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(自我)意識を抑え、無意識レベルの良きものを引き出すためにはどうすればいいのか?(私が意味する)この場合の意識とは敢えて善悪で言うと悪者なんです。ついつい調子に乗ったり、自分の都合の良いようにだけとらえがちな部分を意味しています。(これが本当は都合が悪かったりするのですが…)例えば、何か目標としていたようなことが出来ると飛び上がって喜び、逆に出来ないと、大きく落ち込む。このようなことは日常茶飯事だと思うのですが、意識はこの一喜一憂に輪をかけているように最近特に感じているんです。(そして 例えばスポーツの試合でうまく実力が発揮できない などのように、どうも成果にも大きく響いている。)それはつまり、ちょっと出来ただけで喜び過ぎ、ちょっと出来ないだけで落胆し過ぎという方向に…。もちろん、この喜んだり落胆したりというのは善悪ではないのです。が、より大きな成果なり、目標なりを達成するためには、カラダが本来的に持っているらしい無意識の力・感覚を活用しない手はない!というのが最近の私自身の実践研究で痛感している部分です。で、この無意識の力は、何かが出来る場合には、その心地よさをより深く味わわせてくれて、何かができない場合にもそれは違うよ!という感覚をこれまた味わわせてくれるんです。で、こうしたらどうかな!という方向をまた新たに作っていくということもできます。この(無意識の)力は、自分と同等のカラダ感覚をもった第三者が客観的に力を貸してくれているというようなものであります。そう、第三者的なので、この(無意識の)プロセスはかなり淡々とした感じで、意識のように舞い上がったり、落ち込んだりというかなり浮ついた感じはなく、どっしりと地に足が着いたというように表現できるような感覚なんですね。で、そうするとこの無意識レベルの良き、淡々として流れに乗れる感覚を常日頃、日常の中で必要な時に引き出せるようにするにはどうすればいいのか。という疑問が出てくるわけなんですが…さて何が必要なのか…ということついて、(眼に見えない領域のため、底は極めて深いものの…)最近少しだけわかってきたことがあるんです。それは何か、といいますと、インプットの質が大切だということ。どうも無意識の領域というのは、本質的なレベルを大量に含んでいるように思えるんです。泥沼からすくった水でいうとすればその上澄みに相当する部分という感じが…(誤解を恐れずに言うとすれば)なので、私たちがそこにアクセスして日常に活かしていくためには、その上澄みに近い性質のものをたくさん入れていって、あふれさせる、あるいは共鳴させる必要があるように感じている次第です。これがインプットの質を上げる、ということの一例です。そして、インプットする具体的中身の一例ですが、【心地の良い感覚】例えば、カラダにしみ渡るような風、高原で味わうような清涼な香り、雄大で広い光景、動きとともに変化し、活き活きとする視野、草や木、川の匂い、そしてそこから生まれる音などなどなど…。これは実は私が今、家の近所のある土手で行っているウォーキングで得ているカラダ感覚!に過ぎないのですが、上記のような心地よい感覚が足の裏の体反射とともに(ウォーキングで)得られて、日常動作・感覚はもとより、速読なんかにも物凄く大きな変化を与えているんです。意識的に得ようとしてもなかなか得られなかった変化を……。通常、意識的な事は並列動作ができないが、無意識レベルになると並列操作可能といわれますが、上記のような五感に基づいたカラダ感覚はまさに並列処理が可能なので、カラダの深い部分が動く(共鳴する)のでしょうか。理由は定かではありませんが、ある種のかなり大きな変化が得られるのは、どうやら確実のようです。昨今、心理学や脳科学などにおいて無意識と意識について理論的にはいろいろ出てきているようではあります。これはこれでとても先々楽しみなのですが、私の場合は、自分のカラダプラスαで実地に研究していった結果が無意識レベルへのインプットの質を上げる(変える)とどうも無意識レベルの深いレベルが活性化して、思いもよらなかったような成果が生まれてくる!ということなんですね。あ、っと、今日のも極めて感覚的でわかりにくいですね。ごめんなさいね。多分に私に今起こっていことを言語化しているという要素が大なので、ホント分かりにくいと思います。(やっぱり言語化しておかないと、 後々お役立ちに使えないので…)まぁ、いずれにしても古来、私たちは自然と共存して、また自然に畏敬の念を持ちながら生活をしてきました。その伝統の中には、現代人がまだまだ気づいていない叡智とも言える智慧の数々が眠っているのかも知れないということも言えるのかも知れません!これすなわち、インプットの質を変え、無意識の力を引き出すためには、この自然の叡智を見直していくことがとても有効かもしれないということになりますね。今日もややこしいお話に(笑)ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたが自然から頂ける素敵なカラダ感覚を日常にオンして、古来の智慧をたくさん享受できることをイメージしつつ…♪
2008.06.27
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世の中は、いろいろなメソッド、手法と呼ばれるものに満ち溢れていますよね!とりわけ、昨今では心理学とか、認知科学、脳科学などなどを土台としたより良くコミュニケーションするためのメソッドなんかが多く見られるように思います。私たちは、より良く生きるため、あるいは、今と違った生き方を得るため、などなどを目指して、そのようなメソッドの類を勉強したりします。まぁ、最近では珍しくもなんともないこと、ですね。で、そのメソッドを勉強して、習熟するとそのメソッドがいうような凄い効果なり、能力が付くかというと、まぁ、これもなかなかそうはいかないことははい、私もたくさん経験済みです(笑)。もちろん、目的に応じてそれなりにうまくいって身に付くものがないわけではないですが、多くのメソッドは、本当にそんなにすごい効果があるの?って当初期待した何分の一しか結果が得られない感じがする、という経験を多くの人にさせてくれますよね(笑)。なぜこのようなギャップが起こるのか?あなたはどう思います?1.メソッドそのものに力がないのか…2.自分の取り組み方に問題があるのか・・・?単純に大きく分けるとこの2点が考えられます。1.の可能性は意外と高いのかもしれません。というのも、主として頭で考えられた理論が、周りの人々との関係性の中では知に偏りすぎて私たちの身に付いていかない、ということがあると思うんです。一言で言ってしまえば、「理屈っぽ過ぎ」ってやつですね。もちろん、世の中には本当に優れた、本質に向かうメソッドもたくさんあるとは思うのですが…、現実問題としては、それを扱う人間、あるいは人間関係という場の中でうまく消化しきれないというのが実態のようです。そこで2です。問題は自分にあるのではないか?そのメソッドを扱えない原因の一つは自分ではないか!っていうことです。最近私自身が感じ、痛感しているのはこの観点なのです。ところで、話は一見、少し飛びますが、人間の情報処理能力に目を向けてみましょう!私たちは目、鼻、耳や皮膚などの感覚器官から得る情報量は毎秒1100万ビット。その情報を意識が処理できる量は毎秒わずかに40ビットという実験結果があるんです。参考文献はコチラです。↓ ↓ ↓ユーザーイリュージョンこれはつまり、五感を中心とした感覚器官が捉えているだろう情報は、意識できる情報量のおよそ27万5000倍もある!というお話になるんですよね。とてつもなく大きな情報処理力の差が、私たちの感覚と意識の間にある、というわけなんですね。さて、私たちは通常、何かを意識してその後行動に移る、と普通は考えます。ところが、意に反して、【脳は行動を実行し始めてから0.5秒後に その行動の意図を意識する】このような実験検証結果があるんです。ということは、例えば、指を曲げるような動作をする際、指が先に動き出して、意識はその一瞬後つまりゼロコンマ5秒後に、その動かした指の意図を知る、ということになります。にも関わらず、意識は自ら身体に行動するように指示した!という錯覚・誤解をしている、というお話なんですね。これは、例えば、ブーンとうなりを上げて急に近くに来た蜂を避ける時、なんていうのをイメージするとわかりやすいかもしれません。(自らの)意識は、ここにこのままの姿勢でいたら危険!と、カラダを動かした、と思っていますが、実は、カラダはそういう意識する以前に、蜂の気配や羽音などなどの感覚情報をもとに勝手に動いて、その一瞬あとに、【あ、カラダが蜂を避けたんだ!】っていう端的な事実だけに気づくはず、なんです。ところが、意識のほうはその後、この距離・角度では避けがたかったから、こういう距離をとりながら、約○メートル避けたんだ!とばかりに、いろいろ勝手に解釈したり、判断したがります。あ、これはちょっとわかりにくいかな・・・!?では、野球のバッティングではどうだ・・・?ピッチャーが投げてきたボールに対して、カラダは視覚をベースとした感覚器官を最大限に駆使して、バットを振りますよね。そしてその0.5秒後に意識は、【あ、空振りだ!】【振り遅れた】【バットの角度が悪かった…!】なんて判断を勝手に下すんですね。が、が、が、・・・実はこの意識できる情報量は感覚情報のわずか27万5千分の1ですから、空振りは事実だとしても、この【バットの角度云々…】なんて意識している部分はまったくの見当違いの可能性が大あり、っていうことにもなるんです。なにしろ、情報処理できる量が(意識は)極端に小さいわけですから・・・。つまり、五感を中心とした感覚器官が捉えている情報を、できうる限り素直に受け取って行動すれば非常に精度の高い行動になるのに、ワンテンポ遅れて起こる情報処理能力の低い意識というものの介在によって、ねつ造された、あるいは見当違いの判断を下される可能性高し、ということになりますよね。それで話は戻りますが、そう、先人が考え出した素晴らしいメソッドや手法を私たちがうまく扱えない、あるいは扱いきれない原因の一つはこの意識のねつ造によるものが多いのでは、ってインスパイア大澤は思うわけなんです。逆に言うとすれば、感覚器官が捉えた情報をできうる限りそのまま受け取り、それをもとに行動できれば、先人が残した素晴らしい遺産をより受け取りやすくなるメソッドや手法そのものに本当に力があれば、たくさん受け取れる可能性が大いに上がるのでは、と思うのです。反対に情報処理能力の低い頭で捏造した意識では、受け取れるものも受け取れない。今、私はあまり意識しては書いていないつもりなのですが(笑)それはさておき、【頭で意識的に考えるよりも、体感を大切にしていきたい】、という私自身の思いや実際の行動は、どうやら上記のようなことからきている様なんですね。あーっと…、とても長くなってしまいました。意識は自分の都合の良いように、あるいは自分の意識できる小さな範疇で考えますので、もっともっと(情報処理量が圧倒的に多い)体感・カラダ感覚を大切にしていけば、先人の残した遺産をたくさん受け取れるのでは…!?なんていうお話をしてみました。私たちがたくさんの遺産を受け取り、次の世代へも繋いでいけることを心より祈りつつ…♪
2008.05.16
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世の中で定説となっていることも実は(私たちが)定説と思っているだけで、現代の時代背景の中でのみ定説であることがとても多いですよね。ここでは具体的にあげません(あり過ぎるので)が、本当に山ほどあります。で、実は仮説を定説と思いこんでいるに過ぎないことが結構多いんです。だから、そんなの常識じゃん!っていうことも、ん? 本当にそれって常識?と、再確認というか、一から考え直す発想は常に大切だとインスパイア大澤は思うわけなんです。例えば、現在もまだまだ自己啓発ブームは、手を変え、品を変えて続いていますよね!【自分を変え、人生を変えるべし】【今のままではダメ!変わらないと・・・】なんていうようなスローガンのもとに・・・。多くの人は、自分を変えるべし!に特に疑問を持つこともなく、自己啓発プログラムを受講します。(はい、私もたくさん受講しました。笑)さて、ところで、自己啓発プログラムの延長線上にあると思われる潜在能力開発とか速読などのいわゆる脳機能の能力開発は果たして脳(頭)を鍛えればいいのか?あるいは何か特別なメソッドやツールがあって、そのメソッドやツールさえあれば万能なのか・・・?っていうことなんですね。脳を鍛えるんだから、そりゃ脳を鍛え開発しなきゃ!っていうことで、例えば計算したりとか、物を覚える訓練をしたり・・・等々積極的に頭を使って鍛える!あるいは、何何式のメソッド・ツールを使って、演習を繰り返し、やはり右脳に働きかけてトレーニングする!とか・・・また、もう少し発想を変えて、リラックスのための深呼吸とか、アルファー波、シーター波を発生させてなどなどっていうのがまぁ、普通で、現代の定説にあたるのでしょう。でまた、きっと一定レベルの効果もあるのだと思います。が、が、が・・・しかし、私が最近実体験している範疇では、生物の進化プロセスも鑑みながら、今まで使ってこなかった【カラダの構造上、このように使うべし】と読み取れる本来のカラダの使い方(これ仮説ですね)を掘り起こしていくと、劇的に速読能力がついたり、微細なカラダ感覚が出てきたりとか、聴覚がビックリするほど変化したり・・・・・・と、その入口は頭を鍛えるというよりも人間のカラダを見つめ、その本来設計されたであろう(これも仮説ですね!)カラダの使い方を掘り起こすとビックリするほどの深い体験をする方が実際にたくさんおられるわけなんです。(頭もカラダの一部なんで、 決して眼の敵というわけでもないのですが、 部分的分析志向ではなく、 (カラダ)全体統合志向 とも言うべき意味合いを指します。)つまり、カラダの使い方を変えて、全体統合的カラダ感覚に着目していくと多くの人が眠っていた潜在能力をググーーッと呼び起こし、(表面的なものではない)本質的な変化を実体験していくのかも知れない!別にメソッドやツールを使用したり、脳のトレーニングをしたり・・・などなどしなくとも・・・というのが昨今の私を取り巻いている状況というわけなんです。そう、これもあくまでも仮説の世界であることは逃れ得ません。でも、別に仮説でいいんです。(実際世の中はよくよく観ると、仮説だらけですから・・・)現代社会は科学的という名のもとに、確実なものを求めて、失敗しないでやろう!という風潮がちょっと強過ぎだと思うんですね。確実なものなんていうのはそうそうなく、世の中のすべての存在は変化のプロセスにあるにも関わらず・・・。少し前にもお話したように、人間のカラダの外観も中も、一時として同じ状態はないです。昨日の私と今日の私では物質的に見ればかなり違うはずですし、ましてや一年前の私と今の私ではまさに別人です。(笑)そして当然、自然を中心とした外界も一日たりと変わらない日はありませんよね。つまり、とりわけ変化を追い求めなくとも、私たちは常に変化の真っただ中にいるんですね。そんな常なる変化を受け入れ、流れを感じ、ある時はふわっと、またある時はグッと方向転換しながら、流れに乗っかっていく。決して世の中の常識(定説)と呼ばれるもの・事に捉われ過ぎることなく、自らの力、そして師と呼べる人・あるいは良き書物・良き仲間等々とも繋がりながら・・・。こんなことが大切なのではないかとインスパイア大澤は最近感じています。そしてその変化のプロセスをまた次世代に丸ごとつないで行けばいい!たとえどんな小さな変化のプロセスでも・・・イヤー、すみません。ちょっと(いやかなり)分かりにくい内容になったかもしれませんが、大切な観点に触れてみました。あくまでも体感・カラダ感覚を大切にしている結果のお話だということを予めご承知おきくだされば幸いです。ということで今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。私たちが変化のプロセスを存分に楽しみ、充実した、プロセスのバトンタッチをまた楽しめることを心よりお祈りしつつ・・・♪
2008.04.21
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私たちのカラダが持っている自然の力って本当にすごいなぁーーっっていうのが最近の偽らざる実感です。カラダがもともと持っているポテンシャルは私たちが想像する以上にとてつもなく大きく、カラダの奥深い自然にアクセスして常日頃からその深い自然領域を磨き上げると、カラダは信じられないほど深く柔らかく、心地よい変化(あー、言語化ができない!苦笑)を誰でも(個々の感性の幅に沿って)経験していくようです。そして、その信じられないカラダから生れ出る行動は・・・その力は・・・!?まぁ、これは私インスパイア大澤の外観を含めた雰囲気の変化を観るのが早いのですが・・・(でもベースは変わらないのでアレなんですが・・・笑)それはさておき、私自身がカラダ磨きのプロセスとして行っているのは、現在、少し前に書いた歩行を丁寧に行うだけです。(ただし、 いわゆる一般にイメージするウォーキングとは全く異なります。)もちろん、そのプロセスの中には、それ以前から取り組んでいた氣のライン等々のカラダ内部(深部)への投げ込みがしっかり根付いているのですが、この歩行は、丁寧に行えば行うほど反対に、これまでいかにええかげんな(良い加減ではない!)歩き方をしていたのかがよくわかるんですね。我ながら・・・それは例えば、生物が進化のプロセスで得てきたであろうはずの捻じる動きが抜け落ちたというか、かなり小さくなっていたり、(骨盤を)締めるべきところがこれまた弱かったり・・・・・・と、まぁおそらく、逆に、歩むということを本来与えられた深い自然法則にそって文字通り出来ている人はほとんど皆無ではないか、と昨今の私自身の実習プロセスで感じている次第です。そういえば、武術なんかでも歩法を何十年と修業していくのにはやっぱり訳があるんですね。(武術の)歩法も含めて、歩行には人間の、自然の本質的な何かが隠されていたとしても不思議ではないのかもしれません・・・。と・・・前置きが長くなりました。そう、速読ですよね(笑)!さて、ズバリ言っちゃうとすれば上記のように歩行を深めていくと、歩けば歩くほどにカラダが本来の自然な力を掘り出して、カラダが整い、快適になります。同様にどうやらカラダの自然に深くアクセスしながら速読訓練をすると、やはり本を読めば読むほどに眼が楽になり、カラダが整っちゃうんです。もう付いていけない、ですよね(笑)。ここまで来ると・・・(はい、自分でも信じられない部分が多々あるのですよ。)しかしどうやら私インスパイア大澤も既にその入口に立っており、今最低でも一日5冊(再読、多読含めて平均1冊10分程度)は読みますが、眼は以前のようには疲れないんです。それどころか、本を読めば読むほど眼は快適にさえなっちゃいます。以前よりも明らかに大量に文字を読んでいるのに・・・です。(というか意味を認識しているのに・・・と言った方が 正確かな・・・!?)で、当然PCの文字も早くたくさん読めちゃいますので、PCの作業における処理時間も半減しちゃっているんです。数年前に何十万か出して速読の勉強をした時には出来ているつもりになって(笑)いましたが、イヤ、今から考えると明らかにできていませんでした。どこが一番できていなかったかと言いますと、カラダの(眼の)使い方だったんです。左脳(言語脳)とつながりの深い右眼が利き目だったため、大きくロスをし、(普通に読むには良いのですが・・・)しかも広い視界を持つ左眼、凝視するのに適した右眼という(一般的には常識とされていませんが・・・)眼の役割分担の中で右眼で凝視する方に偏り、眼を疲れさせていた、というのが実態だったようです。細かくいうと他にもいろいろ観点があるのですが、ここでは端折っています。ともかくこうしてカラダの(眼の)使い方を変えるだけで速読のスピードや理解力が飛躍的に高くなり、おまけに精彩度アップなど、色彩感覚にも良き影響を及ぼし、(感覚的なものなのでやはり言語化は難しい、ですが・・・)文字をたくさん読んで本来なら疲れるはずがむしろカラダが整って、心地よさを伴いながら日常が過ごせる!ということに御注目いただければ、と思います。いずれにしましてもカラダにはまだまだ使いきれていない深く潜在している能力が隠されており、その深い部分にアクセスしてアクセス領域を増やして行けば、その潜在した能力は表に出していけるようなのです。そしてその力を活用してちょっとでも世の中のお役立ちにつなげることが出来れば、というのが今私の願いでもあります。ともあれ、人間、そして自然の力って本当に凄い、と思います。今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたのカラダの深自然が引き出され、素敵な力が生れ出てくることを心よりお祈りしつつ・・・
2008.03.28
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カラダは刻一刻と変化していますよね!例えば、さっきまで自分(の一部)だったはずの排泄物(ちょっとお下劣かもしれませんが大切なお話なので・・・笑)が、外に出てしまうとちょっと嫌われ者となります。それで外に出た途端に、まるで自分とは皆目関係ないような関係に(ちょっとややこしい?笑)なってしまいます、ネ!また、カラダの中に眼を移すと、数百種類100兆個もの腸内細菌だとか、その他様々な微生物が私たちが直接自覚することなく住んでいます。そして、カラダの中でもそうした微生物が内臓諸器官と色々な関係を持ちつつ、カラダ全体としてバランスを維持しながら、日々変化しています。そのほか、皮膚も骨も髪の毛も・・・・・・刻々と変化をしていきます。こう考えると、人間っていうのは、あ、まぁ動物も自然も植物も鉱物も、時の経過の中で、全く同じ状態ということはまずあり得ない、ですよね!自然、四季の移り変わりと同様に、私たちのカラダは常に変化をしているわけです。とすれば、現在の私っていうのは、ある意味過去の生物・人間とは違った生物になっている。こんなことも言えちゃいます。ならば、(以前にも書きましたが、ここ、カラダが良き変化を持つためにはとても大切なのです。)過去の自分というものにことさらこだわったり、過去の失敗を現在に持ち越したりするのは馬鹿らしい話、ということも言えます。一刻一刻、一瞬一瞬に変化している私たちであるならば、その生物としてのカラダの変化を味わいながら、今の一瞬一瞬を一所懸命生きるのが理に適っていますよね!なーーんて、インスパイア大澤はやっぱり思っちゃうんです。ところで、先ほどの微生物とか排泄物のお話ではないですが、言うまでもなく、私たちって一人で生きているようで、実は(家族とか身近な人たちを除いても)様々な人・生物・物との関係性の中で生きています。そのことをよくよく考えると、「あなたと私」っていう境界線を引いて、あなたが間違っていて私は正しい、なーーんて私たちはついつい思っちゃいますが、それも浅はかな場合が極めて多いのでは、って思うんですよね。まぁ、現実にはそうも言ってられない場合も多い、とは思いますが(笑)、実際には、現代社会において、【あなたと私】という分離思考が社会を住みにくくしている部分が多々あり、だと、多くの思慮深い人々はすでに感じ始めておられるのではないでしょうか。世界に眼を移すと、未だに途切れず起こっている各地の紛争。こういった紛争も、やっぱり【あなたと私】を分けていることが関係していますよね。少なくとも・・・話変わって、今世間を騒がしている冷凍ギョウザ問題。まぁ、真相は不明ながら、関与した何者かはやはり【あなたと私】つまり、私には(薬剤は)×だけどあなたのことは知らない!みたいなことがあるのでは、と勝手に推察します。そして、昨今では御近所付き合いも一昔前とは違います。そう、隣近所の助け合いとか気遣いなんていうことも希薄になり、面倒になり、ここでも【あなたと私】は別だから、めんどくさいやり取りは止めてお互いに干渉しないでおきましょうね!というのが普通、ですよね。しかーーし、そろそろ私たちも気付くだけでなくて、行動を変えるべき時かもしれません。共存共栄を維持して、より良い調和に導いてくれているカラダ様を見習って、ネ♪今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたの生活が周りの多くの人たちとの共感に満ち満ちて、さらに充実した日々を楽しめるようお祈りしつつ・・・♪
2008.03.14
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普段、私たちは特に歩くことを意識せずに行います。まず左足を出して、次に右足を、また左足、カラダを捻じって・・・・・・なんていうことを一つ一つじっと考えながら歩いている人はまずおられませんよね!(笑)現実にはまぁそうだと思うんですが、それでも敢えてここで、歩行の自然な流れに注意深くアクセスしてみると、歩行のプロセスの中には、人間の基本的なカラダの使い方のエッセンスというかパターンが全部入っているんです。(普通ほとんど意識することはない、ことですが・・・・・・)まず左骨盤を締めて、右足を前に出す、すーっと上に伸びる、左足をふわーっと斜め前に移動、そして右腰を捻じって・・・・・・という風に。つまりよくよく観ていくと、歩行の中には、締める(開く)、前に出る(後ろに退く)、上に伸びる(下に降りる)、(ななめ)横移動、捻じる(後ろ歩行を入れるとカッコ内のように逆の動作も入ります。 まぁ、後向きに歩くことは普段ほとんどしないですよね・・・笑)っていう人間として極めて基本的な動作、カラダ使いのパターンがしっかり入っているんですね。だからこそ、そういう基本的なエッセンスが詰まった歩行~ウォーキングなどと呼ばれて幅広い年齢層に親しまれたりもしていますが~は、きっちりと丁寧に行えば、カラダは自然の流れに乗っかるように整っていくはず、なんです。はずと言ったのは、私インスパイア大澤が常々(自分に言い聞かせように、笑)お話しているように【丁寧に行えば・・・】というのが大切なポイントになるんですよね。そう、雑な歩行では、カラダは自然でスムーズな流れをうまく作れないんですね。(でも残念ながら巷で流行っているウォーキングのやり方は その大半が厳しいですね。)例えば、骨盤を締めるところで締めないで歩くと、前に出る推進力は小さくなります。また、捻じるべきところでねじらないと、骨盤を締める力が出てきません。つまり、丁寧な一つ一つの動作は、役割分担しており、流れているんですね。一つ一つが強く自己主張するかのように独立したものではなくて・・・・・・。お互いが生かしあう関係性の中で、協力し合っているとでも言いましょうか。また、詳細は端折りますが、カラダの左右には役割分担があって、主として左側は左右・開閉の動き、右側は前後上下の動きをベースにしていて、そのようなカラダの左右の役割を踏まえながら、歩行のプロセスは流れています。したがって、歩行の一つ一つの動きをあらためて丁寧にひも解き、少し意識しなおすことで、歩行のプロセスはより高度なものとなり、その精度が著しく上がる可能性があるんです。そうすると、下手に筋力トレーニングやストレッチングなどでカラダに大きな負荷をかけるよりも、より自然の流れに沿ったしなやかなカラダづくりに繋がる。そうです、特別に運動をしなくとも、普段の歩行(日常の移動など)だけでも適度な運動量と質によって、しなやかで快適なカラダが出来上がる!と。とまぁ、例によって文章にしてしまうと、またまた体感が表現できないで、ホント分かりズラくて申し訳ないです(苦笑)。とにもかくにも、歩行は、日常生活のパフォーマンスを大きく変えてしまう可能性を秘めている、ということに一つ注目していただければ、と思うわけなのです。あ、そうそう、上記に少しだけ触れましたが、前進だけではなく、後退、つまり後ろ歩行にも、どうやらカラダのプロセスを整え、パフォーマンスを変え得る、何かエッセンスのようなものが詰まっているようです。この後ろ歩行に関しては、私インスパイア大澤今いろいろ実験・実習中なわけなんですが・・・・・・。ともあれ、時には日常の歩行というものに着目してみてください!(特別にウォーキングなどと構える必要もありましぇーん。)そこには、人類が(原初的な生物から)5億年かけて進化してきた何かエッセンス、本質的なものが隠されている、やもしれませんから・・・(イヤイヤ、隠されているんですヨ。笑)今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたが日常の歩行の精度アップにより、驚くほど軽快さを増し、行動力が倍増して毎日を楽しめることを心より願いつつ・・・・・・。
2008.03.01
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様々な個性がある中で、その個々のカラダの素質に沿ってカラダを整えていくと本当に心地よくなってきます。それは何とも言葉では表現できない心地よさ、なんですね。パソコンに向かって仕事していても、車とかお風呂の掃除(笑)をしていても食事をしていても、電車に乗っていても、街を歩いていても本を読んでいても・・・・・・・・・・・・・もうホント、何をしていても(カラダが)気持ち良く、軽快なわけです。がしかし、(いつもお伝えしていることですが・・・)心地よさとか気持ちよさっていうのは、客観的指標では表わせませんので(このブログを読んでくださる)あなたにその感覚・体感を直接お伝えできないのがとても残念・・・。で、その心地よさですが、いわゆる筋力トレーニングをやって鍛えた時のカラダの軽さとは全く異なります。何を隠そう、私インスパイア大澤、実はかなり体育会系のキャラですので、上記のような幸せな体感を得る以前は、ジョギング・腹筋・背筋・ウェイトトレーニング、そしてスクワットなどなど大好き人間でした。あの継続的に鍛え続けた後の軽快感・爽快感、そして充実感があったものですから・・・このように、筋力トレーニングは確かにある程度継続していくと極めていい感じなのですが、例えば仕事が忙しくってしばらく継続できなくなったりすると、たちまち、「プシューッ」って、風船を針でつついたように、筋肉がしぼんでしまったような体感、そう、カラダが重く感じたり、だるい感じになったりするんですよね。(こういう体験って結構たくさんの方がお持ちでは・・・?)まぁ、私自身、そういう(筋力トレーニングによる)アップダウンを繰り返したり、あるいは、極限までカラダを鍛え上げておられる、一流と言われる著名スポーツ選手たちの意外と不健康なカラダ、または悲しい死などを実際に眼に耳にして、私自身は筋力トレーニング、西洋流に筋肉を鍛え上げるという発想は、見切らざるを得なくなった次第なのです。じゃあどうする?その流れは、今から2年半ほど前に御縁をいただいたヨガの師匠のもとではじまりました。筋肉に着目するのでなくて、骨格をベースにしてカラダ全体が繋がる方向性を実習したんです。その結果、日々心地よくアクティブになり、今なお進化し続けるカラダ感覚を得るに至りました。(ホントにこの間言語化できないほどカラダが変わったんですよ。)そのプロセスで分かったのは、とりわけ日常生活を軽快に過ごすには、鍛え上げた筋肉は不要で、むしろ過剰装備になり、かえって非合理的なのかも、と感じるようになったんですね。部分的な筋肉を鍛えても、なかなか全身がうまく協力できるようにはならない、ですしネ!そう、カラダは強くなった筋肉に頼っていきますから・・・そういう意味でも、バランスよく筋肉を鍛えるのってかなり難しいのでは・・・というのが実感です。だから、そんな筋力や筋肉の過剰装備をするよりも、先回も少し触れた、カラダが整う方向の力(氣)をイメージするというシンプルでいつでもできる方法によって、冒頭の、今まで得たことがない心地よい体感を得た、というわけです。これはジムへ行ったり、特にトレーニングウェアに着替えたりしなくとも、日常生活の中に無理なく取り入れることができます。例えば、仕事の合間、通勤や通学の際、歩きながら、お風呂で脚湯しながら、電車の中で座って、もしくは吊革を持ち、立ったまま、・・・・・・と。こうして日常生活の中で、カラダの力(氣)の流れを(本来あるべき方向に)変え、整えることは、パッとお金を出してその場で得られない感覚でもあるんです。そうですね。インスパイア大澤はお金ももちろん大好きですが(笑)、お金を出してもその場では得られないものもある!っていうことをこのコラムではちょっと言いたかったんですね(笑)。お金と豊かさっていうテーマは今の時代非常によく出てきますが、カラダと豊かさっていうのも実に相関関係が深く、特にこれからの時代、とても大切な観点なのではないか、と思っているんです。自らのカラダが整うっていうことは、一番身近な自然(から与えられた)環境が整うっていうことですよね。つまり、地球温暖化が今非常に問題になっていますが、自らのカラダがより整った状態であるからこそ、人との関係性、地球環境、大地との関係性をより優しく、より丁寧に・・・などなどと思考し、自然と然るべき行動が取れる!って思いません?自らのカラダが喜ぶことをやり、家族のカラダが喜ぶことをやり、身近な人たちのカラダが喜ぶことをやり、そして地球も喜んでくれることをやれば!っていうのがインスパイア大澤の主張です。あ、最後に余談になりますが、カラダが整う方向を模索していくと、右脳領域もより活性化していきます。そして私も今驚いているんですが、速読が難なくできたり、読書したり文字をたくさん見ても眼が疲れなかったり、(実は、本を読めば読むほど眼が楽になるんです。 信じられます?笑)と意外な良き副作用があったり、とホントこちらも楽しいんですね。この速読については今いろいろ実験・実習中ですのでまたそのうちにもうちょっとお話出来れば!、なんて考えています。カラダの使い方から入ると、たぶん今速読が出来辛い人もかなりうまく行くかもしれませんね。あー、今日は長くなって失礼しました。まぁほとんど私の覚書程度のものですが、要は、豊かさにも(ちょっと古いですが、今はどうされているんでしょう?)ホリエモン的なものもあれば、カラダから入るというようなまた違った観点もあり、豊かさを限定する必要は全然ないですよね!そしてまず自らのカラダを整え、豊かにし、カラダの幸福感が増して行けば、また新たな豊かさの可能性が広がるかもしれませんでー!(笑)っていうお話でした。今日もここまでお読みいただき感謝いたします。あなたが今より素敵なカラダから得る豊かさにより、毎日がより楽しくより充実した、心地よい流れとなりますよう心よりお祈りしつつ・・・♪
2008.02.10
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今、私インスパイア大澤はカラダについて様々な実習を行い、カラダってスゴイなーっていう、まさに実感・実体験を坦々と重ねています。いつもお話しちゃうんですが、巷では、脳トレとか脳を鍛える云々、ということが大流行していますよね!確かに、脳の働きはまだまだ未開拓な領域が多いようなので、興味深いテーマではあります。が、が・・・忘れちゃいけないのが、とりわけ現代人が疎かにしがちなカラダ様。(本を読めば分かりますが、 この辺、かの脳科学者、茂木健一郎氏も カラダの重要性をたくさん指摘されている という事実はあるんですよ。)まぁ、先回、丁寧にカラダを使うと・・・・・・というテーマで書きましたが、実はより正確に言うとすれば、カラダ以前があるんです。カラダがベースであることには違いはないとしても、、そのカラダ以前のものをあるべき方向に整えると、カラダには「もの凄い」としかいいようのない力、生氣ともいうべきものが生み出されてくるんですよ。(言語化もかなり難し、なのです。)(このすごい力は本来私たちがたくさん持っているのに、 現代の便利すぎる生活で少し弱くなった だけなのかもしれませんが・・・)で、そのすごい力とは、氣と呼ばれているものです。氣というと、なにやら怪しげな感じに思う人も多いでしょうか?でも、私の意味する氣は、摩訶不思議なものではなく、簡単に(ちょっと大雑把に)いうと、やる気とか気分、気持ち、気の張りとかいう氣と同種のものです。また、文豪幸田露伴氏が氣について努力論のなかで詳細に書かれていたような、張る氣、散る氣、凝る氣・・・もやはり同じものですね。眼に直接は見えませんが、かといって否定できるものでもないです。で、いくらカラダがベースだと言っても、カラダの行動・動きの大元には、この氣の働きがあり、今日はアレをやろう!とかどうも気が乗らないな!なんていうのも様々な氣の働きの一つ、です。この氣の働きがあってこそ、カラダはその機能を全うできる!と言い切っても、【そんなはずはない!】とおっしゃる方はそんなにおられませんよね?(多少はおられるかもしれませんが・・・笑)それで、この氣を丁寧に整えていくと、カラダは自然にあるべき方向に動き、必要な行動をとってくれる、というわけですね。あ、長くなるので今日はこれくらいにして・・・まぁ、脳トレでは簡単な文章や計算でトレーニングをやるんですよね?対して、(私の)カラダ探究では、別に走るわけでもなく、ジムへ行って器具を使ってトレーニングするわけではありません。また、腹筋や腕立て伏せ、スクワット、はたまたストレッチングもやらないんです。実際にやるのは、カラダの骨格構造に沿って、氣が整う方向にラインを描いたり、ボディラインイメージを描くだけ、なんです。そして、やはり丁寧に氣を整えていくと、カラダは本来の柔軟性を回復したり、必要な時にはしっかり力がみなぎって集中できたり・・・・・・と、元々のカラダが持つ機能をフル活用できるというのを私は今たぶんその入り口部分(と思われるもの、日々進化するため先がわかりません!)として体感・実体験させていただいている次第です。最後にちょっと余談を・・・先日の大阪国際女子マラソンのトラックの女王の映像は勉強になりましたね。最後はそれこそ氣力(無意識レベル含む)だけで走っておられましたが、カラダはやっぱり賢かった。ゴール前でもゴロゴロ転ばせて、カラダの致命的なダメージに繋がらないよう、まるで(疲労蓄積の)回復処置をしていたかのように・・・♪(特別なダメージを負っておられないことを お祈りしますね・・・)あれは大脳で考えてできる動きじゃない、でしょ?カラダの発する声ってホント無視できないです。ハイ・・・ということで、今日もここまで読んでいただき、ありがとうございます。あなたの氣がより良く整い、生氣漲る素敵な一日となりますよう心よりお祈りしつつ・・・♪
2008.01.31
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昨年の新年と(私にとって)全く状況が違うことがあります。それは、私インスパイア大澤のカラダにおけるOS(オペレーションシステム)が全く変わってしまった、ということ。例えて言うとすれば、そうですねー、ウィンドウズ95からXPやビスタ辺りまで大跳躍したような感じでしょうか。ウィンドウズ95は御存じのように非常にパフォーマンスが低かったので、言わば、それほど大きな変化をしちゃったということなんです。が、この変化は主として、というよりも、ほぼ全面的に【体感(カラダ感覚)】によるものであり、極めて主観的、感覚的な部分なので、言語化・数値化は極めて難しい、ですよね。でも、ここでちょっとだけ具体例を挙げると、日常生活の中で、凝ろうにも(体感的に)肩が無くなって肩なんか凝れない(笑)とか、このブログでもよくお話するように、坂道が坂道でなく感じる、とかパソコンと向き合ったときに、疲れにくい、最適な首の角度の取り方とか、目的地に着くまで歩いているうちに、カラダが数段軽くなる方法やら、・・・・・・等々さまざまな素敵な感覚をベースにしたものがあるわけですが・・・その素敵で幸せな、何とも言えないカラダ感覚を(ひょっとしたら誰でも赤ちゃんのころには持っていたかも知れない) 人に言葉で論理分析的、あるいは科学的という言葉でうまく説明できないのは、まぁとても残念なことです。(ただし、あまりに摩訶不思議ないわゆるスピリチュアルなもの とも異なり、あくまでも眼に見えるカラダをベース としているので、変化がそれなりに分かりやすい、 ということも言えるのです。)ただ、そうは言っても、ある意味、一方的、自己満足的な、このカラダの感覚を共有したい!多くの仲間たちと・・・(直接的な友人だけではなくって、ネ)っていうのは確かにあるんですよね。なぜなら、このカラダの得も言えぬ感覚、体感は、とても【幸せな感覚】が強いから、なのであります。もちろん、昨今多発している、無益なというか、残忍な殺人、世の中を騒がせ連発する不祥事、うつ病、世の中の不安の裏返しのようなカラダの慢性的な疲れ、・・・・・・などなどなどとは全く無縁で素敵な感覚、質を持っているからです。そこで、私の2008年は、このカラダの得も言えぬ【カラダ感覚】を共有化し、活動する年とする所存です。きっかけはオンラインでも、主としてオフラインの活動をベースとしながら・・・ネ。御縁があるあなたと共に・・・と・・・、漠然としてよくおわかりいただけない内容で(笑)、あくまでも本人の決意&覚書的要素が強いのですが、一応遅ればせながら、新年のご挨拶代りとさせていただきます♪今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。この新年よりあなたがとても素敵な、今までにないカラダ感覚を得て、さらに充実した日々をおくることができるよう、心よりお祈りしつつ・・・
2008.01.10
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当たり前の話ではありますが、カラダの部分部分の協力関係というのは、癒着して一緒に動く、あるいは動いてしまう、ということでは断じてありません。例えば、腕は腕として、肩は肩として、それぞれ独立して動くようでないと、協力関係は成り立たないんですね。もう少しわかりやすくお話するとすれば、まぁ、肩甲骨が張り付いていたりして、カラダの動きや本来の機能が限定されると、肩を回して!なんて言われても、腕も肩も一緒くたに動いてしまいますよね。本人は一所懸命、肩を回しているつもりでも、実際は腕がちょこっと動いているだけ、なんてことも・・・あります。これは協力関係ではなくて、筋等が癒着してカラダの基本的な動き、すなわち、腕を回す、首を回す、横、前後にひねる、腰を回す、腰を折る・・・・・・など諸々の動きが制限されちゃっているだけです。これは協力というよりも、つぶし合いに匹敵します。このことは、会社等の組織で考えても分かりやすいですね。それぞれの社員が自主独立の精神で活動できる場合は、各々の役割分担の中で、組織の目標に向かって協力関係が作れます。が、社員がお互いに依存しあって、もっと悪く言えば責任を押し付けあって自主独立の精神が弱ければ、組織が目標に向かう力、エネルギーは低くならざるを得ない、というのは当然ですよね?カラダもまさに同じで、カラダの部分部分の協力関係が大切と言えども、例えば、肩が上がらないとか、首が回らない、とかいうような動きの制限、癒着部分があると、その癒着部分が足を引っ張り合うので、協力体制は非常に弱くなってしまう協力しようにもできない、共通の目標達成もおぼつかない、わけですね。至極当たり前のお話なんですが、どうでしょうか?意外と昨今の健康ブームでも言及されていないと思いません?カラダの部分部分の自主独立的な動きを良くするなんて(笑)・・・・・・。肩凝りに効くストレッチ、とか肩凝りに良い栄養素、なんていうのはよくありますけれど・・・それはさておき、最近私が実話としてお話している、カラダの部分部分の協力関係を良くすると、驚くほどカラダが変わり、ビックリするほどのカラダ感覚の変化を経験するっていうのは、カラダの部分部分が自立して、自由に動けるようになっていることが前提なのです。協力関係というと、なんとなくカラダの部分部分が一緒に動けば良いはず!、なんて私自身以前は考えていましたので、一応ここではっきりしておきますね。本来動くはずのところが癒着していたり、結果として機能制限していると、協力関係は成り立ち難い、っていうことを・・・あ、それと、誤解しやすいので申し添えますと、カラダが柔軟であればすべて良し、というわけではありません。はい、私インスパイア大澤もカラダの使い方のまずさで、硬くしてしまった部分もあるんです。それでもカラダの部分部分の連動性、協力体制の中で、私よりもずーーっとカラダの柔軟性が高い人よりも、軽快な動きができちゃったりするんですよ。そう、カラダの単純な可動域の問題ではなくて、部分部分がカラダの全体バランスの中で、一定レベル(人それぞれレベルの中身は違うと思います)自立して動けるかどうか、の方が大切なんです。つまり、カラダの中で硬い所があっても、各々のカラダの中で自立した動きが一定取れれば、良いということですね。もちろん、可動域は広いに越したことはないですが・・・以上、今日は少し原則的なお話をしてみました。で、一番言いたかったことは、カラダの中で少々硬い部分があっても、大丈夫な場合もありますよ!っていうことです。まぁ、少々ではあるかもしれないですけれどね・・・・・・(笑)あ、繰り返しになりますが、逆に柔らかければ良い、っていうことでもないです。(イメージとして)ゴムが伸び切ったような柔らかさは、カラダの連動性や協力体制がうまく行かない場合が多いようです。あーー、結構難しいですね(苦笑)。なので、今日はこの辺にしておきます。今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたのカラダの部分部分が見事に自主独立の仕事をして、軽快な日々が過ごせるよう、心よりお祈りしつつ・・・♪
2007.10.15
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今書いていたかなり長いコラムが、手が滑ってぶっ飛んでしまいましたので、短く簡潔にまとめ直しました(笑)。【筋力トレーニングはいじめだ!】これ、私インスパイア大澤の、ヨガ&整体の師匠が良く言われるフレーズなんです。そう、歯をくいしばって筋肉を鍛えて、ある筋は切れるまで頑張り、さらに追い込むように(筋肉を)苛め抜いた結果、筋はだんだん太くなり、たくましく、力強くなる。っていうのが筋力トレーニングにおけるまぁ、一つのプロセスですよね。そして筋肉がムキムキになって、うまくいけば、カラダが軽くなってカラダ全体の動きも軽快になる。こんな感じです。が、が、が、多くの場合は、例えば腕の筋肉を鍛えると、腕力に頼るようになり、脚力を鍛えると、脚力に頼る、という形で、鍛えた箇所が、自己主張するんですね。で、トータルなカラダの繋がりは、その自己主張のせいで、むしろバランスが悪くなったり、悪い場合は怪我につながったりしちゃうこともあります。(スポーツ選手はこのパターンが多いかも・・・)これは、鍛えて抜きんでた筋力が、カラダの部分部分の協力関係を乱す(場合多し)、というかなりよくあるパターンだと思います。そうそう、ビリーズなんとか(笑)っていうのも(部分部分の)協力関係を保つのはなかなか難しいかと(笑)・・・それはさておき、一方で私が現在探究し、学んでいるのは、筋力トレーニングではなくして、骨の連動性・関係性に注目し、その連動性・関係性を良くする、ということなんです。この骨の連動性・関係性に注目し、追いかけていくと、本当に面白いですし、ビックリする結果に出会うわけです。以前に書いた坂道が普通の道のようにスイスイ歩ける、なんてのも実はその一つです。また、最近では、頭使いすぎの私たちが凝り・こわばり・閊えをしばしば作って肩や首を凝らしているというパターンが多いですよね。慢性化して、果ては血液循環に影響し、脳梗塞や心筋梗塞などなどにまで行かれる方も多いでしょう。こういうカラダを使わなさ過ぎの、頭使いすぎ社会の弊害も、実は骨に注目し、その骨との関係性を探って、カラダを整える方向に持っていくと、ビックリするような軽快さが得られることも私最近多数経験中で現在進行中なんです。しつこい肩や首の凝りなんていうのもセルフコンディショニングのレベルでも相当のところまでいっちゃいます。今の世の中の大勢は、カラダを鍛えるというと、多くの場合筋力トレーニングになり、ビリーズ・ブート・キャンプをやったりするのでしょうが、好きな人やそれでカラダが軽快になり、日常の生活が楽になり目標がクリアするならば、それはそれで良いとしても、(筋力トレーニングは)どうも違うぞ!なんて感じる方は、ぜひぜひ骨の連動性や関係性を研究・勉強してみてください。カラダをいじめる筋力トレーニングとは、まったく違った次元の経験をすることができると思いますし、事実私インスパイア大澤自身が現在進行形で実体験中です。まぁ、要は、今世の中で大勢になっていること以外にも、良きこと、素敵なことは他にもたくさんあり得る、ということですね。むしろ、そんな少数派の芽吹きの中に、次の世の中の大勢が隠れている、なんてことがあるのでしょう。いずれにしても、鍛えて自らの目標設定をクリアしたり、日常生活を高いレベルで軽快にし、充実した毎日を過ごすには、やっぱりカラダという切り口の中で、骨の連動性を高めていくということは本当におすすめです。とは言うものの、骨の連動性とか関係性と一言で言っても、ピンとくる方はなかなかおられないかもしれません。このコラムでも詳細は書ききれてないですが、(でもボチボチは書いていきますよ!)有難いことに、今の時代情報はたくさんあるわけです。それだけ行動するための素材もたくさんある!ということも言えますよね。そういう情報が満ち満ちた時代の良き点は利用しない手はないですね♪ということで、今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたが新しい切り口に注目され、全く新しい次元の日々につなげることができることを心よりお祈りしつつ・・・♪
2007.09.02
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「戦争は止めようと思えば止められるものだという意識 をもっと大切にする必要があります。 今は戦争を避けるより相手に打ち勝つ軍備を整えようという 議論が盛んですが、これは結局、戦争へ向かう発想だと 思います・・・・・・」(日経新聞 シニア記者がつくるこころのページ8月16日 戦争と子供より引用。また、ほか以下に一部引用させて いただいています。)普通に大人として、また一人の人間として発想すれば・・・そうですよね。天災と違って、戦争なんて止めようと思えば止めれますよね!それを止めないで、事を起こすのは100%大人です。当事者にとってはいろいろな理由があって、大きく言うとすれば、軍需産業を支える、っていうこともあるでしょうし、また多くの場合は、大義という名のもとで敵をつくって事を起こします。まぁ、戦争については(かなり重いテーマでもありますので)ここではこれくらいにしておきます。さて、冒頭のこころのページの記事でも言っているのですが、今日本の子供がおかしくなっている、というよりもむしろ、大人がおかしくなっているんですよね。企業利益を追求せんがためにここ数年来特に表面化している(賞味期限延長のような)不祥事。「あいさつもしない大人。 電車内では人をかきわけて蹴落とすように座る。」このような物差しをもった大人を見つつ育つ子供たちはいったい・・・!?目標を達成して、結果を出すことは確かに大切ですが、結果を出さんがために、手段は問わないなんてことは絶対に良いはずがありません。ありえません・・・(結果を出すために)手段を問わない延長上には、もう一昔前の感がある、耐震強度偽装事件のように表面化する企業不祥事、経済効率最優先から生まれた環境汚染、「子どもが子どもを殺す事件」、「幼児虐待」、「年間3万人を超える自殺」科学者の偽論文などなど数えだしたらキリがないほど、ですよね。ところで、自然の中には厳しい弱肉強食(これも人間寄りの傲慢な発想かも・・・)があると言われていますが、この弱肉強食も、別にライオンがウサギを全滅するまで喰い尽すわけではない、です。ウサギもいて、ライオンもいて、大きく見ると共存しているんですね。そして、別にライオンはウサギを言うとおりにしようというわけでもなく、自然の妙なるバランスの元での、あくまでも生存本能です。つまり、多様なものの共存の中に、普遍的な自然の本質があるように思うんです。こうして観ると、(軍事)競争して相手がつぶれるまで戦争する、あるいは、(たとえば)力づくで自国のエゴを押し付けるという発想そのものが、人間ってバランス悪いなぁ、って思わせちゃいますよね。それはさておき、今日のトピックのメインのキーワードである競争は、(日本では)やっぱり明治以降の西欧化の流れで盛んになってきたものと思います。元々は、仏教から神道まで様々な宗教を包み込み、世界的にも異例とも言える、寛容な精神を自然に培ってきた日本人です。いつもお話するように、別に昔に帰れ!ということでは決してありませんが、今一度日本人の原点や歴史ということに視点を移して、私たち一人一人が競争とは違ったパラダイムを早急に、かつじっくりと創造する必要あり、とインスパイア大澤は考えるわけです。そう、まだまだ形にはできていませんが、「カラダを整えて、良きカラダで行動する」プロセスは、競争とは全く異なるパラダイムに転換することができる可能性に満ち満ちています。なにしろ、カラダは一人一人全く異なりますので、競争するよりもその多様性を尊重する方が向いてるんですよね。ライオンもウサギも尊いんです。が、しかし、現代に生きる私たちは頭で考えて、自他を分離して、すぐに競争しちゃうんですけれどね。電車の席取り競争や、賞味期限を偽ってまでやっちゃう販売競争あるいは企業生き残り競争を、ネ・・・でもそろそろ違った次元の志向が必要になってきてますよね。どう見ても・・・このブログでは、そんな競争とは異なるパラダイムの一端を、私の実地研究の現在進行形を合わせて、少しずつ落書きしている次第なのです♪長くなりました。今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたとの濃い(かもしれない、笑)御縁に心より感謝します。
2007.08.21
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姿勢を正して!っていう場合、普通は背筋をピンと伸ばして、まぁ、いわゆる『気をつけ』の格好をしますよね。実はこの『気をつけ』がクセもん、なんです。というのも、構えて『気をつけ』なんてやる教育が子供のころからあった名残で、逆に姿勢を正すときって、力みが入っちゃうんですよね。多くの場合に・・・普段から姿勢のいい人まで、なんか特別に力んじゃったり・・・とか。ホント笑いごとでは済まない変なお話なんです。なんでこんなこと言っているか、っていいますと・・・現代人のカラダって、おそらく相当無駄な力みが出ちゃっているのでは、と推定されるからです。こういうカラダ感覚の統計って、現時点ではまずないですので、あくまでも推定に過ぎないですが、街を歩く人を観察しても、かなり力入っているんですよね。あ、もちろん、本来あるべき(理にかなった)理想的なフォームで立ち居振る舞いしている人なんて現在ではほとんどいない、と思うんですが・・・ところで、その理想的なフォームってどんな感じなのか?正しい姿勢、生きていく上でカラダがより良い機能を果たす良い姿勢とはどんなものなのか?どうでしょうね?まぁ、インスパイア大澤が現時点で体感していることをお伝えするとすれば、◆肩の力は自然に抜けて、なで肩になっている◆首はしかるべき角度で、首より下と一体化している (あごは上がらず、首は思ったよりも前上方向という 感じ。)◆カラダ全体の動きは、主に腰でやわらかく制御◆脚は短くとも(笑)長い感じ つまり、骨盤から下が動くので長く感じる◆自然に呼吸が全身に通るイヤー、本当に体感・カラダ感覚は言語化が難しい。まぁ、ざっと挙げるとこんな感じでしょうか。カラダ感覚という意味ではまだまだあるのですが、今日はこれくらいにしておきます。このうち一番大切なのは、最後の呼吸が通る、っていう部分です。姿勢がいくらキレイに見えたり、キレイな姿勢を無理やり作っても、呼吸が自然に通らない、通りづらい姿勢は、言うまでもなくそれは正しい姿勢とは言えませんよね。そして当然ですが、呼吸が通るカラダは力みが抜けています。長くなるので少し端折りますが、カラダって私たちが考えている以上に賢いので、気をつけ、って姿勢を敢えて正さなくとも、呼吸が通るようになっているんですよ。つまり、仮に理にかなっていない悪い姿勢でも、呼吸はそれなりには通る。(ようにカラダは自然に工夫しちゃうんです。)で、逆にがんばって姿勢を正すと、呼吸が通りにくくなる、なんてことも起こります。だからと言って、あるべき理想的な姿勢をする必要がない、というお話ではありません。カラダは一応、非常手段として、姿勢が悪くとも、人間にとってこれがないと数分と持たない、呼吸については最優先で出来る範囲の調整をかけてくれている、ということです。あくまで出来る範囲です。そしてこの逆に、カラダがあるべき理想的なフォームに近付いて、カラダが力づくで調整をかけなくとも、自然に呼吸が通るようになってくると、びっくりするほど、日常の生活がアクティブで充実したものになるんです。本当になんとも言葉では表現できない素敵な感覚です。この【非常手段】と【自然に】の違いはめちゃめちゃ大きいです。このあたりが今私が体感している部分なんですね。(でも言語表現はホントに難しい。)そして、出来得ることならば、この自然に呼吸が通り、満ちる感覚をあなたと共有して、よりステージアップした人生を共有できるきっかけにしていただければ、とこの独り言、コラムを書いている次第です。あなたの呼吸があなたのカラダ全体に優しく満ちて、素敵な日々を充実して送れるよう、心よりお祈りしつつ、今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます♪
2007.07.23
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カラダって流れているんですよね!常に変化の流れの中にあります。皮膚も28日周期で新生していると言われていますし、爪や毛髪はもとより、内臓や骨や歯ですらも、分子レベルでは絶え間ない分解と合成が繰り返されているんです。つまり、カラダのありとあらゆる部位が何日、あるいは何か月かすれば、まるまる新しいものと入れ替わっているわけですね。ということは、これは私だ!と確信しているカラダも、何か月あるいは何年かすると、以前のカラダとは全く別物、ということになります。この新しい別物のカラダは、物質的には以前の私とはぜんぜん異なるわけですよね!にも関わらず、私は私に固執して、過去の失敗や未来への不安に後悔したり、おびえたりしているんですね。私だと思っているカラダはドンドン細胞レベルで新生され、生まれ変わっている、というのに・・・そして、このカラダの(分解と新しい合成の)流れは、有難いことに半ば自動的にやってくれているんです。ここにも今を全身全霊で活動する意義がやっぱりありますよね。そう思いません?カラダが物質レベルでドンドン新生し、鮮度アップを半ば自動的にしてくれているならば、私たちがやることは、その流れの一瞬一瞬を有意義に、有効に活用することなんだと、インスパイア大澤は思うんです。仮に、以前の流れの自分がうまくいってない自分だとしても、今の自分のカラダは少なくとも新生しているんだから、過去の流れに捉われる必要もないですし、未来のまだみえぬ流れに不安を感じるのは、今がもったいない・・・ですよね!そして、これはまたそのうちに時期が来たら書きたいと思いますが、今目標設定している内容について、カラダが整うか、嫌がるか、なんてことをチェックすると、今をより有意義に過ごすことができちゃったりします。それはさておき、私たちが意識しないでも、鮮度アップしてくれているカラダに感謝しつつ、今を一所懸命活動する生まれ変わるカラダで日々時々生まれ変わりましょう!ということを、私自身肝に銘じたいと感じている次第です。あ、今日のコラムはわりと最近に本屋さんで山積みされている下記からインスピレーションをいただきました。あなたも興味あったら読んでみてくださいね。↓ ↓ ↓今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたの素晴らしいカラダの流れ、そして素敵な今を心よりお祈りしています♪
2007.07.15
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例えば、イメージでキャッチボールをするとします。まずAさんがBさんに向かってボールを投げる。(マネをする)Bさんは、はーい!と取ります。そこには気持ちのいい対話、一つのコミュニケーションが成り立ちます。が、もし、ここで、Bさんがプイッと横を向いてコレを無視すると、Aさんはどのように感じるでしょう?(これ実際にやってみられるとよくわかりますよ。 ホントに○○○悪いですから・・・)あるいは、Aさんがボールを投げてきているのに、Bさんが本を読んでいたら、その場の感じはどうでしょう?また、あるいは、Bさんが携帯メールを打ち始めたら・・・実は、現代のコミュニケーションで起こっているのは、コレに極めて近いようです。【上の空】コミュニケーションって言ってもいいかも、ですね。で、一番怖いのは、上の空であることに気づいていない、つまり気づいていないことに気づいていない(ちょっとややこしい。笑)ということが、実際に今たくさん起こっているんですね。はい。もちろん、私自身も反省を込めてのお話です。(やってますよ!絶~対・・・みーんな。笑)でも、大人のコミュニケーションが、もし、【上の空】コミュニケーションだすると、子どもはいったい・・・!?とツイツイ考えてしまいますよね。今日もここまで読んでいただいて、ありがとうございます。あなたの今がステキな今、となるようにお祈りしてます♪
2006.02.22
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私たちの物事に対する感受性って本当に一人ひとり違いますよね!ある人にとって、身を乗り出すようなトピックであっても、別の人にとっては思いっきり退屈だったりと・・・夫婦や恋人同士はもちろん、親子でもこれは同じです。一例を挙げますと、先日、ある会合がありました。と、AさんとBさんが大激論を交わしています。その議論に対して、私はたまたまオブザーバー的な役割で見守っていたのですが、Aさんは、Bさんに対して、【そこが理解できない!】とばかりに、執拗に質問を投げかけ、攻撃的に論戦を挑みます。一方で、Bさんは周りの眼や自分の立場を氣にしてばかりいます。それは独り言のように時に言う言葉で分かるんです。【あっ、立場が逆転した】って何度か繰り返していたのです。Aさんは、Bさんの言っていることに対し、質問を投げかけながら、問題を解決することにフォーカスし、Bさんは、相手に理解をしてもらうよりも、自分の立場を守る方に集中しているわけですね。結論から言いますと、どちらも正しいことを言っていたのです。がしかし、それは、見事に平行線を辿り、結局議論は議論にならなかった、次第です。(笑)論戦の内容に触れると長くなるので、ココでは端折ります。が、要は、一つの議論という場でも、個々の感受性はやはり全く違うのがこの例を見るまでもなく、よくわかります。つまり、何が言いたいか、といいますと、ある一つのことを言った場合でも、ある人は、共感するし、ある人は、疑問を持つし、またある人は、退屈だと感じるということです。逆に言うとすれば、そのように色々な感受性を持つ人がいるから、面白い、とも言えますよね。まさに【それでいいんだ!】の世界です。このところ、【多様性】という言葉に魅かれ、今また新しい個性のコミュニティーに触れて、自らの感受性の受け皿(容積)を拡げている、インスパイア大澤でした。人間業って本当に面白い・・・ですね!(笑)ここまで読んでいただき、ありがとうございます。有難いご縁に感謝しつつ、あなたの今日一日がステキなものになることをお祈りしてます♪
2005.12.26
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みんな理屈では分かっていることだとは思うのですが・・・人間の力は、その多くの部分が無意識に影響されています。朝起きるときからも、始まってますよね。【もうちょっと寝たい~】【心地良い目覚めだー!】と自分と会話しながら、ある人は、すくっと起き上がり、朝の一仕事にかかる。また、ある人は、もう10分、もう15分・・・と睡眠を延長する。(笑)これなんかも、モロに無意識、潜在意識レベルの影響なんですね。意外と、起きないといかん(いけない)!と意識で思っている人が起きられなかったりするんです。意識 VS 無意識 では、圧倒的に無意識のパワーが大きいようです。ちなみに、もっと分かりやすく言うとすれば、無意識はイメージ、想像力の世界と密接に繋がっています。朝起きるときでも、起きることで、自らの仕事が進み、世の中のお役に立ち、お金もがっぽりいただける、というイメージが強ければ、すくっと爽やかに起きることができます♪が、なんかしんどいな!また、今日もあの嫌な○○さんの顔を見ないといけないのか~、となると、起きられません。いくら意識で、さぁー起きるんだ~、ってカラダをムチ打ってもネ。だから、よく言われることではありますが、この無意識のイメージパワーを意識する(ちょっとややこしい。笑)ことはとても大切なんですね。そして、さらに言うとすれば、カラダの感覚を鍛える~体感覚ですね!~と、この無意識と意識のリンクと方向付けが、かなりうまく行きます。(無意識を意識付けると、実は時空連続体が出てきて、シンクロが起こりやすくなるんです。)とは言え、今は、変な事件が毎日のように起こりすぎて、カラダと心(カラダと心はもちろん一体です。)の感覚にある種のマヒ状態がジワジワ進行しつつあります。社会的な現象として・・・。ということで、意外と無意識のマイナス面にたくさん縛られて、無意識をコントロールするのが難しい、というのはこの感覚マヒが大きい、のです。逆に言うと、今流行のイメージトレーニングとかイメージング力をフル活用するためには、カラダの感覚とイメージを繋げるのが効果的なんですね。最近の身体感覚とか、古武道、整体、武術のブームも、実はみーんな繋がってるんですよ・・・!とちょっと私自身の覚書風でちょっとややこしいお話となりました。わかったような、分からないようなお話でごめんなさい。でも、ここまで眼を通していただいたあなたに感謝!ステキな一日となりますことをお祈りいたします♪
2005.12.14
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今日は一言だけ、大切な覚書を・・・よく【ビーン】と直観が来た!と言います。このとき、【あぁー、来た来た!】【ふーん。そうか~】【明日確かめてみよう。】で終わるのは、直観ではありません。直観というのは、【あっ、そうか!これだなー! このことなんだ~!】っと、必ず即行動があります。つまり、今すぐその場で行動せずにはおれない、【ビッ、ビーン】こそが直観なるものの本質なんですよね。言葉にすると至極当たり前に聞こえますが、これがどうしてなかなか(笑)ってやつかもしれません。ここまで眼を通していただき、またご縁をいただき、ありがとうございます♪
2005.12.03
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【出来た!】【やったーーー!】『一つの目標が達成して、ある【型】、つまりよく言われる成功パターンなるものが出来たときは要注意である。』これ、私が今実地で学んでいることなのです。その【型】は確かに今はそれでいいのかもしれない。が、次なる展開を創りだすためには、そのパターンに居着いてしまってはダメなんです。次の動きに向けた、変化型、または進化型に移る必要があります。あるいは、いまの動きを止めた【型】に次なる運動を起こすことが大切ですね。ちょっと別の切り口で観ると、【一喜一憂】も同様でしょう。一つの出来事に一々心躍らされる、ということは、その状態に居着いてしまうことになります。居着くと、次なるステップに進むのが遅れてしまう。一流といわれる人が、たとえ喜ばしいことがあっても、淡々と即、次の運動を起こす、っていうのはまさにそのことかもしれません。身近で一番分かりやすい例は、イチロー選手でしょうか。自ら心したいものです。と、今日も独り言風にお付き合いいただき、ありがとうございます。ここでご縁をいただいたあなたが、今日もステキな一日になりますように・・・♪
2005.11.09
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はじめに・・・今日のお話は少し抽象的な、また個人的なメモです。悪しからず、ご容赦ください。※でも、思いの外、凄いことが書いてある! かもしれません。(笑)★ ★ ★◎快とは、【欲求・要求】を充足すること。 ◆【欲求・要求】は点である。 ↓◆その【欲求・要求】を肯定的に捉えると、運動を生じる。 ↓◆その運動は、多方向に多数ある≠これしかない ↓◆うっー、これいいねっ! ↓◆満たされる ↓◆次のステージ(点)へ・・・ 実は、これ、身体感覚を快にするときのエッセンスなのです。でも、よ~く観ると・・・!?使えますよね♪色々な場面に・・・!?ということで、今日はこれにて失礼します。ここまで読んでいただき、またご縁を頂いたことに感謝!
2005.11.08
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今日は、短いです。常日頃の私たちって、無意識や潜在意識と呼ばれる領域から出てくる言葉や想いにたくさん影響受けているんですよね。否定的なものも、肯定的なものも、どちらも…。決して、意識上にダイレクトに上ってくる言葉や、想いだけでは私たちは動いていないのです。と、まぁ、なんとなくわかるよね!っていう世界でしょうか。で、だから時々必要なんです。そう、言葉の薬を注入してあげることが…。私が接してきた尊敬に値する人ほど、このこと、つまりわかりやすく言うと、モチベーションの鮮度アップを意識的にやっておられます。もちろん、表面上はわからないことが多いですが、ネ。(お付き合いしていると、よくよくわかるんです。)ということで、今日は2本ほどいい薬を。(午後8時、1本追加⇒計3本)【できないと言われることを実現して初めて『仕事』と呼べる】【神様は苦難なしではチャンスをくれない】【結局、人の打てない球をヒットにしていかないと成績は上がらない。そこが僕の勝負しているところ。】(イチロー)どれも、受け取り方、捉え方は人それぞれだと思いますが、実践行動のためのスパイスや、薬草として使っていただければ幸いです。あっ、そうそう、現代医学でいうところの【薬】は副作用がありますが、私の意味しているのは、その薬ではありませんので(笑)念のため…。今日もご縁をいただき、感謝いたします。あなたの素晴らしい一日をお祈りいたします!
2005.06.15
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このところの人災もさることながら、津波や、水害、地震…などなど、自然災害ってちょっと酷いと思いませんか。様々な要素が重なり合って、起っていることなんでしょう。例の複雑系やフラクタル理論(シンプルな要素の積み重ねが複雑な事象を生み出すという理論。)でも言われているように、蝶が羽ばたいただけで、気象に影響があるんですよね。とすると、私たちが自然に加えた、たくさんの人工的なもの。例えば、自動車の排気ガス、エアコンの熱、道路の舗装、海や川の汚染…などなどの諸要因は、温暖化に大きく影響しているのは間違いないでしょう。ところで、とある環境問題の専門家によると今問題なのは、温暖化の影響で氷河の氷が溶け出し、山の淡水資源がどんどん減っていることだそうです。その結果、例えば本来ヒマラヤから流れ出すはずの、人類数十億人を養っている天空の水担保(氷河)がドンドン減っています。そして、川の断流や水不足による衛生状況の悪化・病気を引き起こしているのです。水って言えば、海水があるじゃない、と思いますが、これは直接は利用できないんですね。しかし、地球上の水の99.9%は海水です。0.1%くらいが淡水で、そのうち人間が利用できるのは、そのさらに0.1%くらいで、つまり0.01%に過ぎないんです。ココ数年来の水害や、自然災害を教訓に、今一度大自然の叡智に目を向けないといけない時期がいよいよ来ているようです。水害というと、水に浸かるほうを思い浮かべますが、一方で、世界の四大河川である、ナイル川、チグリス・ユーフラテス川、インダス川、黄河が枯れつつあるんです。これは、農業用水、工業用水の使いすぎが原因とはっきりしており、地下水まで枯れてしまっているのが現状です。このように、地球レベルで水資源が危機に瀕しているという状況を、私たちは今は他人事のように考えることが出来ます。そりゃ、コンビにいけばいくらでもペットボトルで水が買えるんですもんね。水道ひねれば、いつでも水は出てきますし…。本当の危機状況に追い込まれない限りはわからないことかもしれません。いずれにしても、これまでの地球社会のデザインは、次なるステップにパラダイム転換していかないと、地球という大自然がもたないのは間違いないようです。私たちの生き方そのもののリセットが問われているのかもしれません。と、今日は大きなお話になりましたが、とりわけ日本のように食料自給率が4割しかない国では、逆に海外の水資源に頼って食料を輸入しているわけです。その海外の水が枯れてきているということは、食糧輸入も…。悲観論としてではなく、これからの価値観を構築する上で、大いに考え、行動にもつなげていくべき視点でしょう。他人事ということでなく…。今日もここまでお読みいただき、ありがとうございます。あなたとのご縁に感謝いたします。
2005.06.07
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3月11日の毎日新聞に出ていた記事を少し引用する。「ラオス辺りは魚が多く、農作業が終わると親も子もカヌーで魚のいる場所に行き、子どもも手製の銛で獲物を狙う。夜のおかずだ。子どもは父親らと一緒に遊びながら仕事を覚える。貧しいが、大地と一緒に生き生きと楽しんでいる。女の子は夕方、天秤棒の左右にバケツをぶら下げ、飲み水を汲みに川に下りる。中学生ぐらいの女の子の役目で、毎日2回、3回と300メートルほどの崖を上下する。」これを見て、あなたはどう感じますか。「かわいそう」って感じますか?私は、家族の中で役割分担して一生懸命生きているんだな、そのときそのときを…、と感じました。ところが、そのような光景をみて、少なからずの方はこう言います。「世界の子どもの労働をなくそう」と…。上の引用部分は、作家の椎名誠氏が基調講演、「旅で見た世界の水と人々の暮らし」をまとめたものの一部です。そこでは、貴重な水資源について、いろいろな角度からお話されてます。で、上の水汲みのお話で椎名氏は次のように述べている。「彼女らは別に苦しんでいるようには見えず、弟が漁をするなら、私は水汲み、という家の中での役割を果たしているだけ。可哀そうなのはむしろ、そんなことも出来なくなった日本の子どもではないか。」極々当たり前のお話なのですが、今の日本の子どもにはどう映るのでしょうか?そして、椎名氏は最後に言っています。羽田空港の男性トイレは、「人が入るとせせらぎ音が流れる」のだそうです。それに対して、「用便の音が恥ずかしいなどというのは、世界で一番弱い男だ」「そこまでやる国はどうも病気ではないか」と。うーん、今の世の中、価値軸をしっかりもって考え、行動することが大切だと痛感しますね。周りで当たり前に行われていること、考えに単純に同化、同期するのは、まずい、と感じたお話でした。今日もここまでご覧いただいた、ご縁のある方には感謝申し上げます。ありがとうございます。
2005.03.15
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総務省の調査では、2003年のインターネット利用者は7,730万人で、総人口に占める利用者の割合がはじめて6割を超えたそうです。日本では、ほかに携帯電話によるメールのやり取りなど、いわゆる情報技術(IT)の日常生活への定着、浸透が著しいですね。 そんな中で、「ネット依存症」と言われる病気が若者の間で増えている模様。しかも急増!しているとのこと。意外にも自分では気づかないのが特徴だそうで、性格的には「まじめで論理的、几帳面でマニュアルにこだわる」タイプの人が依存症になりやすいようです。何しろネット中では、勝手なブランディングで、仮想空間がつくれるわけですから、そりゃ使い方によっては、精神に異常をきたすこともないとはいえないですね。アルバイト従事者が、ネット上では「資産家のITベンチャー起業家」って名乗ることも実際可能ですもんね。ということで、インターネットを中心としたIT技術は、ものすごく世の中を便利にするもので、いい方向に活用すれば途轍もない力を生み出しますが、間違った使い方をすると、仮想の妙な世界に入り込むこともありますので、特に小学生、中学生、高校生のお子さんをお持ちのお母さんにはご注意いただきたいな、と思います。ところで、ワタシのほうネットマーケティングの実践探求がこの半年で大きく進んだのはいいのですが、楽天日記や他のブログの更新が大きく遅れています。いずれにしても、お役立ちできる情報は少しずつアップしていきますので、時々ご訪問いただければ幸いです。ちなみに先日ご紹介しましたスカイプ電話は本当に便利ですよ。好奇心旺盛なアナタはぜひお試しになってくださいね。では今日も素敵な一日になりますようにお祈りいたします!ありがとうございます。
2005.02.01
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厚生労働省研究班がまとめた調査によると、「中高年男性では、たばこを吸う本数が多いほど自殺の危険性が高まる」そうです。(本日18日日経新聞朝刊より)それによると、喫煙習慣で一日に吸う本数が20本未満の人に比べて、40本以上の人が自殺する危険性は7割高く、30本以上40本未満の人で4割高かったそう。この調査の成果は日本疫学会で発表されるそうですが、随分衝撃的なデータでもありますよね。ちなみに私はタバコを吸いませんが、レストランや喫茶店に入ったときだけは勘弁してほしいな、と思うときがたびたびあります。隣の人の煙のお話です。それ以外は全くもって自己責任の世界ですよね。でも最近は若い女性の喫煙シーンをよく見ます。僕的には全くエレガントには見えないのですが、あなたはどう思いますか?まぁ、ココでは赤ちゃんを産む女性っていう視点は敢えて触れないようにしますが…。単にファッションとしてもダサいと感じるのは私だけだろうか!?とほぼ独り言の世界でした。ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。
2005.01.18
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先日、高速道路で覆面パトカーに追尾され、な、なんと45kmオーバーでキップを切られました。あなたはこんなときどんな解釈をしますか?「最悪ジャン!(笑)」「ツイテないなー」これが普通でしょう。でも、こういうときこそ、脳を強がらせ、ダマス必要があるのです。(笑)「あー、これで厄が落ちた!」「このことがもっと強烈な何か(!)を防いでくれたよね!」みたいに…。NLPで言うところのリフレーミングですね。人生の感情容積を大きくし、ナニが起こってもびくともしない、一喜一憂しないインスパイア大澤の人生修行はまだまだ続きます。(笑)乞うご期待。追伸ところで、追尾されていたことにまったく気づかず、あるテープ教材を必死で聞いていて、実はサイレンの音もまったく耳に入ってなかったインスパイア大澤でした。(笑)
2005.01.13
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日経新聞、12月11日(土)の記事。厚生労働省の全国調査の結果、2001年~3年で、いわゆる健康食品摂取後に肝障害を起こした患者が95人いたことを発表。(日本肝臓学会東部会にて)食品や成分の毒性というより、アレルギー反応や肝臓の薬物代謝機能の個人差が原因で、「薬物性の肝障害」が起こっている可能性があると指摘。因果関係の特定は難しいでしょうが、クスリと健康食品の同時摂取には注意が必要ですね。健康食品といえども必ずお医者さまと相談の上、摂取するというのが大切です。以上、覚書メモでした。
2004.12.16
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昨晩から本日早朝にかけて、楽天日記で相互リンクいただいている方々100人ほどの方の日記を訪問してみた。コメントまでは手がまわりませんでしたが、あいさつ回りです。あまり意味はないかもしれませんが気持ちを込めて(笑)(ホントは意味あります!)、今年お世話になったご挨拶もかねて、100件それぞれをクリックすると結構時間がかかりました~。(笑)もう日記がない方5名、更新が完全に止まっている方5名ほど。残りの方は、結構かかれてます。そして、それぞれの方々の日記はやっぱり目に見えないパワーが出ていました。ゲンキなパワーを出されている日記もあれば、すこしエネルギー的にはトーンダウンなされている方も…。ブログ日記は物言わぬ(声を出さない)ITツールですが、拝見しているとエネルギーや個性の違いを感じます。ちなみに、ゲンキさについては、更新頻度はわかりやすい、ですが、必ずしもそれだけではありません。言葉から出ている力、とでもいいましょうか。ともあれ、目に見えない想いも大切だよね!ということを少しずつ気づき始めたひとが増えているように感じますが、WebやメルマガなどITツールでも、これからますますその違いがクローズアップされてくるでしょう。合わせて、ニセモノやズレた人も増えてくる、というか、実際に増えてるんですよね。これも「目に見えない大切なこと」を軽視する結果でしょう。と、覚書ですので(笑)、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、ご容赦くださいね。ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
2004.12.10
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ハンバーガー結構有名なお話だったんですね。ということで、覚書を。「一週間で胸の痛みが出現。手足がちくちくし、気分が落ち込む。十日目過ぎからひどい頭痛です。でも食べると消える。体がハンバーガー中毒になったのでしょう。」「一ヶ月やり遂げて、コレステロール値は65ポイント上昇、体脂肪率も7ポイントアップし、体重は11キロ増加。元の体重に戻すのに14ヶ月かかる。医者の話では、たまった脂肪は小さくなるだけで体に残っているから、今も食べ物に気をつけないといけない。」撮影のためとはいえ、自分の体で証明するとはあっぱれ、ですよね。
2004.12.09
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