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2012年04月29日
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ブランクを感じさせない、鬼気迫るライヴ・パフォーマンス~E・ストリート再集合(その3) E・ストリート・バンド復活時の曲、第3回目は、「マーダー・インコーポレイテッド(Murder Incorporated)」。おそらくは、スプリングスティーンのファンの間ではライブなどでよく知れた曲だったのだろうけれど、正式リリースはこのリユニオン時のベスト盤が最初。ただし、ベスト盤に収録されたこの曲のスタジオ・バージョンは、『ボーン・イン・ザ・USA』制作時の1982年の音源(アウトテイク)なので、別に90年代に入ってからのこの時の復活とは関係がない。 ところが、この同じ年(1995年)に、この曲のライブ・バージョンが2テイク立て続けにリリースされている。一つめは、シングル「シークレット・ガーデン」とのカップリング(米盤5曲、日本盤6曲のミニアルバム形式)として収められたもので、同年2月21日にニューヨークのトランプスで録音されたもの(同テイクはEP「ブラッド・ブラザーズ」にも収録)。 もう一つは、「ハングリー・ハート」(1980年、『ザ・リバー』に収録された、初のTOP10入りシングル)が同ベスト盤からのシングルとして再リリースされた際にカップリングされたテイク。5曲入りのミニ・アルバム形式でリリースされた「ハングリー・ハート」の5曲目には、再結成メンバーでの「マーダー・インコーポレイテッド」(4月5日、ニューヨークのソニー・スタジオでTV番組向けに録られたもの)が収められている。 個人的には前者(「シークレット・ガーデン」収録)の方がリアルな再結成の臨場感があると思うが、後者(「ハングリー・ハート」収録)の方が、ライブ・テイクらしく荒いという印象だが、その分出来がいいようにも感じる。とりわけ、後者のテイクのギター・ソロ(途中のギター・ソロではなく、曲の終盤のソロの場面)では、弦が切れるというハプニングもありながら、鬼気迫る演奏がそのまま収録されている。この表題を直訳すれば、“殺人株式会社”。もともとは1920年代の表現だそうだが、80年代にレーガン大統領の政策が弱者を切り捨てていく中でこの「マーダー・インコーポレイテッド」は作られ、いったんはアウトテイクとなったものの、90年代、クリントン政権への失望からこの曲の再登場があったんだろうと想像される。 いずれにしても、ここからE・ストリート・バンドは文字通り“復活”した。数年前にはキーボーディストのダニー・フレデリシが亡くなり、昨年はサックスのクラレンス・クレモンズが死去した。先頃出たB・スプリングスティーンの新譜(『レッキング・ボール』)はE・ストリートの名義ではなく、全メンバーの全面参加と言うわけでもなかった。今後のE・ストリート・バンドはどこへ向かうのか。B・スプリングスティーンはすっかりアメリカ音楽界の大御所となってしまったものの、彼だけではなく今後のバンドそのものの行く末も、ぼちぼちではあるが見据えていきたいように思う。 ↓今回は最新のライブ(今月初め、NYCでのライブから)の映像です。相変わらずパワーいっぱいのパフォーマンスですね。↓ [収録アルバム]Bruce Springsteen / Greatest Hits (1995年)←オリジナルのスタジオ・バージョンBruce Springsteen / Secret Garden (1995年、EP)←95年、NYトランプスでのライブテイクBruce Springsteen / Blood Brothers (1996年、EP)←同上Bruce Springsteen / Hungry Heart (1995年、EP)←95年、ソニースタジオでのライブテイク[関連記事リンク] E・ストリート再集合(その1)「ブラッド・ブラザーズ」へ E・ストリート再集合(その2)「ディス・ハード・ランド」へ 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年04月28日
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これを録ったから前へ進むべく吹っ切れた(?)~E・ストリート再集合(その2) 前回の「ブラッド・ブラザーズ」と同様、1995年の一時的なバンド再結成の際に録音された曲の中で、とりわけ筆者のお気に入りとなった別の曲がこの「ディス・ハード・ランド(This Hard Land)」。この年発表のB・スプリングスティーン初のベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』を締めくくる曲として収録された。 思えば、E・ストリート・バンドをいったん解散した後の1992年、ブルースは『ヒューマン・タッチ』、『ラッキー・タウン』という2枚のアルバムを同時リリースしたことがあった。この多作ぶりは見事なのだが、その後のツアーでの演奏は、それが優れた演奏内容であることは承知の上で言うが、E・ストリート・バンドの一体感には遥かに及ばないものであった。 そうした経験の末の、一時的とはいえ、E・ストリート・バンドとの録音。そこで見られたのは、以前と変わらぬ(いやそれ以上に)息の合ったバンド演奏だった。スタジオ収録でそれを象徴するのが、この「ディス・ハード・ランド」と言っても過言ではないように思う。前回(その1)で書いたように、もともとは80年代にアウトテイクとなった曲の再録。元のお蔵入りになった演奏は、後になって4枚組のアウトテイク集『トラックス』(関連参考記事)でリリースされているが、元のテイクとアレンジは大して変わらないにもかかわらず、E・ストリート再集合時のテイクの方が何倍も貫録があって完成度が高い。 相かわらず一発録りに近いスタイルでのバンド演奏。ブルースのハーモニカで始まり、ギター伴奏でボーカルが最初の節を歌ったところで、のE・ストリートの演奏が入ってくる。その出だしのロイ・ビタンのワン・フレーズからして彼ら独特の息の合い方と間合いが伺える。その後は、久々に復帰のリトル・スティーヴンがさりげなくバックでマンドリンを披露し、かつてリトル・スティーヴンと入れ替わりにメンバーとなったニルス・ロフグレンはスライド・ギターでブルースのハーモニカとも絡む。実は、この曲では、E・ストリート・バンドの顔とも言うべき“ビッグ・マン”ことクラレンス・クレモンズは演奏していない。“ボスの相棒”と呼ばれたクラレンスだけがE・ストリートなのではなく、このバンドの真髄が他のメンバーを含めた全体の調和にあったということをよく示してもいるようにと思う。つまり、クレモンズは欠かせないメンバーではあったが、逆説的ながら、彼だけが“相棒”なわけではなかった。このバンド全体こそが、“ボスの相棒”だったというわけである。 (その3へ続く) ↓今回はメイキング・ビデオ(メンバーのインタヴューなどが入ります)で、表題曲をお楽しみください。 [収録アルバム]Bruce Springsteen / Greatest Hits (1995年)[関連記事リンク] E・ストリート再集合(その1)「ブラッド・ブラザーズ」へ E・ストリート再集合(その3)「マーダー・インコーポレイテッド」へ 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2012年04月26日
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「血を分けた同胞」のリユニオン~E・ストリート再集合(その1) アルバム『ボーン・イン・ザ・USA』(1984年)のヒットと、これに付随して当時のレーガン大統領から“アメリカン・ヒーロー”として称えられ、まさしく時の人となったブルース・スプリングスティーン。今から振り返れば、可哀想にもほどがある祭り上げられ方だった。ベトナム戦争を批判的にとらえたはずの表題曲(「ボーン・イン・ザ・USA」)は、政治的な流れの中でアメリカ性の象徴となり、“曲解されたスーパースター”は苦悩の時を迎える。 結局、長らく一緒に活動してきたE・ストリート・バンドは1988年に解散。この経緯の中で、アメリカン・ロックのボスは内省的な作品作りを志向していった(『トンネル・オブ・ラブ』や『ゴースト・オブ・トム・ジョード』)。ところが、1995年に変化が訪れる。スプリングスティーンにとって初のベスト・アルバムを作るに際して、これに収録されるべく、いくつかの曲を吹き込むのために、E・ストリート・バンドは再集合する。おそらくはこの再集合が呼び水となり、1999年の本格的な再結成&ツアーへとつながることになった。 当時、新録として発表された曲(といっても実は『ボーン・イン・ザ・USA』の時期のアウトトラックの新録ではあったのだが)はいずれも待ち望んでいたリスナーにとっては涙ものだった。その中には、今でも筆者のフェイヴァリットであり続けている曲がある。その一つが、ベスト盤にも収録された「ブラッド・ブラザーズ」という曲である。ただし、筆者の心に強く刻まれているのは、ベスト盤収録のアコースティック風な演奏ではなく、別バージョンの方。翌年、ドキュメンタリービデオとセットで発売されたミニCDに収められた、ロック・バージョンの方の「ブラッド・ブラザーズ」である。 この曲のテーマは、曲名が示すように、“血を分けた兄弟”、つまりは“かけがえのない友、もしくは同胞”である。再結成に向かおうというタイミングでこの曲は何ともぴったりな内容だった。この年のE・ストリート・バンド再集合時の曲は、長く待たされたせいか、他の曲も強く印象に残っている。そんなわけで、あと2回(2曲)ほど、このお話にお付き合いいただきたい。(その2へ続く) ↓映像(静止画)はいまいちですが、今回取り上げたロック調のテイク(正確にはオルタネイト・ヴァージョン)の演奏、こちらから聴くことができます。↓ [収録アルバム]Bruce Springsteen / Blood Brothers (1996年、ビデオとセットのEP)[関連記事リンク] E・ストリート再集合(その2)「ディス・ハード・ランド」へ E・ストリート再集合(その3)「マーダー・インコーポレイテッド」へ 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2012年04月25日
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時代をつなぐ架け橋としてのCCRを振り返る CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)は、米国西海岸出身ながら南部的なサウンドで人気を集めたロック・バンド。その前身は1950年代末に遡るが、彼らが有名になったのは、1968年にバンド名をクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルと改め、「スージーQ」をヒットさせてからである。その後は1969年から70年にかけて次々とヒットを飛ばすが、1972年に解散した。1993年にはロックの殿堂入りを果たしている。 本作は1980年のリリースだが、内容としては1970年の音源を蔵出ししたもの。当初は『ロイヤル・アルバート・ホール・コンサート(The Royal Albert Hall Concert)』というタイトルだったが、実際にはカリフォルニアのオークランド・コロシアム(現オー・ドットコー・コロシアム)の内容だということが判明したため、タイトルがリイシューの際、ただ単に『ザ・コンサート(The Concert)』に変わったという、笑えない何とも間抜けな経緯がある。 1.「ボーン・オン・ザ・バイヨー」(5分強)と12.「ザ・ナイト・タイム・イズ・ザ・ライト・タイム」(9分)の2曲はやや長めだが、残りは基本的に3分以下、もしくは長くても3分台に収まっている。LP時代の曲配分でも、全体としては1枚ものにもかかわらず、A面8曲、B面6曲の計14曲という多めの収録曲数である。このコンパクトさはCCRのよさのひとつでもあった。簡潔に分かりやすく、しかし単純ではないロックを聴かせるバンドという、彼らの特徴は、このライブ音源でも非常によく出ている。 アメリカン・ロックという括りでその歴史を振り返る時、CCRというのは実に重要なバンドだったのだと感じる。CCRの音楽的影響については、サザン・ロックの源流としての評価がいちばんよくささやかれる。もちろん、その点はものすごく重要で、レーナード・スキナード、オールマン・ブラザーズといった南部系ロックとのつながりは無視することができない。けれども、それと同時に、70年代以降に台頭してくるアメリカン・ロックの本流を考える上でもCCRが大きなカギになっている気がする。 CCRの世代から見てロックの先駆けはプレスリーへと流れてくるいわゆる“ロックンロール”だった。その“ロックンロール”が70年代以降の“ロック”に変貌していく架け橋こそが、短い期間ではあるが一気にヒットを飛ばしたCCRだったように思う。3分完結的な分かりやすい演奏(過去記事「雨を見たかい(ハヴ・ユー・エヴァー・シーン・ザ・レイン)」を参照)を中心にしながらも、一本調子とは縁遠いロック。彼らがいなかったら、サザン・ロックが台頭しなかったばかりか、トム・ぺティ(たとえば『破壊』)も、ブルース・スプリングスティーン(たとえば『明日なき暴走』・同後編)も、つまりは70年代途中以降、80~90年代へと連なっていくアメリカン・ロックの“本流”とでも呼ぶべき流れすら、出てくることはなかったかもしれない。そう思うと、CCRは、プロトタイプのロックと、現代的な意味でのロックとの間に、とてつもなく重要な橋渡しの役割を担ったのだということがよくわかる気がする。[収録曲]1. Born on the Bayou2. Green River3. Tombstone Shadow4. Don't Look Now (It Ain't You or Me)5. Travelin’ Band6. Who'll Stop the Rain?7. Bad Moon Rising8. Proud Mary9. Fortunate Son10. Commotion11. The Midnight Special12. The Night Time Is the Right Time13. Down on the Corner14. Keep on Chooglin1980年リリース。 Creedence Clearwater Revival (CCR) クリーデンスクリアウォーターリバイバル / Concert: 40th Anniversary Edition 輸入盤 【CD】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年04月23日
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ザ・バンドの要、…追悼。 各所で報じられているように(朝日新聞記事)、元ザ・バンドのメンバー、リヴォン・ヘルム(レボン・ヘルム)が亡くなった。数日前には妻と娘が「がんとの闘いは最終段階にある」と、最期が近いことを公表していたが、19日に家族・友人・音楽仲間に看取られたとのこと。満71歳(あと1か月ほどで72歳の誕生日)だった。 「ロックは死んだ」と言われて久しいが、死んだかどうかはともかく、“ロックの高齢化”は事実である。60年代、70年代を駆け抜けた“青年”たちは、現在、60~70歳代が中心となっている。ジミ・ヘンドリクス、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリソン、デュアン・オールマン、マーク・ボラン…、40代まで入れていいのなら、ジョン・レノン…。若くして亡くなったミュージシャンも多いが、21世紀に入って既に10年以上過ぎ、彼らが仮に生き続けていたとしても、年配者となる時代になった。 ザ・バンドは、1968年に『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でデビューし、1976年に解散した(後にロビー・ロバートソンを除いて再結成し、1983~1999年にも活動した)。このバンドの良さや重要性を今さら説く気はないが、ある時、“あっ、ザ・バンドはリヴォン・ヘルムだったんだ!”と思ったことがある。それは、ザ・バンドの解散後、1977年発表の、リヴォン・ヘルムのソロ・プロジェクト(『リヴォン・ヘルム&RCOオールスターズ』)を聴いた時だった。 ザ・バンドは時代の流れに逆行し、アメリカのルーツ音楽を追い求める旅をしていったと言われる。けれども、そういう高尚な(?)ルーツ云々以前に、このバンドの揺れ方、とでも言おうか、とにかくリズムが筆者の波長にはしっくりくるものだった。その立役者、もしくはザ・バンドなるバンドの要は、リヴォン・ヘルムに他ならなかったというのが、解散後の第1作、特に出だしの1曲目を聴いて強く感じたことだった。 そのようなわけで、『リヴォン・ヘルム&RCOオールスターズ』所収の1曲目、「ウォッシャー・ウーマン」をまずはお聴きいただきたい。ポール・バターフィールド、ドクター・ジョンといった大物が参加しているのも目をひくところ。 次は、リンゴ・スター率いるオール・スター・バンドの1989年のライヴから「ザ・ウェイト」。ザ・バンドの元メンバー(リック・ダンコとガース・ハドソン)のほか、上と同じくドクター・ジョン、さらには、ビリー・プレストン、ジョー・ウォルシュ(イーグルス)、ニルス・ロフグレン(B・スプリングスティーンのE・ストリート・バンド)など豪華メンバーでの演奏。言わずもがな、オリジナル・バージョンは『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』に収録の曲。 リヴォン・ヘルムの死去で、ザ・バンドのメンバー(5人)は、とうとうあと二人と半数を切ってしまった。これ以上新作を聴くという願いは叶わないだろうが、今までありがとう。リヴォンよ、永遠なれ。 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年04月20日
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2012年04月18日
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バルセロナ出身のシンガーソングライター、1970年の古き良き名曲 スペインと言えば、フィエスタとシエスタの国(?)。牛追い祭(サン・フェルミン祭)、バレンシアの火祭り(ファージャス)、トマト祭(トマティーナ)など有名な祭りを思い浮かべる人も多いかもしれない。シエスタの方は、“お昼寝”なわけだが、実際、スペインへ行ってみると、午後は見事にお店が閉まってしまう。実際に昼寝をするかどうかはともかく、夕刻、再び開店して夜まで営業。このリズムがスペインの人たちの生活リズムとしてすっかり馴染んでいる。 こういうのって、おそらくはスペインの一面的なイメージでしかないんだろうけれど、やっぱりフィエスタ好きなんだろう。古きよき地方の村や地区のフィエスタの光景を思い浮かべさせる1曲が、ジョアン・マヌエル・セラーの「フィエスタ(Fiesta)」である。 この曲は1970年のアルバム『ミ・ニニェス(子どもだった頃)』に収録されたが、当局の検閲で歌詞の一部が変更されたといういわくつきの曲でもあった。作者で歌い手のセラーは、1943年、バルセロナ生まれ。1943年と言えば、日本でも戦時中生まれということになるのは想像できる(そして日本やドイツでは戦後、社会が大きく転換した)。けれども、スペインでは、古い体制をさらに数十年引きずることになる。フランコ独裁体制である。フランコ死去が1975年だから、この「フィエスタ」が発表された時を含め、初期のセラーの作品は、当然のごとく検閲の対象だった。結果、スペイン本国では若干変更した詞で、それ以外の国々(スペイン語圏である中南米方面)では変更なしのオリジナル・バージョンで発表されるというイレギュラーな状況だったようだ(フランコ死去後はオリジナル・バージョンに統一された)。 冒頭の話に戻るが、スペインの生活リズムで夜が長いのはフランコ体制で長らく抑えつけられたからで、その反動で開放的になったのだ、とスペイン人はよく言う。フランコ時代が終わってもう40年になろうかというのに、本当にそうなのだろうか。いやはや、フィエスタ好きな伝統はもともとこの国民の中にあったんだろうかな、と思ったりもするけど。 * * *ついでながら、動画も付けておきます。まずはリリース前年、1969年のソング・フェスティヴァルからのバージョンです(古臭い雰囲気がいまいちな方はとばしてもう一つ下の映像をどうぞ)。 続いては、90年代のライブ映像から。スペイン系のシンガーソングライター系との共演です。なお、ボーカルは次の順序です。ミゲル・リオス→セラー→アナ・ベレン→全員(サビ)→ビクトル・マヌエル→セラー→アナ・ベレン→全員 [収録アルバム]Joan Manuel Serrat / Mi ni?ez(1970年)その他、編集盤(ベスト盤)類にも収録。 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年04月17日
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前回記事のシャキーラについて、追加です。 「ピエス・デスカルソス基金(英語ではBarefoot Foundation)」というのを設立し、子どもたちを支援するという活動をしていることを書きましたが、そのプロモーションビデオです。 こういう宣伝部分だけでは本質はなかなかよくわからないかもしれませんが、次の映像の写真を見ると、子どもたちと触れ合うシャキーラの表情、実にいいと思います。スペイン語圏では超有名な名曲、「ソロ・レ・ピド・ア・ディオス(ただ神に祈る)」の、シャキーラによるカバーとともにご覧ください。 ついでながら、その才女ぶりにも触れましたが、このインタビュー、ブラジルのTV番組のもののようです。ポルトガル(ブラジル)語と、出身国コロンビアの母国語スペイン語とが行ったり来たり。何ともマルチ(トランス?)カルチュラルというか、マルチリンガルというか…。まあ、ポルトガル語とスペイン語が似ていると言えば、それは確かにそうなのですが、字幕のついている部分がスペイン語、ついていない部分はシャキーラがポルトガル語でしゃべっている部分です。筆者はポルトガル語はあんまりわからないので、主にスペイン語部分を聞いての感想ですが、なかなかしっかりしたしたことを言っています。上の基金との関わりでは、初等教育の重要性に特に重きを置いて活動しているということのようです。 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年04月15日
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年頭の目標に挙げたように、細く長くで、ペースを落とした更新ですが、ご覧の皆さまにはあらためてお礼申し上げます。ところで、ご覧のように、ブログデザインを変更しました。そうコロコロ変えるわけではないので、開始以来、まだ2度目の変更ですが、しばらくこのデザインで続けてみようかと思っています。ご感想・ご意見¥などありましたら、遠慮なくコメントください(コメントを受けてあっさり別のに変更したりして…)。ラテン系記事を数回続けていますが、やはりマイナーなのか、あまりアクセスが多くないですね…。でもまあ、好きな音楽について書いていくというブログですから、お気に召さない時はたまに飛ばしながら、でも定期的にご覧いただけると嬉しいです。 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012年04月15日
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天才歌姫が世界へ羽ばたいた1枚 シャキーラ、本名シャキーラ・イサベル・メバラク・リポール(Shakira Isabel Mebarak Ripoll)は、コロンビア出身の女性ポップ・シンガー。シャキーラ、メバラクという、スペイン語圏っぽくない名・苗字はレバノン系(米国生まれ)の父親に由来する。10歳を過ぎた頃から歌謡コンテストなどに出場し、1991年、15歳にしてデビューアルバムをレコーディングする(その2年後にもセカンド作を発表)。高校を卒業するためにいったんは休業するも、復帰後は世界的スターへの道が待っていた。 1995年(コロンビア以外では翌年)、本作『裸足のままで(Pies descalzos)』を発表。これが世界進出の足掛かりとなったアルバムになり、コロンビアのみならず、南米各地(特にブラジルなど)、さらには南米だけでなくその他のスペイン語圏やその近隣諸国(メキシコ、アメリカ、スペイン、ポルトガルなど)で一気にブレークした。実は筆者もこのブレークをスペイン語圏にいてリアルタイムで体験したのだが、とにかくラジオでは、最初のシングル10.「どこにいるの?(ドンデ・エスタス・コラソン)」や、第二弾シングルの1.「エストイ・アキー(私はここにいる)」が超ヘビロテになり、街中あちこちで流れまくっていた。 その後も、本盤からは、3.「ほんの少しの愛(ウン・ポコ・デ・アモール)」、8.「裸足と白い夢(ピエス・デスカルソス、スエニョス・ブランコス)」、2.「アントロヒーア」、11.「セ・キエレ・セ・マタ」がシングルカットされ、次作『ドンデ・エスタン・ロス・ラドロネス~泥棒はどこ?』(1998年)以降、アメリカやフランスなど非スペイン語圏を含む世界的大ヒットへの足がかりとなった。その後の活躍はよく知られている通りだが、スペインでは2000年代にもっとも売り上げたアーティストとなったし、米国では2度のグラミー、8度のラテン・グラミーを受賞した。また、You Tubeでの最多視聴記録なるものも樹立したらしい。2010年には南アフリカ・ワールドカップのテーマ曲(「ワカワカ」)も手掛けている。 “尻はあるが、胸はない”とは、シャキーラ自身が語ったセリフだそうだが、自己分析が的確で、世界進出後の派手な見かけとは裏腹になかなかの才女のようだ。スペイン語(出身地コロンビアの公用語)のほか、ポルトガル語や英語を流暢に話し、IQ140という話もある。また、1990年末には本作のタイトルを冠した基金(「裸足基金Fundaci?n Pies Descalzos」)を創設して、コロンビアや第三世界の子供たちを支援する活動もしている。この活動が2006年4月に国連の表彰を受けたが、その式典のスピーチでは「私たちが家へ帰りつく頃には、ラテンアメリカ全体で960人の子どもが死んでいることを忘れないでほしい」とスピーチした。こういうことをタイムリーかつ的確に言えるのも、才女ならではなのかもしれない。 ちなみに、このアルバムが出た当初はアラニス・モリセット(カナダ出身の女性シンガーソングライター)なんかが流行っていて、こういう女性シンガーの潮流が南米にも出てきたのだな、という印象だったのだけれど、シャキーラはずば抜けていて、あっという間に他に影響を与えるアーティストに成長してしまった。その少し後、日本で矢井田瞳(「ヤイコ」の愛称で知られる関西出身の女性シンガー)が登場した時、“どこかで聞いたことがある感じ”と思ったのだけれど、よくよく考えてみれば、それはシャキーラだった。矢井田瞳がシャキーラのスタイルを真似たのか(あるいは参考にしたのか)どうかは知らない。歌(とりわけ節回し)を聴く限りでは、シャキーラの影響大のような気がするのだけれど…。[収録曲]1. Estoy aqu?2. Antolog?a3. Un poco de amor4. Quiero5. Te necesito6. Vuelve7. Te espero sentada8. Pies descalzos, sue?os blancos9. Pienso en ti10. ?D?nde est?s coraz?n?11. Se quiere… se mata*邦盤には1.のリミックス・ヴァージョン2種も追加収録。1995-96年リリース。 【Aポイント+メール便送料無料】シャキーラ Shakira / Pies Descalzos (輸入盤CD)【YDKG-u】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年04月15日
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待ち続ける女の哀しき物語 マナ(MANÁ)はメキシコの人気ロック・バンド。1970年代末から80年代前半にザ・グリーン・ハット・スパイズ(The Green Hat Spies)、グリーン・ハット(Green Hat)、ソンブレロ・ベルデ(Sombrero Verde, “緑の帽子”の西語訳)といった名前で活動していたバンドが母体となり、1987年にマナとしてデビューした。 90年代に入り、バンドはシングル・ヒットを連発し、メキシコ国内はもとより、南北アメリカ大陸各国で人気を博し、それ以外の世界各国にも活動の場を広げて、大規模な海外ライブもこなすようになっていく。1992年の『ドンデ・フガラン・ロス・ニニョス(¿Dónde jugarán los niños?,子供たちはどこで遊ぶ?)』、1995年の『クアンド・ロス・アンヘレス・ジョラン(Cuando los ángeles lloran, 天使たちが泣く時)』、ラテン・グラミー賞を獲った1997年の『スエニョス・リキドス(Sueños líquidos, 流れ出る夢)』といった90年代の作品群は、このバンドが成長し、成熟していく過程をよく表している。 この「サン・ブラスの波止場にて(En el muelle de San Blas)」という曲は、『スエニョス・リキドス』に収録され、アルバム発売の翌年(1998年5月)にはシングルとしてもリリースされた。マナの90年代の成熟ぶりがよくわかり、1つの曲がストーリーとしての完結性を持っている。しかも、その内容は、叙情的な哀しい物語である。 船で去っていく男とそれを見送る女。男は“すぐ戻る”と言い残し、女は同じドレスを着て日々海辺でその帰りを待つ。海を見つめ続ける女は年を重ね、“サン・ブラス波止場の狂女”と呼ばれるようになる。人々は彼女を精神病院へ連れて行こうとするが、もはや石のように頑として動かない。彼女はもう海から離れることはできない、といった詞で、サビの部分は次のような内容。 “ただ独り、忘却とともに/ただ独り、魂とともに/ただ独り、太陽と海とともに/ (中略) ただ独り、愛と海とともに/ただ独り、サン・ブラスの波止場で” 音の上でもさらりとしたロック系サウンドの中にメランコリックな雰囲気をうまく醸し出していると思うが、いかがだろうか。上の詞を参考にしながら、以下のビデオもお時間の許す方はどうぞ。 [収録アルバム]MANÁ / Sueños líquidos (1997年) ランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2012年04月13日
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ミゲル・ボセーのアルバムの追補です。 日本ではポピュラーではないため、どうしてもラテン系のポップスやロックはイメージしにくいと向きもあるでしょうから、前回取り上げたアルバム『ロス・チコス・ノ・ジョラン』から、お勧めの表題曲をピックアップし、動画をご紹介します。 上のビデオはアルバムに収録のバージョンです。いかにもスペイン的なマッチョな身のこなし(?)が好き嫌いの分かれそうなところかもしれません。まあ、“男の子は泣かない、戦わなきゃ、それが俺の人生”みたいな詞の内容ですので、ある意味ぴったりなのかもしれませんが。 ちなみに、このビデオの男の子とのショットは、アルバム『ロス・チコス・ノ・ジョラン』のジャケット写真にも使われています。 これだけでは何なので、ついでにもう1本。 こちらは、その当時(1990年)のライブから、同じ曲。 大音量で音が詰まっているタイプの曲ではないので、ライブでやる(盛り上げる)のは何とも難しそう。ですが、ギターとコーラスがアクセントになるのをしっかり強調して(もちろんボセーのボーカルが何より聴衆を惹きつけるわけですが)、うまく盛り立てています。 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012年04月11日
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スペイン芸能界のサラブレッドによる洗練された好盤 ミゲル・ボセー(Miguel Bos?)は1956年パナマ生まれのスペイン人俳優およびミュージシャン。14歳で俳優として映画に出演し、1975年から音楽活動を行っている。これまで20枚ほどのアルバムをリリースしており、2002年発表のアルバム(『セレーノ』)では、ラテン・グラミー賞(ベスト男性ポップ部門)にも輝いている。 このミゲル・ボセーという人、なかなかのセレブ一家の出なのだ。母は元ミス・イタリアの有名女優、ルチア・ボゼー(名字のボセーはイタリア語ではボゼー)である。スペイン人なのに生まれがパナマなのも、このセレブ一家の生活と関係している。父親は有名な闘牛士のルイス・ミゲル・ドミンギンという人物。この人のドミンギンという名(本名ではなく、闘牛士には普通“愛称”もしくは“闘牛士名”というのがある)は、そのさらに父親(つまりミゲル・ボセーの祖父)から襲名したもの。ともあれ、この父が闘牛の興行でパナマに呼ばれ、その期間中に生まれたので出生地がパナマとなったとのこと。 父親・母親が単に有名人というだけでない。この家族は著名人との交友が広いセレブ一家だったようである。画家のパブロ・ピカソ、イタリア人映画監督のルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ(この人はミゲルの代父にもなっている)、小説家・詩人のアーネスト・ヘミングウェイ、後にコロンビアの副大統領となったフランシスコ・サントス・カルデロンの家族などの名前がその交流範囲に挙げられる。この一家の中で、ミゲルはスペインを拠点としながらも、ミラノ、パリ、ロンドン、ニューヨーク、さらにはラテンアメリカ諸国などを旅しながら育ったという。 レコード・デビューは1975年で、最初のアルバムは1977年に出ている。当初のミゲル・ボセーは甘口ポップ歌手という感じだったが、やがて大人向けに通用するポップへと作品の趣向を変えていく。ここからは筆者の想像も入るが、スペイン・ポップというのは70~80年代にはまだ垢ぬけていない部分もあったのだが、90年代を迎える頃にはぐっと洗練度が増してきた。1990年に出た本盤『ロス・チコス・ノ・ジョラン(男は泣かない)』は、ボセー自身の作風からも、スペイン・ポップ界全般の流れからも、そうした変化の跡がうかがえるアルバムだと思う。 本作からは、1.、2.、3.、5.、10.の5曲がシングルカットされた。これらを含めてのお勧め曲を挙げておこう。1.「バンブー」は適度に肩の力が抜けた軽快さがよく、ボセーのシンガーとしての成熟度がよく表れている。2.「センツァ・ディ・テ」も同じようにヴォーカリストとしての余裕と貫録が伺える好ナンバーで、、基本的にスペイン語詞で歌われているものの、表題とサビの詞はイタリア語という曲。アルバム後半でのお勧めは、9.「ウニカ・リベラ・ラディオ」と表題曲の10.「ロス・チコス・ノ・ジョラン」。特に後者は、個人的には過去のボセーのナンバーの中でも1、2を争う出来の名曲。ついでながら12.で「ミックス・オトーニョ(秋ミックス)」と表記されているのは、4.「オハス・セカス」の別ヴァージョン。この曲も適度に余裕のあるヴォーカルが筆者のツボにはまる曲。 全体としてヴォーカル面でのいい意味での余裕、貫録が伺える。それと同時にほとんどの曲作りにボセー自身が参加しているが、ソングライティングのセンスの良さも伺える好盤と思う。[収録曲]1. Bamb?2. Senza Di Te3. Manos Vac?as4. Hojas Secas5. Si Te Cuentan Que Ca?6. Nunca Pasa Nada7. Aquel Sendero8. Otro9. ?nica Libera Radio10. Los Chicos No Lloran11. Josephine12. Mix Oto?o1990年リリース。 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年04月09日
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しばらく間があいてしまいましたが、INDEXのページを更新しました。 INDEXページは、ジャンル別、アーティストのアルファベット順に過去の投稿を整理したものです。 INDEXページへは、下のリンク、もしくは本ブログのトップページ右欄(フリーページ欄)から入ることができます。 アーティスト別INDEX~ジャズ編へ アーティスト別INDEX~ロック・ポップス編(A-L)へ → 分量が増えてきたので、2つに分けました。つづき(M-Z)はこちらです。 アーティスト別INDEX~ラテン系(ロック・ポップス)編へ アーティスト別INDEX~邦ロック・ポップス編へ下記ランキングに参加しています。応援くださる方は、バナー(1つでも両方でも)をクリックお願いします! ↓ ↓ にほんブログ村 : 人気ブログランキング:
2012年04月07日
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心機一転の春にお勧めの1枚 ~PART 3~ 心機一転の4月に相応しい盤をという企画で選んでみた3回目(ひとまず最終回)は、同じ心機一転でも、“仕切り直し”的な心機一転盤を取り上げてみようと思う。それで思い浮かんだのが、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース(Huey Lewis & The News)である。 ヒューイ・ルイスは、1950年ニューヨーク出身のロック・ヴォーカリスト。1970年代、クローヴァーというバンドで西海岸(ベイエリア)で活動を展開する。実はこのクローヴァーというバンドは、イギリスに渡って前回記事のエルヴィス・コステロのデビュー作『マイ・エイム・イズ・トゥルー』でもバックを演奏している(ただしヒューイ自身は参加していない)。その後、70年代末に、アメリカン・ルーツ音楽と英パブ・ロックを音楽的バックグラウンドとしてヒューイ・ルイス&ジ・アメリカン・エクスプレスを結成。やがてバンド名(いかにもカード会社から訴えられそうな名前!)をヒューイ・ルイス&ザ・ニュースと改めてデビュー。80年代にヒットを連発し、大人気を博した。 当時を覚えている方には説明不要だろうが、80年代の人気ぶりはとにかく凄まじかった。82年のセカンド作『ベイエリアの風』から火が付き始め、翌年の『スポーツ』、さらには86年の『FORE!』と大ヒットアルバムを連発し、これらの中からはシングルヒットが続々と生まれた。また、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌(「パワー・オブ・ラブ」、アルバム『FORE!』の邦盤にも収録)、USAフォー・アフリカ(「ウィー・アー・ザ・ワールド」)への参加と話題になることも多かった。 1990年代、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは苦難の時を迎える。80年代のヒットメイカー的なイメージが強かったこと、直球なアメリカン・ロックの人気低迷から、売れ筋を求めるレコード会社と対立し、結局はメジャー・レーベルから遠ざかることになる。そんな状況下、21世紀を迎えた2001年にシルヴァートーン・レーベル(ゾンバ傘下で、ストーン・ローゼズのレーベルとしても知られる)から出されたのが、本作『プランB(Plan B)』であった。 やっていることは、80~90年代から大きく変わっていないというのが全体的な印象。つまり、コマーシャリズムに屈することなく、地道にわが道を進んでいるというのが最初の印象だろう。スタジオ作としては8作目に当たるが、前作の『バック・トゥ・ザ・ルーツ~グレート・アメリカン・ソングス・トリビュート(Four Chords & Several Years Ago)』がリリースされたのは1994年だから、だいぶと間が空いている。しかも、この『バック・トゥ・ザ・ルーツ~』は50~60年代頃のR&Bやロックンロールなどのカバーものだったので、オリジナル曲のアルバムとしては、『スモール・ワールド』以来10年ぶりという、長いブランクの後の作品ということになる。 おそらくはそのような事情からか、日本盤CDの帯には“さて、もう1度ロックしようか?”とのキャッチコピーがある。このキャッチコピー、半分は誤解含みかもしれないが、少なくとも半分は正解だと思う。時代は変わり、身を置く環境は変わったが、以前と変わらぬスタイルで仕切り直し、といった気概が伝わってくる。タイトルの『プランB』というのも、きっとそのまま時代に流される(時流に乗って第一線で活躍し続ける)という“A計画”に対して、自己主張を強く出して第一線から遠ざかってもやりたいことをやる“B計画”といったような意味を含んでいるのだろう。 全編にわたって伸び伸びと楽しくやっているバンドの雰囲気をまず楽しみたいが、曲単位でのお勧めも一応挙げておく。1.「ロング・タイム・グッド・タイム」は、ヒューイらしさ全開で、文句なしに聴いていて楽しい。3.「アイ・エイント・パーフェクト」は男女の間を話題しながら“俺は完璧じゃない”という詞が出てくるのだが、ミュージシャンとしての姿勢もほのめかしているようについ深読みしてしまいたくなる(真意は不明)。5.「アイム・ノット・イン・ラヴ・イェット」はカントリー歌手のワイノナ・ジャッドとのデュエット。表題曲の7.「プランB」もいかにもヒューイ節で、女の子のことを歌って“B計画”といっているのだけれど、どうも詞の内容はアーティストとしてのヒューイにかぶさるような気がする。11.「ソー・リトル・カインドネス」は、アルバムを締めくくるにはインパクトに欠けるように思われるかもしれないが、まだまだ先は続くという気分を出すべくあえて“締め”っぽい曲にせず、96年のベスト盤リリース時に一度録音した曲の再録音にしたんじゃないだろうか。それと同時にこの曲の演奏面にも注目したい。このブラス、このシンセの使い方、トータルな音がまさにこのヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの音という仕上がりになっていると思う。[収録曲]1. We're Not Here for a Long Time (We're Here for a Good Time)2. My Other Woman3. I Ain't Perfect4. When I Write the Book5. I'm Not in Love Yet6. Thank You, No. 197. Plan B8. The Rhythm Ranch9. Let Her Go and Start Over10. I Never Think About You11. So Little Kindness2001年リリース。 【中古】洋楽CD ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース/プランB【10P4Apr12】【画】【b0322】【b-cd】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2012年04月05日
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心機一転の春にお勧めの1枚 ~PART 2~ パート2の今回は、少し時代をさかのぼって1977年、エルヴィス・コステロ(Elvis Costello)がまだ若干22歳で制作したデビュー・アルバム『マイ・エイム・イズ・トゥルー(My Aim Is True)』。“これのどこが春のアルバムなの?”という声も聞こえてくるかもしれないが、筆者にとっては心機一転の春を想起させるものなのである。まあ、こじつけて言えば、デビュー作で晴々しているから、とでも言っていいのかもしれないが、実のところは、たまたまある年の4月のこの時期の印象に残る聴き方をしたから、個人的にはこの時期を思い起こさせるアルバムになったというわけである。 さて、エルヴィス・コステロというのはむろん芸名で、彼の本名はデクラン・パトリック・アロイシャス・マクマナス(Declan Patrick Aloysius MacManus)。このステージネームはかのエルヴィス・プレスリーの“エルヴィス”と父方の祖母の旧姓(アイルランド系に多い苗字)を組み合わせたというもの。そのようなわけで、本盤のジャケットは真ん中に彼自身の写真(黒縁メガネで決してカッコいいとは形容しがたいたたずまいでギターを抱えてポーズをとっている)の周囲に“KING ELVIS”の文字が散りばめられたデザイン(下のジャケ写ではよく見えないけれども、写真周囲の白黒部分にサブリミナルっぽい感じでこれらの文字が散りばめられている)となっている。これで売れなければ、末代まで恥ずかしいデザイン(?)だったが、英チャート14位、USでは32位という記録を残した。さらにこれ以後のアルバムが次々とヒットを飛ばす中、本作『マイ・エイム・イズ・トゥルー』は一層評価を高め、今ではロックの名盤選などでもよく取り上げられるアルバムになっている。 デビュー当時のエルヴィス・コステロといえば、“怒れる若者”のイメージが強いかもしれない。実際、デビュー当初は日本でも学生服でトラックの荷台でパフォーマンスということもあった。けれども、本盤を落ち着いて聴けばわかるように、パンク系である種過激な部分というのは、重要な一部ではあるがすべてを言い当てているわけではない。 その代表格は本盤収録の名曲5.「アリソン」であろう。その他にもメロディ・メイカーとしてのコステロのよさが耳につく。パンク・ロック的捉え方は、おそらくはそうした曲そのものの出来とは別に、当時のシーンの状況プラスやや粗めのバンド演奏と時に勢いのついたヴォーカル・スタイルから連想された部分なのだろう。いまの時代から落ち着いて聴き直せば、筆者には曲のよさの方が目立っているように感じることが多い。 超有名曲の5.「アリソン」以外に気に入っている曲を挙げていくと、1.「ウェルカム・トゥ・ザ・ワーキング・ウィーク」、3.「ノー・ダンシング」、6.「スニーキー・フィーリングス」、先行デビュー・シングルとなった8.「レス・ザン・ゼロ」(ただしシングルは別バージョン)、11.「アイム・ノット・アングリー」、さらには、13.「ウォッチング・ザ・ディテクティヴス」(この曲は日本盤、米盤でのみ収録)。あと、後々の再発盤の中には追加曲のあるものも売られていて、上記デビュー・シングル(「レス・ザン・ゼロ」)のB面になった「レディオ・スイートハート(Radio Sweetheart)」という曲を収録しているエディションもある。短い曲だが、これも結構お勧め。[収録曲]1. Welcome To The Working Week2. Miracle Man3. No Dancing4. Blame It On Cain5. Alison6. Sneaky Feelings7. (The Angels Wanna Wear My) Red Shoes8. Less Than Zero [album version]9. Mystery Dance10. Pay It Back11. I'm Not Angry12. Waiting for the End of the World13. Watching the Detectives1977年リリース。 【送料無料】マイ・エイム・イズ・トゥルー +1/エルヴィス・コステロ[SHM-CD]【返品種別A】【smtb-k】【w2】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2012年04月04日
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心機一転の春にお勧めの1枚 ~PART 1~ 4月になって、入学・進学や就職・転職など新たな環境での生活がスタートいう人も、これをお読みの方の中にはいるかもしれない。書いている本人にとっては、実は何の変化もないいつもの4月ではあるのだけれど、少しはそうした心機一転の春の気分を思い浮かべ(思い出し?)つつ、そんなテーマで3回ほど、春に相応しいと思う盤を取り上げてみたい。第1回は、ヨーロッパ(Europe)というバンドの2004年の作品である。 80年代半ば、北欧発のハード・ロック・バンドとして一世を風靡したヨーロッパ。スウェーデン出身のこのバンドはまず日本で人気に火が付き、その後欧米で大ヒットを飛ばすことになった。有名人気バンドとなったことで、次第にアメリカ市場を意識したサウンドに舵を切っていくわけだが、中心メンバーのジョン・ノーラム(ギター)が脱退、やがて90年代に入った頃にはバンド自体が活動停止してしまう(『プリズナーズ・イン・パラダイス』はちょうどこうした時期の作品)。当時のジョーイ・テンペスト(ヴォーカル)の話では、“アイデアが尽きた”という気分だったようだ。 こうしてジョーイは“自分探しの旅”のごとくソロ・アルバムの制作に向かった(参考過去記事『ア・プレイス・トゥ・コール・ホーム』、『ジョーイ・テンペスト』)。その間、バンド復活に向けてのきっかけとなったのは、2000年のカウントダウンであった。久々にメンバーが集い数曲を演奏したが、バンドとしてのエネルギーが消えていないことを本人たちが感じ取り、そこから数年かけて復活へ向けての準備が進んだという。 結果、2004年に再スタートの作品としてリリースされたのが、本盤『スタート・フロム・ザ・ダーク(Start From The Dark)』だった。表題の通り“(再)スタート”ではあるのだが、“暗闇から(フロム・ザ・ダーク)”のスタートというのが面白い。実際、このタイトルのもとになった2.「スタート・フロム・ザ・ダーク」は、アルバム収録曲の中でも最初にできた曲の一つのようで、スウェーデン国内で放送された復活のお披露目曲でもあったとのことだ。この曲の内容は、“自分なりの戦い方を貫いてきた/対処しきれないほどの問題を抱えていた”、“強い心を取り戻すんだ/失うものは何もない/闇からの出発さ”と歌う。大ヒットしてスターダムにのし上がり、やりたいことの方向性に迷うとともにコマーシャリズムとの葛藤があり、いま再スタートを切れたからこその内容だろう。 個人的に気に入っている曲をいくつか挙げると、1.「ガッタ・ハヴ・フェイス」は小気味よいハードさが心地よいオープニング・ナンバー。表題曲の2.「スタート・フロム・ザ・ダーク」は上記のようにバンドの方針をよく示している。4.「ヒーロー」は往年のヨーロッパらしい曲調だが、ジョーイが16歳の時にロンドンでシン・リジィを見た時のことを詞にしたもの。10.「スピリット・オブ・ジ・アンダードッグ」は“負け犬(アンダードッグ)の心意気”をテーマにした曲だが、このアンダードッグの精神とは、実は彼らヨーロッパというバンド自身のことを歌っているようにも聞こえる。 ヴォーカルのジョーイは“2004年版クラシカル・ハード・ロック・アルバム”を目指したと言う。全体としては、ギターに重きを置いたサウンドである。ジョーイ・テンペストがソロでやってきたことが、ジョン・ノーラムのギター(およびソングライティング)と再会することで見事に形を持つ仕上がりになっている。サウンド面で考えると、8.や上記10.、あるいは12.あたりを聴いていると、ジョーイのソロ活動の理想形の先にはジョンというギタリストが不可欠だったことを示しているように思う。ちなみに、日本盤ではボーナス曲としてかつての有名曲(「セヴン・ドアーズ・ホテル」と「明日への翼(ウィングス・オブ・トゥモロー)」)のライヴ・トラックが収められている。ただ単に昔を懐古するのではなく、過去を踏まえつつ新たなステップに足を踏み入れての復活という意味では、あながち的外れなボーナス収録曲ではないようにも感じる。[収録曲]1. Got to Have Faith2. Start from the Dark3. Flames4. Hero5. Wake Up Call6. Reason7. Song No. 128. Roll With You9. Sucker10. Spirit of the Underdog11. America12. Settle for Love~以下、日本盤ボーナス・トラック~13. Seven Doors Hotel -Live at Sweden Rock Festival-14. Wings of Tomorrow -Live at Sweden Rock Festival-2004年リリース。 【送料無料】スタート・フロム・ザ・ダーク/ヨーロッパ[CD]【返品種別A】【smtb-k】【w2】 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2012年04月03日
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