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昨年来(ちょうど1年)、来店されるのはいわゆる「常連さん」ばかり。わざわざ予約して来てくださるのだから、一見さんは皆無。夜の常連さんに加え、ランチ(カレー)の常連さんもいらっしゃるが、カレーがないことを承知の上でのご来店。が、たまに常連さんが初来店の方を連れていらっしゃることもある。面白い生態の方にお会いした。●プレゼントを強要常連さんのご内儀(何度かご来店済み)が天神祭の思い出を語り始める。うちの店にも「手打ち」という儀式に祭関係者が来る。そのことについての内情を根掘り葉掘り聞かれる。初来店の方(男性/面白い生態の方)が初「うちわ、もらったでしょう?」と私におっしゃる。(住まいが店の近くで、同じ町内会。町内会の人はうちわをもらえる)私「いえ、扇子です(祝儀の返礼でもらうもの。町会費の代償とは違う)」ご内儀「いや、扇子! どんなんやろ」私が大切に保管している扇子を取り出してご内儀に披露。男性が、扇子の絵柄について解説。初「えー、いいねぇ。もらったら?」ご内儀「そんなぁ、大切なものやのに」私ポカン。なぜ差し上げなければいけないのか理解できず。初「欲しいでしょ? もらったらいいやん」ご内儀「えー、悪いわぁ」これは新手のクレクレか?この流れで「いえ、差し上げません」と言えるか?友達だったら、「あんたも手打ちに来てもらい(祝儀出したらもらえるで)」と返せるけれど、お客さん相手にそんなこと言えるはずもなく。ま、ご内儀が大層喜んでくださったので、よしとする(しかない)。●私に変わって返答宴が進み、食べ終わった食器を下げようとすると、ご内儀「洗い物すごいね。大変やわ」すかさず横から(初来店の男性が)初「機械あるの?」機械とは食洗機だろう。私「いえ、手作業です」ご内儀「大変やわぁ。手伝おうか?」私「いえいえ……」私が継ごうとした言葉の前に食い気味に私に向かって初「これくらい、軽いもんよ。ね」私「飲食店は洗い物との戦いですから」初「慣れてるから、ちゃちゃっやね」初めてのご来店で、私の作業の様子を見たこともなく、こう断言する意図は何なのだろう。ご内儀を気遣ってのことか、私のことを「理解しているよ」というアピールなのか。●何でも知っているアクアパッツァを召し上がっているとき、突然むせ始めた初来店の男性。常連さん「大丈夫? 骨刺さった?」初「ゲホ、ゲホ、いや、バジルが…」あ、それパセリですが。ヤングコーンの丸焼きを召し上がって初「筍(たけのこ)の味や」ご内儀「ほんと、香ばしいわぁ」多分、焼き筍と似た味がしたのだろうが、焦げた皮の香ばしさがコーンに移ったのではないかと思う。初「これは、トウモロコシの小さい品種?」私「間引きしたトウモロコシです。この季節しか出ないので、市場で見つけたら買ってしまいます」初「筍の小さいのと同じことやね」全く違う。かする部分さえないので、私「うーん、違うような」私にしては、中途半端な言い方をした。何でも知っていると思っている人に、はっきりした否定はまずいと思った。さらしくじらをお出ししたら、常連さん「これ何?」私「さらしくじらです」常連さん「えー、珍しいね。鯨か」初「鯨、よく食べたよね。コロ。炊いたりして」さらしくじらの思い出を語っていただきたい。私「この魚屋さんのさらしくじらは柔らかくて臭みがなくて食べやすいんです」常連さん「ほんと、柔らかくておいしいね」ご内儀「魚屋さんによって違うの?」私「仕入れルートが違うんだと思いますが、もっと分厚かったり、 硬かったり。こんなに柔らかくて臭みがないのは珍しいと思います。 鯨の種類が違うんだと思いますが」初「ハリハリ鍋、おいしいよね」それは、身(かのこ)を使う料理。さらしくじらとは関係ない。知らないことが目の前にあると、自分が知っている方向に引っ張っていくようだ。●強引初「うち(マンション)の屋上から天神祭の花火見えるよ」ご内儀「いやー、素敵!! みんなで鑑賞に行きましょうよ」ご内儀が私の肩を掴む。私はお客さんと外食したり、ゴルフに行ったりといったことをしたことがない。しないようにしている。小さな町で変な噂が広まりでもしたら、商売に差し障る。心の中では、断る言葉を考えていた。ご内儀「ママさん、行きましょうね!」実は、来週5日に治療方針があらかた決まるはずで、場合によっては入院(2週間ほど)になるかもしれない。天神祭のときに娑婆にいない可能性が結構高い。それが決まったら、それを口実に断ればいいと思った。私「そのつもりでいます」ご内儀「お料理とお酒、一人2000円くらいで用意できる?」え、持って行くの? 弁当みたいなもの? 2000円?私「あ、お酒はうちからでは高くなりますから、ご用意いただいた方が」ご内儀「そうやね。あ、花火見終わってから、ここに来る?」21時から宴会? え? 何時まで?初「決まり! じゃ、25日夜18時にうちに集合」何か決まったこと、ある? ●自分のアピール初「僕、独身です」突然の言葉。実は知っていた。常連さんから聞いていたのだ。初「アピールしとかないと」ご内儀「えー、なんで結婚しはらへんかったの?」初「別にこれといった理由はないんだけど、なんとなく」これはアピールなのだろうか。「研究に打ち込んでいるうちにこの年に」「海外赴任から戻ってから結婚を、と考えていたら、赴任が長引いて」といった理由なら、独身であることに理由があり、遅まきながら結婚したい、というアピールになると思うが…。初「今度、夜飲みに来ていいですか?」私「夜は予約をいただいてます」初「開いてる時にふらっと」私「予約に応じて仕入れしますので、お出しできるものが限られますが」初「ちょっとしたものがあればいいです」いやいや、予約してくださいよ。頑なな。初「かわいい犬を連れて来ます」飲食店に犬とは。ま、貸切状態ならいいけれど。初「吠えませんから。おとなしいいい子です」そんな問題ではない。アレルギーとか、衛生面とか…。物知りの割に、自分は埒外にいるのだな。私「犬種は?」初「ダックスです」ダックスフントは困るなぁ。大きすぎる。狭い店なのに。。スマホの画像を見せてくる。私「ミニチュアですね。バッグに入れていただいたら大丈夫です」初「もちろん。二人で来ます」独身の理由はそれじゃないのか? 知らんけど。ま、初対面のときは、警戒心満々なのが私の悪い癖で、粗探ししてしまったのだと思うが、結構面白い人だと思う。白いポロシャツの襟をピンと立てていらっしゃることに強烈な違和感を持ったが、女性にモテなさそうな感じも、身なりやセンスが悪いといったこともなく、職業も安定感があり、50過ぎまで独身だったという理由がよくわからなかった。常連さん曰く「ママさん、よかったら付き合ってやってよ」と一年ほど前に言われていたのだが、うーん。。。私が喋っているとき、凝視するのが気になった。私の粗探しをしているのか?ま、付き合いたいなんて思っていたら、一挙手一投足が気になるかもしれない。単に、私を珍獣だと思ったのかもしれないが。店をやっていると、いろんな人に出会えて楽しい。動けなくなる寸前まで営業していたい。
2024.06.30
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このブログを始めて27年、この類のテーマで何度も書いているのだが、どんなタイトルにしていたのか忘れたので、ふんわりと、「こんな感じかな」程度のタイトルにしておいた。これまでも大抵、日本語がおかしいことを書いていたと思う。今回もその類。●そこまでこの言葉は、大阪発信の「そこまで言って委員会」というTV番組が大きく影響していると思う。「そこまで」は、文章にされることはなかったように思う。口から発せられる言葉としては、あっただろう。「そこまで言う?」という用法限定ではなかったかと思うのだが。しかし、類義語としてある言葉の「それほど」「さほど」の代用語として使われることが多くなっている。「そこまでまずいことはない」「そこまで窮屈じゃなかった」「そこまで信用できないことはない」こういう言い方に強烈な違和感を覚える。「それほど」「さほど」を「そこまで」というちょっと下品で、文語体になかった言葉をのさばらせるのはどうかと。私は文章の中では使いたくない。しかし、YouTubeのような動画(画像含む)サイトだと、「字幕」として文字になる。すると、この言葉を多用する人が大変多いことに驚く。と同時に、やるせない気持ちになる。少し冷静になって、この言葉の意味やいまの人々が多用する背景をさらに分析したいと思う。●個人的には少し前には「私的には」がはやって、これも愚痴った気がする。「私的には」と同様、自分の意見を言う前にこの言葉を枕詞にする。保険である。人が違う意見を持っていても、攻撃されないように。「私は」「自分の研究結果は」「我が論評は」といった直接的な表現を和らげるとともに、保険をかけているのだ。日常会話ならいい。しかし、評論家や論壇の人間がこの言葉を使うと、「自信がないのか」「世間に意志表明することを諦めたのか」と思われるのではないかと勝手に危惧する。ズバッと言えばいい。それで、非難や賛同を得ればいいことだ。自信のない人間ばかりになった。大人がこれで、若者や子供はどうなってしまうのか。●もっと言うと押し付けがましいにもほどがある。「もっと」言わなくていい。「さらに」「それから」で済む接続詞である。水島氏が多用していて違和感があったのだが、最近では誰でも彼でも使う。流行なのか。自信がなかったり、押し付けがましかったり、厄介な輩が多い。日本語を再勉強して、美しい日本語を使ってほしい。いくらいいことを言っていても、こういう言葉が気になって、内容が入ってこない。実に虚しい現実である。●今の現状これは、前出の項目とは違うのだが、この言葉は市民権を得てしまったのかと愕然とするほど多用されている。正しくは「現状」でいい。「今の」と言いたいのなら「状況」が続く。一日に何度聞くのかとげんなりするほどこの言葉を聞く。テレビ、ラジオ、YouTubeなどのネット配信番組。おかしいと思わないのか。なぜこうなったのか。正しい文章を読んでいない人が多いということだろう。正しい日本語が身についていれば、耳から入ったこういう言葉は背筋がねじ曲がるほど違和感がある。そう感じない日本人が多いのだ。まだまだある。どんどん書く。イライラすることは吐き出さないと。何も感じない人にも気づいてもらわないと。ま、大して意味のあることではないかもしれないが。言葉を職業とした(お金を稼がせてもらった)人間のせめてもの務めだと思って。
2024.06.27
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私の人生には常々「運命」という言葉が付きまとう。生まれ、生い立ち、進学、就職、出会い……。偶然のようで必然ではと思えることが幾つもある。●命亡くなった夫とは、仕事で28のときに知り合ったが、夫の私に対する印象はすこぶる悪くて、「つき合う」という関係にまで醸成させるのに5年かかった。夫からのアプローチだったが、元来私は男性とのつき合いが苦手で、自分から好きになった人以外との「デート」(死語?)はしない質(たち)だった。私の理想とは程遠い、派手なタイプの男性だったのに、すんなりスタートしたつき合いも、きっと運命なのだと思う。少し前にも書いたが、私は占い師から「36歳で死ぬ」と言われていた。つき合うに当たって、夫にそのことを言ったら、「大丈夫。僕と出会ったから運命が変わったよ。僕の面倒みなあかんから、長生きするよ」と言われた。結果、夫は私に20数年の命を与えてくれ、平均寿命より20数年若く亡くなった。私は36から20数年生きながらえ、平均寿命より20数年若く死ぬことになった。運命以外の何物でもないように思う。●仕事私をこの世に迎えてくれ、いつも優しく育み愛してくれた、大好きな祖母が亡くなった年に私は独立して開業した。まだ24歳だった。祖母が見守り、支えてくれたのだと思う。時代の荒波に抗えず(抗うこともしなかった)、27年営んだ事業(広告会社)から、飲食店に大転換した。そのときには、夫や夫の家族が支援してくれた。もしこの店がなかったら、昨年の病気の後、どんな生活をしていただろう。営業時間や業務内容を大幅に変更、縮小はしているが、継続して営業できているし、常連さんとの会話やふれ合いはいまの私の何よりの栄養になっている。しかも、当時(11年前)にはまだ元気だった夫が私よりも早く逝くであろうことはわかっていた。自分勝手なわがままはできないとはいえ、事業主という立場であったがゆえに夫の調子が悪いときや病院への通院にはつき添えた。折しも、コロナ禍で営業体制が不安定になっていたこともあり、夫の人生の終焉には割と時間を共にできたのではないかと思う。従業員を抱えていた広告会社だったら、無理な話だった。一人で営む飲食店だったからできたのだと思う。広告会社から飲食店に切り替えたのは、運命だったとしか言いようがない。●命日主人の父親は、大変私を可愛がってくれた。私も、折々のプレゼントや年玉といった儀礼は欠かさなかった。医師が「緩和ケア」という言葉を発した後も、義父と一緒に新たな治療法を求めて遠い病院に出向いたこともあった。残念ながら、その甲斐なく義父が逝ったのは、夫との初デートの記念日だった。初デートから16年後。そんなに早く義父を亡くすとは思っていなかったが、夫との記念日に義父が逝ってしまったのは、運命以外の何があるだろう。●怖い主治医怖い主治医との初対面は、緊急手術のために入院した日の夕方だった。そのときは内科の主治医(女性)がいた。「誰だ、この人」というのが私の最初の意識。しかし、怖い主治医の目を見たとき、自分と同じ目の色……表現が難しいが、感受性…、あるいは思考の方向が同じ人種なのではないかという微妙だが一種の「安心感」を抱いたのを覚えている。が、虫「先生が執刀してくださるんですか?」怖「別に僕が執刀せんでもいいんやけどね」の会話で、瞬時に粉砕された。どこに地雷があるのかわからない人だった。しかし、この人も私の運命の輪の中にいる人なのではないかと思う。どんなつながりで出現したのかは定かではないが、きっと、前世でも何かの関わりを持っていたのではないかと。もちろん、いい関わりではないように思う。前世でも、大変いじめられたり蔑まれたりしたのかもしれない。しかし、運命の輪の中にまた入ってきてしまった人だ。逃れることはできないのかもしれない。抗いはする。最期まで、何とかできないかとアタフタする。しかし結局、彼との関わりの中で私は死んでいくように思う。運命とは、げに恐ろしいものだ。
2024.06.26
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皆さん一度は想像したことがあるシチュエーションではないだろうか。医師「心を強くして聞いてください」患者「はい。なんでしょうか」医師「あなたは◯ガンです」患者「ガーン」コントのような話だが、この命をかけたギャグを言ってみたいと思った人は多いと思う。しかし、実際にその局面に対峙すると、頭が真っ白になり、そんなギャグを発する余裕がないと証言するガン罹患者は多い。つまり、他人事だから思いつくギャグであるということだ。自分がその状況になったら、ギャグを思い起こす余裕さえなくす。医療事情は30年前とは違うのは確かだ。30年前の「ガン」のイメージは、「不治の病」だろう。医療が進歩し、技術や薬剤、治療機材の開発によって「ガンは治る」などと、短絡的な言葉で語られるが、それは間違いだと確信している。一度ガンになってしまった体には、目に見えないガン細胞が体の隅々に散らばっていて、すぐに表面化するか、時間をかけて表面化するかの違いはあれど、いつかはガン細胞が全身を覆い尽くすという最期を迎えるのだから、ガンから逃れることはできないのだと思う。父が20年以上前に胃ガンと宣言された。そのときにいろいろ調べた。父のガンは、ピロリ菌由来の潰瘍性のガンで、ガン体質からくるものではないとわかった。7年ほど前に夫のガンが判明した。夫は、繰り返し食道を傷めており、潰瘍状になった部分がガン化したのだと解釈した。いずれも、全身に種がある種類のガンではないと「私は」判断した。しかし、いずれのケースでも、「ガンらしいわ」と聞かされたとき、背中がゾワーッとして、血の気が引き、視界が狭くなると同時に胃が痛くなった記憶がある。ガンというのは、大変インパクトのある病気なのだ。私の場合、イレウスになり、検査してくれた病院で医師に「何かの腫瘍状ももので詰まってます」と言われ、「ガンですか?」と自分から聞いてしまった。「その可能性が大きいですね」そこで「ガーン」はおかしい。手術、入院ができる病院を紹介してもらい、外来で検査データを見ながら医師が「すぐに手術をしないといけないですね」と言った時、「何が原因ですか?」と聞けばよかったのに、「ガンですか?」とまた聞いてしまった。「ま、そうでしょう。病棟に主治医をつけますから、詳しい説明はその医師から」と言われて終了。病棟に、というのは、入院するにあたっての主治医ということ。その主治医には、ナースステーションの前で立ち話した。緊急手術になるので、手順の説明を受けた。こちらから聞くでもなく、「この手術で患部の組織を取りますので、詳しくは手術後ですが、多分ガンです。末期ガンではないことははっきりしていますので心配なく」あらら、また「ガーン」が言えなかった。最後はベッドサイドに来てくれた怖い主治医。物言いが柔らかいので、優しい人だと思った私はアホだった。「緊急手術をした後、一旦退院してもらいますが、切除手術をするために再入院になります」私は「ガンですよね」と軽い口調で言ってしまった。怖い主治医は「そのつもりで予定を組んでます」結果はその通りだったので、最後まで「ガーン」を言う機会を与えてもらえなかった。「ガーン」と言える人はラッキーと思った方がいいのかもしれない。ガンの可能性があるなら、畳み掛けるように事後の予定を組まれるのが、いまのガン医療体制のようだ。医師からかしこまって宣告されるのは、よほど良心的か、患者の心に寄り添う病院ということなのかもしれない。宣告のときの私の心情や精神状態については、改めて。いろいろ記しておかねば……。。
2024.06.25
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去年病気になるまで、「散歩」というものをしたことがなかった。目的地、目的、歩くルートの意味、すべてが揃わないと歩き出す気になれないということだ。「あそこ」に、「何をするため」に、「この道」を歩くという条件があってこそ、歩けるというものだと思っていた。退院後、看護師の友達から「歩かんと、手術したところが癒着するかもしれんで」と言われ、恐ろしくなって歩き出した。しかし、これまでの厄介な癖がどうしても消せなくて、目的地や目的を求めてしまう。「新緑を楽しもう」とか「川辺の景色を愛でる」などというこじつけ的な理由で歩くことができず、勢い、「歩数」を目的にしてしまうことになる。私は人より歩幅が大きい(長い)と思う。重い荷物を持っている、高い靴を履いている、窮屈な服装だ、などという困難がない限り、80cm以上で歩く。例えば、歩数を1万歩と設定すれば、8km歩くことになる。考えてみてほしい。都会で8km歩くとなると、どこまで行けるのか。大阪で言うと、「難波」「梅田」間が4kmだから、往復してしまう距離だ。以前、急性膵炎が完治したとき、弱った筋肉を復活させるためにウォーキングしようと決心した。しかし、上記の計算をすると、家の周辺を幾らぐるぐるしても、到底8kmなど歩けるわけがない。安全にウォーキングできるルートを探すだけでも困難なのに、飽きることなくルートを変えながら歩くのは、至難の技だった。しかもその上、私はゆっくり歩けない人間なのだ。「24時間戦えますか」の時代を生きた者は歩くのが驚くほど速い。「競歩してますか?」と聞かれるぐらい早歩きをしてしまう。結果、筋肉は疲れ、汗はダラダラ、腹は空いてゼエゼエになる。結論として、歩くのは6000歩と決めた。5kmなら、一辺1km程度の区画を四角く歩けばほぼ達成できる。この方法で、日夜ウォーキングした。まだ若いころ(15年前)だったので、難なくこなせたのだが、去年の猛暑のつらさ、今年の雨の多さ、そして寄る年波による体力の低下に疲弊する日々である。全く関係ないのだが、主人が自転車、私が徒歩で家に帰るとき、競歩まがいの歩き方をしたことがある。主人の運転する自転車について歩いたのを「なんでそんなに速いねん! 時速15km以上出してるで」と驚かれたことがある。実は主人は自転車フリークで、子供のとき(小学から中学)、自分で自転車をつくったことがあるそうだ。走行時速もよくわかっているようで、私が自転車についていけることに驚いていた。実は、私は走るのが嫌いで、走るなんて、体に全くよろしくないと思っている。かかと、足首、膝を絶対に傷める。膝を傷めたら、必ず股関節に来て、腰に来る。老後の死活問題になりかねない。だから、走りたいときは競歩のような歩き方をする。少々不格好だが、仕方ない。何の話だっけ。あ、ウォーキングが向かない人種の話だ。ゆっくり歩けない。歩幅が広いから、歩数で歩くとえらいことになる。体力がないのにこうだから、大変疲弊する。ということを書いていた。仕事が忙しく、しかもアナログの時代の人間は、歩いて稼ぐという方法で仕事をこなしていた。最近、YouTubeで医療関係のチャンネルを見ていて知ったのだが、普通の歩行でゆっくり歩く人は、早く歩く人より健康リスクが大きいのだそうだ。生活習慣病だか、認知症だか、将来病気を抱える確率が高くなるという研究結果を解説していた。へー、と思ったが、ゆっくり歩けないことの弊害についても調べてほしい。ちょっと歩くと、絶対シャワーを浴びないといけないくらいの汗の量と体温の上昇は、体に悪くないのだろうか。これからの季節が憂鬱なきょうこのごろである。
2024.06.25
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これまで、何度も怖い主治医(サド主治医)との攻防を書いてきたが、実は、意外にも私の心に呼応する会話もあった。(書いたことも、書いてないことも)怖「これまで、病気に気づいたことは?」虫「2年以上前から」怖「どんな症状? 出血?」虫「腹痛です。8時間苦しんだこともあります。 これはガンか、それに近い病気だろうと思っていました」怖「病院には行った?」虫「もし大きな病気がわかって入院を言い渡されたら、 夫が生きていけません。病院には行けませんでした」怖「症状があっても、ご主人のことを考えて 歯を食いしばって我慢したわけや」この会話は、途中まで書いた気がする。「歯を食いしばって」という怖い主治医の言葉が信じられなくて、ここは書けなかった。冷静沈着で、私を虫けらと思っている主治医の言葉とはどうしても思えなかったからだ。意外にも、心は温かい人なのかもと思った私は、アホだった。大腸が侵され、肝臓に転移があり、膵臓の様子がおかしいので胃カメラを飲めと言われ、胃カメラ検査をしたら、食道にも少し異常がわかり、膵臓の状態が不明なので、MRI検査を言い渡されたとき、虫「こんなに消化器が悪いのは、ストレスに弱いんでしょうか」と問うた。虫けらはストレスに弱いというより、ストレスに気づかない体質だ。常人には理解できないほどのストレスを抱えていることに全く気づかず、病気になって医師から指摘される。怖「ストレスに弱い……ストレスの量の問題じゃない?」この怖い主治医の返しに、目が覚める思いがした。主治医は、私の状況をわかってくれていたのではないかと。怖「処理できる量よりストレスが多いとね」……なんだ、一般論か。そうだろうな。そうだろうな。私の検診の予約はいつも最後の時間帯(14:30)にしてもらっていたが、転移の発覚があってからは、検査の予約時間や、その後の検診の都合に合わせて、時間が変動していた。怖「大丈夫?」虫「仕事を休みます。大丈夫です」という会話を毎回していた。いい加減こちらが言っている勤務体系を覚えてほしい。ずっと最終の検診の主治医の状態を見ていた私は、午前中の検診を受けることになった日、主治医の様子を見て、思わず言葉が出た。虫「先生、今日は随分お元気そうですね」怖「そう? 体調悪いんやけどね。午前中やからやよ」そうか。午前中の検診は初めてか。午前中、午後にかかわらず、いつも主治医は体調が悪いと言う。どこか悪いのかもしれない。最近、胃カメラ検査をやったと言うし、痩せ型の体だし、去年8月に虫「先生、お痩せになったように思いますが」怖「いや、痩せてないよ」私「そうですか? 前回よりもお痩せになったように思いますが」主「年中増えたり減ったりしてるけど、あなたの手術をした時あたりが、今年一番痩せてたな」という会話があった。もしかしたら、怖い主治医も何かの病気を抱えているのかもしれない。私が心配する話ではないが。なら、もう少し患者の気持ちもわかるだろうに、と思うのが心情。が、怖い主治医はそういう人ではない。……どこが呼応しているのか。かすっているだけではないか。ふん。こういう不毛な会話、もっといろいろある。思い出したらまた書こう。これからも、少しずつ増えるだろうし。ブログくらいしか、現状を表現できるところはない。家族にも言えずにいる状況では。。。
2024.06.24
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前のブログで書いたが、この一年、怖い主治医が主治医であることに悶々としたものがあった。それを最初に表現したのは、2週間前の「転移」宣告のとき。私の体の状態や治療方針などをやり取りした後、診察室を後にする前、丸椅子から立ち上がりながら「今後も主治医は先生ですか?」と問うた。怖い主治医は少し驚きの表情を見せながら「え、はい」なぜそんなことを聞くのだろうという疑念を含んだ肯定。「よろしくお願いします」と言って、私は診察室のドアを開けた。自分でも、なぜそんなことを言ったのかよく理解できなかった。本当に咄嗟の言葉だった。これまでと違うステージに入ったのだから、できれば違う医師にチェンジしてもらいたいという気持ち、他の病院に転院したいという願望、あなたが主治医なのは嫌だという意思表示……どれだろうかと考えた。全部当てはまるように思う。が、どれも違うようにも思う。怖い主治医が嫌ということだけではない。状況が嫌なのではないかと思う。この先、治療してもしなくても、最悪1年で終わる命をこのまま黙って、むざむざと終わらせていいのか、というジレンマ……違う。それは納得している。計算どおりだから。実は、夫が亡くなったとき、なぜか私は「3年でそちらに行く」と遺影に向かって言った。「それまでに、キャバクラ巡りや好きな女の子への付きまといを終わらせといて」と。あと1年で3年なのだ。iPhoneは立ち上げた画面を右にスライドさせると先頭に(iPhone内に保存している)アルバムの中の1枚の写真が表示される。最近、ずっと夫の画像が出現する。これまで、比率の多い料理の画像(店のメニュー)ばかりだったのに、さまざまな夫の画像が表示されるのだ。何か言いたいのか、こっちに来いと言っているのか、それとも、頑張って生きろ、と言っているのか。。話を戻して。どんな状況が嫌なのか。怖い主治医に、私のことを小指の先ほども理解されず、虫けら扱いされることか。命を預けている主治医に理解されないことの苦痛は何物にも代え難いと言えるかもしれない。つい数日前、「このまま先生の患者でいていいですか?」と問うた。この言葉を発する前、どういう言葉にするか迷いに迷った。「私、他の病院に移った方がいいんじゃないですか?」ストレート過ぎるし、自主性が感じられない。「先生は私のこと疎ましいと思っているでしょう?」人のせいにしてはいけない。「私の病気をよくしてやりたいと思っていますか?」挑戦的でかつ、依存心が高い。「私は納得できません」言い過ぎだ。「このまま死んで行くのは嫌です」治療したるがな(治療してやるよ)、と言われそう。何が言いたいかを整理すると、「あなたが主治医であることは納得できますが、いまの状況が嫌です」なのだが、これを理解してもらうのは至難の技だ。せっかく、前回に前振りをしているのだから、今回は少し前進、次にさらに前進、その次くらいに結論、という流れがつくれればいいと思った。先は長い(余命?残命は短いが)。このブログで怖い主治医とのやりとりを見てくださった方はお分かりだと思うが、いつも会話がすれ違ってしまうのだ。私の言葉が足りないせいもあるが、怖い主治医に長々と言葉を連ねるのは危険過ぎる。端的な言葉でわかってもらうことが第一だと考えてきた。しかし、端的な言葉を思いも寄らぬ方向で解釈する人だともわかった。これで、どれだけ神経をすり減らしたことか。検診前に胃痛や腹痛に悩まされることも幾度もあった。検診後に後悔や絶望に悩んだことも幾度もあった。まだこの攻防が続くのかと思うと、本当にゲンナリする。しかし、仕方がない。これも運命なのだろう。私の人生は、いつもつらいばかりの運命が付きまとう。前世でよほど悪いことをしてきたのだろうか。来世では、明るくて気楽な人生を歩みたいものだ。
2024.06.23
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ここのところ、立て続けに検査を受けている。3週間前:採血、造影剤CT今週:胃カメラ来週:MRI本来なら、PETも入っていいはずだが、それは全く入ってこない。いずれも結構費用がかかる。しかも、それなりに体への負担もある。仕方ない、と思いながらも、「必要なのか?」と疑問を持つのは致し方ないだろう。本日、胃カメラ検査を受けた。怖い主治医、説明担当の看護師、検査担当の看護師、全てから「麻酔」を勧められた。が、断った。これまで胃カメラ検査は3度ほどやったことがあるが、その当時(10年以上前)は、麻酔がなかった。胃液の出を抑える注射はされたが、自分が楽になるためのものではない。検査担当の看護師が注射を持って現れたので、その注射かと思って尋ねたが、「いえ、喉の感覚を鈍くする注射です」と。「え、麻酔とは違うもの?」「はい」「やらないといけない? 別に素でいいんですが」「ちょっと苦しいかもしれませんが」「大丈夫です。これまでそんないい薬なかったし」という会話があって、それも断った。実際にファイバーを口に入れられてわかったが、私が受けた昔の検査で使ったファイバーより随分細くなっていた。これで苦しいわけがない。喉から食道を通すときに「飲み込め」と言われ、飲み込むとえずくが、苦しいほどではない。7分程度で終了した。看護師さんが目の前でティッシュを5、6枚取り、「お口の中の唾液をここに吐いてください」と言うが、「ありません」。夫は「涙とハナとよだれでグシャグシャになった」と言っていたが、意味がわからない。涙とハナは連動しているので、苦しかったら出るだろうが、よだれがなぜ出るのか。怖い主治医もよだれが出ると言っていた。おいしそうなものを目の前にしたわけでも、梅干しを見たわけでも色っぽい女性を眺めているわけでもないのに、よだれが出るのか。私は胃カメラを苦痛と思ったことはなかった。最近、病院は過剰なほどに「大丈夫か?」と聞く。アレルギーのあるアルコール消毒や薬の副作用などを確認するのは必要だが、患者を甘やかせるだけの労わり的な質問が多すぎる。怖「麻酔なくても大丈夫だった?」と怖い主治医に聞かれて虫「はい。サバイバーですから。年齢的に」と虫けらは答えた。昔はもっと太いファイバーをグリグリ飲み込まされたのだから、大したことはない。怖「飲み込むつらさより、薬の方が怖い?」虫「まぁ、そうですね」薬自体が怖いということはないのだが、30分休まされる、とか、帰りは車、自転車の運転はダメ、とか、そういう制約が嫌なのだ。楽できる薬は体への負担もあるということ。そして、前回の診察以来ずっと思っていたことを言った。虫「先生」怖「…」無言でこちらを向く。虫「言葉にするのが難しいのですが…、 先生は患者を選べないですよね」怖「…」少し困惑したような、理解できないような目で虫けらを見る。虫「私は別の病院から紹介されてこちらに来たわけで、 私も先生もたまたま、主治医と患者になった」怖「まぁ、そうやね」虫「このまま先生の患者でいていいですか?」怖「い、いや、別に…(笑う)逆に、他に行きたいところあるの?」虫「そういう意味じゃないんですが、最期は北野病院がいいなと」怖「なんで?」虫「北斎場に近いから便利です」怖「(笑う)」虫「私は先生のおっしゃることを余り聞かないでしょう」怖「そうかな。僕が言う検査も淡々と受けてくれてるやん」虫「予防的抗がん剤はいや、とか、麻酔は不要、とか」怖「あなたの判断は間違ってないと思うよ。 今回の結果にしても、抗がん剤をやっていてもこうなったかもしれないし。 抗がん剤やれへんかったからこうなったんやとも言えん。 僕はそう言うつもりもないし」虫「わかりました」怖「で、勝手に仮で押さえてあるねんけど、7月1日、MRIね」手回しのいい。一応スッキリはした。いつか言わないといけないと思っていた。次に意見の相違とか、治療方針が飲み込めないときに、転院が言いやすくなった。波長が合わない患者と主治医の関係は本当に厄介だ。何度心が折れそうになったか。これまでこんなことはなかった。症状の重い、軽いはあれど(病院にかかった病気は全て命の危険のある、恐ろしい病気ばかりだが)、「自分はこうしたい」という毅然とした気持ちで望んでいた。主治医との関係も問題なかった。しかし、今回ばかりは……。ま、病気が病気だけに、主治医への依存度が高くなるのは致し方ない。その結果、自分の気持ちや理解との間に軋轢が生じる。主治医に返せないだけに、自身の中のわだかまりとなる。人間的に波長の合う相手なら、言葉にせずともわかることが、言葉にしても伝わらないジレンマというか苛立ちというか。仕方ない。いよいよ最期となったら、そのときはそのときで考えよう。怖い主治医に看取られるのはどうしても嫌だ。それまでに、よい病院、よい医者を探さねば。。
2024.06.21
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先々週8日(土曜日)にamazonで3つの商品を注文しました。プライム会員なので、お急ぎ便で日曜日には到着するだろうと。当初は3品とも「明日到着予定」だったのですが、日曜日朝になって、2品は日曜日到着、残り1品は「17日(月曜日)到着予定」と変更になりました。きのう、急遽欲必要になった商品があったので、追い注文しました。その商品(3品)は17日(月曜日)到着予定と表示されていました。これで、前回注文した商品と今回の商品4品全てが17日に届くとの認識。ところがきょうの朝になって、3品のうち2品は「本日到着予定」、1品は「明日到着予定」に変更されていて、しかも、8日に発注した「17日到着予定」の1品は「水曜日(19日)に変更」と。何だこれ?こちらは、できるだけ同じ日にまとめたいと思って(昨今の物流事情と商品の合計金額的に)、結構配慮して発注しているのに、どんどん変更されていきます。しかも、発注時、もしくは到着前の商品の配送についての備考として、「全商品まとめて配送でOK」と書き添える欄が用意されていないのです。そんなに急いでない場合、あるいは金額的に大したことがない場合、まとめてもらって結構、と書けると随分気が楽になるのに。ましてや、もし、配送時に家にいられない事情があったら(時間指定できないので、3日間全て在宅にできるはずがない)、再配送となり、配送の方の手間にもなるし、こちらもやるせない気持ちになります。さらに、うちのマンションはオートロックではないので、「置き配」を選びづらい。その点、楽天だと、配送に関する要望を書く欄があります。おまけに配送業者によっては、配送日時を指定できるシステムがあったりします。よく配送してくれる業者さんだと、こちらの事情を知ってくれていて、事前に電話をくれたりもして受け取りが随分スムーズにできるようになっています(長年の実績もありますが)。ネット通販は「配送がネック」とよく言われます。「配送料金」「受け取るタイミング」です。宅配ボックスが設置できたらいいのですが……集合住宅では、個人が設置するスペースがないので、マンション自体が設置してくれないと。。が、うちのマンションの共用スペースは、そんなものを置く想定が全くなく、エントランスを「つくり変える」くらいしないと無理です。いっそのこと、オートロックにし、宅配ボックスを設置する「つくり変え」をしてくれないかなぁ。いまのところ、「便利」と「不便」が混在する通販事情です。
2024.06.17
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特筆すべき病気はガンだと思う。「余命宣告」。他の病気でこういう用語は使わないのではないだろうか。とても重度の遺伝病などで、乳児について「5歳までは生きられないと思います」といった医者からの発言を聞いたという人はいるかもしれない。が、「余命」ではない。「生存可能年齢」というべきか。5年もあれば、医療技術の進歩や個人の生命力で年限が伸びることも多々あるだろう。得てして、そういう病気は(姪の子供がそういう状況なので、理解できる)症例が少なく、医者の知見によるところが大きく、予想年齢がはずれることも少なくない。翻って、ガンについては、症例がたくさんあるので、「この場合」というフレームに当てはめた余命を医者が的確に割り出すことができるというわけだ。「患者の年齢・性別・体力・生命力(患者の各種条件)」「がんの性質・種類」「罹患部位」「組織検査の結果」「医師もしくは病院の知見、実績」もっと条件があるかもしれないが、さまざまなファクターから「余命」というものが割り出される。と、私は思っている。もしかしたら、医師個人の「感覚」「主観」といった、激しく偏りのあるものから割り出される可能性もあるかもしれない。あるいは根拠もなく、ただ感情によりある方向をもって恣意的にその言葉を吐くのかもしれない。が、患者はそれを知り得ない。私は、怖い主治医から「1年です」と言われた。言われた瞬間、脳裏を駆け巡ったことについては後述するとして、すぐに口にしたのは、「余命というほどの期間ではないですね」という言葉。「余命1年」はあるかもしれない。しかし、私の感覚では、「半年」が余命の基準だと思っていた。半年より短い場合に「余命」と言われると。1年もあれば、「生存可能年数」だろう。怖い主治医も「そういうことやねん」と、なぜか目に光を宿して私の目を見た。いやいや。そんな目をするなら、「1年」と言い切るなよ。怖い主治医も私を相手にどう言ったらいいのかよくわからないのだろう。なだめすかし、様子を見ながら恐ろしい言葉を発する。私の反応を見ながら押したり引いたりする。大変申し訳ないことだと思う。サドの主治医の欲望を阻害する言葉しか発しない私を持て余しているのだと推察するばかりだ。全く関係ない話だが、中学校を卒業したとき、「あなたのようなダイナミックな生徒はもう現れないわ」と教師から言われた記憶がある。その教師に対して、特別な感情を抱いたことはなかった。他の教師と同じように接したつもりだった。その教師が3年になってから転任してきたという理由から前学年から受け持ってくれてきた教師と差別化したこともなかった。取り立てて親しくしていたわけでも、個人的な相談などをするような関係でもなかった。なのにそういう感想を述べてくれたのは、掛け値無しにそう思ってくれたのだと思う。他の教師からも違う言い回しだが、それに類することを言われた。高校時代もそうだった。大変伝統ある学校だったので、生徒会は教師の推薦で決まる(裏の実態)システムだが、私は会長にならされた。多くの教師が私を推薦したからだ。そこには、教師が私に対して持つ「信頼感」や私の「人間性」への肯定感があったのではないだろうか。誤解なきように言うが、私は決してごますりでもないし、太鼓持ちでもない。自分の思うがままに生きていると、他人が認めてくれる、得(?)な体質なのだと思う。しかし!しかし!しかし!怖い主治医には、全くその効力がない。ひねくれ者か。よほど私が気にくわないのか。とにかく私を理解して認めてくれる素振りすらない。あぁ、ありがたくないなぁ。最近、いろんなものがありがたいと思えていたのに。。。※「1年です」と言われたとき、瞬時に何を思ったか…。「シャンプー」「洗剤」「トイレットペーパー」といった買い置き品がパタパタと脳裏に閃き「使い切れるか!」という心の叫びだった。すぐに何という貧乏人の発想だと、苦笑いが浮かんだが、怖い主治医に察知されてはならないと、目を伏せた。怖い主治医にどう受け取られたか知る由もない。
2024.06.16
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術後1年の検診があった。血液検査の数値は軒並み正常。肝臓も、血液関係も、血糖値も、全て基準値。ファスティングのおかげか。通常の検診ならこれで終わるのだが、今回は造影剤CTの結果がある。少し遡って、診察室に入るところから再現。虫けらの私、『トントントン』ノックする。怖い主治医、中から「はい、どうぞ」ドアを開けて入ると、こちらを見ながら満面の笑みの怖い主治医。私は面食らう。そんな笑顔を見たのは初めてだ。私が入る直前に、看護師たちとよほど楽しい話をしていたのだろうか。虫「先生、すごくお笑いになってますね。何かありました?」怖「どうですか? いつもと変わりなく?」先に私の質問に答えなさい。しかもまた。なぜ先に結果を言うのだろう。変わりがあっても、言うつもりはなかったが。虫「はい」怖「悪い知らせです」え、え、え? そんな笑顔で?怖「転移ですね」虫「どこですか?」中略(詳しい話はまたの機会に)あの笑顔は、私の状況がうれしかったのか。違った背景があるのかどうかわからないが、私がそう思うのは必然である。怖「抗がん剤は受けないとおっしゃいましたが、どうします?」虫「予防的抗がん剤治療は受けないけれど、治療は別です」そう言ったよ。前も。怖「わかりました。治療はするということですね」虫「はい」中略(治療の話)虫「半年前だったら、なかったか、少なかったか」怖「ちょっと考えたんやけど、そうかもしれんね」虫「PETといわんまでも、これくらい(造影剤CT)は半年前にやっていたら」怖「すみません」謝らせた。ずっと思っていたのだ。義父は3ヶ月ごとにPET検査を受けていた。食道という罹患場所の問題や手術内容からのことかもしれないが、1年ほったらかしはないだろう。しかも、今回の血液検査でも、数値は極めてよいのだ。炎症反応も基準値内。腫瘍マーカーも高くない。血液の数値で察知することができないほど小さく、できたてのガンもあると思う。ずっと不信に思いながらも何も言わなかった。怖い主治医の治療方針に逆らったのだから、泣き言的訴えは言えないと思っていた。怖い主治医の「すみません」の後に私は、「いえ、これが運命だったんでしょう」と言った。ま、今更言っても仕方のないことだ。怖い主治医がやおら私に向き直った。怖「どうですか、この結果について」これは、『予防的抗がん剤治療をやっておけばよかっただろう』という含みのある言い回しだと思った。及第点の答えは、「抗がん剤をやっておけば、もう少し遅らせることくらいはできたかも」あたりだろうか。虫「1年も元気に、やりたいこと、やらないといけないことをして過ごせました。 満足です」怖「……」虫「再発や転移は予測していましたが、1年間元気に過ごさせていただけたことに 感謝してます。ありがとうございます」怖「……」虫「ガンって、いい病気ですね」怖「けど、苦しんだやんか。腸閉塞になって」虫「症状のない病気はありませんから。それより、 突然亡くなる脳梗塞とか、心筋梗塞なら、時間の猶予がない。 ガンは、大体の余命がわかるし、その間に片付けないといけないことができる」怖「脳梗塞や心筋梗塞は爆弾みたいなもんやからね。爆発したら終わりや」そう言うとるがな。怖い主治医、膵臓部分の画像を見ながら怖「膵臓がね…」えーーーっ、それ、一番重要やん。虫「ガンですか?」怖「違うと思うねんけど、一応検査しとこか」膵臓となると、エコーか。怖「胃カメラ飲んでもらうよ」なんで膵臓なのに胃カメラ?怖「膵臓が胃に密着しとるねん。胃側から何かわかるかもしれん」えー、素人の私でもそりゃおかしいと思う。でもいい。ある程度の金儲けには協力せねばならん。怖「いまは、麻酔使って楽にできるから」虫「要りません」怖「えっ???」ものすごくあっけにとられた表情の怖い主治医。虫「何度も胃カメラ飲んでますが、麻酔なんかない時代からやってますから。 麻酔は不要です」怖「僕もこの間やったけど、えらい状態になったよ」虫「夫も、涙と鼻とよだれでグシャグシャになったと言ってましたが、 私はそんなことになったことありません。先生もそのタイプですか?」怖「まぁ…、よだれやけどね」想像したら笑えた。目に涙を浮かべ、よだれをだらだら流しながら口にファイバーを突っ込まれている図。怖「麻酔…、やっといた方がいいと思うけど」虫「それは、先生がそうだったからでしょう?」怖「僕も麻酔せずにやったけどね」わかっとるわい。麻酔した上によだれだらだら流してたら、やる意味ないがな。虫「要りません。大丈夫です」怖「そうかなぁ。やっといた方が…」しつこいなぁ。そんなに儲けたいんか。否、この人はサドなんだとわかった。とにかく人の言うこと(主張)を否定し、上から自分の意見をかぶせる。大抵の人は、屈服するのだろう。しかし、私のような人間は、曲げないところは曲げない。それがよほど腹立たしいというか、許せないのだろう。その仕返しに、私の主張を後悔させる結果へと導く。そしてそのとき、満面の笑みで「どうですか?」と聞く。検査の内容や間隔は病院や医師の考え方、患者の状態によるのだろうが、いくらなんでも1年の放置は長すぎる。患者は、悲惨な結果に対して後悔の弁を述べる。「先生の言う通りにすればよかった」と。しかし、私はあさっての回答をする。私は最初から言っていた。「長生きしたいとは思っていません」「あるがままでいいと思っていましたが、イレウスは計算外でした」「効果が期待できない予防的抗がん剤治療はやめ、それに費やすだろう日々をやらないといけないことに使います」と。「治療的抗がん剤は拒否しません」とも言っていた。今回は、「この状態で何もせずに死ぬと家族に申し訳ないし、片付けないといけないことがまだあります」と付け加えた。よしんば、今回直面した結果に私が異議を申し立てたとしたら、怖い主治医は私の意に沿った検査、治療方針を立てたと言うだろうし、それは間違いではない。ただ、普通の医師なら、患者がそうは言っても少しでも長く生きられる配慮はするだろう。しかし、怖い主治医はそういうタイプの医師ではなかったということだ。処置室に移り、胃カメラの説明を看護師さんから受けたとき、「麻酔の説明をしますね」と言われたので、「え、麻酔は要らないと言ったのですが」と言うと、説明係の看護師さんは、慌てて麻酔の説明書を処分しようとしたが、私が診察を受けたときに診察室にいた看護師さんが気づいて「そうですよね。ちょっと聞いてきます」と怖い主治医の元へ行った。「一応、説明しておいてと。準備しておくようです」要らんとあれほど言ったのに。なぜ、これほど頑ななんだ。自分が辛かったから、やった方がいいということだ、なんて、私が思うわけないだろう。所詮、金儲けだと思う。最近は皆、麻酔をするようになっているのだろう。(もしや、麻酔で眠らせたい理由でもあるのか?)よし、当日、絶対拒否してやる。こうして、命がけの1年検診が終わった。怖い主治医に大笑いさせる、文字通りの結果だったわけだ。ふん。これからは違うステージに入らざるを得ないが、仕方ない。こうやって、人は死ぬその瞬間まであたふた、ジタバタしながら生きるのだ。
2024.06.08
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とは、ヘアーサロンのオーナーの言葉。「幸せ」と思うことを探して、行動して、感じることが生きがいにつながる、ということらしい。このオーナーにはいろいろな言葉やアドバイスをいただいている。そのときにはピンとこないことがあるが、ふとしたときに「あっ」と気づいたり、よーく考えたときに「そうか」と思い至ったり、これまでにも考えさせられることがあった。霊感の強い人らしく、私の顔を見て何かを感じ取っているのかもしれない。あるいは、私が纏っている「何か」が現状を物語っていて、それをすくい取っての言葉なのか。「幸せ」というのは、極めて個人の主観なので、私自身がそう思えばいいわけだが、いまのところ、そう実感することはない、とそのとき思った。しかし、「幸せ」は「ラッキー」と言い換えれば少し軽くなるし、思い当たることがいろいろある。●腰痛、膝痛私くらいの年になると、万年腰が痛い、膝が痛いという人がいる。それらが一切ない。一時的に周辺が痛くなることがあってカイロにかかると、「インナーマッスルが硬くなってます」などと言われるが、少しのエクササイズで完治する。いつも腰が痛いなんて、QOLが下がってしまう。ギックリ腰も一度もない。ありがたい。●生活習慣病(症)中性脂肪、コレステロール、血圧、血糖値といった、生活習慣病につながる数値異常が全くない。よって、常用している薬もない。毎食後、就寝前などに薬を飲まないといけないという面倒がないし、それを気にするストレスもない。ありがたい。●体内年齢最近、体組成計を購入して、体の中の数値を見ている。体重が少ないので、若干少なめに出る数値(推定)があるが、きちんと計測したら、多分問題ないと思う。体内年齢に至っては、実年齢より15歳前後若く出る。日々、食べたいものを食べ、飲みたいだけ飲み、好き放題しているのに…ありがたい。●36歳タヒ亡説19歳のときと、21歳のときに手相占いをしてもらった.。19歳のときは職業占い師で、「気をつけないと、早死にするかもしれません」と言われた。しつこく年齢を聞いたら「40歳前」と。21歳のときは、手相を勉強している仕事の師匠的な人で、その人はズバリ年齢を言ってくれた。「36歳」。衝撃的な数字だった。あと15年で死ぬのか…。「運命は変わるので、もう少し年を取ってから観てもらってね」だって。それ以来、「36歳」ばかりを気にして生きていた。36歳で死んでもいいように、相当無理したり、準備したりして。その話を出会ったばかりの夫に話した(当時33歳)。「大丈夫。僕と知り合って運命が変わったよ。僕の世話をしないといけないから、長生きするよ」そのとおりになった。夫の面倒をみるだけの人生だった。おかげで生きながらえた。ありがたい(?)。●病気去年、結構大変な病気になった。割と絶望する人が多いと思う。でも、私は絶望することがなかった。すぐに死ぬ病気ではないし、片付けないといけないことを片付け、会っておかないといけない人に会う時間がある。一年かけて、いっぱい片付けたし、会っておかないといけない人にいっぱい会えた。ありがたい。●お酒夫と同居するようになってから、お酒をよく飲むようになった。二人で飲むお酒はおいしかったし、楽しかった。体を壊すことなく、たくさんのお酒が飲めた。去年の病気後も、怖い主治医が止めなかったし、何よりお酒がおいしいので、たくさんいただいた。ありがたい。●お寿司とトンカツ私の一番の好物は鰻なのだが、近頃遠い存在になってしまったので、夫がいたころにネットで買ってくれた鰻を食べて以来、3年ほど食べていない。次に好きなのが串カツで、大好きだった串カツ屋が閉店してからとても寂しい思いをしていたが、転居先近くにトンカツの店があり、串カツとは全く違うものの、味やボリュームが気に入ったので、事あるごとに食べに行っていた。この週末にも行きたいと思っている。そして寿司。カウンターに座って大将が握ってくれる寿司を食べるということがなくなってしまったが、ネタのとてもいい回転寿司を夫とよく食べに行った。先週の1年検査後に食べに行って、「あーおいしい」と感じた。食べ物がおいしいのは何より。ありがたい。●眺望去年転居して、大変素晴らしい眺望を手に入れた。これがなかったとしたら、退院後の生活は全く違ったものになったと思う。一年、じっくり癒された。古いマンションで、住居としては不満ばかりだが、この眺望は何物にも代えがたい。日夜、大阪城と公園の緑、清々しい風、青い空に感謝する。ありがたい。と、ラッキーなことは幾つでも身の回りにある。こういう当たり前のことをありがたいことと感じる時間を持ちなさいよ、ということだったのだろう。いやいや、私の壮絶な人生のエンディングがこれだと思うと、なんとものどかで、温かい。ありがたいことだ。
2024.06.07
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