずだということだ。「英語」なのだから「英語ネイティヴ」の人達には、通訳が付かないはずだ。しかし、その人達には、ほとんど「英語」として聞き取れなかったはずだ。その人達は、いったいどうしたのだろうか?苦労して「小泉首相の英語」を解読?したのだろうか?それとも、屋上屋を重ねる形で、「小泉首相の英語」を、普通の「英語」に通訳してくれる「英語の通訳」をつけたのだろうか?
2005.09.08
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復刻日本語シリーズの最後として、下記の日記を復刻した。【復刻日記】多重言語としての日本語の発達の段階を、私の独断で考えてみた
2005.06.24
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昨日の≪【復刻日記】国立国語研究所が提案する「外来語(カタカナ語)」の言い換え提案≫に続く【復刻日記】です。下記をクリックしてください。当時のコメントもそのままです。外来語 言い換え語 カタカナ語 漢字
2005.06.22
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国立国語研究所が提案する「外来語」の言い換え提案・・・と言う日記を以前書いた。これは、関連日記を3回程書いたので、自分でおもしろがったのだろうと思う。要するに、国立国語研究所が「外来語」(つまりカタカナ語)の言い換え提案をしていて、分かりにくい外来語について、分かりやすく言い換えるなどの工夫を提案したのだが、その【提案】【案】に、リンクのみなさんと一緒になってコメントで文句をつけたり、【深い】?考察をしたりしたのだ。ということで、コメントがとても参考になったので、日記+コメントの両方を復刻することにする。下をクリックしていただければ、この過去日記にリンクされます。もしコメントがあれば、過去日記にではなく、下記のコメント欄にお書き下さい。【復刻日記】国立国語研究所が提案する「外来語」の言い換え提案なお関連日記も続いて復刻してみます。
2005.06.21
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9月23日付けで「清少納言は京都弁」という日記を書いた。清少納言など、平安時代の女流文学者は京女だから、語彙は変化してきていても、アクセントは基本的に京アクセントであったのではないか? という内容で書いた。平安朝の女流文学を、共通語(標準語)のアクセントで朗読するというのは、本当は間違っていると思う。------源氏物語のみならず、日本の古典をCDで聴けるという夢の世界がある残念ながら、京都アクセントではないが・・・。★ ソニー・ファミリークラブ CDクラブ 古典コース「毎月、支度にCDが届く古典の定期便」「耳で味わう、古典の響き。 優雅な言葉のひとつひとつが 心の中に拡がります。 懐かしい日本の姿、日本人の 思いに触れるひととき。 古典のある暮らし、 始めてください」私はソニーのまわし者ではないが、いいものはいいと思うので宣伝文句まで書いてしまった。私が買うかどうかは、思案中。値段は、毎月CD2枚組 3,675円既刊には、土佐日記、更級日記、などがあり、毎月こんなCDが届くようだ。源氏物語 桐壺 講師 鈴木一雄 朗読 白坂道子源氏物語 夕顔源氏物語 若紫その一源氏物語その他。平家物語 祇園精舎平家物語 橋合戦 入道死去万葉集竹取物語蜻蛉日記方丈記西行 山家集伊勢物語枕草子太平記徒然草好色一代男古事記今昔物語など問い合わせは 0120-100-001------一応、岩波書店の日本古典文学大系の源氏物語は全巻そろえているし、易しく源氏物語を解説してくれている解説本も持っている。もっともすべて、200円均一の古書店のバスケットに入っていたもので、読める自信は無かったのだが(なにしろ源氏物語は20万語という長編だ)、これだけの函入りの最高級の全集ものが200円均一とは可哀想だと思って、救出したもの。20万語の長編! それにただでも古文が苦手な私は、古文そのままをリスニングしても、訳がわからないかも知れない。そういう私のために、源氏物語を現代語に訳したCDがある。それも、現代京ことばに訳したCDだ。これなら、私にもわかる。★ 「京ことば源氏物語」京都府立大学名誉教授 中井和子氏が15年かけて取り組んだ著書「現代京ことば訳 源氏物語」をベースにKBS京都ラジオが50周年記念番組として放送した音源を再編成・リミックスしました。現代京ことば訳 監修 中井和子朗読 北山たか子第一巻 桐壺 若紫第二巻 須磨 明石第三巻 絵合 薄雲 朝顔第四巻 柏木 鈴虫 御法第五巻 橋姫 椎木これは月刊文藝春秋の今月号に広告がのっていたもの。東芝EMIファミリークラブhttp://familyclub.ne.jpCD5枚組正価1万円 分割有り------他に、この中井先生の訳が本になったものがある。★ 花のかさね 京ことば訳『源氏物語』より中井 和子 (著)大修館書店(発行)価格: ¥1,890 (税込)------私の好きな清少納言の「枕草子」の京都弁カセットは、残念ながら無い様だ。------私が持っている源氏物語関係の本。★ 源氏物語 1 日本古典文学大系 14 山岸徳平校注 岩波書店★ 源氏物語 2 日本古典文学大系 15 山岸徳平校注 岩波書店★ 源氏物語 3 日本古典文学大系 16 高樹市之助 五味智英 大野晋校注 岩波書店★ 源氏物語 4 日本古典文学大系 17 山岸徳平校注 岩波書店★ 源氏物語 訳文篇 日本古典文学大系 19佐竹昭広 木下正俊 小島憲之 佐竹昭広 木下正俊 ★ 源氏物語が面白いほどわかる本 ー日本が誇るラブロマンスがマンガより楽しく読めるー 出口汪(著)中経出版(発行)(本当にわかりやすい くだけている 著者が予備校の先生だけに、いろんな手だてでかみ砕くように説明してくれる 私の好きなナツメ社の「図解雑学シリーズ」的な基礎の基礎)★ 日本文学全集 第二巻 源氏物語 下 与謝野晶子(現代語訳)河出書房新社(発行)(現代語訳はいろいろあるが、与謝野晶子がいちばんいいという意見が多い)(谷崎潤一郎の現代語訳も持っているのだが、所在不明)★ 面白く源氏を読む 源氏物語講座 住田文衛+中村真一郎(著) 朝日新聞社(発行)(まだ読んでいない)枕草子は、古い教科書を持っている。現代語訳は、橋本治の「ギャル語」での現代語訳をもっている。これはさすがに、よ~くわかる。清少納言も男勝りのインテリだが、それでいて、キャピキャピ・ギャルだったのだろうと思う。
2005.06.14
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多重言語としての日本語の発達の段階を、私の独断で考えてみました。また、『日記タイトル』も変えて、大幅に書き直しました。 ★ ★ ★ ★ ★ ★初期の段階では、日本民族(縄文民族とも言えると思う)のオリジナル言語は、純粋な大和言葉だった。この大和言葉には文字がなかった。● 1) 万葉仮名の発明 ========== 大和言葉に、漢字(中国語)の音声文字を引き当てて(つまり漢字の音読みで)、大和言葉を文字化した。これが「万葉仮名」だ。● 2) 漢字を訓読みすることで、大和言葉を漢字化した ========================= これで大和言葉を損なうことなく、漢字化することに成功した。● 3) 「万葉仮名」から「ひらかな」への移行 ===================== 平安時代に、漢字から「ひらがな」と「カタカナ」という音声文字を発明した。大和言葉に、この「漢字以外の自前の文字」を与えて、すでに不必要となった音声文字「万葉仮名」から、「ひらかな」への移行に成功した。これで日本語は「漢字」+「ひらかな」の「2重表記」言語となる。● 4)漢字語彙を片端から外来語として呑み込んだ。 =====================● 5)カタカナ語に、中国語以外の外国語を外来語として受容。=========================== 外国語に対しての受容器(レセプター)として、カタカナ語を用意した。カタカナ語は、視覚的にもカタカナ語は「私は外国生まれの言葉ですよ~」という、注意を払う効果がある。これによって、中国語以外の外国語を、音声的に受容するシステムが整った。ここに、日本語は、「3重表記」の奇蹟の言語、「漢字仮名混じり文」を発明したことになる。外来語の活用機能を備えたことで、日本語は言語として、思考道具として、豊かになり続けた。しかし、この「3重表記」に加えて、日本語表記なのに英語混じりで、それを「4重表記」としているものがあるという。それもちょっとうっとうしいい気がするが、世界最強言語かも知れない。 ★ ★ ★ ★ ★ ★大和言葉は、もともと文字を書かなかった言語だ。日本人はおおざっぱに言って、縄文人と弥生人が先祖だが、アイヌ民族(民族と言っていいかどうか・疑問なのだが)と琉球民族は縄文人の末裔。彼らも文字を持たない民族。これに対して中国語は文字の国。しかも数千年前から、三国志に見られるような高度な政治体系があった。大和言葉は文字を持たないだけに、ひたすら音声的で、自然や感情の素朴ながらデリケートな表現が得意。あなたがもし、日本の代表的な短詩芸術である和歌などを音読すれば、その大和言葉の音声的な素晴らしさを認識することになる。いわゆる「声に出して読みたい日本の詩歌」だ。これに対して、漢字(中国語)は、表意文字だけに意味、特に抽象的概念を表現し得るし、社会・政治に関する語彙が多い。言い換えれば、漢字は、外来語として縄文人に欠如していた豊富な抽象概念・語彙を与え、政治的社会を構築するに必要な概念・語彙を与え、日本人の思考体系を重層化した。日本語および日本人は、つくづく貪欲な文化的食欲の持ち主だと思う。しかも、下で述べるが、日本語は外来語に侵食されないまま、外来語を呑み込む構造を持っている。外来語は、「漢字」とか「カタカナ語」という特殊な立場を与えられている。その外来語は、日本人の内面の核(コア)である大和言葉の感情の世界に入り込むことは少なく、その外面を包括する抽象語彙となって、実用的な作業をこなすことになる。人類の古脳を、外側から包み込む新脳のような関係といえばいいかもしれない。※ 古脳(爬虫類や古哺乳類の脳=本能的)※ 新脳(霊長類を含む新哺乳類の理性的な脳) ★ ★ ★ ★ ★ ★●●● 日本語は外国語を呑み込む文法体系を持った言語 ====================== この事を、事例的に説明しよう。例えば英語の中で、フランス語やラテン語という外国語から、語彙を輸入して外来語として使用する場合である。ヌーヴェル・ヴァーグ(=ヌーベル・バーグ)というもう日本語になった言葉がある。フランス語ではnouvelle vagueだが、これを英米人が new wave と、すぐ英語に訳すことは普通はない。しばらくは nouvelle vague とフランス語のままにしておく。言葉がこなれて、みながnouvelle vagueはnew waveの事だと認識する段階になってからnew waveと言い換えるか、またはnouvelle vagueと英文の中に「イタリック体」で書いて、「外来語ですよ」と、いわば「注意書き」しながら取り込むことになる。つまり、外国語での外来語の受容は、抵抗感があまりなくなるまで、しばらくの猶予期間『なじみ期間』『こなれ期間』が絶対的に必要になる。● 日本語のカタカナ外来語はすぐ使える =================その点、日本語だと、『猶予期間』『なじみ期間』『こなれ期間』無しでも問題がない。いきなりヌーヴェル・ヴァーグである。そのまま日本語になって行く。「新しい波」なんて言葉は、国立国語研究所が動かないかぎり出てこない。それに印欧語の場合、例えば英語では「私」という単語は「I, my, me」のように体言(名詞類)の形そのものが変わったり、語尾変化によって単語の形が変わる。しかし、日本語では(朝鮮語でも同じらしいが)、体言は単語本体の後ろに「-が、-の、-を、-に」などの、助詞が付くだけで済む。これを言い換えると、例えば、● 外来語として英語にとりいれられたフランス語は、格変化も出来ないし、時制の変化も出来ない。原形のまま金縛りである。その点、日本語のカタカナ外来語は、外来として日本語に入り込んだとたんに活躍できる。● 「日本語の語彙同様に自在に働くごとが出来る」。 =====================「・・・する」を付けると、動詞としても、すぐに使える。「・・・な」を付けると、形容詞としても、すぐに使える。「・・・に」を付けると、副詞としても、すぐに使える。外国語を体言としてとして取り込めば、すぐそのまま使える。「ヌーベルバーグが」「ヌーベルバーグの」「ヌーベルバーグを」「ヌーベルバーグに」・・・と言う風に。● 外国語を音声的にカタカナにすれば、英語だけでなく、何語でも日本語になる。============================== 言語の文字・スペル・発音・アクセントなど関係ない。(これが、逆に言えば問題なのでもあるが)フランス語の「ジュテーム」でも、イタリア語の「アモーレ」でも、スペイン語の「テキエロ」でも、ドイツ語の「イッヒ リーベ ディッヒ」でも・・・。● 外国語をカタカナ語外来語にするのには、だれでも自由に出来る。===========================国立研究所の作業もいらない。文部省の許可も要らない。日本国民総意の承認・認知・理解も要らない。各個人が、自由勝手にカタカナで書くだけで済む。そのカタカナを読んで、その言語がわかる人は、そのカタカナ語の原語の意味がわかるからだ。英語の中のフランス語だと、これは出来ない。この点、日本語は実に偉い!「デートする」「ランデブーする」「キスする」「フレンチキスする」・・・。オイオイ!
2004.10.25
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他の国では、外来語にどう対処しているのでしょうか?一昔前の世界標準語であったフランス語。フランスには、フランス学士院「アカデミーフランセーズ」という権威のかたまりのような公的機関があって、外来語の流入を規制している。フランス人はフランス語に極めて誇り高かったが、時代の趨勢で英語の流入が止まらないらしい。それでも、出来るだけフランス語に仕立て直しているらしいが、コンピューター用語なんて、インターネットで国際的に通用している言葉が多くて、わざわざフランス語に訳す意味があまりないはず。----------------中国はどうなのだろう?中国情報局というサイト(半官半民かな?)では、次のような記事があった。------中国:外来語、インターネット用語が氾濫 【サーチナマーケティング提供】外来語やインターネット用語の流行が中国語に影響している。「克隆(クローン)」「納米(ナノ)」など、規範からそれた外来語や、「WTO」「APEC」などの英語の略文字を使用している。また今や「菜鳥(初歩ネットサーファー)」「潅水(書き込み)」などインターネット用語も普遍的だ。 国家語委語言文字応用研究所の調査によると、毎年1000語前後の新語が誕生しているが、と同時に危惧する声も上がっているという。例えば、現在頻繁に利用される「酷(cool)」「秀(show)」という単語は、中国語本来の意味や用法と異なる英語音訳文字となっており、本来の漢字を用いた中国語として機能していない。 中国芸術研究院美術研究所理論研究室の陳醉主任は、「私たちは外来語に反対しないが、必要に迫られて外来語のための単語を造ることもある。その前提条件として言葉の規範が必要であろう」と述べた。 『人民文学』肖複興副主編によると、国の経済政治変革の年には必ずそれ相応の文化変革が引き起されるという。魏、晋、南北朝時代、大量の仏教言語が中国語に取り入れられた。五四運動の頃、大量に西洋の言語が流入し、その結果今日の白話文が誕生した。 新しい言葉の誕生を静かに見守り、時の流れに任せるほかないのかもしれない。(『中新網北京』)------初っ端から失礼な言い方だが、中国語という言語は、時代の変化には即時対応出来ない種類の言語だと思う。なにしろすべてが漢字なのだから困る。日本語だと『漢字』と『ひらがな』と『カタカナ』と・・・、場合によったらアルファベットもまじえて融通無碍に対処できる。その点、中国での場合、外来語をすべて漢字に変換しなければならない。ここに問題の大きさがある。その場合、外来語を音で捉えて、その音に該当する漢字を探し出してその漢字で「言い換え語」を作る。つまり「表音文字」としての漢字の機能を使うことになる。例えば「コカコーラ」を「可口可楽」、ペプシコーラを「百事可楽」。これは表音機能を使ったものだと思う。一方、中国はへたに漢字の発明国だから、漢字にそれぞれ独自の意味がある。つまり「表意文字」としての漢字だ。あるサイトで、このようなことが書かれていた。------表意文字は象形文字に代表される文字そのものが意味を持つ言葉。日本の漢字があてはまる。表音文字は発音そのものを表し、アルファベットやひらがな・カタカナが相当する。日本では漢字は表意的に用いられ、表音的に用いるのは江戸~明治の頃の外来語(瓦斯など)か暴走族(夜露死苦!など)だけである。日本では外来語をカタカナで表現するが、これは表意と表音の切り替えの点でとてもわかりやすい方法だと思う。中国では外国人の名前や外来語の名称など、通常カタカナで書かれる部分も漢字の当て字になる。これがまったく判らない。あげく文の中のどこからどこまでが名前なのかもよく分からなくなってしまう。かくしてついつい中学生レベルの英語力のくせに英語の方を見てしまうのである。------こういう風に大変なんだな~。「コーラ」の部分でも表音的だ。(私の好きな故三遊亭可楽師匠は、三遊亭コーラなのか?)ただし表意的には「楽が可能な 楽しい」という意味が込められた命名だと思う。「可楽」は「楽しい」という表意だろう。「可口」は、口にあうとかいう意味だろう。そうすると中国語は、外来語に対しては、四重苦の言語だと言うことになる。1) 外来語の音に対して、表音機能で対応。2) 外来語の意味に対して、表意機能で対応。3) 日本語におけるカタカナ語のように、外来語にどの文字を引き当てるかという、自動システムが無いから、外来語一つ一つに対照「言い換え語」を中国国立国語研究所のような機関が、頭を絞って考え出さなければいけないのだ!!日本の国立国語研究所の、わずか200ぐらいの外来語に対する言い換え語を作る作業でさえ、一大事だった。それにこのサイトでも、百家争鳴。いろんな批判・意見がある。その点、中国語世界は、津波の様に押しかける外来語に対して、いちいち、言い換え語を作る作業をしなければいけないのだ。これはものすごいエネルギーの浪費ではないだろうか?次に大きな問題がある。4) 言い換え語を一般大衆が理解し、身につけるか?国立国語研究所の言い換え語は、分かりにくい部分もあるが、てんでわからないと言うことはない。そのまま放り出しても、賢明な日本の大衆はある程度の歩留まりで、その意味を理解する。それは間違いない。なかにはカタカナ発音から原語を推察して、原語の意味をさぐるクレバーな人もいるだろう。とにかく意味の理解に合理的なとっかかりがあるのだ。その点、中国版言い換え語は、それと知らなければ点でわからない可能性もある。というのは、外来語の固有名詞を表音機能で訳した場合、その言い換えの必然性・客観性は無い。たとえば「コカコーラ」を「可口可楽」と訳したのは、たまたまであって、他にいくらでも訳す漢字はあるわけだ。コカコーラという音に合った感じであれば、理論的には候補になりうる。それなのに「可口可楽」だけが、訳語だとするのは、単にそう決めたからなのだ。そうすると一般民衆は、固有名詞に関しては、いちいち対照表でも持っていて、これを暗記しないと理解できないことになる。これほど大げさでなくても、中国では原則的にそれに近い状況にあると思う。これは文化的に混乱の源になる。だから、カタカナ語は便利なのだ。自動翻訳システムが日本語には設置されているのだ。本来、国立国語研究所は、要らないのだ。訳語に迷う事も、ないのだ。カタカナ語は、発音はかなりいい加減だが、まあまあ、それに近いものをカタカナで表現できる。Coca Cola なんて、コカコーラで楽勝だ。Soccer(米語) はサッカー。〔〈語源〉association football の省略形〕英国ではfootball だが。もっとも昔は蹴球などと言っていた。そう言えば、アメリカンフットボールも米式蹴球だった時代がある。ーー 明日に続く ーー
2004.10.24
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国立国語研究所が提案する「外来語」の言い換え提案国立国語研究所が「外来語」の言い換え提案をしています。その目的は、公共性の強い場で使われている外来語(カタカナ語)のなかに、一般への定着が不十分で分かりにくいものがある、そうした分かりにくい外来語について、分かりやすく言い換えるなどの工夫を提案し、言い換えを必要とする人々の参考に供する・・・としています。------国立国語研究所出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』国立国語研究所(英語名:The National Institute for Japanese Language)は「国語及び国民の言語生活と外国人に対する日本語教育に関する調査・研究を行い(途中省略)また、これに基づく資料の作成と情報の提供を推進し、国語の改善と外国人に対する日本語教育の振興を図ることを目的」とした独立行政法人(同法人のホームページより)。また「外来語」委員会も同研究所に所属し、「外来語」言い換えを提案している。(例:「アーカイブ」のかわりに「保存記録」また「記録保存館」)------私としては、これに関して私の意見を書きたいのですが、まずはこの『提案』を下記に例示してみます。 第1回 「外来語」言い換え提案(最終発表)平成15年4月25日 =========================外来語(カタカナ語) わかりやすい?言い換え(提案)------------------- -----------------------------アイドリングストップ 停車時エンジン停止 アウトソーシング 外部委託 アクションプログラム 実行計画 アクセス (1)接続 (2)交通手段 (3)参入 アジェンダ 検討課題 アセスメント 影響評価 アナリスト 分析家 アメニティー 快適環境 快適さ インキュベーション 起業支援 インサイダー 内部関係者 インターンシップ 就業体験 インタラクティブ 双方向的 インパクト 衝撃 インフォームドコンセント 納得診療 説明と同意 オピニオンリーダー 世論形成者 オンデマンド 注文対応 ガイドライン 指針 キャピタルゲイン 資産益 ケア 手当て 介護 コミット (1)かかわる (2)確約する コミットメント (1)関与 (2)確約 コンセンサス 合意 コンソーシアム 共同事業体 コンテンツ 情報内容 サーベイランス 調査監視 シーズ 種(たね) シェア (1)占有率 (2)分かち合う 分け合う シフト 移行 シンクタンク 政策研究機関 スキーム 計画 スクリーニング ふるい分け スケールメリット 規模効果 ストックヤード 一時保管所 セカンドオピニオン 第二診断 セキュリティー 安全 ゼロエミッション 排出ゼロ タイムラグ 時間差 デイサービス 日帰り介護 デリバリー 配達 トレーサビリティー 履歴管理 ノンステップバス 無段差バス ハーモナイゼーション 協調 バックオフィス 事務管理部門 バリアフリー 障壁なし フィルタリング 選別 フェローシップ 研究奨学金 フォローアップ 追跡調査 プレゼンテーション 発表 フレックスタイム 自由勤務時間制 プロトタイプ 原型 ポジティブ 積極的 マスタープラン 基本計画 メンタルヘルス 心の健康 モータリゼーション 車社会化 モチベーション 動機付け モラトリアム 猶予 ユニバーサルサービス 全国均質サービス ライフサイクル 生涯過程 ライフライン 生命線 リーフレット ちらし リニューアル 刷新 ワーキンググループ 作業部会 第2回 「外来語」言い換え提案(最終発表)平成15年11月13日 ==========================アーカイブ 保存記録 記録保存館 アイデンティティー 独自性 自己認識 イノベーション 技術革新 インセンティブ 意欲刺激 インフラ 社会基盤 エンパワーメント 能力開化 権限付与 エンフォースメント 法執行 オブザーバー (1)陪席者 (2)監視員 キャッチアップ 追い上げ グランドデザイン 全体構想 グローバリゼーション 地球規模化 グローバル 地球規模 ケーススタディー 事例研究 コア 中核 コミュニケ 共同声明 コミュニティー 地域社会 共同体 コラボレーション 共同制作 コンセプト 基本概念 サマリー 要約 シミュレーション 模擬実験 スクーリング 登校授業 セーフティーネット 安全網 セクター 部門 タスク 作業課題 タスクフォース 特別作業班 ダンピング 不当廉売 トレンド 傾向 ノーマライゼーション 等生化 等しく生きる社会の実現 バーチャル 仮想 パートナーシップ 協力関係 バックアップ (1)支援 (2)控え ビジョン 展望 フレームワーク 枠組み ベンチャー 新興企業 ボーダーレス 無境界 脱境界 ポテンシャル 潜在能力 マーケティング 市場戦略 マクロ 巨視的 マネジメント 経営管理 マルチメディア 複合媒体 ミスマッチ 不釣り合い モニタリング 継続監視 モラルハザード 倫理崩壊 ライブラリー 図書館 リアルタイム 即時 ログイン 接続開始 ワークショップ 研究集会 第3回 「外来語」言い換え提案(最終発表)平成16年10月8日 ==========================アカウンタビリティー 説明責任 イニシアチブ (1)主導(2)発議 カウンターパート 対応相手 ガバナンス 統治 コンファレンス 会議 コンプライアンス 法令遵守 サプライサイド 供給側 スキル 技能 スタンス 立場 ステレオタイプ 紋切り型 セーフガード 緊急輸入制限 セットバック 壁面後退 ソリューション 問題解決 ツール 道具 デジタルデバイド 情報格差 デフォルト (1)債務不履行(2)初期設定 ドクトリン 原則 ハザードマップ 災害予測地図 防災地図 パブリックインボルブメント 住民参画 パブリックコメント 意見公募 プライオリティー 優先順位 ブレークスルー 突破 プレゼンス 存在感 フロンティア 新分野 ポートフォリオ (1)資産構成(2)作品集 ボトルネック 支障 マンパワー 人的資源 ミッション 使節団 使命 モビリティー 移動性 ユニバーサルデザイン 万人向け設計 リテラシー 読み書き能力 活用能力 ロードプライシング 道路課金 ★ ★ ★ ★ ★ ★提案した語の一覧(第1~3回)について、くわしくは下記のサイトで調べることが出来ますhttp://www.kokken.go.jp/public/gairaigo/Word_List/iikaego.html実はこの提案語は、単純にまとめたもので、このサイトでは、提案語をクリックすると、もっとくわしい提案の候補や用例・意味説明・手引き・その他の言い換え例・複合語例なども見ることが出来ます。例えば、第二回提案のリストに二番目の言葉「identity アイデンティティ」については下記の様に説明されています。アイデンティティー全体 ★☆☆☆ 60歳以上 ★☆☆☆ ------提案では★と☆を組み合わせて理解度として表示しているものを、ここでは★だけを用いて理解できない人の度合いを表すものとして整理しなおしています。 ★★★:その語を理解しない人が国民の4人に3人以上の段階 公的な場面で用いることは避ける方が望ましい。 ★★ :その語を理解しない人が国民の4人に2人以上の段階 外来語のままで用いることは避けたい語が、 今後、普及定着に向う可能性のある語も含まれる。 ★ :その語を理解しない人が国民の4人に1人以上の段階 定着に向って進行しつつあり、 外来語を用いることにさほど問題のない場合も多いが、 幅広い層の人に理解してもらう必要のある場合には、 まだ何らかの手当てが必要。 ------言い換え語 : 独自性 自己認識用例 : アジア社会の文化や歴史を,政治,経済,法律を,そのアイデンティティー〔独自性〕を尊重しつつ真摯な態度で学ぼうとする姿勢がうかがわれる。青少年のアイデンティティー〔自己認識〕の喪失による思いもかけぬ事件の数々や意味説明 : 他者とは違う独自の性質。また,自分を他者とは違うものと考える明確な意識。手引き : 変わらない確かな自分を意識していう場合は,やや難しい言い方であるが,心理学の専門語である「自己同一性」を用いることもできる。自分が帰属する社会などを意識していう場合は,「帰属意識」ということができる。正確な概念を伝えたい場合は,説明を付与するのが望ましい。その他の言い換え語例 : 自己同一性 帰属意識複合語例 : アイデンティティークライシス = 自己認識の危機 : ナショナルアイデンティティー = 国家像 国家帰属感 : コーポレートアイデンティティー = 企業イメージの統一------参考までに、identity アイデンティティとは、次のような意味です。【名詞】 身元、同一であること、本人であること、自分自身、身分、正体、独自性、(自己)同一性、個性 ★ ★ ★ ★ ★ ★いろんな興味深いコメントが書き込まれていますので、コメントもお詠み下さい。
2004.10.22
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NHK教育の「日本語なるほど塾」という番組があって、山口仲美と言う人が、「擬音語と擬態語」について語っていた。とても面白い。もともと、日本語には、擬音語・擬態語が多いとは知っていたが、例えば英語では350語しかないのにくらべて、日本語では1200語もあると言う。この山口仲美さんについては、最近『犬は「びよ」と鳴いていた ―日本語は擬音語・擬態語が面白いー』という新書をかったばかりだ。この本の読書感はまた書くことにして、山口さんのNHKでの話をちょっと書いてみたい。なお擬音語は英語でecho-word // echoic word // onomatopoeia // onomatopoeic [onomatopoetic] word 擬態語はimitative word // mimetic word★ ★ ★ ★ ★ ★日本民族は感覚的で、擬音語・擬態語を多く持つ。特に身体的なことを認識しやすいという。その擬音語・擬態語も今と昔では表記がちがうので、注意が必要らしい。例えば古典では濁点無かったという。そう言えば、百人一首にも濁点はない。古典の世界での擬音語・擬態語は、特に今昔物語などで豊からしい。源氏物語の中で美女を愛でる擬態語があるが、、「あざあざと」という言葉は美人に対する最高の表現で、紫の上にのみ使用されているという。髪の毛に関する擬態語も、その使用にはちゃんと法則がある。☆ つややか 主人公に使用される☆ はらはら 抽象的で、脇役に使用される☆ ゆらゆら 子どもの髪☆ つぶつぶ 現代には無い表現だが、肉感的・官能的・丸く豊かで・・・という意味だという。う~~む、好ましい言葉だ。カラスという鳥の名前は、「カラという鳴き声(カラと鳴いているの?)+巣」から 洒落じゃなくて鶯 「ウグイ(また鳴き声)+巣」ホトトギス ほととぎ+巣ひよこ ヒヨ+子猫 ネーネー+子歩く擬態語にも色々あるチョコチョコしゃなりしゃなり文句を言うのにもがみがみ 上から下への上下関係ぶうぶう 下から上への上下関係たらたら 不平ぶつぶつ 独り言ぶつくさ 同じいや、面白い。------私は、日本語の擬音語・擬態語にはポリネシア系というか、南方系の言語の影響があると思う。稲の伝来ルートについてはいろいろの説があって、今は旗色の悪い柳田国男の「海上の道」という本があらわす説がある。要するに南方伝来ということだが、稲は中国大陸の南部や朝鮮半島から伝播してきたという説が近来優位に立っている。しかし、二三日前の朝日新聞に載っていたシンポジュームでは、DNA的に言うと南方種の熱帯ジャポニカ種の※が日本に残存しているという。稲と一緒に、オノマトペ(擬音語)や擬態語も日本に渡来したのではないかと、私は想像する。と言うのも、インドネシアにいたときに、擬音語・擬態語的な語彙を見つけたからだ。それも繰り返しの語彙が多い。例えば、心臓や心のことをインドネシア語では「ハティ」と言う。「用心しろ」は、このハティの繰り返し、「ハティハティ」だ。「心」の二乗で「心せよ」という言うわけだ。同じように、「ジャラン」は「道」・「歩く」。その二乗、「ジャランジャラン」は「ブラブラ散歩」となる。日本語の・擬音語・擬態語には、カタカナに出来る言葉、それも繰り返し、私のいう「二乗」言葉が多い。「ハティ2」や「ジャラン2」としても言い訳だ。小泉キョン2は、インドネシア出身ではないだろうか?(チャウチャウ!)
2004.10.18
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昨日は日本語の方言・アクセントについて復刻日記だったので、すこし関連した(つもりの)事を書いてみよう。私は枕草子が好きで下記の本を持っている。☆ 『桃尻語訳 枕草子 上・中・下』橋本治現代語訳 河出書房新社この本はかなり有名だから知っている人も多いだろうけれど、この古典をなんとキャピキャピの『ギャル語』で現代語に訳しているのだ。初版が1987年だから、もう相当古い本だが、まだこのギャル語は通用すると思う。平安朝の女流文学者は本当にすごいと思う。世界に誇る偉人(偉女?)達だとまで思う。ところで、これらの平安朝の文学は江戸弁で書かれていたわけではない。今の京都弁そのままでは当然無いが、今の京都弁および日本語の祖語となるもののはずで、それが全国に拡がっていったという。沖縄の琉球言葉も、奈良時代?の日本語みたいなものなのだという。もちろん経年変化しているだろうけれど。全国各地の方言も、古い京都の言葉の断片を残していることが多いようだ。学校で学習した『古文』も各時代によって言葉がちがうと思う。奈良時代の奈良の言葉、平安時代の京の言葉、江戸時代の江戸弁と侍言葉等々。 ----------------関連しているかどうかわからないが、今の積ん読の山を征服するにはどうしたらいいか?を考えたが、結局、私の最大関心は歴史だから、歴史の本を中心に読んで行こうと思う。モチロン、広い意味での歴史の本だが、その中でもまず、世界史・日本史の通読が必要だと思いついた。余談だが、私は高校で日本史を選択したが、世界史は選択しなかったので、基本に欠けているのだ。 ----------------そこで、私が今詠み始めているのが :世界史基礎の基礎 ― 『図解雑学 世界の歴史』 ナツメ社 岡田功著世界史通読 ― 『詳説 世界史研究』 山川出版社 日本史基礎の基礎 ― 『図解雑学 日本の歴史』 ナツメ社 前澤桃子著世界史通読 ― 『詳説 日本史研究』 山川出版社私に欠けている歴史の基礎知識をてばやく手に入れるには、上記のナツメ社の『図解雑学シリーズ』というのは実に便利。歴史の流れを実に要領よく、素人にもわかりやすく、イラストも見開きページにあって、すばらしい。『詳説シリーズ』は歴史に定評の山川出版のもの。なお、『詳説 日本史研究』 山川出版社は新版だが、実は旧版のものをブックオフで100円で購入。大いに得をしたような気分になったが、考えてみればほぼ同じ本で、100円で買ったから大変な得をしたような気になったのは、錯覚だったというのが今ごろわかった。とにかく、いちおう世界史・日本史を通読してから、いろんな歴史の本に食いついてみたいと思っている。もっとも、この教科書のような本ばかりでも単調になるので、興味深い歴史の本をはさんで行こう。 ----------------話が回りくどくなったが、日本の歴史は各時代に分かれ(あたりまえだが)、その時代の日本語があったはずだ。例えば、日本の歴史だからと言っても、縄文時代の日本語はちょっとどのような日本語だったのか?よくわからない。弥生時代もそうだろう。古墳時代もちょっと。やっと日本語が日本語として歴史に残っているのは、飛鳥時代・奈良時代だろうと思う。記紀・万葉集もこの時代だ。文字的にはまだ中国語の時代で、あえて日本語と言えば、万葉仮名の時代とも言えると思う。まあ、日本語自体が大和言葉と中国語の二重言語だが。ひらかな・カタカナが発明されて、日本語の文字が誕生するのは平安時代だと言える。ようやく清少納言の平安時代となった。 ----------------また話が長くなったが、ここに、みなさんには瞠目の私の学術的新発見を発表しようと思う。清少納言も紫式部も京都弁アクセントで話していたはずたと言うことだ。まだ私個人の学術的裏付けが時間的な問題でゼロだが。(本当は能力的な問題なのだが) ----------------NHKラジオの古典朗読などの時間で『春は曙 ようよう史録・・・・』などと朗読されるのは、共通語のアクセントだが・・・。それは、おかしいだろう~??!!清少納言は京アクセントだったはずじゃないの??怒りはおさめて、京都アクセントでのんびり読んでみよう。 ----------------春はあけぼの。ようようしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。夏はよる。月の頃はさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただひとつふたつなど、ほのかにうちひかりて行くもをかし。雨など降るもをかし。あきは夕暮れ。夕日さして山のはいとちこうなりたるに、からすのねどこへ行くとて、みつよつ、ふたつみつなどとびいさくさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いとちひさくみゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音むしのねなど、はたいふべきにあらず。冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにあらず、霜のいとしろきも、またさらいでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭もてわたるもいとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火もしろき灰がちになりてわろし。斎藤孝著「声に出して読みたい日本語」草思社より転載 ----------------でも、どうしても共通語アクセントで読みたいなら、この桃尻語で読んでみたらどうだろう?----------------春って曙よ!だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい汲むが細くたなびいてんの!夏は夜よね。月の頃はモチロン!闇夜もねぇ・・・・・・。ホタルが一杯飛びかってるの。あと、ホントに一つか二つなんかが、ぼんやりポーッと光ってくのも素敵。雨なんか降るのも素敵。秋は夕暮れね。夕日がさして、山の端にすごーく近くなったとこにさ、カラスが寝るとこにさ帰るんで、三つ四つ、二つ三つなんか、飛び急いでくのさえいいのよ。ま・し・て・よね。雁なんかのつながっったのがすっごく小さく見えるのは。すっごく素敵!日が沈みきっちゃって、風の音止む詩の声なんか、もう・・・・・・・たまんないわねッ!冬は早朝(つとめて)よ。雪が降ったのなんか、たまんないわ!霜がすんごく白いのも。あと、そうじゃなくても、すっごく寒いんで火なんか急いで起こして、炭の火持って歩いてくのも、すっごく”らしい”の。昼になってさ、あったかくダレてけばさ、火鉢の火だって白い灰ばっかりになって、ダサイのッ!『桃尻語訳 枕草子 上・』 第一段 橋本治現代語訳 河出書房新社 ----------------清少納言の現代的センスが、目の前にほうふつとするような気がする。 ----------------以前、ラジオで京都弁の源氏物語の朗読を聴いたことがあったのをふと思い出して、ネット検索をしてみたが、残念ながら枕草子の京都弁カセットは無い様子だ。その代わりに『檸檬@修行中さん』の楽天日記で、私の聴いた源氏物語の朗読のソースであるカセットテープの情報があった。失礼して引用してみる。(一応日記を訪問して引用の許可をおねがいしてあるが)。檸檬@修行中さんhttp://plaza.rakuten.co.jp/currychan/----------------ある時期からハマって集めています。『京ことば 源氏物語』 中井和子・訳 井上由貴子・朗読 (大修館書店)8,000円もするので…図書館で借りました。京都弁の源氏物語を聞いていると、なんだかホッとするのは、年のせいでしょうか?----------------アマゾンで調べたら発売している。8,400円だけれど。枕草子の方は残念ながらなさそうだ。
2004.09.16
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復刻版日記言語学では二ヶ国語以上の言語を自動的に切り替えて使うことをコード・スィッチングというそうだ。もし言語というものの定義に方言も入れると、私は日本語において方言のコード・スィッチングをしているのかも知れない。生まれ育ったのが大阪で大学以降は東京。ふだんは東京弁というか標準語というか、共通語というのが政治的に正しい言い方らしいが、それをしゃべっている。二ヶ国語を自由にしゃべれる人をバイリンガルと言う。それが多国語にわたればマルチリンガルと呼ばれる。 ―――― ◇ ――――私は生まれも育ちも大阪であるただ、私の大阪弁はもともとあまり濃いものでは無かった。両親が共通語に近いものをしゃべっていたし、大学から東京に移ってそのままだから、大阪アクセントの痕跡はほとんど無くなった。しかし、最近大阪に帰ってきたので、また大阪弁とのつき合いがはじまった。あ、それから海外出張が多かったから、英語のアクセントも相当混じっている・・・って、もちろんこれは冗談。そこまで英語になじんでれば世話はないんだけれど・・・。 ―――― ◇ ――――私の大阪での経験から言えば、濃い大阪弁をしゃべる人々の筆頭と言えばやはり商人階層の人々だと思う。商いというものは、相手に気をそらさないように柔らかい受け答えをしなければいけない。しかし商売だから、言いたいことはしっかり言わないと商売にならない。この矛盾を見事に解決している言葉が大阪弁だと思う。ズケズケ言いたいことをしゃべっても、相手にそれほど気を悪くさせない柔らかさ・ボケ味がある大阪弁が、商売をするには機能面で断トツだと思う。ビジネスの場で、商売の交渉で難しい場面にさしかかると、急に大阪弁もどきに切り替えてしゃべる人が結構いる。きっと無意識に大阪弁の商売機能を利用しているのだろうと思う。 ―――― ◇ ――――私の場合、普通は共通語をしゃべっているのに、相手が大阪弁をしゃべる人だと、徐々に私なりの大阪弁になってゆく。つまり状況(具体的には話し相手の言葉)がコード・スィッチングを促すわけだ。逆に、大阪にいても、初対面の人と話す場合や商店でものを買う時などは、かならず無意識の内に共通語になっている。なぜこうなるのか? 不思議でいろいろ考えてみたのだが、多分こうだろうと思う。もう完全になじんだつもりでも、私の無意識の中に、「共通語は改まった言葉だ」・・・という意識があるのだと思う。改まった状況が改まった共通語を促すという、これもコード・スィッチングだと思う。私の娘と話す時は、私の娘が共通語だから、私も共通になる。それに外国で教育を受けた娘と対話ししていると、私の説明が英単語混じりになって、いつも娘に笑われる。これは、英語の方が娘にわかりやすいだろうという配慮と、もうひとつ、英語という言語が非常に論理的・分析的なので、説明と言うことをする場合には日本語より正確な客観的な説明が出来るからだ。私は出来るだけ正確な表現をしようという意欲(意欲だけだが)が強い人間なので、ついついこだわってしまうのだ。もう一つ、商社の人間同士での日常会話や支店間の連絡は、どうしても商売柄、英単語がかなり混じるので、その影響もある。方言バイリンガルである私が、意識的に共通語と大阪弁を使い分ける時もある。上に述べた商社員のケースと同じで、共通語で話す会話の中で、わざと特殊効果を狙って大阪弁で話すことがある。相手にすり寄って、「ゴロニャ~~ン!」状態の時には、たいてい大阪弁になっている。「お互いリラックスしましょうよ」という意図を相手に示す時に大阪弁を使う。ザックバランな雰囲気を会話に持ち込みたい時にそうする。私にとっての大阪弁は、くだけた、相手との共感を確認する、相手との心理的な距離を縮めるための言葉だと思う。大阪弁自体にそんな機能も内蔵されていると思う。 ―――― ◇ ――――余談だが、共通語で「違う」と言うことを、大阪弁では「ちゃう」という。共通語で「違う 違う」と言うところ大阪弁では、「チャウ チャウ」となる。中国産の犬で、チャウチャウという犬がいるから話がややこしくなる。大阪人同士のカップルが公園のベンチに座っていて、そこへチャウチャウが散歩に通ったとする。女性「ちょっと、アンタ! あれチャウチャウとチャウ?」男性「あれはチャウチャウとチャウん、チャウか?」女性「チャウチャウとチャウんチャウか?ゆーたって、あれはチャウチャウ、やって!」男性「そ~やない、あれは絶対チャウチャウとチャウ!」女性「あれは絶対、チャウチャウや!」男性「なにゆ~てんねん、チャウチャウとチャウゆーたら、チャウ!」????大阪人以外はいったいなんのことやら、わからないだろうと思う。 ―――― ◇ ――――関西出身者だが現在は首都圏で暮らす人というのは多い。その中では共通語アクセントをほぼ完全にこなす、【国内版バイリンガル】がいる。私もその一人だが、他の地方の出身者の場合と違って、アクセントが共通語とほぼ反対の関西出身者が、【共通語とのバイリンガル】になるには、下記のハードルを跳び越さなければならない。★ 大学入学までに東京に移り住むこと。大学までベッタリ関西で過ごすと、関西アクセントは消えない。年令と音感の発達には関係があると思う。絶対音感というものがあるが、多分これも何歳までかに習得しないと、大人になってはダメだろうと思う。同じ様なことが英語でも言えそうだ。私の同僚に子ども時代に二年ほど英語の環境で育った男がいた。すぐ日本に帰ってきたから英語は忘れてしまっていたそうだ。だから学校で英語を普通の日本人として学習した。英語の総合力は私より劣るのだけれど、不思議なことに、しゃべらすと、発音だけはネイティヴ・スピーカーなのだ。ある時アメリカ人が私に電話してきて、彼が先にその電話を取ってから私に渡してくれたのだが、そのアメリカ人が「今電話にでた男はアメリカ人か?」と聞いてきた。繰り返すが、英語の総合力では!私より劣る!!(特に強調)。私の英語はお粗末だが、発音だけは、たいていの人間よりいいと思っている。それなのに、その男が私より発音がいいとは悔しいではないか?★ 家庭で関西弁アクセントが薄いこと。商家などで濃い関西弁をしゃべっていると不利。その点、私の環境は共通語的だったので楽だった。★ 音感がいいこと。上にも述べたが、関西弁はアクセントが共通語とまるっきり逆。音感は関西出身者にとってキー・ポイント。ボキャブラリーは共通語なのに、アクセントは関西弁のまま話す人が多い。音感の無い関西人には最も高いハードル。語彙などは覚えればいいのだが、音感はそうはいかないからこまる。★ 「イイかっこしい」の要素があること。関西人からすると、東京弁は「カッコイイ」感じがする。いや、感じがした・・・と過去形になるかも知れない。今の関西人は、特に大阪人は大阪弁に自信を持っている。しかし、やはりかっこよく歯切れのいい東京弁をしゃべりたいという欲求は関西人にもあるから共通語をマスターする動機付けになる。★ 関西弁に劣等感を感じていること。学生時代は大阪弁に劣等感を感じていたので、東京アクセントの習得は早かった。今は大阪弁に劣等感はほとんど無い。むしろ今は大阪弁の方が言葉としては豊富で表現力が上だと思う。せっかくそう思うようになったのに、今の私は大阪弁をスムーズにしゃべれないカラダになってしまった。基本的に大阪弁のボキャブラリーが非常に少ないのだ。子ども時代の私は、大阪では近所の狭い生活範囲内だけで暮らしていたから、濃い大人の大阪弁を知らない。だから共通語のボキャブラリーを、アクセントだけ無理に大阪弁的にして大阪人に対してしゃべっている。これは、なんだか相手に媚びているようで居心地が悪い。★ 最後に言うと、関西の人間が東京などで関西弁のままでいても責めないでやって欲しい。関西弁は他の地方とアクセントが絶望的に異なっている。上に述べたように音感の問題もある。だから、共通弁をしゃべろうとしてもしゃべれない人が多いのだ。もちろん、中には国内バイリンガルなのに関西弁にプライドを持っているばかりに共通語をしゃべらない人もいるとは思うが。 ―――― ◇ ――――関西弁にも色々あると思う。大きく分けて、京都弁・大阪弁・播州弁(神戸弁)。大阪弁はさらに下記に分かれると思う。(多分)船場言葉北摂弁泉州弁河内弁船場言葉というのは、船場で使われていた上品な大阪弁。船場の奥さんは伝統的に京都から嫁いでくるので京都弁の影響が強かったという。現在は純粋の船場言葉をしゃべる人はほとんど無いという。昔の女優の浪速千栄子さんが船場言葉の使い手だと言うことだから、浪速千栄子さんのしゃべり方を覚えている人は船場言葉のイメージを描けるだろうと思う。北摂弁は私の住んでいるエリアである北大阪、北摂地方(神戸・大阪・京都の間の地域)の言葉で、大阪弁の中では比較的アクセントが弱い。ヤクルトの古田捕手は私の自宅に近いところの出身。その彼がしゃべっているのがほぼ北摂弁。泉州弁と河内弁は大阪湾をはさんで北摂と対岸になる南の地方。もっと南になると奈良や和歌山になる。河内弁は勝新太郎・田宮二郎コンビの映画「悪名シリーズ」を見れば聞くことができる。しかし、勝新・田宮二郎ともに、京都出身だから、どの程度河内弁をしゃべれているのか? 私には判断がつかない。
2004.09.15
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昨日の【「英語の冒険」 「英語」は、悪魔のようにイングランドに現れた。】に続いて英語・英国話題を。まず、イギリス英語の模範的典型とされている発音について、「研究社英和大辞典」から、引用してみよう。 ~~~~~~~~~今日のイギリス英語の標準的な発音と見なされているものは、ロンドンを中心とする南イングランドの教養ある人達によって話されているタイプの発音で、しばしば【容認発音 Received Pronunciation ; 略 RP】と呼ばれるものである。Received とは、【上流階級で受け入れられている】という意味で、元来は中上流階級子弟の大学予備校としての性格を持っていたパブリック・スクールで教育を受けた南イングランド出身者の発音であったが、今日ではその範囲が広がり、教育・文化・放送関係の人々によって多く使用されている。イギリスの人口に比して使用人口は必ずしも多くは無いが、政治的文化的に高い優越性を持っている。 ~~~~~~~~~>教育・文化・放送関係の人々によって多く使用されている。こういう分野だけではなくて、金融・政治・産業界の各分野の上層部の人間にも、もちろん使われている。研究社、表現が不適切だぞ。私はロンドンの金融の中心地であるシティという地区で、日本の商社の駐在員として働いていた。シティというのはロンドンの中でも【経済特区】で、独自の市長がいるほどの独立性のある街。要するに銀行・証券会社・マーチャントバンク・商社などが密集している場所で、イギリスの金融界の中心と言っても言い。このシティに勤めている英国人のエリートたちは、オックスブリッジ(オックスフォードとケンブリッジを合わせた造語)や、有名大学を出た俊英で、当然パブリックスクールを出た連中が多いから、このRPをしゃべる。RPよりももっと範囲を狭めた表現なら、オックスブリッジ・イングリッシュという表現もある。もちろん、オックスブリッジの卒業生がしゃべる英語だ。さらにオックスブリッジを表す言葉、「○○大学」という、英語の表現があったが・・・忘れた。もうひとつBBCイングリッシュという発音がある。RPと相当重なっている部分がある思うが、このBBCイングリッシュは一種の人工的に作り上げられた発音で、BBCが複雑な方言体系を持つ英国で全国放送をするにあたって練り上げた、共通語的な発音らしい。私が聞いた感じでは、オックスブリッジと似ているんだけれど、もう少し事務的というか、客観的というか、感情を押さえ気味、そんな感じを受ける口調だ。放送用の英語だから、そんな傾向があるのかもしれない。戦前の英国のニュース映画を観ると、アナウンサーが濃~いBBC口調で話している。このBBCアクセントが、今のBBCアクセントよりずっと格調が高くて、いかにも「英国!!」という感じの響きなのだ。それにBBCをしゃべるイングランドの男の声は、一種独特のトーンが高い鼻声のように思える。今のBBCはそんなオーセンティックな正統的なBBCアクセントにこだわらなくなった(と思う)。アナウンサーやコメンテーターに、スコットランド人やインド系・黒人系など、を多用してる。時代の流れなのだろうと思う。しかし面白いことに、インド系や黒人系のアナウンサーほど、極めてパリパリの格調高いBBCアクセントでしゃべる。それに大して白人であるスコットランド人が、スコットランドアクセント丸出しでしゃべる。これも何かおかしい。 ~~~~~~~~~ロンドン駐在時の私のアシスタントだった女性がオックスフォード出身なので、「典型的なオックスフォード・アクセントの人って、例えばテレビに出ている政治家の中にいるの?」と彼女に聞いたことがある。彼女は「○○さんのアクセントが典型的オックスフォード・アクセント」と言って、うっとりした表情を見せていた。その頃の蔵相だったかな?それとも外相だったかな?その典型的オックスフォードは。多分、今、BBCで料理番組を持っている「英国でもっとも美しい女性」「最高の美女料理人」と言われているナイジェラ・ローソンの父、ナイジェル・ローソン蔵相だったと思う。ナイジェルって名前はイングランドの名前で、典型的な中・状流階級の名前。ナイジェル・マンセルと言う、ちょっと挙動が粗っぽいF-1レーサーもいたが。 ~~~~~~~~~実はもう10年以上ロンドンに行っていない。上に書いた事は20年近く昔の話だ。それで、これほど、最新の英国事情のように書く私って、ひょっとしたらフィクションの才能があるのかもしれない。それに私の英語力なんて、お笑いなんだから、あまり、私にかかってこないように!!!そこんとこ、よろしく!とは言っても、私はRPとBBC発音が好きだ。米国英語についても日記をものにしたいと思うのだが、なんと言ってもRP+BBCは、聞いていて気持ちがいい。昔、日本からの長旅の末、ロンドンのホテルに入って、まずテレビやラジオをつけると、さわやかで、クリスプ(ポテトチップスのように歯切れのいい)BBCアクセントが流れる。心がス~~!と、ミントを吸い込んだような気持ちになったものだ。(米国英語との比較は、またこの次)その他に、聞いていて気持ちのいい言語。フランス語かな、まず。それからイタリア語。ロシア語も重そうでいて、響きが重厚でいい。朝鮮語は、北朝鮮テレビの女性アナウンサーの「叱りつけるような」「女流講談師のような」おどろおどろしい口調で、だいぶ好感度が下がった。前から高くなかったんだけれど。ゴメン。英国はご存じのように階級差がすごい。階級によってアクセントも使用する単語も違う。さらに各地方の方言がすごい。いまだにヴァイキングの言葉のような言葉を老人がしゃべっている村も実際ある。私が、地方と電話して苦戦していたら、私のオックスフォード・アシスタントが「私も彼の英語はほとんどわからない」と助け船を出してくれたが、日本から地方の工場見学などにつきあわされると地獄だ。いや、地獄の下に何か他の世界があったとしたら、間違いなくそこだ。地方の古びた工場に行く。技術説明を現地の工員レベルの人がしてくれる。これが地獄の下の地獄だ。職長クラスの人はまだ、わかりやすい英語をしゃべってくれることが多い。しかし工員さんは、自分たちの言葉しかしゃべれない。こちらが、それを理解できない状況など理解できない。堂々と日ごろのその村の訛り一杯、技術的術語一杯、で語ってくれる。階級差・地方差・日本語でさえ私には理解不可能な技術術語・・・。それが複合的効果を発揮する。日本から出張してきたメーカーの人からは「何を言ってるのか?」と、せっつかれる。悪夢です。日本人はシティーでRPに慣れると、そんな発音をまねようとする。行きずりのタクシーの運転手さんは、私たち、急造オックスブリッジアクセントを気にしないが、いつも会社で使うハイヤーの運転手の中には、階級的・人種的反感を示すものもいる。「シティーの日本人はオックスブリッジを使って、感じが悪いよな~」などと、私に話しかける。オイオイ!この私も、オックスブリッジ・アクセントでしゃべっている【つもり】なんだ。私にも反感を示してくれないと困るよ!(こういうの変?) ~~~~~~~~~閑話休題。「西洋の没落」オズヴァルト・シュペングラー著かなり読んでみたが、難易度が高すぎる。この本を読みこなす教養知識が現在の私には無い。タラナイさん(本名は久我勝利)の【分類する技術が仕事を変える!】にも、こう書いてある。 ----------------【参考書を選ぶときは内容の難易度を意識する】上手に勉強するためには、体系的に覚えることが大切だ。体系的に学ぶには、順序がある。参考書や問題集をどのような順番で読むのかと言うことが大切になる。・・・(中略)参考書は、入門書、中京諸、専門書の分類別のブロックにして、入門書のブロックから順番にマスターしていくのが一番の早道なのである。 ----------------これは、常識のようでいてなかなか出来ない。私も、歴史関係の本を数百冊かかえて、どれから手をつけていいのかわからない状態だったが、ある非常に体系がわかる入門書シリーズ【図解雑学シリーズ】(ナツメ社)を見つけてから、基礎の基礎から、学んで行くことの大切さを実感して、ボチボチ実行している。もちろん、体系がわかるぐらいの大づかみな入門書だから、深い、興味深い話はあまり無い。退屈と言うことも言える。しかし、歴史的流れ・体系がわかっていないと、学問的なことは「ネズミがかじった穴だらけのチーズ状態」になる。やはり一応、基礎はさらっておかないと、いけない。それから、どの方面を攻めてもいいと思う。それでも、「西洋の没落」のような、高度な専門書をわからないなりに読んで、知的興奮を感じるのは大切だと思う。登山で言えば登山ハイウエイやケーブルカー・ロープウェイで頂上に登った時の興奮・達成感・景観のようなものだ。しかし、やはり一歩一歩踏みしめながら登る登山が重要なのだ。・・・ということで、「西洋の没落」は、少しあとの楽しみにして、入門書・中級書というか、内容がわかるレベルの歴史書をまず読んで行きたい。
2004.06.26
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作家2507さんが「日本語は方言が多いと言われるゲルマン語族よりも方言が多いらしい」とおっしゃったので、ゲルマン語を含めた印欧語の事を書いてみたい。印欧語とは「インド・ヨーロッパ語族」の事である。「ヨーロッパ語族」はわかるが「インド」はどういうことだ?という疑問の声があるかも知れない。実はインドの宗教言語サンスクリット語が欧州語族と親戚関係にあることがわかったので両者をくくって「印欧語」と呼ぶことになった。カルカッタの東インド会社で判事を務めていた Sir William Johnes サー・ウィリアム・ジョーンズという人がサンスクリット語を研究していたら、実に意外なことにこの世界の果ての言葉、サンスクリット語がギリシャ語やラテン語に似ていることを発見したのだ。当時は大発見だったのだが、私が後知恵で今考えてみれば、インド人というものはイランの方から移動した遊牧民のアーリア人がインダス川を越えてデカン高原に侵入して土着の民族、ドラヴィタ人などを征服したのだからインドの主要な言語がアーリア系の印欧語であることは当たり前だと思う。カースト制度もこのアーリア人とドラヴィタ人の住み分けから始まったらしいのだ。もっともインドの言葉が印欧語系と言っても、全部が全部そうであるわけでもない。妹尾河童氏の著書「河童の手のうち幕の内」(新潮社)という雑誌によれば、今から約四十年ほど前のインドの国勢調査で、インド国内には1,652種類の言語があることが判明して、政府当局も仰天したという。「インド人もビックリ」だから例えば10ルピーの紙幣にも1,652種類の言語で「10ルピー」と書いてあるのだ。・・・というのは当然、いつもの私のわかりやすい?ウソで、いくらなんでも紙幣に1,652種類もの言語は印刷できない。その結果の妥協案として1,652種類の言語を代表して、14種の言語がめでたく印刷されているという。私もインドには数回行ったが何しろ汚い紙幣だったのでそこまでは詳しく見ていないのだが、この妹尾河童という人は私を上回る(下回る??)オタクなもんだから、そこんとこを偏執狂的に書き込んでくれている。その14種の言語の名前をこれから書くから覚悟するように!???※ アッサミー語※ グジャラティ語※ カシミール語※ マラティ語※ パンジャビ語※ タミル語※ ウルドー語※ ベンガリー語カンナダー語マラヤナム語オリヤー語※ ラージェスターン語テルグ語※ ヒンディー語私にも※印のついた言語はどこで使われているか?大体見当がつく。しかし、1,652種類っていったい・・・。インドとは実に奥深い謎の国だ。 ~~~~~~~~~ついでにもう一つのインドがらみの語学上の、及び民族学上の大発見がある。ハンガリーと言えばジプシー・ヴァイオリンなどで有名な国だが、インドからの留学生がしゃべる言葉をあるハンガリー人が聞きとがめた。ジプシーの言葉に似ているのだ。いろいろあって、結局ジプシーはインドのある村から放浪の旅に出てついにヨーロッパに到達した立派なインド人であることが学術的に判明した。ジプシーの人達がその出身の村を訪問したら、その村の言葉とジプシー語の会話で70%通じたと言うからすごい。昔ジプシーは、エジプト出身の人達だという説もあって「(イ)ジプト」からジプシーと呼ばれた。あるいはボヘミア(チェコの一部)から来たのでボヘミアンと呼ばれた。チゴイネルとかジタンとかいろいろ呼ばれている。そういえばフラメンコを踊っているジプシー女性のシルエットが箱に印刷されているフランスのエジプト葉の濃い香りと味の煙草に「ジタン」というのがある。ジプシージプシーと気易く呼んだが、今はジプシーという呼び方は禁句で(差別用語と言うことなのかな?)ロマと呼ぶようになっている。なんでもジプシー語で、いやロマ語で、ロマとは「人」と言う意味だそうだ。アイヌ語のアイヌもそうだたんじゃなかろうか?エスキモーも今は言っちゃいけない言葉で「イヌイット」と呼ばなければいけないらしい。似たような濃いフランス煙草にゴロワーズというのがある。ゴロワーズとは、「ゴール人」という、フランスにいたケルト民族の一部族のこと。フランスの大統領にド・ゴールと言う人がいたが、この人など自分の姓が自分の出自を自ら物語っている。先祖がゴール人なのだ。 ~~~~~~~~~語学と民族の話は長くなるので今日はこのへんで打ち止め。
2004.04.08
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